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宝塚・女優・俳優・声優・ナレーター・歌舞伎・能楽・狂言
1 | 坊屋三郎 夕張市 | Wikipedia |
坊屋 三郎(ぼうや さぶろう、本名:柴田俊英、1910年3月28日 - 2002年5月25日)は、日本の芸人、俳優。北海道夕張市出身。 | ||
2 | 長浜藤夫 金沢市 | Wikipedia |
長浜 藤夫(ながはま ふじお、1910年11月27日 - 1983年8月1日)は、石川県出身の俳優。本名は竹村 時之(たけむら ときゆき)。 | ||
3 | 谷晃 大阪市 | Wikipedia |
谷 晃(たに あきら、本名 道家 巻蔵、1910年9月22日 - 1966年8月11日)は、大阪府大阪市出身の俳優、演出家。 | ||
4 | 十三代目片岡我童 | Wikipedia |
十三代目 片岡我童(じゅうさんだいめ かたおか がどう、明治43年(1910年)7月6日 - 平成5年(1993年)12月31日)は歌舞伎役者。本名は片岡 一(かたおか はじめ)。十三代目片岡仁左衛門とともに不振の上方歌舞伎の復興につとめ、また女形としても活躍した。 | ||
5 | 高砂屋五代目中村福助 | Wikipedia |
高砂屋五代目 中村福助(たかさごや ごだいめ なかむら ふくすけ、1910年(明治43年)7月21日 - 1969年(昭和44年)1月1日)は大阪の歌舞伎役者。本名(戸籍名)は笹木 徳太郎(ささき とくたろう)。 | ||
6 | 宇佐美淳 | Wikipedia |
宇佐美 淳(うさみ じゅん、本名:駒木 五郎、1910年9月1日 - 1980年5月9日)は、日本の俳優。宇佐美淳也、宇佐美諄の芸名でも活躍した。孫娘は、女優、モデル、リポーターの駒木宏美。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
7 | 山村聰 天理市 | Wikipedia |
山村 聰(やまむら そう、1910年(明治43年)2月24日 - 2000年(平成12年)5月26日)は、日本の俳優・映画監督。映画やテレビドラマやDVDのクレジットによっては山村聡の表記もある。 奈良県天理市出身。 |
歌手・シンガー
8 | 岸井明 中央区 | Wikipedia |
岸井 明(きしい あきら、1910年10月13日 - 1965年7月3日)は日本のコメディアン、俳優、歌手。 | ||
日本大学出身 出身の日本大学の出身者 全国の日本大学の出身者 | ||
9 | 伊藤久男 | Wikipedia |
伊藤 久男(いとう ひさお、1910年(明治43年)7月7日 - 1983年(昭和58年)4月25日)は日本の歌手。本名:伊藤 四三男(いとう しさお)。福島県本宮市出身。本名の四三男は生年の明治43年に由来。元妻は戦前にコロムビアレコード等で活躍した元芸者歌手赤坂百太郎(大西ふさ子)。 | ||
東京農業大学出身 出身の東京農業大学の出身者 全国の東京農業大学の出身者 | ||
10 | 波岡惣一郎 | Wikipedia |
波岡 惣一郎(なみおか そういちろう、1910年(明治43年) - 1951年(昭和26年)12月10日)は 青森県出身の歌手。 | ||
11 | 渡辺はま子 横浜市 | Wikipedia |
渡辺 はま子(わたなべ はまこ、1910年(明治43年)10月27日 - 1999年(平成11年)12月31日)は戦前から戦後にかけて活躍した日本の流行歌手。神奈川県横浜市出身。本名 加藤 浜子。生涯横浜で過ごした。愛称は「おはまさん」。 | ||
武蔵野音楽大学出身 出身の武蔵野音楽大学の出身者 全国の武蔵野音楽大学の出身者 |
演奏家・作詞家・作曲家・ミュージシャン
12 | 南里文雄 | Wikipedia |
南里 文雄(なんり ふみお、1910年11月24日 - 1975年8月4日)はジャズ・トランペット奏者で、ルイ・アームストロングに「日本のサッチモ」とあだ名が付けられた。彼は、彼の母国外で名声をはせるようになった、とりわけ初期の日本のジャズ・ミュージシャンの一人である。長年続いている日本のジャズの賞、「南里文雄賞」は、彼の名前に由来している。息子には、トランペット奏者の南里雄一郎がいる。 | ||
13 | 高橋竹山 平内町 | Wikipedia |
初代・高橋 竹山(たかはし ちくざん、1910年(明治43年)6月18日 - 1998年(平成10年)2月5日)は津軽三味線の名人。本名高橋定蔵。一地方の芸であった津軽三味線を全国に広めた第一人者である。演歌歌手北島三郎が歌った『風雪ながれ旅』のモデル。 | ||
14 | 松平国十郎 作木村 | Wikipedia |
松平 国十郎(まつだいら くにじゅうろう、1910年3月16日 - 1997年4月5日)は、昭和期の浪曲師。広島県双三郡作木村(現三次市)出身。本名・松田巧(「居茶雄」と称した時期もある)。浪曲最後の隆盛期に木村若衛、天中軒雲月、東家浦太郎とともに“四天王”と呼ばれた浪曲師。 | ||
15 | 平井康三郎 | Wikipedia |
平井 康三郎(ひらい こうざぶろう、1910年(明治43年)9月10日 - 2002年(平成14年)11月30日)は、戦後日本の作曲家。 | ||
16 | 小林千代子 | Wikipedia |
小林 千代子(こばやし ちよこ、1910年7月30日 - 1976年11月25日)は、日本の戦前期に活動した流行歌歌手・声楽家である。北海道小樽市出身。別名、金色仮面・小林伸江。 | ||
東京音楽大学出身 出身の東京音楽大学の出身者 全国の東京音楽大学の出身者 | ||
17 | 外崎幹二 | Wikipedia |
外崎 幹二(とのさき かんじ、1910年 - 1986年8月15日)は青森県出身の作曲家・音楽理論家。 |
舞台・演劇・映画・ドラマ・脚本・プロデューサー・ディレクター
18 | 藤本真澄 | Wikipedia |
藤本 真澄(ふじもと さねずみ、1910年7月15日 - 1979年5月2日)は、日本の映画プロデューサー。元東宝株式会社副社長、株式会社東宝映画初代社長。日本映画黄金期の名作を多数手掛けた同社看板プロデューサー。 | ||
19 | 三益愛子 大阪市 | Wikipedia |
三益 愛子(みます あいこ、1910年(明治43年)11月2日 - 1982年(昭和57年)1月18日)は、戦後、母物映画で一世を風靡し、「母物映画女優」と呼ばれた。 | ||
20 | 花岡菊子 静岡市 | Wikipedia |
花岡 菊子(はなおか きくこ、1910年9月11日 - 1984年6月12日)は、日本の女優である[5][6][7][8][9][10][11]。出生名は瀧川 幾代(たきがわ いくよ)、結婚後本名は松崎 幾代(まつざき いくよ)[7]。1920年代末の松竹蒲田撮影所の喜劇女優として知られ、戦後は新東宝に所属、脇役俳優として映画に多く出演した。 | ||
21 | 黒澤明 大仙市 | Wikipedia |
黒澤 明(くろさわ あきら、新字体:黒沢、1910年(明治43年)3月23日 - 1998年(平成10年)9月6日)は、日本の映画監督、脚本家である。妻は女優の矢口陽子。 | ||
22 | 堀内真直 | Wikipedia |
堀内 真直(ほりうち まなお、1910年10月7日 - 1980年5月16日)は、日本の映画監督、脚本家である。松竹大船撮影所のプログラムピクチャーの名手として知られ、松竹退職後のテレビ映画においても、手腕を発揮した。 | ||
23 | 黒澤明 品川区 | Wikipedia |
黒澤 明(くろさわ あきら、新字体:黒沢、1910年(明治43年)3月23日 - 1998年(平成10年)9月6日)は、日本の映画監督、脚本家、映画製作者である。妻は元女優の矢口陽子。 | ||
24 | 山本薩夫 鹿児島市 | Wikipedia |
山本 薩夫(やまもと さつお、1910年7月15日 - 1983年8月11日)は、日本の映画監督である。鹿児島県出身。早稲田大学文学部独文科中退。甥たち(兄山本勝巳の子)が、俳優の山本學、山本圭、山本亘で、自身の作品への配役も多い。息子の山本駿、山本洋も映画監督。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
25 | 山村聡 天理市 | Wikipedia |
山村 聰(やまむら そう、1910年(明治43年)2月24日 - 2000年(平成12年)5月26日)は、日本の俳優・映画監督。映画やテレビドラマやDVDのクレジットによっては山村聡の表記もある。 奈良県天理市出身。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
26 | 萩原遼 大阪市 | Wikipedia |
萩原 遼(はぎわら りょう、1910年 - 1976年4月3日)は、日本の映画監督、脚本家。第二次世界大戦前の京都にかつて存在した脚本家集団「鳴滝組」に最年少で参加、映画史に名を残す。戦後は東映京都のプログラムピクチャーの名手として知られる。本名-陣蔵(-じんぞう)。 | ||
27 | 白洲正子 町田市 | Wikipedia |
白洲 正子(しらす まさこ、1910年(明治43年)1月7日 - 1998年(平成10年)12月26日)は随筆家。 「白州正子」は誤記。女性として初めて能舞台に立った。東奔西走する姿から、「韋駄天お正」とあだ名された。読売文学賞二度受賞。 | ||
28 | 大江美智子(初代) 大阪市 | Wikipedia |
初代 大江 美智子(おおえ みちこ、1910年2月11日 - 1939年1月6日)は、日本の女優である。市川右太衛門プロダクションで剣戟映画のヒロインを務めた後、舞台女優に転向、女剣劇の一座を旗揚げして一時代を築いた。大江の名跡は弟子の大川美恵子が継いだ。 |
ダンサー
29 | 東勇作 | Wikipedia |
東 勇作(あずま ゆうさく、1910年4月18日 - 1971年8月4日)は、日本のバレエダンサー、振付家である。 |
ジャーナリスト
30 | 亀井トム 台東区 | Wikipedia |
亀井 トム(かめい とむ、1910年12月29日 - 没年不明)は日本のジャーナリスト。「週刊埼玉」社長。本名、亀井 兎夢。出生名、久松 兎夢。トム・カメイ名義による著作もある。 | ||
日本大学出身 出身の日本大学の出身者 全国の日本大学の出身者 |
格闘技
31 | 中倉清 東串良町 | Wikipedia |
中倉 清(なかくら きよし、1910年(明治43年)9月24日 - 2000年(平成12年)2月9日)は、日本の剣道家。段位は剣道範士九段、居合道範士九段(全日本剣道連盟)。流派は神道無念流剣術、夢想神伝流居合。職業は警察官(宮内省皇宮警察、鹿児島県警察)。 | ||
32 | 國光鉄太郎 由利本荘市 | Wikipedia |
國光 鉄太郎(くにひかり てつたろう、1910年1月10日-1985年8月22日)は、楯山部屋、伊勢ヶ濱部屋に所属した元力士。13代濱風、8代谷川、6代君ヶ濱。本名は奥山鐵太郎。現在の秋田県由利本荘市出身。 171cm、84kg。最高位は東十両2枚目。 | ||
33 | 大澤喜三郎 | Wikipedia |
大澤喜三郎(おおさわ きさぶろう、1910年(明治43年)12月28日-1991年(平成3年))は日本の合気道家。合気道創始者植芝盛平の高弟であり、戦後の合気会の発展に尽力した。合気会九段(没後十段に列せられた)。 | ||
34 | 関口恒五郎 渋川市 | Wikipedia |
関口 恒五郎(せきぐち つねごろう 1910年7月29日 - 1988年11月3日)は、昭和時代の日本の柔道家・関口病院院長。全日本学生柔道連盟会長などを歴任。講道館八段 | ||
東京医科大学出身 出身の東京医科大学の出身者 全国の東京医科大学の出身者 | ||
35 | 萱場照雄 角田市 | Wikipedia |
萱場 照雄(かやば てるお、1910年(明治43年)8月1日 - 1984年(昭和59年)7月3日)は、日本の剣道家。段位は範士八段。 | ||
36 | 沖ツ海福雄 宗像市 | Wikipedia |
沖ツ海 福雄(おきつうみ ふくお、1910年5月28日 - 1933年9月30日)は、福岡県宗像郡(現:福岡県宗像市)出身の元大相撲力士。本名は北城戸 福松(きたじょうと ふくまつ)。 |
野球
37 | 西村幸生 伊勢市 | Wikipedia |
西村 幸生(にしむら ゆきお、1910年11月10日 - 1945年4月3日)は、1930年代の日本を代表する職業野球選手(投手)。三重県宇治山田市世古町(現:伊勢市大世古町)出身。 | ||
38 | 大橋棣 | Wikipedia |
大橋 棣(おおはし やすし、1910年7月17日 - 2004年9月9日)は大阪府出身のプロ野球選手、野球指導者(高校野球・社会人野球監督)。 | ||
39 | 西垣徳雄 神戸市 | Wikipedia |
西垣 徳雄(にしがき とくお、1910年1月22日 - 1989年5月13日)は、兵庫県出身の野球選手。1950年発足の国鉄スワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)初代監督。 | ||
法政大学出身 出身の法政大学の出身者 全国の法政大学の出身者 | ||
40 | 井手俊郎 唐津市 | Wikipedia |
井手 俊郎(いで としろう、1910年4月11日 - 1988年7月3日)は日本の脚本家。子はプロ野球・元中日ドラゴンズ選手の井手峻。筆名(併用)=権藤利英、三木克巳。 | ||
41 | 牧野直隆 | Wikipedia |
牧野 直隆(まきの なおたか、1910年10月6日 - 2006年7月18日)は、鹿児島県出身の野球選手、指導者、日本高等学校野球連盟会長。 | ||
42 | 水谷則一 名古屋市 | Wikipedia |
水谷 則一(みずたに のりかず、1910年9月1日 - 1984年8月29日)は、愛知県名古屋市出身のプロ野球選手(外野手)、野球指導者(プロ野球監督)。 |
冬季スポーツ
43 | 関口勇 小樽市 | Wikipedia |
関口 勇(せきぐち いさむ、1910年10月28日 - 未詳)は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ、ノルディック複合、アルペンスキー選手。 |
陸上競技全般
44 | 宮崎秀吉 浜松市 | Wikipedia |
宮崎 秀吉(みやざき ひできち、1910年(明治43年)9月22日 - 2019年(平成31年)1月23日)は、日本の陸上競技選手(短距離走)。2019年現在、105歳以上の部での世界記録保持者である。 | ||
45 | 西田修平 那智勝浦町 | Wikipedia |
ロサンゼルス五輪・ベルリン五輪銀メダリスト | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 |
競馬・競輪・競艇・その他レース
46 | 矢倉玉男 札幌市 | Wikipedia |
矢倉 玉男(やぐら たまお、1910年10月25日 - 没年不詳)は、日本の競馬騎手、調教師。北海道出身。 |
漫画家・イラスト・ゲーム
47 | 旭凛太郎 新潟市 | Wikipedia |
旭 凛太郎(あさひ りんたろう、2月13日 - )は、日本の漫画家。新潟県新潟市出身。血液型はB型。 | ||
48 | 秋玲二 唐津市 | Wikipedia |
秋 玲二(あき れいじ、1910年(明治43年)11月1日 - 2006年(平成18年)2月24日 は、日本の漫画家、画家。佐賀県唐津市出身。本名古川 善男(ふるかわ よしお)。 |
作家・小説家・エッセイ・文筆・翻訳家・編集者
49 | 山田克郎 金沢市 | Wikipedia |
山田 克郎(やまだ かつろう、1910年11月5日 - 1983年4月26日)は、日本の小説家。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
50 | 津川武一 | Wikipedia |
津川 武一(つがわ たけいち、1910年8月2日 - 1988年9月4日)は、日本の政治家、精神科医、作家である。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
51 | 大和球士 草加市 | Wikipedia |
大和 球士(やまと きゅうし、1910年4月14日 - 1992年3月4日)は、日本のスポーツライター。本名:安藤 教雄[2](あんどう のりお)。埼玉県出身。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
52 | 黒柳朝 滝川市 | Wikipedia |
黒柳 朝(くろやなぎ ちょう、1910年9月6日 - 2006年8月16日)は、日本の随筆家である。 | ||
東京音楽大学出身 出身の東京音楽大学の出身者 全国の東京音楽大学の出身者 | ||
53 | 斯波四郎 山口市 | Wikipedia |
斯波 四郎(しば しろう、1910年4月7日 - 1989年4月29日)は山口県阿東町(現:山口市)出身の作家で、本名は柴田 四郎である。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
54 | 中江良夫 室蘭市 | Wikipedia |
中江 良夫(なかえ よしお、1910年5月3日 - 1986年1月8日)は、日本の劇作家、脚本家である。 | ||
55 | 白木茂 | Wikipedia |
白木 茂(しらき しげる、1910年2月19日 - 1977年8月5日)は、日本の児童文学者、翻訳家。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
56 | 大滝重直 | Wikipedia |
大滝 重直(おおたき しげなお、1910年11月5日 - 1990年)は、日本の小説家。 秋田県生まれ。1929年秋田県立本荘中学校卒。秋田魁新報記者を務めたのち、島木健作に師事。37年から満洲に渡り現地農村を調査。42年「解氷期」で大陸開拓文学賞受賞。 | ||
57 | 石上玄一郎 札幌市 | Wikipedia |
石上 玄一郎(いしがみ げんいちろう、1910年3月27日 - 2009年10月5日)は日本の小説家。姓は「いそのかみ」と読まれていた時期もあるが、1981年頃から「いしがみ」と訂正した。 | ||
58 | 船山春子 和水町 | Wikipedia |
船山 春子(ふなやま はるこ、1910年〈明治43年〉6月25日 - 1981年〈昭和56年〉8月5日[11])は、日本の編集者、小説家。夫は小説家の船山馨。旧姓は坂本 春子(さかもと はるこ)、筆名は佐々木 翠(ささき みどり)。 | ||
59 | 伊藤佐喜雄 津和野町 | Wikipedia |
伊藤 佐喜雄(いとう さきお、1910年8月3日 - 1971年10月17日)は、作家。 | ||
60 | 小田仁二郎 | Wikipedia |
小田仁二郎(おだ じんじろう、1910年12月8日-1979年5月21日)は、日本の小説家。 |
弁護士
61 | 大塚喜一郎 舞鶴市 | Wikipedia |
大塚 喜一郎(おおつか きいちろう、1910年(明治43年)2月5日 - 1988年(昭和63年)8月26日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事。京都府舞鶴市出身。 |
建築家・建築学者・技術者
62 | 高山英華 杉並区 | Wikipedia |
高山 英華(たかやま えいか 1910年4月20日 - 1999年7月23日)は日本の都市計画家、建築家。東京大学工学部名誉教授。近代都市計画学の創始者。建築系の都市計画学者で、また都市工学の先駆者として都市再開発から広く地域開発、都市防災の推進等を通しまちづくり事業に貢献し、都市計画分野に大きな足跡を残す。工学博士。東京出身。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
経営者・実業家
63 | 三春重雄 大崎市 | Wikipedia |
三春 重雄(みはる しげお、1910年3月17日 - 1996年1月8日)は、宮城県志田郡古川町(現・大崎市)生まれ、旧制古川中学校(宮城県古川高等学校)、法政大学出身、日本の政治家。元・宮城県議会議員、日本社会党宮城県本部委員長、日ソ協会(現・日本ユーラシア協会)宮城連合会長、河北新報社厚生部部長などを歴任。第46代内閣総理大臣の片山哲は義理の叔父にあたる。 | ||
64 | 阿部雅信 神山町 | Wikipedia |
阿部 雅信(あべ まさのぶ、1910年 - 1981年)は、日本の実業家。木材卸の阿部木材工業創業者。競走馬の馬主としても著名であった。同社第2代社長の阿部雅一郎は長男、第3代社長の阿部雅英は孫である。 | ||
65 | 戸崎誠喜 | Wikipedia |
戸崎 誠喜(とざき せいき、1910年(明治43年)3月18日 - 2006年(平成18年)7月3日)は、日本の実業家、伊藤忠商事社長・会長を歴任。熊本市新町出身。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
66 | 飯島藤十郎 三鷹市 | Wikipedia |
飯島 藤十郎(いいじま とうじゅうろう、1910年11月7日 - 1989年12月4日)は、山崎製パン創業者である。 | ||
67 | 森茂喜 能美市 | Wikipedia |
森 茂喜(もり しげき、1910年3月27日 - 1989年11月19日)は、日本の政治家、元軍人(陸軍中佐)。元根上村長の森喜平は父。第85・86代内閣総理大臣の森喜朗は長男。 | ||
68 | 田中友幸 柏原市 | Wikipedia |
田中 友幸(たなか ともゆき、1910年4月26日 - 1997年4月2日)は、映画プロデューサー。東宝映画代表取締役会長、日本創造企画代表取締役会長、日本アカデミー賞協会副会長、日本映画テレビプロデューサー協会顧問を歴任。ペンネームは神宮司八郎。大阪府柏原市出身。趣味は旅行。通り名として、「友幸」を「ゆうこう」読むことが多い。 | ||
69 | 浜田駿吉 南あわじ市 | Wikipedia |
浜田 駿吉(はまだ しゅんきち、1910年10月19日 – 2009年12月7日)は兵庫県神戸市生まれのフィールドホッケー選手、実業家。出身は同県の西淡町(現南あわじ市)。 オーエム製作所の会長や大和紡績(現在のダイワボウホールディングス)の常務などを務めた[3]。 | ||
70 | 杉本甫 | Wikipedia |
杉本 甫(すぎもと はじめ、1910年8月8日 - )は、日本の実業家で、市川毛織(現・イチカワ)顧問。東京府(現・東京都)出身。 | ||
71 | 中畑義愛 十津川村 | Wikipedia |
中畑 義愛(なかはた よしちか、1910年(明治43年)8月15日 - 1991年(平成3年)7月14日)は日本の実業家。元電通代表取締役社長、元日本広告業協会会長。奈良県吉野郡十津川村出身。 | ||
72 | 鈴木義雄 葉山町 | Wikipedia |
鈴木 義雄(すずき よしお、1910年(明治43年)10月3日 - 1999年(平成11年)7月23日)は、日本の実業家、通産省官僚。通産省重工業局長、日揮社長・会長、日本輸出入銀行理事などを歴任した。 | ||
73 | 児嶋恒吉 鳥取市 | Wikipedia |
児嶋 恒吉(こじま つねきち、明治43年(1910年)9月9日 - 平成3年(1991年)7月15日)は鳥取ガス株式会社の第3代社長。昭和52年(1977年)に黄綬褒章受章。 | ||
74 | 高橋勇雄 東城町 | Wikipedia |
高橋 勇雄(たかはし いさお、1910年3月14日 - 1973年5月25日)は、日本の政治家、実業家。 | ||
75 | 尾原佐七 松江市 | Wikipedia |
尾原 佐七(1910年8月25日 - 没年不明)は、日本の実業家。尾原呉服店、山陰ゴム卸(株)各社長。島根県衣料品商業協同組合会理事長。島根倉庫(株)取締役、島根県信用保証協会理事。松江商工会議所常議員。松江商店会会長。旧名一義。 | ||
76 | 亀井茲建 津和野町 | Wikipedia |
亀井 茲建(かめい これたて、1910年(明治43年)6月21日 - 1992年(平成4年)1月21日)は日本の実業家。伯爵。旧津和野藩主亀井家第15代当主。元東北開発株式会社総裁。 | ||
77 | 大平正芳 世田谷区 | Wikipedia |
大平 正芳(おおひら まさよし、1910年〈明治43年〉3月12日 - 1980年〈昭和55年〉6月12日)は、日本の大蔵官僚、政治家。池田勇人の秘書官を経て政界に進出。宏池会会長として三角大福中の一角を占め、田中角栄内閣の外相として日中国交回復に貢献。四十日抗争やハプニング解散で消耗し、選挙中に首相在任のまま死去。「アーウー宰相」や「讃岐の鈍牛」の異名がある。位階は正二位。大勲位菊花大綬章受勲。 | ||
78 | 中田乙一 小樽市 | Wikipedia |
中田 乙一(なかた おとかず、1910年8月29日 - 1999年12月28日)は、日本の実業家。元三菱地所社長。 | ||
79 | 安藤太郎 | Wikipedia |
安藤太郎(あんどう たろう、1910年(明治43年)1月3日 - 2010年5月9日)は、日本の実業家。住友銀行副頭取、住友不動産社長、会長、相談役を務めた。 | ||
80 | 真藤恒 久留米市 | Wikipedia |
真藤 恒(しんとう ひさし、1910年7月2日 - 2003年1月26日)は、日本の実業家。福岡県久留米市出身。石川島播磨重工業(現IHI) の社長、電電公社の最終代総裁、NTT初代社長・会長を務めた。また、ドクター合理化の異名を取った。息子に三井物産情報産業本部メディア事業部長、スピードネット社長、ソフトバンクBB常務、ソフトバンクIDC社長を歴任し、現IDCフロンティア取締役相談役の真藤豊がいる。 | ||
九州大学出身 出身の九州大学の出身者 全国の九州大学の出身者 | ||
81 | 進藤貞和 呉市 | Wikipedia |
進藤 貞和(しんどう さだかず、1910年3月4日 - 2002年2月22日)は、日本の実業家。三菱電機社長を歴任。広島県呉市生まれ、長崎県、高知県育ち。九州帝国大学工学部電気科卒。 | ||
九州大学出身 出身の九州大学の出身者 全国の九州大学の出身者 | ||
82 | 湧永満之 甲田町 | Wikipedia |
湧永 満之(わくなが まんじ、1910年9月10日 - 1992年8月9日)は、実業家。 湧永製薬創業者。 | ||
83 | 藤沢武夫 | Wikipedia |
藤沢 武夫(ふじさわ たけお、1910年11月10日 - 1988年12月30日)は実業家。東京市出身(本籍は父の出身地である茨城県結城市[2])。本田宗一郎と共に本田技研工業(ホンダ)を世界的な大企業に育て上げた。本田宗一郎の名参謀と言われ、本田は藤沢に実印と会社経営の全権を委ね、自らは技術者に徹していた。 | ||
84 | 花岡堅而 安曇野市 | Wikipedia |
花岡 堅而(はなおか けんじ、1910年11月12日-1997年4月22日)は日本の医師。日本医師会会長、長野大学理事長、長野五輪招致委員会の自然保護専門委員長などを務めた。 |
医師・看護師
85 | 羽生田進 | Wikipedia |
羽生田 進(はにゅうだ すすむ、1910年10月19日 - 1999年7月27日)は日本の政治家、医師。勲二等瑞宝章。陸軍軍医少尉。 | ||
86 | 桜井明弘 | Wikipedia |
桜井 明弘(さくらい あきひろ )は、日本の産婦人科医師。群馬県立高崎高等学校卒。順天堂大学医学部、同大学院卒。日本産科婦人科学会専門医。日本産科婦人科内視鏡学会技術認定医。 |
軍人
87 | 当山全信 | Wikipedia |
当山 全信(とうやま ぜんしん、1910年(明治43年) - 1945年(昭和20年)1月23日)は、日本の海軍軍人。「伊48」潜水艦長として「回天」作戦中、米駆逐艦に乗艦を撃沈され戦死した。最終階級は海軍中佐。 | ||
88 | 北川丞 佐々町 | Wikipedia |
北川 丞(きたがわ すすむ、1910年(明治43年)3月8日 - 1932年(昭和7年)2月22日)は、大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は工兵伍長。長崎県北松浦郡佐々村(現・佐々町)出身。 | ||
89 | 鈴木實 三原市 | Wikipedia |
鈴木 實(すずき みのる 1910年(明治43年)4月20日- 2001年(平成13年)10月28日)は、東京麹町生まれの大日本帝国海軍の軍人、実業家。旧海軍時代の最終階級は海軍中佐。本籍は新潟県岩船郡村上本町。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
90 | 中島正 | Wikipedia |
中島 正(なかじま ただし、1910年(明治43年)6月25日 - 1996年(平成8年)8月22日)は日本の海軍軍人、航空自衛官である。海軍では海兵58期卒業、最終階級は中佐。空自での最終階級は空将補。 | ||
91 | 作江伊之助 | Wikipedia |
作江 伊之助(さくえ いのすけ、1910年〈明治43年〉10月17日 - 1932年〈昭和7年〉2月22日)は、大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は工兵伍長。勲八等功六級。長崎県旧北松浦郡平戸町大字平戸田助浦出身。 |
官僚
92 | 森永貞一郎 小林市 | Wikipedia |
森永 貞一郎(もりなが ていいちろう、1910年9月9日 - 1986年5月30日)は日本の大蔵官僚、銀行家。元大蔵事務次官、第23代日本銀行総裁。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
93 | 鈴木俊一 | Wikipedia |
鈴木 俊一(すずき しゅんいち、1910年(明治43年)11月6日 - 2010年(平成22年)5月14日)は、日本の政治家、内務官僚。東京都名誉都民、北京市栄誉市民。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
94 | 高辻正己 | Wikipedia |
高辻 正己(たかつじ まさみ、1910年1月19日 - 1997年5月20日)は、日本の官僚、裁判官。竹下改造内閣で法務大臣を務めた。甥に元外交官の青木盛久がいる。長女・寿子は吉川元信(元大蔵省大臣官房審議官)に嫁した。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
95 | 安田巌 広島市 | Wikipedia |
安田 巌(やすだ いわお、1910年3月31日 -1996年8月24日)は、広島県広島市出身の官僚、教育者。厚生事務次官、医療金融公庫総裁、安田学園理事長を歴任した。 |
公務員
96 | 川井英良 | Wikipedia |
川井 英良(かわい ひではる、1910年1月27日 - 1997年2月14日)は日本の司法官。 | ||
97 | 大賀小四郎 西宮市 | Wikipedia |
大賀 小四郎(おおが こしろう、1910年(明治43年)11月3日 - 1991年(平成3年)2月24日)はドイツ文学者、外交官。兵庫県西宮市の甲陽中学校出身(七回卒)。配偶者はヴァイオリニストの諏訪根自子。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
98 | 石田哲一 米子市 | Wikipedia |
石田 哲一(いしだ てついち、明治43年(1910年)1月3日 - 没年不明)は、日本の裁判官。日本で最初のプライバシー侵害裁判(被告三島由紀夫)の裁判長だった。父は石田運送(名)代表社員の石田章之進。 | ||
99 | 山本清二郎 | Wikipedia |
山本 清二郎(やまもと せいじろう、1910年7月30日 - 1995年12月12日)は、日本の検察官。最高検察庁次長検事、大阪高等検察庁検事長。 | ||
中央大学出身 出身の中央大学の出身者 全国の中央大学の出身者 | ||
100 | 小倉武一 武生市 | Wikipedia |
小倉 武一(おぐら たけかず、1910年(明治43年)10月2日 - 2002年(平成14年)2月14日)は、日本の昭和時代の農林官僚、経済学者。元国際交流基金理事長で外交官の小倉和夫は息子。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
101 | 法眼晋作 | Wikipedia |
法眼 晋作(ほうげん しんさく、1910年2月11日 - 1999年7月24日)は日本の外交官。インド大使、外務審議官、外務事務次官、国際協力事業団総裁などを歴任した。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
学者・教授・准教授
102 | 中山健男 大津市 | Wikipedia |
中山 健男(なかやま たけお、1910年(明治43年)1月7日 - 1977年(昭和52年)10月17日)は、滋賀県出身の法学者。専門は憲法学。法学博士。日本法政学会理事。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
103 | 井伊直愛 彦根市 | Wikipedia |
井伊 直愛(いい なおよし、1910年7月29日 - 1993年12月2日)は、日本の水産学者、政治家、旧彦根藩主井伊家の第16代当主。伯爵。彦根市名誉市民。滋賀県出身。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
104 | 小川環樹 京都市 | Wikipedia |
小川 環樹(おがわ たまき、1910年10月3日 - 1993年8月31日)は、日本の中国文学者。字は士解。京都府京都市出身。主著に「唐詩概説」、「蘇軾」など、初心者向けの啓蒙書や訳書も多数著している。 | ||
105 | 江上不二夫 | Wikipedia |
江上 不二夫(えがみ ふじお、1910年11月21日 - 1982年7月17日)は日本の生化学者。戦後日本の生化学を牽引した一人。日本学術会議会長、国際生命の起源学会会長等を務めた。東京生まれ。考古学者江上波夫は兄。 | ||
106 | 久保田収 富山市 | Wikipedia |
久保田 収(くぼた おさむ、明治43年(1910年)7月22日 - 昭和51年(1976年)12月7日)は、日本の歴史学者。専門は神道史。文学博士。 | ||
107 | 榊原仟 | Wikipedia |
榊原 仟(さかきばら しげる、1910年10月13日 - 1979年9月28日)は日本の医学者。心臓外科の世界的権威として知られた。福井県出身。 | ||
108 | 向江璋悦 羽咋市 | Wikipedia |
向江 璋悦(むかえ てるよし、1910年2月19日 - 1980年3月25日)は、元検察官、弁護士、刑事法学者である。自他共に認める司法試験の神様としてまた死刑廃止論者として著名。 | ||
109 | 白川静 | Wikipedia |
白川 静(しらかわ しずか、1910年4月9日 - 2006年10月30日)は、日本の漢文学者・東洋学者。学位は文学博士(京都大学)。立命館大学名誉教授、名誉館友。福井県福井市出身。 | ||
立命館大学出身 出身の立命館大学の出身者 全国の立命館大学の出身者 | ||
110 | 栗原百寿 | Wikipedia |
栗原 百寿(くりはら はくじゅ、1910年12月26日 - 1955年5月24日)は、日本の農業経済学者。茨城県東茨城郡石塚町(城里町)出身。 | ||
111 | 佐藤正己 | Wikipedia |
佐藤 正己(さとう まさみ、1910年(明治43年)7月16日 - 1984年(昭和59年)8月30日)は、日本の植物学者。理学博士。山形県東田川郡山添村(現・鶴岡市)出身。地衣類研究の権威として知られている。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
112 | 岩田一男 横浜市 | Wikipedia |
岩田 一男(いわた かずお、1910年4月23日 - 1977年12月7日)は英文学者。ロバート・ルイス・スティーヴンソン研究の日本における第一人者で、スティーヴンソン・クラブの日本人唯一の会員。 | ||
113 | 上勢頭亨 | Wikipedia |
上勢頭 亨(うえせど とおる、1910年 - 1984年)は、沖縄県出身の僧・民俗学者。竹富島の民俗研究に功績があり、島の自然を守る思想的指導者的存在であった[2]。 | ||
114 | 国弘員人 柳井市 | Wikipedia |
国弘 員人(くにひろ かずひと、1910年5月20日 - 2002年以前)は、日本の経営学者。 | ||
115 | 島恭彦 敦賀市 | Wikipedia |
島 恭彦(しま やすひこ、1910年6月5日 - 1995年9月28日)は、日本の経済学者。京都大学名誉教授。経済学博士。専門は財政学。福井県敦賀市生まれ。 | ||
116 | 浦野匡彦 | Wikipedia |
浦野 匡彦(うらの まさひこ、1910年〈明治43年〉9月16日 - 1986年〈昭和61年〉12月2日)は元二松学舎大学学長・日本遺族会副会長。 | ||
二松學舍大学出身 出身の二松學舍大学の出身者 全国の二松學舍大学の出身者 | ||
117 | 高田瑞穂 湖西市 | Wikipedia |
高田 瑞穂(たかだ みずほ、1910年(明治43年)5月13日 - 1987年(昭和62年)1月10日)は、日本の近代文学者。成城大学名誉教授。 | ||
118 | 石河英夫 小樽市 | Wikipedia |
石河 英夫(いしかわ ひでお、1910年5月 - 1998年5月)は、日本の会計学者。小樽商科大学名誉教授。元札幌学院大学学長。北海道小樽市出身。高瀬荘太郎門下。 | ||
119 | 斎藤恒行 | Wikipedia |
斎藤 恒行(さいとう つねゆき、1910年5月8日 - 1984年11月9日)は、日本の水産学者。魚の鮮度判定指標(k値)の開発者。日本における水産科学、特に水産食品化学の権威として知られ、魚の鮮度・旨みの化学的分析に大きな功績を残した。 | ||
120 | 佐伯富 観音寺市 | Wikipedia |
佐伯 富(さえき とみ、1910年11月6日 - 2006年7月5日)は、日本の東洋史学者。専門は、宋代より清代にいたる中国近世史。博士(文学)。京都大学名誉教授。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
121 | 新川士郎 下関市 | Wikipedia |
新川 士郎(しんかわ しろう、1910年 - 1994年)は、日本の経済学者。専門は社会政策。経済学博士。北海道大学名誉教授。元北海道大学学長代理。山口県下関市出身。恩師は井藤半禰。 | ||
122 | 竹内好 武蔵野市 | Wikipedia |
竹内 好(たけうち よしみ、1910年(明治43年)10月2日 - 1977年(昭和52年)3月3日)は、日本の中国文学者。文芸評論家。魯迅の研究・翻訳や、日中関係論、日本文化などの問題をめぐり言論界で、多くの評論発言を行った。 | ||
123 | 北村正司 小樽市 | Wikipedia |
北村 正司(きたむら しょうじ、1910年(明治43年) - 1989年(平成元年))は、日本の英語学者。専門は英語教育。英米文化。 | ||
124 | 籠山京 雲仙市 | Wikipedia |
籠山 京(篭山 京、かごやま たかし、1910年11月15日 - 1990年6月16日)は、日本の衛生学者。 |
研究者・研究家・発明家
125 | 魚返善雄 玖珠町 | Wikipedia |
魚返 善雄(おがえり よしお、1910年1月8日 - 1966年3月27日)は、日本の言語学者、中国文学研究者。 | ||
126 | 高橋喜平 | Wikipedia |
高橋 喜平(たかはし きへい、1910年 - 2006年2月1日)は、日本の、雪崩研究家、エッセイスト。2006年2月1日午後8時55分、肺炎のため岩手県西和賀町の病院で死去。享年95。 |
画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家・漆芸家・工芸家
127 | 佐藤哲三 | Wikipedia |
佐藤 哲三(さとう てつぞう、1910年1月26日 - 1954年6月25日)は、日本の洋画家。新潟県長岡市生まれ。同県新発田市で生涯を過ごす。蒲原平野や農民などをモチーフに、郷土に根ざした作品を制作し続けた。1954年、白血病で死去。 | ||
128 | 浦田正夫 山鹿市 | Wikipedia |
浦田 正夫(うらた まさお、1910年5月1日 - 1997年11月30日)は、日本画家、日本芸術院会員。 | ||
129 | 三輪壽雪 萩市 | Wikipedia |
三輪壽雪(みわ じゅせつ 1910年(明治43年)2月4日 - 2012年(平成24年)12月11日)は日本の陶芸家。第十一代三輪休雪。1983年に人間国宝に認定された。本名は節夫。 | ||
130 | 桜田精一 益城町 | Wikipedia |
桜田精一(さくらだ せいいち、1910年 - 1999年)は日本の洋画家。日展参与。画家・桜田久美の実父であり、小林武雄や大野みつ子など、優れた門下生を輩出した洋画壇の巨匠である。 | ||
131 | 阿部合成 青森市 | Wikipedia |
阿部 合成(あべ ごうせい / まさなり、1910年(明治43年)9月14日 - 1972年(昭和47年)6月18日)は、昭和に活躍した洋画家。 | ||
132 | 長谷川富三郎 倉吉市 | Wikipedia |
長谷川 富三郎(はせがわ とみさぶろう、1910年 - 2004年8月19日)は日本の版画家。号は無弟。棟方志功とともに民芸運動を支えた板画家である。 | ||
133 | 常田健 青森市 | Wikipedia |
常田 健(つねだ けん、1910年10月21日 - 2000年4月26日)は、日本の画家。 | ||
134 | 松島正幸 深川市 | Wikipedia |
松島 正幸(まつしま まさゆき、1910年2月25日 - 1999年10月29日)は、北海道雨竜郡一已村(現深川市)出身の洋画家。独立美術協会会員。また、全道美術協会創立に貢献。本名は正一、前半生の画号は正人を名乗る。日本各地、中国北部、ヨーロッパの風景を生涯描き続けた。 | ||
135 | 合田好道 観音寺市 | Wikipedia |
合田 好道(ごうだ よしみち、1910年(明治43) - 2000年(平成12)2月6日)は、陶芸家、画家。 | ||
136 | 桜田精一 野田市 | Wikipedia |
桜田精一(さくらだ せいいち、1910年 - 1999年)は日本の洋画家。日展参与。画家・桜田久美の実父であり、小林武雄や大野みつ子など、優れた門下生を輩出した洋画壇の巨匠である。 | ||
137 | 今井繁三郎 | Wikipedia |
今井 繁三郎(いまい しげさぶろう、明治43年(1910年)2月7日-平成14年(2002年)1月9日)は、日本の画家。羽黒町名誉町民(現・鶴岡市名誉市民)。山形県東田川郡羽黒町(現・鶴岡市)出身。 | ||
138 | 高橋玄輝 | Wikipedia |
高橋 玄輝(たかはし げんき、1910年12月18日 - 1978年6月25日)は、兵庫県出身の日本画家。 | ||
139 | 長谷川富三郎 姫路市 | Wikipedia |
長谷川 富三郎(はせがわ とみさぶろう、1910年 - 2004年8月19日)は日本の版画家。号は無弟。棟方志功とともに民芸運動を支えた板画家である。 | ||
140 | 宇治山哲平 | Wikipedia |
宇治山 哲平(うじやま てっぺい、1910年9月3日 ‐ 1986年6月18日)は、日本の美術家。始め木版画を主に制作するが後に油彩の抽象画に転向。輝いた栄誉には第12回毎日芸術賞をはじめ、第32回西日本文化賞などがある。本名は宇治山哲夫。 | ||
141 | 荘司福 | Wikipedia |
荘司 福(しょうじ ふく、1910年3月26日 - 2002年10月19日)は日本画家。 | ||
女子美術大学出身 出身の女子美術大学の出身者 全国の女子美術大学の出身者 | ||
142 | 柳原義達 神戸市 | Wikipedia |
柳原 義達(やなぎはら よしたつ、1910年3月21日 - 2004年11月11日)は、近現代日本の彫刻家の一人である。 | ||
143 | 渡部星村 鶴岡市 | Wikipedia |
渡部 星村(わたなべ せいそん、1910年(明治43年) - 1994年(平成6年))は、日本の彫刻家。朝日村名誉村民(現・鶴岡市名誉市民) |
政治家・議員・首長
144 | 塚原俊郎 常陸太田市 | Wikipedia |
塚原 俊郎(つかはら としお、1910年10月2日 – 1975年12月7日)は、日本の政治家。総理府総務長官・労働大臣。正三位勲一等。通商産業大臣を務めた塚原俊平は長男。 | ||
145 | 中西功 多気町 | Wikipedia |
中西 功(なかにし つとむ、1910年(明治43年)9月18日 - 1973年(昭和48年)8月18日)は、日本の共産主義運動の活動家・中国問題の政治評論家。元日本共産党参議院議員。 | ||
146 | 河野金昇 | Wikipedia |
河野 金昇(こうの きんしょう、1910年 - 1958年3月29日)は、日本の政治家、愛知県選出の衆議院議員。海部俊樹の師匠として知られている。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
147 | 大泉源郎 苫小牧市 | Wikipedia |
大泉 源郎(おおいずみ げんろう、1910年12月20日 - 2005年12月28日)は、日本の政治家。北海道苫小牧市市長(1963年5月~1983年4月)。苫小牧市名誉市民。 | ||
148 | 上條勝久 | Wikipedia |
上條 勝久(かみじょう かつひさ、1910年(明治43年)8月29日 - 2011年(平成23年)12月27日)は、日本の内務官僚、建設官僚、政治家。参議院議員(2期)を務めた。 | ||
149 | 黒金泰美 | Wikipedia |
黒金 泰美(くろがね やすみ、1910年11月25日 - 1986年10月11日)は、日本の大蔵官僚、政治家。衆議院議員、内閣官房長官。父親は戦前の立憲民政党代議士の黒金泰義。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
150 | 加瀬完 匝瑳市 | Wikipedia |
加瀬 完(かせ かん、1910年1月1日 - 1995年2月28日)は、日本の政治家。元参議院議員・参議院副議長。 | ||
千葉大学出身 出身の千葉大学の出身者 全国の千葉大学の出身者 | ||
151 | 松沢雄蔵 | Wikipedia |
松沢 雄蔵(まつざわ ゆうぞう、1910年12月3日 - 1983年6月12日)は、日本の政治家、元真室川村村長、元衆議院議員(9期)、自由民主党所属、第39代行政管理庁長官、栄典は正三位・勲一等・旭日大綬章。 | ||
152 | 小川平二 富士見町 | Wikipedia |
小川 平二(おがわ へいじ、1910年1月14日 - 1993年7月16日)は、日本の政治家。労働大臣、自治大臣、文部大臣等を歴任した。 | ||
153 | 太田一夫 岡崎市 | Wikipedia |
太田 一夫(おおた かずお、1910年11月19日 - 1990年11月3日)は、日本の政治家。日本社会党の衆議院議員(5期)。保革を問わず「いっぷさん」と親しまれた。岡崎市名誉市民。 | ||
154 | 紺野与次郎 | Wikipedia |
紺野 与次郎(こんの よじろう、1910年(明治43年)3月9日 - 1977年(昭和52年)12月19日)は日本の労働運動家、政治家。元衆議院議員(日本共産党公認、1期)。日本共産党政治局員、幹部会委員、書記局員などを歴任。 | ||
155 | 九重京司 長崎市 | Wikipedia |
九重 京司(ここのえ きょうじ、1910年2月16日 - 1985年7月2日)は、日本の俳優、著述家(性神研究家)である[3][4][5][6][7][8][9][10][11][12][13]。元助監督、元脚本家であり、小津安二郎の『東京の女』および『非常線の女』(1933年)に見習助監督としての記録がある[6][7][8][9][11]。本名平塚 廣雄(ひらつか ひろお)。東京府知事、台湾総督府総務長官、貴族院勅選議員を歴任した平塚廣義は実父である[3][14]。 | ||
156 | 大平正芳 | Wikipedia |
大平 正芳(おおひら まさよし、1910年(明治43年)3月12日 - 1980年(昭和55年)6月12日)は、日本の大蔵官僚、政治家。位階は正二位。勲等は大勲位。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
157 | 足立篤郎 袋井市 | Wikipedia |
足立 篤郎(あだち とくろう、1910年7月22日 - 1988年8月14日)は、昭和期の日本の政治家。自由民主党衆議院議員。 | ||
静岡大学出身 出身の静岡大学の出身者 全国の静岡大学の出身者 | ||
158 | 大野市郎 長岡市 | Wikipedia |
大野 市郎(おおの いちろう、1910年11月25日 - 1988年2月9日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員。 | ||
159 | 吉田実 射水市 | Wikipedia |
吉田 実(よしだ みのる、1910年3月19日 - 1982年11月16日)は、日本の政治家。公選3人目の富山県知事(4期)で、旧大島村長(現・射水市)。富山県販購農業協同連合会会長、全国販売農協連合会専務理事、富山県農協中央会長なども務めている。また、衆議院議員・参議院議員も歴任した。勲二等に叙せられ、旭日重光章を受章、正四位に叙されている。子の吉田力は大島町長となった。 | ||
160 | 小林進 | Wikipedia |
小林 進(こばやし すすむ、1910年9月9日 - 1997年8月6日)は、日本の農民運動家・政治家・衆議院議員である。 | ||
161 | 小平久雄 下野市 | Wikipedia |
小平 久雄(こだいら ひさお、1910年2月22日 - 1998年8月12日)は、日本の政治家。総理府総務長官・労働大臣・衆議院副議長。栃木県小山市名誉市民(1982年)。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
162 | 伊藤一 名古屋市 | Wikipedia |
伊藤 一(いとう はじめ、1910年4月11日 - 1974年9月26日)は、日本の政治家、内務官僚。1947年4月6日から1971年4月30日まで、24年の長きに渡って一宮市長を務めた(第5代-第10代)。一宮市名誉市民。 | ||
163 | 秋山皐二郎 八戸市 | Wikipedia |
秋山 皐二郎(あきやま こうじろう、1910年(明治43年)2月22日 - 2007年(平成19年)9月28日)は、青森県の政治家。第13〜17代八戸市長。 | ||
164 | 鈴木俊一 昭島市 | Wikipedia |
鈴木 俊一(すずき しゅんいち、1910年(明治43年)11月6日 - 2010年(平成22年)5月14日)は、日本の政治家、内務・自治官僚。東京都名誉都民、北京市栄誉市民。 | ||
165 | 青木茂 | Wikipedia |
青木 茂(あおき しげる、1910年(明治43年)11月10日 - 2003年(平成15年)2月22日)は、日本の政治家(豊橋市第23、24代市長)。岐阜県出身。台北高等学校、台北帝国大学を卒業。 | ||
166 | 畑和 加須市 | Wikipedia |
畑 和(はた やわら、1910年(明治43年)9月29日 - 1996年(平成8年)1月26日)は、日本の政治家。衆議院議員、埼玉県知事を歴任。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
167 | 受田新吉 周防大島町 | Wikipedia |
受田 新吉(うけだ しんきち、1910年 5月18日-1979年 9月21日)は、元民社党衆議院議員(当選12回)。山口県大島郡大島町(現周防大島町)出身。日本大学法科卒業。青年学校長、中学校校長、山口県教職員組合副委員長を経て政界入り。無所属、日本社会党(左右分裂時は右派社会党)を経て民社党結成に参加し、党中央執行委員や国会議員団長を務めた。 | ||
168 | 菊川多賀 札幌市 | Wikipedia |
菊川 多賀(きくかわ たか、1910年11月16日 - 1991年1月15日)は、北海道札幌市出身の日本画家。本名は孝子。日本画家の菊川三織子は姪。日本美術院同人。日本美術院評議員。勲四等瑞宝章受章者。 | ||
169 | 前田佳都男 | Wikipedia |
前田 佳都男(まえだ かづお、1910年11月24日 - 1978年1月4日)は、日本の政治家。自由民主党参議院議員(4期)。参議院副議長。和歌山県出身。東京法学院卒で高野口郵便局長、伊那合同銀行取締役を務めた前田友次郎の長男。息子は法務大臣を務めた前田勲男。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
170 | 久保勘一 五島市 | Wikipedia |
久保 勘一(くぼ かんいち、1910年9月25日 - 1993年11月23日)は日本の政治家。長崎県知事や参議院議員を務め、「クボカン」という愛称で呼ばれた。五島市長の中尾郁子は娘。 | ||
171 | 久野忠治 知多市 | Wikipedia |
久野 忠治(くの ちゅうじ、1910年2月27日 – 1998年10月25日)は、日本の政治家。郵政大臣。正三位勲一等旭日大綬章。衆議院議員を14期務めた。元衆議院議員の久野統一郎は長男。愛称はクノチュー。 | ||
172 | 福永健司 | Wikipedia |
福永 健司(ふくなが けんじ、1910年(明治43年)8月5日 - 1988年(昭和63年)5月31日)は、日本の政治家、第63代衆議院議長、内閣官房長官、労働大臣、厚生大臣、運輸大臣、自由民主党国会対策委員長、自由民主党総務会長を歴任。従二位勲一等旭日桐花大綬章。息子は元自民党衆議院議員の福永信彦。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
173 | 田中龍夫 萩市 | Wikipedia |
田中 龍夫(たなか たつお、1910年9月20日 - 1998年3月30日)は、日本の政治家。男爵。正三位勲一等。首相を務めた田中義一の長男。 |
評論家
174 | 竹内好 佐久市 | Wikipedia |
竹内 好(たけうち よしみ、1910年(明治43年)10月2日 - 1977年(昭和52年)3月3日)は、日本の中国文学者。文芸評論家。魯迅の研究・翻訳や、日中関係論、日本文化などの問題をめぐり言論界で、多くの評論発言を行った。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
175 | 久野収 | Wikipedia |
久野 収(くの おさむ、1910年6月10日 - 1999年2月9日)は、日本の哲学者・評論家。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
176 | 古波蔵保好 首里市 | Wikipedia |
古波蔵 保好(こはぐら ほこう・やすよし[2]、1910年3月23日 - 2001年8月30日[3])は、日本のエッセイスト、評論家。妻は服飾評論家の鯨岡阿美子[3]。 | ||
東京外国語大学出身 出身の東京外国語大学の出身者 全国の東京外国語大学の出身者 | ||
177 | 保田與重郎 桜井市 | Wikipedia |
保田 與重郎(保田 与重郎、やすだ よじゅうろう、1910年(明治43年)4月15日 - 1981年(昭和56年)10月4日)は日本の文芸評論家で多数の著作を刊行した。湯原冬美の筆名も用いた。 |
宗教家・思想家・運動家
178 | 手島郁郎 | Wikipedia |
手島 郁郎(てしま いくろう、1910年 - 1973年12月25日)は、無教会主義の流れを汲むキリスト教系宗教団体、キリストの幕屋の創始者。熊本県出身。手島アブラハム郁郎とも。 | ||
179 | 成瀬幡治 豊田市 | Wikipedia |
成瀬 幡治(なるせ ばんじ、1910年12月17日 - 1992年12月3日)は、日本の政治家、労働運動家。日本社会党の参議院議員(4期)。 | ||
180 | 川瀬カヨ 帯広市 | Wikipedia |
川瀬 カヨ (かわせ かよ、1910年?6月15日? - 1994年2月4日) は、北海道十勝国中士幌出身の宗教家。「天運教」を設立し、教主として活動していた中で、「統一教会」(統一協会)の教えを受け入れ、「天運教」を「統一教会」(統一協会)へ導くための教団、「天地正教」に変えて、初代教主として活動した。 | ||
181 | 清水信一 | Wikipedia |
清水 信一(しみず しんいち、男性、1910年5月10日(明治43年) - 1969年1月10日(昭和44年))は、日本の宗教家である。 |
俳人・歌人・詩人・歌人
182 | 志田周子 大江町 | Wikipedia |
志田 周子(しだ ちかこ、1910年(明治43年)10月28日 - 1962年(昭和37年))は山形県出身の女医、歌人。 | ||
東京女子医科大学出身 出身の東京女子医科大学の出身者 全国の東京女子医科大学の出身者 | ||
183 | 高祖保 瀬戸内市 | Wikipedia |
高祖 保(こうそ たもつ、1910年5月4日 - 1945年1月8日)は、日本の詩人。 | ||
184 | 高屋窓秋 名古屋市 | Wikipedia |
高屋 窓秋(たかや そうしゅう、1910年2月14日 - 1999年1月1日)は、俳人。本名正国(まさくに)。従来の写生主義、花鳥諷詠の俳句から離れた句作を行い、昭和初期の新興俳句運動に大きな影響を与えた。代表句に「頭の中で白い夏野となつている」「ちるさくら海あをければ海へちる」「山鳩よみればまはりに雪がふる」など。 | ||
185 | 一原有徳 小樽市 | Wikipedia |
一原 有徳(いちはら ありのり、1910年8月23日 - 2010年10月1日)は、北海道小樽市に居住していた版画家。モノタイプ手法を用いた特異な作風で、国際的にも名高い。また、俳人・登山家としても有名。 | ||
186 | 仁智栄坊 | Wikipedia |
仁智 栄坊(にち えいぼう、1910年7月8日 - 1993年3月31日)は俳人。高知県高知市生まれ。本名は北尾一水(きたお かずみ)。 | ||
187 | 高森文夫 日向市 | Wikipedia |
高森 文夫(たかもり ふみお、1910年1月20日 - 1998年6月2日)は、宮崎県生まれの詩人。中原中也と親交が深かったことで知られる。また晩年地元の東郷町長を一期だけ務め、小中学校への国語教育の取り組みなどに成果を挙げた。 | ||
188 | 影山正治 豊橋市 | Wikipedia |
影山 正治(かげやま まさはる、1910年(明治43年)6月12日 - 1979年(昭和54年)5月25日)は、日本の右翼活動家、思想家、歌人。 | ||
國學院大學出身 出身の國學院大學の出身者 全国の國學院大學の出身者 | ||
189 | 森玉美雄 稲美町 | Wikipedia |
森玉 美雄(もりたま よしお、1910年4月19日 - 1943年4月8日)は、日本の小説家、詩人。兵庫県加古郡天満村(現・稲美町)出身。織田作之助が編集長格の雑誌「大阪文学」で見出された小説家。 | ||
190 | 香川進 | Wikipedia |
香川進(かがわ すすむ、1910年7月15日-1998年10月13日)は、歌人。 | ||
神戸大学出身 出身の神戸大学の出身者 全国の神戸大学の出身者 | ||
191 | 大島博光 | Wikipedia |
大島 博光(おおしま ひろみつ、1910年11月18日 - 2006年1月9日)は、日本の詩人、翻訳家である。 | ||
192 | 篠原梵 | Wikipedia |
篠原 梵(しのはら ぼん、1910年4月15日 - 1975年10月17日)は、愛媛県出身の俳人、編集者・出版者。伊予郡南伊予村(現・伊予市)生。本名・敏之(としゆき)。俳号「梵」は郷里の松山で子供のことを「ボン」と呼んだことによるという。 | ||
193 | 正田篠枝 江田島市 | Wikipedia |
正田 篠枝(しょうだ しのえ、1910年12月22日 - 1965年6月15日)は、日本の歌人、平和運動家。本名は正田シノエ。広島県安芸郡江田島村字秋月(後の江田島市)出身。広島市への原子爆弾投下による被爆者の1人。被爆経験を詠んだ多数の短歌により「原爆歌人」として知られており、中でも原爆批判に対する厳しい統制下で出版された歌集『さんげ』が、原爆文献中でも随一の稀覯本として知られている。弟に経済学者の正田誠一、又従兄弟に作家の小久保均がいる[3]。 | ||
194 | 阿部保 | Wikipedia |
阿部 保(あべ たもつ、1910年5月30日 - 2007年1月10日)は、日本の詩人、美学者、英文学者、北海道大学名誉教授。 |
その他の職業
195 | 西川鶴三 京都市 | Wikipedia |
西川 鶴三(にしかわ つるぞう、1910年2月19日 - 1970年2月5日)は、日本の照明技師である[3][4][5][6][7][8][9][10][11][12]。牧野省三のマキノ・プロダクションにキャリアを始め[3]、戦後、「東宝でもっとも速い男」と呼ばれ[13]、森弘充、石井長四郎、岸田九一郎とともに「東宝照明部の四天王」と並び称された[14]。本名は西川 光夫(にしかわ みつお)[4][15]。 | ||
196 | 亀井茲建 三鷹市 | Wikipedia |
亀井 茲建(かめい これたて、1910年(明治43年)6月21日 - 1992年(平成4年)1月21日)は、日本の実業家。伯爵。旧津和野藩主亀井家第15代当主。元東北開発株式会社総裁。 | ||
197 | 安原政雄 神戸市 | Wikipedia |
安原 政雄(やすはら まさお、明治43年(1910年)10月13日 - 没年不明)は、日本のヤクザ。暴力団三代目山口組若頭(後に舎弟に直った)。安原会会長。通称マンマン。兄の安原武夫も三代目山口組で七人衆の一人にかぞえられた。 |