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宝塚・女優・俳優・声優・ナレーター・歌舞伎・能楽・狂言
1 | 水の江滝子 小樽市 | Wikipedia |
水の江 瀧子(みずのえ たきこ、1915年2月20日 - 2009年11月16日)は、日本の女優、映画プロデューサー、タレント。 | ||
2 | 井上雪子 神戸市 | Wikipedia |
井上 雪子(いのうえ ゆきこ、1915年(大正4年)6月5日 - 2012年(平成24年)11月19日)は、日本の女優である。大阪松竹楽劇部時代の芸名は「鐘 一子」(かね かずこ[2])。 | ||
3 | 岩城力也 | Wikipedia |
岩城 力也(いわき りきや、1915年8月26日 - 1999年12月21日)は、日本の俳優。旧芸名は岩城 力。富山県出身。本名は岩城 力夫。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
4 | 殿山泰司 神戸市 | Wikipedia |
殿山 泰司(とのやま たいじ、1915年(大正4年)10月17日 - 1989年(平成元年)4月30日)は、兵庫県神戸市出身の俳優、エッセイスト。泰明小学校、東京府立第三商業学校卒業。終戦後の日本映画界において独特の風貌で名脇役として活躍した。ジャズとミステリーをこよなく愛し、趣味を綴った著書も多数残している。また、破天荒なその人生は、映画化もされている。 | ||
5 | 高尾光子 西宮市 | Wikipedia |
高尾 光子(たかお みつこ、1915年7月22日 - 1980年11月26日)は、日本の女優、元子役である。本名は高尾 みち子(たかお みちこ)だが、婚姻後は竹田 路子と名乗った。旧芸名は高尾 道子(たかお みちこ)である。 | ||
6 | 北見禮子 野田市 | Wikipedia |
北見 禮子(きたみ れいこ、1915年2月13日 - 2007年)は、日本の女優である[3][4][5][6]。新漢字表記北見 礼子、出生名・旧芸名稲村 美津子(いなむら みつこ)、結婚後本名林 美津(はやし みつ)。夫は林敏夫、長男は林与一である[7]。 | ||
7 | 大山デブ子 | Wikipedia |
大山 デブ子(おおやま でぶこ、1915年4月13日 - 1981年7月15日)は、日本の女優である。出生名神原 ヤス(かんばら やす)、結婚後本名伊勢野 ヤス(いせの やす)。一時期、蒲田 デブ子(かまた でぶこ)、大山 でぶ子名義で活動していた時期もあった。 | ||
8 | 村田知栄子 神戸市 | Wikipedia |
村田 知栄子(むらた ちえこ、1915年2月28日 - 1995年11月)は、日本の女優である。本名は村田 美代子(むらた みよこ)。兵庫県神戸市出身。夫は俳優の見明凡太朗。旧芸名→村田智栄子→村田千栄子→村田千英子→村田知栄子→村田知英子。特技は三味線。 | ||
9 | 下条正巳 | Wikipedia |
下條 正巳(しもじょう まさみ、1915年8月26日 - 2004年7月25日)は、日本の俳優。下条 正巳の表記も用いられたが、本名の正式な表記は下絛 正巳であり、こちらの表記が用いられる場合がある。 | ||
10 | 坪内美子 文京区 | Wikipedia |
坪内 美子(つぼうち よしこ、本名:山崎 登美子、1915年6月22日 - 1985年11月3日)は、昭和期の女優。 | ||
11 | 逢初夢子 | Wikipedia |
逢初 夢子(あいぞめ ゆめこ、1915年12月25日 - )は、日本の女優。本名は遊佐八千代(旧姓:横山八千代)。愛称・おゆめ。 | ||
12 | 南美江 | Wikipedia |
南 美江(みなみ よしえ、1915年10月5日 - 2010年8月6日)は、日本の女優。演劇集団 円所属。本名は南波房江(なんば ふさえ)。 |
歌手・シンガー
13 | 二葉あき子 | Wikipedia |
二葉 あき子(ふたば あきこ、1915年2月2日 - 2011年8月16日)は、日本の歌手。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
14 | 三門順子 佐野市 | Wikipedia |
三門 順子(みかど じゅんこ、1915年(大正4年)9月25日 - 1954年(昭和29年)4月4日)は、栃木県佐野市出身の歌手。本名:富山 静子。 |
演奏家・作詞家・作曲家・ミュージシャン
15 | 八洲秀章 真狩村 | Wikipedia |
八洲秀章(やしまひであき、1915年(大正4年)6月2日 - 1985年(昭和60年)12月30日)は昭和期の作曲家。本名鈴木義光。 | ||
16 | 吉田雅夫 函館市 | Wikipedia |
吉田 雅夫(よしだ まさお、1915年1月2日 - 2003年11月17日)は、日本のフルート奏者。北海道出身。本名は吉田正雄。NHK交響楽団首席奏者、東京藝術大学教授、日本フルート協会会長を務めた。演奏者、教育者として日本フルート界の発展に尽力し、多大な功績を残した。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 |
舞台・演劇・映画・ドラマ・脚本・プロデューサー・ディレクター
17 | 筧正典 | Wikipedia |
筧 正典(かけひ まさのり、1915年10月12日 - 1993年1月14日)は、日本の映画監督、助監督。 | ||
18 | 市川崑 | Wikipedia |
市川 崑(いちかわ こん、幼名:市川 儀一、1915年(大正4年)11月20日 - 2008年(平成20年)2月13日)は、日本のアニメーター、映画監督。 | ||
19 | 水の江瀧子 小樽市 | Wikipedia |
水の江 瀧子(みずのえ たきこ、1915年2月20日 - 2009年11月16日)は、日本の女優、映画プロデューサー、タレント。 | ||
20 | 市川崑 渋谷区 | Wikipedia |
市川 崑(いちかわ こん、幼名:市川 儀一、1915年(大正4年)11月20日 - 2008年(平成20年)2月13日)は、日本の映画監督。アニメ、人形劇制作者。 | ||
21 | 水の江瀧子 目黒区 | Wikipedia |
水の江 瀧子(みずのえ たきこ、1915年2月20日 - 2009年11月16日)は、日本の女優、映画プロデューサー、タレント。 |
ジャーナリスト
22 | むのたけじ 美郷町 | Wikipedia |
むのたけじ(本名:武野 武治、1915年1月2日 - 2016年8月21日)は、「戦争絶滅」を訴え続けた日本のジャーナリスト。 | ||
東京外国語大学出身 出身の東京外国語大学の出身者 全国の東京外国語大学の出身者 |
格闘技
23 | 恵比寿洋直三郎 | Wikipedia |
恵比寿洋 直三郎(えびすなだ なおさぶろう、? - 1915年)は、富山県出身の元大相撲力士。 | ||
24 | 笹崎たけし 歌志内市 | Wikipedia |
笹崎 僙(ささざき たけし、1915年3月25日 - 1996年8月7日)は、日本のプロボクサー。北海道空知郡歌志内町(現歌志内市)出身。 | ||
25 | 柳家小さん (5代目) | Wikipedia |
5代目柳家 小さん(やなぎや こさん、1915年〈大正4年〉1月2日 - 2002年〈平成14年〉5月16日)は、長野県長野市出身の落語家、剣道家。本名、小林 盛夫(こばやし もりお、4代目桂三木助の本名と同姓同名)。出囃子は『序の舞』。1995年、落語家として初の人間国宝に認定された。剣道の段位は範士七段。 | ||
26 | 五代目柳家小さん 豊島区 | Wikipedia |
5代目 柳家 小さん(やなぎや こさん、1915年1月2日 - 2002年5月16日)は、長野県長野市出身の落語家、剣道家。本名:小林 盛夫(こばやし もりお、4代目桂三木助の本名と同姓同名)。出囃子は『序の舞』。1995年、落語家として初の人間国宝に認定された。剣道の段位は範士七段。 | ||
27 | 山陽山淺一 笠岡市 | Wikipedia |
山陽山 淺一(さんようざん せんいち、1915年8月7日- )は、岡山県小田郡(現在の笠岡市)出身で出羽海部屋所属の1940年代に活躍した元大相撲力士。本名は、藤井浅一(ふじい せんいち)。現役時代の体格は身長185cm、体重96kg。得意手は突っ張り、寄り、上手投げ。最高位は十両3枚目。 | ||
28 | 笹崎僙 歌志内市 | Wikipedia |
笹崎 僙(ささざき たけし、1915年3月25日 - 1996年8月7日)は、日本のプロボクサー。北海道空知郡歌志内町(現歌志内市)出身。 |
野球
29 | 由谷敬吉 鳥取市 | Wikipedia |
由谷 敬吉(ゆたに けいきち、1915年 - 1943年11月26日)は、日本のアマチュア野球選手。東武雄や梶原英夫と並んで、東京大学野球部史上の「名投手三羽烏」と呼ばれる人物の一人。1943年11月26日満州興山で戦死。野球殿堂博物館の「戦没野球人モニュメント」に刻まれている。 | ||
30 | 濃人渉 広島市 | Wikipedia |
濃人 渉(のうにん わたる、1915年3月22日 - 1990年10月10日)は、昭和初期から後期(1930年代後半〜1970年代前半)のプロ野球選手、内野手(主に遊撃手)。名古屋金鯱軍契約第1号選手。プロ野球監督。(1961年5月4日〜1962年に「濃人貴実(たかみ)」と一時改名)。広島県広島市生まれ。 | ||
31 | 岡本利三 | Wikipedia |
岡本 利三(おかもと としぞう、1915年10月20日 - 2002年5月)は、大阪府出身のプロ野球選手(捕手、外野手)。 | ||
32 | 景浦將 松山市 | Wikipedia |
景浦 將(かげうら まさる、1915年7月20日 - 1945年5月20日)は、愛媛県松山市出身のプロ野球選手(外野手、投手)。 | ||
33 | 吉田猪佐喜 | Wikipedia |
吉田 猪佐喜(よしだ いさき、1915年7月24日 - 1982年4月10日)は、熊本県出身のプロ野球選手。ポジションは外野手。1950年から1952年までの登録名は吉田 和生(よしだ かずお)。 | ||
34 | 佐々木常助 | Wikipedia |
佐々木 常助(ささき つねすけ、1915年8月16日 - 没年不明)は、島根県出身の元プロ野球選手。右投右打で、ポジションは外野手。 | ||
35 | 林清一 | Wikipedia |
林 清一(はやし せいいち、1915年10月31日 - 1990年5月23日)は、愛知県出身のプロ野球選手(外野手)。 | ||
36 | 松尾五郎 | Wikipedia |
松尾 五郎(まつお ごろう、1915年10月11日 - 没年不明)は、昭和時代前期に活躍したプロ野球選手。 | ||
37 | 森弘太郎 | Wikipedia |
森 弘太郎(もり こうたろう、1915年5月29日 - 1966年9月1日)は、愛知県一宮市出身のプロ野球選手(投手)。 |
野球・サッカー以外の球技
38 | 相山武夫 富山市 | Wikipedia |
相山 武夫(あいやま たけお、1915年3月7日~2000年3月6日)は富山県出身の実業家、ゴルフ場の設計者。 | ||
39 | 前田豊 廿日市市 | Wikipedia |
前田 豊(まえだ ゆたか、1915年9月25日 - 1997年1月11日)は、日本のバレーボール選手(日本代表)、指導者。バレーボール全日本男子監督、バレーボール全日本女子初代監督、日本バレーボール協会副会長、国際バレーボール連盟(FIVB)副会長、アジアバレーボール連盟会長、日本体育協会理事、日本文化出版創業・社長など多くの要職に就き“バレー界の天皇”とも言われた[2]。戦後日本のバレーボールの、国際舞台での活躍と底辺の広がり、両輪の発展に大きな役割を果たしたバレーボール指導者[2][3][4][5]、日本のバレーボール育ての親[6]。広島県佐伯郡廿日市町地御前(現廿日市市)出身。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
40 | 新島清 | Wikipedia |
新島 清(にいじま きよし、1915年 - 1998年11月10日)は、日本・福岡県のラグビー選手、指導者。ポジションはNO8(ナンバーエイト)。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
41 | 中野文照 瑞浪市 | Wikipedia |
中野 文照(なかの ふみてる, 1915年1月13日 - 1989年12月30日)は、岐阜県瑞浪市出身の男子テニス選手。法政大学卒業。1930年代後半から1950年代初頭にかけて、日本男子テニス界を代表する選手として活動した。時代的には、1934年に投身自殺した佐藤次郎のすぐ後に位置している。彼と同年代のライバル選手には、慶應義塾大学の山岸二郎や同じ法政大学の松本武雄などがいた。 |
冬季スポーツ
42 | 関戸力 小樽市 | Wikipedia |
関戸 力(せきど つとむ、後に矢崎姓、1915年3月25日 - 1987年11月23日)は、北海道小樽市出身の元ノルディック複合、クロスカントリースキー選手。 |
水泳全般・マリンスポーツ
43 | 牧野正蔵 湖西市 | Wikipedia |
牧野 正蔵(まきの しょうぞう、1915年(大正4年)5月15日 - 1987年(昭和62年)2月12日)は、日本の競泳選手。第10回ロサンゼルスオリンピックの1500m自由形で2位、400mおよび800m自由形で世界記録を更新した。 | ||
44 | 小池禮三 沼津市 | Wikipedia |
小池 禮三(こいけ れいぞう、1915年(大正4年)12月12日 - 1998年(平成10年)8月3日)は、日本の水泳選手。 | ||
45 | 遊佐正憲 | Wikipedia |
遊佐 正憲(ゆさ まさのり、1915年1月20日 - 1975年3月8日)は、日本の水泳選手。 |
陸上競技全般
46 | 青木半治 銚子市 | Wikipedia |
青木 半治(あおき はんじ 1915年7月16日 - 2010年5月30日)は日本のスポーツ指導者、日本陸上競技連盟第5代会長。日本体育協会第11代会長。また国際陸上競技連盟とアジア陸上競技連盟でも役員を歴任し、副会長を務めた。後に終身名誉副会長。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 |
屋内競技全般
47 | 有本彦六 熊野市 | Wikipedia |
有本 彦六(ありもと ひころく、1915年(大正4年)10月11日 - 1940年代)は日本の体操競技の選手。 |
競馬・競輪・競艇・その他レース
48 | 土門健司 苫前町 | Wikipedia |
土門 健司(どもん けんじ、1915年11月4日 - 2004年5月4日)は、日本の競馬騎手、調教師。北海道出身。 | ||
49 | 田中康三 町田市 | Wikipedia |
田中 康三(たなか こうぞう、1915年3月22日 - 1989年6月18日)は、日本の騎手(東京競馬倶楽部、日本競馬会、国営競馬)、調教師(日本中央競馬会)。 | ||
50 | 橋本輝雄 新ひだか町 | Wikipedia |
橋本 輝雄(はしもと てるお、1915年6月30日 - 2001年10月1日)は、日本の騎手、競走馬調教師。 |
囲碁・将棋・麻雀
51 | 高川格 田辺市 | Wikipedia |
二十二世本因坊秀格(にじゅうにせいほんいんぼうしゅうかく)(高川 格 たかがわ かく、1915年9月21日 - 1986年11月26日)は、日本の囲碁棋士。和歌山県出身、光原伊太郎名誉八段門下。本因坊戦9連覇。、名人、十段等タイトル多数の、昭和を代表する名棋士の一人。「流水不争先」を信条とし、平明流とも言われる、合理的で大局観に明るい棋風。 | ||
52 | 松浦卓造 | Wikipedia |
松浦 卓造(まつうら たくぞう、1915年1月22日 - 1977年3月11日)は、将棋棋士。八段。神田辰之助門下。広島県三原市出身。 | ||
53 | 半田道玄 | Wikipedia |
半田 道玄(はんだ どうげん、大正4年(1915年)10月25日 - 昭和49年(1974年)4月13日)は、囲碁の棋士。広島県出身、鈴木為次郎名誉九段門下、日本棋院から関西棋院所属、九段。旧名は早巳。十段獲得、本因坊挑戦など。求道的な姿勢と、殿様碁とも言われた独特のゆったりした棋風で知られる。 |
作家・小説家・エッセイ・文筆・翻訳家・編集者
54 | 直井潔 | Wikipedia |
直井 潔(なおい きよし、1915年4月1日 - 1997年11月23日)は日本の小説家。 | ||
55 | 帖佐美行 さつま町 | Wikipedia |
帖佐 美行(ちょうさ よしゆき、1915年3月25日 - 2002年9月10日)は、彫金家、文化勲章受章者。 | ||
56 | 梅崎春生 | Wikipedia |
梅崎 春生(うめざき はるお、1915年(大正4年)2月15日 - 1965年(昭和40年)7月19日)は、日本の小説家。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
57 | 草野唯雄 大牟田市 | Wikipedia |
草野 唯雄(そうの ただお、1915年10月21日 - 2008年)は、日本の小説家、推理作家。本名は荘野忠雄。福岡県大牟田市出身。法政大学専門部中退。別名に三川中。推理、サスペンス、恐怖小説と幅広いジャンルの作品を手がけた。 | ||
法政大学出身 出身の法政大学の出身者 全国の法政大学の出身者 | ||
58 | 勝野ふじ子 薩摩川内市 | Wikipedia |
勝野 ふじ子(かつの ふじこ、本名:勝野フジノ、1915年 (大正4年) 3月5日 - 1944年 (昭和19年) 3月21日) は、日本の小説家。鹿児島県薩摩郡入来村(現・薩摩川内市)生まれ。入来尋常小学校卒業後、鹿児島県立川内高等女学校に進学。その1年後に転校し、鹿児島県立第二高等女学校卒業。1937年より『九州文学』同人。 | ||
59 | 浅田晃彦 | Wikipedia |
浅田 晃彦(あさだ てるひこ、1915年(大正4年)8月11日 - 1996年(平成8年)7月31日)は、日本の小説家、医学者。 | ||
60 | 今井田勲 | Wikipedia |
今井田 勲(いまいだ いさお 1915年8月1日 – 1989年6月24日)は鹿児島県出身の編集者。 | ||
61 | 羽田奈緒子 | Wikipedia |
羽田 奈緒子(はねだ なおこ、10月18日 - )は、山形県出身の小説家。 | ||
甲南大学出身 出身の甲南大学の出身者 全国の甲南大学の出身者 |
経営者・実業家
62 | 太田寛一 士幌町 | Wikipedia |
太田 寛一(おおた かんいち、1915年(大正4年)10月10日 - 1984年(昭和59年)11月13日)は、元・士幌町農業協同組合組合長、元・ホクレン農業協同組合連合会会長、元・全国農業協同組合連合会会長、よつ葉乳業創業者。 | ||
63 | 佐々木正 浜田市 | Wikipedia |
佐々木 正(ささき ただし、1915年(大正4年)5月12日 - 2018年(平成30年)1月31日)は、日本の電子工学の技術者。シャープ元副社長。工学博士。「ロケット・ササキ」の異名を持つ。 | ||
64 | 矢板玄 矢板市 | Wikipedia |
矢板 玄(やいた くろし、1915年 - 1998年)は、昭和期の実業家。フィクサー。 | ||
65 | 秋山太一郎 | Wikipedia |
秋山 太一郎(あきやま たいちろう、大正4年(1915年) - 平成18年(2006年)1月5日)は、日本の医学者、医学博士(東京大学)、実業家。株式会社高研の創業者。株式会社荘内日報社元社長・元会長。鶴岡市行政顧問。勲四等瑞宝章。山形県鶴岡市出身。 | ||
66 | 堀内平八郎 伊那市 | Wikipedia |
堀内 平八郎(ほりうち へいはちろう、1915年8月8日 - 1997年7月4日)は日本の実業家。浜松ホトニクス創業者。 | ||
67 | 熊谷典文 浜田市 | Wikipedia |
熊谷典文(くまがい よしふみ、1915年11月30日 - 1999年4月1日)は、日本の実業家。元通商産業事務次官、元住友金属工業社長・会長。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
68 | 大社義規 さぬき市 | Wikipedia |
大社 義規(おおこそ よしのり、1915年2月1日 - 2005年4月27日)は、日本の実業家。日本ハム創業者で元社長。香川県大川郡津田町津田(現・さぬき市)出身。 | ||
香川大学出身 出身の香川大学の出身者 全国の香川大学の出身者 | ||
69 | 諏訪博 | Wikipedia |
諏訪 博(すわ ひろし、1915年6月11日 - 1989年12月9日)は日本の実業家。北海道小樽市出身。TBS社長などを歴任した。 | ||
70 | 福武哲彦 | Wikipedia |
福武 哲彦(ふくたけ てつひこ 1915年 - 1986年4月26日)は、福武書店・後のベネッセコーポレーションの創業者、教師[2]。 | ||
71 | 坪井東 | Wikipedia |
坪井 東(つぼい はじめ、1915年5月1日‐1996年7月5日)は日本の実業家。三井不動産の社長や会長を22年間務め、ツーバイフォー工法の導入や東京ディズニーランド開園事業に携わったほか、不動産協会理事長等の公職も務めた。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
72 | 土方武 | Wikipedia |
土方 武(ひじかた たけし、1915年(大正4年)3月18日 - 2008年(平成20年)10月15日)は日本の実業家、元住友化学工業社長・会長。元日本たばこ産業会長。元経済団体連合会副会長。岐阜県岐阜市出身。 | ||
73 | 中牟田喜一郎 福岡市 | Wikipedia |
中牟田 喜一郎(なかむた きいちろう、1915年9月15日 - 2008年10月18日)は、日本の実業家。岩田屋の創業家で、社長・会長を務めた。妻は元テニス選手の加茂純子。 | ||
山口大学出身 出身の山口大学の出身者 全国の山口大学の出身者 | ||
74 | 大沼義之助 | Wikipedia |
大沼 義之助(おおぬま よしのすけ、1915年〈大正4年〉3月7日 - 1996年〈平成8年〉5月26日)は、日本の造り酒屋経営者。千代寿虎屋酒造社長(第2代)・会長。山形県酒造組合理事。寒河江酒造組合理事長。寒河江市消防団長(初代)。寒河江市選挙管理委員会委員長(第2代・7期)。社団法人寒河江法人会会長(初代)。寒河江ロータリークラブ会長(初代、第2代)。 | ||
75 | 石塚庸三 米沢市 | Wikipedia |
石塚 庸三(いしづか ようぞう、1915年2月19日 - 1982年4月24日)は、山形県米沢市出身の実業家。東京帝国大学法学部政治学科卒。パイオニア2代目社長としてレーザーディスク事業を推進した。父は山形県立米沢興譲館高等学校教頭の石塚澄[要出典]。 | ||
76 | 永井準 境港市 | Wikipedia |
永井 準(ながい じゅん、1915年(大正4年)1月5日 - 没年不詳)は、日本の実業家。米子今井書店元社長である。社団法人全国教科書供給協会 元理事副会長。 | ||
77 | 亀倉雄策 武蔵野市 | Wikipedia |
亀倉 雄策(かめくら ゆうさく、1915年4月6日 - 1997年5月11日)は、日本のグラフィックデザイナー。日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)初代会長。 | ||
78 | 松永亀三郎 壱岐市 | Wikipedia |
松永 亀三郎(まつなが かめさぶろう、1915年3月2日 - 1997年9月29日)は、日本の実業家。中部電力社長や、同社会長、中部経済連合会会長、中部航空調査会理事長等を務めた。 | ||
79 | 氏家榮一 角田市 | Wikipedia |
氏家 榮一(うじいえ えいいち、1915年(大正4年)12月12日 - 2002年(平成14年)12月6日)は、日本の銀行家。元七十七銀行会長、頭取。 | ||
80 | 照屋敏子 糸満市 | Wikipedia |
照屋 敏子(てるや としこ、1915年 - 1984年4月4日)は、沖縄県糸満市出身の起業家で、最初は漁業で、その後種々の企業を立ち上げ活躍した。 |
デザイナー
81 | 亀倉雄策 燕市 | Wikipedia |
亀倉 雄策(かめくら ゆうさく、1915年4月6日 - 1997年5月11日)は、日本のグラフィックデザイナー。代表作にフジテレビジョンの旧シンボルマーク(8マーク)や日本電信電話(NTT)のマーク(ダイナミックループ)、1964年東京オリンピックのポスター、サンケイアトムズおよびヤクルトスワローズのユニフォームなどがある。 |
医師・看護師
82 | 奥野良臣 | Wikipedia |
奥野良臣(おくの よしおみ、1915年3月15日 - 2011年8月1日)は、日本のウイルス学者。大阪大学名誉教授。専門は病原微生物学。 旧姓は牧浦。1956年(昭和31年)、大阪大学教授となり、1968年(昭和43年)、大阪大学微生物病研究所所長。 1954年(昭和29年)、麻疹ウイルスを分離、1960年(昭和35年)、麻疹生ワクチンを開発する。 いずれもノーベル賞を受賞したエンダースと同年度に独立して成功する。 日本ウイルス学会会長などを務める。 1989年(平成元年)、大阪文化賞を受賞[2]。 | ||
大阪大学出身 出身の大阪大学の出身者 全国の大阪大学の出身者 |
その他芸術家
83 | 蓮田修吾郎 金沢市 | Wikipedia |
蓮田 修吾郎(はすだ しゅうごろう、1915年8月2日 - 2010年1月6日)は、鋳金家。文化勲章受章、日本芸術院会員。 |
軍人
84 | 岩佐直治 | Wikipedia |
岩佐 直治(いわさ なおじ、1915年(大正4年)5月6日 - 1941年(昭和16年)12月8日)は日本の海軍軍人である。「甲標的」(前部に45センチ魚雷発射管を備えた特殊潜航艇)による真珠湾攻撃の考案者の一人で、自ら搭乗して真珠湾攻撃で戦死した。九軍神の一人である。二階級特進により、最終階級は海軍中佐。 | ||
85 | 樫出勇 柏崎市 | Wikipedia |
樫出 勇(かしいで いさむ、1915年2月 - 1994年)は、陸軍軍人、戦闘機操縦者。最終階級は陸軍大尉。新潟県刈羽郡北条村(現柏崎市)出身。ノモンハン事件および太平洋戦争末期の本土防空戦において活躍し、B-29爆撃機に対する通算最多撃墜記録を有する。 |
官僚
86 | 牛丸義留 多久市 | Wikipedia |
牛丸 義留(うしまる よしと、1915年10月5日 - )は、元厚生官僚。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
公務員
87 | 寺田治郎 | Wikipedia |
寺田 治郎(てらだ じろう、1915年(大正4年)11月4日 - 2002年(平成14年)3月17日)は、日本の裁判官。第10代最高裁判所長官。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
学者・教授・准教授
88 | 泉靖一 栗山町 | Wikipedia |
泉 靖一(いずみ せいいち、 1915年6月3日 - 1970年11月15日)は、日本の文化人類学者。東京大学東洋文化研究所教授。専門は文化人類学。正四位勲三等旭日中綬章。 | ||
89 | 児玉三夫 | Wikipedia |
児玉 三夫(こだま みつお、1915年8月1日 - 1996年9月23日)は、日本の教育学者。 | ||
90 | 尾之内由紀夫 | Wikipedia |
尾之内 由紀夫(おのうち ゆきお、1915年8月18日 - 2009年2月12日)は、日本の土木工学者。1967年に建設事務次官を務めた。 | ||
91 | 矢田俊隆 桑名市 | Wikipedia |
矢田 俊隆(やだ としたか、1915年(大正4年)7月23日 - 2000年7月14日)は、日本の歴史学者・政治学者。北海道大学名誉教授。中欧史を研究。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
92 | 神田貞之助 大阪市 | Wikipedia |
神田 貞之助(かんだ ていのすけ、1915年2月8日 - 1997年4月23日)は、日本の物理学者。神戸大学名誉教授。理学博士。大阪府大阪市出身。 | ||
大阪帝国大学出身 出身の大阪帝国大学の出身者 全国の大阪帝国大学の出身者 | ||
93 | 平田義正 | Wikipedia |
平田 義正(ひらた よしまさ、1915年5月30日 - 2000年3月5日)は日本の天然物化学者である。名古屋大学名誉教授。山口県山口市生まれ。 | ||
94 | 白井永二 豊橋市 | Wikipedia |
白井永二(しらい えいじ、1915年 - 2008年1月1日)は、日本の民俗学者、神職。 | ||
95 | 吉田富穂 奥州市 | Wikipedia |
吉田 富穂(よしだ とみほ、1915年(大正4年) - 1991年(平成3年))は、日本の農学者。農学博士(北海道大学)。元専修大学北海道短期大学学長。岩手県水沢市生 | ||
96 | 石沢芳次郎 宇都宮市 | Wikipedia |
石沢 芳次郎(いしざわ よしじろう、1915年 - )は日本の経済学者。三木内閣首席参事官、防衛大学校名誉教授、拓殖大学名誉教授、拓殖大学学長、財団法人産業経済研究協会理事長等を歴任した。 | ||
97 | 川崎桃太 長門市 | Wikipedia |
川崎 桃太(かわさき ももた、1915年3月3日 - 2019年9月30日)は、日本の言語学者、歴史学者。京都外国語大学名誉教授。 | ||
98 | 柿本奨 岸和田市 | Wikipedia |
柿本奨(かきもと つとむ、1915年11月30日 - 2000年5月)は、国文学者。 大阪府岸和田市生まれ。岸和田中学校(現岸和田高等学校)、大阪高等学校卒、1938年京都帝国大学国文科卒。大阪市立岡第二商業学校(現・大阪市立市岡商業高等学校)教諭、熊本師範学校教授、大阪第一師範学校教授、二度応召。戦後、大阪学芸大学助教授、67年校名変更で大阪教育大学教授、大阪大学教養部教授、79年定年退官、名誉教授、追手門学院大学教授。同名誉教授。中古文学が専門。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
99 | 斎藤光 | Wikipedia |
斎藤 光(さいとう ひかる、1915年4月5日 - 2010年7月11日)は、日本のアメリカ文学者。東京大学名誉教授。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
100 | 藤田五郎 広島市 | Wikipedia |
藤田 五郎(ふじた ごろう、1915年9月28日 - 1952年12月7日)は、日本の経済史学者。 | ||
101 | 小池善吉 | Wikipedia |
小池 善吉(こいけ ぜんきち、1915年10月27日 - 2001年2月)は日本の歴史学者。群馬県吾妻郡中之条町出身。 | ||
102 | 和歌森太郎 銚子市 | Wikipedia |
和歌森 太郎(わかもり たろう、1915年(大正4年)6月13日 - 1977年(昭和52年)4月7日)は日本の歴史学者、民俗学者。東京教育大学名誉教授。専門は日本の民衆史・修験道史。 | ||
103 | 玉城康四郎 熊本市 | Wikipedia |
玉城 康四郎(たまき こうしろう、1915年7月29日 - 1999年1月14日)は、熊本県熊本市出身の日本の仏教学者。 | ||
104 | 山内邦臣 奈良市 | Wikipedia |
山内 邦臣(やまのうち くにおみ、1915年5月28日 - 1998年6月17日 )は、英米文学者。 主としてユージン・オニールを研究。 | ||
105 | 佐藤功 | Wikipedia |
佐藤 功(さとう いさお、1915年(大正4年)3月29日 - 2006年(平成18年)6月17日)は京都府京都市出身の法学者。専門は憲法。宮沢俊義門下。上智大学名誉教授。文化功労者。主著『日本国憲法概説』(学陽書房刊)は版を重ねている。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
106 | 伊藤清 いなべ市 | Wikipedia |
伊藤 清(いとう きよし、1915年9月7日 - 2008年11月10日)は、日本の数学者。確率論における伊藤の補題(伊藤の定理)の考案者として知られる。第一回ガウス賞受賞者。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
107 | 西村公朝 高槻市 | Wikipedia |
西村 公朝(にしむら こうちょう、1915年(大正4年)6月4日 - 2003年(平成15年)12月2日)は、仏師・仏像修理技師・僧侶・東京芸術大学名誉教授。勲三等瑞宝章。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
108 | 市原松平 佐倉市 | Wikipedia |
市原 松平(いちはら まつへい、1915年3月30日- 2001年4月11日)は、日本の土木工学者。京都帝国大学(現在の京都大学)工学部卒業。名古屋大学名誉教授。土木学会名誉会員。地盤工学会名誉会員。土圧・間隙水圧の計測方法に関する研究を行い多面土圧計などの計測機器を開発。特に土圧研究の分野で多くの業績を挙げた。勲二等瑞宝章受章。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
109 | 西治辰雄 尼崎市 | Wikipedia |
西治 辰雄(にしじ たつお、1915年5月1日 - 1988年8月1日)は、統計学者、数学者、商学博士。関西学院大学名誉教授・第九代関西学院大学学長, 元関西学院大学商学部長。 | ||
広島大学出身 出身の広島大学の出身者 全国の広島大学の出身者 | ||
110 | 森昭 霧島市 | Wikipedia |
森昭(もり あきら、1915年10月30日 - 1976年12月17日)は日本の教育学者、教育哲学者、文学博士。 | ||
111 | 桜井光堂 宇部市 | Wikipedia |
桜井 光堂(さくらい こうどう、1915年11月23日 - )は、日本の国際法学者、駒澤大学名誉教授。 | ||
112 | 小平邦彦 | Wikipedia |
小平 邦彦(こだいら くにひこ、1915年3月16日 - 1997年7月26日)は、日本の数学者。東京都出身。日本初のフィールズ賞受賞者。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
113 | 藤堂明保 伊賀市 | Wikipedia |
藤堂 明保(とうどう あきやす、1915年9月20日 - 1985年2月26日)は、日本の中国語学者、中国文学者。 | ||
114 | 松本正 伊達市 | Wikipedia |
松本 正(まつもと ただし、1915年6月3日 - 2005年11月13日)は、日本の工学者。北海道工業大学元学長、北海道大学名誉教授。北海道伊達市出身。 |
研究者・研究家・発明家
115 | 西本貫一 和歌山市 | Wikipedia |
西本 貫一(にしもと かんいち、1915年6月29日 - 2005年8月27日)は、日本の実業家・発明家。元ノーリツ鋼機代表取締役社長。 | ||
116 | 服部新佐 日南市 | Wikipedia |
服部 新佐(はっとり しんすけ、1915年8月10日 - 1992年5月12日)は日本の植物学者である。南九州の蘚苔類の研究で知られる。 |
画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家
117 | 山本甚作 鶴岡市 | Wikipedia |
山本 甚作(やまもと じんさく、1915年(大正4年) - 1996年(平成8年)10月4日)は、日本の画家。 | ||
118 | 成沢翠映 鶴岡市 | Wikipedia |
成沢 翠映(なりさわ すいえい、本名:喜三郎、1915年(大正4年) - 1998年(平成10年))は、日本の画家。 | ||
119 | 三井惣一 鶴岡市 | Wikipedia |
三井 惣一(みつい そういち、1915年(大正4年) - 1953年(昭和28年))は、日本の画家。 | ||
120 | 工藤甲人 弘前市 | Wikipedia |
工藤 甲人(くどう こうじん、本名:工藤 儀助(くどう ぎすけ)、1915年7月30日 - 2011年7月29日[2])は、日本の画家、日本画家。創画会会員。東京芸術大学名誉教授、沖縄県立芸術大学客員教授。 | ||
121 | 緑川洋一 瀬戸内市 | Wikipedia |
緑川洋一(みどりかわ よういち、1915年(大正4年)3月4日 - 2001年(平成13年)11月14日)は、写真家、歯科医師。生来の名は横山知(さとし)。二科会写真部会員。 | ||
122 | 山本恪二 | Wikipedia |
山本 恪二(やまもと かくじ、大正4年(1915年)2月18日 - 平成12年(2000年)3月5日)は、昭和から平成期前半の彫刻家。京都市立美術大学名誉教授。 | ||
123 | 濱谷浩 上越市 | Wikipedia |
濱谷 浩(はまや ひろし、1915年3月28日 - 1999年3月6日)は、戦前戦後を通じての日本の写真家である。主として、報道写真系統の作品、特に、日本(人)を対象とする写真を多く撮影した。東京市下谷区出身。田中雅夫(写真評論家)は兄。デューク・エイセスの槇野義孝は甥。また写真家の桑原甲子雄は隣家の幼なじみで、若き日ともに写真に親しんだ。 | ||
124 | 柿本幸造 | Wikipedia |
柿本幸造(かきもと こうぞう、1915年 - 1998年)は広島県出身の童画家。 | ||
125 | 今野忠一 天童市 | Wikipedia |
今野 忠一(こんの ちゅういち、1915年3月26日 - 2006年4月15日)は山形県天童市出身の日本画家。埼玉県在住。故郷の蔵王や月山を始め、多くの山岳や巨木を題材に、前景から背景まで分厚く塗る重厚な作風で知られた。 | ||
126 | 小松崎茂 荒川区 | Wikipedia |
小松崎 茂(こまつざき しげる、1915年2月14日 - 2001年12月7日)は東京出身の画家・イラストレーターである。空想科学イラスト・戦記物・プラモデルの箱絵(ボックスアート)などで幅広く活躍した。 | ||
127 | 尾澤千春 上田市 | Wikipedia |
尾澤 千春(おざわ ちはる、1915年 - )は、日本の工芸家、彫刻家。姓の「澤」は「沢」の旧字体のため、尾沢 千春(おざわ ちはる)とも表記される。 | ||
128 | 小金丸幾久 | Wikipedia |
小金丸 幾久(こがねまる いくひさ、大正4年(1915年) - 平成15年(2003年)3月6日)は、長崎県壱岐郡武生水村(現・壱岐市)出身の彫刻家、太平洋美術学校教授、東京大学建築学科講師。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
129 | 岩合徳光 釧路市 | Wikipedia |
岩合 徳光(いわごう とくみつ、1915年12月18日または1916年 - 2007年2月12日)は、日本の写真家。写真家の岩合光昭は息子。 | ||
130 | 後藤紀一 | Wikipedia |
後藤紀一(ごとう きいち、1915年1月17日 - 1990年9月11日)は山形県東村山郡山辺町出身の画家、小説家。 | ||
131 | 小松崎茂 柏市 | Wikipedia |
小松崎 茂(こまつざき しげる、1915年2月14日 - 2001年12月7日)は東京出身の画家・イラストレーターである。空想科学イラスト・戦記物・プラモデルの箱絵(ボックスアート)などで幅広く活躍した。 |
政治家・議員・首長
132 | 林田悠紀夫 舞鶴市 | Wikipedia |
林田 悠紀夫(はやしだ ゆきお、1915年(大正4年)11月26日 - 2007年(平成19年)11月11日)は、日本の政治家。自由民主党参議院議員や京都府知事を務めた。綾部市名誉市民。正三位勲一等旭日大綬章。 | ||
133 | 成相善十 出雲市 | Wikipedia |
成相 善十(なりあい ぜんじゅう、1915年(大正4年)12月4日 - 1998年(平成10年)11月10日)は、日本の政治家。参議院議員。 | ||
134 | 板垣清一郎 | Wikipedia |
板垣 清一郎(いたがき せいいちろう、1915年9月7日 - 1993年10月2日)は山形県の政治家。元山形県知事(在任期間、1973年10月 - 1993年2月)。山形県西村山郡左沢町(現・大江町)出身。栄典は従三位・勲一等・瑞宝章。 | ||
東京教育大学出身 出身の東京教育大学の出身者 全国の東京教育大学の出身者 | ||
135 | 安井吉典 東神楽町 | Wikipedia |
安井 吉典(やすい よしのり、1915年(大正4年)10月30日 - 2012年(平成24年)11月6日)は、日本の政治家(日本社会党)。位階は正三位。勲等は勲一等。 | ||
136 | 服部安司 上牧町 | Wikipedia |
服部 安司(はっとり やすし、1915年7月21日 - 2011年3月9日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(7期)・参議院議員(2期)。息子は元自民党参議院議員の服部三男雄。 | ||
137 | 鶴園哲夫 南九州市 | Wikipedia |
鶴園 哲夫(つるぞの てつお、1915年5月28日 - 2006年4月11日)は、昭和中期から後期(1950年代後半~1970年代後半)の政治家。日本社会党参議院議員。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
138 | 滝井義高 田川市 | Wikipedia |
滝井 義高(たきい よしたか、1915年2月25日 - 2005年12月19日)は、日本の政治家、医師。日本社会党衆議院議員、福岡県田川市長を務めた。 | ||
東京慈恵会医科大学出身 出身の東京慈恵会医科大学の出身者 全国の東京慈恵会医科大学の出身者 | ||
139 | 鯨岡兵輔 | Wikipedia |
鯨岡 兵輔(くじらおか ひょうすけ、1915年(大正4年)9月15日 - 2003年(平成15年)4月1日)は、日本の政治家である。福島県石城郡四倉町(現・いわき市)出身。正三位勲一等旭日大綬章。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
140 | 渡海元三郎 | Wikipedia |
渡海 元三郎(とかい もとさぶろう、1915年3月13日 - 1985年5月2日)は、日本の政治家。兵庫県出身。渡海晴平の子。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
141 | 中川平太夫 若狭町 | Wikipedia |
中川 平太夫(なかがわ へいだゆう、1915年3月18日 - 1987年6月14日)は、公選第4代福井県知事(任期は1967年4月23日~1987年4月22日、5期)。福井県遠敷郡野木村(現在の三方上中郡若狭町)出身。若狭町名誉町民(1983年11月3日、当時の遠敷郡上中町より称号贈呈)。息子は福井県議会議員の中川平一。 | ||
142 | 佐々木良作 養父市 | Wikipedia |
佐々木 良作(ささき りょうさく、1915年(大正4年)1月8日 - 2000年(平成12年)3月9日)は、日本の政治家。雅号は良素。 | ||
信州大学出身 出身の信州大学の出身者 全国の信州大学の出身者 | ||
143 | 江崎真澄 一宮市 | Wikipedia |
江崎 真澄(えさき ますみ、1915年11月23日 - 1996年12月11日)は、日本の政治家。衆議院議員(17期)、総務庁長官、通商産業大臣、自治大臣、防衛庁長官などを歴任した。 | ||
144 | 藤井勝志 井原市 | Wikipedia |
藤井 勝志(ふじい かつし、1915年4月13日 - 1996年1月25日)は、日本の政治家。井原市名誉市民。労働大臣、大蔵政務次官などを務めた。叙正三位勲一等旭日大綬章。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
145 | 加藤武徳 笠岡市 | Wikipedia |
加藤 武徳(かとう たけのり、1915年11月21日 - 2000年2月9日)は、日本の政治家。岡山県知事、自治大臣などを歴任した。剣道範士、全日本剣道連盟顧問。 | ||
中央大学出身 出身の中央大学の出身者 全国の中央大学の出身者 | ||
146 | 古賀雷四郎 鳥栖市 | Wikipedia |
古賀 雷四郎(こが らいしろう、1915年12月23日 - 2008年6月13日)は、日本の政治家。元自由民主党参議院議員(3期)。連続当選3回。佐賀県鳥栖市出身。 | ||
147 | 村山達雄 武蔵野市 | Wikipedia |
村山 達雄(むらやま たつお、1915年(大正4年)2月8日 - 2010年(平成22年)5月20日)は、日本の大蔵官僚、政治家。正三位勲一等旭日大綬章。 | ||
148 | 村山達雄 長岡市 | Wikipedia |
村山 達雄(むらやま たつお、1915年(大正4年)2月8日 - 2010年(平成22年)5月20日)は、日本の大蔵官僚、政治家。正三位勲一等旭日大綬章。 | ||
149 | 大島靖 田辺市 | Wikipedia |
大島 靖(おおしま やすし、1915年1月30日 - 2010年8月7日)は、日本の政治家、官僚。第14代大阪市長。元労働省労働基準局長。大阪市長を1971年から1987年まで、4期16年務めた。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
150 | 小平忠 岩見沢市 | Wikipedia |
小平 忠(こだいら ただし、1915年8月1日 - 2000年12月3日)は、日本の政治家。衆議院議員(11期)。正三位勲一等。北海道空知郡栗沢町(現・岩見沢市)出身。民主党元衆議院議員で、野田内閣 (第3次改造)で国家公安委員長を務めた小平忠正は実子。 | ||
151 | 遠藤要 白石市 | Wikipedia |
遠藤 要(えんどう かなめ、1915年10月31日 - 2010年6月20日)は、日本の政治家。 | ||
152 | 飛鳥田一雄 横浜市 | Wikipedia |
飛鳥田 一雄(あすかた いちを、1915年4月2日 - 1990年10月11日)は、日本の政治家。衆議院議員、横浜市長、日本社会党委員長を歴任した。 |
評論家
153 | 宮崎吉政 札幌市 | Wikipedia |
宮崎 吉政(みやざき よしまさ、1915年8月8日 - 2006年3月3日)は、日本のジャーナリスト、政治評論家。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
154 | 小島信夫 岐阜市 | Wikipedia |
小島 信夫(こじま のぶお、1915年(大正4年)2月28日 - 2006年(平成18年)10月26日)は、日本の小説家・評論家。 | ||
法政大学出身 出身の法政大学の出身者 全国の法政大学の出身者 | ||
155 | 寺田透 横浜市 | Wikipedia |
寺田 透(てらだ とおる、1915年(大正4年)3月16日 - 1995年(平成7年)12月21日)は、日本の文芸評論家・フランス文学者。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
156 | 横井庄一 愛西市 | Wikipedia |
横井 庄一(よこい しょういち、1915年3月31日 - 1997年9月22日)は、日本の陸軍軍人、評論家。最終階級は陸軍軍曹、栄典は勲七等青色桐葉章。 |
宗教家・思想家・運動家
157 | 執印テル 出水市 | Wikipedia |
執印テル(しゅういん てる、1915年(大正4年)3月10日 - 2007年(平成19年)9月25日)は、昭和時代の日本のジャーナリスト、政治家。出水市出身(旧高尾野町・執印氏9人兄弟の7番目・次女) |
俳人・歌人・詩人・歌人
158 | 芳賀秀次郎 | Wikipedia |
芳賀 秀次郎(はが ひでじろう、1915年(大正4年)1月1日 - 1993年(平成5年)5月9日)は、日本の教育者。詩人。歌人。 | ||
159 | 野間宏 神戸市 | Wikipedia |
野間 宏(のま ひろし、1915年(大正4年)2月23日 - 1991年(平成3年)1月2日)は、日本の小説家、評論家、詩人。 | ||
160 | 丸山豊1915 広川町 | Wikipedia |
丸山 豊(まるやま ゆたか、1915年3月30日 - 1989年8月8日)は日本の医師、詩人。 | ||
161 | 淵上毛錢 水俣市 | Wikipedia |
淵上 毛錢 (ふちがみ もうせん、1915年1月13日 - 1950年3月9日)は日本の詩人。 | ||
162 | 金子健造 南アルプス市 | Wikipedia |
金子 健造(かねこ けんぞう、1915年9月8日 - 1988年7月14日)は、昭和時代日本の歌人。 | ||
163 | 東明雅 熊本市 | Wikipedia |
東 明雅(ひがし あきまさ、1915年3月7日 - 2003年10月20日)は、国文学者、俳人。 | ||
164 | 丸山豊 久留米市 | Wikipedia |
丸山 豊(まるやま ゆたか、1915年3月30日 - 1989年8月8日)は日本の医師、詩人。日本の現代詩における代表的詩人の一人。福岡県八女郡広川町出身。福岡県中学明善校在学中より野田宇太郎らと同人誌に参加。第一早稲田高等学院に進学するも中退し、父と同じく医学を志して昭和12年、九州医学専門学校卒業。 | ||
久留米大学出身 出身の久留米大学の出身者 全国の久留米大学の出身者 | ||
165 | 金子きみ 湧別町 | Wikipedia |
金子きみ(かねこ-、1915年2月12日 - 2009年6月23日)は、日本の小説家、歌人。本名・キミ。 | ||
166 | 野間宏 | Wikipedia |
野間 宏(のま ひろし、1915年(大正4年)2月23日 - 1991年(平成3年)1月2日)は日本の小説家、評論家、詩人。長編小説を多く書き、社会全体の構造をとらえる全体小説を志向した。また、最晩年まで社会的な発言を多く行ったことでも知られている。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
167 | 加藤克巳 さいたま市 | Wikipedia |
加藤 克巳(かとう かつみ、1915年6月30日 - 2010年5月16日)は、歌人。 | ||
168 | 串田孫一 小金井市 | Wikipedia |
串田 孫一(くしだ まごいち、1915年11月12日 - 2005年7月8日)は、日本の詩人、哲学者、随筆家。 |
その他の職業
169 | フランク・正三・馬場 | Wikipedia |
フランク・正三・馬場(フランク しょうぞう ばば、Frank Shozo Baba、1915年1月3日 - 2008年1月16日)は日系アメリカ人二世、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)として日本に来て民間情報教育局(CIE)のラジオ課の一員として働いた。1945年(昭和20年)12月から日本に来て日本放送協会(NHK)の戦後の放送番組企画や日本の民間放送設立案に尽力した人物。生後半年から12歳半の約12年間、29歳から36歳の約6年間、46歳から約4年半と3回にわたり長期間日本に滞在した。 | ||
170 | 天龍三郎 大阪市 | Wikipedia |
天龍 三郎(てんりゅう さぶろう、1915年5月11日 - 2014年3月26日)は、日本の浪曲師。大阪府大阪市出身。本名は阪口 春千代(さかぐち はるちよ)。浪曲親友協会会員、同団体理事。 | ||
171 | 片野饗一 湯沢市 | Wikipedia |
片野 饗一(かたの きょういち、1915年(大正4年)11月16日 - 2002年(平成14年)2月24日)は、日本の銀行家。北都銀行取締役相談役、秋田あけぼの銀行頭取を歴任した。 | ||
172 | 小西音松 神戸市 | Wikipedia |
小西 音松(こにし おとまつ、1915年9月7日 - 2002年4月16日)は、ヤクザ、指定暴力団・五代目山口組顧問、小西一家初代総長。 | ||
173 | 吉川勇次 神戸市 | Wikipedia |
吉川勇次(よしかわ ゆうじ1915年1月20日-1977年2月6日)は、日本のヤクザ。暴力団三代目山口組若頭補佐、初代吉川組組長。三重県度会郡出身。 | ||
174 | 本間一夫 増毛町 | Wikipedia |
本間 一夫(ほんま かずお、 1915年10月7日 - 2003年8月1日)は、日本点字図書館の創立者。点字図書・録音図書の製作と貸出を主とする図書館事業に取り組み、視覚障害者の読書環境向上に貢献した。 | ||
175 | 鶴襄 広島市 | Wikipedia |
鶴 襄(つる のぼる、1915年1月25日 - 2006年12月21日)は、日本の教育者。学校法人鶴学園創設者。鶴学園名誉総長。 | ||
176 | 麻生和子 渋谷区 | Wikipedia |
麻生 和子(あそう かずこ、1915年〈大正4年〉5月13日 - 1996年(平成8年)3月15日)吉田茂の娘。麻生太郎の母。 |