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宝塚・女優・俳優・声優・ナレーター・歌舞伎・能楽・狂言
1 | 伊沢蘭奢 | Wikipedia |
伊沢 蘭奢(いざわ らんじゃ、1889年11月28日 - 1928年6月8日)は、島根県出身の日本の新劇女優である。本名三浦 シゲ(みうら シゲ)、デビュー当初、映画には三浦 しげ子や三浦 茂子(みうら しげこ)、三浦 繁(みうら しげ)名義で出演していた。 | ||
2 | 花川環 熊野市 | Wikipedia |
花川 環(はながわ たまき、1889年5月15日 - 没年不詳)は、日本の元女優。三重県南牟婁郡木本町(現:熊野市)出身。本名は勝見 みね子(旧姓・島田 みね子)。夫は俳優の勝見庸太郎である。 |
歌手・シンガー
3 | 三島一声 伊根町 | Wikipedia |
三島 一声(みしま いっせい、1889年(明治22年) - 1974年(昭和49年)7月19日)は昭和初期の民謡歌手。本名は三野哲太郎。 |
演奏家・作詞家・作曲家・ミュージシャン
4 | 千葉琴月 広島市 | Wikipedia |
千葉 琴月(ちば きんげつ、1889年 - 1974年8月27日)は、女流音曲師(女道楽)。本名:千葉芳美。 |
舞台・演劇・映画・ドラマ・脚本・プロデューサー・ディレクター
5 | 河竹繁俊 飯田市 | Wikipedia |
河竹 繁俊(かわたけ しげとし、1889年6月9日 - 1967年11月15日)は、日本の演劇学者。文学博士。旧姓は市村(いちむら)。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
6 | 久松真一 | Wikipedia |
久松 真一(ひさまつ しんいち、1889年6月5日 - 1980年2月27日)は、日本の哲学者、仏教学者。旧姓は大野。号は抱石庵。 | ||
7 | 青山杉作 新発田市 | Wikipedia |
青山 杉作(あおやま すぎさく、1889年7月22日 - 1956年12月26日)は、日本の俳優、演出家、映画監督である。本名は青山 達美(あおやま たつみ)。 |
格闘技
8 | 緋縅祐光 市原市 | Wikipedia |
緋縅祐光(ひおどしすけみつ、1889年7月25日-1928年10月14日)は、二十山部屋に所属した元力士。本名は鈴木勇作。現在の千葉県市原市出身。167cm、109kg。最高位は東前頭17枚目。 | ||
9 | 摩文仁賢和 首里市 | Wikipedia |
摩文仁 賢和(まぶに けんわ、1889年(明治22年)11月14日 - 1952年(昭和27年)5月23日)は、沖縄県出身の空手家。空手の四大流派のひとつである糸東流の開祖。 | ||
10 | 朝緑冨五郎 鶴岡市 | Wikipedia |
朝緑冨五郎(あさみどりとみごろう、1889年2月4日-1947年12月3日)は、立田川部屋、出羽海部屋に所属した元力士。大起男右エ門の岳父。本名は石田富五郎(旧姓伊藤)。現在の山形県鶴岡市出身。173cm、86kg。最高位は東前頭13枚目。 | ||
11 | 渡辺勇次郎 矢板市 | Wikipedia |
渡辺 勇次郎(わたなべ ゆうじろう、男性、1889年11月11日 - 1956年6月28日)は、日本のプロボクサー。栃木県矢板市出身。日本最初の本格的ボクシングジムを創り徐廷権、川田藤吉、臼田金太郎、高橋一男、田中禎之助、吉本武雄、熊谷二郎、ピストン堀口、笹崎僙、(本田明彦の実父本田明の同級生で同い年の盟友、後に自身の実父の親友田辺宗英を初代会長に帝拳創設し初代筆頭師範)荻野貞行、後の不二ボクシングジム初代会長岡本不二など幾多の名選手を育て日本における「ボクシングの父」と呼ばれる。ヤング・ワタナベのリングネームでカリフォルニア州ライト級チャンピオンに。 | ||
12 | 釈迦ヶ嶽庄太郎 山形市 | Wikipedia |
釋迦ヶ嶽 庄太郎(しゃかがたけ しょうたろう、1889年5月15日-1966年7月18日)は、山科部屋、出羽海部屋に所属した元力士。8代山響。本名は川鰭庄太郎(旧姓富塚)。山形県山形市釈迦堂出身。174cm、90kg。最高位は西前頭3枚目。 | ||
13 | 二十一代目木村庄之助 長野市 | Wikipedia |
21代木村庄之助(にじゅういちだい きむら しょうのすけ、1889年4月1日 - 1970年11月25日)は、大相撲の立行司。所属部屋:伊勢ノ海→井筒→双葉山道場・時津風。風貌から「蒋介石庄之助」と通称されている。 | ||
14 | 大戸平吉太郎 石巻市 | Wikipedia |
大戸平 吉太郎(おおとひら きちたろう、1889年2月5日-1963年8月7日)は、尾車部屋、峰崎部屋に所属した元力士。4代尾車。本名は阿部吉太郎。現在の宮城県石巻市出身。176cm、98kg。最高位は東関脇。 | ||
15 | 稲葉嶽光之助 市川市 | Wikipedia |
稲葉嶽 光之助(いなばだけ みつのすけ、1889年11月7日 - 1978年5月7日[リンク切れ])は、濱風部屋、千田川(大阪相撲)に所属した元力士。本名は雪吹光之助(旧姓:及川)。現在の千葉県市川市出身。身長173cm、体重94kg。最高位は東前頭14枚目(1916年5月場所)。 | ||
16 | 木村庄之助 (21代) 長野市 | Wikipedia |
21代木村庄之助(にじゅういちだい きむら しょうのすけ、1889年4月1日 - 1970年11月25日)は、大相撲の立行司。所属部屋:伊勢ノ海→井筒→双葉山道場・時津風。風貌から「蒋介石庄之助」と通称されている。 | ||
17 | 加勝山鹿治 安芸市 | Wikipedia |
加勝山 鹿治(かしょうざん しかじ、1889年(明治22年)10月9日 - 1914年(大正3年)9月20日)は、高知県安芸市出身の元大相撲力士。本名は寺尾 鹿治(てらお しかじ)。 |
野球・サッカー以外の球技
18 | 多田徳雄 広島市 | Wikipedia |
多田 徳雄(ただ とくお、1889年2月15日 - 1976年10月4日)は、草創期の日本のバレーボール普及に最も尽力したバレーボール選手、指導者[2][3][4]。バレーボール全日本初代監督。広島県安芸郡仁保島村(現南区仁保)生まれ。 |
競馬・競輪・競艇・その他レース
19 | 函館孫作 森町 | Wikipedia |
函館 孫作(はこだて まごさく、旧姓:千歳〈ちとせ〉、1889年10月28日 - 1959年4月)は日本の競馬の騎手・調教師。北海道茅部郡森村(現在の茅部郡森町)出身。主戦を勤めていたワカタカに騎乗して、第1回東京優駿大競走(現・東京優駿〈日本ダービー〉)に優勝したことが知られている。 |
囲碁・将棋・麻雀
20 | 瀬越憲作 能美村 | Wikipedia |
瀬越 憲作(せごえ けんさく、1889年(明治22年)5月22日 - 1972年(昭和47年)7月27日)は、大正、昭和時代の囲碁棋士。広島県佐伯郡能美村(現広島県江田島市)出身。方円社、日本棋院などに所属、名誉九段。1946年から48年に日本棋院理事長を務めるなど、棋院運営や囲碁普及に大きく貢献した。 |
漫画家・イラスト・ゲーム
21 | 木村知夫 | Wikipedia |
木村 知夫(きむら ともお、本名:木村 知生、3月26日)は、日本の漫画家。秋田県出身。代表作は『Let'sダチ公』。 |
作家・小説家・エッセイ・文筆・翻訳家・編集者
22 | 奥野他見男 | Wikipedia |
奥野 他見男(おくの たみお、1889年6月16日 - 1953年12月17日)は、日本の作家。本名・西川他見男。 | ||
23 | 佐佐木茂索 | Wikipedia |
佐佐木 茂索(ささき もさく、1894年(明治27年)11月11日 - 1966年(昭和41年)12月1日)は日本の小説家、編集者。京都府出身。京都府第一中学校中退。その後朝鮮仁川に渡るが、1918年内地へ戻り、芥川龍之介に師事。1925年に発表した「曠日」が芥川の賞賛を受ける。1925年、芥川の媒酌で大橋房子(佐佐木ふさ)と結婚。 | ||
24 | 村松梢風 森町 | Wikipedia |
村松 梢風(むらまつ しょうふう、本名:村松 義一(むらまつ ぎいち)、1889年(明治22年)9月21日 - 1961年(昭和36年)2月13日)は、日本の小説家。静岡県周智郡飯田村(現:森町)生まれ。作家村松友視の祖父。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
25 | 江馬修 | Wikipedia |
江馬 修(えま しゅう、または えま なかし、1889年12月12日 - 1975年1月23日)は、日本の作家。本名の読みは「なかし」で、筆名は「しゅう」とすることが多かったが、一定しない。 | ||
26 | 内田百間 新宿区 | Wikipedia |
內田 百(うちだ ひゃっけん、1889年(明治22年)5月29日 - 1971年(昭和46年)4月20日)は、夏目漱石門下の日本の小説家、随筆家。本名:內田 榮造。戦後、筆名を內田 百閒と改める。別号は百鬼園(ひゃっきえん)。 | ||
27 | 内田百間 岡山市 | Wikipedia |
内田 百間(うちだ ひゃっけん、1889年(明治22年)5月29日 - 1971年(昭和46年)4月20日)は、夏目漱石門下の日本の小説家、随筆家。本名は内田 榮造。 | ||
28 | 木村荘太 成田市 | Wikipedia |
木村 荘太(きむら そうた 1889年2月3日 - 1950年4月15日)は東京府出身の作家、翻訳家。本名の読みは「しょうた」。別名に久木今作、木村艸太(そうた)。 | ||
29 | 谷孫六 守谷市 | Wikipedia |
谷 孫六(たに まごろく、1889年(明治22年)1月12日 - 1936年(昭和11年)11月17日)は、日本の経済著述家。本姓名は矢野正世。俳号は不孤庵有隣。ほかに矢野錦浪、矢野きん坊とも。母方の曾祖父に谷孫六という人がいて、これを筆名とした。 |
弁護士
30 | 大野熊雄 熊本市 | Wikipedia |
大野 熊雄(久磨夫)(おおの くまお、1889年(明治22年) - 1981年(昭和56年))は、日本の武道家、弁護士。 | ||
31 | 太田耕造 | Wikipedia |
太田 耕造(おおた こうぞう、明治22年(1889年)12月15日 - 昭和56年(1981年)11月26日)は、日本の弁護士・政治家・教育者。亜細亜大学の実質的創立者の一人。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 |
建築家・建築学者・技術者
32 | 遠藤新 | Wikipedia |
遠藤 新(えんどう あらた、1889年6月1日 - 1951年6月29日)は、日本の建築家。フランク・ロイド・ライトに学び、そのデザイン・空間を自己のものとして設計活動を行った。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
33 | 関根要太郎 秩父市 | Wikipedia |
関根要太郎(せきね ようたろう、1889年10月22日 - 1959年6月28日)は、日本の建築家。ユーゲント・シュティールのエッセンスを取り入れたモダンな作風で知られ、晩年、建築家として郷里埼玉県の復興に尽力した。 | ||
東京工業大学出身 出身の東京工業大学の出身者 全国の東京工業大学の出身者 |
経営者・実業家
34 | 金森次郎 | Wikipedia |
金森 次郎(かなもり じろう、1889年(明治22年)10月31日 - 1983年(昭和58年)8月14日)は日本の実業家。 | ||
35 | 吉本せい 明石市 | Wikipedia |
吉本 せい(よしもと せい、1889年12月5日 - 1950年3月14日)は、吉本興業創業者、芸能プロモーター。 | ||
36 | 龍野定一 徳之島町 | Wikipedia |
龍野 定一(たつの ていいち、1889年(明治22年)3月6日 - 1986年(昭和61年)7月29日)は日本の教育者。鹿児島県立大島中学校(旧制)校長、全国公民館協議会会長などを歴任。徳之島町名誉町民、奄美市名誉市民。 | ||
37 | 伊藤正徳 水戸市 | Wikipedia |
伊藤 正徳(いとう まさのり、1889年(明治22年)10月18日 - 1962年(昭和37年)4月21日)は日本のジャーナリスト、作家、軍事評論家。海軍部内に精通し、大海軍記者と称された。 | ||
38 | 石橋正二郎 久留米市 | Wikipedia |
石橋 正二郎(いしばし しょうじろう、1889年(明治22年)2月1日 - 1976年(昭和51年)9月11日)は、日本の実業家。 | ||
39 | 内藤豊次 | Wikipedia |
内藤 豊次(ないとう とよじ、明治22年(1889年)8月15日 - 昭和53年(1978年)3月20日)は、日本の実業家。エーザイ創業者・元社長。 | ||
40 | 小原英一 | Wikipedia |
小原 英一(おはら えいいち、1889年3月22日 - 1959年12月22日)は、日本の実業家・運輸官僚。南海電気鉄道元社長・会長。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
41 | 山崎元幹 糸島市 | Wikipedia |
山崎 元幹(やまざき もとき、1889年(明治22年)7月7日 - 1971年(昭和46年)1月24日)は昭和期の実業家。南満洲鉄道株式会社(満鉄)最後の総裁としてその終戦処理をおこなった。 | ||
東京帝国大出身 出身の東京帝国大の出身者 全国の東京帝国大の出身者 | ||
42 | 太田哲三 静岡市 | Wikipedia |
太田 哲三(おおた てつぞう、1889年(明治22年)5月8日 - 1970年(昭和45年)7月4日)は日本の会計学者、公認会計士。一橋大学名誉教授[注釈 1]、元・中央大学教授。商学博士(一橋大学)。監査法人太田哲三事務所(新日本有限責任監査法人の前身)の創設者で、日本公認会計士協会の初代会長。実業界では長浜ゴム工業(のちの三菱樹脂)社長を2年間務め、その後は三菱化成(三菱ケミカルホールディングスの前身)監査役を最晩年まで務めた。従三位・勲二等瑞宝章。 | ||
43 | 齊藤知一郎 | Wikipedia |
斉藤 知一郎(さいとう ちいちろう、明治22年(1889年)3月18日 - 昭和36年(1961年)2月16日)は、日本の実業家。大昭和製紙の創業者。 | ||
44 | 山下太郎 横手市 | Wikipedia |
山下 太郎(やました たろう、明治22年(1889年)4月9日 - 昭和42年(1967年)6月9日)は、日本の実業家。その業績から「満州太郎」「アラビア太郎」などと呼ばれた。 | ||
北海道大学出身 出身の北海道大学の出身者 全国の北海道大学の出身者 | ||
45 | 近藤荒樹 | Wikipedia |
近藤 荒樹 (こんどう あらき、明治22年(1889年)3月6日 - 昭和61年(1986年)6月11日)は日本の実業家、相場師。元近藤商事会長。「丸ビル将軍」、「金融王」などと呼ばれた。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
46 | 十一代目右近権左衛門 南越前町 | Wikipedia |
11代目右近 権左衛門(うこん ごんざえもん、1889年(明治22年)11月 - 1966年(昭和41年)4月27日)は、日本の実業家、資産家。海運業[3]。福井県多額納税者[3]。右近商事社長[3]。日本火災海上保険の会長。前名・義太郎[3]。日本海上保険社長十代目右近権左衛門の長男[4]。右近和作の養弟[3]。 |
医師・看護師
47 | 西村卓爾 下関市 | Wikipedia |
西村 卓爾(にしむら たくじ、明治23年4月3日(1889年4月3日) - 昭和42年10月10日(1967年10月10日))は、大正時代中期の歯科医師である。 78歳で没した。 | ||
48 | 岩淵大殿 松本市 | Wikipedia |
岩淵 大殿(いわぶち だいでん、1889年 - 1974年3月1日)は、日本の宗教哲学者。歯科医師。 |
軍人
49 | 中原謹司 | Wikipedia |
中原 謹司(なかはら きんじ、1889年2月7日 - 1951年3月1日)は日本の政治家。長野県の在郷軍人有志で結成された政治結社信州郷軍同志会の理論的指導者であり、大政翼賛会では中央協力会議部副部長として新体制運動を担った。号は起雲子。 | ||
50 | 河田槌太郎 旭川市 | Wikipedia |
河田 槌太郎(かわだ つちたろう、1889年(明治22年)8月20日 - 1964年(昭和39年)2月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
51 | 松山祐三 | Wikipedia |
松山 祐三(まつやま ゆうぞう、1889年2月1日 - 1947年1月11日)は、日本の陸軍軍人。陸士22期。最終階級は陸軍中将。 | ||
52 | 北野憲造 | Wikipedia |
北野 憲造(きたの けんぞう、1889年(明治22年)8月24日 - 1960年(昭和35年)7月25日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
53 | 太田藤太郎 鶴岡市 | Wikipedia |
太田 藤太郎(おおた とうたろう、1889年〈明治22年〉3月10日 – 1973年〈昭和48年〉10月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将[3] | ||
54 | 山田幸五郎 | Wikipedia |
山田 幸五郎(やまだ こうごろう、1889年9月10日 - 1982年7月23日)は、日本光学界の先駆者、海軍軍人、理学博士。最終階級は海軍技術少将。主に幾何光学中心に、光学機械、光学兵器の開発に寄与した。 | ||
55 | 田辺盛武 | Wikipedia |
田辺 盛武(たなべ もりたけ、1889年2月26日 - 1949年7月11日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
56 | 板花義一 安曇野市 | Wikipedia |
板花 義一(いたはな ぎいち、1889年1月29日 - 1961年10月18日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
57 | 萱嶋高 高鍋町 | Wikipedia |
萱嶋 高(かやしま たかし、1889年4月18日 - 1956年2月18日)は、大日本帝国陸軍軍人、陸軍中将。宮崎県児湯郡高鍋町出身。陸士21期、陸大32期。 | ||
58 | 上村利道 | Wikipedia |
上村 利道(うえむら としみち、1889年(明治22年)2月10日 - 1947年(昭和22年)9月19日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
59 | 松本象二郎 米子市 | Wikipedia |
松本 象二郎(まつもと しょうじろう、明治22年(1889年)9月27日 - 昭和17年(1942年)5月12日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
60 | 田中久一 | Wikipedia |
田中 久一(たなか ひさかず、1889年3月16日 - 1947年3月27日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。旧姓・小金井。 | ||
61 | 桜井省三 | Wikipedia |
桜井 省三(さくらい しょうぞう、1889年6月27日 - 1985年7月7日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
62 | 永津佐比重 | Wikipedia |
永津 佐比重(ながつ さひじゅう、1889年(明治22年)3月1日 - 1979年(昭和54年)9月19日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
63 | 中村明人 | Wikipedia |
中村 明人(なかむら あけと、1889年4月11日 - 1966年9月12日)は、大日本帝国の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。太平洋戦争時のタイ国駐屯軍司令官。 | ||
64 | 福田良三 玉名市 | Wikipedia |
福田 良三(ふくだ りょうぞう、1889年(明治22年)11月1日 - 1980年(昭和55年)3月26日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
65 | 原忠一 松江市 | Wikipedia |
原 忠一(はら ちゅういち、1889年(明治22年)3月15日 - 1964年(昭和39年)2月17日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
66 | 本多政材 | Wikipedia |
本多 政材(ほんだ まさき、1889年(明治22年)5月17日 - 1964年(昭和39年)7月17日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
67 | 柴山兼四郎 | Wikipedia |
柴山 兼四郎(しばやま けんしろう、1889年5月1日 - 1956年1月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
68 | 五十嵐恵 上越市 | Wikipedia |
五十嵐 恵(いがらし めぐみ、1889年(明治22年)5月24日 - 1927年(昭和2年)8月24日)は、日本の海軍軍人。美保関事件で殉職した「蕨」駆逐艦長である。最終階級は海軍中佐。 | ||
69 | 丸山政男 | Wikipedia |
丸山 政男(まるやま まさお、1889年9月13日 - 1957年11月11日は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
70 | 木島袈裟雄 | Wikipedia |
木島 袈裟雄(きじま けさお、1889年(明治22年)11月20日 - 1965年(昭和40年)2月10日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。 | ||
71 | 栗田健男 水戸市 | Wikipedia |
栗田健男(くりた たけお、1889年4月28日 - 1977年12月19日)は日本の海軍軍人(海軍中将)。茨城県水戸市に生まれる。旧制水戸中学校(現茨城県立水戸第一高等学校)、海軍兵学校(38期)卒業。 | ||
72 | 西村祥治 男鹿市 | Wikipedia |
西村 祥治(にしむら しょうじ、1889年(明治22年)11月30日 - 1944年(昭和19年)10月25日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。秋田県出身。 | ||
73 | 笠原幸雄 | Wikipedia |
笠原 幸雄(かさはら ゆきお、1889年(明治22年)11月6日 - 1988年(昭和63年)1月2日)は、日本の陸軍軍人。陸軍中将。ロシア通の参謀として知られていた。 | ||
74 | 井上成美 | Wikipedia |
井上 成美(いのうえ しげよし[注釈 1]、1889年(明治22年)12月9日 - 1975年(昭和50年)12月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。海軍大将となった最後の軍人。 | ||
75 | 相沢三郎 仙台市 | Wikipedia |
相沢 三郎(あいざわ さぶろう、1889年(明治22年)9月6日 - 1936年(昭和11年)7月3日)は、日本の陸軍軍人。皇道派に属した相沢は、真崎甚三郎教育総監更迭に憤激し1935年8月12日に統制派の永田鉄山軍務局長を殺害した(相沢事件)。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
76 | 吉良俊一 大分市 | Wikipedia |
吉良 俊一(きら しゅんいち、1889年(明治22年)9月9日 - 1947年(昭和22年)4月30日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。日本海軍搭乗員として空母初着艦を成功させ、着艦三羽烏の異名があった。 | ||
77 | 寺倉正三 | Wikipedia |
寺倉 正三(てらくら しょうぞう、1889年(明治22年)10月14日 - 1964年(昭和39年)7月7日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
78 | 安田武雄 | Wikipedia |
安田 武雄(やすだ たけお、1889年1月16日 - 1964年8月23日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
79 | 宇垣完爾 | Wikipedia |
宇垣 完爾(うがき かんじ、1889年(明治22年)1月23日 - 1974年(昭和49年)9月27日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
80 | 横山勇 | Wikipedia |
横山 勇(よこやま いさむ、1889年(明治22年)3月1日 - 1952年(昭和27年)4月21日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
81 | 松浦永次郎 掛川市 | Wikipedia |
松浦 永次郎(まつうら えいじろう、1889年(明治22年)3月5日 - 1976年(昭和51年)11月8日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。静岡県小笠郡掛川町(現掛川市)出身。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 |
官僚
82 | 井上政信 | Wikipedia |
井上 政信(いのうえ まさのぶ、明治22年(1889年)12月 - 昭和4年(1929年)4月24日)は、日本の内務官僚。熊本県士族。兵庫県警察部長[2]。元宮崎銀行頭取井上信一の父[3]。妻清子は元鉄道大臣小川平吉長女[2]。弟井上春成は元工業技術庁長官[2]。 | ||
83 | 井上赳 | Wikipedia |
井上 赳(いのうえ たけし、1889年7月23日 - 1965年7月20日)は、島根県出身の文部官僚。1930年代の国語読本である『小学国語読本』(サクラ読本)の編集の中心となった。 | ||
84 | 藤井真透 都城市 | Wikipedia |
藤井 真透(ふじい ますき、1889年1月11日 - 1963年9月19日)は、日本の道路技術者、内務官僚、政治家。宮崎県都城市生まれ。 | ||
85 | 吉阪俊蔵 神戸市 | Wikipedia |
吉阪 俊蔵(よしざか しゅんぞう、1889年9月10日 - 1958年7月14日)は、日本の男性官僚。商工省・内務省で活動した。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
公務員
86 | 河相達夫 竹原市 | Wikipedia |
河相 達夫(かわい たつお、1889年7月26日 – 1966年10月31日)は、大正 – 昭和期の外交官、外務次官。終戦連絡中央事務局次長やオーストラリア公使等を務めた。旧姓・永井[2]。広島県賀茂郡竹原村(現竹原市)出身[2]。 |
学者・教授・准教授
87 | 後藤格次 うきは市 | Wikipedia |
後藤 格次 (ごとう かくじ、1889年3月4日 - 1969年11月29日)は、日本の農芸化学者。東京大学農学部教授。日本学士院会員。 | ||
88 | 三谷隆正 武蔵野市 | Wikipedia |
三谷 隆正(みたに たかまさ 1889年2月6日 - 1944年2月17日)は、日本の法学者。 | ||
89 | 塩入亮忠 | Wikipedia |
塩入 亮忠(しおいり りょうちゅう、1889年6月23日 - 1971年12月23日)は、天台宗の僧、仏教学者。第13代大正大学学長。雅号・一乗子、別名・汲海。 | ||
90 | 西尾実 | Wikipedia |
西尾 実(にしお みのる、1889年5月14日 - 1979年4月16日)は、日本の国文学者、国語教育学者、国語学者。 | ||
91 | 太宰施門 倉敷市 | Wikipedia |
太宰 施門(だざい せもん、1889年4月1日 - 1974年1月11日)は、フランス文学者、京都大学文学部名誉教授。名前の読み方は「しもん」あるいは「よしかど」とされることもある。 | ||
92 | 竹野長次 山形村 | Wikipedia |
竹野 長次(たけの ちょうじ、1889年12月10日 - 1962年7月25日)は、日本の国文学者。 | ||
93 | 南原繁 | Wikipedia |
内村鑑三 静子・ルツ子 祐之・美代子 南原繁・矢内原忠雄 畔上賢造・坂田祐 斎藤宗次郎・塚本虎二 中村勝己・高谷道男 藤井武・鈴木弼美 | ||
94 | 金子彦二郎 新潟市 | Wikipedia |
金子 彦二郎(かねこ ひこじろう、1889年6月20日 - 1958年5月27日)は、国文学者。 | ||
95 | 木村謹治 五城目町 | Wikipedia |
木村 謹治(きむら きんじ、1889年1月2日 - 1948年1月13日)は、日本のドイツ文学・ドイツ語学者、東京帝国大学教授。 | ||
96 | 島善鄰 広島市 | Wikipedia |
島 善鄰(しま よしちか、1889年8月27日 - 1964年8月7日)は、教育者、農学博士。北海道大学第6代学長。その一生をリンゴの研究と普及に務めリンゴの神様と言われる[2][3]。正三位、勲一等瑞宝章を授与。 | ||
97 | 島善鄰 | Wikipedia |
島 善鄰(しま よしちか、1889年8月27日 - 1964年8月7日)は、教育者、農学博士。北海道大学第6代学長。その一生をリンゴの研究と普及に務めリンゴの神様と言われる[2][3]。正三位、勲一等瑞宝章を授与。 | ||
98 | 川西実三 神戸市 | Wikipedia |
川西 實三(かわにし じつぞう、1889年(明治21年)1月2日 - 1978年(昭和53年)3月3日)は、日本赤十字社社長などを務めた内務官僚。労働問題の権威として知られた。息子は英文学者・東京大学名誉教授の川西進。義兄に、三谷隆正と三谷隆信。新渡戸稲造を師と仰いだ。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
99 | 和辻哲郎 姫路市 | Wikipedia |
和辻 哲郎(わつじ てつろう、1889年3月1日 - 1960年12月26日)は、『古寺巡礼』『風土』などの著作で知られる日本の哲学者、倫理学者、文化史家、日本思想史家。その倫理学の体系は、和辻倫理学と呼ばれる。日本倫理学会会員。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
100 | 速水和彦 釧路市 | Wikipedia |
速水 和彦(はやみ かずひこ、速水和彥、1889年(明治22)12月19日 - 1949年(昭和24年)8月12日)は日本の機械工学者。 日本統治時代の台湾で総督府の技師として、台北市七星郡松山庄(中国語版)(現・信義区)に新設された新台北鉄道工場(現・台北機廠)の設計を手がけた。 台湾では「北廠之父」(台北機廠の父)と呼ばれている。 | ||
101 | 塩入松三郎 | Wikipedia |
塩入 松三郎(しおいり まつさぶろう、1889年11月12日 - 1962年10月1日)は、土壌学者。東京大学名誉教授。土壌学、肥料学の権威で、水田土壌、畑土壌化学、休閑期の土壌乾燥効果等の研究に於いて業績を残した。 | ||
102 | 鈴木雅次 松本市 | Wikipedia |
鈴木 雅次(すずき まさつぐ、1889年3月6日 - 1987年5月28日)は、日本の土木工学者、内務官僚。元日本大学教授。土木工学・港湾工学の研究に業績を上げる。 | ||
九州大学出身 出身の九州大学の出身者 全国の九州大学の出身者 | ||
103 | 西恒次郎 鳥取市 | Wikipedia |
西 恒次郎(にし こうじろう、1889年(明治22年)11月 - 1971年(昭和46年)2月)は、日本の医師。倫理哲学者西晋一郎の弟。 | ||
104 | 薬師寺志光 宇和島市 | Wikipedia |
薬師寺 志光(やくしじ しこう、1889年(明治22年)-1984年(昭和59年)7月23日)は日本の民法学者。法政大学名誉教授、元愛知大学・國學院大學教授。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
105 | 山根徳太郎 大阪市 | Wikipedia |
山根 徳太郎(やまね とくたろう、1889年1月12日 - 1973年7月28日)は、日本の考古学者。文献史料に記載されていたが所在地が不明のままであった難波宮の研究を行い、難波宮の大極殿跡を発掘した。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
106 | 山本一清 大津市 | Wikipedia |
山本 一清(やまもと いっせい、1889年(明治22年)5月27日 - 1959年(昭和34年)1月16日)は、滋賀県出身の日本の天文学者。滋賀県出身者として最初の天文学者・理学博士(博士登録番号227番、天文学専攻としては国内8人目の理学博士)。 |
研究者・研究家・発明家
107 | 上原敬二 三鷹市 | Wikipedia |
上原 敬二(うえはら けいじ、1889年2月5日 - 1981年10月24日)は、日本の造園研究家、林学博士、東京農業大学名誉教授。東京高等造園学校、現在の東京農業大学地域環境科学部造園科学科を創設し、日本の造園教育の創始者として知られる。また造園の技術者としても、東京帝国大学大学院在学時に本多静六等と明治神宮の造園などの設計もしている。上原の著書の多くは造園系学校・学科の学生の参考書として現在も多く活用されている。その他、横浜山手の西洋庭園をはじめ、築造した庭園は三百余になるといわれている。 | ||
108 | 新関良三 | Wikipedia |
新関 良三(にいぜき りょうぞう、1889年8月4日 - 1979年4月27日)は、ドイツ文学者、演劇研究者、文化功労者。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
109 | 藤井清水 | Wikipedia |
藤井 清水(ふじい きよみ、1889年2月17日 - 1944年3月25日)は、日本の作曲家。童謡作曲家、民謡研究家。広島県安芸郡焼山村(現・呉市)出身。生涯に約1900曲も作曲、編曲しながら、あまり世に知られることのなかった人である。のちに、『日本民謡大観』のもととなる民謡の採譜をたくさん行い、民謡の楽譜化に力を尽くして、日本民謡の音楽的研究の推進に多大な貢献をした。 |
画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家
110 | 地主悌助 鶴岡市 | Wikipedia |
地主 悌助(じぬし ていすけ、1889年(明治22年)7月12日 - 1975年(昭和50年)11月26日)は、日本の洋画家。 | ||
111 | 広島晃甫 | Wikipedia |
広島 晃甫(ひろしま こうほ、本名:広島新太郎、1889年(明治22年)11月23日 - 1951年(昭和26年)12月16日)は、徳島県徳島市出身の日本画家。香川県立工芸学校(現香川県立高松工芸高等学校)、東京美術学校日本画科(現東京藝術大学)卒業。 | ||
112 | 野島康三 | Wikipedia |
野島 康三(のじま やすぞう、1889年2月12日 - 1964年8月14日)は、日本の戦前期を代表する写真家のひとり。埼玉県浦和市(現:さいたま市)生まれ。特に、ポートレイトやヌード写真に長ける。 初期のピクトリアリスムの重厚な絵画的な作品から、のちにストレートな表現に移行した。 | ||
113 | 斎藤素巌 小平市 | Wikipedia |
齋藤 素巌(さいとう そがん、1889年10月16日 - 1974年2月2日)は、彫刻家、日本芸術院会員。本名は知雄(ともお)。 | ||
114 | 鈴木翠軒 田原市 | Wikipedia |
鈴木 翠軒(すずき すいけん、1889年〈明治22年〉1月5日 - 1976年〈昭和51年〉9月26日)は、愛知県生まれの書家、文化功労者。旧姓は長尾、本名は春視(はるみ)、翠軒は号。 | ||
115 | 淵上白陽 | Wikipedia |
淵上 白陽(ふちかみ はくよう、1889年(明治22年)11月14日 - 1960年(昭和35年)2月8日)は、写真家。一般に、日本の近代写真(新興写真)は淵上作品から始まる。 | ||
116 | 片多徳郎 豊後高田市 | Wikipedia |
片多 徳郎(かただ とくろう、明治22年(1889年)6月24日 - 昭和9年(1934年)4月27日)は、大分県出身の洋画家である。 | ||
117 | 上野山清貢 江別市 | Wikipedia |
上野山 清貢(うえのやま きよつぐ、1889年6月9日 - 1960年1月1日)は、日本の画家。 | ||
118 | 足立源一郎 大阪市 | Wikipedia |
足立 源一郎(あだち げんいちろう、1889年7月8日 - 1973年3月31日)は、日本の画家、作家、登山家。山岳作家として国内外に足跡を残し、『滝谷ドームの北壁』『北穂高岳南峰』など、数々の名作を世に送り出した。 | ||
119 | 菅野廉 大衡村 | Wikipedia |
菅野 廉(かんの れん、1889年(明治22年)7月12日 - 1988年(昭和63年)7月8日)は宮城県黒川郡大衡村生まれの洋画家である。東京美術学校を卒業し、戦前は二科で、戦後は河北美術展などで活躍した。「蔵王の画家」と呼ばれる。 | ||
120 | 佐々木大樹 黒部市 | Wikipedia |
佐々木 大樹(ささき たいじゅ、1889年12月25日 - (1978-11-08) 1978年11月8日(88歳没))は日本の彫刻家。 | ||
121 | 小野竹喬 笠岡市 | Wikipedia |
小野 竹喬(おの ちっきょう、 1889年(明治22年)11月20日 - 1979年(昭和54年)5月10日)は、大正・昭和期の日本画家。本名は小野英吉。 | ||
京都市立芸術大学出身 出身の京都市立芸術大学の出身者 全国の京都市立芸術大学の出身者 | ||
122 | 国吉康雄 岡山市 | Wikipedia |
国吉 康雄(くによし やすお、1889年9月1日 - 1953年5月14日)は、日本の洋画家。岡山県岡山市中出石町(現・岡山市北区出石町一丁目)出身。 20世紀前半にアメリカ合衆国を拠点に活動した。 | ||
123 | 高塚竹堂 | Wikipedia |
高塚 竹堂(たかつか ちくどう、本名・高塚 錠二(たかつか じょうじ)、1889年5月23日 - 1968年3月30日)は、日本の書家。かな書道の大家。 | ||
124 | 河目悌二 刈谷市 | Wikipedia |
河目 悌二(かわめ ていじ、1889年8月6日 - 1958年4月23日)は、大正・昭和期の日本の画家。愛知県碧海郡刈谷町(現在の刈谷市)出身。 | ||
東京藝術大学出身 出身の東京藝術大学の出身者 全国の東京藝術大学の出身者 | ||
125 | 坂田一男 岡山市 | Wikipedia |
坂田 一男(さかた かずお、1889年8月22日 - 1956年5月28日)は、日本のキュビスムの洋画家。 | ||
126 | 吉田三郎 金沢市 | Wikipedia |
吉田 三郎(よしだ さぶろう、1889年5月25日 - 1962年3月16日)は、彫刻家、日本芸術院会員。 | ||
127 | 早川孝太郎 新城市 | Wikipedia |
早川 孝太郎(はやかわ こうたろう、1889年(明治22年)12月20日 - 1956年(昭和31年)12月23日)は、日本の民俗学者、画家。 | ||
128 | 川上四郎 長岡市 | Wikipedia |
川上 四郎(かわかみ しろう、1889年11月16日 - 1983年12月30日)は童画画家。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 |
政治家・議員・首長
129 | 北勝太郎 奈井江町 | Wikipedia |
北 勝太郎(きた かつたろう、1889年(明治22年)9月14日 - 1963年(昭和38年)2月21日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)・参議院議員(1期)。奈井江村初代村長。 | ||
130 | 五坪茂雄 | Wikipedia |
五坪 茂雄(ごつぼ しげお、1889年 - 1961年)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。 | ||
131 | 石井光次郎 久留米市 | Wikipedia |
石井 光次郎(いしい みつじろう、1889年(明治22年)8月18日 - 1981年(昭和56年)9月20日)は、日本の政治家。衆議院議長(第54代)、副総理、法務大臣、通商産業大臣、行政管理庁長官、北海道開発庁長官、運輸大臣、商工大臣を歴任。久留米市名誉市民。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
132 | 宮内三朗 旭市 | Wikipedia |
宮内 三朗(みやうち さぶろう、1889年4月5日 - 1972年3月13日)は、昭和期の政治家。戦後、千葉市長となり今日の千葉市の基礎を築いた。 | ||
133 | 北勝太郎 | Wikipedia |
北 勝太郎(きた かつたろう、1889年(明治22年)9月14日 - 1963年(昭和38年)2月21日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)・参議院議員(1期)。 | ||
134 | 林譲治 | Wikipedia |
林 譲治(はやし じょうじ、1889年(明治22年)3月24日 - 1960年(昭和35年)4月5日)は、日本の政治家。第41代衆議院議長、副総理、厚生大臣、内閣官房長官を歴任。位階勲等は従二位勲一等旭日桐花大綬章。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
135 | 賀屋興宣 広島市 | Wikipedia |
賀屋 興宣(かや おきのり、1889年(明治22年)1月30日 - 1977年(昭和52年)4月28日)は、日本の大蔵官僚、政治家。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
136 | 野坂康久 米子市 | Wikipedia |
野坂 康久(のざか やすひさ、明治22年(1889年)6月18日 - 没)は、日本の実業家、政治家。旧姓稲田。洋食のレストラン“十字屋”経営主。元米子市会議員(議長)。 | ||
137 | 野坂寛治 米子市 | Wikipedia |
野坂 寛治(のさか かんじ、明治22年(1889年)5月2日 - 昭和40年(1965年)4月1日)は、日本の政治家。元米子市長、境町長。元鳥取県議会議員。米子市名誉市民。 | ||
138 | 小山邦太郎 小諸市 | Wikipedia |
小山 邦太郎(こやま くにたろう、1889年11月16日 - 1981年3月24日)は、日本の政治家。戦前の長野県会議員から衆議院議員(6期)。戦後、参議院議員(3期)。参議院永年在職議員。初代小諸市長。位階は正三位。勲等は勲一等。 | ||
139 | 土田國太郎 川場村 | Wikipedia |
土田 國太郎(つちだ くにたろう、1889年(明治22年) - 1960年(昭和35年)3月)は、日本の醸造家、政治家。群馬県出身。 | ||
140 | 館哲二 高岡市 | Wikipedia |
館 哲二 (たち てつじ、1889年8月18日 - 1968年9月27日)は、日本の内務官僚、政治家。参議院議員(3期)、府県知事。旧姓、木津。 | ||
141 | 原菊太郎 徳島市 | Wikipedia |
原 菊太郎(はら きくたろう、1889年11月10日 - 1972年5月7日)は政治家。元徳島県知事。元徳島市長。徳島県徳島市出身。 | ||
142 | 松本六太郎 和寒町 | Wikipedia |
松本 六太郎(まつもと ろくたろう、1889年(明治22年)2月 - 1952年(昭和27年)2月8日)は、日本の政治家。衆議院議員。 | ||
143 | 伊藤幸太郎 桑名市 | Wikipedia |
伊藤 幸太郎(いとう こうたろう、1889年(明治22年)12月17日 - 1966年(昭和41年)9月9日)は日本の政治家。衆議院議員(1期)、三重県長島村長、長島町長。桑名市名誉市民。三重県桑名郡長島村(現・桑名市)出身。 | ||
144 | 菊地養之輔 | Wikipedia |
菊地 養之輔(きくち ようのすけ、1889年9月5日 - 1983年1月5日)は大正、昭和期の日本の政治家、弁護士。日本社会党衆議院議員、日本弁護士連合会(日弁連)副会長。仙台市名誉市民。 | ||
中央大学出身 出身の中央大学の出身者 全国の中央大学の出身者 | ||
145 | 河上丈太郎 港区 | Wikipedia |
河上 丈太郎(かわかみ じょうたろう、1889年1月3日 - 1965年12月3日)は、日本の政治家。右派社会党委員長、日本社会党委員長を歴任した。息子は衆議院議員・社会党国際局長をつとめた河上民雄。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
146 | 大立廉 米子市 | Wikipedia |
大立 廉(おおだて れん、明治22年(1889年)4月 - 昭和42年(1967年)4月)は、日本の技術者、政治家。元米子製鋼所長。元成実村会議員。 | ||
147 | 木戸幸一 | Wikipedia |
木戸 幸一(きど こういち、1889年7月18日 - 1977年4月6日)は、日本の官僚、政治家。侯爵。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
148 | 山本宣治 宇治市 | Wikipedia |
山本 宣治(やまもと せんじ、1889年(明治22年)5月28日 - 1929年(昭和4年)3月5日)は、日本の戦前の政治家、生物学者。京都府出身。 | ||
149 | 広瀬久忠 甲州市 | Wikipedia |
広瀬 久忠(ひろせ ひさただ、1889年(明治22年)1月22日 - 1974年(昭和49年)5月22日)は日本の官僚、政治家。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
150 | 君島清吉 栃木市 | Wikipedia |
君島 清吉(きみじま せいきち、1889年(明治22年)4月16日 - 1966年(昭和41年)1月11日)は、日本の内務官僚。官選県知事。 | ||
151 | 安達悦二郎 三笠市 | Wikipedia |
安達悦二郎(あだち えつじろう、1889年(明治22年) - 1987年(昭和62年))は、日本の政治家・実業家。北海道三笠市出身。1916年(大正5年)札幌師範学校(現・北海道教育大学札幌分校)卒業。北海道遠軽町長(1951年 - 1955年)。 | ||
152 | 大麻唯男 玉名市 | Wikipedia |
大麻 唯男(おおあさ ただお、1889年(明治22年)7月7日 – 1957年(昭和32年)2月20日)は、日本の内務官僚、政治家。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
153 | 飯塚茂 栃木市 | Wikipedia |
飯塚 茂(いいづか しげる、1889年(明治22年)7月4日 - 1945年(昭和20年)1月12日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 | ||
154 | 谷正之 益城町 | Wikipedia |
谷 正之(たに まさゆき 1889年2月9日 - 1962年10月16日)は、昭和の外交官、外務大臣。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
155 | 山枡儀重 倉吉市 | Wikipedia |
山枡 儀重(やまます のりしげ、1889年(明治22年)4月24日 - 1937年(昭和12年)12月25日)は、日本の衆議院議員(憲政会→立憲民政党)、教育者。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
156 | 田中信義 鳥取市 | Wikipedia |
田中 信義(たなか のぶよし、明治22年(1889年)3月 - 昭和35年(1960年)4月11日)は、日本の政治家、実業家。旧姓下田。農業。 | ||
157 | 高橋雄豺 西条市 | Wikipedia |
高橋 雄豺(たかはし ゆうさい、明治22年(1889年)11月3日 - 昭和54年(1979年)8月26日)は、内務官僚、実業家、ジャーナリスト。香川県知事。安部英・元帝京大学副学長の義父。 | ||
158 | 越智孝平 松山市 | Wikipedia |
越智 孝平(おち こうへい、1889年(明治22年)2月3日 - 1968年(昭和43年)6月25日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍少将。松山市長。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
159 | 青木一男 | Wikipedia |
青木 一男(あおき かずお、1889年(明治22年)11月28日 - 1982年(昭和57年)6月25日)は、日本の政治家、官僚。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
160 | 塚本三 瑞浪市 | Wikipedia |
塚本 三(つかもと ぞう、1889年4月21日 - 1952年8月25日)は、日本のジャーナリスト、政治家。公選初の名古屋市長(2期)。戦前は衆議院議員(1期)、名古屋市会議員などを務めた。旧姓は井箟。 | ||
161 | 伊谷半次郎 愛荘町 | Wikipedia |
伊谷 半次郎(いたに はんじろう、1889年(明治22年)2月5日~1970年(昭和45年)7月4日)は、日本の政治家・実業家。滋賀県愛知郡愛知川町出身。北海道北見市長(1947年-1963年、4期)。 | ||
162 | 鈴木敬一 | Wikipedia |
鈴木 敬一(すずき けいいち、1889年7月 - 1973年11月29日)は、日本の内務官僚。府県知事、初代住宅金融公庫総裁。 | ||
163 | 堤康次郎 愛荘町 | Wikipedia |
堤 康次郎(つつみ やすじろう、1889年(明治22年)3月7日 - 1964年(昭和39年)4月26日)は、日本の実業家もしくは財界人で、滋賀県選出の衆議院議員として政治家でもあった。西武グループ(旧コクド及び旧セゾングループ)の創業者。第44代衆議院議長。滋賀県大津市名誉市民。滋賀県平民。正三位勲一等。「ピストル堤」の異名を持つ。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
164 | 塚本三 名古屋市 | Wikipedia |
塚本 三(つかもと ぞう、1889年4月21日 - 1952年8月25日)は、大正期から昭和期の政治家、衆議院議員、公選初の名古屋市長。旧姓、井箟。 | ||
165 | 原口忠次郎 小城市 | Wikipedia |
原口 忠次郎(はらぐち ちゅうじろう、1889年11月12日 - 1976年3月22日)は官僚、政治家。第12代神戸市長。工学博士、参議院議員。 | ||
166 | 森幸太郎 長浜市 | Wikipedia |
森 幸太郎(もり こうたろう、1889年7月20日 - 1964年2月4日)は、昭和期の日本の政治家。衆議院議員、農林大臣、滋賀県知事などを歴任。 |
評論家
167 | 藤澤清造 七尾市 | Wikipedia |
藤澤 清造(ふじさわ せいぞう、1889年10月28日 - 1932年1月29日)は、日本の男性小説家、劇作家、演劇評論家。 | ||
168 | 小野源蔵 五城目町 | Wikipedia |
小野 源蔵(おの げんぞう、1889年8月10日 - 1957年3月30日)は、日本の教育者、教育評論家。『新教育論』を著した。 | ||
169 | 小汀利得 出雲市 | Wikipedia |
小汀 利得(おばま としえ、1889年12月3日 - 1972年5月28日)は、日本のジャーナリスト、時事評論家。第二次世界大戦前は中外商業新報紙(後の日本経済新聞)の経済部長、編集局長、社長を歴任、戦後はTBSテレビの座談会番組「時事放談」のレギュラー出演者として有名だった。なお名前はしばしば「リトク」と呼ばれた。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 |
宗教家・思想家・運動家
170 | 柳宗悦 我孫子市 | Wikipedia |
柳 宗悦(やなぎ むねよし、1889年(明治22年)3月21日 - 1961年(昭和36年)5月3日)は、民藝運動を起こした思想家、美学者、宗教哲学者。名前はしばしば「そうえつ」と読まれ、欧文においても「Soetsu」と表記される。 | ||
171 | 本多まつ江 | Wikipedia |
本多まつ江(ほんだ まつえ、1889年(明治22年)12月25日 - 1969年(昭和44年)4月26日。教師であり、僧侶夫人、司法保護司、教誨師。晩年『死刑囚の母』と呼ばれた。旧姓は赤羽。 | ||
172 | 鋤柄熊太郎 | Wikipedia |
鋤柄 熊太郎(すきがら くまたろう、1889年 - 1956年8月)は、日本の牧師。愛知県宝飯郡塩津村生まれ。 | ||
173 | 石原莞爾 | Wikipedia |
石原 莞爾(いしわら かんじ[注 1]、明治22年(1889年)1月18日 (戸籍の上では17日)- 昭和24年(1949年)8月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。栄典は従四位・勲三等・功三級、「世界最終戦論」など軍事思想家としても知られる。「帝国陸軍の異端児」の渾名が付くほど組織内では変わり者だった。 | ||
174 | 棚橋小虎 松本市 | Wikipedia |
棚橋 小虎(たなはし ことら、1889年1月14日 - 1973年2月20日)は日本の労働運動家、政治家。新人会などの学生運動、友愛会、労働総同盟などの労働運動にかかわり、日本労農党や社会党などの結成に関与した。 | ||
175 | 新井石龍 五泉市 | Wikipedia |
新井 石龍(あらい せきりゅう、俗名:小島藤七、1889年(明治22年)9月29日 - 1984年(昭和59年)2月16日)は、日本の曹洞宗の僧侶、書家。雲洞庵四十五世住職。号は無著。 | ||
京都帝国大学出身 出身の京都帝国大学の出身者 全国の京都帝国大学の出身者 | ||
176 | 妹尾義郎 東城町 | Wikipedia |
妹尾 義郎(せのお ぎろう、1889年(明治22)12月16日 - 1961年(昭和36)8月4日)は、仏教運動家。広島県比婆郡東城町生まれ。 |
俳人・歌人・詩人・歌人
177 | 尾山篤二郎 金沢市 | Wikipedia |
尾山 篤二郎(おやま とくじろう、1889年12月15日 - 1963年6月23日)は、日本の国文学者、歌人。 | ||
178 | 三木露風 函館市 | Wikipedia |
三木 露風(みき ろふう、1889年(明治22年)6月23日 - 1964年(昭和39年)12月29日)は、日本の詩人、童謡作家、歌人、随筆家。本名は三木 操(みき みさお)。異父弟に映画カメラマンの碧川道夫がいる。 | ||
179 | 福士幸次郎 弘前市 | Wikipedia |
福士幸次郎(ふくし こうじろう、1889年11月5日 - 1946年10月11日)は、日本の詩人。 | ||
180 | 今井白楊 薩摩川内市 | Wikipedia |
今井 白楊(いまい はくよう、1889年12月3日 - 1917年8月2日)は、日本の詩人である。 | ||
181 | 岡本かの子 川崎市 | Wikipedia |
岡本 かの子(おかもと かのこ、1889年3月1日 - 1939年2月18日)は、大正、昭和期の小説家、歌人、仏教研究家。本名カノ。東京府東京市赤坂区(現東京都港区)青山南町生まれ。跡見女学校卒業。漫画家岡本一平と結婚し、芸術家岡本太郎を生んだ。小説家として実質的にデビューをしたのは晩年であったが、生前の精力的な執筆活動から、死後多くの遺作が発表された。耽美妖艶の作風を特徴とする。私生活では、夫一平と「奇妙な夫婦生活」を送ったことで知られる。 | ||
182 | 夢野久作 福岡市 | Wikipedia |
夢野 久作(ゆめの きゅうさく、1889年(明治22年)1月4日 - 1936年(昭和11年)3月11日)は、日本の禅僧、陸軍少尉、郵便局長、小説家、詩人、SF作家、探偵小説家、幻想文学作家。他の筆名に海若藍平、香倶土三鳥など。現在では、夢久、夢Qなどと呼ばれることもある。戒名は悟真院吟園泰道居士。禅僧としての名は雲水(うんすい)、法号を萠円と称した。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
183 | 楠目橙黄子 | Wikipedia |
楠目橙黄子(くすめ とうこうし、1889年(明治22年)5月4日 - 1940年(昭和15年)5月8日)は俳人。 | ||
184 | 久保田万太郎 浅草 | Wikipedia |
久保田 万太郎(くぼた まんたろう、1889年(明治22年)11月7日 - 1963年(昭和38年)5月6日)は、浅草生まれの大正から昭和にかけて活躍した俳人、小説家、劇作家。生粋の江戸っ子として伝統的な江戸言葉を駆使して滅びゆく下町の人情を描いた。俳人としては岡本松浜、松根東洋城に師事、戦後に俳誌「春燈」を主宰し文人俳句の代表作家として知られる。俳句の別号に暮雨、傘雨[2]。別の筆名に千野菊次郎。文化勲章受章者。贈従三位勲一等瑞宝章(没時叙位叙勲)。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
185 | 三木露風 たつの市 | Wikipedia |
三木 露風(みき ろふう、1889年(明治22年)6月23日 - 1964年(昭和39年)12月29日)は、日本の詩人、童謡作家、歌人、随筆家。本名は三木 操(みき みさお)。異父弟に映画カメラマンの碧川道夫がいる。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
186 | 三富朽葉 壱岐市 | Wikipedia |
三富 朽葉(みとみ きゅうよう、1889年8月14日 - 1917年8月2日)は、日本の詩人である。 | ||
187 | 中村憲吉 | Wikipedia |
中村 憲吉(なかむら けんきち、1889年5月14日 - 1934年5月5日)は、歌人。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
188 | 細井魚袋 木更津市 | Wikipedia |
細井 魚袋(ほそい ぎょたい、1889年1月2日 - 1962年11月2日)は、日本の歌人。千葉県君津郡巌根村大字高柳字大海道(現・木更津市高柳)生まれ。尾上柴舟に師事した。 | ||
189 | 室生犀星 金沢市 | Wikipedia |
室生 犀星(むろう さいせい、本名: 室生 照道(てるみち)、1889年(明治22年)8月1日 - 1962年(昭和37年)3月26日)は、石川県金沢市生まれの詩人・小説家。別号に「魚眠洞」。 |
その他の職業
190 | 岩槻信治 岡崎市 | Wikipedia |
岩槻 信治(いわつき のぶじ、1889年8月30日 - 1948年5月9日)は、日本の農業技師。20余種に及ぶ稲の品種改良を行い、西三河一帯の農業振興に大きく寄与した。岡崎市名誉市民。 | ||
191 | 熊沢寛道 | Wikipedia |
熊沢 寛道(くまざわ ひろみち、1889年(明治22年)12月18日 - 1966年(昭和41年)6月11日)は日本の皇位僭称者。第二次世界大戦後に正統な皇位継承者を主張した「自称天皇」の代表的存在である。大延天皇、また熊沢天皇(くまざわてんのう)の呼称で知られる。 | ||
192 | 石田天海 | Wikipedia |
石田 天海(いしだ てんかい、1889年〈明治22年〉12月1日 - 1972年〈昭和47年〉6月6日)は、日本の奇術師。本名は石田 貞次郎。愛知県名古屋市出身。 | ||
193 | 川手ミトヨ 広島市 | Wikipedia |
川手 ミトヨ(かわて ミトヨ、1889年(明治22年)5月15日 - 2003年(平成15年)11月13日)は、存命人物のうち世界最高齢だった日本の女性。 | ||
194 | 中願寺雄吉 筑紫野市 | Wikipedia |
中願寺 雄吉(ちゅうがんじ ゆうきち、1889年(明治22年)3月23日 - 2003年(平成15年)9月28日)は、2002年12月から2003年9月まで長寿世界一だった福岡県小郡市在住の男性。ただし、生前は後述のとおり長寿世界一とは見做されず、世界第2位であるとされていた。 | ||
195 | 篠原無然 新温泉町 | Wikipedia |
篠原無然(しのはらむぜん、本名:篠原禄次。1889年(明治22年)3月7日 - 1924年(大正13年)11月14日)は、飛騨地方で活動した教育者である。 | ||
196 | 伊藤謙二 魚沼市 | Wikipedia |
伊藤 謙二(いとう けんじ、1889年6月5日 - 1970年1月27日)は、日本の銀行家。第9代日本興業銀行総裁や、初代復興金融金庫理事長を務めた。 | ||
197 | 山崎定次郎 | Wikipedia |
山崎 定次郎(やまざき さだじろう、明治22年(1889年) - 昭和50年(1975年)1月28日)はタンチョウの保護に務めた人物。 |