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宝塚・女優・俳優・声優・ナレーター・歌舞伎・能楽・狂言
1 | 山田隆也 | Wikipedia |
山田 隆也(やまだ たかや、1890年7月31日 - 1978年6月8日)は、日本の俳優である。本名は横川 唯治(よこかわ ただはる)、第二次世界大戦前は山田 隆弥(やまだ たかや)と名乗った。 | ||
2 | 東山千栄子 佐倉市 | Wikipedia |
東山 千栄子(ひがしやま ちえこ、旧字体:千榮子、1890年9月30日 - 1980年5月8日)は、日本の女優。日本新劇俳優協会初代会長。本名は河野 せん(旧姓は渡辺)。 | ||
3 | 葛木香一 北斗市 | Wikipedia |
葛木 香一(かつらぎ こういち、1890年3月12日 - 1964年9月6日)は、日本の俳優である[3]。出生名中澤 次良(なかざわ じろう)[4]、本名根石 次郎(ねいし じろう)[3]。 | ||
4 | 新井淳 本庄市 | Wikipedia |
新井 淳(あらい じゅん、1890年1月10日 - 没年不詳[2])は、日本の俳優である。新派出身で、現代劇の映画に出演した。 |
落語家
5 | 古今亭志ん生 千代田区 | Wikipedia |
5代目古今亭 志ん生(ここんてい しんしょう、1890年〈明治23年〉6月5日 - 1973年〈昭和48年〉9月21日)は、明治後期から昭和期にかけて活躍した東京の落語家。本名、美濃部 孝蔵(みのべ こうぞう)。生前は落語協会所属。出囃子は「一丁入り」。20世紀の落語界を代表する名人と称される。 |
格闘技
6 | 22代目木村庄之助 高松市 | Wikipedia |
22代木村 庄之助(きむら しょうのすけ、1890年3月1日 - 1994年4月23日 )は、大相撲の立行司の一人。1951年9月から1959年11月にかけて木村庄之助を襲名していた。本名は泉 林八、所属:竹縄(大阪)→出羽ノ海部屋、香川県三木郡牟禮村(現:高松市)出身。通称は泉の親方。 | ||
7 | 西ノ海嘉治郎 (3代) 霧島市 | Wikipedia |
西ノ海 嘉治郎(3代)(にしのうみ かじろう、1890年11月2日 - 1933年7月28日)は、鹿児島県西囎唹郡西国分村(現・鹿児島県霧島市)出身の元大相撲力士。第30代横綱。本名は松山 伊勢助(まつやま いせすけ)。 | ||
8 | 白岩亮治 東松島市 | Wikipedia |
白岩 亮治(しらいわ りょうじ、1890年3月21日-1971年11月17日)は、1920年代に活躍した大相撲力士である。身長173cm、体重90kg。現役引退後は、年寄として後進の指導につとめた。本名は奥田亮二。 | ||
9 | 琴ヶ浦善治郎 魚津市 | Wikipedia |
琴ヶ浦 善治郎(ことがうら ぜんじろう、1890年2月11日 - 1945年3月10日)は、富山県下新川郡(現:富山県魚津市)出身の元大相撲力士。本名は越野 善次郎(こしの ぜんじろう)。 | ||
10 | 一湊政五郎 北秋田市 | Wikipedia |
一湊政五郎(いちみなとまさごろう、1890年8月1日-1945年12月4日)は、出羽海部屋に所属した元力士。本名は久住政五郎。秋田県北秋田郡森吉町出身。174cm、92kg。最高位は西前頭4枚目。 | ||
11 | 木村庄之助(22代) 高松市 | Wikipedia |
22代木村 庄之助(きむら しょうのすけ、1890年3月1日 - 1994年4月23日 )は、大相撲の立行司の一人。1951年9月から1959年11月にかけて木村庄之助を襲名していた。本名は泉 林八、所属:竹縄(大阪)→出羽ノ海部屋、香川県三木郡牟禮村(現:高松市)出身。通称は泉の親方。 | ||
12 | 岩木山孫平 宇都宮市 | Wikipedia |
岩木山孫平(いわきやままごへい、1890年8月13日-1934年6月25日)は、清見潟部屋に所属した元力士。7代清見潟。本名は横越孫平(旧姓兼子)。現在の栃木県宇都宮市出身。171cm、87kg。最高位は東前頭6枚目。 | ||
13 | 阿蘇ヶ嶽寅吉 熊本市 | Wikipedia |
阿蘇ヶ嶽寅吉(あそがたけとらきち、1890年2月17日-1942年9月21日)は、八角部屋、雷部屋、再度八角部屋に所属した元力士。本名は田尻虎吉。熊本県熊本市出身。170cm、97kg。最高位は東小結。 | ||
14 | 西ノ海嘉治郎(3代) 霧島市 | Wikipedia |
西ノ海 嘉治郎(3代)(にしのうみ かじろう、1890年11月2日 - 1933年7月28日)は、鹿児島県西囎唹郡西国分村(現・鹿児島県霧島市)出身の元大相撲力士。第30代横綱。本名は松山 伊勢助(まつやま いせすけ)。 |
野球
15 | 鈴木惣太郎 | Wikipedia |
鈴木 惣太郎(すずき そうたろう、1890年5月4日 - 1982年5月11日)は日本プロ野球創成期に日米間の交流に尽力した人物である。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 |
野球・サッカー以外の球技
16 | 熊谷一弥 大牟田市 | Wikipedia |
熊谷 一弥(くまがい いちや、1890年(明治23年)9月10日 - 1968年(昭和43年)8月16日)は、福岡県大牟田市出身の男子テニス選手である。旧漢字表記では 熊谷 一彌 と書く。 |
冬季スポーツ
17 | 猪谷六合雄 | Wikipedia |
猪谷六合雄(いがや くにお、1890年5月5日 - 1986年1月10日)は日本の近代スキーの草分け的存在である。旧制群馬県立館林中学校中退。三人目の妻の定子は日本初の女性ジャンパーでもあった。 |
囲碁・将棋・麻雀
18 | 金易二郎 羽後町 | Wikipedia |
金 易二郎(こん やすじろう、1890年10月10日 - 1980年6月23日)は、大正時代から昭和時代初期に活動した将棋棋士。名誉九段。棋士番号1。秋田県羽後町出身。従五位勲四等瑞宝章。 |
作家・小説家・エッセイ・文筆・翻訳家・編集者
19 | 岡田三郎 松前町 | Wikipedia |
岡田 三郎(おかだ さぶろう、1890年2月4日 - 1954年4月12日)は北海道出身の日本の小説家。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
20 | 森下雨村 佐川町 | Wikipedia |
森下 雨村(もりした うそん、1890年(明治23年)2月23日 - 1965年(昭和40年)5月16日)は、日本の編集者、翻訳家、小説家。高知県佐川町出身。本名・岩太郎。別名・佐川春風。早稲田大学英文科卒、博文館に勤め、1920年(大正9年)に探偵小説雑誌『新青年』編集長となり、内外の探偵小説の紹介に努め、自らも創作をおこなった。 | ||
21 | 鷹野つぎ | Wikipedia |
鷹野つぎ(たかの つぎ、女性、1890年8月15日 - 1943年3月19日)は、静岡県生まれの小説家。浜松市生まれ。旧姓・岸次。1907年浜松高等女学校卒。遠江新聞記者鷹野弥太郎と結婚。夫が名古屋新聞、報知新聞に移り、名古屋、豊橋、沼津、福島と転々。1917年の時事新報入社で東京に定住。平塚らいてうなど『青鞜』とのつきあいがあり、島崎藤村に師事した。 | ||
22 | 坪田譲治 岡山市 | Wikipedia |
坪田 譲治(つぼた じょうじ、1890年(明治23年)3月3日 - 1982年(昭和57年)7月7日)は、岡山県出身の児童文学作家、日本藝術院会員。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
23 | 額田六福 勝央町 | Wikipedia |
額田 六福(ぬかだ ろっぷく、明治23年(1890年)10月2日 - 昭和23年(1948年)12月21日)は、劇作家・大衆小説作家。岡本綺堂の高弟。翻訳家、額田やえ子の父。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
24 | 佐近益栄 境港市 | Wikipedia |
佐近 益栄(さこん ますえ、明治23年(1890年)8月7日 - 昭和5年(1930年)12月14日)は日本の小説家。ペンネームは江外(こうがい)。旧姓は江村、大田。 | ||
25 | 新井紀一 | Wikipedia |
新井 紀一(あらい きいち、1890年2月22日 - 1966年3月13日)は、日本の小説家。実生活に裏打ちされた文章で知られた。日本の労働文学の代表的作家。砲兵工廠職工として働いていたことから「兵隊作家」とよばれた。別院一郎の筆名も用いる。 | ||
26 | 田中純 広島市 | Wikipedia |
田中 純(たなか じゅん、1890年(明治23年)1月19日 - 1966年(昭和41年)4月20日)は、日本の作家、文芸評論家、翻訳家。 | ||
27 | 坪田譲治 豊島区 | Wikipedia |
坪田 譲治(つぼた じょうじ、1890年(明治23年)3月3日 - 1982年(昭和57年)7月7日)は、岡山県出身の児童文学作家、日本藝術院会員。 | ||
28 | 谷崎精二 | Wikipedia |
谷崎 精二 (たにざき せいじ、1890年12月19日 - 1971年12月14日)は作家、英文学者。谷崎潤一郎の弟。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 |
建築家・建築学者・技術者
29 | 梅澤捨次郎 金沢市 | Wikipedia |
梅澤 捨次郎(うめざわ すてじろう、新字体:梅沢 捨次郎、1890年(明治23年)12月1日(p3-80) - 1958年(昭和33年)4月29日[3])は石川県出身の建築家。日本統治時代の台湾で数々の公共建築物の設計を手がけ、多くは文化資産として現在も活用されている。2000年代以降にアニメーション作家、アニメ監督として活躍している吉浦康裕の曾祖父にあたる[4][5][6]。 |
経営者・実業家
30 | 守分十 倉敷市 | Wikipedia |
守分 十(もりわけ ひさし、1890年(明治23年)5月10日 - 1977年(昭和52年)1月22日)は、日本の銀行家。元中国銀行頭取。中国銀行の“中興の祖”とされる。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
31 | 古川為三郎 一宮市 | Wikipedia |
古川 為三郎(ふるかわ ためさぶろう、1890年(明治23年)1月18日 - 1993年(平成5年)5月19日)は、ヘラルドグループの創業者。愛知県中島郡萩原村(現一宮市)出身。古為(フルタメ)の愛称で親しまれた。 | ||
32 | 久保田豊 阿蘇市 | Wikipedia |
久保田 豊(くぼた ゆたか、1890年4月27日 - 1986年9月9日)は、日本の実業家。日窒コンツェルンの野口遵と共に、当時世界最大級の水豊ダムをはじめ、朝鮮北部に大規模なダムを建設した。戦後はコンサルタント会社日本工営社長を務めた。 | ||
静岡大学出身 出身の静岡大学の出身者 全国の静岡大学の出身者 | ||
33 | 間宮不二雄 文京区 | Wikipedia |
間宮 不二雄(まみや ふじお、1890年(明治23年)6月26日 - 1970年(昭和45年)10月24日)は、日本の実業家。日本で最初の図書館用具商社を開く。 | ||
34 | 酒井忠孝 鶴岡市 | Wikipedia |
酒井 忠孝(さかい ただもと、明治23年(1890年)1月10日 - 昭和31年(1956年)10月3日)は、出羽庄内藩11代藩主・酒井忠篤の3男。松ヶ岡開墾場2代総長。酒田米穀取引所理事長。山居賃貸倉庫㈱社長。(財)北斗会会長。鶴岡市農業会長。鶴岡市農協組合長。 | ||
35 | 鈴木三郎助(3代目) 葉山町 | Wikipedia |
鈴木 三郎助(すずき さぶろうすけ、1890年6月23日 - 1973年6月19日)は、日本の実業家。鈴木商店(現味の素)創業者二代目鈴木三郎助の長男で、同社代表取締役社長や、京浜急行電鉄代表取締役社長を務めた。 | ||
36 | 森田福市 神石高原町 | Wikipedia |
森田 福市(もりた ふくいち、1890年(明治23年)6月15日 - 1945年(昭和20年)8月6日[3])は、日本の政治家・広島市会議員、広島県会議員、衆議院議員[4]、貴族院議員[5]、広島県多額納税者[6][7]、実業家。土木建築請負業[7]。森田工業、広島水産、東亜鉱業汽船、東亜貿易、日栄木材、鶴海耐火煉瓦各社長[4][8]。広島商工会議所会頭[4][8]。 | ||
37 | 遠山元一 川島町 | Wikipedia |
遠山 元一(とおやま げんいち 1890年7月21日 - 1972年8月9日)は埼玉県出身の実業家。日興證券の創業者で初代会長。美術品収集家としても名高い。 | ||
38 | 伊奈長三郎 常滑市 | Wikipedia |
伊奈 長三郎(いな ちょうざぶろう、1890年3月20日 - 1980年10月10日)は、日本の実業家、政治家。伊奈製陶(のちのINAX、現LIXIL)創業者で、同社代表取締役社長を務めた。初代常滑市長(1期)、常滑町長(1期)などを歴任。 | ||
39 | 下出義雄 大阪市 | Wikipedia |
下出 義雄(しもいで よしお、1890年(明治23年)5月12日 - 1958年(昭和33年)1月20日)は、大正から昭和にかけて活動した日本の実業家、教育者、政治家。 | ||
40 | 松山茂助 | Wikipedia |
松山 茂助(まつやま もすけ、1890年12月2日 - 1973年6月25日)は日本の醸造学者、実業家。 | ||
41 | 林五一 岡谷市 | Wikipedia |
林 五一(はやし ごいち、1890年8月15日 - 1992年3月7日)は、日本の篤農家、実業家。ワインメーカー林農園 五一わいん創業者。長野県諏訪郡平野村(現岡谷市)生まれ。 | ||
42 | 松岡弘 安曇野市 | Wikipedia |
松岡 弘(まつおか ひろむ、1890年12月19日 - 1983年3月8日)は、日本の教育者。第二次世界大戦後、長く信濃教育会会長を務め、また日本連合教育会会長も務めた。 |
軍人
43 | 清水規矩 | Wikipedia |
清水 規矩(しみず のりつね、1890年(明治23年)2月10日 - 1968年(昭和43年)1月19日は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
44 | 原田覚 | Wikipedia |
原田 覚(はらだ かく/さとる、1890年(明治23年)10月12日 - 1945年(昭和20年)9月25日)は、日本の海軍軍人。海兵41期。最終階級は海軍中将。特殊潜行艇の育ての親[2]。 | ||
45 | 城島高次 | Wikipedia |
城島 高次(じょうじま たかつぐ、1890年(明治23年)6月20日 - 1967年(昭和42年)10月9日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
46 | 安達二十三 | Wikipedia |
安達 二十三(あだち はたぞう、1890年6月17日 - 1947年9月10日)は日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
47 | 江木理一 | Wikipedia |
江木 理一(えぎ りいち、1890年4月10日 - 1970年2月16日)は日本の元軍人、元NHKアナウンサー。ラジオ体操の初代担当アナウンサーとして知られている。 | ||
48 | 岡田資 鳥取市 | Wikipedia |
岡田 資(おかだ たすく、1890年4月14日 - 1949年9月17日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
49 | 木庭知時 | Wikipedia |
木庭 知時(こば ともとき、1890年9月22日 - 1983年7月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。熊本県出身。 | ||
50 | 河辺虎四郎 | Wikipedia |
河辺 虎四郎(かわべ とらしろう、1890年(明治23年)9月25日 - 1960年(昭和35年)6月25日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。富山県出身。 | ||
51 | 堀井富太郎 小野市 | Wikipedia |
堀井 富太郎(ほりい とみたろう、1890年(明治23年)11月7日 - 1942年(昭和17年)11月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。兵庫県加東郡河合村(現在の小野市河合西町)出身。責任感の強い性格であったと言われる。また、陸軍大学校を卒業していない所謂“無天組”でありながら、中将にまで栄進した人物としても知られる。 | ||
52 | 尾崎義春 旭川市 | Wikipedia |
尾崎 義春(おざき よしはる、1890年4月20日 - 1973年9月19日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。北海道旭川市出身。 | ||
53 | 神田正種 | Wikipedia |
神田 正種(かんだ まさたね、1890年4月24日 - 1983年1月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
54 | 角田覚治 | Wikipedia |
角田 覚治(かくた かくじ、1890年(明治23年)9月23日-1944年(昭和19年)8月2日)は、新潟県南蒲原郡出身の海軍軍人。最終階級は海軍中将。テニアン島で戦死。 | ||
55 | 伊藤整一 みやま市 | Wikipedia |
伊藤 整一(いとう せいいち、1890年(明治23年)7月26日 - 1945年(昭和20年)4月7日)は、日本の海軍軍人。福岡県三池郡高田町(現・みやま市)出身。海軍兵学校39期。最終階級は海軍大将。 | ||
56 | 大場四平 | Wikipedia |
大場 四平(おおば しへい、1890年1月14日 - 1963年7月25日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
57 | 小林仁 | Wikipedia |
小林 仁(こばやし まさみ/まさし、1890年6月18日 - 1977年8月7日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。山形県米沢市出身。山形県立米沢中学校、海軍兵学校(38期)卒業。 | ||
58 | 橋本欣五郎 | Wikipedia |
橋本 欣五郎(はしもと きんごろう、1890年2月19日 - 1957年6月29日)は、昭和時代の日本の陸軍軍人、政治家(衆議院議員1期)。右翼活動家。たびたびクーデターを試みたが失敗し、極東国際軍事裁判(東京裁判)で訴追された。通称「ハッシー」「欽ちゃん」。 | ||
59 | 鈴木義尾 | Wikipedia |
鈴木 義尾(すずき よしお、1890年(明治23年)11月15日 - 1944年(昭和19年)11月21日)は、日本の海軍軍人。前名は義雄。主な軍歴を第二艦隊に歩み、太平洋戦争において軍令部第二部長、第三戦隊司令官を歴任。マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦に参戦し、台湾沖で戦死した海軍中将である。 | ||
60 | 横山静雄 | Wikipedia |
横山 静雄(よこやま しずお、1890年12月1日 - 1961年1月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
61 | 斎藤義次 | Wikipedia |
斎藤 義次(さいとう よしつぐ、1890年11月23日 - 1944年7月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
62 | 佐伯文郎 | Wikipedia |
佐伯 文郎(さえき ぶんろう、1890年1月13日 - 1967年6月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
63 | 東海林俊成 | Wikipedia |
東海林 俊成(しょうじ とししげ/としなり、1890年10月27日 - 1974年12月10日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
64 | 多田武雄 | Wikipedia |
多田 武雄(ただ たけお、1890年10月7日 - 1953年3月3日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
65 | 田結穣 大垣市 | Wikipedia |
田結 穣(たゆい みのる、1890年(明治23年)1月20日 - 1977年(昭和52年)6月28日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
66 | 宇垣纏 瀬戸町 | Wikipedia |
宇垣 纏(うがき まとめ、1890年(明治23年)2月15日 - 1945年(昭和20年)8月15日)は、日本の海軍軍人。海兵40期。最終階級は海軍中将。陣中日記『戦藻録』が有名。 | ||
67 | 小畑英良 | Wikipedia |
小畑 英良(おばた ひでよし、1890年(明治23年)4月2日 - 1944年(昭和19年)8月11日)は、日本の陸軍軍人。官位は陸軍大将従三位勲一等。弟に小畑信良。 |
官僚
68 | 松下芳三郎 南部町 | Wikipedia |
松下 芳三郎(まつした よしさぶろう、1890年(明治23年)3月15日 - 1945年(昭和20年)12月22日)は、台湾総督府官僚、朝鮮総督府官僚、満州国行政官。 |
学者・教授・准教授
69 | 杉浦兼松 津島市 | Wikipedia |
杉浦 兼松(すぎうら かねまつ、1890年6月5日 - 1979年10月21日)は、日本の生化学者である。アメリカ合衆国のスローン・ケタリングがんセンターで癌の化学療法の分野で働いた。 | ||
70 | 石田吉貞 津南町 | Wikipedia |
石田吉貞(いしだ よしさだ、1890年12月21日-1987年11月12日)は、国文学者、大正大学名誉教授。 | ||
71 | 星野鉄男 利南村 | Wikipedia |
星野 鉄男(ほしの てつお、正字は星野鐵男、1890年2月10日 - 1931年12月20日)は、日本の医学者。専門は社会衛生学。日本初の性教育本(『性教育に就て』、1927年)を著したことで知られる。内閣書記官長や企画院総裁を務めた大蔵官僚・星野直樹は父方の従兄弟。東大総長を務めた政治学者の南原繁は義弟(妹の夫)。群馬県出身。無教会(無教会主義キリスト教)信徒。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
72 | 加藤元一 新見市 | Wikipedia |
加藤 元一(かとう げんいち、1890年(明治23年)2月11日 - 1979年(昭和54年)5月1日)は日本の生理学者、医学博士。 | ||
73 | 中村直勝 大津市 | Wikipedia |
中村 直勝(なかむら なおかつ、1890年6月7日 - 1976年2月23日)は、大正・昭和期の歴史学者。 | ||
74 | 阿部利雄 札幌市 | Wikipedia |
阿部 利雄(あべ としお、1890年 - 1990年)は、日本の経営学者・地方公務員。専門は人事労務管理論。北海道産業短期大学初代学長。北海道の山鼻屯田(現札幌市)生まれ | ||
75 | 仁科芳雄 里庄町 | Wikipedia |
仁科 芳雄(にしな よしお、1890年(明治23年)12月6日 - 1951年(昭和26年)1月10日)は、日本の物理学者である。岡山県浅口郡里庄町浜中の出身。日本に量子力学の拠点を作ることに尽くし、宇宙線関係、加速器関係の研究で業績をあげた。日本の現代物理学の父である。 | ||
岡山大学出身 出身の岡山大学の出身者 全国の岡山大学の出身者 | ||
76 | 長谷川良信 | Wikipedia |
長谷川 良信(はせがわ りょうしん、1890年(明治23年)10月11日 - 1966年(昭和41年)8月4日)は、大正・昭和期の浄土宗の大僧正、教育者、社会事業家。淑徳大学創設者、初代学長。 | ||
77 | 呉文炳 | Wikipedia |
呉 文炳(くれ ふみあき、1890年(明治23年)5月3日 - 1981年(昭和56年)11月18日)は、日本の経済学者、経済学博士(慶應義塾大学)。日本大学第4代総長、貴族院議員。広島県呉市名誉市民。 | ||
78 | 務台理作 | Wikipedia |
務台 理作(むたい りさく、1890年8月8日 - 1974年7月5日)は、日本の哲学者。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
79 | 龍粛 浜松市 | Wikipedia |
龍 粛(りょう すすむ、1890年4月29日 - 1964年2月25日)は、大正・昭和期の歴史学者。専攻は中世史。元東京大学史料編纂所長。萩野由之は舅に当たる。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
80 | 山内盛彬 金城町 | Wikipedia |
山内 盛彬(やまうち せいひん、1890年3月9日 - 1986年3月17日)は、日本の音楽学者、沖縄の音楽家。 | ||
81 | 川原田政太郎 魚津市 | Wikipedia |
川原田 政太郎(かわはらだ まさたろう、1890年8月7日 - 1983年9月6日)は日本の工学者、早稲田大学名誉教授。日本におけるテレビジョン研究において、高柳健次郎と並ぶ第一人者。富山県魚津市生まれ。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
82 | 手島寅雄 札幌市 | Wikipedia |
手島 寅雄(てじま とらお、1890年(明治23年) - 1985年(昭和60年))は、日本の農学者。農学博士(北海道帝國大學)。北海道大学名誉教授・北星学園大学初代学長。専門は、作物学。とくに、ジャガイモの栽培研究や、水稲、麦類の栽培学を研究。 | ||
83 | 下山懋 川越市 | Wikipedia |
下山 懋(しもやま つとむ、1890年2月23日[3] - 1987年1月19日[4])は、日本の教育者、国語教育学者、国文学者、郷土史家、作詞家[5][6]。 | ||
84 | 山内得立 | Wikipedia |
山内 得立(やまうち とくりゅう、1890年6月12日 - 1982年9月19日)は、日本の哲学者。文化功労者。京都大学名誉教授、元京都学芸大学学長。 | ||
85 | 中村白葉 神戸市 | Wikipedia |
中村 白葉(なかむら はくよう、1890年11月23日 - 1974年8月12日)は、ロシア文学者。 | ||
東京外国語大学出身 出身の東京外国語大学の出身者 全国の東京外国語大学の出身者 | ||
86 | 田中耕太郎 | Wikipedia |
田中 耕太郎(たなか こうたろう、1890年(明治23年)10月25日 - 1974年(昭和49年)3月1日)は、日本の法学者、法哲学者。東京帝国大学大学法学部長、第1次吉田内閣文部大臣、第2代最高裁判所長官、国際司法裁判所判事、日本学士院会員。日本法哲学会初代会長。文化勲章、勲一等旭日桐花大綬章を受章。大勲位菊花大綬章を没後叙勲、正二位を追贈された。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
87 | 高垣寅次郎 尾道市 | Wikipedia |
高垣 寅次郎(たかがき とらじろう、1890年2月26日 - 1985年8月25日)は、日本の経済学者。 広島県尾道市生まれ。東京高等商業学校(後の東京商科大学、一橋大学)において佐野善作に師事。門下に塩野谷九十九、高橋泰蔵、新庄博、岡田俊平等がいる。 1943年に石橋湛山、山崎覚次郎らと金融学会を創立、1950年から31年あまり会長の任を果たした。一橋大学名誉教授、元拓殖大学学長、元成城大学学長、1976年勲一等瑞宝章受章。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
88 | 田淵寿郎 大竹村 | Wikipedia |
田淵 寿郎(たぶち じゅろう、明治23年(1890年)3月3日 - 昭和49年(1974年)7月10日) は大正、昭和期の日本の土木工学者。都市計画推進者、近代的都市づくりの先駆者である。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
89 | 富士川漻 広島市 | Wikipedia |
富士川 漻(ふじかわ きよし(富士川 きよし)、1890年12月29日 - 1978年9月13日)は、韓国海苔の生産向上に貢献した日本の水産学者。 | ||
90 | 原久一郎 阿賀野市 | Wikipedia |
原 久一郎(はら ひさいちろう、1890年4月10日 - 1971年10月19日)は、ロシア文学者。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
91 | 田中耕太郎 | Wikipedia |
田中 耕太郎(たなか こうたろう、1890年(明治23年)10月25日 - 1974年(昭和49年)3月1日)は、日本の法学者、法哲学者。東京帝国大学大学法学部長、第1次吉田内閣文部大臣、第2代最高裁判所長官、国際司法裁判所判事、日本学士院会員。日本法哲学会初代会長。文化勲章、勲一等旭日桐花大綬章を受章。大勲位菊花大綬章を没後叙勲、正二位を追贈された。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
92 | 豊島与志雄 福田村 | Wikipedia |
豊島与志雄(とよしま よしお、1890年(明治23年)11月27日 - 1955年(昭和30年)6月18日)は、日本の小説家、翻訳家、仏文学者、児童文学者。法政大学名誉教授。明治大学文学部教授もつとめた。日本芸術院会員。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
93 | 稲田昌植 札幌市 | Wikipedia |
稲田 昌植(いなだ まさたね、1890年(明治23年)8月28日 - 1968年(昭和43年)11月28日)は、大正時代から昭和時代の農学者、政治家。稲田家17代当主。男爵。北海道帝国大学初代総長佐藤昌介の子で、稲田家16代当主稲田邦植の養子。妻は有馬頼寧の次女久米。 | ||
東北大学出身 出身の東北大学の出身者 全国の東北大学の出身者 | ||
94 | 柴田徳次郎 那珂川町 | Wikipedia |
柴田 徳次郎(しばた とくじろう、1890年12月20日 - 1973年1月26日)は、日本の右翼で教育者。国士舘創立者。正四位勲二等、瑞宝章受章。経済学博士。 |
研究者・研究家・発明家
95 | 大竹博吉 | Wikipedia |
大竹 博吉(おおたけ ひろきち、1890年3月8日 - 1958年1月22日)は、日本の出版人、ソ連研究家。 | ||
96 | 小酒井不木 蟹江町 | Wikipedia |
小酒井 不木(こさかい ふぼく、本名:小酒井 光次(こさかい みつじ)、1890年(明治23年)10月8日 - 1929年(昭和4年)4月1日)は、日本の医学者、随筆家、翻訳家、推理作家、犯罪研究家。別名「鳥井零水」。 | ||
97 | 長島乙吉 中津川市 | Wikipedia |
長島 乙吉(ながしま おときち、1890年(明治23年)9月2日 - 1969年(昭和44年)12月4日)は、日本のアマチュア鉱物研究者。専門的な教育は受けなかったが、神保小虎、和田維四郎、巨智部忠承(こちべただつね)ら先覚者の愛顧を受け、また、全国各地を踏査して鉱物を採集して知識を身に付けた。採集した鉱物を研究者に提供したり、産出地に案内することにより、学界に貢献した。アマチュア鉱物研究家の草分けで「鉱物趣味の父」「アマチュア鉱物学の父」と称されている。 | ||
98 | 仲原善忠 久米島町 | Wikipedia |
仲原善忠(なかはら ぜんちゅう、1890年7月15日-1964年11月25日)は、日本の教育者、沖縄研究家。 |
画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家・漆芸家・工芸家
99 | 高島野十郎 久留米市 | Wikipedia |
髙島 野十郎(たかしま やじゅうろう、1890年〈明治23年〉8月6日 - 1975年〈昭和50年〉9月17日)は、大正 - 昭和の画家。独学で絵の道に入り、透徹した精神性でひたすら写実を追求。終生家族を持たず、画壇とも一切関わらず隠者のような孤高の人生を送った。本名彌壽(やじゅ)、字は光雄。 | ||
100 | 大澤雅休 | Wikipedia |
大澤 雅休(おおさわ がきゅう、1890年12月17日 - 1953年9月12日)は、昭和時代の日本の書道家。平原社主宰。日本の書道界における前衛派の先駆けである。 | ||
101 | 牧野虎雄 上越市 | Wikipedia |
牧野 虎雄(まきの とらお、明治23年(1890年)12月15日 - 昭和21年(1946年)10月18日)は、日本の洋画家である。現在の新潟県上越市西城町1丁目に生まれた。父は藤一郎、母は兼。 | ||
102 | 服部有恒 名古屋市 | Wikipedia |
服部 有恒(はっとり ありつね、1890年(明治23年)10月9日 - 1957年(昭和32年)11月24日)は、大正・昭和期の日本画家。愛知県名古屋市出身。東京美術学校(現東京芸術大学)卒業。帝国美術学校(現武蔵野美術大学)教授。主に歴史人物画を得意とした。日展審査員。本名は謙一。 | ||
103 | 吉田苞竹 | Wikipedia |
吉田 苞竹(よしだ ほうちく、明治23年(1890年)12月20日 - 昭和15年(1940年)5月1日)は山形県生まれの書家である。字は子貞、苞竹は号で、別号に無為庵主人・逍遙窟主人・清泉などがある。晩年の作品の落款には「苞竹懋」・「懋」など、懋を使用していることが多い。 | ||
104 | 河井寛次郎 安来市 | Wikipedia |
河井 寛次郎(かわい かんじろう、1890年(明治23年)8月24日 - 1966年(昭和41年)11月18日)は、日本の陶芸家。陶芸のほか、彫刻、デザイン、書、詩、詞、随筆などの分野でも作品を残している。 | ||
東京工業大学出身 出身の東京工業大学の出身者 全国の東京工業大学の出身者 | ||
105 | 中村岳陵 下田市 | Wikipedia |
中村 岳陵(なかむら がくりょう、1890年3月10日 - 1969年11月20日)は、日本画家。静岡県下田市生まれ。本名は恒吉。 |
政治家・議員・首長
106 | 西岡竹次郎 長崎市 | Wikipedia |
西岡 竹次郎(にしおか たけじろう, Takejiro Nishioka, 1890年(明治23年)5月28日 - 1958年(昭和33年)1月14日)は日本の政治家、実業家。西岡伊三次の養子。長崎県知事や戦前から戦後にかけ長崎民友新聞社長を務めた。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
107 | 菊池善郎 八丈町 | Wikipedia |
菊池 義郎(きくち よしろう、1890年4月10日 – 1990年2月4日)は、日本の政治家、植民政策学者。自由民主党衆議院議員。日本商科大学(廃校)の学長も務めた。 | ||
108 | 江川為信 | Wikipedia |
江川 為信(えがわ ためのぶ、1890年6月18日 - 1969年10月20日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、石川県議会議員(5期)、石川県農業会長。 | ||
109 | 名古屋三吉 川口市 | Wikipedia |
名古屋 三吉(なごや さんきち、1890年(明治23年)3月5日 - 1962年(昭和37年)4月4日)は、日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。 | ||
110 | 木佐徳之助 出雲市 | Wikipedia |
木佐 徳之助(きさ とくのすけ、明治23年(1890年) - 昭和44年(1969年))は日本の実業家、政治家。島根県平田市名誉市民。木佐家第9代当主。号は旅峰。島根県多額納税者。農業。 | ||
111 | 永野護 呉市 | Wikipedia |
永野 護(ながの まもる、1890年9月5日 - 1970年1月3日)は、日本の実業家。政治家。衆議院議員、参議院議員。島根県濱田市生まれ。戦後揃って政経財界で活躍した「永野六兄弟」の長兄。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
112 | 林路一 当麻町 | Wikipedia |
林 路一(はやし ろいち、1890年8月1日 – 1938年6月27日)は、日本の政治家。正五位勲四等、衆議院議員。 | ||
113 | 東條かつ子 川崎町 | Wikipedia |
東條かつ子(とうじょう かつこ、1890年(明治23年)10月8日 - 1982年(昭和57年)5月29日)は、第40代内閣総理大臣東條英機の妻である。英機との間に7人の子供をもうけた。通称に勝子。 | ||
日本女子大学出身 出身の日本女子大学の出身者 全国の日本女子大学の出身者 | ||
114 | 内山岩太郎 | Wikipedia |
内山 岩太郎(うちやま いわたろう、1890年2月28日 - 1971年11月19日)は日本の外交官・政治家・実業家。元神奈川県知事(公選第1・2・3・4・5代)、テレビ神奈川初代社長。日本の国際連合加盟に貢献をした人物として知られる。群馬県前橋市出身。元丸紅ブラジル会社副社長の内山勇は三男。 | ||
東京外国語大学出身 出身の東京外国語大学の出身者 全国の東京外国語大学の出身者 | ||
115 | 川島正次郎 市川市 | Wikipedia |
川島 正次郎(かわしま しょうじろう、1890年(明治23年)7月10日 - 1970年(昭和45年)11月9日)は日本の政治家。千葉県東葛飾郡行徳町(現在の市川市)出身(東京府東京市日本橋区生まれ)。旧姓柳原。栄典は従二位勲一等旭日桐花大綬章。 | ||
専修大学出身 出身の専修大学の出身者 全国の専修大学の出身者 | ||
116 | 綾部健太郎 | Wikipedia |
綾部 健太郎(あやべ けんたろう、1890年9月6日 - 1972年3月24日)は日本の政治家、第53代衆議院議長(在任期間・1966年12月3日 - 1966年12月27日)。香川県出身(出生地及び選挙区は大分県)。正三位勲一等。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
117 | 樋貝詮三 甲州市 | Wikipedia |
樋貝 詮三(ひがい せんぞう、1890年4月3日 - 1953年1月1日)は、日本の政治家・法学者。第37代衆議院議長。 | ||
118 | 内海安吉 | Wikipedia |
内海 安吉(うつみ やすきち、1890年 - 1976年4月11日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員。宮城県桃生郡(鳴瀬町を経て現在の東松島市)出身。自民党衆議院議員で建設大臣、国土庁長官を務めた内海英男は長男。 | ||
日本大学出身 出身の日本大学の出身者 全国の日本大学の出身者 | ||
119 | 綾部健太郎 | Wikipedia |
綾部 健太郎(あやべ けんたろう、1890年9月6日 - 1972年3月24日)は日本の政治家、第53代衆議院議長(在任期間・1966年12月3日 - 1966年12月27日)。香川県出身(出生地及び選挙区は大分県)。正三位勲一等。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
120 | 大野伴睦 山県市 | Wikipedia |
大野 伴睦(おおの ばんぼく、本名:大野 伴睦(おおの ともちか)、1890年(明治23年)9月20日 - 1964年(昭和39年)5月29日)は日本の政治家。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
121 | 村瀬直養 宇都宮市 | Wikipedia |
村瀬 直養(むらせ なおかい、1890年10月12日 - 1968年8月8日)は、日本の商工官僚、政治家、実業家。商工次官、貴族院議員、法制局長官、綜合計画局長官。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
122 | 上塚司 熊本市 | Wikipedia |
上塚 司(うえつか つかさ、1890年(明治23年)5月1日 - 1978年10月22日)は、日本の政治家。衆議院議員(7期)。正五位。 | ||
神戸大学出身 出身の神戸大学の出身者 全国の神戸大学の出身者 | ||
123 | 林路一 賀見畑村 | Wikipedia |
林 路一(はやし ろいち、1890年8月1日 – 1938年6月27日)は、日本の政治家。正五位勲四等、衆議院議員。 | ||
124 | 石田武太郎 富田林市 | Wikipedia |
石田 武太郎(いしだ たけたろう、1890年 - 1934年)は、日本の新聞記者・中外商業新報政治部長、編集局長、参事[3][4]、政治家・東京府荏原郡碑衾町会議員、同議長[5]、目黒区会議員、同議長。子にNHKアナウンサーの石田武、孫に音楽家の石田桃子や俳優の石田純一がいる。 | ||
125 | 三代澁澤金蔵 太田市 | Wikipedia |
三代 澁澤 金蔵(さんだい しぶさわ きんぞう、1890年(明治23年)8月8日 - 1949年(昭和24年)9月11日)は、日本の政治家・貴族院議員[3][4][5]、群馬県多額納税者[3][4][6]、実業家。前名・直一[3]。 | ||
126 | 森慈秀 上天草市 | Wikipedia |
森 慈秀(もり やすひで(後にもりじしゅう)、1890年12月5日 - 1973年4月15日)は、日本の政治家。熊本県出身。熊本県議会議員(1期)。 |
評論家
127 | 清沢洌 | Wikipedia |
清沢 洌(きよさわ きよし、1890年(明治23年)2月8日 - 1945年(昭和20年)5月21日)は、ジャーナリスト、評論家。長野県生まれ。外交問題、特に日米関係の評論で知られ、またその太平洋戦争下における日記が『暗黒日記』として戦後公刊されたことでも名高い。 | ||
128 | 青野季吉 | Wikipedia |
青野 季吉(あおの すえきち、1890年(明治23年)2月24日 - 1961年(昭和36年)6月23日)は日本の文芸評論家。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
129 | 岸田國士 四谷区 | Wikipedia |
岸田 國士(きしだ くにお、1890年(明治23年)11月2日 - 1954年(昭和29年)3月5日)は、日本の劇作家・小説家・評論家・翻訳家・演出家。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
宗教家・思想家・運動家
130 | タマシン・アレン 久慈市 | Wikipedia |
タマシン・アレン(Thomasine Allen, 1890年9月30日 - 1976年6月7日)は、アメリカ人の牧師・伝道師、教育者、学校法人頌美学園(アレン国際短期大学および久慈幼稚園)創立者。 | ||
131 | 九津見房子 岡山市 | Wikipedia |
九津見房子(くつみ ふさこ、1890年10月18日 - 1980年7月15日)は、ソビエト連邦のスパイ、社会運動家・社会主義者。 | ||
132 | 橘瑞超 名古屋市 | Wikipedia |
橘 瑞超(たちばな ずいちょう、1890年1月7日 - 1968年11月4日)は、日本の僧侶・探検家。愛知県名古屋市出身。 | ||
133 | 諏訪熊太郎 鶴岡市 | Wikipedia |
諏訪 熊太郎(すわ くまたろう、1890年(明治23年)5月23日 - 1975年(昭和50年)1月26日)は、日本のキリスト教宣教家。 |
俳人・歌人・詩人
134 | 今井邦子 下諏訪町 | Wikipedia |
今井 邦子(いまい くにこ、明治23年(1890年)5月31日 - 昭和23年(1948年)7月15日、旧姓山田、本名くにえ)は、徳島市出身の「アララギ」の歌人、小説家。後に短歌誌「明日香」を創刊した。元通産省事務次官の両角良彦は甥にあたる。 | ||
135 | 兼崎地橙孫 山口市 | Wikipedia |
兼崎 地橙孫(かねざき ぢとうそん、1890年(明治23年)3月27日 - 1957年(昭和32年)9月3日)は、山口県出身の日本の俳人、書家、弁護士。本名は理蔵。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
136 | 富田砕花 | Wikipedia |
富田 砕花(とみた さいか、1890年11月15日 - 1984年10月17日)は、日本の詩人、歌人。 | ||
日本大学出身 出身の日本大学の出身者 全国の日本大学の出身者 | ||
137 | 杉田久女 鹿児島市 | Wikipedia |
杉田久女(すぎた ひさじょ、1890年(明治23年)5月30日 - 1946年(昭和21年)1月21日)は、鹿児島県出身の俳人。本名は杉田 久(すぎた ひさ)。高浜虚子に師事。長谷川かな女、竹下しづの女などとともに、近代俳句における最初期の女性俳人であり、男性に劣らぬ格調の高さと華やかさのある句で知られた。家庭内の不和、師である虚子との確執など、その悲劇的な人生はたびたび小説の素材になった。 | ||
お茶の水女子大学出身 出身のお茶の水女子大学の出身者 全国のお茶の水女子大学の出身者 | ||
138 | 長沼重隆 新潟市 | Wikipedia |
長沼 重隆(ながぬま しげたか、明治23年(1890年)1月17日 - 昭和57年(1982年)9月6日)は、越後国西蒲原郡道上村(元中之口村、現在の新潟市西蒲区)出身の英文学者、翻訳家。県立新潟女子短期大学の創立時には英文学科教授として迎えられた。特にアメリカ合衆国の詩人ウォルト・ホイットマンの研究や翻訳で知られている。 | ||
139 | 佐藤惣之助 | Wikipedia |
佐藤 惣之助(さとう そうのすけ、1890年12月3日 - 1942年5月15日)は、日本の詩人、作詞家。神奈川県川崎市出身。 | ||
140 | 土屋文明 高崎市 | Wikipedia |
土屋 文明(つちや ぶんめい、1890年(明治23年)9月18日(戸籍上は1月21日) - 1990年(平成2年)12月8日)は、日本の歌人・国文学者。 | ||
日本医科大学出身 出身の日本医科大学の出身者 全国の日本医科大学の出身者 | ||
141 | 佐藤惣之助 川崎市 | Wikipedia |
佐藤 惣之助(さとう そうのすけ、1890年12月3日 - 1942年5月15日)は、日本の詩人、作詞家。神奈川県川崎市出身。 | ||
142 | 日夏耿之介 | Wikipedia |
日夏 耿之介(ひなつ こうのすけ、1890年(明治23年)2月22日 - 1971年(昭和46年)6月13日)は、日本の詩人、英文学者。本名は樋口國登(ひぐち くにと。通称は圀登)。号は夏黄眠、黄眠道人、黄眠堂主人など30数種類を数える。広範な学識と多岐にわたる文学活動で「学匠詩人」と称される。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
143 | 白鳥省吾 | Wikipedia |
白鳥 省吾(しろとり せいご、1890年2月27日 - 1973年8月27日)は、日本の詩人・文人。ヒット曲『星影のワルツ』で知られる、詩人で作詞家の白鳥園枝は二女。 |