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宝塚・女優・俳優・声優・ナレーター・歌舞伎・能楽・狂言
1 | 三桝豊 名古屋市 | Wikipedia |
三桝 豊(みます ゆたか、1892年3月2日 - 没年不明)は、日本の俳優である。別名三桝 豊二郎(みます とよじろう)、三桝 万豊(みます ばんほう)。 | ||
2 | 朝菜いるみ 刈谷市 | Wikipedia |
朝菜 いるみ(あさな いるみ、6月10日生)は、宝塚歌劇団卒業生(娘役)。 |
演奏家・作詞家・作曲家・ミュージシャン
3 | 佐々木すぐる 高砂市 | Wikipedia |
佐々木 すぐる(本名:佐々木 英、1892年4月16日 - 1966年1月13日)は日本の作曲家。童謡をはじめとする2000曲もの楽曲を作曲し、中でも「月の沙漠」「お山の杉の子」が有名である。 | ||
4 | 弘田龍太郎 | Wikipedia |
弘田 龍太郎(ひろた りゅうたろう、1892年(明治25年)6月30日 - 1952年(昭和27年)11月17日)は、作曲家。 |
舞台・演劇・映画・ドラマ・脚本・プロデューサー・ディレクター
5 | 池田義信 | Wikipedia |
池田 義信(いけだ よしのぶ、1892年3月10日 - 1973年9月1日)は、日本の映画監督、脚本家である[2]。本名・旧名池田 義臣(いけだ よしおみ、いけだ ぎしん)。映画製作者連合会事務局長、映画倫理規程管理委員会(旧映倫)副委員長を歴任[2]。 | ||
6 | 澤田正二郎 大津市 | Wikipedia |
澤田 正二郞(さわだ しょうじろう、新字体:沢田 正二郎、1892年(明治25年)5月27日 - 1929年(昭和4年)3月4日)は、大正から昭和初期に活躍した大衆演劇の人気役者。劇団新国劇を創設して座長をつとめ、澤正(さわしょう)と呼ばれて広く親しまれた。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
7 | 沢田正二郎 大津市 | Wikipedia |
澤田 正二郞(さわだ しょうじろう、新字体:沢田 正二郎、1892年(明治25年)5月27日 - 1929年(昭和4年)3月4日)は、大正から昭和初期に活躍した大衆演劇の人気役者。劇団新国劇を創設して座長をつとめ、澤正(さわしょう)と呼ばれて広く親しまれた。 | ||
8 | 市川荒太郎(2代目) 大阪市 | Wikipedia |
二代目 市川 荒太郎(にだいめ いちかわ あらたろう、1892年11月23日 - 1925年12月5日)は、日本の俳優、歌舞伎役者、元子役である[3][4][5][6][7]。本名市川 保之助(いちかわ やすのすけ)[4]、旧芸名市川 保太郎(いちかわ やすたろう)[4]。サイレント映画の時代、映画界に招かれて主演した剣戟スター「市川荒太郎」は、荒太郎三代のうち、この人物を指す[5][6]。 |
落語家
9 | 8代目桂文楽 台東区 | Wikipedia |
8代目 桂 文楽(かつら ぶんらく、1892年(明治25年)11月3日 - 1971年(昭和46年)12月12日)は、東京の落語家。本名、並河 益義(なみかわ ますよし)。自宅住所の住居表示実施以前の旧町名から、「黒門町(くろもんちょう)」「黒門町の師匠」と呼ばれた。 | ||
10 | 9代目桂文治 台東区 | Wikipedia |
9代目 桂 文治(かつら ぶんじ、1892年9月7日 - 1978年3月8日)は、落語家。本名は高安留吉。生前は落語協会所属。定紋は結三柏。出囃子は『野崎』。通称「留さん文治」(※襲名までは単に「留さん」)。 | ||
11 | 八代目桂文楽 五所川原市 | Wikipedia |
8代目 桂 文楽(かつら ぶんらく、1892年(明治25年)11月3日 - 1971年(昭和46年)12月12日)は、東京の落語家。本名、並河 益義(なみかわ ますよし)。自宅住所の住居表示実施以前の旧町名から、「黒門町(くろもんちょう)」「黒門町の師匠」と呼ばれた。 |
ジャーナリスト
12 | 千葉省三 宇都宮市 | Wikipedia |
千葉 省三(ちば しょうぞう、1892年11月27日 - 1975年10月13日)は、児童文学者。雑誌『童話』の編集者をつとめた。 |
格闘技
13 | 両國勇治郎 大仙市 | Wikipedia |
両國 勇治郎(りょうごく ゆうじろう、1892年3月18日 - 1960年8月10日)は、秋田県仙北郡(現:秋田県大仙市)出身の元大相撲力士。本名は伊藤 勇治郎(いとう ゆうじろう)(旧姓:西村)。 | ||
14 | 三杦磯善七 八雲町 | Wikipedia |
三杦磯 善七(みすぎいそ ぜんしち、1892年11月26日 - 1951年4月22日)は、北海道爾志郡熊石村(現:北海道二海郡八雲町)出身の元大相撲力士。本名は小西 善七(こにし ぜんしち)。 | ||
15 | 栃木山守也 栃木市 | Wikipedia |
栃木山 守也(とちぎやま もりや、1892年2月5日 - 1959年10月3日)は、栃木県下都賀郡赤麻村(現:栃木県栃木市藤岡町赤麻)出身の元大相撲力士。第27代横綱。本名は中田 守也(なかた もりや)(旧姓:横田)。 | ||
16 | 大ノ里萬助 藤崎町 | Wikipedia |
大ノ里 萬助(おおのさと まんすけ、1892年4月1日 - 1938年1月22日)は、青森県南津軽郡藤崎町出身の元大相撲力士。本名は天内 萬助(あまうち(てんうち) まんすけ)。 | ||
17 | 大塚博紀 下館市 | Wikipedia |
大塚 博紀(おおつか ひろのり、1892年6月1日 - 1982年1月29日)は、日本の空手家。昭和期を代表する空手家の一人であり、和道流空手道の開祖。また、自身が修行した柔術に空手を加味して和道流柔術拳法も開いた。 | ||
18 | 御西山政夫 水戸市 | Wikipedia |
御西山政夫(おにしやままさお、1892年3月25日-1978年8月30日)は、出羽海部屋に所属した元力士。第19代横綱・常陸山谷右エ門の従弟(甥とも伝わる)。本名は田中正夫。茨城県水戸市出身。170cm、92kg。最高位は東前頭6枚目。 | ||
19 | 宮崎茂三郎 津市 | Wikipedia |
宮崎 茂三郎(みやざき もさぶろう、1892年(明治25年) - 1972年(昭和47年))は、日本の剣道家。大日本武徳会剣道範士。武道専門学校教授。 |
競馬・競輪・競艇・その他レース
20 | 尾形藤吉 伊達市 | Wikipedia |
尾形 藤吉(おがた とうきち、1892年3月2日 - 1981年9月27日)は、日本の騎手、調教師。 |
漫画家・イラスト・ゲーム
21 | 下川凹天 | Wikipedia |
下川 凹天(しもかわ へこてん または しもかわ おうてん 〔※読みについては後述〕、1892年5月2日 - 1973年5月26日)は、日本の漫画家、アニメーション作家である。凹天はペンネームで、本名は下川 貞矩(しもかわ さだのり)[2]。 | ||
22 | 下川凹天 野田市 | Wikipedia |
下川 凹天(しもかわ へこてん 、または しもかわ おうてん 〔※読みについては後述〕、1892年5月2日 - 1973年5月26日)は、日本の漫画家、アニメーション作家である。凹天はペンネームで、本名は下川 貞矩(しもかわ さだのり)。 |
作家・小説家・エッセイ・文筆・翻訳家・編集者・評論家
23 | 鑓田研一 岩国市 | Wikipedia |
鑓田 研一(やりた けんいち、1892年8月16日 - 1969年1月28日)は、日本の評論家、小説家。 | ||
24 | 草間平作 平戸市 | Wikipedia |
草間 平作(くさま へいさく、1892年7月 - 1985年)は、翻訳家、作家。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
25 | 細田民樹 | Wikipedia |
細田 民樹(ほそだ たみき、1892年1月27日 - 1972年10月5日)は、日本の小説家。 | ||
26 | 藤森成吉 | Wikipedia |
藤森 成吉(ふじもり せいきち、1892年8月28日 - 1977年5月26日)は、日本の小説家、劇作家。 | ||
27 | 吉川英治 横浜市 | Wikipedia |
吉川 英治(よしかわ えいじ、1892年(明治25年)8月11日 - 1962年(昭和37年)9月7日)は、日本の小説家。本名、英次(ひでつぐ)。神奈川県生まれ。 | ||
28 | 延原謙 | Wikipedia |
延原 謙(のぶはら けん、本名読み:ゆずる、1892年9月1日 - 1977年6月21日)は、日本の編集者、翻訳家。岡山県出身。早稲田大学理工学部卒。別名に小日向 逸蝶。妻は劇作家・フランス文学者岸田國士の妹の勝伸枝。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
29 | 辰野九紫 鳥取市 | Wikipedia |
辰野 九紫(たつの きゅうし、1892年7月16日 - 1962年8月6日)は日本の小説家。鳥取県鳥取市出身。東京帝国大学法学部卒。本名、小堀竜二。 | ||
30 | 妹尾韶夫 津山市 | Wikipedia |
妹尾 韶夫(せのお あきお、1892年(明治25年)3月4日 ‐ 1962年(昭和37年)4月19日)は、日本の翻訳家・探偵小説作家。創作では妹尾アキ夫名義での活動が多い。 | ||
31 | 保篠龍緒 | Wikipedia |
保篠 龍緒(ほしの たつお、1892年11月6日 - 1968年6月4日)は、作家、翻訳家、『アサヒグラフ』編集長。 | ||
32 | 南部修太郎 | Wikipedia |
南部 修太郎(なんぶ しゅうたろう、1892年(明治25年)10月12日 - 1936年(昭和11年)6月22日)は、日本の小説家。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
33 | 芥川龍之介 中央区 | Wikipedia |
芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ、1892年(明治25年)3月1日 - 1927年(昭和2年)7月24日)は、日本の小説家。本名同じ、号は澄江堂主人、俳号は我鬼。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
34 | 吉川英治 葛飾区 | Wikipedia |
吉川 英治(よしかわ えいじ、1892年〔明治25年〕8月11日 - 1962年〔昭和37年〕9月7日)は、日本の小説家。本名、吉川英次(よしかわ ひでつぐ)。現在の神奈川県横浜市中区出身。 | ||
35 | 平林初之輔 京丹後市 | Wikipedia |
平林 初之輔(ひらばやし はつのすけ、1892年11月8日 - 1931年6月15日)は、日本の作家・推理作家・文芸評論家。プロレタリア文学運動の理論家として知られる。 | ||
36 | 鷲尾雨工 | Wikipedia |
鷲尾 雨工(わしお うこう、本名:鷲尾 浩、1892年4月27日 - 1951年2月9日)は日本の小説家。 |
建築家・建築学者・技術者
37 | 本間乙彦 たつの市 | Wikipedia |
本間 乙彦(ほんま おとひこ、1892年(明治25年)2月24日 - 1937年(昭和12年)8月14日)は、大正期から昭和初期に大阪を中心に活躍した建築家。兵庫県出身。 | ||
38 | 高橋貞太郎 彦根市 | Wikipedia |
高橋 貞太郎(たかはし ていたろう、1892年6月26日 - 1970年10月1日)は大正・昭和期に活躍した日本の建築家。前田侯爵邸や服部邸など豪華な邸宅建築のほか、上高地ホテル、川奈ホテルなどホテル建築に秀作が多い。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
経営者・実業家
39 | 新田愛祐 幕別町 | Wikipedia |
新田 愛祐(にった あいすけ、1892年(明治25年) - 没年不明)は、日本の実業家。新田ベニヤ工業社長。日本皮革工聯理事長。父は新田帯革製造所(現ニッタ)創業者の新田長次郎。 | ||
40 | 荘田泰蔵 | Wikipedia |
荘田 泰蔵(しょうだ たいぞう、1892年10月29日[2] - ?)は日本の実業家。 | ||
41 | 大村義雄 出雲市 | Wikipedia |
大村 義雄(おおむら よしお、明治25年(1892年)7月24日 - )は日本の実業家。 | ||
42 | 川勝堅一 | Wikipedia |
川勝 堅一(かわかつ けんいち、1892年 - 1979年)は、日本の実業家、美術品収集家。 | ||
43 | 増谷麟 境港市 | Wikipedia |
増谷 麟(ますたに りん、1892年8月 - 1967年5月)は日本の現像技師、実業家である。PCL(現在のソニーPCL)創立社長、日本ポリドール社長等を歴任、「ソニー育ての親」として知られる。 | ||
金沢大学出身 出身の金沢大学の出身者 全国の金沢大学の出身者 | ||
44 | 坂東舜一 洲本市 | Wikipedia |
坂東 舜一(ばんどう しゅんいち、明治25年(1892年) - 昭和52年(1977年)は、日本の航空実業家。日本航空株式会社創立者。 | ||
45 | 小田原大造 向島東村 | Wikipedia |
小田原 大造(おだわら だいぞう、1892年11月10日 - 1971年4月8日)は、昭和期の日本の実業家。久保田鉄工所(現・クボタ)元社長。広島県御調郡向島東村(現・尾道市向東町)出身。 | ||
46 | 上野十蔵 薩摩川内市 | Wikipedia |
上野 十蔵(うえの じゅうぞう、1892年3月10日 - 1972年11月18日)は日本の実業家。中外製薬創業者・元代表取締役社長。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
47 | 国生義夫 | Wikipedia |
国生義夫(こくしょう よしお、1892年 – 1976年)は、鹿児島県出身の実業家。明治乳業の元社長・元会長。 | ||
鹿児島大学出身 出身の鹿児島大学の出身者 全国の鹿児島大学の出身者 | ||
48 | 三鬼隆 花巻市 | Wikipedia |
三鬼 隆(みき たかし、1892年1月14日 - 1952年4月9日)は、日本製鐵・八幡製鐵(現・新日鐵住金)元社長。鉄鋼業界の大御所だった。岩手県花巻市出身。父は実業家・政治家の三鬼鑑太郎。長男は元新日本製鐵会長の三鬼彰。出川哲朗の外大伯父にあたる。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
49 | 氏家清吉 角田市 | Wikipedia |
4代氏家 清吉(うじいえ せいきち、1892年(明治25年)4月15日 - 1956年(昭和31年)12月14日)は、日本の政治家・貴族院議員[3][4][5][6][7]、宮城県多額納税者[6][8][9]、地家主[10]、銀行家。元七十七銀行頭取[3][7]・会長[8]。角田郵便局長[11]。前名・榮吉[4][6]。元七十七銀行会長の氏家榮一やダイヤモンドリース(現三菱UFJリース)社長の氏家卓也は息子である[12]。 | ||
50 | 高杉晋一 | Wikipedia |
高杉 晋一(たかすぎしんいち、1892年(明治25年)3月1日 - 1978年(昭和53年)6月6日)は、日本の実業家。 |
デザイナー
51 | 杉野芳子 | Wikipedia |
杉野 芳子(すぎの よしこ、1892年3月2日 - 1978年7月24日[2])は、20世紀の大正時代から昭和時代にかけて活動した日本のファッションデザイナーで、学校経営者[3]。「ドレメ式洋裁」の創案者で、杉野女子大学学長、杉野学園ドレスメーカー学院創立者[4]。 |
医師・看護師
52 | 原田永之助 天草市 | Wikipedia |
原田 永之助(はらだ えいのすけ、1892年2月25日 - 1946年12月20日)は、日本の眼科医。後にVogt-Koyanagi-Harada 病と統一した名前になる疾患を1926年に原著として発表した。 | ||
53 | 西原雅一 伊良部町 | Wikipedia |
西原 雅一(にしはら がいち、1892年3月2日 - 1954年11月11日)は、沖縄県の医師で、宮古支庁、宮古群島政府及び琉球政府の政治家。 終戦直後に宮古支庁長や宮古群島知事を務めた。沖縄県宮古郡伊良部町(現在の宮古島市)出身。 |
軍人
54 | 高木武雄 | Wikipedia |
高木 武雄(たかぎ たけお、1892年(明治25年)1月25日 - 1944年(昭和19年)7月6日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。福島県石城郡大野村(現・いわき市)出身 。磐城中学校(現福島県立磐城高等学校)卒。海軍兵学校(39期)、海軍大学校(23期)卒業。幼少のころから頭脳明晰で、同期中最年少の少尉任官であった[2]。海軍兵学校同期に伊藤整一、遠藤喜一、阿部弘毅、岡敬純、角田覚治、原忠一などがいる。 | ||
55 | 下山琢磨 | Wikipedia |
下山 琢磨(しもやま たくま、1892年(明治25年)12月1日 - 1957年(昭和32年)12月4日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
56 | 美濃部貞功 | Wikipedia |
美濃部 貞功(みのべ さだかつ、1892年(明治25年)8月10日 - 1960年(昭和35年)11月29日)は、日本海軍の軍人。太平洋戦争において航空隊や、海上護衛隊の司令を務めた海軍少将である。 | ||
57 | 田中頼三 山口市 | Wikipedia |
田中 頼三(たなか らいぞう、1892年(明治25年)4月27日 - 1969年(昭和44年)7月9日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
58 | 上阪香苗 大津市 | Wikipedia |
上阪 香苗(こうさか かなえ、1892年(明治25年)10月8日 - 1974年(昭和49年)12月10日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。滋賀県大津市出身。 | ||
59 | 武田馨 | Wikipedia |
武田 馨(たけだ かおる、1892年(明治25年)2月22日 - 1959年(昭和34年)9月16日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
60 | 石黒岩太 鶴岡市 | Wikipedia |
石黒 岩太(いしぐろ いわた、1892年(明治25年)3月30日 - 1951年(昭和26年)10月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
61 | 松永貞市 | Wikipedia |
松永 貞市(まつなが さだいち、1892年(明治25年)4月25日 - 1965年(昭和40年)12月2日)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍中将。太平洋戦争初期、マレー沖海戦でイギリスの東洋艦隊を壊滅させた航空隊指揮官として名高い。 | ||
62 | 塚田理喜智 | Wikipedia |
塚田 理喜智(つかだ りきち、1892年(明治25年)12月15日 - 1958年(昭和33年)5月19日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
63 | 草鹿龍之介 | Wikipedia |
草鹿 龍之介(くさか りゅうのすけ、1892年(明治25年)9月25日 - 1971年(昭和46年)11月23日)は、日本の海軍軍人、剣道家。海軍兵学校41期生。海軍大学校21期。最終階級は中将。一刀正伝無刀流第4代宗家。 | ||
64 | 馬場正郎 | Wikipedia |
馬場 正郎(ばば まさお、1892年1月7日 - 1947年8月7日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。熊本県出身。 | ||
65 | 武藤章 | Wikipedia |
武藤 章(むとう あきら、1892年(明治25年)12月15日 - 1948年(昭和23年)12月23日)は、日本の昭和時代の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。極東国際軍事裁判(東京裁判)で唯一中将として絞首刑判決を受けた。岳父は陸軍次官、関東軍司令官などを歴任した尾野実信大将。 | ||
66 | 東宮鉄男 | Wikipedia |
東宮 鉄男(とうみや かねお、正字は東宮鐵男、1892年(明治24年)8月17日 - 1937年(昭和12年)11月14日)は、日本の陸軍軍人。「満蒙開拓移民の父」とよばれる。 | ||
67 | 三輪茂義 | Wikipedia |
三輪 茂義(みわ しげよし、1892年5月15日 - 1959年2月27日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
68 | 大森仙太郎 熊本市 | Wikipedia |
大森 仙太郎(おおもり せんたろう、1892年10月3日 - 1974年12月24日)は、熊本県出身の日本海軍軍人。最終階級は海軍中将。海軍特攻部長を務めた。 | ||
69 | 石井四郎 芝山町 | Wikipedia |
石井 四郎(いしい しろう、1892年6月25日 - 1959年10月9日)は、日本の陸軍軍人、軍医。関東軍防疫給水部長、第1軍軍医部長を歴任する。最終階級は陸軍軍医中将。功四級、医学博士。731部隊の創設者として防疫活動や細菌戦の研究、人体実験を主導した。 | ||
70 | 鍋島俊策 宇城市 | Wikipedia |
鍋島 俊策(なべしま しゅんさく、1892年9月10日 - 1948年4月28日)は、日本の海軍軍人。海軍少将。 | ||
71 | 細見惟雄 | Wikipedia |
細見 惟雄(ほそみ これお、1892年(明治25年)4月9日 - 1963年(昭和38年)8月10日)は、日本陸軍の軍人。陸士25期。最終階級は陸軍中将。 | ||
72 | 宮下健一郎 | Wikipedia |
宮下 健一郎(みやした けんいちろう、1892年(明治25年)3月17日 - 1959年(昭和34年)5月4日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
73 | 安部孝一 | Wikipedia |
安部 孝一(あべ こういち、1892年11月16日 - 1977年10月27日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
74 | 星野利元 | Wikipedia |
星野 利元(ほしの としもと、1892年(明治25年)5月5日 - 1978年(昭和53年)8月21日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
75 | 阿部孝壮 | Wikipedia |
阿部 孝壮(あべ こうそう、1892年3月24日 - 1947年6月19日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
76 | 宮崎繁三郎 岐阜市 | Wikipedia |
宮崎 繁三郎(みやざき しげさぶろう、明治25年(1892年)1月4日 - 昭和40年(1965年)8月30日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
77 | 前田正実 | Wikipedia |
前田 正実(まえだ まさみ、1892年11月10日 - 1953年7月8日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
78 | 千田貞季 | Wikipedia |
千田貞季(せんだ さだすえ 1892年12月16日 - 1945年3月8日)は、大日本帝国陸軍の軍人。栄典は従四位勲二等功四級。士候26期。栗林忠道大将とは同期。 | ||
79 | 一木清直 高森町 | Wikipedia |
一木 清直(いちききよなお、1892年10月16日 - 1942年8月21日)は、日本の陸軍軍人。陸軍士官学校卒(28期)。 | ||
80 | 一木清直 森町 | Wikipedia |
一木 清直(いちき きよなお、1892年10月16日 - 1942年8月21日)は、日本の陸軍軍人。陸軍士官学校卒(28期)。 | ||
81 | 簗瀬真琴 | Wikipedia |
簗瀬 真琴(やなせ まこと/やなせ まさこと、1892年(明治25年)5月2日 - 1978年(昭和53年)10月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 |
官僚
82 | 岡田文秀 | Wikipedia |
岡田 文秀(おかだ ふみひで、1892年(明治25年)11月25日 - 1989年(平成元年)11月19日)は、日本の内務・厚生官僚。官選県知事、厚生次官、海軍司政長官。旧姓・吉岡。 | ||
83 | 飯沼一省 | Wikipedia |
飯沼 一省(いいぬま かずみ、1892年(明治25年)2月15日 - 1982年(昭和57年)11月14日)は日本の内務官僚、貴族院議員。戦前から戦後にかけ、日本の都市計画行政を牽引した人物の一人である。妻は南弘の娘・櫂子。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
公務員
84 | 正木亮 玖波村 | Wikipedia |
正木 亮(まさき あきら、1892年3月25日 - 1971年8月22日) 昭和(戦前〜戦後)の監獄学・刑事政策の実践的法学者。戦後は死刑廃止の提唱者として日本における死刑廃止運動の中心的役割を担った。 | ||
85 | 齋藤悠輔 鶴岡市 | Wikipedia |
齋藤 悠輔(さいとう ゆうすけ、1892年(明治25年)5月21日 - 1981年(昭和56年)3月26日)は、日本の最高裁判所判事。栄典・称号は、正三位・勲一等瑞宝章・温海町名誉町民(後の鶴岡市名誉市民)。山形県西田川郡温海町(後の鶴岡市)出身。 |
学者・教授・准教授
86 | 三枝博音 本地村 | Wikipedia |
三枝 博音(さいぐさ ひろと、1892年(明治25)5月20日 - 1963年(昭和38)11月9日)は広島県山県郡本地村(現・北広島町)出身の哲学者。 思想史、科学史や技術史についての研究も多い。 | ||
87 | 岩崎民平 | Wikipedia |
岩崎 民平(いわさき たみへい、1892年12月18日 - 1971年6月29日)は、英語学者、辞書編纂者。東京外国語大学名誉教授。 | ||
東京外国語大学出身 出身の東京外国語大学の出身者 全国の東京外国語大学の出身者 | ||
88 | 末川博 岩国市 | Wikipedia |
末川 博(すえかわ ひろし、1892年(明治25年)11月20日 - 1977年(昭和52年)2月16日)は、日本の民法学者。日本学士院会員。立命館大学名誉総長。京都帝国大学教授、戦後に立命館大学学長・学校法人立命館総長を歴任。立命館では末川を名誉総長として顕彰している。長男は立命館大学名誉教授で歴史学者の末川清。清の妻は日本画家・橋本関雪の孫娘。勲四等瑞宝章(1942年)、従四位(1945年)。 | ||
89 | 藤田亮策 見附市 | Wikipedia |
藤田 亮策(ふじた りょうさく、1892年(明治25年)8月25日 - 1960年(昭和35年)12月12日)は、日本の考古学者。 | ||
90 | 高橋克己 | Wikipedia |
高橋 克己(たかはし かつみ、1892年3月9日 - 1925年2月8日)は、和歌山県和歌山市出身の農学博士。 | ||
91 | 杉野目晴貞 大崎市 | Wikipedia |
杉野目 晴貞(すぎのめ はるさだ、1892年10月27日 - 1972年4月14日)は、日本の有機化学者。元北海道大学学長。アルカロイド研究の第一人者として知られた。 | ||
92 | 上田穣 | Wikipedia |
上田 穣(うえた じょう、1892年2月6日 - 1976年11月13日)は日本の天文学者。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
93 | 森口多里 奥州市 | Wikipedia |
森口 多里(もりぐち たり、1892年7月8日 - 1984年5月5日)は、美術史家・美術評論家、民俗学者。 | ||
94 | 出隆 | Wikipedia |
出 隆(いで たかし、1892年(明治25年)3月10日 - 1980年(昭和55年)3月9日) は、日本の哲学者。 | ||
岡山大学出身 出身の岡山大学の出身者 全国の岡山大学の出身者 | ||
95 | 南川仁博 那覇市 | Wikipedia |
南川 仁博 (みなみかわ じんはく、1892年(明治25年)11月 - 1984年(昭和59年)4月1日) は、日本の昆虫学者。旧姓は楚南(そなん)。鱗翅目(チョウ、ガ)や膜翅目(ハチ、アリ)の分類学的研究や、茶樹や柑橘類の害虫の研究を主に進めており、とりわけ台湾の害虫研究において先駆的な研究結果を残した[2]。日本蛾類学会元会長、日本昆虫学会、日本応用動物昆虫学会名誉会員。 | ||
96 | 松月秀雄 糸島市 | Wikipedia |
松月 秀雄(まつづき ひでお、1892年9月18日 - 1993年)は、日本の教育学者。文学博士。東京理科大学学長。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
97 | 牧健二 福知山市 | Wikipedia |
牧 健二(まき けんじ、1892年5月(戸籍上は11月14日) - 1989年7月24日)は、法学者。専門は法制史。京都大学名誉教授。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
98 | 都築正男 姫路市 | Wikipedia |
都築 正男(つづき まさお、1892年(明治25年)10月20日 - 1961年(昭和36年)4月5日)は日本の医学者、海軍軍医。「原爆症研究の父」と呼ばれる。最終階級は海軍軍医少将。 | ||
99 | 田嶋隆純 栃木市 | Wikipedia |
田嶋 隆純(たじま りゅうじゅん、1892年〈明治25年〉1月9日 - 1957年〈昭和32年〉7月24日)は、チベット語に訳された仏教文献の精査解読とそれに基づくチベット訳と漢訳の仏典対照研究の先駆けとなった仏教学者。大正大学教授。真言宗豊山派大僧正。 | ||
100 | 関重広 | Wikipedia |
関 重広(せき しげひろ、1892年9月6日 - 1982年2月13日 )は、日本の電気工学者、社会事業家、工学博士、専門は照明工学。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
101 | 岡田弥一郎 加賀市 | Wikipedia |
岡田 弥一郎(おかだ やいちろう、1892年6月24日 - 1976年4月28日)は、日本の動物学者。石川県加賀市出身。 | ||
102 | 大井上康 江田島市 | Wikipedia |
大井上 康(おおいのうえ やすし、1892年(明治25年)8月21日 - 1952年(昭和27年)9月23日)は、農業学者、民間育種家。ブドウ「巨峰」の生みの親として、また今日では常識となっている栄養週期理論の提唱者としても知られる。 | ||
103 | 岡田利兵衞 伊丹市 | Wikipedia |
岡田 利兵衞(おかだ りへえ、1892年8月27日- 1982年6月5日)は、国文学者。号は柿衞。現在の兵庫県伊丹市生まれ。聖心女子大学名誉教授。伊丹市名誉市民。 | ||
104 | 野津龍三郎 彦根市 | Wikipedia |
野津 龍三郎(のづ りゅうざぶろう、1892年(明治25年)2月5日 - 1957年(昭和32年)10月27日は、日本の大正から昭和期の化学者、京都帝国大学教授・甲南大学理学部長から。滋賀県出身者として二人目の理学博士(博士登録番号234番)。 | ||
105 | 石田文次郎 大和郡山市 | Wikipedia |
石田 文次郎(いしだ ぶんじろう、1892年 - 1979年)は、日本の民法学者・裁判官・弁護士。法学博士(京都帝国大学)。東北帝国大学法文学部民法講座教授や、京都帝国大学法学部教授を歴任した。 | ||
106 | 高田敏子 三島市 | Wikipedia |
高田 敏子(たかだ としこ、1892年4月10日 - 1974年4月1日)は日本の女子教育及び英語教育を先駆的に推進した教育者。静岡県田方郡三島町(現在の三島市)出身。名前の表記は「敏」の例もあるが、戸籍上の表記は「敏子」。高田常三郎と常子の娘として生れる。大正から昭和初期に「高田女塾」、「高田女学校」を、戦後は「日本キリスト会川崎教会・高田英語学園」を設立して、女性や子供の英語教育に終生献身した。姉の坂本真琴は大正・昭和期に日本の婦人参政権運動に尽力した事で知られる。 | ||
カリフォルニア大学出身 出身のカリフォルニア大学の出身者 全国のカリフォルニア大学の出身者 |
研究者・研究家・発明家
107 | 金森誠之 | Wikipedia |
金森 誠之(かなもり しげゆき、1892年 - 1959年)は、日本の河川技術者、内務官僚。発明家、映画人でもあった。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
108 | 中江百合 佐倉市 | Wikipedia |
中江 百合(なかえ ゆり、1892年 - 1969年)は、大正・昭和期の料理研究家。父は司法官、貴族院議員、旧佐倉藩士の渡辺暢。姉は女優の東山千栄子。実子は翻訳家、音楽プロデューサー、ライターの中江昌彦。 |
画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家・漆芸家・工芸家
109 | 山本作兵衛 飯塚市 | Wikipedia |
山本作兵衛(やまもと さくべい、さくべえ、1892年5月17日 - 1984年12月19日)は、福岡県出身の炭鉱労働者、炭鉱記録画家。 | ||
110 | 寺島紫明 明石市 | Wikipedia |
寺島 紫明(てらしま しめい、明治25年(1892年)11月8日 ‐ 昭和50年(1975年)1月13日)は、明治時代から昭和時代にかけての日本画家。 | ||
111 | 子母澤寛 石狩市 | Wikipedia |
子母澤 寛 (しもざわ かん、1892年2月1日 - 1968年7月19日)は日本の小説家。北海道厚田郡厚田村(現・石狩市)出身。本名・梅谷 松太郎。洋画家の三岸好太郎は異父弟にあたる。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
112 | 子母沢寛 石狩市 | Wikipedia |
子母澤 寛 (しもざわ かん、1892年2月1日 - 1968年7月19日)は日本の小説家。北海道厚田郡厚田村(現・石狩市)出身。本名・梅谷 松太郎。洋画家の三岸好太郎は異父弟にあたる。第10回菊池寛賞受賞。 | ||
113 | 田中恭吉 和歌山市 | Wikipedia |
田中 恭吉(たなか きょうきち、明治25年(1892年) -大正4年(1915年)10月23日)は、和歌山県和歌山市出身の文人、芸術家。特に版画家としてよく知られている。 | ||
114 | 牧島如鳩 足利市 | Wikipedia |
牧島 如鳩(まきしま にょきゅう、明治25年(1892年)6月25日 - 昭和50年1975年)12月31日)は、栃木県出身の画家で、日本ハリストス正教会の自給伝道者。本名は省三(せいぞう)、聖名はパウェル・ペートロイチ。若いころの号は朝陽、1926年(昭和元年)頃から如鳩、1962年(昭和37年)からは如九と名乗った。伝道の傍らイコンも手がける一方、観音や達磨など仏画や日本の八百万神のみならず、両者を習合した仏耶一如とも言える独特の絵を描いた。 | ||
115 | 平沢貞通 小樽市 | Wikipedia |
平沢 貞通(ひらさわ さだみち、1892年(明治25年)2月18日 - 1987年(昭和62年)5月10日)は、日本のテンペラ画家。北海道小樽市出身(東京府生まれ)。雅号は大暲(たいしょう)、後に光彩(こうさい)[2]。 | ||
116 | 木内克 水戸市 | Wikipedia |
木内克(きのうち よし、1892年6月27日 - 1977年3月8日)は、茨城県水戸市出身の彫刻家である。 | ||
117 | 金島桂華 | Wikipedia |
金島 桂華(かなしま けいか、1892年6月25日 - 1974年[[9月14日](])は、日本画家、日本芸術院会員。 | ||
118 | 橘小夢 秋田市 | Wikipedia |
橘 小夢(たちばな さゆめ、明治25年(1892年)10月12日 - 昭和45年(1970年)10月6日)は、日本の大正から昭和初期に活躍した画家、イラストレーター、版画家。本名は加藤凞(ひろし)。背景を綿密描き込んだ妖美で退廃的な女性を描いて「日本のビアズリー」と呼ばれた。 | ||
119 | 大森光彦 辰野町 | Wikipedia |
大森光彦(おおもりみつひこ、1892年(明治25年)6月13日 - 1954年(昭和29年)5月19日)は、日本の陶芸家。長野県上伊那郡朝日村(現辰野町)出身。愛知県立瀬戸窯業学校卒業。 | ||
120 | 中川紀元 武蔵野市 | Wikipedia |
中川 紀元(なかがわ きげん、1892年(明治25年)2月11日 - 1972年(昭和47年)2月9日)は、長野県上伊那郡辰野町出身の洋画家である。旧姓は有賀、本名は紀元次。 | ||
121 | 日名子実三 | Wikipedia |
日名子 実三(ひなご じつぞう、1892年10月24日 - 1945年4月25日)は、日本の彫刻家。大分県臼杵市出身。 | ||
122 | 福田平八郎 | Wikipedia |
福田 平八郎(ふくだ へいはちろう、1892年2月28日 - 1974年3月22日)は、大分県出身の日本画家。 | ||
京都市立芸術大学出身 出身の京都市立芸術大学の出身者 全国の京都市立芸術大学の出身者 | ||
123 | 武藤完一 | Wikipedia |
武藤 完一(むとう かんいち、1892年11月15日 - 1982年9月28日)は、大分の版画家。川端画学校で藤島武二に師事。大分師範学校教諭、大分大学教授として大分県の美術の発展に尽力すると共に、日本版画協会展、文展、日展、新日展に出品。1960(昭和35)年には棟方志功、永瀬義郎、武田由平らと「日版会」を創立した。1964年、光風会会員となる。 | ||
124 | 子母澤寛 大田区 | Wikipedia |
子母澤 寛 (しもざわ かん、1892年2月1日 - 1968年7月19日)は日本の小説家。北海道厚田郡厚田村(現・石狩市)出身。本名・梅谷 松太郎。洋画家の三岸好太郎は異父弟にあたる。第10回菊池寛賞受賞。 | ||
125 | 中川紀元 辰野町 | Wikipedia |
中川 紀元(なかがわ きげん、1892年(明治25年)2月11日 - 1972年(昭和47年)2月9日)は、日本の画家である。旧姓は有賀、本名は紀元次。 |
政治家・議員・首長
126 | 須磨弥吉郎 秋田市 | Wikipedia |
須磨 弥吉郎(すま やきちろう、1892年(明治25年)9月9日 - 1970年(昭和45年)4月30日)は日本の外交官。スペイン特命全権公使・衆議院議員。 | ||
中央大学出身 出身の中央大学の出身者 全国の中央大学の出身者 | ||
127 | 大達茂雄 浜田市 | Wikipedia |
大達 茂雄(おおだち しげお、1892年(明治25年)1月5日 - 1955年(昭和30年)9月25日)は、日本の内務官僚、政治家。小磯内閣で内務大臣、第5次吉田内閣で文部大臣を務めた。参議院議員1期。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
128 | 團伊能 大牟田市 | Wikipedia |
團 伊能(だん いのう、1892年2月21日 - 1973年2月9日)は、日本の実業家、政治家、美術史学者。男爵。国際文化振興会理事。 | ||
129 | 小林英三 尾道市 | Wikipedia |
小林 英三(こばやし えいぞう、1892年11月9日 – 1972年11月7日)は、日本の政治家、実業家。厚生大臣。1965年勲一等瑞宝章受章。 | ||
東京工業大学出身 出身の東京工業大学の出身者 全国の東京工業大学の出身者 | ||
130 | 星野直樹 新宿区 | Wikipedia |
星野 直樹(ほしの なおき、1892年4月10日 - 1978年5月29日)は、日本の大蔵官僚、政治家、実業家。 | ||
131 | 中川文蔵 広尾町 | Wikipedia |
中川 文蔵(なかがわ ぶんぞう、1892年(明治25年) / 1893年(明治26年) - 1978年(昭和53年))は、日本の農民、商人(雑貨商兼家畜商)、政治家。北海道広尾町議会議員を務めた。あだ名は“拙者(せっしゃ)文蔵”[注 1]。 | ||
132 | 小林英三 川口市 | Wikipedia |
小林 英三(こばやし えいぞう、1892年11月9日 – 1972年11月7日)は、日本の政治家、実業家。厚生大臣。1965年勲一等瑞宝章受章。 | ||
東京工業大学出身 出身の東京工業大学の出身者 全国の東京工業大学の出身者 | ||
133 | 高田富與 | Wikipedia |
高田 富與(たかだ とみよ、1892年5月11日 - 1976年10月17日)は日本の弁護士、政治家。札幌市議、第5代札幌市長(在任1947年 - 1959年。3期。初代公選市長)、自由民主党衆議院議員(2期)。 | ||
134 | 高田富與 江別市 | Wikipedia |
高田 富與(たかだ とみよ、1892年5月11日 - 1976年10月17日)は日本の弁護士、政治家。札幌市議、第5代札幌市長(在任1947年 - 1959年。3期。初代公選市長)、自由民主党衆議院議員(2期)。 | ||
135 | 梅津芳三 盛岡市 | Wikipedia |
梅津 芳三(うめづ よしぞう、1892年(明治25年)5月25日 - 1977年(昭和52年)5月17日)は、日本の内務官僚。神奈川県横須賀市長。 | ||
136 | 羽鳥又男 前橋市 | Wikipedia |
羽鳥 又男(はとり またお、1892年4月20日 - 1975年9月30日)は、群馬県勢多郡富士見村(現群馬県前橋市)出身。台湾総督府中央研究所職員を経て、台南市の市長を務めた。台南市長在任中、第二次世界大戦中という時勢の中、赤崁楼の修復作業を進めたことで知られる。 | ||
137 | 加藤勘十 岩倉市 | Wikipedia |
加藤 勘十(かとう かんじゅう、1892年(明治25年)2月25日 - 1978年(昭和53年)9月27日)は、昭和期の政治家、労働運動家。日本社会党衆議院議員、芦田内閣の労働大臣。碧水、率とも称した。 | ||
138 | 吉田萬次 一宮市 | Wikipedia |
吉田 萬次(よしだ まんじ、1892年3月2日 - 1958年12月21日)は、日本の政治家、医師。参議院議員(1期)、愛知県会議員(3期)、一宮市長(2期)、一宮市会議員(4期)などを歴任した。 | ||
139 | 井伊誠一 新発田市 | Wikipedia |
井伊 誠一(いい せいいち、1892年(明治25年)10月5日 - 1985年(昭和60年)1月5日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
140 | 千賀康治 岡崎市 | Wikipedia |
千賀 康治(せんが こうじ、1892年9月11日 - 1956年2月24日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、愛知県会議員(3期)、岡崎市会議員(4期)などを歴任した。 | ||
141 | 野坂参三 萩市 | Wikipedia |
野坂 参三(のさか さんぞう、1892年(明治25年)3月30日 - 1993年(平成5年)11月14日)は、日本の政治家、日本共産党議長、コミンテルン(共産主義インターナショナル)日本代表、日本共産党の第一書記を務め、名誉議長となる。衆議院議員(3期)・参議院議員(4期)。初名は小野 参弎(おの さんぞう)。中国では岡野 進や林 哲と称した。ペンネームは野坂鉄嶺、野坂鉄など。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
142 | 田中清一 大野市 | Wikipedia |
田中 清一(たなか せいいち、1892年(明治25年)9月3日 - 1973年(昭和48年)11月27日)は、日本の政治家、実業家。 | ||
143 | 林田正治 熊本市 | Wikipedia |
林田 正治(はやしだ まさはる、1892年8月 - 1979年12月14日[2])は、日本の官僚、政治家。 | ||
144 | 高瀬荘太郎 富士宮市 | Wikipedia |
高瀬 荘太郎(たかせ そうたろう、旧字体:髙瀨莊太郎 1892年3月9日 - 1966年9月4日)は、日本の会計学者、政治家。正三位勲一等瑞宝章。 | ||
145 | 藤本虎喜 | Wikipedia |
藤本 虎喜(ふじもと とらき、1892年-1981年)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)を務めた。熊本県上益城郡の出身。 | ||
146 | 今井梧楼 岡谷市 | Wikipedia |
今井 梧楼(いまい ごろう、1892年(明治25年)2月11日 - 1944年(昭和19年)12月29日[3])は、大正から昭和時代前期の政治家。長野県岡谷市長。 | ||
147 | 玉田昇次郎 稲沢市 | Wikipedia |
玉田 昇次郎(たまだ しょうじろう、1892年(明治25年)5月13日 - 1938年(昭和13年)2月16日)は、日本の内務・警察官僚。官選香川県知事。 | ||
148 | 米村喜男衛 網走市 | Wikipedia |
米村 喜男衛(よねむら きおえ、1892年(明治25年) - 1981年(昭和56年))は、日本の考古学者、理容師。青森県生まれ。理髪店を営みながら、在野の考古学者として活動し、日本人類学会評議員などを務める。北海道網走市のモヨロ貝塚の発見を通じ、オホーツク文化の存在を知らしめた功績から、網走市名誉市民の称号や青森県知事表彰を得ている。 | ||
149 | 中村寿一 豊橋市 | Wikipedia |
中村 寿一(なかむら じゅいち、1892年5月29日 - 1956年1月6日)は、日本の政治家。愛知県挙母市長(1期、挙母市は豊田市の旧市名)、挙母町長、愛知県会議員などを歴任した。 | ||
150 | 平良辰雄 大宜味村 | Wikipedia |
平良 辰雄(たいら たつお、1892年4月6日 - 1969年7月26日)は、戦前の沖縄県の官僚で、沖縄群島政府及び琉球政府の政治家。 |
評論家
151 | 三宅周太郎 | Wikipedia |
三宅 周太郎(みやけ しゅうたろう、1892年(明治25年)7月22日 - 1967年(昭和42年)2月14日)は、演劇評論家。媚びぬ劇評に徹し、また、文楽の興隆に尽くした。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
152 | 山崎斌 | Wikipedia |
山崎斌(やまざき あきら、1892年11月9日 - 1972年6月27日)は、日本の作家、評論家、染織家。「草木染め」の命名者として知られる。 | ||
153 | 松下芳男 新発田市 | Wikipedia |
松下 芳男(まつした よしお、明治25年(1892年)5月4日 - 昭和58年(1983年)4月9日)は、日本陸軍の軍人(陸軍中尉)・軍事評論家・軍事史家。「明治軍制史論」で法学博士(東京大学)。新潟県新発田町(新発田市)出身。 |
宗教家・思想家・運動家
154 | 田口運蔵 新発田市 | Wikipedia |
田口運蔵(たぐち うんぞう、1892年(明治25年)5月1日 - 1933年(昭和8年)10月26日)は、日本の社会主義運動家。コミンテルン初期の日本人代表として知られる。 | ||
155 | 桐原葆見 広島市 | Wikipedia |
桐原 葆見(きりはら しげみ、1892年11月10日 - 1968年5月2日)は、日本の心理学者、僧侶、第十四代浄楽寺住職。 | ||
156 | 佐野学 杵築市 | Wikipedia |
佐野 学(さの まなぶ 1892年2月22日 - 1953年3月9日)は日本の社会主義運動家で、昭和初期の非合法政党時代の日本共産党(第二次共産党)の中央委員長。獄中から転向声明を発表し、大きな反響を呼んだ。 | ||
157 | 干潟龍祥 小浜市 | Wikipedia |
干潟 龍祥(ひかた りゅうしょう、1892年2月7日 - 1991年10月13日)は、日本のインド哲学者、僧侶。 | ||
158 | 照屋寛範 | Wikipedia |
照屋 寛範(てるや かんぱん、1892年4月26日 - 1968年4月28日)は日本の牧師。沖縄バプテスト連盟初代理事長。 | ||
159 | 久保角太郎 | Wikipedia |
久保 角太郎(くぼ かくたろう、明治25年(1892年)1月7日 - 昭和19年(1944年)11月18日)は、昭和初期の宗教家。霊友会の創設者。 |
俳人・歌人・詩人・歌人
160 | 山口青邨 | Wikipedia |
山口 青邨(やまぐち せいそん、1892年5月10日 - 1988年12月15日)は、岩手県出身の俳人、鉱山学者。高浜虚子に俳句を師事、工学博士として東京大学に勤めながら俳誌「夏草」を主宰した。本名は吉朗(きちろう)。初号は泥邨。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
161 | 宮崎龍介 荒尾市 | Wikipedia |
宮崎 龍介(みやざき りゅうすけ、1892年(明治25年)11月2日 - 1971年(昭和46年)1月23日)は、大正・昭和期の編集者・弁護士・社会運動家。孫文の盟友の宮崎滔天の長男。母は前田案山子の三女・槌子。有夫であった歌人・柳原白蓮と駆け落ちした白蓮事件で知られる。竜介とも。 | ||
162 | 今井康子 米子市 | Wikipedia |
今井 康子(いまい やすこ、明治25年(1892年) - 昭和53年(1978年))は、日本の歌人。雅号葵明。 | ||
163 | 佐藤春夫 新宮市 | Wikipedia |
佐藤 春夫(さとう はるお、1892年(明治25年)4月9日 - 1964年(昭和39年)5月6日)は、近代日本の詩人・作家。艶美清朗な詩歌と倦怠・憂鬱の小説を軸に、文芸評論・随筆・童話・戯曲・評伝・和歌とその活動は多岐に及び、明治末期から昭和まで旺盛に活動した。筆名を潮鳴、沙塔子、雅号を能火野人と称した。初代新宮市名誉市民。 | ||
東京教育大学出身 出身の東京教育大学の出身者 全国の東京教育大学の出身者 | ||
164 | 堀口大學 | Wikipedia |
堀口 大學(ほりぐち だいがく、新字体:堀口 大学、1892年(明治25年)1月8日 - 1981年(昭和56年)3月15日)は、明治から昭和にかけての詩人、歌人、フランス文学者。訳詩書は三百点を超え、日本の近代詩に多大な影響を与えた。雅号は十三日月。葉山町名誉町民。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
165 | 水原秋桜子 千代田区 | Wikipedia |
水原 秋桜子(みずはら しゅうおうし、1892年(明治25年)10月9日 - 1981年(昭和56年)7月17日)は、日本の俳人、医師・医学博士。秋櫻子とも表記する。本名は水原豊(みずはら ゆたか)。松根東洋城、ついで高浜虚子に師事。短歌に学んだ明朗で叙情的な句風で「ホトトギス」に新風を吹き込んだが、「客観写生」の理念に飽き足らなくなり同誌を離反、俳壇に反ホトトギスを旗印とする新興俳句運動が起こるきっかけを作った。「馬酔木」主宰。別号に喜雨亭。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
166 | 生田春月 米子市 | Wikipedia |
生田 春月(いくた しゅんげつ、1892年3月12日 - 1930年5月19日)は、日本の詩人。ハインリヒ・ハイネなど、外国文学の翻訳も多い。妻生田花世は平塚らいてう主宰の「青鞜」同人作家。本名清平。 | ||
167 | 堀口大學 長岡市 | Wikipedia |
堀口 大學(ほりぐち だいがく、新字体:堀口 大学、1892年(明治25年)1月8日 - 1981年(昭和56年)3月15日)は、明治から昭和にかけての詩人、歌人、フランス文学者。訳詩書は三百点を超え、日本の近代詩に多大な影響を与えた。雅号は十三日月。葉山町名誉町民。 | ||
168 | 林柳波 | Wikipedia |
林 柳波(はやし りゅうは、1892年(明治25年)3月18日 - 1974年(昭和49年)3月27日)は詩人。兄は陸軍獣医少将の林里二。 | ||
明治薬科大学出身 出身の明治薬科大学の出身者 全国の明治薬科大学の出身者 |
その他の職業
169 | 小松原久治 酒田市 | Wikipedia |
小松原 久治(こまつばら きゅうじ、1892年10月30日 - 1967年1月17日)は、日本の元造幣局研究所所長、工学博士。 | ||
170 | 市川正一 宇部市 | Wikipedia |
市川 正一(いちかわ しょういち、1892年3月20日 - 1945年3月15日)は、戦前の非合法時代の日本共産党(第二次共産党)の幹部。山口県宇部市出身。 | ||
171 | 澁澤金三郎 太田市 | Wikipedia |
澁澤 金三郎(しぶさわ きんざぶろう、1892年(明治25年) - 没年不明)は、日本の銀行家。三菱銀行取締役。 |