出身で1853年生まれの有名人

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格闘技
 1  大鳴門灘右エ門    淡路市Wikipedia
大鳴門 灘右衛門(おおなると なだえもん、1853年6月20日(嘉永6年5月14日) - 1908年(明治41年)1月15日)は淡路国津名郡塩尾(現・兵庫県淡路市)出身の大相撲力士。本名は大空由藏。身長173cm、体重108kg。所属部屋は小野川部屋(大阪)→玉垣部屋(東京)→梅ヶ谷部屋→雷部屋。最高位は大関。剣山谷右衛門・鞆ノ平武右衛門とともに梅ヶ谷門弟三羽烏と謳われた。
 2  東恩納寛量    Wikipedia
東恩納 寛量(ひがおんな かんりょう、1853年4月17日(嘉永6年3月10日) - 1915年)は、那覇手中興の祖といわれる、明治期を代表する唐手(現・空手)の大家である。


登山家・冒険家・探検家
 3  依田勉三    松崎町Wikipedia
依田 勉三(よだ べんぞう、嘉永6年5月15日(1853年6月21日) - 大正14年(1925年)12月12日)は日本の北海道開拓者。北海道開墾を目的として結成された「晩成社」を率い帯広市を開拓した。開墾に関わる業績から緑綬褒章を受章している。北海道神宮開拓神社の祭神。


作家・小説家・エッセイ・文筆・翻訳家・編集者
 4  東海散士    富津市Wikipedia
東海 散士(とうかい さんし、1853年1月11日(嘉永5年12月2日) - 1922年(大正11年)9月25日)は、明治から大正にかけての政治家・小説家。本名は柴四朗。安房国(千葉県)の出身。台湾軍司令官・東京衛戍総督の柴五郎は弟。
 5  東海散士    Wikipedia
東海 散士(とうかい さんし、1853年1月11日(嘉永5年12月2日) - 1922年(大正11年)9月25日)は、明治から大正にかけての政治家・小説家。本名は柴四朗。安房国(千葉県)の出身。台湾軍司令官・東京衛戍総督の柴五郎は弟。


建築家・建築学者・技術者
 6  曽禰達蔵    Wikipedia
曽禰 達蔵(そね たつぞう、1853年1月3日(嘉永5年11月24日) - 1937年(昭和12年)12月6日)は日本の建築家。


経営者・実業家
 7  津軽薫    弘前市Wikipedia
津軽 薫(つがる かおる、1853年 - 1918年)は日本の士族。菊池楯衛らが結成した津軽果樹研究会のメンバー[2]。
 8  江南哲夫    Wikipedia
江南 哲夫(えなみ てつお、1853年(嘉永6年) - 1916年(大正5年)11月21日)は、会津藩士、白虎隊士、実業家、書家。旧姓林、諱は哲夫、号は蝦農。勲六等瑞宝章。
慶應義塾大学出身      出身の慶應義塾大学の出身者      全国の慶應義塾大学の出身者
 9  三吉正一    岩国市Wikipedia
三吉 正一(みよし しょういち 1853年12月(嘉永6年11月) - 1906年(明治39年)3月24日)は明治中期の日本の技術者。日本初の電気機器製造会社である三吉電機工場を経営し、電気機器の国産化を図った。
 10  佐藤百太郎    佐倉市Wikipedia
佐藤 百太郎(さとう ももたろう、1853年(嘉永6年) - 1910年(明治43年)12月24日)は日本の実業家で日米貿易の先駆者。日本における百貨店の創始者でもあり、日本領事をも務めた。
 11  阿部周吉    甲賀市Wikipedia
阿部 周吉(あべ しゅうきち、1853年 - 1927年)は幕末から明治・大正期の滋賀県の実業家。
 12  小坂善之助    Wikipedia
小坂 善之助(こさか ぜんのすけ、嘉永6年(1853年)7月15日 - 大正2年(1913年)12月21日)は、日本の政治家、実業家。長野県議会議員、衆議院議員を務めた。
 13  笹野甚四郎    静岡市Wikipedia
笹野 甚四郎(ささの じんしろう、1853年11月3日(嘉永6年10月3日) - 1928年(昭和3年)12月6日)は、日本の資産家[3]、実業家。藤相鉄道社長[4]。共盛銀行頭取[5]。陸海軍御用、旭缶詰製造所・精米所を経営[6]。族籍は静岡県平民[7]。
 14  十代目右近権左衛門    南越前町Wikipedia
10代目右近 権左衛門(うこん ごんざえもん、1853年10月19日(嘉永6年9月17日) - 1916年(大正5年)2月9日)は、日本の実業家。日本海上保険・朝鮮電気・大阪火災海上運送保険各社長。族籍は福井県平民。幼名は吉太郎[3]。
 15  手塚猛昌    萩市Wikipedia
手塚 猛昌(てづか たけまさ、1853年12月22日(嘉永6年11月22日) - 1932年(昭和7年)3月1日)は、「時刻表の父」として知られる、明治期の実業家。日本最初の月刊時刻表とされる「汽車汽船旅行案内」の発行者。


軍人
 16  松村務本    Wikipedia
松村 務本(まつむら かねもと、1853年2月5日(嘉永5年12月27日) - 1905年2月4日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
 17  大蔵平三    Wikipedia
大蔵 平三(おおくら へいぞう、1853年1月30日(嘉永5年12月21日) - 1911年8月25日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。男爵。


学者・教授・准教授
 18  緒方正規    Wikipedia
緒方 正規(おがた まさのり、1853年12月5日(嘉永6年11月5日) - 1919年(大正8年)7月30日)は日本の衛生学者、細菌学者。東京帝国大学医科大学学長、東京帝大教授。日本における衛生学、細菌学の基礎を確立した。長男の緒方規雄は細菌学者、次男の緒方益雄は衛生学者。
 19  北里柴三郎    小国町Wikipedia
北里 柴三郎(きたさと しばさぶろう、1853年1月29日(嘉永5年12月20日) - 1931年(昭和6年)6月13日)は、日本の医学者・細菌学者である。従二位・勲一等旭日大綬章・男爵・医学博士。
東京大学出身      出身の東京大学の出身者      全国の東京大学の出身者
 20  栗本東明    鶴岡市Wikipedia
栗本 東明(くりもと とうめい、嘉永6年10月8日(1853年11月8日) - 大正10年(1921年)1月1日)は、医学博士。狂犬病の予防注射液を世界で初めて発見し、第五高等学校教授、旧制長崎医科大学の主事心得、長崎医学専門学校長崎病院内科医長兼眼科医長などを歴任した。従五位勲六等。また、ロシア皇帝ニコライ2世から神聖アンチ第三等勲章が授与されている。


政治家・議員・首長
 21  早川龍介    岡崎市Wikipedia
早川 龍介(はやかわ りゅうすけ、嘉永6年8月12日(1853年9月14日) - 1933年9月22日)は、明治から大正期の政治家。衆議院議員を通算10期務めた。そのほか愛知県会副議長や碧海郡六ツ美村長などを歴任した。
 22  恒松隆慶    大田市Wikipedia
恒松 隆慶(つねまつ りゅうけい / たかよし、1853年6月17日(嘉永6年5月11日[注 1])- 1920年(大正9年)6月29日)は、日本の地主、政治家、実業家。衆議院議員。旧姓・楫野、幼名・鉄三郎[3]。
 23  小笠原貞信    Wikipedia
小笠原貞信(おがさわら ていしん、1853年(嘉永6年)2月 - 1903年(明治36年)2月18日)は、福島県出身の法律家、衆議院議員2期(第2回、第3回)。福島民報初代社長。
 24  大山綱昌    Wikipedia
大山 綱昌(おおやま つなまさ、1853年12月24日(嘉永6年11月24日) - 1934年(昭和9年)10月18日)は、日本の官僚、政治家、警察官、陸軍軍人。貴族院議員、錦鶏間祗候。4県の知事を務めた。幼名・勘助。
 25  高崎親章    Wikipedia
高崎 親章(たかさき ちかあき、1853年(嘉永6年) - 1920年(大正9年)12月27日)は、日本の江戸~大正時代の武士(鹿児島藩士)・警察官(警察官僚)・政治家。貴族院議員。幼名は半十郎。名前は「しんしょう」とも読まれる(有職読み)。高崎親廣の長男。鹿児島県出身。男性。
 26  富谷千太郎    境港市Wikipedia
富谷 千太郎(とみたに せんたろう、安政5年2月5日(1858年3月19日) - 大正13年(1924年)10月23日)は、日本の茶人、政治家。余子村長(初代)、余子村会議員。
 27  田中源太郎    亀岡市Wikipedia
田中 源太郎(たなか げんたろう、嘉永6年1月3日(1853年2月10日) - 大正11年(1922年)4月3日)は、京都府旧桑田郡亀山北町生まれの政治家、実業家。1869年亀岡陸運を創業、のちに京都株式取引所、京都商工銀行、亀岡銀行の各頭取などをつとめた。衆議院議員当選3回(1、2、3回総選挙)、貴族院多額納税者議員。
 28  双木八郎    Wikipedia
双木 八郎(なみき はちろう、1853年 - 1923年12月8日)は埼玉県の政治家。
 29  飯村丈三郎    下妻市Wikipedia
飯村 丈三郎(いいむら じょうざぶろう、1853年6月30日(嘉永6年5月24日) - 1927年(昭和2年)8月13日)は、日本の政治家・実業家・教育者。
 30  鵜飼退蔵    栗東市Wikipedia
鵜飼 退蔵(うかい たいぞう、1853年12月27日(嘉永6年11月27日) - 1915年(大正4年)12月19日)は、明治時代の滋賀県の政治家。


宗教家・思想家・運動家
 31  桜井平吉    軽井沢町Wikipedia
桜井 平吉(さくらい へいきち、嘉永6年3月12日(1853年4月19日) - 大正9年(1920年)8月18日)は明治時代の自由民権運動家。 諱は武貞。飯田事件の首謀者の一人。
 32  鯉沼九八郎    壬生町Wikipedia
鯉沼 九八郎(こいぬま くはちろう、嘉永5年12月13日(1853年1月22日) - 大正13年(1924年)12月29日)は、栃木県の政治家で自由民権運動家。「隻腕の加波山将軍」の異名で知られる[3]。


その他の職業
 33  依田勉三    帯広市Wikipedia
依田 勉三(よだ べんぞう、嘉永6年5月15日(1853年6月21日) - 大正14年(1925年)12月12日)は日本の北海道開拓者。北海道開墾を目的として結成された「晩成社」を率い帯広市を開拓した。開墾に関わる業績から緑綬褒章を受章している。北海道神宮開拓神社の祭神。
 34  松旭斎天一    Wikipedia
初代松旭斎 天一(しょうきょくさい てんいち、1853年2月 - 1912年6月14日)は、日本の奇術師である。福井城下(現在の福井県福井市)生まれ。本名は服部 松旭(はっとり しょうきょく)、幼名は牧野 八之助(まきの はちのすけ)。


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