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宝塚・女優・俳優・声優・ナレーター・歌舞伎・能楽・狂言
1 | 伊達信 | Wikipedia |
伊達 信(だて しん、1906年12月15日 - 1960年5月6日)は、日本の俳優。 | ||
2 | 称十代目嵐三右衛門 | Wikipedia |
称十代目 嵐三右衞門(しょう じゅうだいめ あらし さんえもん、新字体:〜衛門、1906年(明治39年)10月23日 - 1980年(昭和55年)7月17日)は関西の歌舞伎役者。屋号は津の國屋。定紋は八角小の字、替紋は橘の三重ね。本名は大川 實(おおかわ みのる)。十一代目 嵐三右衞門(じゅういちだいめ あらしさんえもん)としても知られる。 | ||
3 | 佐々木清野 | Wikipedia |
佐々木清野(ささき きよの、1906年5月27日 -生死不明)は、昭和時代の日本の映画女優。群馬県藤岡市出身。 | ||
4 | 瀧花久子 京都市 | Wikipedia |
瀧花 久子(たきはな ひさこ、本名:田坂 冨美子(たさか ふみこ)、明治39年(1906年)3月4日 - 昭和60年(1985年)2月12日)は、日本の女優。京都府京都市出身。滝花久子と表記される場合もある。 | ||
5 | 見明凡太朗 | Wikipedia |
見明 凡太朗(みあけ ぼんたろう、1906年10月15日 - 1987年)は、日本の俳優。本名、見明 先先(実際の表記は「先」が上下に重なった字体。読みは「みあけ すすむ」)。旧芸名は見明 凡太郎(読みは同じ)。妻は、女優の村田知栄子。 | ||
6 | 市川百々之助 | Wikipedia |
市川 百々之助(いちかわ もものすけ、1906年(明治39年)5月8日 - 1978年(昭和53年)1月15日)は、歌舞伎役者、映画俳優、映画監督。サイレント映画の時代に「ももちゃん」の愛称で親しまれ、全盛期には阪東妻三郎と人気を二分するチャンバラ俳優であった。戦後は芸名を百々木 直(ももき なお)と名乗った。本名は上田 直正(うえだ なおまさ)。 | ||
7 | 滝沢修 新宿区 | Wikipedia |
滝沢 修(たきざわ おさむ、1906年11月13日 - 2000年6月22日)は、日本の俳優、演出家。本名は滝沢 脩。 | ||
8 | 市川市丸 名古屋市 | Wikipedia |
市川 市丸(いちかわ いちまる、1906年10月27日 - 没年不詳)は、日本の俳優である。本名壽 市太郎(ことぶき いちたろう)。美少年俳優として尾上松之助映画で優遇され、主役も張ったが、独立して失敗、低予算娯楽映画の河合映画製作社に移るも22歳そこそこで消えてしまう。 | ||
9 | 西村青児 小樽市 | Wikipedia |
西村 青児(にしむら せいじ、1906年3月30日 - 1948年)は、日本の俳優である[3][4][5][6]。本名西村 清司(にしむら せいじ)、旧芸名日向 錦之助(ひゅうが きんのすけ)。旧漢字表記西村 青兒。 | ||
10 | 杉村春子 | Wikipedia |
杉村 春子(すぎむら はるこ、1906年(明治39年)1月6日 - 1997年(平成9年)4月4日)は、広島県広島市出身の新劇の女優。本名は石山 春子(いしやま はるこ)。旧姓は中野(なかの)。 | ||
11 | 浅香新八郎 函館市 | Wikipedia |
浅香 新八郎(あさか しんぱちろう、1906年12月1日 - 1944年)は、日本の俳優である。本名は金谷 幸太郎(かなや こうたろう)である[2]。 | ||
12 | 三島雅夫 長岡市 | Wikipedia |
三島 雅夫(みしま まさお、1906年(明治39年)1月2日 - 1973年(昭和48年)7月18日)は、日本の俳優。 | ||
法政大学出身 出身の法政大学の出身者 全国の法政大学の出身者 | ||
13 | 熊谷卓三 | Wikipedia |
熊谷 卓三(くまがい たくぞう、1906年11月3日 - 没年不明)は、長野県出身の俳優。旧芸名:熊谷 二良(くまがい じろう)。 | ||
14 | 浜村純 | Wikipedia |
浜村 純(はまむら じゅん、1906年2月7日 - 1995年6月21日)は、日本の俳優。本名は武内 武。 |
歌手・シンガー
15 | 市丸 松本市 | Wikipedia |
市丸・江戸小歌市丸(いちまる・えどこうた いちまる、1906年7月16日 - 1997年2月17日)は、昭和期の芸者歌手。本名は後藤 まつゑ(ごとう まつえ)。江戸小歌中村派17世家元。 | ||
16 | 赤坂小梅 川崎町 | Wikipedia |
赤坂 小梅(あかさか こうめ、1906年4月20日 - 1992年1月17日)は、昭和時代に活躍した日本の芸者歌手。 |
演奏家・作詞家・作曲家・ミュージシャン
17 | 山中直治 野田市 | Wikipedia |
山中直治(やまなか なおじ、1906年1月27日 - 1937年2月13日)は日本の作曲家。童謡「かごめかごめ」を採譜して全国に広めた人物である。31年という短い生涯の中で、200曲以上の曲を残した。 | ||
千葉大学出身 出身の千葉大学の出身者 全国の千葉大学の出身者 | ||
18 | 佐藤長助 | Wikipedia |
佐藤 長助(さとう ちょうすけ、1906年4月10日 - 1983年9月5日)は日本の作曲家。別名青葉宵三(あおば よいぞう)。主に軍歌や戦時歌謡の作曲者として、また東北地方を中心とした童謡の作曲者としても知られる。 | ||
19 | 金井喜久子 | Wikipedia |
金井 喜久子(かない きくこ、1906年3月13日 - 1986年2月17日)は、日本の作曲家。旧姓は川平(かびら)。 | ||
20 | 兎束龍夫 上田市 | Wikipedia |
兎束 龍夫(うづか たつお、1906年(明治39年)7月9日 - 1985年(昭和60年)3月7日)は、日本のヴァイオリニスト。 | ||
21 | 山田栄一 黒石市 | Wikipedia |
山田栄一(やまだ えいいち、1906年(明治39年)10月12日 - 1995年(平成7年)7月27日)は昭和期の作曲家。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 |
舞台・演劇・映画・ドラマ・脚本・プロデューサー・ディレクター
22 | 白井戦太郎 | Wikipedia |
白井 戰太郎(しらい せんたろう、1906年前後 - 1945年8月6日)は、日本の映画監督、脚本家である。市川右太衛門プロダクションでデビュー、亜細亜映画旭ヶ丘撮影所を興した後、大都映画で活躍したが第二次世界大戦末期に徴用され、広島市への原子爆弾投下により被爆死した[2]。近衛十四郎を主役に抜擢した人物として知られる[3]。新漢字表記白井 戦太郎(読み同)、本名煙崎 浅男(たばさき あさお)[4]。 | ||
23 | 筑波雪子 大田区 | Wikipedia |
筑波 雪子(つくば ゆきこ、1906年6月10日 - 1977年6月6日)は、日本の女優。10代で映画にデビュー、サイレント映画時代のスターであった。本名佐藤 ゆき子(さとう ゆきこ、旧姓)。 | ||
24 | 久保為義 京都市 | Wikipedia |
久保 為義(くぼ ためよし、明治39年(1906年)11月15日 - 昭和17年(1942年)2月5日)は、日本の映画監督、脚本家である。宝塚キネマ時代は久保 文憲(くぼ ふみのり)を名乗る。 | ||
25 | 松田定次 京都市 | Wikipedia |
松田 定次(まつだ さだつぐ、1906年11月2日 - 2003年1月20日)は、昭和期の映画監督。戦前はマキノ・プロダクション→新興キネマ→日活→大日本映画、戦後は異母弟のマキノ光雄が製作責任者だった東横映画・東映に属して時代劇映画を量産しヒットシリーズ作を多く手がける。特に、東映時代は東映京都のトップ監督として君臨し、東映オールスターの忠臣蔵映画を3本も演出するなど、プログラムピクチャー大作を多く手掛けた。 | ||
26 | 丸山章治 横浜市 | Wikipedia |
丸山 章治(まるやま しょうじ、1906年2月27日-1968年11月30日)は、日本の映画監督、活動弁士、俳優。 | ||
27 | 八木隆一郎 函館市 | Wikipedia |
八木 隆一郎(やぎ りゅういちろう、1906年4月17日 - 1965年5月12日)は、日本の脚本家である。 | ||
28 | 石本秀雄 洲本市 | Wikipedia |
石本 秀雄(いしもと ひでお、明治39年(1906年)8月18日 - 昭和40年(1965年)10月5日)は、日本の映画撮影技師である。本名藤井 秀雄(ふじい ひでお)。 | ||
29 | 豊田四郎 | Wikipedia |
豊田 四郎(とよだ しろう、1906年1月3日 - 1977年11月13日)は、日本の映画監督。多くの文芸映画を作り、「文芸映画の巨匠」と呼ばれた。 | ||
30 | 八木隆一郎 能代市 | Wikipedia |
八木 隆一郎(やぎ りゅういちろう、1906年4月17日 - 1965年5月12日)は、日本の脚本家である。 |
お笑い
31 | 横山東六 | Wikipedia |
横山東六(よこやま とうろく、本名:横山登二、1906年 - 1980年11月6日)は、昭和期に活躍した漫才師、横山ホットブラザース創始者。 |
ダンサー
32 | 青木湯之助 和歌山市 | Wikipedia |
青木 湯之助(あおき ゆのすけ、明治39年(1906年) - 昭和54年(1979年)12月27日)は、日本の実業家、俳優、タップダンサー。芸名は、郷宏之(ごう ひろゆき)。和歌山県出身。レストランチェーン紅花(BENIHANA)創業者。現在の日本の紅花は四男の青木四郎が取締役である。青木廣彰(ロッキー青木)は長男。 | ||
33 | 大野一雄 大館市 | Wikipedia |
大野 一雄(おおの かずお、1906年(明治39年)10月27日 - 2010年(平成22年)6月1日)は日本の舞踏家。大野一雄舞踏研究所主宰者。 | ||
日本体育大学出身 出身の日本体育大学の出身者 全国の日本体育大学の出身者 | ||
34 | 郷宏之 | Wikipedia |
青木 湯之助(あおき ゆのすけ、明治39年(1906年) - 昭和54年(1979年)12月27日)は、日本の実業家、俳優、タップダンサー。芸名は、郷宏之(ごう ひろゆき)。和歌山県出身。レストランチェーン紅花(BENIHANA)創業者。現在の日本の紅花は四男の青木四郎が取締役である。青木廣彰(ロッキー青木)は長男。 | ||
35 | 大野一雄 函館市 | Wikipedia |
大野 一雄(おおの かずお、1906年(明治39年)10月27日 - 2010年(平成22年)6月1日)は日本の舞踏家。大野一雄舞踏研究所主宰者。 | ||
日本体育大学出身 出身の日本体育大学の出身者 全国の日本体育大学の出身者 |
格闘技
36 | 陸奥錦秀二郎 平川市 | Wikipedia |
陸奥錦秀二郎(むつにしき しゅうじろう、1906年1月25日-1974年2月19日)は、振分部屋に所属した力士。引退後は12代玉ノ井を襲名し、年寄として後進の指導につとめた。本名は鎌田修二郎(旧姓今井)。青森県南津軽郡平賀町(現平川市)出身。170cm、95kg。最高位は西十両筆頭。 | ||
37 | 肥州山栄 佐世保市 | Wikipedia |
肥州山 栄(ひしゅうざん さかえ、1906年8月25日 - 1980年9月11日)は、長崎県佐世保市東浜町出身で、1930年代から1940年代にかけて活躍した大相撲力士である。本名は松本 栄(まつもと さかえ)。最高位は東関脇(1941年1月場所、同年5月場所)。得意手は左四つ、吊り、突っ張りなど。現役時代の体格は180cm、109kg。 | ||
38 | 大八洲晃 高岡市 | Wikipedia |
大八洲 晃(おおやしま あきら、本名:坂本 多喜知(さかもと たきち、旧姓:東爪)、1906年3月10日 - 1975年4月27日)は、富山県西礪波郡(現・高岡市)出身の元大相撲力士。立浪部屋所属。最高位は西前頭10枚目(1936年5月場所)。現役時代の体格は192cm、120kg。得意手は左四つ、寄り。 | ||
39 | 乳井義博 鹿角市 | Wikipedia |
乳井 義博(にゅうい よしひろ、1906年(明治39年) - 1975年(昭和50年)は、日本の剣道家。高野佐三郎(修道学院)の高弟で、高野から剣道十段を授与された。 | ||
40 | 越ノ海東治郎 糸魚川市 | Wikipedia |
越ノ海 東治郎(こしのうみ とうじろう、1906年7月1日 - 1973年1月23日)は、新潟県西頸城郡根知村(現:新潟県糸魚川市)出身の元大相撲力士。本名は渡邊 東治郎(わたなべ とうじろう)(旧姓:加藤)。 | ||
41 | 天城山猪太夫 伊東市 | Wikipedia |
天城山 猪太夫(あまぎやま いだゆう、1906年8月17日 - 1997年9月23日)は、静岡県田方郡伊東町(現在の伊東市)出身で友綱部屋所属の元大相撲力士。本名は石川徳郎(いしかわ とくろう)。身長185cm、体重98kg。得意手は左四つ、吊り。最高位は前頭17枚目。 | ||
42 | 八田一朗 江田島市 | Wikipedia |
八田 一朗(はった いちろう、1906年6月3日 - 1983年4月15日)は、日本のレスリング選手・指導者、政治家である。日本レスリング界の父であり、参議院議員も務めた。また、1964年東京オリンピック招致にも尽力した。広島県安芸郡江田島町(現・江田島市)出身。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
43 | 古曵保正 南部町 | Wikipedia |
古曵 保正(こびき やすまさ、1906年2月21日 - 2003年2月6日)は、鳥取県旧法勝寺村(現南部町)出身の武道家、教育者。講道館創始者嘉納治五郎に直接指導を受けた直弟子。柔道九段(赤帯)。勲四等瑞宝章。 | ||
44 | 射水川成吉 松山市 | Wikipedia |
射水川 成吉(いみずがわしげきち、1906年2月10日 - 1945年3月10日)は、愛媛県温泉郡(現:愛媛県松山市)出身の元大相撲力士。本名は八木 成吉(やぎ しげきち)。 | ||
45 | 吉野岩畄吉 阿南市 | Wikipedia |
吉野岩 畄吉(よしのいわ とめきち、本名は高島 留吉(たかしま とめきち)、1906年3月8日 - 1954年1月30日)は、徳島県那賀郡見能林村(現在の阿南市)出身の元大相撲力士。出羽海部屋所属。最高位は西前頭5枚目(1933年5月場所)。身長173cm。体重82kg。 | ||
46 | 玉得博康 | Wikipedia |
玉得 博康(たまえ ひろやす、1906年-198? )は、日本の空手家。王統流開祖。全日本空手道連盟錬武会初代最高師範。全日本空手道連盟初代元老。群馬県空手道連盟副会長。 | ||
47 | 國ノ濱源逸 霧島市 | Wikipedia |
國ノ濱 源逸(くにのはま げんいつ、1906年7月3日 - 1986年12月20日)とは大相撲の元幕内力士である。本名は中馬 源逸(ちゅうば げんいつ)。鹿児島県姶良郡(現・霧島市)出身。井筒部屋所属。現役時代の体格は身長170cm、体重109kg、得意手は押し。最高位は西前頭5枚目(1932年2月場所、3月場所)、血液型はB型。 | ||
48 | 古曳保正 南部町 | Wikipedia |
古曳 保正(こびき やすまさ、1906年2月21日 - 2003年2月6日)は日本の柔道家(講道館9段)、教育者。 |
野球
49 | 田部武雄 広島市 | Wikipedia |
田部 武雄(たべ たけお、1906年3月28日 - 1945年6月)は、広島県広島市袋町(現在の中区)生まれの[2]プロ野球選手(内野手、外野手、投手)。大日本東京野球倶楽部→東京巨人軍創成期の1番打者、主将。巨人で最初に背番号3を着けた選手(現在永久欠番となっている1と3を両方着けた唯一の選手でもある)[3]。戦死した日本のプロ野球選手の一人。身長5尺3寸(161 cm)、体重14貫(52 kg)。 | ||
50 | 森茂雄 | Wikipedia |
森 茂雄(もり しげお 、1906年3月18日 - 1977年6月24日)は、愛媛県松山市出身のプロ野球選手・監督・実業家。 |
サッカー
51 | 小野卓爾 白老町 | Wikipedia |
小野卓爾(おの たくじ、1906年7月14日 - 1991年2月)は、北海道白老郡白老町出身のサッカー選手、サッカー指導者。 | ||
中央大学出身 出身の中央大学の出身者 全国の中央大学の出身者 |
野球・サッカー以外の球技
52 | 高橋哲雄 広島市 | Wikipedia |
高橋 哲雄(たかはし てつお、1906年 - )は、広島県広島市出身の元日本のバレーボール選手、元バレーボール全日本選手。指導者、元日本バレーボール協会副理事長・名誉副会長。元大阪府バレーボール協会会長。広島高等師範附属中学校(現広島大学附属高校)~神戸高等商業学校(現神戸大学)卒業(1928年)。 | ||
神戸大学出身 出身の神戸大学の出身者 全国の神戸大学の出身者 |
冬季スポーツ
53 | 久保信 | Wikipedia |
久保 信(くぼ まこと、1906年8月19日 - 1991年6月29日)は、日本の男性フィギュアスケート選手(男子シングル)。北海道出身。明治大学政治経済学部卒。 |
陸上競技全般
54 | 津田晴一郎 松江市 | Wikipedia |
津田 晴一郎(つだ せいいちろう、1906年7月26日 - 1991年9月20日)は、島根県松江市出身の日本の陸上競技選手(長距離)。1928年のアムステルダムオリンピックと1932年のロサンゼルスオリンピックでマラソンに出場し、連続して入賞を果たした。 | ||
関西大学出身 出身の関西大学の出身者 全国の関西大学の出身者 |
登山家・冒険家・探検家
55 | 竹節作太 | Wikipedia |
竹節 作太(たけふし さくた、1906年4月17日 - 1988年8月12日)は、長野県下高井郡平隠村(現・山ノ内町)出身のジャーナリスト、クロスカントリースキー選手、登山家。 |
漫画家・イラスト・ゲーム
56 | 神崎武雄 北九州市 | Wikipedia |
神崎 武雄(かんざき たきお、1906年6月18日 - 1944年9月17日)は、日本の小説家。孫は漫画家の押切蓮介(神崎良太)。 |
作家・小説家・エッセイ・文筆・翻訳家・編集者
57 | 大田洋子 | Wikipedia |
大田 洋子(おおた ようこ、1906年11月18日 - 1963年12月10日)は広島県出身の小説家。本名、大田初子。 | ||
58 | 角田喜久雄 横須賀市 | Wikipedia |
角田 喜久雄(つのだ きくお、1906年5月25日 - 1994年3月26日)は日本の小説家で、伝奇小説と呼ばれる時代小説、探偵小説で活躍した。神奈川県出身。 | ||
59 | 坂口安吾 取手市 | Wikipedia |
坂口 安吾(さかぐち あんご、1906年(明治39年)10月20日 - 1955年(昭和30年)2月17日)は、日本の小説家、評論家、随筆家。本名は坂口 炳五(さかぐち へいご)。昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学を代表する作家の一人である。新潟県新潟市出身。東洋大学印度哲学倫理学科卒業。アテネ・フランセでフランス語習得。純文学のみならず、歴史小説や推理小説も執筆し、文芸や時代風俗から古代歴史まで広範に材を採る随筆など、多彩な活動をした。 | ||
60 | 今井誉次郎 | Wikipedia |
今井 誉次郎(いまい たかじろう、1906年1月25日 - 1977年12月16日)は、日本の国語教育者、児童文学作家。 | ||
61 | 岩下俊作 北九州市 | Wikipedia |
岩下 俊作(いわした しゅんさく、1906年11月16日 - 1980年1月30日)は、日本の小説家である。本名は八田秀吉。福岡県小倉市(現北九州市小倉北区)生まれ。 | ||
62 | 北沢喜代治 | Wikipedia |
北沢 喜代治(きたざわ きよじ、1906年10月17日 - 1980年8月11日)は、日本の作家。 | ||
63 | 久保喬 | Wikipedia |
久保 喬(くぼ たかし、本名:久保 隆一郎、1906年11月13日 - 1998年10月23日)は日本の児童文学作家。 | ||
東洋大学出身 出身の東洋大学の出身者 全国の東洋大学の出身者 | ||
64 | 劉寒吉 北九州市 | Wikipedia |
劉 寒吉(りゅう かんきち、1906年 (明治39年) 9月18日 - 1986年 (昭和61年) 4月20日) は、日本の昭和期の小説家。本名は 濱田 陸一 (はまだ りくいち)。 | ||
65 | 小山祐士 福山市 | Wikipedia |
小山祐士(こやま ゆうし、1906年(明治39年)3月29日 - 1982年(昭和57年)6月10日)は、劇作家。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
66 | 乾信一郎 熊本市 | Wikipedia |
乾 信一郎(いぬい しんいちろう、1906年5月15日 - 2000年1月29日)は、日本の小説家、翻訳家。 | ||
67 | 坂口安吾 桐生市 | Wikipedia |
坂口 安吾(さかぐち あんご、1906年(明治39年)10月20日 - 1955年(昭和30年)2月17日)は、日本の小説家、評論家、随筆家。本名は坂口 炳五(さかぐち へいご)。昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学を代表する作家の一人である。新潟県新潟市出身。東洋大学印度哲学倫理学科卒業。アテネ・フランセでフランス語習得。純文学のみならず、歴史小説や推理小説も執筆し、文芸や時代風俗から古代歴史まで広範に材を採る随筆など、多彩な活動をした。 | ||
68 | 辻村もと子 岩見沢市 | Wikipedia |
辻村 もと子(つじむら もとこ、1906年(明治39年)2月11日 - 1946年(昭和21年)5月24日)は、北海道岩見沢生まれの小説家。日本女子大学卒業。東京大空襲で故郷の岩見沢市志文に疎開する。代表作に長編小説「馬追(まおい)原野」があり、それを記念して没後、1972年(昭和47年)8月5日、北海道長沼町の長官山に辻村もと子文学碑「馬追原野」が建立された。 |
弁護士
69 | 新関勝芳 広島市 | Wikipedia |
新関 勝芳(しんぜき / にいぜき かつよし、1906年(明治39年)3月20日 - 1994年(平成6年)4月27日)は、日本の裁判官、弁護士。大阪高等裁判所長官、ロッキード事件の弁護団長を務めた。 |
経営者・実業家
70 | 庭野日敬 十日町市 | Wikipedia |
庭野 日敬(にわの にっきょう、1906年(明治39年)11月15日 - 1999年(平成11年)10月4日、改名前は庭野鹿蔵)は、日本の宗教家で仏教系新宗教の在家教団立正佼成会の開祖(初代)会長。彼は立正佼成会を創立し、一代で一時期は信者公称約170万世帯700万人以上を擁する大教団に育てた。 また1979年(昭和54年)「宗教界のノーベル賞」といわれるテンプルトン賞の日本人初の受賞者でもある。 | ||
71 | 小渕千代 | Wikipedia |
小渕 千代(おぶち ちよ、1906年 - 1996年)は、日本の実業家・政治運動家。吾妻三女傑の異名をとった。群馬県吾妻郡名久田村(現在の中之条町)出身。旧姓・関。「小渕ちよ」と称することもある。 | ||
72 | 坂口平兵衛(2代) 米子市 | Wikipedia |
2代坂口 平兵衛(さかぐち へいべえ、明治39年(1906年)2月15日 - 昭和61年(1986年)2月17日)は日本の実業家、政治家。坂口合名会社・代表社員会長。米子商工会議所名誉会頭。衆議院議員。幼名清太郎。 | ||
73 | 正村竹一 | Wikipedia |
正村 竹一(まさむら たけいち、1906年9月5日 - 1975年10月18日)は日本の実業家。パチンコの正村ゲージの考案者。パチンコの父・パチンコの神様・現代パチンコの生みの親と称される。 | ||
74 | 本田宗一郎 新宿区 | Wikipedia |
本田 宗一郎(ほんだ そういちろう、1906年(明治39年)11月17日 - 1991年(平成3年)8月5日)は、日本の実業家、技術者。輸送用機器メーカー本田技研工業(通称:ホンダ)の創業者。 | ||
75 | 川崎守之助 | Wikipedia |
川崎 守之助(かわさき もりのすけ、1905年2月26日 - 1977年9月10日[2])は、日本の経営者、教育者。初代川崎八右衛門の孫で、2代目川崎八右衛門の長男。東京川崎財閥第3代目当主。千葉工業大学第6代目理事長。妻は有島生馬の長女・暁子。 | ||
76 | 前田巌 | Wikipedia |
前田 巌(まえた いわお、明治39年(1906年)3月30日 - 昭和61年(1986年)8月19日)は、日本の政治家、実業家。栄典・称号は正五位・勲三等瑞宝章・紺綬褒章・藍綬褒章・酒田市特別名誉市民。異名は「ミスター庄内空港」、「東北の松下幸之助」。山形県鶴岡市出身。 | ||
77 | 八馬駒雄 西宮市 | Wikipedia |
八馬 駒雄(はちうま こまお、1906年(明治39年)11月30日 - 没年不明)は、日本の商人(米穀商)[3]、実業家。西宮酒精社長[4][5]。 | ||
78 | 戸川安章 鶴岡市 | Wikipedia |
戸川 安章(とがわ あんしょう、明治39年(1906年)8月3日 - 平成18年(2006年)12月12日)は、日本の民俗学者。山形県民俗研究協議会会長。日本山岳修験学会顧問。致道博物館顧問、荘内文化財保存会理事。鶴岡女子専門学校校長。栄典・称号は、勲五等双光旭日章・羽黒町名誉町民(現・鶴岡市名誉市民)。 | ||
79 | 日向方齊 身延町 | Wikipedia |
日向 方齊(ひゅうが ほうさい、明治39年(1906年)2月24日 – 平成5年(1993年)2月16日)は、日本の経営者・財界人。山梨県出身。元住友金属工業名誉会長。元関西経済連合会会長(1977年 - 1987年)。元新日鉄会長で元経団連会長の稲山嘉寛が「ミスター・カルテル」と呼ばれ、企業経営にもつねに「協調哲学」を打ち出したのに対し、日向は、自由主義経済思想に基づく「競争哲学」の信奉者として知られ、政府との対決もあえて辞さなかった。勲一等旭日大綬章受章 | ||
80 | 前田又兵衛 | Wikipedia |
前田建設工業株式会社(まえだけんせつこうぎょう)は、東京都千代田区に本社を置く建設業者である。準大手ゼネコンの1社。 | ||
81 | 田中清玄 七飯町 | Wikipedia |
田中 清玄(たなか きよはる、明治39年(1906年)3月5日 - 平成5年(1993年)12月10日)は日本の実業家、政治活動家、CIA協力者[2][3]、フィクサーともいわれる。「せいげん」とも通称された。 | ||
82 | 前田義徳 | Wikipedia |
前田 義徳(まえだ よしのり、1906年(明治39年)1月31日~1983年(昭和58年)12月17日)は、日本の放送経営者、ジャーナリスト。 | ||
東京外国語大学出身 出身の東京外国語大学の出身者 全国の東京外国語大学の出身者 | ||
83 | 永田雅一 京都市 | Wikipedia |
永田 雅一(ながた まさいち、1906年1月21日 - 1985年10月24日)は、日本の実業家、映画プロデューサー、プロ野球オーナー、馬主。昭和初期から後期(1930年代後半 - 1980年代前半)にかけて活動していた。大言壮語な語り口から、「永田ラッパ」の愛称でも知られていた。 | ||
東京経済大学出身 出身の東京経済大学の出身者 全国の東京経済大学の出身者 | ||
84 | 和田カツ 小田原市 | Wikipedia |
和田カツ(わだ かつ、1906年12月6日 - 1993年4月28日)は、ヤオハンの創業者。父、田島半次郎。和田良平の妻。子、和田一夫(長男)。養子、山西泰明(五男)。神奈川県小田原市出身。 | ||
85 | 長野泰一 尾鷲市 | Wikipedia |
長野 泰一(ながの やすいち、1906年6月22日 - 1998年2月9日)は日本のウイルス学者。東京大学教授。元日本ウイルス学会会長。三重県尾鷲市出身。 | ||
86 | 曾我正史 新潟市 | Wikipedia |
曾我 正史(そが まさし、1906年3月9日 - 1987年3月4日)は、日本の映画プロデューサー、実業家、映画監督、脚本家である[3][4][5][6]。旧芸名曾我 正男(そが まさお)、映画監督としては振津 嵐峡(ふりつ らんきょう)を名乗った[3][5]。戦後、大映専務取締役、東京第一フィルム代表取締役等を歴任した。 | ||
87 | 岡精義 倉敷市 | Wikipedia |
岡 精義(おか きよし、1906年12月24日 - 不明)は、日本のヤクザ、実業家。暴力団・三代目山口組舎弟。三友企業社長。神戸生コン運輸社長。全国港湾荷役振興協会理事兼神戸副支部長。岡山県倉敷市出身。 | ||
88 | 伍堂輝雄 広島市 | Wikipedia |
伍堂 輝雄(ごどう てるお、1906年1月1日 - 1993年12月16日)は、山口県出身の実業家。元日本航空(JAL)会長。元弁護士。 | ||
89 | 松井義男 呉市 | Wikipedia |
松井 義男(まつい よしお、1906年4月1日 - 1983年2月26日)は、広島県呉市出身の技術者、実業家。ダイワ精工創業者。 | ||
90 | 八谷泰造 山内東村 | Wikipedia |
八谷 泰造(やたがい たいぞう、1906年12月14日 - 1970年3月23日)は、日本の技術者、実業家。日本触媒化学工業(現・日本触媒)創業者。高杉良の経済小説『炎の経営者』の主人公として実名で登場する日本の石油化学工業のパイオニア。 | ||
91 | 松本豊 境港市 | Wikipedia |
松本 豊(まつもと ゆたか、明治39年(1906年)5月8日 - 平成12年(2000年)12月25日)は日本の柔道家、実業家、政治家。境港商工会議所名誉会頭。元境町会議員、境港市会議員。 | ||
92 | 佐近正晴 境港市 | Wikipedia |
佐近 正晴(さこん まさはる、明治39年(1906年) - 昭和35年(1960年))は日本の実業家。弓浜漁業の元社長。 | ||
93 | 古田晁 | Wikipedia |
古田 晁(ふるた あきら、1906年1月13日 - 1973年10月30日)は、日本の出版人、筑摩書房の創業者、初代社長。 | ||
信州大学出身 出身の信州大学の出身者 全国の信州大学の出身者 | ||
94 | 須藤克三 南陽市 | Wikipedia |
須藤 克三(すとう かつぞう、1906年(明治39年)10月30日 - 1982年(昭和57年)10月18日)は、日本の教育者・児童文学者。山形県宮内町(現:南陽市)出身。教員、編集者を経て山形新聞社論説委員兼文化部長を歴任。また山形県芸術文化会議会長、山形県県民芸術祭運営委員長などを務め、戦後の同県における教育文化活動の主軸を担った。さらに無着成恭を見いだした。 | ||
95 | 本田宗一郎 浜松市 | Wikipedia |
本田 宗一郎(ほんだ そういちろう、1906年(明治39年)11月17日 - 1991年(平成3年)8月5日)は、日本の実業家、技術者。輸送用機器メーカー本田技研工業(通称:ホンダ)の創業者。 | ||
静岡大学出身 出身の静岡大学の出身者 全国の静岡大学の出身者 | ||
96 | 青木湯之助 中野区 | Wikipedia |
青木 湯之助(あおき ゆのすけ、明治39年(1906年) - 昭和54年(1979年)12月27日)は、日本の実業家、俳優、タップダンサー。芸名は、郷 宏之(ごう ひろゆき)。和歌山県出身。レストランチェーン紅花(BENIHANA)創業者。現在の日本の紅花は四男の青木四郎が取締役である。青木廣彰(ロッキー青木)は長男。 |
デザイナー
97 | 上田安子 堺市 | Wikipedia |
上田 安子(うえだ・やすこ、1906年4月9日 - 1996年9月7日)は昭和後期の日本のファッション・デザイナー。日本のファッションデザイナーの中では草分け的な存在。 |
その他芸術家
98 | 氷見晃堂 金沢市 | Wikipedia |
氷見晃堂(ひみ こうどう 1906年10月30日 - 1975年2月28日)は木工芸家。重要無形文化財「木工芸」保持者(人間国宝)。木工芸の人間国宝としては2番目の認定者(1970年)である。 |
軍人
99 | 中村一夫 熊本市 | Wikipedia |
中村 一夫(なかむら かずお、1906年3月10日 - )は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大尉。通化守備隊長。熊本県出身。 | ||
100 | 高橋赫一 | Wikipedia |
高橋 赫一(たかはし かくいち、1906年(明治39年)11月29日 - 1942年(昭和17年)5月8日)は、日本の海軍軍人。海兵56期。珊瑚海海戦に空母「翔鶴」艦上爆撃機搭乗員として参加し、米空母「レキシントン」攻撃後に戦死。最終階級は海軍大佐。 | ||
101 | 林正義 熊本市 | Wikipedia |
林 正義(はやし まさよし、1906年(明治39年) 2月14日 - 1980年(昭和55年)9月26日)は、日本の海軍軍人。五・一五事件に連座し、反乱予備罪で有罪となった海軍中尉である。幽顕塾塾長。 | ||
102 | 高山信武 | Wikipedia |
高山 信武(たかやま しのぶ、1906年(明治39年)10月24日 - 1987年(昭和62年)10月16日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。最終階級は陸軍大佐、陸将。 | ||
103 | 檜貝襄治 佐倉市 | Wikipedia |
檜貝 嚢治(ひがい じょうじ、1906年(明治39年)11月20日 - 1943年(昭和18年)1月29日)は、日本の海軍軍人。海兵57期。太平洋戦争(大東亜戦争)時における爆撃機の名パイロットで霞空飛行隊長、七〇一空飛行長を歴任。檜貝式爆撃法を生み出し、ガダルカナル島夜間爆撃等を指揮、多大な戦果をもたらした。七〇五空飛行長の三原元一少佐とともに陸攻隊の双璧といわれた。レンネル島沖海戦において被弾後、敵艦へ突撃。戦死による二階級特進で最終階級は海軍大佐。 | ||
104 | 檜貝嚢治 佐倉市 | Wikipedia |
檜貝 嚢治(ひがい じょうじ、1906年(明治39年)11月20日 - 1943年(昭和18年)1月29日)は、日本の海軍軍人。海兵57期。太平洋戦争(大東亜戦争)時における爆撃機の名パイロットで霞空飛行隊長、七〇一空飛行長を歴任。檜貝式爆撃法を生み出し、ガダルカナル島夜間爆撃等を指揮、多大な戦果をもたらした。七〇五空飛行長の三原元一少佐とともに陸攻隊の双璧といわれた。レンネル島沖海戦において被弾後、敵艦へ突撃。戦死による二階級特進で最終階級は海軍大佐。 |
官僚
105 | 平井富三郎 | Wikipedia |
平井 富三郎(ひらい とみさぶろう、1906年12月13日 - 2003年5月20日)は、新日本製鐵(新日鉄)元社長、元通商産業事務次官、元日本銀行政策委員。東京府出身。1973年に藍綬褒章、1979年に勲一等瑞宝章を受章。2003年、脳梗塞のため死亡。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
公務員
106 | 高瀬侍郎 | Wikipedia |
高瀬 侍郎(たかせ じろう、1906年8月2日 - 1992年5月27日)は、日本の外交官。第14代拓殖大学総長。正四位勲二等旭日重光章。群馬県出身。 | ||
東北大学出身 出身の東北大学の出身者 全国の東北大学の出身者 | ||
107 | 朝海浩一郎 足利市 | Wikipedia |
朝海 浩一郎(あさかい こういちろう、1906年3月15日 - 1995年9月9日)は、日本の外交官。連絡調整中央事務局長官、外務審議官を経て、岸信介内閣における日米安全保障条約改定の時期を含め、駐アメリカ合衆国特命全権大使を異例の6年間務めた。1976年勲一等瑞宝章。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
108 | 田中二郎 高砂市 | Wikipedia |
田中 二郎(たなか じろう、1906年7月14日 - 1982年1月16日)は、兵庫県出身の法学者。専門は行政法、租税法。1964年 - 1973年最高裁判所判事。1976年日本学士院会員、1980年文化功労者。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
学者・教授・准教授
109 | 林竹二 矢板市 | Wikipedia |
林 竹二(はやし たけじ、1906年12月21日 - 1985年4月1日)は日本の教育哲学者。栃木県矢板市の生まれ。東北学院に学び、のち1934年旧制の東北帝国大学法文学部哲学科を卒業。専攻はギリシア哲学。プラトンについての論文がある。 | ||
110 | 江上波夫 | Wikipedia |
江上 波夫(えがみ なみお、1906年11月6日 - 2002年11月11日)は日本の考古学者。東京大学名誉教授。 | ||
111 | 兼子一 | Wikipedia |
兼子 一(かねこ はじめ、1906年12月18日 - 1973年4月6日)は、日本の法学者。専門は民事訴訟法。元東京大学教授。従三位勲一等瑞宝章。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
112 | 沼野井春雄 水戸市 | Wikipedia |
沼野井 春雄(ぬまのい はるお、1906年3月31日 - )は、日本の生物学者。東京大学名誉教授。理学博士。 | ||
113 | 松原祐善 | Wikipedia |
松原 祐善(まつばら ゆうぜん、1906年–1980年)は、日本の仏教学者、真宗学者。金子大栄、 曽我量深に師事。 大谷大学名誉教授、元学長。福井県生まれ。 | ||
114 | 宝月圭吾 | Wikipedia |
宝月 圭吾(ほうげつ けいご、寳月 圭吾、1906年8月12日 - 1987年9月13日)は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。中世史専門。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
115 | 洞富雄 筑北村 | Wikipedia |
洞 富雄(ほら とみお、1906年11月14日 - 2000年3月15日)は、日本の歴史学者。専攻は日本史。元早稲田大学文学部教授。文学博士(早稲田大学)。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
116 | 土居次義 大阪市 | Wikipedia |
土居 次義(どい つぎよし、1906年 - 1991年11月24日)は、日本の美術史学者。専門は日本美術史。京都工芸繊維大学名誉教授、京都新聞文化賞、紫綬褒章、京都府文化賞特別功労賞、京都市文化功労賞、授与。元京都国立博物館館長。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
117 | 牧野佐二郎 成田市 | Wikipedia |
牧野 佐二郎(まきの さじろう、1906年6月21日 - 1989年8月6日)は、日本の細胞遺伝学者。 | ||
118 | 中田正一 淡路市 | Wikipedia |
中田 正一(なかた しょういち、1906年10月28日 - 1991年10月27日)はNGOである「風の学校」の創設者。農学博士。東京医科歯科大学名誉教授の中田修は実弟。 | ||
119 | 高峯一愚 氷見市 | Wikipedia |
高峯 一愚(たかみね いちぐ 1906年 - 2005年1月18日)は、日本の哲学者で西洋哲学を専門としていた。著作家、翻訳家でもあった。東京都立大学名誉教授。 | ||
120 | 安達巌 松江市 | Wikipedia |
安達 巌(あだち いわお、1906年 -)は、日本の食品業者、食物史家、古代史家。 | ||
121 | 橋本福夫 宍粟市 | Wikipedia |
橋本 福夫(はしもと ふくお、1906年3月4日 - 1987年1月13日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。 | ||
122 | 上田勤 函館市 | Wikipedia |
上田 勤(うえだ つとむ、1906年11月12日 - 1961年3月2日)は、英文学者。 | ||
123 | 峯村光郎 | Wikipedia |
峯村光郎(みねむら てるお、1906年6月26日-1978年2月18日)は、日本の法学者、慶應義塾大学名誉教授。 専門は法哲学、経済法、労働法。 | ||
124 | 遠山正瑛 | Wikipedia |
遠山正瑛(とおやま せいえい、1906年12月14日 - 2004年2月27日)は、日本の農学者・園芸学者。鳥取大学名誉教授(元・農学部教授)。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
125 | 秋元波留夫 長野市 | Wikipedia |
秋元 波留夫(あきもと はるお、1906年1月29日 - 2007年4月25日)は、日本の医学者、精神科医。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
126 | 薮内清 神戸市 | Wikipedia |
薮内 清(やぶうち きよし、明治39年(1906年)2月12日 - 平成12年(2000年)6月2日)は、日本の天文学者・科学史学者(中国科学史)で、京都大学名誉教授。 | ||
127 | 平田森三 広島市 | Wikipedia |
平田 森三(ひらた もりぞう、1906年2月10日 - 1966年5月8日)は日本の物理学者。「寺田物理学」の伝統をうけつぎ、日常生活で見かける「割れ目」の研究などで知られている。 | ||
128 | 小野忍 | Wikipedia |
小野 忍(おの しのぶ、1906年(明治39年)8月15日 - 1980年(昭和55年))は日本の中国文学者。文学博士(昭和33年、東京大学)。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
129 | 曻地三郎 | Wikipedia |
曻地 三郎(しょうち さぶろう、1906年(明治39年)8月16日 - 2013年11月27日、旧姓:山本三郎)は、日本の教育者、教育学者。教育学・心理学・精神医学が専門。私財を投じて日本初の知的障害児通園施設しいのみ学園を設立、運営した。 | ||
広島大学出身 出身の広島大学の出身者 全国の広島大学の出身者 | ||
130 | 国松孝二 | Wikipedia |
国松 孝二(くにまつ こうじ、1906年11月3日 - 2006年5月8日)は、日本のドイツ文学者。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
131 | 曻地三郎 釧路市 | Wikipedia |
曻地 三郎(しょうち さぶろう、1906年(明治39年)8月16日 - 2013年(平成25年)11月27日、旧姓:山本)は、日本の教育者、教育学者。教育学・心理学・精神医学が専門。日本初の知的障害児通園施設しいのみ学園を設立、運営した。 | ||
132 | 尾澤喜雄 安曇野市 | Wikipedia |
尾澤 喜雄(おざわ よしお、1906年6月 - 1977年)は、日本の教育者、文学者(俳文学)。岩手大学名誉教授。俳号は白路(はくろ)。旧姓は片瀨(かたせ)。姓の「澤」は旧字体のため、新字体で尾沢 喜雄(おざわ よしお)とも表記される。 | ||
133 | 弥永昌吉 | Wikipedia |
彌永 昌吉(いやなが しょうきち、1906年4月2日 - 2006年6月1日)は、日本の数学者。俗字で「弥永」と表記される場合もある。 | ||
134 | 北村四郎 大津市 | Wikipedia |
北村 四郎(きたむら しろう、1906年9月22日 - 2002年3月21日)は、日本の植物学者。キク科植物研究の第一人者とされる。昭和天皇の植物学研究の相談役としても活躍し[2]、北村の葬儀の際には、今上天皇・皇后から白いキクの花が下賜された[3]。 | ||
135 | 山本時男 能代市 | Wikipedia |
山本 時男(やまもと ときお、1906年2月16日 - 1977年8月5日)は、日本の生物学者。名古屋大学名誉教授。理学博士(東京帝国大学、1936年)(学位論文「目高早期胚の律動性運動に関する研究」)。秋田県出身。 | ||
136 | 朝永振一郎 文京区 | Wikipedia |
朝永 振一郎(ともなが しんいちろう、1906年(明治39年)3月31日 - 1979年(昭和54年)7月8日)は、日本の物理学者。相対論的に共変でなかった場の量子論を超多時間論で共変な形にして場の演算子を形成し、場の量子論を一新した。超多時間論を基にくりこみ理論の手法を発明、量子電磁力学の発展に寄与した功績によってノーベル物理学賞を受賞した。東京生まれで京都育ち。なお、朝永家自体は長崎県の出身。ノーベル賞受賞者 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 |
研究者・研究家・発明家
137 | 和田芳恵 長万部町 | Wikipedia |
和田 芳恵(わだ よしえ、1906年4月6日 - 1977年10月5日 男性)は日本の小説家、編集者、文学研究者。樋口一葉研究をライフワークとした。代表作は『一葉の日記』(1943年)。 | ||
中央大学出身 出身の中央大学の出身者 全国の中央大学の出身者 | ||
138 | 大村はま 横浜市 | Wikipedia |
大村 はま(おおむら はま、本名:大村 濱(読み同じ)、(英文:Ohmura Hama)1906年6月2日 - 2005年4月17日)は、日本の国語教育研究家である。西洋中世哲学、ドイツ哲学、キリスト教神学の研究者大村晴雄は実弟。 | ||
139 | 本田安次 本宮市 | Wikipedia |
本田 安次(ほんだ やすじ、1906年3月18日 - 2001年2月19日)は、日本の芸能研究者。早稲田大学名誉教授。 | ||
140 | 手塚英孝 光市 | Wikipedia |
手塚 英孝(てづか ひでたか、1906年12月15日 - 1981年12月1日)は、日本の文学研究者、作家である。 | ||
141 | 入鹿山且朗 日置市 | Wikipedia |
入鹿山 且朗(いるかやま かつろう、1906年(明治39年)- 1977年(昭和52年)9月27日)は、日本の医学者。公衆衛生疫学、食品衛生の研究者。熊本大学教授。 |
画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家・漆芸家・工芸家
142 | 竹中英太郎 | Wikipedia |
竹中英太郎(たけなか えいたろう 1906年(明治39年)12月18日 - 1988年4月8日)は、福岡県生まれの挿絵画家、労働運動家、実業家。 | ||
143 | 坂本直行 中札内村 | Wikipedia |
坂本 直行(さかもと なおゆき、1906年(明治39年)7月26日 - 1982年(昭和57年)5月2日)は北海道出身の画家。北海道開拓民。郷士坂本家八代当主。「直行」を有職読みした「ちょっこう」で知られる。 | ||
144 | 桑原翠邦 帯広市 | Wikipedia |
桑原翠邦(くわはら すいほう、1906年9月20日‐1995年3月27日)は、北海道帯広市出身の書家である。本名 清美。翠邦は号で魚目とも号した。 | ||
145 | 坂本直行 広尾町 | Wikipedia |
坂本 直行(さかもと なおゆき、1906年(明治39年)7月26日 - 1982年(昭和57年)5月2日)は北海道出身の画家。北海道開拓民。郷士坂本家八代当主。「直行」を有職読みした「ちょっこう」で知られる。 | ||
146 | 山本陶秀 備前市 | Wikipedia |
山本陶秀(やまもと とうしゅう、1906年(明治39年)4月24日 - 1994年(平成6年)4月22日)は、陶芸家。岡山県出身。 | ||
147 | 須田剋太 美瑛町 | Wikipedia |
須田 剋太(すだ こくた、1906年5月1日 - 1990年7月14日 )は、日本の洋画家。埼玉県生。浦和画家。 | ||
148 | 西山真一 | Wikipedia |
西山 真一(にしやま しんいち、1906年7月20日 - 1989年4月19日)は、洋画家、日本芸術院会員。 | ||
福井大学出身 出身の福井大学の出身者 全国の福井大学の出身者 | ||
149 | 長谷川三郎 下関市 | Wikipedia |
長谷川 三郎(はせがわ さぶろう、1906年9月6日 - 1957年3月11日)は、日本の洋画家。 | ||
150 | 川原井正 | Wikipedia |
川原井 正(かわらい ただし、1906年(明治39年)2月18日 - 2008年(平成20年)11月20日)は、日本の洋画家。茨城県出身。 進藤章を会長とする「菁々会」の会員であり、発起人の一人である。 | ||
151 | 吉岡堅二 東大和市 | Wikipedia |
吉岡 堅二(よしおか けんじ、1906年10月27日 - 1990年7月15日)は、日本画家。 | ||
152 | 鈴木賢二 栃木市 | Wikipedia |
鈴木 賢二(すずき けんじ、1906年1月 - 1987年11月15日)は、栃木県出身の画家。 | ||
153 | 金子鴎亭 松前町 | Wikipedia |
金子 鷗亭(かねこ おうてい、1906年5月9日 - 2001年11月5日)は、北海道松前郡生まれの書家。近代詩文書を提唱した。本名は金子賢藏。鷗亭は雅号で、他に琴城、薊谷がある。子息は書家の金子卓義。 | ||
154 | 中藤まつゑ | Wikipedia |
中藤まつゑ(1906(明治39)年9月15日-1997年12月16日)は関西のアマチュア女性写真家である。出身は奈良県。 夫は関西を中心に活動していた写真家中藤敦である。夫の死後カメラを取り、1975年8月銀座ニコンサロンにて「極楽浄土」と題して写真展を開いた。第一回木村伊兵衛写真賞(1975年)にその「極楽浄土」という作品群で最終候補にノミネートされた。 (最終候補者 佐々木崑、中藤まつゑ、平地勲、馬渕直哉。受賞者北井一夫受賞作品「村へ」、選考委員 伊奈信男、五木寛之、篠山季信、渡辺勉、岡見璋。) アサヒカメラ1976年4月増刊(61巻5号)「現代の写真’76」に三つの表現(中藤まつゑ、平地勲、川人忠幸)として写真展「極楽浄土」の作品が掲載された。四国お遍路、恐山のイタコ、高野山、徳島、平戸の切支丹など、永遠の平安と救いを願い求める人々とその風景を作品に残した。 1986年に浪華写真倶楽部に入会し、主に花火を題材に全国の花火大会などへ撮影旅行を行い、幻想的な作品を多く残した。サロンなどで個展を開催した。 1997年12月16日召天。死去。セブンスデー・アドベント大阪東部教会にて葬儀。72年間の信仰を全うし92歳であった。 | ||
155 | 田村茂 札幌市 | Wikipedia |
田村 茂(たむら しげる、1906年(明治39年)2月28日/1909年(明治42年)2月28日[3] - 1987年(昭和62年)12月16日[3])は、日本の写真家。本名は田村寅重。 | ||
156 | 加藤栄三 岐阜市 | Wikipedia |
加藤栄三(かとう えいぞう、1906年(明治39年)8月20日 - 1972年(昭和47年)5月24日)は日本画家。岐阜県岐阜市出身。弟は日本画家加藤東一。 | ||
157 | 刑部人 栃木市 | Wikipedia |
刑部 人(おさかべ じん 1906年5月5日 - 1978年3月8日)は、日本の洋画家。 | ||
158 | 須田剋太 鴻巣市 | Wikipedia |
須田 剋太(すだ こくた、1906年5月1日 - 1990年7月14日 )は、日本の洋画家。埼玉県生。浦和画家。 |
政治家・議員・首長
159 | 小畑勇二郎 大館市 | Wikipedia |
小畑 勇二郎(おばた ゆうじろう、1906年9月19日 - 1982年10月5日)は日本の政治家。位階は従三位。勲等は勲一等。秋田県知事を6期24年務め、秋田県の発展に尽力した。 | ||
160 | 西園寺公一 | Wikipedia |
西園寺 公一(さいおんじ きんかず、明治39年(1906年)11月1日 - 平成5年(1993年)4月22日)は、日本の政治家。参議院議員、外務省嘱託職員、太平洋問題調査会理事など歴任した。 | ||
161 | 浅岡齋 岡崎市 | Wikipedia |
浅岡 齋(あさおか ひとし、1906年10月17日 - 1983年3月22日)は、日本の官吏、政治家、実業家。岡崎市役所職員として戦災復興と都市計画事業に大きく貢献。また、岡崎市助役として3期12年にわたって竹内京治・太田光二市政を支えた。愛知県議会議員を1期務めた。 | ||
162 | 小林武 石狩市 | Wikipedia |
小林 武(こばやし たけし、1906年11月3日 - 1987年4月4日)は、日本の政治家。日本社会党参議院議員(2期)。日本教職員組合中央執行委員長。 | ||
163 | 立木勝 行橋市 | Wikipedia |
立木 勝(たき まさる、1906年8月2日 - 1987年4月13日)は、大分県知事(1971年 - 1979年)。官選も含めると第45・46代、公選のみでは第7・8代にあたる。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
164 | 大谷藤之助 | Wikipedia |
大谷 藤之助(おおたに とうのすけ、1906年12月3日 - 1989年2月8日)は、日本の政治家。位階は従三位。勲等は勲一等。 | ||
165 | 田部長右衛門 (23代) 雲南市 | Wikipedia |
23代 田部 長右衛門(にじゅうさんだい たなべ ちょうえもん、明治39年(1906年)3月25日 - 昭和54年(1979年)9月15日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。島根県知事。奥出雲の山林大地主田部家の第23代当主。名は朋之。号は松露亭。茶室「明々庵」の再建や美術館の設立など文化振興にも尽力した。竹下登元首相も彼が支援した政治家の一人である。 | ||
166 | 野原正勝 現長瀞町 | Wikipedia |
野原 正勝(のはら まさかつ、1906年3月16日 - 1983年2月10日)は、日本の政治家、自由民主党衆議院議員。 | ||
宇都宮大学出身 出身の宇都宮大学の出身者 全国の宇都宮大学の出身者 | ||
167 | 田部長右衛門(23代) 雲南市 | Wikipedia |
23代 田部 長右衛門(たなべ ちょうえもん、1906年(明治39年)3月25日 - 1979年(昭和54年)9月15日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。島根県知事。奥出雲の山林大地主で田部家の第23代当主。名は朋之。号は松露亭。茶室「明々庵」の再建や美術館の設立など文化振興にも尽力した。竹下登元首相も彼が支援した政治家の一人である。 | ||
168 | 天田勝正 現熊谷市 | Wikipedia |
天田 勝正(あまだ かつまさ、1906年3月15日 - 1965年2月27日)は、日本の政治家。元参議院議員(3期)。 | ||
東京理科大学出身 出身の東京理科大学の出身者 全国の東京理科大学の出身者 | ||
169 | 山田弥一 熱海市 | Wikipedia |
山田 弥一(やまだ やいち、1906年4月 - 1978年8月5日)は、昭和期の日本の政治家。元衆議院議員(当選5回、自由民主党所属)、運輸政務次官(第1次池田内閣)、全国旅館生活衛生同業組合連合会(全旅連)会長。早稲田大学専門部商科卒業。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
170 | 竹村奈良一 橿原市 | Wikipedia |
竹村 奈良一(たけむら ならいち、1906年6月27日 - 1978年11月17日)は、日本の政治家、農民運動家。衆議院議員(日本共産党公認、1期)、日本農民組合総本部書記長などを歴任。 | ||
171 | 田中伊三次 | Wikipedia |
田中 伊三次(たなか いさじ、1906年(明治39年)1月3日 - 1987年(昭和62年)4月11日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(15期)。勲章は勲一等旭日大綬章、位階は正三位。 | ||
立命館大学出身 出身の立命館大学の出身者 全国の立命館大学の出身者 | ||
172 | 広瀬正雄 | Wikipedia |
広瀬 正雄(ひろせ まさお、廣瀬 正雄、1906年7月3日 - 1980年12月3日)は、日本の政治家。日田市長、衆議院議員(自由民主党所属)。 佐藤内閣郵政大臣。 | ||
九州大学出身 出身の九州大学の出身者 全国の九州大学の出身者 | ||
173 | 橋本龍伍 東京都 | Wikipedia |
橋本 龍伍(はしもと りょうご、1906年(明治39年)6月2日 - 1962年(昭和37年)11月21日)は、日本の大蔵官僚、政治家。衆議院議員(6期)。位階勲等は正三位勲一等瑞宝章。称号は法学士。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
174 | 福田篤泰 | Wikipedia |
福田 篤泰(ふくだ とくやす、1906年10月13日 - 1993年8月7日)は、日本の政治家。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
175 | 橋本龍伍 渋谷区 | Wikipedia |
橋本 龍伍(はしもと りょうご、1906年(明治39年)6月2日 - 1962年(昭和37年)11月21日)は、日本の大蔵官僚、政治家。衆議院議員(6期)。位階勲等は正三位勲一等瑞宝章。称号は法学士。 | ||
176 | 藤井丙午 白川町 | Wikipedia |
藤井 丙午(ふじい へいご、1906年(明治39年)2月23日 - 1980年(昭和55年)12月14日)は、岐阜県白川町出身の財界人。新日本製鐵副社長、参議院議員。従三位勲一等瑞宝章。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
177 | 鴨田宗一 熊谷市 | Wikipedia |
鴨田 宗一(かもだ そういち、1906年9月17日 - 1979年2月8日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(7期)、熊谷市長(3期)。従三位勲一等。熊谷市名誉市民。1953年3月熊谷商工信用組合を設立し、初代理事長に就任。その後、自由民主党より国政へ進出し、商工部会長、中小企業調査会長、政調審議委員、副幹事長、池田内閣建設省政務次官、佐藤内閣経済企画庁政務次官、衆議院大蔵委員長などを歴任。専門は中小企業問題、経済企画。地元、熊谷駅への新幹線開通を実現した。衆議院議員の鴨田利太郎は息子。 | ||
178 | 西村進 千曲市 | Wikipedia |
西村 進(にしむら すすむ、1906年1月 - 1951年)は、日本の園芸学者、育種学者、政治家。長野県埴科郡埴生村(現: 千曲市)生まれ。1928年当時唯一の官立高等園芸学校であった千葉高等園芸学校(現: 千葉大学園芸学部)卒業。花卉園芸における近代交雑植物育種研究の第一人者として活動し、1938年日本の南西諸島および九州南部原産のテッポウユリと台湾固有種のタカサゴユリの交配に着手し、ニシムラテッポウユリ(シンテッポウユリ、新鉄砲百合、Lilium x formolongo)を作出した。1947年日本国における育種法(昭和二十二年法律第百十五号)品種登録制度及び品種登録出願制度の制定において中心的な役割を果たした。1951年ニシムラテッポウユリが日本の品種登録第一号として登録された[3]。また、町議会議員に立候補し当選。同年45歳で死去。園芸家でフラワーアーティストの柿崎順一は又甥。 | ||
179 | 熊谷太三郎 | Wikipedia |
熊谷 太三郎(くまがい たさぶろう、1906年11月3日 - 1992年1月15日)は、日本の実業家、政治家。自由民主党の参議院議員。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
180 | 小原嘉登次 嬉野市 | Wikipedia |
小原 嘉登次(こはら かとじ、1906年1月28日 - 1999年9月22日)は、日本の実業家、佐賀県議会議員(11期)。佐賀県議会議長。 |
評論家
181 | 新名丈夫 高松市 | Wikipedia |
新名 丈夫(しんみょう たけお、1906年(明治39年)11月3日 - 1981年(昭和56年)4月30日)は、日本の評論家、元毎日新聞記者。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
182 | 唐島基智三 竹原市 | Wikipedia |
唐島 基智三(からしま きちぞう、1906年1月1日 - 1976年7月30日)は、政治評論家・ジャーナリスト。 | ||
183 | 杉靖三郎 堺市 | Wikipedia |
杉 靖三郎(すぎ やすさぶろう、1906年1月6日 - 2002年5月29日)は、日本の生理学者、医学評論家。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
184 | 大橋武夫 蒲郡市 | Wikipedia |
大橋 武夫(おおはし たけお、1906年(明治39年)11月18日 - 1987年(昭和62年)7月13日)は、日本の陸軍軍人、実業家、経営評論家。軍人として第53軍参謀・東部軍参謀等を務め、階級は陸軍中佐に至る。戦後東洋精密工業社長、同社相談役や偕行社副会長を歴任する。愛知県蒲郡市出身。 | ||
185 | 吉田留三郎 大阪市 | Wikipedia |
吉田 留三郎(よしだ とめさぶろう、1906年 - 1978年5月25日)は日本の評論家、上方芸能評論家。愛称は「留サン」。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
186 | 坂口安吾 新潟市 | Wikipedia |
坂口 安吾(さかぐち あんご、1906年(明治39年)10月20日 - 1955年(昭和30年)2月17日)は、日本の小説家、評論家、随筆家。本名は坂口 炳五(さかぐち へいご)。昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学を代表する作家の一人である。新潟県新潟市出身。東洋大学印度哲学倫理学科卒業。アテネ・フランセでフランス語習得。純文学のみならず、歴史小説や推理小説も執筆し、文芸や時代風俗から古代歴史まで広範に材を採る随筆など、多彩な活動をした。 | ||
東洋大学出身 出身の東洋大学の出身者 全国の東洋大学の出身者 |
宗教家・思想家・運動家
187 | 山田孝野次郎 御所市 | Wikipedia |
山田 孝野次郎(やまだ このじろう、1906年(明治39年)2月25日 - 1931年(昭和6年)3月9日)は、日本の社会運動家(水平運動家)。少年水平社の設立者。奈良県出身。別名は次郎。 | ||
188 | 梅川文男 松阪市 | Wikipedia |
梅川 文男(うめかわ ふみお、1906年4月9日 - 1968年4月4日)は、日本の政治家・プロレタリア文学者・労農運動家。三重県松阪市の第6代市長(在任期間、1957年3月30日 - 1968年4月4日)。 | ||
189 | 松木治三郎 敦賀市 | Wikipedia |
松木 治三郎(まつき じさぶろう、1906年2月21日 - 1994年5月24日)は、日本の牧師、神学者。 | ||
190 | 上廣哲彦 広島市 | Wikipedia |
上廣 哲彦(うえひろ てつひこ 1906年3月2日 - 1972年10月6日)は、日本の道徳家。実践倫理宏正会の創立者。栄典は従四位勲三等旭日中綬章。 |
俳人・歌人・詩人・歌人
191 | 坪野哲久 志賀町 | Wikipedia |
坪野哲久(つぼの てっきゅう、1906年9月1日-1988年11月9日)は、日本の歌人。本名、坪野久作。妻は歌人の山田あき。 | ||
東洋大学出身 出身の東洋大学の出身者 全国の東洋大学の出身者 | ||
192 | 保科千代次 | Wikipedia |
保科千代次(ほしな ちよじ、1906年(明治39年) - 1997年(平成9年))は、日本の文学者。歌人。作詞家。徳島県勝浦郡勝浦町出身。 | ||
193 | 稲垣きくの 厚木市 | Wikipedia |
稲垣 きくの(いながき きくの、1906年7月26日 - 1987年10月30日)は、日本の俳人、茶道教授であり、元女優である[5][6][7][8][9]。女優時代の芸名は若葉 信子(わかば のぶこ)、旧芸名露原 桔梗(つゆはら ききょう)[5][6][7][8][9]、出生名は野口 キクノ(のぐち きくの)、俳優の宮島啓夫との婚姻時には、本名を宮島 公子(みやじま きみこ)とした[6]。 | ||
194 | 篠原鳳作 鹿児島市 | Wikipedia |
篠原鳳作(しのはら ほうさく、1906年1月7日 - 1936年9月11日)は、鹿児島県出身の俳人。本名は篠原国堅(くにかた)。旧号は未踏、雲彦。1906年(明治39年)、鹿児島市で生まれる。鹿児島県立第二鹿児島中学校(16回卒=大正12年)[2]を経て、1929年東京帝国大学法学部卒。病弱のため都会での就職を避け郷里で句作に没頭。1931年より教諭として沖縄県立宮古中学校に赴任、1934年に結婚を期に母校の鹿児島二中に転任した。 | ||
195 | 高藤武馬 広島市 | Wikipedia |
高藤 武馬(たかとう たけま、1906年2月15日 - 1990年8月19日)は、国文学者、俳人。 広島市生まれ。東京帝国大学文学部国文科卒。法政大学教授、1977年定年、名誉教授。柳田國男に師事して民俗学を学び、古典作品の現代語訳も多くおこなった。種田山頭火も研究し全集を編纂した。俳号・馬山人。 | ||
196 | 木俣修 彦根市 | Wikipedia |
木俣 修(きまた おさむ、1906年(明治39年)7月28日 - 1983年(昭和58年)4月4日)は日本の歌人。本名は修二。 | ||
197 | 庄司総一 酒田市 | Wikipedia |
庄司 総一(しょうじ そういち、1906年(明治39年)10月6日 - 1961年(昭和36年)11月28日)は、昭和期の小説家・詩人・台湾文学者。筆名は、阿久見謙。同人雑誌『新表現』創刊・主催者。 | ||
198 | 中野鈴子 坂井市 | Wikipedia |
中野 鈴子(なかの すずこ、1906年1月24日 - 1958年1月5日)は、日本の詩人。 | ||
199 | 永瀬清子 赤磐市 | Wikipedia |
永瀬 清子(ながせ きよこ、1906年(明治39年)2月17日 - 1995年(平成7年)2月17日)は、日本の詩人。岡山県赤磐郡豊田村(現赤磐市)出身。幼年期は石川県金沢市で過ごす。愛知県立第一高等女学校(後の愛知県立明和高等学校)卒業。本名は永瀬 清。 | ||
200 | 伊東静雄 堺市 | Wikipedia |
伊東 静雄(いとう しずお、1906年(明治39年)12月10日 - 1953年(昭和28年)3月12日)は日本の詩人。長崎県諫早市出身。 | ||
201 | 吉行エイスケ 岡山市 | Wikipedia |
吉行 エイスケ(よしゆき えいすけ、本名:栄助、1906年(明治39年)5月10日 - 1940年(昭和15年)7月8日)は、日本のダダイスト詩人、小説家。 | ||
202 | 伊東静雄 白河市 | Wikipedia |
伊東 静雄(いとう しずお、1906年(明治39年)12月10日 - 1953年(昭和28年)3月12日)は日本の詩人。長崎県諫早市出身。 | ||
203 | 伊藤信吉 | Wikipedia |
伊藤 信吉(いとう しんきち、1906年11月30日 – 2002年8月3日)は、群馬県前橋市生まれの詩人で、近代文学研究者。 | ||
204 | 耕治人 八代市 | Wikipedia |
耕 治人(こう はると、1906年8月1日 - 1988年1月6日)は、日本の小説家・詩人。本名の姓は、「たがやす」と読む。 熊本県八代市生まれ。明治学院英文科卒。千家元麿に師事して詩作を始め、1930年(昭和5年)『耕治人詩集』を上梓する。 | ||
明治学院大学出身 出身の明治学院大学の出身者 全国の明治学院大学の出身者 | ||
205 | 長谷川濬 函館市 | Wikipedia |
長谷川 濬(はせがわ しゅん、1906年7月4日 - 1973年12月16日)は、日本の詩人・作家・ロシア文学者。 | ||
206 | 山室静 佐久市 | Wikipedia |
山室 静(やまむろ しずか、男性、1906年(明治39年)12月15日 - 2000年(平成12年)3月23日)は、日本の詩人、文芸評論家、翻訳家。 | ||
207 | 野長瀬正夫 十津川村 | Wikipedia |
野長瀬 正夫(のながせ まさお、1906年2月8日 - 1984年4月22日)は、日本の詩人・児童文学作家。 | ||
208 | 石塚友二 | Wikipedia |
石塚 友二(いしづか ともじ、1906年9月20日 – 1986年2月8日)は、新潟県出身の俳人・小説家・編集者。石田波郷の「鶴」二代目主宰。本名は友次。 | ||
209 | 伊東静雄 | Wikipedia |
伊東 静雄(いとう しずお、1906年(明治39年)12月10日 - 1953年(昭和28年)3月12日)は日本の詩人。長崎県諫早市出身。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
210 | 山室静 鳥取市 | Wikipedia |
山室 静(やまむろ しずか、男性、1906年(明治39年)12月15日 - 2000年(平成12年)3月23日)は、日本の詩人、文芸評論家、翻訳家。 |
その他の職業
211 | 足立一平 岡崎市 | Wikipedia |
足立 一平(あだち いっぺい、1906年6月26日 - 1957年11月27日)は、日本の教育者、政治活動家。岩津農商学校(現・愛知県立岩津高等学校)の創立者として知られる。 | ||
212 | 柳谷素霊 | Wikipedia |
栁谷 素霊(やなぎや それい、1906年11月6日 - 1959年2月20日)は、日本の鍼灸師である。籍名は清助。享年54(満52歳)。弟子に岡部素道、井上恵理、本間祥白、小野文恵がいる。 | ||
日本大学出身 出身の日本大学の出身者 全国の日本大学の出身者 | ||
213 | 中村外二 小矢部市 | Wikipedia |
中村外二(なかむら そとじ、1906年 - 1997年)は、京都の数奇屋大工棟梁。裏千家大工。富山県小矢部市(旧石動町)出身。 |