出身で1896年生まれの有名人

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宝塚・女優・俳優・声優・ナレーター・歌舞伎・能楽・狂言
 1  香川良介    白石町Wikipedia
香川 良介(かがわ りょうすけ、1896年10月10日 - 1987年4月17日)は、日本の俳優。本名は山口 英雄(やまぐち ひでお)。別芸名に香川 遼(-りょう)。
 2  高木永二    神戸市Wikipedia
高木 永二(たかぎ えいじ、1896年12月28日 - 没年不詳)は、日本の俳優である[5][6][7]。本名高木 英二。『大地は微笑む』の主演、『新版大岡政談』、『織田信長』の助演で知られる。
 3  香川良介    深川市Wikipedia
香川 良介(かがわ りょうすけ、1896年10月10日 - 1987年4月17日)は、日本の俳優。本名は山口 英雄(やまぐち ひでお)。別芸名に香川 遼(-りょう)。


舞台・演劇・映画・ドラマ・脚本・プロデューサー・ディレクター
 4  仁科熊彦    Wikipedia
仁科 熊彦(にしな くまひこ、明治29年(1896年)1月1日 - 昭和62年(1987年)4月10日)は、日本の映画監督である。脚本家としての山中貞雄とのタッグで知られる。
 5  奈良真養    大館市Wikipedia
奈良 真養(なら しんよう、1896年11月30日 - 1977年11月26日)は、日本の映画俳優。
 6  衣笠貞之助    Wikipedia
衣笠 貞之助(きぬがさ ていのすけ、1896年1月1日 - 1982年2月26日)は、日本の俳優、映画監督、脚本家。本名は小亀 貞之助(こかめ ていのすけ)。
 7  重宗和伸    Wikipedia
重宗 和伸(しげむね かずのぶ、1896年7月27日 - 1971年12月4日)は、日本の映画監督、映画プロデューサーである。本名の重宗務での活動も多い。
早稲田大学出身      出身の早稲田大学の出身者      全国の早稲田大学の出身者
 8  花柳はるみ    鹿嶋市Wikipedia
花柳 はるみ(はなやぎ - 、明治29年(1896年)2月24日 - 昭和37年(1962年)10月11日)は、日本の女優である。本名は糟谷 いし(かすや - )。「築地小劇場」で知られる新劇の女優であり、「日本映画の女優第1号」として知られる。
 9  沓沢朝治    真室川町Wikipedia
沓沢 朝治(くつざわ あさじ、1896年〈明治29年〉8月18日 - 1983年〈昭和58年〉12月31日)は、日本の鷹匠。クマタカを飼い慣らしてウサギやタヌキなどを捕る、鷹狩の伝統的技法を伝え、「最後の鷹匠」と呼ばれた。


アニメ
 10  若林漢二    綾瀬市Wikipedia
若林 漢二(わかばやし かんじ)は、日本のアニメーション演出家、アニメーター。神奈川県綾瀬市出身。
武蔵野美術大学出身      出身の武蔵野美術大学の出身者      全国の武蔵野美術大学の出身者


格闘技
 11  政岡壹實    いの町Wikipedia
政岡 壹實(新字体:壱実。まさおか かつたね、1896年(明治29年)1月19日 - 1973年(昭和48年)7月9日)は、日本の武道家。段位は全日本剣道連盟居合道範士九段、剣道範士七段。居合の流派は無双直伝英信流。
 12  剣岳吉五郎    富山市Wikipedia
剣岳 吉五郎(つるぎだけ きちごろう、1896年1月1日 - 1950年4月19日)は、1920年代の大相撲力士である。本名は五十里吉次郎。身長174cm、体重94kg。
 13  吉野山要次郎    黒部市Wikipedia
吉野山 要次郎(よしのやま ようじろう、本名:大上戸 要次郎、1896年1月3日 - 1956年2月6日)は、富山県下新川郡(現・黒部市)出身の元大相撲力士。所属は春日山部屋から立浪部屋。最高位は西前頭筆頭(1932年2月場所、3月場所)。現役時代の体格は175cm、92kg。得意手は左四つ、押し、のど輪、うっちゃり。元前頭清惠波の岳父であり養父でもある。
 14  高ノ山三郎    和歌山市Wikipedia
高ノ山 三郎(たかのやま さぶろう、1896年11月15日 - 没年不明)は、出羽海部屋に所属した元力士。本名は宮尾 三郎。和歌山県和歌山市出身。176cm、94kg。最高位は西前頭6枚目。得意技は右四つ、寄り、投げ。
 15  司天竜芳太郎    神戸市Wikipedia
司天竜芳太郎(してんりゅうよしたろう、1896年1月25日-没年不明)は、伊勢ヶ濱部屋に所属した元力士。本名は熊沢芳太郎。兵庫県神戸市出身。176cm、113kg。最高位は東前頭筆頭。
 16  泉洋藤太郎    高石市Wikipedia
泉洋 藤太郎(いずみなだ とうたろう、1896年1月4日 - 1937年12月17日)は、井筒部屋、猪名川部屋、再度井筒部屋に所属した力士。本名は山条 藤太郎(やまじょう とうたろう)。現在の大阪府高石市出身。176cm、105kg。最高位は西前頭7枚目。得意手は右四つ、寄り、押し。
 17  槍ヶ嶽峯五郎    長野市Wikipedia
槍ヶ嶽峯五郎(やりがたけみねごろう、1896年12月28日-1926年5月30日)は、熊ヶ谷部屋、出羽海部屋に所属した元力士。本名は吉村親太郎。長野県更級郡西寺尾村(現長野市)出身。173cm、86kg。最高位は東前頭9枚目。
 18  常ノ花寛市    岡山市Wikipedia
常ノ花 寛市(つねのはな かんいち、1896年11月23日 - 1960年11月28日)は、岡山県岡山市出身の元大相撲力士。第31代横綱。本名は山野辺 寛一(やまのべ かんいち)。
 19  小野十生    鹿島市Wikipedia
小野 十生(おの じゅっせい、1896年(明治29年) - 1974年(昭和49年))は、日本の剣道家。段位は範士九段。流派は小野派一刀流。
 20  若常陸恒吉    津和野町Wikipedia
若常陸 恒吉(わかひたち つねきち、1896年4月16日 - 1940年9月22日)は、島根県鹿足郡日原町(現津和野町)出身で、1920年代に活躍した大相撲力士である。本名:大庭 常吉。身長173cm、体重116kg。昭和年間を通じて唯一の島根県出身の幕内力士であった。最高位は西前頭筆頭(1928年3月場所)。引退後は年寄として後進の指導につとめた。


野球
 21  石本秀一     広島市Wikipedia
石本 秀一(いしもと しゅういち、1897年11月1日 - 1982年11月10日)は、日本のアマチュア野球指導者、プロ野球監督。広島県広島市段原(現:南区的場町[2])の生まれ[3]。
 22  武田孟     広島市Wikipedia
武田 孟(たけだ つとむ、1896年(明治29年)2月2日 - 1990年10月25日(平成2年))は教育者。元明治大学野球部長、明大学長・総長。札幌大学学長。日米大学野球選手権大会の創設など学生野球の普及、発展に長年尽力した。広島県広島市出身。       
明治大学出身      出身の明治大学の出身者      全国の明治大学の出身者


冬季スポーツ
 23  竹鶴リタ    余市町Wikipedia
竹鶴 リタ(たけつる リタ、1896年(明治29年)12月14日 - 1961年(昭和36年)1月17日)は、ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝(1894年(明治27年) - 1979年(昭和54年))の妻。通称:リタ。


陸上競技全般
 24  大浦留市    Wikipedia
大浦 留市(おおうら とめいち、1896年 - 1989年)は日本の陸上競技(長距離走)選手。


漫画家・イラスト・ゲーム
 25  加藤謙一    弘前市Wikipedia
加藤 謙一(かとう けんいち、1896年5月28日 - 1975年6月30日)は昭和期の雑誌編集者。戦前は『少年倶楽部』の編集長を務め、戦後は独力で起こした学童社から『漫画少年』を編集・刊行し、多くの漫画家を世に送り出した。


作家・小説家・エッセイ・文筆・翻訳家・編集者
 26  小川良    浜松市Wikipedia
小川 良(おがわ りょう)は、日本の小説家。本名非公開。静岡県浜松市出身。
 27  悦田喜和雄    美波町Wikipedia
悦田 喜和雄(えつだ きわお、1896年(明治29年)8月21日 - 1983年(昭和58年)3月21日)は、徳島県海部郡美波町(旧由岐町)出身の小説家。
 28  大下宇陀児    箕輪町Wikipedia
大下 宇陀児(おおした うだる、1896年(明治29年)11月15日 - 1966年(昭和41年)8月11日)は日本の探偵小説作家。本名、木下龍夫。 別名、XYZ。
九州大学出身      出身の九州大学の出身者      全国の九州大学の出身者
 29  牧野信一    小田原市Wikipedia
牧野 信一(まきの しんいち、1896年(明治29年)11月12日 - 1936年(昭和11年)3月24日)は、日本の小説家。神奈川県足柄下郡小田原町(現:小田原市)出身。自然主義的な私小説の傍流としてみなされることが多く、17年間の作家生活の中で珠玉の短編十数編を残して早逝したマイナー・ポエトといわれている[2]。「ギリシャ牧野」とも呼ばれた中期の幻想的な作品で新境地を拓いたが、最後は小田原の生家で悲劇的な縊死自殺を遂げた。享年39歳[3]。
早稲田大学出身      出身の早稲田大学の出身者      全国の早稲田大学の出身者
 30  尾崎翠    岩美町Wikipedia
尾崎 翠(おさき みどり、1896年(明治29年)12月20日 - 1971年(昭和46年)7月8日)は小説家。 作家活動は短かったが、今なお斬新さを失わぬ彼女の作品は、近年になり再評価が進んでいる。
 31  小山勝清    相良村Wikipedia
小山 勝清(おやま かつきよ、1896年3月29日 - 1965年11月26日)は熊本県球磨郡四浦村晴山(現・熊本県球磨郡相良村)出身。作家。「小山」の読みを、東京では「こやま」、熊本では「おやま」で通した。
 32  横山エンタツ    三田市Wikipedia
横山 エンタツ(よこやま エンタツ、1896年(明治29年)4月22日 - 1971年(昭和46年)3月21日)は、大正・昭和期の漫才師・俳優である。本名:石田 正見(いしだ まさみ)。花菱アチャコとのコンビ(エンタツ・アチャコ)で、「万才」に代わり、「しゃべくり漫才」を発明。今につながる漫才ブームを作った。現在の(全国的に流布した)漫才スタイルの元祖である。漫才作家秋田實の良き相談者として上方漫才、喜劇の興隆に大きく貢献した。吉本新喜劇初期の出演者でもある。
 33  佐々木味津三    設楽町Wikipedia
佐々木 味津三(ささき みつぞう、明治29年(1896年)3月18日 - 昭和9年(1934年)2月6日)は、日本の小説家。佐佐木 味津三と表記されることもある。
 34  木暮亮    Wikipedia
木暮 亮(こぐれ りょう、1896年7月1日 - 1981年3月27日)は、日本の作家、明治大学名誉教授。 福島県福島市(現)生まれ。本名・菅藤高徳(かんとうたかのり)。東京帝国大学独文科卒。在学中より同人誌に参加。1934年、高木卓、真下五一らと『意識』を創刊。1939年、「地上の子」で芥川賞予選候補、1944年、「おらがいのち」で同候補。太平洋戦争前から戦後にわたって独文学者として明治大学教授、1964年、独協大学教授。1971年、退職。
 35  村田安司    横浜市Wikipedia
村田 安司(むらた やすじ、1896年1月24日 - 1966年11月22日)は、日本の先駆的なアニメーション作家である。横浜シネマ商会で働いていた村田は、山本早苗から切り抜きアニメーションの手法を習い、1927年のデビューからその名手となる。主に教育用にアニメーション作品を多く製作。[2]脚本の青地忠三と撮影の上野行清とトリオをよく組んでいた。
 36  諏訪三郎    Wikipedia
諏訪 三郎(すわ さぶろう、1896年12月3日 - 1974年6月14日)は、日本の小説家。 福島県出身。本名は半沢成二。『中央公論』の記者をへて、1924年、川端康成らの『文藝時代』の同人となる。のち通俗小説などで活躍。
 37  森本覚丹    宇部市Wikipedia
森本 覚丹(もりもと かくたん、1896年 - 1996年)は、日本の音楽評論家、文筆家、翻訳家。山口県、現在の宇部市出身。早稲田大学に学ぶ。シベリウスの曲に感銘を受け、叙事詩『カレワラ』を約8年間かけて翻訳した。1937年、フィンランド政府より白バラ一等勲章を贈られる。1945年春、郷里に帰り、山口大学・山口芸術短期大学で美学・音楽史を教える。1970年、勲四等瑞宝章叙勲。妻は森本ヤス子。
 38  中戸川吉二    釧路市Wikipedia
中戸川 吉二(なかとがわ きちじ、1896年(明治29年)5月20日-1942年(昭和17年)11月19日)は、北海道釧路区(現釧路市)生まれの小説家。
 39  吉屋信子    Wikipedia
吉屋 信子(よしや のぶこ、1896年(明治29年)1月12日 - 1973年(昭和48年)7月11日)は、1920年代から1970年代前半にかけて活躍した、日本の小説家である。


弁護士
 40  佐竹晴記    Wikipedia
佐竹 晴記(さたけ はるき、1896年(明治29年)9月6日 - 1962年(昭和37年)4月24日)は、日本の政治家、弁護士。社会民衆党、社会革新党、民主社会党に属し、片山内閣では司法政務次官を務めた。
中央大学出身      出身の中央大学の出身者      全国の中央大学の出身者


建築家・建築学者・技術者
 41  長谷川輝雄    Wikipedia
長谷川 輝雄(はせがわ てるお、1896年 - 1926年5月15日)は日本の建築史家。「四天王寺建築論」等を著したが早世した。
 42  後藤勇吉    延岡市Wikipedia
後藤 勇吉(ごとう ゆうきち、1896年(明治29年)11月12日 - 1928年(昭和3年)2月29日)は、日本の航空黎明期の民間パイロット。一等操縦士・一等飛行士免許取得、航空機による旅客輸送、日本一周飛行などにおいて日本初を成し遂げた。太平洋横断無着陸飛行計画の訓練中に墜落死した。


経営者・実業家
 43  宮入近治    Wikipedia
宮入 近治(みやいり ちかじ、1896年 - 1963年6月24日)は日本の実業家、生物学者。
千葉大学出身      出身の千葉大学の出身者      全国の千葉大学の出身者
 44  栗林徳一    釧路市Wikipedia
栗林 徳一(くりばやし とくいち、1896年(明治29年)3月9日 - 1981年(昭和56年)12月27日)は、日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員、室蘭市名誉市民[3]。
 45  岩崎隆弥    Wikipedia
岩崎 隆弥(いわさき たかや、1896年11月2日 - 1983年6月2日)は、日本の実業家。三菱財閥のオーナー・岩崎家の一員で、三菱合資会社元社長・岩崎久弥の次男。
 46  等松農夫蔵    Wikipedia
等松 農夫蔵(とうまつ のぶぞう、明治29年(1896年)4月25日 - 昭和55年(1980年)12月28日)は大日本帝国海軍海軍主計少将。のち、現在の有限責任監査法人トーマツを設立した。海軍経理学校卒業。
 47  岡本伝之助    横須賀市Wikipedia
岡本 伝之助(岡本 傅之助、おかもと でんのすけ、1896年(明治29年)11月17日 - 1982年(昭和57年)1月15日[3])は、日本の政治家・衆議院議員、横須賀名誉市長[4][5]、実業家、神奈川県多額納税者[4][5][6]。さいか屋会長[7]。横須賀商工会議所顧問[4][5]。
 48  山下太郎    Wikipedia
山下 太郎(やました たろう、1896年4月19日 - 1970年2月26日)は日本の実業家。元山下汽船社長、会長。父は山下汽船創業者山下亀三郎。
 49  河野傳    国立市Wikipedia
河野 傳(河野 伝)(こうの つとう、1896年(明治29年) - 1963年(昭和38年)10月24日)は、日本の建築家、技術者、経営者。宮崎県出身。
 50  諸井貫一    Wikipedia
諸井 貫一(もろい かんいち、1896年1月11日 - 1968年5月21日)は、東京府(現東京都)生まれの実業家。セメント製造事業の開拓を手掛けた諸井恒平(渋沢栄一とは親類関係に当たる)の長男で、東諸井家12代当主。秩父セメント(現太平洋セメント)社長、秩父鉄道会長、埼玉銀行(現埼玉りそな銀行)会長、日本煉瓦製造会社会長を歴任し、経済団体連合会(経団連)の創設など日本の近代化に深く貢献した。従三位勲一等。
 51  鈴木剛     広島市Wikipedia
鈴木 剛(すずき こう、1896年7月25日 - 1986年12月16日)は、住友銀行頭取。大阪テレビ放送社長、朝日放送社長、ホテルプラザ社長を歴任した実業家。住友グループの社長会である白水会の名付け親でもある。
京都大学出身      出身の京都大学の出身者      全国の京都大学の出身者
 52  土光敏夫    岡山市Wikipedia
土光 敏夫(どこう としお、1896年(明治29年)9月15日 - 1988年(昭和63年)8月4日)は、昭和時代の日本のエンジニア、実業家。位階勲等は従二位勲一等(勲一等旭日桐花大綬章・勲一等旭日大綬章・勲一等瑞宝章)。岡山県名誉県民、岡山市名誉市民。
 53  大川博    新潟市Wikipedia
大川 博(おおかわ ひろし、1896年(明治29年)12月30日 - 1971年(昭和46年)8月17日)は、日本の実業家、映画製作者、プロ野球オーナー。東映の事実上の創業者である。
 54  小林貞治    Wikipedia
小林 貞治(こばやし ていじ、1896年 - 没年不詳)は埼玉県の経営者、政治家。飯能木材工業株式会社社長。
 55  大塚万丈    Wikipedia
大塚 万丈(大塚 萬丈、おおつか ばんじょう、1896年11月24日 - 1950年3月8日)は、日本の実業家。元経済同友会代表幹事。発足直後の経済同友会において、各方面に大きな反響を呼んだ「企業民主化試案」を取りまとめた。
 56  務臺光雄    Wikipedia
務臺 光雄(むたい みつお、1896年6月6日 - 1991年4月30日)は、日本の実業家。読売新聞社(現・読売新聞東京本社、読売新聞グループ本社)の社長、名誉会長や、讀賣テレビ放送の会長を務めた。長野県南安曇郡温村(現・安曇野市)出身。苗字は後述文献のように“務台”と表記される場合がある。
 57  吉田正    Wikipedia
吉田 正(よしだ ただし、1896年10月20日 - 1969年8月19日)は日本の実業家。
 58  具志堅宗精    Wikipedia
具志堅 宗精(ぐしけん そうせい、1896年8月22日 - 1979年12月29日)は、戦前の沖縄県の警察官で、宮古民政府の政治家。実業家として有名で、沖縄の地ビールとして有名なオリオンビールの創業者である。沖縄県那覇市出身。
 59  里見甫    能代市Wikipedia
里見 甫(さとみ はじめ、1896年1月22日 - 1965年3月21日)は、ジャーナリスト、実業家。関東軍と結託しアヘン取引組織を作り、阿片王と呼ばれた。中国名李鳴。
 60  林武    中野区Wikipedia
林 武(はやし たけし、1896年(明治29年)12月10日 - 1975年(昭和50年)6月23日)は、東京都出身の日本の洋画家。本名は武臣(たけおみ)といった。大正末期から洋画家として活動を始め戦後には原色を多用し絵具を盛り上げた手法で女性や花、風景などを描き人気を得た。晩年には国語問題審議会の会長も務めている。なお、孫に元衆議院議員の林潤がいる。


軍人
 61  菊池朝三    Wikipedia
菊池 朝三(きくち ともぞう、1896年11月22日 - 1988年1月31日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍少将。茨城県土浦市議会議員。
 62  河村参郎    Wikipedia
河村 参郎(かわむら さぶろう、1896年10月7日 - 1947年6月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。1924年陸大(36期)卒後、東京帝国大学で学び、陸軍省軍務局付として1934年までフランスに駐在。1936年には二・二六事件の軍法会議判士を務めた。1937年北支那方面軍参謀として日中戦争に出征。1941年歩兵第9旅団長としてマレー作戦に参加。1942年昭南警備司令官としてシンガポール市内の掃討作戦を指揮。同年12月、印度支那駐屯軍参謀長。終戦後、シンガポール華僑粛清事件の戦犯容疑で逮捕され、1947年4月に死刑判決を受け、同年6月、シンガポールで刑死。遺著『十三階段を上る』がある。
 63  小島秀雄    釧路町Wikipedia
小島 秀雄(こじま ひでお、1896年4月5日 - 1982年3月22日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。3度に及ぶドイツ駐在歴があり、戦後には日独友好にも尽力した。
 64  小島秀雄    神戸市Wikipedia
小島 秀雄(こじま ひでお、1896年4月5日 - 1982年3月22日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。3度に及ぶドイツ駐在歴があり、戦後には日独友好にも尽力した。
 65  四方諒二    神戸市Wikipedia
四方 諒二(しかた りょうじ、明治29年(1896年)4月28日 - 昭和52年(1977年)12月13日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
 66  稲田正純    日野町Wikipedia
稲田 正純(いなだ まさずみ、1896年(明治29年)8月27日 - 1986年(昭和61年)1月24日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
 67  杉浦嘉十    Wikipedia
杉浦 嘉十(すぎうら かじゅう、1896年(明治29年)5月5日 - 1945年(昭和20年)5月16日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
 68  松田千秋    Wikipedia
松田 千秋(まつだ ちあき、 1896年(明治29年)9月29日 - 1995年(平成7年)11月6日)は、日本の海軍軍人。海兵44期。最終階級は海軍少将。
 69  馬淵逸雄    Wikipedia
馬淵 逸雄(まぶち いつお、1896年(明治29年)8月31日 - 1973年(昭和48年)9月17日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
 70  川井巌    Wikipedia
川井 巌(かわい いわお、1896年(明治29年)9月2日 - 1972年(昭和47年)5月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。山形県山形市出身。
 71  松本毅    Wikipedia
松本 毅(まつもと たけし、1896年(明治29年)4月14日 - 1962年(昭和37年)5月14日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。山形県鶴岡市出身。開拓使の松本十郎の孫にあたる。
 72  古村啓蔵    Wikipedia
古村 啓蔵(こむら けいぞう、1896年7月20日 - 1978年2月7日)は日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。戦艦「武蔵」の第2代艦長であり、坊の岬沖海戦では軽巡洋艦「矢矧」に乗艦。第二水雷戦隊を指揮していた。あだ名は「両舷直の親玉」。
 73  猪口敏平    鳥取市Wikipedia
猪口 敏平(いのぐち としひら、1896年(明治29年)8月11日 - 1944年(昭和19年)10月24日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。戦艦武蔵最後の艦長として知られる。
海軍兵学校出身      出身の海軍兵学校の出身者      全国の海軍兵学校の出身者
 74  青木大吉    唐津市Wikipedia
青木 大吉(あおき だいきち、1896年7月2日 - 1994年1月12日)は、日本の公認会計士、税理士。大日本帝国海軍の軍人(最終階級は主計大佐)で、第二次世界大戦後は民間の会計士となり、東京虎ノ門、福岡(「第一公認会計士事務所」)、佐世保に事務所を開く。等松農夫蔵と現在のデロイト トウシュ トーマツの日本のもととなる監査法人事務所を創立した。日本の原価計算の祖と呼ばれる。
海軍経理学校出身      出身の海軍経理学校の出身者      全国の海軍経理学校の出身者


官僚
 75  大池眞    Wikipedia
大池 眞(おおいけ まこと、1896年1月5日 - 1990年7月5日)は、日本の官僚。
 76  塩原時三郎    Wikipedia
塩原 時三郎(しおばら ときさぶろう、1896年2月18日 - 1964年10月27日)は、日本の逓信官僚、政治家。衆議院議員、通信院総裁・逓信院総裁、官選清水市長。
 77  山本義章    鳥取市Wikipedia
山本 義章(やまもと よしあき、1896年10月5日 - 1961年9月26日)は、日本の官僚、弁護士。第32代京都府知事(最後の官選知事)[2]、陸軍司政長官[3]。
 78  安岡正光    Wikipedia
安岡 正光(やすおか まさみつ、1896年(明治29年)2月15月 - 1962年(昭和37年)4月20日)は、日本の内務・警察官僚。官選山梨県知事。


公務員
 79  上村伸一    Wikipedia
上村 伸一(かみむら しんいち、1896年 - 1983年)は、日本の外交官。東京帝国大学法科(現在の東京大学法学部)卒業。外務省東亜局第一課長。駐イギリス日本大使館臨時代理大使、ドイツ公使などを歴任。著書多数。
東京大学出身      出身の東京大学の出身者      全国の東京大学の出身者


学者・教授・准教授
 80  平井泰太郎    神戸市Wikipedia
平井 泰太郎(ひらい やすたろう、1896年10月15日 - 1970年7月2日)は、日本の経営学者。
 81  中原和郎    湯梨浜町Wikipedia
中原 和郎(なかはら わろう、1896年1月16日 - 1976年1月21日)は、日本の生化学者。医学博士。日本学士院会員。がんの生化学的研究で知られる。
コーネル大学出身      出身のコーネル大学の出身者      全国のコーネル大学の出身者
 82  渡辺寧    日立市Wikipedia
渡辺 寧(わたなべ やすし、1896年11月15日 - 1976年11月17日)は、電子工学者。茨城県生まれ。
 83  坂西志保    我孫子市Wikipedia
坂西 志保(さかにし しほ、1896年(明治29年)12月6日 - 1976年(昭和51年)1月14日)は、学者、評論家。なお、名についてしおとする資料もある。 志保自身の英文署名には「Shio」、日本語署名には「志保」を用いており「しほ」はその読みである。戸籍には「シホ」とある。「志保」は聖書の「地の塩」による。因みに、志保の誕生した頃の聖書の当時の表記は「塩(しほ)」であるが、その後聖書翻訳の改訂があり「しお」と表記される。
 84  宇田新太郎    入善町Wikipedia
宇田 新太郎(うだ しんたろう、1896年(明治29年)6月1日 - 1976年(昭和51年)8月18日)は、日本の工学者。元東北帝国大学教授。専門は電気工学、通信工学で、八木・宇田アンテナの発明者として知られる。
 85  戸倉ハル    丸亀市Wikipedia
戸倉 ハル(とくら ハル、1896年11月9日 - 1968年9月16日[3])は、日本の教育者。お茶の水女子大学名誉教授[7]。香川県仲多度郡南村(現・丸亀市[3])出身。専門分野は女子体育と幼児教育で[8]、「学校ダンスの第一人者」と呼ばれた[3]。レコードなどに残したオリジナルのダンス用の楽曲はおよそ800曲に及び[9]、教え子によって広められた戸倉のダンスは日本各地の学校で伝統として継承されている[10]。
 86  横山重    Wikipedia
横山 重(よこやま しげる、1896年1月22日 - 1980年10月8日[2])は、中世国文学者。
 87  池田亀鑑    日南町Wikipedia
池田 亀鑑(いけだ きかん、明治29年〈1896年〉12月9日 - 昭和31年〈1956年〉12月19日)は、日本の国文学者。平安文学専攻。
 88  渋沢敬三    沼津市Wikipedia
渋沢 敬三(しぶさわ けいぞう、正字体:澁澤 敬三、1896年(明治29年)8月25日 - 1963年(昭和38年)10月25日)は、日本の財界人、民俗学者、第16代日本銀行総裁、大蔵大臣(幣原内閣)。祖父渋沢栄一の子爵位を継いだ。
 89  堀経夫    函館市Wikipedia
堀 経夫(ほり つねお、1896年4月20日 - 1981年9月18日)は、日本の経済学者。専門は、経済思想史、社会思想史。日本学士院会員。関西学院大学学長、四国学院大学学長を歴任した。
 90  麻生磯次    山武市Wikipedia
麻生 磯次(あそう いそじ、1896年(明治29年)7月21日 - 1979年(昭和54年)9月9日)は、日本の国文学者。
 91  木村健二郎    弘前市Wikipedia
木村 健二郎(きむら けんじろう、1896年5月12日 - 1988年10月12日)は日本の分析化学者。
 92  森信三    半田市Wikipedia
森 信三(もり のぶぞう、1896年(明治29年)9月23日 - 1992年(平成4年)11月21日)は、日本の哲学者・教育者。通称、しんぞう。
 93  本田喜代治    姫路市Wikipedia
本田 喜代治(ほんだ きよじ、1896年10月15日 - 1972年10月22日)は、日本の社会学者。
東京大学出身      出身の東京大学の出身者      全国の東京大学の出身者
 94  河野与一    武蔵野市Wikipedia
河野 与一(こうの よいち、1896年(明治29年)9月12日 - 1984年(昭和59年)7月6日)は、日本の哲学者、翻訳家。與一とも表記する。
 95  川崎俊一    栗東市Wikipedia
川崎 俊一(かわさき しゅんいち、1896年(明治29年)1月24日 - 1943年(昭和18年)1月19日)は、日本の大正から昭和期における地球物理学者。
 96  坂西志保    小樽市Wikipedia
坂西 志保(さかにし しほ、1896年(明治29年)12月6日 - 1976年(昭和51年)1月14日)は、学者、評論家。なお、名についてしおとする資料もある。 志保自身の英文署名には「Shio」、日本語署名には「志保」を用いており「しほ」はその読みである。戸籍には「シホ」とある。「志保」は聖書の「地の塩」による。因みに、志保の誕生した頃の聖書の当時の表記は「塩(しほ)」であるが、その後聖書翻訳の改訂があり「しお」と表記される。
 97  武居三吉    Wikipedia
武居 三吉(たけい さんきち、1896年10月26日 - 1952年6月25日)は日本の農芸化学者。


研究者・研究家・発明家
 98  重森三玲    吉備中央町Wikipedia
重森 三玲(しげもり みれい、1896年8月20日 - 1975年3月12日)は、昭和期の日本の作庭家・日本庭園史の研究家。出生名は重森計夫。
 99  由木康    境港市Wikipedia
由木 康(ゆうき こう、1896年4月16日 - 1985年1月27日)は、日本の牧師、讃美歌作家。日本の讃美歌の発展の中心的な役割を果たし、賛美歌「きよしこの夜」の訳者として知られる。パスカルの研究家で「パンセ」を翻訳した。教育者・郷土史研究者足立正の次男。
関西学院大学出身      出身の関西学院大学の出身者      全国の関西学院大学の出身者


画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家
 100  山口将吉郎    鶴岡市Wikipedia
山口 将吉郎(やまぐち しょうきちろう、1896年(明治29年)3月30日 - 1972年(昭和47年)9月12日)は、山形県鶴岡市出身の日本画家。挿絵画家。
 101  川村智保    鶴岡市Wikipedia
川村 智保(かわむら ちほ、1896年〈明治29年〉6月19日 - 1993年〈平成5年〉3月9日)は、日本の画家。
 102  徳岡神泉    京都市Wikipedia
徳岡 神泉(とくおか しんせん、1896年2月14日 - 1972年6月9日)は、京都市生まれの日本画家。本名、時次郎。
 103  金重陶陽    備前市Wikipedia
金重 陶陽(かねしげ とうよう、1896年(明治29年)1月3日 - 1967年(昭和42年)11月6日)は、岡山県出身の陶芸家。備前焼の陶工として初めて人間国宝となった。本名は金重 勇(かねしげ いさむ)。
 104  太田聴雨    仙台市Wikipedia
太田 聴雨(おおた ちょうう、1896年(明治29年)10月18日 - 1958年(昭和33年)3月2日)は、大正から昭和時代にかけて活躍した日本画家。本名は栄吉。初号・別号に翠岳。
 105  宇田荻邨    松阪市Wikipedia
宇田 荻邨(うだ てきそん、1896年6月30日 - 1980年1月28日)は、日本画家、日本芸術院会員。三重県松阪市生まれ。本名・善次郎。
京都市立芸術大学出身      出身の京都市立芸術大学の出身者      全国の京都市立芸術大学の出身者
 106  田中塊堂    矢掛町Wikipedia
田中 塊堂(たなか かいどう、1896年(明治29年)2月10日 - 1976年(昭和51年)2月1日)は、岡山県小田郡山田村(現・矢掛町)出身の日本の書家。本名は英市。
 107  前田寛治    北栄町Wikipedia
前田 寛治(まえた かんじ、1896年10月1日 - 1930年4月16日)は日本の洋画家。人物写実画の名手として知られ、33歳という若さで早逝し10年に満たない短い活動期間であったが、彼の古典的構図でのフォーヴィスム的筆致が「前寛ばり」という流行語を生むなど当時の芸術家に多大な影響を与えた。 なお、名字の読みは「まえた」である。
東京芸術大学出身      出身の東京芸術大学の出身者      全国の東京芸術大学の出身者
 108  前田寛治    杉並区Wikipedia
前田 寛治(まえた かんじ、1896年10月1日 - 1930年4月16日)は、日本の洋画家。
 109  山口源    沼津市Wikipedia
山口 源(やまぐち げん、1896年10月23日 - 1976年7月15日)は、静岡県出身の版画家、装丁家。本名は山口源吾(やまぐち げんご)。流木などを用いた抽象版画が多く、恩地孝四郎とともに抽象木版画の先駆者となった。
 110  松田権六    金沢市Wikipedia
松田 権六(まつだ ごんろく、1896年(明治29年)4月20日 - 1986年(昭和61年)6月15日)は、日本の蒔絵師。人間国宝。文化勲章受章者。
東京芸術大学出身      出身の東京芸術大学の出身者      全国の東京芸術大学の出身者


政治家・議員・首長
 111  生川平三郎    四日市市Wikipedia
生川 平三郎(なるかわ へいさぶろう、1896年(明治19年)4月3日 - 1950年(昭和25年)は、三重県四日市市富田一色出身の政治家・実業家である。三重県三重郡富洲原町大字富田一色(現在の四日市市富洲原地区富田一色町)出身。富田一色地区生まれで本町在住である。三重郡富洲原町時代の町制度下で富田一色区長であった。三重郡富洲原町の町会議員を1913年(大正2年)から1935年(昭和10年)まで3期務めた。その後は富洲原町の市町村合併の交渉をして政治家として活躍した。
 112  細迫兼光    山陽小野田市Wikipedia
細迫 兼光(ほそさこ かねみつ、1896年11月28日 - 1972年2月11日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(5期)。弁護士。
東京帝国大学出身      出身の東京帝国大学の出身者      全国の東京帝国大学の出身者
 113  泉山三六    Wikipedia
泉山 三六(いずみやま さんろく、1896年(明治29年)3月30日 – 1981年(昭和56年)7月7日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、参議院議員(2期)、大蔵大臣(第54代)を歴任。ペンネームは泉山間窓。
東京大学出身      出身の東京大学の出身者      全国の東京大学の出身者
 114  綿貫佐民    南あわじ市Wikipedia
綿貫 佐民(わたぬき すけたみ、1896年4月 - 1950年9月7日)は、日本の政治家・実業家。元衆議院議員の綿貫民輔は長男。
 115  野村ミス    十日町市Wikipedia
野村 ミス(のむら ミス、1896年8月19日 – 1979年3月15日)は日本の政治家、衆議院議員(1期)。
 116  渡辺広    Wikipedia
渡辺 広(わたなべ ひろし、1896年 - 1967年)は、日本の内務官僚。最後の官選神奈川県知事。
 117  森島守人    金沢市Wikipedia
森島 守人(もりしま もりと、1896年2月16日 - 1975年2月17日)は日本の外交官、政治家。衆議院議員(3期)。
 118  畑桃作    Wikipedia
畑 桃作(はた ももさく、1896年7月10日 - 1949年3月5日)は日本の政治家。
 119  手島栄    米子市Wikipedia
手島 栄(てしま さかえ、明治29年(1896年)12月10日 - 昭和38年(1963年)4月18日)は日本の逓信官僚、政治家。参議院議員、郵政大臣。
東京大学出身      出身の東京大学の出身者      全国の東京大学の出身者
 120  片岡恒一    四日市市Wikipedia
片岡 恒一(かたおか つねかず、1896年(明治29年)4月19日 - 1952年(昭和27年)4月7日)は、三重県三重郡富洲原町(現在の四日市市富洲原地区)富田一色出身の衆議院議員。地方議員(三重県議会議員・四日市市議会議員)。三重郡富洲原町の教育者。
早稲田大学出身      出身の 早稲田大学の出身者      全国の 早稲田大学の出身者
 121  加藤於兎丸    下呂市Wikipedia
加藤 於兎丸(かとう おとまる、1896年(明治29年)7月19日 - 1983年(昭和58年)8月11日)は、日本の内務・厚生官僚、実業家。官選県知事。
 122  谷川昇    志和村Wikipedia
谷川 昇(たにかわ のぼる、1896年5月27日 - 1955年2月28日)は、日本の内務官僚、元政治家(衆議院議員)。広島カープの「カープ」名付け親。正五位勲四等受章。
 123  桃井直美    Wikipedia
桃井 直美(ももい なおみ、1896年(明治29年)7月10日 - 1966年(昭和41年)1月9日)は日本の政治家、内務官僚。官選岐阜県知事、公選高知県知事。旧姓・公文。
 124  高辻武邦    Wikipedia
高辻 武邦(たかつじ たけくに、1896年10月1日 - 1963年3月21日)は、日本の内務官僚、政治家。第2代富山県知事(1948年11月23日 - 1956年9月30日、2期)。
 125  有元史郎    尾道市Wikipedia
有元 史郎(ありもと しろう、1896年6月25日 - 1938年5月30日)は、広島県尾道市土堂町出身の教育者、政治家。芝浦工業大学創設者[2]。第4代岡山県津山市長(1937年)[3]。
東京大学出身      出身の東京大学の出身者      全国の東京大学の出身者
 126  中村庸一郎    南房総市Wikipedia
中村 庸一郎(なかむら よういちろう、1896年-1983年11月13日)は、日本の政治家。衆議院議員(8期)。
専修大学出身      出身の専修大学の出身者      全国の専修大学の出身者
 127  横田喜三郎    Wikipedia
横田 喜三郎(よこた きさぶろう、1896年(明治29年)8月6日 - 1993年(平成5年)2月17日)は、日本の国際法学者、第3代最高裁判所長官。学位は法学博士(東京帝国大学)。栄典は従二位・勲一等・文化勲章・文化功労者・紺綬褒章・江南市名誉市民など。国務大臣を務めた猪口邦子は孫にあたる。
東京大学出身      出身の東京大学の出身者      全国の東京大学の出身者
 128  松浦周太郎    美深町Wikipedia
松浦 周太郎(まつうら しゅうたろう、1896年5月2日 - 1980年6月8日)は、日本の昭和期の政治家。労働大臣・運輸大臣。北海道美深町名誉町民(1964年)。妻は同町の児童養護施設・社会福祉法人美深育成園の創立者である松浦カツ。
 129  山口六郎次    白岡市Wikipedia
山口 六郎次(やまぐち ろくろうじ、1896年7月21日 - 1961年11月28日)は、日本の政治家。元労働大臣の山口敏夫は三男。
明治大学出身      出身の明治大学の出身者      全国の明治大学の出身者
 130  森下國雄    Wikipedia
森下 國雄(もりした くにお、1896年6月20日 - 1975年5月7日 )は、日本の政治家。衆議院議員(10期)。
 131  犬養健    Wikipedia
犬養 健(いぬかい たける、1896年(明治29年)7月28日 - 1960年(昭和35年)8月28日)は、日本の政治家、小説家。正三位勲一等。元首相犬養毅の三男にあたる。法務大臣(第2代・第3代)。
東京大学出身      出身の東京大学の出身者      全国の東京大学の出身者
 132  岸信介    山口市Wikipedia
岸 信介(きし のぶすけ、1896年〈明治29年〉11月13日 - 1987年〈昭和62年〉8月7日)は、日本の政治家、官僚。旧姓佐藤(さとう)。満州国総務庁次長、商工大臣(第24代)、衆議院議員(9期)、自由民主党幹事長(初代)、外務大臣(第86・87代)、内閣総理大臣(第56・57代)などを歴任し、「昭和の妖怪」と呼ばれた。
東京大学出身      出身の東京大学の出身者      全国の東京大学の出身者
 133  岸信介    武蔵野市Wikipedia
岸 信介(きし のぶすけ、1896年〈明治29年〉11月13日 - 1987年〈昭和62年〉8月7日)は、日本の政治家、官僚。旧姓佐藤(さとう)。満州国総務庁次長、商工大臣(第24代)、衆議院議員(9期)、自由民主党幹事長(初代)、自由民主党総裁 (第3代) 、外務大臣(第86・87代)、内閣総理大臣臨時代理、内閣総理大臣(第56・57代)、皇學館大学総長 (第2代) などを歴任し、「昭和の妖怪」と呼ばれた。
 134  佐藤胖    小山町Wikipedia
佐藤 胖(さとう ゆたか、1896年(明治29年)1月31日 - 没年不明)は、日本の会社役員、一級建築士。三井建設の常務。科学技術庁長官、内閣官房長官等を歴任した衆議院議員中川秀直の実父。衆議院議員中川俊直の祖父。
 135  佐藤芳男    新潟市Wikipedia
佐藤 芳男(さとう よしお、1896年9月 - 1967年8月29日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)、参議院議員(2期)。
早稲田大学出身      出身の早稲田大学の出身者      全国の早稲田大学の出身者
 136  遠藤寿子    函館市Wikipedia
遠藤 寿子(えんどう ひさこ、1896年10月28日 - 1971年9月24日)は、日本の翻訳家。北海道函館出身。衆議院議員を務めたことのある政治家の家に育った。津田英学塾卒業後、あしながおじさんなどの翻訳を手がけた。
 137  桃井直美    さいたま市Wikipedia
桃井 直美(ももい なおみ、1896年(明治29年)7月10日 - 1966年(昭和41年)1月9日)は日本の政治家、内務官僚。官選岐阜県知事、公選高知県知事。旧姓・公文。
 138  木内四郎    Wikipedia
木内 四郎(きうち しろう、1896年(明治29年)7月3日 - 1988年(昭和63年)8月31日)は、日本の政治家、大蔵官僚。科学技術庁長官。
東京大学出身      出身の東京大学の出身者      全国の東京大学の出身者
 139  鹿島守之助    たつの市Wikipedia
鹿島 守之助(かじま もりのすけ、明治29年(1896年)2月2日 - 昭和50年(1975年)12月3日は、日本の外交官、実業家、政治家、外交史研究家。法学博士。鹿島建設会長。鹿島建設「中興の祖」。参議院議員を18年間務める。第1次岸内閣の国務大臣北海道開発庁長官。文化功労者。戦前よりアジアの地域統合「パン・アジア」(汎アジア)を提唱し、生涯にわたりその思想のもとに行動する。旧姓永富(ながとみ)。
東京帝国大学出身      出身の 東京帝国大学の出身者      全国の 東京帝国大学の出身者
 140  谷村貞治    花巻市Wikipedia
谷村 貞治(やむら ていじ、1896年3月19日 - 1968年4月20日)は、日本の実業家、政治家、教育者、発明家。


評論家
 141  板垣直子    Wikipedia
板垣 直子(いたがき なおこ、1896年11月18日 - 1977年1月21日)は、日本の文芸評論家、日本近代文学研究家。青森県北津軽郡栄村湊(現五所川原市)に平山兼吉の次女「なを」として生まれる。青森県立弘前高等女学校、日本女子大学校英文科卒、1921年、東京帝国大学の第一回女子聴講生となる。美学、哲学を聴講。美術評論家の板垣鷹穂と結婚。夏目漱石などについて多くの著述を行った。
日本女子大学出身      出身の日本女子大学の出身者      全国の日本女子大学の出身者


宗教家・思想家・運動家
 142  谷口輝子    高岡市Wikipedia
谷口 輝子(たにぐち てるこ、1896年3月7日 - 1988年4月24日)は日本の宗教家。生長の家創始者谷口雅春の妻で、生長の家白鳩会初代総裁。富山県高岡市出身。富山県立高岡高等女学校卒業。旧姓江守。
 143  吉田菊太郎    幕別町Wikipedia
吉田 菊太郎(よしだ きくたろう、1896年7月20日 - 1965年1月8日)は昭和時代のアイヌ民族運動家。北海道幕別村のアイヌの首長・トイペウク(庄吉)の子。
 144  由木康牧師)    境港市Wikipedia
由木 康(ゆうき こう、1896年4月16日 - 1985年1月27日)は、日本の牧師、讃美歌作家。日本の讃美歌の発展の中心的な役割を果たし、賛美歌「きよしこの夜」の訳者として知られる。パスカルの研究家で「パンセ」を翻訳した。教育者・郷土史研究者足立正の次男。
 145  平岡宕峯    下蒲刈町Wikipedia
平岡 宕峯(ひらおか とうほう、本名:平岡 静人(ひらおか しずと)、1896年8月24日 - 1994年6月20日)は、清風学園・清風南海学園創立者で、現在も清風学園では校祖、清風南海学園では学父として崇められている。広島県呉市下蒲刈町出身。佛教大学仏教学部卒業。勲三等瑞宝章。名誉哲学博士号(韓国円光大学より)。高野山真言宗大僧正。大阪府私学連合会会長も務めた。
佛教大学出身      出身の佛教大学の出身者      全国の佛教大学の出身者


俳人・歌人・詩人・歌人
 146  宮沢賢治    Wikipedia
宮沢 賢治(みやざわ けんじ、正字:宮澤 賢治、1896年(明治29年)8月27日 - 1933年(昭和8年)9月21日)は、日本の詩人、童話作家。
岩手大学出身      出身の岩手大学の出身者      全国の岩手大学の出身者
 147  海野厚    静岡市Wikipedia
海野 厚(うんの あつし、1896年8月12日 - 1925年5月20日)は、童謡作家、俳人。本名は厚一(こういち)。俳号は長頸子(ちょうけいし)。
早稲田大学出身      出身の早稲田大学の出身者      全国の早稲田大学の出身者
 148  霜田史光    さいたま市Wikipedia
霜田 史光(しもた しこう、- のりみつ、1896年6月19日 - 1933年3月11日)は、日本の詩人、小説家。 埼玉県浦和市(現さいたま市南区)出身。本名は平治。1919(大正8)年詩集『流れの秋』を刊行。野口雨情共編『日本民謡名作集』ほか、剣豪小説を書く。38歳で死去。「しもだ」とも。子孫に第13代さいたま市議会議長、霜田紀子がいる。
 149  村山槐多    岡崎市Wikipedia
村山 槐多(むらやま かいた、1896年〈明治29年〉9月15日 - 1919年〈大正8年〉2月20日)は、明治・大正時代の日本の洋画家で、詩人、作家でもある。愛知県額田郡岡崎町(現在の岡崎市中核)生まれ、京都市上京区育ち。従兄に山本鼎(画家)、はとこに黒柳朝(随筆家)がいる。
 150  鈴木康文    匝瑳市Wikipedia
鈴木 康文(すずき こうぶん、1896年3月5日 - 1997年1月27日)は、日本の歌人。千葉県匝瑳郡栄村堀川生まれ。『橄欖』主宰者の吉植庄亮に師事し、吉植の没後は『橄欖』代表となった。九十九里浜に面する農村に生まれ、農業を続けながら海と農村の歌を詠み続けた農民歌人として知られる。代表歌集に『九十九里』、『新九十九里』、『続々九十九里』などがある。
 151  宮澤賢治    盛岡市Wikipedia
宮沢 賢治(みやざわ けんじ、正字: 宮澤 賢治、1896年8月27日 - 1933年9月21日)は、日本の詩人、童話作家。


その他の職業
 152  栗林元二郎    芽室町Wikipedia
栗林 元二郎(くりばやし もとじろう、1896年 - 1977年)は、農業教育者。農業専門学校『八紘学園(はっこうがくえん)』の創設者。
 153  井出よしの    洲本市Wikipedia
井出 よしの(いで よしの、1896年(明治29年)1月1日 - 2009年(平成21年)1月28日)は、兵庫県洲本市在住だった長寿の女性。113歳と27日間まで生き、死亡当時は世界第9位の長寿であり、日本国内では知念カマ、白石チヨ、田鍋友時に次ぐ第4位であった。
 154  小野渉    幸田町Wikipedia
小野 渉(おの わたる、1896年 - 1989年)は、愛知県出身の郷土史家。
 155  吉田源十郎    安芸市Wikipedia
吉田 源十郎(よしだ げんじゅうろう、1896年3月20日 - 1958年4月4日)は、高知県出身の日本の漆芸家。
 156  野村芳兵衛    関市Wikipedia
野村 芳兵衛(のむら よしべえ、1896年3月26日 - 1986年11月4日)は、日本の教育者。岐阜県洞戸村(現在の関市洞戸地区)の農家に長男として生まれる。家は浄土真宗で特に親鸞に信仰しており、精神形成に大きな影響を残した。真宗の活動家梅原真隆(しんりゅう)に傾倒し、その言葉「純に生きる」を生涯を通じてのモットーとした。
 157  南喜市郎    守山市Wikipedia
南 喜市郎(みなみ きいちろう、明治29年(1896年)10月23日 - 昭和46年(1971年)2月20日)は、家業の醸造業を営む傍ら守山ゲンジボタル生態調査を行い、人工飼育に取り組み羽化に成功した。ほたる保護思想の普及啓発と増殖に務めた。


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