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宝塚・女優・俳優・声優・ナレーター・歌舞伎・能楽・狂言
1 | 柳永二郎 | Wikipedia |
柳 永二郎(やなぎ えいじろう、1895年9月16日 - 1984年4月24日)は、大正 - 昭和期の俳優。新劇畑から、新派に転じて活躍。 |
演奏家・作詞家・作曲家・ミュージシャン
2 | 木岡英三郎 | Wikipedia |
木岡 英三郎(きおか えいざぶろう、1895年3月31日 - 1982年3月15日)は、オルガン奏者。日本のオルガン演奏家草分け。 | ||
3 | 箕作秋吉 | Wikipedia |
箕作 秋吉(みつくり しゅうきち、1895年10月21日 - 1971年5月10日)は、日本のクラシック音楽の作曲家である。箕作元八の長男として東京都に生まれた。箕作阮甫の曾孫にあたる。東洋音楽大学教授。 | ||
4 | 陸奥明 | Wikipedia |
陸奥 明(むつ あきら、1895年(明治28年) - 1971年(昭和46年)8月4日)は昭和期の作曲家。本名菅原陸奥人。歌手菅原都々子の実父である。 |
舞台・演劇・映画・ドラマ・脚本・プロデューサー・ディレクター
5 | 阿部豊 | Wikipedia |
阿部 豊(あべ ゆたか、明治28年(1895年)2月2日 - 昭和52年(1977年)1月3日)は、ハリウッド無声映画期の俳優、また日本の映画監督。 | ||
6 | 川田芳子 新潟市 | Wikipedia |
川田 芳子(かわだ よしこ、1895年10月17日 - 1970年3月23日)は、大正・昭和期の俳優である。日本映画草創期の人気女優である。 | ||
7 | 遠山静雄 | Wikipedia |
遠山 静雄(とおやま しずお、1895年2月15日 - 1986年11月10日[2])は、日本の照明技師。舞台照明の草分け[3][4][5][6]。広島県出身[7]。 | ||
東京工業大学出身 出身の東京工業大学の出身者 全国の東京工業大学の出身者 |
落語家
8 | 林家彦六 品川区 | Wikipedia |
林家 彦六(はやしや ひころく、1895年5月16日 - 1982年1月29日)は、落語家。東京府下荏原郡品川町(現在の品川区)出身。生前は落語協会所属。本名は岡本 義(おかもと よし)。前名の林家正蔵としては8代目。俗に「彦六の正蔵」。 |
ジャーナリスト
9 | 鈴木東民 | Wikipedia |
鈴木 東民(すずき とうみん、1895年(明治28年)6月25日 - 1979年(昭和54年)12月14日)は、日本のジャーナリスト、労働運動家、政治家。岩手県出身。 |
格闘技
10 | 岩木山謙治郎 川西町 | Wikipedia |
岩木山謙治郎(いわきやま けんじろう、1895年11月18日-1935年11月2日)は、清見潟部屋、山科部屋に所属した力士。本名は鈴木 謙次。173cm、90kg。最高位は東前頭15枚目。得意技は突っ張り、左四つ、寄り。 | ||
11 | 内藤克俊 広島市 | Wikipedia |
内藤 克俊(ないとう かつとし、1895年2月25日 - 1969年9月27日)は、広島県広島市本川町(現・中区本川町)出身のレスリング選手[2]。1924年パリオリンピックで銅メダルを獲得し、日本レスリング史上初のオリンピックメダリストとなった[3]。 | ||
鹿児島大学出身 出身の鹿児島大学の出身者 全国の鹿児島大学の出身者 | ||
12 | 伊吹山末吉 近江八幡市 | Wikipedia |
伊吹山末吉(いぶきやますえきち、1895年1月3日-1930年1月16日)は、入間川部屋、出羽海部屋に所属した元力士。8代藤島。本名は坂本末吉。現在の滋賀県近江八幡市出身。189cm、116kg。最高位は西前頭11枚目。 | ||
13 | 能代潟錦作 藤里町 | Wikipedia |
能代潟 錦作(のしろがた きんさく、1895年4月5日 - 1973年6月8日)は、秋田県山本郡藤里町出身の元大相撲力士。本名は石田 岩松(いしだ いわまつ)。 | ||
14 | 紅葉川孝市 鴻巣市 | Wikipedia |
紅葉川 孝市(もみじがわ こういち、1895年3月5日-1967年12月9日)は埼玉県北埼玉郡(現在の鴻巣市)出身の大相撲の力士。最高位は小結。本名は岡戸 孝市(おかど こういち)。引退後は年寄として後進の指導につとめた。 | ||
15 | 宮城山福松 一関市 | Wikipedia |
宮城山 福松(みやぎやま ふくまつ、1895年2月27日 - 1943年11月19日)は、岩手県西磐井郡(現:岩手県一関市)山目町出身の元大相撲力士。第29代横綱。本名は佐藤 福松(さとう ふくまつ)。 |
水泳全般・マリンスポーツ
16 | 斎藤兼吉 佐渡市 | Wikipedia |
齋藤 兼吉(さいとう・かねきち、1895年〈明治28年〉1月2日 - 1960年〈昭和35年〉10月26日)は、日本の体育学者であり、かつ、陸上競技、水泳、野球で超人的活躍をした運動選手であった。 |
競馬・競輪・競艇・その他レース
17 | 田中和一郎 新潟市 | Wikipedia |
田中 和一郎(たなか わいちろう、1895年8月25日 - 1957年1月13日)は、日本の騎手、競走馬調教師。新潟県新潟市出身。 |
囲碁・将棋・麻雀
18 | 菅谷北斗星 栃木市 | Wikipedia |
菅谷 北斗星(すがや ほくとせい、1895年11月27日 - 1962年1月21日)は、日本の将棋観戦記者の草分け。本名菅谷要。 |
漫画家・イラスト・ゲーム
19 | 阪本牙城 あきる野市 | Wikipedia |
阪本 牙城(さかもと がじょう、1895年12月1日 - 1973年8月8日)は、日本の漫画家、水墨画家。本名・坂本雅城(さかもと まさき)。水墨画家としては阪本雅城を用いる。 |
作家・小説家・エッセイ・文筆・翻訳家・編集者
20 | きだみのる 奄美市 | Wikipedia |
きだ みのる(本名・山田吉彦、1895年(明治28年)1月11日 - 1975年(昭和50年)7月25日) は、鹿児島県奄美大島出身の小説家、翻訳者。代表作『気違い部落』シリーズは映画化もされた。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
21 | 横山美智子 | Wikipedia |
横山 美智子(よこやま みちこ、女性、1895年(明治28年) - 1986年(昭和61年)9月30日)は、日本の小説家である。本名は黒田カメヨ(横山寿篤との結婚後も戸籍上の姓は黒田だった)。誕生日は本人がぼかしているためか資料によって異なる。 | ||
22 | 宮井一郎 川本町 | Wikipedia |
宮井一郎(みやい いちろう、1895年3月21日-1991年)は、日本の文芸評論家。 | ||
23 | 塚原健二郎 | Wikipedia |
塚原 健二郎(つかはら けんじろう、1895年2月16日 - 1965年8月7日)は日本の童話作家。大正時代初期から昭和時代中期にかけて活動した。 | ||
24 | 浅原六朗 | Wikipedia |
浅原 六朗(あさはら ろくろう、1895年2月22日 - 1977年10月22日)は、日本の小説家。 | ||
25 | 伊藤野枝 福岡市 | Wikipedia |
伊藤 野枝(いとう のえ、1895年1月21日 - 1923年9月16日)は、日本の婦人解放運動家、無政府主義者、作家。戸籍名では、伊藤ノヱ。 | ||
26 | 堀正旗 広島市 | Wikipedia |
堀 正旗(ほり せいき、1895年3月14日 - 1953年4月28日)は、宝塚歌劇団創成期の劇作家、演出家。理事。広島県広島市生まれ。 | ||
27 | 伊藤松雄 | Wikipedia |
伊藤 松雄(いとう まつお、1895年(明治28年)1月13日 - 1947年(昭和22年)8月5日)は、日本の劇作家、脚本家、演出家である。 | ||
28 | 素木しづ 札幌市 | Wikipedia |
素木 しづ(しらき しづ、1895年3月26日 - 1918年1月29日)は日本の小説家。 | ||
29 | 早川三代治 小樽市 | Wikipedia |
早川 三代治(はやかわ みよじ、1895年(明治28年)6月22日 - 1962年(昭和37年)8月28日)は、北海道小樽市生まれの経済学者、小説家。 |
建築家・建築学者・技術者
30 | 今井兼次 | Wikipedia |
今井 兼次(いまい けんじ、1895年1月11日 - 1987年5月20日)は、日本の建築家。早稲田大学理工学部建築学科卒業。母校の教授を長く勤め、建築作品とともに教育者として研究室から優れた建築家、研究者を多数輩出した。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
31 | 堀口捨巳 本巣市 | Wikipedia |
堀口 捨己(ほりぐち すてみ、1895年1月6日 - 1984年8月18日)は、日本の建築家。ヨーロッパの新しい建築運動に心惹かれ、東大同期生らと従来の様式建築を否定する分離派建築会を結成。後に日本の数寄屋造りの中に美を見出し、伝統文化とモダニズム建築の理念との統合を図った。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
32 | 堀口捨己 本巣市 | Wikipedia |
堀口 捨己(ほりぐち すてみ、1895年1月6日 - 1984年8月18日)は、日本の建築家。ヨーロッパの新しい建築運動に心惹かれ、東大同期生らと従来の様式建築を否定する分離派建築会を結成。後に日本の数寄屋造りの中に美を見出し、伝統文化とモダニズム建築の理念との統合を図った。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
経営者・実業家
33 | 松田恒次 大阪市 | Wikipedia |
松田 恒次(まつだ つねじ、1895年11月24日 - 1970年11月15日)は、大阪府大阪市出身の実業家。 | ||
34 | 中安閑一 | Wikipedia |
中安 閑一(なかやす かんいち、1895年〈明治28年〉4月5日 - 1984年〈昭和59年〉1月31日)は、日本の経営者。元宇部興産会長、元経済団体連合会常任理事、元日本経営者団体連盟常任理事、元経済企画庁経済審議会専門委員、元産業機械統制会理事技術部長。 | ||
東京工業大学出身 出身の東京工業大学の出身者 全国の東京工業大学の出身者 | ||
35 | 牧野キク 富山市 | Wikipedia |
牧野 キク(まきの きく、1895年(明治28年)4月12日 - 1996年(平成8年)6月27日)は、日本の教育者、学校経営者。学校法人藤女子学園理事長、藤女子大学初代学長を務めた。富山県富山市出身。 | ||
36 | 岩崎瀧三 | Wikipedia |
岩崎 瀧三(いわさき たきぞう、1895年(明治28年) - 1965年(昭和40年))は、郡上八幡のサンプル王。岐阜県郡上郡八幡町生まれ。1932年(昭和7年)、大阪市北区に「食品模型岩崎製作所」を設立。当時出回り始めていた食品サンプルの事業化に初めて成功[2]した。第1号のサンプルはオムレツ。妻のつくったオムレツがそのモデルとなった[3]。1955年、故郷の役に立ちたいと郡上八幡に岐阜工場を建設[4]。1963年、岩崎模型製造株式会社に社名変更。2013年現在、いわさきグループの国内シェアは約70%[5]に達し、食品サンプルづくり体験も年間1万人以上が利用する[6]人気サービスに成長した。八幡町の生家は「食品サンプルの創始者 サンプル王 岩崎瀧三の生家」と看板が掲げられ観光スポットとなっている。 | ||
37 | 岩崎彦弥太 | Wikipedia |
岩崎 彦弥太(いわさき ひこやた、1895年9月15日 - 1967年9月8日)は、三菱財閥のオーナー・岩崎家の一員で、三菱合資会社元社長・岩崎久弥の長男。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
38 | 加藤厚太郎 | Wikipedia |
加藤 厚太郎(かとう こうたろう、1895年(明治28年)1月11日[2] - 1959年(昭和34年)2月3日[2])は、日本の実業家、伯爵である。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
39 | 松井豊吉 桐生市 | Wikipedia |
松井 豊吉(まつい とよきち、1895年2月 - 1959年1月23日)は、日本の政治家・実業家。群馬県桐生市出身。 | ||
40 | 伊藤武雄 田原市 | Wikipedia |
伊藤 武雄(いとう たけお、1895年3月1日 - 1984年9月5日)は、日本の中国研究者。日中友好協会副会長を務めた。 | ||
41 | 水品浩 横須賀市 | Wikipedia |
水品 浩(みずしな こう、1895年10月1日 - 1978年4月7日)は日本の実業家。 | ||
42 | 野田誠三 | Wikipedia |
野田 誠三(のだ せいぞう、明治28年(1895年)2月11日 - 昭和53年(1978年)3月28日)は、日本の実業家。阪神電気鉄道社長・会長、阪神百貨店社長、阪神不動産社長、阪神タイガースオーナーなどを歴任。阪神甲子園球場の設計者でもある[2][3]。大阪北ロータリークラブ初代会長。朝日放送元取締役。勲二等瑞宝章受章。1974年野球殿堂入り[4]。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
43 | 坂口二郎 大田市 | Wikipedia |
坂口 二郎(さかぐち じろう、明治28年(1895年)1月19日 - 昭和50年(1975年)6月16日)は日本の実業家。ユニチカ初代社長。旧姓揖野。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
44 | 前川喜作 御所市 | Wikipedia |
前川 喜作(まえかわ きさく、1895年 - 1986年)は、日本の実業家。前川製作所創業者。和敬塾創立者。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
45 | 菊池武範 西予市 | Wikipedia |
菊池 武範(きくち たけのり、1895年11月5日 - 1975年5月14日)は、日本の実業家。タイガー魔法瓶創業者。同社会長を務める菊池嘉人は長男、同社長を務める菊池嘉聡は孫に当たる。 | ||
46 | 清水逸平 狭山市 | Wikipedia |
清水 逸平(しみず いっぺい、1895年(明治28年)11月5日 - 1983年(昭和58年)2月16日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、狭山市名誉市民。入間川ゴム創業者[要出典]。 | ||
47 | 内ヶ﨑贇五郎 富谷市 | Wikipedia |
内ヶ﨑 贇五郎(うちがさき うんごろう 1895年(明治28年)9月25日 – 1982年(昭和57年)9月22日)は、日本の実業家。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 |
その他芸術家
48 | 芹沢けい介 静岡市 | Wikipedia |
芹沢 銈介(芹澤銈介、せりざわ けいすけ、「けい」は金偏に圭、1895年(明治28年)5月13日 - 1984年(昭和59年)4月5日)は、日本の染色工芸家。 |
軍人
49 | 長井満 | Wikipedia |
長井満(ながいみつる、1895年(明治28年)1月16日 - 1978年(昭和53年)12月13日)は、昭和期の大日本帝国海軍軍人。最終階級は従四位勲二等海軍少将。福井県丹生郡殿下村(現福井市風尾町)出身。長井斎藤別当実盛の後裔と伝える浄土真宗勝鬘寺の長井真応住職の四男。長兄に仏教学者長井真琴博士、三兄に真向法の創始者として知られる長井津がいる。弟の長井洗は陸軍中佐。 | ||
50 | 松田巌 | Wikipedia |
松田 巌(まつだ いわお、1895年2月23日 - 1979年3月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
51 | 長勇 粕屋町 | Wikipedia |
長 勇(ちょう いさむ、1895年(明治28年)1月19日 - 1945年(昭和20年)6月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
52 | 佐藤賢了 | Wikipedia |
佐藤 賢了(さとう けんりょう、1895年(明治28年)6月1日 - 1975年(昭和50年)2月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
53 | 有末精三 美唄市 | Wikipedia |
有末 精三(ありすえ せいぞう、1895年(明治28年)5月22日 - 1992年(平成4年)2月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
54 | 大林末雄 名古屋市 | Wikipedia |
大林 末雄(おおばやし すえお、1895年(明治28年)3月8日 - 1983年(昭和58年)4月13日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。愛知県宝飯郡上佐脇出身。 | ||
55 | 宮崎周一 | Wikipedia |
宮崎 周一(みやざき しゅういち、1895年(明治28年)2月6日 - 1969年(昭和44年)10月16日)は、昭和期の日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。兵科は歩兵。 | ||
56 | 森下信衛 | Wikipedia |
森下 信衛(もりした のぶえ、1895年(明治28年)2月2日 - 1960年(昭和35年)6月17日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。愛知県出身。正しくは、「衛」ではなく旧字体の「衞」である。。 | ||
57 | 谷萩那華雄 | Wikipedia |
谷萩 那華雄(やはぎ なかお、1895年(明治28年)8月9日 - 1949年(昭和24年)7月8日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
58 | 岩淵三次 | Wikipedia |
岩淵 三次(いわぶち さんじ、1895年(明治28年)3月2日 - 1945年(昭和20年)2月26日)は、日本の海軍軍人。海兵43期。最終階級は海軍中将。 | ||
59 | 長嶺喜一 上越市 | Wikipedia |
長嶺 喜一(ながみね きいち、明治28年(1895年)6月2日 - 昭和20年(1945年)11月15日)は、大正、昭和期の日本の陸軍軍人。新潟県頸城郡寺野村東山寺(現在の新潟県上越市板倉区)出身。陸士28期・陸大36期。最終階級は陸軍中将。 | ||
60 | 額田坦 | Wikipedia |
額田 坦(ぬかた ひろし、1895年9月5日 - 1976年9月21日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
61 | 有馬正文 日置市 | Wikipedia |
有馬 正文(ありま まさふみ、1895年(明治28)9月25日 - 1944年(昭和19)10月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
62 | 長浜彰 | Wikipedia |
長浜 彰(ながはま あきら、1895年5月23日 - 1947年3月31日)は、日本の陸軍軍人。陸軍憲兵大佐。太平洋戦争時のフィリピン方面軍憲兵隊司令官。戦後、A級戦犯指定で逮捕されたが、B級戦犯としてマニラ軍事裁判で死刑判決を受けた。 | ||
63 | 小川莚喜 土佐市 | Wikipedia |
小川 莚喜(おがわ のぶき、1895年(明治28年)11月12日 - 1944年(昭和19年)2月24日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
64 | 西田正雄 たつの市 | Wikipedia |
西田 正雄(にしだ まさお、1895年(明治28年)10月26日 - 1974年(昭和49年)3月19日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 |
官僚
65 | 奥むめお | Wikipedia |
奥 むめお(おく むめお[2]、本名:奥 梅尾(読み同じ)、1895年10月24日 - 1997年7月7日)は、日本の婦人運動家、政治家。参議院議員を計3期務め、1961年(昭和36年)に勲二等宝冠章を受章、没後に正四位を追賜された。1989年(平成元年)に福井市名誉市民の称号を贈られた[3]。 | ||
日本女子大学出身 出身の日本女子大学の出身者 全国の日本女子大学の出身者 | ||
66 | 田阪美徳 三原市 | Wikipedia |
田阪 美徳(たさかよしのり、1895年 - 1969年)は、日本の造園家。明治神宮・橿原神宮の林苑造成、伊勢神宮の修復などの大事業に多く関わった、神社林苑の計画造成管理の権威。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
67 | 高野源進 | Wikipedia |
高野 源進(たかの げんしん、明治28年(1895年)3月15日 - 昭和44年(1969年)1月4日)は、日本の内務官僚、弁護士。官僚としては主として警察畑を歩き山梨県知事・警視総監などを歴任したが、特に原爆被災時の(官選)広島県知事を務めたことで知られる。 |
公務員
68 | 鈴木九万 水戸市 | Wikipedia |
鈴木 九萬(すずき ただかつ、1895年4月27日 - 1987年4月4日)は、日本の外交官。 |
学者・教授・准教授
69 | 児玉作左衛門 鹿角市 | Wikipedia |
児玉 作左衛門(こだま さくざえもん、1895年(明治28年)12月3日 - 1970年(昭和45年)12月26日)は、秋田県鹿角郡生まれの解剖学者、人類学者。北海道大学名誉教授。アイヌ研究で知られる。 | ||
70 | 森銑三 刈谷市 | Wikipedia |
森 銑三(もり せんぞう、1895年(明治28年)9月11日 - 1985年(昭和60年)3月7日)は、昭和期日本の在野の歴史学者、書誌学者。愛知県碧海郡刈谷町出身。 | ||
71 | 瀬川清子 鹿角市 | Wikipedia |
瀬川 清子(せがわ きよこ、1895年(明治28年)10月20日 - 1984年(昭和59年)2月20日)は日本の民俗学者。元大妻女子大学教授。秋田県出身。 | ||
72 | 河野多麻 浜松市 | Wikipedia |
河野 多麻(こうの たま、1895年10月 - 1985年1月24日)は、日本の国文学者。河野与一の妻。 | ||
73 | 板沢武雄 釜石市 | Wikipedia |
板沢 武雄(いたざわ たけお、1895年1月5日 - 1962年7月15日)は、日本の歴史学者。元東京帝国大学教授、法政大学教授。日本近世史、日蘭貿易史を専門とする。 | ||
74 | 相良守峯 | Wikipedia |
相良 守峯(さがら もりお、1895年(明治28年)4月14日 - 1989年(平成元年)10月16日)は、日本の独文学者、東京大学名誉教授、鶴岡市名誉市民(第一号)、勲二等瑞宝章受章、文化勲章受章。贈従三位(没時叙位)、贈勲一等瑞宝章(没時陞叙)。山形県鶴岡市出身。幼名は鈇太郎(おのたろう)だったが、鉄太郎(てつたろう)と間違えられることが多かったため、数え23歳の年の瀬に郡長の許可を得て守峯と改めた(『茫々わが歳月』p.7)。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
75 | 平泉澄 | Wikipedia |
平泉 澄(ひらいずみ きよし、 1895年(明治28年)2月15日 - 1984年(昭和59年)2月18日)は、日本の歴史学者。専門は日本中世史。国体護持のための歴史を生涯にわたって説き続けたことから、代表的な皇国史観の歴史家といわれており、彼の成し遂げた歴史研究は「平泉史学」と称されている。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
76 | 亀尾英四郎 米子市 | Wikipedia |
亀尾 英四郎(かめお えいしろう、明治28年(1895年)3月10日 - 昭和20年(1945年)10月11日)は日本のドイツ文学者。元東京高等学校教授。 | ||
77 | 河石九二夫 江田島市 | Wikipedia |
河石 九二夫(かわいし くにお、1895年(明治28年)1月17日 - 1973年(昭和48年)1月28日)は、日本の医師、医学者。 | ||
78 | 三宅剛一 浅口市 | Wikipedia |
三宅 剛一(みやけ ごういち、1895年1月1日 - 1982年10月8日)は、日本の哲学者。専攻は臨床哲学・倫理学。歴史学者の三宅正樹は実息。 | ||
岡山大学出身 出身の岡山大学の出身者 全国の岡山大学の出身者 | ||
79 | 富田芳郎 札幌市 | Wikipedia |
富田 芳郎(とみた よしろう、1895年4月8日 - 1982年1月8日)は、日本の地理学者。冨田 芳郎とも綴る。 | ||
80 | 志方益三 | Wikipedia |
志方 益三(しかた ますぞう、1895年8月10日 - 1964年5月8日)は日本の化学者。京都大学教授、名古屋大学教授。 | ||
81 | 住谷悦治 | Wikipedia |
住谷 悦治(すみや えつじ、1895年12月18日 - 1987年10月4日)は、日本の経済学者。同志社大学名誉教授。同大学元総長。大正時代における民本主義(Democracy)の言論家として知られる吉野作造の門下生である。群馬県出身。 | ||
同志社大学出身 出身の同志社大学の出身者 全国の同志社大学の出身者 | ||
82 | 杉村広蔵 函館市 | Wikipedia |
杉村 廣藏(すぎむら こうぞう、1895年10月3日 - 1948年1月8日)は、経済哲学者。旧制東京商科大学(一橋大学の前身)助教授や予科教授を務めていたが、白票事件と呼ばれる学内抗争に巻き込まれ大学を退職したのち、三菱商事監査役等を務めたが早世した。師の左右田喜一郎とともに経済哲学の創始者とされる。東京商科大学経済学博士。 | ||
83 | 鈴木信太郎 春日部市 | Wikipedia |
鈴木 信太郎(すずき しんたろう、1895年6月3日 - 1970年3月4日)は、フランス文学者、日本芸術院会員。 | ||
84 | 八田四郎次 | Wikipedia |
八田 四郎次 (はった しろうじ、1895年1月2日 - 1973年3月21日) は日本の応用化学者。石川県出身。 | ||
85 | 蝋山政道 | Wikipedia |
蝋山 政道(ろうやま まさみち、1895年11月21日 - 1980年5月15日)は、日本の政治学者・行政学者、政治家、お茶の水女子大学名誉教授。民主社会主義の提唱者であり、行政学研究の先駆的存在である。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
86 | 谷川徹三 常滑市 | Wikipedia |
谷川 徹三(たにかわ てつぞう、1895年(明治28年)5月26日 - 1989年(平成元年)9月27日)は、日本の哲学者。法政大学総長などを務めた。愛知県知多郡常滑町(現・常滑市保示町)生まれ。京都帝国大学哲学科卒業。日本芸術院会員。常滑市名誉市民。 | ||
87 | 永田菊四郎 平戸市 | Wikipedia |
永田 菊四郎(ながた きくしろう、1895年(明治28年)11月29日 - 1969年(昭和44年)9月18日)は、長崎県出身の民法学者。法学博士。弁護士。日本大学第5代総長、同名誉総長。 | ||
88 | 増本量 広島市 | Wikipedia |
増本 量(ますもと はかる、1895年(明治28年)1月9日 - 1987年(昭和62年)8月12日)は、日本の金属物理学者。東北大学名誉教授。広島県安芸郡矢賀村(現広島市東区矢賀町)出身。 | ||
東北大学出身 出身の東北大学の出身者 全国の東北大学の出身者 | ||
89 | 林茂助 鶴岡市 | Wikipedia |
林 茂助(はやし もすけ、明治28年(1895年)4月29日 - 平成2年(1990年)10月4日)は、日本の化学者、理学博士、東京工業大学名誉教授、鶴岡工業高等専門学校初代校長。 | ||
90 | 篠遠喜人 下諏訪町 | Wikipedia |
篠遠 喜人(しのとお よしと、1895年2月20日 - 1989年9月16日)は、長野県下諏訪町出身の遺伝学者、科学史家、東京大学名誉教授。国際基督教大学学長。 | ||
91 | 森耕二郎 甲賀市 | Wikipedia |
森 耕次郎(もり こうじろう、1895年(明治28年)2月23日 - 1962年(昭和37年)1月28日は、日本の大正から昭和期における経済学者、九州帝国大学教授。滋賀県出身者として最初の経済学博士(博士登録番号64番)。 |
研究者・研究家・発明家
92 | 加藤宗厚 稲沢市 | Wikipedia |
加藤 宗厚(かとう しゅうこう、1895年7月18日 - 1981年9月22日)は、日本の司書・曹洞宗僧侶。帝国図書館から国立図書館の館長を務めた勲三等を授与された人物。 渡辺重夫によれば、日本十進分類法の著名な研究者の一人。 戸籍上は、明治28年(1895年)7月18日生まれ。小学校へは、明治34年(1901年)4月に入学している。 | ||
93 | 斎藤三郎 野沢温泉村 | Wikipedia |
斎藤 三郎(さいとう さぶろう、1895年(明治28年)8月26日 - 1960年(昭和35年)2月2日)は、日本の野球史研究家、文学研究家。 | ||
94 | 高田保 土浦市 | Wikipedia |
高田 保(たかた たもつ / たかだ たもつ、1895年(明治28年)3月28日[註 1] - 1952年(昭和27年)2月20日)は、茨城県出身の劇作家、随筆家。俳号は羊軒。母方の従兄に近世文学研究者の山口剛がいる。 |
画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家・漆芸家・工芸家
95 | 古賀春江 | Wikipedia |
古賀 春江(こが はるえ、1895年6月18日 - 1933年9月10日)は大正から昭和初期に活躍した日本の男性洋画家である。日本の初期のシュルレアリスムの代表的な画家として知られる。本名は亀雄(よしお)。後に僧籍に入り「古賀良昌(りょうしょう)」と改名した。「春江」はあくまでも通称である。 | ||
大正大学出身 出身の大正大学の出身者 全国の大正大学の出身者 | ||
96 | 宮坂勝 | Wikipedia |
宮坂 勝(みやさか まさる、1895年1月1日 - 1953年4月10日)は、明治から昭和にかけての洋画家。 | ||
97 | 中村研一 宗像市 | Wikipedia |
中村 研一(なかむら けんいち、1895年(明治28年)5月14日 - 1967年(昭和42年)8月28日)は、日本の洋画家。日本芸術院会員。 | ||
98 | 岡田紅陽 十日町市 | Wikipedia |
岡田 紅陽(おかだ こうよう、1895年8月31日 - 1972年11月22日)は、日本の写真家。 | ||
99 | 中山岩太 | Wikipedia |
]] 中山 岩太(なかやま いわた、1895年8月3日 - 1949年1月20日)は、戦前の日本の新興写真を代表する写真家の1人。福岡県柳川市出身。 | ||
100 | 鈴木信太郎 八王子市 | Wikipedia |
鈴木 信太郎(すずき しんたろう、1895年8月16日 - 1989年5月13日)は、洋画家。 | ||
101 | 小倉遊亀 大津市 | Wikipedia |
小倉 遊亀(おぐら ゆき、1895年3月1日 - 2000年7月23日)は、滋賀県大津市出身の日本画家。本名、ゆき。旧姓、溝上。奈良女子高等師範学校卒。 | ||
奈良女子大学出身 出身の奈良女子大学の出身者 全国の奈良女子大学の出身者 | ||
102 | 辻本史邑 田原本町 | Wikipedia |
辻本 史邑(つじもと しゆう、明治28年(1895年)5月3日 - 昭和32年(1957年)12月22日)は、奈良県出身の書家。名は勝巳、字は士礼といい、史邑は号、別号に寧楽庵主人、江村がある。 | ||
103 | 川上澄生 横浜市 | Wikipedia |
川上 澄生(かわかみ すみお、明治28年(1895年)4月10日 - 昭和47年(1972年)9月1日)は、日本の版画家。神奈川県出身。 | ||
104 | 木村荘八 | Wikipedia |
木村 荘八(きむら しょうはち、1893年(明治26年)8月21日 - 1958年(昭和33年)11月18日)は、日本の洋画家、随筆家、版画家。 | ||
105 | 中里無庵 唐津市 | Wikipedia |
中里 無庵(なかざと むあん、1895年(明治28年)4月11日 - 1985年(昭和60年)1月5日) は、陶芸家。唐津焼の重要無形文化財保持者(人間国宝)。12代中里太郎右衛門。本名は中里重雄。 | ||
106 | 池田遙邨 倉敷市 | Wikipedia |
池田 遙邨(いけだ ようそん、1895年(明治28年)11月1日 - 1988年(昭和63年)9月26日)は、倉敷市出身の日本画家。本名は池田昇一。 | ||
京都市立芸術大学出身 出身の京都市立芸術大学の出身者 全国の京都市立芸術大学の出身者 | ||
107 | 宮武東洋 善通寺市 | Wikipedia |
宮武 東洋(みやたけ とうよう、1895年 - 1979年)は、日本の香川県出身の写真家。太平洋戦争中、アメリカにある日系人収容所で隠し持ったレンズでカメラを作り、収容所で暮らす日系人を撮影したことで知られる。 | ||
108 | 岡田紅陽 | Wikipedia |
岡田 紅陽(おかだ こうよう、1895年8月31日 - 1972年11月22日)は、日本の写真家。 | ||
109 | 木口九峰 総社市 | Wikipedia |
木口 九峰(きぐち きゅうほう、本名:木口房四郎、1895年(明治28年)9月1日 - 1969年(昭和44年)11月26日)は、昭和時代の彫刻家。烏城彫(うじょうぼり)の創始者で、昭和天皇に作品を2度献上したほか、身体障害者の自立更生事業としてその製作指導に当たった。 | ||
110 | 三輪休和 萩市 | Wikipedia |
三輪休和(みわ きゅうわ、1895年4月20日 - 1981年10月24日)は日本の陶芸家。第十代三輪休雪。1970年に人間国宝に認定。本名は邦廣。 |
政治家・議員・首長
111 | 本多市郎 南島原市 | Wikipedia |
本多 市郎(ほんだ いちろう、1895年(明治28年)11月11日 - 1959年(昭和34年)4月5日)は、日本の政治家。衆議院議員、参議院議員、行政管理庁長官・地方自治庁長官。正三位勲二等。 | ||
112 | 永田安太郎 岡崎市 | Wikipedia |
永田 安太郎(ながた やすたろう、1895年(明治28年)7月15日 – 1955年(昭和30年)5月13日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(1期)、愛知県会議長、愛知県会議員(4期)などを歴任した。 | ||
113 | 蝋山政道 武蔵野市 | Wikipedia |
蝋山 政道(ろうやま まさみち、1895年11月21日 - 1980年5月15日)は、日本の政治学者・行政学者、政治家、お茶の水女子大学名誉教授。民主社会主義の提唱者であり、行政学研究の先駆的存在である。 | ||
114 | 井川伊平 浦臼町 | Wikipedia |
井川 伊平(いかわ いへい、1895年(明治28年)3月18日 - 1979年(昭和54年)11月2日)は、日本の政治家、弁護士。参議院議員(当選2回)。 | ||
115 | 三浦一雄 | Wikipedia |
三浦 一雄(みうら くにお、1895年4月22日 - 1963年1月30日)は、日本の政治家。 | ||
116 | 三浦義男 大崎市 | Wikipedia |
三浦 義男(みうら よしお、1895年(明治28年)1月8日 - 1965年(昭和40年)2月8日)は、日本の政治家。参議院議員、宮城県知事を歴任した。 | ||
117 | 栗栖赳夫 岩国市 | Wikipedia |
栗栖 赳夫(くるす たけお、1895年7月21日 – 1966年5月10日)は、昭和期の政治家・銀行家。大蔵大臣・経済安定本部総務長官。 | ||
118 | 小野祐之 辰野町 | Wikipedia |
小野 祐之(おの すけゆき、1895年(明治28年)6月 - 1944年(昭和19年)7月18日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・小沢。長男は元塩尻市長の小野光洪[3]。 | ||
119 | 重政庸徳 | Wikipedia |
重政 庸徳(しげまさ ようとく、1895年1月15日 - 1977年9月28日)は日本の政治家。元参議院副議長。衆議院議員の重政誠之は弟。正三位勲一等。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
120 | 竹腰俊蔵 | Wikipedia |
竹腰 俊蔵(たけこし としぞう、1895年 - 1963年3月28日)は、日本の政治家。群馬県知事(第4代)を務めた。群馬県群馬郡箕輪町(のちの箕郷町、現在は高崎市)出身。群馬師範学校(現在の群馬大学教育学部)卒業。 | ||
群馬大学出身 出身の群馬大学の出身者 全国の群馬大学の出身者 | ||
121 | 椎熊三郎 小樽市 | Wikipedia |
椎熊 三郎(しいくま さぶろう、1895年4月11日 - 1965年7月27日)は、日本の政治家。衆議院議員、衆議院副議長(第39代)、衆議院議院運営委員長(第10代)などを務めた。 | ||
122 | 早川元 | Wikipedia |
早川 元(はやかわ はじめ、1895年(明治28年)6月21日 - 1970年(昭和45年)8月4日[2])は、日本の内務官僚。官選県知事、海軍司政長官。 | ||
123 | 船田中 宇都宮市 | Wikipedia |
船田 中(ふなだ なか、1895年(明治28年)4月24日 - 1979年(昭和54年)4月12日)は、日本の政治家。衆議院議員(当選15回)。第51代・第56代衆議院議長、自由民主党副総裁、従二位勲一等旭日桐花大綬章。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
124 | 杉本勝次 | Wikipedia |
杉本 勝次(すぎもと かつじ、1895年11月14日 - 1987年1月2日)は日本の政治家。衆議院議員、福岡県知事などを務めた。 | ||
西南学院大学出身 出身の西南学院大学の出身者 全国の西南学院大学の出身者 | ||
125 | 杉浦喜之助 西尾市 | Wikipedia |
杉浦 喜之助(すぎうら きのすけ、1895年12月1日 - 1975年10月5日)は、日本の政治家。元愛知県西尾市長(2期)。 | ||
126 | 佐々木耕郎 盛岡市 | Wikipedia |
佐々木 耕郎(ささき こうろう、1895年8月21日 - 1978年10月1日)は、日本の政治家。栃木県(旧)日光市長を務めた。 | ||
127 | 南条徳男 室蘭市 | Wikipedia |
南条 徳男(なんじょう とくお、1895年7月7日 - 1974年11月1日)は、日本の政治家。建設大臣・農林大臣。大東文化大学の理事長・学長も務めた。 | ||
128 | 足立実 境港市 | Wikipedia |
足立 実(あだち みのる、明治28年(1895年)1月28日 - 昭和49年(1974年)4月2日)は、日本の政治家。鳥取県境港市長(初代)。 | ||
129 | 桑原幹根 富士吉田市 | Wikipedia |
桑原 幹根(くわはら みきね、1895年8月29日 - 1991年4月11日)は、日本の内務官僚、政治家。愛知県知事を6期24年にわたって務めた。 | ||
130 | 井之口政雄 那覇市 | Wikipedia |
井之口 政雄(いのぐち まさお、明治28年(1895年)4月28日 - 昭和42年(1967年)6月30日)は、日本の政治運動家、革命家、ジャーナリスト、政治家。衆議院議員(1期) | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
131 | 野田武夫 熊本市 | Wikipedia |
野田 武夫(のだ たけお、1895年2月8日 - 1972年6月7日)は、昭和期の日本の政治家。総理府総務長官・自治大臣。現衆議院議員の野田毅は娘婿。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
132 | 大竹作摩 | Wikipedia |
大竹 作摩(おおたけ さくま、1895年3月5日 - 1976年7月16日)は日本の政治家。福島県知事、衆議院議員を務めた。 | ||
133 | 夏堀悌二郎 小樽市 | Wikipedia |
夏堀 悌二郎(なつぼり ていじろう、1895年(明治28年)4月 - 1967年(昭和42年))は、日本の政治家。青森県八戸市の6代目~7代目市長。 | ||
134 | 当間重剛 那覇市 | Wikipedia |
当間 重剛(とうま じゅうごう、1895年3月25日 - 1971年10月20日)は、戦前の沖縄県及び琉球政府の政治家・裁判官。元那覇市長・琉球政府行政主席(1956年11月11日 - 1959年11月10日)。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 |
評論家
135 | 茂森唯士 | Wikipedia |
茂森 唯士(しげもり ただし、1895年4月2日 - 1973年)は、日本のジャーナリスト、評論家。 熊本生まれ。東京外国語学校卒。はじめ左翼だったが、戦時中転向し、戦後も反共の論陣を張った。産経新聞論説委員、世界動態研究所所長、人権擁護調査会常任理事。 | ||
136 | 芳川赳 島原市 | Wikipedia |
芳川 赳(よしかわ たけし、1895年10月20日 - 1951年7月9日)は、美術評論家、作家。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 |
宗教家・思想家・運動家
137 | 西光万吉 御所市 | Wikipedia |
西光 万吉(さいこう まんきち、1895年4月17日 - 1970年3月20日)は、戦前日本の部落解放・社会運動家、政治運動家、エスペランサ、著述家。本名は清原 一隆。 | ||
138 | 八木あき 木曽町 | Wikipedia |
八木 あき(やぎ - 、1895年9月6日-1983年4月30日)は日本の社会運動家。「八木秋子」のペンネームで活動した。 | ||
139 | 山本懸蔵 神栖市 | Wikipedia |
山本懸蔵(やまもと けんぞう、1895年(明治28年)2月20日 - 1939年(昭和14年)3月10日)は、日本の労働運動活動家、日本共産党の活動家。しばしば「山懸」(やまけん)の略称で呼ばれた。日本を脱出してソ連に渡った後、野坂参三の密告によってスパイ容疑で逮捕され、ソ連で処刑された。 | ||
140 | 山田恵諦 太子町 | Wikipedia |
山田 恵諦(やまだ えたい 明治28年(1895年)12月1日 - 平成6年(1994年)2月22日)は、日本の天台宗の僧侶。第253世天台座主を20年つとめ、「比叡山宗教サミット」を開催、また一隅を照らす運動を推進した。行動的だったので「空飛ぶお座主」といわれた。 |
俳人・歌人・詩人
141 | 金子光晴 津島市 | Wikipedia |
金子 光晴(かねこ みつはる、1895年(明治28年)12月25日 - 1975年(昭和50年)6月30日)は、日本の詩人。本名は金子安和(かねこ やすかず)。弟に詩人で小説家の大鹿卓がいる。妻も詩人の森三千代、息子に翻訳家の森乾。 | ||
142 | 八木沼丈夫 | Wikipedia |
八木沼 丈夫(やぎぬま たけお、1895年(明治28年) - 1944年(昭和19年)12月12日)は、日本の陸軍軍属、歌人。日中戦争(支那事変)において日本軍が本格的に宣撫官を導入するきっかけとなった人物。 | ||
143 | 中西悟堂 | Wikipedia |
中西 悟堂(なかにし ごどう、1895年(明治28年)11月16日 - 1984年(昭和59年)12月11日)は、日本の野鳥研究家で歌人・詩人。文化功労者。天台宗僧侶。日本野鳥の会の創立者。本名は富嗣、悟堂は法名。他に筆名として赤吉(しゃくきち)。 | ||
駒澤大学出身 出身の駒澤大学の出身者 全国の駒澤大学の出身者 | ||
144 | 土田耕平 | Wikipedia |
土田 耕平(つちだ こうへい、1895年(明治28年)6月10日 - 1940年(昭和15年)8月12日)は、日本の歌人、童話作家。 | ||
145 | 中村徳也 五城目町 | Wikipedia |
中村 徳也(なかむら とくや、1895年6月10日 - 1939年10月28日)は、日本の歌人である。 | ||
146 | 西島麦南 熊本市 | Wikipedia |
西島 麦南(にしじま ばくなん、1895年1月10日 - 1981年10月11日)は、熊本県出身の俳人。本名西島九州男(にしじま くすお)。熊本県鹿本郡植木町(現・熊本市北区植木町)生まれ。済々黌卒業。1915年、「雲母」の前身「キラヽ」に参加。1916年、武者小路実篤の「新しき村」に参加し、1923年まで農耕に従事。のち上京し飯田蛇笏に師事。俳壇的成功には無欲で、自ら「生涯山廬門弟子」と称し、蛇笏の没後も飯田龍太を助け「雲母」一筋の俳人として活動。蛇笏の好みを受け継ぎ格の高い句を作った。また戦後は岩波書店に勤め30年以上在職、「校正の神様」とたたえられた。1965年文化人間賞受賞。句集に『金剛纂』『人音』『西島麦南全句集』がある。 | ||
147 | 金子光晴 武蔵野市 | Wikipedia |
金子 光晴(かねこ みつはる、1895年(明治28年)12月25日 - 1975年(昭和50年)6月30日)は、日本の詩人。本名は金子安和(かねこ やすかず)。弟に詩人で小説家の大鹿卓がいる。妻も詩人の森三千代、息子に翻訳家の森乾。 | ||
148 | 大木惇夫 広島市 | Wikipedia |
大木 惇夫(おおき あつお、1895年〈明治28年〉4月18日 - 1977年〈昭和52年〉7月19日)は日本の詩人・翻訳者・作詞家。本名は軍一(ぐんいち)。1932年までは篤夫(あつお)と名乗っていた。太平洋戦争(大東亜戦争)中の戦争詩で有名だが、児童文学作品他、「国境の町」などの歌謡曲、「大地讃頌」をはじめとした合唱曲、軍歌(戦時歌謡)、社歌、校歌、自治体歌の作詞も多い。1967年紫綬褒章、1972年勲四等旭日小綬章。 | ||
149 | 松井芒人 | Wikipedia |
松井 芒人(まつい ぼうじん、本名: 源衛、1895年1月25日 - 1980年12月27日)は、日本の歌人、教育者である。 | ||
信州大学出身 出身の信州大学の出身者 全国の信州大学の出身者 |
その他の職業
150 | 知念カマ | Wikipedia |
知念 カマ(ちねん カマ、1895年(明治28年)5月10日 - 2010年(平成22年)5月2日[2])は、かつて長寿世界一だった日本の女性。沖縄県在住。1895年生まれの最後の生き残りである人物でもあった。 | ||
151 | 芹沢銈介 静岡市 | Wikipedia |
芹沢 銈介(芹澤銈介、せりざわ けいすけ、「けい」は金偏に圭、1895年(明治28年)5月13日 - 1984年(昭和59年)4月5日)は、日本の染色工芸家。 | ||
152 | 徳田二次郎 南九州市 | Wikipedia |
徳田 二次郎(とくだ にじろう、1895年6月10日 - 2006年6月12日)は、2005年7月から2006年に他界するまでのほぼ1年間、男性の長寿日本一であった人物。旧電電公社(現・NTT西日本)の元社員。 |