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宝塚・女優・俳優・声優・ナレーター・歌舞伎・能楽・狂言
1 | 白井鐵造 浜松市 | Wikipedia |
白井 鐵造(しらい てつぞう、1900年4月6日 - 1983年12月22日)は、宝塚歌劇団の演出家。宝塚歌劇団元理事長。 | ||
2 | 宝生九郎重英 京都市 | Wikipedia |
宝生九郎重英(ほうしょう くろう しげふさ、1900年(明治32年)7月2日 - 1974年(昭和49年)7月18日)はシテ方宝生流能楽師。十七世宗家。 | ||
3 | 三遊亭圓生 (6代目) 大阪市 | Wikipedia |
6代目三遊亭 圓生(さんゆうてい えんしょう、1900年〈明治33年〉9月3日 - 1979年〈昭和54年〉9月3日)は、大阪市西区出身で東京の落語家、舞台俳優。本名、山﨑 松尾(「﨑」は右上が「大」ではなく「立」)。東京の新宿に長年住み、当時の地名から「柏木(の師匠)」とも呼ばれた。昭和の落語界を代表する名人の一人と称される。出囃子は『つくま祭』、のち『正札付』。 | ||
4 | 中村是好 武雄市 | Wikipedia |
中村 是好(なかむら ぜこう、1900年12月6日 - 1989年12月6日)は、日本の俳優・盆栽家。本名は中村 愚堂。愛称はゼコやん。 | ||
5 | 英百合子 | Wikipedia |
英 百合子(はなぶさ ゆりこ、1900年3月7日 - 1970年2月7日)は日本の女優。広島県呉市吉浦町出身[2]。日本初の本格的映画女優といわれる[3]。同じ女優の永井百合子は柳永二郎との娘、俳優の長谷部健は中野英治との息子[4]。 |
歌手・シンガー
6 | 二村定一 下関市 | Wikipedia |
二村 定一(ふたむら ていいち、本名・林 貞一、1900年(明治33年)6月13日 - 1948年(昭和23年)9月12日)は、昭和初期を代表する歌手・ボードビリアン。山口県下関市出身。愛称は「べーちゃん」。 | ||
7 | 下八川圭祐 佐川町 | Wikipedia |
下八川 圭祐(しもやかわ けいすけ、1900年 - 1980年)は、日本の声楽家、音楽教育者。 |
演奏家・作詞家・作曲家・ミュージシャン
8 | 鳥取春陽 | Wikipedia |
鳥取 春陽(とっとり しゅんよう、1900年12月16日 - 1932年1月16日)は大正時代の街頭演歌師。街頭演歌師の立場から洋楽の手法をもって民衆歌謡を創作した。 | ||
9 | 能代八郎 室蘭市 | Wikipedia |
能代八郎(のしろ はちろう、1900年(明治33年)3月‐1944年(昭和19年)3月14日)は昭和期の作曲家。本名佐藤久助。 | ||
10 | 清瀬保二 宇佐市 | Wikipedia |
清瀬保二(きよせ やすじ、1900年1月13日 - 1981年9月14日)は、大分県生まれの作曲家。 |
舞台・演劇・映画・ドラマ・脚本・プロデューサー・ディレクター
11 | 佐々元十 三次市 | Wikipedia |
佐々 元十(ささ げんじゅ、本名・佐々木高成、1900年1月14日 - 1959年7月7日)は、共産主義運動家。日本の映画監督。「玩具のカメラが武器になる」の名言を残した日本のプロレタリア映画の先駆者である。 | ||
12 | 志波西果 佐賀市 | Wikipedia |
志波 西果(しば せいか、1900年12月17日 - 1960年代半ば)は、日本の映画監督、脚本家である。本名-頼之(よりゆき)、。 | ||
13 | 伊丹万作 | Wikipedia |
伊丹 万作(いたみ まんさく、1900年1月2日 - 1946年9月21日)は、日本の映画監督、脚本家、俳優、エッセイスト、挿絵画家。本名は池内 義豊(いけうち よしとよ)。 | ||
14 | 衣笠十四三 亀山市 | Wikipedia |
衣笠 十四三(きぬがさ としぞう、本名小亀 壽三、1900年4月17日 - 1976年7月30日)は、日本の映画監督である。おなじく映画監督の衣笠貞之助は実兄である。 |
お笑い
15 | 正司花江 秋田市 | Wikipedia |
かしまし娘(かしましむすめ)は、元松竹芸能所属の姉妹音曲漫才トリオ。 | ||
16 | 林田十郎 神戸市 | Wikipedia |
林田 十郎(はやしだ じゅうろう、1900年6月11日 - 1967年3月24日)は、漫才師。本名は吉田留吉。兵庫県神戸市の生まれ。愛称はすらっとした細身の体だったため「サイラ」(さんまの別名。)、または「十さん」。 |
ダンサー
17 | 江口隆哉 野辺地町 | Wikipedia |
江口 隆哉(えぐち たかや、1900年1月21日 - 1977年12月25日)は、青森県上北郡野辺地町出身のダンサー。本名、捨松。日本のモダンダンスの父。弟の江口乙矢もダンサーでモダンダンスの功労者。 |
アニメ
18 | 大藤信郎 | Wikipedia |
大藤 信郎(おおふじ のぶろう、本名:大藤 信七郎、1900年6月1日 - 1961年7月28日)は、東京都浅草出身の日本の男性、アニメーション監督である。 |
ジャーナリスト
19 | 笠信太郎 福岡市 | Wikipedia |
笠 信太郎(りゅう しんたろう、1900年12月11日 - 1967年12月4日)は、日本のジャーナリスト。朝日新聞論説主幹。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
20 | 森正蔵 大津市 | Wikipedia |
森 正蔵(もり しょうぞう/せいぞう、1900年(明治33年)7月1日 - 1953年(昭和28年)1月11日)は、新聞記者。毎日新聞東京本社社会部長・出版局長取締役・論説委員長などを歴任し、戦後書いた「旋風二十年」がベストセラーとなった。 |
格闘技
21 | 錦洋与三郎 霧島市 | Wikipedia |
錦洋 与三郎(にしきなだ よさぶろう、1900年7月5日 - 1960年3月1日)は、昭和初年の大相撲力士である。最高位は関脇(関西角力協会では大関をつとめた)だった。現役時代の体格は176cm、111kg。得意技は押し、寄り、掬い投げ。 | ||
22 | 清水川元吉 五所川原市 | Wikipedia |
清水川 元吉(しみずがわ もときち、1900年1月13日 - 1967年7月5日)は、青森県北津軽郡三好村(現:青森県五所川原市)出身の元大相撲力士。本名は長尾 米作(ながお よねさく)。 | ||
23 | 額田長 高松市 | Wikipedia |
額田 長(ぬかた ひさし、1900年(明治33年) - 1984年(昭和59年)5月31日)は、日本の剣道家、居合道家。段位称号は剣道範士八段、居合道範士九段。 | ||
24 | 富木謙治 仙北市 | Wikipedia |
富木 謙治(とみき けんじ、1900年3月15日 - 1979年12月25日)は日本の武道(合気道・柔道)家。教育学者。日本合気道協会、秋田県角館町(後の仙北市)出身。 | ||
25 | 錦華山大五郎 洲本市 | Wikipedia |
錦華山 大五郎(きんかざん だいごろう、1900年8月26日 - 1967年10月21日)は、兵庫県津名郡(現:兵庫県洲本市)出身の元大相撲力士。本名は濱野 平蔵(はまの へいぞう)。 | ||
26 | 常陸岩英太郎 中央区 | Wikipedia |
常陸岩 英太郎(ひたちいわ えいたろう、1900年3月9日 - 1957年7月21日)は、東京府東京市日本橋区(現:東京都中央区日本橋)出身の元大相撲力士。本名は櫻井 英太郎(さくらい えいたろう)。 | ||
27 | 綾鬼喜一郎 三島市 | Wikipedia |
綾鬼 喜一郎(あやおに きいちろう、1900年6月17日 - 1945年10月5日)は、中川部屋に所属した力士。本名は杉山 喜一郎(すぎやま きいちろう)。静岡県三島市出身。身長165cm、体重130kg。最高位は西前頭5枚目。得意手は突っ張り、押し。 | ||
28 | 朝光亀太郎 東大阪市 | Wikipedia |
朝光 亀太郎(あさひかり かめたろう、1900年3月14日 - 1937年12月1日)は、朝日山部屋、出羽海部屋、再度朝日山部屋に所属した力士。本名は塚本 亀太郎。現在の大阪府東大阪市出身。身長167cm、体重98kg。最高位は西前頭6枚目。 | ||
29 | 海光山大五郎 海陽町 | Wikipedia |
海光山 大五郎(かいこうざん だいごろう、1900年3月16日 - 1954年5月16日)は、徳島県海部郡宍喰町(現:徳島県海陽町)出身の元大相撲力士。本名は小倉 清次(おぐら せいじ)。 | ||
30 | 池田川助松 立山町 | Wikipedia |
池田川 助枩(いけだがわ すけまつ、1900年8月11日 - 1966年5月19日)は、立浪部屋に所属した元力士。本名は丸山 助松(まるやま すけまつ)。富山県中新川郡立山町出身。身長168cm、体重101kg。最高位は西前頭4枚目。得意手は左四つ、投げ、押し。 | ||
31 | 大潮清治郎 大川市 | Wikipedia |
大潮清治郎(おおしお せいじろう、1900年8月11日 - 1979年3月29日)は、福岡県三潴郡(現在の大川市)出身で陸奥部屋出身の昭和初期に活躍した元大相撲力士。本名は、石橋清治郎(いしばし せいじろう)。現役時代の体格は身長184cm、体重116kg。得意手は右四つ、寄り。最高位は東関脇。二枚鑑札で年寄・陸奥を襲名。 |
野球
32 | 銭村健一郎 | Wikipedia |
銭村 健一郎(ぜにむら けんいちろう、1900年1月25日 - 1968年11月13日)は、広島県出身の野球選手、指導者。アメリカでは「Kenichi Zenimura(ケンイチ・ゼニムラ)」の名で知られている[2]。このことから、日本の一部資料では「銭村健一」表記を用いている場合もある。 | ||
33 | 金子鋭 小千谷市 | Wikipedia |
金子 鋭(かねこ とし、1900年3月17日 - 1982年2月24日)は、日本の銀行家、プロ野球コミッショナー。新潟県小千谷市出身。 | ||
東京帝国大学出身 出身の 東京帝国大学の出身者 全国の 東京帝国大学の出身者 |
競馬・競輪・競艇・その他レース
34 | 松井麻之助 羽後町 | Wikipedia |
松井 麻之助(まつい あさのすけ、1900年6月18日 - 不詳)は、日本の陸軍軍人、競馬騎手、調教師。 | ||
35 | 小野留嘉 | Wikipedia |
小野 留嘉(おの とめよし、1900年11月10日 - 1987年5月31日)は、国営競馬ならびに日本中央競馬会 (JRA) の騎手で、京都競馬場→栗東トレーニングセンターに所属していた調教師。 |
登山家・冒険家・探検家
36 | 原全教 金沢市 | Wikipedia |
原 全教(はら ぜんきょう、1900年5月18日 - 1981年11月)は、日本の登山家。 |
作家・小説家・エッセイ・文筆・翻訳家・編集者
37 | 稲垣足穂 神戸市 | Wikipedia |
稲垣 足穂(いながき たるほ、1900年12月26日 - 1977年10月25日)は、日本の小説家。 | ||
関西学院大学出身 出身の関西学院大学の出身者 全国の関西学院大学の出身者 | ||
38 | アンドウ・ゼンパチ 広島市 | Wikipedia |
アンドウ ゼンパチ(本名 安藤潔、1900年(明治33年) - 1983年(昭和58年))は、広島県出身の著述家、啓蒙活動家。ブラジル日系社会の文化的発展に貢献。 | ||
39 | 林不忘 函館市 | Wikipedia |
長谷川 海太郎(はせがわ かいたろう、1900年1月17日 - 1935年6月29日)は、日本の小説家、翻訳家。林不忘(はやし ふぼう)、牧逸馬(まき いつま)、谷譲次(たに じょうじ)の3つのペンネームを使い分けて活躍した。林不忘は時代小説「丹下左膳」シリーズ、牧逸馬は犯罪実録小説、谷譲次は米国体験記「めりけんじゃっぷ」物で知られる。 | ||
40 | 十和田操 | Wikipedia |
十和田 操(とわだ みさお、男性、1900年3月8日 - 1978年1月15日)は、日本の作家。本名・和田豊彦。 | ||
41 | 小島勗 仙台市 | Wikipedia |
小島 勗(こじま つとむ、1900年6月1日 - 1933年1月6日)は、日本の小説家。劇作家。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
42 | 久間十義 新冠町 | Wikipedia |
久間 十義(ひさま じゅうぎ、1953年11月27日[2] - )は、日本の小説家。北海道新冠町出身。北海道札幌南高等学校[要出典]、早稲田大学第一文学部仏文科卒業。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
43 | 石坂洋次郎 弘前市 | Wikipedia |
石坂 洋次郎(いしざか ようじろう、1900年(明治33年)1月25日 - 1986年(昭和61年)10月7日)は、日本の小説家。青森県弘前市代官町生まれ。慶應義塾大学国文科卒。戸籍のうえでは7月25日生まれになっているが、実際は1月25日生まれ。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
44 | 椿八郎 | Wikipedia |
椿 八郎(つばき はちろう、1900年4月18日 - 1985年1月27日)は、日本の作家。眼科医。本名は藤森 章。 | ||
45 | 時海結以 | Wikipedia |
時海 結以(ときうみ ゆい、1月6日 -)は、日本の女性小説家。長野県出身。血液型はB型。別名義は高原 深雪。 | ||
46 | 中山義秀 成田市 | Wikipedia |
中山 義秀(なかやま ぎしゅう、1900年10月5日 - 1969年8月19日)は、日本の小説家。本名、議秀(よしひで)。 | ||
47 | 和田傳 厚木市 | Wikipedia |
和田 傳(わだ つとう、1900年(明治33年)1月17日 - 1985年10月12日)は、神奈川県厚木市生まれの文学作家。一般的には「わだ でん」と呼ばれている。農村を舞台とした作品を得意としている。代表作に「沃土」、「大日向村」、「日本農人傳」、「鰯雲」などがある。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
48 | 稲垣足穂 大阪市 | Wikipedia |
稲垣 足穂(いながき たるほ、1900年12月26日 - 1977年10月25日)は、日本の小説家。 | ||
関西学院大学出身 出身の関西学院大学の出身者 全国の関西学院大学の出身者 | ||
49 | 久保栄 札幌市 | Wikipedia |
久保 栄(くぼ さかえ 1900年(明治33年)12月28日 - 1958年(昭和33年)3月15日)は、日本の劇作家・演出家・小説家・批評家。代表作に『火山灰地』、『のぼり窯』などがある。 | ||
50 | 石原文雄 三郷町 | Wikipedia |
石原 文雄(いしはら ふみお、1900年(明治33年)3月3日 - 1971年(昭和46年)4月20日)は、山梨県出身の日本の小説家。 | ||
51 | 秋山六郎兵衛 三豊市 | Wikipedia |
秋山 六郎兵衛(あきやま ろくろうべえ、1900年4月11日 - 1971年8月23日)は、日本のドイツ文学者。専門は、E.T.A.ホフマンの『牡猫ムルの人生観』の翻訳、ヘルマン・ヘッセの研究。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
52 | 佐左木俊郎 | Wikipedia |
佐左木 俊郎(ささき としろう、1900年(明治33年)4月14日 - 1933年(昭和8年)3月13日)は、日本の小説家。農民(百姓)の辛さ、愚かさ、悲しさ、したたかさ、美しさを、じっと見据えつづけた作家である。宮城県の農家出身。鉄道員、小学校の代用教員などののち新潮社に入り、『文学時代』などを編集。加藤武雄に兄事し、新興芸術派に属して猟奇小説、探偵小説などを書き、農民文芸会に属し活動したが早世した[2]。 | ||
53 | 長谷川海太郎 函館市 | Wikipedia |
長谷川 海太郎(はせがわ かいたろう、1900年1月17日 - 1935年6月29日)は、日本の小説家、翻訳家。 | ||
54 | 由起しげ子 堺市 | Wikipedia |
由起 しげ子(ゆき しげこ、1900年12月2日 - 1969年12月30日)は、日本の小説家。 | ||
神戸女学院大学出身 出身の神戸女学院大学の出身者 全国の神戸女学院大学の出身者 | ||
55 | 小田嶽夫 | Wikipedia |
小田 嶽夫(おだ たけお、1900年7月5日 - 1979年6月2日) は、日本の小説家。本名は、小田武夫。 | ||
東京外国語大学出身 出身の東京外国語大学の出身者 全国の東京外国語大学の出身者 | ||
56 | 中山義秀 | Wikipedia |
中山 義秀(なかやま ぎしゅう、1900年10月5日 - 1969年8月19日)は、日本の小説家。本名、議秀(よしひで)。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
57 | 長谷川海太郎 佐渡市 | Wikipedia |
長谷川 海太郎(はせがわ かいたろう、1900年1月17日 - 1935年6月29日)は、日本の小説家、翻訳家。林不忘(はやし ふぼう)、牧逸馬(まき いつま)、谷譲次(たに じょうじ)の3つのペンネームを使い分けて活躍した。林不忘は時代小説「丹下左膳」シリーズ、牧逸馬は犯罪実録小説、谷譲次は米国体験記「めりけんじゃっぷ」物で知られる。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
58 | 石坂洋次郎 横手市 | Wikipedia |
石坂 洋次郎(いしざか ようじろう、1900年(明治33年)1月25日 - 1986年(昭和61年)10月7日)は、日本の小説家。青森県弘前市代官町生まれ。慶應義塾大学国文科卒。戸籍のうえでは7月25日生まれになっているが、実際は1月25日生まれ。 |
経営者・実業家
59 | 東海林武雄 秋田市 | Wikipedia |
東海林 武雄(しょうじ たけお、1900年1月14日 – 1988年9月20日)は、日本の実業家。旭電化工業社長、日本専売公社(現・日本たばこ産業)総裁。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
60 | 市村清 | Wikipedia |
市村 清(いちむら きよし、1900年4月4日 - 1968年12月16日)は、日本の実業家。リコーを中心とする「リコー三愛グループ」の創始者。昭和初期から中期の日本を代表する経営者の一人。 | ||
中央大学出身 出身の中央大学の出身者 全国の中央大学の出身者 | ||
61 | 上田清次郎 川崎町 | Wikipedia |
上田 清次郎(うえだ せいじろう、1900年10月28日 - 1987年2月3日)は、日本の実業家。数多くの炭鉱を所有した炭鉱王として知られている。また馬主としても知られ、1980年から1985年まで中央競馬馬主協会連合会の会長を務めた。 | ||
62 | 立石一真 熊本市 | Wikipedia |
立石 一真(たていし かずま、明治33年(1900年)9月20日 - 平成3年(1991年)1月12日)は日本の実業家。オムロンの創業者。1921年、熊本高等工業学校電気科一部(現:熊本大学工学部)卒業。 | ||
熊本大学出身 出身の熊本大学の出身者 全国の熊本大学の出身者 | ||
63 | 戸田城聖 石狩市 | Wikipedia |
戸田 城聖(とだ じょうせい、1900年〈明治33年〉2月11日 - 1958年〈昭和33年〉4月2日)は、日本の宗教家、教育家、実業家、数学者 | ||
64 | 上田常隆 滝沢市 | Wikipedia |
上田 常隆(うえだ つねたか、1900年7月4日 - 1980年10月14日)は、日本の新聞社経営者。 | ||
65 | 出光計助 | Wikipedia |
出光 計助(いでみつ けいすけ、1900年6月24日 - 1994年1月8日)は、日本の実業家。出光興産第2代社長。石油連盟会長も務め、勲二等旭日重光章を受章した。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
66 | 豊島半七(四代目) 一宮市 | Wikipedia |
四代目豊島 半七(よんだいめとよしま はんしち、1900年〈明治33年〉11月6日 - 1962年〈昭和37年〉1月21日)は、愛知県中島郡一宮町(現・一宮市)出身の実業家。出生名は鈴木 孝三(すずき こうぞう)であり、1921年に豊島家の養嗣子となると、1937年4月に四代目豊島半七を襲名した。株式会社山一商店代表取締役、豊島株式会社社長、東海紡績株式会社社長。一宮市名誉市民。 | ||
67 | 永野重雄 広島市 | Wikipedia |
永野 重雄(ながの しげお、1900年7月15日 - 1984年5月4日)は日本の実業家。島根県松江市生まれ、広島県広島市南区出汐育ち。新日本製鐵会長、経済同友会代表幹事、日本商工会議所会頭などを歴任した、戦後日本を代表する経済人の一人[2][3][4]。財界四天王の一人で[5][6][7]、"戦後の財界のドン"ともいわれた[8]。広島高等師範学校附属小学校[9] - 広島高等師範学校附属中学校[10] - 第六高等学校 - 東京帝国大学法学部政治学科卒業。正三位勲一等旭日桐花大綬章。広島市名誉市民[11]。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
68 | 吉田五郎 福山市 | Wikipedia |
吉田 五郎(よしだ ごろう、1900年 - 1993年)は、日本の技術者で、キヤノンのルーツである精機光学研究所の創業者。 | ||
69 | 梶谷忠二 岡山市 | Wikipedia |
梶谷 忠二(かじたに ちゅうじ 1900年(明治33年)- 2006年8月30日)は、岡山県岡山市生まれの実業家。岡山木村屋創業者、岡山商工会議所最高顧問。梶谷博則は息子。 | ||
70 | 古垣鉄郎 日置市 | Wikipedia |
古垣 鉄郎(ふるかき てつろう、1900年(明治33年)9月20日 - 1987年(昭和62年)3月8日)は、日本のジャーナリスト、外交官。筆名は中馬 藤十郎。 | ||
71 | 中村一策 | Wikipedia |
中村 一策(なかむら いっさく、1900年(明治33年10月30日) - 1966年(昭和41年)12月22日)は、日本の銀行家。日本勧業銀行頭取、第21代全国銀行協会会長。特殊銀行から普通銀行に転換する時期に積極的な経営を展開し、預金の吸収に力を入れて業績を伸ばし、「預金の神様」と言われた。また、金融界に対しては利子課税、融資ルールなどの問題に対処して功績があった。 | ||
72 | 上田清次郎 白老町 | Wikipedia |
上田 清次郎(うえだ せいじろう、1900年10月28日 - 1987年2月3日)は、日本の実業家。数多くの炭鉱を所有した炭鉱王として知られている。また馬主としても知られ、1980年から1985年まで中央競馬馬主協会連合会の会長を務めた。 | ||
73 | 森治樹 米子市 | Wikipedia |
森 治樹(もり はるき、明治33年(1900年)5月3日 - 平成6年(1994年)11月4日)は日本の実業家。元資生堂社長。幼名治。 | ||
神戸大学出身 出身の神戸大学の出身者 全国の神戸大学の出身者 |
医師・看護師
74 | 林文雄 札幌市 | Wikipedia |
林 文雄(はやし ふみお、1900年11月26日 - 1947年7月18日)は、日本の医師。全生病院(国立療養所多磨全生園)、国立療養所長島愛生園、国立療養所星塚敬愛園(園長)に勤務し、国立療養所大島青松園で、病気療養をした。特に光田健輔を助け、光田反応を完成させた。クリスチャン、ヒューマニストであり、南九州、とくに奄美、沖縄のハンセン病患者救済に取り組み、理想の療養所建設に力を注いだが、志半ばで病に倒れた。 |
軍人
75 | 横山一郎 横須賀市 | Wikipedia |
横山 一郎(よこやま いちろう、1900年(明治33年)3月1日 - 1993年(平成5年)7月28日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。1945年(昭和20年)9月2日、アメリカ海軍の戦艦ミズーリ上で行われた降伏文書調印式に出席した人物でもある。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
76 | 長澤浩 | Wikipedia |
長澤 浩(ながさわ こう、1900年(明治33年)12月29日 - 1967年(昭和42年)4月17日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。海軍兵学校(第49期)卒。第2代海上幕僚長。 | ||
77 | 松村秀逸 八代市 | Wikipedia |
松村 秀逸(まつむら しゅういつ、1900年3月1日 - 1962年9月7日)は、日本の陸軍軍人、国会議員(参議院議員)。最終階級は陸軍少将。 | ||
78 | 杉本五郎 広島市 | Wikipedia |
杉本 五郎(すぎもと ごろう、明治33年(1900年)5月25日 - 昭和12年(1937年)9月14日)は、日本の陸軍軍人。「天皇信仰の極北」とされる遺言本『大義』で知られる。 | ||
79 | 吉川潔 広島市 | Wikipedia |
吉川 潔(きっかわ きよし、1900年(明治33年)11月3日 - 1943年(昭和18年)11月25日)は、日本海軍の軍人。戦死後、二階級特進して海軍少将[3][4]。広島県広島市段原町出身。海兵50期。 | ||
80 | 原為一 | Wikipedia |
原 為一(はら ためいち、1900年10月16日 - 1980年10月10日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。 | ||
81 | 堀内豊秋 熊本市 | Wikipedia |
堀内 豊秋(ほりうち とよあき、1900年(明治33年)9月27日 - 1948年(昭和23年)9月25日)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍大佐。熊本県熊本市出身。 | ||
82 | 池田末男 豊橋市 | Wikipedia |
池田 末男(いけだ すえお、1900年12月21日 - 1945年8月18日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は少将。士候34期。占守島の戦いで戦死した。「戦車隊の神様」と呼ばれる。 | ||
83 | 神重徳 出水市 | Wikipedia |
神 重徳(かみ しげのり、1900年(明治33年)1月23日 - 1945年(昭和20年)9月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。海軍兵学校48期生。 | ||
84 | 神保信彦 高畠町 | Wikipedia |
神保 信彦(じんぼ のぶひこ、1900年1月1日-1978年)は大日本帝国陸軍の軍人。第二次世界大戦中にフィリピン第三共和国の初代大統領となるマニュエル・ロハスの生存に貢献した人物として知られる。 |
官僚
85 | 奥村喜和男 行橋市 | Wikipedia |
奥村 喜和男(おくむら きわお、1900年1月4日 - 1969年8月19日)は、逓信官僚。革新官僚の1人とされている。号は東陽。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
86 | 杉原千畝 八百津町 | Wikipedia |
杉原 千畝(すぎはら ちうね、1900年(明治33年)1月1日 - 1986年(昭和61年)7月31日)とは、日本の官僚、外交官である。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 |
公務員
87 | 杉原千畝 名古屋市 | Wikipedia |
杉原 千畝(すぎはら ちうね、1900年〈明治33年〉1月1日 - 1986年〈昭和61年〉7月31日)は、日本の外交官。早稲田大学高等師範部英語(教育学部英語英文学科)科本科中退。 |
学者・教授・准教授
88 | 野呂榮太郎 長沼町 | Wikipedia |
野呂 榮太郎(のろ えいたろう、1900年(明治33年)4月30日 - 1934年(昭和9年)2月19日)は、日本の在野のマルクス経済学者で、戦前の非合法政党時代の日本共産党の理論的指導者の一人であるとともに、幹部(委員長)として党を指導するなど、実践活動にも関わった。 | ||
89 | 小早川欣吾 神戸市 | Wikipedia |
小早川 欣吾(こばやかわ きんご、1900年6月16日 - 1944年6月16日)は、日本の法学者。元京都帝国大学教授。専門は法制史。兵庫県神戸市生まれ。 | ||
90 | 赤堀四郎 掛川市 | Wikipedia |
赤堀 四郎(あかほり しろう、1900年10月20日 - 1992年11月3日)は、日本の生化学者(生物有機学)。勲等は勲一等。学位は理学博士(東北帝国大学・1931年)。大阪大学名誉教授。日本学士院会員、大阪大学総長、理化学研究所理事長などを歴任した。 | ||
91 | 小宮義孝 行田市 | Wikipedia |
小宮 義孝(こみや よしたか、1900年2月18日 - 1976年2月4日)は、日本の寄生虫学者。 | ||
92 | 脇村義太郎 田辺市 | Wikipedia |
脇村 義太郎(わきむら よしたろう、1900年12月6日 - 1997年4月17日)は、日本の経済学者。専攻は経営史。1964年から日本学士院会員、1988年から1994年まで第20代日本学士院長を務める。1992年文化功労者。東京大学名誉教授。甥に神奈川県立湘南高等学校の甲子園(第31回全国高等学校野球選手権大会)での優勝チームのレギュラーメンバーであり、東大野球部主将、東洋紡役員等を経て日本高等学校野球連盟第5代会長を務めた脇村春夫(公益財団法人脇村奨学会代表理事)がいる。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
93 | 宮崎松記 八代市 | Wikipedia |
宮崎 松記(みやざき まつき、1900年(明治33年)1月10日 - 1972年(昭和47年)6月14日)は、日本の医学者、国立療養所菊池恵楓園の園長を勤め、その後インドで救らいセンターを作った。ハンセン病を研究し、ハンセン病患者の治療をした。熊本県八代市日奈久町生まれ。 | ||
94 | 安田幹太 豊後高田市 | Wikipedia |
安田 幹太(やすだ みきた、1900年1月2日 - 1987年5月16日)は、日本の法学者。九州国際大学(元・八幡大学)名誉学長。法学博士。近代民法学の研究、及び新制八幡大学の再建と発展に尽力した。大分県西国郡草地村(のち豊後高田市)出身。 | ||
95 | 臼井二尚 | Wikipedia |
臼井 二尚(うすい じしょう、1900年8月27日 - 1991年3月8日[2])は、日本の社会学者。 | ||
96 | 高坂正顕 | Wikipedia |
高坂 正顕(こうさか まさあき、1900年(明治33年)1月23日 - 1969年(昭和44年)12月9日)は、日本の哲学者。文学博士。専門は、カント哲学。京都学派の一人。西谷啓治、高山岩男、鈴木成高と共に「京都学派四天王」と呼ばれている。 | ||
97 | 石中象治 | Wikipedia |
石中 象治(いしなか しょうじ、1900年4月28日 - 1981年)は、ドイツ文学者、九州大学名誉教授。 | ||
98 | 戸坂潤 杉並区 | Wikipedia |
戸坂 潤(とさか じゅん、1900年9月27日 - 1945年8月9日)は、日本の哲学者。 | ||
99 | 西谷啓治 能登町 | Wikipedia |
西谷 啓治(にしたに けいじ、1900年(明治33年)2月27日 - 1990年(平成2年)11月24日)は、日本の哲学者(宗教哲学)。京都学派に属する。京都大学文学部名誉教授、文化功労者。 | ||
100 | 石川恒太郎 日向市 | Wikipedia |
石川 恒太郎(いしかわ つねたろう、1900年8月25日 - 1990年10月30日)は、日本の歴史学者。 | ||
101 | 中谷宇吉郎 加賀市 | Wikipedia |
中谷 宇吉郎(なかや うきちろう、1900年(明治33年)7月4日 - 1962年(昭和37年)4月11日)は、日本の物理学者、随筆家。位階は正三位。勲等は勲一等。学位は理学博士(京都帝国大学・1931年)。 | ||
102 | 中谷宇吉郎 ニセコ町 | Wikipedia |
中谷 宇吉郎(なかや うきちろう、1900年(明治33年)7月4日 - 1962年(昭和37年)4月11日)は、日本の物理学者、随筆家。位階は正三位。勲等は勲一等。学位は理学博士(京都帝国大学・1931年)。 | ||
103 | 平澤興 新潟市 | Wikipedia |
平澤 興(ひらさわ こう、1900年(明治33年)10月5日 - 1989年(平成元年)6月17日)は、日本の医学者。新潟県出身。専門は脳神経解剖学。京都大学教授、京都大学第16代総長などを務めた。 | ||
104 | 上野益三 大阪市 | Wikipedia |
上野 益三(うえの ますぞう、1900年(明治33年)2月26日 - 1989年6月17日)は、大阪府出身の昆虫学者、陸水学者。水生昆虫の分類、生態学的研究や、生物学史の研究でも知られる。動物分類学会名誉会員。 | ||
105 | 横井小楠 坪内町 | Wikipedia |
横井 小楠(よこい しょうなん)は、日本の武士(熊本藩士)、儒学者、政治家。維新の十傑の1人。 | ||
106 | 野呂栄太郎 長沼町 | Wikipedia |
野呂 榮太郎(のろ えいたろう、1900年(明治33年)4月30日 - 1934年(昭和9年)2月19日)は日本の在野のマルクス経済学者で、戦前の非合法政党時代の日本共産党の理論的指導者の一人であるとともに、幹部(委員長)として党を指導するなど、実践活動にも関わった。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
107 | 池上鎌三 松本市 | Wikipedia |
池上 鎌三(いけがみ けんぞう、1900年11月12日 - 1956年1月29日)は、日本の哲学者、元東京大学文学部教授。新カント派の哲学を学び、文化哲学、現象学、生の哲学を研究、紹介した。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
研究者・研究家・発明家
108 | 内田守 菊池市 | Wikipedia |
内田 守(うちだ まもる、1900年6月10日 - 1982年1月17日)は日本の医師。短歌の場合は内田守人(もりと)と称する。九州療養所国立療養所菊池恵楓園、国立療養所長島愛生園、国立療養所松丘保養園で医師として働いた。ハンセン病研究家。ハンセン病療養所入所者に短歌の指導を行った。戦後は医院開業後、熊本短大で社会福祉を研究、講義した。ハンセン病資料を多数集め、熊本県立図書館に内田文庫として寄贈した。 | ||
109 | 小山冨士夫 倉敷市 | Wikipedia |
小山 富士夫(こやま ふじお、1900年3月24日 - 1975年10月7日)は陶磁器研究者・陶芸家で、中国陶磁器研究の大家。岡山県浅口郡玉島町(現・倉敷市玉島)出身。 | ||
110 | 菅沼貞三 菊川市 | Wikipedia |
菅沼 貞三(すがぬま ていぞう、1900年12月11日 - 1993年2月20日)は、日本美術史学者。 |
画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家・漆芸家・工芸家
111 | 柳瀬正夢 | Wikipedia |
柳瀬 正夢(やなせ まさむ、1900年1月12日 - 1945年5月25日) は、美術家、画家、デザイナー、舞台美術家。本名は正六、別名は夏川八朗。 | ||
112 | 堀内唯生 茅野市 | Wikipedia |
堀内 唯生(ほりうち ただお、1900年4月11日 - 1981年12月25日)は、長野県生まれの洋画家である。 | ||
113 | 麻田弁自 南丹市 | Wikipedia |
麻田 弁自(あさだ べんじ、1900年(明治33年)12月14日 - 1984年(昭和59年)12月29日)は、明治時代から昭和時代にかけての日本画家、版画家。長男は日本画家の麻田鷹司、次男は洋画家の麻田浩。 | ||
114 | 舩木道忠 松江市 | Wikipedia |
舩木 道忠(ふなき みちただ、1900年5月18日 - 1963年1月22日)は、陶芸家。布志名焼舩木窯4代目。島根県無形文化財志布名焼技術保持者。島根県出身。 | ||
115 | 坂本万七 福山市 | Wikipedia |
坂本万七(さかもと まんしち、1900年1月13日 - 1974年4月19日)は、日本の写真家。特に民藝品や仏像の撮影に才能を発揮した。その遺作「沖縄・昭和10年代」は戦前の沖縄各地で撮影した貴重な写真が掲載されており、テレビ放送等で資料として使用されている。 | ||
116 | 高橋渡 | Wikipedia |
高橋渡(たかはし わたる、1900年 - 1944年)は、日本戦前期の写真家。弁護士でもあった。 | ||
117 | 島田謹介 | Wikipedia |
島田 謹介(しまだ きんすけ、1900年6月28日 - 1994年6月30日)は、日本の写真家。 | ||
118 | 牛島憲之 熊本市 | Wikipedia |
牛島 憲之(うしじま のりゆき、1900年8月29日 - 1997年9月16日)は、洋画家。熊本県熊本市二本木町生まれ。 | ||
119 | 岩田準一 鳥羽市 | Wikipedia |
岩田準一(いわた じゅんいち、明治33年(1900年)-昭和20年(1945年))は、日本の画家・風俗研究家。 | ||
120 | 南城一夫 | Wikipedia |
南城 一夫(なんじょう かずお、1900年 - 1986年)は、日本の画家。西洋的な香りのする作風で、中流階級にも親しまれた。群馬県前橋市出身。 | ||
121 | 阿部金剛 盛岡市 | Wikipedia |
阿部 金剛(あべ こんごう、1900年6月26日 - 1968年11月20日)は、日本の洋画家。 | ||
122 | 宮田重雄 名古屋市 | Wikipedia |
宮田 重雄(みやた しげお、1900年10月31日 - 1971年4月28日)は、日本の画家、医師。 | ||
123 | 加藤土師萌 瀬戸市 | Wikipedia |
加藤 土師萌(かとう はじめ、1900年3月7日 - 1968年9月25日)は日本の陶芸家。本名は一(はじめ)。1961年に人間国宝に認定された。東洋の陶磁器に対して高い見識を持つ。教え子に鳴海要などがいる。 | ||
124 | 桑田笹舟 福山市 | Wikipedia |
桑田 笹舟(くわだ ささふね、明治33年(1900年)6月24日 - 平成元年(1989年)7月31日)は、日本の書道家。福山市名誉市民。本名・桑田 明(くわだ あきら)。 | ||
125 | 辻利平 松浦市 | Wikipedia |
辻 利平(つじ りへい、1900年4月22日 - 1988年4月15日)は、日本の洋画家。 | ||
126 | 進藤章 | Wikipedia |
進藤 章(しんどうあきら、1900年(明治33年)4月12日 - 1976年(昭和51年)5月18日) は、日本の画家、油彩画、日本画などを描く。 | ||
127 | 高森龍夫 | Wikipedia |
高森 龍夫(たかもり たつお、1900年9月14日 - 1958年5月12日)は、編集者、挿絵画家。雅号は「猟夫(れお)」「夜江」。漫画原作者の梶原一騎(本名・高森朝樹)は長男、同じく漫画原作者の真樹日佐夫(本名・高森真土)は次男。 | ||
青山学院大学出身 出身の青山学院大学の出身者 全国の青山学院大学の出身者 | ||
128 | 船木道忠 松江市 | Wikipedia |
船木 道忠(ふなき みちただ、1900年5月18日 - 1963年1月22日)は、陶芸家。島根県指定重要無形文化財保持者。島根県出身。 | ||
129 | 高田博厚 七尾市 | Wikipedia |
高田 博厚(たかた ひろあつ、1900年(明治33年)8月19日 - 1987年(昭和62年)6月17日))は、日本の彫刻家、文筆家。長くパリに住み、幅広い交友関係を持った。 | ||
130 | 鈴木八郎 余市町 | Wikipedia |
鈴木 八郎(すずき はちろう、1900年 - 1985年)は、日本の写真家。写真雑誌編集者、カメラ文化史研究者。 |
政治家・議員・首長
131 | 加藤精三 | Wikipedia |
加藤 精三(かとう せいぞう、1900年(明治33年)11月20日 - 1965年(昭和40年)5月3日)は、日本の政治家、旧鶴岡市第6代市長、衆議院議員(5期)、致道博物館顧問、栄典は正四位・勲二等・瑞宝章。山形県西田川郡鶴岡町(現・鶴岡市)出身。防衛庁長官・内閣官房長官・自民党幹事長を歴任した加藤紘一の父。 | ||
132 | 徳安実蔵 鳥取市 | Wikipedia |
徳安 実蔵(とくやす じつぞう、1900年2月13日 – 1988年2月7日)は、昭和期の政治家。総理府総務長官・郵政大臣。 | ||
133 | 竹下勇造 出雲市 | Wikipedia |
竹下 勇造(たけした ゆうぞう、明治33年(1900年)6月25日 - 昭和59年(1984年)3月21日)は、日本の実業家、政治家。元島根県議会議員、元掛合村長。元竹下酒造代表取締役。柔道3段。掛合町名誉町民。旧姓武永(たけなが)。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
134 | 青木重臣 | Wikipedia |
青木 重臣(あおき しげとみ、1900年〈明治33年〉8月6日 - 1982年〈昭和57年〉4月21日[2])は、日本の内務・警察官僚、初代愛媛県公選知事(1期)。 | ||
135 | 溝渕増巳 | Wikipedia |
溝渕 増巳(みぞぶち ますみ、明治33年(1900年)11月28日 - 昭和59年(1984年)1月17日)は高知県の政治家。 | ||
136 | 友末洋治 | Wikipedia |
友末 洋治(ともすえ ようじ、1900年7月5日 - 1988年10月23日)は日本の政治家。茨城県知事を官選時代に1期、民選時代に3期にわたって務めた。 | ||
日本大学出身 出身の日本大学の出身者 全国の日本大学の出身者 | ||
137 | 伊藤郷一 白糠町 | Wikipedia |
伊藤 郷一(いとう ごういち、1900年(明治33年)9月23日 - 1987年(昭和62年)9月8日)は、日本の政治家、教育者。衆議院議員。 | ||
138 | 佐々木更三 | Wikipedia |
佐々木 更三(ささき こうぞう、1900年5月25日 - 1985年12月24日)は、日本の政治家。日本社会党副委員長、委員長を歴任した。 | ||
日本大学出身 出身の日本大学の出身者 全国の日本大学の出身者 | ||
139 | 池田清志 | Wikipedia |
池田 清志(いけだ きよし、1900年(明治33年)9月15日 - 1991年(平成3年)7月29日)は、日本の内務・警察官僚、政治家、弁護士。衆議院議員、最後の官選栃木県知事。 | ||
140 | 只野直三郎 | Wikipedia |
只野 直三郎(ただの なおさぶろう、1900年(明治33年)10月2日 - 1984年(昭和59年)9月26日)は、昭和期の政治家、衆議院議員。宮城県遠田郡田尻町(現在の大崎市)出身。 | ||
141 | 鈴木直人 | Wikipedia |
鈴木 直人(すずき なおと、1900年(明治33年)5月19日 - 1957年(昭和32年)9月20日)は、日本の内務官僚、政治家。官選熊本県知事、参議院議員、衆議院議員。 | ||
142 | 町村金五 札幌市 | Wikipedia |
町村 金五(まちむら きんご、1900年(明治33年)8月16日 - 1992年(平成4年)12月14日)は、日本の内務官僚、政治家。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
143 | 正木清 | Wikipedia |
正木 清(まさき きよし、1900年(明治33年)5月30日 - 1961年(昭和36年)4月12日)は、日本の政治家。衆議院議員。衆議院副議長(第40代)を務めた。 | ||
144 | 藤倉武男 成田市 | Wikipedia |
藤倉 武男(ふじくら たけお、1900年10月28日 - 1971年11月11日)は、日本の政治家、医師。2-5代目成田市長、成田市消防本部初代消防長、成田市名誉市民。 | ||
145 | 栗原浩 加須市 | Wikipedia |
栗原 浩(くりはら ひろし、1900年(明治33年)1月16日 - 1978年(昭和53年)8月24日)は日本の政治家。埼玉県知事などを歴任した。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
146 | 田中松月 | Wikipedia |
田中 松月(たなか しょうげつ、1900年9月15日 - 1993年)は、日本の政治家、僧侶、部落解放運動家。日本社会党所属の衆議院議員(当選3回)。本名は久光。 | ||
147 | 北村サヨ 田布施町 | Wikipedia |
北村サヨ(きたむら さよ、1900年1月1日 - 1967年12月28日)は、「踊る宗教」こと天照皇大神宮教の教祖。山口県玖珂郡日積村(現柳井市日積)に出生。21歳の時に結魂を契機に山口県熊毛郡田布施町の北村家に嫁ぐ。自民党議員の北村経夫は孫。 | ||
148 | 田上松衛 指宿市 | Wikipedia |
田上松衛(たがみ まつえ、1900年1月10日-1995年1月28日)は、元参議院議員(1期)。 | ||
149 | 生悦住求馬 津市 | Wikipedia |
生悦住 求馬(いけずみ もとめ、1900年(明治33年)4月26日 - 1993年(平成5年)12月13日 )は、日本の官僚、政治家。 | ||
150 | 木村守江 | Wikipedia |
木村 守江(きむら もりえ、1900年4月6日 - 1996年11月3日)は日本の政治家。第4代福島県知事。現在の福島県いわき市四倉生まれ。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
151 | 稲村順三 三条市 | Wikipedia |
稲村 順三(いなむら じゅんぞう、1900年9月30日 - 1955年2月21日)は、日本の農民運動家・政治家。元衆議院議員(5期)。本名は「稲村順蔵」、ペンネームは「村上進」。 | ||
北海道大学出身 出身の北海道大学の出身者 全国の北海道大学の出身者 | ||
152 | 正木清 小樽市 | Wikipedia |
正木 清(まさき きよし、1900年(明治33年)5月30日 - 1961年(昭和36年)4月12日)は、日本の政治家。衆議院議員。衆議院副議長(第40代)を務めた。 | ||
153 | 当間重民 那覇市 | Wikipedia |
当間 重民(とうま じゅうみん、1900年8月19日 - 1952年2月8日)は、戦前の沖縄県、沖縄諮詢会、及び沖縄民政府時代の政治家で那覇市長。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
154 | 倉石忠雄 | Wikipedia |
倉石 忠雄(くらいし ただお、1900年(明治33年)7月2日 - 1986年(昭和61年)11月8日)は、日本の政治家。労働大臣・農林大臣・法務大臣。 | ||
法政大学出身 出身の法政大学の出身者 全国の法政大学の出身者 | ||
155 | 植木庚子郎 | Wikipedia |
植木 庚子郎(うえき こうしろう、1900年1月28日 – 1980年3月11日)は、昭和期の政治家、大蔵官僚。法務大臣・大蔵大臣。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
評論家
156 | 細川隆元 熊本市 | Wikipedia |
細川 隆元(ほそかわ りゅうげん、本名の読みは(たかちか)、1900年1月17日 - 1994年12月19日)は、日本の政治評論家・衆議院議員。熊本県熊本市出身。 | ||
157 | 大宅壮一 | Wikipedia |
大宅 壮一(おおや そういち、1900年(明治33年)9月13日 - 1970年(昭和45年)11月22日)とは、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家、評論家。妻は大宅壮一文庫の理事長を務めた大宅昌、三女はジャーナリストの大宅映子。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
158 | 中井正一 竹原市 | Wikipedia |
中井 正一(なかい まさかず、1900年2月14日 - 1952年5月18日)は、日本の美学者、評論家、社会運動家。広島県竹原市出身で尾道市に育つ。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 |
宗教家・思想家・運動家
159 | 寿岳文章 神戸市 | Wikipedia |
寿岳 文章(じゅがく ぶんしょう、1900年3月28日 - 1992年1月16日)は、英文学者、随筆家、書誌・和紙研究家。民芸運動家。 | ||
160 | 山田無文 | Wikipedia |
山田 無文(やまだ むもん、1900年7月16日 - 1988年12月24日)は日本の臨済宗の僧侶。花園大学学長・臨済宗妙心寺派管長。 | ||
161 | 上田茂樹 札幌市 | Wikipedia |
上田 茂樹(うえだ しげき、1900年7月27日 - 1932年4月?)は日本の社会運動家。日本共産党結成に参加、中央委員を務めたが、地下活動中検挙され、その後の消息は不明。 | ||
162 | 竹内俊吉 つがる市 | Wikipedia |
竹内 俊吉(たけうち しゅんきち、1900年2月5日 - 1986年11月8日)は日本の政治家、文人。青森県知事、青森放送会長などを務めた。長男の竹内黎一も政治家で、科学技術庁長官などを務めた。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
163 | 戸田城聖 | Wikipedia |
戸田 城聖(とだ じょうせい、1900年〈明治33年〉2月11日 - 1958年〈昭和33年〉4月2日)は、日本の宗教家、教育家、実業家。 | ||
中央大学出身 出身の中央大学の出身者 全国の中央大学の出身者 | ||
164 | 中村俊定 蒲郡市 | Wikipedia |
中村 俊定(なかむら しゅんじょう、1900年〈明治33年〉2月13日 - 1984年〈昭和59年〉8月)は、俳諧研究者。 愛知県宝飯郡形原町(現・蒲郡市)生まれ。旧名・市川唯治。幡豆郡幡豆町の浄土宗西山派の僧中村俊達の養子となり僧籍に入る。京都で七年間僧侶の修業をする。早稲田高等学院で片上伸にロシア文学を学び、国文学に転じて1928年早稲田大学国文科卒。実業之日本社に入社するが退職し、俳諧研究にうちこむ。伊藤松宇に師事。1962年『日本古典文学大系 芭蕉句集(連句篇)』で文部大臣賞受賞。1942年から早稲田大学で教えはじめ、早大教授となり、1970年定年。のち二松学舎大学教授。 | ||
165 | 中山吾一 大洲市 | Wikipedia |
中山 吾一(なかやま ごいち、1900年 - 1996年)は聖公会の祭司。 | ||
立命館大学出身 出身の立命館大学の出身者 全国の立命館大学の出身者 |
俳人・歌人・詩人・歌人
166 | 三好達治 大阪市 | Wikipedia |
三好 達治(みよし たつじ、1900年(明治33年)8月23日 - 1964年(昭和39年)4月5日)は大阪府大阪市出身の詩人、翻訳家、文芸評論家。日蓮宗本山本満寺貫首を務めた三好龍紳は実弟。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
167 | 上田敏雄 防府市 | Wikipedia |
上田 敏雄(うえだ としお、1900年7月21日 - 1982年3月30日)は日本の詩人、文学者。上田敏雄は本名である。Toshio Ueda としても作品を発表した。アバンギャルディストとして青年期から晩年期にいたるまでユニークな詩と詩論を展開した。とくに昭和前期の超現実主義運動の輝ける旗手として注目された。日本における最初のシュルレアリスム宣言を発表したことでも知られる。芸術の自律的なメカニズムを認める立場から、カトリシズム・仏教思想等の外部からの概念導入なしに芸術世界の成立はないという立場に変化し、独自のネオ・シュルレアリスム詩観を提唱した[3][4]。 | ||
168 | 平野威馬雄 松戸市 | Wikipedia |
平野 威馬雄(ひらの いまお、1900年(明治33年)5月5日 - 1986年(昭和61年)11月11日)は、横浜市出身の詩人・フランス文学者。同人誌「青宋」主宰。日本詩人クラブ創設会員。大杉栄との交流の縁から、平野の父とも個人的に交友関係のあったジャン・アンリ・ファーブル関係の著作の翻訳をいくつか手がけたことでも知られている。松戸 淳(まつど じゅん)という変名で好色文学の翻訳も手がけた。2度の結婚で9人の子を持つ。 | ||
169 | 平野威馬雄 横浜市 | Wikipedia |
平野 威馬雄(ひらの いまお、1900年(明治33年)5月5日 - 1986年(昭和61年)11月11日)は、横浜市出身の詩人・フランス文学者。同人誌「青宋」主宰。日本詩人クラブ創設会員。大杉栄との交流の縁から、平野の父とも個人的に交友関係のあったジャン・アンリ・ファーブル関係の著作の翻訳をいくつか手がけたことでも知られている。松戸 淳(まつど じゅん)という変名で好色文学の翻訳も手がけた。2度の結婚で9人の子を持つ。 | ||
上智大学出身 出身の上智大学の出身者 全国の上智大学の出身者 | ||
170 | 所三男 | Wikipedia |
所 三男(ところ みつお、1900年11月3日 - 1989年6月30日)は、歴史学者・歌人。 | ||
171 | 湊楊一郎 小樽市 | Wikipedia |
湊 楊一郎(みなと よういちろう、1900年(明治33年)1月1日 - 2002年(平成14年)1月2日)は、俳人。新興俳句運動の理論的支柱として知られる。本名は久々湊与一郎(くくみなとよいちろう)。 | ||
中央大学出身 出身の中央大学の出身者 全国の中央大学の出身者 | ||
172 | 西角井正慶 さいたま市 | Wikipedia |
西角井 正慶(にしつのい まさよし、1900年5月22日 - 1970年1月22日)は、埼玉県生まれの国文学者、民俗学者。歌人としても著名で、見沼 冬男(みぬま ふゆお)のペンネームを持つ。折口信夫に師事し、折口信夫の五博士のうちの一人である。國學院大學教授。文学博士。 | ||
173 | 北川冬彦 | Wikipedia |
北川 冬彦(きたがわ ふゆひこ、1900年(明治33年)6月3日 - 1990年(平成2年)4月12日)は日本の詩人であり、映画評論家としても活躍した。『悪夢』(地平社)などの小説作品もある[2]。本名は田畔忠彦(たぐろ ただひこ)。1942年まで北川象一名義で活動していた[3]。 | ||
174 | 佐伯仁三郎 倉吉市 | Wikipedia |
佐伯 仁三郎(さえき じんざぶろう、明治33年(1900年)9月27日 - 昭和49年(1974年)7月31日)は日本の歌人、国文学者。文学博士。 | ||
175 | 中村汀女 熊本市 | Wikipedia |
中村 汀女(なかむら ていじょ、1900年(明治33年)4月11日 - 1988年(昭和63年)9月20日)は、俳人。本名、破魔子(はまこ)。星野立子・橋本多佳子・三橋鷹女とともに4Tと呼ばれた、昭和を代表する女流俳人。 | ||
176 | 西東三鬼 津山市 | Wikipedia |
西東 三鬼(さいとう さんき、1900年(明治33年)5月15日 - 1962年(昭和37年)4月1日)は、岡山県出身の俳人。医師として勤める傍ら30代で俳句をはじめ、伝統俳句から離れたモダンな感性を持つ俳句で新興俳句運動の中心人物の一人として活躍。戦後は「天狼」「雷光」などに参加し「断崖」を主宰。本名・斎藤敬直(さいとう けいちょく)。 | ||
日本歯科大学出身 出身の日本歯科大学の出身者 全国の日本歯科大学の出身者 | ||
177 | 壺井栄 | Wikipedia |
壺井 栄(つぼい さかえ、旧姓:岩井、女性、1899年(明治32年)8月5日 - 1967年(昭和42年)6月23日)は小説家・詩人。主に一般向小説および児童文学(童話)を主領域に活躍した作家で、戦後反戦文学の名作として後に映画化された『二十四の瞳』の作者として知られる。香川県小豆郡坂手村(現在の小豆島町)出身。夫は詩人の壺井繁治。 | ||
178 | 住谷三郎 | Wikipedia |
住谷 三郎(すみや さぶろう、1900年1月10日 - 1967年1月21日)は歌人。 | ||
179 | 森本治吉 | Wikipedia |
森本 治吉(もりもと じきち、1900年1月10日 - 1977年1月12日)は歌人・国文学者、文学博士、二松学舎大学名誉教授。歌人の槇弥生子は子の妻。歌人の森本平は孫。 | ||
180 | 初井しづ枝 姫路市 | Wikipedia |
初井 しづ枝(はつい しずえ、1900年(明治33年)10月29日 - 1976年(昭和51年)2月15日)は、日本の歌人。兵庫県姫路市出身。 | ||
181 | 松井如流 横手市 | Wikipedia |
松井如流(まつい じょりゅう、1900年3月31日-1988年1月16日)は、歌人、書家。 | ||
182 | 橋爪健 | Wikipedia |
橋爪 健(はしづめ けん、1900年2月20日 - 1964年8月20日)は、日本の詩人、評論家、小説家。 | ||
183 | 尾形亀之助 | Wikipedia |
尾形 亀之助(おがた かめのすけ、1900年12月12日 - 1942年12月2日)は、日本の詩人。宮城県柴田郡大河原町出身。東北学院普通部中退。 |
その他の職業
184 | 松山金嶺 | Wikipedia |
松山 金嶺(まつやま きんれい、1900年5月17日 - 1953年12月20日)は日本プロビリヤード連盟(JPBF)所属のプロビリヤード選手。大正から昭和にかけて活躍し、撞球技名人と呼ばれた。日本にスリークッションを広めたパイオニアとして知られ、「日本スリークッションの父」と称される。本名は為俊。ビリヤード松山開業者。 | ||
185 | 齋田梅亭 京都市 | Wikipedia |
齋田 梅亭(さいた ばいてい、1900年4月6日 - 1981年6月1日)は、日本の截金師。本名は右五郎(ゆうごろう)。1981年に諸工芸の截金の分野で初めて重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。 | ||
186 | 小林ハル 三条市 | Wikipedia |
小林 ハル(こばやし ハル、1900年(明治33年)1月24日 - 2005年(平成17年)4月25日)は、日本の瞽女。生後3か月で失明し、5歳の時に瞽女修行を開始。数多くの苦難を経て晩年に「最後の長岡瞽女」、「最後の瞽女」[2]として脚光を浴びた。8歳で初めて巡業に出て以降、1973年(昭和48年)に廃業するまでの間、西頸城郡を除く新潟県全域と山形県の米沢・小国地方、福島県南会津地方を巡った[3]。1978年(昭和53年)「瞽女唄」が「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」として選択され、その保持者として認定される。1979年(昭和54年)、黄綬褒章を授与される。選択無形文化財の保持者に認定されたことをもって人間国宝と呼ばれることもある[4]。 | ||
187 | 塚越賢爾 高崎市 | Wikipedia |
塚越 賢爾(つかごし けんじ、1900年11月8日 - 1943年7月7日以降(1945年5月4日戦死認定))は、日本の飛行家。航空機関士。1937年の朝日新聞社による神風号飛行により、同僚の飯沼正明操縦士とともに一躍日本の空の英雄となったが、太平洋戦争中に軍務に従事中消息を絶った。 | ||
188 | ジャック白井 函館市 | Wikipedia |
ジャック白井(ジャック しらい、1900年? - 1937年7月11日)は、スペイン内戦に参加した日本生まれの義勇兵。内戦に参加した日本人の中で唯一名前が判明している人物である。 |