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宝塚・女優・俳優・声優・ナレーター・歌舞伎・能楽・狂言
1 | 山口俊雄 | Wikipedia |
山口 俊雄(やまぐち としお、1897年4月10日 - 1945年1月)は、日本の俳優である。新派劇俳優であるが、牧野省三のマキノ・プロダクションとの提携で映画に主演、1928年(昭和2年)の片岡千恵蔵、嵐寛寿郎らのマキノからの独立時に歩調を揃えて、自らのスタープロダクションを立ち上げた。 | ||
2 | 佐藤円治 鶴岡市 | Wikipedia |
佐藤 圓治(さとう えんじ、明治30年(1897年)8月24日 - 昭和46年(1971年)7月30日)は、日本の俳優。娘は女優の三條美紀、孫は元女優の紀比呂子。 | ||
3 | 高勢実乗 函館市 | Wikipedia |
高勢 實乘(たかせ みのる、明治30年(1897年)12月13日 - 昭和22年(1947年)11月19日)は、日本の俳優である。サイレント映画時代から活躍していたが、トーキー以降の「わしゃかなわんよ」、「アーノネおっさん」等のギャグで知られる。本名能登谷 新ー(のとや しんいち)。 | ||
4 | 花菱アチャコ | Wikipedia |
花菱アチャコ(はなびし あちゃこ、1897年7月10日 - 1974年7月25日)は、大正・昭和期の漫才師、俳優である。本名:藤木 徳郎。福井県勝山市出身。 |
歌手・シンガー
5 | 佐藤千夜子 | Wikipedia |
佐藤 千夜子(さとう ちやこ、1897年(明治30年)3月13日 - 1968年(昭和43年)12月13日)は、日本初のレコード歌手。本名は佐藤千代。山形県東村山郡天童村(現:天童市)出身。晋平節を世に広め、古賀政男の才能を発見したことで、それ以後の日本大衆音楽史の発展に大きな功績がある。華々しくかつ浮き沈み激しい人生は、NHK朝の連続テレビ小説「いちばん星」のモデルとなった。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 |
モデル・アイドル・タレント・アナウンサー
6 | 由良哲次 奈良市 | Wikipedia |
由良 哲次(ゆら てつじ、1897年 - 1979年3月)は、日本の歴史哲学者、日本史家、美術史家、浮世絵蒐集家。横光利一の『旅愁』のモデル。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 |
演奏家・作詞家・作曲家・ミュージシャン
7 | 菅原明朗 明石市 | Wikipedia |
菅原明朗(すがはら めいろう、Méireaux Sœgaharat、1897年(明治30年)3月21日 - 1988年(昭和63年)4月2日)は、日本の作曲家、音楽の教育者、指導者、啓蒙家。本名は吉治郎。 | ||
8 | 河村光陽 福智町 | Wikipedia |
河村 光陽(かわむら こうよう、本名:河村直則、1897年8月23日 - 1946年12月24日)は、昭和期の戦前から戦中にかけて活躍した作曲家。長女は歌手の河村順子。 |
舞台・演劇・映画・ドラマ・脚本・プロデューサー・ディレクター
9 | 牛原虚彦 熊本市 | Wikipedia |
牛原 虚彦(うしはら きよひこ、1897年3月22日 - 1985年5月20日)は、日本の映画監督、脚本家。本名は牛原 清彦。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
ジャーナリスト
10 | 佐々弘雄 熊本市 | Wikipedia |
佐々 弘雄(さっさ ひろお、1897年(明治30年)1月23日 - 1948年(昭和23年)10月9日)は、日本の政治学者、ジャーナリスト、参議院議員。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
格闘技
11 | 石黒敬七 柏崎市 | Wikipedia |
石黒 敬七(いしぐろ けいしち、1897年8月10日 - 1974年10月1日)は、日本の柔道家(講道館8段、大日本武徳会10段)、随筆家、古写真収集家。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
12 | 真砂石三郎 栗原市 | Wikipedia |
真砂石三郎(まさごいわさぶろう、1897年12月14日-1944年3月7日)は、尾車部屋、峰崎部屋、片男波部屋、伊勢ノ海部屋に所属した力士。本名は石川三郎治。宮城県栗原郡栗駒町(現栗原市)出身。174cm、85kg。最高位は東前頭5枚目。 | ||
13 | 太刀光電右エ門 三笠市 | Wikipedia |
太刀光 電右エ門(たちひかり でんえもん、1897年3月29日 - 1952年5月15日)は、北海道三笠市出身の元大相撲力士。本名は八田 政次(はった まさつぐ(まさじ))。 | ||
14 | 木村庄之助 (23代) | Wikipedia |
23代木村庄之助(にじゅうさんだい きむらしょうのすけ、1897年12月18日 - 1994年9月19日)は、大相撲の立行司。本名:内山等三。石川県出身。朝日山部屋所属。木村正直(2代)を47年間と長期にわたって名乗っていたため、正直庄之助(まさなおしょうのすけ)とも呼ばれている。 | ||
15 | 小城満睦 久留米市 | Wikipedia |
小城 満睦(おぎ みつよし/まんぼく、1897年(明治30年)1月28日 - 1993年(平成5年)2月23日)は、日本の剣道家。段位は全日本剣道連盟範士九段。流派は津田一伝流。 | ||
16 | 一ノ濵善之助 七飯町 | Wikipedia |
一ノ濵 善之助(いちのはま ぜんのすけ、1897年4月20日 - 1962年9月9日)は、井筒部屋に所属した力士。引退後は7代九重を一時期襲名し、後進の指導につとめた。本名は大塚 善作(旧姓佐々木、高橋)。北海道亀田郡七飯町出身。175cm、83kg。最高位は西前頭4枚目。 | ||
17 | 神田久太郎 | Wikipedia |
神田 久太郎(かんだ きゅうたろう、1897年 - 1977年6月15日)は、昭和初期の日本の柔道家(九段)。福島県出身。 | ||
18 | 大蛇山酉之助 | Wikipedia |
大蛇山 酉之助(おろちやま とりのすけ、1897年12月26日 - 1956年5月24日)は、秋田県羽後町出身の元大相撲力士。本名は茂木 酉之助(もぎ とりのすけ)。最高位は東前頭筆頭(1928年3月場所)。身長179cm、体重94kg。得意手は左四つ、寄り。 | ||
19 | 外ヶ濱弥太郎 弘前市 | Wikipedia |
外ヶ濱弥太郎(そとがはまやたろう、1897年8月27日 - 1966年5月30日)は、出羽海部屋に所属した力士。引退後は3代峰崎から13代千賀ノ浦を襲名し、年寄として後進の指導につとめた。 |
サッカー
20 | 新田純興 函館市 | Wikipedia |
新田純興(にった すみおき、1897年1月14日 - 1984年8月1日)は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。北海道出身。東京帝国大学工学部冶金学科卒業。 |
野球・サッカー以外の球技
21 | 近藤経一 草加市 | Wikipedia |
近藤 経一(こんどう けいいち、1897年4月12日 - 1986年10月18日)は、日本の作家。 |
競馬・競輪・競艇・その他レース
22 | 大久保房松 函館市 | Wikipedia |
大久保 房松(おおくぼ ふさまつ、1897年11月6日 - 1997年8月28日)は、日本の騎手、調教師。 | ||
23 | 大久保房松 八戸市 | Wikipedia |
大久保 房松(おおくぼ ふさまつ、1897年11月6日 - 1997年8月28日)は、日本の騎手、調教師。 |
囲碁・将棋・麻雀
24 | 花田長太郎 函館市 | Wikipedia |
花田 長太郎(はなだ ちょうたろう、1897年7月6日 - 1948年2月28日)は、大正時代から昭和時代にかけて活動した将棋棋士。贈九段。関根金次郎十三世名人門下。北海道函館市出身。 |
漫画家・イラスト・ゲーム
25 | 海野十三 | Wikipedia |
海野 十三(うんの じゅうざまたはうんの じゅうぞう、1897年(明治30年)12月26日 - 1949年(昭和24年)5月17日)は、日本の小説家、SF作家、推理作家、漫画家、科学解説家。日本SFの始祖の一人と呼ばれる。本名は佐野 昌一(さの しょういち)。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 |
作家・小説家・エッセイ・文筆・翻訳家・編集者
26 | 木村荘十 江東区 | Wikipedia |
木村 荘十(きむら そうじゅう、1897年1月12日 - 1967年5月6日)は東京府出身の作家。 | ||
27 | 芹沢光治良 沼津市 | Wikipedia |
芹沢 光治良(せりざわ こうじろう、1896年(明治29年)5月4日 - 1993年(平成5年)3月23日)は日本の小説家。静岡県沼津市名誉市民。 晩年には、「文学はもの言わぬ神の意思に言葉を与えることだ」との信念に拠り、"神シリーズ"と呼ばれる、神を題材にした一連の作品で独特な神秘的世界を描いた。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
28 | 野溝七生子 姫路市 | Wikipedia |
野溝 七生子(のみぞ なおこ、1897年(明治30年)1月2日 - 1987年(昭和62年)2月12日)は、日本の小説家・比較文学者。兵庫県姫路市出身。 | ||
東洋大学出身 出身の東洋大学の出身者 全国の東洋大学の出身者 | ||
29 | 細井和喜蔵 与謝野町 | Wikipedia |
細井 和喜蔵(ほそい わきぞう、1897年5月9日 - 1925年8月18日)は、日本の文筆家である。京都府与謝郡加悦町加悦奥(現・与謝野町加悦奥)生まれ。 | ||
30 | 嘉村礒多 山口市 | Wikipedia |
嘉村 礒多(かむら いそた 1897年(明治30年)12月15日 - 1933年(昭和8年)11月30日)は、日本の私小説家。山口県吉敷郡仁保村(現在は山口市仁保)出身。 | ||
31 | 大佛次郎 横浜市 | Wikipedia |
大佛 次郞(おさらぎ じろう、新字体:大仏 次郎、1897年(明治30年)10月9日 - 1973年(昭和48年)4月30日)は、日本の作家・小説家。本名:野尻 清彦(のじり きよひこ)。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
32 | 中村久子 高山市 | Wikipedia |
中村 久子(なかむら ひさこ、1897年11月25日 - 1968年3月19日)は、明治から昭和期の興行芸人、作家。両手・両足の切断というハンデにも拘らず自立した生活を送った女性として知られる。 | ||
33 | 十一谷義三郎 神戸市 | Wikipedia |
十一谷 義三郎(じゅういちや ぎさぶろう、1897年10月14日 - 1937年4月2日)は、小説家、翻訳家。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
34 | 櫻田常久 町田市 | Wikipedia |
桜田 常久(さくらだ つねひさ、1897年1月20日 - 1980年3月25日)は、日本の小説家。並木宋之介の筆名も持つ。 |
弁護士
35 | 小岩井浄 松本市 | Wikipedia |
小岩井 浄(こいわい きよし、1897年(明治30年)6月9日 ‐ 1959年(昭和34年)2月19日)は、日本の社会運動家、教育者、弁護士。愛知大学第3代学長。 | ||
36 | 小野村胤敏 小浜市 | Wikipedia |
小野村 胤敏(おのむら たねとし、1897年(明治30年)9月12日 - 1947年(昭和22年)2月26日)は、日本の弁護士。大阪理工科大学創設者。福井県遠敷郡(現・小浜市)出身。 |
建築家・建築学者・技術者
37 | 土浦亀城 水戸市 | Wikipedia |
土浦亀城 (つちうら かめき、明治30年(1897年)6月29日 - 平成8年(1996年)1月29日)は昭和期の建築家である。 茨城県水戸市生まれ。横山大観は叔父にあたる。1918年東京帝国大学工学部建築学科に入学。1922年、寄宿先で知り合い懇意にしていた遠藤新(当時、帝国ホテル建設のために来日していたフランク・ロイド・ライトの手伝いをしていた)の紹介でドラフトマンとしてライトの設計を手伝った。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
経営者・実業家
38 | 長岡正男 | Wikipedia |
長岡 正男(ながおか まさお、1897年7月7日 - 1974年11月20日)は、日本の技術者で実業家。第6代日本光学工業(現ニコン)社長。 | ||
39 | 氏家彦太郎 鶴岡市 | Wikipedia |
氏家 彦太郎(うじいえ ひこたろう、明治30年(1897年)2月14日- 昭和57年(1982年)11月30日)は、日本の刀剣鑑定家、(株)松ヶ岡製作所社長、致道博物館理事、日本美術刀剣保存協会評議員、山形県銃砲刀剣登録審査員。栄典は勲五等・瑞宝章。 | ||
40 | 藤山愛一郎 | Wikipedia |
藤山 愛一郎(ふじやま あいいちろう、1897年5月22日 - 1985年2月22日)は、日本の政治家、実業家。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
41 | 神村孝太郎 うるま市 | Wikipedia |
神村 孝太郎(かみむら こうたろう、1897年〈明治30年〉6月30日 - 1988年〈昭和63年〉)は、琉球政府の政治家で実業家。琉球政府では3代目行政副主席を務め、琉球電信電話公社初代総裁や琉球電力公社(後の沖縄電力)理事、琉台貿易社長などを歴任した。 | ||
42 | 早川種三 | Wikipedia |
早川 種三(はやかわ たねぞう、明治30年(1897年)6月6日 - 平成3年(1991年)11月10日)は、日本の実業家。戦後数々の大型倒産において管財人として企業再建に取り組み、「会社再建の神様」と呼ばれている。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
43 | 相賀武夫 岡山市 | Wikipedia |
相賀 武夫(おうが{おおが} たけお、1897年4月2日 - 1938年8月12日)は出版事業家。小学館および集英社の創業者。別名、相賀祥宏。長男は小学館第2代社長の相賀徹夫。孫は小学館第3代社長の相賀昌宏(徹夫の長男)。 | ||
44 | 二木謙吾 宇部市 | Wikipedia |
二木 謙吾(ふたつぎ けんご、1897年〈明治30年〉1月1日 - 1983年〈昭和58年〉12月20日)は、日本の政治家、教育者、実業家。初代学校法人宇部学園理事長、元宇部興産顧問、元山口県議会議長、元参議院議員(3期)、元大蔵政務次官、元自由民主党両院議員総会長。 | ||
45 | 新関八洲太郎 | Wikipedia |
新関 八洲太郎(にいぜき やすたろう、1897年(明治30年)4月2日 - 1978年5月30日)は、日本の実業家で、元三井物産社長・会長。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
46 | 上原正吉 杉戸町 | Wikipedia |
上原 正吉(うえはら しょうきち、1897年(明治30年)12月26日 - 1983年(昭和58年)3月12日)は、日本の実業家、政治家(自由民主党参議院議員)。 | ||
明治薬科大学出身 出身の明治薬科大学の出身者 全国の明治薬科大学の出身者 | ||
47 | 百瀬結 | Wikipedia |
百瀬 結(ももせ ひとし、1897年11月1日 - 1982年12月24日)は日本の実業家。元日本ビクター社長・会長。ビクター中興の祖。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
48 | 岡崎嘉平太 吉備中央町 | Wikipedia |
岡崎 嘉平太(おかざき かへいた、1897年(明治30年)4月16日 - 1989年(平成元年)9月22日)は、日本の実業家。 | ||
東京帝国大学出身 出身の 東京帝国大学の出身者 全国の 東京帝国大学の出身者 | ||
49 | 小林孝三郎 坂東市 | Wikipedia |
小林孝三郎(こばやし こうざぶろう、1897年6月29日 - 1995年7月22日)は、茨城県坂東市(旧岩井市)生まれの実業家であり、コーセーの創設者である。 | ||
50 | 松岡政保 金武町 | Wikipedia |
松岡 政保(まつおか せいほ、1897年(明治30年)9月18日 - 1989年(平成元年)4月7日)は、琉球政府の政治家で実業家。1964年(昭和39年)10月から1968年(昭和43年)11月まで琉球政府行政主席を務めた。沖縄県国頭郡金武町出身。松岡建設・松岡配電の創業者で、復帰後に設立された沖縄電力の社長も歴任する。 | ||
51 | 市川忍 | Wikipedia |
市川 忍(いちかわ しのぶ、1897年1月9日 - 1973年11月2日)は日本の実業家。丸紅の初代社長。「正・新・和」の精神で総合商社「丸紅」発展の基礎を築いた。 | ||
神戸大学出身 出身の神戸大学の出身者 全国の神戸大学の出身者 |
デザイナー
52 | 山名文夫 広島市 | Wikipedia |
山名 文夫(やまな あやお、1897年7月17日 - 1980年1月14日)は、日本のイラストレーター、グラフィックデザイナーである。日本のグラフィックデザインの黎明期における先駆者の一人で、大正期から昭和初期にかけてのモダンなアール・デコスタイルで知られ、資生堂の現在にもつづくキーデザイン、紀ノ国屋のロゴ、新潮文庫の葡萄マークのデザインで知られる。 |
医師・看護師
53 | 小那覇舞天 | Wikipedia |
小那覇 舞天(おなは ぶーてん、1897年 - 1969年)は沖縄県出身の演劇人、歯科医師である。本名・小那覇全孝。 | ||
日本歯科大学出身 出身の日本歯科大学の出身者 全国の日本歯科大学の出身者 | ||
54 | 橋本敬三 | Wikipedia |
橋本 敬三(はしもと けいぞう、1897年(明治30年)、福島市 - 1993年(平成5年)1月22日、仙台市)は仙台を拠点として活躍した医師。伝統的に行われていた健康法・治療法である正體術にヒントを得て、操体法 という画期的な健康法・治療法を確立した。 |
軍人
55 | 加藤榮吉 | Wikipedia |
加藤 榮吉(かとう えいきち、1897年(明治30年)1月10日- 1946年(昭和21年)8月1日[2])は、大日本帝国海軍の軍人。海軍兵学校46期で、最終階級は大佐。ブーゲンビル島の戦いで島の北部を固守した。住民殺害を命じた戦争犯罪の有罪判決を受け、死刑となった。 | ||
56 | 大谷敬二郎 | Wikipedia |
大谷 敬二郎(おおたに けいじろう、1897年9月7日 - 1976年12月9日)は、日本の陸軍軍人、憲兵。最終階級は憲兵大佐。 | ||
57 | 平井昌平 大月市 | Wikipedia |
平井 昌平(1897年〈明治30年〉2月16日 - 1957年〈昭和29年〉4月3日)は、日本の海軍軍人。日本の海軍軍人。海軍兵学校46期生。最終階級は海軍少将。終戦時は呉海軍工廠総務部長。 | ||
58 | 小野寺信 奥州市 | Wikipedia |
小野寺 信(おのでら まこと、1897年9月19日 - 1987年8月17日)は、日本の陸軍軍人、翻訳家。最終階級は陸軍少将。 | ||
59 | 隈部正美 | Wikipedia |
隈部 正美(くまべ まさみ、1897年5月26日 - 1945年8月16日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。熊本県出身。 | ||
60 | 徳川宗敬 文京区 | Wikipedia |
徳川 宗敬(とくがわ むねよし、旧字体:德川 宗敬、1897年(明治30年)5月31日 - 1989年(平成元年)5月1日)は、日本の林学者、陸軍軍人、政治家、教育者、神職。階級は陸軍少尉。位階は従三位。勲等は勲一等。爵位は伯爵。最終学歴は東京帝国大学農学部林学科卒業。学位は農学博士(東京帝国大学)。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
61 | 有末次 美唄市 | Wikipedia |
有末 次(ありすえ やどる、1897年2月7日 - 1943年8月28日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
62 | 真田穣一郎 美唄市 | Wikipedia |
真田 穣一郎(さなだ じょういちろう、1897年(明治30年)11月21日 - 1957年(昭和32年)8月3日)は、日本の陸軍軍人。 | ||
63 | 岩畔豪雄 倉橋島 | Wikipedia |
岩畔 豪雄(いわくろ ひでお、1897年10月10日 - 1970年11月22日)は、日本の陸軍軍人、最終階級は陸軍少将。後方勤務要員養成所(陸軍中野学校)設立者、京都産業大学設立者の一人で元理事[2]。 | ||
64 | 横井俊之 | Wikipedia |
横井 俊之(よこい としゆき、1897年3月11日 - 1969年12月23日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
65 | 桜井鐐三 名古屋市 | Wikipedia |
桜井 鐐三(さくらい りょうぞう、明治30年(1897年)1月15日 - 没年月日不詳)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
66 | 有賀幸作 辰野町 | Wikipedia |
有賀 幸作(あるが こうさく、1897年(明治30年)8月21日 - 1945年(昭和20年)4月7日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。戦艦大和最後の艦長として有名である。長野県南信地方に多い姓である有賀は、「ありが」ではなく「あるが」と読む例が多いが、当人は相手が聞き返すことを嫌い、ありがの読み方で通した。軍帽裏のネーム刺繍もアリガとしていた。 | ||
67 | 斎藤正久 | Wikipedia |
斎藤 正久(さいとう まさひさ、1897年7月20日 - 1996年6月5日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。 |
官僚
68 | 中田邦造 甲賀市 | Wikipedia |
中田 邦造(なかた くにぞう、1897年6月1日-1956年11月15日)は、昭和期の司書。石川県立図書館や東京都立日比谷図書館の館長を歴任して日本の図書館運動に大きな影響を与えた。号は自邦居士あるいは空人生。 |
公務員
69 | 秋山理敏 伊那市 | Wikipedia |
秋山 理敏(あきやま まさとし、1897年(明治30年)4月 - 1947年(昭和22年)9月29日)は、日本の外交官。駐パナマ公使。 | ||
70 | 五鬼上堅磐 熊野市 | Wikipedia |
五鬼上 堅磐(ごきじょう かきわ、1897年1月1日 - 1971年3月7日)は、日本の裁判官。最高裁判所判事。三重県出身。 | ||
71 | 松本俊一 呉市 | Wikipedia |
松本 俊一(まつもと しゅんいち、1897年6月7日 – 1987年1月25日)は、昭和期の外交官・政治家。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
学者・教授・准教授
72 | 片山金章 福山市 | Wikipedia |
片山 金章(かたやま きんしょう、1897年2月15日 - 1983年12月29日)は、日本の法学者。法学博士(中央大学)。専門は商法・民法・英米法。元中央大学学長。 | ||
73 | 橋本宇一 総社市 | Wikipedia |
橋本 宇一(はしもと ういち、明治30年(1897年)7月4日 - 昭和61年(1986年)11月29日)は、日本の金属工学者。理学博士。科学技術庁金属材料技術研究所長。東京市渋谷区出身。 | ||
74 | 萩原雄祐 大阪市 | Wikipedia |
萩原 雄祐(はぎはら ゆうすけ、1897年3月28日 - 1979年1月29日)は、日本の天文学者。大阪府大阪市南区(現中央区)出身[4]。旧制第一高等学校を経て東京帝国大学理学部卒業。日本学士院会員[4]。勲一等瑞宝章・文化勲章受章。贈正三位(没時叙位) | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
75 | 中川善之助 | Wikipedia |
中川 善之助(なかがわ ぜんのすけ、1897年11月18日 - 1975年3月20日 )は、日本の法学者。東北大学名誉教授。金沢大学名誉教授。正三位勲一等瑞宝章。銀杯一組。東京府(現・東京都)生まれ。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
76 | 末永雅雄 大阪狭山市 | Wikipedia |
末永 雅雄(すえなが まさお、1897年(明治30年)6月23日 - 1991年(平成3年)5月7日)は、日本の考古学者。橿原考古学研究所初代所長。関西大学名誉教授。文学博士(龍谷大学、1948年、学位論文「近畿古文化の研究」)。大阪府南河内郡狭山村(現・大阪狭山市)生まれ。日本学士院会員。文化勲章受章者。大阪狭山市名誉市民。奈良県明日香村名誉村民。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
77 | 林信雄 | Wikipedia |
林 信雄(はやし のぶお、明治30年(1897年)4月8日 - 昭和39年(1964年)12月12日)は、日本の医学者、医学博士(千葉医科大学)。放射線による内科的診断・放射線医学の先駆者。従五位・勲四等・旭日小綬章。 山形県鶴岡市出身。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
78 | 小菅健吉 さくら市 | Wikipedia |
小菅 健吉(こすげ けんきち、1897年3月12日 - 1977年5月30日)は、日本の教育者。栃木県出身。盛岡高等農林学校を卒業。高等農林学校時代、同窓生であった宮沢賢治 と学内の文芸同人誌『アザリア』のメンバーとして親交を持った。 | ||
岩手大学出身 出身の岩手大学の出身者 全国の岩手大学の出身者 | ||
79 | 石森延男 札幌市 | Wikipedia |
石森 延男(いしもり のぶお、1897年6月16日 - 1987年8月14日)は、日本の児童文学者、国語教育学者、教科書編集者。 | ||
80 | 我妻栄 | Wikipedia |
我妻 榮(わがつま さかえ、1897年(明治30年)4月1日 - 1973年(昭和48年)10月21日)は、山形県米沢市出身の日本の民法学者。法学博士(東京大学)、東京大学名誉教授、米沢市名誉市民。文化勲章、贈従二位(没時叙位)・贈勲一等旭日大綬章(没時叙勲)。憲法改正に伴う家族法大改正の立案担当者の一人。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
81 | 呉茂一 | Wikipedia |
呉 茂一(くれ しげいち、1897年12月20日 - 1977年12月28日)は、日本の西洋古典学者で古代ギリシア・ラテン文学者。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
82 | 有賀喜左衛門 辰野町 | Wikipedia |
有賀 喜左衛門(ありが きざえもん、 1897年1月20日 - 1979年12月20日 )は、日本の社会学者。日本の農村社会を独自のイエ・ムラ理論によって考究し、農村社会学の理論的確立を行なった。 | ||
83 | 倉石武四郎 上越市 | Wikipedia |
倉石 武四郎(くらいし たけしろう、1897年9月21日 - 1975年11月14日)は、日本の中国語学者・中国文学者。 | ||
84 | 岩田正俊 安来市 | Wikipedia |
岩田 正俊(いわた まさとし、1897年(明治30年) - 1997年8月12日)は、島根県出身の昆虫学者、寄生虫学者。近畿学校保健学会元会長。 | ||
85 | 三木清 杉並区 | Wikipedia |
三木 清(みき きよし、1897年1月5日 - 1945年9月26日)は、(西田左派を含めた上での)京都学派の哲学者、法政大学文学部教授。戦時中に治安維持法違反で逮捕され獄死したが、死後刊行された『人生論ノート』は終戦直後のベストセラーになった。弟に中国文学者の三木克己がいる。 | ||
86 | 相田二郎 小田原市 | Wikipedia |
相田 二郎(あいだ にろう、1897年(明治30年)5月12日 - 1945年(昭和20年)6月22日)は、日本の歴史学者。東京帝国大学史料編纂官。専門は日本中世史、日本古文書学で、生涯にわたって古文書学の研究・教育につとめた。 | ||
87 | 横田嘉右衛門 | Wikipedia |
横田 嘉右衛門(よこた かえもん[6]、1897年(明治30年) - 1981年(昭和56年)9月24日)は、日本の薬学者。製薬学(有機製造化学)を専門とした富山薬学専門学校校長、富山大学学長である。「ゼレン有機化合体の合成的研究」で東京帝大薬学博士[7]、日本薬学会名誉会員[5]。 | ||
88 | 金関丈夫 琴平町 | Wikipedia |
金関 丈夫(かなせき たけお、1897年2月18日 - 1983年2月27日)は、日本の解剖学者、人類学者。 | ||
89 | 橋本宇一 渋谷区 | Wikipedia |
橋本 宇一(はしもと ういち、明治30年(1897年)7月4日 - 昭和61年(1986年)11月29日)は、日本の金属工学者。理学博士。科学技術庁金属材料技術研究所長。東京市渋谷区出身。 | ||
90 | 坂口謹一郎 上越市 | Wikipedia |
坂口 謹一郎(さかぐち きんいちろう、1897年11月17日 - 1994年12月9日)は、日本の農芸化学者。発酵、醸造に関する研究では世界的権威の一人で、「酒の博士」として知られた。東京大学応用微生物研究所初代所長および同大学名誉教授、理化学研究所副理事長。日本学士院会員。愛称は「坂謹(さかきん)」。 | ||
91 | 我妻榮 米沢市 | Wikipedia |
我妻 榮(わがつま さかえ、1897年(明治30年)4月1日 - 1973年(昭和48年)10月21日)は、山形県米沢市出身の日本の民法学者。法学博士(東京大学)、東京大学名誉教授、米沢市名誉市民。文化勲章、贈従二位(没時叙位)・贈勲一等旭日大綬章(没時叙勲)。憲法改正に伴う家族法大改正の立案担当者の一人。 | ||
92 | 山田勝次郎 | Wikipedia |
山田 勝次郎(やまだ かつじろう、1897年10月7日 - 1982年6月7日)は、日本の経済学者。筆名は柏崎次郎。蝋山政道の弟、蝋山芳郎の兄。 | ||
93 | 佐々木吉郎 川地村 | Wikipedia |
佐々木 吉郎(ささき きちろう、1897年3月25日 - 1970年5月28日)は、昭和期の経営学者。明治大学教授、総長。明治大学経営学部創設者。札幌大学初代学長。 | ||
94 | 三木清 龍野市 | Wikipedia |
三木 清(みき きよし、1897年1月5日 - 1945年9月26日)は、(西田左派を含めた上での)京都学派の哲学者。弟に中国文学者の三木克己がいる。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
95 | 北村春吉 野洲市 | Wikipedia |
北村 春吉(きたむら はるきち、旧姓:藤井、1897年3月1日[3] - 1996年12月19日[3])は、滋賀県野洲市出身の数学者、旧制専門学校校長、予備校講師、サッカー選手。 | ||
東京教育大学出身 出身の東京教育大学の出身者 全国の東京教育大学の出身者 | ||
96 | 滝川政次郎 大阪市 | Wikipedia |
瀧川 政次郎(たきかわ まさじろう、1897年5月26日 - 1992年1月29日)は、日本の法学者。専門は法制史。大阪府大阪市西区出身。法律学の立場から法制史の体系化に尽力する。学位は法学博士。國學院大學名誉教授。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
97 | 荒木俊馬 山鹿市 | Wikipedia |
荒木 俊馬(あらき としま、1897年3月20日 - 1978年7月10日)は、日本の天文学者、物理学者。専門は天体物理学、理論物理学、宇宙論。学位は理学博士(京都大学・1929年)。京都大学名誉教授、京都産業大学初代総長。熊本県出身。男性。 |
研究者・研究家・発明家
98 | 黒川利雄 三笠市 | Wikipedia |
黒川 利雄(くろかわ としお、1897年1月15日 - 1988年2月21日)は、臨床医学研究者。東北大学医学部で教授・学部長を務めた。同大学第10代総長。専門は内科学、消化器病学、特に胃がんの診断学。財団法人宮城県対がん協会を設立し、日本初のがん集団検診(胃がん)を行った。医学博士。正三位。北海道三笠市(旧空知郡三笠山村大字幾春別)出身。子息に黒川雄二。 | ||
東北大学出身 出身の東北大学の出身者 全国の東北大学の出身者 |
画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家・漆芸家・工芸家
99 | 清水多嘉示 原村 | Wikipedia |
清水 多嘉示(しみず たかし、1897年7月27日 - 1981年5月5日)は、日本の彫刻家である。 | ||
100 | 中村琢二 宗像市 | Wikipedia |
中村 琢二(なかむら たくじ、1897年4月1日 - 1988年1月31日)は、日本の洋画家である。日本芸術院会員。 | ||
101 | 谷中安規 桜井市 | Wikipedia |
谷中 安規(たになか やすのり、1897年1月18日 - 1946年9月9日)は、昭和時代前期の日本の版画家・挿絵画家。通称〈アンキ〉とも言われる。 | ||
102 | 東郷青児 鹿児島市 | Wikipedia |
東郷 青児(とうごう せいじ、1897年(明治30年)4月28日 - 1978年(昭和53年)4月25日)は日本の洋画家。本名は東郷 鉄春。夢見るような甘い女性像が人気を博し、本や雑誌、包装紙などに多数使われ、昭和の美人画家として戦後一世を風靡した。派手なパフォーマンスで二科展の宣伝に尽力し、「二科会のドン」と呼ばれた。 | ||
103 | 楠部彌弌 京都市 | Wikipedia |
楠部 彌弌(くすべ やいち、1897年(明治30年)9月10日 - 1984年(昭和59年)12月18日)は、陶芸家。京都市東山区生まれ。本名は彌一。 | ||
104 | 館岡栗山 秋田市 | Wikipedia |
館岡 栗山(たておか りつざん、1897年9月9日 - 1978年10月16日)は、日本画家である。院展の無鑑査となり、俳句や短歌にも親しんで、地域新聞の発行も続けた。 | ||
105 | 富田至誠 山鹿市 | Wikipedia |
富田 至誠(とみた しせい、1897年(明治30年)3月6日 - 1949年(昭和24年)5月31日)は、日本の洋画家であり、美術教師。熊本県出身。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
106 | 宇野千代 岩国市 | Wikipedia |
宇野 千代(うの ちよ、1897年(明治30年)11月28日 - 1996年(平成8年)6月10日)は、大正・昭和・平成にかけて活躍した日本の小説家、随筆家。多才で知られ、編集者、着物デザイナー、実業家の顔も持った。作家の尾崎士郎、画家の東郷青児、北原武夫など、多くの著名人との恋愛・結婚遍歴を持ち、その波乱に富んだ生涯はさまざまな作品の中で描かれている。 | ||
107 | 田口省吾 仙北市 | Wikipedia |
田口 省吾(たぐち せいご、1897年 - 1943年8月14日)は、日本の画家。 | ||
108 | 森村酉三 | Wikipedia |
森村 酉三(もりむら とりぞう、1897年6月12日 - 1949年7月9日)は、日本の鋳金工芸家、彫刻家。高崎白衣大観音像の原型制作者として知られる。群馬県出身。 | ||
109 | 安藤信哉 | Wikipedia |
安藤 信哉(あんどう のぶや、1897年 - 1983年)は、日本の洋画家。 | ||
110 | 加藤唐九郎 瀬戸市 | Wikipedia |
加藤 唐九郎(かとう とうくろう、1897年(明治30年)7月19日(※戸籍上は1898年(明治31年)1月17日) - 1985年(昭和60年)12月24日)は陶芸家、また陶磁史研究家。愛知県東春日井郡水野村(現・瀬戸市水北町)出身。桃山時代の陶芸の研究と再現に努めたが、永仁の壺事件で行った捏造により、無形文化財の資格を失った。事件後は作陶に専念した。建築物と陶磁器の組み合わせ陶壁を創出。陶壁は唐九郎による造語。 | ||
111 | 田辺三重松 函館市 | Wikipedia |
田辺 三重松(たなべ みえまつ、1897年9月1日 - 1971年12月9日)は、北海道函館区(現・函館市)出身の風景画家。出生名は阿部 三重松(あべ みえまつ)。 | ||
112 | 高橋貞一郎 岡谷市 | Wikipedia |
高橋 貞一郎(たかはし ていいちろう、1897年‹明治30年› - 1955年‹昭和30年›)は、長野県岡谷市出身の洋画家。諏訪地域の美術界の草創期を支え、美術教育にも力を注いだ人物である。 | ||
113 | 小山敬三 小諸市 | Wikipedia |
小山 敬三(こやま けいぞう、1897年(明治30年)8月11日 - 1987年(昭和62年)2月7日)は、昭和期の洋画家。 |
政治家・議員・首長
114 | 赤松常子 徳山市 | Wikipedia |
赤松 常子(あかまつ つねこ、1897年8月11日-1965年7月21日)は、日本の労働運動家、政治家。参議院議員を3期務めた。 | ||
115 | 坂田英一 | Wikipedia |
坂田 英一(さかた えいいち、1897年3月27日 - 1969年7月22日)は、石川県出身の官僚、政治家。位階は正三位。勲等は勲一等。 | ||
116 | 薄田美朝 男鹿市 | Wikipedia |
薄田 美朝(すすきだ よしとも、1897年1月16日 - 1963年4月16日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士。官選県知事、警視総監、衆議院議員。 | ||
117 | 梁井淳二 基山町 | Wikipedia |
梁井 淳二(やない じゅんじ、1897年(明治30年)5月25日 - 1988年(昭和63年)1月20日)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚、衆議院議員。 | ||
118 | 久保田畯 | Wikipedia |
久保田 畯(くぼた たおさ、1897年(明治30年)8月4日 - 1991年(平成3年)5月27日[2])は、日本の内務・警察官僚、弁護士。官選福井県知事、陸軍司政長官。 | ||
119 | 青柳秀夫 | Wikipedia |
青柳 秀夫(あおやぎ ひでお、1897年7月12日 - 1986年5月31日)は、日本の内務官僚、政治家。愛知県知事、参議院議員を務めた。 | ||
120 | 加藤宗平 伊達市 | Wikipedia |
加藤 宗平(かとう そうへい、1897年5月 - 1957年12月15日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。通産政務次官。福島県梁川町長。 | ||
121 | 中島武市 本巣市 | Wikipedia |
中島 武市(なかじま ぶいち、1897年1月30日 - 1978年7月16日)は、日本の実業家・政治家。岐阜県本巣郡土貴野村(現在:本巣市)出身。岐阜市立岐阜商業学校(現在の岐阜県立岐阜商業高等学校の前身)卒業。シンガーソングライターの中島みゆきは孫(武市の長男の第一子)。 | ||
122 | 地崎宇三郎(二代) 札幌市 | Wikipedia |
地崎 宇三郎・二代(ちざき うさぶろう・にだい、1897年1月2日 - 1951年6月29日)は、日本の政治家、実業家。旧名・晴次。北海道札幌市出身。秋田鉱山専門学校中退。 | ||
123 | 石黒武重 金沢市 | Wikipedia |
石黒 武重(いしぐろ たけしげ、明治30年(1897年)5月13日 - 平成7年(1995年)1月23日)は、日本の官僚、政治家。山形県知事、法制局長官、民主党初代幹事長などを務めた。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
124 | 浅原健三 | Wikipedia |
浅原 健三(あさはら けんぞう、1897年(明治30年)2月28日 - 1967年(昭和42年)7月19日)は、大正・昭和時代の日本の労働運動家、政治家。 | ||
日本大学出身 出身の日本大学の出身者 全国の日本大学の出身者 | ||
125 | 織田収 米子市 | Wikipedia |
織田 収(おだ おさむ、明治30年(1897年)8月15日 - 昭和63年(1988年)3月1日)は日本の実業家、政治家、ジャーナリスト。元鳥取県会議員。 | ||
126 | 永山忠則 庄原市 | Wikipedia |
永山 忠則(ながやま ただのり、1897年10月14日 - 1984年6月13日)は、昭和期の政治家。自治大臣・国家公安委員会委員長。勲一等旭日大綬章受章(1969年)。広島県比婆郡敷信村(現・庄原市)出身。庄原市名誉市民(1981年)。 | ||
中央大学出身 出身の中央大学の出身者 全国の中央大学の出身者 | ||
127 | 重政誠之 福山市 | Wikipedia |
重政 誠之(しげまさ せいし、1897年3月20日 - 1981年6月3日)は、日本の農商務官僚、政治家(衆議院議員)。従三位勲二等旭日重光章。参議院副議長を務めた重政庸徳は兄で、安倍源基は親戚。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
128 | 山口喜久一郎 佐世保市 | Wikipedia |
山口 喜久一郎(やまぐち きくいちろう、1897年5月11日 - 1981年5月6日)は日本の政治家、第52代衆議院議長(在任期間・1965年12月20日 - 1966年12月3日)。長崎県佐世保市出身(選挙区は和歌山県)。栄典は勲一等旭日大綬章、佐世保市名誉市民。 | ||
129 | 中島武市 帯広市 | Wikipedia |
中島 武市(なかじま ぶいち、1897年1月30日 - 1978年7月16日)は、日本の実業家・政治家。岐阜県本巣郡土貴野村(現在:本巣市)出身。岐阜市立岐阜商業学校(現在の岐阜県立岐阜商業高等学校の前身)卒業。シンガーソングライターの中島みゆきは孫(武市の長男の第一子)。 | ||
130 | 岸本義広 岸和田市 | Wikipedia |
岸本 義広(きしもと よしひろ、1897年4月30日-1965年9月10日)は、日本の検察官、政治家。衆議院議員(1期)。 | ||
東京帝国大学出身 出身の 東京帝国大学の出身者 全国の 東京帝国大学の出身者 | ||
131 | 畠田昌福 淡路市 | Wikipedia |
畠田 昌福(はたけだ しょうふく / まさふく、1897年(明治30年)6月26日 - 1976年(昭和51年)7月14日[3])は、日本の内務・警察官僚。官選県知事、陸軍司政長官。 | ||
132 | 西村英一 | Wikipedia |
西村 英一(にしむら えいいち、1897年8月28日 - 1987年9月15日)は、大分県東国東郡姫島村出身の日本の政治家。自由民主党衆議院議員(当選12回)を務めた。 | ||
東北大学出身 出身の東北大学の出身者 全国の東北大学の出身者 | ||
133 | 薄田美朝 寿都町 | Wikipedia |
薄田 美朝(すすきだ よしとも、1897年1月16日 - 1963年4月16日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士。官選県知事、警視総監、衆議院議員。 | ||
134 | プレーク・ピブーンソンクラーム 相模原市 | Wikipedia |
プレーク・ピブーンソンクラーム(英:Luang Pibulsonggram、タイ語แปลก พิบูลสงคราม 1897年7月14日 - 1964年6月11日)は、タイの政治家である。首相を2度務めた。立憲革命時代から第二次世界大戦をまたいでタイの政治に大きな影響力を持ち続け、永年宰相というあだ名までつけられた。 | ||
135 | 田川務 諫早市 | Wikipedia |
田川 務(たがわ つとむ、1897年(明治31年)12月15日 - 1977年(昭和52年)9月5日)は、日本の政治家。元長崎市長(在任1951年 - 1967年)。弁護士。 | ||
136 | 須藤五郎 美幌町 | Wikipedia |
須藤 五郎(すどう ごろう、1897年9月14日 - 1988年11月18日)は、日本の音楽家、政治家。元日本共産党参議院議員(4期)。筆名は鳥羽英夫。 | ||
137 | 蜷川虎三 江東区 | Wikipedia |
蜷川 虎三(にながわ とらぞう、1897年2月24日 - 1981年2月27日)は、日本の政治家、経済学者、統計学者。初代中小企業庁長官。元京都府知事(1950年 - 1978年)。 | ||
138 | 合田健吉 多度津町 | Wikipedia |
合田 健吉(ごうだ けんきち、1897年(明治30年)6月28日 - 1975年(昭和50年)8月5日)は、昭和期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員、香川県仲多度郡多度津町長。 | ||
139 | 須藤五郎 鳥羽市 | Wikipedia |
須藤 五郎(すどう ごろう、1897年9月14日 - 1988年11月18日)は、日本の音楽家、政治家。元日本共産党参議院議員(4期)。筆名は鳥羽英夫。 | ||
140 | 長山英一 境港市 | Wikipedia |
長山 英一(ながやま えいいち、明治30年(1897年)10月14日 - 没年不明)は日本の陸上競技選手、登山家、政治家。元境港市議会議員。 | ||
141 | 河野密 いすみ市 | Wikipedia |
河野 密(こうの みつ、1897年12月18日 - 1981年1月4日)は、日本の政治家。千葉県出身。 | ||
142 | 田中耕 池田町 | Wikipedia |
田中 耕(たなか こう、1897年(明治30年)7月6日 - 1969年(昭和44年)9月22日)は、日本の政治家・薬剤師。衆議院議員(2期)。右翼活動家。 | ||
143 | 地崎宇三郎(二代) 小樽市 | Wikipedia |
地崎 宇三郎・二代(ちざき うさぶろう・にだい、1897年1月2日 - 1951年6月29日)は、日本の政治家、実業家。旧名・晴次。北海道札幌市出身。秋田鉱山専門学校中退。 | ||
144 | 北村一男 見附市 | Wikipedia |
北村 一男(きたむら かずお、1897年11月17日 - 1965年3月29日)は日本の政治家。参議院議員や新潟県知事を務めた。 | ||
中央大学出身 出身の中央大学の出身者 全国の中央大学の出身者 | ||
145 | 青木孝義 新城市 | Wikipedia |
青木 孝義(あおき たかよし、1897年1月19日 - 1962年1月14日)は、日本の経済学者、政治家。経済学博士、日本大学教授、衆議院議員、経済安定本部総務長官、正三位。 | ||
146 | 山口喜久一郎 鹿島市 | Wikipedia |
山口 喜久一郎(やまぐち きくいちろう、1897年5月11日 - 1981年5月6日)は日本の政治家、第52代衆議院議長(在任期間・1965年12月20日 - 1966年12月3日)。長崎県佐世保市出身(選挙区は和歌山県)。栄典は勲一等旭日大綬章、佐世保市名誉市民。 | ||
147 | 坂本一角 檜原村 | Wikipedia |
坂本 一角(さかもと いっかく、1897年(明治30年)10月10日 - 1947年(昭和22年)4月8日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、大学教授。 | ||
148 | 中村高一 武蔵野市 | Wikipedia |
中村 高一(なかむら たかいち、1897年(明治30年)7月31日 - 1981年(昭和56年)7月27日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(社会党、当選8回)。衆議院副議長(第41代)を務めた。弁護士として社会運動や人権活動に取り組んだ。 |
評論家
149 | 門馬直衛 | Wikipedia |
門馬 直衛(もんま なおえ、1897年3月6日 - 1961年10月6日)は、日本の音楽評論家。 福島県出身。東京帝国大学卒。雑誌『月刊楽譜』などを編集。1929年武蔵野音楽学校教授、のち武蔵野音楽大学教授。「サンタ・ルチア」ほか訳詞も多い。息子も音楽評論家の門馬直美。 | ||
150 | 橋爪檳榔子 | Wikipedia |
橋爪 檳榔子(はしづめ びんろうじ、1897年8月 - 1963年11月8日)は、日本の医師、薬学者、日本における医療評論家の先駆者とされる。本名は恵(めぐみ)。男性。 | ||
千葉大学出身 出身の千葉大学の出身者 全国の千葉大学の出身者 |
宗教家・思想家・運動家
151 | 河辺満甕 南あわじ市 | Wikipedia |
河辺 満甕(かわべ みつかめ、1897年7月29日 - 1970年5月9日)は日本の牧師、伝道者、教育者。 | ||
152 | 門司亮 岡垣町 | Wikipedia |
門司 亮(もんじ まこと、1897年12月27日 - 1993年6月1日)は、日本の政治家。元衆議院議員(10期)。 | ||
153 | 上田音市 松阪市 | Wikipedia |
上田 音市(うえだ おといち 1897年2月25日 - 1999年1月21日)は、三重県出身の部落解放運動家。全国水平社創立の中心メンバーの1人で、全国水平社の生き証人と言われた。 | ||
154 | 橋本凝胤 平群町 | Wikipedia |
橋本 凝胤(はしもと ぎょういん、1897年4月28日 - 1978年3月25日)は、法相宗の僧侶で仏教学者。奈良・薬師寺元管主、法相宗管長。「20世紀最後の怪僧」「昭和の怪僧」の異名を持つ。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
155 | 淡谷悠蔵 青森市 | Wikipedia |
淡谷 悠蔵(あわや ゆうぞう、1897年3月22日 - 1995年8月8日)は、青森市出身の政治家。元衆議院議員。歌手・淡谷のり子の叔父にあたる。 | ||
156 | 近藤孝太郎 岡崎市 | Wikipedia |
近藤 孝太郎(こんどう こうたろう、1897年3月20日 - 1949年11月6日)は、日本の思想家、社会運動家、著述家。出版物には翻訳書も含まれている。大正期から昭和20年代前半にかけて、郷里岡崎市の様々な文化活動を牽引した。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
157 | 向坂逸郎 大牟田市 | Wikipedia |
向坂 逸郎(さきさか いつろう、1897年2月6日 - 1985年1月22日)は、日本のマルクス経済学者・社会主義思想家。九州大学教授・社会主義協会代表を歴任。 | ||
158 | 沼田恵範 志和町 | Wikipedia |
沼田 恵範(ぬまた えはん 1897年4月12日 - 1994年5月5日)は、宗教家、仏教伝道者。実業家、「ミツトヨ」創業者。 | ||
159 | 都田恒太郎 | Wikipedia |
都田 恒太郎(みやこだ つねたろう、1897年(明治30年) - 1983年(昭和58年))は、日本の牧師、日本基督教団の指導者、キリスト教学者、日本基督教協議会総書記、日本聖書協会総主事、青山学院理事長。長年、毎年秋にバックストン記念聖会の指導を行っていた。 |
俳人・歌人・詩人・歌人
160 | 米山久 | Wikipedia |
米山 久(よねやま ひさ、1897年1月 - 1981年2月9日)は、日本の政治家。石川県出身の婦人運動家。歌人。衆議院議員(1期)。本名は米山 久子。 | ||
161 | 中村雨紅 八王子市 | Wikipedia |
中村雨紅(なかむら うこう、1897年〈明治30年〉1月7日<戸籍上は2月6日 - 1972年〈昭和47年〉5月8日)は、詩人・童謡作家である。本名は、髙井宮吉(たかい みやきち)だが、出版物など一般的には高井宮吉と記される。東京府南多摩郡恩方(おんがた)村(現在の東京都八王子市上恩方町)出身。 | ||
162 | 河原侃二 赤穂市 | Wikipedia |
河原 侃二(かわら かんじ、1897年4月16日 - 1974年)は、日本の俳優であり[3][4][5][6][7][8][9][10][11]、詩人・編集者出身で写真家としても知られる[12][13]。本名同じ[3][4]。詩人としての筆名は河原 森月(かわら しんげつ)[14]。萩原朔太郎とともに詩誌『侏儒』を創刊し、新劇俳優としては「築地小劇場」「第二次芸術座」の設立に参加、写真の世界では「ヴェス単の名手」として知られる[3][4]。 | ||
163 | 加藤まさを 藤枝市 | Wikipedia |
加藤 まさを(かとう まさを、1897年4月10日 - 1977年11月1日)は、日本の画家。詩人。本名は正男。静岡県藤枝市出身。立教大学英文科中退。 | ||
164 | 橋本平八 伊勢市 | Wikipedia |
橋本 平八(はしもと へいはち、1897年10月17日 - 1935年11月1日)は、日本の彫刻家。詩人である北園克衛の実兄。 | ||
165 | 井上康文 小田原市 | Wikipedia |
井上 康文(いのうえ やすぶみ、1897年6月20日 - 1973年4月18日)は、日本の詩人。 | ||
166 | 赤松月船 浅口市 | Wikipedia |
赤松 月船(あかまつ げっせん、1897年3月22日 - 1997年8月5日)は、日本の詩人、曹洞宗僧侶。 岡山県出身。旧名は藤井卯七郎。 | ||
167 | 中河与一 | Wikipedia |
中河与一 (なかがわ よいち, 1897年(明治30年)2月28日 - 1994年(平成6年)12月12日) は、香川県生まれの小説家・歌人である。横光利一、川端康成と共に、新感覚派として活躍した。正字で中河與一と表記される場合もある。中河哀秋という筆名も持つ。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
168 | 壺井繁治 | Wikipedia |
壺井 繁治(つぼい しげじ、1897年(明治30年)10月18日 - 1975年(昭和50年)9月4日)は、日本の詩人である。日本共産党員。 | ||
169 | 木々高太郎 | Wikipedia |
木々 高太郎(きぎ たかたろう、1897年5月6日 - 1969年10月31日)は日本の大脳生理学者・小説家(推理作家)・詩人。本名:林髞(はやし たかし)。長男は医学博士で精神衛生学者の林峻一郎(1930年-2008年)。 | ||
170 | 小口太郎 | Wikipedia |
小口太郎(おぐち たろう、1897年(明治30年)8月30日 - 1924年(大正13年)5月16日)は、長野県岡谷市生まれの科学者、歌人。第三高等学校、東京帝国大学理学部物理学科卒業後、同大学航空研究所入所。大学在学中に電信電話に関する発明をし、日本を始め諸外国に特許申請をし、許可を得ている。 | ||
171 | 加藤まさを 御宿町 | Wikipedia |
加藤 まさを(かとう まさを、1897年4月10日 - 1977年11月1日)は、日本の画家。詩人。本名は正男。静岡県藤枝市出身。立教大学英文科中退。 |
その他の職業
172 | 新村英一 諏訪市 | Wikipedia |
新村 英一(にむら えいち、1897年3月25日 - 1979年4月2日)は舞踊家である。本名は、三木富蔵。「新村英一」は、まだ舞踊家になる前、ボストンに向かう列車の中で新聞記事をヒントにつけた名前であり、「Nimura Yeichi」と表記する。 | ||
173 | 黒田泰治 富山市 | Wikipedia |
黒田 泰治(くろだ やすじ、1897年(明治30年) - 1976年(昭和51年)12月10日)は武術家。号は鉄心斎。身長165㎝。 黒田家に代々伝わってきた武術である民弥流居合術、駒川改心流剣術、四心多久間流柔術、椿木小天狗流棒術、誠玉小栗流殺活術を引き継ぐ振武館の道場主。 父は黒田正郡。振武館の技は泰治の子の黒田繁樹、そして孫の黒田鉄山へと継承された。 古武術の高度な理合を昭和の時代に体現することのできた達人であったと評される。 | ||
174 | 是川銀蔵 赤穂市 | Wikipedia |
是川 銀蔵(これかわ ぎんぞう、 1897年7月28日 - 1992年9月12日)は、日本の事業家、投資家、相場師、慈善家。最後の相場師と呼ばれた。 | ||
175 | 上杉修 八戸市 | Wikipedia |
上杉修(うえすぎ おさむ、1897年(明治30年) - 1979年(昭和54年))は、八戸市の郷土史家。 | ||
176 | 木村次郎右衛門 京丹後市 | Wikipedia |
木村 次郎右衛門(きむら じろうえもん、1897年(明治30年)4月19日 - 2013年(平成25年)6月12日)は、京都府京丹後市に在住していた長寿の男性である。2012年(平成24年)12月17日より死去するまで存命人物のうち世界最高齢であった。また、同年12月28日にはクリスチャン・モーテンセンの115歳252日の記録を抜いて、死去した人物も含めた年齢が検証済みの歴代最高齢記録の男性となった。死去した時点での年齢は116歳54日(42422日)と男性では歴代最高齢となっている(2019年現在)。 |