このサイトに登録されている有名人の数:70,856人
このサイトに登録されている「出身で1893年生まれ」の有名人の数:184人
スポンサーリンク
宝塚・女優・俳優・声優・ナレーター・歌舞伎・能楽・狂言
1 | 二代目林又一郎 | Wikipedia |
二代目 林 又一郎(にだいめ はやし またいちろう、1893年(明治26年)7月3日 - 1966年(昭和41年)12月31日)は、明治末から昭和戦後昭和にかけて活躍した歌舞伎役者。屋号は成駒屋。定紋は花菱三ツ蝶、替紋は又一イ菱。俳名に五色・三蝶。本名は林 長三郎(はやし ちょうざぶろう)。 |
歌手・シンガー
2 | 原信子 八戸市 | Wikipedia |
原 信子(はら のぶこ、1893年9月10日 - 1979年2月15日)は、日本の声楽家、大正時代から昭和時代にかけて活躍した国際的オペラ・ソプラノ歌手。五十嵐喜芳、大谷冽子、増田晃久、久富吉晴、松浦知恵子(ピアニスト)、松島詩子、伊藤京子、宗孝夫等多くの歌手を育てた。 |
モデル・アイドル・タレント・アナウンサー
3 | 都家文雄 野洲市 | Wikipedia |
都家 文雄(みやこや ふみお、1893年3月1日 - 1971年5月4日)は大正・昭和期の漫才師。本名・苗村 正次。 |
演奏家・作詞家・作曲家・ミュージシャン
4 | 五十嵐悌三郎 鶴岡市 | Wikipedia |
五十嵐 悌三郎(いがらし ていざぶろう、明治26年(1893年)9月21日 - 昭和15年(1940年)5月1日)は、山形県西田川郡栄村(現・鶴岡市)出身の、作曲家、音楽教育者。 | ||
5 | 成田為三 北秋田市 | Wikipedia |
成田 為三(なりた ためぞう、1893年(明治26年)12月15日 - 1945年(昭和20年)10月29日)は、秋田県出身の日本の作曲家。 | ||
6 | 草川信 | Wikipedia |
草川 信(くさかわ しん、1893年2月14日 - 1948年9月20日)は作曲家。 | ||
7 | 大村能章 | Wikipedia |
大村 能章(おおむら のうしょう、1893年(明治26年)12月13日 - 1962年(昭和37年)1月23日)は昭和期の作曲家。本名大村秀弌。 |
舞台・演劇・映画・ドラマ・脚本・プロデューサー・ディレクター
8 | 山根幹人 大田市 | Wikipedia |
山根 幹人(やまね みきと、-みきひと、1893年12月28日 - 1947年8月11日)は、日本の映画監督、映画理論家である。 | ||
9 | 金森萬象 京都市 | Wikipedia |
金森 萬象(かなもり ばんしょう、1893年7月10日 - 1982年11月9日)は、日本の映画監督、脚本家である[3][4][5][6][7][8][9][10]。新漢字表記金森 万象[7][8][9][10]、本名金森 政次郎(かなもり まさじろう)[3][4][5]。牧野省三の映画最初期の助手であり、脚本・寿々喜多呂九平、撮影・石野誠三とのトリオがマキノ最盛期の映画製作を支え、マキノの歴史とともにある人物として知られる[6][11]。 |
ジャーナリスト
10 | 鈴木茂三郎 蒲郡市 | Wikipedia |
鈴木 茂三郎(すずき もさぶろう、1893年2月7日 - 1970年5月7日)は、日本の政治家、第2代日本社会党委員長。ジャーナリスト、エッセイストとしても知られた。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
11 | 田村栄太郎 | Wikipedia |
田村 栄太郎(たむら えいたろう、1893年(明治26年)9月25日 - 1969年(昭和44年)11月29日)は歴史家で、反骨・在野の民間史学者だった。遊郭街で育ったことから幼少時から遊女らと交渉を持った。風俗関係に関する研究で知られ、数多くの著書を出した。 | ||
12 | 山根キク 萩市 | Wikipedia |
山根 キク(やまね きく、1893年6月1日 - 1965年4月23日)は、日本の考古学、歴史学の女性ジャーナリスト。政治家。本名は山根 菊子(やまね きくこ)。 |
格闘技
13 | 小西康裕 高松市 | Wikipedia |
小西 康裕(こにし やすひろ、1893年(明治26年) - 1983年(昭和58年))は、日本の空手家、武道家。神道自然流開祖。全日本空手道連盟(旧)(現在の錬武会)初代副会長。 | ||
14 | 山本晴介 香南市 | Wikipedia |
山本 晴介(やまもと はるすけ、1893年(明治26年)5月20日 - 1978年(昭和53年)12月25日)は、日本の武道家。段位は全日本剣道連盟居合道範士九段、剣道教士七段。流派は無双直伝英信流。 | ||
15 | 末次留蔵 久留米市 | Wikipedia |
末次 留蔵(すえつぐ とめぞう、1893年(明治26年)2月27日 - 1975年(昭和50年)6月15日)は、日本の剣道家。段位は剣道範士七段、居合道範士八段、銃剣道範士八段。夢想神伝流居合を九州に広めた。 | ||
16 | 駒泉徳治郎 大崎市 | Wikipedia |
駒泉徳治郎(こまいずみとくじろう、1893年4月11日-1959年2月24日)は、井筒部屋に所属した元力士。10代大嶽。本名は高橋徳治郎。現在の宮城県大崎市出身。180cm、96kg。最高位は東前頭2枚目。 | ||
17 | 千葉ヶ崎俊治 富里市 | Wikipedia |
千葉ヶ嵜 俊治(ちばがさき としじ、1893年4月10日 - 1933年1月16日)は、千葉県印旛郡富里町(現:千葉県富里市)出身の元大相撲力士。本名は玉ノ井 俊治(たまのい としじ)(旧姓:宍倉)。 | ||
18 | 豊國福馬 大分市 | Wikipedia |
豊國 福馬(とよくに ふくま、1893年8月9日 - 1942年5月5日)は、大分県大分市下郡滝尾出身の元大相撲力士。本名は高橋 福馬(たかはし ふくま)。 | ||
19 | 清瀬川敬之助 横手市 | Wikipedia |
清瀬川 敬之助(きよせがわ けいのすけ、1893年11月1日 - 1967年7月1日)は、秋田県平鹿郡大森町(現:秋田県横手市)出身の元大相撲力士。本名は三輪 敬之助(みわ けいのすけ)(旧姓:守屋)。 5代伊勢ヶ濱。 | ||
20 | 千葉ヶ嵜俊治 富里市 | Wikipedia |
千葉ヶ嵜 俊治(ちばがさき としじ、1893年4月10日 - 1933年1月16日)は、千葉県印旛郡富里町(現:千葉県富里市)出身の元大相撲力士。本名は玉ノ井 俊治(たまのい としじ)(旧姓:宍倉)。 | ||
21 | 友ノ浦喬次 岡山市 | Wikipedia |
友ノ浦喬次(とものうら きょうじ、1893年3月16日 - 1971年12月29日)は、明治・大正期の元大相撲力士。岡山県岡山市出身、出羽海部屋に所属していた。本名は大倉喬次。最高位は東前頭7枚目(1922年1月場所)。現役時代の体格は166cm、90kg。得意手は左四つ、吊り、寄り。 |
野球
22 | 池田豊 武蔵野市 | Wikipedia |
池田 豊(いけだ ゆたか、1893年9月24日 - 1952年10月21日)は、東京府北多摩郡武蔵野村(現:武蔵野市)出身のプロ野球監督・審判。 |
冬季スポーツ
23 | 玉村方久斗 京都市 | Wikipedia |
玉村 方久斗(たまむら ほくと、本名:善之助、1893年11月13日 - 1951年11月8日)は、大正から昭和初期に、日本画における前衛を追求したことで知られる日本画家[3]。別号に、連城、北斗がある[3]。本名の玉村善之助、またタマムラ・ゼンノスキーと名乗っての活動もあった[4]。 |
陸上競技全般
24 | 茂木善作 酒田市 | Wikipedia |
茂木 善作(もぎ ぜんさく、1893年12月10日 - 1974年12月24日)は、日本の陸上競技選手、スポーツ指導者、教員。山形県飽海郡本楯村(現・酒田市)の出身で、山形県初のオリンピック選手である。また、第1回箱根駅伝で最終10区を走り、11分52秒差を覆して東京高等師範学校(現・筑波大学)を優勝に導いた。 |
漫画家・イラスト・ゲーム
25 | 入江紀子 | Wikipedia |
入江 紀子(いりえ のりこ、11月6日 - )は、漫画家。秋田県出身。 |
作家・小説家・エッセイ・文筆・翻訳家・編集者
26 | 村岡花子 甲府市 | Wikipedia |
村岡 花子(むらおか はなこ、1893年〈明治26年〉6月21日 - 1968年〈昭和43年〉10月25日)は、日本の翻訳家・児童文学者。児童文学の翻訳で知られ、モンゴメリの著作の多くと、エレナ・ポーター、オルコットなどの翻訳を手がけた。基督教文筆家協会(現日本クリスチャン・ペンクラブ)初代会長(在任、1952年〈昭和27年〉6月 - 1958年〈昭和33年〉10月)。 | ||
27 | 大泉黒石 長崎市 | Wikipedia |
大泉 黒石(おおいずみ こくせき、1893年(明治26年)10月21日/1894年(明治27年)7月27日 - 1957年(昭和32年)10月26日)は日本の作家、ロシア文学者。自称「国際的の居候」。アナキスト的思想を盛り込んだ小説『老子』『人間廃業』などのベストセラーがある。 | ||
28 | 土師清二 瀬戸内市 | Wikipedia |
土師 清二(はじ せいじ、1893年9月14日 - 1977年2月4日)は、日本の小説家。 | ||
29 | 岩田豊雄 横浜市 | Wikipedia |
獅子 文六(しし ぶんろく、1893年(明治26年)7月1日 - 1969年(昭和44年)12月13日)は、日本の小説家、演出家。本名は、岩田 豊雄(いわた とよお)。演劇の分野では本名で活動した。日本芸術院会員、文化勲章受章。号は牡丹亭。 | ||
30 | 今野賢三 秋田市 | Wikipedia |
今野 賢三(いまの けんぞう、1893年8月26日 - 1969年10月18日)は、プロレタリア文学の作家。秋田県南秋田郡土崎港町(現・秋田市)生まれ。本名・賢蔵。 | ||
31 | 獅子文六 横浜市 | Wikipedia |
獅子 文六(しし ぶんろく、1893年(明治26年)7月1日 - 1969年(昭和44年)12月13日)は、日本の小説家、演出家。本名は、岩田 豊雄(いわた とよお)。演劇の分野では本名で活動した。日本芸術院会員、文化勲章受章者。号は牡丹亭。愛媛県宇和島市津島町に句碑がある。 | ||
32 | 金子洋文 秋田市 | Wikipedia |
金子洋文(かねこ ようぶん、1893年4月8日 - 1985年3月21日)は、プロレタリア文学の小説家、劇作家、日本社会党参議院議員。 | ||
33 | 甲賀三郎 日野町 | Wikipedia |
甲賀 三郎(こうが さぶろう、1893年(明治26年)10月5日 - 1945年(昭和20年)2月14日)は、小説家・作家・推理作家、戯曲作家。本名は春田 能為(はるた よしため)。 | ||
34 | 獅子文六 渋谷区 | Wikipedia |
獅子 文六(しし ぶんろく、1893年(明治26年)7月1日 - 1969年(昭和44年)12月13日)は、日本の小説家、演出家。本名は、岩田 豊雄(いわた とよお)。演劇の分野では本名で活動した。日本芸術院会員、文化勲章受章者。号は牡丹亭。愛媛県宇和島市津島町に句碑がある。 | ||
35 | 浜田廣介 | Wikipedia |
浜田 広介(はまだ ひろすけ、旧字体:濱田 廣介、1893年(明治26年)5月25日 - 1973年(昭和48年)11月17日)は、日本の童話作家。本名は廣助。日本児童文芸家協会初代理事長。代表作に『泣いた赤鬼』『椋鳥の夢』『竜の目の涙』などがある。坪田譲治、小川未明とともに児童文学界の三種の神器と呼ばれた。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
36 | 浜田広介 | Wikipedia |
浜田 広介(はまだ ひろすけ、旧字体:濱田 廣介、1893年(明治26年)5月25日 - 1973年(昭和48年)11月17日)は、日本の童話作家。本名は廣助。日本児童文芸家協会初代理事長。代表作に『泣いた赤鬼』『椋鳥の夢』『竜の目の涙』などがある。坪田譲治、小川未明とともに児童文学界の三種の神器と呼ばれた。 |
弁護士
37 | 山本粂吉 | Wikipedia |
山本 粂吉(やまもと くめきち、1893年(明治26年)7月25日 - 1974年(昭和49年)2月17日)は日本の政治家、弁護士。旧姓は瀬尾。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 |
建築家・建築学者・技術者
38 | 岩元禄 鹿児島市 | Wikipedia |
岩元 禄(いわもと ろく 1893年5月23日- 1922年12月24日)は日本の大正期の建築家。逓信建築の先駆け、斬新なデザインの作品を設計したが、病気のため早世した。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
39 | 小倉強 仙台市 | Wikipedia |
小倉 強(おぐら つよし、1893年3月7日 - 1980年2月23日)は日本の建築家、建築史家。仙台生まれ。東北地方の民家についての調査を精力的に行う。仙台の歴史的建造物の保存にも影響を与えた。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 |
経営者・実業家
40 | 前田久吉 | Wikipedia |
前田 久吉(まえだ ひさきち、1893年(明治26年)4月22日 - 1986年(昭和61年)5月4日)は日本の実業家、政治家。 | ||
41 | 田路舜哉 宍粟市 | Wikipedia |
田路 舜哉(とうじ しゅんや、1893年11月12日 - 1961年7月5日)は、日本の実業家。住友商事の創業者。「ケンカ田路」・「ムラマサ(名刀村正の意)」の異名をもち、住友商事の「建業の大宗」と称された。 | ||
42 | 伊藤豊次 札幌市 | Wikipedia |
伊藤 豊次(いとう とよじ、1893年(明治26年)6月 - 1962年(昭和37年)11月2日)は、日本の実業家・政治家。北海道札幌出身。伊藤組土建初代代表取締役社長。北海道庁立札幌中学校卒。 | ||
43 | 酒井忠悌 鶴岡市 | Wikipedia |
酒井 忠悌(さかい ただやす、1893年6月6日 - 1962年11月28日)は、出羽庄内藩11代藩主、伯爵・酒井忠篤の四男。鶴城書道会会長。致道博物館顧問。東北農家研究所相談役。山形県社会教育委員。通称は小三郎、号は南荘。子に酒井忠一。 | ||
44 | 南喜一 | Wikipedia |
南 喜一(みなみ きいち、1893年2月19日 - 1970年1月30日)は、昭和期の男性実業家。元国策パルプ(日本製紙の前身の一つ)会長。通称「ガマ将軍」(友人の尾崎士郎が命名者とされる。なお、南は人生劇場の登場人物のモデルの一人でもある)。 | ||
45 | 柳田誠二郎 足利市 | Wikipedia |
柳田 誠二郎(やなぎた せいじろう、1893年(明治26年)9月2日 - 1993年(平成5年)11月18日)は、日本の実業家。日本航空社長を務めた。 | ||
46 | 松島瀧三 白河市 | Wikipedia |
松島 瀧三(まつしま たきぞう、1893年(明治26年)8月 - 没年不明)は、日本の実業家。日本毛皮革代表。 | ||
47 | 山崎種二 高崎市 | Wikipedia |
山崎 種二(やまざき たねじ、1893年12月8日 - 1983年8月10日)は、日本の相場師・実業家・教育家。山種証券株式会社(現SMBC日興証券株式会社)、山種物産株式会社(現株式会社 アサヒトラスト→解散)、株式会社ヤマタネの創業者であり、米相場と株式相場において成功を収める。山崎富治は次男、味の素創業家・鈴木家とは縁戚である(鈴木三千代の次女が富治の夫人)。孫は株式会社ヤマタネ社長の山崎元裕。 | ||
48 | 高垣勝次郎 尾道市 | Wikipedia |
高垣 勝次郎(たかがき かつじろう、1893年10月26日 - 1967年4月30日)は、実業家。 旧三菱商事最後の社長で、戦後財閥解体された三菱商事を再興し初代社長も務めた。広島県尾道市出身。東京銀行の最後の頭取及び東京三菱銀行の初代頭取を務めた高垣佑は息子。 | ||
49 | 藤井深造 庄原 | Wikipedia |
藤井 深造(ふじい しんぞう、1893年12月13日 - 1970年9月8日)は大正~昭和期の実業家。新生三菱重工業初代社長。 広島県三次郡庄原(現庄原市)出身。 | ||
50 | 近藤泰助 五城目町 | Wikipedia |
近藤 泰助(こんどう たいすけ、1893年(明治26年)3月16日 - 1962年(昭和37年)4月18日)は、秋田県生まれの実業家である。医療組合の設立や総合病院の開設など地域医療の充実に奔走した。 | ||
51 | 一力次郎 仙台市 | Wikipedia |
一力 次郎(いちりき じろう、1893年(明治26年)8月12日 - 1970年(昭和45年)7月7日)は、日本の実業家。河北新報社元社長、会長、社主。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
52 | 稲村坦元 さいたま市 | Wikipedia |
稲村 坦元(いなむら たんげん、明治26年(1893年)4月19日 - 昭和63年(1988年)4月17日)は日本の曹洞宗僧、郷土史家。東京都、埼玉県において文化財の調査保護に携わる傍ら、埼玉郷土会を設立、自治体史の編纂にも関わり、埼玉県の郷土史研究を主導した。晩年は永平寺副監院、埼玉県郷土文化会名誉会長。勲四等瑞宝章。 | ||
53 | 山本為三郎 大阪市 | Wikipedia |
山本 為三郎(やまもと ためさぶろう、1893年(明治26)4月24日 - 1966年(昭和41)2月4日)は、実業家。大阪市中央区船場生まれ。「ビール王」、「ホテル王」と呼ばれた。 | ||
54 | 岩切章太郎 宮崎市 | Wikipedia |
岩切 章太郎(いわきり しょうたろう、1893年5月8日 - 1985年7月16日)は日本の実業家。宮崎交通グループの創業者。宮崎県宮崎市出身。 |
医師・看護師
55 | 大沼貞蔵 | Wikipedia |
大沼 貞藏(おおぬま ていぞう、旧姓:吉田、1893年〈明治26年〉1月23日 - 1974年〈昭和49年〉8月1日)は、日本の医師。医学博士。(社)山形県医師会会長〈初代〉。(社)山形市医師会会長〈初代、第5代〔法人化以前からの通算では第7代、第11代〕〉。山形市医師連盟委員長〈初代〉。山形市立病院済生館館長〈第10代〉。大日本帝国陸軍軍医大尉。 | ||
56 | 操坦道 和泊町 | Wikipedia |
操 坦道(みさお たんどう、1893年1月2日 - 1994年9月11日)は、日本の医学者、内科学者、感染症学者、ウイルス学者。臨床医学の日本における紹介者で[3]、ウイルス性疾患研究の第一人者だった[4]。九州大学名誉教授、日本感染症学会名誉会員。 | ||
九州大学出身 出身の九州大学の出身者 全国の九州大学の出身者 | ||
57 | 上條秀介 松本市 | Wikipedia |
上條秀介(かみじょうしゅうすけ、1893年12月22日 - 1956年5月19日)は日本の医師。1928年(昭和3年)に昭和医学専門学校(現・昭和大学)を設立し、日本病院協会(現・日本病院会)の初代会長も務めた。勲四等瑞宝章、従五位に叙された。 |
軍人
58 | 木下勇 | Wikipedia |
木下 勇(きのした いさむ、1893年(明治26年)11月4日 - 1945年(昭和20年)7月7日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。最後の功一級金鵄勲章受章者。 | ||
59 | 樋口敬七郎 | Wikipedia |
樋口 敬七郎(ひぐち けいしちろう、1893年(明治26年)11月22日 - 1971年(昭和46年)12月4日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
60 | 青木重誠 | Wikipedia |
青木 重誠(あおき しげまさ、1893年3月15日 - 1943年6月29日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
61 | 森友一 | Wikipedia |
森 友一(もり ともかず/もり ともいち、1893年(明治26年)2月28日 - 1959年(昭和34年)1月23日)は、日本海軍の軍人。操艦の名手といわれ、太平洋戦争において重巡洋艦・「羽黒」艦長として歴戦。のち第一水雷戦隊司令官を務めた海軍少将である。 | ||
62 | 岡田次作 | Wikipedia |
岡田 次作(おかだ じさく、1893年(明治26年)8月13日 - 1942年(昭和17年)6月5日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
63 | 三好輝彦 竹田市 | Wikipedia |
三好 輝彦(みよし てるひこ、1893年(明治26年)11月15日 - 1943年(昭和18年)6月8日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
64 | 田副登 | Wikipedia |
田副 登(たぞえ のぼる、1893年(明治26年)12月13日 - 1948年(昭和23年)7月24日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
65 | 山形政二 米子市 | Wikipedia |
山形 政二(やまがた せいじ / まさじ、1893年(明治26年)2月6日 - 1944年(昭和19年)2月6日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
66 | 中熊直正 | Wikipedia |
中熊 直正(なかぐま なおまさ、1893年7月18日 - 1942年11月7日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
67 | 田中新一 釧路市 | Wikipedia |
田中 新一(たなか しんいち、1893年(明治26年)3月18日- 1976年(昭和51年)9月24日)は、大正・昭和時代の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
68 | 中永太郎 旭川市 | Wikipedia |
中 永太郎(なか えいたろう、1893年9月17日 - 1969年4月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
69 | 加来止男 八代市 | Wikipedia |
加来 止男(かく とめお、1893年(明治26年)11月8日 - 1942年(昭和17年)6月6日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。空母「飛龍」艦長をつとめ、ミッドウェー海戦で戦死した。 | ||
70 | 影佐禎昭 柳津村 | Wikipedia |
影佐 禎昭(かげさ さだあき、明治26年(1893年)3月7日 - 昭和23年(1948年)9月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
71 | 黒島亀人 呉市 | Wikipedia |
黒島 亀人(くろしま かめと、1893年(明治26年)10月10日 - 1965年(昭和40年)10月20日)は、日本の大日本帝国海軍軍人。海兵44期卒業。最終階級は海軍少将。広島県安芸郡出身。 | ||
72 | 高木惣吉 人吉市 | Wikipedia |
高木 惣吉(たかぎ そうきち、1893年(明治26年)8月9日 - 1979年(昭和54年)7月27日)は、日本の海軍軍人で最終階級は海軍少将。東久邇宮内閣の内閣副書記官長を務めた。 | ||
東京理科大学出身 出身の東京理科大学の出身者 全国の東京理科大学の出身者 | ||
73 | 岡崎清三郎 | Wikipedia |
岡崎 清三郎(おかざき せいざぶろう、1893年3月17日 - 1979年5月27日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
74 | 住吉正 安芸高田市 | Wikipedia |
住吉 正(すみよし ただし、1893年2月10日 - 1976年3月24日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
75 | 近藤新八 | Wikipedia |
近藤 新八(こんどう しんぱち、1893年10月15日 - 1947年10月31日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。香川県出身。陸士28期、陸大41期。 | ||
76 | 田中隆吉 安来市 | Wikipedia |
田中 隆吉(たなか りゅうきち、1893年(明治26年)7月9日 - 1972年(昭和47年)6月5日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
77 | 若松只一 | Wikipedia |
若松 只一(わかまつ ただかず、1893年3月8日 - 1959年11月19日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。終戦時の陸軍次官。 | ||
78 | 遠藤三郎 | Wikipedia |
遠藤 三郎(えんどう さぶろう、1893年1月2日 - 1984年10月11日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
79 | 佐藤幸徳 | Wikipedia |
佐藤 幸徳(さとう こうとく、1893年(明治26年)3月5日 - 1959年(昭和34年)2月26日)は、日本の陸軍軍人。陸士25期、陸大33期、最終階級は陸軍中将。山形県出身。インパール作戦において師団の独断退却を行ったことで知られる。 | ||
80 | 柳田元三 | Wikipedia |
柳田 元三(やなぎた げんぞう、1893年1月3日 - 1952年10月7日)は、日本の陸軍軍人、最終階級は陸軍中将。 | ||
81 | 伊集院松治 千代田区 | Wikipedia |
伊集院 松治(いじゅういん まつじ、1893年(明治26年)4月21日 - 1944年(昭和19年)5月24日)は、日本の海軍軍人、華族。最終階級は海軍中将。男爵。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
82 | 小柳冨次 | Wikipedia |
小柳 冨次[注釈 1](こやなぎ とみじ、1893年7月16日 - 1978年4月23日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
83 | 渋谷紫郎 | Wikipedia |
渋谷 紫郎(しぶや しろう、1893年(明治26年)11月18日 - 1945年(昭和20年)1月12日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争初期に第十六駆逐隊司令として南方攻略戦に参加し、のち第百一戦隊司令官として戦死した海軍中将である。 | ||
84 | 牧野四郎 日置市 | Wikipedia |
牧野 四郎(まきの しろう、1893年4月18日 - 1945年8月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
85 | 山田清一 | Wikipedia |
山田 清一(やまだ せいいち、1893年10月2日 - 1945年8月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
86 | 市岡寿 | Wikipedia |
市岡 寿(いちおか ひさし、1893年5月26日 - 1963年2月14日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 |
官僚
87 | 清水良策 七尾市 | Wikipedia |
清水 良策(しみず りょうさく、1893年2月27日 - 1989年9月7日)は、日本の内務官僚、実業家。県知事、川崎重工業取締役。 | ||
88 | 武部六蔵 | Wikipedia |
武部 六蔵(たけべ ろくぞう、1893年(明治26年)1月1日 - 1958年(昭和33年)1月19日)は、日本の内務官僚。秋田県知事、関東局総長、企画院総裁心得、満州国総務長官。 | ||
89 | 宮崎正義 | Wikipedia |
宮崎 正義(みやざき まさよし、1893年2月1日 - 1954年7月17日)は、満鉄調査部きってのロシア通。石原莞爾のブレーンとして活躍。満鉄経済調査会、日満財政経済研究会を創設し、ソ連の五カ年計画を参考に、満州国と日本で官僚主導の統制経済体制の確立をめざした。 | ||
90 | 挟間茂 福山市 | Wikipedia |
挟間 茂(はざま しげる、1893年3月24日 - 1987年12月3日)は、日本の内務官僚、内務次官。 日本住宅公団総裁。広島県福山市出身。旧姓・三谷。「梜間茂」表記の文献もあり。戸籍上は旧字体の挾間。 | ||
91 | 小山知一 | Wikipedia |
小山 知一(こやま ちいち、1893年(明治26年)7月17日 - 没年不明)は、日本の官僚。佐賀県知事、高知県知事、文部省普通学務局長を歴任した。 | ||
92 | 星野喜代治 | Wikipedia |
星野 喜代治(ほしの きよじ、1893年(明治26年)11月11日 - 1979年(昭和54年)10月14日)は、日本の大蔵官僚、銀行家。銀行局検査課長を最後に退官し、朝鮮銀行副総裁を務める。第二次世界大戦終結後は同行の特殊清算人に選ばれ、第二会社として日本債券信用銀行の前身となる日本不動産銀行を設立し、頭取、会長を歴任。日債銀相談役。 |
公務員
93 | 守屋和郎 大崎市 | Wikipedia |
守屋 和郎(もりや わろう、明治26年(1893年) - 昭和52年(1977年))は、日本の外交官。元駐アフガニスタン公使。 | ||
94 | 吉沢清次郎 | Wikipedia |
吉沢 清次郎(よしざわ せいじろう、1893年2月6日 - 1978年4月2日)は日本の外交官。 | ||
95 | 西春彦 南さつま市 | Wikipedia |
西 春彦(にし はるひこ、1893年4月29日 - 1986年9月20日)は、大正・昭和期の外交官。太平洋戦争開戦時の外務次官である。 |
学者・教授・准教授
96 | 加藤セチ 三川町 | Wikipedia |
加藤 セチ(かとう せち、明治26年(1893年)10月2日 - 平成元年(1989年)3月29日)は、日本の化学者。理学博士。日本の女性科学者の草分けの一人。元理化学研究所主任研究員。上野学園大学名誉教授。山形県東田川郡三川町名誉町民。 | ||
97 | 坪井誠太郎 | Wikipedia |
坪井 誠太郎(つぼい せいたろう、1893年9月8日 - 1986年9月22日)は、日本の地球科学者。専門は、地質学・鉱物学・岩石学。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
98 | 木原均 | Wikipedia |
木原 均(きはら ひとし、1893年10月21日 - 1986年7月27日)は、日本の遺伝学者。京都大学名誉教授。元国立遺伝学研究所所長。理学博士(京都帝国大学、1924年)。 | ||
北海道大学出身 出身の北海道大学の出身者 全国の北海道大学の出身者 | ||
99 | 大多和タカ | Wikipedia |
大多和 タカ(おおたわ たか、1893年(明治26年) - 1957年(平成1年)11月)は、日本の教育者。松江ミシン裁縫女学院(現・開星中学校・高等学校)創設者[2][3]。広島県出身[4]。 | ||
100 | 太田功平 岡崎市 | Wikipedia |
太田 功平(おおた こうへい、1893年9月2日 - 1930年12月4日)は、日本の農学者、教育者。菜種の新品種「六ツ美種」の開発者として知られる。 | ||
101 | 大賀悳二 | Wikipedia |
大賀 悳二(おおが とくじ、1893年7月1日-1964年2月24日)は、日本の工学者。専門は機械工学。特に、蒸気タービンの研究や伝熱工学理論で知られた。室蘭工業大学元学長。北海道大学名誉教授。日本学術会議会員。岡山県出身。「大賀徳二」とも表記される | ||
102 | 矢内原忠雄 | Wikipedia |
矢内原 忠雄(やないはら ただお、1893年(明治26年)1月27日 - 1961年(昭和36年)12月25日)は、日本の経済学者・植民政策学者。東京大学総長。日本学士院会員。正三位勲一等瑞宝章。無教会派キリスト教の指導者としても知られる。 | ||
103 | 梅原末治 羽曳野市 | Wikipedia |
梅原 末治(うめはら すえじ、1893年8月13日 - 1983年2月19日)は、日本の東洋考古学者。京都大学名誉教授。日本考古学の基礎を築いた。文学博士(京都帝国大学、1939年)。大阪府南河内郡古市村(現羽曳野市)出身。子息は、京都大学名誉教授(人文科学研究所)の梅原郁(東洋史、宋代官僚制・司法制度研究で、2010年日本学士院賞受賞)。 | ||
同志社大学出身 出身の同志社大学の出身者 全国の同志社大学の出身者 | ||
104 | 一志茂樹 大町市 | Wikipedia |
一志 茂樹(いっし しげき、 1893年11月12日 - 1985年2月27日)は日本の郷土史家、教育者。 | ||
國學院大學出身 出身の國學院大學の出身者 全国の國學院大學の出身者 | ||
105 | 佐喜眞興英 宜野湾市 | Wikipedia |
佐喜眞 興英(さきま こうえい、1893年(明治26年)10月26日 - 1925年(大正14年)6月13日)は、沖縄県宜野湾市出身で、民俗学者。 | ||
106 | 山田珠樹 港区 | Wikipedia |
山田 珠樹(やまだ たまき、1893年2月26日 - 1943年11月24日)は、日本のフランス文学者。東京帝国大学の助教授および司書官を務めた。フランス文学者として、辰野隆、鈴木信太郎らと東大仏文科を興し、司書官として、関東大震災後の東大図書館の復興に力を尽くした。また、森茉莉の最初の夫としても知られる。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
107 | 小林巳智次 | Wikipedia |
小林 巳智次(こばやし みちじ、明治26年(1893年)11月15日 - 1977年1月17日)は、日本の法学者。農学博士。専門は民法、産業法、農業法。特に、入会権、永小作権、農林に関する法律を研究。 | ||
108 | 原田敏明 熊本市 | Wikipedia |
原田 敏明(はらだ としあき、1893年(明治23年)11月1日 - 1983年(昭和58年)1月17日)は、日本の民俗学者、宗教学者。東海大学名誉教授。熊本県出身。 | ||
皇學館大学出身 出身の皇學館大学の出身者 全国の皇學館大学の出身者 | ||
109 | 山岸徳平 新潟市 | Wikipedia |
山岸 徳平(やまぎし とくへい、明治26年(1893年)11月25日 - 昭和62年(1987年)5月22日)は、日本の国文学者、中古文学専攻。 | ||
110 | 近藤正二 新潟市 | Wikipedia |
近藤 正二(こんどう しょうじ、1893年(明治26年)2月5日 - 1977年(昭和52年)1月22日)は、日本の医師、細菌学者、衛生学者、医学博士。日本衛生学会名誉会員、東北大学名誉教授。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
111 | 三島徳七 淡路島 | Wikipedia |
三島 徳七(みしま とくしち、1893年(明治26年)2月24日 - 1975年(昭和50年)11月19日)は、日本の冶金学者。産業技術進歩に大きな役割を果たしたMK鋼の発明者として知られる。東京大学名誉教授。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
112 | 田中菊雄 小樽市 | Wikipedia |
田中 菊雄(たなか きくお、1893年11月19日 - 1975年3月29日)は、日本の英語学者、英和辞典編纂者である。 |
研究者・研究家・発明家
113 | 早川徳次 中央区 | Wikipedia |
早川 徳次(はやかわ とくじ、1893年(明治26年)11月3日 - 1980年(昭和55年)6月24日)は日本の実業家・発明家。総合家電メーカーシャープ創業者。シャープペンシルやバックル「徳尾錠」の発明で知られる。東京府(現・東京都)出身。大正三美人として知られる江木欣々は異父姉。 | ||
114 | 水野敏雄 | Wikipedia |
水野 敏雄(みずの としお、1893年 - 1981年)は、日本の教育学研究者、島根大学第4代学長。 | ||
115 | 皆見省吾 広島市 | Wikipedia |
皆見 省吾(みなみ せいご、1893年11月1日 - 1975年9月6日)は、日本の皮膚科医。岡山医科大学、九州帝国大学皮膚科教授を務め、皮膚科学を研究。若い皮膚科研究者の育てる為に皆見賞を創設。ドイツ留学中に世界大戦後の戦傷後の腎不全を研究。挫滅症候群(クラッシュ・シンドローム)を世界で初めて報告した。 | ||
116 | 小林宗作 東吾妻町 | Wikipedia |
小林 宗作(こばやし そうさく、本名:金子宗作、1893年6月15日 - 1963年2月8日)は日本のリトミック研究者・幼児教育研究家。群馬県吾妻郡岩島村(現・東吾妻町)出身。東京音楽学校乙種師範科(現・東京芸術大学音楽学部)卒。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
117 | 丹羽保次郎 松阪市 | Wikipedia |
丹羽 保次郎(にわ やすじろう、1893年(明治26年)4月1日 - 1975年(昭和50年)2月28日)は、NE式写真電送装置(ファクシミリ)を開発した技術者。東京電機大学初代学長。日本の十大発明家の一人として数えられることもある。工学博士。三重県松阪市名誉市民(第1号)。 | ||
118 | 鷹部屋福平 岡崎市 | Wikipedia |
鷹部屋 福平(たかべや ふくへい、1893年3月9日 - 1975年4月24日)は、日本の工学者、アイヌ文化研究者。著書には橋梁や構造力学など力学関係のものが多い。北海道帝国大学、九州帝国大学、防衛大学校などで教授を務めた。 | ||
九州帝国大学出身 出身の九州帝国大学の出身者 全国の九州帝国大学の出身者 |
画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家・漆芸家・工芸家
119 | 児島善三郎 福岡市 | Wikipedia |
児島 善三郎(こじま ぜんざぶろう、1893年2月13日 - 1962年3月22日)は、日本の洋画家である。 | ||
長崎大学出身 出身の長崎大学の出身者 全国の長崎大学の出身者 | ||
120 | 武井直也 岡谷市 | Wikipedia |
武井直也(たけい なおや、1893年6月16日 – 1940年2月5日)は、日本の彫刻家である。 | ||
121 | 安東聖空 | Wikipedia |
安東 聖空(あんどう せいくう、1893年8月19日 - 1983年3月3日)は、日本の書家、文化功労者。本名・正郎(まさお)。 | ||
122 | 今純三 | Wikipedia |
今 純三(こん じゅんぞう、1893年(明治26年)3月1日 - 1944年(昭和19年)9月28日)は、日本の銅版画家。銅版画の技法研究にほぼ独力で取り組み、昭和初期における日本の銅版画の普及に関与した。 | ||
123 | 尾中蘆山 芦屋町 | Wikipedia |
尾中 蘆山(おなか ろざん、1893年(明治26年)‐1963年(昭和38年))は大正時代から昭和時代の日本画家。 | ||
124 | 石垣栄太郎 太地町 | Wikipedia |
石垣 栄太郎(いしがき えいたろう、1893年12月1日 - 1958年1月23日)は、日本の洋画家。 | ||
125 | 雨田光平 | Wikipedia |
雨田 光平(あまだ こうへい、1893年2月1日 - 1985年11月14日)は福井県出身の箏曲家、彫刻家、ハープ奏者。本名は雨田外次郎。 | ||
126 | 石黒宗麿 射水市 | Wikipedia |
石黒 宗麿(いしぐろ むねまろ、1893年4月14日 - 1968年6月3日)は、富山県射水市(旧新湊市 )久々湊(くぐみなと)出身の陶芸家。贈従四位。作品の多くは射水市新湊博物館 に収蔵されている。 | ||
127 | 木田金次郎 岩内町 | Wikipedia |
木田 金次郎(きだ きんじろう、1893年7月16日 - 1962年12月15日)は、北海道岩内町出身の画家。 | ||
128 | 清水董三 栃木市 | Wikipedia |
清水 董三(しみず とうぞう、1893年(明治26年)8月1日 - 1970年(昭和45年)12月8日)は、日本の外交官、書家。兄は画家の清水登之。 | ||
129 | 山口蓬春 松前町 | Wikipedia |
山口 蓬春(やまぐち ほうしゅん、1893年10月15日 - 1971年5月31日)は、日本画家。北海道松前郡松城町(現・松前町)生まれ。本名、三郎。 | ||
130 | 望月春江 | Wikipedia |
望月 春江(もちづき しゅんこう、1893年(明治26年)11月13日 - 1979年(昭和54年)2月13日)は、日本の画家。本名は尚(ひさし)。 | ||
131 | 石川栄耀 盛岡市 | Wikipedia |
石川 栄耀(いしかわ ひであき、1893年9月7日 - 1955年9月25日)は日本の都市計画家。 | ||
132 | 米内穂豊 盛岡市 | Wikipedia |
米内 穂豊(よない すいほう、1893年5月4日 - 1970年9月18日)は、岩手県出身の日本画家。 | ||
133 | 野田高梧 函館市 | Wikipedia |
野田 高梧(のだ こうご、1893年11月19日 - 1968年9月23日)は、日本の脚本家。次兄は日本画家の野田九甫、娘は脚本家の立原りゅう、その夫は同じく脚本家の山内久。また、幕末の漢学者・野田笛浦は祖父にあたる。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
134 | 石川栄耀 尾花沢市 | Wikipedia |
石川 栄耀(いしかわ ひであき、1893年9月7日 - 1955年9月25日)は日本の都市計画家。 | ||
135 | 岩田藤七 葛飾区 | Wikipedia |
岩田 藤七(いわた とうしち、1893年3月12日 - 1980年8月23日)は、ガラス工芸家。幼名、東次郎。妻は彫刻家の竹内久一の長女・くに(邦子)。岩田久利は長男。岩田糸子は久利の妻、イワタルリは孫。 | ||
136 | 国府清山 総社市 | Wikipedia |
国府 清山(こくふ せいざん、明治26年(1893年)6月2日 - 昭和11年(1936年)8月3日)は、日本画家。 | ||
137 | 加藤幸兵衛 | Wikipedia |
加藤 幸兵衛(かとう こうべえ、1893年(明治26年)12月27日 - 1982年(昭和57年)4月11日)は日本の陶芸家。本名は加藤福寿。 |
政治家・議員・首長
138 | 市川房枝 一宮市 | Wikipedia |
市川 房枝(いちかわ ふさえ、1893年(明治26年)5月15日 - 1981年(昭和56年)2月11日)は、日本の婦人運動家、政治家(元参議院議員)。 | ||
愛知教育大学出身 出身の愛知教育大学の出身者 全国の愛知教育大学の出身者 | ||
139 | 木暮武太夫 伊香保町 | Wikipedia |
木暮 武太夫(こぐれ ぶだゆう、1893年2月17日 - 1967年7月10日)は、日本の政治家。群馬県北群馬郡伊香保町(現:渋川市)出身、慶應義塾大学理財科を卒業後衆議院議員を7期、参議院議員を2期務める。第2次池田内閣では運輸大臣も務めた。本名は木暮正一だが、父の木暮武太夫の死後改名した。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
140 | 上原茂次 高島市 | Wikipedia |
上原 茂次(うえはら しげじ、1893年(明治26年)11月28日 - 1971年(昭和46年)5月28日)は滋賀県の政治家。大津市長を12年間務めるなど、地方自治に活躍した。 | ||
141 | 山根キク 新宿区 | Wikipedia |
山根 キク(やまね きく、1893年6月1日 - 1965年4月23日)は、日本の考古学、歴史学の女性ジャーナリスト、社会活動家、政治家。「竹内文書」から強く影響を受けており、キリストやモーセの墓が日本にあると主張した。本名は山根 菊子(やまね きくこ)。 | ||
142 | 粟屋仙吉 | Wikipedia |
粟屋 仙吉(あわや せんきち、1893年(明治26年)11月7日 - 1945年(昭和20年)8月6日)は、日本の内務官僚、政治家。ゴーストップ事件時の大阪府警察部長、広島市への原子爆弾投下時の広島市長として知られる。東京府士族。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
143 | 高津正道 三原市 | Wikipedia |
高津 正道(たかつ まさみち、1893年4月20日 - 1974年1月9日)は、日本の社会運動家、政治家。 衆議院議員(当選5回)、衆議院副議長などを務めた。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
144 | 本多鋼治 豊田市 | Wikipedia |
本多 鋼治(ほんだ こうじ、1893年(明治26年)12月15日 - 1964年(昭和39年)12月6日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、愛知県会議員(4期)、愛知県議会議長(1期)などを務めた。 | ||
145 | 浜地文平 | Wikipedia |
浜地 文平(はまち ぶんぺい、明治26年(1893年)2月22日 - 昭和61年(1986年)6月21日)は、昭和期の日本の政治家。衆議院議員(当選8回)、皇學館大学理事長(第3代)などを務めた。三重県度会郡吉津村(現・南伊勢町)出身。 | ||
皇學館大学出身 出身の皇學館大学の出身者 全国の皇學館大学の出身者 | ||
146 | 後藤清一 水戸市 | Wikipedia |
後藤 清一(ごとう せいいち、1893年8月19日 - 1984年4月11日)は、大正 - 昭和時代の彫刻家。長男の後藤道雄は仏教美術史家。 | ||
147 | 西岡広吉 柳井市 | Wikipedia |
西岡 広吉(にしおか ひろきち、1893年9月2日- 1961年3月22日)は、日本の内務官僚、政治家。公選による初代の岡山県知事を務めた。 | ||
148 | 粟屋仙吉 | Wikipedia |
粟屋 仙吉(あわや せんきち、1893年(明治26年)11月7日 - 1945年(昭和20年)8月6日)は、日本の内務官僚、政治家。ゴーストップ事件時の大阪府警察部長、広島市への原子爆弾投下時の広島市長として知られる。東京府士族。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
149 | 阿部千一 花巻市 | Wikipedia |
阿部 千一(あべ せんいち、1893年11月23日 - 1972年9月3日)は日本の政治家。衆議院議員、岩手県知事(1955年~1963年)などを務めた。 | ||
150 | 津雲国利 青梅市 | Wikipedia |
津雲 国利(つくも くにとし、1893年(明治26年)10月18日 - 1972年(昭和47年)1月4日)は、日本の政治家。衆議院議員(8期)。拓務政務次官、政友会幹事、翼賛政治会常任総務などを歴任。 | ||
151 | 藤縄清治 上越市 | Wikipedia |
藤縄 清治(ふじなわ せいじ、1893年3月12日 - 1967年4月22日)は、明治から昭和にかけての政治家。 | ||
152 | 平敏孝 | Wikipedia |
平 敏孝(たいら としたか、1893年(明治26年)9月 - 没年不詳)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事。 | ||
153 | 一万田尚登 | Wikipedia |
一萬田 尚登(いちまた ひさと、明治26年(1893年)8月12日 - 昭和59年(1984年)1月22日)は、日本の銀行家、政治家。勲等は勲一等。新字体で一万田 尚登(いちまた ひさと)とも表記される。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
154 | 世耕弘一 豊島区 | Wikipedia |
世耕 弘一(せこう こういち、1893年3月30日 - 1965年4月27日)は日本の教育者・政治家。衆議院議員(8期)、経済企画庁長官(第2次岸内閣)、近畿大学理事長などを歴任した。 | ||
155 | 世耕弘一 新宮市 | Wikipedia |
世耕 弘一(せこう こういち、1893年3月30日 - 1965年4月27日)は日本の教育者・政治家。衆議院議員(8期)。従三位勲一等瑞宝章。 | ||
日本大学出身 出身の日本大学の出身者 全国の日本大学の出身者 | ||
156 | 伊礼肇 北谷町 | Wikipedia |
伊礼 肇(伊禮 肇、いれい / いれ はじめ、1893年(明治26年)10月15日 - 1976年(昭和51年)6月7日)は、沖縄県出身の弁護士、政治家。衆議院議員。 | ||
157 | 小野真次 串本町 | Wikipedia |
小野 真次(おの しんじ、1893年4月15日 - 1974年1月3日)は、日本の政治家。和歌山県出身。初代和歌山県公選知事(1947年4月19日 - 1967年4月22日)として5期を務めた。 | ||
京都工芸繊維大学出身 出身の京都工芸繊維大学の出身者 全国の京都工芸繊維大学の出身者 | ||
158 | 佐野文子 浜田市 | Wikipedia |
佐野 文子(さの ふみこ、1893年〈明治26年〉12月 - 1978年〈昭和53年〉9月16日)は、日本の社会運動家、社会事業家。北海道旭川市で明治時代から昭和時代にかけて活動した人物であり、日本キリスト教婦人矯風会(以下、矯風会と略)旭川支部における戦前の廃娼運動、戦中の内閣総理大臣・東條英機の秘書としての活動などの戦争協力、戦後の保護司としての刑余者の援助活動などで知られる。旧姓は水津(すいつ)。島根県那賀郡浜田町(後の浜田市)出身、島根県立高等女学校(後の島根県立浜田高等学校)卒業。 | ||
159 | 東龍太郎 | Wikipedia |
東 龍太郎(あずま りょうたろう、1893年(明治26年)1月16日 - 1983年(昭和58年)5月26日)は、日本の医学者・官僚。東京大学名誉教授。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
160 | 石坂繁 熊本市 | Wikipedia |
石坂 繁(いしざか しげる、1893年(明治26年)1月24日 - 1972年(昭和47年)12月31日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(6期)。熊本市長(3期)。 |
評論家
161 | 渡辺茂雄 | Wikipedia |
渡辺 茂雄(わたなべ しげお、1893年 - 1973年)は、日本の編集者、評論家。 | ||
162 | 山浦貫一 | Wikipedia |
山浦 貫一(やまうら かんいち、1893年3月20日 - 1967年9月26日)は新聞記者、政治評論家。 |
宗教家・思想家・運動家
163 | 橘孝三郎 水戸市 | Wikipedia |
橘 孝三郎(たちばな こうざぶろう、1893年(明治26年)3月18日 ‐ 1974年(昭和49年)3月30日)は日本の政治運動家、農本主義思想家。農本ファシストであり、超国家主義者でもあった。 | ||
164 | 谷口雅春 神戸市 | Wikipedia |
谷口 雅春(たにぐち まさはる、1893年11月22日 - 1985年6月17日)は、新宗教「生長の家」創始者・初代総裁(生長の家では「教祖」「開祖」という名称は用いられない)。旧名は同訓異字の“正治”。現在の兵庫県神戸市兵庫区鵯越に生まれ、大阪市港区の大阪府立市岡中学(旧制)出身。早稲田大学文学部英文科中退。同学科には青野季吉、木村毅、坪田譲治らが在学していた。 | ||
早稲田大学出身 出身の 早稲田大学の出身者 全国の 早稲田大学の出身者 | ||
165 | 佐野文子 旭川市 | Wikipedia |
佐野 文子(さの ふみこ、1893年〈明治26年〉12月 - 1978年〈昭和53年〉9月16日)は、日本の社会運動家、社会事業家。北海道旭川市で明治時代から昭和時代にかけて活動した人物であり、日本キリスト教婦人矯風会(以下、矯風会と略)旭川支部における戦前の廃娼運動、戦中の内閣総理大臣・東條英機の秘書としての活動などの戦争協力、戦後の保護司としての刑余者の援助活動などで知られる。旧姓は水津(すいつ)。島根県那賀郡浜田町(後の浜田市)出身、島根県立高等女学校(後の島根県立浜田高等学校)卒業。 | ||
166 | 武藤健 弘前市 | Wikipedia |
武藤 健(むとう たけし、1893年11月28日 - 1974年12月18日)は日本の大正時代・昭和時代の牧師。日本基督教団第4代議長、日本キリスト教文化協会理事長、キリスト新聞社社長。 | ||
167 | 遠藤三郎 狭山市 | Wikipedia |
遠藤 三郎(えんどう さぶろう、1893年1月2日 - 1984年10月11日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 |
俳人・歌人・詩人
168 | 和田久太郎 明石市 | Wikipedia |
和田 久太郎(わだ きゅうたろう、1893年2月6日 - 1928年2月20日)は、日本の無政府主義者、労働運動家、俳人である。温厚な人柄で「久さん」あるいは「久太」の愛称で親しまれた。福田大将狙撃事件で逮捕され、無期懲役。獄中で俳句等の著述をしたが、しばらく後に自殺した。俳号は酔蜂(すいほう)で、和田酔蜂とも称す。 | ||
169 | 大熊信行 | Wikipedia |
大熊 信行(おおくま のぶゆき、1893年2月18日 - 1977年6月20日)は、経済学者、評論家、歌人。福田徳三門下。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
170 | 庄武憲太郎 杵築市 | Wikipedia |
庄武 憲太郎(しょうたけ けんたろう、1893年2月22日 - 1952年5月27日)は、昭和時代戦前の日本の作詞家、歌人、旧制中学校教諭。号は春鳥(しゅんちょう)。大分県出身。 | ||
171 | 嶋田的浦 志摩市 | Wikipedia |
嶋田 的浦(しまだ てきほ、1893年1月22日 - 1950年4月11日[2])は日本の俳人。本名は襄。三重県志摩郡的矢村大字的矢(現在の志摩市磯部町的矢)出身。的浦の号は、故郷・的矢が小さな港(浦)を成していることにちなんでいる[2]。 | ||
172 | 中川一政 | Wikipedia |
中川 一政(なかがわ かずまさ、1893年(明治26年)2月14日 - 1991年(平成3年)2月5日)は、東京府生まれの洋画家、美術家、歌人、随筆家である。 | ||
173 | 中田瑞穂 津和野町 | Wikipedia |
中田 瑞穂(なかだ みずほ、男性、1893年4月24日 - 1975年8月18日)は、日本の脳外科学者、俳人。新潟大学名誉教授。俳号はみづほ。島根県津和野町生まれ。 | ||
174 | 高野素十 取手市 | Wikipedia |
高野 素十(たかの すじゅう、1893年3月3日 - 1976年10月4日)は、茨城県出身の俳人、医師(医学博士)。高浜虚子に師事。虚子の唱えた「客観写生」を忠実に実践、簡潔で即物的な写生句で頭角を現し、山口誓子、阿波野青畝、水原秋桜子とともに「ホトトギス」の四Sと称された。「芹」主宰。本名は高野与巳(よしみ)。 | ||
175 | 高橋元吉 | Wikipedia |
高橋 元吉(たかはし もときち、1893年3月6日 - 1965年1月28日)は、大正から昭和にかけて活動した日本の詩人である。書店・煥乎堂社長。 | ||
176 | 福田正夫 小田原市 | Wikipedia |
福田 正夫(ふくだ まさお、1893年3月26日 - 1952年6月26日) は、神奈川県足柄下郡小田原町(現・小田原市)出身の詩人。 | ||
横浜国立大学出身 出身の横浜国立大学の出身者 全国の横浜国立大学の出身者 | ||
177 | 野村朱鱗洞 | Wikipedia |
野村 朱鱗洞(のむら しゅりんどう、1893年(明治26年)11月26日 - 1918年(大正7年)10月31日)は、愛媛県温泉郡素鵞村(現・松山市小坂町)出身の俳人である。本名は守隣(もりちか)。前号に柏葉、朱燐洞など。 |
その他の職業
178 | 高山喜六 福津市 | Wikipedia |
高山 喜六(たかやま きろく、1893年(明治26年) - 1938年(昭和13年)4月18日)は、日本の杖術家。玄洋社の一員でもあった。 | ||
179 | 辻本繁 八雲町 | Wikipedia |
辻本 繁(つじもと しげる、1893年〈明治26年〉8月28日 - 1979年〈昭和54年〉5月11日)は、日本の聾唖教育者。北海道室蘭市の北海道室蘭聾学校の前身である道立室蘭聾学校の初代校長で、その前身である私立室蘭聾唖学園(室蘭聾唖学校)、および八雲聾唖学院の設立者。自身も聴覚障害者である。北海道函館区(後の函館市)東川町出身。 | ||
180 | 横山信二 | Wikipedia |
横山信二(よこやま しんじ、1893年 - 1939年)は、日本の造園家。官庁造園技師として活躍し、関東大震災後の東京の隅田・浜町・錦糸の三大復興事業公園、東京緑地計画、東京の風致地区策定等に対し大きな業績を残した。福井県生まれ。 | ||
181 | 皆川ヨ子 福智町 | Wikipedia |
皆川 ヨ子(みながわ よね、1893年(明治26年)1月4日 - 2007年(平成19年)8月13日)は、長寿世界一だった日本の女性。 | ||
182 | 川村カ子ト 旭川市 | Wikipedia |
川村カ子ト(かわむら カネト 1893年(明治26年)5月 - 1977年(昭和52年)1月6日)は、上川アイヌの長で、旧国鉄の測量技手(ぎて)。国鉄退職後は川村カ子トアイヌ記念館の館長、旭川アイヌ民族史跡保存会長、旭川アイヌ民族工芸会長などを務めた。弟に川村才登、妹・コヨの夫が貝澤藤蔵である。 | ||
183 | 西村貞 大阪市 | Wikipedia |
西村 貞(にしむら てい、1893年(明治26年)12月12日 - 1961年(昭和36年)3月3日)は、日本の美術史家。本名、西村久次郎。大阪市出身。 | ||
184 | 本郷かまと 伊仙町 | Wikipedia |
本郷 かまと(ほんごう かまと、1893年? - 2003年10月31日)は長寿の日本人女性。1887年9月16日生まれとされ、存命中は、存命人物のうち世界最高齢としてギネスブックにも認められていた。しかし、この生年月日には異論が存在し、ギネスブックは2012年9月に世界最高齢の認定を取り消した。通称「かまとバア」。 |