このサイトに登録されている有名人の数:70,856人
このサイトに登録されている「出身で1914年生まれ」の有名人の数:230人
スポンサーリンク
宝塚・女優・俳優・声優・ナレーター・歌舞伎・能楽・狂言
1 | 宇野重吉 福井市 | Wikipedia |
宇野 重吉(うの じゅうきち、 1914年9月27日 - 1988年1月9日)は、日本の俳優、演出家、映画監督。本名は寺尾 信夫(てらお のぶお)。 | ||
日本大学出身 出身の日本大学の出身者 全国の日本大学の出身者 | ||
2 | 山茶花究 大阪市 | Wikipedia |
山茶花 究(さざんか きゅう、本名:末広峰夫(すえひろ みねお)、1914年4月1日 - 1971年3月4日)は、日本の俳優、芸人。 | ||
3 | 松村達雄 横浜市 | Wikipedia |
松村 達雄(まつむら たつお、1914年12月18日 - 2005年6月18日)は、日本の俳優。東京俳優生活協同組合所属。 | ||
法政大学出身 出身の法政大学の出身者 全国の法政大学の出身者 | ||
4 | 田武謙三 京都市 | Wikipedia |
田武 謙三(たぶ けんぞう、1914年〈大正3年〉8月13日 - 1993年〈平成5年〉11月19日)は、京都府京都市東山区泉涌寺出身。の俳優。本名は田武 安太郎。特技は関西方言。 | ||
5 | 桜緋紗子 広島市 | Wikipedia |
桜 緋紗子(さくら ひさこ、1914年3月15日 - 2002年3月20日)は、日本の女優、元宝塚少女歌劇団娘役スター。宝塚退団後、新派を経て引退。その後仏門に入り小笠原日凰(おがさわら にちおう)と名乗る尼僧となった。戦前の表記は櫻緋紗子。 | ||
6 | 近衛十四郎 長岡市 | Wikipedia |
近衛 十四郎(このえ じゅうしろう、1914年4月10日 - 1977年5月24日)は、戦前から戦後にかけて活躍した時代劇俳優。本名、目黒 寅彦(出生名、寅一から改名)。新潟県長岡市出身。 | ||
7 | 飯塚敏子 | Wikipedia |
飯塚 敏子(いいづか としこ、1914年6月8日 - 1991年12月14日)は、日本の女優。本名・本間 敏子(旧姓・飯塚)。 | ||
8 | 日野道夫 函館市 | Wikipedia |
日野 道夫(ひの みちお、1914年3月10日 - 没年不詳)は、日本の俳優。本名同じ。 |
歌手・シンガー
9 | 笠置シヅ子 | Wikipedia |
笠置シヅ子(かさぎ シヅこ、本名:亀井静子、1914年(大正3年)8月25日 - 1985年(昭和60年)3月30日)は、日本の歌手、女優。戦後、「ブギの女王」として一世を風靡した。 | ||
10 | 霧島昇 | Wikipedia |
霧島 昇(きりしま のぼる、1914年(大正3年)6月27日 - 1984年(昭和59年)4月24日)は戦前から戦後にかけて活躍した流行歌手。本名は坂本 栄吾といった。福島県双葉郡大久村出身。1970年(昭和45年)、紫綬褒章受章。 | ||
東京音楽大学出身 出身の東京音楽大学の出身者 全国の東京音楽大学の出身者 | ||
11 | 笠置シヅ子 | Wikipedia |
笠置シヅ子(かさぎ シヅこ、本名:亀井静子、1914年(大正3年)8月25日 - 1985年(昭和60年)3月30日)は、日本の歌手、女優。戦後、「ブギの女王」として一世を風靡した。 |
演奏家・作詞家・作曲家・ミュージシャン
12 | 三宅洋一郎 横浜市 | Wikipedia |
三宅 洋一郎(みやけ よういちろう、1914年 - 1994年8月1日[2])は、日本の音楽家、ピアニスト、合唱指揮者、フェリス女学院短期大学名誉教授。 長年にわたり日本女声合唱団の指導にあたるとともに、フェリス女学院短期大学学長などを務めた。 | ||
13 | 早坂文雄 | Wikipedia |
早坂 文雄(はやさか ふみお、1914年8月19日 - 1955年10月15日)は、日本の作曲家である。宮城県仙台市出身。 | ||
14 | 細川雄太郎 日野町 | Wikipedia |
細川雄太郎(ほそかわ ゆうたろう、1914年(大正3年)11月27日 - 1999年(平成11年)2月21日)は、滋賀県蒲生郡日野町出身の童謡作詞家。 | ||
15 | 小山清茂 | Wikipedia |
小山 清茂(こやま きよしげ、1914年1月15日 - 2009年6月6日)は、日本の作曲家。小山作品の特徴は、神楽や祭囃子をモチーフに日本情緒に満ちた温和な作風にある。 | ||
16 | 加賀大介 | Wikipedia |
加賀 大介(かが だいすけ、1914年10月1日 - 1973年6月21日)は、石川県根上町(現能美市)生まれの作詞家。当時の本名・中村義雄。後にペンネームの一つでもあった加賀大介に改名。 | ||
17 | 黒石ひとみ | Wikipedia |
黒石 ひとみ(くろいし ひとみ)は、日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家。 | ||
18 | 伊福部昭 釧路市 | Wikipedia |
伊福部 昭(いふくべ あきら、1914年〈大正3年〉5月31日 - 2006年〈平成18年〉2月8日)は、日本を代表する作曲家。ほぼ独学で作曲家となった。日本の音楽らしさを追求した民族主義的な力強さが特徴の数多くのオーケストラ曲のほか、『ゴジラ』を初めとする映画音楽の作曲家として、また音楽教育者としても知られる。 | ||
北海道大学出身 出身の北海道大学の出身者 全国の北海道大学の出身者 | ||
19 | 早坂文雄 歌志内市 | Wikipedia |
早坂 文雄(はやさか ふみお、1914年8月19日 - 1955年10月15日)は、日本の作曲家である。宮城県仙台市出身。 | ||
20 | 上原げんと 木造町 | Wikipedia |
上原げんと(うえはらげんと、1914年(大正3年)12月28日 - 1965年(昭和40年)8月13日)は昭和期の作曲家。弟も同じく作曲家の上原賢六。 | ||
21 | 三宅洋一郎 | Wikipedia |
三宅 洋一郎(みやけ よういちろう、1914年 - 1994年8月1日[2])は、日本の音楽家、ピアニスト、合唱指揮者、フェリス女学院短期大学名誉教授。 長年にわたり日本女声合唱団の指導にあたるとともに、フェリス女学院短期大学学長などを務めた。 |
舞台・演劇・映画・ドラマ・脚本・プロデューサー・ディレクター
22 | 野々村潔 武蔵野市 | Wikipedia |
野々村 潔(ののむら きよし、1914年9月23日 - 2003年1月22日)は日本の俳優、映画プロデューサー。 | ||
23 | 佐伯清 | Wikipedia |
佐伯 清(さえき きよし、1914年9月19日 - 2002年7月16日)は、愛媛県松山生まれの映画監督である。代表作は昭和残侠伝シリーズ。 | ||
24 | 市川久夫 調布市 | Wikipedia |
市川 久夫(いちかわ ひさお、1914年 - 2002年3月25日)は、日本の劇映画・テレビドラマのプロデューサー。生涯で映画約100作品、テレビドラマ約600話の制作に携わった。 | ||
25 | 久松三津枝 台東区 | Wikipedia |
久松 三津枝(ひさまつ みつえ、1914年9月13日 - 没年不詳)は、日本の女優である[5][6]。本名上松 美津江(うえまつ みつえ)、旧芸名久松 美津江(ひさまつ みつえ)のほか、別名・表記の揺れがある(#芸名)[6]。全国公募から選ばれ、深水藤子とならぶ日活スター女優として登場、サイレント映画末期からトーキー初期にかけて人気があった[7][8]。 | ||
26 | 志村敏夫 島田市 | Wikipedia |
志村 敏夫(しむら としお、1914年10月13日 - 1980年7月7日)は、日本の脚本家、映画監督である。 |
格闘技
27 | 安藝ノ海節男 広島市 | Wikipedia |
安藝ノ海 節男(あきのうみ せつお、1914年5月30日 - 1979年3月25日)は、広島県広島市宇品町(現・広島市南区宇品御幸)出身の元大相撲力士。第37代横綱。本名は永田 節男(ながた たかお)。 | ||
28 | 名寄岩静男 名寄市 | Wikipedia |
名寄岩 静男(なよろいわ しずお、1914年9月27日 - 1971年1月26日)は、北海道名寄市出身(出生地は北海道小樽市)の元大相撲力士。本名は岩壁 静雄(いわかべ しずお)。 | ||
29 | 前田山英五郎 | Wikipedia |
前田山 英五郎(まえだやま えいごろう、1914年5月4日 - 1971年8月17日)は、愛媛県西宇和郡喜須来村(現:愛媛県八幡浜市)出身の元大相撲力士。第39代横綱。本名は萩森 金松(はぎもり かねまつ)。 | ||
30 | 安芸ノ海節男 広島市 | Wikipedia |
安藝ノ海 節男(あきのうみ せつお、1914年5月30日 - 1979年3月25日)は、広島県広島市宇品町(現・広島市南区宇品御幸)出身の元大相撲力士。第37代横綱。本名は永田 節男(ながた たかお)。 | ||
31 | 若浪義光 東川町 | Wikipedia |
若浪 義光(わかなみ よしみつ、1914年5月6日 - 1982年12月30日)は、樺太恵須取郡恵須取町(現在のサハリン・ウグレゴルスク)出身で1940年代に活躍した立浪部屋所属の元大相撲力士。最高位は東前頭19枚目(1940年5月場所)。本名は若林 義光(わかばやし よしみつ)。現役時代の体格は身長176cm、体重94kg。得意手は右四つ、寄り。 | ||
32 | ピストン堀口 真岡市 | Wikipedia |
ピストン堀口(ピストンほりぐち、1914年(大正3年)10月7日 - 1950年(昭和25年)10月24日)は、日本のプロボクサー。本名:堀口 恒男(ほりぐち つねお)。栃木県真岡市出身。昭和初期における日本ボクシング界の象徴的存在で「拳聖」と呼ばれた。元日本フェザー級・東洋フェザー級および日本ミドル級チャンピオン。次兄から順に、基治、宏(元日本バンタム級チャンピオンの堀口宏)、喬久という堀口4兄弟(いずれもプロボクサー)の長兄。孫は元ボクサーの堀口昌彰で、日本ライト級2位に格付けされていた。現在はピストン堀口道場の指導者を務める。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
33 | 山口利夫 三島市 | Wikipedia |
山口 利夫(やまぐち としお、1914年7月28日 - 1986年4月1日)は静岡県三島市出身の柔道家(六段)、プロレスラー。本名は山口利雄(よみ同じ)。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
34 | 羽黒山政司 新潟市 | Wikipedia |
羽黒山 政司(はぐろやま まさじ、1914年11月18日 - 1969年10月14日)は、新潟県西蒲原郡松長村(現:新潟県新潟市西蒲区)出身の元大相撲力士。第36代横綱。本名は小林 正治(こばやし まさじ)。 | ||
35 | 小嶋川庄吉 江東区 | Wikipedia |
小嶌川 庄吉(こじまがわしょうきち、1914年9月5日 - 1946年9月15日)は、立浪部屋に所属した力士。引退後は4代八角を襲名したが、在職中に死去した。本名は米花 庄吉。現在の東京都江東区出身。173cm、102kg。最高位は西前頭5枚目。 | ||
36 | 森寅雄 | Wikipedia |
森 寅雄(もり とらお、1914年(大正3年)6月11日 - 1969年(昭和44年)1月8日)は、日本人の剣道家、フェンシング選手。剣道の段位は八段(範士追贈)。米国フェンシング界では「タイガー・モリ」の異名をとった名選手である。昭和初期の日本剣道界、米国フェンシング界でトップクラスの実力を持ちながら、さまざまな事情で優勝を逃した「悲運の剣士」としても知られる。 | ||
37 | 鯱ノ里一郎 名古屋市 | Wikipedia |
鯱ノ里 一郎(しゃちのさと いちろう、本名:松崎 一雄(旧姓:加藤)、1914年8月11日 - 1981年5月21日)は、愛知県名古屋市中区出身の元大相撲力士。若枩部屋所属。最高位は西前頭3枚目(1938年5月場所)。現役時代の体格は179cm、130kg。得意手は左四つ、上手投げ、寄り。元小結射水川の養子。元関脇房錦の岳父であり養父。 | ||
38 | 堂垣内尚弘 札幌市 | Wikipedia |
堂垣内 尚弘(どうがきない なおひろ、1914年(大正3年)6月2日 - 2004年(平成16年)2月2日)は、日本の技術官僚・政治家。東日本学園大学(後の北海道医療大学)の名付け親でもある。学校法人東日本学園名誉理事長。位階勲等は従三位勲一等瑞宝章。学位は工学士(北海道帝国大学)。称号は剣道範士。 | ||
北海道大学出身 出身の北海道大学の出身者 全国の北海道大学の出身者 | ||
39 | 座波仁吉 那覇市 | Wikipedia |
座波 仁吉(ざは じんきち、1914年3月5日 - )は、空手家。沖縄県那覇市出身。「心道流空手道心道会」最高師範。 | ||
40 | 小戸ヶ岩龍雄 福岡市 | Wikipedia |
小戸ヶ岩 龍雄(おとがいわ たつお、1914年3月25日-1986年9月3日は、かつて若藤部屋に所属し、1940年代に活躍した大相撲力士である。本名は時札 辰雄(ときさつ たつお)。福岡県福岡市出身(出生地は同県朝倉郡夜須町)。現役時代の体格は173cm、92kg。最高位は東前頭15枚目。 | ||
41 | 源氏山祐蔵 霧島市 | Wikipedia |
源氏山 祐蔵(げんじやま ゆうぞう、1914年1月18日 - 没年未詳)は、鹿児島県姶良郡隼人町(現在の霧島市)出身で1930年代に活躍した大相撲力士である。本名は松山 祐三(旧姓:仮屋)。身長185cm、体重105kg。最高位は西前頭15枚目(1938年5月場所)。 |
野球
42 | 吉田正男 | Wikipedia |
吉田 正男(よしだ まさお、1914年4月14日 - 1996年5月23日)は、昭和初期に活躍した中等学校野球、大学野球及び社会人野球の選手。昭和6年(1931年)から昭和8年(1933年)にかけて、夏の甲子園大会で3連覇の偉業を達成した中京商業学校(現・中京大学附属中京高等学校)のエース。甲子園で史上最多となる23勝を記録した。 | ||
43 | 宇佐美一夫 | Wikipedia |
宇佐美 一夫(うさみ かずお、1914年3月15日 - 2000年6月8日)は、静岡県出身のプロ野球選手。ポジションは捕手、一塁手。 | ||
44 | 石原繁三 | Wikipedia |
石原 繁三(いしはら しげぞう、1914年1月17日 - 1946年4月 )は、千葉県出身のプロ野球選手(投手)。 戦後東映フライヤーズで内野手として活躍した石原照夫は弟に当たる。 | ||
45 | 黒沢俊夫 八尾市 | Wikipedia |
黒澤 俊夫(くろさわ としお、1914年6月10日 - 1947年6月23日)は、大阪府出身のプロ野球選手(外野手)。 | ||
46 | 坪内道則 | Wikipedia |
坪内 道典(つぼうち みちのり、1914年4月7日 - 1997年9月16日)は、愛媛県伊予郡郡中町(現:伊予市)出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ・監督。 | ||
47 | 戸倉勝城 下関市 | Wikipedia |
戸倉 勝城(とくら かつき、1914年11月3日 - 1997年6月6日)は、山口県出身のプロ野球選手(外野手)、監督。 | ||
48 | 森谷良平 三島市 | Wikipedia |
森谷 良平(もりや りょうへい、1914年10月16日 - 1992年10月2日)は、静岡県出身のプロ野球選手。ポジションは一塁手。 | ||
法政大学出身 出身の法政大学の出身者 全国の法政大学の出身者 | ||
49 | 杉浦清 | Wikipedia |
杉浦 清(すぎうら きよし、1914年7月20日 - 1987年8月22日)は、愛知県西尾市出身のプロ野球選手・監督、旧制中等学校野球指導者、野球解説者。 | ||
50 | 加藤正二 | Wikipedia |
加藤 正二(かとう しょうじ、1914年3月3日 - 1958年8月17日)は、香川県出身のプロ野球選手、大学野球指導者。 | ||
51 | 楠本保 明石市 | Wikipedia |
楠本 保(くすもと たもつ、1914年(大正3年)12月19日 - 1943年(昭和18年)7月23日)は、昭和初期の中等学校野球及び大学野球で活躍した野球選手(投手)。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
52 | 高須清 松山市 | Wikipedia |
高須 清(たかす きよし、1914年4月28日 - 没年不明)は、愛媛県出身のプロ野球選手(二塁手、三塁手、遊撃手、外野手)。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
53 | 坪内道典 伊予市 | Wikipedia |
坪内 道典(つぼうち みちのり、1914年4月7日 - 1997年9月16日)は、愛媛県伊予郡郡中町(現:伊予市)出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ・監督。 | ||
立教大学出身 出身の立教大学の出身者 全国の立教大学の出身者 |
サッカー
54 | 山崎芳樹 広島市 | Wikipedia |
山崎 芳樹(やまさき よしき、1914年(大正3年)4月8日 - 2014年(平成26年)3月10日)は、広島県広島市出身の実業家。 | ||
55 | 川本泰三 瀬戸市 | Wikipedia |
川本 泰三(かわもと たいぞう、1914年1月17日 - 1985年9月20日)は、愛知県瀬戸市出身のサッカー選手、サッカー指導者。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 |
野球・サッカー以外の球技
56 | 川越藤一郎 京都市 | Wikipedia |
川越 藤一郎(かわごえ とういちろう、1914年4月9日 - 2002年4月16日)は、昭和初期の日本の元ラグビー選手。後に日本ラグビーフットボール協会第9代会長。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
57 | 長崎重芳 広島市 | Wikipedia |
長崎 重芳(ながさき しげよし、1914年 - 没日不明)は、日本のバレーボール選手、バレーボール指導者。元バレーボール全日本選手、元バレーボール全日本男子監督。元日本バレーボール協会理事。 | ||
58 | 松本武雄 | Wikipedia |
松本 武雄(まつもと たけお、1914年 - 1976年11月6日)は、日本の男子テニス選手・指導者。石川県鳳至郡(現鳳珠郡)出身。法政大学卒業。 |
冬季スポーツ
59 | 但野寛 旭川市 | Wikipedia |
但野 寛(ただの ひろし、1914年1月29日 - 1986年9月6日)は、北海道旭川市出身の元クロスカントリースキー、アルペンスキー選手。 | ||
60 | 龍田峻次 小樽市 | Wikipedia |
龍田 峻次(たつた しゅんじ、1914年12月23日 - 1991年1月1日)は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ選手。「竜田」という表記もあり。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
61 | 宮嶋巌 小樽市 | Wikipedia |
宮嶋巌(みやじま いわお、1914年5月2日 - 2005年6月21日)は北海道小樽市出身の元スキージャンプ選手。宮島の表記もあり。 |
水泳全般・マリンスポーツ
62 | 松澤初穂 舞鶴市 | Wikipedia |
松澤 初穂(まつざわ はつほ、1914年1月8日 - 2011年1月1日)は、京都府出身の元女子水泳選手。1932年に開催されたロサンゼルスオリンピックに競泳女子代表として出場した。 | ||
日本女子体育大学出身 出身の日本女子体育大学の出身者 全国の日本女子体育大学の出身者 | ||
63 | 河津憲太郎 広島市 | Wikipedia |
河津 憲太郎(かわつ けんたろう、1914年(大正3年)9月26日 - 1970年(昭和45年)3月24日)は、日本の水泳選手。1932年ロサンゼルスオリンピック100メートル背泳ぎで銅メダルを獲得。明治大学出身。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
64 | 前畑秀子 橋本市 | Wikipedia |
ベルリン五輪金メダリスト:橋本市 | ||
椙山女学園大学出身 出身の椙山女学園大学の出身者 全国の椙山女学園大学の出身者 |
陸上競技全般
65 | 岡沢吉夫 八王子市 | Wikipedia |
岡澤 吉夫(おかざわ よしお、1914年(大正3年)12月25日-1982年(昭和57年)7月16日 )は日本の陸上選手、スキー指導者、スキー選手、政治家。 | ||
66 | 大江季雄 舞鶴市 | Wikipedia |
大江 季雄(おおえ すえお、1914年8月2日 - 1941年12月24日)は、日本の元陸上競技選手。元棒高跳日本記録保持者。1936年ベルリンオリンピック銅メダリスト。京都府舞鶴市出身。旧制舞鶴中学校(京都府立西舞鶴高等学校)、慶應義塾大学卒業。 | ||
67 | 朝隈善郎 府中市 | Wikipedia |
朝隈 善郎(あさくま よしろう、1914年(大正3年)1月7日 - 2008年12月22日)は、日本の陸上競技選手及び陸上競技指導者。 | ||
日本体育大学出身 出身の日本体育大学の出身者 全国の日本体育大学の出身者 | ||
68 | 岡沢吉夫 美幌町 | Wikipedia |
岡澤 吉夫(おかざわ よしお、1914年(大正3年)12月25日-1982年(昭和57年)7月16日 )は日本の陸上選手、スキー指導者、スキー選手、政治家。 | ||
69 | 池中康雄 | Wikipedia |
池中 康雄(いけなか やすお、1914年 - 1992年3月14日)は、元マラソン選手、元日本陸上競技連盟オリンピック代表コーチ。大分県中津市出身で1935年にマラソンの世界記録を打ち立てている。 | ||
東洋大学出身 出身の東洋大学の出身者 全国の東洋大学の出身者 |
競馬・競輪・競艇・その他レース
70 | 岩下密政 甲斐市 | Wikipedia |
岩下 密政(いわした みつまさ、1914年1月9日 - 1972年7月8日)は、日本の騎手、競走馬調教師。東京競馬倶楽部、国営競馬、日本中央競馬会に所属。騎手時代にはトキノミノル、ゴールデンウエーブなどに騎乗した。 | ||
71 | 本田昌雄 帯広市 | Wikipedia |
本田 昌雄(ほんだ まさお 1914年3月28日 - 1980年)は、日本中央競馬会の元騎手。1960年に引退するまでの27年間に通算519勝を挙げた障害競走の名手。 |
囲碁・将棋・麻雀
72 | 大和久彪 千葉市 | Wikipedia |
大和久 彪(おおわく たけし、1914年1月23日 - 1956年8月25日)は、将棋棋士。贈八段。石井秀吉門下。千葉県千葉市出身。 | ||
73 | 京須行男 一宮町 | Wikipedia |
京須 行男(きょうす ゆきお、1914年1月23日 - 1960年5月2日)は、将棋棋士。贈八段。元日本将棋連盟理事・奨励会幹事。宮松関三郎門下。千葉県一宮町出身。 |
登山家・冒険家・探検家
74 | 今西壽雄 | Wikipedia |
今西 壽雄(いまにし としお、1914年9月9日 - 1995年11月15日)は、日本の登山家。元日本山岳会会長。マナスル世界初登頂に成功。 |
漫画家・イラスト・ゲーム
75 | 倉金章介 | Wikipedia |
倉金 章介 (くらかね しょうすけ、男性、1914年2月13日 - 1973年8月25日) は、漫画家。山梨県甲府市出身。本名は、倉金 虎雄。倉金とらおの名義で活動していたこともある。 |
作家・小説家・エッセイ・文筆・翻訳家・編集者・評論家
76 | 河北倫明 うきは市 | Wikipedia |
河北 倫明(かわきた みちあき、1914年12月14日 - 1995年10月30日)は、美術評論家。 | ||
77 | 水芦光子 | Wikipedia |
水芦 光子(みずあし みつこ 旧姓 布光子 、1914年(大正3年)9月12日 - 2003年(平成15年)10月13日)は、石川県金沢市馬場五番丁六(現・東山3丁目29-13、14)生まれの女流小説家である。 室生犀星の女性初の弟子でもある。 | ||
78 | 早船ちよ 高山市 | Wikipedia |
早船 ちよ(はやふね ちよ、1914年〈大正3年〉7月25日 - 2005年〈平成17年〉10月8日)は日本の小説家・児童文学作家。 | ||
79 | 神谷美恵子 岡山市 | Wikipedia |
神谷 美恵子(かみや みえこ、1914年(大正3年)1月12日 - 1979年(昭和54年)10月22日)は、日本の精神科医。哲学書・文学書の翻訳やエッセイの著者としても知られる。 | ||
東京女子医科大学出身 出身の東京女子医科大学の出身者 全国の東京女子医科大学の出身者 | ||
80 | 早船ちよ 川口市 | Wikipedia |
早船 ちよ(はやふね ちよ、1914年〈大正3年〉7月25日 - 2005年〈平成17年〉10月8日)は日本の小説家・児童文学作家。 | ||
81 | 福島鉄次 | Wikipedia |
福島 鉄次(ふくしま てつじ、1914年2月19日 - 1992年)は、絵物語作家。本名は加藤 興(かとう たかし)。別名は上山 路夫である。 | ||
82 | 中村八朗 | Wikipedia |
中村 八朗(なかむら はちろう、1914年4月16日 - 1999年2月3日)は、小説家。 | ||
83 | 斎藤十一 小樽市 | Wikipedia |
斎藤 十一(齋藤 十一、さいとう じゅういち、1914年(大正3年)2月11日 - 2000年(平成12年)12月28日)は、昭和期の編集者・出版人。 | ||
84 | 堀尾青史 高砂市 | Wikipedia |
堀尾 青史(ほりお せいし、1914年3月22日(大正3年) - 1991年(平成3年)11月6日)は、日本の紙芝居作家、児童文学作家。宮沢賢治の伝記研究でも知られる。 | ||
85 | 三木鶏郎 千代田区 | Wikipedia |
三木 鶏郎(みき とりろう、1914年〈大正3年〉1月28日 - 1994年〈平成6年〉10月7日)は、東京府東京市麹町区(現:東京都千代田区)出身の作詞家、作曲家、放送作家、構成作家、演出家である。本名、繁田 裕司(しげた ひろし)。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
86 | 辻亮一 東近江市 | Wikipedia |
辻 亮一(つじ りょういち、1914年9月28日 - 2013年3月6日)は、小説家。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
87 | 菊島隆三 甲府市 | Wikipedia |
菊島 隆三(きくしま りゅうぞう、本名:菊島 隆蔵、1914年1月28日 - 1989年3月18日)は、日本の脚本家。山梨県甲府市出身。、日本ペンクラブ、日本シナリオ作家協会、日本演劇協会、日本文芸家協会所属。 | ||
88 | 草川俊 | Wikipedia |
草川 俊(くさかわ しゅん、1914年8月13日 - 2000年3月6日)は、日本の作家。宮城県石巻市に生まれる。宇都宮高等農林学校(現在の宇都宮大学農学部)卒業。本名:高橋善三郎。1958年、『黄色い運河』、『長城線』、1964年、『赤い運河』、それぞれ直木賞候補。 | ||
宇都宮大学出身 出身の宇都宮大学の出身者 全国の宇都宮大学の出身者 | ||
89 | 坂口れい子 八代市 | Wikipedia |
坂口 䙥子(さかぐち れいこ、1914年9月30日 - 2007年2月6日)。「䙥」の字は平仮名や「零」「礼」の字を当てられることがある。日本統治下の台湾と戦後の日本の双方で活躍した小説家である。 | ||
90 | 生源寺美子 | Wikipedia |
生源寺 美子(しょうげんじ はるこ、1914年1月29日 - 2015年5月18日)は、日本の児童文学作家。 | ||
91 | 菅野彰 | Wikipedia |
菅野 彰(すがの あきら、2月2日 - )は日本の小説家。福島県出身。血液型はO型。 | ||
92 | 深沢七郎 笛吹市 | Wikipedia |
深沢 七郎(ふかざわ しちろう、1914年〈大正3年〉1月29日 - 1987年〈昭和62年〉8月18日) は、日本の小説家、ギタリスト。 | ||
93 | 辻亮一 武蔵野市 | Wikipedia |
辻 亮一(つじ りょういち、1914年9月28日 - 2013年3月6日)は、滋賀県出身の小説家。 | ||
94 | 芝木好子 北区 | Wikipedia |
芝木 好子(しばき よしこ、1914年5月7日 - 1991年8月25日)は、小説家。 |
弁護士
95 | 神谷尚男 盛岡市 | Wikipedia |
神谷 尚男(かみや ひさお、1914年4月17日 - 2015年2月6日)は、日本の検察官。元検事総長、弁護士。岩手県出身。 |
経営者・実業家
96 | 藤川一秋 岡崎市 | Wikipedia |
藤川 一秋(ふじかわ いっしゅう、本名・かずあき、1914年9月14日 - 1992年8月17日)は、日本の実業家、政治家。参議院議員(1期)。元トピー工業社長。 | ||
97 | 庭野正之助 十日町市 | Wikipedia |
庭野 正之助 (にわの しょうのすけ、1914年3月25日 - 2004年1月11日)は日本の実業家。日本鉱業(現JXTGホールディングス)の社長・会長や日本鉱業協会会長を務めた。勲一等瑞宝章。 | ||
98 | 岩崎勝太郎 | Wikipedia |
岩崎 勝太郎(いわさき かつたろう、1914年10月8日 - 1991年5月10日)は、日本の実業家・経営コンサルタントで、元岩崎勝商事社長。三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の孫として東京都に生まれた。学歴は東京帝国大学法学部政治学科卒業。称号(現学位)は法学士(東京大学)。勝太郎の父・豊弥は郷純造の四男として生まれ、数え2歳で弥太郎の養子となった。 | ||
99 | 岩崎寿男 | Wikipedia |
岩崎 寿男(いわさき ひさお、1914年8月3日 - 2005年10月24日)は、日本の実業家で、三菱自動車工業顧問。近藤宏太郎の四男として新潟県に生まれた(出生地は東京府…現・東京都)。 | ||
100 | 小針暦二 | Wikipedia |
小針 暦二(こばり れきじ、1914年1月1日 - 1993年11月7日)は、日本の実業家。 | ||
101 | 鈴木正雄 葉山町 | Wikipedia |
鈴木 正雄(すずき まさお、1914年(大正3年) - 2006年(平成18年)11月7日)は、日本の実業家。三菱銀行入行を皮切りに、三菱グループで三菱重工業副社長や三菱自動車販売(現三菱自動車工業)社長・会長などを歴任した。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
102 | 中山善郎 三鷹市 | Wikipedia |
中山 善郎(なかやま よしろう、1914年(大正3年)2月12日 - 1996年(平成8年))は、日本の実業家。東京市荒川区生まれ、長野県古間村育ち。 | ||
103 | 上山善紀 燕市 | Wikipedia |
上山 善紀(うえやま よしのり、1914年9月21日 - 2009年8月25日)は実業家。近畿日本鉄道(近鉄)元社長(大阪電気軌道創業から10代目)・会長、近鉄グループの元代表者。 | ||
104 | 大谷昌行 出雲市 | Wikipedia |
大谷 昌行(おおたに まさゆき、1914年(大正3年)10月31日 - 2002年(平成14年)5月9日)は、日本の実業家。元一畑電気鉄道社長、元日本海テレビジョン社長。 | ||
法政大学出身 出身の法政大学の出身者 全国の法政大学の出身者 | ||
105 | 公文公 | Wikipedia |
公文 公(くもん とおる、1914年3月26日 - 1995年7月25日)は、日本の数学教育者。「公文式」学習指導法の考案者。 | ||
106 | 横山重之 安来市 | Wikipedia |
横山 重之(よこやま しげゆき、 大正3年(1914年) - 昭和52年(1977年))は日本の実業家。能義醤油株式会社(現・ヤマノ株式会社)元取締役会長。横山家第10代当主。 | ||
107 | 八木健三 長野市 | Wikipedia |
八木 健三(やぎ けんぞう、1914年9月5日 - 2008年7月18日)は、日本の岩石学者。自然保護運動家。北海道大学、東北大学名誉教授。。父は長野県地学会初代会長の八木貞助。 | ||
108 | 武田豊 栗原市 | Wikipedia |
武田 豊(たけだ ゆたか、1914年1月6日-2004年2月15日)は、日本の実業家。宮城県高清水町出身。新日本製鐵(新日鉄)代表取締役会長、経済団体連合会(経団連)副会長、日本鉄鋼連盟会長などを歴任した。東京帝国大学法学部政治学科卒業。 | ||
山形大学出身 出身の山形大学の出身者 全国の山形大学の出身者 | ||
109 | 大津慶吾 函館市 | Wikipedia |
大津 慶吾(おおつ けいご、1914年(大正3年)10月4日 - 1990年(平成2年)1月15日)は日本の実業家。元北海道放送会長。 | ||
110 | 北原安定 | Wikipedia |
北原 安定(きたはら やすさだ、1914年11月5日 - 1994年4月1日)は、日本の逓信官僚、元電電公社副総裁および元NTT副社長。工学博士。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
111 | 新田長夫 大阪市 | Wikipedia |
新田 長夫(にった たけお、1914年(大正3年)12月9日 - 2005年(平成17年)3月5日)は、日本の実業家。ニッタ社長。大阪ゴム工業会相談役。ニッタ創業者新田長次郎の孫。ニッタ会長・新田長彦の父。 | ||
112 | 平岩外四 常滑市 | Wikipedia |
平岩 外四(ひらいわ がいし、1914年(大正3年)8月31日 - 2007年(平成19年)5月22日)は、愛知県常滑市出身の財界人、経営者。東京電力会長、第7代日本経済団体連合会(経団連)会長(在任、1990年(平成2年)12月21日 - 1994年(平成6年)5月27日)。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
113 | 丸田芳郎 | Wikipedia |
丸田 芳郎(まるた よしお、1914年12月16日 - 2006年5月30日)は、日本の実業家。京都大学工学博士。花王の社長、会長を歴任した。 | ||
群馬大学出身 出身の群馬大学の出身者 全国の群馬大学の出身者 | ||
114 | 向山一人 | Wikipedia |
向山 一人(むかいやま かずと、1914年2月10日 - 1995年12月21日)は日本の実業家、国会議員。 | ||
115 | 山田正彦 | Wikipedia |
山田 正彦(やまだ まさひこ、1914年1月17日 - 1991年11月15日)は日本の実業家。三協精機製作所(現日本電産サンキョー)の創業者である。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
116 | 坪内寿夫 | Wikipedia |
坪内寿夫(つぼうち ひさお、1914年9月4日 - 1999年12月28日)は愛媛県伊予郡松前町生まれの日本の実業家。倒産寸前の企業を数多く再建させた手腕から、一時はマスコミによって「再建王」、また船舶・造船・ドック会社を多数抱えたことから「船舶王」、四国を中心としたグループ形態から「四国の大将」とも称された。 | ||
117 | 若狭得治 砺波市 | Wikipedia |
若狭 得治(わかさ とくじ、1914年(大正3年)11月19日 - 2005年(平成17年)12月27日)は、日本の運輸官僚、実業家。全日本空輸社長、会長、名誉会長を歴任した。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
118 | 峯山冨美 小樽市 | Wikipedia |
峯山 冨美(みねやま ふみ、1914年 - 2010年12月28日)は、市民運動活動家、「小樽運河を守る会」会長。 |
医師・看護師
119 | 丸木清美 | Wikipedia |
丸木 清美(まるき せいみ、1914年(大正3年) - 1994年(平成6年)8月27日)は、日本の医師、精神科医、政治家、教育者。 | ||
日本医科大学出身 出身の日本医科大学の出身者 全国の日本医科大学の出身者 |
その他芸術家
120 | 佐治賢使 | Wikipedia |
佐治 賢使(さじ ただし、1914年(大正3年)1月1日 - 1999年(平成11年)6月14日)は、漆芸家。岐阜県多治見市出身。本名は正。市川市の名誉市民。 |
軍人
121 | 清原康平 宇城市 | Wikipedia |
清原 康平(きよはら やすひら、1914年(大正3年)1月14日 - 2001年(平成13年)4月7日)は、日本の陸軍軍人。歩兵少尉。歩兵第3連隊附。二・二六事件に参加、反逆罪(群衆指揮等)で無期禁固刑を受ける。その後恩赦により釈放、公職追放になるものの、恩赦の後も活躍した。2.26事件の直前、湯川智恵子と結婚して姓は、湯川康平となったが、軍関係では清原が使われている。 | ||
122 | 西住小次郎 甲佐町 | Wikipedia |
西住 小次郎(にしずみ こじろう、1914年〈大正3年〉1月13日 - 1938年〈昭和13年〉5月17日)は、大日本帝国陸軍の軍人。陸士46期。最終階級は陸軍歩兵大尉。勲五等功四級。熊本県上益城郡甲佐町仁田子出身。 | ||
123 | 川島威伸 | Wikipedia |
川島 威伸(かわしま たけのぶ、1914年8月27日 - 1989年2月9日)は、大日本帝国の陸軍軍人、日本の陸上自衛官。最終階級は陸軍少佐、陸上自衛隊陸将補。 | ||
124 | 小林友一 | Wikipedia |
小林 友一(こばやし ゆういち、1914年10月12日 - 1984年3月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。 | ||
125 | 大場栄 | Wikipedia |
大場 栄(おおば さかえ、1914年3月21日 - 1992年6月8日) は、大日本帝国陸軍軍人、実業家、政治家。最終階級は大尉。有限会社丸栄産業代表取締役、蒲郡市議会議員。愛知県蒲郡市出身。 | ||
126 | 代田銀太郎 | Wikipedia |
代田 銀太郎(しろた ぎんたろう、1914年 - 2006年6月7日)は、日本の陸軍軍人・作詞家。最終階級は中尉。 | ||
127 | 林八郎 | Wikipedia |
林 八郎(はやし はちろう、1914年(大正3年)9月5日 - 1936年(昭和11年)7月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少尉。二・二六事件で反乱部隊の首相官邸襲撃指揮官。 | ||
128 | 後勝 三原市 | Wikipedia |
後 勝(うしろ まさる、1914年 - )は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 |
官僚
129 | 佐方信博 | Wikipedia |
佐方 信博(さかた のぶひろ、1914年 - 2008年9月25日)は、熊本県出身の郵政官僚。元富士重工業副社長。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
130 | 佐藤光夫 | Wikipedia |
佐藤 光夫(さとう みつお、1914年10月1日 - 1997年7月17日)は、日本の運輸官僚、海上保安官。海上保安庁長官や運輸事務次官等を務めた後に、京成電鉄第6代社長として京成グループを率い、経営危機に陥っていたグループの再建を成功させた。敬虔なクリスチャンとしても知られた。1987年勲二等旭日重光章受章。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
131 | 谷藤正三 秋田市 | Wikipedia |
谷藤 正三(たにふじ しょうぞう、1914年1月6日 - 2004年6月3日)は、日本の建設官僚。元北海道開発事務次官。工学博士。秋田県河辺郡浜田村(のち秋田市)出身。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
132 | 富樫総一 | Wikipedia |
冨樫 総一(とがし そういち、1914年 - 1973年)は労働官僚。労働事務次官を務めたのち退官し、中小企業退職金共済事業団理事長等を歴任。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 |
公務員
133 | 藤崎萬里 | Wikipedia |
藤崎 萬里(ふじさき まさと、1914年(大正3年)12月16日 - 2006年(平成18年)10月6日)は、日本の元最高裁判所判事、外交官(外務省条約局長、駐オランダ大使、駐タイ大使等)。 |
学者・教授・准教授
134 | 丸山眞男 武蔵野市 | Wikipedia |
丸山 眞男(まるやま まさお、1914年(大正3年)3月22日 - 1996年(平成8年)8月15日)は、日本の政治学者、思想史家。東京大学名誉教授、日本学士院会員。専攻は日本政治思想史。新字体で丸山真男とも表記される。 | ||
135 | 門上千恵子 松前町 | Wikipedia |
門上 千恵子(かどがみ ちえこ、1914年12月8日 - 2007年8月6日)は、愛媛県出身の弁護士。日本における初めての女性検事。門上チエ子、門上チヱ子とも表記する。旧姓、福枡。論理学の東京経済大学名誉教授である門上秀叡は夫。三男の門上光照は京都造形芸術大学芸術学部教授。 | ||
136 | 嶋崎昌 富山市 | Wikipedia |
嶋崎 昌(しまざき あきら、1914年9月24日 - 1974年3月3日)は、昭和時代の歴史学者。元中央大学学長。専門は、中央アジア史。特に高昌国史を研究。 | ||
137 | 清水正男 原村 | Wikipedia |
清水 正男(しみず まさお、1914年(大正3年)5月1日 - 2014年(平成26年)8月29日)は、日本の教育学者、信州大学名誉教授、松商学園短期大学第6代学長。専門は、教育学、特に学校図書館の研究や、教育工学的な視聴覚教育の研究などであった。 | ||
138 | 山川篤 岩倉市 | Wikipedia |
山川 篤(やまかわ あつし、1914年(大正3年)11月3日 - 1997年(平成9年)5月29日)は、日本のフランス文学者。 | ||
139 | 梅沢浜夫 | Wikipedia |
梅澤 濱夫(うめざわ はまお、1914年10月1日 - 1986年12月25日)は、日本の医学者、細菌学者、文化勲章受章者。 | ||
140 | 丸山眞男 | Wikipedia |
丸山 眞男(まるやま まさお、1914年(大正3年)3月22日 - 1996年(平成8年)8月15日)は、日本の政治学者、思想史家。東京大学名誉教授、日本学士院会員。専攻は日本政治思想史。新字体で丸山真男とも表記される。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
141 | 畑中武夫 新宮市 | Wikipedia |
畑中 武夫(はたなか たけお、1914年1月1日 - 1963年11月10日)は、日本の天文学者。日本の電波天文学の開拓者として知られている。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
142 | 沼田稲次郎 高岡市 | Wikipedia |
沼田 稲次郎(ぬまた いねじろう、1914年5月25日 - 1997年5月16日)は、日本の法学者。専門は労働法。東京都立大学第5代総長。 | ||
143 | 金子孫市 | Wikipedia |
金子孫市(かねこ まごいち、1914年5月2日-1996年7月5日)は、日本の教育学者。東京教育大学名誉教授。 | ||
144 | 斎藤達雄 | Wikipedia |
斎藤 達雄(さいとう たつお、1914年11月30日 -2012年11月4日)は、日本の内科医。専門は、癌化学療法。医学博士 | ||
145 | 那須宗一 田辺市 | Wikipedia |
那須 宗一(なす そういち、1914年3月9日 - 1990年)は、日本の社会学者、中央大学名誉教授。元淑徳大学学長。専門は老人社会学、社会病理学、犯罪社会学。 | ||
146 | 吾郷寅之進 大田市 | Wikipedia |
吾郷寅之進(あごう とらのしん、1914年‐1983年6月28日)は、国文学者。 島根県大田市生まれ。1938年東京帝国大学文学部国文科卒、東京府立中学校講師、奈良学芸大学助教授、教授、1966年校名変更で奈良教育大学教授、1976年「中世小歌と小歌集の成立に関する研究」で東北大学文学博士。79年奈良教育大学を定年退官、名誉教授、武庫川女子大学教授。 | ||
147 | 内野吾郎 藤沢市 | Wikipedia |
内野 吾郎(うちの ごろう、1914年1月1日 - 1985年12月15日)は、神奈川県生まれの国文学者、國學院大學名誉教授。日本文学史、特に国学をめぐる文学史が専門。本居宣長らの学問を「国学」、それを批判的に継承した柳田國男・折口信夫の学問を「新国学」と位置づけた。 | ||
148 | 高橋延清 西和賀町 | Wikipedia |
高橋 延清(たかはし のぶきよ、1914年ごろ - 2002年1月30日)は、日本の森林学者。東京大学名誉教授。いつも泥まみれで歩く姿から、「どろ亀さん」「ドロ亀さん」の愛称で、多くの人に親しまれた。 | ||
149 | 四宮和夫 | Wikipedia |
四宮 和夫(しのみや かずお、1914年10月31日 - 1988年)は、日本の法学者。専門は民法、信託法。法学博士(東京大学、1962年)(学位論文「信託法」)。香川県三豊郡観音寺町生まれ。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
150 | 雲藤義道 藤義道: | Wikipedia |
雲藤 義道(うんどう ぎどう、1914年7月8日 - 2000年11月2日)は、浄土真宗の僧、仏教学者。 | ||
151 | 梅澤濱夫 小浜市 | Wikipedia |
梅澤 濱夫(うめざわ はまお、1914年10月1日 - 1986年12月25日)は、日本の医学者、細菌学者、文化勲章受章者。 | ||
152 | 林屋辰三郎 | Wikipedia |
林屋 辰三郎(はやしや たつさぶろう、1914年4月14日 - 1998年2月11日)は、日本の歴史学者・文化史家。中世史の研究において大きな足跡を残した。 | ||
153 | 野口三千三 | Wikipedia |
野口 三千三(のぐち みちぞう、1914年11月16日 - 1998年3月29日)は、野口体操の創始者。元東京芸術大学教授。 | ||
群馬大学出身 出身の群馬大学の出身者 全国の群馬大学の出身者 | ||
154 | 猪木正道 京都市 | Wikipedia |
猪木 正道(いのき まさみち、1914年(大正3年)11月5日 - 2012年(平成24年)11月5日)は京都大学名誉教授、元防衛大学校長(第3代)、財団法人平和・安全保障研究所顧問を歴任し、「日本政治学界の大御所的存在で、安全保障問題の論客」として知られていた、日本の政治学者である。専門は、政治思想。法学博士(京都大学、1962年(昭和37年))でもある。 | ||
青山学院大学出身 出身の青山学院大学の出身者 全国の青山学院大学の出身者 | ||
155 | 村尾次郎 浜松市 | Wikipedia |
村尾 次郎(むらお じろう、1914年(大正3年)9月20日 - 2006年(平成18年)12月9日)は、日本の歴史学者。 | ||
静岡大学出身 出身の静岡大学の出身者 全国の静岡大学の出身者 | ||
156 | 竹田淳照 夕張市 | Wikipedia |
竹田 淳照(たけだ じゅんしょう、1914年1月24日 - 1998年4月20日)は、日本の中国文学者・教育者・学校経営者。専門は中国文学。北海道夕張市出身。 | ||
157 | 東浦義雄 函館市 | Wikipedia |
東浦 義雄(ひがしうら よしお、1914年 - )は、英文学者、早稲田大学名誉教授。 | ||
158 | 西順蔵 | Wikipedia |
西 順蔵(にし じゅんぞう、1914年8月30日 - 1984年6月12日)は、中国思想史家、一橋大学名誉教授。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
159 | 鈴木彪平 | Wikipedia |
鈴木 彪平(すずき ひょうへい、1914年1月28日 - 1980年12月23日)は、日本の教育者。栃木県の盲導犬育成施設「栃木盲導犬センター(現・東日本盲導犬協会)」の設立者。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
160 | 駒田信二 大阪市 | Wikipedia |
駒田 信二(こまだ しんじ、1914年1月14日 - 1994年12月27日)は、日本の作家、文芸評論家、中国文学者。島根大学教授、桜美林大学教授、早稲田大学客員教授歴任。 |
研究者・研究家・発明家
161 | 茂在寅男 つくば市 | Wikipedia |
茂在 寅男(もざい とらお、1914年2月10日 - 2013年5月31日)は、日本の工学博士(航海計器学)、作家、水中考古学(海洋考古学)研究者。 | ||
162 | 木呂子敏彦 帯広市 | Wikipedia |
木呂子 敏彦(きろこ としひこ、男性、1914年(大正3年) - 2004年)は、木呂子退蔵の孫。農業家・教育者・アイヌ史研究家・編集者 | ||
163 | 三戸サツヱ | Wikipedia |
三戸サツヱ(みとさつえ、1914年4月21日 - 2012年4月7日)は教師、研究者。小学校、中学校の教員をしながら、1948年から始まった京都大学の宮崎県串間市幸島(発音は本により、コウシマと、コージマがある)のサルの研究に加勢した。三戸はサル全数の個体識別を行い、戸籍を作り、サルがイモを洗って食べる習慣の発生と伝達など発見し、サル学の発展に貢献した。1970年から1984年にかけて、京都大学霊長類研究所研究員になった。著書の名義では三戸サツエの表記も使われる。 | ||
164 | 武川寛海 さいたま市 | Wikipedia |
武川 寛海(たけかわ ひろみ、1914年2月22日 - 1992年5月2日)は、日本の音楽評論家。ベートーヴェン研究家。 | ||
165 | 金指正三 富士市 | Wikipedia |
金指 正三(かなさし しょうぞう、1914年(大正3年)6月14日 - 1989年4月24日)は、日本の歴史家。法学博士。法制史、海事慣習制度の研究者。 |
画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家・漆芸家・工芸家
166 | 織田廣喜 | Wikipedia |
織田 廣喜(おだ ひろき、1914年4月19日 - 2012年5月30日)は、日本の画家。福岡県出身。従四位。日本芸術院会員、二科会常務理事、理事長を歴任。 | ||
167 | 木村儀三郎 鶴岡市 | Wikipedia |
木村 儀三郎(きむら ぎさぶろう、1914年 - 1978年)は、日本の画家。旧姓:川村。 | ||
168 | 織田広喜 嘉麻市 | Wikipedia |
織田 廣喜(おだ ひろき、1914年4月19日 - 2012年5月30日)は、日本の画家。福岡県出身。従四位。日本芸術院会員、二科会常務理事、理事長を歴任。 | ||
169 | 小館善四郎 青森市 | Wikipedia |
小館 善四郎(こだて ぜんしろう 1914年(大正3年)11月29日 - 2003年(平成14年)10月8日)は青森県出身の洋画家。梶井基次郎の作品「檸檬」に因んで檸檬をモチーフにした静物画が多く、「レモンの画家」と呼ばれる。 | ||
170 | 高橋節郎 安曇野市 | Wikipedia |
髙橋 節郎(たかはし せつろう、新字体:高橋 節郎、旧字体:高橋 節郞、1914年(大正3年)9月14日 - 2007年(平成19年)4月19日)は、日本の漆芸家である。長野県南安曇郡北穂高村(現安曇野市)出身。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)を経て、1938年東京美術学校工芸科漆工部卒業。日本芸術院会員、文化勲章受章者、文化功労者、日展顧問。 | ||
東京美術学校出身 出身の東京美術学校の出身者 全国の東京美術学校の出身者 | ||
171 | 大塚耕二 菊池市 | Wikipedia |
大塚 耕二(おおつか こうじ、1914年9月28日 - 1945年7月30日)は、洋画家。 | ||
武蔵野美術大学出身 出身の武蔵野美術大学の出身者 全国の武蔵野美術大学の出身者 | ||
172 | 金子徳衛 蕨市 | Wikipedia |
金子 徳衛(かねこ とくえ、1914年-1998年)は、埼玉県出身の洋画家。浦和画家の一人。 | ||
173 | 清水天山 熊本市 | Wikipedia |
清水 天山(しみず てんざん、1914年9月24日 - 2001年11月26日)は、日本の書道家。熊本で活躍した。「日本の書道会」を発足させ、会長を務めた。本名、清水 正隆。 | ||
174 | 加藤勝重 さいたま市 | Wikipedia |
加藤 勝重(かとう かつしげ、1914年9月1日 - 2000年9月6日)は、現在の埼玉県さいたま市出身の日本画家。浦和画家。 | ||
175 | 近岡善次郎 新庄市 | Wikipedia |
近岡 善次郎(ちかおか ぜんじろう、1914年(大正3年)- 2007年(平成19年))は、日本の洋画家。 | ||
176 | 矢崎博信 茅野市 | Wikipedia |
矢崎 博信(やざき ひろのぶ、1914年(大正3年)11月9 日- 1944年(昭和19年)2月17日)は、長野県茅野市出身の洋画家。 | ||
177 | 蔦谷喜一 春日部市 | Wikipedia |
蔦谷喜一(つたや きいち、1914年2月18日 - 2005年2月24日)は画家・塗り絵作家。東京都出身。 | ||
178 | 若松光一郎 | Wikipedia |
若松 光一郎(わかまつ こういちろう、本名みついちろう、1914年8月8日 - 1995年11月7日)は、日本の洋画家。コラージュの世界的第一人者である。 | ||
179 | 松岡吉一 | Wikipedia |
松岡 吉一(まつおか よしかず、1914年 - 1994年)は、日本の洋画家。 | ||
180 | 髙橋節郎 安曇野市 | Wikipedia |
髙橋 節郎(たかはし せつろう、新字体:高橋 節郎、旧字体:高橋 節郞、1914年(大正3年)9月14日 - 2007年(平成19年)4月19日)は、日本の漆芸家である。長野県南安曇郡北穂高村(現安曇野市)出身。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)を経て、1938年東京美術学校工芸科漆工部卒業。日本芸術院会員、文化勲章受章者、文化功労者、日展顧問。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
181 | 内村皓一 花巻市 | Wikipedia |
内村 皓一(うちむら こういち、大正3年(1914年)7月15日 - 平成5年(1993年)12月29日)は20世紀に活躍した写真芸術家。 | ||
182 | 船山馨 余市町 | Wikipedia |
船山 馨(ふなやま かおる、1914年3月31日 - 1981年8月5日)は、日本の小説家。彫刻家の船山滋生は次男。 | ||
183 | 平松譲 三宅村 | Wikipedia |
平松 譲(ひらまつ ゆずる、1914年4月13日 - 2013年7月21日)は、日本の洋画家。 |
政治家・議員・首長
184 | 浦野幸男 豊田市 | Wikipedia |
浦野 幸男(うらの さちお、1914年1月14日 - 1977年1月16日)は、日本の政治家。衆議院議員(6期)、労働大臣、愛知県議会議員などを歴任した。自由民主党では宏池会に所属した。 | ||
185 | 小山一平 坂城町 | Wikipedia |
小山 一平(こやま いっぺい、1914年11月3日 - 2011年4月2日)は、日本の政治家。元日本社会党参議院議員(3期)。元参議院副議長。 | ||
186 | 藤代七郎 船橋市 | Wikipedia |
藤代 七郎(ふじしろ しちろう、1914年9月27日 -1999年11月5日)は、日本の政治家。自民党所属。千葉県船橋市長(第12 - 13代)。 | ||
187 | 福田宏一 群馬町 | Wikipedia |
福田 宏一(ふくだ ひろいち、1914年(大正3年)1月23日 - 1999年(平成11年)3月18日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。福田赳夫元内閣総理大臣の実弟。福田康夫元内閣総理大臣の叔父。小倉クラッチ監査役。アントニオ猪木の格闘技の後援会会長を務めた。 | ||
188 | 河野正 篠栗町 | Wikipedia |
河野 正(かわの ただし、1914年1月1日 - 2007年9月1日)は、日本の政治家。元衆議院議員(8期)。 | ||
189 | 石田博英 大館市 | Wikipedia |
石田 博英(いしだ ひろひで、1914年(大正3年)12月12日 - 1993年(平成5年)10月14日)は、日本の政治家。位階は正三位、勲章は勲一等旭日大綬章。あだ名は「バクエイ」(博英の音読み)。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
190 | 田畑金光 龍郷町 | Wikipedia |
田畑 金光(たばた かねみつ、1914年(大正3年)1月22日 -2013年(平成25年)4月22日 )は、昭和期の政治家。元民社党衆議院議員、いわき市長。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
191 | 藤井精一 | Wikipedia |
藤井 精一(ふじい せいいち、1914年4月28日 - 1988年1月11日)は、日本の政治家。前橋市長を務めた。 | ||
192 | 島本虎三 小樽市 | Wikipedia |
島本 虎三(しまもと とらぞう、1914年6月20日 - 1989年11月10日)は、日本の政治家。日本社会党に所属し中選挙区時代の衆議院北海道第1区で5度当選を果たした。 | ||
193 | 岡田春夫 美唄市 | Wikipedia |
岡田 春夫(おかだ はるお、1914年6月14日 - 1991年11月6日)は日本の政治家。衆議院副議長。戦後日本社会党の安全保障問題の代表的な論客として名を馳せ、「爆弾男オカッパル」の異名をとった。幼名・穣。父の初代・岡田春夫も政治家(立憲民政党所属の代議士)で、父の死後名前を「穣」から父と同じ「春夫」に改名した。外交官の岡田晃は弟。 | ||
194 | 横山和夫 東城町 | Wikipedia |
横山 和夫(よこやま かずお、1914年10月2日 - 1999年5月13日)は、日本の官僚、政治家。横須賀市長(1973年 - 1993年、5期20年)。 | ||
広島大学出身 出身の広島大学の出身者 全国の広島大学の出身者 | ||
195 | 友納武人 広島市 | Wikipedia |
友納 武人(とものう たけと、1914年9月12日 - 1999年11月15日)は、昭和期の厚生官僚、政治家。元千葉県知事、衆議院議員。広島県広島市出身。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
196 | 後藤田正晴 吉野川市 | Wikipedia |
後藤田 正晴(ごとうだ まさはる、1914年8月9日 - 2005年9月19日)は、日本の内務・警察・防衛・自治官僚、政治家。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
197 | 松山千恵子 川越市 | Wikipedia |
松山 千恵子(まつやま ちえこ、1914年(大正3年)3月11日 – 2015年(平成27年)2月6日)は、日本の政治家。衆議院議員(自民党)。衆議院議長や文部大臣などを歴任した松永東の長女。 | ||
198 | 上松陽助 岐阜市 | Wikipedia |
上松 陽助(うえまつ ようすけ、1914年7月2日 - 1996年1月18日)は、日本の政治家。岐阜県知事、岐阜市長を務めた。岐阜県名誉県民、岐阜市名誉市民。 | ||
199 | 金丸信 南アルプス市 | Wikipedia |
金丸 信(かねまる しん、1914年9月17日 - 1996年3月28日)は、日本の政治家。 | ||
東京農業大学出身 出身の東京農業大学の出身者 全国の東京農業大学の出身者 | ||
200 | 金丸三郎 | Wikipedia |
金丸 三郎(かねまる さぶろう、1914年(大正3年)2月8日 - 2007年(平成19年)8月15日)は、日本の官僚、政治家。総務庁長官、鹿児島県知事、自由民主党参議院議員、自治事務次官、参議院協会会長、財団法人井上育英会顧問を務めた。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
201 | 高平公友 立山町 | Wikipedia |
高平 公友(たかひら きみとも、1914年7月18日 - 2000年2月10日)は、日本の政治家。自由民主党参議院議員(2期)。 | ||
202 | 高田浩運 | Wikipedia |
高田 浩運(たかた こううん、1914年2月4日 - 1977年7月17日)は、熊本県出身の政治家、厚生官僚。位階は従三位。勲等は勲二等。 | ||
203 | 野村義一 白老町 | Wikipedia |
野村 義一(のむら ぎいち、1914年10月20日 - 2008年12月28日)は、北海道ウタリ協会理事長。 |
評論家
204 | 十返肇 | Wikipedia |
十返 肇(とがえり はじめ、1914年(大正3年)3月25日 - 1963年(昭和38年)8月28日)は、香川県出身の文芸評論家。本名は十返 一(とがえり はじめ)。 | ||
日本大学出身 出身の日本大学の出身者 全国の日本大学の出身者 | ||
205 | 佐々木基一 | Wikipedia |
佐々木 基一(ささき きいち、1914年(大正3年)11月30日 - 1993年4月25日)は、日本の文芸評論家。本名・永井善次郎。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
206 | 駒田信二 | Wikipedia |
駒田 信二(こまだ しんじ、1914年1月14日 - 1994年12月27日)は、日本の作家、文芸評論家、中国文学者。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
207 | 小松伸六 釧路市 | Wikipedia |
小松 伸六(こまつ しんろく、1914年9月28日 - 2006年4月20日)は、日本のドイツ文学者、文芸評論家。筆名・内海伸平。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
宗教家・思想家・運動家
208 | 武邑尚邦 | Wikipedia |
武邑 尚邦(たけむら しょうほう、1914年11月20日 - 2004年8月19日)は、東京大学仏教文化研究所で高楠順次郎に師事し、龍谷大学に奉職、因明学と真宗学を中心に研究を重ね、龍谷大学学長・浄土真宗本願寺派勧学寮頭を務めた仏教学者であり僧侶である。 | ||
209 | 内藤知周 横須賀市 | Wikipedia |
内藤 知周(ないとう ともちか、1914年11月20日 - 1974年5月16日)は、社会運動家で、政治運動家。 |
俳人・歌人・詩人・歌人
210 | 山崎方代 | Wikipedia |
山崎 方代(やまざき ほうだい、1914年(大正3年)11月1日‐1985年(昭和60年)8月19日)は、日本の歌人。 | ||
211 | 枯木虎夫 帯広市 | Wikipedia |
枯木 虎夫(かれき とらお、1914年(大正3年)12月29日 - 1977年(昭和52年))は、日本の詩人。本名、井上虎夫。 | ||
212 | 飯田藤村子 | Wikipedia |
飯田 藤村子(いいだ とうそんし、1914年 - 1995年7月4日)は昭和初・中期の俳人。 | ||
213 | 村崎凡人 松茂町 | Wikipedia |
村崎 凡人(むらさき ただひと、1914年(大正3年)1月12日 - 1989年(平成1年)5月10日)は、日本の国文学者、歌人、教育者。徳島文理大学等を経営する村崎学園理事長。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
214 | 福沢武一 伊那市 | Wikipedia |
福沢 武一(ふくざわ ぶいち、1914年1月12日 - 2003年5月15日)は、日本の歌人、万葉学者、日本語学者。専門は万葉集、方言。 | ||
215 | 大滝清雄 足利市 | Wikipedia |
大滝清雄(おおたき きよお、1914年5月20日-1998年9月16日)は、日本の詩人。 | ||
216 | 上林猷夫 札幌市 | Wikipedia |
上林 猷夫(かんばやし みちお、1914年2月21日 - 2001年9月10日)は、日本の詩人。 | ||
217 | 木下順二 | Wikipedia |
木下 順二(きのした じゅんじ、1914年(大正3年)8月2日 - 2006年(平成18年)10月30日)は、日本の劇作家、評論家。代表作に『夕鶴』がある。日本劇作家協会顧問。伯父は佐々醒雪(俳人、国文学者)。著名な進歩的文化人であった。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
218 | 山本悍右 名古屋市 | Wikipedia |
山本 悍右(やまもと かんすけ、1914年3月30日 - 1987年4月2日)は、日本の写真家、詩人。日本におけるシュルレアリスムを代表する草分け的存在である。 | ||
219 | 斎藤玄 函館市 | Wikipedia |
斎藤 玄(さいとう げん、1914年8月22日 - 1980年5月8日)は、俳人。本名・俊彦。 | ||
220 | 林翔 | Wikipedia |
林 翔(はやし しょう、1914年1月24日 - 2009年11月9日)は、日本の俳人。長野県長野市生。 | ||
221 | 錦三郎 南陽市 | Wikipedia |
錦 三郎(にしき さぶろう、1914年 - 1997年5月8日)は、日本のエッセイスト、歌人、蜘蛛研究家、特にバルーニングの研究で著名。山形県山形市出身。山形師範学校卒業。 | ||
222 | 桂信子 大阪市 | Wikipedia |
桂 信子(かつら のぶこ、1914年11月1日 - 2004年12月16日)は、大阪市出身の俳人。日野草城に師事。「旗艦」「青玄」などを経て「草苑」を創刊・主宰。本名は丹羽信子(にわのぶこ)。 | ||
223 | 木下順二 | Wikipedia |
木下 順二(きのした じゅんじ、1914年(大正3年)8月2日 - 2006年(平成18年)10月30日)は、日本の劇作家、評論家。代表作に『夕鶴』がある。日本劇作家協会顧問。伯父は佐々醒雪(俳人、国文学者)。著名な進歩的文化人であった。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
224 | 木下夕爾 | Wikipedia |
木下 夕爾(きのした ゆうじ、1914年10月27日 - 1965年8月4日)は、日本の詩人、俳人。本名・優二。広島県福山市御幸町に生まれる。広島県立府中中学(現・広島県立府中高等学校)を卒業後、1933年にいったんは第一早稲田高等学院文科(仏文科)に入学するが、家業を継ぐために転学。1938年に名古屋薬学専門学校(現・名古屋市立大学)を卒業し、広島で実家の薬局を営む。以後終生郷里を離れなかった。この間堀口大学に傾倒し影響を受けており、13歳のときには堀口の詩誌「若草」で特選を取っている。1940年、第一詩集『田舎の食卓』を刊行、第6回文芸汎論賞を受賞。1949年に誌誌「木靴」を創刊・主宰。以後の詩集に『生まれた家』(1940年)『笛を吹くひと』(1958年)など。日本詩人クラブ、日本現代詩人会に所属。 | ||
名古屋市立大学出身 出身の名古屋市立大学の出身者 全国の名古屋市立大学の出身者 | ||
225 | 大滝清雄 | Wikipedia |
大滝清雄(おおたき きよお、1914年5月20日-1998年9月16日)は、日本の詩人。 | ||
226 | 杉山平一 | Wikipedia |
杉山 平一(すぎやま へいいち、1914年11月2日 - 2012年5月19日)は、日本の詩人、映画評論家、帝塚山学院大学名誉教授。 |
その他の職業
227 | 久保山愛吉 焼津市 | Wikipedia |
久保山 愛吉(くぼやま あいきち、1914年6月21日 - 1954年9月23日)は、日本の漁船員。マグロ漁船第五福竜丸操業中にビキニ環礁付近でアメリカの水爆実験の被害に遭い半年後に死去した。 | ||
228 | 鈴木彪平 宇都宮市 | Wikipedia |
鈴木 彪平(すずき ひょうへい、1914年1月28日 - 1980年12月23日)は、日本の教育者。栃木県の盲導犬育成施設「栃木盲導犬センター(現・東日本盲導犬協会)」の設立者。 | ||
229 | 菅谷政雄 神戸市 | Wikipedia |
菅谷 政雄(すがたに まさお、1914年 - 1981年11月25日)は、20世紀に活動した日本のヤクザ。暴力団・菅谷組組長、三代目山口組若頭補佐などを歴任し、1963年から1975年まで上部団体・三代目山口組の最高幹部にあたる若頭補佐を務め、大きな勢力を保持。“ボンノ”の通称を持った。 | ||
230 | 糸賀一雄 鳥取市 | Wikipedia |
糸賀 一雄(いとが かずお、1914年3月29日 - 1968年9月18日)は、日本の社会福祉の実践家である。知的障害のある子どもたちの福祉と教育に一生を捧げた。日本の障害者福祉を切り開いた第一人者として知られ、「社会福祉の父」とも呼ばれる。その思想を自身が語ったものとして書籍『福祉の思想』(NHK出版)がある。有名な言葉として「この子らを世の光に」がある。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 |