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宝塚・女優・俳優・声優・ナレーター・歌舞伎・能楽・狂言
1 | 伊沢一郎 | Wikipedia |
伊沢 一郎(いざわ いちろう、本名:萱野季男・1912年2月22日 - 1995年5月14日)は、熊本県出身の俳優。女優の美川かつみは妻。 | ||
2 | 葦原邦子 神戸市 | Wikipedia |
葦原 邦子(あしはら くにこ、1912年(大正元年)12月16日 - 1997年(平成9年)3月13日)は、兵庫県武庫郡本庄村字深江(現・兵庫県神戸市東灘区深江)出身の女優。本名は中原 英子(なかはら えいこ)、旧姓は岡本。夫に中原淳一がいる。 | ||
3 | 藤田進 久留米市 | Wikipedia |
藤田 進(ふじた すすむ、1912年1月8日 - 1990年3月23日)は、日本の俳優である。昭和期において、黒澤明監督作品の主演を多数務めるなど、日本映画界の大スターの一人であった。戦時中は戦意高揚映画に、戦後も戦争映画に多く出演した。 | ||
4 | 高津慶子 大阪市 | Wikipedia |
高津 慶子(たかつ けいこ、1912年2月13日 - 没年不詳)は日本の元女優。本名は池田 本子(いけだ もとこ)。 | ||
5 | オリエ津阪 秋田市 | Wikipedia |
オリエ 津阪(オリエ つさか、1912年12月24日 - )は、日本の俳優。松竹少女歌劇の男役スターとして、1930年代のレビュー・ブーム期に同じ松竹の水の江瀧子や宝塚少女歌劇の小夜福子、葦原邦子らと共に「男装の麗人」として人気を博した。松竹歌劇の黄金時代を築いた人物として水の江と並び称される。松竹退団後は劇団主宰などを経て1950年代初頭まで映画にも出演。その後は日本舞踊の師匠となり表舞台からは退いた。 | ||
6 | 大友柳太朗 | Wikipedia |
大犮 柳太朗(おおとも りゅうたろう、明治45年(1912年)6月5日 - 昭和60年(1985年)9月27日)は、山口県出身の俳優。本名は中富 正三。 (正式な名義は「友」の右上に「丶」を付与した文字だが、一般表示が出来ない。) | ||
7 | 山路ふみ子 神戸市 | Wikipedia |
山路 ふみ子(やまじ ふみこ、1912年〈明治45年〉3月13日 - 2004年〈平成16年〉12月6日)は、女優・実業家・社会事業家。兵庫県神戸市長田区出身。本名・大久保 ふみ子(おおくぼ ふみこ)。 | ||
8 | 森川信 横浜市 | Wikipedia |
森川 信(もりかわ しん、本名;森川 義信、1912年2月14日 - 1972年3月26日)は、神奈川県横浜市南区出身の俳優及びコメディアン。元妻は水戸光子。横浜市立商業学校卒業。 | ||
9 | 瀬良明 倉敷市 | Wikipedia |
瀬良 明(せら あきら、1912年10月14日 - 没年不詳)は、日本の俳優。岡山県児島郡味野町(現在の岡山県倉敷市)出身。本名は渡辺 章(わたなべ あきら)。 | ||
10 | 久美京子 | Wikipedia |
久美 京子(くみ きょうこ、1912年11月13日 - 1980年2月12日、享年68)とは元宝塚歌劇団花組主演娘役クラスの人物である。 | ||
11 | 大友柳太朗 | Wikipedia |
大犮 柳太朗(おおとも りゅうたろう、明治45年(1912年)6月5日 - 昭和60年(1985年)9月27日)は、山口県出身の俳優。本名は中富 正三。 (正式な名義は「友」の右上に「丶」を付与した文字だが、一般表示が出来ない。) | ||
12 | 竹久千恵子 秋田市 | Wikipedia |
竹久 千恵子(たけひさ ちえこ、本名: 河上 千恵子(かわかみ ちえこ)、旧姓は煤賀、1912年3月6日 - 2006年9月14日)は、昭和期に活躍した女優。秋田県出身。 | ||
13 | 不二洋子 | Wikipedia |
不二 洋子(ふじ ようこ、1912年3月18日 - 1980年5月11日)は、日本の女優である。女剣劇の草分けで[2][3][4][5]、1930年代以降、初代・二代目の大江美智子とともに女剣劇の全盛期を築きあげた舞台女優である[6][7]。本名は迫 静子(さこ しずこ)。旧姓・大西。 | ||
14 | 清川虹子 松戸市 | Wikipedia |
清川 虹子(きよかわ にじこ、1912年11月24日 - 2002年5月24日)は、日本の喜劇女優。本名は関口 はな(せきぐち はな)。千葉県東葛飾郡松戸町(現:松戸市)出身。 | ||
15 | 池田生二 | Wikipedia |
池田 生二(いけだ せいじ、1912年6月17日 - 1998年)は、日本の俳優。本名:池田清二。別名:池田生三。 長男は脚本家の池田太郎。 | ||
16 | 市川荒太郎(3代目) 大阪市 | Wikipedia |
三代目 市川 荒太郎(さんだいめ いちかわ あらたろう、1912年 - 1948年4月17日)は、日本の俳優、歌舞伎役者、元子役である[3][4][5]。子役時代の芸名は市川 たけを(いちかわ たけお)、旧芸名市川 眼童(いちかわ がんどう)であり、旧芸名市川 玉太郎(いちかわ たまたろう)の時代のうち1930年 - 1931年の間のみ、帝国キネマ演芸・新興キネマに出演している[4][5]。本名市川 武雄(いちかわ たけお)。 |
歌手・シンガー
17 | 林伊佐緒 下関市 | Wikipedia |
林 伊佐緒(はやし いさお、1912年5月11日 - 1995年9月29日)は、山口県豊浦郡王喜村(現下関市)生まれの日本の歌手・作曲家。日本歌手協会4代目会長。明治大学中退。1975年に紫綬褒章、1983年には勲四等旭日小綬章を受章。没後、功績により、従五位を追贈されている。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
18 | 鳴海信輔 | Wikipedia |
鳴海 信輔(なるみ しんすけ、1912年(明治45年) - )は昭和期の歌手。 | ||
19 | 豆千代 関市 | Wikipedia |
豆千代(まめちよ、1912年1月2日 - 2004年3月22日)は昭和期の芸者、歌手。本名は福田八重子。 |
演奏家・作詞家・作曲家・ミュージシャン
20 | 渡辺弘 広島市 | Wikipedia |
渡辺弘(わたなべひろし、1912年 - 1988年12月22日)は、日本のジャズミュージシャン。テナーサックス奏者。日本最高のダンス・バンド「スターダスターズ」を率いて、約四半世紀の間ジャズ界に君臨した日本ジャズ界の草分け的存在。広島県広島市出身。 | ||
21 | 夢虹二 加須市 | Wikipedia |
夢虹二(ゆめこうじ、1912年(大正元年)8月11日 - 1989年(平成元年)7月12日)は昭和期の作詞家。本名須永孝一郎。 | ||
22 | 市川都志春 | Wikipedia |
市川 都志春(いちかわ としはる、1912年1月18日 - 1998年4月29日)は、日本の作曲家・音楽教育者。静岡県浜松市出身。 | ||
23 | 倉若晴生 糸魚川市 | Wikipedia |
倉若 晴生(くらわか はるお、本名:倉若貞司、1912年4月27日 - 1982年11月26日)は、日本の作曲家。新潟県西頸城郡糸魚川町(現在の糸魚川市)出身。東京府立化学工業学校(現:首都大学東京理工学系コースの基礎となった学校)出身。 | ||
24 | 飯田三郎 根室市 | Wikipedia |
飯田 三郎(いいだ さぶろう、1912年(大正元年)12月20日 - 2003年(平成15年)4月24日)は昭和期の作曲家。北海道根室市出身。 | ||
25 | 石丸基司 釧路市 | Wikipedia |
石丸基司(いしまるもとじ)は、日本の作曲家、北海道釧路市生まれ。 |
舞台・演劇・映画・ドラマ・脚本・プロデューサー・ディレクター
26 | 新藤兼人 | Wikipedia |
新藤 兼人(しんどう かねと、1912年(明治45年)4月22日 - 2012年(平成24年)5月29日)は、日本の映画監督、脚本家。本名は新藤 兼登(読み方同じ)。日本のインディペンデント映画の先駆者であった。近代映画協会会長。従三位、広島県名誉県民、広島市名誉市民、広島県三原市名誉市民。 | ||
27 | 丸山誠治 山口市 | Wikipedia |
丸山 誠治(まるやま せいじ、1912年6月15日 - 1989年11月22日)は日本の映画監督。男性映画を得意とする一方、司葉子のデビュー作を撮った監督としても知られる。代表作に『男ありて』『太平洋奇跡の作戦 キスカ』『日本海大海戦』など。 | ||
28 | 木下恵介 浜松市 | Wikipedia |
木下 惠介(きのした けいすけ、新字体:恵介、1912年12月5日 - 1998年12月30日)は、日本の映画監督、脚本家。本名は同じ(旧名:正吉)。真面目で抒情的な作風で知られ、数多くの映画を制作した後、テレビ・ドラマにも進出した。弟は作曲家の木下忠司、妹は脚本家の楠田芳子。監督としての映画の名前の表記は1960年代には「恵介」が混在している。 | ||
29 | 下永尚 | Wikipedia |
下永 尚(しもなが ひさし、1912年12月13日 - )は、日本の映画ミキサー。熊本県出身。 | ||
30 | 田中春男 京都市 | Wikipedia |
田中 春男(たなか はるお、1912年3月25日 - 1992年2月21日)は、日本の俳優であり、名脇役として日本映画界を支えたバイプレイヤーである。娘は女優の宇治みさ子。 | ||
31 | 藤田進1912 久留米市 | Wikipedia |
藤田 進(ふじた すすむ、1912年1月8日 - 1990年3月23日)は、日本の俳優である。昭和期において、黒澤明監督作品の主演を多数務めるなど、日本映画界の大スターの一人であった。戦時中は戦意高揚映画に、戦後も戦争映画に多く出演した。 | ||
32 | オリエ津阪 北区 | Wikipedia |
オリエ 津阪(オリエ つさか、1912年12月24日 - )は、日本の俳優。松竹少女歌劇の男役スターとして、1930年代のレビュー・ブーム期に同じ松竹の水の江瀧子や宝塚少女歌劇の小夜福子、葦原邦子らと共に「男装の麗人」として人気を博した。松竹歌劇の黄金時代を築いた[3]人物として水の江と並び称される。松竹退団後は劇団主宰などを経て1950年代初頭まで映画にも出演。その後は日本舞踊の師匠となり表舞台からは退いた。 | ||
33 | 久松静児 | Wikipedia |
久松 静児(ひさまつ せいじ、1912年(明治45年)2月20日 - 1990年(平成2年)12月28日は、日本の映画監督。茨城県出身。 |
格闘技
34 | 鶴ヶ嶺道芳 中種子町 | Wikipedia |
鶴ヶ嶺道芳(つるがみね みちよし、1912年1月17日-1972年3月18日)は、昭和10年代の大相撲力士である。鹿児島県熊毛郡中種子町出身、本名は下家道義。最高位は東前頭2枚目(1942年5月場所)。得意手は左四つ、吊り、櫓投げ。現役時代の体格は188cm、101kg。引退後は井筒部屋を経営し、多くの力士を育てた。 | ||
35 | 五ツ嶋奈良男 新上五島町 | Wikipedia |
五ツ嶋 奈良男(いつつしま ならお、1912年12月22日 - 1973年5月6日)は、長崎県南松浦郡奈良尾村(現:長崎県南松浦郡新上五島町)出身の元大相撲力士。本名は金崎 伊佐一(かなさき いさいち)。 | ||
36 | 玉ノ海梅吉 大村市 | Wikipedia |
玉ノ海 梅吉(たまのうみ うめきち、1912年11月30日 - 1988年10月23日)は、長崎県東彼杵郡(現:長崎県大村市)出身の元大相撲力士。本名は蔭平 梅吉(かげひら うめきち)。 | ||
37 | 道上伯 | Wikipedia |
道上 伯(みちがみ はく、1912年10月21日 - 2002年8月4日)は日本の柔道家(講道館7段、フランス柔道連盟9段)である。 | ||
38 | 有明五郎 新宿区 | Wikipedia |
有明 五郎(ありあけ ごろう、1912年9月1日 - 1959年7月20日)は、東京府東京市(現在の東京都新宿区)出身で錦嶌部屋所属の戦前に活躍した元大相撲力士。本名は、金子 元五郎(かねこ もとごろう)。身長171cm、体重111kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は東前頭11枚目(1944年5月場所)。有明吾郎とは別人物。 | ||
39 | 白田林二郎 朝日町 | Wikipedia |
白田 林二郎(しらた りんじろう、1912年〈明治45年〉3月29日 - 1993年〈平成5年〉5月29日)は、山形県出身の日本の武道(合気道)家、 合気道開祖・植芝盛平の高弟。 | ||
40 | 双葉山定次 | Wikipedia |
双葉山 定次(ふたばやま さだじ、1912年2月9日 - 1968年12月16日)は、大分県宇佐郡天津村布津部(現:大分県宇佐市下庄)出身の元大相撲力士。第35代横綱。本名は龝吉 定次(あきよし さだじ)。 | ||
41 | 26代木村庄之助 幸田町 | Wikipedia |
26代木村庄之助(26だいきむらしょうのすけ、1912年1月2日 - 1984年3月27日)は、大相撲の立行司の一人。本名は浅井 正(あさい ただし)。木村庄之助としての在位期間は1973年1月~1976年11月。井筒部屋→君ヶ濱部屋所属。 |
野球
42 | 岩本義行 奥州市 | Wikipedia |
岩本 義行(いわもと よしゆき、1912年3月11日 - 2008年9月26日)は、広島県三次市出身のプロ野球選手(外野手)・監督。「元祖神主打法」[3]「初代トリプルスリー」[3][4]。弟はプロ野球南海の投手・審判を務めた岩本信一。5人いる孫の1人に女優の遠野舞子がいる[5]。 | ||
43 | 鈴木銀之助 | Wikipedia |
鈴木 銀之助(すずき ぎんのすけ、1912年6月5日 - 1959年8月13日)は、岩手県出身の元プロ野球選手。ポジションは三塁手。 | ||
44 | 岩本義行 三次市 | Wikipedia |
岩本 義行(いわもと よしゆき、1912年3月11日 - 2008年9月26日)は、広島県三次市出身のプロ野球選手(外野手)・監督。「元祖神主打法」[2][3]「初代トリプルスリー」[2][3][4]。弟はプロ野球南海の投手・審判を務めた岩本信一。5人いる孫の1人に女優の遠野舞子がいる[5]。 | ||
45 | 灰山元治 廿日市市 | Wikipedia |
灰山 元治(はいやま もとはる、大正元年(1912年)7月17日 - 昭和62年(1987年)11月27日)は、昭和初期に中等野球他で活躍したアマチュア野球選手、プロ野球選手。投手・内野手。プロ入り後は灰山元章と改名した。広島県佐伯郡廿日市町桜尾(現:廿日市市)出身。 | ||
46 | 小林利蔵 敦賀市 | Wikipedia |
小林 利蔵(こばやし としぞう、1912年 - 1973年)は、福井県敦賀市出身のプロ野球選手。右投右打で、ポジションは一塁手、二塁手、三塁手。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
47 | 西村正夫 高松市 | Wikipedia |
西村 正夫(にしむら まさお、1912年9月1日 - 2002年11月28日)は、香川県高松市出身のプロ野球選手・監督。ポジションは外野手。 |
野球・サッカー以外の球技
48 | 山岸二郎 北九州市 | Wikipedia |
山岸 二郎(やまぎし じろう, 1912年5月23日 - 1997年1月30日)は、福岡県門司市(現在の北九州市門司区)出身の男子テニス選手。慶應義塾大学卒業。主に1930年代後半に活躍し、全日本テニス選手権でシングルス4勝、ダブルス5勝を挙げた。世界的な評価も高く、1938年に世界ランキング8位になった。 |
水泳全般・マリンスポーツ
49 | 根上博 余市町 | Wikipedia |
根上 博(ねがみ ひろし、1912年8月3日 - 1980年)は、北海道余市町出身の日本の競泳選手。立教大学卒業。1930年代に活躍し、1936年のベルリンオリンピックで入賞した。 | ||
立教大学出身 出身の立教大学の出身者 全国の立教大学の出身者 |
陸上競技全般
50 | 田島直人 岩国市 | Wikipedia |
田島直人(たじま なおと、1912年8月15日 - 1990年12月4日)は、日本の男子陸上競技選手。ベルリンオリンピック金メダリスト。 | ||
山口大学出身 出身の山口大学の出身者 全国の山口大学の出身者 |
競馬・競輪・競艇・その他レース
51 | 佐々木猛 函館市 | Wikipedia |
佐々木 猛(ささき たけし、1912年11月11日 - )は、日本の競馬騎手、調教師。 | ||
52 | 大久保石松 八戸市 | Wikipedia |
大久保 石松(おおくぼ いしまつ、1912年11月21日 - 2001年2月24日)は、日本の騎手、競走馬調教師。青森県八戸市出身。 |
囲碁・将棋・麻雀
53 | 酒井通温 | Wikipedia |
酒井通温(さかい みちはる、1912年(大正元年)9月23日)- 1997年(平成9年)1月2日)は、日本の囲碁棋士。愛知県出身、三宅一夫七段門下、日本棋院所属、九段。本名保一。王冠戦優勝2回、本因坊戦リーグ入りなど。日本棋院中部総本部に所属、棋士会長を長く務めるなど、中京碁界の重鎮としてその隆盛に貢献した。酒井四兄弟の康雄、利雄、義允の長兄。酒井栄男七段は実子。 | ||
54 | 北楯修哉 | Wikipedia |
北楯 修哉(きただて しゅうや、1912年11月15日 - 1997年1月31日)は、将棋棋士、九段。木村義雄十四世名人門下。棋士番号は24。山形県鶴岡市の生れ。 |
漫画家・イラスト・ゲーム
55 | 横井福次郎 | Wikipedia |
横井 福次郎(よこい ふくじろう、1912年9月25日 - 1948年12月5日)は、日本の漫画家である。 |
作家・小説家・エッセイ・文筆・翻訳家・編集者
56 | 杉森久英 七尾市 | Wikipedia |
杉森 久英(すぎもり ひさひで、1912年(明治45年)3月23日 - 1997年1月20日)は日本の小説家。 | ||
57 | 戸川幸夫 網走市 | Wikipedia |
戸川 幸夫(とがわ ゆきお、1912年4月15日 - 2004年5月1日)は、日本の小説家、児童文学作家。 | ||
58 | 杉森久英 熊谷市 | Wikipedia |
杉森 久英(すぎもり ひさひで、1912年(明治45年)3月23日 - 1997年1月20日)は日本の小説家。 | ||
59 | 檀一雄 練馬区 | Wikipedia |
檀 一雄(だん かずお、1912年(明治45年)2月3日 - 1976年(昭和51年)1月2日)は、日本の小説家、作詞家。私小説や歴史小説、料理の本などで知られる。「最後の無頼派」作家・文士ともいわれた。また、西遊記の日本語抄訳もある(東京創元社ほか)。 | ||
60 | 野村尚吾 富山市 | Wikipedia |
野村 尚吾(のむら しょうご、1912年1月2日 - 1975年5月15日)は、日本の編集者、作家、評論家。本名・利尚。 | ||
61 | 榛葉英治 掛川市 | Wikipedia |
榛葉 英治(しんば えいじ、1912年10月21日 - 1999年2月20日)は、日本の小説家である。 | ||
62 | 木本正次 牟岐町 | Wikipedia |
木本 正次(きもと しょうじ、1912年10月5日 - 1995年1月26日)は、日本の小説家。毎日新聞元編集委員。 | ||
63 | 澤野久雄 | Wikipedia |
澤野 久雄(さわの ひさお、1912年12月30日 - 1992年12月17日)は、埼玉県浦和町(現・さいたま市)出身の小説家。 | ||
64 | 岸武雄 | Wikipedia |
岸 武雄(きし たけお、1912年7月6日 - 2002年1月21日)は、日本の児童文学作家、教育者。 | ||
65 | 山代巴 三次市 | Wikipedia |
山代 巴(やましろ ともえ、旧姓:徳毛、1912年6月8日 - 2004年11月7日)は、日本の作家である。広島県芦品郡栗生村(今の府中市栗柄町)に生まれる。1929年(昭和4年)、東京女子美術専門学校(今の女子美術大学)に入学する。1932年、日本共産党に入党する。1937年に山代吉宗(1901年 - 1945年)と結婚した。1945年から尾道市立図書館長中井正一が広島県下で主宰した文化運動での市民講座を受講し、中井の知遇を得、影響を受ける。なお、山代の『千代の青春』は中井正一の母親をモデルにしている。 | ||
66 | 島村利正 | Wikipedia |
島村 利正(しまむら としまさ、1912年3月25日 - 1981年11月25日)は、小説家。 | ||
67 | 檀一雄 | Wikipedia |
檀 一雄(だん かずお、1912年(明治45年)2月3日 - 1976年(昭和51年)1月2日)は、日本の小説家、作詞家。私小説や歴史小説、料理の本などで知られる。「最後の無頼派」作家・文士ともいわれた。また、西遊記の日本語抄訳もある(東京創元社ほか)。 | ||
68 | 森敦 鶴岡市 | Wikipedia |
森 敦(もり あつし、1912年(明治45年)1月22日 - 1989年(平成元年)7月29日)は、日本の小説家。 | ||
69 | 新田次郎 | Wikipedia |
新田 次郎(にった じろう、本名:藤原 寛人(ふじわら ひろと)、1912年6月6日 - 1980年2月15日)は、日本の小説家、気象学者。神田電機学校(現:東京電機大学)卒業。 | ||
東京電機大学出身 出身の東京電機大学の出身者 全国の東京電機大学の出身者 | ||
70 | 戸川幸夫 佐賀市 | Wikipedia |
戸川 幸夫(とがわ ゆきお、1912年4月15日 - 2004年5月1日)は、日本の小説家、児童文学作家。 | ||
71 | 大佐古一郎 北広島町 | Wikipedia |
大佐古 一郎(おおさこ いちろう、1912年(大正元年)11月15日―1995年(平成7年))は昭和時代のジャーナリスト・著作家。広島市での原爆被災をはさむ長い時期にわたって、在広島の地方紙である中国新聞の記者を務めた。 | ||
72 | 大原富枝 | Wikipedia |
大原 富枝(おおはら とみえ、1912年9月28日 - 2000年1月27日)は日本の小説家。日本芸術院所属。勲三等瑞宝章叙勲者。 | ||
73 | 檀一雄 足利市 | Wikipedia |
檀 一雄(だん かずお、1912年(明治45年)2月3日 - 1976年(昭和51年)1月2日)は、日本の小説家、作詞家。私小説や歴史小説、料理の本などで知られる。「最後の無頼派」作家・文士ともいわれた。また、西遊記の日本語抄訳もある(東京創元社ほか)。 | ||
74 | 稲垣史生 砺波市 | Wikipedia |
稲垣 史生(いながき しせい、1912年5月12日 - 1996年2月27日)は、日本の時代考証家・歴史小説家。稲垣一城(いながき かずき)の筆名も持つ。本名・稲垣秀忠(ひでただ)。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
75 | 阿木翁助 | Wikipedia |
阿木 翁助(あぎ おうすけ、1912年7月14日 - 2002年9月11日)は、日本の劇作家、脚本家。 | ||
76 | 畔柳二美 ニセコ町 | Wikipedia |
畔柳 二美(くろやなぎ ふみ、1912年1月14日 - 1965年1月13日)は、日本の小説家。北海道千歳市に生まれ、1928年北海高等女学校(現札幌大谷高等学校)卒業。 | ||
77 | 稲垣史生 川越市 | Wikipedia |
稲垣 史生(いながき しせい、1912年5月12日 - 1996年2月27日)は、日本の時代考証家・歴史小説家。稲垣一城(いながき かずき)の筆名も持つ。本名・稲垣秀忠(ひでただ)。 | ||
78 | 檀一雄 都留市 | Wikipedia |
檀 一雄(だん かずお、1912年(明治45年)2月3日 - 1976年(昭和51年)1月2日)は、日本の小説家、作詞家。私小説や歴史小説、料理の本などで知られる。「最後の無頼派」作家・文士ともいわれた。また、西遊記の日本語抄訳もある(東京創元社ほか)。 | ||
79 | 武田泰淳 | Wikipedia |
武田 泰淳(たけだ たいじゅん、1912年(明治45年)2月12日 - 1976年(昭和51年)10月5日)は、日本の小説家。第一次戦後派作家として活躍。主な作品に『司馬遷』、『蝮のすゑ』、『風媒花』、『ひかりごけ』、『富士』、『快楽』など。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
80 | 津島美知子 浜田市 | Wikipedia |
津島 美知子(つしま みちこ、1912年(明治45年)1月31日 – 1997年(平成9年)2月1日)は小説家・太宰治の妻。旧姓石原。 | ||
81 | 大阪圭吉 新城市 | Wikipedia |
大阪圭吉(おおさか けいきち、1912年(明治45年)3月20日 - 1945年(昭和20年)7月2日)は愛知県出身の推理作家、小説家。本名は鈴木福太郎。 | ||
82 | 森敦 | Wikipedia |
森 敦(もり あつし、1912年(明治45年)1月22日 - 1989年(平成元年)7月29日)は、日本の小説家。 | ||
83 | 森本薫 大阪市 | Wikipedia |
森本 薫(もりもと かおる、1912年(明治45年)6月4日 - 1946年(昭和21年)10月6日)は、日本の劇作家、演出家、翻訳家。代表作として『女の一生』や『華々しき一族』などがある。 |
弁護士
84 | 矢吹幸太郎 | Wikipedia |
矢吹 幸太郎(やぶき こうたろう、1912年(明治45年) - 没年不明)は、日本の元裁判官・弁護士。元札幌地方裁判所判事。矢吹法律事務所初代所長。中央大学法学部卒業。福島県出身。 |
建築家・建築学者・技術者
85 | 西崎キク 上里町 | Wikipedia |
西崎 キク(にしざき キク、1912年(大正元年)11月2日 - 1979年(昭和54年)10月6日)は、日本の女性パイロットの草分けのひとりである。旧姓松本。通称きく子。埼玉県児玉郡七本木村(現上里町)出身。 | ||
86 | 飯沼正明 安曇野市 | Wikipedia |
飯沼 正明(いいぬま まさあき、1912年8月2日 - 1941年12月11日)は日本のパイロット。1937年純国産機、神風号によって東京-ロンドン間の飛行に成功した。 | ||
87 | 生田勉 小樽市 | Wikipedia |
生田 勉(いくた つとむ、1912年2月20日 - 1980年8月4日)は、日本の建築家、建築学者。東京大学名誉教授。 |
経営者・実業家
88 | 高木養根 高山市 | Wikipedia |
高木 養根(たかぎ やすもと、1912年7月7日 - 1999年1月9日)は、日本の実業家。元日本航空社長。広島県福山市生まれ、岐阜県高山市育ち[2]。 | ||
89 | 小川信雄 | Wikipedia |
小川 信雄(おがわ のぶお、1912年(大正15年)7月9日 - 2002年(平成14年)9月6日)は日本のエンジニア、実業家。日亜化学工業創業者、元社長、元会長。阿南市名誉市民。 現・日亜化学工業会長の小川英治は娘婿である。 | ||
徳島大学出身 出身の徳島大学の出身者 全国の徳島大学の出身者 | ||
90 | 勝田正之 | Wikipedia |
勝田 正之(しょうだ まさゆき、1912年11月2日 - 1991年10月20日)は、日本の実業家で、元日本電子計算社長。父・久貫は元大蔵大臣・勝田主計の弟なので正之は主計の甥にあたる。東京府(現・東京都)生まれ。 | ||
91 | 中内力 神戸市 | Wikipedia |
中内 力(なかうち つとむ、1912年7月20日 - 2001年11月22日)は、日本の政治家。高知県知事を務めた。 | ||
92 | 菅寿雄 三鷹市 | Wikipedia |
菅 寿雄(かん ひさお、1912年12月10日 - 1991年)は、日本の実業家。雅号は木桃。元セントラル硝子常務取締役・監査役。 | ||
93 | 横山正克 安来市 | Wikipedia |
横山 正克(よこやま まさかつ、1912年2月4日 - )は日本の実業家。島根県安来市出身。 | ||
94 | 大野耐一 | Wikipedia |
大野耐一(おおの たいいち、1912年2月29日 - 1990年5月28日)とはトヨタ自動車工業 元副社長、日本人の技術者、経営者である。かんばん方式など生産管理のあり方として世界的に有名となった“トヨタ生産方式(Toyota Production System、略称TPS)”を体系化した人物である。 | ||
名古屋工業大学出身 出身の名古屋工業大学の出身者 全国の名古屋工業大学の出身者 | ||
95 | 笠原良三 足利市 | Wikipedia |
笠原 良三(かさはら りょうぞう、1912年1月19日 - 2002年6月22日)は日本の脚本家、小説家。本名は笠原良三郎。社長シリーズなどの喜劇映画の脚本を多く手がけた。 | ||
96 | 水島廣雄 舞鶴市 | Wikipedia |
水島 廣雄(みずしま ひろお、1912年4月15日 - 2014年7月28日)は、京都府舞鶴市出身の実業家、民法学者。日本興業銀行勤務を経て、そごうの会長、社長を務めた。東洋大学名誉教授、法学博士。担保法の権威としても知られた。 | ||
中央大学出身 出身の中央大学の出身者 全国の中央大学の出身者 | ||
97 | 勝田龍夫 渋谷区 | Wikipedia |
勝田 龍夫(しょうだ たつお、1912年2月22日 - 1991年5月28日)は、元日本債券信用銀行会長。朝鮮銀行入行後、日本不動産銀行(のちの日本債券信用銀行)に入り、常務、副頭取、頭取を歴任。父は朝鮮銀行総裁、大蔵大臣等を務めた勝田主計。妻は西園寺公望の秘書・原田熊雄の娘。『重臣たちの昭和史』『中国借款と勝田主計』を著す。 | ||
98 | 庄司保親 境港市 | Wikipedia |
庄司 保親(しょうじ やすちか、明治45年(1912年)3月1日 - )は日本の実業家、政治家。元合資会社第弐商会代表社員社長。元鳥取県西伯郡渡村会議員。 | ||
99 | 高木養根 | Wikipedia |
高木 養根(たかぎ やすもと、1912年7月7日 - 1999年1月9日)は、日本の実業家。元日本航空社長。広島県福山市生まれ、岐阜県高山市育ち[2]。 | ||
100 | 松尾孝 広島市 | Wikipedia |
松尾 孝(まつお たかし、1912年(明治45年)7月15日 - 2003年(平成15年)10月28日)は、日本の実業家。カルビー創業者。広島県広島市出身。 | ||
101 | 大原栄一 沼隈町 | Wikipedia |
大原 栄一(おおはら えいいち、1912年12月2日 - 1998年3月9日)は日本の実業家。富士重工業元社長・元会長。広島県沼隈郡沼隈町田島(現福山市)出身。満州安東育ち。 | ||
102 | 北野ミヤ 上田市 | Wikipedia |
北野 ミヤ(きたの ミヤ、1912年1月12日 - 2004年4月23日)は、メジロ商事株式会社、有限会社メジロ牧場の元会長。長野県上田市生まれ。 | ||
103 | 川上源一 浜松市 | Wikipedia |
川上 源一(かわかみ げんいち、1912年1月30日 - 2002年5月25日)は、日本楽器製造株式会社(現在のヤマハ株式会社)の第4代社長であり、ヤマハ発動機株式会社の創業者でもある。 | ||
高千穂大学出身 出身の高千穂大学の出身者 全国の高千穂大学の出身者 | ||
104 | 花井正八 豊川市 | Wikipedia |
花井 正八(はない まさや、1912年8月1日 - 1995年6月10日)は、日本の実業家。トヨタ自動車工業会長や、日本高速通信会長、日本移動通信会長、日経連副会長などを歴任した。旧姓は山本。 | ||
105 | 横地治男 隠岐の島町 | Wikipedia |
横地 治男(よこち はるお、1912年 - 2007年3月28日)は、日本の実業家、柔道家。 |
デザイナー
106 | 相澤昌弘 | Wikipedia |
相澤 昌弘(あいざわ まさひろ)は、東京都出身のアニメーター、キャラクターデザイナー。文化学院卒。アニメトロトロ出身。別名義に相澤伽月(あいざわ かげつ)がある。 |
医師・看護師
107 | 東昇 南九州市 | Wikipedia |
東 昇(ひがし のぼる、1912年(大正元年)10月10日 - 1982年(昭和57年)10月26日)は、日本のウイルス学博士、医学博士、大学教授。京都大学名誉教授、京都大学ウイルス研究所所長。日本で第一号の電子顕微鏡製作者。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 |
軍人
108 | 島田豊作 館林市 | Wikipedia |
島田 豊作(しまだ とよさく、1912年3月31日 - 1988年7月11日)は、日本の陸軍軍人。士候45期。最終階級は陸軍中佐。群馬県館林市出身。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
109 | 畑中健二 京丹波町 | Wikipedia |
畑中 健二(はたなか けんじ、1912年3月28日(明治45年) - 1945年(昭和20年)8月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。 | ||
110 | 安田優 | Wikipedia |
安田 優(やすだ ゆたか、1912年(明治45年)2月1日 - 1936年(昭和11年)7月12日)は、日本の陸軍軍人。陸軍砲工学校学生。二・二六事件に参加、他の将校らと斎藤實内大臣、渡辺錠太郎教育総監を相次いで襲撃した。最終階級は砲兵少尉。 | ||
111 | 板倉光馬 北九州市 | Wikipedia |
板倉光馬(いたくら みつま、1912年(大正元年)11月18日 - 2005年(平成17年)10月24日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少佐。福岡県小倉市(現、北九州市)出身。 | ||
112 | 野田毅 錦江町 | Wikipedia |
野田 毅(のだ つよし、1912年 - 1948年1月28日)は、日本の陸軍軍人。敗戦時の階級は陸軍少佐。南京攻略戦の際に実施されたとされる「百人斬り競争」実行の容疑者として逮捕・処刑された。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
113 | 大田正一 上関町 | Wikipedia |
大田 正一(おおた しょういち、1912年〈大正元年〉8月23日 - 1994年〈平成6年〉12月7日)は、日本の海軍軍人。最終階級は大尉。特攻兵器桜花の発案者。 | ||
114 | 井田正孝 | Wikipedia |
井田 正孝(いだ まさたか、1912年10月5日 - 2004年2月6日)は、日本の陸軍軍人、実業家。最終階級は陸軍中佐。後に旧姓・岩田に復した。 | ||
115 | 大室孟 | Wikipedia |
大室 孟(おおむろ つとむ、1912年(明治45年)1月15日 - 2001年(平成13年)2月14日)は、日本の陸軍軍人、航空自衛官。最終階級は日本陸軍では陸軍少佐、航空自衛隊では航空幕僚長たる空将。 | ||
116 | 石田東四郎 横手市 | Wikipedia |
石田 東四郎(いしだ とうしろう、1912年8月 - 2009年6月25日) は、日本の陸軍軍人。太平洋戦争終結から48年目の1993年、中国河南省南召県から帰国した。 |
公務員
117 | 栗本一夫 岐阜市 | Wikipedia |
栗本 一夫(くりもと かずお、1912年(明治45年)5月27日 - 1992年(平成4年)11月27日)は、日本の裁判官。元最高裁判事。「四畳半襖の下張事件」で裁判長を務めた。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
118 | 布施健 | Wikipedia |
布施 健(ふせ たけし、1912年3月21日 - 1988年2月25日)は、日本の検察官。ロッキード事件時の検事総長(在任期間 1975年1月25日 - 1977年3月20日)。旧姓・小橋健。現在の岡山県備前市香登出身。 |
学者・教授・准教授
119 | 齋藤磯雄 庄内町 | Wikipedia |
齋藤 磯雄(さいとう いそお、1912年5月26日 - 1985年9月3日)は山形県庄内出身の仏文学者。 | ||
120 | 小寺武四郎 神戸市 | Wikipedia |
小寺 武四郎(こでら たけしろう、1912年7月9日 - 2004年7月23日)は、日本の経済学者。第10代学校法人関西学院院長、元関西学院大学学長および経済学部教授。 | ||
121 | 古畑正秋 富士見町 | Wikipedia |
古畑 正秋(ふるはた まさあき、1912年9月18日 - 1988年11月23日)は、日本の天文学者。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
122 | 藤本武 舞鶴市 | Wikipedia |
藤本 武(ふじもと たけし、1912年2月28日 - 2002年6月9日)は、日本の経済学者。 | ||
123 | 糸川英夫 | Wikipedia |
糸川 英夫(いとかわ ひでお、1912年7月20日 - 1999年2月21日)は、日本の工学者。専門は航空工学、宇宙工学。ペンシルロケットの開発者であり、「日本の宇宙開発・ロケット開発の父」と呼ばれる。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
124 | 林茂 | Wikipedia |
林 茂(はやし しげる、1912年5月4日 - 1987年7月3日)は、日本の歴史学者、東京大学名誉教授。専門は日本政治史。和歌山県生まれ。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
125 | 木村元一 大崎市 | Wikipedia |
木村 元一(きむら もとかず、1912年1月1日 - 1987年4月7日 )は日本の経済学者。専門は財政学。一橋大学名誉教授。 井藤半彌門下。ドイツ流の財政社会学を日本の財政学に導入。 | ||
126 | 古島敏雄 | Wikipedia |
古島 敏雄(ふるしま としお、1912年4月14日 - 1995年8月29日)は日本の歴史学者。専門は日本経済史・農業史。東京大学名誉教授。農学博士。 | ||
127 | 水戸部正男 | Wikipedia |
水戸部 正男(みとべ まさお、1912年1月6日 - 1996年10月27日)は、日本史学者。専門は日本の法制史。第6代横浜国立大学学長。 | ||
128 | 木村謙二 稚内市 | Wikipedia |
木村 謙二(きむら けんじ、1912年 -)は、日本の心理学者・教育者。稚内北星学園、北星学園女子短期大学の学長を務めた。専門は特殊児童心理学で、日本における障害児教育の先駆者の一人。 | ||
129 | 服部高顯 | Wikipedia |
服部 高顯(はっとり たかあき、1912年(大正元年)10月1日 - 1993年(平成5年)3月24日)は、第9代最高裁判所長官。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
130 | 山本正男 | Wikipedia |
山本 正男(やまもと まさお、1912年1月12日 - 2007年10月10日)は、日本の美術史学者。専攻は美学、芸術史。日本学術会議第13・14期会員。第4代東京芸術大学学長、初代沖縄県立芸術大学学長。長野県長野市出身。 | ||
131 | 安士正夫 小樽市 | Wikipedia |
安士 正夫(やすし まさお、1912年9月3日 - 1970年10月4日)は、フランス文学者、東京都立大学名誉教授。 | ||
132 | 加藤新平 西和賀町 | Wikipedia |
加藤 新平(かとう しんぺい、1912年(明治45年)3月29日 - 1999年4月2日)は、日本の法学者、京都大学名誉教授。専門は法理学・法哲学。1983年から日本学士院会員。1971年から1975年まで日本法哲学会理事長。京都大学名誉教授。沢内村名誉村民第一号。 | ||
133 | 高橋信次 | Wikipedia |
高橋 信次(たかはし しんじ、1912年1月28日 - 1985年4月2日)は、日本の医学者、放射線科医。X線廻転(回転)撮影法・X線多色撮影法・X線拡大撮影法を開発し、放射線診断学の発展に大きく寄与した。 | ||
134 | 柏木俊夫 洲本市 | Wikipedia |
柏木 俊夫(かしわぎ としお、1912年 - 1994年)は、日本の作曲家、音楽理論家。東京学芸大学名誉教授。 | ||
135 | 石母田正 | Wikipedia |
石母田 正(いしもだ ただし/しょう、1912年9月9日 - 1986年1月18日)は、日本史学者。専攻は古代史および中世史で、多数の著作・論文がある。唯物史観の観点から多くの論文・著作を発表、戦後の歴史学に多大な影響を与えた。戦後、歴史学を志した人々の多くが石母田の著書(特に「中世的世界の形成」)を読んだことにより、歴史学を専攻する道を選んだ(石母田正著作集各月報より)と述べている。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
136 | 鈴木尚 | Wikipedia |
鈴木 尚(すずき ひさし、1912年(明治45年)3月24日 - 2004年(平成16年)10月1日)は日本の人類学者。縄文時代から現代に至る日本人の形質を人類学や解剖学の面から研究し、それまで知られていなかった、歴史時代を通じての日本人の大きな形質変化を明らかにした事で著名。東京大学教授、国立科学博物館人類研究部長、成城大学教授を歴任。東京大学名誉教授、医学博士。1998年紫綬褒章。 | ||
137 | 中村元 杉並区 | Wikipedia |
中村 元(なかむら はじめ、1912年(大正元年)11月28日 - 1999年(平成11年)10月10日)は、日本のインド哲学者、仏教学者。東京大学名誉教授、日本学士院会員。勲一等瑞宝章、文化勲章、紫綬褒章受章。 | ||
138 | 橋本武 宮津市 | Wikipedia |
橋本 武(はしもと たけし、1912年7月11日 - 2013年9月11日)は、日本の国語教師、国文学者、元灘中学校・高等学校教頭。京都府宮津市出身。中学の3年間をかけて中勘助の『銀の匙』を1冊読み上げる国語授業「『銀の匙』授業」で知られる。 | ||
139 | 中村元 松江市 | Wikipedia |
中村 元(なかむら はじめ、1912年(大正元年)11月28日 - 1999年(平成11年)10月10日)は、インド哲学者、仏教学者。東京大学名誉教授、日本学士院会員。勲一等瑞宝章、文化勲章、紫綬褒章受章。在家出身。 | ||
北海道大学出身 出身の北海道大学の出身者 全国の北海道大学の出身者 | ||
140 | 沼田次郎 熊本市 | Wikipedia |
沼田次郎(ぬまた じろう、1912年-1994年6月29日)は、日本の歴史学者、東京大学名誉教授。洋学史、日蘭交渉史が専門。日蘭学会理事。 | ||
141 | 藤野渉 熊本市 | Wikipedia |
藤野 渉(ふじの わたり、1912年 - 1983年)は、日本の哲学者、名古屋大学名誉教授。 熊本市生まれ。1935年、京都帝国大学文学部哲学科卒。戦後、名古屋大学助教授、教授。1976年、定年退官。マルクス主義を主として研究した。 | ||
142 | 松本雅明 熊本市 | Wikipedia |
松本雅明(まつもと まさあき、1912年―1993年)は、東洋史学者、熊本大学名誉教授。 熊本県生まれ。1936年東京帝国大学文学部東洋史卒。61年「詩経における新古の層および思惟展開の径路に関する研究」で東京大学文学博士。熊本大学法文学部助教授、文学部教授、78年定年退官、名誉教授。 | ||
143 | 山本健造 高山市 | Wikipedia |
山本健造(やまもと けんぞう、1912年11月12日 - 2007年8月7日)、は日本の超心理学者、哲学博士。「飛騨福来心理学研究所」創立者。 | ||
144 | 鐘ケ江信光 大阪市 | Wikipedia |
鐘ケ江 信光(かねがえ のぶみつ、1912年(大正元年)1月18日 - 2012年(平成24年)12月5日)は、日本の中国語学者、東京外国語大学元学長、同名誉教授。 | ||
145 | 永島福太郎 佐野市 | Wikipedia |
永島 福太郎(ながしま ふくたろう、1912年12月22日 - 2008年8月19日)は、日本の歴史学者。関西学院大学名誉教授。 | ||
146 | 都留重人 名古屋市 | Wikipedia |
都留 重人(つる しげと、1912年(明治45年)3月6日 - 2006年(平成18年)2月5日)は日本の経済学者。一橋大学名誉教授。公害の政治経済学を提唱し、雑誌『公害研究』(現『環境と公害』)創刊。 | ||
147 | 宮本正太郎 尾道市 | Wikipedia |
宮本 正太郎(みやもと しょうたろう、1912年12月1日 - 1992年5月11日)は、日本の天文学者。荒木俊馬の弟子の1人で、惑星気象学の開拓者として有名。広島県出身。 | ||
148 | 吉村克二 砂川市 | Wikipedia |
吉村 克二(よしむら かつじ、1912年(明治35年) - 1982年(昭和57年))は、日本の農学者・水産学者。専門は水産学・水産食品学。北海道大学及び函館短期大学名誉教授。元函館短期大学学長。北海道砂川市出身 | ||
149 | 増山元三郎 小樽市 | Wikipedia |
増山 元三郎(ますやま もとさぶろう、1912年10月3日 - 2005年7月3日)は、北海道小樽市出身の日本の数理統計学者。 | ||
150 | 青山杉雨 江南市 | Wikipedia |
青山 杉雨(あおやま さんう、1912年6月6日 - 1993年2月13日)は、書家。愛知県葉栗郡草井村大字村久野(現・江南市)生まれ。大東文化大学教授。号は杉雨、本名は文雄。 | ||
151 | 糸川英夫 太田市 | Wikipedia |
糸川 英夫(いとかわ ひでお、1912年7月20日 - 1999年2月21日)は、日本の工学者。専門は航空工学、宇宙工学。ペンシルロケットの開発者であり、「日本の宇宙開発・ロケット開発の父」と呼ばれる。 | ||
152 | 古川哲史 国分市 | Wikipedia |
古川 哲史(ふるかわ てつし、1912年5月8日 - 2011年8月22日)は、日本の倫理学者。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
153 | 新田次郎 武蔵野市 | Wikipedia |
新田 次郎(にった じろう、本名:藤原 寛人(ふじわら ひろと)、1912年6月6日 - 1980年2月15日)は、日本の小説家、気象学者。無線電信講習所(現在の電気通信大学)卒業。 |
研究者・研究家・発明家
154 | 西山松之助 赤穂市 | Wikipedia |
西山 松之助(にしやま まつのすけ、1912年6月28日 - 2012年1月8日)は、日本の歴史学者。東京教育大学名誉教授。 | ||
155 | 源氏鶏太 富山市 | Wikipedia |
源氏 鶏太(げんじ けいた、1912年(明治45年)4月19日 - 1985年(昭和60年)9月12日 )は、日本の小説家。富山市出身。旧制富山商業学校(現・富山県立富山商業高等学校)卒。本名、田中富雄。ペンネームの由来は「平家より源氏が好きなこと」と「『鶏』という字が好きで、『鶏太』とすると、昔の武士の名前のようになる」という理由。長男の田中継根はロシア文学研究者で東北大学名誉教授。 | ||
156 | 浜名志松 天草市 | Wikipedia |
浜名 志松(濱名 志松、はまな しまつ、1912年10月12日 - 2009年1月9日)は、日本の民俗学者、天草文化研究家、キリシタン研究家。 |
画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家・漆芸家・工芸家
157 | 村上三島 | Wikipedia |
村上 三島(むらかみ さんとう、本名 村上 正一、むらかみ まさかず、1912年(大正元年)8月25日 - 2005年(平成17年)11月20日)は、日本の書家。勲三等旭日中綬章受章者。文化勲章受章者。「現代書道の巨匠」と呼ばれている。贈従三位(没時叙位)。 | ||
158 | 中村立行 神戸市 | Wikipedia |
中村 立行(なかむら りっこう、1912年7月31日 - 1995年3月30日)は日本の写真家である。本名は中村立行(なかむらたつゆき)。 | ||
159 | 田中双鶴 | Wikipedia |
田中 双鶴(たなか そうかく、本名:田中 繁夫、1912年(明治45年) - 2000年(平成12年))は日本の書家。徳島大学名誉教授。徳島県出身。貫名菘翁研究の第一人者としても知られている。 | ||
160 | 舟越保武 | Wikipedia |
舟越 保武(ふなこし やすたけ、1912年12月7日 - 2002年2月5日)は佐藤忠良と共に戦後日本を代表する彫刻家。新制作協会彫刻部創立会員。東京藝術大学名誉教授。文化学院出身で画家の妻道子との間に子供6人。次男の舟越桂や三男の舟越直木も彫刻家として活躍。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
161 | 井手宣通 御船町 | Wikipedia |
井手 宣通(いで のぶみち、1912年(明治45年)2月1日 - 1993年(平成5年)2月1日)は、日本の洋画家。熊本県上益城郡御船町出身。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
162 | 宮崎精一 人吉市 | Wikipedia |
宮崎 精一(みやざき せいいち。1912年11月24日 - 1996年1月7日 )は、日本の洋画家。 | ||
163 | 丸木俊 秩父別町 | Wikipedia |
丸木 俊(まるき とし、1912年2月11日 - 2000年1月13日)は洋画家である。 | ||
女子美術大学出身 出身の女子美術大学の出身者 全国の女子美術大学の出身者 | ||
164 | 佐藤忠良 | Wikipedia |
佐藤 忠良(さとう ちゅうりょう、1912年7月4日 - 2011年3月30日)は日本の彫刻家。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
165 | 奥田元宋 三次市 | Wikipedia |
奥田 元宋(おくだ げんそう、1912年(明治45年)6月7日 - 2003年(平成15年)2月15日)は、日本画家、日本芸術院会員。「元宋の赤」といわれる独特な赤色が特徴。本名は奧田 嚴三(おくだ げんぞう)。妻の奥田小由女は人形作家、日本芸術院会員。 | ||
166 | 船田玉樹 | Wikipedia |
船田 玉樹(ふなだ ぎょくじゅ、1912年〈大正元年〉10月29日 - 1991年〈平成3年〉2月4日)は、日本画を中心に制作した美術家。本名・信夫。 | ||
167 | 佐藤忠良 | Wikipedia |
佐藤 忠良(さとう ちゅうりょう、1912年7月4日 - 2011年3月30日)は日本の彫刻家。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
168 | 宮本竹逕 福山市 | Wikipedia |
宮本 竹逕(みやもと ちくけい、1912年9月25日 - 2002年10月7日)は、日本の書家、かな書家。広島県福山市赤坂町出身。本名は宮本顕一(みやもとけんいち)。 | ||
169 | 水船六洲 呉市 | Wikipedia |
水船 六洲(みずふね ろくしゅう、1912年(明治45年)3月26日[3] - 1980年(昭和55年)6月30日[3])とは、日本の彫刻家[3]、版画家[4]。広島県呉市草里町(現東中央2丁目)出身[4]。本名は田中六洲。なお、本名の名前読みは漢字「六洲」を「むつくに」と読む[4]。実兄に洋画家水船三洋があり[4]、実父も書家だった[4]。 | ||
170 | 金城次郎 那覇市 | Wikipedia |
金城 次郎(きんじょう じろう、1912年(大正元年)12月3日 - 2004年(平成16年)12月24日)は那覇市生まれの陶芸家。国の重要無形文化財「琉球陶器」保持者(沖縄県で初の人間国宝)。子の須美子、孫の宮城三成も陶芸家。 | ||
171 | 松本竣介 盛岡市 | Wikipedia |
松本 竣介(まつもと しゅんすけ、1912年4月19日 - 1948年6月8日)は、日本の洋画家。 太平洋戦争が始まる8ヶ月前の1941年(昭和16年)4月、軍部による美術への干渉に抗議して、美術雑誌「みづゑ」437号に「生きてゐる画家」という文章を発表したことはよく知られている。都会の風景やそこに生きる人びとを、理知的な画風で描いた日本の画家である。 | ||
172 | 松本竣介 渋谷区 | Wikipedia |
松本 竣介(まつもと しゅんすけ、1912年4月19日 - 1948年6月8日)は、日本の洋画家。 太平洋戦争が始まる8ヶ月前の1941年(昭和16年)4月、軍部による美術への干渉に抗議して、美術雑誌「みづゑ」437号に「生きてゐる画家」という文章を発表したことはよく知られている。都会の風景やそこに生きる人びとを、理知的な画風で描いた日本の画家である。 | ||
太平洋美術学校出身 出身の太平洋美術学校の出身者 全国の太平洋美術学校の出身者 | ||
173 | 守屋多々志 大垣市 | Wikipedia |
守屋 多々志(もりや ただし、1912年(大正元年)8月10日 - 2003年(平成15年)12月22日)は岐阜県大垣市出身の日本画家。本名は正(ただし)。 | ||
174 | 加藤美代三 豊岡市 | Wikipedia |
加藤美代三(かとう みよぞう、1912年1月25日 - 2012年5月10日)は日本画家。兵庫県豊岡市生まれ。京都市立絵画専門学校(現京都市立芸術大学)卒業。中村大三郎に師事。日展に出品を続ける現役最高齢の日本画家として有名。朴土グループメンバー。 | ||
京都市立芸術大学出身 出身の京都市立芸術大学の出身者 全国の京都市立芸術大学の出身者 | ||
175 | 渡邉包夫 大多喜町 | Wikipedia |
渡邉 包夫(わたなべ かねお、1912年7月8日 - 1998年10月14日)は、日本の日本画家、書画古文書鑑定士。横山大観の弟子。 | ||
176 | 寺井直次 金沢市 | Wikipedia |
寺井 直次(てらい なおじ、1912年(大正元年)12月1日 - 1998年(平成10年)3月21日)は、蒔絵で国の重要無形文化財保持者(人間国宝)。石川県金沢市出身。 | ||
177 | 高山辰雄 | Wikipedia |
高山 辰雄(たかやま たつお、1912年(明治45年)6月26日 - 2007年(平成19年)9月14日)は、日本画家。文化勲章受章者。脚本家の高山由紀子は長女。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
178 | 白鳥映雪 小諸市 | Wikipedia |
白鳥 映雪(しらとり えいせつ、1912年7月23日 - 2007年6月15日)は、日本画家。美人画家の伝統を伊東深水より継承され、日本画壇の最高峰の画家と評された。 | ||
179 | 塚本快示 | Wikipedia |
塚本快示(つかもと かいじ、1912年12月14日 - 1990年6月10日)は日本の陶芸家。本名は塚本快兒。 |
政治家・議員・首長
180 | 細川護貞 熊本市 | Wikipedia |
細川 護貞(ほそかわ もりさだ、1912年(明治45年)7月17日 - 2005年(平成17年)10月3日、満93歳没)は、旧肥後熊本藩主細川家の第17代当主。第2次近衛内閣で内閣総理大臣秘書官を務めた。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
181 | 美濃政市 池田町 | Wikipedia |
美濃 政市(みの まさいち、1912年1月7日 - 1988年9月28日)は、日本の政治家。 | ||
182 | 亀田得治 旭川市 | Wikipedia |
亀田 得治(かめだ とくじ、1912年8月14日 - 1994年3月14日)は北海道旭川生まれの弁護士、政治家。元日本社会党参議院議員。元日本社会党大阪府連合書記長。全国革新懇代表世話人。 | ||
183 | 白石春樹 松前町 | Wikipedia |
白石 春樹(しらいし はるき、1912年(明治45年)1月2日 - 1997年(平成9年)3月30日)は、愛媛県伊予郡松前町出身の政治家。愛媛県議会議員時代に自由民主党愛媛県連を率いてリーダーシップを発揮し、保守王国愛媛の基盤を作り、愛媛県知事を4期務めた。同郷で、「四国の大将」と呼ばれた実業家・坪内寿夫とは、特に晩年、犬猿の仲であった。なお、本来は、姓の「石」には「口」の上に点「丶」の付く特字体。 | ||
184 | 林百郎 | Wikipedia |
林 百郎(はやし ひゃくろう、1912年6月10日 - 1992年6月1日)は、日本の政治家。元衆議院議員。弁護士。日本共産党所属の衆院議員として初の「永年在職議員表彰」を受ける。また、以前、総選挙の開票で翌日開票の地域が多かった時代に、都市部に強い共産党の中では、「即日開票区」で当選できる政治家であった。愛称は「百さ」。 | ||
中央大学出身 出身の中央大学の出身者 全国の中央大学の出身者 | ||
185 | 鍋島直紹 | Wikipedia |
鍋島 直紹(なべしま なおつぐ、1912年(明治45年)5月19日 - 1981年(昭和56年)11月16日)は、日本の政治家。佐賀県知事・科学技術庁長官。旧肥前鹿島藩主・鍋島家の第15代当主にあたり、地元では親しみを込めて「トンさん」(=殿様)と呼ばれた。 | ||
九州大学出身 出身の九州大学の出身者 全国の九州大学の出身者 | ||
186 | 橋本正之 下松市 | Wikipedia |
橋本 正之(はしもと まさゆき、1912年〈大正元年〉12月16日 - 1976年〈昭和51年〉9月9日)は、元山口県知事、元衆議院議員。山口県下松市笠戸島出身。 | ||
187 | 小幡五朗 ひたちなか市 | Wikipedia |
菱沼 五郎(ひしぬま ごろう、1912年8月20日 - 1990年10月3日)は、日本の政治運動家、殺人者、テロリスト、超国家主義者、政治家。別名は小幡五朗。 | ||
188 | 上林与市郎 | Wikipedia |
上林 与市郎(かんばやし よいちろう、1912年 - 1993年6月8日)は、日本の政治家、衆議院議員、日本社会党所属。栄典は、正五位・勲二等瑞宝章、羽黒町名誉町民(現・鶴岡市名誉市民) | ||
189 | 櫻内義雄 安来市 | Wikipedia |
櫻内 義雄(さくらうち よしお、1912年(明治45年)5月8日 - 2003年(平成15年)7月5日)は、日本の政治家。衆議院議員(18期)、衆議院議長(第67代)、通産大臣、農林大臣、建設大臣、国土庁長官、自民党政調会長、外務大臣、自由民主党幹事長などを歴任。元日蓮宗全国檀信徒協議会会長。従二位勲一等。 | ||
190 | 中内力 | Wikipedia |
中内 力(なかうち つとむ、1912年7月20日 - 2001年11月22日)は、日本の政治家。高知県知事を務めた。 | ||
191 | 細田吉蔵 松江市 | Wikipedia |
細田 吉蔵(細田 吉藏、ほそだ きちぞう、明治45年(1912年)5月2日 - 平成19年(2007年)2月11日)は、日本の運輸官僚、政治家、弁護士。衆議院議員(10回当選)。正三位勲一等。松江市名誉市民。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
192 | 上村千一郎 田原市 | Wikipedia |
上村 千一郎(うえむら せんいちろう、1912年1月17日 - 1991年3月19日)は、日本の政治家、弁護士。元自由民主党衆議院議員。愛知県渥美郡渥美町(現・田原市)出身。早稲田大学法学部卒業。愛知大学教授。 | ||
193 | 成田知巳 | Wikipedia |
成田 知巳(なりた ともみ、1912年9月15日 - 1979年3月9日)は日本の政治家。日本社会党政策審議会長・書記長・委員長を歴任した。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
194 | 福家俊一 | Wikipedia |
福家 俊一(ふけ としいち、1912年3月3日 - 1987年4月17日)は、日本の政治家。衆議院議員選挙に15回立候補し、当選は6回。ニックネームは「政界の寝業師」、「政界の怪物」。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
195 | 寺島隆太郎 旭市 | Wikipedia |
寺島 隆太郎(てらしま りゅうたろう、1912年3月 - 1964年7月31日)は、衆議院議員(8期)。正四位勲二等。 | ||
大東文化大学出身 出身の大東文化大学の出身者 全国の大東文化大学の出身者 | ||
196 | 和泉覚 | Wikipedia |
和泉 覚(いずみ さとる、1912年(明治44年)5月18日 - 2005年(平成17年)5月7日)は、創価学会理事長(第4代)、政治家。静岡県出身。職業軍人として、1942年(昭和17年)暮れ、最前線のニューギニアに出兵。九死に一生を得て、1946年(昭和21年)6月復員。戦後、戸田城聖の下で、柏原ヤスらと共に、創価学会の再建に奔走。同会理事、小岩支部長、江東総支部長などを経て、理事長(第4代)、日蓮正宗法華講大講頭となる。参議院議員(1期)を歴任する。 | ||
197 | 中村直 紫波町 | Wikipedia |
中村 直(なかむら ただし、1912年11月27日 - 1996年8月3日)は日本の政治家。衆議院議員(1976年~)、岩手県知事(1979年~1991年)を務めた。身長180センチ、体重80キロ(1984年の記録)と大柄だった。 | ||
岩手大学出身 出身の岩手大学の出身者 全国の岩手大学の出身者 | ||
198 | 唐橋東 | Wikipedia |
唐橋 東(からはし あずま、1912年9月1日 - 2012年4月26日)は、日本の教育者、政治家。衆議院議員(日本社会党公認、1期)、福島県喜多方市長(4期)などを歴任した。勲三等旭日中綬章。 | ||
199 | 桜内義雄 | Wikipedia |
櫻内 義雄(さくらうち よしお、1912年(明治45年)5月8日 - 2003年(平成15年)7月5日)は、日本の政治家。衆議院議員(18期)、衆議院議長(第67代)、通産大臣、農林大臣、建設大臣、国土庁長官、自民党政調会長、外務大臣、自由民主党幹事長などを歴任。元日蓮宗全国檀信徒協議会会長。従二位勲一等。 | ||
200 | 長谷川峻 | Wikipedia |
長谷川 峻(はせがわ たかし、1912年4月1日 - 1992年10月19日)は、日本の政治家、自由民主党衆議院議員。宮城県栗原郡若柳町(現在の栗原市)出身。正三位勲一等旭日大綬章。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
201 | 本間俊一 | Wikipedia |
本間 俊一(ほんま しゅんいち、1912年11月 - 1958年8月20日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員。中新田町長、宮城県知事を務めた本間俊太郎は長男。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
202 | 細田吉蔵 世田谷区 | Wikipedia |
細田 吉蔵(細田 吉藏、ほそだ きちぞう、明治45年(1912年)5月2日 - 平成19年(2007年)2月11日)は、日本の運輸官僚、政治家、弁護士。衆議院議員(10回当選)。正三位勲一等。松江市名誉市民。 | ||
203 | 小柳勇 | Wikipedia |
小柳勇(こやなぎ いさむ、1912年(明治45年)1月4日 - 2005年(平成17年)12月11日)は、昭和期の政治家。日本社会党参議院議員。熊本県出身。 | ||
204 | 喜屋武眞榮 北中城村 | Wikipedia |
喜屋武 眞榮(きゃん しんえい、1912年7月25日 - 1997年7月16日)は、日本の政治家。参議院議員(5期)を務めた。沖縄県出身。「沖縄革新共闘」の候補者として、革新統一運動の象徴的存在だった。また、琉球舞踊など、沖縄の伝統文化を普及・継承する活動も行った。 | ||
205 | 國場幸昌 国頭村 | Wikipedia |
國場 幸昌(こくば こうしょう、1912年9月27日 - 1989年2月20日)は、日本の政治家。元衆議院議員(6期)。沖縄開発政務次官(第5代、第6代、第9代、第10代)を務めた。沖縄県国頭郡国頭村出身。海軍航空学校卒業。 | ||
206 | 井出一太郎 | Wikipedia |
井出 一太郎(いで いちたろう、1912年1月4日 - 1996年6月2日)は日本の政治家。 | ||
信州大学出身 出身の信州大学の出身者 全国の信州大学の出身者 | ||
207 | 貝澤正 平取町 | Wikipedia |
貝澤 正(かいざわ ただし、1912年 - 1992年2月3日)は、元平取町議会議員、元北海道ウタリ協会副理事長。北海道平取町出身。 | ||
208 | 小坂善太郎 長野市 | Wikipedia |
小坂 善太郎(こさか ぜんたろう、1912年(明治45年)1月23日 - 2000年(平成12年)11月26日)は、日本の政治家。自由民主党の衆議院議員(16期)で、外務大臣、労働大臣、経済企画庁長官を歴任した。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
209 | 和田鶴一 | Wikipedia |
和田 鶴一(わだ つるいち、1912年(明治45年)3月27日 - 1973年(昭和48年)6月1日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。 | ||
210 | 福田昌子 吉富町 | Wikipedia |
福田 昌子(ふくだ まさこ、1912年7月8日 - 1975年12月30日)は学校法人純真女子学園(現・学校法人純真学園)の創立者。衆議院議員。医学博士。福岡県築上郡吉富町出身。 | ||
東京女子医科大学出身 出身の東京女子医科大学の出身者 全国の東京女子医科大学の出身者 |
評論家
211 | 久保田正文 | Wikipedia |
久保田 正文(くぼた まさふみ、1912年9月28日 - 2001年6月6日)は、小説家、評論家。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
212 | 茨木憲 | Wikipedia |
茨木 憲(いばらき ただし、1912年10月2日 - 1998年1月22日)は、日本の演劇評論家。 | ||
213 | 武智鉄二 | Wikipedia |
武智 鉄二(たけち てつじ、旧字体:鐡二、大正元年(1912年)12月10日 - 昭和63年(1988年)7月26日)は、大阪市出身の日本の演劇評論家、演出家、映画監督。役者の型や口伝に影響されない狂言作者の意図に忠実な武智歌舞伎を世に問うたことで知られるほか、わいせつ図画公然陳列罪で起訴された「黒い雪裁判」の被告人の一人としても知られる。本名ははじめ武智 鐡二、のち西村 鐡二(にしむら– )、のち川口 鐡二(かわぐち– )。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
214 | 福田恆存 文京区 | Wikipedia |
福田 恆存(ふくだ つねあり、1912年(大正元年)8月25日 - 1994年(平成6年)11月20日)は、日本の評論家、翻訳家、劇作家、演出家。1969年(昭和44年)から1983年(昭和58年)まで京都産業大学教授を務めた。1981年(昭和56年)より日本芸術院会員。名前は有職読みで「ふくだ こうそん」とも呼ばれる[2]。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
215 | 吉田健一 | Wikipedia |
吉田 健一(よしだ けんいち、1912年(明治45年)4月1日 - 1977年(昭和52年)8月3日)は、日本の英文学翻訳家、評論家、小説家である。父は吉田茂、母・雪子は牧野伸顕(内大臣)の娘で、大久保利通の曾孫にあたる。ケンブリッジ大学中退。誕生日については、戸籍上は4月1日だが、吉田家では3月27日に祝っていた。英文学、フランス文学を中心としたヨーロッパ文学の素養をもとに、評論や小説を著した。また、イギリス文学の翻訳も多数行っている。父と親交の深かった長谷川如是閑の肝いりで、中央大学文学部教授(英文学)を一時期務めた。 |
宗教家・思想家・運動家
216 | 原田東岷 広島市 | Wikipedia |
原田 東岷(はらだ とうみん、1912年 - 1999年(平成11年)6月25日)は、日本の外科医、平和運動家。広島市出身。 | ||
217 | 日高一輝 鶴岡市 | Wikipedia |
日高 一輝(ひだか いっき、本名:鈴木 芳郎 すずきよしろう、1912年(明治45年)1月6日 - 没年不明)は、日本の平和運動家、元世界連邦建設同盟理事長。元日本ラッセル協会常任理事。山形県鶴岡市出身。 | ||
218 | 本田弘慈 坂井市 | Wikipedia |
本田 弘慈(ほんだ こうじ、1912年3月31日 - 2002年4月6日)は、日本の牧師。 | ||
日本大学出身 出身の日本大学の出身者 全国の日本大学の出身者 | ||
219 | 田内千鶴子 高知市 | Wikipedia |
田内 千鶴子(たうち ちづこ、1912年(大正元年)10月31日 - 1968年(昭和43年)10月31日)は韓国で孤児救済のために生涯をかけたクリスチャン。牧師の尹致浩と結婚後は尹千鶴子。「木浦の母」「韓国孤児の母」と呼ばれる。 | ||
220 | 太田薫 津山市 | Wikipedia |
太田 薫(おおた かおる、1912年1月1日 - 1998年9月14日)は、昭和期の労働運動家、元日本労働組合総評議会議長。元宇部窒素(現・宇部興産)企画課長。春闘方式を定着させた人物。 | ||
221 | 菱沼五郎 那珂市 | Wikipedia |
菱沼 五郎(ひしぬま ごろう、1912年8月20日 - 1990年10月3日)は、日本の政治運動家、殺人者、テロリスト、超国家主義者、政治家。1932年の血盟団事件で団琢磨を射殺した実行犯。別名は小幡五朗。 | ||
222 | 東井義雄 豊岡市 | Wikipedia |
東井義雄(とういよしお/ぎゆう、1912年(明治45年)4月9日 - 1991年(平成3年)4月18日)は、日本の教育者、浄土真宗僧侶。 |
俳人・歌人・詩人・歌人
223 | 清水崑 | Wikipedia |
清水 崑(しみず こん、本名:清水 幸雄、1912年9月22日 - 1974年3月27日)は昭和の漫画家。長崎県長崎市出身。妻は歌人の清水恒子、その姉は俳人の石橋秀野(山本健吉夫人)。 | ||
224 | 濱梨花枝 行田市 | Wikipedia |
濱 梨花枝(はま りかえ、本名:榎本美佐夫、1912年(大正元年)8月4日 - 1998年(平成10年)3月8日)は、日本の歌人・作詞家。埼玉県北埼玉郡埼玉村(現在の行田市)出身[3]。 | ||
225 | 吉川金次 さくら市 | Wikipedia |
吉川 金次(よしかわ きんじ、1912年(明治45年) - 1996年(平成8年))は、栃木県出身の日本の俳人。鋸職人、日本の鋸研究家。第十四回文化人間賞受賞。 | ||
226 | 多田裕計 | Wikipedia |
多田 裕計(ただ ゆうけい、1912年8月18日 - 1980年7月8日)は、日本の小説家・俳人。福井県福井市出身。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
227 | 平野峯郎 君津市 | Wikipedia |
平野 峯郎(ひらの みねろう、1912年9月19日 - 2002年12月22日)は、日本の歌人。千葉県君津郡貞元村生まれ。北原白秋が主宰する多磨短歌会の会員などを経て、1952年より山本康夫に師事。君津市の鹿野山には峯郎の短歌を刻んだ歌碑が建てられている[5]。 | ||
228 | 福田廣宣 久留米市 | Wikipedia |
福田廣宣(ふくだ ひろのぶ、1912年1月5日 - )は、日本の歌人。 | ||
229 | 宮崎信義 米原市 | Wikipedia |
宮崎 信義(みやざき のぶよし 1912年2月24日 - 2009年1月2日)は、日本の歌人。口語自由律短歌(いわゆる新短歌)の隆盛に努めた。短歌雑誌「未来山脈」代表。京都歌人協会委員長。新短歌人連盟会長。現代歌人協会会員。 | ||
神奈川大学出身 出身の神奈川大学の出身者 全国の神奈川大学の出身者 | ||
230 | 宮柊二 魚沼市 | Wikipedia |
宮 柊二(みや しゅうじ、1912年(大正元年)8月23日 - 1986年(昭和61年)12月11日)は、昭和時代に活躍した歌人。本名は宮肇(はじめ)。 | ||
231 | 下村梅子 福岡市 | Wikipedia |
下村 梅子(しもむら うめこ、1912年〈明治45年〉5月7日 - 2012年〈平成24年〉5月10日)は、日本の俳人。福岡県生まれ。「かつらぎ」特別同人。阿波野青畝に師事。「かつらぎ」の代表作家。夫は俳人の下村非文(1902年 - 1987年)。俳人協会名誉会員。 | ||
232 | 阿部富美子 | Wikipedia |
阿部富美子(あべ ふみこ、1912年1月4日 - )は、日本の詩人。群馬県生まれ。 | ||
233 | 槇村浩 高知市 | Wikipedia |
槇村 浩(まきむら こう、1912年6月1日 - 1938年9月3日)、は、日本のプロレタリア詩人。本名:吉田 豊道(よしだ とよみち) | ||
234 | 古関金子 豊橋市 | Wikipedia |
古関 金子(こせき きんこ、1912年〈明治45年〉3月6日 - 1980年〈昭和55年〉7月23日)は、日本の声楽家、詩人。旧姓、内山。 |
その他の職業
235 | 法月惣次郎 焼津市 | Wikipedia |
法月惣次郎(のりづき そうじろう、1912年(明治45年)1月1日 - 1995年(平成7年)3月12日)は望遠鏡製作者。 | ||
236 | 大野昭和斎 倉敷市 | Wikipedia |
大野 昭和斎(おおの しょうわさい、1912年3月4日 - 1996年8月30日)は、日本の木工芸家。本名は片岡誠喜男(かたおか せきお)。重要無形文化財「木工芸」の保持者(いわゆる人間国宝)。木工芸の人間国宝としては中臺瑞真とともに3番目の認定者(1984年)である。 | ||
237 | オノサト・トシノブ 桐生市 | Wikipedia |
オノサト・トシノブ(1912年6月8日-1986年11月30日)は、日本の芸術家。長野県飯田市生まれ、群馬県立桐生高等学校卒業。本名は小野里利信。 |