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北海道
1 | 山田航 北海道 札幌市 | Wikipedia |
山田 航(やまだ わたる、1983年8月22日 - )は、日本の歌人。 | ||
8月22日生まれの人  1983年生まれの人  北海道出身の1983年生まれの人 | ||
2 | 加藤千恵 北海道 旭川市 | Wikipedia |
加藤 千恵(かとう ちえ、1983年11月10日 - )は北海道旭川市出身の歌人、小説家。 | ||
立教大学出身 北海道出身の立教大学の出身者 全国の立教大学の出身者 | ||
11月10日生まれの人  1983年生まれの人  北海道出身の1983年生まれの人 | ||
3 | 柳澤美晴 北海道 旭川市 | Wikipedia |
柳澤 美晴(やなぎさわ みはる、1978年12月31日 - )は、歌人。北海道旭川市出身。 | ||
北海道教育大学出身 北海道出身の北海道教育大学の出身者 全国の北海道教育大学の出身者 | ||
12月31日生まれの人  1978年生まれの人  北海道出身の1978年生まれの人 | ||
4 | 岡しのぶ 北海道 旭川市 | Wikipedia |
岡 しのぶ(おか しのぶ、1976年12月28日- )は北海道恵庭市出身の女流歌人。 | ||
12月28日生まれの人  1976年生まれの人  北海道出身の1976年生まれの人 | ||
5 | 雪舟えま 北海道 札幌市 | Wikipedia |
雪舟 えま(ゆきふね えま、1974年10月7日-)は歌人、小説家。北海道札幌市生まれ。小樽市在住。藤女子大学文学部国文学科卒。漫画家の玉川重機は義弟(妹の夫)。 | ||
藤女子大学出身 北海道出身の藤女子大学の出身者 全国の藤女子大学の出身者 | ||
10月7日生まれの人  1974年生まれの人  北海道出身の1974年生まれの人 | ||
6 | 松木秀 北海道 登別市 | Wikipedia |
松木 秀(まつき しゅう、1972年1月14日 - )は、歌人、川柳作家。北海道登別市出身・在住。 | ||
1月14日生まれの人  1972年生まれの人  北海道出身の1972年生まれの人 | ||
7 | 田中綾 北海道 札幌市 | Wikipedia |
田中綾(たなか あや、1970年2月11日 - )は、日本の文芸評論家、歌人。北海学園大学人文学部教授。専門は日本近現代文学(特に詩歌史)。博士(文学)(北海学園大学)。 | ||
2月11日生まれの人  1970年生まれの人  北海道出身の1970年生まれの人 | ||
8 | 穂村弘 北海道 札幌市 | Wikipedia |
穂村 弘(ほむら ひろし、1962年5月21日 - )は、日本の歌人。北海道札幌市生まれ。歌誌「かばん」所属。 | ||
上智大学出身 北海道出身の 上智大学の出身者 全国の 上智大学の出身者 | ||
5月21日生まれの人  1962年生まれの人  北海道出身の1962年生まれの人 | ||
9 | 櫂未知子 北海道 余市町 | Wikipedia |
櫂 未知子(かい みちこ、1960年9月3日 - )は、俳人。北海道余市郡出身。当初は短歌を学んだがのちに俳句に転向、口語表現を生かしつつ、男女の性愛や、強さとエレガンスを持つ女性像を描き出した作品で知られる。代表句に「シャワー浴ぶくちびる汚れたる昼は」「春は曙そろそろ帰つてくれないか」「佐渡ヶ島ほどに布団を離しけり」「雪まみれにもなる笑つてくれるなら」などがある。 | ||
9月3日生まれの人  1960年生まれの人  北海道出身の1960年生まれの人 | ||
10 | 四ッ谷龍 北海道 札幌市 | Wikipedia |
四ッ谷 龍(よつや りゅう、1958年6月13日 - )は、俳人。札幌市に生まれる。1959年東京に転居。小学校の授業をきっかけに俳句に親しむ。1974年藤田湘子の「鷹」入会。1983年第2回現代俳句評論賞。1984年神戸に転居。1986年「鷹」退会。1987年句集『慈愛』刊行。同年冬野虹と結婚。冬野との二人文芸誌「むしめがね」創刊。1990年東京に転居。1997年「インターネットむしめがね」を日・仏・英3か国語で開設。2002年冬野虹急逝。2010年句集『大いなる項目』刊行。その他の著書に『富澤赤黄男』(蝸牛俳句文庫、1995年)がある。代表的な句に「はればれとわたしをころす桜かな」など。評論活動のほか、フランスの雑誌への寄稿や海外講演など俳句に関する国際的活動を行っている。 | ||
6月13日生まれの人  1958年生まれの人  北海道出身の1958年生まれの人 | ||
11 | 大道寺将司 北海道 釧路市 | Wikipedia |
大道寺 将司(だいどうじ まさし、1948年6月5日 - )は、日本の新左翼活動家、俳人。東アジア反日武装戦線“狼”部隊のメンバーで、リーダー格の人物。確定死刑囚。 | ||
6月5日生まれの人  1948年生まれの人  北海道出身の1948年生まれの人 | ||
12 | 西川徹郎 北海道 芦別市 | Wikipedia |
西川 徹郎(にしかわ てつろう 1947年9月29日 - )は、北海道芦別市生まれの俳人、文芸評論家。浄土真宗本願寺派正信寺住職。龍谷大学中退。本名は徹真。 | ||
龍谷大学出身 北海道出身の龍谷大学の出身者 全国の龍谷大学の出身者 | ||
9月29日生まれの人  1947年生まれの人  北海道出身の1947年生まれの人 | ||
13 | 時田則雄 北海道 帯広市 | Wikipedia |
時田 則雄(ときた のりお、1946年9月24日 - )は、歌人。北海道帯広市生まれ。北海道帯広農業高等学校、帯広畜産大学別科草地畜産専攻修了。歌誌『辛夷』主宰を長く務めた。野原水嶺に師事。十勝にて農業を経営しながら文芸活動を行っている農民歌人。佐佐木幸綱の男歌の影響のもとに北海道の風土を描いた、躍動的でスケールの大きな歌風が特徴。道新歌壇選者。特定非営利活動法人十勝文化会議理事。 | ||
帯広畜産大学出身 北海道出身の帯広畜産大学の出身者 全国の帯広畜産大学の出身者 | ||
9月24日生まれの人  1946年生まれの人  北海道出身の1946年生まれの人 | ||
14 | 松平修文 北海道 北見市 | Wikipedia |
松平 修文(まつだいら しゅうぶん、1945年12月21日 - )は、画家、美術評論家、歌人。歌人の王紅花は妻。 | ||
東京芸術大学出身 北海道出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
12月21日生まれの人  1945年生まれの人  北海道出身の1945年生まれの人 | ||
15 | 浜田康敬 北海道 釧路市 | Wikipedia |
浜田 康敬(はまだ やすゆき、1938年7月25日 - )は、日本の歌人。短歌結社には無所属。 | ||
7月25日生まれの人  1938年生まれの人  北海道出身の1938年生まれの人 | ||
16 | 角宮悦子 北海道 網走市 | Wikipedia |
角宮 悦子(つのみや えつこ、1936年3月3日 - 2016年3月22日)は歌人。歌誌「はな」代表。旧姓は石塚。 | ||
3月3日生まれの人  1936年生まれの人  北海道出身の1936年生まれの人 | ||
17 | 菱川善夫 北海道 小樽市 | Wikipedia |
菱川 善夫(ひしかわ よしお、1929年6月3日 - 2007年12月15日)は日本の歌人・文芸評論家、国文学者。北海学園大学名誉教授。戦後の前衛短歌運動を批評の立場から推し進めた。 | ||
北海道大学出身 北海道出身の北海道大学の出身者 全国の北海道大学の出身者 | ||
6月3日生まれの人  1929年生まれの人  北海道出身の1929年生まれの人 | ||
18 | 山名康郎 北海道 南富良野町 | Wikipedia |
山名 康郎(やまな やすろう、1925年12月15日 - 2015年6月18日)は、歌人。北海道南富良野町生まれ。 | ||
12月15日生まれの人  1925年生まれの人  北海道出身の1925年生まれの人 | ||
19 | 三浦光世 北海道 旭川市 | Wikipedia |
三浦光世(みうら みつよ、1924年4月4日 - 2014年10月30日)は東京都生まれ、北海道出身の歌人。小説家・三浦綾子の夫であり、財団法人三浦綾子記念文化財団理事長、三浦綾子記念文学館館長を務めた。 | ||
4月4日生まれの人  1924年生まれの人  北海道出身の1924年生まれの人 |
20 | 中城ふみ子 北海道 帯広市 | Wikipedia |
中城 ふみ子(なかじょう ふみこ、1922年(大正11年)11月15日〈戸籍上は11月25日〉 - 1954年(昭和29年)8月3日)は、日本の歌人。北海道河西郡帯広町(現・帯広市)出身。本名は野江富美子。妹の野江敦子も歌人。中城は離婚した夫の姓。戦後の代表的な女性歌人の一人で、後進に大きな影響を与えた。 | ||
東京家政学院大学出身 北海道出身の東京家政学院大学の出身者 全国の東京家政学院大学の出身者 | ||
11月15日生まれの人  1922年生まれの人  北海道出身の1922年生まれの人 | ||
21 | 大森光章 北海道 倶知安町 | Wikipedia |
大森 光章(おおもり こうしょう、1922年7月24日 - 2009年3月26日)は日本の小説家、フリーライター、禅僧(上座)。幼名は倖二。今出光章、北町陽一郎名義による作品もある。弟に歌人の大森亮三。 | ||
7月24日生まれの人  1922年生まれの人  北海道出身の1922年生まれの人 | ||
22 | 宇佐美福生 北海道 遠軽町 | Wikipedia |
宇佐美福生(うさみ ふくお、1921年(大正10年)6月10日-1984年(昭和59年)6月2日)は、日本の政治家・俳人・市民運動家。北海道紋別郡生田原町出身。北海道野付牛中学校(旧制)卒業。早稲田大学政経学部卒業。北海道北見市長(1967年-1975年、2期)。 | ||
早稲田大学出身 北海道出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
6月10日生まれの人  1921年生まれの人  北海道出身の1921年生まれの人 | ||
23 | 石田勝彦 北海道 札幌市 | Wikipedia |
石田 勝彦(いしだ かつひこ、1920年10月3日 - 2004年7月9日)は、北海道出身の俳人。本名は和郎(かずろう)。札幌市生まれ。國學院大學中退。戦後、結核のため清瀬の国立東京病院に入所。1952年、東京療養所俳句サークル誌「松濤」の加藤楸邨の選を受け、翌年、「寒雷」に入会。また石田波郷に師事し、1954年、俳誌「鶴」に入会。「鶴」支部句会で小林康治からも学んだ。波郷没後、1974年、小林康治の「泉」創刊に参加、編集を担当、1980年より「泉」を辞した小林に代わり選を務める。1988年、俳人協会評議員。1990年、健康上の理由で「泉」主宰を綾部仁喜に譲る。2000年、句集『秋興』により第39回俳人協会賞受賞。2004年7月9日午後8時、慢性腎不全のため、東京都八王子市の病院にて死去。 | ||
10月3日生まれの人  1920年生まれの人  北海道出身の1920年生まれの人 | ||
24 | 原子公平 北海道 小樽市 | Wikipedia |
原子 公平(はらこ こうへい、1919年9月14日 - 2004年7月18日)は、俳人。北海道小樽市に生れる。北朝鮮元山中学校、旧制第三高等学校を経て東京大学文学部を卒業。その後岩波書店、小学館などに勤務した。俳句は三高時代に「馬酔木」に投句、その後加藤楸邨に師事し「寒雷」同人。1946年、澤木欣一、細見綾子らとともに「風」を創刊、同誌に俳句および評論を発表し社会性俳句を推進、特に1955年に発表した「山本健吉の時評」は社会性俳句の論争のきっかけとなった。1952年より現代俳句協会幹事。1953年「萬緑」同人。1962年「萬緑」を退会し「海程」同人。また「秋」にも同人として参加した。1973年「風涛」を創刊、主宰。2000年現代俳句協会大賞受賞。2004年7月18日死去、84歳。句集に『浚渫船』『良酔』『海は恋人』など、評論集に『俳句変革の視点』などがある。 | ||
9月14日生まれの人  1919年生まれの人  北海道出身の1919年生まれの人 | ||
25 | 後藤杜三 北海道 札幌市 | Wikipedia |
後藤 杜三(ごとう もりぞう、1918年1月25日 -1991年5月10日)は日本の医師、俳人、作家。北海道札幌市生まれ。本名・英三・私立岩手医学専門学校(現・岩手医科大学)卒、1946年北海道帝国大学で医学博士。 | ||
1月25日生まれの人  1918年生まれの人  北海道出身の1918年生まれの人 | ||
26 | 金子きみ 北海道 湧別町 | Wikipedia |
金子きみ(かねこ-、1915年2月12日 - 2009年6月23日)は、日本の小説家、歌人。本名・キミ。 | ||
2月12日生まれの人  1915年生まれの人  北海道出身の1915年生まれの人 | ||
27 | 斎藤玄 北海道 函館市 | Wikipedia |
斎藤 玄(さいとう げん、1914年8月22日 - 1980年5月8日)は、俳人。本名・俊彦。 | ||
8月22日生まれの人  1914年生まれの人  北海道出身の1914年生まれの人 | ||
28 | 一原有徳 北海道 小樽市 | Wikipedia |
一原 有徳(いちはら ありのり、1910年8月23日 - 2010年10月1日)は、北海道小樽市に居住していた版画家。モノタイプ手法を用いた特異な作風で、国際的にも名高い。また、俳人・登山家としても有名。 | ||
8月23日生まれの人  1910年生まれの人  北海道出身の1910年生まれの人 | ||
29 | 斎藤史 北海道 旭川市 | Wikipedia |
斎藤 史(齋藤史、さいとう ふみ、1909年(明治42年)2月14日 - 2002年(平成14年)5月26日)は、日本の歌人。東京都四谷生まれ。福岡県立小倉高等女学校(現・福岡県立小倉西高等学校)卒業。 | ||
2月14日生まれの人  1909年生まれの人  北海道出身の1909年生まれの人 | ||
30 | 森竹竹市 北海道 白老町 | Wikipedia |
森竹 竹市(もりたけ たけいち、1902年2月23日 - 1976年8月3日)は、昭和時代の歌人。アイヌ三大歌人に数えられる。筑堂と号する。 | ||
2月23日生まれの人  1902年生まれの人  北海道出身の1902年生まれの人 | ||
31 | 違星北斗 北海道 余市町 | Wikipedia |
違星 北斗(いぼし ほくと、男性、1901年(明治34年) - 1929年(昭和4年)1月26日)はアイヌの歌人・社会運動家。 | ||
1901年生まれの人  北海道出身の1901年生まれの人 | ||
32 | 湊楊一郎 北海道 小樽市 | Wikipedia |
湊 楊一郎(みなと よういちろう、1900年(明治33年)1月1日 - 2002年(平成14年)1月2日)は、俳人。新興俳句運動の理論的支柱として知られる。本名は久々湊与一郎(くくみなとよいちろう)。 | ||
中央大学出身 北海道出身の中央大学の出身者 全国の中央大学の出身者 | ||
1月1日生まれの人  1900年生まれの人  北海道出身の1900年生まれの人 | ||
33 | 小穴隆一 北海道 函館市 | Wikipedia |
小穴 隆一(おあな りゅういち、1894年11月28日 - 1966年4月24日)は、日本の洋画家、随筆家、俳人。俳号は一游亭。 | ||
11月28日生まれの人  1894年生まれの人  北海道出身の1894年生まれの人 | ||
34 | 金児杜鵑花 北海道 余市町 | Wikipedia |
金児 杜鵑花(かねこ とけんか、1894年3月14日 - 1938年2月21日)は大正-昭和時代前期の俳人。本名は農夫雄(のぶお)。新興俳句の命名者でもある。 | ||
3月14日生まれの人  1894年生まれの人  北海道出身の1894年生まれの人 | ||
35 | 三木露風 北海道 函館市 | Wikipedia |
三木 露風(みき ろふう、1889年(明治22年)6月23日 - 1964年(昭和39年)12月29日)は、日本の詩人、童謡作家、歌人、随筆家。本名は三木 操(みき みさお)。異父弟に映画カメラマンの碧川道夫がいる。 | ||
1889年生まれの人  北海道出身の1889年生まれの人 | ||
36 | 石川啄木 北海道 釧路市 | Wikipedia |
石川 啄木(いしかわ たくぼく、1886年(明治19年)2月20日 - 1912年(明治45年)4月13日)は、日本の歌人、詩人。本名は石川 一(いしかわ はじめ)。 | ||
1886年生まれの人  北海道出身の1886年生まれの人 | ||
37 | 宮崎郁雨 北海道 函館市 | Wikipedia |
宮崎 郁雨(みやざき いくう、1885年(明治18年)4月5日 - 1962年(昭和37年)3月29日)は、日本の歌人。本名は大四郎(だいしろう)。 | ||
1885年生まれの人  北海道出身の1885年生まれの人 | ||
38 | 若山牧水 北海道 幕別町 | Wikipedia |
若山 牧水(わかやま ぼくすい、1885年(明治18年)8月24日 - 1928年(昭和3年)9月17日)は、戦前日本の歌人。本名・繁(しげる)。 | ||
1885年生まれの人  北海道出身の1885年生まれの人 | ||
39 | 荻原井泉水 北海道 岩内町 | Wikipedia |
荻原 井泉水(おぎわら せいせんすい、1884年(明治17年)6月16日 - 1976年(昭和51年)5月20日)は、日本の自由律俳句の俳人、俳論家。「層雲」を主宰、尾崎放哉や種田山頭火らを育てた。本名・幾太郎のち藤吉。 | ||
1884年生まれの人  北海道出身の1884年生まれの人 |
40 | バチェラー八重子 北海道 伊達市 | Wikipedia |
バチェラー八重子(バチェラーやえこ、1884年6月13日 - 1962年4月29日)は、アイヌの歌人・キリスト教伝道者。「バチラー八重子」とも、表記される。 | ||
6月13日生まれの人  1884年生まれの人  北海道出身の1884年生まれの人 | ||
41 | 岡野知十 北海道 様似町 | Wikipedia |
岡野 知十(おかの ちじゅう、安政7年2月19日(1860年3月11日) - 昭和7年(1932年)8月13日)は、俳人。本名は、岡野 敬胤。通称は正之助、別号は正味。旧姓は木川。 | ||
2月19日生まれの人  1860年生まれの人  北海道出身の1860年生まれの人 | ||
42 | 阿部久美 北海道 留萌市 | Wikipedia未登録 |
歌人 | ||
43 | 徳長しのぶ 北海道 旭川市 | Wikipedia未登録 |
歌人 | ||
44 | 荒谷松葉子 北海道 寿都町 | Wikipedia未登録 |
俳人 | ||
45 | 中嶋音路 北海道 黒松内町 | Wikipedia未登録 |
俳人 | ||
46 | 鈴木重道 北海道 余市町 | Wikipedia未登録 |
歌人。北見洵吉 |
青森県
47 | 佐藤羽美 青森県 青森市 | Wikipedia |
佐藤 羽美(さとう うみ、1980年3月25日 - )は、歌人、社交ダンス指導員。青森県青森市出身・在住。 | ||
3月25日生まれの人  1980年生まれの人  青森県出身の1980年生まれの人 | ||
48 | 梅内美華子 青森県 八戸市 | Wikipedia |
梅内 美華子(うめない みかこ、1970年4月28日 - )は、青森県八戸市出身の歌人。青森県立八戸高等学校、同志社大学文学部文化学科卒業。短歌結社「かりん」所属。 | ||
同志社大学出身 青森県出身の同志社大学の出身者 全国の同志社大学の出身者 | ||
4月28日生まれの人  1970年生まれの人  青森県出身の1970年生まれの人 | ||
49 | 寺山修司 青森県 三沢市 | Wikipedia |
寺山 修司(てらやま しゅうじ、1935年12月10日 - 1983年5月4日)は日本の歌人、劇作家。演劇実験室「天井桟敷」主宰。 | ||
早稲田大学出身 青森県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
12月10日生まれの人  1935年生まれの人  青森県出身の1935年生まれの人 | ||
50 | 成田千空 青森県 | Wikipedia |
成田 千空(なりた せんくう、1921年3月31日 - 2007年11月17日)は、日本の俳人。青森県青森市出身。本名:力。青森工業学校(現・青森県立青森工業高等学校)卒業。上京し富士航空計器株式会社に就職するが、肺結核に罹患し帰郷。闘病中に句作を始める。高松玉麗らの俳句結社「松濤社」、吹田孤蓬らの青森俳句会に参加。1945年より母の実家のある五所川原市に疎開し、以後その地で農業を営みながら俳人として活動する。 | ||
3月31日生まれの人  1921年生まれの人  青森県出身の1921年生まれの人 | ||
51 | 永沢与助 青森県 板柳町 | Wikipedia |
永沢 与助(ながさわ よすけ、1908年1月 - 1982年9月)は、昭和時代日本の俳人、作詞家。 | ||
1908年生まれの人  青森県出身の1908年生まれの人 | ||
52 | 赤木健介 青森県 青森市 | Wikipedia |
赤木 健介(あかぎ けんすけ、1907年3月2日 - 1989年11月7日)は、日本の詩人、歌人、編集者、歴史家。本名・赤羽 寿(あかばね ひさし)、別名・伊豆 公夫(いず きみお)。 | ||
3月2日生まれの人  1907年生まれの人  青森県出身の1907年生まれの人 | ||
53 | 岩谷山梔子 青森県 青森市 | Wikipedia |
岩谷 山梔子(いわや くちなし、1883年(明治16年)1月30日 - 1944年(昭和19年)1月4日)は、青森県出身の日本の俳人、俳画家、編集者。別号に木丹亭、黙堂など。本名は健治。 | ||
1883年生まれの人  青森県出身の1883年生まれの人 | ||
54 | 佐藤紅緑 青森県 | Wikipedia |
佐藤 紅緑(さとう こうろく、1874年(明治7年)7月6日 - 1949年(昭和24年)6月3日)は、日本の作家、俳人。 | ||
慶應義塾大学出身 青森県出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
7月6日生まれの人  1874年生まれの人  青森県出身の1874年生まれの人 | ||
55 | 建部綾足 青森県 弘前市 | Wikipedia |
建部 綾足(たけべ あやたり、享保4年(1719年) - 安永3年3月18日(1774年4月28日))は、江戸時代中期の俳人、小説家、国学者、絵師。片歌を好み、その復興に努めた。 | ||
1719年生まれの人  青森県出身の1719年生まれの人 | ||
56 | 増田手古奈 青森県 大鰐町 | Wikipedia未登録 |
俳人 |
岩手県
57 | 武田穂佳 岩手県 滝沢市 | Wikipedia |
武田 穂佳(たけだ ほのか、1997年12月5日 - )は、日本の歌人。「いつも明るい」で第59回短歌研究新人賞を受賞しデビュー。 | ||
12月5日生まれの人  1997年生まれの人  岩手県出身の1997年生まれの人 | ||
58 | 嵯峨直樹 岩手県 | Wikipedia |
嵯峨 直樹(さが なおき、1971年9月15日 - )は、日本の歌人。ミュージシャンの宙也は叔父。 | ||
法政大学出身 岩手県出身の法政大学の出身者 全国の法政大学の出身者 | ||
9月15日生まれの人  1971年生まれの人  岩手県出身の1971年生まれの人 | ||
59 | 佐藤通雅 岩手県 | Wikipedia |
佐藤 通雅(さとう みちまさ、1943年1月2日 - )は、日本の歌人、評論家。元高校教師。岩手県出身。東北大学教育学部卒業。 | ||
東北大学出身 岩手県出身の東北大学の出身者 全国の東北大学の出身者 | ||
1月2日生まれの人  1943年生まれの人  岩手県出身の1943年生まれの人 |
60 | 山崎和賀流 岩手県 | Wikipedia |
山崎 和賀流(やまさき わがる、1938年(昭和13年)11月27日 - 1974年(昭和49年)3月16日)は、日本の俳人。本名は孝。 | ||
11月27日生まれの人  1938年生まれの人  岩手県出身の1938年生まれの人 | ||
61 | 大西民子 岩手県 | Wikipedia |
大西 民子(おおにし たみこ、1924年(大正13年)5月8日 - 1994年(平成6年)1月5日)は、昭和期の日本の歌人である。本名菅野民子。日常の風景をあらわした短歌で知られる。 | ||
奈良女子大学出身 岩手県出身の奈良女子大学の出身者 全国の奈良女子大学の出身者 | ||
5月8日生まれの人  1924年生まれの人  岩手県出身の1924年生まれの人 | ||
62 | 巽聖歌 岩手県 | Wikipedia |
巽 聖歌(たつみ せいか、1905年2月12日 - 1973年4月24日)は、日本の児童文学者、歌人。 | ||
2月12日生まれの人  1905年生まれの人  岩手県出身の1905年生まれの人 | ||
63 | 山口青邨 岩手県 | Wikipedia |
山口 青邨(やまぐち せいそん、1892年5月10日 - 1988年12月15日)は、岩手県出身の俳人、鉱山学者。高浜虚子に俳句を師事、工学博士として東京大学に勤めながら俳誌「夏草」を主宰した。本名は吉朗(きちろう)。初号は泥邨。 | ||
東京大学出身 岩手県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
5月10日生まれの人  1892年生まれの人  岩手県出身の1892年生まれの人 | ||
64 | 富田砕花 岩手県 | Wikipedia |
富田 砕花(とみた さいか、1890年11月15日 - 1984年10月17日)は、日本の詩人、歌人。 | ||
日本大学出身 岩手県出身の日本大学の出身者 全国の日本大学の出身者 | ||
11月15日生まれの人  1890年生まれの人  岩手県出身の1890年生まれの人 | ||
65 | 石川啄木 岩手県 | Wikipedia |
石川 啄木(いしかわ たくぼく、1886年(明治19年)2月20日 - 1912年(明治45年)4月13日)は、日本の歌人、詩人。本名は石川 一(いしかわ はじめ)。 | ||
2月20日生まれの人  1886年生まれの人  岩手県出身の1886年生まれの人 | ||
66 | 岡山不衣 岩手県 花巻市 | Wikipedia |
岡山 不衣(おかやま ふい、1885年(明治18年)12月9日 - 1943年(昭和18年)11月29日)は岩手県花巻市出身の俳人。岩手毎日新聞社(1933年廃刊。現在の毎日新聞とは無関係)の主筆(編集長)でもあった。生誕時の本名は伊藤儀七であったが、幼少時に養子に出たことで岡山儀七となった。 | ||
1885年生まれの人  岩手県出身の1885年生まれの人 | ||
67 | 小田島孤舟 岩手県 | Wikipedia |
小田島孤舟(おだしま こしゅう、1884年3月1日 - 1955年12月4日)は、岩手県和賀郡小山田村(現花巻市)出身の歌人・教育家・書道家。「岩手歌壇の父」と言われる。本名は小田島理平治。旧姓は佐々木。 | ||
3月1日生まれの人  1884年生まれの人  岩手県出身の1884年生まれの人 | ||
68 | 正岡子規 岩手県 奥州市 | Wikipedia |
正岡 子規(まさおか しき、1867年10月14日〈慶応3年9月17日〉 - 1902年〈明治35年〉9月19日)は、日本の俳人、歌人、国語学研究家。名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。 | ||
10月14日生まれの人  1867年生まれの人  岩手県出身の1867年生まれの人 | ||
69 | 岩動露子 岩手県 紫波町 | Wikipedia未登録 |
俳人 | ||
70 | 西塔幸子 岩手県 矢巾町 | Wikipedia未登録 |
歌人 | ||
71 | 関徳彌 岩手県 西和賀町 | Wikipedia未登録 |
歌人 | ||
72 | 佐藤霊峰 岩手県 住田町 | Wikipedia未登録 |
歌人 |
宮城県
73 | 梶原さい子 宮城県 気仙沼市 | Wikipedia |
梶原 さい子(かじわら さいこ、1971年1月16日 - )は、日本の歌人。「塔短歌会」所属。宮城県出身。詩人梶原しげよは大叔母にあたる。 | ||
1971年生まれの人  宮城県出身の1971年生まれの人 | ||
74 | 大口玲子 宮城県 仙台市 | Wikipedia |
大口 玲子(おおぐち りょうこ、1969年11月17日 - )は、日本の歌人。本名、宮下玲子。歌誌「心の花」所属。宮崎県宮崎市在住。 | ||
11月17日生まれの人  1969年生まれの人  宮城県出身の1969年生まれの人 | ||
75 | 小池光 宮城県 | Wikipedia |
小池 光(こいけ ひかる、1947年(昭和22年)6月28日 - )は、日本の歌人。学位は理学修士(東北大学)。本名は小池 比加兒。仙台文学館館長(第2代)。 | ||
東北大学出身 宮城県出身の東北大学の出身者 全国の東北大学の出身者 | ||
6月28日生まれの人  1947年生まれの人  宮城県出身の1947年生まれの人 | ||
76 | 熊谷龍子 宮城県 気仙沼市 | Wikipedia |
熊谷 龍子 (くまがい たつこ、1943年7月7日 - )は、日本の歌人。宮城県生まれ。 | ||
7月7日生まれの人  1943年生まれの人  宮城県出身の1943年生まれの人 | ||
77 | 本間俊太郎 宮城県 | Wikipedia |
本間 俊太郎(ほんま しゅんたろう、1940年(昭和15年)2月26日 - )は、日本の政治家、俳人。元宮城県中新田町長、元宮城県知事。 | ||
中央大学出身 宮城県出身の中央大学の出身者 全国の中央大学の出身者 | ||
2月26日生まれの人  1940年生まれの人  宮城県出身の1940年生まれの人 | ||
78 | 山田みづえ 宮城県 | Wikipedia |
山田 みづえ(やまだ みづえ、1926年7月12日 - 2013年5月18日)は、日本の俳人。宮城県仙台市生まれ。国語学者・山田孝雄の次女。兄に山田忠雄、山田俊雄らがいる。宇治山田高等女学校(現・三重県立宇治山田高等学校)卒。1957年、石田波郷に師事。俳誌「鶴」を経て、1979年に「木語」を創刊、主宰。同誌は2004年に終刊。門下に石田郷子、本郷をさむなどがいる。1968年、「梶の花」50句で第14回角川俳句賞、1976年、句集『木語』にて第15回俳人協会賞受賞。他の句集に『忘』『木語』『手甲』『草譜』『昧爽』『中今』などがある。2013年5月18日、老衰の為に他界[2]。86歳没。 | ||
7月12日生まれの人  1926年生まれの人  宮城県出身の1926年生まれの人 | ||
79 | 佐藤鬼房 宮城県 | Wikipedia |
佐藤鬼房(さとう おにふさ、1919年3月20日 - 2002年1月19日)は、俳人。岩手県釜石市出身。本名は喜太郎。塩竈町立商業補習学校卒業。10代からロシア文学を耽読する一方で俳句に目覚め、1935年より新興俳句系の「句と評論」に投句、渡辺白泉の選句を受ける。1936年より長谷川天更の「東南風」同人。1940年、徴兵により入隊、中国・南方に転戦。なお占領地の南京でそれまで面識のなかった鈴木六林男に出会っている。 | ||
3月20日生まれの人  1919年生まれの人  宮城県出身の1919年生まれの人 |
80 | 佐藤佐太郎 宮城県 | Wikipedia |
佐藤 佐太郎(さとう さたろう、1909年(明治42年)11月13日 - 1987年(昭和62年)8月8日)は、日本の歌人。日本芸術院会員。妻の佐藤志満も歌人。 | ||
11月13日生まれの人  1909年生まれの人  宮城県出身の1909年生まれの人 | ||
81 | 岩間正男 宮城県 村田町 | Wikipedia |
岩間 正男(いわま まさお、1905年(明治38年)11月1日 - 1989年(平成元年)11月1日)は、日本の政治家、歌人である。 | ||
1905年生まれの人  宮城県出身の1905年生まれの人 | ||
82 | 原阿佐緒 宮城県 | Wikipedia |
原 阿佐緒(はら あさお、女性、1888年6月1日 - 1969年2月21日)は、日本の歌人である。本名原 浅尾(はら あさお)。 | ||
6月1日生まれの人  1888年生まれの人  宮城県出身の1888年生まれの人 | ||
83 | 安斎桜磈子 宮城県 登米市 | Wikipedia |
安斎 桜磈子(あんざい おうかいし、1886年(明治19年)2月7日 - 1953年(昭和28年)12月12日)は、宮城県登米市登米町出身の俳人。本名は千里(ちさと)である。 | ||
1886年生まれの人  宮城県出身の1886年生まれの人 | ||
84 | 熊谷武雄 宮城県 気仙沼市 | Wikipedia |
熊谷 武雄 (くまがい たけお、1883年11月2日- 1936年8月21日)は、日本の歌人(明治~昭和時代前期)。歌人の熊谷龍子は孫。 | ||
11月2日生まれの人  1883年生まれの人  宮城県出身の1883年生まれの人 | ||
85 | 鮎貝房之進 宮城県 気仙沼市 | Wikipedia |
鮎貝 房之進(あゆかい ふさのしん、文久4年1月4日(1864年2月11日) - 昭和21年(1946年)2月24日)は、日本の言語学者、歴史学者、歌人。号は槐園(かいえん)。 | ||
2月11日生まれの人  1864年生まれの人  宮城県出身の1864年生まれの人 | ||
86 | 落合直文 宮城県 | Wikipedia |
落合 直文(おちあい なおぶみ、1861年12月16日(文久元年11月15日) - 1903年(明治36年)12月16日)は、日本の歌人、国文学者。元の名は鮎貝盛光といい、朝鮮語学者の鮎貝房之進は実弟。 | ||
二松學舍大学出身 宮城県出身の二松學舍大学の出身者 全国の二松學舍大学の出身者 | ||
12月16日生まれの人  1861年生まれの人  宮城県出身の1861年生まれの人 | ||
87 | 守屋栄夫 宮城県 大崎市 | Wikipedia |
守屋 栄夫(もりや えいふ、守屋 榮夫、明治17年(1884年)11月8日 - 昭和48年(1973年)2月1日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士、歌人。衆議院議員、宮城県塩竈市長。宮城県平民。 | ||
17年生まれの人  宮城県出身の17年生まれの人 |
秋田県
88 | 小嵐九八郎 秋田県 能代市 | Wikipedia |
小嵐 九八郎(こあらし くはちろう、1944年7月31日 - )は、秋田県能代市出身の小説家、歌人。 本名、工藤永人。 | ||
早稲田大学出身 秋田県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
7月31日生まれの人  1944年生まれの人  秋田県出身の1944年生まれの人 | ||
89 | 松井如流 秋田県 横手市 | Wikipedia |
松井如流(まつい じょりゅう、1900年3月31日-1988年1月16日)は、歌人、書家。 | ||
3月31日生まれの人  1900年生まれの人  秋田県出身の1900年生まれの人 | ||
90 | 中村徳也 秋田県 五城目町 | Wikipedia |
中村 徳也(なかむら とくや、1895年6月10日 - 1939年10月28日)は、日本の歌人である。 | ||
6月10日生まれの人  1895年生まれの人  秋田県出身の1895年生まれの人 | ||
91 | 草皆五沼 秋田県 能代市 | Wikipedia |
草皆 五沼(くさかい ごぬま、1891年6月2日 - 1964年11月11日)は、日本の俳人、医師である。俳句結社「黛吟社」を興した。 | ||
6月2日生まれの人  1891年生まれの人  秋田県出身の1891年生まれの人 | ||
92 | 折口信夫 秋田県 北秋田市 | Wikipedia |
折口 信夫(おりくち しのぶ、1887年(明治20年)2月11日 - 1953年(昭和28年)9月3日)は、日本の民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった。 | ||
1887年生まれの人  秋田県出身の1887年生まれの人 | ||
93 | 安成二郎 秋田県 北秋田市 | Wikipedia |
安成 二郎 (やすなり じろう、1886年9月19日 - 1974年4月30日)は、日本の歌人、小説家。評論家安成貞雄の弟にあたる。秋田縣立大舘中學校を中退した後に上京し、徳田秋声の門下生になった。短歌の創作を行う一方で、実業之世界社や平凡社の編集記者でもあった。内田魯庵、大杉栄らと交流を持ち、大杉の回想録「無政府地獄 - 大杉栄襍記」を戦後発表した。 | ||
9月19日生まれの人  1886年生まれの人  秋田県出身の1886年生まれの人 | ||
94 | 北原白秋 秋田県 鹿角市 | Wikipedia |
北原 白秋(きたはら はくしゅう、1885年(明治18年)1月25日 - 1942年(昭和17年)11月2日)は、日本の詩人、童謡作家、歌人。本名は北原 隆吉(きたはら りゅうきち)。 | ||
1885年生まれの人  秋田県出身の1885年生まれの人 | ||
95 | 菅礼之助 秋田県 湯沢市 | Wikipedia |
菅 礼之助(すが れいのすけ、1883年11月25日 - 1971年2月18日)は、日本の実業家、俳人[2]。秋田県生まれ。旧制秋田中学、日本中学(現:日本学園)、東京高等商業学校(現:一橋大学)出身。古河鉱業(現古河機械金属)を経て、石炭庁長官、同和鉱業(現DOWAホールディングス)会長、昭和鉱業(現昭和KDE)会長、東京電力会長、経済団体連合会(現日本経済団体連合会)評議会議長等を務めた。1970年勲一等瑞宝章、1971年従三位勲一等。第九代、十代、十三代如水会理事長。初代日本相撲協会運営審議会会長。俳人としては裸馬と号し、俳誌「同人」を主宰した[2]。 | ||
一橋大学出身 秋田県出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
11月25日生まれの人  1883年生まれの人  秋田県出身の1883年生まれの人 | ||
96 | 北嶋南五 秋田県 五城目町 | Wikipedia |
北嶋 南五(きたじま なんご、1879年3月12日 - 1951年4月2日)は、俳人である。五城目町長などの公職も歴任した。 | ||
3月12日生まれの人  1879年生まれの人  秋田県出身の1879年生まれの人 | ||
97 | 島田五空 秋田県 能代市 | Wikipedia |
島田 五空(しまだ ごくう、1875年(明治8年)4月1日 - 1928年(昭和3年)12月26日)は秋田県山本郡(現・能代市)出身の俳人。 | ||
84月1日生まれの人  1875年生まれの人  秋田県出身の1875年生まれの人 | ||
98 | 石井露月 秋田県 秋田市 | Wikipedia |
石井 露月(いしい ろげつ、1873年(明治6年)5月17日) - 1928年(昭和3年)9月18日)は、日本の俳人。本名は祐治。 | ||
5月17日生まれの人  1873年生まれの人  秋田県出身の1873年生まれの人 | ||
99 | 泉川白水 秋田県 横手市 | Wikipedia |
泉川 白水(いずみかわ はくすい、1872年(明治5年)10月18日 - 1965年(昭和40年)2月4日)は秋田県出身の俳人で南画家。短歌や書道にも優れた。本名は良之助。 | ||
1872年生まれの人  秋田県出身の1872年生まれの人 |
100 | 安藤和風 秋田県 秋田市 | Wikipedia |
安藤 和風(あんどう はるかぜ、慶応2年1月12日(1866年2月26日) - 昭和11年(1936年)12月26日)は、日本のジャーナリスト、マスメディア経営者、俳人、郷土史研究家。通名および俳号は「和風」をそのまま音読みして「わふう」。 | ||
2月26日生まれの人  1866年生まれの人  秋田県出身の1866年生まれの人 | ||
101 | 平賀源内 秋田県 北秋田市 | Wikipedia |
平賀 源内(ひらが げんない、享保13年(1728年) - 安永8年12月18日(1780年1月24日))は、江戸時代中頃の人物。本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家として知られる。 | ||
13年生まれの人  秋田県出身の13年生まれの人 | ||
102 | 小野小町 秋田県 湯沢市 | Wikipedia |
小野 小町(おの の こまち、生没年不詳)は、平安時代前期9世紀頃の女流歌人。六歌仙、三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。 |
山形県
103 | 岡崎裕美子 山形県 東根市 | Wikipedia |
岡崎 裕美子(おかざき ゆみこ、1976年10月12日 - )は日本の歌人。 | ||
10月12日生まれの人  1976年生まれの人  山形県出身の1976年生まれの人 | ||
104 | 村川透 山形県 | Wikipedia |
村川 透(むらかわ とおる、本名:高橋-(たかはし-)、旧姓:村川、1937年3月22日 - )は、日本の映画監督・音楽家。別名:山形 透。山形県村山市出身。福島大学経済学部卒業。上野国館林藩里正の血筋で、江戸前期に活躍した俳人・村川素英の子孫にあたる。 | ||
福島大学出身 山形県出身の福島大学の出身者 全国の福島大学の出身者 | ||
3月22日生まれの人  1937年生まれの人  山形県出身の1937年生まれの人 | ||
105 | 村川千秋 山形県 | Wikipedia |
村川 千秋(むらかわ ちあき、1933年 - )は山形県村山市出身の男性オーケストラ指揮者。江戸前期に活躍した俳人・村川素英の子孫にあたり、弟は映画監督の村川透。 | ||
6月2日生まれの人  1933年生まれの人  山形県出身の1933年生まれの人 | ||
106 | 鷹羽狩行 山形県 | Wikipedia |
鷹羽 狩行(たかは しゅぎょう、1930年(昭和5年)10月5日 - )は、山形県出身の俳人、日本藝術院会員。山口誓子に師事、「狩」を創刊・主宰。本名・髙橋行雄。 | ||
中央大学出身 山形県出身の中央大学の出身者 全国の中央大学の出身者 | ||
10月5日生まれの人  1930年生まれの人  山形県出身の1930年生まれの人 | ||
107 | 酒井忠明 山形県 | Wikipedia |
酒井 忠明(さかい ただあきら、1917年(大正6年)1月30日 - 2004年(平成16年)2月28日)は、旧庄内藩主 酒井家17代当主、写真家、書家、歌人、財団法人致道博物館名誉館長。鶴岡市名誉市民。栄典は勲五等双光旭日章。 | ||
1月30日生まれの人  1917年生まれの人  山形県出身の1917年生まれの人 | ||
108 | 芳賀秀次郎 山形県 | Wikipedia |
芳賀 秀次郎(はが ひでじろう、1915年(大正4年)1月1日 - 1993年(平成5年)5月9日)は、日本の教育者。詩人。歌人。 | ||
1月1日生まれの人  1915年生まれの人  山形県出身の1915年生まれの人 | ||
109 | 錦三郎 山形県 南陽市 | Wikipedia |
錦 三郎(にしき さぶろう、1914年 - 1997年5月8日)は、日本のエッセイスト、歌人、蜘蛛研究家、特にバルーニングの研究で著名。山形県山形市出身。山形師範学校卒業。 | ||
1914年生まれの人  山形県出身の1914年生まれの人 | ||
110 | 志田周子 山形県 大江町 | Wikipedia |
志田 周子(しだ ちかこ、1910年(明治43年)10月28日 - 1962年(昭和37年))は山形県出身の女医、歌人。 | ||
東京女子医科大学出身 山形県出身の東京女子医科大学の出身者 全国の東京女子医科大学の出身者 | ||
1910年生まれの人  山形県出身の1910年生まれの人 | ||
111 | 大熊信行 山形県 | Wikipedia |
大熊 信行(おおくま のぶゆき、1893年2月18日 - 1977年6月20日)は、経済学者、評論家、歌人。福田徳三門下。 | ||
一橋大学出身 山形県出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
2月18日生まれの人  1893年生まれの人  山形県出身の1893年生まれの人 | ||
112 | 斎藤茂吉 山形県 | Wikipedia |
斎藤 茂吉(さいとう もきち、1882年(明治15年)5月14日 - 1953年(昭和28年)2月25日)は、日本の歌人、精神科医。伊藤左千夫門下であり、大正から昭和前期にかけてのアララギの中心人物。 | ||
東京大学出身 山形県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
5月14日生まれの人  1882年生まれの人  山形県出身の1882年生まれの人 | ||
113 | 細谷不句: 山形県 河北町 | Wikipedia |
細谷 雄太(ほそや ゆうた、1882年 - 1950年)は俳人、医学博士。俳号は細谷不句。別号に柚翁。 | ||
1882年生まれの人  山形県出身の1882年生まれの人 |
福島県
114 | 堀切克洋 福島県 福島市 | Wikipedia |
堀切 克洋(ほりきり かつひろ、1983年 - )は、日本の演劇研究者、俳人。専門はアントナン・アルトー研究、舞台芸術論、表象文化論。第8回北斗賞、第3回俳人協会新鋭評論賞大賞、第6回石田波郷新人賞奨励賞、第42回俳人協会新人賞受賞。 | ||
1983年生まれの人  福島県出身の1983年生まれの人 | ||
115 | 齋藤芳生 福島県 | Wikipedia |
齋藤 芳生(さいとう よしき、1977年2月20日 - )は歌人。本名は齋藤周子(さいとうちかこ)。 | ||
玉川大学出身 福島県出身の玉川大学の出身者 全国の玉川大学の出身者 | ||
2月20日生まれの人  1977年生まれの人  福島県出身の1977年生まれの人 | ||
116 | 本田一弘 福島県 福島市 | Wikipedia |
本田 一弘(ほんだ かずひろ、1969年3月14日 - )は、歌人、高校教員。短歌結社竹柏会「心の花」に所属し、佐佐木幸綱に師事。現代歌人協会会員、日本文藝家協会会員。 | ||
筑波大学出身 福島県出身の筑波大学の出身者 全国の筑波大学の出身者 | ||
3月14日生まれの人  1969年生まれの人  福島県出身の1969年生まれの人 | ||
117 | 高瀬善夫 福島県 会津若松市 | Wikipedia |
高瀬 善夫(たかせ よしお、1930年5月20日 - 1999年1月28日)は、日本のジャーナリスト、評論家、歌人。福島県若松市(現・会津若松市)出身 | ||
5月20日生まれの人  1930年生まれの人  福島県出身の1930年生まれの人 | ||
118 | 藤村多加夫 福島県 | Wikipedia |
藤村 多加夫(ふじむら たかお、1925年(大正14年)11月10日 - 2011年(平成23年)1月13日)は、日本の俳人。本名、菅野 謙三(かんの けんぞう)。出生時の名は英輔。"謙三"は停(父)の後の名で、後に藤村が襲名した。 | ||
11月10日生まれの人  1925年生まれの人  福島県出身の1925年生まれの人 | ||
119 | 吉田武 福島県 小野町 | Wikipedia |
吉田 武(よしだ たけし、1911年6月27日 - 1990年4月13日)は、昭和時代後期日本の歌人。福島県出身。 | ||
6月27日生まれの人  1911年生まれの人  福島県出身の1911年生まれの人 |
120 | 佐藤雀仙人 福島県 川俣町 | Wikipedia |
佐藤 雀仙人(さとう じゃくせんじん、1909年3月21日 - 1997年7月14日)は、福島県出身の日本の俳人。本名は二郎。戦前の俳号は室町秋香。 | ||
3月21日生まれの人  1909年生まれの人  福島県出身の1909年生まれの人 | ||
121 | 横光利一 福島県 | Wikipedia |
横光 利一(よこみつ りいち、1898年(明治31年)3月17日 - 1947年(昭和22年)12月30日)は、日本の小説家・俳人・評論家である。本名は横光利一(としかず)。 | ||
早稲田大学出身 福島県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
3月17日生まれの人  1898年生まれの人  福島県出身の1898年生まれの人 | ||
122 | 八木沼丈夫 福島県 | Wikipedia |
八木沼 丈夫(やぎぬま たけお、1895年(明治28年) - 1944年(昭和19年)12月12日)は、日本の陸軍軍属、歌人。日中戦争(支那事変)において日本軍が本格的に宣撫官を導入するきっかけとなった人物。 | ||
1895年生まれの人  福島県出身の1895年生まれの人 | ||
123 | 宍戸梅軒 福島県 伊達市 | Wikipedia |
宍戸 梅軒(ししど ばいけん、1883年12月22日 - 1963年5月)は、明治から昭和にかけて福島県伊達郡を中心に活動した俳人である。幼名を文作、通称を寅吉といい、俳号として梅軒、また麦村とも称した。 | ||
12月22日生まれの人  1883年生まれの人  福島県出身の1883年生まれの人 | ||
124 | 大須賀乙字 福島県 相馬市 | Wikipedia |
大須賀 乙字(おおすが おつじ、1881年7月29日 - 1920年1月20日)は、日本の俳人で俳論家。福島県相馬郡中村町(現在の相馬市)生まれ。本名・績(いさお)。 | ||
7月29日生まれの人  1881年生まれの人  福島県出身の1881年生まれの人 | ||
125 | 久保猪之吉 福島県 | Wikipedia |
久保 猪之吉(くぼ いのきち、1874年12月26日 - 1939年11月12日)は日本の医学博士、歌人・俳人。京都帝国大学福岡医科大学(後の九州帝国大学、現九州大学)教授。 | ||
12月26日生まれの人  1874年生まれの人  福島県出身の1874年生まれの人 | ||
126 | 稲垣千穎 福島県 棚倉町 | Wikipedia |
稲垣 千穎(いながき ちかい、1845年(弘化4年)8月 - 1913年(大正2年)2月9日)は、国学者、教育者、歌人、唱歌作詞者、教科書編集者。東京師範学校教諭として和文教育を行い、多数の和文教科書を編纂したほか、音楽取調掛として、『蛍の光』・『蝶々』2番など多数の唱歌を作詞した。通称は真二郎。 | ||
1845年生まれの人  福島県出身の1845年生まれの人 |
茨城県
127 | 染野太朗 茨城県 | Wikipedia |
染野 太朗(そめの たろう、1977年10月21日 - )は、歌人。茨城県出身、埼玉県に育つ。 | ||
10月21日生まれの人  1977年生まれの人  茨城県出身の1977年生まれの人 | ||
128 | 佐怒賀正美 茨城県 古河市 | Wikipedia |
佐怒賀 正美(さぬか まさみ、1956年(昭和31年)- )は俳人。俳句結社「秋」主宰。 | ||
1956年生まれの人  茨城県出身の1956年生まれの人 | ||
129 | 沖ななも 茨城県 古河市 | Wikipedia |
沖 ななも(おき ななも、1945年9月24日 - )は歌人。歌誌「熾」代表。本名、中村眞理子。 | ||
9月24日生まれの人  1945年生まれの人  茨城県出身の1945年生まれの人 | ||
130 | 金子兜太 茨城県 水戸市 | Wikipedia |
金子 兜太(かねこ とうた、1919年(大正8年)9月23日 - 2018年(平成30年)2月20日)は、埼玉県出身の俳人。現代俳句協会名誉会長、日本芸術院会員、文化功労者。小林一茶、種田山頭火の研究家としても知られる。加藤楸邨に師事、「寒雷」所属を経て「海程」を創刊、主宰。戦後の社会性俳句運動、前衛俳句運動において理論と実作の両面で中心的な役割を果たし、その後も後進を育てつつ第一線で活動した。上武大学文学部教授、現代俳句協会会長などを歴任。 | ||
89月23日生まれの人  1919年生まれの人  茨城県出身の1919年生まれの人 | ||
131 | 高野素十 茨城県 取手市 | Wikipedia |
高野 素十(たかの すじゅう、1893年3月3日 - 1976年10月4日)は、茨城県出身の俳人、医師(医学博士)。高浜虚子に師事。虚子の唱えた「客観写生」を忠実に実践、簡潔で即物的な写生句で頭角を現し、山口誓子、阿波野青畝、水原秋桜子とともに「ホトトギス」の四Sと称された。「芹」主宰。本名は高野与巳(よしみ)。 | ||
3月3日生まれの人  1893年生まれの人  茨城県出身の1893年生まれの人 | ||
132 | 長塚節 茨城県 常総市 | Wikipedia |
長塚 節(ながつか たかし、1879年(明治12年)4月3日 - 1915年(大正4年)2月8日)は、歌人、小説家。 | ||
4月3日生まれの人  1879年生まれの人  茨城県出身の1879年生まれの人 | ||
133 | 横瀬夜雨 茨城県 下妻市 | Wikipedia |
横瀬 夜雨(よこせ やう、1878年(明治11年)1月1日 - 1934年(昭和9年)2月14日)は、日本の詩人、歌人。 | ||
1月1日生まれの人  1878年生まれの人  茨城県出身の1878年生まれの人 | ||
134 | 佐久良東雄 茨城県 石岡市 | Wikipedia |
佐久良 東雄(さくら あずまお、文化8年3月21日(1811年5月13日) - 万延元年6月27日(1860年8月13日))は日本の幕末時代の国学者、歌人。本姓は飯島。東雄の他の通称に靱負(ゆきえ)、寛、静馬、健雄。雅号は薑園(きょうえん)。尊皇攘夷の志士として活動した。 | ||
135 | 大野誠夫 茨城県 河内町 | Wikipedia未登録 |
歌人 | ||
136 | 砂岡雁宕 茨城県 結城市 | Wikipedia未登録 |
江戸時代の俳人 |
栃木県
137 | 吉川金次 栃木県 さくら市 | Wikipedia |
吉川 金次(よしかわ きんじ、1912年(明治45年) - 1996年(平成8年))は、栃木県出身の日本の俳人。鋸職人、日本の鋸研究家。第十四回文化人間賞受賞。 | ||
1912年生まれの人  栃木県出身の1912年生まれの人 | ||
138 | 植竹喜四郎 栃木県 大田原市 | Wikipedia |
植竹 喜四郎(うえたけ きしろう、1884年(明治17年)1月 - 1963年(昭和38年)[要出典])は、日本の歌人(筆名・岸良雄)、実業家。下野鉄工、東野電力、植竹商業各取締役。 | ||
1884年生まれの人  栃木県出身の1884年生まれの人 | ||
139 | 田波御白 栃木県 小山市 | Wikipedia |
田波御白(たなみ みしろ、本名:庄蔵(しょうぞう)、明治18年(1885年)11月8日-大正2年(1913年)8月25日)は、栃木県小山市出身の歌人。初期の号は「水韻」。 | ||
18年生まれの人  栃木県出身の18年生まれの人 |
140 | 石塚倉子 栃木県 栃木市 | Wikipedia |
石塚 倉子(いしづか くらこ、1686年(貞享3年10月)- 1758年(宝暦8年12月6日))は江戸時代中期の歌人。名は玖羅(くら)で号は春秋亭(しゅんじゅうてい)といった。また存命中は今小町と称されたという。 | ||
1686年生まれの人  栃木県出身の1686年生まれの人 | ||
141 | 早野巴人 栃木県 那須烏山市 | Wikipedia |
早野巴人(はやの はじん、延宝4年(1676年) - 寛保2年6月6日(1742年7月7日)) 江戸時代の俳人。与謝蕪村の師。のち夜半亭宋阿(やはんてい そうあ)と改める。 | ||
1676年生まれの人  栃木県出身の1676年生まれの人 | ||
142 | 宇都宮頼綱 栃木県 宇都宮市 | Wikipedia |
宇都宮 頼綱(うつのみや よりつな)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての武士・御家人・歌人。藤原姓宇都宮氏5代当主。伊予国守護を歴任。歌人としても著名で藤原定家との親交が厚く京都歌壇、鎌倉歌壇に並ぶ宇都宮歌壇を築いた。 | ||
143 | 宇都宮泰綱 栃木県 宇都宮市 | Wikipedia |
宇都宮 泰綱(うつのみや やすつな)は、鎌倉時代前・中期の人物。藤原姓宇都宮氏第6代当主。官位は正五位下で下野守、修理亮を歴任。鎌倉御家人でもあり評定衆、美濃国守護に任じられた。宇都宮歌壇の歌人としても著名。宇都宮頼綱の子で宇都宮景綱の父。母は北条時政の娘。 |
群馬県
144 | 桂夏丸 群馬県 東吾妻町 | Wikipedia |
桂 夏丸(かつら なつまる、本名:阿部 清彦(あべ きよひこ)、1984年8月15日 - )は、群馬県吾妻郡吾妻町(現・東吾妻町)出身、落語芸術協会所属の噺家、俳人。出囃子は『箱根八里』。 | ||
8月15日生まれの人  1984年生まれの人  群馬県出身の1984年生まれの人 | ||
145 | 阿部知代 群馬県 桐生市 | Wikipedia |
阿部 知代(あべ ちよ、1963年7月23日 - )は、フジテレビの元アナウンサーで報道局の社員。俳人。群馬県桐生市出身。身長168cm。 | ||
上智大学出身 群馬県出身の上智大学の出身者 全国の上智大学の出身者 | ||
7月23日生まれの人  1963年生まれの人  群馬県出身の1963年生まれの人 | ||
146 | 木暮陶句郎 群馬県 | Wikipedia |
木暮 陶句郎(こぐれ とうくろう、1961年10月21日 -)は、日本の俳人、陶芸家。 本名は木暮宏明。 | ||
10月21日生まれの人  1961年生まれの人  群馬県出身の1961年生まれの人 | ||
147 | 鈴木伸一 群馬県 | Wikipedia |
鈴木伸一(すずき しんいち、1957年4月20日 - )は、日本の俳人。群馬県出身。 | ||
4月20日生まれの人  1957年生まれの人  群馬県出身の1957年生まれの人 | ||
148 | 水野眞由美 群馬県 | Wikipedia |
水野眞由美(みずの まゆみ、1957年 - )は、群馬県前橋市出身の俳人。和光大学人文学部卒業。前橋市にて古書店「山猫館書房」を経営しながら句作活動を行う。1985年より金子兜太に師事。「俳句空間」新人賞準賞、海程新人賞などを受賞。2001年、句集「陸封譚」で第6回中新田俳句大賞を受賞。女性ならではのみずみずしい感性を生かした作風で注目される。現在、「海程」同人・「鬣-TATEGAMI」編集人。朝日新聞群馬版・上毛俳壇選者。エッセイ集「猫も歩けば」、評論集「現代の俳人101」(共著)などの著書もある。 | ||
和光大学出身 群馬県出身の和光大学の出身者 全国の和光大学の出身者 | ||
1957年生まれの人  群馬県出身の1957年生まれの人 | ||
149 | 林桂 群馬県 | Wikipedia |
林桂(はやし けい、1953年4月8日 - )は、俳人。本名・政美。群馬県利根郡生。新潟大学法文学部卒。中学時代より作句、高校時代「歯車」「寒雷」に入会。高柳重信選の『俳句研究』50句競作に登場し注目される。1978年、澤好摩、夏石番矢らと「未定」創刊。1998年、「吟遊」創刊に参加。2001年、水野眞由美らと「鬣TATEGAMI」創刊。 | ||
新潟大学出身 群馬県出身の新潟大学の出身者 全国の新潟大学の出身者 | ||
4月8日生まれの人  1953年生まれの人  群馬県出身の1953年生まれの人 | ||
150 | 板垣好樹 群馬県 伊勢崎市 | Wikipedia |
板垣 好樹(いたがき よしき、1933年8月20日-1993年6月26日)は、日本の俳人。群馬県生まれ。本名は好昭。月刊『俳句人』編集長(1973-1975年)、第6回新俳句人連盟賞受賞。 | ||
8月20日生まれの人  1933年生まれの人  群馬県出身の1933年生まれの人 | ||
151 | 生方美智子 群馬県 沼田市 | Wikipedia |
生方美智子(うぶかた みちこ、1928年5月7日 - )は、日本の料理研究家。 群馬県沼田に、歌人・生方たつゑと、のち国家公安委員となる生方誠(せい)の長女として生まれる。日本女子大学卒業後、飯田深雪に師事。1968年独立、テレビ、新聞、雑誌で料理研究家として活動。74年夫の生方(旧姓・鹿島)慶三(よしみ)を失う。86年林雅子の設計で蔵を活用して生方記念文庫を開館。サロン・ド・ウブカタを主宰。 | ||
5月7日生まれの人  1928年生まれの人  群馬県出身の1928年生まれの人 | ||
152 | 木暮剛平 群馬県 | Wikipedia |
木暮 剛平(こぐれ ごうへい、1924年9月19日 - 2008年12月14日)は、電通社長・会長を経て電通相談役。日本広告業協会理事長・日本広告業協会会長として広告代理店業界の発展に尽力。 経済同友会副代表幹事、経済団体連合会理事、東京商工会議所議員などを歴任。 通商産業省(現在の経済産業省)情報処理振興審議会会長として行政運営の円滑化にも手腕を発揮した。 また、 60歳を過ぎて始めた俳句だったが、 俳人としても知られ、「万象」同人。国際俳句交流協会会長を務めた。 2008年12月14日、肺炎のため死去。 | ||
9月19日生まれの人  1924年生まれの人  群馬県出身の1924年生まれの人 | ||
153 | 江口きち 群馬県 川場村 | Wikipedia |
江口 きち(えぐち きち、1913年11月23日 - 1938年12月2日)は、大正から昭和時代前期にかけての日本の歌人。河井酔茗と島本久恵に師事。貧困のなかで多くの歌を詠んだ。「薄幸の天才歌人」「女啄木」と呼ばれた。群馬県利根郡川場村出身。 | ||
11月23日生まれの人  1913年生まれの人  群馬県出身の1913年生まれの人 | ||
154 | 斎藤喜博 群馬県 | Wikipedia |
斎藤 喜博(さいとう きはく、1911年3月20日 - 1981年7月24日)は群馬県出身の日本の教育者。元宮城教育大学教授。群馬師範(現群馬大学教育学部)卒。また、早くからアララギ派の歌人としても活躍し、ケノクニ選者をながく務めた。歌集『職場』などの短歌はすべて彼の師である土屋文明の選を経ている。著書の多くは国土社から刊行されている。斎藤喜博全集は、第25回毎日出版文化賞(全18巻、国土社)を受賞した。 | ||
群馬大学出身 群馬県出身の群馬大学の出身者 全国の群馬大学の出身者 | ||
3月20日生まれの人  1911年生まれの人  群馬県出身の1911年生まれの人 | ||
155 | 吉野秀雄 群馬県 高崎市 | Wikipedia |
吉野 秀雄(よしの ひでお、1902年(明治35年)7月3日 - 1967年(昭和42年)7月13日)は、近代日本の歌人、書家、文人墨客。号は艸心。多病に苦しみながら独自の詠風で境涯の歌を詠んだ。 | ||
慶應義塾大学出身 群馬県出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
7月3日生まれの人  1902年生まれの人  群馬県出身の1902年生まれの人 | ||
156 | 住谷三郎 群馬県 | Wikipedia |
住谷 三郎(すみや さぶろう、1900年1月10日 - 1967年1月21日)は歌人。 | ||
1月10日生まれの人  1900年生まれの人  群馬県出身の1900年生まれの人 | ||
157 | 土屋文明 群馬県 高崎市 | Wikipedia |
土屋 文明(つちや ぶんめい、1890年(明治23年)9月18日(戸籍上は1月21日) - 1990年(平成2年)12月8日)は、日本の歌人・国文学者。 | ||
日本医科大学出身 群馬県出身の日本医科大学の出身者 全国の日本医科大学の出身者 | ||
9月18日生まれの人  1890年生まれの人  群馬県出身の1890年生まれの人 | ||
158 | 長谷川零余子 群馬県 | Wikipedia |
長谷川 零余子(はせがわ れいよし、1886年(明治19年)5月23日 - 1928年(昭和3年)7月27日)は、明治から昭和初期にかけて活躍した日本の俳人。群馬県出身。本名は長谷川諧三(旧姓富田)。東京大学薬学科専科を卒業。高浜虚子に師事し、「ホトトギス」の編集に従事。1916年、「枯野」を創刊。立体俳句を提唱する。東大卒のキャリアを感じさせる幾何学的な俳風で、知識人層の支持を得た。1928年、41歳の若さでこの世を去った。妻は俳人の長谷川かな女。小説家の三田完は孫。 | ||
5月23日生まれの人  1886年生まれの人  群馬県出身の1886年生まれの人 | ||
159 | 村上鬼城 群馬県 高崎市 | Wikipedia |
村上 鬼城(むらかみ きじょう、1865年6月10日(慶応元年5月17日) - 1938年(昭和13年)9月17日)は日本の俳人、司法代書人。本名は村上 荘太郎(むらかみ しょうたろう)。 | ||
6月10日生まれの人  1865年生まれの人  群馬県出身の1865年生まれの人 |
160 | 黒川真頼 群馬県 桐生市 | Wikipedia |
黒川 真頼(くろかわ まより、文政12年11月12日(1829年12月7日) - 明治39年(1906年)8月29日)は、江戸時代・明治時代の国学者・歌人である。旧姓は金子、幼名は嘉吉。 | ||
11月12日生まれの人  12年生まれの人  群馬県出身の12年生まれの人 | ||
161 | 高橋道斎 群馬県 下仁田町 | Wikipedia未登録 |
江戸中期の学者・書家・俳人。群馬県高崎市吉井町にある多胡碑を世に紹介した。 | ||
162 | 羽鳥一紅 群馬県 下仁田町 | Wikipedia未登録 |
江戸中期の俳人・随筆家。著書に久佐麻久良:草まくら、文月浅間記がある。 |
埼玉県
163 | 夏石番矢 埼玉県 富士見市 | Wikipedia |
俳句「足とめて見るは梅雨のうなる川」(1970年) | ||
1970年生まれの人  埼玉県出身の1970年生まれの人 | ||
164 | 穂村弘 埼玉県 草加市 | Wikipedia |
穂村 弘(ほむら ひろし、1962年5月21日 - )は、日本の歌人。歌誌「かばん」所属。 | ||
5月21日生まれの人  1962年生まれの人  埼玉県出身の1962年生まれの人 | ||
165 | 鎌倉佐弓 埼玉県 富士見市 | Wikipedia |
鎌倉 佐弓(かまくら さゆみ、1953年1月24日 - )は、高知県生まれの俳人。本名、乾佐弓。埼玉県富士見市在住。 | ||
1月24日生まれの人  1953年生まれの人  埼玉県出身の1953年生まれの人 | ||
166 | 高柳蕗子 埼玉県 戸田市 | Wikipedia |
高柳蕗子(たかやなぎ ふきこ、1953年 - )は、歌人。 | ||
1953年生まれの人  埼玉県出身の1953年生まれの人 | ||
167 | 魚住陽子 埼玉県 | Wikipedia |
魚住 陽子(うおずみ ようこ、本名: 加藤陽子、1951年10月23日 - )は、日本の小説家。埼玉県出身。埼玉県立小川高等学校卒業。書店、出版社に勤務するかたわら同人誌で詩を書く。池袋コミュニティ・カレッジの小説講座に通い、同人誌『こみゅにてぃ』に小説を発表。1989年「静かな家」で芥川賞候補、「奇術師の家」で第1回朝日新人文学賞受賞、1991年「別々の皿」で芥川賞候補、「公園」で三島由紀夫賞候補、93年「流れる家」で芥川賞候補。1996年『動く箱』で野間文芸新人賞候補。個人誌「花眼」を発行している。また、近年は俳人としても活動している。 | ||
10月23日生まれの人  1951年生まれの人  埼玉県出身の1951年生まれの人 | ||
168 | 秋尾敏 埼玉県 吉川市 | Wikipedia |
秋尾 敏(あきお びん、1950年 - )は、埼玉県吉川市出身の俳人、俳論家。本名は河合章男。埼玉県立春日部高等学校、埼玉大学教育学部卒業、 図書館情報大学大学院博士前期課程 、筑波大学大学院博士後期課程修了、博士(情報学)。父は俳句結社「軸」を主宰した河合凱夫。1991年、第11回現代俳句評論賞受賞。1992年「軸」同人。1999年、凱夫の死去に伴い「軸」主宰を継承。元・大妻女子大学社会情報学部非常勤講師、日本女子大学家政学部非常勤講師、メディア教育開発センター客員助教授。 | ||
埼玉大学出身 埼玉県出身の埼玉大学の出身者 全国の埼玉大学の出身者 | ||
1950年生まれの人  埼玉県出身の1950年生まれの人 | ||
169 | 沖ななも 埼玉県 さいたま市 | Wikipedia |
沖 ななも(おき ななも、1945年9月24日 - )は歌人。歌誌「熾」代表。本名は中村眞理子。 | ||
9月24日生まれの人  1945年生まれの人  埼玉県出身の1945年生まれの人 | ||
170 | 岡田史乃 埼玉県 朝霞市 | Wikipedia |
岡田 史乃(おかだ しの、1940年5月10日 - 2019年3月23日)は、神奈川県横浜市出身の俳人。 | ||
5月10日生まれの人  1940年生まれの人  埼玉県出身の1940年生まれの人 | ||
171 | 望月たけし 埼玉県 越谷市 | Wikipedia |
望月 たけし(もちづき たけし、1939年1月5日-)は俳人。山梨県甲府市生まれ。本名は望月毅。新俳句人連盟副会長。現代俳句協会会員。元「道標」同人会長。第5回新俳句人連盟賞、報徳文化賞、道標賞受賞。 | ||
1939年生まれの人  埼玉県出身の1939年生まれの人 | ||
172 | 大西民子 埼玉県 さいたま市 | Wikipedia |
大西 民子(おおにし たみこ、1924年(大正13年)5月8日 - 1994年(平成6年)1月5日)は、昭和期の日本の歌人である。本名は菅野 民子(かんの たみこ)。日常の風景をあらわした短歌で知られる。 | ||
1924年生まれの人  埼玉県出身の1924年生まれの人 | ||
173 | 星野紗一 埼玉県 さいたま市 | Wikipedia |
星野 紗一(ほしの さいち、1921年(大正10年)10月31日 - 2006年6月22日)は、日本の俳人。 埼玉県浦和市(現・さいたま市)に生れる。 | ||
拓殖大学出身 埼玉県出身の拓殖大学の出身者 全国の拓殖大学の出身者 | ||
10月31日生まれの人  1921年生まれの人  埼玉県出身の1921年生まれの人 | ||
174 | 金子兜太 埼玉県 小川町 | Wikipedia |
金子 兜太(かねこ とうた、1919年(大正8年)9月23日 - )は、埼玉県出身の俳人。加藤楸邨に師事、「寒雷」所属を経て「海程」を創刊、主宰。戦後の社会性俳句運動、前衛俳句運動において理論・実作両面で中心的な役割を果たし、その後も後身を育てつつ第一線で活動している。上武大学文学部教授、現代俳句協会会長などを歴任。現代俳句協会名誉会長、日本芸術院会員、文化功労者。小林一茶、種田山頭火の研究家としても知られる。 | ||
東京大学出身 埼玉県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
9月23日生まれの人  1919年生まれの人  埼玉県出身の1919年生まれの人 | ||
175 | 小島慶三 埼玉県 羽生市 | Wikipedia |
小島 慶三(こじま けいぞう、1917年(大正6年)3月11日 - 2008年(平成20年)8月30日)は、日本のエコノミスト、思想家、教育者、実業家、官僚、政治家、俳人。参議院議員(1期)。 | ||
一橋大学出身 埼玉県出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
3月11日生まれの人  1917年生まれの人  埼玉県出身の1917年生まれの人 | ||
176 | 加藤克巳 埼玉県 さいたま市 | Wikipedia |
加藤 克巳(かとう かつみ、1915年6月30日 - 2010年5月16日)は、歌人。 | ||
6月30日生まれの人  1915年生まれの人  埼玉県出身の1915年生まれの人 | ||
177 | 飯田藤村子 埼玉県 | Wikipedia |
飯田 藤村子(いいだ とうそんし、1914年 - 1995年7月4日)は昭和初・中期の俳人。 | ||
1914年生まれの人  埼玉県出身の1914年生まれの人 | ||
178 | 石田波郷 埼玉県 さいたま市 | Wikipedia |
石田 波郷(いしだ はきょう、1913年(大正2年)3月18日 - 1969年(昭和44年)11月21日)は、愛媛県出身の俳人。本名は哲大(てつお)。水原秋桜子に師事、「馬酔木」に拠ったのち、「鶴」を創刊・主宰。初期の青春性のあふれる叙情句からはじまり、自己の生活を見つめる、人間性に深く根ざした作風を追求、加藤楸邨、中村草田男らとともに人間探求派と呼ばれた。昭和戦前に流行した新興俳句運動を批判し、韻文精神の尊重を説き切れ字を重視。戦中には結核を発病し、戦後は病と対峙する自身の生活を題材とする境涯俳句を詠み続けた。 | ||
23月18日生まれの人  1913年生まれの人  埼玉県出身の1913年生まれの人 | ||
179 | 濱梨花枝 埼玉県 行田市 | Wikipedia |
濱 梨花枝(はま りかえ、本名:榎本美佐夫、1912年(大正元年)8月4日 - 1998年(平成10年)3月8日)は、日本の歌人・作詞家。埼玉県北埼玉郡埼玉村(現在の行田市)出身[3]。 | ||
8月4日生まれの人  1912年生まれの人  埼玉県出身の1912年生まれの人 |
180 | 常見千香夫 埼玉県 さいたま市 | Wikipedia |
常見 千香夫(つねみ ちかお、1908年(明治41年)10月31日 - 1988年(昭和63年)1月4日)は、埼玉県浦和町(現・さいたま市)出身の歌人。 | ||
1908年生まれの人  埼玉県出身の1908年生まれの人 | ||
181 | 豊田三郎 埼玉県 草加市 | Wikipedia |
豊田 三郎(とよだ さぶろう、1907年(明治40年)2月12日 - 1959年(昭和34年)11月18日)は、日本の小説家。本姓は森村。妻は歌人の森村浅香、作家の森村桂は長女。 | ||
東京大学出身 埼玉県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
2月12日生まれの人  1907年生まれの人  埼玉県出身の1907年生まれの人 | ||
182 | 西角井正慶 埼玉県 さいたま市 | Wikipedia |
西角井 正慶(にしつのい まさよし、1900年5月22日 - 1970年1月22日)は、埼玉県生まれの国文学者、民俗学者。歌人としても著名で、見沼 冬男(みぬま ふゆお)のペンネームを持つ。折口信夫に師事し、折口信夫の五博士のうちの一人である。國學院大學教授。文学博士。 | ||
5月22日生まれの人  1900年生まれの人  埼玉県出身の1900年生まれの人 | ||
183 | 左卜全 埼玉県 所沢市 | Wikipedia |
左 卜全(ひだり ぼくぜん、本名:三ヶ島 一郎〈みかじま いちろう〉、1894年2月20日 - 1971年5月26日)は、日本の俳優、オペラ歌手。異母姉は女流歌人の三ヶ島葭子。 | ||
2月20日生まれの人  1894年生まれの人  埼玉県出身の1894年生まれの人 | ||
184 | 三ヶ島葭子 埼玉県 所沢市 | Wikipedia |
三ヶ島 葭子(みかじま よしこ、本名:三ヶ島よし→倉片よし、1886年(明治19年)8月7日 - 1927年(昭和2年)3月26日)は、日本の女流歌人。生涯で6000首以上の短歌を残したという[2]。 | ||
8月7日生まれの人  1886年生まれの人  埼玉県出身の1886年生まれの人 | ||
185 | 平野万里 埼玉県 さいたま市 | Wikipedia |
平野 万里(ひらの ばんり、1885年5月25日 - 1947年2月10日)は、歌人、詩人である。本名は平野久保(ひさやす)。 | ||
5月25日生まれの人  1885年生まれの人  埼玉県出身の1885年生まれの人 | ||
186 | 杉浦翠子 埼玉県 川越市 | Wikipedia |
杉浦 翠子(すぎうら すいこ、1885年(明治18年)5月17日 - 1960年(昭和35年)2月16日)は、明治から昭和にかけての歌人。旧姓は岩崎翠。日本のグラフィックデザインの礎を築き多摩帝国美術学校(現在の多摩美術大学)の初代学長となった杉浦非水の妻でもある。洋画家の岩崎勝平は甥。 | ||
5月17日生まれの人  1885年生まれの人  埼玉県出身の1885年生まれの人 | ||
187 | 細谷雄太 埼玉県 志木市 | Wikipedia |
細谷 雄太(ほそや ゆうた、1882年 - 1950年)は俳人、医学博士。俳号は細谷不句。別号に柚翁。 | ||
1882年生まれの人  埼玉県出身の1882年生まれの人 | ||
188 | 稲垣千穎 埼玉県 川越市 | Wikipedia |
稲垣 千穎(いながき ちかい、1845年(弘化4年)8月 - 1913年(大正2年)2月9日)は、国学者、教育者、歌人、唱歌作詞者、教科書編集者。東京師範学校教諭として和文教育を行い、多数の和文教科書を編纂したほか、音楽取調掛として、『蛍の光』・『蝶々』2番など多数の唱歌を作詞した。通称は真二郎。 | ||
1845年生まれの人  埼玉県出身の1845年生まれの人 | ||
189 | 府川不莠 埼玉県 桶川市 | Wikipedia |
府川 不莠(ふかわ ふゆう、明和7年(1770年) - 天保4年1月29日(1833年3月8日))は、江戸時代の俳人。武蔵国桶川宿本陣の9代目。甚右衛門義重。俳号を不莠。府川志風の子。松村篁雨の追善集「盆かはらけ」(文政7年刊)に「匕置て二百十日のあらしかな」と句を寄稿している。辞世の句は、「まくさ刈る野辺のわらはや道遠く我住里へ径連行ばや」(墓石に刻まれている)。墓所は桶川市の大雲寺。 | ||
1770年生まれの人  埼玉県出身の1770年生まれの人 | ||
190 | 府川志風 埼玉県 桶川市 | Wikipedia |
府川 志風(ふかわ しふう、寛保元年(1741年) - 文化2年閏8月28日(1805年10月8日))は、江戸時代の俳人。武蔵国桶川宿本陣の8代目。甚右衛門豊義。俳号を志風。横田柳几の門人。柳几の追善に発刊された「春眠集」に「消る身や世にをしまるゝ春の雪」の句が載っている。俳人の与野の鈴木荘丹らと親交をもった。65歳で没する。辞世の句は、「法の旅花野や杖の曳ちから」(墓石に刻まれている)。墓所は桶川市の大雲寺。子の府川不莠(ふゆう、甚右衛門義重)も俳人。 | ||
1741年生まれの人  埼玉県出身の1741年生まれの人 | ||
191 | 松村篁雨 埼玉県 鴻巣市 | Wikipedia |
松村 篁雨(まつむら こうう 享保18年(1733年) - 文化6年7月17日(1809年8月15日))は、江戸時代の俳人、医師。武蔵国足立郡下上谷村(現・鴻巣市上谷)生まれ。幼名を小十郎、通称正敏。同郷の横田柳几の門人。鴻巣宿で医業を始める。その傍ら柳几の門人となり、松蘿堂と号する。安永、天明年間、師匠の柳几とともに諸国行脚する。「松蘿堂随筆」、「鹿島紀行」、「筑紫紀行」、「篁雨句集」などの著書がある。実家の家督は弟の甚兵衛に譲っていたが晩年は実家に戻り、77歳で没する。辞世の句は、「道ばたに盆かわらけの破れけり」。墓は上谷の観音堂。 | ||
1733年生まれの人  埼玉県出身の1733年生まれの人 | ||
192 | 越谷吾山 埼玉県 越谷市 | Wikipedia |
越谷 吾山(こしがや ござん、享保2年(1717年) - 天明7年12月17日(1788年1月24日))は、俳人、方言研究家。 | ||
1717年生まれの人  埼玉県出身の1717年生まれの人 | ||
193 | 横田柳几 埼玉県 鴻巣市 | Wikipedia |
横田柳几(よこた りゅうき、享保元年(1716年) - 天明8年2月9日(1788年3月5日))は、江戸時代中期の俳人。鴻巣宿石橋町(現・鴻巣市本町6丁目)の酒造家に生まれ、これを生業とする。本名、横田盛英(八代目)。通称、三九郎。若い時より俳諧を学び、伊勢国の麦林舎中川乙由の門下となり、布袋庵の号を授けられる。のちにその高弟佐久間柳居に師事して、布袋庵柳几と号する。旅を好み、「つくば紀行」などの紀行文を残している。ほかに「百花集」、「大和耕作集」などの著書がある。宝暦3年(1763年)、芭蕉70年忌の追善興業で布袋庵に20数名が集まり、1日千句を詠んだ。明和4年(1767年)の振袖火事により彼の住む布袋庵も類焼し、多くが灰燼に帰してしまう。天明7年に前に詠んだ千句を集めて勝願寺に芭蕉忌千句塚を建立した。翌年、73歳で没する。辞世の句は、「老いらくの 寝こころもよく 春の雨」。墓所は勝願寺。養子の横田柳也(布袋庵二世)も俳人。 | ||
1716年生まれの人  埼玉県出身の1716年生まれの人 | ||
194 | 高山繁文 埼玉県 川越市 | Wikipedia |
高山 繁文(たかやま しげふみ、慶安2年6月20日(1649年7月29日) - 享保3年2月7日(1718年3月8日))は、江戸時代の甲斐谷村藩と武蔵川越藩の国家老、俳人。通称は高山傳右衛門。俳号は麋塒(びじ)。 | ||
7月29日生まれの人  1649年生まれの人  埼玉県出身の1649年生まれの人 | ||
195 | 河合凱夫 埼玉県 吉川市 | Wikipedia |
現代俳句協会監査、千葉県俳句作家協会長、朝日新聞千葉版俳壇選者 | ||
196 | 森田豊香 埼玉県 本庄市 | Wikipedia |
森田 豊香(もりた とよか、生年不詳 - 文政11年(1828年)1月16日)は、江戸時代の歌人、国学者。武蔵国児玉郡本庄宿(現在の埼玉県本庄市)の名主。代々助左衛門を襲名していた豪商の森田(素封)家に生まれ、通称を安平治(正式には森田助左衛門豊香)。豊香は四代目に当たる。幼名は千代松。号は、橘廼屋、松陰居とも号した。没した歳に関しては、生前に交流があった清水浜臣の子である清水光房が、豊香は50代の頃に亡くなったと伝えている。 | ||
197 | 背奈行文 埼玉県 日高市 | Wikipedia |
背奈 行文(せな の ゆきふみ、生没年不詳)は、奈良時代の貴族・歌人。姓は公(キミ)のち王(コニキシ)。高句麗系渡来人である背奈福徳の子。官位は従五位下・大学助[2]。 | ||
198 | 安斎教子 埼玉県 川越市 | Wikipedia未登録 |
歌人 |
千葉県
199 | 上崎洋一 千葉県 野田市 | Wikipedia |
上崎 洋一(うえさき ひろかず、1972年5月13日 - )は、日本の編集者、著作家[4]、俳人。元株式会社コアマガジン、海紅社編集人[5]。ペンネームは上崎よーいち[6][7]。俳号は日野百草(ひの ひゃくそう)[8]で全国俳誌協会賞[9][10]、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞受賞[11]。千葉県野田市生まれ[9]。東京都日野市在住[12]。 | ||
5月13日生まれの人  1972年生まれの人  千葉県出身の1972年生まれの人 |
200 | 松本典子 千葉県 鴨川市 | Wikipedia |
松本 典子(まつもと のりこ、1970年2月6日 - )は、歌人。千葉県鴨川市出身。 | ||
2月6日生まれの人  1970年生まれの人  千葉県出身の1970年生まれの人 | ||
201 | 小川軽舟 千葉県 千葉市 | Wikipedia |
小川 軽舟(おがわ けいしゅう、1961年2月7日 - )は、俳人。 | ||
2月7日生まれの人  1961年生まれの人  千葉県出身の1961年生まれの人 | ||
202 | 米川千嘉子 千葉県 野田市 | Wikipedia |
米川 千嘉子(よねかわ ちかこ、1959年10月29日 - )は日本の歌人。千葉県野田市生まれ。 千葉県立東葛飾高等学校、早稲田大学第一文学部日本文学科卒業、早稲田大学国語国文学専攻科修了。 | ||
10月29日生まれの人  1959年生まれの人  千葉県出身の1959年生まれの人 | ||
203 | 中田剛 千葉県 松戸市 | Wikipedia |
中田 剛(なかた ごう、1957年8月15日 - )は、俳人。千葉県生まれ、京都府宇治市在住。15歳(1972年)のとき、大須賀乙字門葉・吉田冬葉の夫人、吉田ひで女に俳句の手ほどきを受ける。1970年代前半から1980年代前半にかけて俳誌「獺祭」「鷺」「握手」「渦」「草苑」等に投句。1984年、宇佐美魚目、大峯あきら、岡井省二らの同人誌「晨」の創刊に参加。1988年、竹中宏の俳誌「翔臨」の創刊に参加。1990年、長谷川櫂らの同人誌「夏至」に参加。1993年、長谷川櫂の俳誌「古志」創刊に参加、投句。1999年、個人誌「箱庭」を発行。2013年5月、坂内文應、羽野里美らと俳誌「白茅」(季刊)を創刊。現在、「白茅」代表。「翔臨」同人。NHK文化センター、JEUGIAカルチャーセンター等の講師。 | ||
8月15日生まれの人  1957年生まれの人  千葉県出身の1957年生まれの人 | ||
204 | 秋尾敏 千葉県 野田市 | Wikipedia |
秋尾 敏(あきお びん、1950年 - )は、埼玉県吉川市出身の俳人、俳論家。本名は河合章男。全国俳誌協会会長(5代目)、現代俳句協会副会長。 | ||
1950年生まれの人  千葉県出身の1950年生まれの人 | ||
205 | 野平匡邦 千葉県 成田市 | Wikipedia |
野平 匡邦(のひら まさくに、1947年7月25日 - )は、日本の政治家、官僚。弁護士。2期にわたって千葉県銚子市長を務めた。空手道東大拳法会7段、全日本空手道連盟3段。趣味は西洋の伝統芸術鑑賞、合唱など。父は外科医で俳人の野平藤雄。銚子市出身。 | ||
東京大学出身 千葉県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
7月25日生まれの人  1947年生まれの人  千葉県出身の1947年生まれの人 | ||
206 | 坂口弘 千葉県 富津市 | Wikipedia |
坂口 弘(さかぐち ひろし、1946年11月12日 - )は、日本の新左翼活動家、元連合赤軍中央委員会書記長(連合赤軍のナンバー3)、歌人。確定死刑囚。 | ||
東京海洋大学出身 千葉県出身の東京海洋大学の出身者 全国の東京海洋大学の出身者 | ||
11月12日生まれの人  1946年生まれの人  千葉県出身の1946年生まれの人 | ||
207 | 日高堯子 千葉県 いすみ市 | Wikipedia |
日高 堯子(ひたか たかこ、1945年6月29日 - )は、日本の歌人。歌誌「かりん」編集委員。同人誌「鱧と水仙」同人。 | ||
6月29日生まれの人  1945年生まれの人  千葉県出身の1945年生まれの人 | ||
208 | 平野峯郎 千葉県 君津市 | Wikipedia |
平野 峯郎(ひらの みねろう、1912年9月19日 - 2002年12月22日)は、日本の歌人。千葉県君津郡貞元村生まれ。北原白秋が主宰する多磨短歌会の会員などを経て、1952年より山本康夫に師事。君津市の鹿野山には峯郎の短歌を刻んだ歌碑が建てられている[5]。 | ||
9月19日生まれの人  1912年生まれの人  千葉県出身の1912年生まれの人 | ||
209 | 佐藤雀仙人 千葉県 野田市 | Wikipedia |
佐藤 雀仙人(さとう じゃくせんじん、1909年3月21日 - 1997年7月14日)は、福島県出身の日本の俳人。本名は二郎。戦前の俳号は室町秋香。 | ||
3月21日生まれの人  1909年生まれの人  千葉県出身の1909年生まれの人 | ||
210 | 伊藤公平 千葉県 成田市 | Wikipedia |
伊藤 公平(いとう こうへい、1901年7月28日 - 1984年3月9日)は、日本の歌人、随筆家、小説家、教員。千葉県印旛郡八生村押畑生まれ。吉植庄亮に師事。千葉県歌人クラブでは創設以来、事務所代表を長年務めた。また、出身地である成田市をはじめ、各地で短歌教室を開き指導を続け、後進に大きな影響を与えたと評価される。 | ||
7月28日生まれの人  1901年生まれの人  千葉県出身の1901年生まれの人 | ||
211 | 三橋鷹女 千葉県 成田市 | Wikipedia |
三橋 鷹女(みつはし たかじょ、1899年12月24日 - 1972年4月7日)は、千葉県出身の俳人。本名・たか子。幼名・文子。旧号・東文恵。原石鼎、小野蕪子に師事。戦後、新興俳句系の「俳句評論」等に関わる。昭和期に活躍した代表的な女性俳人として中村汀女・星野立子・橋本多佳子とともに四Tと呼ばれた。 | ||
12月24日生まれの人  1899年生まれの人  千葉県出身の1899年生まれの人 | ||
212 | 鈴木康文 千葉県 匝瑳市 | Wikipedia |
鈴木 康文(すずき こうぶん、1896年3月5日 - 1997年1月27日)は、日本の歌人。千葉県匝瑳郡栄村堀川生まれ。『橄欖』主宰者の吉植庄亮に師事し、吉植の没後は『橄欖』代表となった。九十九里浜に面する農村に生まれ、農業を続けながら海と農村の歌を詠み続けた農民歌人として知られる。代表歌集に『九十九里』、『新九十九里』、『続々九十九里』などがある。 | ||
3月5日生まれの人  1896年生まれの人  千葉県出身の1896年生まれの人 | ||
213 | 瀧井孝作 千葉県 我孫子市 | Wikipedia |
瀧井 孝作(たきい こうさく、1894年(明治27年)4月4日 - 1984年(昭和59年)11月21日)は、日本の小説家、俳人、編集者。俳句を河東碧梧桐に師事し、小説を芥川龍之介、志賀直哉に兄事した。文化功労者。俳号は折柴。 | ||
1894年生まれの人  千葉県出身の1894年生まれの人 | ||
214 | 細井魚袋 千葉県 木更津市 | Wikipedia |
細井 魚袋(ほそい ぎょたい、1889年1月2日 - 1962年11月2日)は、日本の歌人。千葉県君津郡巌根村大字高柳字大海道(現・木更津市高柳)生まれ。尾上柴舟に師事した。 | ||
1月2日生まれの人  1889年生まれの人  千葉県出身の1889年生まれの人 | ||
215 | 折口信夫 千葉県 成田市 | Wikipedia |
折口 信夫(おりくち しのぶ、1887年(明治20年)2月11日 - 1953年(昭和28年)9月3日)は、日本の民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった。 | ||
1887年生まれの人  千葉県出身の1887年生まれの人 | ||
216 | 古泉千樫 千葉県 鴨川市 | Wikipedia |
古泉 千樫(こいずみ ちかし、1886年9月26日 - 1927年8月11日)は、日本の歌人。本名は幾太郎。 | ||
9月26日生まれの人  1886年生まれの人  千葉県出身の1886年生まれの人 | ||
217 | 若山牧水 千葉県 南房総市 | Wikipedia |
若山 牧水(わかやま ぼくすい、1885年(明治18年)8月24日 - 1928年(昭和3年)9月17日)は、戦前日本の歌人。本名・繁(しげる)。 | ||
1885年生まれの人  千葉県出身の1885年生まれの人 | ||
218 | 吉植庄亮 千葉県 成田市 | Wikipedia |
吉植 庄亮(よしうえ しょうりょう、1884年4月3日 - 1958年12月7日)は、日本の歌人、政治家。 | ||
4月3日生まれの人  1884年生まれの人  千葉県出身の1884年生まれの人 | ||
219 | 水野葉舟 千葉県 成田市 | Wikipedia |
水野 葉舟(みずの ようしゅう、1883年4月9日 - 1947年2月2日)は、日本の詩人、歌人、小説家、心霊現象研究者。本名は盈太郎(みちたろう)。 | ||
4月9日生まれの人  1883年生まれの人  千葉県出身の1883年生まれの人 |
220 | 前田夕暮 千葉県 成田市 | Wikipedia |
前田 夕暮(まえだ ゆうぐれ、1883年(明治16年)7月27日 - 1951年(昭和26年)4月20日)は、日本の歌人。明治から昭和期にかけて活動した。本名:前田 洋造(洋三とも)。 | ||
1883年生まれの人  千葉県出身の1883年生まれの人 | ||
221 | 金田一京助 千葉県 成田市 | Wikipedia |
金田一 京助(きんだいち きょうすけ、1882年(明治15年)5月5日 - 1971年(昭和46年)11月14日)は、日本の言語学者、民俗学者。日本のアイヌ語研究の本格的創始者として知られる。國學院大學教授を経て東京帝国大学教授、國學院大學名誉教授。日本学士院会員。日本言語学会会長(2代目)。東京帝国大学より文学博士。栄典は従三位・勲一等・瑞宝章・文化勲章。盛岡市名誉市民。歌人・石川啄木の親友であったことでも有名。 | ||
1882年生まれの人  千葉県出身の1882年生まれの人 | ||
222 | 窪田空穂 千葉県 成田市 | Wikipedia |
窪田 空穂(くぼた うつぼ、1877年(明治10年)6月8日 - 1967年(昭和42年)4月12日)は、日本の歌人、国文学者。日本芸術院会員。本名は窪田 通治。息子に、同じく歌人の窪田章一郎がいる。 | ||
1877年生まれの人  千葉県出身の1877年生まれの人 | ||
223 | 蕨真 千葉県 山武市 | Wikipedia |
蕨真一郎(わらび しんいちろう、1876年(明治9年)8月20日 - 1922年(大正11年)10月14日)は、日本の歌人、造林家。号は蕨真(けっしん)、礎山(そざん)。上総国武射郡埴谷村(現在の千葉県山武市)出身。 | ||
8月20日生まれの人  1876年生まれの人  千葉県出身の1876年生まれの人 | ||
224 | 蕨真一郎 千葉県 山武市 | Wikipedia |
蕨真一郎(わらび しんいちろう、1876年(明治9年)8月20日 - 1922年(大正11年)10月14日)は、日本の歌人、造林家。号は蕨真(けっしん)、礎山(そざん)。 | ||
98月20日生まれの人  1876年生まれの人  千葉県出身の1876年生まれの人 | ||
225 | 香取秀真 千葉県 佐倉市 | Wikipedia |
香取 秀真(かとり ほつま、1874年1月1日 - 1954年1月31日)は日本の鋳金工芸作家、歌人である。学問としての金工史を確立し、研究者としても優れた。日本における美術の工芸家として初の文化勲章を受章。東京美術学校(現在の東京藝術大学)教授、芸術院会員。 帝室博物館(現在の東京国立博物館)技芸員、国宝保存会常務委員、文化財審議会専門委員などを歴任。秀真は雅号で、本名は秀治郎。金工の人間国宝である香取正彦は長男。 | ||
東京芸術大学出身 千葉県出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
1月1日生まれの人  1874年生まれの人  千葉県出身の1874年生まれの人 | ||
226 | 杉村楚人冠 千葉県 我孫子市 | Wikipedia |
杉村 楚人冠(すぎむら そじんかん、明治5年7月25日(1872年8月28日) - 昭和20年(1945年)10月3日)は、新聞記者、随筆家、俳人である。本名は杉村 廣太郎(すぎむら こうたろう)。別号は縦横、紀伊縦横生、四角八面生、涙骨など多数。 | ||
8月28日生まれの人  1872年生まれの人  千葉県出身の1872年生まれの人 | ||
227 | 鶯亭金升明治 千葉県 船橋市 | Wikipedia |
鶯亭 金升(おうてい きんしょう、慶応4年2月23日(1868年3月16日)- 昭和29年(1954年)10月31日)は、雑誌記者・新聞記者・遊芸的文芸作者。本名は長井総太郎。筆名に竹葉亭昌安・竹葉亭金升・鶯亭化七・台山辺人などがあった。 | ||
3月12日生まれの人  1868年生まれの人  千葉県出身の1868年生まれの人 | ||
228 | 伊藤左千夫 千葉県 山武市 | Wikipedia |
伊藤 左千夫(いとう さちお、1864年9月18日(元治元年8月18日) - 1913年(大正2年)7月30日)は日本の歌人、小説家。本名 幸次郎。 | ||
明治大学出身 千葉県出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
9月18日生まれの人  1864年生まれの人  千葉県出身の1864年生まれの人 | ||
229 | 升月亭居山 千葉県 船橋市 | Wikipedia |
升月亭居山(しょうげつてい きょざん、1826年 - 1897年)は、江戸時代後期に活躍した俳人である。 | ||
1826年生まれの人  千葉県出身の1826年生まれの人 | ||
230 | 升月亭居山江戸 千葉県 船橋市 | Wikipedia |
升月亭居山(しょうげつてい きょざん、1826年 - 1897年)は、江戸時代後期に活躍した俳人である。 | ||
1826年生まれの人  千葉県出身の1826年生まれの人 | ||
231 | 斎藤園女 千葉県 船橋市 | Wikipedia |
斎藤その女(さいとう そのじょ、天明元年(1781年) - 慶応3年(1867年))は、江戸時代後期に活躍した女流俳人である。 | ||
1781年生まれの人  千葉県出身の1781年生まれの人 | ||
232 | 太乙庵素英 千葉県 船橋市 | Wikipedia |
太乙庵素英(たいおつあんそえい、1767年 - 1849年)は日本の俳僧。 | ||
1767年生まれの人  千葉県出身の1767年生まれの人 | ||
233 | 楫取魚彦 千葉県 香取市 | Wikipedia |
楫取 魚彦(かとり なひこ、享保8年3月2日(1723年4月6日) - 天明2年3月23日(1782年5月5日))は、江戸時代中期の国学者・歌人・画家。本姓は伊能氏で、父は伊能景栄(かげまさ)。名は景良。通称は茂左衛門。号は青藍・茅生庵(ちぶあん)。生れは下総国香取郡佐原(現香取市)。同郷で遠縁の親族が測量家の伊能忠敬(伊能三郎右衛門家)である。 | ||
4月6日生まれの人  1723年生まれの人  千葉県出身の1723年生まれの人 | ||
234 | 白井鳥酔 千葉県 長南町 | Wikipedia |
白井 鳥酔(しらい ちょうすい、元禄14年(1701年) - 明和6年4月4日(1769年4月28日))は、江戸時代中期の俳人。 | ||
14年生まれの人  千葉県出身の14年生まれの人 | ||
235 | 小林一茶 千葉県 流山市 | Wikipedia |
小林 一茶(こばやし いっさ、宝暦13年5月5日(1763年6月15日) - 文政10年11月19日(1828年1月5日))は日本の俳人。信濃国柏原で中農の子として生まれた。本名は小林弥太郎[† 1]、一茶とは俳号である。15歳の時に奉公のために江戸へ出て、やがて俳諧と出会い、「一茶調」と呼ばれる独自の俳風を確立して松尾芭蕉、与謝蕪村と並ぶ江戸時代を代表する俳諧師の一人となった。別号は圯橋、菊明、新羅坊[4]、亜堂[4]。庵号は二六庵[5]、俳諧寺[6]。 | ||
5月5日生まれの人  13年生まれの人  千葉県出身の13年生まれの人 | ||
236 | 鶯亭金升 千葉県 船橋市 | Wikipedia |
鶯亭 金升(おうてい きんしょう、慶応4年2月23日(1868年3月16日)- 昭和29年(1954年)10月31日)は、雑誌記者・新聞記者・遊芸的文芸作者。本名は長井総太郎。筆名に竹葉亭昌安・竹葉亭金升・鶯亭化七・台山辺人などがあった。 | ||
237 | 河合凱夫 千葉県 野田市 | Wikipedia |
現代俳句協会監査、千葉県俳句作家協会長、朝日新聞千葉版俳壇選者 | ||
238 | 神山魚貫 千葉県 成田市 | Wikipedia未登録 |
歌人 | ||
239 | 高村光太郎 千葉県 成田市 | Wikipedia |
高村 光太郎(たかむら こうたろう、1883年(明治16年)3月13日 - 1956年(昭和31年)4月2日)は、日本の詩人・歌人・彫刻家・画家。東京府東京市下谷区下谷西町三番地(現在の東京都台東区東上野一丁目)出身。本名は光太郎と書いて「みつたろう」と読む。 |
240 | 水町京子 千葉県 成田市 | Wikipedia未登録 |
歌人 | ||
241 | 東重胤 千葉県 | Wikipedia |
東 重胤(とう しげたね)は鎌倉時代初期の武将。東胤頼の嫡男。鎌倉幕府3代将軍源実朝の側近。千葉氏の庶流である東氏の二代目に当たる。歌人。 |
東京都
242 | 萩原健也 東京都 杉並区 | Wikipedia |
萩原 健也(はぎはら けんや、1987年11月9日 - )は日本のジャズ、ロックギタリスト、スタジオミュージシャン。兄は歌人の萩原慎一郎。 | ||
11月9日生まれの人  1987年生まれの人  東京都出身の1987年生まれの人 | ||
243 | 萩原慎一郎 東京都 杉並区 | Wikipedia |
萩原 慎一郎(はぎはら しんいちろう、1984年9月16日 - 2017年6月8日)は日本の歌人、詩人。平成時代に短歌の書籍として異例のベストセラーとなった歌集 滑走路の作者。 | ||
9月16日生まれの人  1984年生まれの人  東京都出身の1984年生まれの人 | ||
244 | 天野慶 東京都 三鷹市 | Wikipedia |
天野 慶(あまの けい、1979年10月19日 - )は歌人。「短歌人」所属。東京都三鷹市出身。 | ||
10月19日生まれの人  1979年生まれの人  東京都出身の1979年生まれの人 | ||
245 | あまねそう 東京都 足立区 | Wikipedia |
あまね そう(天昵 聰、1976年9月2日 - )は、東京都足立区出身の歌人。歌人集団「かばん」所属。 | ||
9月2日生まれの人  1976年生まれの人  東京都出身の1976年生まれの人 | ||
246 | 笹公人 東京都 小金井市 | Wikipedia |
笹 公人(ささ きみひと、1975年7月8日 - )は、歌人並びにミュージシャン。東京都出身・在住。戦国時代の武将可児吉長の末裔。文化学院文学科卒業。大正大学客員准教授。文化学院講師。NHK学園講師。現代歌人協会理事[2]。日本文藝家協会会員。 | ||
7月8日生まれの人  1975年生まれの人  東京都出身の1975年生まれの人 | ||
247 | 大松達知 東京都 中野区 | Wikipedia |
大松 達知(おおまつ たつはる、1970年12月30日 - )は、日本の歌人。歌誌「コスモス」選者・編集委員・О先生賞選考委員。季刊同人誌「COCOON」発行人。現代歌人協会会員。高野公彦に師事。東京都中野区在住。 | ||
12月30日生まれの人  1970年生まれの人  東京都出身の1970年生まれの人 | ||
248 | 千々和竜策 東京都 | Wikipedia |
千々和 竜策(ちぢわ りゅうさく、1969年5月27日 - )は日本の男性声優。アプトプロ所属。東京都出身。血液型はA型。父は、歌人、詩人の千々和久幸。 | ||
5月27日生まれの人  1969年生まれの人  東京都出身の1969年生まれの人 | ||
249 | 枡野浩一 東京都 小平市 | Wikipedia |
枡野 浩一(ますの こういち、1968年9月23日 - )は、歌人。東京都杉並区西荻窪生まれ。 | ||
9月23日生まれの人  1968年生まれの人  東京都出身の1968年生まれの人 | ||
250 | 井辻朱美 東京都 新宿区 | Wikipedia |
井辻 朱美(いつじ あけみ、1955年12月12日 - )は日本の翻訳家、ファンタジー小説家、歌人。東京大学理学部生物学科卒・同大学院人文系研究科比較文学比較文化専攻修了。白百合女子大学文学部児童文化学科教授。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
12月12日生まれの人  1955年生まれの人  東京都出身の1955年生まれの人 | ||
251 | 平山雄一 東京都 立川市 | Wikipedia |
平山 雄一(ひらやま ゆういち、1953年1月10日 - )は、日本のポピュラー音楽評論家、俳人。 | ||
1月10日生まれの人  1953年生まれの人  東京都出身の1953年生まれの人 | ||
252 | 仁平勝 東京都 武蔵野市 | Wikipedia |
仁平 勝(にひら まさる、1949年4月26日 - )は、俳人・文芸評論家。 | ||
4月26日生まれの人  1949年生まれの人  東京都出身の1949年生まれの人 | ||
253 | ねじめ正一 東京都 杉並区 | Wikipedia |
ねじめ 正一(ねじめ しょういち、1948年6月16日 - )は、日本の詩人、小説家。本名は禰寝 正一(読みは同じ)。東京都杉並区生まれ。杉並区立杉並第四小学校→杉並区立高円寺中学校→日本大学第二高等学校卒業。青山学院大学経済学部中退。父は俳人のねじめ正也。長男は俳優のねじめ宗吾(ねじめ そうご、本名:禰寝宗吾、1975年5月4日 - )。長女は脚本家の祢寝彩木(ねじめ さえき、1979年2月11日 - )。 | ||
青山学院大学出身 東京都出身の青山学院大学の出身者 全国の青山学院大学の出身者 | ||
6月16日生まれの人  1948年生まれの人  東京都出身の1948年生まれの人 | ||
254 | 花山多佳子 東京都 武蔵野市 | Wikipedia |
花山 多佳子(はなやま たかこ、1948年3月5日 - )は、日本の歌人。歌人の玉城徹は父、娘の花山周子も歌人。 | ||
3月5日生まれの人  1948年生まれの人  東京都出身の1948年生まれの人 | ||
255 | 角川春樹 東京都 杉並区 | Wikipedia |
角川 春樹(かどかわ はるき、1942年1月8日 - )は、日本の実業家、映画監督、映画プロデューサー、俳人、冒険家。角川春樹事務所会長兼社長、幻戯書房会長。「河」主宰。 | ||
1月8日生まれの人  1942年生まれの人  東京都出身の1942年生まれの人 | ||
256 | 辺見じゅん 東京都 武蔵野市 | Wikipedia |
辺見 じゅん(へんみ じゅん、本名:清水 眞弓(しみず まゆみ、旧姓:角川、邊見)、1939年7月26日 - 2011年9月21日)は、日本の歌人・ノンフィクション作家。 | ||
7月26日生まれの人  1939年生まれの人  東京都出身の1939年生まれの人 | ||
257 | 佐佐木幸綱 東京都 千代田区 | Wikipedia |
佐佐木 幸綱(ささき ゆきつな、1938年10月8日 - )は、日本の歌人、国文学者、日本芸術院会員。「心の花」主宰・編集長。現代歌人協会理事長。早稲田大学名誉教授。祖父の文化勲章受章者の佐佐木信綱、父の佐佐木治綱も歌人である。 本名は佐々木幸綱で、祖父、父に倣って「佐佐木」を称する。 | ||
早稲田大学出身 東京都出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
10月8日生まれの人  1938年生まれの人  東京都出身の1938年生まれの人 | ||
258 | 小野茂樹 東京都 渋谷区 | Wikipedia |
小野 茂樹(おの しげき、1936年12月15日 - 1970年5月7日)は、東京都渋谷区出身の歌人。 | ||
早稲田大学出身 東京都出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
12月15日生まれの人  1936年生まれの人  東京都出身の1936年生まれの人 | ||
259 | 吉行和子 東京都 東京府 | Wikipedia |
吉行 和子(よしゆき かずこ、本名 同じ、1935年8月9日 - )は、東京府(現:東京都)出身の女優、エッセイスト、俳人。 | ||
8月9日生まれの人  1935年生まれの人  東京都出身の1935年生まれの人 |
260 | 寺山修司 東京都 杉並区 | Wikipedia |
寺山 修司(てらやま しゅうじ、1935年(昭和10年)12月10日 - 1983年(昭和58年)5月4日)は、日本の歌人、劇作家。演劇実験室「天井桟敷」主宰。 | ||
1935年生まれの人  東京都出身の1935年生まれの人 | ||
261 | 小沢昭一 東京都 大田区 | Wikipedia |
小沢 昭一(おざわ しょういち、本名:小澤 昭一(読み同じ)、1929年(昭和4年)4月6日 - 2012年(平成24年)12月10日)は、日本の俳優、タレント、俳人、エッセイスト、芸能研究者、元放送大学客員教授。日本新劇俳優協会会長。俳号は小沢 変哲。劇団「しゃぼん玉座」主宰。見世物学会顧問。 | ||
44月6日生まれの人  1929年生まれの人  東京都出身の1929年生まれの人 | ||
262 | 神吉拓郎 東京都 港区 | Wikipedia |
神吉 拓郎(かんき たくろう、1928年(昭和3年)9月11日 - 1994年(平成6年)6月28日)は、日本の小説家、俳人、随筆家。 | ||
成城大学出身 東京都出身の成城大学の出身者 全国の成城大学の出身者 | ||
9月11日生まれの人  1928年生まれの人  東京都出身の1928年生まれの人 | ||
263 | 岡井隆 東京都 武蔵野市 | Wikipedia |
岡井 隆(おかい たかし、1928年(昭和3年)1月5日 - )は、日本の歌人・詩人・文芸評論家。未来短歌会発行人。日本藝術院会員。塚本邦雄、寺山修司とともに前衛短歌の三雄の一人。 | ||
31月5日生まれの人  1928年生まれの人  東京都出身の1928年生まれの人 | ||
264 | 米田利昭 東京都 北区 | Wikipedia |
米田 利昭(よねだ としあき、1927年1月6日 - 2000年4月13日)は、歌人、日本文学研究者。 | ||
1月6日生まれの人  1927年生まれの人  東京都出身の1927年生まれの人 | ||
265 | 村上一郎 東京都 武蔵野市 | Wikipedia |
村上 一郎(むらかみ いちろう、1920年(大正9年)9月24日 - 1975年(昭和50年)3月29日)は、日本の文芸評論家、歌人、小説家。日本浪曼派に共感した。 | ||
99月24日生まれの人  1920年生まれの人  東京都出身の1920年生まれの人 | ||
266 | 清水基吉 東京都 渋谷区 | Wikipedia |
清水 基吉(しみず もとよし、1918年(大正7年)8月31日 - 2008年3月30日)は、俳人、小説家。本名、清水基嘉(読み同じ)。 | ||
8月31日生まれの人  1918年生まれの人  東京都出身の1918年生まれの人 | ||
267 | 木下順二 東京都 | Wikipedia |
木下 順二(きのした じゅんじ、1914年(大正3年)8月2日 - 2006年(平成18年)10月30日)は、日本の劇作家、評論家。代表作に『夕鶴』がある。日本劇作家協会顧問。伯父は佐々醒雪(俳人、国文学者)。著名な進歩的文化人であった。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
8月2日生まれの人  1914年生まれの人  東京都出身の1914年生まれの人 | ||
268 | 加倉井秋を 東京都 武蔵野市 | Wikipedia |
加倉井 秋を(かくらい あきを、1909年8月26日 - 1988年6月2日)は、茨城県出身の俳人、建築家。本名は昭夫。日本画家の加倉井和夫は弟。茨城県出身。東京美術学校(現・東京芸術大学)建築科卒業。建築会社勤務を経て、1970年より武蔵大学教授(美術工芸史)。 | ||
8月26日生まれの人  1909年生まれの人  東京都出身の1909年生まれの人 | ||
269 | 石川桂郎 東京都 町田市 | Wikipedia |
石川桂郎(いしかわ けいろう、1909年8月6日 - 1975年11月6日)は、東京出身の俳人、随筆家、小説家、編集者。石田波郷に師事、「鶴」「壺」「馬酔木」同人、「風土」主宰。本名は石川一雄。 | ||
8月6日生まれの人  1909年生まれの人  東京都出身の1909年生まれの人 | ||
270 | 横山林二 東京都 港区 | Wikipedia |
横山 林二(よこやま りんじ、1908年(明治41年)12月20日-1973年(昭和48年)2月25日)は、日本の自由律俳句の俳人。層雲の荻原井泉水に師事、のちプロレタリア俳句運動に転じ、新興俳句弾圧事件により投獄された。戦後は新俳句人連盟常任委員、現代俳句協会会員。東京都生まれ、本名は吉太郎。 | ||
1908年生まれの人  東京都出身の1908年生まれの人 | ||
271 | 入江相政 東京都 港区 | Wikipedia |
入江 相政(いりえ すけまさ、1905年(明治38年)6月29日 - 1985年(昭和60年)9月29日)は、日本の官僚、歌人・随筆家である。昭和天皇の侍従・侍従長を長く務めた。従二位勲一等旭日大綬章、勲一等瑞宝章、紺綬褒章・賞杯。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
6月29日生まれの人  1905年生まれの人  東京都出身の1905年生まれの人 | ||
272 | 五所平之助 東京都 千代田区 | Wikipedia |
五所 平之助(ごしょ へいのすけ、1902年1月24日 - 1981年5月1日)は、日本の映画監督、脚本家、俳人。日本最初の国産トーキー映画『マダムと女房』の監督として有名である。本名は五所 平右衛門(ごしょ へいえもん)。俳号は五所亭。 | ||
慶應義塾大学出身 東京都出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
1月24日生まれの人  1902年生まれの人  東京都出身の1902年生まれの人 | ||
273 | 瀧井孝作 東京都 八王子市 | Wikipedia |
瀧井 孝作(たきい こうさく、1894年(明治27年)4月4日 - 1984年(昭和59年)11月21日)は、日本の小説家、俳人、編集者。俳句を河東碧梧桐に師事し、小説を芥川龍之介、志賀直哉に兄事した。文化功労者。俳号は折柴。 | ||
1894年生まれの人  東京都出身の1894年生まれの人 | ||
274 | 中川一政 東京都 | Wikipedia |
中川 一政(なかがわ かずまさ、1893年(明治26年)2月14日 - 1991年(平成3年)2月5日)は、東京府生まれの洋画家、美術家、歌人、随筆家である。 | ||
2月14日生まれの人  1893年生まれの人  東京都出身の1893年生まれの人 | ||
275 | 堀口大學 東京都 | Wikipedia |
堀口 大學(ほりぐち だいがく、新字体:堀口 大学、1892年(明治25年)1月8日 - 1981年(昭和56年)3月15日)は、明治から昭和にかけての詩人、歌人、フランス文学者。訳詩書は三百点を超え、日本の近代詩に多大な影響を与えた。雅号は十三日月。葉山町名誉町民。 | ||
慶應義塾大学出身 東京都出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
1月8日生まれの人  1892年生まれの人  東京都出身の1892年生まれの人 | ||
276 | 水原秋桜子 東京都 千代田区 | Wikipedia |
水原 秋桜子(みずはら しゅうおうし、1892年(明治25年)10月9日 - 1981年(昭和56年)7月17日)は、日本の俳人、医師・医学博士。秋櫻子とも表記する。本名は水原豊(みずはら ゆたか)。松根東洋城、ついで高浜虚子に師事。短歌に学んだ明朗で叙情的な句風で「ホトトギス」に新風を吹き込んだが、「客観写生」の理念に飽き足らなくなり同誌を離反、俳壇に反ホトトギスを旗印とする新興俳句運動が起こるきっかけを作った。「馬酔木」主宰。別号に喜雨亭。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
10月9日生まれの人  1892年生まれの人  東京都出身の1892年生まれの人 | ||
277 | 久保田万太郎 東京都 浅草 | Wikipedia |
久保田 万太郎(くぼた まんたろう、1889年(明治22年)11月7日 - 1963年(昭和38年)5月6日)は、浅草生まれの大正から昭和にかけて活躍した俳人、小説家、劇作家。生粋の江戸っ子として伝統的な江戸言葉を駆使して滅びゆく下町の人情を描いた。俳人としては岡本松浜、松根東洋城に師事、戦後に俳誌「春燈」を主宰し文人俳句の代表作家として知られる。俳句の別号に暮雨、傘雨[2]。別の筆名に千野菊次郎。文化勲章受章者。贈従三位勲一等瑞宝章(没時叙位叙勲)。 | ||
慶應義塾大学出身 東京都出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
11月7日生まれの人  1889年生まれの人  東京都出身の1889年生まれの人 | ||
278 | 服部嘉香 東京都 新宿区 | Wikipedia |
服部 嘉香(はっとり よしか、1886年(明治19年)4月4日 - 1975年(昭和50年)5月10日)は、日本の詩人、歌人、国語学者。 | ||
1886年生まれの人  東京都出身の1886年生まれの人 | ||
279 | 若林牧春 東京都 町田市 | Wikipedia |
若林 牧春(わかばやし ぼくしゅん、男性、1886年9月11日 - 1974年6月29日)は、明治・大正・昭和期の日本の歌人、詩人、教育者。本名は岡部 軍治[注 1](おかべ ぐんじ)。他の雅号に暁花、星骨がある。 | ||
9月11日生まれの人  1886年生まれの人  東京都出身の1886年生まれの人 |
280 | 柳原白蓮 東京都 豊島区 | Wikipedia |
柳原 白蓮(やなぎわら びゃくれん、1885年(明治18年)10月15日 - 1967年(昭和42年)2月22日)は、大正から昭和時代にかけての歌人。本名は宮崎燁子(みやざきあきこ)、旧姓:柳原(やなぎわら)、北小路(きたこうじ)、伊藤(いとう)。大正三美人の1人。白蓮事件で知られる。 | ||
東洋英和女学校出身 東京都出身の 東洋英和女学校の出身者 全国の 東洋英和女学校の出身者 | ||
10月15日生まれの人  1885年生まれの人  東京都出身の1885年生まれの人 | ||
281 | 北原白秋 東京都 渋谷区 | Wikipedia |
北原 白秋(きたはら はくしゅう、1885年(明治18年)1月25日 - 1942年(昭和17年)11月2日)は、日本の詩人、童謡作家、歌人。本名は北原 隆吉(きたはら りゅうきち)。 | ||
1885年生まれの人  東京都出身の1885年生まれの人 | ||
282 | 岡田茂吉 東京都 | Wikipedia |
岡田 茂吉(おかだ もきち、1882年〈明治15年〉12月23日 - 1955年〈昭和30年〉2月10日)は、日本の文化人。宗教家、文明評論家、書家、画家、歌人、華道流祖、造園家、建築家、美術品収集家。 | ||
12月23日生まれの人  1882年生まれの人  東京都出身の1882年生まれの人 | ||
283 | 石原純 東京都 | Wikipedia |
石原 純(いしわら あつし(じゅん)、1881年1月15日 - 1947年1月19日)は、日本の理論物理学者・科学啓蒙家・歌人。 | ||
1月15日生まれの人  1881年生まれの人  東京都出身の1881年生まれの人 | ||
284 | 与謝野晶子 東京都 渋谷区 | Wikipedia |
与謝野 晶子(正字: 與謝野 晶子、よさの あきこ、1878年(明治11年)12月7日 - 1942年(昭和17年)5月29日)は、日本の歌人、作家、思想家。 戸籍名与謝野 志やう(よさの しょう)。旧姓鳳(ほう)。ペンネームの「晶子」の「晶」は、本名の「しょう」から取った。夫は与謝野鉄幹(与謝野寛)。 | ||
1878年生まれの人  東京都出身の1878年生まれの人 | ||
285 | 寺田寅彦 東京都 | Wikipedia |
寺田 寅彦(てらだ とらひこ、1878年(明治11年)11月28日 - 1935年(昭和10年)12月31日)は、戦前の日本の物理学者、随筆家、俳人であり吉村冬彦(大正11年から使用)、寅日子、牛頓(“ニュートン”)、藪柑子(“やぶこうじ”)の筆名でも知られる。高知県出身(出生地は東京市)。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
11月28日生まれの人  1878年生まれの人  東京都出身の1878年生まれの人 | ||
286 | 島木赤彦 東京都 渋谷区 | Wikipedia |
アハハ、1876年(明治9年)12月16日 - 1926年(大正15年)3月27日)は、明治・大正時代のアララギ派歌人。本名は久保田俊彦。別号、柿乃村人。 | ||
1876年生まれの人  東京都出身の1876年生まれの人 | ||
287 | 与謝野鉄幹 東京都 杉並区 | Wikipedia |
与謝野 鉄幹(正字: 與謝野 鐵幹、よさの てっかん, 1873年(明治6年)2月26日 - 1935年(昭和10年)3月26日)は、日本の歌人。本名は与謝野 寛(よさの ひろし)。鉄幹は号。与謝野晶子の夫。後に慶應義塾大学教授。文化学院学監。 | ||
62月26日生まれの人  1873年生まれの人  東京都出身の1873年生まれの人 | ||
288 | 与謝野鉄幹 東京都 渋谷区 | Wikipedia |
与謝野 鉄幹(正字: 與謝野 鐵幹、よさの てっかん, 1873年(明治6年)2月26日 - 1935年(昭和10年)3月26日)は、日本の歌人。本名は与謝野 寛(よさの ひろし)。鉄幹は号。与謝野晶子の夫。後に慶應義塾大学教授。文化学院学監。 | ||
62月26日生まれの人  1873年生まれの人  東京都出身の1873年生まれの人 | ||
289 | 巌谷小波 東京都 児童文学 | Wikipedia |
巖谷 小波(いわや さざなみ、1870年7月4日(明治3年6月6日) - 1933年(昭和8年)9月5日)は、明治から大正にかけての作家、児童文学者、俳人。本名は季雄(すえお)。別号に漣山人(さざなみ さんじん)、楽天居、隔恋坊、大江小波がある[2]。 | ||
7月4日生まれの人  1870年生まれの人  東京都出身の1870年生まれの人 | ||
290 | 正岡子規 東京都 台東区 | Wikipedia |
正岡 子規(まさおか しき、1867年10月14日〈慶応3年9月17日〉 - 1902年〈明治35年〉9月19日)は、日本の俳人、歌人、国語学研究家。名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。 | ||
10月14日生まれの人  1867年生まれの人  東京都出身の1867年生まれの人 | ||
291 | 在原業平 東京都 墨田区 | Wikipedia |
在原 業平(ありわら の なりひら)は、平安時代初期から前期にかけての貴族・歌人。平城天皇の孫。贈一品・阿保親王の五男。官位は従四位上・蔵人頭・右近衛権中将。 | ||
292 | 酒井抱一 東京都 | Wikipedia |
酒井 抱一(さかい ほういつ、 宝暦11年7月1日(1761年8月1日) - 文政11年11月29日(1829年1月4日))は、江戸時代後期の絵師、俳人。 権大僧都。本名は忠因(ただなお)、幼名は善次、通称は栄八、字は暉真(きしん)。ほか、屠牛、狗禅、鶯村、雨華庵、軽挙道人、庭柏子、溟々居、楓窓とも号する。また俳号は、ごく初期は白鳧・濤花、後に杜陵(綾)。狂歌名は、尻焼猿人[2]。屠龍(とりょう)の号は俳諧・狂歌、さらに浮世絵美人画でも用いている |
神奈川県
293 | 石川美南 神奈川県 横浜市 | Wikipedia |
石川 美南(いしかわ みな、1980年5月7日 - )は、歌人。神奈川県横浜市出身。 | ||
東京外国語大学出身 神奈川県出身の東京外国語大学の出身者 全国の東京外国語大学の出身者 | ||
5月7日生まれの人  1980年生まれの人  神奈川県出身の1980年生まれの人 | ||
294 | 千葉聡 神奈川県 横浜市 | Wikipedia |
千葉 聡(ちば さとし、1968年9月4日 - )は、日本の歌人、高校教諭。短歌同人誌「かばん」所属。 | ||
東京学芸大学出身 神奈川県出身の東京学芸大学の出身者 全国の東京学芸大学の出身者 | ||
9月4日生まれの人  1968年生まれの人  神奈川県出身の1968年生まれの人 | ||
295 | 黛まどか 神奈川県 湯河原町 | Wikipedia |
黛まどか(まゆずみ まどか、1962年7月31日 - )は、日本の俳人。本名:黛 円(読み同じ)。父は俳人の黛執。 | ||
7月31日生まれの人  1962年生まれの人  神奈川県出身の1962年生まれの人 | ||
296 | 望月明 神奈川県 横浜市 | Wikipedia |
望月 明(もちづき あきら、1934年(昭和9年)7月18日~2016年(平成28年)8月25日)は、俳人。神奈川県横浜市南区高砂町生まれ。在家得度、法名は、「徹心明道」(みょうどう)。 | ||
7月18日生まれの人  1934年生まれの人  神奈川県出身の1934年生まれの人 | ||
297 | 島田章三 神奈川県 横須賀市 | Wikipedia |
島田 章三(しまだ しょうぞう、1933年7月24日 - 2016年11月26日)は、日本の洋画家、版画家、日本藝術院会員、愛知県立芸術大学名誉教授。兄は歌人の島田修二。 | ||
東京藝術大学出身 神奈川県出身の東京藝術大学の出身者 全国の東京藝術大学の出身者 | ||
7月24日生まれの人  1933年生まれの人  神奈川県出身の1933年生まれの人 | ||
298 | 倉橋羊村 神奈川県 横浜市 | Wikipedia |
倉橋 羊村(くらはし ようそん、1931年(昭和9年)4月28日 - )は、日本の俳人。俳誌「波」主宰。本名は倉橋裕(くらはし ゆたか)。 | ||
青山学院大学出身 神奈川県出身の青山学院大学の出身者 全国の青山学院大学の出身者 | ||
4月28日生まれの人  1931年生まれの人  神奈川県出身の1931年生まれの人 | ||
299 | 島田修二 神奈川県 横須賀市 | Wikipedia |
島田 修二(しまだ しゅうじ、昭和3年(1928年)8月19日 - 平成17年(2004年)9月12日)は、日本の歌人。宮中歌会始選者も務めた。洋画家で文化功労者の島田章三は実弟。 | ||
東京大学出身 神奈川県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
8月19日生まれの人  1928年生まれの人  神奈川県出身の1928年生まれの人 |
300 | 上野章子 神奈川県 鎌倉市 | Wikipedia |
上野 章子(うえの あきこ、大正8年(1919年)1月10日 - 平成11年(1999年)1月15日)は、日本の俳人、随筆家。高浜虚子の六女で上野泰の妻。 | ||
1月10日生まれの人  1919年生まれの人  神奈川県出身の1919年生まれの人 | ||
301 | 加倉井和夫 神奈川県 横浜市 | Wikipedia |
加倉井 和夫(かくらい かずお、1919年9月11日 - 1995年9月24日)は、日本画家。日本芸術院会員。俳人・建築家の加倉井秋を(加倉井昭夫)は兄。 | ||
東京美術学校出身 神奈川県出身の東京美術学校の出身者 全国の東京美術学校の出身者 | ||
9月11日生まれの人  1919年生まれの人  神奈川県出身の1919年生まれの人 | ||
302 | 稲垣きくの 神奈川県 厚木市 | Wikipedia |
稲垣 きくの(いながき きくの、1906年7月26日 - 1987年10月30日)は、日本の俳人、茶道教授であり、元女優である[5][6][7][8][9]。女優時代の芸名は若葉 信子(わかば のぶこ)、旧芸名露原 桔梗(つゆはら ききょう)[5][6][7][8][9]、出生名は野口 キクノ(のぐち きくの)、俳優の宮島啓夫との婚姻時には、本名を宮島 公子(みやじま きみこ)とした[6]。 | ||
7月26日生まれの人  1906年生まれの人  神奈川県出身の1906年生まれの人 | ||
303 | 大野林火 神奈川県 | Wikipedia |
大野 林火(おおの りんか、1904年3月25日 - 1982年8月21日)は、俳人。本名は大野正(おおの まさし)。神奈川県横浜市生まれ。旧制県立横浜第一中学校、旧制第四高等学校を経て、1927年東京帝國大学経済学部を卒業。大学卒業後は日本光機工業に入社。1930年に会社を辞めて県立商工実習学校教諭となる。中学時代より鈴木三重吉や佐藤春夫の抒情詩に傾倒。俳句は中学時代の1920年、親友の荻野清(のち俳文学者となる)の父から手ほどきを受け、1921年、荻野の勧めをうけて「石楠」に入会、臼田亞浪に師事する。 | ||
3月25日生まれの人  1904年生まれの人  神奈川県出身の1904年生まれの人 | ||
304 | 秋元不死男 神奈川県 横浜市 | Wikipedia |
秋元 不死男(あきもと ふじお、1901年11月3日 - 1977年7月25日)は、神奈川県出身の俳人。本名は不二雄。前号は東京三(ひがし きょうぞう)。別号に秋元地平線。島田青峰に師事し「土上」「天香」に参加。新興俳句運動に加わり、京大俳句事件に連座して投獄される。戦後は「天狼」参加を経て「氷海」を創刊・主宰。劇作家の秋元松代は妹。息子の秋元近史は『しゃぼん玉ホリデー』を手がけたテレビディレクター・プロデューサー。 | ||
11月3日生まれの人  1901年生まれの人  神奈川県出身の1901年生まれの人 | ||
305 | 岡本かの子 神奈川県 川崎市 | Wikipedia |
岡本 かの子(おかもと かのこ、1889年3月1日 - 1939年2月18日)は、大正、昭和期の小説家、歌人、仏教研究家。本名カノ。東京府東京市赤坂区(現東京都港区)青山南町生まれ。跡見女学校卒業。漫画家岡本一平と結婚し、芸術家岡本太郎を生んだ。小説家として実質的にデビューをしたのは晩年であったが、生前の精力的な執筆活動から、死後多くの遺作が発表された。耽美妖艶の作風を特徴とする。私生活では、夫一平と「奇妙な夫婦生活」を送ったことで知られる。 | ||
3月1日生まれの人  1889年生まれの人  神奈川県出身の1889年生まれの人 | ||
306 | 折口信夫 神奈川県 箱根町 | Wikipedia |
折口 信夫(おりくち しのぶ、1887年(明治20年)2月11日 - 1953年(昭和28年)9月3日)は、日本の民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった。 | ||
1887年生まれの人  神奈川県出身の1887年生まれの人 | ||
307 | 前田夕暮 神奈川県 秦野市 | Wikipedia |
前田 夕暮(まえだ ゆうぐれ、本名:前田 洋造(洋三とも)、1883年(明治16年)7月27日 - 1951年(昭和26年)4月20日)は、日本の歌人。明治から昭和期にかけて活動した。 | ||
二松學舍大学出身 神奈川県出身の二松學舍大学の出身者 全国の二松學舍大学の出身者 | ||
7月27日生まれの人  1883年生まれの人  神奈川県出身の1883年生まれの人 | ||
308 | 谷鼎 神奈川県 秦野市 | Wikipedia未登録 |
歌人 |
新潟県
309 | 宮柊二 新潟県 魚沼市 | Wikipedia |
宮 柊二(みや しゅうじ、1912年(大正元年)8月23日 - 1986年(昭和61年)12月11日)は、昭和時代に活躍した歌人。本名は宮肇(はじめ)。 | ||
8月23日生まれの人  1912年生まれの人  新潟県出身の1912年生まれの人 | ||
310 | 石塚友二 新潟県 | Wikipedia |
石塚 友二(いしづか ともじ、1906年9月20日 – 1986年2月8日)は、新潟県出身の俳人・小説家・編集者。石田波郷の「鶴」二代目主宰。本名は友次。 | ||
9月20日生まれの人  1906年生まれの人  新潟県出身の1906年生まれの人 | ||
311 | 堀口大學 新潟県 長岡市 | Wikipedia |
堀口 大學(ほりぐち だいがく、新字体:堀口 大学、1892年(明治25年)1月8日 - 1981年(昭和56年)3月15日)は、明治から昭和にかけての詩人、歌人、フランス文学者。訳詩書は三百点を超え、日本の近代詩に多大な影響を与えた。雅号は十三日月。葉山町名誉町民。 | ||
1892年生まれの人  新潟県出身の1892年生まれの人 | ||
312 | 相馬御風 新潟県 糸魚川市 | Wikipedia |
相馬 御風(そうま ぎょふう、1883年(明治16年)7月10日 - 1950年(昭和25年)5月8日)は日本の詩人・歌人・評論家。本名は昌治(しょうじ)。新潟県糸魚川市出身。早稲田大学文学部哲学科卒業。詩歌や評論のほか、早稲田大学校歌「都の西北」をはじめとした多くの校歌や童謡の作詞者としても知られる。 | ||
早稲田大学出身 新潟県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
7月10日生まれの人  1883年生まれの人  新潟県出身の1883年生まれの人 | ||
313 | 會津八一 新潟県 新潟市 | Wikipedia |
会津 八一(あいづ やいち、會津八一、1881年(明治14年)8月1日 - 1956年(昭和31年)11月21日)は、日本の歌人・美術史家・書家。雅号は、秋艸道人、渾斎。1951年に新潟市名誉市民。 | ||
1881年生まれの人  新潟県出身の1881年生まれの人 | ||
314 | 会津八一 新潟県 新潟市 | Wikipedia |
会津 八一(あいづ やいち、會津八一、1881年(明治14年)8月1日 - 1956年(昭和31年)11月21日)は、日本の歌人・美術史家・書家。雅号は、秋艸道人、渾斎。1951年に新潟市名誉市民。 | ||
早稲田大学出身 新潟県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
8月1日生まれの人  1881年生まれの人  新潟県出身の1881年生まれの人 | ||
315 | 平出修 新潟県 | Wikipedia |
平出 修(ひらいで しゅう、1878年(明治11年)4月3日 - 1914年(大正3年)3月17日)は、日本の小説家・作家・歌人・弁護士。幸徳事件(大逆事件)で弁護人をつとめた。 | ||
明治大学出身 新潟県出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
4月3日生まれの人  1878年生まれの人  新潟県出身の1878年生まれの人 | ||
316 | 井上井月 新潟県 長岡市 | Wikipedia |
井上 井月(いのうえ せいげつ、文政5年(1822年)? - 明治20年2月16日(1887年3月10日)は、日本の19世紀中期から末期の俳人。本名は一説に井上克三(いのうえかつぞう)。別号に柳の家井月。「北越漁人」と号した。信州伊那谷を中心に活動し、放浪と漂泊を主題とした俳句を詠み続けた。その作品は、後世の芥川龍之介や種田山頭火をはじめ、つげ義春などに影響を与えた。 | ||
1822年生まれの人  新潟県出身の1822年生まれの人 | ||
317 | 良寛 新潟県 長岡市 | Wikipedia |
良寛(りょうかん、宝暦8年10月2日(1758年11月2日) - 天保2年1月6日(1831年2月18日))は江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。号は大愚。 | ||
11月2日生まれの人  1758年生まれの人  新潟県出身の1758年生まれの人 |
富山県
318 | 角川春樹 富山県 富山市 | Wikipedia |
角川 春樹(かどかわ はるき、1942年1月8日 - )は、日本の実業家、映画監督、映画プロデューサー、俳人、冒険家。角川春樹事務所会長兼社長、幻戯書房会長。「河」主宰。 | ||
國學院大學出身 富山県出身の國學院大學の出身者 全国の國學院大學の出身者 | ||
1月8日生まれの人  1942年生まれの人  富山県出身の1942年生まれの人 | ||
319 | 辺見じゅん 富山県 富山市 | Wikipedia |
辺見 じゅん(へんみ じゅん、本名:清水 眞弓(しみず まゆみ、旧姓:角川、邊見)、1939年7月26日 - 2011年9月21日)は、日本の歌人・ノンフィクション作家。 | ||
早稲田大学出身 富山県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
7月26日生まれの人  1939年生まれの人  富山県出身の1939年生まれの人 |
320 | 角川源義 富山県 富山市 | Wikipedia |
角川 源義(かどかわ げんよし、1917年(大正6年)10月9日 - 1975年(昭和50年)10月27日)は、日本の実業家、国文学者、俳人。角川書店(現・KADOKAWA)の創立者。俳号は源義(げんぎ)、水羊(すいよう)。 | ||
國學院大學出身 富山県出身の國學院大學の出身者 全国の國學院大學の出身者 | ||
10月9日生まれの人  1917年生まれの人  富山県出身の1917年生まれの人 | ||
321 | 古沢太穂 富山県 富山市 | Wikipedia |
古沢 太穂(ふるさわ たいほ、1913年(大正2年)8月1日 - 2000年(平成12年)3月2日)は俳人。本名は古沢 太保(ふるさわ たもつ)。 | ||
8月1日生まれの人  1913年生まれの人  富山県出身の1913年生まれの人 | ||
322 | 高崎正秀 富山県 富山市 | Wikipedia |
高崎 正秀(たかさき まさひで、1901年10月16日 - 1982年3月2日)は、富山県生まれの国文学者、万葉学者、歌人。國學院大學名誉教授。國學院大學栃木短期大学名誉学長。文学博士。 | ||
國學院大學出身 富山県出身の國學院大學の出身者 全国の國學院大學の出身者 | ||
10月16日生まれの人  1901年生まれの人  富山県出身の1901年生まれの人 | ||
323 | 筏井嘉一 富山県 高岡市 | Wikipedia |
筏井 嘉一(いかだい かいち、1899年(明治32年)12月28日 - 1971年(昭和46年)4月21日)は、富山県高岡市出身の歌人。父は俳人の筏井竹の門で、長男として生まれた。 | ||
1899年生まれの人  富山県出身の1899年生まれの人 | ||
324 | 大橋八郎 富山県 高岡市 | Wikipedia |
大橋 八郎(おおはし はちろう、1885年12月19日 - 1968年6月4日)は、日本の政治家、逓信官僚、俳人。岡田内閣の法制局長官、林内閣の内閣書記官長、社団法人日本放送協会第4代会長、日本電信電話公社第2代総裁。現在の富山県高岡市出身。 | ||
東京大学出身 富山県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
12月19日生まれの人  1885年生まれの人  富山県出身の1885年生まれの人 | ||
325 | 米田稲介 富山県 高岡市 | Wikipedia未登録 |
俳人 |
石川県
326 | 喜多昭夫 石川県 金沢市 | Wikipedia |
喜多 昭夫(きた あきお、1963年1月10日 - )は歌人、俳人、文芸評論家。石川県文芸協会事務局長、石川県歌人協会幹事、つばさ短歌会主宰。 | ||
金沢大学出身 石川県出身の金沢大学の出身者 全国の金沢大学の出身者 | ||
1月10日生まれの人  1963年生まれの人  石川県出身の1963年生まれの人 | ||
327 | 坪野哲久 石川県 志賀町 | Wikipedia |
坪野哲久(つぼの てっきゅう、1906年9月1日-1988年11月9日)は、日本の歌人。本名、坪野久作。妻は歌人の山田あき。 | ||
東洋大学出身 石川県出身の東洋大学の出身者 全国の東洋大学の出身者 | ||
9月1日生まれの人  1906年生まれの人  石川県出身の1906年生まれの人 | ||
328 | 長沢美津 石川県 金沢市 | Wikipedia |
長沢 美津(長澤 美津、ながさわ みつ、女性、1905年11月14日 - 2005年4月26日)は、歌人、国文学者。 | ||
11月14日生まれの人  1905年生まれの人  石川県出身の1905年生まれの人 | ||
329 | 米山久 石川県 | Wikipedia |
米山 久(よねやま ひさ、1897年1月 - 1981年2月9日)は、日本の政治家。石川県出身の婦人運動家。歌人。衆議院議員(1期)。本名は米山 久子。 | ||
1897年生まれの人  石川県出身の1897年生まれの人 | ||
330 | 中西悟堂 石川県 | Wikipedia |
中西 悟堂(なかにし ごどう、1895年(明治28年)11月16日 - 1984年(昭和59年)12月11日)は、日本の野鳥研究家で歌人・詩人。文化功労者。天台宗僧侶。日本野鳥の会の創立者。本名は富嗣、悟堂は法名。他に筆名として赤吉(しゃくきち)。 | ||
駒澤大学出身 石川県出身の駒澤大学の出身者 全国の駒澤大学の出身者 | ||
11月16日生まれの人  1895年生まれの人  石川県出身の1895年生まれの人 | ||
331 | 尾山篤二郎 石川県 金沢市 | Wikipedia |
尾山 篤二郎(おやま とくじろう、1889年12月15日 - 1963年6月23日)は、日本の国文学者、歌人。 | ||
12月15日生まれの人  1889年生まれの人  石川県出身の1889年生まれの人 | ||
332 | 松宮寒骨 石川県 金沢市 | Wikipedia |
松宮 寒骨(まつみや かんこつ、1883年(明治16年)- 1968年(昭和43年)は、石川県出身の日本の俳人。広告研究家。本名および広告学では松宮三郎名義。 | ||
1883年生まれの人  石川県出身の1883年生まれの人 | ||
333 | 矢田挿雲 石川県 | Wikipedia |
矢田 挿雲(やだ そううん、1882年(明治15年)2月9日 - 1961年(昭和36年)12月13日)は、石川県金沢市出身の小説家、俳人。本名は義勝[2]。矢田插雲とも。 | ||
2月9日生まれの人  1882年生まれの人  石川県出身の1882年生まれの人 | ||
334 | 筏井竹の門 石川県 金沢市 | Wikipedia |
筏井 竹の門(いかだい たけのかど、1871年(明治4年)10月16日 - 1925年(大正14年)3月29日)は、石川県出身の日本の俳人、俳画家。別号に北雪、四石、此君、雪の村人、松杉窟など。旧姓は向田、本名は虎次郎。長男は歌人の筏井嘉一。 | ||
1871年生まれの人  石川県出身の1871年生まれの人 | ||
335 | 加賀千代女 石川県 白山市 | Wikipedia |
加賀千代女(かが の ちよじょ、1703年(元禄16年) - 1775年10月2日(安永4年9月8日))は、俳人。号は草風、法名は素園。千代、千代尼などとも呼ばれる。 | ||
1703年生まれの人  石川県出身の1703年生まれの人 | ||
336 | 茶谷霞畝 石川県 七尾市 | Wikipedia未登録 |
歌人 |
福井県
337 | 俵万智 福井県 越前市 | Wikipedia |
俵 万智(たわら まち、1962年12月31日 - )は、日本の歌人。本名同じ。結社「心の花」所属。所属事務所は東京コンサーツ。父は希土類磁石の研究者の俵好夫。 | ||
12月31日生まれの人  1962年生まれの人  福井県出身の1962年生まれの人 | ||
338 | 森田愛子 福井県 | Wikipedia |
森田 愛子(もりた あいこ、1917年 - 1947年)は、福井県坂井市三国町出身の俳人。高浜虚子の名作「虹」のヒロインとしても著名である。 | ||
9月27日生まれの人  1917年生まれの人  福井県出身の1917年生まれの人 | ||
339 | 多田裕計 福井県 | Wikipedia |
多田 裕計(ただ ゆうけい、1912年8月18日 - 1980年7月8日)は、日本の小説家・俳人。福井県福井市出身。 | ||
早稲田大学出身 福井県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
8月18日生まれの人  1912年生まれの人  福井県出身の1912年生まれの人 |
340 | 井上白文地 福井県 敦賀市 | Wikipedia |
井上 白文地(いのうえ はくぶんじ、1904年2月24日 - 1946年5月行方不明)は、福井県出身の俳人。出生名・岸本久七。敦賀生まれ。1906年、報恩寺住職の養子となり、井上隆證(りょうしょう)と改称。法華寺学林、第三高等学校を経て、1928年、京都大学文学部哲学科を卒業。その後関西大学、立命館大学などで講師として教鞭を取る。 | ||
2月24日生まれの人  1904年生まれの人  福井県出身の1904年生まれの人 | ||
341 | 皆吉爽雨 福井県 | Wikipedia |
皆吉 爽雨(みなよし そうう、1902年2月7日 - 1983年6月29日)は、福井県出身の俳人。本名・大太郎。福井市上宝永町に生まれ、丸岡町、三国町に育つ。福井中学校(現福井県立藤島高等学校)卒業。1919年、住友電気工業に入社。「ホトトギス」に投句し高浜虚子に師事する。1922年、「山茶花」創刊に参加。1936年、「山茶花」選者。1945年に上京、1946年に「雪解」を創刊・主宰。1967年、句集『三露』などの功績より第1回蛇笏賞受賞。1979年、勲四等旭日章受章。俳人協会副会長を務めた。 | ||
2月7日生まれの人  1902年生まれの人  福井県出身の1902年生まれの人 | ||
342 | 吉田正俊 福井県 | Wikipedia |
吉田 正俊(よしだ まさとし、1902年4月30日 - 1993年6月23日)は、歌人、実業家。 | ||
4月30日生まれの人  1902年生まれの人  福井県出身の1902年生まれの人 | ||
343 | 青柳菁々 福井県 | Wikipedia |
青柳菁々(あおやぎ せいせい 1901年7月16日 - 1957年1月1日)は、福井県福井市出身の俳人。講談社の月刊『現代』の編集記者を経て、新潮社に入社。『小説新潮』を創刊させる。1947年に独立し、近代出版社を創業。文芸書を中心とした書籍のほか月刊雑誌『文学の世界』を創刊、谷崎潤一郎、三島由紀夫らの作品を掲載した。 | ||
7月16日生まれの人  1901年生まれの人  福井県出身の1901年生まれの人 | ||
344 | 山川登美子 福井県 | Wikipedia |
山川登美子(やまかわ とみこ、1879年(明治12年)7月19日 - 1909年(明治42年)4月15日)は、歌人である。本名・とみ。 | ||
7月19日生まれの人  1879年生まれの人  福井県出身の1879年生まれの人 | ||
345 | 木崎雅興 福井県 小浜市 | Wikipedia未登録 |
歌人 |
山梨県
346 | 日原傳 山梨県 | Wikipedia |
日原 傳(ひはら つたえ、1959年(昭和34年) - )は、日本の俳人・中国文学研究家。山梨県に生まれる。1979年(昭和54年)、東大学生俳句会に入会し、小佐田哲男、有馬朗人、山口青邨の指導を仰ぐ。1984年(昭和59年)に東京大学文学部を卒業。1990年(平成2年)に有馬朗人主宰の「天為」の創刊に参加。1992年(平成4年)に同大学大学院人文科学研究科博士課程を単位修得後退学する。1999年(平成11年)に法政大学人間環境学部助教授、2003年(平成15年)に同大学同学部教授に就任する。 | ||
1959年生まれの人  山梨県出身の1959年生まれの人 | ||
347 | 秋山佐和子 山梨県 山梨市 | Wikipedia |
秋山 佐和子(あきやま さわこ、1947年6月15日 - )は、歌人、近代日本文学研究者。現代歌人協会理事。日本歌人クラブ中央幹事。 | ||
國學院大學出身 山梨県出身の國學院大學の出身者 全国の國學院大學の出身者 | ||
6月15日生まれの人  1947年生まれの人  山梨県出身の1947年生まれの人 | ||
348 | 望月たけし 山梨県 甲府市 | Wikipedia |
望月 たけし(もちづき たけし、1939年1月5日-)は俳人。山梨県甲府市生まれ。本名は望月毅。新俳句人連盟副会長。現代俳句協会会員。元「道標」同人会長。第5回新俳句人連盟賞、報徳文化賞、道標賞受賞。 | ||
1939年生まれの人  山梨県出身の1939年生まれの人 | ||
349 | 福田甲子雄 山梨県 南アルプス市 | Wikipedia |
福田 甲子雄(ふくだ きねお、1927年8月25日 - 2005年4月25日)は日本の俳人。 | ||
8月25日生まれの人  1927年生まれの人  山梨県出身の1927年生まれの人 | ||
350 | 飯田龍太 山梨県 | Wikipedia |
飯田 龍太(いいだ りゅうた、1920年(大正9年)7月10日 - 2007年(平成19年)2月25日)は、山梨県出身の俳人。飯田蛇笏の四男で、蛇笏を継ぎ俳誌「雲母」を主宰。戦後の俳壇において森澄雄とともに伝統俳句の中心的存在として活躍した。 | ||
國學院大學出身 山梨県出身の國學院大學の出身者 全国の國學院大學の出身者 | ||
7月10日生まれの人  1920年生まれの人  山梨県出身の1920年生まれの人 | ||
351 | 金子健造 山梨県 南アルプス市 | Wikipedia |
金子 健造(かねこ けんぞう、1915年9月8日 - 1988年7月14日)は、昭和時代日本の歌人。 | ||
9月8日生まれの人  1915年生まれの人  山梨県出身の1915年生まれの人 | ||
352 | 山崎方代 山梨県 | Wikipedia |
山崎 方代(やまざき ほうだい、1914年(大正3年)11月1日‐1985年(昭和60年)8月19日)は、日本の歌人。 | ||
11月1日生まれの人  1914年生まれの人  山梨県出身の1914年生まれの人 | ||
353 | 権藤はなよ 山梨県 韮崎市 | Wikipedia |
権藤 はなよ(ごんどう はなよ、1899年(明治32年)4月13日 - 1961年(昭和36年)11月3日)は、唱歌「たなばたさま」作詞者・童謡詩人。本名は権藤はなよ。結婚前は伊藤はなよの旧姓で作品を発表、結婚後はペンネーム権藤はな子を使っていた。平成20年頃までは、「権藤花代」という漢字名が使用されていたが、その後は本名の「権藤はなよ」が一般的になっている。実兄の伊藤生更はアララギ派の歌人であり、短歌結社「美知思波」を創立している。 | ||
1899年生まれの人  山梨県出身の1899年生まれの人 | ||
354 | 飯田蛇笏 山梨県 | Wikipedia |
飯田 蛇笏(いいだ だこつ、1885年(明治18年)4月26日 - 1962年(昭和37年)10月3日)は、山梨県出身の俳人。本名、飯田武治(いいだ たけはる)。別号に山廬(さんろ)。高浜虚子に師事、山梨の山村で暮らしつつ格調の高い句を作り、村上鬼城などとともに大正時代における「ホトトギス」隆盛期の代表作家として活躍した。俳誌「雲母」を主宰。四男の飯田龍太も高名な俳人である。 | ||
早稲田大学出身 山梨県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
4月26日生まれの人  1885年生まれの人  山梨県出身の1885年生まれの人 | ||
355 | 三井甲之 山梨県 | Wikipedia |
三井甲之(みつい こうし、1883年(明治16年)10月16日 - 1953年(昭和28年)4月3日)は、日本の文学者、歌人、右翼思想家。本名は甲之助。 | ||
10月16日生まれの人  1883年生まれの人  山梨県出身の1883年生まれの人 | ||
356 | 萩原元克 山梨県 山梨市 | Wikipedia |
萩原 元克(はぎわら もとえ、1749年12月14日(寛延2年11月5日) - 1805年8月3日(文化2年7月9日))は、日本の国学者、歌人、歌学研究者。「元克」は諱で、通称は徳兵衛、後に士譲。号は静斎、萩の屋。弟に萩原貫斎がいる。 | ||
12月14日生まれの人  1749年生まれの人  山梨県出身の1749年生まれの人 | ||
357 | 木喰 山梨県 身延町 | Wikipedia |
木喰(もくじき 1718年(享保3年)- 1810年7月6日(文化7年6月5日)は、江戸時代後期の仏教行者・仏像彫刻家・歌人。 | ||
1718年生まれの人  山梨県出身の1718年生まれの人 | ||
358 | 山口素堂 山梨県 | Wikipedia |
山口 素堂(やまぐち そどう、寛永19年5月5日(1642年6月1日) - 享保元年8月15日(1716年9月30日))は、江戸時代前期の俳人である。本名は信章。幼名は重五郎、通称は勘(官)兵衛、あるいは市右衛門。字は子普、公商。 | ||
359 | 神奈桃村 山梨県 山梨市 | Wikipedia未登録 |
歌人 |
360 | 佐野四郎 山梨県 南部町 | Wikipedia未登録 |
歌人。万沢村出身。 |
長野県
361 | 成沢未来 長野県 小布施町 | Wikipedia |
成沢 未来(なるさわ みらい、1986年4月23日 - )は、日本の歌人、エッセイスト日本歌人クラブ会員、「白夜」短歌会同人。 | ||
4月23日生まれの人  1986年生まれの人  長野県出身の1986年生まれの人 | ||
362 | 相子智恵 長野県 | Wikipedia |
相子 智恵(あいこ ちえ、1976年2月25日 - )は、長野県出身の俳人。長野県飯田市生まれ。1995年より小澤實に師事、2000年「澤」入会。2003年第3回澤新人賞、2005年第3回澤特別作品賞受賞。2009年『萵苣』50句で第55回角川俳句賞受賞。「北斎漫画ぽろぽろ人のこぼるる秋」「阿修羅三面互ひ見えずよ寒の内」のような古典的な素材を扱った諧謔味のある作品から、「冷やかや携帯電話耳照らす」などの現代的な素材、「にはとりのまぶた下よりとぢて冬」のような写生、「一滴の我一瀑を落ちにけり」のような雄大な句まで幅広い。俳人協会会員。信濃毎日新聞にて、郷土の俳人井上井月を追った「井月をめぐる旅」を連載。 | ||
2月25日生まれの人  1976年生まれの人  長野県出身の1976年生まれの人 | ||
363 | 小澤實 長野県 | Wikipedia |
小澤 實(おざわ みのる、1956年8月29日 - )は、日本の俳人、俳文学者。大学時代より「鷹」に所属し藤田湘子に師事。2000年に俳誌「澤」を創刊・主宰。本名・実。 | ||
成城大学出身 長野県出身の成城大学の出身者 全国の成城大学の出身者 | ||
8月29日生まれの人  1956年生まれの人  長野県出身の1956年生まれの人 | ||
364 | 海野碧 長野県 | Wikipedia |
海野 碧(うみの あお、1950年 - )は、日本の小説家、推理作家、歌人。 | ||
1950年生まれの人  長野県出身の1950年生まれの人 | ||
365 | 宮入聖 長野県 | Wikipedia |
宮入 聖(みやいり ひじり、1947年 - )は、日本の俳人。長野県生。父は人間国宝の刀匠宮入行平。 | ||
1947年生まれの人  長野県出身の1947年生まれの人 | ||
366 | 岩崎信子 長野県 茅野市 | Wikipedia |
岩崎 信子(いわさき のぶこ、1940年5月26日 - )は、日本のディレクター、プロデューサー、俳人、元アナウンサー。 | ||
5月26日生まれの人  1940年生まれの人  長野県出身の1940年生まれの人 | ||
367 | 奥村晃作 長野県 | Wikipedia |
奥村晃作(おくむら こうさく、1936年6月14日 - )は、歌人。歌誌「コスモス」選者。 | ||
6月14日生まれの人  1936年生まれの人  長野県出身の1936年生まれの人 | ||
368 | 矢島渚男 長野県 | Wikipedia |
矢島 渚男(やじま なぎさお、1935年1月24日 - )は、日本の俳人。本名は薫。 | ||
1月24日生まれの人  1935年生まれの人  長野県出身の1935年生まれの人 | ||
369 | 田井安曇 長野県 飯山市 | Wikipedia |
田井 安曇(たい あずみ、1930年2月19日 - 2014年11月2日)は日本の歌人。本名、我妻 泰(わがつま とおる)。ペンネームの安曇は安曇野よりとっているが出身は飯山市である。クリスチャン。 | ||
2月19日生まれの人  1930年生まれの人  長野県出身の1930年生まれの人 | ||
370 | 伊藤郁男 長野県 諏訪市 | Wikipedia |
伊藤 郁男(いとう いくお、1930年9月11日 - )は日本の政治家、俳人。元民社党参議院議員(1期)。長男は作家・ミュージシャンのいとうせいこう。 | ||
9月11日生まれの人  1930年生まれの人  長野県出身の1930年生まれの人 | ||
371 | 青柳志解樹 長野県 | Wikipedia |
青柳 志解樹(あおやぎ しげき、1929年1月24日 - )は、長野県出身の俳人。本名・青柳茂樹。長野県南佐久郡穂積村(現・佐久穂町)に生れる。旧制東京農業大学専門部卒業。 | ||
1月24日生まれの人  1929年生まれの人  長野県出身の1929年生まれの人 | ||
372 | 新井章 長野県 | Wikipedia |
新井 章(あらい あきら、1924年(大正13年)10月12日 - 2001年(平成13年)6月11日)は、日本の歌人、文芸評論家。 長野県生まれ。國學院大學卒。歌誌『水門』主宰。江戸川大学教授、1995年定年、名誉教授。新井正彦(1957年 - )は子。 | ||
10月12日生まれの人  1924年生まれの人  長野県出身の1924年生まれの人 | ||
373 | 藤岡改造 長野県 | Wikipedia |
藤岡改造(ふじおか かいぞう、1923年10月11日- )は、日本の作家、俳人。 長野県松本市生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)を経て旧制二松學舍専門学校卒。新制高等学校移行後の母校国語教師となった。号は筑邨。学校で飼っていた犬クロの世話役をしていた体験から、『職員会議に出た犬クロ』を執筆。ベストセラーとなり、2003年「さよなら、クロ」として映画化された。「信毎俳壇」「俳句四季」の選者。俳人協会評議員。[2] | ||
10月11日生まれの人  1923年生まれの人  長野県出身の1923年生まれの人 | ||
374 | 村松友次 長野県 | Wikipedia |
村松 友次(むらまつ ともつぐ、1921年(大正10年)1月30日 - 2009年(平成21年)3月16日)は、国文学者、俳人。 | ||
1月30日生まれの人  1921年生まれの人  長野県出身の1921年生まれの人 | ||
375 | 武川忠一 長野県 | Wikipedia |
武川 忠一(むかわ ちゅういち、1919年(大正8年)10月10日 - 2012年(平成24年)4月1日)は、日本の歌人。 | ||
早稲田大学出身 長野県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
10月10日生まれの人  1919年生まれの人  長野県出身の1919年生まれの人 | ||
376 | 福沢武一 長野県 伊那市 | Wikipedia |
福沢 武一(ふくざわ ぶいち、1914年1月12日 - 2003年5月15日)は、日本の歌人、万葉学者、日本語学者。専門は万葉集、方言。 | ||
1月12日生まれの人  1914年生まれの人  長野県出身の1914年生まれの人 | ||
377 | 林翔 長野県 | Wikipedia |
林 翔(はやし しょう、1914年1月24日 - 2009年11月9日)は、日本の俳人。長野県長野市生。 | ||
1月24日生まれの人  1914年生まれの人  長野県出身の1914年生まれの人 | ||
378 | 宮入行平 長野県 坂城町 | Wikipedia |
宮入行平(みやいり ゆきひら、1913年(大正2年)3月17日 - 1977年(昭和52年)11月24日)は、長野県坂城町の刀匠。本名は、宮入堅一。息子は俳人の宮入聖と刀匠の宮入恵(宮入小左衛門行平)。弟の宮入清宗、甥の宮入法廣も刀匠である。 | ||
23月17日生まれの人  1913年生まれの人  長野県出身の1913年生まれの人 | ||
379 | 太田青丘 長野県 塩尻市 | Wikipedia |
太田青丘(おおた せいきゅう、1909年8月28日 - 1996年11月15日)は、日本の歌人、漢文学者、法政大学名誉教授。 | ||
8月28日生まれの人  1909年生まれの人  長野県出身の1909年生まれの人 |
380 | 野村千春 長野県 | Wikipedia |
野村 千春(のむら ちはる、1908年(明治41年)4月6日 - 2000年(平成12年)2月12日)は、長野県岡谷市出身の洋画家である。夫は児童文学者、歌人の巽聖歌。結婚後、東京都日野市に居住し、創作活動を行なった。 | ||
4月6日生まれの人  1908年生まれの人  長野県出身の1908年生まれの人 | ||
381 | 相馬遷子 長野県 | Wikipedia |
相馬 遷子(そうま せんし、1908年10月15日 - 1976年1月19日)は、長野県出身の俳人、医師。本名・相馬富雄。東京帝国大学医学部卒。水原秋櫻子に俳句の指導を受け、1940年より「馬酔木」同人。1945年より同人会長。同時に1938年から「鶴」同人、石田波郷に兄事する。同年斎藤玄の斡旋で句集『草枕』を出版。故郷の自然を詠み堀口星眠、大島民郎などとともに馬酔木高原派と呼ばれたが、山本健吉は遷子の句に他の「高原派」にはない、「鶴」との関わりからくる境涯性を指摘している。以後の句集に『山国』(1956年。一般にはこれが第一句集とされている)、『雪嶺』(1969年)、『山河』(1976年)、『相馬遷子全句集』(1982年)がある。1969年、『雪嶺』で第9回俳人協会賞受賞。 | ||
10月15日生まれの人  1908年生まれの人  長野県出身の1908年生まれの人 | ||
382 | 金子金治郎 長野県 | Wikipedia |
金子 金治郎(かねこ きんじろう、1907年2月2日 - 1999年5月31日)は、日本の国文学者、広島大学名誉教授。中世国文学、連歌史専攻。ホトトギス系の俳人でもある。 | ||
広島大学出身 長野県出身の広島大学の出身者 全国の広島大学の出身者 | ||
2月2日生まれの人  1907年生まれの人  長野県出身の1907年生まれの人 | ||
383 | 栗生純夫 長野県 | Wikipedia |
栗生純夫 (くりう すみお、1904年4月20日 - 1961年1月17日)は、日本の俳人、小林一茶研究家。本名、神林新治。須坂市名誉市民。 | ||
4月20日生まれの人  1904年生まれの人  長野県出身の1904年生まれの人 | ||
384 | 五味保義 長野県 | Wikipedia |
五味 保義(ごみ やすよし、1901年8月31日 - 1982年5月27日)は、長野県下諏訪町出身の歌人、万葉学者である。 | ||
8月31日生まれの人  1901年生まれの人  長野県出身の1901年生まれの人 | ||
385 | 所三男 長野県 | Wikipedia |
所 三男(ところ みつお、1900年11月3日 - 1989年6月30日)は、歴史学者・歌人。 | ||
11月3日生まれの人  1900年生まれの人  長野県出身の1900年生まれの人 | ||
386 | 伊東月草 長野県 伊那市 | Wikipedia |
伊東 月草(いとう げっそう、1899年(明治32年)12月17日 - 1946年(昭和21年)12月4日)は、長野県出身の日本の俳人。本名は秀治(ひでじ)。 | ||
1899年生まれの人  長野県出身の1899年生まれの人 | ||
387 | 藤森朋夫 長野県 | Wikipedia |
藤森朋夫(ふじもり ともお、1898年7月18日-1969年8月29日)は、歌人、国文学者。 | ||
7月18日生まれの人  1898年生まれの人  長野県出身の1898年生まれの人 | ||
388 | 小口太郎 長野県 | Wikipedia |
小口太郎(おぐち たろう、1897年(明治30年)8月30日 - 1924年(大正13年)5月16日)は、長野県岡谷市生まれの科学者、歌人。第三高等学校、東京帝国大学理学部物理学科卒業後、同大学航空研究所入所。大学在学中に電信電話に関する発明をし、日本を始め諸外国に特許申請をし、許可を得ている。 | ||
8月30日生まれの人  1897年生まれの人  長野県出身の1897年生まれの人 | ||
389 | 土田耕平 長野県 | Wikipedia |
土田 耕平(つちだ こうへい、1895年(明治28年)6月10日 - 1940年(昭和15年)8月12日)は、日本の歌人、童話作家。 | ||
6月10日生まれの人  1895年生まれの人  長野県出身の1895年生まれの人 | ||
390 | 松井芒人 長野県 | Wikipedia |
松井 芒人(まつい ぼうじん、本名: 源衛、1895年1月25日 - 1980年12月27日)は、日本の歌人、教育者である。 | ||
信州大学出身 長野県出身の信州大学の出身者 全国の信州大学の出身者 | ||
1月25日生まれの人  1895年生まれの人  長野県出身の1895年生まれの人 | ||
391 | 栗林一石路 長野県 | Wikipedia |
栗林 一石路(くりばやし いっせきろ、1894年(明治27年)10月14日 - 1961年(昭和36年)5月25日)は、日本の俳人である。プロレタリア俳句運動の中心的存在としてだけでなく、小林一茶の評論研究家としても知られる。本名は栗林農夫(くりばやしたみお)。 | ||
10月14日生まれの人  1894年生まれの人  長野県出身の1894年生まれの人 | ||
392 | 小穴隆一 長野県 | Wikipedia |
小穴 隆一(おあな りゅういち、1894年11月28日 - 1966年4月24日)は、日本の洋画家、随筆家、俳人。俳号は一游亭。 | ||
11月28日生まれの人  1894年生まれの人  長野県出身の1894年生まれの人 | ||
393 | 久米正雄 長野県 | Wikipedia |
久米 正雄(くめ まさお、1891年(明治24年)11月23日 - 1952年(昭和27年)3月1日 )は、日本の小説家、劇作家、俳人。俳号は三汀(さんてい)。“微苦笑”という語の発明者として有名。永井龍男は義弟(永井の妻が、久米の妻の妹)。息子の久米昭二はNHKの演芸番組のディレクターとなり、女優音羽美子と結婚した。 | ||
東京大学出身 長野県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
11月23日生まれの人  1891年生まれの人  長野県出身の1891年生まれの人 | ||
394 | 今井邦子 長野県 下諏訪町 | Wikipedia |
今井 邦子(いまい くにこ、明治23年(1890年)5月31日 - 昭和23年(1948年)7月15日、旧姓山田、本名くにえ)は、徳島市出身の「アララギ」の歌人、小説家。後に短歌誌「明日香」を創刊した。元通産省事務次官の両角良彦は甥にあたる。 | ||
5月31日生まれの人  1890年生まれの人  長野県出身の1890年生まれの人 | ||
395 | 金原省吾 長野県 茅野市 | Wikipedia |
金原 省吾(きんばら せいご、1888年〈明治21年〉9月1日 - 1958年〈昭和33年〉8月2日)は、日本の美学者、美術史学者。昭和期の歌人 帝国美術学校教授。旧姓は河西。 | ||
1888年生まれの人  長野県出身の1888年生まれの人 | ||
396 | 若山喜志子 長野県 塩尻市 | Wikipedia |
若山 喜志子(わかやま きしこ、1888年5月28日 - 1968年8月19日)は日本の歌人。若山牧水の妻。旧姓は太田。本名は喜志。妹の潮みどりも歌人。 | ||
5月28日生まれの人  1888年生まれの人  長野県出身の1888年生まれの人 | ||
397 | 四賀光子 長野県 | Wikipedia |
四賀光子(しが みつこ、1885年4月21日 - 1976年3月23日)は、歌人。本名は有賀みつ。夫は太田水穂。「四賀」は父の出身地諏訪郡四賀村から。 | ||
4月21日生まれの人  1885年生まれの人  長野県出身の1885年生まれの人 | ||
398 | 田中弥助 長野県 | Wikipedia |
田中 弥助(たなか やすけ、1883年3月6日 - 1943年10月9日)は日本の出版実業家、俳人、衆議院議員(民政党)。雅号は美穂(びすい)。 | ||
3月6日生まれの人  1883年生まれの人  長野県出身の1883年生まれの人 | ||
399 | 森山汀川 長野県 富士見町 | Wikipedia |
森山 汀川(もりやま ていせん、1880年9月30日 - 1946年9月17日)は、日本の歌人。本名:森山 藤一。 | ||
9月30日生まれの人  1880年生まれの人  長野県出身の1880年生まれの人 |
400 | 臼田亞浪 長野県 | Wikipedia |
臼田 亞浪(うすだ あろう、1879年(明治12年)2月1日 - 1951年(昭和26年)11月11日)は日本の俳人。本名は臼田卯一郎(ういちろう)。 | ||
明治大学出身 長野県出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
2月1日生まれの人  1879年生まれの人  長野県出身の1879年生まれの人 | ||
401 | 斎藤瀏 長野県 | Wikipedia |
斎藤 瀏(さいとう りゅう、1879年4月16日 - 1953年7月5日)は、日本の陸軍軍人、歌人。同じく歌人の斎藤史は長女。 | ||
4月16日生まれの人  1879年生まれの人  長野県出身の1879年生まれの人 | ||
402 | 窪田空穂 長野県 | Wikipedia |
窪田 空穂(くぼた うつぼ、1877年(明治10年)6月8日 - 1967年(昭和42年)4月12日)は、日本の歌人、国文学者。日本芸術院会員。本名は窪田 通治。息子に、同じく歌人の窪田章一郎がいる。 | ||
早稲田大学出身 長野県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
6月8日生まれの人  1877年生まれの人  長野県出身の1877年生まれの人 | ||
403 | 太田水穂 長野県 | Wikipedia |
太田 水穂(おおた みずほ、1876年(明治9年)12月9日 - 1955年(昭和30年)1月1日)は、日本の歌人、国文学者。本名は太田貞一、別号・みづほのや。 | ||
信州大学出身 長野県出身の信州大学の出身者 全国の信州大学の出身者 | ||
12月9日生まれの人  1876年生まれの人  長野県出身の1876年生まれの人 | ||
404 | 島木赤彦 長野県 | Wikipedia |
島木 赤彦(しまき あかひこ、1876年(明治9年)12月16日 - 1926年(大正15年)3月27日)は、明治・大正時代のアララギ派歌人。本名は久保田俊彦。別号、柿乃村人。 | ||
信州大学出身 長野県出身の信州大学の出身者 全国の信州大学の出身者 | ||
12月17日生まれの人  1876年生まれの人  長野県出身の1876年生まれの人 | ||
405 | 桃澤如水 長野県 | Wikipedia |
桃澤 如水(ももざわ にょすい、1873年(明治6年)1月14日 - 1906年(明治39年)8月29日)は、歌人で日本画家。本名は桃澤 重治(ももざわ しげはる)、画名は如水(にょすい)または桃画史(とうがし)、歌名を茂春(もしゅん)といい、筆名を三六、三六軒、子脩(ししゅう)などと称した。その祖に江戸時代中期の歌人である桃澤夢宅がいる。 | ||
1月14日生まれの人  1873年生まれの人  長野県出身の1873年生まれの人 | ||
406 | 藤森桂谷 長野県 安曇野市 | Wikipedia |
藤森 桂谷(ふじもり けいこく、1835年10月6日 - 1905年7月26日)は、南画の画家、歌人、啓蒙家。現在の長野県安曇野市出身。 | ||
10月6日生まれの人  1835年生まれの人  長野県出身の1835年生まれの人 | ||
407 | 高島章貞 長野県 安曇野市 | Wikipedia |
高島 章貞(たかしま しょうてい/あきさだ、1804年 - 1869年)は、江戸時代の医師、桂園派歌人、幕末の志士。幼名を挹武、字を以徳、歌人としては星園と号した。 | ||
1804年生まれの人  長野県出身の1804年生まれの人 | ||
408 | 内山真弓 長野県 池田町 | Wikipedia |
内山 真弓(うちやま まゆみ、天明6年(1786年) - 嘉永5年5月28日(1852年7月15日))は江戸時代後期の国学者、歌人。諱は国章、通称は理兵衛。別号に眉生、聚芳園。 | ||
1786年生まれの人  長野県出身の1786年生まれの人 | ||
409 | 久保田春耕 長野県 高山村 | Wikipedia |
久保田 春耕(くぼた しゅんこう、安永3年(1774年) - 嘉永3年(1850年))は、江戸時代の豪農、俳人。名は重右衛門(6代目)、本名は光豊。春耕は俳号。 | ||
1744年生まれの人  長野県出身の1744年生まれの人 | ||
410 | 加舎白雄 長野県 上田市 | Wikipedia |
加舎 白雄(かや しらお、元文3年8月20日(1738年10月3日) - 寛政3年9月13日(1791年10月10日))は、江戸時代の俳人。諱は吉春・競、通称は五郎吉、別号は昨鳥・春秋庵・白尾坊、露柱庵など多数。父の祖母方の姓をとって「平田忠次郎」と名乗ったこともある。 与謝蕪村、大島蓼太などと共に中興五傑及び天明の六俳客の一人。鴫立庵の庵主。 | ||
10月3日生まれの人  1738年生まれの人  長野県出身の1738年生まれの人 | ||
411 | 久保田兎 長野県 高山村 | Wikipedia |
久保田 兎園(くぼた とえん、享保6年(1721年) - 寛政12年5月1日(1800年6月11日))は、高井野藩紫組(長野県高山村)の大地主、俳人。名は重右衛門(5代目)、本名は光良。兎園は俳号。高井野の俳句結社「高井野連」の中心的人物。兎園の娘婿の久保田春耕は、小林一茶の門人。 | ||
1721年生まれの人  長野県出身の1721年生まれの人 | ||
412 | 大島蓼太 長野県 飯島町 | Wikipedia |
大島 蓼太(おおしま りょうた、享保3年(1718年) - 天明7年9月7日(1787年10月17日))は、江戸時代の俳人。本姓は吉川。諱は陽喬、通称は平助、雅号は雪中庵、里席、宜来、老鳥、豊来、空摩など多数。与謝蕪村、加舎白雄などと共に中興五傑の一人。 | ||
1718年生まれの人  長野県出身の1718年生まれの人 | ||
413 | 瀬下敬忠 長野県 佐久市 | Wikipedia |
瀬下敬忠(せじも のぶただ、宝永6年(1709年) - 寛政元年6月4日(1789年6月26日))は江戸時代の地方史家、俳人。幼名は猪之助、通称は園右衛門。号は玉芝、鶴巣、子信、南軒、極月楼、樵路庵など多数。『四鄰譚藪』の吉沢好謙、『信濃奇勝録』の井出道貞とともに、佐久の三大郷土史家と並び称される。俳諧の他にも、和歌、書画、謡曲、蹴鞠などの諸芸に通ずる。 | ||
1709年生まれの人  長野県出身の1709年生まれの人 | ||
414 | 金田千鶴 長野県 泰阜村 | Wikipedia未登録 |
アララギ派の歌人 | ||
415 | 伊藤松宇 長野県 | Wikipedia |
伊藤松宇(いとう しょうう、安政6年10月18日(1859年11月12日) - 昭和18年(1943年)3月25日)は俳人、古書収集家である。別号は雪操居。 |
岐阜県
416 | 野口あや子 岐阜県 | Wikipedia |
野口 あや子(のぐち あやこ、1987年5月23日 - )は、歌人。 | ||
愛知淑徳大学出身 岐阜県出身の愛知淑徳大学の出身者 全国の愛知淑徳大学の出身者 | ||
5月23日生まれの人  1987年生まれの人  岐阜県出身の1987年生まれの人 | ||
417 | 澤村斉美 岐阜県 | Wikipedia |
澤村 斉美(さわむら まさみ、1979年5月7日 - )は、歌人。岐阜県岐阜市出身。「塔」短歌会所属。 | ||
5月7日生まれの人  1979年生まれの人  岐阜県出身の1979年生まれの人 | ||
418 | 大島史洋 岐阜県 | Wikipedia |
大島 史洋(おおしま しよう、1944年7月24日 - )は、歌人。本名読み、ふみひろ。岐阜県中津川市出身。歌誌「未来」選者・運営委員長。歌人としての実作活動のみならず、「未来」誌の編集実務を取り仕切る編集者としても活躍。マガジンハウスで「鳩よ!」などの編集長を務めた大島一洋は兄。 | ||
7月24日生まれの人  1944年生まれの人  岐阜県出身の1944年生まれの人 | ||
419 | 黒田淑子 岐阜県 | Wikipedia |
黒田 淑子(くろだ よしこ、1929年(昭和4年) - )は、日本の歌人。岐阜県生まれ。第一歌集『丘の外燈』は、繊細な感覚の働いた抒情性の高い作品を特色とする。佐藤佐太郎の純粋短歌論に立脚しながら詩情を中心に据えた作歌活動を今日まで続けている。また、女子受刑者に対する短歌指導を長年続けており、藍綬褒章などを受章している。 | ||
1929年生まれの人  岐阜県出身の1929年生まれの人 |
420 | 小川双々子 岐阜県 | Wikipedia |
小川 双々子(おがわ そうそうし、本名:小川二郎 (おがわ じろう)、 1922年9月13日 - 2006年1月17日)は、俳人。 | ||
9月13日生まれの人  1922年生まれの人  岐阜県出身の1922年生まれの人 | ||
421 | 森有一 岐阜県 | Wikipedia |
森 有一(もり ゆういち、1898年4月13日 - 1984年10月30日)は、岐阜県出身の日本画家・俳人。新しき村会員。 | ||
4月13日生まれの人  1898年生まれの人  岐阜県出身の1898年生まれの人 | ||
422 | 瀧井孝作 岐阜県 | Wikipedia |
瀧井 孝作(たきい こうさく、1894年(明治27年)4月4日 - 1984年(昭和59年)11月21日)は、日本の小説家、俳人。俳句を河東碧梧桐に師事し、小説を芥川龍之介、志賀直哉に兄事した。文化功労者。 | ||
4月4日生まれの人  1894年生まれの人  岐阜県出身の1894年生まれの人 | ||
423 | 塩谷鵜平 岐阜県 岐阜市 | Wikipedia |
塩谷 鵜平(えんや うへい、1877年(明治10年)5月30日 - 1940年(昭和15年)12月8日)は、岐阜県稲葉郡鏡島村(現在の岐阜市)出身の日本の俳人。本名は熊蔵、のちに宇平。別号に芋坪舎、華園など。農業。 | ||
1877年生まれの人  岐阜県出身の1877年生まれの人 | ||
424 | 田中道麿 岐阜県 養老町 | Wikipedia |
田中道麿(たなか みちまろ、享保9年(1724年) - 天明4年10月4日(1784年11月16日))は江戸時代中期の国学者、歌人。幼名は茂七。通称は庄兵衛。晩年は榛木翁(はりのきのおじ)と号した。法号は道全。諡号は言霊有功老翁(ことだまいさおのおじ)。 | ||
1724年生まれの人  岐阜県出身の1724年生まれの人 | ||
425 | 下田歌子 岐阜県 恵那市 | Wikipedia |
下田 歌子(しもだ うたこ、出生名:平尾 鉐(ひらお・せき)、安政元年8月9日(1854年9月30日) - 昭和11年(1936年)10月8日)は、日本の明治から大正期にかけて活躍した教育者・歌人。女子教育の先覚者。美濃国恵那郡岩村(現在の岐阜県恵那市)出身。 | ||
二松學舍大学出身 岐阜県出身の二松學舍大学の出身者 全国の二松學舍大学の出身者 |
静岡県
426 | 恩田侑布子 静岡県 静岡市 | Wikipedia |
恩田 侑布子(おんだ ゆうこ、1956年9月17日 - )は、俳人。静岡県静岡市出身。 | ||
早稲田大学出身 静岡県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
9月17日生まれの人  1956年生まれの人  静岡県出身の1956年生まれの人 | ||
427 | 八木健 静岡県 吉田町 | Wikipedia |
八木 健(やぎ・けん/やぎ・たけし、1940年2月19日 - )は、俳人で、元NHKアナウンサー。 | ||
2月19日生まれの人  1940年生まれの人  静岡県出身の1940年生まれの人 | ||
428 | 冨士真奈美 静岡県 清水町 | Wikipedia |
冨士 眞奈美(ふじ まなみ、本名;岩崎 真奈美、1938年1月15日 - )は、女優・随筆家・俳人。血液型はA型。ラヴァンス所属。 | ||
1月15日生まれの人  1938年生まれの人  静岡県出身の1938年生まれの人 | ||
429 | 江國滋 静岡県 静岡市 | Wikipedia |
江國 滋(えくに しげる、1934年8月14日 - 1997年8月10日)は、東京出身の演芸評論家、エッセイスト、俳人。俳号は滋酔郎。 | ||
慶應義塾大学出身 静岡県出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
8月14日生まれの人  1934年生まれの人  静岡県出身の1934年生まれの人 | ||
430 | 村越化石 静岡県 藤枝市 | Wikipedia |
村越 化石(むらこし かせき、1922年12月17日 - 2014年3月8日)は、静岡県出身の俳人。本名・英彦(ひでひこ)。ハンセン病とその後遺症と闘いながら句作を続け「魂の俳人」と呼ばれた。 | ||
12月17日生まれの人  1922年生まれの人  静岡県出身の1922年生まれの人 | ||
431 | 大岡博 静岡県 静岡市 | Wikipedia |
大岡 博(おおおか ひろし、1907年3月9日 - 1981年10月1日)は、日本の歌人。 | ||
3月9日生まれの人  1907年生まれの人  静岡県出身の1907年生まれの人 | ||
432 | 海野厚 静岡県 静岡市 | Wikipedia |
海野 厚(うんの あつし、1896年8月12日 - 1925年5月20日)は、童謡作家、俳人。本名は厚一(こういち)。俳号は長頸子(ちょうけいし)。 | ||
早稲田大学出身 静岡県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
8月12日生まれの人  1896年生まれの人  静岡県出身の1896年生まれの人 | ||
433 | 若山牧水 静岡県 沼津市 | Wikipedia |
若山 牧水(わかやま ぼくすい、1885年(明治18年)8月24日 - 1928年(昭和3年)9月17日)は、戦前日本の歌人。本名・繁(しげる)。 | ||
1885年生まれの人  静岡県出身の1885年生まれの人 | ||
434 | 加藤雪腸 静岡県 牧之原市 | Wikipedia |
加藤 雪腸(かとう せっちょう、1875年(明治8年)1月2日 - 1932年(昭和7年)11月24日)は、静岡県出身の日本の俳人。別号に清白之舎、千里坊など。本名は孫平。 | ||
81月2日生まれの人  1875年生まれの人  静岡県出身の1875年生まれの人 | ||
435 | 栗田土満 静岡県 菊川市 | Wikipedia |
栗田 土満(くりた ひじまろ、元文2年(1737年) - 文化8年7月8日(1811年8月26日))は、日本の国学者、歌人。号は岡廼舎(おかのや)。 | ||
1737年生まれの人  静岡県出身の1737年生まれの人 | ||
436 | 賀茂真淵 静岡県 浜松市 | Wikipedia |
賀茂 真淵(かも の まぶち)は、江戸時代中期の国学者、歌人。通称三四。真淵は出生地の敷智(ふち)郡にちなんだ雅号で、淵満(ふちまろ)とも称した。 | ||
437 | 後藤薫平 静岡県 掛川市 | Wikipedia未登録 |
歌人 | ||
438 | 八木美穂 静岡県 掛川市 | Wikipedia未登録 |
国学者、歌人 | ||
439 | 冨士眞奈美 静岡県 清水町 | Wikipedia |
冨士 眞奈美(ふじ まなみ、本名;岩崎 真奈美 )は、女優・随筆家・俳人。血液型はA型。アンテーヌ所属。俳号は衾去(きんきょ)。 |
愛知県
440 | 荻原裕幸 愛知県 名古屋市 | Wikipedia |
荻原 裕幸(おぎはら ひろゆき、1962年8月24日 - )は、日本の歌人。 | ||
8月24日生まれの人  1962年生まれの人  愛知県出身の1962年生まれの人 | ||
441 | 加藤孝男 愛知県 岡崎市 | Wikipedia |
加藤 孝男(かとう たかお、1960年11月20日 - )は、日本の歌人、身体哲学研究者。東海学園大学教授。歌誌「まひる野」所属。 | ||
11月20日生まれの人  1960年生まれの人  愛知県出身の1960年生まれの人 | ||
442 | 加藤治郎 愛知県 名古屋市 | Wikipedia |
加藤 治郎(かとう じろう、1959年11月15日 - )は、日本の歌人。歌誌「未来」選者。 | ||
11月15日生まれの人  1959年生まれの人  愛知県出身の1959年生まれの人 | ||
443 | 松平盟子 愛知県 岡崎市 | Wikipedia |
松平 盟子(まつだいら めいこ、1954年7月24日 - )は、愛知県岡崎市生まれの歌人。 | ||
7月24日生まれの人  1954年生まれの人  愛知県出身の1954年生まれの人 | ||
444 | 栗木京子 愛知県 名古屋市 | Wikipedia |
栗木 京子(くりき きょうこ、本名:中原 京子(旧姓・山本)、1954年10月23日 - )は、日本の歌人。栗木は母方の姓。 | ||
10月23日生まれの人  1954年生まれの人  愛知県出身の1954年生まれの人 | ||
445 | 加古宗也 愛知県 西尾市 | Wikipedia |
加古 宗也(かこ そうや、1945年9月5日- )は、俳人。 | ||
9月5日生まれの人  1945年生まれの人  愛知県出身の1945年生まれの人 | ||
446 | 春日井建 愛知県 江南市 | Wikipedia |
春日井 建(かすがい けん、1938年12月20日 - 2004年5月22日)は、日本の歌人。父・春日井瀇、母・春日井政子はともに太田水穂に師事した歌人であり、建も実質「潮音」系と云える。作家・ゲームデザイナーの小太刀右京は大甥にあたる。第99回 全国高校野球選手権大会(甲子園)に出場した早稲田佐賀高等学校の春日井湧も大甥。大姪の春日井美月は第68回全国高等学校スキー大会(インターハイ)アルペン大回転に出場した。 | ||
12月20日生まれの人  1938年生まれの人  愛知県出身の1938年生まれの人 | ||
447 | 岡井隆 愛知県 名古屋市 | Wikipedia |
岡井 隆(おかい たかし、1928年(昭和3年)1月5日 - )は、日本の歌人・詩人・文芸評論家。未来短歌会発行人。日本藝術院会員。塚本邦雄、寺山修司とともに前衛短歌の三雄の一人。 | ||
31月5日生まれの人  1928年生まれの人  愛知県出身の1928年生まれの人 | ||
448 | 山中智恵子 愛知県 名古屋市 | Wikipedia |
山中 智恵子(やまなか ちえこ、1925年5月4日 - 2006年3月9日)は日本の歌人。 | ||
5月4日生まれの人  1925年生まれの人  愛知県出身の1925年生まれの人 | ||
449 | 石川恒夫 愛知県 みよし市 | Wikipedia |
石川 恒夫(いしかわ つねお、1919年2月16日 - 2011年2月27日)は、愛知県西加茂郡三好村(現・みよし市)出身の実業家・歌人。中京テレビ放送社長・会長。2011年(平成23年)に「石川家住宅」はみよし市指定有形文化財(建造物)に指定された。 | ||
2月16日生まれの人  1919年生まれの人  愛知県出身の1919年生まれの人 | ||
450 | 太田絢子 愛知県 江南市 | Wikipedia |
太田 絢子(おおた あやこ、1916年3月17日 - 2009年10月31日)は、歌人。太田青丘の妻。旧姓近藤。 | ||
3月17日生まれの人  1916年生まれの人  愛知県出身の1916年生まれの人 | ||
451 | 高屋窓秋 愛知県 名古屋市 | Wikipedia |
高屋 窓秋(たかや そうしゅう、1910年2月14日 - 1999年1月1日)は、俳人。本名正国(まさくに)。従来の写生主義、花鳥諷詠の俳句から離れた句作を行い、昭和初期の新興俳句運動に大きな影響を与えた。代表句に「頭の中で白い夏野となつている」「ちるさくら海あをければ海へちる」「山鳩よみればまはりに雪がふる」など。 | ||
2月14日生まれの人  1910年生まれの人  愛知県出身の1910年生まれの人 | ||
452 | 影山正治 愛知県 豊橋市 | Wikipedia |
影山 正治(かげやま まさはる、1910年(明治43年)6月12日 - 1979年(昭和54年)5月25日)は、日本の右翼活動家、思想家、歌人。 | ||
國學院大學出身 愛知県出身の國學院大學の出身者 全国の國學院大學の出身者 | ||
6月12日生まれの人  1910年生まれの人  愛知県出身の1910年生まれの人 | ||
453 | 和達清夫 愛知県 名古屋市 | Wikipedia |
和達 清夫(わだち きよお、1902年(明治35年)9月8日 - 1995年(平成7年)1月5日)は、愛知県生まれの地球物理学者、歌人。専門は気象学、地震学。地震のエネルギーを現すマグニチュードは、和達の研究がヒントになって作られたものである。また深発地震を発見したことでも知られ、和達-ベニオフ帯に和達の名が今も残っている。子に物理学者・和達三樹がいる。 | ||
9月8日生まれの人  1902年生まれの人  愛知県出身の1902年生まれの人 | ||
454 | 富安風生 愛知県 豊川市 | Wikipedia |
富安 風生(とみやす ふうせい、1885年(明治18年)4月16日 - 1979年(昭和54年)2月22日)は、愛知県出身の俳人。本名は謙次。高浜虚子に師事。逓信省に勤めながら俳誌「若葉」を主宰。温和な作風で知られた。 | ||
東京大学出身 愛知県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
4月16日生まれの人  1885年生まれの人  愛知県出身の1885年生まれの人 | ||
455 | 鈴木花蓑 愛知県 半田市 | Wikipedia |
鈴木花蓑(すずき はなみの、1881年(明治14年)12月1日 - 1942年(昭和18年)11月6日)は愛知県出身の俳人、大審院書記。本名は鈴木喜一郎(きいちろう)。 | ||
1881年生まれの人  愛知県出身の1881年生まれの人 | ||
456 | 沼波瓊音 愛知県 名古屋市 | Wikipedia |
沼波 瓊音(ぬなみ けいおん、1877年10月1日 - 1927年7月19日)は、明治・大正期の国文学者・俳人・右翼。本名は武夫(たけお)。名古屋市出身。 | ||
10月1日生まれの人  1877年生まれの人  愛知県出身の1877年生まれの人 | ||
457 | 岡田撫琴 愛知県 岡崎市 | Wikipedia |
岡田撫琴(おかだ ぶきん、1873年 - 1940年5月10日)は、日本の新聞社経営者、出版人、俳人。1915年(大正4年)開催の「家康忠勝両公三百年祭」を実行面で取りしきった。近代岡崎市の文化発展に寄与した人物の一人。 | ||
1873年生まれの人  愛知県出身の1873年生まれの人 | ||
458 | 糟谷磯丸 愛知県 田原市 | Wikipedia |
糟谷 磯丸(かすや いそまる、1764年6月2日(宝暦14年5月3日) - 1848年6月3日(嘉永元年5月3日))は、日本の歌人。「無筆の歌よみ」として知られる江戸時代後期の漁夫歌人である。別名は貞良、磯麿、通称は新之丞、半之丞。 | ||
6月2日生まれの人  1764年生まれの人  愛知県出身の1764年生まれの人 | ||
459 | 千里亭芝石 愛知県 名古屋市 | Wikipedia |
千里亭芝石(せんりてい しじゃく、? - 嘉永元年3月20日(1848年4月23日))は江戸時代後期の俳人。尾張狂俳の中興の祖とされる。苗字は西川、通称は官次(郎)。別号は福田庵、帯月庵。名は吉陣とされるが、龍潭寺に文化元年(1804年)5月26日銘の西川官次郎吉陣墓があり、疑いを有する。 | ||
3月20日生まれの人  1193年生まれの人  愛知県出身の1193年生まれの人 |
460 | 彭城百川 愛知県 名古屋市 | Wikipedia |
彭城 百川(さかき ひゃくせん、元禄10年10月28日(1697年12月11日) - 宝暦2年8月25日(1752年10月2日))は、江戸時代中期の南画家。服部南郭、祇園南海、柳沢淇園とともに日本南画の祖であり、日本で初めて本格的な中国南宗画様式による山水画を描いた画家とされる。画人として法橋に叙されている。また俳人としても活躍した。 | ||
10月28日生まれの人  10年生まれの人  愛知県出身の10年生まれの人 | ||
461 | 八木喜平 愛知県 田原市 | Wikipedia未登録 |
アララギ歌人 | ||
462 | 井上士朗 愛知県 名古屋市 | Wikipedia |
井上 士朗(いのうえ しろう)は江戸時代後期の俳人、医師。医師として活動する傍ら、加藤暁台門下で俳諧活動を行い、暁台の死後は名古屋の俳壇を主導した。 | ||
463 | 横井也有 愛知県 名古屋市 | Wikipedia |
横井 也有(よこい やゆう)は、江戸時代の武士、国学者、俳人。 |
三重県
464 | 大辻隆弘 三重県 松阪市 | Wikipedia |
大辻 隆弘(おおつじ たかひろ、1960年8月25日 - )は、歌人、高校教諭(国語科)。現代歌人協会会員、現代歌人集会理事、日本文藝家協会会員、中部日本歌人会副委員長、三重県歌人クラブ委員長、『未来』選者、同人誌「レ・パピエ・シアン・Ⅱ」代表、元皇學館大学講師。現三重県立津西高等学校国語科教諭。 | ||
8月25日生まれの人  1960年生まれの人  三重県出身の1960年生まれの人 | ||
465 | 倉阪鬼一郎 三重県 伊賀市 | Wikipedia |
倉阪 鬼一郎(くらさか きいちろう、1960年1月28日 – )は、小説家、評論家、俳人、翻訳家。三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。三重県立上野高等学校、早稲田大学第一文学部文芸科卒業。早稲田大学大学院日本文学専攻中退。環境経済学者の倉阪秀史は実弟。名字を「倉坂」と誤記されることが多い。 | ||
早稲田大学出身 三重県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
1月28日生まれの人  1960年生まれの人  三重県出身の1960年生まれの人 | ||
466 | 李正子 三重県 伊賀市 | Wikipedia |
李 正子(이정자、1947年3月3日 - )は、三重県伊賀市出身の在日コリアン二世の女性歌人である。未来短歌会所属。最終学歴は三重県立上野高等学校卒業。 | ||
3月3日生まれの人  1947年生まれの人  三重県出身の1947年生まれの人 | ||
467 | 前川辰男 三重県 四日市市 | Wikipedia |
前川辰男(まえかわ たつお、1920年(大正9年)- )は、三重県の地方議員。四日市市議会議員を7期務める。昭和56年5月15日から ~昭和57年5月18日まで四日市市議会議長を務める。三重県四日市市(塩浜地区)出身。高花平(新興住宅団地)連合自治会長。一志郡(久居市)生まれ。日本社会党所属。四日市ぜんそくで四日市コンビナート企業と九鬼喜久男四日市市長を糾弾して、塩浜地区の公害患者の味方となり公害対策に貢献した。環境運動家。日本自然保護協会会員。ナチュラリスト。俳人や本の執筆者として活躍した文化人である。 | ||
1920年生まれの人  三重県出身の1920年生まれの人 | ||
468 | 橋本鶏二 三重県 伊賀市 | Wikipedia |
橋本 鶏二(はしもと けいじ、1907年11月25日 - 1990年10月2日)は、日本の昭和期の俳人、エッセイスト。三重県伊賀市(旧上野市)小田に生まれる。本名、秀雄(ひでお)。高浜虚子に師事。俳誌「年輪」を主幹し、数多くの門人を育てた。俳人協会元顧問。三重県民功労者。 | ||
11月25日生まれの人  1907年生まれの人  三重県出身の1907年生まれの人 | ||
469 | 生方たつゑ 三重県 伊勢市 | Wikipedia |
生方 たつゑ(うぶかた たつえ、1905年2月23日 - 2000年1月18日)は、歌人。沼田市名誉市民。 | ||
2月23日生まれの人  1905年生まれの人  三重県出身の1905年生まれの人 | ||
470 | 稲森宗太郎 三重県 名張市 | Wikipedia |
稲森 宗太郎(いなもり そうたろう、1901年(明治34年)7月12日 - 1930年(昭和5年)4月15日)は、三重県名張市出身の歌人。 | ||
1901年生まれの人  三重県出身の1901年生まれの人 | ||
471 | 嶋田的浦 三重県 志摩市 | Wikipedia |
嶋田 的浦(しまだ てきほ、1893年1月22日 - 1950年4月11日[2])は日本の俳人。本名は襄。三重県志摩郡的矢村大字的矢(現在の志摩市磯部町的矢)出身。的浦の号は、故郷・的矢が小さな港(浦)を成していることにちなんでいる[2]。 | ||
1月22日生まれの人  1893年生まれの人  三重県出身の1893年生まれの人 | ||
472 | 嶋田青峰 三重県 志摩市 | Wikipedia |
嶋田 青峰(しまだ せいほう、1882年3月8日 - 1944年5月31日)は、日本の俳人・翻訳家・新聞記者・教員。三重県答志郡[注 1]的矢村(現在の三重県志摩市磯部町的矢)出身。本名は賢平。姓の「しまだ」は「嶋田」と書くのが正式であるが、一般に「島田」の表記も用いられる。俳号の青峰は、故郷の山・青峰山(あおのみねさん、標高336m)に由来する[2]。 | ||
早稲田大学出身 三重県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
3月8日生まれの人  1882年生まれの人  三重県出身の1882年生まれの人 | ||
473 | 伊藤平治郎 三重県 四日市市 | Wikipedia |
伊藤 平治郎(いとう へいじろう、1880年(明治13年)5月18日 - 1941年(昭和16年)1月三重県三重郡富洲原町(現在の四日市市富洲原地区)富田一色出身の政治家・実業家・歌人。 | ||
1880年生まれの人  三重県出身の1880年生まれの人 | ||
474 | 熊澤一衛 三重県 四日市市 | Wikipedia |
熊澤 一衛(くまざわ いちえ) 1877年(明治10年)11月1日-1940年(昭和15年)2月14日は、三重県四日市市出身の大正時代~昭和時代の戦前期の実業家。歌人。伊勢電鉄社長。『校本萬葉集』刊行を支援した伊勢人である。 | ||
1877年生まれの人  三重県出身の1877年生まれの人 | ||
475 | 佐佐木信綱 三重県 鈴鹿市 | Wikipedia |
佐佐木 信綱(ささき のぶつな、1872年7月8日(明治5年6月3日) - 1963年(昭和38年)12月2日)は、日本の歌人・国文学者。正三位勲六等文学博士。 | ||
東京大学出身 三重県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
7月8日生まれの人  1872年生まれの人  三重県出身の1872年生まれの人 | ||
476 | 松尾芭蕉 三重県 伊賀市 | Wikipedia |
松尾 芭蕉(まつお ばしょう、寛永21年(1644年) - 元禄7年10月12日(1694年11月28日))は、江戸時代前期の俳諧師。現在の三重県伊賀市出身。幼名は金作[2]。通称は甚七郎、甚四郎[2]。名は忠右衛門宗房[2]。俳号としては初め実名宗房を、次いで桃青、芭蕉(はせを)と改めた。北村季吟門下。 | ||
1644年生まれの人  三重県出身の1644年生まれの人 |
滋賀県
477 | 永田紅 滋賀県 大津市 | Wikipedia |
永田 紅(ながた こう、1975年5月31日 - )は、日本の生化学研究者、歌人。京都大学物質-細胞統合システム拠点(植田和光グループ)研究員を経て現在助教。滋賀県出身。 | ||
5月31日生まれの人  1975年生まれの人  滋賀県出身の1975年生まれの人 | ||
478 | 永田淳 滋賀県 大津市 | Wikipedia |
永田 淳(ながた じゅん、1973年8月20日 - )は、歌人、出版社「青磁社」代表。短歌結社「塔」編集委員。父永田和宏、母河野裕子、妹永田紅、妻植田裕子も歌人。滋賀県出身。 | ||
8月20日生まれの人  1973年生まれの人  滋賀県出身の1973年生まれの人 | ||
479 | 永田和宏 滋賀県 | Wikipedia |
永田 和宏(ながた かずひろ、1947年5月12日 -)は、日本の歌人、細胞生物学者、京都産業大学教授、京都大学名誉教授。短歌結社「塔」前主宰。夫人は歌人の河野裕子。長男永田淳、長女永田紅も歌人。滋賀県出身。 | ||
5月12日生まれの人  1947年生まれの人  滋賀県出身の1947年生まれの人 |
480 | 鵜飼康東 滋賀県 | Wikipedia |
鵜飼 康東(うかい やすはる、1946年6月20日 - )は、日本の経済学者、歌人。関西大学名誉教授。President, The Society of Socionetwork Strategies。現代歌人協会会員。日本文藝家協会会員。滋賀県出身。 | ||
一橋大学出身 滋賀県出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
6月20日生まれの人  1946年生まれの人  滋賀県出身の1946年生まれの人 | ||
481 | 塚本邦雄 滋賀県 東近江市 | Wikipedia |
塚本 邦雄(つかもと くにお、1920年8月7日 - 2005年6月9日)は、日本の歌人、詩人、評論家、小説家。 | ||
滋賀大学出身 滋賀県出身の滋賀大学の出身者 全国の滋賀大学の出身者 | ||
8月7日生まれの人  1920年生まれの人  滋賀県出身の1920年生まれの人 | ||
482 | 井伊文子 滋賀県 彦根市 | Wikipedia |
井伊 文子(いい ふみこ、1917年5月20日 - 2004年11月22日)は、尚昌の子女で琉球国王尚泰の曾孫。日本の歌人、随筆家。聞得大君(19代)。 | ||
5月20日生まれの人  1917年生まれの人  滋賀県出身の1917年生まれの人 | ||
483 | 太田静子 滋賀県 愛知川町 | Wikipedia |
太田 静子(おおた しずこ 1913年(大正2年)8月18日 - 1982年(昭和57年)11月24日)は、滋賀県出身の歌人、作家。太宰治の愛人の一人。『斜陽』に材料を提供したことで知られている。 | ||
8月18日生まれの人  1913年生まれの人  滋賀県出身の1913年生まれの人 | ||
484 | 岡路市郎 滋賀県 | Wikipedia |
岡路 市郎(おかじ いちろう、1913年(大正2年)-2003年(平成15年)4月11日)は、日本の心理学者・俳人。専門は、教育心理学。元・北海道教育大学学長。 | ||
広島大学出身 滋賀県出身の広島大学の出身者 全国の広島大学の出身者 | ||
1913年生まれの人  滋賀県出身の1913年生まれの人 | ||
485 | 宮崎信義 滋賀県 米原市 | Wikipedia |
宮崎 信義(みやざき のぶよし 1912年2月24日 - 2009年1月2日)は、日本の歌人。口語自由律短歌(いわゆる新短歌)の隆盛に努めた。短歌雑誌「未来山脈」代表。京都歌人協会委員長。新短歌人連盟会長。現代歌人協会会員。 | ||
神奈川大学出身 滋賀県出身の神奈川大学の出身者 全国の神奈川大学の出身者 | ||
2月24日生まれの人  1912年生まれの人  滋賀県出身の1912年生まれの人 | ||
486 | 木俣修 滋賀県 彦根市 | Wikipedia |
木俣 修(きまた おさむ、1906年(明治39年)7月28日 - 1983年(昭和58年)4月4日)は日本の歌人。本名は修二。 | ||
7月28日生まれの人  1906年生まれの人  滋賀県出身の1906年生まれの人 | ||
487 | 外村吉之介 滋賀県 東近江市 | Wikipedia |
外村吉之介(とのむら きちのすけ、1898年(明治31年)9月27日 - 1993年(平成5年)4月15日)は、民芸運動家、染織家。滋賀県出身。甥に歌人の塚本邦雄(1920年 - 2005年)がいる。 | ||
9月27日生まれの人  1898年生まれの人  滋賀県出身の1898年生まれの人 | ||
488 | 室積徂春 滋賀県 大津市 | Wikipedia |
室積 徂春(むろづみ そしゅん、1886年(明治19年)12月17日 - 1956年(昭和31年)12月4日)は、滋賀県出身の日本の俳人。別号に碌々子、平明居主人、碌二道人など。旧姓は増永、本名は尚(たかし)。 | ||
1886年生まれの人  滋賀県出身の1886年生まれの人 | ||
489 | 巌谷小波 滋賀県 甲賀市 | Wikipedia |
巖谷 小波(いわや さざなみ、1870年7月4日(明治3年6月6日) - 1933年(昭和8年)9月5日)は、明治から大正にかけての作家、児童文学者、俳人。本名は季雄(すえお)。別号に漣山人(さざなみ さんじん)、楽天居、隔恋坊、大江小波がある[2]。 | ||
7月4日生まれの人  1870年生まれの人  滋賀県出身の1870年生まれの人 | ||
490 | 渡忠秋 滋賀県 高島市 | Wikipedia |
渡 忠秋(わたり ただあき、1811年3月4日(文化8年2月10日) - 1881年(明治14年)6月5日)は、幕末から明治初期の歌人。御歌所ご用掛。 | ||
3月4日生まれの人  1811年生まれの人  滋賀県出身の1811年生まれの人 | ||
491 | 奥村志宇 滋賀県 大津市 | Wikipedia |
奥村 志宇(おくむら しう、宝暦11年(1761年) - 天保5年3月12日(1834年4月20日))は、江戸時代の女流俳人で子女の教育にも尽くした。近江国大津の生まれ。 | ||
1761年生まれの人  滋賀県出身の1761年生まれの人 | ||
492 | 河野李由 滋賀県 彦根市 | Wikipedia |
河野 李由(こうの りゆう、寛文2年(1662年) - 宝永2年6月22日(1705年8月11日))は、江戸時代前期の僧・俳人、近江蕉門。浄土真宗本願寺派の彦根明照寺(光明遍照寺)14世住職、律師。字は買年、諱は通賢と言い、釈名を亮爾と号す。近江国の生まれ。父は河野通仁。子に河野通惠(自蹊)。 | ||
1662年生まれの人  滋賀県出身の1662年生まれの人 | ||
493 | 菅沼曲水 滋賀県 大津市 | Wikipedia |
菅沼 曲水(すがぬま きょくすい、万治2年(1659年) - 享保2年7月20日(1717年8月26日))は、近江国膳所(現・滋賀県大津市)出身の武士、俳人。または曲翠とも。本名は菅沼定常、通称は外記、別号は馬指堂。菅沼定澄の子で、徳川家康に従った菅沼定盈の曾孫に当たる。膳所藩(康俊系の本多家)では中老という重職に就き、また近江における松尾芭蕉の門人グループ・近江蕉門の重鎮として、芭蕉を経済的にもサポートした。 | ||
1659年生まれの人  滋賀県出身の1659年生まれの人 | ||
494 | 水田正秀 滋賀県 大津市 | Wikipedia |
水田 正秀(みずた まさひで、明暦3年(1657年) - 享保8年8月3日(1723年9月2日))は、江戸時代前期から中期にかけての俳人。近江蕉門の一人、菅沼曲水の伯父と伝えられる。通称を利右衛門、別に竹青堂・節青堂・清庵などと号す。 | ||
1657年生まれの人  滋賀県出身の1657年生まれの人 | ||
495 | 三上千那 滋賀県 大津市 | Wikipedia |
三上 千那(みかみ せんな、慶安4年(1651年) - 享保8年4月17日(1723年5月10日))は、江戸時代中期の僧・俳人、近江蕉門。浄土真宗本願寺派の堅田本福寺11世住職、名は明式、葡萄坊・宮山子・千那堂官江などと号す。近江国の生まれ。 | ||
1651年生まれの人  滋賀県出身の1651年生まれの人 | ||
496 | 北村湖春 滋賀県 野洲市 | Wikipedia |
北村 湖春(きたむら こしゅん、慶安3年(1650年) - 元禄10年1月15日(1697年2月6日))は、江戸時代前期から中期にかけての歌人・俳人、北村季吟の子。名は季順。 | ||
1650年生まれの人  滋賀県出身の1650年生まれの人 | ||
497 | 江左尚白 滋賀県 大津市 | Wikipedia |
江左 尚白(えさ しょうはく、慶安3年(1650年) - 享保7年7月1日(1722年8月12日))は、江戸時代前期から中期の医師・俳人、近江蕉門。字は三益、別に木翁・芳斎と号す。伊勢国に生まれ、早くに近江国大津に住む。 | ||
1650年生まれの人  滋賀県出身の1650年生まれの人 | ||
498 | 八十村路通 滋賀県 | Wikipedia |
八十村 路通(やそむら ろつう、慶安2年(1649年)頃 - 元文3年7月14日(1738年8月28日)頃)は、江戸時代前期から中期にかけての俳人、近江蕉門。 | ||
1649年生まれの人  滋賀県出身の1649年生まれの人 | ||
499 | 河合智月 滋賀県 | Wikipedia |
河合 智月(かわい ちげつ、寛永10年(1633年)頃 - 享保3年3月(1718年4月))は、江戸時代初期の女流俳人、近江蕉門。智月尼とも呼ばれる。京都に生まれ近江国に住む。 | ||
1633年生まれの人  滋賀県出身の1633年生まれの人 |
500 | 万里集九 滋賀県 | Wikipedia |
万里集九(ばんりしゅうく、1428年10月17日(正長元年9月9日) - 没年不詳)は、室町時代の禅僧、歌人。近江国の速水氏の出自。「万里」は道号、「集九」は諱で、「集」は一山派の太清宗渭の法系であることを示す一字。 | ||
10月17日生まれの人  1428年生まれの人  滋賀県出身の1428年生まれの人 | ||
501 | 須川信行 滋賀県 高島市 | Wikipedia |
須川 信行(すがわ のぶゆき、天保10年10月25日 (1839年11月30日)- 大正6年(1917年)11月13日)は、江戸時代末期・明治時代の歌人、医師。宮内省御歌所寄人(よりゅうど)、「明治天皇御集」の編纂委員を務めた。 | ||
502 | 北村季吟 滋賀県 野洲市 | Wikipedia |
北村 季吟(きたむら きぎん、寛永元年12月11日(1625年1月19日) - 宝永2年6月15日(1705年8月4日))は、江戸時代前期の歌人、俳人、和学者。名は静厚、通称は久助・再昌院、別号は慮庵・呂庵・七松子・拾穂軒・湖月亭。 | ||
503 | 伴蒿蹊 滋賀県 近江八幡市 | Wikipedia |
伴蒿蹊(ばん こうけい、享保18年10月1日(1733年11月7日) - 文化3年7月25日(1806年9月7日))は、江戸時代後期の歌人・文筆家。名を資芳(すけよし)と称し、別号を閑田蘆と号した。生家は近江八幡出身の京都の商家で、8歳で本家の近江八幡の豪商伴庄右衛門資之の養子となった。18歳で家督を継ぎ家業に専念したが、36歳で家督を譲り隠居・剃髪し、その後は著述に専念した。著書『主従心得草』は近江商人の典型的な家訓、他に『閑田詠草』、『閑田耕筆』、『閑田次筆』など。『近世畸人伝』は、著名・無名な人物達の生活と意見が述べられ、17.18世紀江戸時代を知るのに有益な伝記集である。 | ||
504 | 大友黒主 滋賀県 大津市 | Wikipedia |
大友 黒主 / 大伴 黒主(おおとも の くろぬし、生没年不詳)は平安時代の歌人・官人。姓は村主。六歌仙の一人。官位は従八位上・滋賀郡大領。 | ||
505 | 河合乙州 滋賀県 | Wikipedia |
河合 乙州(かわい おとくに、、生没年不詳)は、江戸時代前期から中期にかけての俳人、近江蕉門。近江国の人。俳人河合智月(智月尼)の弟で姉の養子となった。 | ||
506 | 直江木導 滋賀県 彦根市 | Wikipedia |
直江 木導(なおえ もくどう、寛文6年8月14日(1666年10月1日) - 享保8年6月22日(1723年7月23日))は、江戸時代前期から中期にかけての俳人、近江蕉門。名は光任、阿山人とも号す。近江国彦根藩士。 | ||
507 | 山部赤人 滋賀県 | Wikipedia |
山部 赤人(やまべ の あかひと、生年不詳 - 天平8年(736年)?)は、奈良時代の歌人。三十六歌仙の一人。姓は宿禰。大山上・山部足島の子とし、子に磐麻呂がいたとする系図がある[2]。官位は外従六位下・上総少目[2]。後世、山邊(辺)赤人と表記されることもある。 | ||
508 | 額田王 滋賀県 | Wikipedia |
額田王(ぬかたのおおきみ、ぬかたのきみ、生没年不詳)は、飛鳥時代の日本の皇族・歌人。天武天皇の妃(一説に采女や巫女)。 | ||
509 | 濱田洒堂 滋賀県 大津市 | Wikipedia |
濱田 洒堂(はまだ しゃどう、生年不詳 - 元文2年9月13日(1737年10月6日)?)は、江戸時代前期から中期にかけての俳人、近江蕉門。医師名は道夕、別に珍夕・珍碩と号し、洒落堂及びそれを略して洒堂とも言った。近江国膳所藩の医師。 | ||
510 | 森川許六 滋賀県 彦根市 | Wikipedia |
森川 許六(もりかわ きょりく)は、江戸時代前期から中期にかけての俳人、近江蕉門。蕉門十哲の一人。名は百仲、字は羽官、幼名を兵助または金平と言う。五老井・無々居士・琢々庵・碌々庵・如石庵・巴東楼・横斜庵・風狂堂など多くの別号がある。近江国彦根藩の藩士で、絵師でもあった。 |
京都府
511 | 林和清 京都府 | Wikipedia |
林 和清(はやし かずきよ、1962年3月14日生まれ - )は、歌人。京都府京都市出身・在住。佛教大学文学部国文学科卒業。「玲瓏」選者、現代歌人集会副理事長、現代歌人協会会員。既婚。 | ||
佛教大学出身 京都府出身の佛教大学の出身者 全国の佛教大学の出身者 | ||
3月14日生まれの人  1962年生まれの人  京都府出身の1962年生まれの人 | ||
512 | 大石悦子 京都府 舞鶴市 | Wikipedia |
大石 悦子(おおいし えつこ、1938年(昭和13年)4月3日 - )は、京都府出身の俳人。舞鶴町(現舞鶴市)生まれ。1954年、府立西舞鶴高校に入学、「鶴」門の工藤雄仙が主宰する「飛翔」に誘われ句作を開始。1956年ごろ「鶴」に入会。石田波郷、石塚友二、星野麦丘人に師事する。1957年、和歌山大学に入学。学生サークルの俳句研究会に所属し、一時「天狼」にも投句した。子育てのために句作を一時中断後、1981年に鶴俳句賞を受賞、「鶴」同人。 | ||
1938年生まれの人  京都府出身の1938年生まれの人 | ||
513 | 小中英之 京都府 舞鶴市 | Wikipedia |
小中 英之(こなか ひでゆき、1937年9月12日 - 2001年11月21日)は、歌人。 | ||
9月12日生まれの人  1937年生まれの人  京都府出身の1937年生まれの人 | ||
514 | 木村草弥 京都府 城陽市 | Wikipedia |
木村 草弥(きむら くさや 1930年2月7日-)は、日本の歌人、詩人。 本名は重夫(しげお)。 | ||
2月7日生まれの人  1930年生まれの人  京都府出身の1930年生まれの人 | ||
515 | 松村禎三 京都府 京都市 | Wikipedia |
松村 禎三(まつむら ていぞう、1929年1月15日 - 2007年8月6日)は、日本の作曲家、俳人。東京芸術大学名誉教授。 | ||
1月15日生まれの人  1929年生まれの人  京都府出身の1929年生まれの人 | ||
516 | 長谷川利行 京都府 | Wikipedia |
長谷川 利行(はせがわ としゆき 明治24年(1891年)7月9日? - 昭和15年(1940年)10月12日)は京都府出身の洋画家、歌人。名の読みは「りこう」とも。 | ||
7月9日生まれの人  1891年生まれの人  京都府出身の1891年生まれの人 | ||
517 | 九条武子 京都府 京都市 | Wikipedia |
九条 武子(くじょう たけこ、1887年(明治20年)10月20日 - 1928年(昭和3年)2月7日)は、教育者・歌人、後年には社会運動活動家としても活動した。 | ||
1887年生まれの人  京都府出身の1887年生まれの人 | ||
518 | 津田青楓 京都府 京都市 | Wikipedia |
津田 青楓(つだ せいふう、1880年9月13日 - 1978年8月31日)は京都府出身の画家、書家、随筆家、歌人。良寛研究家としても知られる。本名、津田亀治郎。旧姓、西川。津田は母方の姓。最初の妻の山脇敏子も洋画家である。 | ||
9月13日生まれの人  1880年生まれの人  京都府出身の1880年生まれの人 | ||
519 | 与謝野鉄幹 京都府 京都市 | Wikipedia |
与謝野 鉄幹(正字: 與謝野 鐵幹、よさの てっかん, 1873年(明治6年)2月26日 - 1935年(昭和10年)3月26日)は、日本の歌人。本名は与謝野 寛(よさの ひろし)。鉄幹は号。与謝野晶子の夫。後に慶應義塾大学教授。文化学院学監。 | ||
62月26日生まれの人  1873年生まれの人  京都府出身の1873年生まれの人 |
520 | 大田垣蓮月 京都府 | Wikipedia |
大田垣 蓮月(おおたがき れんげつ、寛政3年1月8日(1791年2月10日) - 明治8年(1875年)12月10日)は、江戸時代後期の尼僧・歌人・陶芸家。俗名は誠(のぶ)。菩薩尼、陰徳尼とも称した。 | ||
2月10日生まれの人  1791年生まれの人  京都府出身の1791年生まれの人 | ||
521 | 川勝雲堂 京都府 | Wikipedia |
川勝 雲堂(かわかつ うんどう、寛文元年(1661年) - 享保15年5月7日(1730年6月21日))は、江戸時代前期 - 中期の俳諧師。 | ||
1661年生まれの人  京都府出身の1661年生まれの人 | ||
522 | 鴨長明 京都府 | Wikipedia |
鴨 長明(かも の ちょうめい、久寿2年(1155年) - 建保4年閏6月10日(1216年7月26日))は、平安時代末期から鎌倉時代にかけての日本の歌人・随筆家。俗名はかものながあきら。禰宜・鴨長継の次男。位階は従五位下。菊大夫とも号した。 | ||
1155年生まれの人  京都府出身の1155年生まれの人 | ||
523 | 与謝野礼厳 京都府 与謝野町 | Wikipedia未登録 |
僧侶:歌人与謝野鉄幹の実父、歌人与謝野晶子の義父、政治家与謝野馨の曾祖父 | ||
524 | 荷田春満 京都府 京都市 | Wikipedia |
荷田 春満(かだ の あずままろ、寛文9年1月3日(1669年2月3日)- 元文元年7月2日(1736年8月8日))は、江戸時代中期の国学者・歌人。通称は、斎宮(いつき)。初名は信盛と称し、のちに東丸。賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤と共に国学の四大人の一人とされる。 |
大阪府
525 | 又吉直樹 大阪府 寝屋川市 | Wikipedia |
又吉 直樹(またよし なおき、1980年6月2日 - )は、日本のお笑いタレント、脚本家、小説家、俳人である。お笑い芸人コンビ「ピース」のボケ担当。 | ||
6月2日生まれの人  1980年生まれの人  大阪府出身の1980年生まれの人 | ||
526 | 黒瀬珂瀾 大阪府 豊中市 | Wikipedia |
黒瀬 珂瀾(くろせ からん、1977年7月22日 - )は歌人。 | ||
大阪大学出身 大阪府出身の大阪大学の出身者 全国の大阪大学の出身者 | ||
7月22日生まれの人  1977年生まれの人  大阪府出身の1977年生まれの人 | ||
527 | 俵万智 大阪府 門真市 | Wikipedia |
俵 万智(たわら まち、1962年12月31日 - )は、日本の歌人。本名、同じ。結社「心の花」所属。所属事務所は東京コンサーツ。父は希土類磁石の研究者の俵好夫。 | ||
早稲田大学出身 大阪府出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
12月31日生まれの人  1962年生まれの人  大阪府出身の1962年生まれの人 | ||
528 | 田中裕明 大阪府 大阪市 | Wikipedia |
田中 裕明(たなか ひろあき、1959年10月11日 - 2004年12月30日)は、大阪府出身の俳人。波多野爽波に師事、「青」に拠ったのち、「ゆう」を創刊・主宰。1983年に角川俳句賞を史上最年少の22歳で受賞。俳句の伝統をふまえた瑞々しい句風で、俳壇のニューウェーブとして活躍したが、白血病により早世した。 | ||
京都大学出身 大阪府出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
10月11日生まれの人  1959年生まれの人  大阪府出身の1959年生まれの人 | ||
529 | 有馬朗人 大阪府 大阪市 | Wikipedia |
有馬 朗人(ありま あきと、1930年9月13日 - )は、日本の物理学者(原子核物理学)、俳人、政治家。勲等は旭日大綬章。学位は理学博士(東京大学・1958年)。東京大学名誉教授、財団法人日本科学技術振興財団会長、科学技術館館長、武蔵学園学園長、公立大学法人静岡文化芸術大学理事長(初代)。文化勲章受章者。 | ||
東京大学出身 大阪府出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
9月13日生まれの人  1930年生まれの人  大阪府出身の1930年生まれの人 | ||
530 | 桂信子 大阪府 大阪市 | Wikipedia |
桂 信子(かつら のぶこ、1914年11月1日 - 2004年12月16日)は、大阪市出身の俳人。日野草城に師事。「旗艦」「青玄」などを経て「草苑」を創刊・主宰。本名は丹羽信子(にわのぶこ)。 | ||
11月1日生まれの人  1914年生まれの人  大阪府出身の1914年生まれの人 | ||
531 | 折口信夫 大阪府 大阪市 | Wikipedia |
折口 信夫(おりくち しのぶ、1887年(明治20年)2月11日 - 1953年(昭和28年)9月3日)は、日本の民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった。 | ||
國學院大學出身 大阪府出身の國學院大學の出身者 全国の國學院大學の出身者 | ||
2月11日生まれの人  1887年生まれの人  大阪府出身の1887年生まれの人 | ||
532 | 石上露子 大阪府 富田林市 | Wikipedia |
石上 露子(いそのかみ つゆこ、1882年(明治15年)6月11日 - 1959年(昭和34年)10月8日)は、日本の作家、歌人。大阪府富田林市出身。 雅号はゆふちどり。新詩社の社友となり、「明星」等に短歌、詩、小説等を発表した。本名杉山 孝(すぎやま たか)。代表作は「小板橋」。 | ||
6月11日生まれの人  1882年生まれの人  大阪府出身の1882年生まれの人 | ||
533 | 青木月斗 大阪府 大阪市 | Wikipedia |
青木 月斗(あおき げっと、1879年(明治12年)11月20日 - 1949年(昭和24年)3月17日)は、正岡子規門の俳人。本名は青木新護。 | ||
1879年生まれの人  大阪府出身の1879年生まれの人 | ||
534 | 与謝野晶子 大阪府 堺市 | Wikipedia |
与謝野 晶子(正字: 與謝野 晶子、よさの あきこ、1878年(明治11年)12月7日 - 1942年(昭和17年)5月29日)は、日本の歌人、作家、思想家。 | ||
12月7日生まれの人  1878年生まれの人  大阪府出身の1878年生まれの人 | ||
535 | 与謝蕪村 大阪府 大阪市 | Wikipedia |
与謝 蕪村(よさ ぶそん、享保元年(1716年) - 天明3年12月25日(1784年1月17日))は、江戸時代中期の日本の俳人、画家。 | ||
1716年生まれの人  大阪府出身の1716年生まれの人 | ||
536 | 紀海音 大阪府 | Wikipedia |
紀海音(きの かいおん、寛文3年(1663年) - 寛保2年10月4日(1742年10月31日))は、江戸時代中期の浄瑠璃作家、狂歌師、俳人。本名は榎並善右衛門。大坂生まれ。父は大阪御堂前の菓子商鯛屋善右衛門(俳号:貞因)で、兄に狂歌師油煙斎貞柳がいる。 | ||
1663年生まれの人  大阪府出身の1663年生まれの人 | ||
537 | 小西来山 大阪府 | Wikipedia |
小西 来山(こにし らいざん、1654年(承応3年) - 1716年11月16日(享保元年10月3日))は江戸時代の俳人。通称、伊右衛門。満平、湛翁、湛々翁、十萬堂の号がある。 | ||
1654年生まれの人  大阪府出身の1654年生まれの人 | ||
538 | 肖伯 大阪府 堺市 | Wikipedia |
肖柏(しょうはく、嘉吉3年(1443年) - 大永7年4月4日(1527年5月4日))は、室町時代中期の連歌師、歌人。准大臣中院通淳の子。号は、夢庵・牡丹花(ぼたんげ)・弄花軒(ろうかけん)など。 | ||
1443年生まれの人  大阪府出身の1443年生まれの人 | ||
539 | 上田秋成 大阪府 | Wikipedia |
上田 秋成(うえだ あきなり、享保19年6月25日(1734年7月25日) - 文化6年6月27日(1809年8月8日))は、江戸時代後期の読本作者、歌人、茶人、国学者、俳人。怪異小説『雨月物語』の作者として特に知られる。 |
兵庫県
540 | 光森裕樹 兵庫県 宝塚市 | Wikipedia |
光森 裕樹(みつもり ゆうき、1979年5月26日 - )は日本の歌人。 | ||
京都大学出身 兵庫県出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
5月26日生まれの人  1979年生まれの人  兵庫県出身の1979年生まれの人 | ||
541 | 鄭龍超 兵庫県 西宮市 | Wikipedia |
鄭龍超(ていりゅうちょう、1968年6月19日 - )は、日本の歌人。神戸中華同文学校卒業。主に英文での短歌の活動をしている。日本歌人クラブ、短歌カナダ、アメリカ短歌ソサエティ、英国詩歌協会所属。また英文短歌集としては初めて英国ロイヤル図書館に著書が収蔵された。英文短歌と白黒写真とを融合させたポエトグラフィという新しいジャンルで活動の場をアメリカ、カナダ、英国などの画廊での展示を広げるなか、神戸市長田区にあるマルチナショナルラジオ局のFMわいわいの番組「華声」のパーソナリティもしている。 | ||
6月19日生まれの人  1968年生まれの人  兵庫県出身の1968年生まれの人 | ||
542 | 小林恭二 兵庫県 西宮市 | Wikipedia |
小林 恭二(こばやし きょうじ、1957年11月9日 - )は 日本の小説家、俳人。メタ・フィクション的なユーモアに富んだ作風で知られる。専修大学文学部教授。 | ||
11月9日生まれの人  1957年生まれの人  兵庫県出身の1957年生まれの人 | ||
543 | 夏石番矢 兵庫県 | Wikipedia |
俳句「足とめて見るは梅雨のうなる川」(1970年) | ||
東京大学出身 兵庫県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
7月3日生まれの人  1955年生まれの人  兵庫県出身の1955年生まれの人 | ||
544 | 車谷長吉 兵庫県 姫路市 | Wikipedia |
車谷 長吉(くるまたに ちょうきつ、1945年7月1日 - 2015年5月17日)は日本の作家、随筆家、俳人。本名、車谷 嘉彦(くるまたに よしひこ)。兵庫県飾磨市(現・姫路市飾磨区)出身。筆名の「長吉」は唐代の詩人李賀にちなむ。妻は詩人の高橋順子。 | ||
7月1日生まれの人  1945年生まれの人  兵庫県出身の1945年生まれの人 | ||
545 | 岸上大作 兵庫県 福崎町 | Wikipedia |
岸上 大作(きしがみ だいさく、1939年(昭和14年)10月21日 - 1960年(昭和35年)12月5日)は、日本の歌人。兵庫県神崎郡田原村井ノ口(現・福崎町西田原)出身。 | ||
國學院大學出身 兵庫県出身の國學院大學の出身者 全国の國學院大學の出身者 | ||
10月21日生まれの人  1939年生まれの人  兵庫県出身の1939年生まれの人 | ||
546 | 脇田晴子 兵庫県 西宮市 | Wikipedia |
脇田 晴子(わきた はるこ、1934年3月9日 - 2016年9月27日 )は、日本の歴史学者。滋賀県立大学名誉教授。文学博士(京都大学、1969年)(学位論文「中世商工業座の構造」)。兵庫県西宮市生まれ。父は俳人の麻野恵三(微笑子)、夫は歴史学者の脇田修。子は経済学者の脇田成。 | ||
3月9日生まれの人  1934年生まれの人  兵庫県出身の1934年生まれの人 | ||
547 | 藤本安騎生 兵庫県 川西市 | Wikipedia |
藤本 安騎生(ふじもと あきお、1928年 - 2014年3月25日)は、日本の俳人。本名は井戸茂(いど しげる)。 | ||
1928年生まれの人  兵庫県出身の1928年生まれの人 | ||
548 | 赤尾兜子 兵庫県 姫路市 | Wikipedia |
赤尾 兜子(あかお とうし、1925年(大正14年)2月28日 - 1981年(昭和56年)3月17日)は、日本の俳人。本名は赤尾俊郎。 | ||
大阪外語専門学校出身 兵庫県出身の大阪外語専門学校の出身者 全国の大阪外語専門学校の出身者 | ||
2月28日生まれの人  1925年生まれの人  兵庫県出身の1925年生まれの人 | ||
549 | 上田三四二 兵庫県 小野市 | Wikipedia |
上田 三四二(うえだ みよじ、1923年(大正12年)7月21日 - 1989年(平成元年)1月8日)は、日本の歌人、小説家、文芸評論家。 | ||
京都大学出身 兵庫県出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
7月21日生まれの人  1923年生まれの人  兵庫県出身の1923年生まれの人 | ||
550 | 京極杞陽 兵庫県 豊岡市 | Wikipedia |
京極 杞陽(きょうごく きよう、1908年2月20日 - 1981年11月8日)は、東京市出身の俳人。高浜虚子に師事、「木兎」(もくと)主宰。本名は高光(たかみつ)。豊岡京極家13代当主で、少年期から壮年期までは子爵の爵位を持つ華族であった。靖国神社元宮司の京極高晴は次男である。また、五男の高幸は京極高鋭の養子となり峰山京極家を継いでいる。 | ||
2月20日生まれの人  1908年生まれの人  兵庫県出身の1908年生まれの人 | ||
551 | 細見綾子 兵庫県 丹波市 | Wikipedia |
細見 綾子(ほそみ あやこ、1907年3月31日 - 1997年9月6日)は、兵庫県出身の俳人。松瀬青々に師事、「倦鳥」を経て「風」同人。夫は沢木欣一。 | ||
3月31日生まれの人  1907年生まれの人  兵庫県出身の1907年生まれの人 | ||
552 | 村山道雄 兵庫県 | Wikipedia |
村山 道雄(むらやま みちお、1902年3月31日 - 1981年12月10日)は日本の政治家。山形県知事や参議院議員を務めた。また、アララギ派の歌人でもあった。 | ||
3月31日生まれの人  1902年生まれの人  兵庫県出身の1902年生まれの人 | ||
553 | 初井しづ枝 兵庫県 姫路市 | Wikipedia |
初井 しづ枝(はつい しずえ、1900年(明治33年)10月29日 - 1976年(昭和51年)2月15日)は、日本の歌人。兵庫県姫路市出身。 | ||
10月29日生まれの人  1900年生まれの人  兵庫県出身の1900年生まれの人 | ||
554 | 奥田雀草 兵庫県 淡路市 | Wikipedia |
奥田 雀草(おくだ じゃくそう、1899年7月29日 - 1988年12月13日)は、日本の俳人・俳画家。本名は奥田 哲良(おくだ てつろう)。 | ||
7月29日生まれの人  1899年生まれの人  兵庫県出身の1899年生まれの人 | ||
555 | 五十嵐播水 兵庫県 姫路市 | Wikipedia |
五十嵐 播水(いがらし ばんすい、1899年1月10日 - 2000年4月23日)は兵庫県出身の俳人、内科医。本名は久雄(ひさお)。姫路市鍛冶町に生まれる。野里尋常小学校、姫路中学校を経て1923年に京都帝国大学(京都大学)医学部を卒業。卒業後に松尾内科勤務を経て、神戸市立中央市民病院に勤務。同病院の副院長・院長を1959年まで務める。1961年に神戸市生田区で五十嵐内科を開業、1993年まで医師として務めた。 | ||
京都大学出身 兵庫県出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
1月10日生まれの人  1899年生まれの人  兵庫県出身の1899年生まれの人 | ||
556 | 相生垣瓜人 兵庫県 高砂市 | Wikipedia |
相生垣 瓜人(あいおいがき かじん、1898年(明治31年)8月14日- 1985年(昭和60年)2月7日)は俳人。本名・貫二。兵庫県加古郡高砂町(現、高砂市)に生まれる。1920年、東京美術学校製版科を卒業。同年に浜松工業学校(現在の静岡県立浜松工業高等学校)に図案科教員として赴任。1928年より「ホトトギス」に、1930年より水原秋桜子の「馬酔木」、阿波野青畝の「かつらぎ」に投句。1933年、秋桜子の「ホトトギス」離反に従い「馬酔木」に所属、同年「馬酔木」同人。1937年「馬酔木」の「新葉抄」選者を任される。 | ||
1898年生まれの人  兵庫県出身の1898年生まれの人 | ||
557 | 小川晴暘 兵庫県 姫路市 | Wikipedia |
小川 晴暘(おがわ せいよう、1894年3月7日 - 1960年3月18日)は日本の写真家。奈良を中心に各地の仏像を撮り、1922年(大正11年)、美術史家で書家・歌人としても名高い會津八一の勧めを受けて飛鳥園を創業。文化財写真の草分けとして知られる。美術史家小川光暘は次男、写真家小川光三は三男。 | ||
3月7日生まれの人  1894年生まれの人  兵庫県出身の1894年生まれの人 | ||
558 | 和田久太郎 兵庫県 明石市 | Wikipedia |
和田 久太郎(わだ きゅうたろう、1893年2月6日 - 1928年2月20日)は、日本の無政府主義者、労働運動家、俳人である。温厚な人柄で「久さん」あるいは「久太」の愛称で親しまれた。福田大将狙撃事件で逮捕され、無期懲役。獄中で俳句等の著述をしたが、しばらく後に自殺した。俳号は酔蜂(すいほう)で、和田酔蜂とも称す。 | ||
2月6日生まれの人  1893年生まれの人  兵庫県出身の1893年生まれの人 | ||
559 | 三木露風 兵庫県 たつの市 | Wikipedia |
三木 露風(みき ろふう、1889年(明治22年)6月23日 - 1964年(昭和39年)12月29日)は、日本の詩人、童謡作家、歌人、随筆家。本名は三木 操(みき みさお)。異父弟に映画カメラマンの碧川道夫がいる。 | ||
早稲田大学出身 兵庫県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
6月23日生まれの人  1889年生まれの人  兵庫県出身の1889年生まれの人 |
560 | 高田蝶衣 兵庫県 淡路市 | Wikipedia |
高田 蝶衣(たかだ ちょうい、1886年1月30日 - 1930年9月23日)は、兵庫県津名郡釜口村字里(現:淡路市釜口字里)出身の俳人。旧制洲本中学校卒。中学の教頭・大谷繞石の影響で俳句をはじめ「ホトトギス」に投句、同人誌「落葉」を主宰。1904年、早稲田大学政経科入学。1906年、高浜虚子の 「俳諧散心句会」に参加し指導を受ける。同年、肋膜炎のため大学を中退し帰郷。故郷で小学校の教諭となるが、病のため続かず俳句を主とし「ホトトギス」「懸葵」に投句した。1908年に句集『島舟』(俳書堂)を出版。河東碧梧桐門とも交流があった。1917年に神戸湊川神社の主典となったが、やはり病の悪化のため1919年に帰郷している。1930年、淡路島で死去。44歳。代表句に「この国の表裏をつくり山眠る」などがあり、清新な叙情性のある句風であった。没後1933年に『蝶衣句稿 青垣山』、1941年に『蝶衣俳句全集』が刊行されている。 | ||
1月30日生まれの人  1886年生まれの人  兵庫県出身の1886年生まれの人 | ||
561 | 永田秀次郎 兵庫県 南あわじ市 | Wikipedia |
永田 秀次郎(ながた ひでじろう、1876年7月23日 - 1943年9月17日)は、明治から昭和にかけて活躍した日本の官僚・政治家。第18代三重県知事、第8代・第14代東京市長、第4代拓殖大学総長、貴族院議員。第9代拓務大臣、第18代鉄道大臣を歴任。長男は元自由民主党衆議院議員の永田亮一。 | ||
京都大学出身 兵庫県出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
7月23日生まれの人  1876年生まれの人  兵庫県出身の1876年生まれの人 | ||
562 | 藤井乙男 兵庫県 洲本市 | Wikipedia |
藤井 乙男(ふじい おとお、慶応4年7月14日(1868年8月31日) - 昭和21年(1946年)5月23日)は、国文学者、俳人。号は紫影。兵庫県洲本町(淡路島)生まれ。 | ||
8月31日生まれの人  1868年生まれの人  兵庫県出身の1868年生まれの人 | ||
563 | 井上通泰 兵庫県 福崎町 | Wikipedia |
井上 通泰(いのうえ みちやす、1867年1月26日(慶応2年旧暦12月21日) - 1941年(昭和16年)8月15日)は、主に明治時代に活躍した桂園派の歌人・国文学者、また眼科を専門とする医師でもあった。名は故実読みでツウタイともいう。幼名は松岡泰蔵。雅号に南天荘。 | ||
1月26日生まれの人  1867年生まれの人  兵庫県出身の1867年生まれの人 | ||
564 | 中村楽天 兵庫県 姫路市 | Wikipedia |
中村 楽天(なかむら らくてん、1865年8月30日(慶応元年7月10日) - 1939年(昭和14年)9月19日は、兵庫県出身の日本の俳人、ジャーナリスト。本名は中村修一。 | ||
8月30日生まれの人  1865年生まれの人  兵庫県出身の1865年生まれの人 | ||
565 | 松岡青蘿 兵庫県 | Wikipedia |
松岡 青蘿(まつおか せいら、元文5年(1740年) - 寛政3年6月17日(1791年7月17日))は、江戸生れの俳人で、のちに加古川に庵を結ぶ。山李坊令茶、幽松庵、三眺庵、栗庵、栗之本などの別号を持つ。本名、松岡鍋五郎。 | ||
1740年生まれの人  兵庫県出身の1740年生まれの人 | ||
566 | 田捨女 兵庫県 丹波市 | Wikipedia |
田 捨女または、田 ステ女(でん すてじょ/すてめ、1634年(寛永11年) – 1698年9月13日(元禄11年8月10日))は、江戸時代の女流歌人・俳人。貞門派の女流六歌仙(六俳仙)の1人。 | ||
1634年生まれの人  兵庫県出身の1634年生まれの人 | ||
567 | 藤原東川 兵庫県 朝来市 | Wikipedia未登録 |
歌人 | ||
568 | 岩木躑躅 兵庫県 淡路市 | Wikipedia未登録 |
生穂村出身。俳人 | ||
569 | 田健治郎 兵庫県 丹波市 | Wikipedia |
田 健治郎(でん けんじろう、安政2年2月8日(1855年3月25日) - 昭和5年(1930年)11月16日)は、日本の官僚、政治家、華族(男爵)。丹波国氷上郡(現在の兵庫県丹波市)出身。幼名は梅之助、号は譲山。男爵。衆議院議員・貴族院議員・逓信大臣・司法大臣・農商務大臣・台湾総督・枢密顧問官等を歴任。田艇吉(衆議院議員)は兄。田英夫(参議院議員)は孫。また先祖に元禄時代の女流俳人田捨女がいる。 | ||
570 | 丸山修三 兵庫県 香美町 | Wikipedia未登録 |
歌人 | ||
571 | 前田純孝 兵庫県 新温泉町 | Wikipedia未登録 |
歌人 | ||
572 | 上島鬼貫 兵庫県 伊丹市 | Wikipedia |
上島 鬼貫(うえじま おにつら、万治4年4月4日(1661年5月2日) - 元文3年8月2日(1738年9月15日))は江戸時代中期の俳諧師。上島の読みは出自からは「かみじま」であるが、通常「うえしま」または「うえじま」と呼称される。字は与惣兵衛、利左衛門。武士として出仕していた時代は藤原宗邇(ふじわら むねちか)と名乗った。晩年は平泉惣右衛門と名乗る。点也・仏兄(さとえ)・即翁・槿花翁(きんかおう)・自休庵・馬楽堂の別号がある。 | ||
573 | 酒井抱一 兵庫県 姫路市 | Wikipedia |
酒井 抱一(さかい ほういつ、 宝暦11年7月1日(1761年8月1日) - 文政11年11月29日(1829年1月4日))は、江戸時代後期の絵師、俳人。 権大僧都。本名は忠因(ただなお)、幼名は善次、通称は栄八、字は暉真(きしん)。ほか、屠牛、狗禅、鶯村、雨華庵、軽挙道人、庭柏子、溟々居、楓窓とも号する。また俳号は、ごく初期は白鳧・濤花、後に杜陵(綾)。狂歌名は、尻焼猿人[2]。屠龍(とりょう)の号は俳諧・狂歌、さらに浮世絵美人画でも用いている | ||
574 | 安田青風 兵庫県 太子町 | Wikipedia未登録 |
歌人 |
奈良県
575 | 櫟原聰 奈良県 大和郡山市 | Wikipedia |
櫟原 聰(いちはら さとし、1953年6月1日 - )は歌人、東大寺学園中学校・高等学校前教頭。奈良県大和郡山市出身。奈良市在住。「ヤママユ」「木霊」「京大短歌」所属。「ヤママユ」編集委員。前登志夫に師事。日本ペンクラブ・現代歌人協会・現代歌人集会理事。萬葉学会・上代文学会・萬葉語学文学研究会・古代談話会・歌謡研究会所属。 | ||
6月1日生まれの人  1953年生まれの人  奈良県出身の1953年生まれの人 | ||
576 | 前登志夫 奈良県 下市町 | Wikipedia |
前 登志夫(まえ としお、1926年(大正15年)1月1日 - 2008年(平成20年)4月5日)は、日本の歌人。本名、前 登志晃(まえ としあき)。日本芸術院会員。短歌結社「山繭の会」主宰。 | ||
同志社大学出身 奈良県出身の同志社大学の出身者 全国の同志社大学の出身者 | ||
1月1日生まれの人  1926年生まれの人  奈良県出身の1926年生まれの人 | ||
577 | 前川佐美雄 奈良県 葛城市 | Wikipedia |
前川 佐美雄(まえかわ さみお、1903年2月5日 - 1990年7月15日)は、歌人。元日本芸術院会員。妻の前川緑、長男の前川佐重郎も歌人。 | ||
2月5日生まれの人  1903年生まれの人  奈良県出身の1903年生まれの人 | ||
578 | 阿波野青畝 奈良県 高取町 | Wikipedia |
阿波野青畝(あわの せいほ、1899年(明治32年)2月10日 - 1992年(平成4年)12月22日)は奈良県出身の俳人。本名は敏雄。旧姓・橋本。原田浜人、高浜虚子に師事。昭和初期に山口誓子、高野素十、水原秋桜子ととも「ホトトギス」の四Sと称された。「かつらぎ」主宰。 | ||
2月10日生まれの人  1899年生まれの人  奈良県出身の1899年生まれの人 | ||
579 | 松村又一 奈良県 明日香村 | Wikipedia |
松村 又一(まつむら またいち、、1898年(明治31年)3月25日 - 1992年(平成2年)9月30日)は昭和期の作詞家、民謡作家。妻は歌人の松村君代。独特の作風から土の詩人と評される。 | ||
3月25日生まれの人  1898年生まれの人  奈良県出身の1898年生まれの人 |
580 | 藤岡長和 奈良県 五條市 | Wikipedia |
藤岡 長和(ふじおか ながかず、1888年(明治21年)5月13日 - 1966年3月6日)は、奈良県宇智郡北宇智村近内(現五條市)出身の内務官僚、俳人(俳号:玉骨)。奈良県宇智郡北宇智村初代村長の藤岡長二郎の長男。 | ||
東京帝国大学出身 奈良県出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
5月13日生まれの人  1888年生まれの人  奈良県出身の1888年生まれの人 | ||
581 | 東季彦 奈良県 十津川村 | Wikipedia |
東 季彦(あずま すえひこ、1880年1月 - 1979年7月)は、日本の法学者、出版事業家。旧姓乾(いぬい)。商法の権威として知られた。佐佐木信綱門下の歌人でもある。 | ||
東京大学出身 奈良県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
1880年生まれの人  奈良県出身の1880年生まれの人 | ||
582 | 十市遠忠 奈良県 橿原市 | Wikipedia |
十市 遠忠(とおち/とおいち とおただ)は、戦国時代の武将。官位は従五位下・兵部少輔。大和国龍王山城主。 | ||
583 | 大伴家持 奈良県 奈良市 | Wikipedia |
大伴 家持(おおとも の やかもち)は、奈良時代の公卿・歌人。大納言・大伴旅人の子。官位は従三位・中納言。三十六歌仙の一人。小倉百人一首では中納言家持。 | ||
584 | 山上憶良 奈良県 奈良市 | Wikipedia |
山上 憶良(やまのうえ の おくら)は、奈良時代初期の貴族・歌人。名は山於 億良とも記される。姓は臣。官位は従五位下・筑前守。 | ||
585 | 在原業平 奈良県 奈良市 | Wikipedia |
在原 業平(ありわら の なりひら)は、平安時代初期から前期にかけての貴族・歌人。平城天皇の孫。贈一品・阿保親王の五男。官位は従四位上・蔵人頭・右近衛権中将。 |
和歌山県
586 | 道浦母都子 和歌山県 和歌山市 | Wikipedia |
道浦 母都子(みちうら もとこ、1947年9月9日 - )は、歌人。『未来』選者。 | ||
早稲田大学出身 和歌山県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
9月9日生まれの人  1947年生まれの人  和歌山県出身の1947年生まれの人 | ||
587 | 平畑静塔 和歌山県 和歌山市 | Wikipedia |
平畑 静塔(ひらはた せいとう、1905年(明治38年)7月5日 - 1997年(平成9年)9月11日)は、和歌山県出身の俳人、精神科医。 | ||
7月5日生まれの人  1905年生まれの人  和歌山県出身の1905年生まれの人 | ||
588 | 川端龍子 和歌山県 和歌山市 | Wikipedia |
川端 龍子(かわばた りゅうし、1885年(明治18年)6月6日 - 1966年(昭和41年)4月10日)は、戦前の日本画家、俳人。弟(異母弟)は「ホトトギス」の俳人川端茅舍(ぼうしゃ)であり、龍子も「ホトトギス」同人であった。本名は昇太郎。 | ||
6月6日生まれの人  1885年生まれの人  和歌山県出身の1885年生まれの人 | ||
589 | 下村宏 和歌山県 | Wikipedia |
下村 宏(しもむら ひろし、明治8年(1875年)5月11日 - 昭和32年(1957年)12月9日)は、明治・大正・昭和の官僚、新聞経営者、政治家、歌人。号は海南(かいなん)。 | ||
東京大学出身 和歌山県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
5月11日生まれの人  1875年生まれの人  和歌山県出身の1875年生まれの人 | ||
590 | 西行 和歌山県 紀の川市 | Wikipedia |
西行(さいぎょう)、元永元年(1118年) - 文治6年2月16日(1190年3月31日)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・僧侶・歌人。父は左衛門尉・佐藤康清、母は監物・源清経女。同母兄弟に仲清があり、子に隆聖、女子(単に西行の娘と呼ばれる)がある。俗名は佐藤 義清(さとう のりきよ)。憲清、則清、範清とも記される。出家して法号は円位、のちに西行、大本房、大宝房、大法房とも称す。 | ||
1118年生まれの人  和歌山県出身の1118年生まれの人 | ||
591 | 杉村楚人冠 和歌山県 | Wikipedia |
杉村 楚人冠(すぎむら そじんかん、明治5年7月25日(1872年8月28日) - 昭和20年(1945年)10月3日)は、新聞記者、随筆家、俳人である。本名は杉村 廣太郎(すぎむら こうたろう)。別号は縦横、紀伊縦横生、四角八面生、涙骨など多数。 | ||
中央大学出身 和歌山県出身の中央大学の出身者 全国の中央大学の出身者 |
鳥取県
592 | 今井聖 鳥取県 鳥取市 | Wikipedia |
今井 聖(いまい せい、1950年10月12日 - )は、俳人、脚本家。本名:今井邦博(くにひろ)。新潟県生まれ、鳥取県育ち。米子市立第四中学校、鳥取県立米子東高等学校を経て、明治学院大学経済学部・文学部卒業。のち横浜高校教諭を務めていた。 | ||
明治学院大学出身 鳥取県出身の明治学院大学の出身者 全国の明治学院大学の出身者 | ||
10月12日生まれの人  1950年生まれの人  鳥取県出身の1950年生まれの人 | ||
593 | 佐賀省三 鳥取県 境港市 | Wikipedia |
佐賀 省三(さが しょうぞう、明治38年(1905年)5月8日 - 没年不明)は日本の俳人、政治家。元境港市議会議員。号榎村。佐賀家の12代目。 | ||
早稲田大学出身 鳥取県出身の 早稲田大学の出身者 全国の 早稲田大学の出身者 | ||
5月8日生まれの人  1905年生まれの人  鳥取県出身の1905年生まれの人 | ||
594 | 佐伯仁三郎 鳥取県 倉吉市 | Wikipedia |
佐伯 仁三郎(さえき じんざぶろう、明治33年(1900年)9月27日 - 昭和49年(1974年)7月31日)は日本の歌人、国文学者。文学博士。 | ||
9月27日生まれの人  1900年生まれの人  鳥取県出身の1900年生まれの人 | ||
595 | 京極杜藻 鳥取県 米子市 | Wikipedia |
京極 杜藻(きょうごく とそう、明治27年(1894年)4月1日 - 昭和60年(1985年))は、日本の俳人、実業家。元京極運輸商事会長。旧姓桶谷。本名友助。 | ||
4月1日生まれの人  1894年生まれの人  鳥取県出身の1894年生まれの人 | ||
596 | 今井康子 鳥取県 米子市 | Wikipedia |
今井 康子(いまい やすこ、明治25年(1892年) - 昭和53年(1978年))は、日本の歌人。雅号葵明。 | ||
1892年生まれの人  鳥取県出身の1892年生まれの人 | ||
597 | 尾崎放哉 鳥取県 鳥取市 | Wikipedia |
尾崎 放哉(おざき ほうさい、本名: 尾崎 秀雄(おざき ひでお)(鳥取県鳥取市出身)、1885年(明治18年)1月20日 - 1926年(大正15年)4月7日)は、日本の俳人。種田山頭火らと並び、自由律俳句の最も著名な俳人の一人である。 | ||
東京大学出身 鳥取県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
1月20日生まれの人  1885年生まれの人  鳥取県出身の1885年生まれの人 | ||
598 | 田中寒楼 鳥取県 鳥取市 | Wikipedia |
田中 寒楼(たなか かんろう、1877年2月16日 - 1970年3月12日)は、日本の俳人・歌人。 | ||
2月16日生まれの人  1877年生まれの人  鳥取県出身の1877年生まれの人 | ||
599 | 岡田機外 鳥取県 鳥取市 | Wikipedia |
岡田 機外(おかだ きがい、明治6年(1873年) - 昭和24年(1949年))は、日本の俳人。本名は鉄蔵。 | ||
1873年生まれの人  鳥取県出身の1873年生まれの人 |
600 | 後藤直満 鳥取県 米子市 | Wikipedia |
後藤 直満(ごとう なおみち、生年不明 - 文政2年(1819年))は、日本の商人、歌人。鳥取県米子市内町の後藤家当主(6代)。初名直僖、号桃の舎、通称市郎右衛門。寛政~文化期における米子の代表的な文化人だった。 | ||
601 | 里見禾水 鳥取県 境港市 | Wikipedia未登録 |
俳人 | ||
602 | 鹿島平堂 鳥取県 境港市 | Wikipedia |
鹿島 平堂(かしま へいどう、元治元年(1864年) - 昭和19年(1944年))は日本の教育者、俳人。旧姓佐賀、本名昊(ひろし)。 |
島根県
603 | 南Q太 島根県 雲南市 | Wikipedia |
南 Q太(みなみ きゅうた、1969年1月13日 - )は、日本の漫画家。島根県雲南市出身[2]。女性。女子美術大学短期大学部造形学科卒[要出典]。元夫に歌人の枡野浩一。 | ||
1月13日生まれの人  1969年生まれの人  島根県出身の1969年生まれの人 | ||
604 | 森岡貞香 島根県 松江市 | Wikipedia |
森岡 貞香(もりおか さだか、女性、1916年3月4日 - 2009年1月30日)は、歌人。 | ||
3月4日生まれの人  1916年生まれの人  島根県出身の1916年生まれの人 | ||
605 | 中田瑞穂 島根県 津和野町 | Wikipedia |
中田 瑞穂(なかだ みずほ、男性、1893年4月24日 - 1975年8月18日)は、日本の脳外科学者、俳人。新潟大学名誉教授。俳号はみづほ。島根県津和野町生まれ。 | ||
4月24日生まれの人  1893年生まれの人  島根県出身の1893年生まれの人 | ||
606 | 原石鼎 島根県 出雲市 | Wikipedia |
原 石鼎(はら せきてい、1886年3月19日 - 1951年12月20日)は、島根県出身の俳人。高浜虚子に師事、「鹿火屋」を創刊・主宰。大正期の「ホトトギス」を代表する作家の一人で、色彩感覚に優れたみずみずしい作風で一世を風靡した。本名は鼎。初号・鉄鼎。別号・ひぐらし。 | ||
3月19日生まれの人  1886年生まれの人  島根県出身の1886年生まれの人 | ||
607 | 福羽美静 島根県 津和野町 | Wikipedia |
福羽 美静(ふくば びせい、「よししず」とも天保2年7月17日(1831年8月24日) - 明治40年(1907年)8月14日)は日本の武士・津和野藩士、国学者、歌人。通称は文三郎、号は木園、硯堂。子爵。貴族院議員、錦鶏間祗候。 | ||
608 | 三木竹二 島根県 | Wikipedia |
三木 竹二(みき たけじ、慶応3年9月5日(1867年10月2日) - 明治41年(1908年)1月10日)は、明治の劇評家で、医者。本名は森 篤次郎(もり とくじろう)。歌舞伎の型などを研究し、歌舞伎批評に客観的な基準を確立した。近年、初めてその劇評をまとめた『観劇偶評』(渡辺保編、岩波文庫、2004年)が刊行された。兄は小説家の森鴎外、妹は翻訳家・歌人・随筆家の小金井喜美子。 | ||
609 | 小金井喜美子 島根県 津和野町 | Wikipedia |
小金井 喜美子(こがねい きみこ、明治3年11月29日(1870年1月19日) - 昭和31年(1956年)1月26日)は、近代日本の歌人・翻訳者。 |
岡山県
610 | 住宅顕信 岡山県 岡山市 | Wikipedia |
住宅顕信(すみたく けんしん、1961年3月21日 - 1987年2月7日)は、日本の俳人。本名・住宅春美(すみたく はるみ)。 | ||
3月21日生まれの人  1961年生まれの人  岡山県出身の1961年生まれの人 | ||
611 | 岸本尚毅 岡山県 和気町 | Wikipedia |
岸本 尚毅(きしもと なおき、1961年1月5日 - )は、岡山県出身の俳人。東京大学卒。波多野爽波に師事、爽波の死去後は特に高浜虚子に学ぶ。同じ爽波門の田中裕明とともに若くして注目され、写生派の俳人として定評がある。2014年現在「天為」「屋根」同人。 | ||
1月5日生まれの人  1961年生まれの人  岡山県出身の1961年生まれの人 | ||
612 | 塚本靑史 岡山県 倉敷市 | Wikipedia |
塚本 靑史(つかもと せいし、1949年4月9日 - )は、日本の歴史小説作家。岡山県倉敷市生まれ。父は歌人の塚本邦雄。 | ||
同志社大学出身 岡山県出身の同志社大学の出身者 全国の同志社大学の出身者 | ||
4月9日生まれの人  1949年生まれの人  岡山県出身の1949年生まれの人 | ||
613 | 安東次男 岡山県 津山市 | Wikipedia |
安東 次男(あんどう つぐお、1919年(大正8年)7月7日 - 2002年(平成14年)4月9日)は、日本の俳人、詩人、評論家。俳号は流火艸堂。 | ||
7月7日生まれの人  1919年生まれの人  岡山県出身の1919年生まれの人 | ||
614 | 直原玉青 岡山県 赤磐市 | Wikipedia |
直原 玉青(じきはら ぎょくせい、1904年8月1日 - 2005年9月30日)は、日本の画家、禅僧、俳人。 | ||
8月1日生まれの人  1904年生まれの人  岡山県出身の1904年生まれの人 | ||
615 | 西東三鬼 岡山県 津山市 | Wikipedia |
西東 三鬼(さいとう さんき、1900年(明治33年)5月15日 - 1962年(昭和37年)4月1日)は、岡山県出身の俳人。医師として勤める傍ら30代で俳句をはじめ、伝統俳句から離れたモダンな感性を持つ俳句で新興俳句運動の中心人物の一人として活躍。戦後は「天狼」「雷光」などに参加し「断崖」を主宰。本名・斎藤敬直(さいとう けいちょく)。 | ||
日本歯科大学出身 岡山県出身の日本歯科大学の出身者 全国の日本歯科大学の出身者 | ||
5月15日生まれの人  1900年生まれの人  岡山県出身の1900年生まれの人 | ||
616 | 中塚一碧楼 岡山県 倉敷市 | Wikipedia |
中塚一碧楼(なかつか いっぺきろう、1887年(明治20年)9月24日 - 1946年(昭和21年)12月31日)は、日本の俳人。本名・直三(なおぞう)。俳号は他に一碧(いっぺき)。 | ||
早稲田大学出身 岡山県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
9月24日生まれの人  1887年生まれの人  岡山県出身の1887年生まれの人 | ||
617 | 木下利玄 岡山県 岡山市 | Wikipedia |
木下 利玄(きのした りげん、1886年(明治19年)1月1日 - 1925年(大正14年)2月15日)は日本の歌人、子爵。本名は利玄(としはる)。 | ||
東京大学出身 岡山県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
1月1日生まれの人  1886年生まれの人  岡山県出身の1886年生まれの人 | ||
618 | 清水比庵 岡山県 高梁市 | Wikipedia |
清水 比庵(しみず ひあん、1883年(明治16年)2月8日 - 1975年(昭和50年)10月24日)は、日本の歌人、書家、画家、政治家。本名は清水秀(しみず ひで)。号は他に匕舟、比舟、比安。晩年は「今良寛」と呼ばれた。 | ||
岡山大学出身 岡山県出身の岡山大学の出身者 全国の岡山大学の出身者 | ||
2月8日生まれの人  1883年生まれの人  岡山県出身の1883年生まれの人 | ||
619 | 正宗敦夫 岡山県 | Wikipedia |
正宗 敦夫(まさむね あつお、明治14年(1881年)11月15日(戸籍上は11月30日) - 昭和33年(1958年)11月12日)は日本の国文学者、歌人。 | ||
11月15日生まれの人  1881年生まれの人  岡山県出身の1881年生まれの人 |
620 | 新免一五坊 岡山県 | Wikipedia |
新免一五坊(しんめん いちごぼう、1879年(明治12年) - 1941年(昭和16年))は、日本の俳人・教員。本名は睦之助。後に藤木姓を名乗る。 | ||
1879年生まれの人  岡山県出身の1879年生まれの人 | ||
621 | 尾上柴舟 岡山県 津山市 | Wikipedia |
尾上 柴舟(おのえ さいしゅう/しばふね 1876年(明治9年)8月20日 - 1957年(昭和32年)1月13日)は、日本の詩人、歌人、書家、国文学者。 | ||
二松學舍大学出身 岡山県出身の二松學舍大学の出身者 全国の二松學舍大学の出身者 | ||
8月20日生まれの人  1876年生まれの人  岡山県出身の1876年生まれの人 | ||
622 | 井出台水 岡山県 赤磐市 | Wikipedia |
井出 台水(いで だいすい、本名・井出治、1865年4月29日(慶応元年4月5日) - 1950年(昭和25年)8月1日)は、岡山県出身の日本の俳人、陸軍軍人。最終階級は陸軍主計総監(中将相当官)。別号に彭洋。 | ||
4月29日生まれの人  1865年生まれの人  岡山県出身の1865年生まれの人 | ||
623 | 良寛僧侶) 岡山県 倉敷市 | Wikipedia |
良寛(りょうかん、宝暦8年10月2日(1758年11月2日) - 天保2年1月6日(1831年2月18日))は江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。号は大愚。 | ||
11月2日生まれの人  1758年生まれの人  岡山県出身の1758年生まれの人 | ||
624 | 正富汪洋 岡山県 瀬戸内市 | Wikipedia |
正富 汪洋(まさとみ おうよう、明治14年(1881年)2月20日 - 昭和42年(1967年)8月14日)は、日本の詩人、歌人。 | ||
14年生まれの人  岡山県出身の14年生まれの人 | ||
625 | 平賀元義 岡山県 岡山市 | Wikipedia |
平賀 元義(ひらが もとよし、寛政12年7月3日(1800年8月22日) - 慶応元年12月28日(1866年2月13日))は、幕末期岡山の国学者、歌人、書家。 | ||
7月3日生まれの人  12年生まれの人  岡山県出身の12年生まれの人 | ||
626 | 萩原広道 岡山県 岡山市 | Wikipedia |
萩原 広道(はぎわら ひろみち、文化12年2月19日(1815年3月29日) - 文久3年12月3日(1864年1月11日))は、江戸時代末期の歌人・翻訳家・作家・国学者である。号は蒜園(にらぞの)。備前(現・岡山市中区網浜)出身。代表作は、『源氏物語評釈』。 | ||
2月19日生まれの人  12年生まれの人  岡山県出身の12年生まれの人 | ||
627 | 正徹 岡山県 矢掛町 | Wikipedia |
正徹(しょうてつ、永徳元年(1381年) - 長禄3年5月9日(1459年6月9日))は、室町時代中期の臨済宗の歌僧。道号(字)は清巌(岩)で、法諱は正徹、庵号は招(松)月庵。清巌正徹。俗名は正清。 |
広島県
628 | 小野篁 広島県 安芸国 | Wikipedia |
小野 篁(おの の たかむら、延暦21年(802年) - 仁寿2年12月22日(853年2月3日))は、平安時代前期の公卿・文人。 参議・小野岑守の長男。官位は従三位・参議。異名は野相公、野宰相、その反骨精神から野狂とも称された。小倉百人一首では参議篁(さんぎたかむら)。 | ||
802年生まれの人  広島県出身の802年生まれの人 | ||
629 | 東直子 広島県 | Wikipedia |
東 直子(ひがし なおこ、1963年12月23日 - )は、歌人、小説家、脚本家。広島県安佐町(現・安佐北区)生まれ。神戸女学院大学家政学部食物学科卒業。姉の小林久美子も歌人。 | ||
神戸女学院大学出身 広島県出身の神戸女学院大学の出身者 全国の神戸女学院大学の出身者 | ||
12月23日生まれの人  1963年生まれの人  広島県出身の1963年生まれの人 | ||
630 | 桑原正紀 広島県 三次市 | Wikipedia |
桑原 正紀(くわはら まさき、1948年8月12日 - )は歌人。 | ||
國學院大學出身 広島県出身の國學院大學の出身者 全国の國學院大學の出身者 | ||
8月12日生まれの人  1948年生まれの人  広島県出身の1948年生まれの人 | ||
631 | 鷹羽狩行 広島県 | Wikipedia |
鷹羽 狩行(たかは しゅぎょう、1930年(昭和5年)10月5日 - )は、山形県出身の俳人、日本藝術院会員。山口誓子に師事、「狩」を創刊・主宰。本名・髙橋行雄。 | ||
中央大学出身 広島県出身の中央大学の出身者 全国の中央大学の出身者 | ||
10月5日生まれの人  1930年生まれの人  広島県出身の1930年生まれの人 | ||
632 | 川崎展宏 広島県 | Wikipedia |
川崎 展宏(かわさき てんこう、本名ではのぶひろ、1927年1月16日 - 2009年11月29日)は、広島県出身の俳人、国文学者。呉市生まれ。父は海軍士官。1953年、東京大学文学部国文学科卒業。1958年、同大学院満期退学。米沢女子大学、共立女子大学を経て、明治大学法学部教授。 | ||
1月16日生まれの人  1927年生まれの人  広島県出身の1927年生まれの人 | ||
633 | 木下夕爾 広島県 | Wikipedia |
木下 夕爾(きのした ゆうじ、1914年10月27日 - 1965年8月4日)は、日本の詩人、俳人。本名・優二。広島県福山市御幸町に生まれる。広島県立府中中学(現・広島県立府中高等学校)を卒業後、1933年にいったんは第一早稲田高等学院文科(仏文科)に入学するが、家業を継ぐために転学。1938年に名古屋薬学専門学校(現・名古屋市立大学)を卒業し、広島で実家の薬局を営む。以後終生郷里を離れなかった。この間堀口大学に傾倒し影響を受けており、13歳のときには堀口の詩誌「若草」で特選を取っている。1940年、第一詩集『田舎の食卓』を刊行、第6回文芸汎論賞を受賞。1949年に誌誌「木靴」を創刊・主宰。以後の詩集に『生まれた家』(1940年)『笛を吹くひと』(1958年)など。日本詩人クラブ、日本現代詩人会に所属。 | ||
名古屋市立大学出身 広島県出身の名古屋市立大学の出身者 全国の名古屋市立大学の出身者 | ||
10月27日生まれの人  1914年生まれの人  広島県出身の1914年生まれの人 | ||
634 | 近藤芳美 広島県 | Wikipedia |
近藤 芳美(こんどう よしみ、男性、1913年5月5日 - 2006年6月21日)は、日本の歌人である。 | ||
東京工業大学出身 広島県出身の東京工業大学の出身者 全国の東京工業大学の出身者 | ||
5月5日生まれの人  1913年生まれの人  広島県出身の1913年生まれの人 | ||
635 | 正田篠枝 広島県 江田島市 | Wikipedia |
正田 篠枝(しょうだ しのえ、1910年12月22日 - 1965年6月15日)は、日本の歌人、平和運動家。本名は正田シノエ。広島県安芸郡江田島村字秋月(後の江田島市)出身。広島市への原子爆弾投下による被爆者の1人。被爆経験を詠んだ多数の短歌により「原爆歌人」として知られており、中でも原爆批判に対する厳しい統制下で出版された歌集『さんげ』が、原爆文献中でも随一の稀覯本として知られている。弟に経済学者の正田誠一、又従兄弟に作家の小久保均がいる[3]。 | ||
12月22日生まれの人  1910年生まれの人  広島県出身の1910年生まれの人 | ||
636 | 赤城さかえ 広島県 広島市 | Wikipedia |
赤城 さかえ(あかぎ さかえ、男性、1908年6月3日 - 1967年5月16日)は、俳人、俳論家。本名・藤村 昌(さかえ)。 | ||
6月3日生まれの人  1908年生まれの人  広島県出身の1908年生まれの人 | ||
637 | 高藤武馬 広島県 広島市 | Wikipedia |
高藤 武馬(たかとう たけま、1906年2月15日 - 1990年8月19日)は、国文学者、俳人。 広島市生まれ。東京帝国大学文学部国文科卒。法政大学教授、1977年定年、名誉教授。柳田國男に師事して民俗学を学び、古典作品の現代語訳も多くおこなった。種田山頭火も研究し全集を編纂した。俳号・馬山人。 | ||
2月15日生まれの人  1906年生まれの人  広島県出身の1906年生まれの人 | ||
638 | 中村憲吉 広島県 | Wikipedia |
中村 憲吉(なかむら けんきち、1889年5月14日 - 1934年5月5日)は、歌人。 | ||
東京大学出身 広島県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
5月14日生まれの人  1889年生まれの人  広島県出身の1889年生まれの人 | ||
639 | 阪田恒四郎 広島県 竹原市 | Wikipedia |
阪田 恒四郎(さかた つねしろう、安政4年(1857年)7月 - 昭和19年(1944年)3月5日)は、日本の実業家、サカタインクス創業者。俳人。大中寅二は女婿、阪田寛夫は孫、大浦みずきは曾孫にあたる[2]。 | ||
1857年生まれの人  広島県出身の1857年生まれの人 |
640 | 香川景欽 広島県 広島市 | Wikipedia |
香川 景欽(かがわ かげよし、天明3年(1783年) - 天保2年9月18日(1831年10月23日))は、江戸時代後期の歌人。字は敬夫、後に君朋。号は雪屋。後に佐々木雅楽助、佐々木景欽と称した。 | ||
1783年生まれの人  広島県出身の1783年生まれの人 | ||
641 | 似雲 広島県 | Wikipedia |
似雲(じうん、寛文13年1月2日(1673年2月18日)- 宝暦3年7月8日(1753年8月6日))は、江戸時代中期の浄土真宗の僧・歌人。俗姓は河村氏。通称は金屋吉右衛門。安芸国の出身。 |
山口県
642 | 古川薫 山口県 | Wikipedia |
古川 薫(ふるかわ かおる、1925年6月5日 - )は、日本の小説家。妻は歌人の森重香代子。 | ||
山口大学出身 山口県出身の山口大学の出身者 全国の山口大学の出身者 | ||
6月5日生まれの人  1925年生まれの人  山口県出身の1925年生まれの人 | ||
643 | 井本農一 山口県 周南市 | Wikipedia |
井本 農一(いもと のういち、1913年3月30日 - 1998年10月10日)は、日本の国文学者、俳人、お茶の水女子大学名誉教授。 | ||
3月30日生まれの人  1913年生まれの人  山口県出身の1913年生まれの人 | ||
644 | 中原中也 山口県 山口市 | Wikipedia |
中原 中也(なかはら ちゅうや、1907年(明治40年)4月29日 - 1937年(昭和12年)10月22日)は、日本の詩人、歌人、翻訳家。旧姓は柏村。夭折したが350篇以上もの詩を残し、一部は、中也自身が編纂した詩集『山羊の歌』、『在りし日の歌』に収録されている。訳詩では『ランボオ詩集』を出版するなど、フランス人作家の翻訳もしている(他に少量だがアンドレ・ジイドほか)。日本大学予科、中央大学予科などを経て東京外国語学校(現在の東京外国語大学)専修科仏語部修了。 | ||
日本大学出身 山口県出身の日本大学の出身者 全国の日本大学の出身者 | ||
4月29日生まれの人  1907年生まれの人  山口県出身の1907年生まれの人 | ||
645 | 兼崎地橙孫 山口県 山口市 | Wikipedia |
兼崎 地橙孫(かねざき ぢとうそん、1890年(明治23年)3月27日 - 1957年(昭和32年)9月3日)は、山口県出身の日本の俳人、書家、弁護士。本名は理蔵。 | ||
京都大学出身 山口県出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
3月27日生まれの人  1890年生まれの人  山口県出身の1890年生まれの人 | ||
646 | 青木健作 山口県 周南市 | Wikipedia |
青木 健作(あおき けんさく、1883年11月27日 - 1964年12月16日)は、日本の小説家、俳人。法政大学名誉教授。本名は井本健作(青木家より井本家に養子)。国文学者・井本農一の父。 | ||
11月27日生まれの人  1883年生まれの人  山口県出身の1883年生まれの人 | ||
647 | 種田山頭火 山口県 防府市 | Wikipedia |
種田 山頭火(たねだ さんとうか、1882年(明治15年)12月3日 - 1940年(昭和15年)10月11日)は、戦前日本の俳人。よく山頭火と呼ばれる。自由律俳句のもっとも著名な俳人の一人。1925年に熊本市の曹洞宗報恩寺で出家得度して耕畝(こうほ)と改名。本名・種田正一。 | ||
早稲田大学出身 山口県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
12月3日生まれの人  1882年生まれの人  山口県出身の1882年生まれの人 | ||
648 | 田上菊舎 山口県 下関市 | Wikipedia |
菊舎(きくしゃ、女性、1753年11月8日(宝暦3年10月14日) - 1826年9月24日(文政9年8月23日))は江戸期の俳人。 | ||
11月8日生まれの人  1753年生まれの人  山口県出身の1753年生まれの人 | ||
649 | 久保白船 山口県 平生町 | Wikipedia未登録 |
俳人、層雲の周防三羽ガラス |
徳島県
650 | 大高翔 徳島県 阿南市 | Wikipedia |
大高 翔(おおたか しょう、1977年7月13日 - )は日本の女性俳人。「藍花」所属。徳島県阿南市出身。徳島県立城東高等学校、立教大学文学部卒業。大高翔はペンネーム。 | ||
立教大学出身 徳島県出身の立教大学の出身者 全国の立教大学の出身者 | ||
7月13日生まれの人  1977年生まれの人  徳島県出身の1977年生まれの人 | ||
651 | 村崎凡人 徳島県 松茂町 | Wikipedia |
村崎 凡人(むらさき ただひと、1914年(大正3年)1月12日 - 1989年(平成1年)5月10日)は、日本の国文学者、歌人、教育者。徳島文理大学等を経営する村崎学園理事長。 | ||
早稲田大学出身 徳島県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
1月12日生まれの人  1914年生まれの人  徳島県出身の1914年生まれの人 | ||
652 | 保科千代次 徳島県 | Wikipedia |
保科千代次(ほしな ちよじ、1906年(明治39年) - 1997年(平成9年))は、日本の文学者。歌人。作詞家。徳島県勝浦郡勝浦町出身。 | ||
1906年生まれの人  徳島県出身の1906年生まれの人 | ||
653 | 橋本夢道 徳島県 藍住町 | Wikipedia |
橋本 夢道(はしもと むどう、1903年4月11日 - 1974年10月9日)は、徳島県出身の俳人。本名橋本淳一。自由律の俳人として知られ、プロレタリア俳句運動の中心人物の一人として活動した。 | ||
4月11日生まれの人  1903年生まれの人  徳島県出身の1903年生まれの人 | ||
654 | 金沢治 徳島県 | Wikipedia |
金沢 治(かなざわ おさめ、1899年 - 1982年)は日本の言語学者。歌人。徳島県出身。 | ||
1899年生まれの人  徳島県出身の1899年生まれの人 | ||
655 | 佐野まもる 徳島県 徳島市 | Wikipedia |
佐野 まもる(さの まもる、1899年(明治32年)5月10日 - 1984年(昭和59年)7月14日)は、徳島県徳島市出身の俳人。旧制徳島中学(現徳島県立城南高等学校)卒業。 | ||
1899年生まれの人  徳島県出身の1899年生まれの人 | ||
656 | 松永周二 徳島県 徳島市 | Wikipedia |
松永 周二(まつなが しゅうじ、1884年(明治17年)6月6日 - 1972年(昭和47年)2月11日)は、徳島県徳島市出身の歌人。 | ||
1884年生まれの人  徳島県出身の1884年生まれの人 | ||
657 | 逢坂藍水 徳島県 つるぎ町 | Wikipedia |
逢坂 藍水(おうさか らんすい、1878年(明治11年)11月13日 - 1949年(昭和24年)2月11日)は、徳島県美馬郡つるぎ町(旧半田町)出身の歌人。 | ||
1878年生まれの人  徳島県出身の1878年生まれの人 |
香川県
658 | 対馬康子 香川県 高松市 | Wikipedia |
対馬 康子(つしま やすこ、1953年10月22日 - )は、俳人。香川県高松市に生まれる。小学校高学年より詩に興味を持ちはじめ、高松高校時代は文芸部に所属。1972年日本女子大学国文学科に入学、文芸部に入部し同人誌に詩や短文を執筆。東大学生俳句会と文芸部との合同ハイキングで西村我尼吾と出会い俳句を作り始める。 | ||
日本女子大学出身 香川県出身の日本女子大学の出身者 全国の日本女子大学の出身者 | ||
10月22日生まれの人  1953年生まれの人  香川県出身の1953年生まれの人 | ||
659 | 香川進 香川県 | Wikipedia |
香川進(かがわ すすむ、1910年7月15日-1998年10月13日)は、歌人。 | ||
神戸大学出身 香川県出身の神戸大学の出身者 全国の神戸大学の出身者 | ||
7月15日生まれの人  1910年生まれの人  香川県出身の1910年生まれの人 |
660 | 中河与一 香川県 | Wikipedia |
中河与一 (なかがわ よいち, 1897年(明治30年)2月28日 - 1994年(平成6年)12月12日) は、香川県生まれの小説家・歌人である。横光利一、川端康成と共に、新感覚派として活躍した。正字で中河與一と表記される場合もある。中河哀秋という筆名も持つ。 | ||
早稲田大学出身 香川県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
2月28日生まれの人  1897年生まれの人  香川県出身の1897年生まれの人 | ||
661 | 平賀源内 香川県 さぬき市 | Wikipedia |
平賀 源内(ひらが げんない、享保13年〈1728年〉- 安永8年12月18日〈1780年1月24日〉)は、江戸時代中頃の人物。本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家として知られる。 | ||
1728年生まれの人  香川県出身の1728年生まれの人 |
愛媛県
662 | 坂井修一 愛媛県 | Wikipedia |
坂井 修一(さかい しゅういち、1958年11月1日 - )は日本の歌人、情報理工学者、東京大学教授。愛媛県出身。 | ||
11月1日生まれの人  1958年生まれの人  愛媛県出身の1958年生まれの人 | ||
663 | 夏井いつき 愛媛県 | Wikipedia |
夏井 いつき(なつい いつき、1957年(昭和32年)5月13日 - )は日本の俳人・エッセイスト。愛媛県南宇和郡内海村(現愛南町)生まれ。愛媛県松山市在住[2]。 | ||
京都女子大学出身 愛媛県出身の京都女子大学の出身者 全国の京都女子大学の出身者 | ||
5月13日生まれの人  1957年生まれの人  愛媛県出身の1957年生まれの人 | ||
664 | 坪内稔典 愛媛県 | Wikipedia |
坪内 稔典(つぼうち としのり、俳号ではねんてん、1944年4月22日 - )は、日本の俳人。京都教育大学名誉教授。「船団の会」代表。研究者としての専門は日本近代文学で、特に正岡子規に関する著作・論考が多い。 | ||
立命館大学出身 愛媛県出身の立命館大学の出身者 全国の立命館大学の出身者 | ||
4月22日生まれの人  1944年生まれの人  愛媛県出身の1944年生まれの人 | ||
665 | 高野公彦 愛媛県 大洲市 | Wikipedia |
高野 公彦(たかの きみひこ、1941年12月10日 - )は日本の歌人。歌誌「コスモス」編集人、選者。本名は、日賀志康彦。 | ||
東京教育大学出身 愛媛県出身の東京教育大学の出身者 全国の東京教育大学の出身者 | ||
12月10日生まれの人  1941年生まれの人  愛媛県出身の1941年生まれの人 | ||
666 | 石田波郷 愛媛県 | Wikipedia |
石田 波郷(いしだ はきょう、1913年(大正2年)3月18日 - 1969年(昭和44年)11月21日)は、愛媛県出身の俳人。本名は哲大(てつお)。水原秋桜子に師事、「馬酔木」に拠ったのち、「鶴」を創刊・主宰。初期の青春性のあふれる叙情句からはじまり、自己の生活を見つめる、人間性に深く根ざした作風を追求、加藤楸邨、中村草田男らとともに人間探求派と呼ばれた。昭和戦前に流行した新興俳句運動を批判し、韻文精神の尊重を説き切れ字を重視。戦中には結核を発病し、戦後は病と対峙する自身の生活を題材とする境涯俳句を詠み続けた。 | ||
明治大学出身 愛媛県出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
3月18日生まれの人  1913年生まれの人  愛媛県出身の1913年生まれの人 | ||
667 | 山上次郎 愛媛県 | Wikipedia |
山上 次郎(やまがみ じろう、1913年(大正2年) - 2010年(平成22年))は、日本の歌人・文筆家。別名「童馬堂人」。 | ||
1913年生まれの人  愛媛県出身の1913年生まれの人 | ||
668 | 篠原梵 愛媛県 | Wikipedia |
篠原 梵(しのはら ぼん、1910年4月15日 - 1975年10月17日)は、愛媛県出身の俳人、編集者・出版者。伊予郡南伊予村(現・伊予市)生。本名・敏之(としゆき)。俳号「梵」は郷里の松山で子供のことを「ボン」と呼んだことによるという。 | ||
4月15日生まれの人  1910年生まれの人  愛媛県出身の1910年生まれの人 | ||
669 | 芝不器男 愛媛県 | Wikipedia |
芝 不器男(しば ふきお、1903年(明治36年)4月18日 - 1930年(昭和5年)2月24日)は、愛媛県出身の俳人。「天の川」の代表作家として活躍、「ホトトギス」でも四S以降の新人として注目されたが、句歴四年、26歳で夭折した。 | ||
4月18日生まれの人  1903年生まれの人  愛媛県出身の1903年生まれの人 | ||
670 | 富沢赤黄男 愛媛県 | Wikipedia |
富澤 赤黄男(とみざわ かきお、1902年7月14日 - 1962年3月7日)は愛媛県出身の俳人。本名富澤正三(とみざわ しょうぞう)。新興俳句の担い手として、現代詩の一分野としてのモダニズム俳句を追求した。代表句に「蝶墜ちて大音響の結氷期」がある。 | ||
7月14日生まれの人  1902年生まれの人  愛媛県出身の1902年生まれの人 | ||
671 | 富澤赤黄男 愛媛県 八幡浜市 | Wikipedia |
富澤 赤黄男(とみざわ かきお、1902年7月14日 - 1962年3月7日)は愛媛県出身の俳人。本名富澤正三(とみざわ しょうぞう)。新興俳句の担い手として、現代詩の一分野としてのモダニズム俳句を追求した。代表句に「蝶墜ちて大音響の結氷期」がある。 | ||
早稲田大学出身 愛媛県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
7月14日生まれの人  1902年生まれの人  愛媛県出身の1902年生まれの人 | ||
672 | 深川正一郎 愛媛県 | Wikipedia |
深川 正一郎(ふかがわ しょういちろう、1902年3月6日 - 1987年8月12日)は、愛媛県出身の俳人。上山村(現四国中央市)生。11歳で両親と死別し祖父母に育てられる。川之江二洲学舎卒。在学中より俳句・短歌をたしなむ。1924年、文芸春秋社に入社。1930年、日本コロムビア編集長に就任。翌年、俳句朗読の録音で高浜虚子と知り合い師事する。のち「ホトトギス」同人。1949年「冬扇」を創刊・主宰。1973年、妻の健康のため「冬扇」を終刊。1987年、「ホトトギス」同人会長となり、また日本伝統俳句協会設立に伴い初代副会長に就任。高浜虚子、高浜年尾、稲畑汀子と三代にわたって師事し「ホトトギス」の重鎮として活躍。また「山会」の主要メンバーで写生文でも活躍した。1987年8月12日死去、85歳。句集に『正一郎句集』(1948年)『正一郎句集』(1982年)『深川正一郎句集』(1989年)。また『定本 川端茅舎句集』(1946年)『定本 虚子全集』(1948-49年)『定本 高浜虚子全集』(1973年-75年』等の編集に携わった。娘の川口咲子も俳人。 | ||
3月6日生まれの人  1902年生まれの人  愛媛県出身の1902年生まれの人 | ||
673 | 中村草田男 愛媛県 | Wikipedia |
中村 草田男(なかむら くさたお、1901年(明治34年)7月24日 - 1983年(昭和58年)8月5日)は、愛媛県出身の俳人。本名清一郎(せいいちろう)。東京大学国文科卒。高浜虚子に師事、「ホトトギス」で客観写生を学びつつ、ニーチェなどの西洋思想から影響を受け、生活や人間性に根ざした句を模索。石田波郷、加藤楸邨らとともに人間探求派と呼ばれた。「萬緑」を創刊・主宰。戦後は第二芸術論争をはじめとして様々な俳句論争で主導的な役割をもった。 | ||
東京大学出身 愛媛県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
7月24日生まれの人  1901年生まれの人  愛媛県出身の1901年生まれの人 | ||
674 | 野村朱鱗洞 愛媛県 | Wikipedia |
野村 朱鱗洞(のむら しゅりんどう、1893年(明治26年)11月26日 - 1918年(大正7年)10月31日)は、愛媛県温泉郡素鵞村(現・松山市小坂町)出身の俳人である。本名は守隣(もりちか)。前号に柏葉、朱燐洞など。 | ||
11月26日生まれの人  1893年生まれの人  愛媛県出身の1893年生まれの人 | ||
675 | 松根東洋城 愛媛県 | Wikipedia |
松根 東洋城(まつね とうようじょう、1878年2月25日 - 1964年10月28日)は俳人。本名は豊次郎で俳号はこれをもじったもの。夏目漱石の門下生。 | ||
2月25日生まれの人  1878年生まれの人  愛媛県出身の1878年生まれの人 | ||
676 | 寒川鼠骨 愛媛県 | Wikipedia |
寒川 鼠骨(さむかわ そこつ、1875年(明治8年)11月3日 - 1954年(昭和29年)8月18日)は、正岡子規門下の俳人。病床の子規に侍り、遺族を見守り、遺墨・遺構の保存に尽くした。 | ||
11月3日生まれの人  1875年生まれの人  愛媛県出身の1875年生まれの人 | ||
677 | 高浜虚子 愛媛県 | Wikipedia |
高浜 虚子(たかはま きょし、旧字体:高濱 虛子、1874年(明治7年)2月22日 - 1959年(昭和34年)4月8日)は明治・昭和期の俳人・小説家。本名は高浜 清(たかはま きよし、旧字体:高濱 淸)。 | ||
東北大学出身 愛媛県出身の東北大学の出身者 全国の東北大学の出身者 | ||
2月22日生まれの人  1874年生まれの人  愛媛県出身の1874年生まれの人 | ||
678 | 河東碧梧桐 愛媛県 | Wikipedia |
河東碧梧桐(かわひがし へきごとう、1873年(明治6年)2月26日 - 1937年(昭和12年)2月1日)は、日本の俳人・随筆家。本名は秉五郎(へいごろう)。 | ||
東北大学出身 愛媛県出身の東北大学の出身者 全国の東北大学の出身者 | ||
2月26日生まれの人  1873年生まれの人  愛媛県出身の1873年生まれの人 | ||
679 | 森田雷死久 愛媛県 松前町 | Wikipedia |
森田 雷死久(もりた らいしきゅう、1872年(明治5年)1月26日-1914年(大正3年)6月8日)は、日本の俳人、僧侶。愛媛県生まれ、本名は愛五郎、僧名は貫了。 | ||
51月26日生まれの人  1872年生まれの人  愛媛県出身の1872年生まれの人 |
680 | 正岡子規 愛媛県 | Wikipedia |
正岡 子規(まさおか しき、1867年10月14日(慶応3年9月17日) - 1902年(明治35年)9月19日)は、日本の俳人、歌人、国語学研究家。名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。 | ||
東京大学出身 愛媛県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
10月14日生まれの人  1867年生まれの人  愛媛県出身の1867年生まれの人 | ||
681 | 内藤鳴雪 愛媛県 | Wikipedia |
内藤鳴雪(ないとう めいせつ、1847年5月29日(弘化4年4月15日) - 1926年(大正15年)2月20日)は、幕末の伊予松山藩の武士、明治期の官吏、明治・大正期の俳人。幼名助之進、元服して師克(もろかつ)、のち素行(もとゆき)。俳号の『鳴雪』は、『何事も成行きに任す』の、当て字という。 | ||
5月29日生まれの人  1847年生まれの人  愛媛県出身の1847年生まれの人 | ||
682 | 勝田主計 愛媛県 | Wikipedia |
勝田 主計(しょうだ かずえ、明治2年旧暦9月15日(1869年10月19日)- 昭和23年(1948年)10月10日)は日本の大蔵官僚、政治家。同郷の俳人・正岡子規や海軍軍人・秋山真之の友人だった。 | ||
東京大学出身 愛媛県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
683 | 柳原極堂 愛媛県 | Wikipedia |
柳原 極堂(やなぎはら きょくどう、慶応3年2月11日(1867年3月16日) - 昭和32年(1957年)10月7日)は愛媛県出身の俳人である。 | ||
684 | 中井コッフ 愛媛県 宇和島市 | Wikipedia未登録 |
歌人、医師 |
高知県
685 | 谷岡亜紀 高知県 高知市 | Wikipedia |
谷岡 亜紀(たにおか あき、男性、1959年11月19日 - )は、歌人。 | ||
早稲田大学出身 高知県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
11月19日生まれの人  1959年生まれの人  高知県出身の1959年生まれの人 | ||
686 | 尾池和夫 高知県 | Wikipedia |
尾池 和夫(おいけ かずお、1940年(昭和15年)5月31日 - )は、日本の地震学者。京都造形芸術大学学長。元京都大学総長。理学博士。東京府出身。 | ||
5月31日生まれの人  1940年生まれの人  高知県出身の1940年生まれの人 | ||
687 | 松田ひろむ 高知県 | Wikipedia |
松田 ひろむ(まつだ ひろむ、1938年8月25日-)は俳人。本名は英孝(ひでたか)。 | ||
8月25日生まれの人  1938年生まれの人  高知県出身の1938年生まれの人 | ||
688 | 仁智栄坊 高知県 | Wikipedia |
仁智 栄坊(にち えいぼう、1910年7月8日 - 1993年3月31日)は俳人。高知県高知市生まれ。本名は北尾一水(きたお かずみ)。 | ||
7月8日生まれの人  1910年生まれの人  高知県出身の1910年生まれの人 | ||
689 | 右城暮石 高知県 | Wikipedia |
右城 暮石(うしろ ぼせき、1899年7月16日 - 1995年8月9日)は、高知県出身の俳人。長岡郡本山町字古田小字暮石に生まれる。本名は斎(いつき)で、俳号の暮石は出身地の小字の名による。 | ||
7月16日生まれの人  1899年生まれの人  高知県出身の1899年生まれの人 | ||
690 | 楠目橙黄子 高知県 | Wikipedia |
楠目橙黄子(くすめ とうこうし、1889年(明治22年)5月4日 - 1940年(昭和15年)5月8日)は俳人。 | ||
5月4日生まれの人  1889年生まれの人  高知県出身の1889年生まれの人 | ||
691 | 寺田寅彦 高知県 | Wikipedia |
寺田 寅彦(てらだ とらひこ、1878年(明治11年)11月28日 - 1935年(昭和10年)12月31日)は、戦前の日本の物理学者、随筆家、俳人であり吉村冬彦(大正11年から使用)、寅日子、牛頓(“ニュートン”)、藪柑子(“やぶこうじ”)の筆名でも知られる。高知県出身(出生地は東京市)。 | ||
東京大学出身 高知県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
11月28日生まれの人  1878年生まれの人  高知県出身の1878年生まれの人 | ||
692 | 大町桂月 高知県 | Wikipedia |
大町 桂月(おおまち けいげつ、1869年3月6日(明治2年1月24日)- 1925年(大正14年)6月10日)は高知県出身で、近代日本の詩人、歌人、随筆家、評論家。本名:大町芳衛(よしえ)。 | ||
3月6日生まれの人  1869年生まれの人  高知県出身の1869年生まれの人 |
福岡県
693 | 田中濯 福岡県 福岡市 | Wikipedia |
田中 濯(1976年 - )は、歌人。福岡県福岡市出身。 | ||
京都大学出身 福岡県出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
1976年生まれの人  福岡県出身の1976年生まれの人 | ||
694 | 中沢直人 福岡県 福岡市 | Wikipedia |
中沢 直人(なかざわ なおと、1969年11月22日 - )は、日本の歌人、憲法学者。専門は英米法、憲法。成蹊大学法学部法律学科教授。本名、安部圭介。 | ||
東京大学出身 福岡県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
11月22日生まれの人  1969年生まれの人  福岡県出身の1969年生まれの人 | ||
695 | 高橋睦郎 福岡県 北九州市 | Wikipedia |
高橋 睦郎(たかはし むつお、1937年12月15日 - )は、日本の詩人、歌人、俳人。 | ||
福岡教育大学出身 福岡県出身の福岡教育大学の出身者 全国の福岡教育大学の出身者 | ||
12月15日生まれの人  1937年生まれの人  福岡県出身の1937年生まれの人 | ||
696 | 眞鍋呉夫 福岡県 岡垣町 | Wikipedia |
真鍋 呉夫(まなべ くれお、1920年1月25日 - 2012年6月5日)は日本の作家・文筆家・俳人。 | ||
1月25日生まれの人  1920年生まれの人  福岡県出身の1920年生まれの人 | ||
697 | 福田廣宣 福岡県 久留米市 | Wikipedia |
福田廣宣(ふくだ ひろのぶ、1912年1月5日 - )は、日本の歌人。 | ||
1月5日生まれの人  1912年生まれの人  福岡県出身の1912年生まれの人 | ||
698 | 下村梅子 福岡県 福岡市 | Wikipedia |
下村 梅子(しもむら うめこ、1912年〈明治45年〉5月7日 - 2012年〈平成24年〉5月10日)は、日本の俳人。福岡県生まれ。「かつらぎ」特別同人。阿波野青畝に師事。「かつらぎ」の代表作家。夫は俳人の下村非文(1902年 - 1987年)。俳人協会名誉会員。 | ||
5月7日生まれの人  1912年生まれの人  福岡県出身の1912年生まれの人 | ||
699 | 伊馬春部 福岡県 北九州市 | Wikipedia |
伊馬 春部(いま はるべ、1908年(明治41年)5月30日 - 1984年(昭和59年)3月17日)は日本の作家、劇作家。本名は高崎英雄。旧筆名は伊馬鵜平。戦前から戦後にかけてユーモア小説やラジオドラマなどの分野で活躍。釈迢空門下の歌人としても知られる。 | ||
1908年生まれの人  福岡県出身の1908年生まれの人 |
700 | 小野賢一郎 福岡県 | Wikipedia |
小野 蕪子(おの ぶし、1888年7月2日 - 1943年2月1日)は、大正から昭和初期に活動した日本の俳人。本名は小野賢一郎。 | ||
7月2日生まれの人  1888年生まれの人  福岡県出身の1888年生まれの人 | ||
701 | 小野蕪子 福岡県 芦屋町 | Wikipedia |
小野 蕪子(おの ぶし、1888年7月2日 - 1943年2月1日)は、大正から昭和初期に活動した日本の俳人。本名は小野賢一郎。 | ||
7月2日生まれの人  1888年生まれの人  福岡県出身の1888年生まれの人 | ||
702 | 北原白秋 福岡県 柳川市 | Wikipedia |
北原 白秋(きたはら はくしゅう、1885年(明治18年)1月25日 - 1942年(昭和17年)11月2日)は、日本の詩人、童謡作家、歌人。本名は北原 隆吉(きたはら りゅうきち)。詩、童謡、短歌以外にも、新民謡(「松島音頭」・「ちゃっきり節」等)の分野にも傑作を残している。生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表するなど、活躍した時代は「白露時代」と呼ばれる近代の日本を代表する詩人である。 | ||
早稲田大学出身 福岡県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
1月25日生まれの人  1885年生まれの人  福岡県出身の1885年生まれの人 | ||
703 | 井上微笑 福岡県 | Wikipedia |
井上 微笑(いのうえ びしょう、1867年8月1日(慶応3年7月2日) - 1936年(昭和11年)6月12日)は、俳人。 | ||
8月1日生まれの人  1867年生まれの人  福岡県出身の1867年生まれの人 | ||
704 | 野村望東尼 福岡県 | Wikipedia |
野村 望東尼(のむら もとに、ぼうとうに[2][3])、文化3年9月6日(1806年10月17日) - 慶応3年11月6日(1867年12月1日))は、幕末の女流歌人・勤王家。福岡藩士・浦野重右衛門勝幸の娘(三女)で、幼名は"モト"[2][3]。贈正五位。 | ||
9月6日生まれの人  1233年生まれの人  福岡県出身の1233年生まれの人 | ||
705 | 伊藤常足 福岡県 鞍手町 | Wikipedia |
伊藤 常足(いとう つねたり、安永3年12月21日(1775年1月22日) - 安政5年11月19日(1858年12月23日))は、江戸時代の国学者、歌人、教育者。筑前国鞍手の人。号は槙家など。 | ||
706 | 小田宅子 福岡県 中間市 | Wikipedia未登録 |
江戸時代後期の歌人 | ||
707 | 鹿児島寿蔵 福岡県 福岡市 | Wikipedia未登録 |
人形作家、歌人 |
佐賀県
708 | 笹井宏之 佐賀県 有田町 | Wikipedia |
笹井 宏之(ささい ひろゆき、1982年8月1日 - 2009年1月24日)は、歌人。歌誌「未来」所属。本名、筒井宏之。実父の筒井孝司は碗琴奏者。 | ||
8月1日生まれの人  1982年生まれの人  佐賀県出身の1982年生まれの人 | ||
709 | 大串章 佐賀県 嬉野市 | Wikipedia |
大串 章(おおぐし あきら、1937年(昭和12年)11月6日 - )は佐賀県出身の俳人。嬉野町(現、嬉野市)生まれ。若い頃より文学に関心を持ち、1950年、「毎日中学生新聞」にて俳句等を投稿していた。1958年に京都大学経済学部に入学、俳句同人誌「青炎」や「京大俳句会」に参加。大学卒業後は日本鋼管(現JFEスチール)に就職。1959年、大野林火主宰の「濱」に参加。1994年、「百鳥」を創刊し、主宰。 | ||
1937年生まれの人  佐賀県出身の1937年生まれの人 | ||
710 | 岡崎万寿秀 佐賀県 唐津市 | Wikipedia |
岡崎 万寿秀(おかざき ますひで、1930年1月1日 - )は、日本の政治家、俳人。元衆議院議員(日本共産党公認、2期)。日本共産党名誉幹部会顧問を経て、同党名誉役員。俳号は万寿(まんじゅ)。 | ||
1月1日生まれの人  1930年生まれの人  佐賀県出身の1930年生まれの人 | ||
711 | 高田保馬 佐賀県 | Wikipedia |
高田 保馬(たかた やすま、1883年(明治16年)12月27日 - 1972年(昭和47年)2月2日)は日本の経済学者、社会学者。文学博士。歌人。文化功労者。京都大学名誉教授。大阪大学名誉教授。 | ||
12月27日生まれの人  1883年生まれの人  佐賀県出身の1883年生まれの人 | ||
712 | 満岡伸一 佐賀県 佐賀市 | Wikipedia |
満岡 伸一(みつおか しんいち、1882年 - 1950年)は、アイヌ文化研究家、俳人。妻の照子は北海道白老郡白老町に生まれ育ち、女流歌人として知られる。 | ||
1882年生まれの人  佐賀県出身の1882年生まれの人 | ||
713 | 渋川玄耳 佐賀県 | Wikipedia |
渋川 玄耳(しぶかわ げんじ、1872年6月3日(明治5年4月28日) - 1926年(大正15年)4月9日)は、明治期に活躍したジャーナリスト、随筆家、俳人。佐賀県出身。本名渋川柳次郎。ほかに薮野椋十(やぶの むくじゅう)の筆名を用いる。 | ||
中央大学出身 佐賀県出身の中央大学の出身者 全国の中央大学の出身者 | ||
6月3日生まれの人  1872年生まれの人  佐賀県出身の1872年生まれの人 |
長崎県
714 | 五島高資 長崎県 | Wikipedia |
五島 高資(ごとう たかとし、1968年(昭和43年)5月23日[2] - )は 俳人、医師(博士(医学))、地域学者。別号、篁風(こうふう)。栃木県宇都宮市在住[2]。なお五島高資というのは本名ではなく俳人名。 | ||
5月23日生まれの人  1968年生まれの人  長崎県出身の1968年生まれの人 | ||
715 | 清水崑 長崎県 | Wikipedia |
清水 崑(しみず こん、本名:清水 幸雄、1912年9月22日 - 1974年3月27日)は昭和の漫画家。長崎県長崎市出身。妻は歌人の清水恒子、その姉は俳人の石橋秀野(山本健吉夫人)。 | ||
9月22日生まれの人  1912年生まれの人  長崎県出身の1912年生まれの人 | ||
716 | 山本康夫 長崎県 諫早市 | Wikipedia |
山本 康夫(やまもと やすお、1902年10月27日 - 1983年5月30日)は広島県で活動した日本の歌人。1930年より広島で短歌結社「真樹」(しんじゅ)を主宰。日本歌人クラブ中国地区幹事や、広島県歌人クラブ会長も務めた。「真樹」の活動で第2回(1981年度)広島文化賞を受賞。短歌の理念として「内面客観」の理論を唱えた。 | ||
10月27日生まれの人  1902年生まれの人  長崎県出身の1902年生まれの人 | ||
717 | 真鍋儀十 長崎県 壱岐市 | Wikipedia |
真鍋 儀十(まなべ ぎじゅう、1891年(明治24年)9月16日 - 1982年(昭和57年)4月29日)は日本の政治家、俳人、文学研究家。松尾芭蕉の研究家として知られ、そのコレクションは江東区芭蕉記念館に寄付された。高浜虚子に師事、「ホトトギス」同人。俳号は蟻十。 | ||
1891年生まれの人  長崎県出身の1891年生まれの人 | ||
718 | 井上孚麿 長崎県 | Wikipedia |
井上 孚麿(いのうえ たかまろ、1891年(明治24年) - 1978年(昭和53年))は、日本の歌人・法学者。元台北帝国大学教授、元法政大学教授、元亜細亜大学教授。 | ||
東京大学出身 長崎県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
1891年生まれの人  長崎県出身の1891年生まれの人 | ||
719 | 荒木周道 長崎県 長崎市 | Wikipedia |
荒木 周道(あらき かねみち/しゅうどう、1840年(天保11年) - 1910年(明治43年)11月)は、 明治時代の教育者。長崎郷土史研究家。俳人。板垣絹子の実兄。 | ||
1840年生まれの人  長崎県出身の1840年生まれの人 |
熊本県
720 | 浜名理香 熊本県 熊本市 | Wikipedia |
浜名 理香(はまな りか、1963年〈昭和38年〉6月11日 − )は、日本の歌人。熊本市出身で、短歌結社「石流」を主宰。 | ||
熊本大学出身 熊本県出身の熊本大学の出身者 全国の熊本大学の出身者 | ||
6月11日生まれの人  1963年生まれの人  熊本県出身の1963年生まれの人 | ||
721 | 長谷川櫂 熊本県 宇城市 | Wikipedia |
長谷川 櫂(はせがわ かい、1954年2月20日 - )は、日本の俳人。『俳句の宇宙』で1990年度サントリー学芸賞[2]。元読売新聞社文化部記者[2]。 | ||
東京大学出身 熊本県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
2月20日生まれの人  1954年生まれの人  熊本県出身の1954年生まれの人 | ||
722 | 正木ゆう子 熊本県 熊本市 | Wikipedia |
正木 ゆう子(まさき ゆうこ、1952年6月22日 - )は、日本の俳人。熊本県熊本市生まれ。本姓・笠原。熊本県立熊本高等学校、お茶の水女子大学卒業。大学時代の1973年、兄正木浩一に誘われて「沖」入会、能村登四郎に師事。また福永耕二、坂巻純子に親しむ。大学卒業後は広告会社に務め、1977年結婚。1986年、第一句集『水晶体』を私家版で刊行。 | ||
6月22日生まれの人  1952年生まれの人  熊本県出身の1952年生まれの人 | ||
723 | あざ蓉子 熊本県 | Wikipedia |
あざ 蓉子(あざ ようこ、1947年 - )は、俳人。熊本県生。1979年「天籟通信」入会。1988年、第12回天籟通信賞受賞。1990年、第22回九州俳句賞受賞。1993年、「豈」「船団」に入会。1996年、第37回熊日文学賞受賞。1998年「花組」創刊・主宰。2001、句集『猿楽』にて第6回中新田俳句大賞スウェーデン賞受賞。2002年、第57回現代俳句協会賞受賞。他の句集に『夢数へ』『ミロの島』『天気雨』がある。2012年玉名市草枕交流館館長に就任。 | ||
1947年生まれの人  熊本県出身の1947年生まれの人 | ||
724 | 河野裕子 熊本県 | Wikipedia |
河野 裕子(かわの ゆうこ、1946年7月24日 - 2010年8月12日)は、日本の歌人。「塔」選者。夫は歌人の永田和宏。長男永田淳、長女永田紅も歌人。 | ||
京都女子大学出身 熊本県出身の京都女子大学の出身者 全国の京都女子大学の出身者 | ||
7月24日生まれの人  1946年生まれの人  熊本県出身の1946年生まれの人 | ||
725 | 丸木政臣 熊本県 | Wikipedia |
丸木 政臣(まるき まさおみ、1924年10月10日 -2013年6月6日 )は、日本の教育評論家、歌人、和光学園園長。熊本県生まれ。 | ||
10月10日生まれの人  1924年生まれの人  熊本県出身の1924年生まれの人 | ||
726 | 谷川健一 熊本県 水俣市 | Wikipedia |
谷川 健一(たにがわ けんいち、1921年7月28日 - 2013年8月24日、満92歳没)は、日本の民俗学者、地名学者、作家、歌人。日本地名研究所所長。 | ||
東京大学出身 熊本県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
7月28日生まれの人  1921年生まれの人  熊本県出身の1921年生まれの人 | ||
727 | 上村占魚 熊本県 人吉市 | Wikipedia |
上村 占魚(うえむら せんぎょ、1920年9月5日 - 1996年2月29日)は、俳人、随筆家。熊本県人吉市生まれ。本名・武喜。東京美術学校卒。『ホトトギス』同人。松本たかしに師事。『みそさざい』主宰。 | ||
9月5日生まれの人  1920年生まれの人  熊本県出身の1920年生まれの人 | ||
728 | 有働亨 熊本県 | Wikipedia |
有働 亨(うどう とおる、1920年9月3日 - 2010年6月30日)は、俳人。 | ||
9月3日生まれの人  1920年生まれの人  熊本県出身の1920年生まれの人 | ||
729 | 安永蕗子 熊本県 熊本市 | Wikipedia |
安永 蕗子(やすなが ふきこ、1920年(大正9年)2月19日 - 2012年(平成24年)3月17日)は、熊本県熊本市御徒町(現・中央区安政町)出身の歌人・宮中歌会始選者。熊本県熊本市名誉市民。「春炎」の号を持つ書家でもあり、毎日書道展名誉会員。ノンフィクション作家の永畑道子は妹。 | ||
熊本大学出身 熊本県出身の熊本大学の出身者 全国の熊本大学の出身者 | ||
2月19日生まれの人  1920年生まれの人  熊本県出身の1920年生まれの人 | ||
730 | 東明雅 熊本県 熊本市 | Wikipedia |
東 明雅(ひがし あきまさ、1915年3月7日 - 2003年10月20日)は、国文学者、俳人。 | ||
3月7日生まれの人  1915年生まれの人  熊本県出身の1915年生まれの人 | ||
731 | 木下順二 熊本県 | Wikipedia |
木下 順二(きのした じゅんじ、1914年(大正3年)8月2日 - 2006年(平成18年)10月30日)は、日本の劇作家、評論家。代表作に『夕鶴』がある。日本劇作家協会顧問。伯父は佐々醒雪(俳人、国文学者)。著名な進歩的文化人であった。 | ||
東京大学出身 熊本県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
8月2日生まれの人  1914年生まれの人  熊本県出身の1914年生まれの人 | ||
732 | 大久保武雄 熊本県 西通町 | Wikipedia |
大久保 武雄(おおくぼ たけお、1903年11月24日 - 1996年10月14日)は、日本の政治家。衆議院議員(7期)。俳人でもあり、俳号は大久保橙青(おおくぼ とうせい)と言う。勲一等瑞宝章。 | ||
11月24日生まれの人  1903年生まれの人  熊本県出身の1903年生まれの人 | ||
733 | 中村汀女 熊本県 熊本市 | Wikipedia |
中村 汀女(なかむら ていじょ、1900年(明治33年)4月11日 - 1988年(昭和63年)9月20日)は、俳人。本名、破魔子(はまこ)。星野立子・橋本多佳子・三橋鷹女とともに4Tと呼ばれた、昭和を代表する女流俳人。 | ||
4月11日生まれの人  1900年生まれの人  熊本県出身の1900年生まれの人 | ||
734 | 森本治吉 熊本県 | Wikipedia |
森本 治吉(もりもと じきち、1900年1月10日 - 1977年1月12日)は歌人・国文学者、文学博士、二松学舎大学名誉教授。歌人の槇弥生子は子の妻。歌人の森本平は孫。 | ||
1月10日生まれの人  1900年生まれの人  熊本県出身の1900年生まれの人 | ||
735 | 西島麦南 熊本県 熊本市 | Wikipedia |
西島 麦南(にしじま ばくなん、1895年1月10日 - 1981年10月11日)は、熊本県出身の俳人。本名西島九州男(にしじま くすお)。熊本県鹿本郡植木町(現・熊本市北区植木町)生まれ。済々黌卒業。1915年、「雲母」の前身「キラヽ」に参加。1916年、武者小路実篤の「新しき村」に参加し、1923年まで農耕に従事。のち上京し飯田蛇笏に師事。俳壇的成功には無欲で、自ら「生涯山廬門弟子」と称し、蛇笏の没後も飯田龍太を助け「雲母」一筋の俳人として活動。蛇笏の好みを受け継ぎ格の高い句を作った。また戦後は岩波書店に勤め30年以上在職、「校正の神様」とたたえられた。1965年文化人間賞受賞。句集に『金剛纂』『人音』『西島麦南全句集』がある。 | ||
1月10日生まれの人  1895年生まれの人  熊本県出身の1895年生まれの人 | ||
736 | 宮崎龍介 熊本県 荒尾市 | Wikipedia |
宮崎 龍介(みやざき りゅうすけ、1892年(明治25年)11月2日 - 1971年(昭和46年)1月23日)は、大正・昭和期の編集者・弁護士・社会運動家。孫文の盟友の宮崎滔天の長男。母は前田案山子の三女・槌子。有夫であった歌人・柳原白蓮と駆け落ちした白蓮事件で知られる。竜介とも。 | ||
11月2日生まれの人  1892年生まれの人  熊本県出身の1892年生まれの人 | ||
737 | 宮部寸七翁 熊本県 熊本市 | Wikipedia |
宮部 寸七翁(みやべ すなお、1887年1月12日 - 1926年1月30日)は、日本のジャーナリスト、俳人。 | ||
早稲田大学出身 熊本県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
1月12日生まれの人  1887年生まれの人  熊本県出身の1887年生まれの人 | ||
738 | 北原白秋 熊本県 南関町 | Wikipedia |
北原 白秋(きたはら はくしゅう、1885年(明治18年)1月25日 - 1942年(昭和17年)11月2日)は、日本の詩人、童謡作家、歌人。本名は北原 隆吉(きたはら りゅうきち)。詩、童謡、短歌以外にも、新民謡(「松島音頭」・「ちゃっきり節」等)の分野にも傑作を残している。生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表するなど、活躍した時代は「白露時代」と呼ばれる近代の日本を代表する詩人である。 | ||
早稲田大学出身 熊本県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
1月25日生まれの人  1885年生まれの人  熊本県出身の1885年生まれの人 | ||
739 | 宗不旱 熊本県 熊本市 | Wikipedia |
宗 不旱(そう ふかん、1884年5月14日 - 1942年5月末)は、歌人。万葉調の歌をよみ、漂泊の歌人と称された。 | ||
5月14日生まれの人  1884年生まれの人  熊本県出身の1884年生まれの人 |
740 | 篠原温亭 熊本県 宇土市 | Wikipedia |
篠原 温亭(しのはら おんてい、1872年3月9日(明治5年2月1日) - 1926年(大正15年)9月2日)は、俳人、小説家。 | ||
龍谷大学出身 熊本県出身の龍谷大学の出身者 全国の龍谷大学の出身者 | ||
3月9日生まれの人  1872年生まれの人  熊本県出身の1872年生まれの人 | ||
741 | 井上微笑 熊本県 湯前町 | Wikipedia |
井上 微笑(いのうえ びしょう、1867年8月1日(慶応3年7月2日) - 1936年(昭和11年)6月12日)は、俳人。 | ||
8月1日生まれの人  1867年生まれの人  熊本県出身の1867年生まれの人 | ||
742 | 中島広足 熊本県 熊本市 | Wikipedia |
中島 広足(なかじま ひろたり、1792年4月25日(寛政4年3月5日) - 1864年2月28日(文久4年1月21日))は、江戸時代後期の熊本藩士、国学者、歌人。橿園(かしぞの、きょうえん)と号した。 | ||
4月25日生まれの人  1792年生まれの人  熊本県出身の1792年生まれの人 | ||
743 | 西山宗因 熊本県 八代市 | Wikipedia |
西山 宗因(にしやま そういん、慶長10年(1605年) - 天和2年3月28日(1682年5月5日))は、江戸時代前期の俳人・連歌師。本名は西山豊一。父は加藤清正の家臣西山次郎左衛門。通称次郎作。俳号は一幽と称し、宗因は連歌名。生れは肥後国八代(現熊本県八代市) 。談林派の祖。 | ||
10年生まれの人  熊本県出身の10年生まれの人 | ||
744 | 文暁 熊本県 八代市 | Wikipedia未登録 |
俳人 | ||
745 | 池辺義象 熊本県 | Wikipedia |
池辺 義象(いけべ よしかた、文久元年10月3日(1861年11月5日) - 大正12年(1923年)3月6日)は、国文学者、歌人。 | ||
746 | 檜垣嫗 熊本県 | Wikipedia |
檜垣嫗(桧垣媼、ひがきのおうな)は生没年不詳、平安時代中期(10世紀)の女性歌人。様々な伝説に包まれ、その正体は詳らかでない。『檜垣嫗集』は、歌物語風に仕立てられた家集である。 |
大分県
747 | 川野里子 大分県 竹田市 | Wikipedia |
川野 里子(かわの さとこ、1959年5月27日- )は、歌人。本姓・高橋。 | ||
千葉大学出身 大分県出身の千葉大学の出身者 全国の千葉大学の出身者 | ||
5月27日生まれの人  1959年生まれの人  大分県出身の1959年生まれの人 | ||
748 | 松下竜一 大分県 中津市 | Wikipedia |
松下龍一(まつした りゅういち、1937年(昭和11年)2月15日 - 2004年(平成16年)6月17日 )は、日本の小説家、歌人。大分県中津市出身。大分県立中津北高等学校卒業。主要な作品は、記録文学。初期の代表作は、『豆腐屋の四季』。 | ||
2月15日生まれの人  1937年生まれの人  大分県出身の1937年生まれの人 | ||
749 | 徳田白楊 大分県 豊後大野市 | Wikipedia |
徳田 白楊 (とくだ はくよう、本名:森下文夫、1911年5月28日 - 1933年1月19日)は、昭和初期のアララギ派の歌人である。アララギ派の天才と呼ばれ、将来を有望されていた歌人。 | ||
5月28日生まれの人  1911年生まれの人  大分県出身の1911年生まれの人 | ||
750 | 大悟法利雄 大分県 中津市 | Wikipedia |
大悟法 利雄(だいごぼう としお、1898年12月23日 - 1990年11月26日)は、日本の歌人。 | ||
12月23日生まれの人  1898年生まれの人  大分県出身の1898年生まれの人 | ||
751 | 庄武憲太郎 大分県 杵築市 | Wikipedia |
庄武 憲太郎(しょうたけ けんたろう、1893年2月22日 - 1952年5月27日)は、昭和時代戦前の日本の作詞家、歌人、旧制中学校教諭。号は春鳥(しゅんちょう)。大分県出身。 | ||
2月22日生まれの人  1893年生まれの人  大分県出身の1893年生まれの人 | ||
752 | 江口章子 大分県 豊後高田市 | Wikipedia |
江口 章子(えぐち あやこ、1888年(明治21年)4月1日 - 1946年(昭和21年)12月29日)は、歌人、詩人。北原白秋の2番目の妻。 | ||
1888年生まれの人  大分県出身の1888年生まれの人 |
宮崎県
753 | 吉川宏志 宮崎県 日向市 | Wikipedia |
吉川 宏志(よしかわ ひろし、1969年1月15日 - )は、日本の歌人。塔短歌会主宰。夫人は歌人の前田康子 。 | ||
京都大学出身 宮崎県出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
1月15日生まれの人  1969年生まれの人  宮崎県出身の1969年生まれの人 | ||
754 | 伊藤一彦 宮崎県 宮崎市 | Wikipedia |
伊藤 一彦(いとう かずひこ、1943年9月12日 - )は、歌人。宮崎県立看護大学客員教授、宮崎県立図書館名誉館長。「心の花」所属。「現代短歌・南の会」代表。 | ||
早稲田大学出身 宮崎県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
9月12日生まれの人  1943年生まれの人  宮崎県出身の1943年生まれの人 | ||
755 | 若山牧水 宮崎県 日向市 | Wikipedia |
若山 牧水(わかやま ぼくすい、1885年(明治18年)8月24日 - 1928年(昭和3年)9月17日)は、戦前日本の歌人。本名・繁(しげる)。 | ||
早稲田大学出身 宮崎県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
8月24日生まれの人  1885年生まれの人  宮崎県出身の1885年生まれの人 | ||
756 | 安田尚義 宮崎県 高鍋町 | Wikipedia |
安田 尚義(やすだ なおよし、 1884年4月19日 - 1974年12月24日 )は、日本の歌人・歴史学者。 | ||
4月19日生まれの人  1884年生まれの人  宮崎県出身の1884年生まれの人 | ||
757 | 小野葉桜 宮崎県 美郷町 | Wikipedia |
小野 葉桜(おの はざくら、 明治12年(1879年)6月15日 - 昭和17年(1942年))は、日本の歌人。 本名・岩治(いわじ)。 | ||
6月15日生まれの人  1879年生まれの人  宮崎県出身の1879年生まれの人 | ||
758 | 松本政夫 宮崎県 門川町 | Wikipedia未登録 |
歌人 |
鹿児島県
759 | 春日真木子 鹿児島県 鹿児島市 | Wikipedia |
春日 真木子(かすが まきこ、1926年2月26日 - )は、歌人。歌誌『水甕』代表。尾上柴舟系の歌誌の親睦団体「柴舟会」会長。 | ||
2月26日生まれの人  1926年生まれの人  鹿児島県出身の1926年生まれの人 |
760 | 篠原鳳作 鹿児島県 鹿児島市 | Wikipedia |
篠原鳳作(しのはら ほうさく、1906年1月7日 - 1936年9月11日)は、鹿児島県出身の俳人。本名は篠原国堅(くにかた)。旧号は未踏、雲彦。1906年(明治39年)、鹿児島市で生まれる。鹿児島県立第二鹿児島中学校(16回卒=大正12年)[2]を経て、1929年東京帝国大学法学部卒。病弱のため都会での就職を避け郷里で句作に没頭。1931年より教諭として沖縄県立宮古中学校に赴任、1934年に結婚を期に母校の鹿児島二中に転任した。 | ||
1月7日生まれの人  1906年生まれの人  鹿児島県出身の1906年生まれの人 | ||
761 | 杉田久女 鹿児島県 鹿児島市 | Wikipedia |
杉田久女(すぎた ひさじょ、1890年(明治23年)5月30日 - 1946年(昭和21年)1月21日)は、鹿児島県出身の俳人。本名は杉田 久(すぎた ひさ)。高浜虚子に師事。長谷川かな女、竹下しづの女などとともに、近代俳句における最初期の女性俳人であり、男性に劣らぬ格調の高さと華やかさのある句で知られた。家庭内の不和、師である虚子との確執など、その悲劇的な人生はたびたび小説の素材になった。 | ||
お茶の水女子大学出身 鹿児島県出身のお茶の水女子大学の出身者 全国のお茶の水女子大学の出身者 | ||
5月30日生まれの人  1890年生まれの人  鹿児島県出身の1890年生まれの人 | ||
762 | 田中常憲 鹿児島県 阿久根市 | Wikipedia未登録 |
歌人 |
沖縄県
763 | 小林寂鳥 沖縄県 伊江村 | Wikipedia |
小林 寂鳥(こばやし じゃくちょう、本名:島袋俊一、1902年9月11日 - 1965年9月17日)は歌人。沖縄県国頭郡伊江村出身。 | ||
9月11日生まれの人  1902年生まれの人  沖縄県出身の1902年生まれの人 | ||
764 | 恩納なべ 沖縄県 恩納村 | Wikipedia |
恩納 なべ(おんな なべ、琉球語:うんな なびー、生没年不詳)は、18世紀の琉球王国の農民・女性歌人(琉歌)。尚敬王(在位1713年-1751年)または尚穆王(在位1752年-1794年)の時代に生きたとされる。 | ||
765 | 江島寂潮 沖縄県 伊江村 | Wikipedia未登録 |
歌人、本名:名嘉元貫一 | ||
766 | 名嘉元浪村 沖縄県 伊江村 | Wikipedia未登録 |
歌人、本名:名嘉元精一 |