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宝塚・女優・俳優・声優・ナレーター・歌舞伎・能楽・狂言
1 | 宝生弥一 | Wikipedia |
宝生 弥一(ほうしょう やいち、1908年(明治41年)7月2日 - 1985年(昭和60年)3月11日)は、ワキ方下掛宝生流の能楽師。元の名は光本弥一郎。 | ||
法政大学出身 出身の法政大学の出身者 全国の法政大学の出身者 | ||
2 | 海江田譲二 大館市 | Wikipedia |
海江田 譲二(かいえだ じょうじ、1908年3月1日 - 1986年4月11日)は、日本の俳優である。本名は上遠野 武史(かどの たけし)である[3]。 | ||
3 | 大町文夫 熊本市 | Wikipedia |
大町 文夫(おおまち ふみお、1908年2月25日 - 不明)は日本の俳優。本名は瀬戸口文夫。 | ||
4 | 伴淳三郎 米沢市 | Wikipedia |
伴 淳三郎(ばん じゅんざぶろう、本名:鈴木 寛定(すずき ひろさだ)、1908年1月10日 - 1981年10月26日)は、昭和期のコメディアン、俳優。息子はスタイリストの山本康一郎。 | ||
5 | 曽我廼家明蝶 明石市 | Wikipedia |
曽我廼家 明蝶(そがのや めいちょう、本名:北村 弘一(きたむら ひろかず)、1908年6月3日 - 1999年4月13日)は、日本の俳優。兵庫県明石市出身。旧字体「曾我廼家明蝶」。 | ||
6 | 長岡輝子 | Wikipedia |
長岡 輝子(ながおか てるこ、1908年〈明治41年〉1月5日 - 2010年〈平成22年〉10月18日)は、日本の女優・演出家。本名、篠原 輝子(しのはら てるこ)。岩手県盛岡市出身。 | ||
7 | 長谷川一夫 京都市 | Wikipedia |
長谷川 一夫(はせがわ かずお、1908年2月27日 - 1984年4月6日)は、日本の俳優。旧芸名に林 長丸(はやし ちょうまる)、林 長二郎(はやし ちょうじろう)。愛称は長さん。 | ||
8 | 初音麗子 神戸市 | Wikipedia |
初音 礼子(はつね れいこ、本名:小南艶子、旧姓:武藤、1908年1月7日 - 1987年4月15日)は、日本の元宝塚歌劇団雪組主演男役クラス・雪組組長の女優。兵庫県神戸市出身。旧芸名=初音麗子。愛称はキューピーさん、ムーヤン。 | ||
9 | 初音礼子 神戸市 | Wikipedia |
初音 礼子(はつね れいこ、本名:小南 艶子(こみなみ つやこ)、旧姓:武藤、1908年1月7日 - 1987年4月15日)は、日本の女優、元宝塚歌劇団雪組主演男役クラス・雪組組長。兵庫県神戸市出身。旧芸名=初音麗子。愛称はキューピーさん、ムーヤン。 | ||
10 | 住乃江田鶴子 京都市 | Wikipedia |
住乃江 田鶴子(すみのえ たづこ、1908年1月18日 - 没年不詳)は、日本の女優である[3][4][5][6][7][8]。本名柿畑 田鶴子(かきはた たづこ)。芸名の表記は住之江 田鶴子、住ノ江 田づ子、住の江 田鶴子、住ノ江 田鶴子、住江 たづ子、住江 田鶴子と揺れがみられる[4][5]。KINENOTEおよびallcinemaに記載される読み「すみのえだ つるこ」[6][7]は誤り。 | ||
11 | 津路清子 下関市 | Wikipedia |
津路 清子(つじ きよこ、1908年3月18日 - 1993年)は、日本の女優。山口県下関市出身。 | ||
12 | 久世竜 | Wikipedia |
久世 竜(くぜ りゅう、明治41年(1908年)1月19日 - 1985年1月5日)は、日本の殺陣師・俳優。俳優活動時の旧芸名は岬 弦太郎(みさきげんたろう)。 |
歌手・シンガー
13 | 上原敏 大館市 | Wikipedia |
上原 敏(うえはら びん、本名:松本力治(まつもと りきじ)、1908年8月26日 - 1944年7月29日)は、秋田県出身の歌手。「妻恋道中」「裏町人生」のヒットを持つ戦前に活躍した流行歌手。最終学歴は専修大学卒業。 | ||
専修大学出身 出身の専修大学の出身者 全国の専修大学の出身者 | ||
14 | ディック・ミネ | Wikipedia |
ディック・ミネ(1908年10月5日 - 1991年6月10日)は、徳島県徳島市出身の日本のジャズ・ブルース・流行歌歌手、ギタリスト、俳優。訳詞家・編曲家としては本名の三根 徳一(みね とくいち)を名乗り、第二次世界大戦中の敵性語規制の時代には三根 耕一(-こういち)と名乗った。創成期のテイチクレコードの立役者で、日本のジャズ・シンガーの嚆矢として数多くの名演を残すとともに、日本の創成期の流行歌においても多くのヒットを飛ばした。また、トーキー以降の日活と同社が提携したミュージカル映画をはじめとして映画にも多く出演し、その後純然たる俳優としても活躍した。 | ||
立教大学出身 出身の立教大学の出身者 全国の立教大学の出身者 | ||
15 | 新田八郎 | Wikipedia |
新田 八郎(にった はちろう、1908年(明治41年) - 1989年(平成元年))は、昭和期の歌手。 | ||
16 | 塩まさる | Wikipedia |
塩 まさる(しお まさる、本名:塩 正吉、1908年2月12日 - 2003年10月16日)、昭和時代前期を代表する歌手。 |
モデル・アイドル・タレント・アナウンサー
17 | 木村久 花巻市 | Wikipedia |
木村 久(きむら きゅう 1908年-1937年)は、日本の元プロボクサー。本名は木村久五郎で、「木村久」はリングネーム。アメリカでも活躍し、"ノックアウトQ"の異名で知られ、絵物語『ノックアウトQ』のモデルにもなった。岩手県花巻市出身。 |
演奏家・作詞家・作曲家・ミュージシャン
18 | ディック・ミネ 練馬区 | Wikipedia |
ディック・ミネ(1908年10月5日 - 1991年6月10日)は、徳島県徳島市出身の日本のジャズ・ブルース・流行歌歌手、ギタリスト、俳優。訳詞家・編曲家としては本名の三根 徳一(みね とくいち)を名乗り、第二次世界大戦中の敵性語規制の時代には三根 耕一(-こういち)と名乗った。創成期のテイチクレコードの立役者で、日本のジャズ・シンガーの嚆矢として数多くの名演を残すとともに、日本の創成期の流行歌においても多くのヒットを飛ばした。また、トーキー以降の日活と同社が提携したミュージカル映画をはじめとして映画にも多く出演し、その後純然たる俳優としても活躍した。 | ||
19 | 生沼晴嗣 | Wikipedia |
生沼 晴嗣(おいぬま せいじ)は、日本のヴィオリスト。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
20 | 藤田まさと 牧之原市 | Wikipedia |
藤田 まさと(ふじたまさと、1908年5月12日 - 1982年8月16日)は、静岡県榛原郡川崎町(現・牧之原市)出身の作詞家。 本名・藤田正人。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
21 | 田村しげる 京丹後市 | Wikipedia |
田村 しげる(たむら しげる、1908年(明治41年)12月20日 - 1980年(昭和55年)10月14日)は昭和期の作曲家。 | ||
武蔵野音楽大学出身 出身の武蔵野音楽大学の出身者 全国の武蔵野音楽大学の出身者 | ||
22 | 朝比奈隆 | Wikipedia |
朝比奈 隆(あさひな たかし、1908年(明治41年)7月9日 - 2001年(平成13年)12月29日)は大阪フィルハーモニー交響楽団(大阪フィル)の音楽総監督を務めた日本の指揮者。指揮者の朝比奈千足は長男。左利き(指揮棒は右だが包丁は左(木之下晃の写真集より))。朝比奈の出生には謎があり、中丸美繪著『オーケストラ、それは我なりー朝比奈隆 四つの試練』が詳しい。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
23 | 坂口淳 | Wikipedia |
坂口 淳(さかぐち じゅん、1908年(明治41年)1月1日 - 1974年(昭和49年)8月18日)は昭和期の作詞家。本名は淳太郎。 |
舞台・演劇・映画・ドラマ・脚本・プロデューサー・ディレクター
24 | 宮川一夫 京都市 | Wikipedia |
宮川 一夫(みやがわ かずお、1908年2月25日 - 1999年8月7日)は日本映画界を代表する映画カメラマンである。主に京都太秦、大映映画の時代劇における陰影ある斬新な撮影で稲垣浩、溝口健二や黒澤明らが監督する作品のカメラマンとして世界に知られる。本名は、宮川一雄。 | ||
25 | マキノ雅弘 | Wikipedia |
マキノ 雅弘(マキノ まさひろ、1908年2月29日 - 1993年10月29日)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサー、録音技師、俳優、実業家である。本名は牧野 正唯(まきの まさちか)である。 | ||
26 | 佐々木康 横手市 | Wikipedia |
佐々木 康(ささき やすし、1908年1月25日 - 1993年9月13日)は、昭和期の映画監督。法政大学本科国文科中退。松竹、東映、東映テレビプロダクションに属した。早撮りの名人として知られ、松竹時代は歌謡映画、東映時代は時代劇映画、東映テレビ時代はテレビ時代劇のヒット作を連発する。映画作品168本、テレビ作品500本弱を撮った、典型的なプログラムピクチャーの監督である。 | ||
法政大学出身 出身の法政大学の出身者 全国の法政大学の出身者 | ||
27 | 亀井文夫 | Wikipedia |
亀井 文夫(かめい ふみお、1908年4月1日-1987年2月27日)は、日本の映画監督。 | ||
28 | 佐藤武光 | Wikipedia |
佐藤 武光(さとう たけみつ)は、日本の映画プロデューサー。福島県いわき市生まれ。福島県立双葉高等学校在学中には野球部に所属。双葉高校を卒業後、上京し、日本大学文学部哲学科に入学し卒業。映画監督の今村昌平の助監督も務めていた。現在、日本映画学校で講師を務める一方で駒澤大学の非常勤講師や「みやまえ映像コンクール」(川崎市)や「映画はスポーツだ」(東京都)などのジュニア映像ワークショップへ講師として参加し、「メディアリテラシー教育」を推進している一人でもある。 |
ダンサー
29 | 花柳徳兵衛 高崎市 | Wikipedia |
花柳 徳兵衛(はなやぎ とくべえ、1908年1月16日 - 1968年5月24日)は、日本舞踊家。本名は寺崎 孝太郎(てらさき こうたろう)。 |
格闘技
30 | 大浪妙博 男鹿市 | Wikipedia |
大浪妙博(おおなみたえひろ、1908年9月1日-1985年7月7日)は、高島部屋に所属した元力士。本名は石川三治。秋田県南秋田郡戸賀村出身。187cm、101kg。最高位は東前頭3枚目。 | ||
31 | 羽賀準一 東城町 | Wikipedia |
羽賀 準一(はが じゅんいち、1908年(明治41年)9月11日 - 1966年(昭和41年)12月11日)は、日本の剣道家。 | ||
32 | 島袋龍夫 うるま市 | Wikipedia |
島袋 龍夫(しまぶくろ たつお、1908年9月19日 - 1975年5月31日)は、沖縄県の空手家。沖縄空手の流派の一つ、一心流を創始した空手の大家の一人である。 | ||
33 | 三熊山美夫 洲本市 | Wikipedia |
三熊山美夫(みくまやまよしお、1908年7月20日-没年不明)は、中川部屋、武蔵川部屋、鏡山部屋に所属した元力士。本名は小泉美夫。現在の兵庫県洲本市出身。167cm、102kg。最高位は西前頭12枚目。 | ||
34 | 高登渉 | Wikipedia |
髙登 渉(たかのぼり わたる、1908年(明治41年)5月7日 - 1962年(昭和37年)1月19日)は、長野県下伊那郡喬木村出身で高砂部屋所属の元大相撲力士。最高位は東関脇。本名は吉川渉(よしかわ わたる)。身長185cm、体重113kg。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。 | ||
35 | 金湊利三郎 船橋市 | Wikipedia |
金湊 仁三郎 (かねみなと にさぶろう、 1908年8月18日 - 1979年11月23日)は、昭和初期の大相撲力士である。現在の千葉県船橋市金杉出身。本名は、石井仁三郎。身長164cm、体重86kg。湊川部屋所属。最高位は東前頭5枚目。1940年1月場所のみ金湊利三郎を名乗った。 |
野球
36 | 井野川利春 玉野市 | Wikipedia |
井野川 利春(いのかわ としはる、1908年3月30日 - 1976年6月16日)は、岡山県玉野市出身のプロ野球選手・監督・審判員。 | ||
37 | 桝嘉一 京都市 | Wikipedia |
桝 嘉一(ます かいち、1908年3月8日 - 1981年12月18日)は、京都府京都市出身のプロ野球選手(外野手)・監督。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
38 | 加藤喜作 広島市 | Wikipedia |
加藤 喜作(かとう きさく、1908年(明治41年)2月21日 - 1981年(昭和56年)6月22日)は、アマチュア野球選手・指導者、プロ野球選手・監督。広島県広島市出身。 | ||
39 | 小泉吾郎 広島市 | Wikipedia |
小泉 吾郎(こいずみ ごろう、1908年8月26日 - 1987年8月30日)は、実業家、興行師。 1950年、1951年の2年間存在した日本の女子プロ野球創設者[2][3]。 | ||
40 | 島秀之助 神戸市 | Wikipedia |
島 秀之助(しま ひでのすけ、1908年6月21日 - 1995年12月26日)は、兵庫県神戸市生まれのプロ野球選手・監督・審判員。 | ||
法政大学出身 出身の法政大学の出身者 全国の法政大学の出身者 | ||
41 | 若林忠志 渋谷区 | Wikipedia |
若林 忠志(わかばやし ただし、1908年3月1日 - 1965年3月5日)は、アメリカ合衆国ハワイ準州(Territory of Hawaii)生まれのプロ野球選手(投手)・監督。ハワイ移民の日系2世。アメリカ名はタダシ・ヘンリー・ワカバヤシ(Tadashi Henry Wakabayashi)。ジャズ・ミュージシャンの津上研太は孫。 | ||
42 | 水原義明 | Wikipedia |
水原 義明(みずはら よしあき 1908年 - 1945年10月31日)は、日本の元アマチュア野球選手。香川県出身。 |
サッカー
43 | 井出多米夫 静岡市 | Wikipedia |
井出 多米夫(いで ためお, 1908年11月27日 - 1998年8月17日 )は、静岡県清水市(現:静岡市)出身のサッカー選手、サッカー指導者。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 |
野球・サッカー以外の球技
44 | 佐藤次郎 | Wikipedia |
佐藤 次郎(さとう じろう, 1908年(明治41年)1月5日 - 1934年(昭和9年)4月5日)は、日本の男子テニス選手。1930年代前半にグランドスラムシングルスベスト4、ウィンブルドン選手権ダブルス準優勝、全豪オープン混合ダブルス準優勝など国際的に活躍したが、現役中に26歳で自ら命を断った。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 |
冬季スポーツ
45 | 栗谷川平五郎 名寄市 | Wikipedia |
栗谷川 平五郎(くりやがわ へいごろう、1908年10月4日 - 1993年2月20日)は、北海道名寄市出身の元クロスカントリースキー、ノルディック複合選手。 |
水泳全般・マリンスポーツ
46 | 藤田明 | Wikipedia |
藤田 明(ふじた あきら、1908年1月1日 - 2001年5月29日)は、日本の水泳・水球選手。ロサンゼルス五輪(1932年)水球日本代表選手主将兼コーチ。元日本水泳連盟会長。実業家、元日本ゼオン専務、関東ゴム社長。早稲田大学商学部卒業。広島県広島市出身。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 |
陸上競技全般
47 | 大島鎌吉 金沢市 | Wikipedia |
大島 鎌吉(おおしま けんきち、1908年11月10日 - 1985年3月30日)は、日本の陸上競技選手。ロサンゼルスオリンピック銅メダリスト。元三段跳世界記録保持者。元大阪体育大学副学長、大阪体育大学名誉教授。日本オリンピック委員会名誉委員でもある。石川県金沢市出身。関西大学卒業。 | ||
関西大学出身 出身の関西大学の出身者 全国の関西大学の出身者 |
屋内競技全般
48 | 斎藤弥九郎 氷見市 | Wikipedia |
斎藤 弥九郎(さいとう やくろう)は、江戸時代後期から幕末にかけての剣術家。流派は神道無念流。幕末江戸三大道場の一つ「練兵館」の創立者。諱は善道(よしみち)。号は篤信斎。本来の表記は「齋藤彌九郎」「篤信齋」。 |
競馬・競輪・競艇・その他レース
49 | 大久保末吉 函館市 | Wikipedia |
大久保 末吉(おおくぼ すえきち、1908年1月16日 - 1981年6月11日)は、日本の競馬騎手、調教師。 | ||
50 | 小西喜蔵 盛岡市 | Wikipedia |
小西 喜蔵(こにし きぞう、1908年7月17日 - 1989年7月28日)は、日本の騎手(新潟競馬倶楽部、東京競馬倶楽部、日本競馬会、国営競馬)、調教師。(国営競馬、日本中央競馬会)。 | ||
51 | 稲葉幸夫 新冠町 | Wikipedia |
稲葉 幸夫(いなば ゆきお、1908年9月4日 - 2001年10月7日)は、日本の騎手(東京競馬倶楽部、日本競馬会所属)、調教師(日本競馬会、国営競馬、日本中央競馬会所属)。騎手としてロツクパークによる第1回横浜農林省賞典四歳呼馬(現・皐月賞)優勝など通算174勝。また調教師としては騎手兼業であった戦前期から顕著な成績を残し、八大競走13勝を含む通算1451勝を挙げた。特に牝馬の管理に長けたため「牝馬作りの名人」、「牝馬の稲葉」と称され、史上初の牝馬三冠トレーナーともなっている。1981年、黄綬褒章を受章。2004年、調教師顕彰者に選出され、中央競馬の殿堂入りした。 |
囲碁・将棋・麻雀
52 | 坂口允彦 日高町 | Wikipedia |
坂口 允彦(さかぐち のぶひこ、1908年(明治41年)12月10日 - 1990年(平成2年)1月18日)は、将棋棋士。九段。棋士番号10。日本将棋連盟会長。花田長太郎九段門下。北海道沙流郡日高町出身。 | ||
53 | 藤川義夫 熊本市 | Wikipedia |
藤川 義夫(ふじかわ よしお、1908年10月2日 - 1965年3月13日)は、将棋棋士。贈七段。大崎熊雄九段門下。熊本県熊本市出身。 | ||
54 | 中村勇太郎 野田市 | Wikipedia |
中村勇太郎(なかむら ゆうたろう、1908年(明治41年)2月5日 - 1983年(昭和58年)12月15日)は、日本の囲碁棋士。千葉県出身、岩佐銈九段に師事、日本棋院所属、九段。第3期本因坊戦挑戦者決定戦進出、最高位決定戦リーグ入りなど。手厚く堅実な棋風。 |
登山家・冒険家・探検家
55 | 小川登喜男 | Wikipedia |
小川 登喜男(おがわ ときお、1908年 - 1949年)は、日本の登山家。東京都出身。 | ||
東北大学出身 出身の東北大学の出身者 全国の東北大学の出身者 |
漫画家・イラスト・ゲーム
56 | 近藤日出造 千曲市 | Wikipedia |
近藤 日出造(こんどう ひでぞう、1908年2月15日 - 1979年3月23日)は日本の漫画家である。本名は秀蔵(読みは同じ)。政治家の似顔絵を主とする政治風刺漫画を中心に描いた。一コマ漫画や似顔絵の名手と称されることもある。妻は横山隆一の妹。 | ||
57 | 杉浦茂 | Wikipedia |
杉浦 茂(すぎうら しげる、1908年(明治41年)4月3日[注釈 1] - 2000年(平成12年)4月23日)は、日本の漫画家である。東京府東京市本郷区湯島新花町(現在の東京都文京区湯島二丁目)生まれ。戦前はユーモア漫画や教育漫画を多く描いたが、戦後に手掛けた多くの独特でナンセンスなギャグ漫画は熱狂的な人気を呼び、平成まで執筆活動を続けた。 |
作家・小説家・エッセイ・文筆・翻訳家・編集者
58 | 菊田一夫 | Wikipedia |
菊田 一夫(きくた かずお、1908年3月1日 - 1973年4月4日)は、日本の劇作家・作詞家。本名は菊田 数男。娘の菊田伊寧子は作曲家。 | ||
59 | 三木澄子 網走市 | Wikipedia |
三木 澄子(みき すみこ、1908年1月2日 - 1988年4月16日)は、日本の児童文学作家。本名同じ。三木は旧姓。 | ||
60 | 寒川光太郎 羽幌町 | Wikipedia |
寒川 光太郎(さむかわ こうたろう、1908年1月1日 - 1977年1月25日)は北海道羽幌町出身の小説家。 本名は菅原憲光(すがわら のりみつ)。 | ||
法政大学出身 出身の法政大学の出身者 全国の法政大学の出身者 | ||
61 | 南條範夫 中央区 | Wikipedia |
南條 範夫(なんじょう のりお、1908年11月14日 - 2004年10月30日)は、日本の小説家、経済学者。本名、古賀英正。「條」は旧字のため南条範夫とも表記される。残酷ものと呼ばれる独特の作品や剣豪小説をはじめ、幅広い歴史小説、時代小説で知られる。東京市出身。 | ||
62 | 本多秋五 豊田市 | Wikipedia |
本多 秋五(ほんだしゅうご、1908年(明治41年)9月22日 - 2001年(平成13年)1月13日)は、愛知県西加茂郡猿投村(現:豊田市)出身の文芸評論家である。 | ||
63 | 菊田一夫 奥州市 | Wikipedia |
菊田 一夫(きくた かずお、1908年3月1日 - 1973年4月4日)は、日本の劇作家・作詞家。本名は菊田 数男。娘の菊田伊寧子は作曲家。 | ||
64 | 中村地平 宮崎市 | Wikipedia |
中村 地平(なかむら ちへい、1908年(明治41年)2月7日 - 1963年(昭和38年)2月26日)は宮崎県出身の小説家、銀行家。宮崎県立図書館長、宮崎相互銀行(現宮崎太陽銀行)社長。自らが憧れた南方の風土で培われた南方文学を提唱した。筆名であり、本名は中村治兵衛。 | ||
65 | 三木澄子 長崎市 | Wikipedia |
三木 澄子(みき すみこ、1908年1月2日 - 1988年4月16日)は、日本の児童文学作家。本名同じ。三木は旧姓。 | ||
66 | 御荘金吾 愛南町 | Wikipedia |
御荘 金吾(みしょう きんご、1908年12月11日 - 1985年7月22日)は、日本の脚本家、映画監督、劇作家、放送作家である[3][4][5][6][7][8][9][10][11][12][13][14][15][16]。本名は木村 力馬(きむら りきま)。戦後に発表したルポルタージュ『ブラジルぶらぶら記』(1958年)で知られ、日本ブラジル中央協会理事を務めた[7][8]。 | ||
67 | 大池唯雄 | Wikipedia |
大池 唯雄(おおいけ ただお、1908年10月30日 - 1970年5月27日 )は、日本の作家。 | ||
東北大学出身 出身の東北大学の出身者 全国の東北大学の出身者 | ||
68 | 山川惣治 佐倉市 | Wikipedia |
山川 惣治(やまかわ そうじ、1908年2月28日 - 1992年12月17日)は主に昭和20年代(1945年から1954年)から昭和30年代(1955年から1964年)に活躍した絵物語作家。 | ||
69 | 植田敏郎 広島市 | Wikipedia |
植田 敏郎(うえだ としろう、1908年1月17日 - 1992年10月21日)は、ドイツ文学者、翻訳家。 | ||
70 | 夏目伸六 新宿区 | Wikipedia |
夏目 伸六(なつめ しんろく、1908年12月17日 - 1975年2月11日)は、日本の随筆家。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
71 | 小尾十三 | Wikipedia |
小尾 十三(おび じゅうぞう、1908年10月26日 - 1979年3月8日)は、日本の小説家、教師。 | ||
72 | 永井隆 松江市 | Wikipedia |
永井 隆(ながい たかし、1908年(明治41年)2月3日 - 1951年(昭和26年)5月1日)は、日本の医学博士、随筆家。『長崎の鐘』や『この子を残して』等の著書がある。 | ||
73 | 山川惣治 | Wikipedia |
山川 惣治(やまかわ そうじ、1908年2月28日 - 1992年12月17日)は主に昭和20年代(1945年から1954年)から昭和30年代(1955年から1964年)に活躍した絵物語作家。 | ||
74 | 倉光俊夫 台東区 | Wikipedia |
倉光 俊夫(くらみつ としお、1908年11月12日 - 1985年4月16日)は、日本の小説家。 | ||
法政大学出身 出身の法政大学の出身者 全国の法政大学の出身者 |
弁護士
75 | 戒能通孝 | Wikipedia |
戒能 通孝(かいのう みちたか、1908年5月30日 - 1975年3月22日)は、日本の法学者。専門は民法。弁護士。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
建築家・建築学者・技術者
76 | 吉村順三 | Wikipedia |
吉村 順三(よしむら じゅんぞう、1908年9月7日 - 1997年4月11日)は日本の建築家。皇居新宮殿の建設に関わった。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 |
経営者・実業家
77 | 今里広記 波佐見町 | Wikipedia |
今里 広記 (いまざと ひろき、1908年(明治40年)11月27日 - 1985年(昭和60年)5月30日)は、日本の実業家、財界人。長崎県出身。広範な交友と人脈から、財界におけるまとめ役として「財界官房長官」「財界幹事長」の異名を取った。 | ||
78 | 伊藤傳三 四日市市 | Wikipedia |
伊藤 傳三 (いとう でんぞう、1908年(明治41年)11月19日 - 1981年(昭和56年)6月22日)は実業家、元伊藤ハム栄養食品社長。現・伊藤ハム株式会社創業者である。 | ||
79 | 大脇英夫 米子市 | Wikipedia |
大脇 英夫(おおわき ひでお、1908年(明治41年)7月22日 - 没年不明)は、日本の検事、弁護士。島根県弁護士会副会長。松江市公安委員会長。 | ||
80 | 大脇熊雄 米子市 | Wikipedia |
大脇 英夫(おおわき ひでお、1908年(明治41年)7月22日 - 没年不明)は、日本の検事、弁護士。島根県弁護士会副会長。松江市公安委員会長。 | ||
81 | 中川英造 呉市 | Wikipedia |
中川 英造(なかがわ えいぞう、1908年3月23日 - 1999年10月14日)はテレビ朝日第7代代表取締役社長。広島県出身。朝日新聞社で業務部門を歩み、代表取締役専務ののち日本教育テレビ(NET)に転じた。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
82 | 高橋敏雄 広島市 | Wikipedia |
高橋 敏雄(たかはし としお、明治41年(1908年)1月13日 - 不明)は、広島県広島市出身の実業家・経営者である。萬国製針二代目社長・会長を歴任。父は萬国製針創業者の高橋誠太郎。 | ||
83 | 絲屋寿雄 京都市 | Wikipedia |
絲屋 寿雄(いとや としお、1908年10月18日 - 1997年5月21日)は、日本の映画プロデューサー、思想史家である。近代映画協会初代社長。 | ||
84 | 伊部恭之助 新宿区 | Wikipedia |
伊部 恭之助(いべ きょうのすけ、1908年7月28日 - 2001年4月16日)は、日本の実業家。住友銀行頭取・会長。関西経済同友会代表幹事、日仏クラブ世話人。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
85 | 尾本信平 大多喜町 | Wikipedia |
尾本 信平(おもと しんぺい、明治41年(1908年)10月17日 - 平成11年(1999年)4月19日)は、三井金属(現・三井金属鉱業)元社長・元会長・元名誉相談役。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
86 | 石井英一 三豊市 | Wikipedia |
石井 英一(いしい えいいち、1908年1月12日 - 1989年12月10日)は、日本の官僚、実業家。元運輸省資材局長。元東洋電機製造社長。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
87 | 石川孝一 観音寺市 | Wikipedia |
石川 孝一(いしかわ こういち、1908年2月18日 - 1978年8月24日 )は、日本の実業家。元神鋼商事社長。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
88 | 清宮博 広島市 | Wikipedia |
清宮 博(せいみや ひろし、1908年8月6日 - 1976年4月27日)は電気工学者、実業家。元富士通社長、会長。日本のコンピューターパイオニアの一人[2]。旧姓根岸。 | ||
89 | 井深大 | Wikipedia |
井深 大(いぶか まさる、1908年(明治41年)4月11日 - 1997年(平成9年)12月19日)は、日本の電子技術者および実業家。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
90 | 古岡秀人 | Wikipedia |
古岡 秀人(ふるおか ひでと、1908年12月15日 - 1994年5月17日)は福岡県出身の編集者、出版事業家。学習研究社(現・学研ホールディングス)創業者、同代表取締役社長。 | ||
福岡教育大学出身 出身の福岡教育大学の出身者 全国の福岡教育大学の出身者 | ||
91 | 与良ヱ | Wikipedia |
与良 ヱ (よら あいち、1908年1月1日 – 1968年4月11日)は、日本の実業家。元中部日本新聞社社長、元共同通信社理事。 | ||
名古屋大学出身 出身の名古屋大学の出身者 全国の名古屋大学の出身者 | ||
92 | 田坂輝敬 今治市 | Wikipedia |
田坂輝敬(たさか てるよし、1908年(明治41年)5月27日 - 1977年(昭和52年)1月18日)は新日本製鐵株式會社の第三代目の社長。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
93 | 林利勇 | Wikipedia |
林 利勇(はやし としお、1908年(明治41年)10月8日 - 2004年(平成16年)9月18日)は、日本の実業家、(株)ヒューテックノオリン(本社・東京、旧(株)農林協同倉庫)創業者。戦中から戦後にかけ農業団体一筋に精励、戦後は倉庫業を興し冷凍装備のトラック輸送、百貨店の共同配送等、業界の先駆的役割を果たした。 | ||
94 | 井深大 | Wikipedia |
井深 大(いぶか まさる、1908年(明治41年)4月11日 - 1997年(平成9年)12月19日)は、日本の電子技術者および実業家。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
95 | 井上義海 広島市 | Wikipedia |
井上 義海(いのうえ よしみ、1908年(明治41年)3月26日 - 2000年(平成12年)4月22日)は、広島県出身の官僚、実業家。大蔵省印刷局長、神戸製鋼所社長などを務めた。 | ||
96 | 吉田忠雄 魚津市 | Wikipedia |
吉田 忠雄(よしだ ただお、1908年9月19日 - 1993年7月3日)は日本の実業家で、YKKの創業者。富山県出身。魚津市、黒部市の名誉市民。神奈川県藤沢市に居住していた。 |
医師・看護師
97 | 秦藤樹 | Wikipedia |
秦 藤樹(はた とうじゅ、ふじき[2]、1908年4月13日 - 2004年3月25日)は日本の医師。医学者。専門は微生物科学。元北里大学学長。旧姓は藤松。細菌学者の秦佐八郎の養子となった。 | ||
98 | 瀬木三雄 名古屋市 | Wikipedia |
瀬木 三雄(せぎ みつお、1908年 - 1982年)は日本の医学博士。名古屋市生まれ。東京大学医学部卒業。旧厚生省の初代母子衛生課長として母子健康手帳を創設し、東北大学医学部にて公衆衛生学教室を主宰。癌統計学の第一人者として知られ、いわゆる「瀬木の帽子」(胎児の基底顆粒細胞集団)の発見者でもある。1971年に退官。瀬木学園(現 愛知みずほ大学等)理事長、学長、高校長を歴任。 | ||
東北大学出身 出身の東北大学の出身者 全国の東北大学の出身者 |
軍人
99 | 嶋崎重和 奈良市 | Wikipedia |
嶋崎 重和(しまざき しげかず、1908年(明治41年)9月9日 - 1945年(昭和20年)1月9日)は、日本の海軍軍人。空母「瑞鶴」飛行隊長として真珠湾攻撃で第二次攻撃隊長を務めた。戦死による二階級特進で最終階級は海軍少将。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
100 | 吉岡忠一 鳥取市 | Wikipedia |
吉岡 忠一(よしおか ただかず、1908年5月14日 - 2000年)は、日本の海軍軍人。海軍兵学校57期。最終階級は海軍中佐。旧姓は大杉。 | ||
101 | 藤原岩市 丹波市 | Wikipedia |
藤原 岩市(ふじわら いわいち、1908年3月1日‐1986年2月24日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。F機関を成功させた人物として有名。 | ||
102 | 栗原安秀 松江市 | Wikipedia |
栗原 安秀(くりはら やすひで、明治41年(1908年)11月17日 - 昭和11年(1936年)7月12日)は、日本の陸軍軍人、国家社会主義者。1936年2月26日に勃発した二・二六事件に参加した。磯部浅一に並ぶ急進派として知られる。最終階級は陸軍歩兵中尉。 | ||
103 | 杉江一三 | Wikipedia |
杉江 一三(すぎえ いちぞう、1908年(明治41年)9月18日 - 1999年(平成11年)7月27日)は、日本の海軍軍人及び海上自衛官。海軍兵学校卒業(56期)。第5代海上幕僚長、第2代統合幕僚会議議長。 | ||
104 | 梅林孝次 徳島市 | Wikipedia |
梅林 孝次(うめばやし たかつぐ、 1908年(明治41年) - 1937年(昭和12年)8月16日)は日本の軍人(海軍中尉、戦死後海軍大尉)。日本海軍陸攻搭乗員。揚州への渡洋爆撃に指揮官代理として参加し、中国空軍戦闘機との戦闘で乗機が撃墜された際、黒煙の中から僚機に白いハンカチを振って別れを告げて自爆したことから、その散り際の見事さが戦場美談として伝えられた。 | ||
105 | 有坂秀世 | Wikipedia |
有坂 秀世(ありさか ひでよ、1908年(明治41年)9月5日 - 1952年(昭和27年)3月13日)は、日本の言語学者、日本語学者。日本語の音韻史や音韻論に関して業績を遺した。上代特殊仮名遣に関する有坂の法則で知られる。父は軍人の有坂鉊蔵。 |
官僚
106 | 高橋浩之 川根村 | Wikipedia |
高橋 浩之(たかはし ひろゆき、1908年3月2日 - 1962年1月23日)は、日本の農林省官僚、農林技官。コシヒカリ生みの親。 | ||
九州大学出身 出身の九州大学の出身者 全国の九州大学の出身者 | ||
107 | 神田坤六 新潟市 | Wikipedia |
神田 坤六(かんだ こんろく、1908年12月10日 - 2005年5月20日)は元群馬県知事。新潟県中蒲原郡横越村 出身。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
108 | 平田敬一郎 雲仙市 | Wikipedia |
平田 敬一郎(ひらた けいいちろう、1908年9月5日 - 1992年5月22日)は、日本の大蔵官僚。大蔵事務次官、日本開発銀行総裁。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 |
公務員
109 | 湯川盛夫 | Wikipedia |
湯川 盛夫(ゆかわ もりお、1908年2月23日 - 1988年3月16日)は日本の外交官。 |
学者・教授・准教授
110 | 佐藤森三 佐久穂町 | Wikipedia |
佐藤 森三 (さとう もりぞう、明治41年(1908年)11月29日 - 昭和49年(1974年)4月30日)は、長野県出身。山梨県の郷土史家、民俗学者。本名は佐藤 森蔵。筆名に榊詮吉、青山三九郎。 | ||
111 | 可児藤吉 勝央町 | Wikipedia |
可児 藤吉(かに とうきち、1908年1月1日 - 1944年7月18日)は日本の先駆的な群集生態学者。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
112 | 上村悦子 京都市 | Wikipedia |
上村 悦子(うえむら えつこ、1908年10月11日 - 1999年2月12日)は、国文学者、日本女子大学名誉教授。 | ||
113 | 平田冨太郎 横手市 | Wikipedia |
平田 冨太郎(ひらた とみたろう、1908年5月22日-1995年3月20日)は、日本の社会学者。早稲田大学名誉教授。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
114 | 五来重 日立市 | Wikipedia |
五来 重(ごらい しげる、1908年(明治41年)3月7日 - 1993年(平成5年)12月11日)は、日本の民俗学者の一人。 | ||
高野山大学出身 出身の高野山大学の出身者 全国の高野山大学の出身者 | ||
115 | 五味智英 下諏訪町 | Wikipedia |
五味 智英(ごみ ともひで、1908年11月30日 - 1983年3月9日)は、日本の文学者(上代文学)、万葉集の権威である。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
116 | 村山七郎 | Wikipedia |
村山 七郎(むらやま しちろう、1908年 - 1995年)は、日本の言語学者。茨城県生まれ。順天堂大学教授、ルール大学(旧西ドイツ)客員教授、九州大学教授を経て京都産業大学教授。 日本語の起源が、アルタイ諸語(特にツングース諸語)とオーストロネシア諸語(w:Austronesian languages)の混合言語に起源するという説を展開した。 | ||
117 | 馬場啓之助 | Wikipedia |
馬場 啓之助(ばば けいのすけ、1908年11月23日 - 1988年11月)は、経済史学者、一橋大学名誉教授。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
118 | 藤田良雄 | Wikipedia |
藤田 良雄(ふじた よしお、1908年9月28日 - 2013年1月9日)は、日本の天文学者。東京大学名誉教授。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
119 | 肥沼信次 八王子市 | Wikipedia |
肥沼 信次(こえぬま のぶつぐ、1908年10月9日 - 1946年3月8日)は、日本の医学者。第二次世界大戦後のドイツで医療活動に尽力し、現地で病没した。ヴリーツェン市名誉市民。医学博士(フンボルト大学ベルリン) | ||
120 | 菅田栄治 米子市 | Wikipedia |
菅田 榮治(すがた えいじ、1908年2月16日 - 1988年7月13日)は日本の工学者。工学博士。 | ||
121 | 前田敏男 | Wikipedia |
前田 敏男(まえだ としお、1908年(明治41年)1月1日 - 1991年(平成3年)7月24日)は、日本の建築学者。建築環境工学の開拓者でかつ熱環境工学の確立者。京都大学総長、日本建築学会会長などを歴任した。日本建築学会賞、日本建築学会大賞などを受賞。勲一等瑞宝章。京都大学名誉教授。 | ||
122 | 中川秀恭 隠岐の島町 | Wikipedia |
中川 秀恭(なかがわ ひでやす、1908年(明治41年)1月1日 - 2009年(平成21年)4月26日)は、日本の哲学者、文学博士、Ph.D.(イェール大学)。日本各地の大学の学長・理事長を歴任した。 | ||
123 | 小松摂郎 茅野市 | Wikipedia |
小松 摂郎(こまつ せつろう、1908年2月14日 - 1975年5月9日)は、日本の哲学者。大阪府出身。 | ||
124 | 増田四郎 山添村 | Wikipedia |
増田 四郎(ますだ しろう、1908年(明治41年)10月2日 - 1997年(平成9年)6月22日)は、日本の歴史学者。一橋大学名誉教授。専門は西洋史、西洋経済史。西洋社会・経済史の変遷を、実証研究と、比較社会史・地域史の方法論を用いて研究した。日本学術振興会会長、国立大学協会副会長、日本学士院会員等を歴任。文化勲章受章者。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
125 | 倉田貞美 三豊市 | Wikipedia |
倉田 貞美 (くらた さだよし、1908年12月1日 - 1994年5月5日)は、日本の教育者、中国文学者。博士(文学)。元香川大学学長。香川大学名誉教授。 | ||
筑波大学出身 出身の筑波大学の出身者 全国の筑波大学の出身者 | ||
126 | 森喜作 | Wikipedia |
森 喜作(もり きさく、1908年10月4日 - 1977年10月23日)は、群馬県桐生市出身の農学者である。群馬県立桐生高等学校、京都大学農学部卒業。森産業株式会社社長。歴史学者の羽仁五郎は叔父。衆議院議員で元内閣総理大臣の森喜朗と血縁関係はない。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
127 | 吉識雅夫 福崎町 | Wikipedia |
吉識 雅夫(よしき まさお、1908年1月20日 - 1993年6月27日)は、日本の船舶工学者、東京大学名誉教授。兵庫県福崎町名誉町民。 | ||
128 | 服部四郎 亀山市 | Wikipedia |
服部 四郎(はっとり しろう、1908年5月29日 - 1995年1月29日)は、日本の言語学者。東京大学名誉教授。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
129 | 前川俊一 熊野市 | Wikipedia |
前川 俊一(まえかわ しゅんいち、1908年6月5日 - 1993年1月11日)は、日本の英文学者、九州大学名誉教授。 | ||
130 | 山田晟 | Wikipedia |
山田 晟(やまだ あきら、1908年 - 2003年10月12日)は、岩手県一関市出身の法学者。専門はドイツ法。東京大学名誉教授、成蹊大学名誉教授、元愛知学院大学客員教授。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
131 | 松本秋男 札幌市 | Wikipedia |
松本 秋男(まつもと あきお、1908年(明治41年) - 1992年(平成4年))は、、日本の工学者・元官僚。工学博士。元北見工業大学学長、北海道大学名誉教授。北海道札幌市出身。 | ||
132 | 佐貫亦男 武蔵野市 | Wikipedia |
佐貫亦男(さぬきまたお、1908年(明治41年)1月1日-1997年(平成9年)6月28日 )は日本の航空技術者、航空宇宙評論家、作家、エッセイスト。 | ||
133 | 佐藤源治 鶴岡市 | Wikipedia |
佐藤 源治(さとう げんじ、1908年(明治41年) - 1995年(平成7年)6月9日)は、日本の教育者、民俗学者。朝日村名誉村民(現・鶴岡市名誉市民)。栄典は従四位・勲四等・旭日小綬章。 | ||
134 | 山城章 日南町 | Wikipedia |
山城 章(やましろ あきら、1908年5月3日 - 1993年2月3日)は、日本の経営学者。 |
研究者・研究家・発明家
135 | 高津春繁 神戸市 | Wikipedia |
高津 春繁(こうづ はるしげ、1908年1月19日 - 1973年5月4日)は、日本の言語学者、比較言語学研究者、古代ギリシア文学研究者。文学博士(東京大学)。東京大学文学部教授、武蔵大学人文学部教授、人文学部長(初代)を歴任。東京大学名誉教授。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
136 | 松田道雄 常総市 | Wikipedia |
松田 道雄(まつだ みちお、1908年10月26日 - 1998年6月1日)は日本の医師・育児評論家・歴史家。著述家・マジック研究家の松田道弘は息子。 |
画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家・漆芸家・工芸家
137 | 八島太郎 南大隅町 | Wikipedia |
八島 太郎(やしま たろう、1908年9月21日 - 1994年6月30日)は、日本とアメリカとで活躍した日本人画家、絵本作家である。本名 : 岩松 淳(いわまつ じゅん)。鹿児島県肝属郡小根占村出身。作家の伊佐千尋、俳優のマコ岩松は息子。 | ||
138 | 野田英夫 | Wikipedia |
野田 英夫(のだ ひでお、1908年7月15日 - 1939年1月12日)は、洋画家。アメリカ合衆国生まれの日系人。 | ||
139 | 三坂耿一郎 郡山市 | Wikipedia |
三坂 耿一郎(みさか こういちろう、1908年5月26日 - 1995年8月3日)は、彫刻家、日本芸術院会員。福島県郡山市出身。本名は政治。 | ||
140 | 田上帯雨 | Wikipedia |
田上 帯雨(たがみ たいう、1908年(明治41年)4月18日-2000年(平成12年)7月8日)は日本の書家。全日本書芸文化院名誉代表。本名は田上重利。 | ||
法政大学出身 出身の法政大学の出身者 全国の法政大学の出身者 | ||
141 | 富谷龍一 相模原市 | Wikipedia |
富谷 龍一(とみや りゅういち、1908年(明治41年)4月15日 - 1997年(平成9年)10月12日)は日本の自動車技術者、工業デザイナー、画家 。 | ||
142 | 福井勇 綾部市 | Wikipedia |
福井 勇(ふくい いさむ、1908年(明治41年)7月17日 - 1988年(昭和63年)9月14日)は日本の画家。京都府綾部市生まれ。 | ||
143 | 金田心象 幌延町 | Wikipedia |
金田 心象(かねだ しんしょう、1908年1月18日 - 1990年2月16日)は、北海道幌延町出身の書家である。文部省事務官なども務めた。心象は号で、本名 吉尾。 | ||
144 | 脇田和 相模原市 | Wikipedia |
脇田 和(わきた かず、1908年(明治41年)6月7日 - 2005年(平成17年)11月27日)は昭和期に活躍した日本の男性洋画家。新制作協会創立会員。童話的で温かな印象を受ける作風が特徴。実子は洋画家の脇田愛二郎。 | ||
145 | 菅野矢一 山形市 | Wikipedia |
菅野 矢一(すがの やいち、1908年1月19日 - 1991年6月15日)は、洋画家、日本芸術院会員。 | ||
146 | 桜井浜江 山形市 | Wikipedia |
桜井 浜江(さくらい はまえ、1908年(明治41年)- 2007年(平成19年)2月12日)は、山形県山形市出身の洋画家。独立美術協会会員。 | ||
147 | 吉井忠 | Wikipedia |
吉井 忠(よしい ただし、1908年7月25日 - 1999年8月5日)は、日本の洋画家。 | ||
148 | 山崎治雄 岡山市 | Wikipedia |
山崎 治雄(やまさき はるお、英語名:YAMASAKI Haruo、正式には山﨑治雄と表記、1908年(明治41年) - 1987年(昭和62年))は、石津良介とともに戦前、戦後の岡山写真界の礎を築いた写真家。 | ||
149 | 秋野不矩 浜松市 | Wikipedia |
秋野 不矩(あきの ふく、1908年7月25日 - 2001年10月11日)は、日本画家。静岡県磐田郡二俣町(現・浜松市天竜区二俣町)生まれ。 | ||
静岡大学出身 出身の静岡大学の出身者 全国の静岡大学の出身者 | ||
150 | 田中一村 栃木市 | Wikipedia |
田中一村(たなか いっそん、1908年7月22日 - 1977年9月11日)は、日本画家である。奄美大島の自然を愛し、その植物や鳥を鋭い観察と画力で力強くも繊細な花鳥画に描いた。本名は田中孝。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
151 | 東山魁夷 神戸市 | Wikipedia |
東山 魁夷(ひがしやま かいい、1908年(明治41年)7月8日 - 1999年(平成11年)5月6日)は、日本の画家、著述家。昭和を代表する日本画家の一人といわれる。文化勲章受章者。千葉県市川市名誉市民。本名は東山 新吉(ひがしやま しんきち)。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
152 | 島崎蓊助 | Wikipedia |
島崎 蓊助(しまざき おうすけ、1908年12月17日 - 1992年3月11日)は、昭和時代の画家、共産主義運動家。父は作家の島崎藤村、兄は同じく画家の島崎鶏二。 | ||
153 | 小石清 | Wikipedia |
小石 清(こいし きよし、1908年3月26日 - 1957年7月7日)は、日本の戦前を代表する写真家。戦争のために創作の機会を奪われた末に早世した悲劇の天才として知られる。 |
政治家・議員・首長
154 | 西田善一 大津市 | Wikipedia |
西田 善一(にしだ ぜんいち、1908年8月1日 - 1981年4月25日)は、滋賀県の政治家、実業家、第19代大津市長。高等商業学校卒業後、実業家として活躍し、その後大津市議会議員、滋賀県議会議員、大津市長等を歴任した。大津市長として総合開発計画、市庁舎の移転建設、町村合併、びわこ大博覧会などの大事業を行った。その後も各種役職を務め、1981年に大津市名誉市民に選ばれた。 | ||
滋賀大学出身 出身の滋賀大学の出身者 全国の滋賀大学の出身者 | ||
155 | 白浜仁吉 新上五島町 | Wikipedia |
白浜 仁吉(しらはま にきち、1908年8月1日 - 1985年1月4日)は、昭和期の政治家。 | ||
156 | 石破二朗 八頭町 | Wikipedia |
石破 二朗(いしば じろう、1908年(明治41年)7月29日 - 1981年(昭和56年)9月16日)は、日本の内務・建設官僚、政治家。正三位勲一等。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
157 | 石谷憲男 智頭町 | Wikipedia |
石谷 憲男(いしたに のりお、1908年 - 1966年)は日本の官僚、政治家。元林野庁長官。元参議院議員。鳥取県議会議長をつとめた石谷源蔵の孫。 | ||
158 | 斎藤寿夫 富士市 | Wikipedia |
斎藤 寿夫(さいとう としお、1908年1月11日 – 1999年5月24日)は、昭和期の政治家、官僚。静岡県知事。 | ||
静岡大学出身 出身の静岡大学の出身者 全国の静岡大学の出身者 | ||
159 | 大石八治 吉田町 | Wikipedia |
大石 八治(おおいし はちじ、1908年-1976年)は、日本の政治家、自由民主党所属の衆議院議員(3期)。 | ||
横浜国立大学出身 出身の横浜国立大学の出身者 全国の横浜国立大学の出身者 | ||
160 | 勝間田清一 | Wikipedia |
勝間田 清一(かつまた せいいち、1908年2月11日 - 1989年12月14日)は、日本の政治家。日本社会党委員長、政審会長、国対委員長、衆議院副議長を歴任した。正三位勲一等旭日大綬章。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
161 | 山村新治郎_(10代目) 香取市 | Wikipedia |
10代目山村 新治郎(やまむら しんじろう、明治41年(1908年)3月2日 - 昭和39年(1964年)10月2日)は、日本の政治家、実業家。元衆議院議員。予算委員長、議院運営委員長、自由民主党の国会対策委員長等の要職を歴任し、池田内閣において行政管理庁長官を務めた。他に佐原造船社長、山村産業社長、会長も務めた[2]。 | ||
162 | 松野幸泰 瑞穂市 | Wikipedia |
松野 幸泰(まつの ゆきやす、1908年(明治41年)10月13日 - 2006年(平成18年)5月22日)は、日本の政治家。岐阜県知事、自由民主党衆議院議員。孫は自民党衆議院議員の棚橋泰文。妻は43年間穂積村・町長(現:瑞穂市)を務めた松野友。子に元岐阜県議会議員松野幸昭と前瑞穂市長の松野幸信がいる。 | ||
163 | 戸叶里子 松本市 | Wikipedia |
戸叶 里子(とかの さとこ、1908年11月29日 - 1971年11月7日)は、日本の政治家。日本社会党選出の衆議院議員。 | ||
164 | 今泉隆平 南魚沼市 | Wikipedia |
今泉 隆平(いまいずみ りゅうへい、1908年8月 - 1997年3月)は、日本の政治家。新潟県南魚沼郡石打村長。塩沢町名誉町民第1号。 | ||
165 | 小林孝平 長岡市 | Wikipedia |
小林 孝平(こばやし こうへい、1908年7月15日 - 1991年4月13日)は日本の官僚、政治家。参議院議員(2期)、新潟県長岡市長(5期18年)。勲二等瑞宝章。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
166 | 山川泰邦 | Wikipedia |
山川泰邦(やまかわ やすくに(たいほう)、1908年(明治41年)8月8日 - 1991年(平成3年)5月4日)は、琉球政府および沖縄県の政治家・教育者・警察官である。1958年(昭和33年)からは立法院議員に5期連続で当選し、1967年(昭和42年)からは立法院議長を務めた。 | ||
167 | 青柳盛雄 | Wikipedia |
青柳 盛雄(あおやぎ もりお、1908年11月11日 - 1993年1月22日)は日本の弁護士、政治家。元衆議院議員(日本共産党公認、2期)。日本共産党中央委員会顧問、日本民主法律家協会理事、日本国際法律家協会顧問などを歴任した。 | ||
信州大学出身 出身の信州大学の出身者 全国の信州大学の出身者 |
評論家
168 | 安藤鶴夫 台東区 | Wikipedia |
安藤鶴夫(あんどう つるお、1908年(明治41年)11月16日 - 1969年(昭和44年)9月9日)は、小説家(直木賞受賞)。落語、文楽、歌舞伎、新劇の評論家であり演芸プロデューサーでもあった。本名、花島鶴夫。 | ||
法政大学出身 出身の法政大学の出身者 全国の法政大学の出身者 | ||
169 | 小峰柳多 | Wikipedia |
小峰 柳多(こみね りゅうた、1908年9月3日 - 1974年5月29日)は、日本の政治家・経済評論家。元衆議院議員。群馬県碓氷郡出身。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
170 | 郡司信夫 | Wikipedia |
郡司 信夫(ぐんじ のぶお、1908年10月1日 - 1999年2月11日)は、栃木県出身のボクシング評論家。 | ||
大正大学出身 出身の大正大学の出身者 全国の大正大学の出身者 | ||
171 | 宮本顕治 | Wikipedia |
宮本 顕治(みやもと けんじ、1908年(明治41年)10月17日 - 2007年(平成19年)7月18日)は、日本の政治家、文芸評論家。通称ミヤケン。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
172 | 渡辺勉 (写真) | Wikipedia |
渡辺 勉(わたなべ つとむ、1908年5月9日-1978年1月17日)は、写真評論家、写真家。 | ||
173 | 佐貫亦男 横手市 | Wikipedia |
佐貫亦男(さぬきまたお、1908年(明治41年)1月1日-1997年(平成9年)6月28日 )は日本の航空宇宙評論家、エッセイスト。 |
宗教家・思想家・運動家
174 | 篠田康雄 伊勢市 | Wikipedia |
篠田 康雄(しのだ やすお、1908年1月3日 - 1997年2月1日)は日本の神職。熱田神宮宮司、皇學館大学理事長・総長。 | ||
175 | 佐郷屋留雄 | Wikipedia |
佐郷屋 留雄(さごや とめお、1908年12月1日 - 1972年4月14日)は、日本の右翼活動家。熊本県出身。別名は佐郷屋嘉昭(よしあき)。 | ||
176 | 松尾武 さいたま市 | Wikipedia |
松尾 武(まつお たけし、1908年 - 1967年3月)は、日本の牧師。第二次世界大戦前には日本基督教会の牧師、戦後は日本基督改革派教会の創立メンバーの牧師として活躍した。『新改訳聖書』の翻訳を始めたメンバーの一人であり、双恵学園(旧・浦和市)の創立者。牧師・松尾造酒蔵の実弟にあたる。 |
俳人・歌人・詩人・歌人
177 | 野村千春 | Wikipedia |
野村 千春(のむら ちはる、1908年(明治41年)4月6日 - 2000年(平成12年)2月12日)は、長野県岡谷市出身の洋画家である。夫は児童文学者、歌人の巽聖歌。結婚後、東京都日野市に居住し、創作活動を行なった。 | ||
178 | 赤城さかえ 広島市 | Wikipedia |
赤城 さかえ(あかぎ さかえ、男性、1908年6月3日 - 1967年5月16日)は、俳人、俳論家。本名・藤村 昌(さかえ)。 | ||
179 | 横山林二 港区 | Wikipedia |
横山 林二(よこやま りんじ、1908年(明治41年)12月20日-1973年(昭和48年)2月25日)は、日本の自由律俳句の俳人。層雲の荻原井泉水に師事、のちプロレタリア俳句運動に転じ、新興俳句弾圧事件により投獄された。戦後は新俳句人連盟常任委員、現代俳句協会会員。東京都生まれ、本名は吉太郎。 | ||
180 | 山前実治 | Wikipedia |
山前 實治(やまさき さねはる、1908年 - 1978年)は詩人、実業家。岐阜の生まれ京都育ち。歌手倉木麻衣は孫。映像監督山前五十洋は長男。女優の滝沢れい子は五十洋の義妹。 | ||
181 | 永沢与助 板柳町 | Wikipedia |
永沢 与助(ながさわ よすけ、1908年1月 - 1982年9月)は、昭和時代日本の俳人、作詞家。 | ||
182 | 伊馬春部 北九州市 | Wikipedia |
伊馬 春部(いま はるべ、1908年(明治41年)5月30日 - 1984年(昭和59年)3月17日)は日本の作家、劇作家。本名は高崎英雄。旧筆名は伊馬鵜平。戦前から戦後にかけてユーモア小説やラジオドラマなどの分野で活躍。釈迢空門下の歌人としても知られる。 | ||
183 | 山前実治 | Wikipedia |
山前 實治(やまさき さねはる、1908年 - 1978年)は詩人、実業家。岐阜の生まれ京都育ち。歌手倉木麻衣は孫。映像監督山前五十洋は長男。女優の滝沢れい子は五十洋の義妹。 | ||
184 | 常見千香夫 さいたま市 | Wikipedia |
常見 千香夫(つねみ ちかお、1908年(明治41年)10月31日 - 1988年(昭和63年)1月4日)は、埼玉県浦和町(現・さいたま市)出身の歌人。 | ||
185 | おのちゅうこう | Wikipedia |
おの ちゅうこう(1908年2月2日 - 1990年6月25日)は、日本の児童文学作家、詩人。 | ||
群馬大学出身 出身の群馬大学の出身者 全国の群馬大学の出身者 | ||
186 | 米田栄作 広島市 | Wikipedia |
米田 栄作(よねだ えいさく、1908年6月15日 - 2002年8月5日)は、広島県広島市生まれの詩人。戦後、「川よ とわに美しく」をはじめとして、生涯にわたり原爆をテーマとした詩人として知られる。本名は米田 栄(さかえ)。 | ||
187 | 相馬遷子 | Wikipedia |
相馬 遷子(そうま せんし、1908年10月15日 - 1976年1月19日)は、長野県出身の俳人、医師。本名・相馬富雄。東京帝国大学医学部卒。水原秋櫻子に俳句の指導を受け、1940年より「馬酔木」同人。1945年より同人会長。同時に1938年から「鶴」同人、石田波郷に兄事する。同年斎藤玄の斡旋で句集『草枕』を出版。故郷の自然を詠み堀口星眠、大島民郎などとともに馬酔木高原派と呼ばれたが、山本健吉は遷子の句に他の「高原派」にはない、「鶴」との関わりからくる境涯性を指摘している。以後の句集に『山国』(1956年。一般にはこれが第一句集とされている)、『雪嶺』(1969年)、『山河』(1976年)、『相馬遷子全句集』(1982年)がある。1969年、『雪嶺』で第9回俳人協会賞受賞。 | ||
188 | 桜井勝美 武蔵野市 | Wikipedia |
桜井 勝美(さくらい かつみ、1908年2月20日 - 1995年7月24日)は、日本の詩人、文芸評論家。 | ||
189 | 藤田文江 奄美市 | Wikipedia |
藤田 文江(ふじた ふみえ、1908年(明治41年)9月29日 - 1933年 (昭和8年)4月24日)は、日本の詩人。鹿児島県立第二高等女学校および鹿児島女子師範学校卒業。[3][4] | ||
190 | 西川満 | Wikipedia |
西川満(にしかわ みつる、1908年2月12日 - 1999年2月24日)は日本の小説家、詩人。長男は経済学者の西川潤。 | ||
191 | 京極杞陽 豊岡市 | Wikipedia |
京極 杞陽(きょうごく きよう、1908年2月20日 - 1981年11月8日)は、東京市出身の俳人。高浜虚子に師事、「木兎」(もくと)主宰。本名は高光(たかみつ)。豊岡京極家13代当主で、少年期から壮年期までは子爵の爵位を持つ華族であった。靖国神社元宮司の京極高晴は次男である。また、五男の高幸は京極高鋭の養子となり峰山京極家を継いでいる。 |
その他の職業
192 | 山中豊子 広島市 | Wikipedia |
山中豊子(やまなか とよこ、1908年10月12日 - 2006年2月15日)は、広島市出身の日本の美容師・「アーデン山中豊子」。 | ||
193 | 玉井正夫 松山市 | Wikipedia |
玉井 正夫(たまい まさお、1908年10月3日 - 1997年5月26日)は、日本の撮影監督。愛媛県松山市出身。 |