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宝塚・女優・俳優・声優・ナレーター・歌舞伎・能楽・狂言
1 | 左卜全 所沢市 | Wikipedia |
左 卜全(ひだり ぼくぜん、本名:三ヶ島 一郎〈みかじま いちろう〉、1894年2月20日 - 1971年5月26日)は、日本の俳優、オペラ歌手。異母姉は女流歌人の三ヶ島葭子。 | ||
2 | 林正夫 仙台市 | Wikipedia |
林 正夫(はやし まさお、1894年9月 - 没年不明)は、日本の俳優である。本名は林 正雄(読み同)。 | ||
3 | 天寿光希 秋田市 | Wikipedia |
天寿 光希(てんじゅ みつき、9月10日 - )は宝塚歌劇団・星組に所属する男役。 | ||
4 | 五月信子 さいたま市 | Wikipedia |
五月 信子(さつき のぶこ、1894年2月13日 - 1959年7月21日)は、日本の女優。本名・御手洗忍(旧姓名・前川しのぶ)。 |
歌手・シンガー
5 | 勝連盛重 那覇市 | Wikipedia |
勝連盛重(かつれん せいじゅう、明治27年(1894年)1月 - 昭和54年(1979年)6月7日)は、 琉球古典芸能組踊(歌・三線)の重要無形文化財保持者である。 |
モデル・アイドル・タレント・アナウンサー
6 | 徳川夢声 益田市 | Wikipedia |
徳川 夢声(とくがわ むせい、1894年4月13日 - 1971年8月1日)は、日本の弁士、漫談家、作家、俳優。ラジオ・テレビ番組などをはじめ、多方面で活動した日本の元祖マルチタレントとも言える人物である。本名は福原駿雄(ふくはら としお)。「彼氏」「恐妻家」の造語でも知られる。日本放送芸能家協会(現・日本俳優連合)初代理事長。 いわゆる「3つの袋」と言われる、結婚式のスピーチで定番の起源を作った人ではないかと言われているが、その真相は不明である。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 |
演奏家・作詞家・作曲家・ミュージシャン
7 | 井上武士 | Wikipedia |
井上 武士(いのうえ たけし、1894年8月6日 - 1974年11月8日)は、日本の作曲家。東京音楽大学教授。群馬県勢多郡芳賀村(現在の前橋市)出身。 | ||
群馬大学出身 出身の群馬大学の出身者 全国の群馬大学の出身者 | ||
8 | 山口常光 壱岐市 | Wikipedia |
山口 常光(やまぐち つねみつ、1894年(明治27年)5月25日 - 1977年(昭和52年)1月30日)は、日本の陸軍軍人、指揮者、クラリネット奏者。最終階級は陸軍軍楽少佐。陸軍戸山学校軍楽隊長、初代警視庁音楽隊長。 | ||
9 | 宮城道雄 神戸市 | Wikipedia |
宮城 道雄(みやぎ みちお、1894年(明治27年)4月7日 - 1956年(昭和31年)6月25日)は、兵庫県神戸市生まれの作曲家・箏曲家である。旧姓は菅(すが)。十七絃の発明者としても知られる。大検校であったため、広く「宮城検校」と呼ばれた。 |
舞台・演劇・映画・ドラマ・脚本・プロデューサー・ディレクター
10 | 実川延松 大阪市 | Wikipedia |
実川 延松(じつかわ えんしょう、1894年5月17日 - 没年不詳)は、日本の俳優、映画監督である。本名成子 松太郎(なるこ まつたろう)。天活大阪支社の「連鎖劇」から帝キネ設立に参加し、のちに独立、牧野省三、直木三十五、中川紫郎ら大正末期のインディペンデント系プロデューサーと共闘した。 | ||
11 | 古海卓二 北九州市 | Wikipedia |
古海 卓二(ふるみ たくじ、明治27年(1894年)3月3日 - 昭和36年(1961年)4月10日)は、日本の劇作家、作詞家・作曲家、俳優、舞台監督、映画監督、小説家である。獏 与太平・貘 與太平(ばく よたへい)の名で翻案・オリジナルのオペラ作劇により「浅草オペラ」、あるいは横浜の大正活動映画で活動ののちに舞台を京都に移し、「古海卓二」名で映画監督として活躍した。監督としては園池 成男(そのいけ なるお)の名ももつ。俳優としては高倉 健二郎(たかくら けんじろう)を名乗った。 | ||
中央大学出身 出身の中央大学の出身者 全国の中央大学の出身者 | ||
12 | 近藤伊与吉 佐渡市 | Wikipedia |
近藤 伊與吉(こんどう いよきち、1894年 - 1944年)日本の俳優、脚本家、映画監督である。村田実らの起こした新劇の劇団「踏路社」を振り出しに、映画俳優になり、映画も監督し、無声映画時代のスター俳優となったことで知られる。 |
落語家
13 | 三遊亭金馬 墨田区 | Wikipedia |
3代目三遊亭 金馬(さんゆうてい きんば、1894年(明治27年)10月25日 - 1964年(昭和39年)11月8日)は東京本所生まれの日本の落語家。大正・昭和時代に活躍した名人の一人。本名は加藤 専太郎(せんたろう)。出囃子は「本調子カッコ」。 |
ジャーナリスト
14 | 高田元三郎 佐倉市 | Wikipedia |
高田元三郎(たかだ もとさぶろう、1894年1月1日 - 1979年8月27日)は、日本のジャーナリスト。大正期に「ワシントン会議」「ジェノア世界経済会議」等の報道に当たるなど、国際ジャーナリストの先駆的存在として活躍。1972年には勲一等瑞宝章を受章した。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
格闘技
15 | 射水川健太郎 高岡市 | Wikipedia |
射水川 健太郎(いみずがわ けんたろう、1894年5月10日 - 1956年2月3日)は、富山県高岡市出身で大正期の元大相撲力士。本名は松崎 健次(まつざき けんじ、旧姓:麻井)。所属は稲川部屋から高砂部屋。最高位は小結。元幕内鯱ノ里の養父。現役時代の体格は身長173cm、体重90kg。得意手は上突っ張り、右四つ。 | ||
16 | 光風貞太郎 由利本荘市 | Wikipedia |
光風貞太郎(てるかぜ さだたろう、1894年10月1日-1941年11月24日)は、秋田県由利郡子吉村(現在の由利本荘市)出身で1920年代に活躍した大相撲力士である。本名は小番 貞藏。身長178cm、体重94kg。最高位は西小結(1926年1月場所)。得意技は突っ張り、押し、寄り。引退後は年寄待乳山として後進の指導につとめた。 | ||
17 | 太刀ノ海浪右エ門 安来市 | Wikipedia |
太刀ノ海浪右エ門(たちのうみなみえもん、1894年7月25日-1964年8月4日)は、友綱部屋、東関部屋、高砂部屋に所属した元力士。8代木村瀬平。本名は野津貞助(旧姓草間)。現在の島根県安来市出身。174cm、88kg。最高位は西前頭3枚目。 |
野球
18 | 岸一郎 | Wikipedia |
岸 一郎(きし いちろう、1894年10月13日(明治27年) - 没年不明)は、日本の野球選手・監督。福井県敦賀市出身。 |
野球・サッカー以外の球技
19 | 香山蕃 | Wikipedia |
香山 蕃(かやま しげる、1894年2月9日 - 1969年5月3日)は、日本ラグビーフットボール協会(以下、日本ラグビー協会)第3代会長、ラグビー日本代表初代監督。 |
冬季スポーツ
20 | 竹鶴政孝 大阪市 | Wikipedia |
竹鶴 政孝(たけつる まさたか、1894年6月20日 - 1979年8月29日)は、広島県賀茂郡竹原町(現・竹原市)出身の日本の実業家。ウイスキー製造者、技術者。会社経営者。ニッカウヰスキーの創業者であり、サントリーウイスキーの直接的始祖、マルスウイスキーの間接的始祖でもある。これらの業績から「日本のウイスキーの父」と呼ばれる[3]。 |
囲碁・将棋・麻雀
21 | 久保松勝喜代 尼崎市 | Wikipedia |
久保 松勝喜代(くぼまつ かつきよ、1894年(明治27年)10月25日 - 1941年(昭和16年)12月15日)は、囲碁棋士。兵庫県出身。方円社、日本棋院に所属、名誉九段。昭和初期の関西囲碁界の重鎮であり、橋本宇太郎、木谷實らを弟子としながら東京に送り出した他、多くの棋士を育てた。「偉大なる素人」と呼ばれ、大模様の碁を得意とし、初手天元も研究した。連珠八段でもあり、久保松機山を名乗った。 | ||
関西大学出身 出身の関西大学の出身者 全国の関西大学の出身者 |
登山家・冒険家・探検家
22 | 槇有恒 | Wikipedia |
槇 有恒(まき ゆうこう、「ありつね」とも、1894年(明治27年)2月5日 - 1989年(平成元年)5月2日)は、宮城県仙台市出身の日本の登山家。日本山岳会設立者・会長(2期)、日本山岳協会会長・名誉会員を歴任し、ヒマラヤの8,000m峰・マナスル第3次登頂隊長として日本隊のマナスル初登頂を成功させた。近代アルピニズムの開拓者・紹介者。位階は従四位。文化功労者、仙台市名誉市民。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 |
作家・小説家・エッセイ・文筆・翻訳家・編集者
23 | 橘外男 | Wikipedia |
橘 外男(たちばな そとお、1894年10月10日 - 1959年7月9日)は、日本の小説家。石川県出身。甥に少年画報社の漫画編集者で『ヤングコミック』創刊者の橘賢晋がいる。 | ||
24 | 藤森秀夫 | Wikipedia |
藤森 秀夫(ふじもり ひでお、1894年(明治27年)3月1日 - 1962年(昭和37年)12月20日)は、日本のドイツ文学者、童謡作家。別名に藤太彦。 | ||
25 | 北川千代 深谷市 | Wikipedia |
北川 千代(きたがわ ちよ、1894年6月14日 - 1965年10月14日)は、児童文学作家。 埼玉県大寄村(現・深谷市)生まれ。三輪田高等女学校在学中『少女世界』『少女の友』に投稿。1911年病気で中退するが『女学世界』に創作を寄せる。15年江口渙と結婚。19年から『赤い鳥』など童話、少年・少女雑誌に寄稿。21年社会主義女性団体赤瀾会に参加。22年江口と別れ、高野松太郎と同棲。北川幸比古は甥。 | ||
26 | 酒井朝彦 | Wikipedia |
酒井 朝彦(さかい あさひこ、1894年10月1日 - 1969年5月25日)は、児童文学作家。本名・酒井源一。教師、編集者をへて創作に専念。1961から1962年、第5代日本児童文学者協会会長。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
27 | 葉山嘉樹 みやこ町 | Wikipedia |
葉山 嘉樹(はやま よしき、1894年(明治27年)3月12日 - 1945年(昭和20年)10月18日)は日本のプロレタリア文学の作家である。福岡県京都郡豊津村(現・みやこ町)出身。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
28 | 片岡鉄兵 | Wikipedia |
片岡 鉄兵(かたおか てっぺい、1894年(明治27年)2月2日 - 1944年(昭和19年)12月25日)は、大正・昭和前期の小説家。「鉄平」と表記されることもある。 | ||
29 | 宇野喜代之介 水戸市 | Wikipedia |
宇野 喜代之介(うの きよのすけ、1894年 - )は日本の教育者、小説家。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
30 | 仲町貞子 島原市 | Wikipedia |
仲町 貞子(なかまち さだこ、1894年3月22日 - 1966年6月16日)は、昭和初年の作家。 | ||
31 | 朝香祥 高岡市 | Wikipedia |
朝香 祥(あさか しょう、10月8日 - )は小説家。富山県高岡市出身、神奈川県横浜市在住。 | ||
32 | 岡田怡川 高崎市 | Wikipedia |
岡田 怡川(おかだ いせん、1894年7月23日−1984年2月18日)は、日本の教育評論家。本名:岡田怡三雄(おかだいさお)。 | ||
33 | 小牧近江 秋田市 | Wikipedia |
小牧 近江(こまき おうみ、1894年(明治27年)5月11日 - 1978年(昭和53年)10月29日)は、秋田県の土崎港(つちざきみなと、現在の秋田市土崎港)生まれのフランス文学者、翻訳家、社会科学者・社会運動家。法政大学教授。本名、近江谷駧(おうみやこまき)。 | ||
34 | 中村勝馬 函館市 | Wikipedia |
中村勝馬(なかむら かつま、1894年9月18日 - 1982年4月21日)は染織作家、重要無形文化財「友禅」保持者(1955年認定)。東京友禅の代表的な作家であり、友禅染の芸術的向上と作家地位の確立につとめた。 | ||
35 | 上田庄三郎 土佐清水市 | Wikipedia |
上田 庄三郎(うえだ しょうざぶろう、1894年(明治27年)11月10日 - 1958年(昭和33年)10月19日)は、日本の教員、教育評論家である。 |
弁護士
36 | 雑賀愛造 米子市 | Wikipedia |
雑賀 愛造(さいが よしぞう、明治27年(1894年)8月 - 昭和55年(1980年)5月)は日本の弁護士、公証人。旧姓稲田。 | ||
37 | 鈴木義男 | Wikipedia |
鈴木 義男(すずき よしお、1894年1月17日 - 1963年8月25日)は、日本の政治家、法学者、弁護士。 | ||
東北学院大学出身 出身の東北学院大学の出身者 全国の東北学院大学の出身者 | ||
38 | 田岡嘉寿彦 三豊市 | Wikipedia |
田岡 嘉寿彦(たおか かずひこ、1894年7月27日 - 1985年7月21日)は、日本の弁護士、法学者。専門は、私法学。 元大阪経済大学理事長。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
39 | 花井忠 行方市 | Wikipedia |
花井 忠(はない ただし、1894年12月3日 - 1973年10月5日)は、弁護士・検事総長。茨城県生まれ。勲一等瑞宝章受章。岳父は、“在野法曹の雄”と言われた花井卓蔵(元衆議院副議長・法学博士・弁護士) |
建築家・建築学者・技術者
40 | 吉田鉄郎 南砺市 | Wikipedia |
吉田 鉄郎(よしだ てつろう 1894年5月18日 - 1956年9月8日)は日本の建築家。庭園研究家としても知られる。逓信建築の先駆者のひとり、多くのモダニズム建築を設計した。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
41 | 吉田五十八 | Wikipedia |
吉田 五十八(よしだ いそや、1894年(明治27年)12月19日 - 1974年(昭和49年)3月24日)は昭和期に活躍し、和風の意匠である数寄屋建築を独自に近代化した建築家である。東京生まれ。東京美術学校(東京芸術大学)卒業。母校で教壇に立ち、多くの後進を育てる。死後、その功績を記念して、吉田五十八賞が設けられた。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
42 | 山田守 羽島市 | Wikipedia |
山田 守(やまだ まもる、1894年4月19日 - 1966年6月13日)は日本の建築家。逓信建築の先駆者的存在、モダニズム建築を実践し、曲面や曲線を用いた個性的、印象的なデザインの作品を残した。 | ||
東京音楽大学出身 出身の東京音楽大学の出身者 全国の東京音楽大学の出身者 |
経営者・実業家
43 | 竹田儀一 | Wikipedia |
竹田 儀一(たけだ ぎいち、1894年3月24日 - 1973年4月30日)は、日本の弁護士、実業家、政治家。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
44 | 井藤半彌 京都市 | Wikipedia |
井藤 半彌(いとう はんや、1894年9月14日 - 1974年2月6日)は日本の経済学者。専門は財政学。海軍経理学校教授、一橋大学学長、日本学士院会員、自治庁参与、大蔵省税制特別調査会会長、日本ホッケー協会理事、大学基準協会常任理事などを歴任した。経済学博士。 | ||
45 | 谷岡登 桜井市 | Wikipedia |
谷岡 登(たにおか のぼる、1894年12月17日 - 1974年11月22日)は、日本の学校経営者。大阪城東大学(現・大阪商業大学)初代学長、学校法人谷岡学園理事長などを務めた。 | ||
46 | 大屋晋三 | Wikipedia |
大屋 晋三(おおや しんぞう、明治27年(1894年)7月5日 - 昭和55年(1980年)3月9日)は、日本の政治家、実業家。参議院議員。帝人社長、日本・ベルギー協会会長(初代)を歴任。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
47 | 上原六郎 札幌市 | Wikipedia |
上原 六郎(うえはら ろくろう、1894年(明治27年)11月30日 - 1964年(昭和39年)2月3日)は、日本の地方官僚、政治家。北海道札幌市長、札幌観光協会長。 | ||
48 | 太田垣士郎 豊岡市 | Wikipedia |
太田垣 士郎(おおたがき しろう、1894年2月1日 - 1964年3月16日)は、昭和の実業家。贈正四位・勲二等。黒部ダム建設で有名。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
49 | 京極杜藻 米子市 | Wikipedia |
京極 杜藻(きょうごく とそう、明治27年(1894年)4月1日 - 昭和60年(1985年))は、日本の俳人、実業家。元京極運輸商事会長。旧姓桶谷。本名友助。 | ||
50 | 末高信 台東区 | Wikipedia |
末高 信(すえたか まこと、1894年9月4日 - 1989年4月4日)は、日本の商学博士、生命保険修士会名誉会長ならびに 生命保険アンダーライティング学院創立者。東京都台東区出身。 | ||
51 | 根岸寛一 つくば市 | Wikipedia |
根岸 寛一(ねぎし かんいち、明治27年(1894年)11月1日 - 昭和37年(1962年)4月27日)は、戦前日本の映画プロデューサー。昭和10年(1935年)から日本映画の黄金時代である日活多摩川撮影所時代をマキノ満男らとつくりあげる。その後、満州映画協会理事を経て敗戦後はニュース映画を製作する日本映画社(日映)の社長として原爆記録映画を製作。日映を辞したのちは東急資本による東横映画、さらに東京映画配給(のちの東映)の「第四系統」(東宝、松竹、大映の後発組の邦画配給系統の意)に参画するが、公職追放により辞任。追放解除の頃には肺結核が悪化、斯界から引退した。 | ||
52 | 工藤昭四郎 徳島市 | Wikipedia |
工藤 昭四郎(くどう しょうしろう、1894年7月30日 - 1977年10月13日)は、日本の官僚、実業家。日本興業銀行大阪支店長、大蔵省物価部長、復興金融金庫理事長、東京都民銀行頭取、経済同友会代表幹事などをつとめた。従三位勲一等瑞宝章。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
53 | 豊田喜一郎 名古屋市 | Wikipedia |
豊田 喜一郎(とよだ きいちろう、1894年6月11日 - 1952年3月27日)は、日本の経営者、技術者、トヨタ自動車創業者。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
54 | 渡辺武次郎 矢掛町 | Wikipedia |
渡辺 武次郎(わたなべ たけじろう、1894年10月20日 - 1997年12月4日)は日本の実業家。三菱地所の社長や会長を22年間務め、三菱地所中興の祖と呼ばれた。勲一等瑞宝章受章。 | ||
55 | 大江俊明 豊前市 | Wikipedia |
大江 俊明(おおえ としあき、1894年(明治24年)9月27日 - 1954年(昭和29年)4月10日)は、日本の実業家、政治家。昭和前期の福岡県築上郡八屋町(現在の豊前市)の名士。築上新聞および築上産業新聞の創刊者。株式会社大江印刷所社長。 | ||
56 | 大下大蔵 祇園町 | Wikipedia |
大下 大蔵(おおしも だいぞう、1894年3月27日 - 1979年11月6日)は、日本の実業家。フマキラー創業者。広島県安佐郡祇園町(現・広島市安佐南区祇園)出身。 | ||
57 | 竹鶴政孝 竹原市 | Wikipedia |
竹鶴 政孝(たけつる まさたか、1894年6月20日 - 1979年8月29日)は、広島県賀茂郡竹原町(現・竹原市)出身の日本の実業家。ウイスキー製造者、技術者。会社経営者。ニッカウヰスキーの創業者であり、サントリーウイスキーの直接的始祖、マルスウイスキーの間接的始祖でもある。これらの業績から「日本のウイスキーの父」と呼ばれる[2][3]。 | ||
58 | 澤田政廣 熱海市 | Wikipedia |
澤田 政廣(さわだ せいこう、1894年8月22日- 1988年5月1日)は、彫刻家。静岡県熱海市生まれ。本名は寅吉。日本彫塑会名誉会長。 | ||
59 | 重宗雄三 | Wikipedia |
重宗 雄三(しげむね ゆうぞう、1894年(明治27年)2月11日 - 1976年(昭和51年)3月13日)は、昭和期の政治家、実業家。参議院議長を3期9年間にわたり務めた。山口県岩国市出身。 | ||
60 | 竹鶴政孝 余市町 | Wikipedia |
竹鶴 政孝(たけつる まさたか、1894年6月20日 - 1979年8月29日)は、広島県賀茂郡竹原町(現・竹原市)出身の日本の実業家。ウイスキー製造者、技術者。会社経営者。ニッカウヰスキーの創業者であり、サントリーウイスキーの直接的始祖、マルスウイスキーの間接的始祖でもある。これらの業績から「日本のウイスキーの父」と呼ばれる[3]。 | ||
61 | 土井正治 尼崎市 | Wikipedia |
土井 正治(どい まさはる、1894年5月1日 - 1997年5月3日)は、日本の実業家。住友化学工業社長・会長。住友化学の中興の祖でもある。 | ||
62 | 真鍋八千代 | Wikipedia |
真鍋 八千代(まなべ やちよ、男性、1894年(明治27年)2月28日 - 1975年(昭和50年)8月5日)は日本の実業家。弁護士。株式会社後楽園スタヂアム(現・株式会社東京ドーム)第5代社長。日本ボクシングコミッション(JBC)2代目コミッショナー。世界ボクシング協会(WBA)終身名誉会長。 | ||
中央大学出身 出身の中央大学の出身者 全国の中央大学の出身者 |
デザイナー
63 | 永島四郎 長野市 | Wikipedia |
永島 四郎(ながしま しろう、1894年 - 1963年)は日本のフラワーデザイナー、華道家。日本のフラワーデザイン(花卉装飾)における先駆者。 |
医師・看護師
64 | 矢崎芳夫 茅野市 | Wikipedia |
矢崎 芳夫(やざき よしお、1894年4月14日 - 1972年3月9日)は日本の医師、医学者、衛生学者。 | ||
東京慈恵会医科大学出身 出身の東京慈恵会医科大学の出身者 全国の東京慈恵会医科大学の出身者 | ||
65 | 矢追秀武 高畑町 | Wikipedia |
矢追 秀武(やおい ひでたけ、1894年10月11日 - 1970年9月23日)は、大正から昭和にかけて活躍した日本の細菌・ウイルス学者。東京帝国大学教授、国立予防衛生研究所部長、横浜医科大学(現:横浜市立大学)細菌学教授(1951年-1961年)、神奈川歯科大学教授を歴任。精製痘苗の精製(矢追抗原、PVL, Purified vaccine lymph)、溶連菌毒素のトキソイド化の研究で知られる。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
66 | 稲賀幸 境港市 | Wikipedia |
稲賀 幸(いなが こう、1894年(明治27年)12月13日 - 1974年(昭和49年)10月)は日本の医師。元稲賀外科医院長。元鳥取県会議長稲賀龍二の孫。妹しげのは元郵政大臣手島栄の妻。鳥取県済生会境港総合病院院長稲賀潔の祖父。 | ||
67 | 宮良長詳 | Wikipedia |
宮良 長詳(みやら ちょうしょう、1894年1月11日 - 1965年1月30日)は、戦前の沖縄県の医師で、八重山支庁の政治家。 終戦直後に八重山支庁長を務めた。沖縄県石垣市出身。 |
軍人
68 | 岡本清福 | Wikipedia |
岡本 清福(おかもと きよとみ、1894年1月19日 - 1945年8月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。陸軍大学校卒業(37期)。 | ||
69 | 柴崎恵次 加東市 | Wikipedia |
柴崎 恵次(しばざき けいじ、1894年(明治27年)4月9日 - 1943年(昭和18年)11月25日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
70 | 朝倉豊次 黒部市 | Wikipedia |
朝倉 豊次(あさくら ぶんじ、1894年7月6日 - 1966年1月27日)は、日本海軍の軍人、最終階級は海軍少将。 | ||
71 | 黒木剛一 宮崎市 | Wikipedia |
黒木剛一(くろき ごういち、1894年(明治27年)2月16日 - 1972年(昭和47年)5月21日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
72 | 栗原悦蔵 | Wikipedia |
栗原 悦蔵(くりはら えつぞう、1894年(明治27年)3月31日 - 1987年(昭和62年)9月18日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。群馬県前橋市出身。 | ||
73 | 木村松治郎 | Wikipedia |
木村 松治郎(きむら まつぢろう、1894年9月11日 - 1950年1月24日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
74 | 秋草俊 | Wikipedia |
秋草 俊(あきくさ しゅん、1894年(明治27年)4月6日 - 1949年(昭和24年)3月22日)は、昭和期の日本陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。陸軍士官学校(26期)卒。陸軍中野学校校長(初代)を務めた。 | ||
東京外国語大学出身 出身の東京外国語大学の出身者 全国の東京外国語大学の出身者 | ||
75 | 金子繁治 | Wikipedia |
金子 繁治(かねこ しげじ、1894年(明治27年)4月20日 - 1981年(昭和56年)2月19日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
76 | 伊藤忍 | Wikipedia |
伊藤 忍(いとう しのぶ、1894年3月15日 - 1995年11月17日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。陸軍運輸部内で上陸作戦の専門家として認められた人物。 | ||
77 | 中澤佑 | Wikipedia |
中澤 佑(なかざわ たすく、1894年(明治27年)6月28日 - 1977年(昭和52年)12月22日)は、日本の海軍軍人。海兵43期、海大26期。最終階級は海軍中将。 | ||
78 | 酒井原繁松 | Wikipedia |
酒井原 繁松(さかいばら しげまつ、1894年12月28日 - 1947年6月19日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
79 | 矢野英雄 三豊市 | Wikipedia |
矢野 英雄(やの ひでお、1894年(明治27年)11月1日 - 1944年(昭和19年)7月8日)は、日本の海軍軍人。海兵43期。サイパンで戦死、特進により最終階級は海軍中将。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
80 | 花谷正 | Wikipedia |
花谷 正(はなや ただし、1894年(明治27年)1月5日 - 1957年(昭和32年)8月28日)は、日本の陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
81 | 柳本柳作 | Wikipedia |
柳本 柳作(やなぎもと りゅうさく、1894年(明治27年)1月9日 - 1942年(昭和17年)6月5日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
82 | 長谷川喜一 | Wikipedia |
長谷川 喜一(はせがわ きいち、1894年4月15日 - 1944年3月29日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
83 | 三田一也 | Wikipedia |
三田 一也(みた かずや)は日本の元船員、元海軍軍人(予備将校)、元海上保安官。最終階級は、海軍では海軍中佐。海上保安庁では警備救難監(海上保安官の最高位)、海上保安庁次長。戦後、海上自衛隊復活を討議した「Y委員会」の主要メンバー。一貫して再軍備には反対の立場を取った。埼玉県羽生市出身。不動岡中学(後の埼玉県立不動岡高等学校卒業)。 | ||
東京海洋大学出身 出身の東京海洋大学の出身者 全国の東京海洋大学の出身者 | ||
84 | 井桁敬治 | Wikipedia |
井桁 敬治(いげた けいじ、1894年7月13日 - 1944年7月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
85 | 大須賀応 札幌市 | Wikipedia |
大須賀 応(おおすが ことを、1894年1月25日 - 1945年3月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 |
官僚
86 | 藤井崇治 廿日市市 | Wikipedia |
藤井 崇治(ふじい そうじ、1894年7月1日 - 1975年3月18日)は、大正、昭和期の逓信官僚。元電源開発総裁。広島県深安郡山野村(現福山市山野町)出身。 |
学者・教授・准教授
87 | 喜多壯一郎 | Wikipedia |
喜多 壯一郎(きた そういちろう、1894年2月24日 - 1968年1月28日)は、日本の政治家。法学者。専門は国際法。 | ||
88 | 潁原退蔵 新上五島町 | Wikipedia |
潁原 退蔵(えばら たいぞう、1894年2月1日 - 1948年8月30日)は、日本の国文学者。元京都大学教授。文学博士。専門は近世文学。 | ||
89 | 鶴田常吉 三好市 | Wikipedia |
鶴田 常吉(つるた じょうきち、1894年4月10日 - 1988年9月29日)は、日本の教育者。国文学者。四国女子短期大学(現四国大学)初代学長。徳島県三好市出身。広島高等師範学校卒業。 | ||
90 | 山口左仲 | Wikipedia |
山口 左仲(やまぐち さちゅう、1894年4月21日 - 1976年3月11日)は、日本の寄生虫学者。医学博士・理学博士。寄生蠕虫類(吸虫・条虫・線虫・鉤頭虫など)の形態・分類学に関する多くの業績を残した。 | ||
91 | 神田茂 | Wikipedia |
神田 茂(かんだ しげる、1894年2月21日 - 1974年7月29日)は、日本の天文学者。大阪府出身。アマチュア天文家の指導者として有名。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
92 | 五百籏頭眞治郎 | Wikipedia |
五百籏頭 眞治郎(いおきべ しんじろう、1894年(明治27年) - 1958年(昭和33年)10月1日)は日本の経済学者。専門は経済政策、経済思想史、イタリア経済学。神戸大学名誉教授、経済学博士。敬虔なクリスチャンであり、キリスト教所有権思想の研究などを行った。イタリア政府サン・マウリッツ・エ・ラザロ勲章コメンダトーレ章及び教皇庁グレゴリウス・マグヌス章コメンダトーレ章受章。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
93 | 川井清一郎 松本市 | Wikipedia |
川井 清一郎(かわい せいいちろう、1894年3月6日 - 1930年5月17日)は、日本の教育者。 | ||
94 | 国崎定洞 熊本市 | Wikipedia |
国崎 定洞(くにざき ていどう、1894年(明治27年)10月5日 - 1937年(昭和12年)12月10日)は、日本の衛生学者・共産主義者・社会主義者。社会衛生学の創始者。ドイツで日本人の社会主義者グループを組織して、ドイツ共産党日本語部を結成した。しかしソビエト連邦移住後に大粛清により処刑された。 | ||
東京帝国大学出身 出身の 東京帝国大学の出身者 全国の 東京帝国大学の出身者 | ||
95 | 三尾良次郎 日向市 | Wikipedia |
三尾 良次郎(みお りょうじろう、1894年 - 1978年)は、日本の歴史学者。 | ||
96 | 久松潜一 東浦町 | Wikipedia |
久松 潜一(ひさまつ せんいち、1894年12月16日 - 1976年3月2日)は、日本の国文学者。文学博士。 | ||
97 | 藤田敬三 三豊市 | Wikipedia |
藤田 敬三(ふじた けいぞう、1894年3月22日 - 1985年11月29日)は、日本の経済学者。博士(経済学)。大阪経済大学第3代学長。大阪市立大学名誉教授。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
98 | 福本和夫 北栄町 | Wikipedia |
福本 和夫(ふくもと かずお、1894年(明治27年)7月4日 - 1983年(昭和58年)11月16日)は、日本の経済学者・科学技術史家・思想史家・文化史家。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
99 | 石田茂作 岡崎市 | Wikipedia |
石田 茂作(いしだ もさく、1894年11月10日 - 1977年8月10日)は、日本の仏教考古学者。 | ||
筑波大学出身 出身の筑波大学の出身者 全国の筑波大学の出身者 | ||
100 | 福原麟太郎 | Wikipedia |
福原 麟太郎(ふくはら りんたろう、1894年10月23日 - 1981年1月18日)は、日本の英文学者、随筆家。福山市名誉市民。 | ||
東京教育大学出身 出身の東京教育大学の出身者 全国の東京教育大学の出身者 | ||
101 | 国崎定洞 川越市 | Wikipedia |
国崎 定洞(くにざき ていどう、1894年(明治27年)10月5日 - 1937年(昭和12年)12月10日)は、日本の衛生学者・共産主義者・社会主義者。社会衛生学の創始者。ドイツで日本人の社会主義者グループを組織して、ドイツ共産党日本語部を結成した。しかしソビエト連邦移住後に大粛清により処刑された。 | ||
102 | 加藤由作 名古屋市 | Wikipedia |
加藤 由作(かとう よしさく、1894年3月28日 - 1978年11月12日)は日本の保険学者。一橋大学名誉教授。一橋大学商学部長、日本保険学会初代理事長、日本人初の国際保険法会議(AIDA)理事等を歴任。村瀬春雄門下で、従来の保険学に保険法の知見を合わせ、日本の海上保険学の基礎を築いた。 | ||
103 | 鈴木栄太郎 壱岐市 | Wikipedia |
鈴木 栄太郎(すずき えいたろう、1894年9月17日 - 1966年9月20日)は日本の社会学者。農村社会学・都市社会学の泰斗。自然村対行政村の概念を提示。 | ||
104 | 田辺寿利 釧路市 | Wikipedia |
田辺 寿利(たなべ すけとし(または「じゅり」)、1894年3月15日 - 1962年1月25日)は、日本の社会学者。 | ||
105 | 青木誠四郎 松本市 | Wikipedia |
青木 誠四郎(あおき せいしろう、1894年3月15日-1956年12月9日)は、日本の児童・教育心理学者。 | ||
106 | 那須政隆 津島市 | Wikipedia |
那須 政隆(なす せいりゅう、1894年(明治27年)8月15日 - 1987年(昭和62年)5月31日)は、日本の仏教学者。専門は密教。大正大学学長、同大名誉教授、智積院化主(真言宗智山派管長)及び真言宗長者。愛知県龍照院住職。 | ||
107 | 鋳方末彦 宇城市 | Wikipedia |
鋳方 末彦(いかた すえひこ、1894年 - 1976年)は、日本の植物病理学者。農学博士。 |
研究者・研究家・発明家
108 | 松下幸之助 大阪市 | Wikipedia |
松下 幸之助(まつした こうのすけ、1894年〈明治27年〉11月27日 - 1989年〈平成元年〉4月27日)は、日本の実業家、発明家、著述家。 | ||
同志社大学出身 出身の同志社大学の出身者 全国の同志社大学の出身者 | ||
109 | 松下幸之助 和歌山市 | Wikipedia |
松下 幸之助(まつした こうのすけ、1894年〈明治27年〉11月27日 - 1989年〈平成元年〉4月27日)は、日本の実業家、発明家、著述家。 | ||
同志社大学出身 出身の同志社大学の出身者 全国の同志社大学の出身者 | ||
110 | 木村毅 勝央町 | Wikipedia |
木村 毅(きむら き、1894年2月12日 - 1979年9月18日)は、文学評論家、明治文化史の研究家、小説家。 | ||
111 | 柳田泉 | Wikipedia |
柳田 泉(やなぎだ いずみ、男性、1894年(明治27年)4月27日 - 1969年(昭和44年)6月7日)は、明治文学研究者、翻訳家。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 |
画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家・漆芸家・工芸家
112 | 伊原宇三郎 | Wikipedia |
伊原 宇三郎(いはら うさぶろう、1894年10月26日 - 1976年1月5日)は、日本の美術家。徳島県徳島市出身。国内外で活躍した洋画家。古典主義風の重量感のある裸婦像など,数多くの人物画を制作した。またパブロ・ピカソに傾倒し、著書を著して日本にピカソブームを巻き起こした。 | ||
113 | 甲斐庄楠音 京都市 | Wikipedia |
甲斐庄 楠音(かいのしょう ただおと、1894年〈明治27年〉12月23日 - 1978年〈昭和53年〉6月16日)は、大正時代の日本画家、昭和20年代 - 30年代の風俗考証家である。本姓は「甲斐荘」。兄に高砂香料工業創業者である甲斐庄楠香がいる。 | ||
114 | 浜田庄司 益子町 | Wikipedia |
濱田 庄司(はまだ しょうじ、1894年(明治27年)12月9日 - 1978年(昭和53年)1月5日、本名象二)は、主に昭和に活躍した日本の陶芸家。次男の濱田晋作、三男の濱田篤哉、孫(晋作の次男)の濱田友緒はいずれも陶芸家、四男の濱田能生は硝子工芸家。 | ||
115 | 濱田庄司 川崎市 | Wikipedia |
濱田 庄司(はまだ しょうじ、1894年(明治27年)12月9日 - 1978年(昭和53年)1月5日、本名象二)は、主に昭和に活躍した日本の陶芸家。次男の濱田晋作、三男の濱田篤哉、孫(晋作の次男)の濱田友緒はいずれも陶芸家。 | ||
東京工業大学出身 出身の東京工業大学の出身者 全国の東京工業大学の出身者 | ||
116 | 西田半峰 津市 | Wikipedia |
西田 半峰(にしだ はんぽう、1894年 - 1961年7月26日)三重県一志郡七栗村(現・津市)出身の版画家、画商。 | ||
117 | 鈴木千久馬 | Wikipedia |
鈴木 千久馬(すずき ちくま、1894年7月23日 - 1980年9月7日)は、洋画家、日本芸術院会員。 | ||
118 | 加藤顕清 旭川市 | Wikipedia |
加藤 顕清(かとう けんせい、1894年12月19日 - 1966年11月11日)は岐阜県出身[注釈 1]の彫刻家、洋画家。本名、加藤 鬼頭太。 | ||
119 | 速水御舟 | Wikipedia |
速水 御舟(はやみ ぎょしゅう、1894年(明治27年)8月2日 - 1935年(昭和10年)3月20日)は、大正期~昭和初期の日本画家である。本名は蒔田 栄一(まきた えいいち、後に速水に改姓)。 | ||
120 | 田垣内友吉 熊野市 | Wikipedia |
田垣内 友吉(たがいと ともきち、1894年(明治27年)2月11日 - 1931年(昭和6年)10月4日)は三重県生まれの洋画家である。雅号は愛耕と名乗った。 | ||
121 | 及川豪鳳 | Wikipedia |
及川 豪鳳(おいかわ ごうほう、1894年11月23日 - 1970年4月29日)は、日本の画家。本名:一。川端画学校卒。岩手県江刺郡岩谷堂町中町(江刺市を経て、現在の奥州市)生まれ。 | ||
122 | 川西英 神戸市 | Wikipedia |
川西 英(かわにし ひで、Hide Kawanishi、1894年7月9日 - 1965年2月20日) は日本の版画家、画家。本名は川西英雄。 | ||
123 | 加藤顕清 | Wikipedia |
加藤 顕清(かとう けんせい、1894年12月19日 - 1966年11月11日)は北海道旭川市の彫刻家。岐阜県で生まれ、上川中学(現在の旭川東高等学校)を卒業し、その後上京した。 | ||
124 | 荒川豊蔵 多治見市 | Wikipedia |
荒川 豊藏(あらかわ とよぞう、1894年3月21日 - 1985年8月11日)は、昭和を代表する美濃焼の陶芸家。岐阜県多治見市出身。桃山時代の志野に陶芸の原点を求め、古志野の筍絵陶片を発見した牟田洞古窯跡のある大萱に桃山時代の古窯を模した半地上式穴窯を築き、古志野の再現を目指して作陶を重ねた。終には「荒川志野」と呼ばれる独自の境地を確立した。斗出庵、無田陶人と号す。 | ||
125 | 加藤十右衛門 | Wikipedia |
加藤 十右衛門(かとう じゅうえもん、1894年(明治27年)12月21日 - 1974年(昭和49年)10月15日)は日本の陶芸家。岐阜県土岐郡笠原町(現・多治見市)生まれ。八坂窯開窯。 | ||
126 | 武井武雄 岡谷市 | Wikipedia |
武井 武雄(たけい たけお、1894年6月25日-1983年2月7日)は、童画家、版画家、童話作家、造本作家である。 |
政治家・議員・首長
127 | 高橋円三郎 出雲市 | Wikipedia |
高橋 円三郎(たかはし えんざぶろう、明治27年(1894年)9月26日 - 昭和31年(1956年)6月4日)は、日本の実業家、政治家。元衆議院議員。 | ||
128 | 三島誠也 | Wikipedia |
三島 誠也(みしま まさや / せいや[2]、1894年(明治27年)1月 - 1962年(昭和37年)6月1日[3])は、日本の内務・警察官僚。官選県知事。旧姓・大槻。 | ||
129 | 三代八馬兼介 西宮市 | Wikipedia |
3代八馬 兼介(はちうま かねすけ、1894年(明治27年)12月23日 - 1960年(昭和35年)8月12日)は、日本の政治家・貴族院議員[3][4]、兵庫県多額納税者[3][4][5][6]、資産家、実業家。神戸銀行頭取[6][7][8]。八馬汽船相談役[9]。旧名・栄之介。族籍は兵庫県平民[10]。 | ||
130 | 佐伯宗義 立山町 | Wikipedia |
佐伯 宗義(さえき むねよし、1894年(明治27年)2月28日 - 1981年(昭和56年)8月4日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員、富山地方鉄道創業者、立山黒部貫光創業者。 経済学博士、従三位、勲二等、富山市名誉市民、立山町名誉町民。 | ||
131 | 武知勇記 | Wikipedia |
武知 勇記(たけち ゆうき、1894年(明治27年)7月10日 - 1963年(昭和38年)10月11日)は、日本の政治家。伊予市名誉市民・勲一等瑞宝章受章[2]。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
132 | 近藤壌太郎 千曲市 | Wikipedia |
近藤 壌太郎(こんどう じょうたろう、1894年11月13日 - 1977年8月15日)は、日本の内務官僚、弁護士。官選県知事。 | ||
133 | 依光好秋 大月町 | Wikipedia |
依光 好秋(よりみつ よしあき、1894年8月29日 - 1968年1月10日)は、日本のジャーナリスト・政治家。衆議院議員総選挙に通算3回当選した。 | ||
専修大学出身 出身の専修大学の出身者 全国の専修大学の出身者 | ||
134 | 湊栄吉 富山市 | Wikipedia |
湊 栄吉(みなと えいきち、1894年(明治27年) - 1978年(昭和53年))は、日本の政治家。1959年から1971年まで富山市長を3期務めた。 | ||
135 | 大見為次 安城市 | Wikipedia |
大見 為次(おおみ ためじ、1894年5月6日 - 1962年5月)は、日本の政治家。安城町会議員(1920年-1947年)、安城町長(1947年-1952年、2期)、初代安城市長(1952年-1959年、2期)、愛知県会議員(1931年-1955年)、愛知県議会議長(1947年-1950年)。 | ||
136 | 須永好 | Wikipedia |
須永 好(すなが こう、1894年6月13日 - 1946年9月11日)は、日本の農民運動家。元衆議院議員。香川県の「伏石事件」、新潟県の「木崎争議」とともに日本三大小作争議の1つとして有名な「強戸争議」を主導した。 | ||
137 | 山崎巌 大川市 | Wikipedia |
山崎 巌(やまざき いわお、1894年(明治27年)9月16日 - 1968年(昭和43年)6月26日)は、日本の内務官僚、政治家。警保局長、警視総監、内務次官、内務大臣、自治大臣兼国家公安委員会委員長を歴任した。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
138 | 藤岡長敏 五條市 | Wikipedia |
藤岡 長敏(ふじおか ながとし、1894年(明治27年)8月19日 - 1965年(昭和40年)2月21日)は、日本の内務・警察官僚、弁護士。官選県知事。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
139 | 高橋清治郎 大崎市 | Wikipedia |
高橋 清治郎(たかはし せいじろう、1894年(明治27年) - 1957年(昭和32年)12月7日)は日本の政治家。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
140 | 藤本捨助 東かがわ市 | Wikipedia |
藤本 捨助(ふじもと すてすけ、1894年12月12日 - 1963年9月11日)は、日本の政治家、教育者。衆議院議員を5期つとめた。 | ||
141 | 中村三之丞 | Wikipedia |
中村 三之丞(なかむら さんのじょう、1894年9月18日 - 1979年7月8日)は、日本の政治家。衆議院議員。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
142 | 清水重夫 | Wikipedia |
清水 重夫(しみず しげお、1894年(明治27年)1月8日 - 1982年(昭和57年)10月13日)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事、海軍司政長官。旧姓・針谷。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
143 | 尾崎末吉 阿久根市 | Wikipedia |
尾崎 末吉(おざき すえきち、1894年(明治27年)4月5日 - 1982年(昭和57年)8月23日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 | ||
144 | 安倍源基 平生町 | Wikipedia |
安倍 源基(あべ げんき、明治27年(1894年)2月14日 - 平成元年(1989年)10月6日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士。警視庁特別高等警察部長、警視総監、内務大臣を歴任した。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
145 | 安倍寛 長門市 | Wikipedia |
安倍 寛(あべ かん、1894年(明治27年)4月29日 - 1946年(昭和21年)1月30日)は、日本の政治家。衆議院議員(通算2期。第20、21期)。日本進歩党に所属した。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
146 | 佐藤洋之助 古河市 | Wikipedia |
佐藤 洋之助(さとう ようのすけ、1894年7月9日 - 1984年7月7日)は、日本の政治家。所属政党は戦前は立憲政友会→政友会革新同盟→日本進歩党、公職追放解除後は自由党→自由民主党。衆議院議員を通算10期務めた。 | ||
147 | 舟崎由之 佐渡市 | Wikipedia |
舟崎 由之(ふなざき よしゆき、1894年3月7日 - 1966年12月2日)は、新潟県出身の実業家、政治家。日本金属の創業者。三国鋼帯株式会社取締役、舟崎鋼業合資会社代表社員。 | ||
148 | 小林清栄 熊野市 | Wikipedia |
小林 清栄(こばやし きよえい、1894年1月5日 - 1987年12月20日)は三重県生まれの洋画家、政治家である。 | ||
149 | 徳田球一 名護市 | Wikipedia |
徳田 球一(とくだ きゅういち、1894年(明治27年)9月12日 - 1953年(昭和28年)10月14日)は、日本の政治運動家、革命家、弁護士、政治家。衆議院議員(3期)、戦前の非合法政党時代より戦後初期に至るまでの日本共産党の代表的活動家で、戦後初代の書記長を務めた。徳球の愛称で知られる。 | ||
日本大学出身 出身の日本大学の出身者 全国の日本大学の出身者 | ||
150 | 千葉三郎 | Wikipedia |
千葉 三郎(ちば さぶろう、1894年1月25日 – 1979年11月29日)は、昭和期の政治家。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
151 | 森田たま 札幌市 | Wikipedia |
森田 たま(もりた たま、1894年12月19日 - 1970年10月30日)は随筆家。 元参議院議員(1期)。長女はデザイナーの森田麗子、息子に映画プロデューサー森田信。 |
評論家
152 | 江戸川乱歩 名張市 | Wikipedia |
江戸川 乱歩(えどがわ らんぽ、旧字体:江戶川 亂步、男性、1894年(明治27年)10月21日 - 1965年(昭和40年)7月28日)は、大正から昭和期にかけて主に推理小説を得意とした小説家・推理作家である。また、戦後は推理小説専門の評論家としても健筆を揮った。実際に探偵として、岩井三郎探偵事務所(ミリオン資料サービス)に勤務していた経歴を持つ。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
153 | 岡茂雄 | Wikipedia |
岡 茂雄(おか しげお、1894年 - 1989年9月21日)は、日本の編集者、書店主。大正から昭和初頭の日本に於いて、民族・民俗学や考古学専門の書店「岡書院」、山岳書専門の「梓書房」を経営。学術史上の名著となる多くの書籍、雑誌を世に送り出した。長野県東筑摩郡松本町(現松本市)生まれ。民族学者の岡正雄は弟。静岡県立大学元教授で、都市・交通問題評論家の岡並木は息子。 |
宗教家・思想家・運動家
154 | 蓑田胸喜 氷川町 | Wikipedia |
蓑田 胸喜(みのだ むねき、明治27年(1894年)1月26日 - 昭和21年(1946年)1月30日)は日本の反共・右翼思想家。原理日本社主宰、国際反共連盟評議員。 | ||
155 | 柴山全慶 | Wikipedia |
柴山全慶(しばやま ぜんけい、1894年 11月30日 - 1974年 8月29日)は昭和期日本の禅僧。 |
俳人・歌人・詩人
156 | 瀧井孝作 我孫子市 | Wikipedia |
瀧井 孝作(たきい こうさく、1894年(明治27年)4月4日 - 1984年(昭和59年)11月21日)は、日本の小説家、俳人、編集者。俳句を河東碧梧桐に師事し、小説を芥川龍之介、志賀直哉に兄事した。文化功労者。俳号は折柴。 | ||
157 | 瀧井孝作 八王子市 | Wikipedia |
瀧井 孝作(たきい こうさく、1894年(明治27年)4月4日 - 1984年(昭和59年)11月21日)は、日本の小説家、俳人、編集者。俳句を河東碧梧桐に師事し、小説を芥川龍之介、志賀直哉に兄事した。文化功労者。俳号は折柴。 | ||
158 | 高群逸枝 宇城市 | Wikipedia |
高群 逸枝(たかむれ いつえ、本名:イツエ、1894年(明治27年)1月18日 - 1964年(昭和39年)6月7日)は、日本の詩人・民俗学者・日本の「女性史学」の創設者である。 | ||
159 | 西脇順三郎 小千谷市 | Wikipedia |
西脇 順三郎(にしわき じゅんざぶろう、1894年(明治27年)1月20日 - 1982年(昭和57年)6月5日)は日本の詩人、英文学者(文学博士)。戦前のモダニズム・ダダイスム・シュルレアリスム運動の中心人物。水墨画をよくし、東山と号した。小千谷市名誉市民。生前、ノーベル文学賞の候補に挙がっていたものの、翻訳の壁が大きな障害となり、受賞を逸している[2]。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
160 | 瀧井孝作 | Wikipedia |
瀧井 孝作(たきい こうさく、1894年(明治27年)4月4日 - 1984年(昭和59年)11月21日)は、日本の小説家、俳人。俳句を河東碧梧桐に師事し、小説を芥川龍之介、志賀直哉に兄事した。文化功労者。 | ||
161 | 小川晴暘 姫路市 | Wikipedia |
小川 晴暘(おがわ せいよう、1894年3月7日 - 1960年3月18日)は日本の写真家。奈良を中心に各地の仏像を撮り、1922年(大正11年)、美術史家で書家・歌人としても名高い會津八一の勧めを受けて飛鳥園を創業。文化財写真の草分けとして知られる。美術史家小川光暘は次男、写真家小川光三は三男。 | ||
162 | 山本亮 境港市 | Wikipedia |
山本 亮(やまもと りょう、明治27年(1894年)12月14日 - 昭和48年(1973年)2月18日)は、日本の実業家、漢詩人、政治家。鳥取県西伯郡境町長(17代)、町会議員。号大麓。鳥取県平民。 | ||
163 | 栗林一石路 | Wikipedia |
栗林 一石路(くりばやし いっせきろ、1894年(明治27年)10月14日 - 1961年(昭和36年)5月25日)は、日本の俳人である。プロレタリア俳句運動の中心的存在としてだけでなく、小林一茶の評論研究家としても知られる。本名は栗林農夫(くりばやしたみお)。 | ||
164 | 小穴隆一 函館市 | Wikipedia |
小穴 隆一(おあな りゅういち、1894年11月28日 - 1966年4月24日)は、日本の洋画家、随筆家、俳人。俳号は一游亭。 | ||
165 | 金児杜鵑花 余市町 | Wikipedia |
金児 杜鵑花(かねこ とけんか、1894年3月14日 - 1938年2月21日)は大正-昭和時代前期の俳人。本名は農夫雄(のぶお)。新興俳句の命名者でもある。 | ||
166 | 佐藤章 美郷町 | Wikipedia |
佐藤 章(さとう あきら、1894年(明治27年)10月28日 - 1921年(大正10年)11月3日)は、大正時代に活躍した日本の民間パイロット。民間飛行家の草分け。章は飛行家になってからの雅号であり、本名は佐藤要蔵。死後、彼のよき理解者のひとりであった東京日日新聞の小野蕪子からは「飛行詩人」と称された[2]。 | ||
167 | 小穴隆一 | Wikipedia |
小穴 隆一(おあな りゅういち、1894年11月28日 - 1966年4月24日)は、日本の洋画家、随筆家、俳人。俳号は一游亭。 | ||
168 | 田中冬二 | Wikipedia |
田中 冬二(たなか ふゆじ、1894年(明治27年)10月13日 - 1980年(昭和55年)4月9日)は、日本の詩人である。本名は吉之助。 |
その他の職業
169 | 荻原豊次 軽井沢町 | Wikipedia |
荻原 豊次(おぎわら とよじ、1894年 - 1978年)は日本の篤農家。 | ||
170 | 仲村亀二 知念村 | Wikipedia |
仲村 亀二(なかむら かめに、1894年10月3日 - 2004年5月20日)は、男性長寿日本一だった沖縄県島尻郡知念村(現南城市)の男性。 | ||
171 | カール・レイモン 北斗市 | Wikipedia |
カール・ワイデル・レイモン(Carl Weidl-Raymon, 1894年3月28日 - 1987年12月1日)は、オーストリア=ハンガリー帝国出身の食肉職人(マイスター)。第二次世界大戦前から北海道函館市で、ドイツ伝統のハム・ソーセージの製造を長年行った。「胃袋の宣教師」と呼ばれた。 | ||
172 | カール・ワイデル・レイモン 函館市 | Wikipedia |
カール・ワイデル・レイモン(Carl Weidl-Raymon, 1894年3月28日 - 1987年12月1日)は、オーストリア=ハンガリー帝国出身の食肉職人(マイスター)。第二次世界大戦前から北海道函館市で、ドイツ伝統のハム・ソーセージの製造を長年行った。「胃袋の宣教師」と呼ばれた。 | ||
173 | 山中かく 弥富市 | Wikipedia |
山中 かく(やまなか かく、1894年12月11日 - 2008年4月5日)は、世界で6番目の長寿で、日本一の長寿だった女性である。愛知県幡豆郡西尾町(現西尾市)出身。愛知県弥富市に居住していた。 | ||
174 | 国井善弥 | Wikipedia |
国井(國井) 善弥(くにい ぜんや、1894年1月20日 - 1966年8月17日)は日本の武術家。鹿島神流第18代宗家。福島県いわき市常磐関船町宿内出身。 | ||
175 | 中野シツ 柳川市 | Wikipedia |
中野 シツ(なかの シツ、1894年(明治27年)1月1日 - 2007年(平成19年)8月19日)は、世界で4番目の長寿で、日本一の長寿であった女性。福岡県柳川市生まれで、小郡市に在住していた。 | ||
176 | 下地玄信 | Wikipedia |
下地 玄信(しもじ げんしん、明治27年(1894年)6月30日 - 昭和59年(1984年)5月23日)は、日本の公認会計士。民間人で最も重い日本公認会計士協会初代副会長などを歴任[2]。沖縄県宮古島市出身。戦前から、会計士支部の広域化を目指し、監査を国の公認とする日本公認会計士協会設立に尽力した。 |