このサイトに登録されている有名人の数:70,856人
このサイトに登録されている有名人の「思想家」という職業とその関係者の有名人の数:121人
スポンサーリンク
北海道
1 | 朝松健 北海道 札幌市 | Wikipedia |
朝松 健(あさまつ けん、1956年4月10日 - )は、北海道札幌市生まれの小説家。作品はオカルト・怪奇小説、伝奇小説が多い。本名、松井克弘。ペンネームの由来は作家アーサー・マッケンから。妻は魔女思想家の松尾未来。 | ||
4月10日生まれの人  1956年生まれの人  北海道出身の1956年生まれの人 | ||
2 | 中江兆民 北海道 小樽市 | Wikipedia |
中江 兆民(なかえ ちょうみん、弘化4年11月1日(1847年12月8日) - 明治34年(1901年)12月13日)は、日本の思想家、ジャーナリスト、政治家(衆議院議員)。フランスの思想家ジャン=ジャック・ルソーを日本へ紹介して自由民権運動の理論的指導者となった事で知られ、東洋のルソーと評される。衆議院当選1回、第1回衆議院議員総選挙当選者の一人。兆民は号で、「億兆の民」の意味。「秋水」とも名乗り、弟子の幸徳秋水(伝次郎)に譲り渡している。また、他の号に青陵、木強生がある。諱は篤介(とくすけ、篤助)。幼名は竹馬。 | ||
12月8日生まれの人  1847年生まれの人  北海道出身の1847年生まれの人 | ||
3 | 栗本鋤雲 北海道 七飯町 | Wikipedia |
栗本 鋤雲(くりもと じょうん、文政5年3月10日(1822年5月1日)- 明治30年(1897年)3月6日)は、幕末の幕臣、明治初期の思想家。名は鯤(こん)。初名は哲三、のち瑞見。通称は瀬兵衛(せへえ)といった。官位は従五位下安芸守。 | ||
5月1日生まれの人  1822年生まれの人  北海道出身の1822年生まれの人 |
青森県
4 | 佐々木中 青森県 | Wikipedia |
佐々木 中(ささき あたる、1973年8月2日 - )は、日本の思想家、作家。京都精華大学人文学部教員。専攻は哲学、現代思想、理論宗教学。 | ||
8月2日生まれの人  1973年生まれの人  青森県出身の1973年生まれの人 |
岩手県
5 | 佐藤信淵 岩手県 盛岡市 | Wikipedia |
佐藤 信淵(さとう のぶひろ、明和6年6月15日(1769年7月18日) - 嘉永3年1月6日(1850年2月17日))は、江戸時代後期の絶対主義的思想家であり、経世家(経済学者)、農学者、兵学者、農政家でもある。本業は医師。出羽国雄勝郡西馬音内前郷村または郡山村(ともに、現秋田県雄勝郡羽後町)出身。通称(幼名)は百祐(ももすけ)、字は元海、号は松庵・万松斎・融斎・椿園。幼少から父の佐藤信季と各地を旅行して見聞を広め、のち江戸に出て儒学を井上仲竜、国学を平田篤胤、神道を吉川源十郎にそれぞれ学び、さらに本草学・蘭学を宇田川玄随や大槻玄沢に、天文暦数を木村泰蔵に学んだ。その学問は農政・物産・海防・兵学・天文・国学など広範に及び、主著に『宇内混同秘策』『経済要録』『農政本論』がある。 | ||
7月18日生まれの人  1769年生まれの人  岩手県出身の1769年生まれの人 |
宮城県
6 | 魯迅 宮城県 仙台市 | Wikipedia |
魯迅(ろじん、ルーシュン、繁体字; 魯迅; 簡体字; 鲁迅; ピン音; Lǔ Xùn; ウェード式; Lu Hsün 1881年9月25日 - 1936年10月19日)は、中国の小説家、翻訳家、思想家である。本名は周樹人(繁体字; 周樹人; 簡体字; 周树人; ピン音; Zhōu Shùrén; ウェード式; Chou Shu-jen)で、字は豫才。浙江省紹興市の士大夫の家系に生まれた。父は周鳳儀、母は魯瑞、弟に文学者・日本文化研究者の周作人 (1885-1967)、生物学者の周建人(中国語版)(1888-1984) がいる。中国で最も早く西洋の技法を用いて小説を書いた作家である[3]。その作品は、中国だけでなく、東アジアでも広く愛読されている[4]。日本でも中学校用のすべての国語教科書に彼の作品が収録されている[4]。 | ||
9月25日生まれの人  1881年生まれの人  宮城県出身の1881年生まれの人 | ||
7 | 小山東助 宮城県 気仙沼市 | Wikipedia |
小山 東助(おやま とうすけ、1879年(明治12年)11月24日 - 1919年(大正8年)8月25日)は、衆議院議員(公友倶楽部→憲政会)、ジャーナリスト、教育者。号は鼎浦。 | ||
1879年生まれの人  宮城県出身の1879年生まれの人 | ||
8 | 吉野作造 宮城県 | Wikipedia |
吉野 作造(よしの さくぞう 1878年(明治11年)1月29日 - 1933年(昭和8年)3月18日)は、大正時代を中心に活躍した日本の政治学者、思想家である。東京帝国大学で教壇に立ち、大正デモクラシーの立役者となった。初名は「作蔵」、1917年5月「作造」に改名。号は「古川学人」。弟は商工官僚・政治家の吉野信次。 | ||
東京大学出身 宮城県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
1月29日生まれの人  1878年生まれの人  宮城県出身の1878年生まれの人 |
秋田県
9 | 平田篤胤 秋田県 秋田市 | Wikipedia |
平田 篤胤(ひらた あつたね、1776年10月6日(安永5年8月24日)-1843年11月2日(天保14年閏9月11日))は、江戸時代後期の国学者・神道家・思想家・医者。出羽久保田藩(現在の秋田市)出身。成人後備中松山藩士の兵学者平田篤穏の養子となる。幼名を正吉、通称を半兵衛。元服してからは胤行、享和年間以降は篤胤と称した。号は気吹舎(いぶきのや)、家號を真菅乃屋(ますげのや)。医者としては玄琢を使う。死後、神霊能真柱大人(かむたまのみはしらのうし)の名を白川家より贈られている。 | ||
10月6日生まれの人  1776年生まれの人  秋田県出身の1776年生まれの人 | ||
10 | 佐藤信淵 秋田県 羽後町 | Wikipedia |
佐藤 信淵(さとう のぶひろ、明和6年6月15日(1769年7月18日) - 嘉永3年1月6日(1850年2月17日))は、江戸時代後期の絶対主義的思想家であり、経世家(経済学者)、農学者、兵学者、農政家でもある。出羽国雄勝郡郡山村(現秋田県雄勝郡羽後町)出身。通称は百祐、字は元海、号は松庵・万松斎・融斎・椿園。幼少から父の佐藤信季と各地を旅行して見聞を広め、のち江戸に出て儒学を井上仲竜、国学を平田篤胤、神道を吉川原十郎にそれぞれ学び、さらに本草学・蘭学を宇田川玄随や大槻玄沢に、天文暦数を木村泰蔵に学んだ。その学問は農政・物産・海防・兵学・天文・国学など広範に及び、主著に『宇内混同秘策』『経済要録』『農政本論』がある。 | ||
6月15日生まれの人  1769年生まれの人  秋田県出身の1769年生まれの人 | ||
11 | 安藤昌益 秋田県 大館市 | Wikipedia |
安藤 昌益(あんどう しょうえき、1703年(元禄16年) - 1762年11月29日(宝暦12年10月14日))は、江戸時代中期の医師・思想家・哲学家・無神論者。秋田藩出身。号は確龍堂良中。思想的には無神論やアナキズムの要素を持ち、農業を中心とした無階級社会を理想とした。死後、近代の日本において、社会主義・共産主義・無政府主義にも通じる思想を持った人物として評価された。 | ||
1703年生まれの人  秋田県出身の1703年生まれの人 |
山形県
12 | 石原莞爾 山形県 | Wikipedia |
石原 莞爾(いしわら かんじ[注 1]、明治22年(1889年)1月18日 (戸籍の上では17日)- 昭和24年(1949年)8月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。栄典は従四位・勲三等・功三級、「世界最終戦論」など軍事思想家としても知られる。「帝国陸軍の異端児」の渾名が付くほど組織内では変わり者だった。 | ||
1月18日生まれの人  1889年生まれの人  山形県出身の1889年生まれの人 | ||
13 | 大川周明 山形県 | Wikipedia |
大川 周明(おおかわ しゅうめい、1886年(明治19年)12月6日 - 1957年(昭和32年)12月24日)は、日本の思想家。 1918年、東亜経済調査局・満鉄調査部に勤務し、1920年、拓殖大学教授を兼任する。1926年、「特許植民会社制度研究」で法学博士の学位を受け、1938年、法政大学教授大陸部(専門部)部長となる。その思想は、近代日本の西洋化に対決し、精神面では日本主義、内政面では社会主義もしくは統制経済、外交面ではアジア主義を唱道した。 | ||
12月6日生まれの人  1886年生まれの人  山形県出身の1886年生まれの人 | ||
14 | 高山樗牛 山形県 | Wikipedia |
高山 樗牛(たかやま ちょぎゅう、 1871年2月28日(明治4年1月10日) - 1902年(明治35年)12月24日)は明治時代の日本の文芸評論家、思想家。東京大学講師。文学博士。明治30年代の言論を先導した。本名は林次郎。 | ||
東京大学出身 山形県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
2月28日生まれの人  1871年生まれの人  山形県出身の1871年生まれの人 |
福島県
15 | 山崎闇斎 福島県 会津若松市 | Wikipedia |
山崎 闇斎(やまざき あんさい、元和4年12月9日(1619年1月24日) - 天和2年9月16日(1682年10月16日))は、江戸時代前期の儒学者・朱子学者・神道家・思想家。朱子学者としては南学派に属する。 | ||
1月24日生まれの人  1919年生まれの人  福島県出身の1919年生まれの人 | ||
16 | 渋川善助 福島県 | Wikipedia |
渋川 善助(しぶかわ ぜんすけ、1905年12月9日 - 1936年7月12日)は、日本の思想家。 | ||
明治大学出身 福島県出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
12月9日生まれの人  1905年生まれの人  福島県出身の1905年生まれの人 |
茨城県
17 | 橘孝三郎 茨城県 水戸市 | Wikipedia |
橘 孝三郎(たちばな こうざぶろう、1893年(明治26年)3月18日 ‐ 1974年(昭和49年)3月30日)は日本の政治運動家、農本主義思想家。農本ファシストであり、超国家主義者でもあった。 | ||
1893年生まれの人  茨城県出身の1893年生まれの人 | ||
18 | 会沢正志斎 茨城県 | Wikipedia |
会沢 正志斎(あいざわ せいしさい、天明2年5月25日(1782年7月5日) - 文久3年7月14日(1863年8月27日))は、江戸時代後期から末期(幕末)の水戸藩士、水戸学藤田派の学者・思想家。名は安(やすし)。字は伯民。通称は恒蔵。号は正志斎、欣賞斎、憩斎。 |
群馬県
19 | 森村修 群馬県 | Wikipedia |
森村 修(もりむら おさむ、1961年7月21日 - )は、日本の哲学者、思想家。文学博士(哲学)。法政大学国際文化学部教授。群馬県生まれ。専門はフッサール現象学、フランス現代思想、応用倫理学、近代日本哲学、芸術哲学。無類の猫好きとして知られる。 | ||
法政大学出身 群馬県出身の法政大学の出身者 全国の法政大学の出身者 | ||
7月21日生まれの人  1961年生まれの人  群馬県出身の1961年生まれの人 |
20 | 松本健一 群馬県 | Wikipedia |
松本 健一(まつもと けんいち、1946年1月22日 - 2014年11月27日)は、日本の評論家、思想家、作家、歴史家、思想史家。麗澤大学経済学部教授。 | ||
法政大学出身 群馬県出身の法政大学の出身者 全国の法政大学の出身者 | ||
1月22日生まれの人  1946年生まれの人  群馬県出身の1946年生まれの人 | ||
21 | 高畠素之 群馬県 | Wikipedia |
高畠 素之(たかばたけ もとゆき、1886年1月4日 - 1928年12月23日)は日本の社会思想家、哲学者。国家社会主義を唱えた。 | ||
同志社大学出身 群馬県出身の同志社大学の出身者 全国の同志社大学の出身者 | ||
1月4日生まれの人  1886年生まれの人  群馬県出身の1886年生まれの人 | ||
22 | 遠藤隆吉 群馬県 | Wikipedia |
遠藤 隆吉(えんどう りゅうきち、1874年10月2日 - 1946年2月5日)は、日本の思想家、社会学者、教育者。文学博士。群馬県前橋市出身。私立巣鴨学園の創設者である。 妻は初代東京音楽学校校長(現東京芸術大学)を勤めた、貴族院議員・伊沢修二の長女夏。 法学者の近藤英吉は娘婿である。 | ||
10月2日生まれの人  1874年生まれの人  群馬県出身の1874年生まれの人 | ||
23 | 内村鑑三 群馬県 | Wikipedia |
内村 鑑三(うちむら かんぞう、万延2年2月13日(1861年3月23日)- 昭和5年(1930年)3月28日)は、日本のキリスト教思想家・文学者・伝道者・聖書学者。福音主義信仰と時事社会批判に基づく日本独自のいわゆる無教会主義を唱えた。「代表的日本人」の著者でもある。 | ||
北海道大学出身 群馬県出身の北海道大学の出身者 全国の北海道大学の出身者 | ||
3月23日生まれの人  1861年生まれの人  群馬県出身の1861年生まれの人 | ||
24 | 楫取美和子 群馬県 前橋市 | Wikipedia |
楫取 美和子(かとり みわこ、天保14年(1843年) - 1921年(大正10年)9月7日)は、江戸時代末期(幕末)から大正時代にかけての女性。幕末の思想家・吉田松陰の妹。松陰門下の久坂玄瑞に嫁いだが、禁門の変で久坂が自害して未亡人となる。後に実姉の元夫で群馬県令や貴族院議員を歴任した男爵楫取素彦と再婚してこれを支えた。旧姓名は杉 文(すぎ ふみ)。 | ||
14年生まれの人  群馬県出身の14年生まれの人 | ||
25 | 高山彦九郎 群馬県 太田市 | Wikipedia |
高山 彦九郎(たかやま ひこくろう、延享4年5月8日(1747年6月15日) - 寛政5年6月28日(1793年8月4日))は、江戸時代後期の尊皇思想家である。父は高山良左衛門正教、母はしげ。兄は高山正晴。妻はしも後にさき。子に高山義介ほか娘など。林子平・蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」の1人(「奇」は「優れた」という意味)。名は正之。 |
埼玉県
26 | 小島慶三 埼玉県 羽生市 | Wikipedia |
小島 慶三(こじま けいぞう、1917年(大正6年)3月11日 - 2008年(平成20年)8月30日)は、日本のエコノミスト、思想家、教育者、実業家、官僚、政治家、俳人。参議院議員(1期)。 | ||
一橋大学出身 埼玉県出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
3月11日生まれの人  1917年生まれの人  埼玉県出身の1917年生まれの人 | ||
27 | 佐藤信淵 埼玉県 さいたま市 | Wikipedia |
佐藤 信淵(さとう のぶひろ、明和6年6月15日(1769年7月18日) - 嘉永3年1月6日(1850年2月17日))は、江戸時代後期の絶対主義的思想家であり、経世家(経済学者)、農学者、兵学者、農政家でもある。本業は医師。出羽国雄勝郡西馬音内前郷村または郡山村(ともに、現秋田県雄勝郡羽後町)出身。通称(幼名)は百祐(ももすけ)、字は元海、号は松庵・万松斎・融斎・椿園。幼少から父の佐藤信季と各地を旅行して見聞を広め、のち江戸に出て儒学を井上仲竜、国学を平田篤胤、神道を吉川源十郎にそれぞれ学び、さらに本草学・蘭学を宇田川玄随や大槻玄沢に、天文暦数を木村泰蔵に学んだ。その学問は農政・物産・海防・兵学・天文・国学など広範に及び、主著に『宇内混同秘策』『経済要録』『農政本論』がある。 | ||
7月18日生まれの人  1769年生まれの人  埼玉県出身の1769年生まれの人 | ||
28 | 荻生徂徠 埼玉県 川越市 | Wikipedia |
荻生 徂徠(おぎゅう そらい、正仮名遣:をぎふそらい、寛文6年2月16日(1666年3月21日) - 享保13年1月19日(1728年2月28日))は、江戸時代中期の儒学者・思想家・文献学者である。名は雙松(なべまつ)、字・実名は「茂卿」で、字としては「もけい」、実名としては「しげのり」と読む。通称は惣右衛門(そうえもん)。徂徠(そらい)と号し(一説では「徂來」が正しいとする)、また、蘐園(けんえん)とも号した。「徂徠」の号は『詩経』「徂徠之松」に由来し、「松が茂る」の意味である「茂卿」ともに松に関する名であることが指摘される。本姓は物部氏で、「物徂徠(ぶっそらい)」「物茂卿」とも号した。父は5代将軍・徳川綱吉の侍医・荻生景明。弟は徳川吉宗の侍医で明律研究で知られた荻生北渓。その弟の影響を受けて、『明律国字解(みんりつこくじかい)』を著している。 | ||
3月21日生まれの人  1666年生まれの人  埼玉県出身の1666年生まれの人 |
千葉県
29 | 柳宗悦 千葉県 我孫子市 | Wikipedia |
柳 宗悦(やなぎ むねよし、1889年(明治22年)3月21日 - 1961年(昭和36年)5月3日)は、民藝運動を起こした思想家、美学者、宗教哲学者。名前はしばしば「そうえつ」と読まれ、欧文においても「Soetsu」と表記される。 | ||
1889年生まれの人  千葉県出身の1889年生まれの人 | ||
30 | 福澤諭吉 千葉県 成田市 | Wikipedia |
福澤 諭吉(ふくざわ ゆきち、新字体:福沢 諭吉、天保5年12月12日(1835年1月10日) - 明治34年(1901年)2月3日)は、日本の武士(中津藩士のち旗本)、蘭学者、著述家、啓蒙思想家、教育者。諱は範(はん)。字は子囲(しい、旧字体:子圍)。揮毫の落款印は「明治卅弐年後之福翁」。雅号は、三十一谷人(さんじゅういっこくじん)。もともと苗字は「ふくさわ」と発音していたが、明治維新以後は「ふくざわ」と発音するようになった[3]。現代では「福沢諭吉」と表記されることが一般的である[4]。なお「中村諭吉」と名乗っていた時期がある。 | ||
1月10日生まれの人  1835年生まれの人  千葉県出身の1835年生まれの人 | ||
31 | 西村茂樹 千葉県 佐倉市 | Wikipedia |
西村 茂樹(にしむら しげき、1828年4月26日(文政11年3月13日) - 1902年(明治35年)8月18日)は明治時代の日本の啓蒙思想家、教育者。文学博士。道徳振興団体「日本弘道会」創設者。号は泊翁。 | ||
4月26日生まれの人  1828年生まれの人  千葉県出身の1828年生まれの人 | ||
32 | 二宮尊徳 千葉県 成田市 | Wikipedia |
二宮 尊徳(にのみや たかのり)は、江戸時代後期の経世家、農政家、思想家である。自筆文書では金治郎(きんじろう)と署名している例が多いが、一般には「金次郎」と表記されることが多い。また、諱の「尊徳」は正確には「たかのり」と読むが、「そんとく」という読みで定着している。 |
東京都
33 | 舘岡奈智子 東京都 | Wikipedia |
ナチコ(本名:舘岡奈智子(たておか なちこ)、1958年9月17日 - )は、日本のシンガーソングライター、カウンセラー、思想家。東京都港区麻布出身。 | ||
9月17日生まれの人  1958年生まれの人  東京都出身の1958年生まれの人 | ||
34 | 奥山治 東京都 青ヶ島村 | Wikipedia |
奥山 治(おくやま おさむ、1918年(大正7年)1月31日 - 2000年(平成12年)3月18日)は東京都・青ヶ島村の村長を五期17年3か月間務めた人物。生涯において玄米自然食(マクロビオティック)の普及に務めた。東洋哲学の思想家。 | ||
71月31日生まれの人  1918年生まれの人  東京都出身の1918年生まれの人 | ||
35 | 西田税 東京都 渋谷区 | Wikipedia |
西田 税(にしだ みつぎ、明治34年(1901年)10月3日 - 昭和12年(1937年)8月19日)は、日本の陸軍軍人、思想家。 | ||
1901年生まれの人  東京都出身の1901年生まれの人 | ||
36 | 平塚らいてう 東京都 麹町 | Wikipedia |
平塚 らいてう(ひらつか らいちょう、本名:平塚 明(ひらつか はる)、1886年(明治19年)2月10日 - 1971年(昭和46年)5月24日)は、日本の思想家、評論家、作家、フェミニスト、戦前と戦後に亘(わた)る女性解放運動家。戦後は主に反戦・平和運動に参加した。日本女子大学校(現:日本女子大学)家政学部卒。 | ||
日本女子大学出身 東京都出身の日本女子大学の出身者 全国の日本女子大学の出身者 | ||
2月10日生まれの人  1886年生まれの人  東京都出身の1886年生まれの人 | ||
37 | 北一輝 東京都 中野区 | Wikipedia |
北 一輝(きた いっき、本名:北 輝次郎(きた てるじろう)、1883年(明治16年)4月3日 - 1937年(昭和12年)8月19日)は、戦前の日本の思想家、社会運動家、国家社会主義者。 | ||
1883年生まれの人  東京都出身の1883年生まれの人 | ||
38 | 与謝野晶子 東京都 渋谷区 | Wikipedia |
与謝野 晶子(正字: 與謝野 晶子、よさの あきこ、1878年(明治11年)12月7日 - 1942年(昭和17年)5月29日)は、日本の歌人、作家、思想家。 戸籍名与謝野 志やう(よさの しょう)。旧姓鳳(ほう)。ペンネームの「晶子」の「晶」は、本名の「しょう」から取った。夫は与謝野鉄幹(与謝野寛)。 | ||
1878年生まれの人  東京都出身の1878年生まれの人 | ||
39 | 徳富蘆花 東京都 渋谷区 | Wikipedia |
徳冨 蘆花(とくとみ ろか、1868年12月8日(明治元年10月25日) - 1927年(昭和2年)9月18日)は、日本の小説家。ベストセラーとなった小説『不如帰』や、キリスト教の影響を受けた自然描写作品『自然と人生』などで知られる。本名は徳富健次郎(とくとみ けんじろう)。思想家・ジャーナリストの徳富蘇峰は兄。「徳冨」の表記にこだわり、各種の文学事典、文学館、記念公園などは「冨」の字を採用している。 | ||
12月8日生まれの人  1868年生まれの人  東京都出身の1868年生まれの人 |
40 | 岡倉天心 東京都 台東区 | Wikipedia |
岡倉 天心(おかくら てんしん、1863年2月14日(文久2年12月26日) - 1913年(大正2年)9月2日)は、日本の思想家、文人。本名は岡倉覚三(かくぞう)。幼名は岡倉角蔵。 | ||
2月14日生まれの人  1863年生まれの人  東京都出身の1863年生まれの人 | ||
41 | 中村正直 東京都 港区 | Wikipedia |
中村 正直(なかむら まさなお、1832年6月24日(天保3年5月26日) - 1891年(明治24年)6月7日)は明治時代の日本の啓蒙思想家、教育者。文学博士。英学塾・同人社の創立者で、東京女子師範学校摂理、東京大学文学部教授、女子高等師範学校長を歴任した。通称・敬太郎、敬輔。号は敬宇。 | ||
6月24日生まれの人  1832年生まれの人  東京都出身の1832年生まれの人 | ||
42 | 小脇健次 東京都 葛飾区 | Wikipedia |
小脇 健次(こわき けんじ)は、日本の元お笑いタレント(1人コント)である。元太田プロダクション所属。血液型はA型。東京都葛飾区出身である。小脇健二、小脇けんじ、脇けんじとも。 弟は愛国思想家の小脇義秀。 | ||
43 | 近藤真琴 東京都 | Wikipedia |
近藤 真琴(こんどう まこと、天保2年9月24日(1831年10月29日) - 明治19年(1886年)9月4日)は、日本の教育家、思想家。明治の六大教育家の一人、攻玉社創立者。日本海軍軍人及び軍属、最終階級は海軍中佐。幼名は鉚之助。江戸生まれ。天保5年(1834年)9月14日に父を亡くし、4歳で家督を相続すると、諱を真琴、字を徽音、通称を誠一郎とした。 | ||
44 | 内村鑑三 東京都 | Wikipedia |
内村鑑三 静子・ルツ子 祐之・美代子 南原繁・矢内原忠雄 畔上賢造・坂田祐 斎藤宗次郎・塚本虎二 中村勝己・高谷道男 藤井武・鈴木弼美 | ||
北海道大学出身 東京都出身の北海道大学の出身者 全国の北海道大学の出身者 |
神奈川県
45 | 亀井眞樹 神奈川県 横浜市 | Wikipedia |
亀井 眞樹(かめい まさき、1961年11月12日 - )は、日本の医師、統合医療評論家、臨床思想家。神奈川県横浜市出身。 | ||
東京大学出身 神奈川県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
11月12日生まれの人  1961年生まれの人  神奈川県出身の1961年生まれの人 | ||
46 | 江藤小三郎 神奈川県 横浜市 | Wikipedia |
江藤 小三郎(えとう こさぶろう、1945年(昭和20年)? - 1969年(昭和44年)2月11日)は、日本の思想家、社会運動家、陸上自衛官。陸上自衛隊生徒(7期)修了。 | ||
1945年生まれの人  神奈川県出身の1945年生まれの人 | ||
47 | 岡倉天心 神奈川県 横浜市 | Wikipedia |
岡倉 天心(おかくら てんしん、1863年2月14日(文久2年12月26日) - 1913年(大正2年)9月2日)は、日本の思想家、文人。本名は岡倉覚三(かくぞう)。幼名は岡倉角蔵。 | ||
東京外国語大学出身 神奈川県出身の東京外国語大学の出身者 全国の東京外国語大学の出身者 | ||
2月14日生まれの人  1863年生まれの人  神奈川県出身の1863年生まれの人 | ||
48 | 二宮尊徳 神奈川県 小田原市 | Wikipedia |
二宮 尊徳(にのみや たかのり)は、江戸時代後期の経世家、農政家、思想家である。自筆文書では金治郎(きんじろう)と署名している例が多いが、一般には「金次郎」と表記されることが多い。また、諱の「尊徳」は正確には「たかのり」と読むが、「そんとく」という読みで定着している。 |
新潟県
49 | 北昤吉 新潟県 佐渡市 | Wikipedia |
北 昤吉(きた れいきち、1885年7月21日 - 1961年8月5日)は、日本の思想家・評論家・政治家・教育者。鴨湖、光永、禮華と号す。北一輝の実弟。 | ||
7月21日生まれの人  1885年生まれの人  新潟県出身の1885年生まれの人 | ||
50 | 北一輝 新潟県 | Wikipedia |
北 一輝(きた いっき、本名:北 輝次郎(きた てるじろう)、1883年(明治16年)4月3日 - 1937年(昭和12年)8月19日)は、戦前の日本の思想家、社会運動家、国家社会主義者。二・二六事件の「理論的指導者」として逮捕され、軍法会議の秘密裁判で死刑判決を受けて刑死した。 | ||
早稲田大学出身 新潟県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
4月3日生まれの人  1883年生まれの人  新潟県出身の1883年生まれの人 | ||
51 | 曽我量深 新潟県 新潟市 | Wikipedia |
曽我 量深(そが りょうじん、1875年(明治8年)9月5日 - 1971年(昭和46年)6月20日)は、日本の明治~昭和期に活躍した真宗大谷派僧侶、仏教思想家。真宗大谷派講師、大谷大学学長、同大学名誉教授。旧姓、富岡。法名、「無極院釋量深」。 | ||
3月20日生まれの人  1875年生まれの人  新潟県出身の1875年生まれの人 | ||
52 | 本多利明 新潟県 村上市 | Wikipedia |
本多 利明(ほんだ としあき、寛保3年(1743年) - 文政3年12月22日(1821年1月25日))は、江戸時代の数学者、経世家(経済思想家)である。幼名は長五郎、通称は三郎右衛門。号は北夷、魯鈍斎。 | ||
1743年生まれの人  新潟県出身の1743年生まれの人 |
石川県
53 | 赤松連城 石川県 | Wikipedia |
赤松 連城(あかまつ れんじょう、天保12年1月17日(1841年2月8日) - 大正8年(1919年)7月20日)は、幕末から大正にかけての浄土真宗本願寺派の僧侶。昭和の思想家・政治家の赤松克麿の祖父にあたる。 |
山梨県
54 | 中沢新一 山梨県 | Wikipedia |
中沢 新一(なかざわ しんいち、1950年5月28日 - )は、日本の人類学者、思想家、宗教学者。明治大学特任教授/野生の科学研究所所長。多摩美術大学美術学部芸術学科客員教授。 | ||
東京大学出身 山梨県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
5月28日生まれの人  1950年生まれの人  山梨県出身の1950年生まれの人 | ||
55 | 三井甲之 山梨県 | Wikipedia |
三井甲之(みつい こうし、1883年(明治16年)10月16日 - 1953年(昭和28年)4月3日)は、日本の文学者、歌人、右翼思想家。本名は甲之助。 | ||
10月16日生まれの人  1883年生まれの人  山梨県出身の1883年生まれの人 | ||
56 | 山県大弐 山梨県 甲斐市 | Wikipedia |
山県 大弐(やまがた だいに、1725年(享保10年) - 1767年9月14日(明和4年8月22日))は、江戸時代中期の儒学者、思想家。野沢氏の出自。名は昌貞。字は子恒。通称を軍事のち大弐と称した。医号は柳荘、洞斎。戦国時代に甲斐武田氏の譜代家臣である山県昌景の子孫であるという。 | ||
1725年生まれの人  山梨県出身の1725年生まれの人 |
長野県
57 | 唐木順三 長野県 | Wikipedia |
唐木 順三(からき じゅんぞう、1904年(明治37年)2月13日 - 1980年(昭和55年)5月27日)は、日本の評論家、哲学者、思想家。 | ||
信州大学出身 長野県出身の信州大学の出身者 全国の信州大学の出身者 | ||
2月13日生まれの人  1904年生まれの人  長野県出身の1904年生まれの人 | ||
58 | 勝野金政 長野県 南木曽町 | Wikipedia |
勝野 金政(かつの きんまさ、1901年4月9日 - 1984年1月13日)は、日本の作家・思想家である。パリ、モスクワに滞在中フランス共産党員、ソ連共産党員として活動し、大粛清に遭遇してラーゲリに収容されながら、日本への帰国を果たした。21世紀においては、大粛清に対する先駆的批判者として「日本のソルジェニーツィン」と紹介されることもある[4]。 | ||
4月9日生まれの人  1901年生まれの人  長野県出身の1901年生まれの人 | ||
59 | 筧克彦 長野県 | Wikipedia |
筧 克彦(かけい かつひこ、1872年12月28日(明治5年11月28日) - 1961年(昭和36年)2月27日)は、日本の法学者、神道思想家。専門は公法学、法哲学(法理学)、憲法学。 | ||
東京大学出身 長野県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
12月28日生まれの人  1872年生まれの人  長野県出身の1872年生まれの人 |
60 | 赤松小三郎 長野県 | Wikipedia |
赤松 小三郎(あかまつ こさぶろう)は、幕末期の兵学者・政治思想家。号は宇宙堂。 | ||
61 | 佐久間象山 長野県 | Wikipedia |
佐久間 象山(さくま しょうざん/ぞうざん)は、江戸時代後期の松代藩士、兵学者・朱子学者・思想家。松代三山の一人。通称は修理(しゅり)、諱は国忠(くにただ)、のちに啓(ひらき)、字は子迪(してき)、後に子明(しめい)と称した。位階は贈正四位。象山神社の祭神。象山神社の隣が生家で、長野県の史跡に指定されている。 |
愛知県
62 | 黒川紀章 愛知県 | Wikipedia |
黒川 紀章(くろかわ きしょう、本名:くろかわ のりあき、1934年4月8日 - 2007年10月12日)は、日本の建築家(一級建築士)、思想家、実業家、政治活動家。株式会社黒川紀章建築都市設計事務所代表取締役社長を務めた。日本芸術院会員。1986年に建築界のノーベル賞と言われるフランス建築アカデミーのゴールドメダルを受賞した。 | ||
東京大学出身 愛知県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
4月8日生まれの人  1934年生まれの人  愛知県出身の1934年生まれの人 | ||
63 | 影山正治 愛知県 豊橋市 | Wikipedia |
影山 正治(かげやま まさはる、1910年(明治43年)6月12日 - 1979年(昭和54年)5月25日)は、日本の右翼活動家、思想家、歌人。 | ||
國學院大學出身 愛知県出身の國學院大學の出身者 全国の國學院大學の出身者 | ||
6月12日生まれの人  1910年生まれの人  愛知県出身の1910年生まれの人 | ||
64 | 近藤孝太郎 愛知県 岡崎市 | Wikipedia |
近藤 孝太郎(こんどう こうたろう、1897年3月20日 - 1949年11月6日)は、日本の思想家、社会運動家、著述家。出版物には翻訳書も含まれている。大正期から昭和20年代前半にかけて、郷里岡崎市の様々な文化活動を牽引した。 | ||
一橋大学出身 愛知県出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
3月20日生まれの人  1897年生まれの人  愛知県出身の1897年生まれの人 | ||
65 | 鈴木正三 愛知県 | Wikipedia |
鈴木 正三(すずき しょうさん、俗名の諱まさみつ、道号:石平老人、天正7年1月10日(1579年2月5日)- 明暦元年6月25日(1655年7月28日))は、江戸時代初期の曹洞宗の僧侶・仮名草子作家で、元は徳川家に仕えた旗本である。本姓穂積氏で、三河鈴木氏の一族。通称九太夫、号を玄々軒、正三は法名である。法名に関しては、俗名の読み方を改めただけと言われているが、俗名は重三で、正三は筆名であるとの異説もある。 | ||
66 | 武藤山治 愛知県 | Wikipedia |
武藤 山治(むとう さんじ、1867年4月5日(慶応3年3月1日) - 1934年(昭和9年)3月10日)は、明治・大正・昭和前期の経営者、労務管理思想家、言論人、衆議院議員(3期)。『博聞雑誌』を創刊した後、三井財閥に聘され、日本の紡績王として34年間会社経営に携わり、「経営家族主義」と「温情主義」を提唱・実践して日本的経営論を考案。 | ||
慶應義塾大学出身 愛知県出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 |
三重県
67 | 近藤真琴 三重県 | Wikipedia |
近藤 真琴(こんどう まこと、天保2年9月24日(1831年10月29日) - 明治19年(1886年)9月4日)は、日本の教育家、思想家。明治の六大教育家の一人、攻玉社創立者。日本海軍軍人及び軍属、最終階級は海軍中佐。幼名は鉚之助。江戸生まれ。天保5年(1834年)9月14日に父を亡くし、4歳で家督を相続すると、諱を真琴、字を徽音、通称を誠一郎とした。 |
滋賀県
68 | 杉浦重剛 滋賀県 大津市 | Wikipedia |
杉浦 重剛(すぎうら じゅうごう、安政2年3月3日(1855年4月19日)- 大正13年(1924年2月13日)は、明治・大正時代の国粋主義的教育者・思想家。幼名は謙次郎。父は膳所藩の儒者杉浦重文。近江国膳所藩(現・滋賀県大津市)出身。 | ||
4月19日生まれの人  1855年生まれの人  滋賀県出身の1855年生まれの人 | ||
69 | 浅見絅斎 滋賀県 高島市 | Wikipedia |
浅見 絅斎(あさみ けいさい、承応元年8月13日(1652年9月15日) - 正徳元年12月1日(1712年1月8日))は、日本の江戸時代の儒学者・思想家。名は重次郎。諱は安正。筆名として望楠楼。 | ||
8月13日生まれの人   |
京都府
70 | 波多野一郎 京都府 綾部市 | Wikipedia |
波多野 一郎(はたの いちろう、1922年7月28日 - 1969年)は、日本の哲学者、思想家。祖父はグンゼ創業者の波多野鶴吉。 | ||
7月28日生まれの人  1922年生まれの人  京都府出身の1922年生まれの人 | ||
71 | 石田梅岩 京都府 亀岡市 | Wikipedia |
石田 梅岩(いしだ ばいがん、貞享2年9月15日(1685年10月12日) - 延享元年9月24日(1744年10月29日))は江戸時代の思想家、倫理学者。石門心学の開祖。名は興長。通称、勘平。 | ||
72 | 伊藤仁斎 京都府 | Wikipedia |
伊藤 仁斎(いとう じんさい、寛永4年7月20日(1627年8月30日) - 宝永2年3月12日(1705年4月5日))は、江戸時代の前期に活躍した儒学者・思想家。京都の生まれ。日常生活のなかからあるべき倫理と人間像を探求して提示した。 |
大阪府
73 | 千坂恭二 大阪府 大阪市 | Wikipedia |
千坂 恭二(ちさか きょうじ。1950年3月18日 - )は、日本の評論家、在野の思想家。 | ||
3月18日生まれの人  1950年生まれの人  大阪府出身の1950年生まれの人 | ||
74 | 安岡正篤 大阪府 大阪市 | Wikipedia |
安岡 正篤(やすおか まさひろ、1898年(明治31年)2月13日 - 1983年(昭和58年)12月13日)は陽明学者・思想家。 | ||
東京大学出身 大阪府出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
2月13日生まれの人  1898年生まれの人  大阪府出身の1898年生まれの人 | ||
75 | 与謝野晶子 大阪府 堺市 | Wikipedia |
与謝野 晶子(正字: 與謝野 晶子、よさの あきこ、1878年(明治11年)12月7日 - 1942年(昭和17年)5月29日)は、日本の歌人、作家、思想家。 | ||
12月7日生まれの人  1878年生まれの人  大阪府出身の1878年生まれの人 | ||
76 | 中江兆民 大阪府 堺市 | Wikipedia |
中江 兆民(なかえ ちょうみん、弘化4年11月1日(1847年12月8日) - 明治34年(1901年)12月13日)は、日本の思想家、ジャーナリスト、政治家(衆議院議員)。フランスの思想家ジャン=ジャック・ルソーを日本へ紹介して自由民権運動の理論的指導者となった事で知られ、東洋のルソーと評される。衆議院当選1回、第1回衆議院議員総選挙当選者の一人。兆民は号で、「億兆の民」の意味。「秋水」とも名乗り、弟子の幸徳秋水(伝次郎)に譲り渡している。また、他の号に青陵、木強生がある。諱は篤介(とくすけ、篤助)。幼名は竹馬。 | ||
12月8日生まれの人  1847年生まれの人  大阪府出身の1847年生まれの人 | ||
77 | 富永仲基 大阪府 | Wikipedia |
富永 仲基(とみなが なかもと、正徳5年(1715年) - 延享3年8月28日(1746年10月12日))は、江戸時代大坂の町人学者、思想史家。懐徳堂の学風である合理主義・無鬼神論の立場に立ち、儒教・仏教・神道を批判した。彼の学問は、思想の展開と歴史・言語・民俗との関連に注目した独創的なものといわれている[2]。 | ||
1715年生まれの人  大阪府出身の1715年生まれの人 | ||
78 | 福澤諭吉 大阪府 大阪市 | Wikipedia |
福澤 諭吉(ふくざわ ゆきち、新字体:福沢 諭吉、天保5年12月12日(1835年1月10日)- 明治34年(1901年)2月3日)は、日本の武士(中津藩士のち旗本)、蘭学者、著述家、啓蒙思想家、教育者。慶應義塾の創設者であり、専修学校(後の専修大学)、商法講習所(後の一橋大学)、神戸商業講習所(後の神戸商業高校)、土筆ヶ岡養生園(後の北里研究所)、伝染病研究所(現在の東京大学医科学研究所)の創設にも尽力した。新聞『時事新報』の創刊者。他に東京学士会院(現在の日本学士院)初代会長を務めた。そうした業績を元に明治六大教育家として列される。昭和59年(1984年)から日本銀行券一万円紙幣表面の肖像に採用されている。 | ||
北里大学出身 大阪府出身の北里大学の出身者 全国の北里大学の出身者 | ||
79 | 頼山陽 大阪府 | Wikipedia |
頼 山陽(らい さんよう、安永9年12月27日(1781年1月21日) - 天保3年9月23日(1832年10月16日))は、大坂生まれの江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人。幼名は久太郎(ひさたろう)、名は襄(のぼる)、字は子成。山陽、三十六峯外史と号した。主著に『日本外史』があり、これは幕末の尊皇攘夷運動に影響を与え、日本史上のベストセラーとなった。 |
兵庫県
80 | 柄谷行人 兵庫県 尼崎市 | Wikipedia |
柄谷 行人(からたに こうじん、1941年8月6日 - )は日本の哲学者、思想家、文学者、文芸評論家。本名は柄谷 善男(よしお)。兵庫県尼崎市出身。 | ||
日本医科大学出身 兵庫県出身の日本医科大学の出身者 全国の日本医科大学の出身者 | ||
8月6日生まれの人  1941年生まれの人  兵庫県出身の1941年生まれの人 | ||
81 | 和辻哲郎 兵庫県 姫路市 | Wikipedia |
和辻 哲郎(わつじ てつろう、1889年3月1日 - 1960年12月26日)は、『古寺巡礼』『風土』などの著作で知られる日本の哲学者、倫理学者、文化史家、日本思想史家。その倫理学の体系は、和辻倫理学と呼ばれる。日本倫理学会会員。 | ||
東京大学出身 兵庫県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
3月1日生まれの人  1889年生まれの人  兵庫県出身の1889年生まれの人 | ||
82 | 大鳥圭介 兵庫県 上郡町 | Wikipedia |
大鳥 圭介(おおとり けいすけ、天保4年2月25日(1833年4月14日) - 明治44年(1911年)6月15日)は、江戸時代後期の幕臣(歩兵奉行、幕府伝習隊長、陸軍奉行)、医師、蘭学者、軍事学者、工学者、思想家、発明家。明治時代の教育者(工部美術学校校長、工部大学校校長、学習院第3代院長、華族女学校校長)、政治家、外交官、官吏。位階勲等は正二位勲一等男爵。 | ||
4月14日生まれの人  1833年生まれの人  兵庫県出身の1833年生まれの人 |
奈良県
83 | 佐伯啓思 奈良県 奈良市 | Wikipedia |
佐伯 啓思(さえき けいし、1949年12月31日 - )は、日本の経済学者、思想家。京都大学名誉教授。京都大学こころの未来研究センター特任教授。共生文明学、現代文明論、現代社会論といった国際文明学、文明論を研究している[2]。第4期文部科学省中央教育審議会委員を務めた[3]。 | ||
12月31日生まれの人  1949年生まれの人  奈良県出身の1949年生まれの人 |
鳥取県
84 | 西田税 鳥取県 米子市 | Wikipedia |
西田 税(にしだ みつぎ、明治34年(1901年)10月3日 - 昭和12年(1937年)8月19日)は、日本の陸軍軍人、思想家。 | ||
10月3日生まれの人  1901年生まれの人  鳥取県出身の1901年生まれの人 | ||
85 | 福本和夫 鳥取県 北栄町 | Wikipedia |
福本 和夫(ふくもと かずお、1894年(明治27年)7月4日 - 1983年(昭和58年)11月16日)は、日本の経済学者・科学技術史家・思想史家・文化史家。 | ||
東京大学出身 鳥取県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
7月4日生まれの人  1894年生まれの人  鳥取県出身の1894年生まれの人 | ||
86 | 川合清丸 鳥取県 琴浦町 | Wikipedia |
川合 清丸(かわい きよまる、嘉永元年11月21日(1848年12月16日) - 大正6年(1917年)6月24日)は、神道・禅・儒学の三道を融合して、「日本の国教」を確立しようとした思想家、宗教家。字は子徳、号は山陰道士、無々道人。 | ||
11月21日生まれの人   |
島根県
87 | 堀久太郎 島根県 大田市 | Wikipedia |
堀 久太郎(ほり きゅうたろう)、1863年4月25日(文久3年3月8日) - 1943年(昭和18年)7月11日は戦前の日本の思想家、政治家、実業家。 | ||
4月25日生まれの人  1863年生まれの人  島根県出身の1863年生まれの人 | ||
88 | 西周 島根県 津和野町 | Wikipedia |
西 周 (にし あまね、文政12年2月3日(1829年3月7日) - 明治30年(1897年)1月31日) は江戸時代後期から明治時代初期の幕臣、官僚、啓蒙思想家、教育者。貴族院議員、男爵、錦鶏間祗候。西 周助ともいう。勲一等瑞宝章(1897年)。 |
岡山県
89 | 宗道臣 岡山県 美作市 | Wikipedia |
宗 道臣(そう どうしん、1911年(明治44年)2月10日 - 1980年(昭和55年)5月12日)は、日本の武道家、思想家。少林寺拳法の創始者。姓名は中野 理男(なかの みちお)、中野 道臣(なかの みちおみ)を経て宗 道臣を名乗るようになった。 | ||
1911年生まれの人  岡山県出身の1911年生まれの人 | ||
90 | 山川均 岡山県 倉敷市 | Wikipedia |
山川 均(やまかわ ひとし、1880年(明治13年)12月20日 - 1958年(昭和33年)3月23日)は、在野の経済学者で、社会主義者・社会運動家・思想家・評論家。労農派マルクス主義の指導的理論家であった。 | ||
同志社大学出身 岡山県出身の同志社大学の出身者 全国の同志社大学の出身者 | ||
12月20日生まれの人  1880年生まれの人  岡山県出身の1880年生まれの人 | ||
91 | 綱島梁川 岡山県 高梁市 | Wikipedia |
綱島 梁川(つなしま りょうせん、1873年(明治6年)5月27日 - 1907年(明治40年)9月14日)は、日本の宗教思想家、評論家。 | ||
65月27日生まれの人  1873年生まれの人  岡山県出身の1873年生まれの人 | ||
92 | 片山潜 岡山県 久米南町 | Wikipedia |
片山 潜(かたやま せん、1859年12月26日(安政6年12月3日) - 1933年(昭和8年)11月5日)は、日本の労働運動家・社会主義者・マルクス主義者・思想家・社会事業家。号は深甫。 | ||
岡山大学出身 岡山県出身の岡山大学の出身者 全国の岡山大学の出身者 | ||
12月26日生まれの人  1859年生まれの人  岡山県出身の1859年生まれの人 | ||
93 | 中島重 岡山県 高梁市 | Wikipedia |
中島 重(なかじま しげる[注 2]、1888年(明治21年)5月3日 - 1946年(昭和21年)5月29日)[2]は、日本の法学者、社会学者、キリスト教思想家。 | ||
東京帝国大学出身 岡山県出身の 東京帝国大学の出身者 全国の 東京帝国大学の出身者 |
広島県
94 | 富永秀一 広島県 福山市 | Wikipedia |
富永 秀一(とみなが しゅういち、1967年8月27日 - )は、愛知県豊明市在住の環境ジャーナリスト、環境思想家、講演講師。広島県福山市出身。血液型O型。広島大学附属中学校・高等学校、中央大学法学部法律学科卒業。豊明市議会議員。 | ||
中央大学出身 広島県出身の中央大学の出身者 全国の中央大学の出身者 | ||
8月27日生まれの人  1967年生まれの人  広島県出身の1967年生まれの人 | ||
95 | 沖正弘 広島県 | Wikipedia |
沖 正弘(おき まさひろ 1921年-1985年)は、思想家、ヨガ健康法指導家。戦後日本におけるヨガの草分け的指導者で、その普及に努め、ヨガブームを作った立役者。 | ||
大阪外国語大学出身 広島県出身の大阪外国語大学の出身者 全国の大阪外国語大学の出身者 | ||
1921年生まれの人  広島県出身の1921年生まれの人 | ||
96 | 森戸辰男 広島県 福山市 | Wikipedia |
森戸 辰男(もりと たつお、1888年(明治21年)12月23日 - 1984年(昭和59年)5月28日)は、日本の学者、社会思想家、教育者(初代広島大学学長・名誉教授)、政治家(衆議院議員、文部大臣)。広島県広島市、福山市名誉市民。文化功労者(1971年)、勲一等旭日大綬章(1974年)。 | ||
東京大学出身 広島県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
12月23日生まれの人  1888年生まれの人  広島県出身の1888年生まれの人 | ||
97 | 山本滝之助 広島県 沼隈町 | Wikipedia |
山本 滝之助(やまもと たきのすけ、1873年11月15日 - 1931年10月26日)は、明治~昭和期の社会教育家、思想家。「青年団運動の先覚者」。広島県福山市出身。 | ||
11月15日生まれの人  1873年生まれの人  広島県出身の1873年生まれの人 | ||
98 | 頼山陽 広島県 安芸国 | Wikipedia |
頼 山陽(らい さんよう、安永9年12月27日(1781年1月21日) - 天保3年9月23日(1832年10月16日))は、大坂生まれの江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人。幼名は久太郎(ひさたろう)、名は襄(のぼる)、字は子成。山陽、三十六峯外史と号した。主著に『日本外史』があり、これは幕末の尊皇攘夷運動に影響を与え、日本史上のベストセラーとなった。 |
山口県
99 | 佐山サトル 山口県 下関市 | Wikipedia |
佐山 聡(さやま さとる、1957年11月27日 - )は、日本のプロレスラー。総合格闘技の元祖とされる団体・シューティング(現:修斗)の創設者としても知られ、設立当時総合格闘家としても活動していた。2012年現在、本人の設立である武道団体・掣圏真陰流興義館総監を務め、武道家、思想家としても活動している。血液型B型、山口県下関市出身。 | ||
11月27日生まれの人  1957年生まれの人  山口県出身の1957年生まれの人 |
100 | tororo 山口県 | Wikipedia |
tororo(とろろ)は、日本の作詞家、作曲家。男性。山口県防府市出身。アダルトゲーム制作会社有限会社サーカス代表取締役会長。本名は松村 和俊(まつむら かずとし)。現在はサーカスの経営と開発からは退き、個人のプロデュースをメインにしているという。ブランドとしてはLa'crymaのプロデューサーは継続している。本人曰く現在は思想家であり料理研究家であるという。 | ||
1943年生まれの人  山口県出身の1943年生まれの人 | ||
101 | 玉野井芳郎 山口県 柳井市 | Wikipedia |
玉野井 芳郎(たまのい よしろう、1918年1月23日 - 1985年10月18日)は、日本の経済学者。東京大学教養学部名誉教授。経済学博士。正四位、勲三等旭日中綬章。弟に発生学の専門家、千葉大学名誉教授の玉野井逸朗がいる。経済学者大河内一男の弟子の一人。 | ||
1月23日生まれの人  1918年生まれの人  山口県出身の1918年生まれの人 | ||
102 | 難波大助 山口県 光市 | Wikipedia |
難波 大助(なんば だいすけ、1899年(明治32年)11月7日 - 1924年(大正13年)11月15日)は、日本の共産主義者で、極左活動家。大正期の反逆的な社会運動家。 | ||
1899年生まれの人  山口県出身の1899年生まれの人 | ||
103 | 吉田松陰 山口県 | Wikipedia |
吉田 松陰(よしだ しょういん)は、日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者。山鹿流兵学師範。一般的に明治維新の精神的指導者・理論者・倒幕論者として知られる。私塾「松下村塾」で、後の明治維新で重要な働きをする多くの若者を育てた。 | ||
千葉工業大学出身 山口県出身の千葉工業大学の出身者 全国の千葉工業大学の出身者 |
香川県
104 | 岸田秀 香川県 | Wikipedia |
岸田 秀(きしだ しゅう 1933年12月25日-)は、日本の心理学者、精神分析学者、思想家、エッセイスト、和光大学名誉教授。主著に『ものぐさ精神分析』。翻訳書も多数著している。新しい歴史教科書をつくる会の賛同者として、産経新聞にコメントを寄せたことがある。妻の由美は、文化人類学者の船曳建夫の実姉。 | ||
早稲田大学出身 香川県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
12月25日生まれの人  1933年生まれの人  香川県出身の1933年生まれの人 | ||
105 | 大杉栄 香川県 | Wikipedia |
大杉 栄(おおすぎ さかえ、大杉榮、1885年(明治18年)1月17日 - 1923年(大正12年)9月16日)は、思想家、作家、ジャーナリスト、社会運動家。 | ||
東京外国語大学出身 香川県出身の東京外国語大学の出身者 全国の東京外国語大学の出身者 | ||
1月17日生まれの人  1885年生まれの人  香川県出身の1885年生まれの人 |
愛媛県
106 | 木村鷹太郎 愛媛県 宇和島市 | Wikipedia |
木村 鷹太郎(きむら たかたろう、明治3年9月18日(1870年10月12日) - 昭和6年(1931年)7月18日)は主に明治・大正期に活動した日本の歴史学者、哲学者、言語学者、思想家、翻訳家。独自の歴史学説「新史学」の提唱者として知られる。愛媛県宇和島市出身。 | ||
10月12日生まれの人  1870年生まれの人  愛媛県出身の1870年生まれの人 |
高知県
107 | 幸徳秋水 高知県 | Wikipedia |
幸徳 秋水(こうとく しゅうすい、1871年11月5日(明治4年9月23日) - 1911年(明治44年)1月24日)は、明治時代のジャーナリスト、思想家、社会主義者、無政府主義者である。 | ||
11月5日生まれの人  1871年生まれの人  高知県出身の1871年生まれの人 | ||
108 | 田岡嶺雲 高知県 高知市 | Wikipedia |
田岡 嶺雲(たおか れいうん、明治3年10月28日(1870年11月21日) - 大正元年(1912年)9月7日)は、近代日本の文芸評論・思想家。本名は佐代治。 | ||
東京海洋大学出身 高知県出身の東京海洋大学の出身者 全国の東京海洋大学の出身者 | ||
11月21日生まれの人  1870年生まれの人  高知県出身の1870年生まれの人 | ||
109 | 柏井園 高知県 高知市 | Wikipedia |
柏井 園(かしわい えん、1870年7月22日(明治3年6月24日) - 1920年(大正9年)6月25日)は、日本のキリスト教伝道者、キリスト教史学者、キリスト教思想家、文明評論家である。大正時代の日本基督教会の指導者であった。 | ||
同志社大学出身 高知県出身の同志社大学の出身者 全国の同志社大学の出身者 | ||
7月22日生まれの人  1870年生まれの人  高知県出身の1870年生まれの人 | ||
110 | 黒岩涙香 高知県 安芸市 | Wikipedia |
黒岩 涙香(くろいわ るいこう、1862年11月20日(文久2年9月29日) - 1920年(大正9年)10月6日)は、日本の小説家、思想家、作家、翻訳家、ジャーナリスト。兄は黒岩四方之進。本名は黒岩周六。黒岩涙香のほか、香骨居士、涙香小史、冷眼士等などの筆名を用いた。号は古概、民鉄、正調庵、黒岩大。あだ名はマムシの周六。戒名は黒岩院周六涙香忠天居士。 | ||
11月20日生まれの人  1862年生まれの人  高知県出身の1862年生まれの人 | ||
111 | 馬場辰猪 高知県 高知市 | Wikipedia |
馬場 辰猪(ばば たつい、嘉永3年5月15日(1850年6月24日) - 明治21年(1888年)11月1日)は、日本の武士(土佐藩士)、思想家、政論家。最も急進的で国粋的な『國友会』を組織した人物。諱は氏保(うじやす)、通称として辰猪を称す。 | ||
6月24日生まれの人  1850年生まれの人  高知県出身の1850年生まれの人 | ||
112 | 植木枝盛 高知県 | Wikipedia |
植木 枝盛(うえき えもり、安政4年1月20日(1857年2月14日) - 明治25年(1892年)1月23日)は、日本の思想家、政治家。自由民権運動の理論的指導者。雅号は六花。 | ||
113 | 中江兆民 高知県 | Wikipedia |
中江 兆民(なかえ ちょうみん、弘化4年11月1日(1847年12月8日) - 明治34年(1901年)12月13日)は、日本の思想家、ジャーナリスト、政治家(衆議院議員)。フランスの思想家ジャン=ジャック・ルソーを日本へ紹介して自由民権運動の理論的指導者となった事で知られ、東洋のルソーと評される。衆議院当選1回、第1回衆議院議員総選挙当選者の一人。兆民は号で、「億兆の民」の意味。「秋水」とも名乗り、弟子の幸徳秋水(伝次郎)に譲り渡している。また、他の号に青陵、木強生がある。名は篤介(とくすけ、篤助)。幼名は竹馬。 | ||
二松學舍大学出身 高知県出身の二松學舍大学の出身者 全国の二松學舍大学の出身者 |
福岡県
114 | 牛嶋徳太朗 福岡県 福岡市 | Wikipedia |
牛嶋 徳太朗(うしじま とくたろう、1951年 - )は、日本の政治学者、民族派右翼の思想家。西日本短期大学教授。専門は近代日本政治思想史。 | ||
1951年生まれの人  福岡県出身の1951年生まれの人 | ||
115 | 向坂逸郎 福岡県 大牟田市 | Wikipedia |
向坂 逸郎(さきさか いつろう、1897年2月6日 - 1985年1月22日)は、日本のマルクス経済学者・社会主義思想家。九州大学教授・社会主義協会代表を歴任。 | ||
2月6日生まれの人  1897年生まれの人  福岡県出身の1897年生まれの人 | ||
116 | 高山彦九郎 福岡県 久留米市 | Wikipedia |
高山 彦九郎(たかやま ひこくろう、延享4年5月8日(1747年6月15日) - 寛政5年6月28日(1793年8月4日))は、江戸時代後期の尊皇思想家である。諱は正之、戒名は「松陰以白居士」。父は高山良左衛門正教、母はしげ。兄は高山正晴。妻はしも、後にさき。子に高山義介ほか娘など。林子平・蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」の一人(「奇」は「優れた」という意味)。 | ||
6月15日生まれの人  1747年生まれの人  福岡県出身の1747年生まれの人 | ||
117 | 堺利彦 福岡県 みやこ町 | Wikipedia |
堺 利彦(さかい としひこ、明治3年11月25日(1871年1月15日) - 昭和8年(1933年)1月23日)は、日本の社会主義者・思想家・歴史家・著述家・小説家。号は枯川、別名は、貝塚渋六。 |
佐賀県
118 | 田澤義鋪 佐賀県 鹿島市 | Wikipedia |
田澤 義鋪(たざわ よしはる、1885年(明治18年)7月20日 - 1944年(昭和19年)11月24日)は、大正期及び昭和初期の社会教育家、政治家、思想家。佐賀県鹿島市出身。 | ||
1885年生まれの人  佐賀県出身の1885年生まれの人 |
長崎県
119 | 杉亨二 長崎県 | Wikipedia |
杉 亨二(すぎ こうじ、文政11年8月2日(1828年9月10日) - 1917年(大正6年)12月4日)は、日本の統計学者、官僚、啓蒙思想家、法学博士。「日本近代統計の祖」と称される。初名純道。 |
熊本県
120 | 荒木精之 熊本県 | Wikipedia |
荒木 精之(あらきせいし、1907年1月7日 - 1981年12月30日)は、小説家、思想家、文化運動家、地方雑誌「日本談義」を発行、熊本地方の文化に貢献した。 | ||
日本大学出身 熊本県出身の日本大学の出身者 全国の日本大学の出身者 | ||
1月7日生まれの人  1907年生まれの人  熊本県出身の1907年生まれの人 | ||
121 | 蓑田胸喜 熊本県 氷川町 | Wikipedia |
蓑田 胸喜(みのだ むねき、明治27年(1894年)1月26日 - 昭和21年(1946年)1月30日)は日本の反共・右翼思想家。原理日本社主宰、国際反共連盟評議員。 | ||
1月26日生まれの人  1894年生まれの人  熊本県出身の1894年生まれの人 | ||
122 | 徳富蘇峰 熊本県 益城町 | Wikipedia |
徳富 蘇峰(とくとみ そほう、1863年3月14日(文久3年1月25日) - 1957年(昭和32年)11月2日)は、明治から昭和にかけての日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家。『國民新聞』を主宰し、大著『近世日本国民史』を著したことで知られる。 | ||
3月14日生まれの人  1863年生まれの人  熊本県出身の1863年生まれの人 | ||
123 | 浮田和民 熊本県 | Wikipedia |
浮田 和民(うきた かずたみ、安政6年12月28日(1859年1月20日) - 昭和21年(1946年)10月28日)は、日本の思想家・政治学者。法学博士、早稲田大学高等師範部長。同志社英学校最初の卒業生。熊本バンドの一人。 | ||
1月28日生まれの人  1859年生まれの人  熊本県出身の1859年生まれの人 | ||
124 | 小崎弘道 熊本県 熊本市 | Wikipedia |
小崎 弘道(こざき ひろみち、安政3年4月14日(1856年5月17日) - 昭和13年(1938年)2月26日)は、日本の牧師。霊南坂教会を創設し、同志社第2代社長(現総長)、日本組合基督教会会長、日本基督教連盟会長などを務めた。神学者で牧師の小崎道雄は長男。日本の思想家、神学者、牧師の岩村信二は孫である。 | ||
5月17日生まれの人  1856年生まれの人  熊本県出身の1856年生まれの人 | ||
125 | 林桜園 熊本県 熊本市 | Wikipedia |
林 桜園(はやし おうえん、寛政10年(1798年) - 明治3年10月12日(1870年11月5日))は、幕末の思想家、国学者、教育者。 | ||
1798年生まれの人  熊本県出身の1798年生まれの人 | ||
126 | 徳冨蘆花 熊本県 水俣市 | Wikipedia |
徳冨 蘆花(とくとみ ろか、1868年12月8日(明治元年10月25日) - 1927年(昭和2年)9月18日)は、日本の小説家。ベストセラーとなった小説『不如帰』や、キリスト教の影響を受けた自然描写作品『自然と人生』などで知られる。本名は徳富健次郎(とくとみ けんじろう)。思想家・ジャーナリストの徳富蘇峰は兄。 |
大分県
127 | 小幡篤次郎 大分県 中津市 | Wikipedia |
小幡 篤次郎(おばた とくじろう、1842年7月15日(天保13年6月8日) - 1905年(明治38年)4月16日)は、幕末の中津藩士。明治時代の政治家(貴族院議員)・教育者・思想家。慶應義塾長。小幡甚三郎の兄。号は箕田。 | ||
7月15日生まれの人  1842年生まれの人  大分県出身の1842年生まれの人 | ||
128 | 三浦梅園 大分県 | Wikipedia |
三浦 梅園(みうら ばいえん、享保8年8月2日(1723年9月1日) - 寛政元年3月14日(1789年4月9日))は、日本の江戸時代の思想家、自然哲学者、本職は医者。豊後国(大分県国東市安岐町富清)の出身。諱は晋(すすむ)。 | ||
129 | 福沢諭吉 大分県 | Wikipedia |
福澤 諭吉(ふくざわ ゆきち、新字体:福沢 諭吉、天保5年12月12日(1835年1月10日)- 明治34年(1901年)2月3日)は、日本の武士(中津藩士のち旗本)、蘭学者、著述家、啓蒙思想家、教育者。慶應義塾の創設者であり、専修学校(後の専修大学)、商法講習所(後の一橋大学)、神戸商業講習所(後の神戸商業高校)、土筆ヶ岡養生園(後の北里研究所)、伝染病研究所(現在の東京大学医科学研究所)の創設にも尽力した。新聞『時事新報』の創刊者。他に東京学士会院(現在の日本学士院)初代会長を務めた。そうした業績を元に明治六大教育家として列される。昭和59年(1984年)から日本銀行券一万円紙幣表面の肖像に採用されている。 |