出身で1840年生まれの有名人

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格闘技
 1  朝日嶽鶴之助    Wikipedia
朝日嶽 鶴之助(あさひだけ つるのすけ、1840年(1838年説も) - 1882年4月4日)は、山形県鶴岡市出身(生地は現在の新潟県村上市)の大相撲力士。最高位は大関。本名は本間→佐藤庄蔵、本間姓の前の苗字は不明。現役時代の体格は180cm、113kgと伝わる。
 2  新垣世璋    Wikipedia
新垣 世璋(あらかき せいしょう、1840年 - 1920年)は、琉球王国末期から明治期にかけて活躍した唐手(現・空手)家であり、那覇手の大家である。


建築家・建築学者・技術者
 3  服部長七    碧南市Wikipedia
服部長七(はっとり ちょうしち、1840年(天保11年)9月9日 - 1919年(大正8年)7月18日)は、明治期の日本の土木技術者。


経営者・実業家
 4  渋沢栄一    深谷市Wikipedia
渋沢 栄一(しぶさわ えいいち、天保11年2月13日(1840年3月16日) - 昭和6年(1931年)11月11日)は、江戸時代末期(幕末)から大正初期にかけての日本の武士(幕臣)、官僚、実業家。第一国立銀行や東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立・経営に関わり、「日本資本主義の父」ともいわれる。理化学研究所の創設者でもある。
二松學舍大学出身      出身の二松學舍大学の出身者      全国の二松學舍大学の出身者
 5  宮田栄助    Wikipedia
宮田 栄助(みやた えいすけ、1840年 - 1900年)は日本の実業家であり、宮田製銃所(現宮田工業)の創設者である。


医師・看護師
 6  萩原三圭    香南市Wikipedia
萩原 三圭(はぎわら さんけい、1840年12月4日〔天保11年11月11日〕- 1894年〔明治27年〕1月14日)は、江戸時代土佐藩の医師、明治天皇の内親王の御典医。青木周蔵と並び、日本初のドイツ留学医学生。諱は守教(もりのり)、また慮庵、象堂と号した。


軍人
 7  中村重遠    宿毛市Wikipedia
中村 進一郎(なかむら しんいちろう、1840年12月25日〈天保11年12月2日〉 - 1884年2月22日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。本名、重遠。
 8  三好重臣    Wikipedia
三好 重臣(みよし しげおみ、1840年11月14日(天保11年10月21日)- 1900年(明治33年)11月28日)は、長州藩士。日本陸軍の軍人、最終階級は陸軍中将。子爵。幼名は軍太郎。別名は会田春輔。


画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家
 9  跡見花蹊    大阪市Wikipedia
跡見 花蹊(あとみ かけい、1840年5月10日(天保11年4月9日) - 1926年(大正15年)1月10日)は、日本の教育者、日本画家、書家。学校法人跡見学園の創設者。甥は浦和画家の跡見泰。


政治家・議員・首長
 10  古荘嘉門    Wikipedia
古荘 嘉門(ふるしょう かもん、1840年12月25日〈天保11年12月2日〉 - 1915年〈大正4年〉5月11日[2])は、幕末の熊本藩士、明治から大正期の内務官僚・政治家。群馬県知事(官選第6代・第8代)、三重県知事(官選第11代)、衆議院議員(5期)、貴族院勅選議員。幼名・鶴喜。
 11  調所広丈    Wikipedia
調所 広丈(ちょうしょ ひろたけ、1840年5月2日(天保11年4月1日)- 1911年(明治44年)12月30日)は、幕末の薩摩藩士、明治期の官僚・政治家。官選県知事、元老院議官、貴族院議員、錦鶏間祗候、男爵。姓の元の読み「ずしょ」を「ちょうしょ」に変更した。
 12  吉田清英    本庄市Wikipedia
吉田 清英(よしだ きよひで、1840年11月10日(天保11年10月17日)- 1918年(大正7年)2月18日[3])は、幕末の薩摩藩士、明治期の内務官僚・養蚕家。官選埼玉県知事。旧名・清蔵。
 13  岡田逸治郎    守山市Wikipedia
岡田 逸治郎(おかだ いつじろう、1840年1月24日(天保10年12月20日) - 1909年(明治42年)10月4日)は、明治時代の滋賀県の政治家、諱は久通(ひさみち)。[2][3]


宗教家・思想家・運動家
 14  中田正朔    伊勢市Wikipedia
中田 正朔(なかた まさもと、1840年 - 1913年)は、日本の神職。


俳人・歌人・詩人
 15  荒木周道    長崎市Wikipedia
荒木 周道(あらき かねみち/しゅうどう、1840年(天保11年) - 1910年(明治43年)11月)は、 明治時代の教育者。長崎郷土史研究家。俳人。板垣絹子の実兄。


その他の職業
 16  原田左之助    松山市Wikipedia
原田 左之助(はらだ さのすけ)1840年(天保11年) - 1868年7月6日(慶応4年5月17日)は、新選組隊士(十番隊組長)。諱は忠一。
 17  鵙目貫一郎    小樽市Wikipedia
鵙目 貫一郎(もずめ かんいちろう、1840年1月6日 - 1877年3月13日)は、仙台藩の支藩であった岩出山藩の藩士で、維新後は北海道小樽で教育機構の整備に取り組んだ教育者[3]。
 18  土倉庄三郎    川上村Wikipedia
土倉 庄三郎(どぐら しょうざぶろう、1840年5月11日(天保11年4月10日) - 1917年(大正6年)7月19日[3])は、日本の林業家、奈良県多額納税者。幼名は、丞之助。族籍は奈良県平民。明治期における吉野林業および日本林業の先覚者、指導者であった[3]。


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