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宝塚・女優・俳優・声優・ナレーター・歌舞伎・能楽・狂言
1 | 高堂国典 高砂市 | Wikipedia |
高堂 国典(こうどう くにのり、1887年(明治20年)1月29日 - 1960年(昭和35年)1月22日)は、日本の俳優。本名は谷川 佐市郎(たにがわ さいちろう)。一時は高堂 黒天(読み同じ)の芸名で活動していた。通り名は「こくてん」。 | ||
2 | 岩田祐吉 | Wikipedia |
岩田 祐吉(いわた ゆうきち、1887年3月23日 - 1980年1月18日)は、日本の映画俳優。 |
演奏家・作詞家・作曲家・ミュージシャン
3 | 信時潔 | Wikipedia |
信時 潔(のぶとき きよし、1887年(明治20年)12月29日 - 1965年(昭和40年)8月1日)は、日本の作曲家。大阪府出身。 | ||
4 | 中山晋平 中野市 | Wikipedia |
中山 晋平(なかやま しんぺい、1887年(明治20年)3月22日 - 1952年(昭和27年)12月30日)は、日本の作曲家。多くの傑作といわれる童謡・流行歌・新民謡などを残した。作品は多岐にわたり、学校の校歌・社歌等などを含め中山の作品と判明しているだけで1770曲ある。 | ||
5 | 信時潔 室蘭市 | Wikipedia |
信時 潔(のぶとき きよし、1887年〈明治20年〉12月29日 - 1965年〈昭和40年〉8月1日)は、大正・昭和時代日本の作曲家、音楽学者、チェロ奏者。大阪市出身。 | ||
6 | 園山民平 出雲市 | Wikipedia |
園山 民平(そのやま みんぺい、1887年(明治20年)9月4日 - 1955年(昭和30年)1月11日)は、日本の作曲家。島根県鳶巣村(現在の出雲市)出身。 |
舞台・演劇・映画・ドラマ・脚本・プロデューサー・ディレクター
7 | 小谷ヘンリー 広島市 | Wikipedia |
ヘンリー・小谷(へんりー・こたに、本名・小谷倉市、1887年4月25日-1972年4月8日)は、大正・昭和期の映画監督。日本映画初期に、アメリカから最新技術を紹介、実践し、開拓者・指導者としても大きな役割を果たした[2][3][4][5][6]。 | ||
8 | 木村健児 京都市 | Wikipedia |
木村 健児(きむら けんじ、1887年12月18日 - 没年不詳)は、日本の俳優である[3][4]。木村 健兒と表記されることもある。本名は木村 米太郎(きむら よねたろう)[3][4]。新派を経て、大きな体格を生かして松竹蒲田撮影所などのサイレント映画のみ出演した[3][4]。 |
ジャーナリスト
9 | 山本有三 栃木市 | Wikipedia |
山本 有三(やまもと ゆうぞう、1887年(明治20年)7月27日 - 1974年(昭和49年)1月11日)は、大正から昭和にかけて活躍した日本の小説家、劇作家、政治家。本名は山本 勇造(やまもと ゆうぞう)。日本芸術院会員、文化勲章受章者。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
格闘技
10 | 對馬洋弥吉 対馬市 | Wikipedia |
對馬洋 弥吉(つしまなだ やきち、本名:川上 弥吉(かわかみ やきち)、1887年8月19日 - 1933年2月16日)は、長崎県下県郡久和村(のち厳原町、現対馬市)出身の元大相撲力士。出羽海部屋(当時は出羽ノ海部屋)所属。大正時代に活躍し、最高位は東大関。現役時代の体格は190cm、105kg。得意手は左四つ、吊り、上手投げ、小手投げ。 | ||
11 | 玉手山七郎 | Wikipedia |
玉手山 七郎(たまてやま しちろう、1887年7月14日 - 1941年9月13日)は、福井県大野郡(現大野市)出身で明治から大正期に活躍した元大相撲力士。本名は縁本 七郎。身長171cm、体重90kg。所属は大嶽部屋から雷部屋を経て中村部屋。最高位は関脇。 | ||
12 | 敷島猪之助 富山市 | Wikipedia |
敷嶌猪之助(しきしまいのすけ、1887年11月9日 - 1957年1月29日)は、友綱部屋に所属した元力士。9代熊ヶ谷を襲名し、一時期は部屋経営もした。本名は持田猪之助。現在の富山県富山市出身。身長170cm、体重96kg。最高位は東前頭4枚目。 | ||
13 | 徳三宝 天城町 | Wikipedia |
徳 三宝(とく さんぽう、1887年12月12日 - 1945年3月10日)は、日本の柔道家。講道館柔道九段。大日本武徳会柔道教士。 | ||
14 | 梅ノ花市五郎 福井市 | Wikipedia |
梅ノ花市五郎(うめのはないちごろう、1887年6月10日-1926年4月5日)は、雷部屋に所属した元力士。本名は山田市五郎(五郎とも)。現在の福井県福井市出身。164cm、105kg。最高位は東前頭4枚目。 | ||
15 | 大鳴門灘右エ門(3代) 草津市 | Wikipedia |
大鳴門灘右エ門(おおなるとなだえもん、1887年10月5日-1942年7月12日)は、現在の滋賀県草津市出身の大相撲力士。八角部屋、雷部屋に所属。最高位は西関脇。3代八角。本名は川合文治郎。178cm、103kg。 | ||
16 | 大麻勇次 玉名市 | Wikipedia |
大麻 勇次(おおあさ ゆうじ、1887年(明治20年)1月16日 - 1974年(昭和49年)2月22日)は、日本の剣道家。段位は範士十段。熊本の新陰流(上野新陰流)の和田傳の弟子。 | ||
17 | 鳳谷五郎 印西市 | Wikipedia |
鳳 谷五郎(おおとり たにごろう、1887年4月3日 - 1956年11月16日)は、千葉県印旛郡大森村(現:千葉県印西市大森)出身の大相撲力士。第24代横綱。現役引退後は年寄として後進の指導につとめた。本名は瀧田 明(たきた あきら)。 | ||
18 | 小錦八十吉 | Wikipedia |
小錦 八十吉(こにしき やそきち、1887年10月15日 - 1943年3月3日)は、山形県西村山郡三泉村(現:山形県寒河江市)出身の元大相撲力士。本名は後藤 鶴松(ごとう つるまつ)。 | ||
19 | 許田重発 | Wikipedia |
許田 重発(きょだ じゅうはつ、1887年 - 1968年)は、那覇手中興の祖といわれる東恩納寛量の高弟の一人であり、東恩流の開祖。 | ||
20 | 斎村五郎 福岡市 | Wikipedia |
斎村 五郎(さいむら ごろう、1887年(明治20年)5月4日 - 1969年(昭和44年)3月13日)は、日本の剣道家。段位は範士十段。昭和の剣聖の一人に挙げられ「剣聖十段」といわれた。また、その気性の激しさから、“雷五郎”、“ケンカ五郎”とも呼ばれた。 |
野球・サッカー以外の球技
21 | 三神八四郎 甲府市 | Wikipedia |
三神 八四郎(みかみ はちしろう, 1887年(明治20年)- 1919年(大正8年)11月8日)は、山梨県中巨摩郡大鎌田村(現・甲府市)出身の男子テニス選手。日本における硬式テニスの導入を最も早く提言した人物であり、早稲田大学の「三神記念コート」にその名を残している。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 |
登山家・冒険家・探検家
22 | 菅野力夫 | Wikipedia |
菅野 力夫(すがの りきお、1887年(明治20年)2月9日 - 1963年(昭和38年)3月12日)は、明治末期から昭和初期にかけて活動した日本の探検家。 | ||
23 | 藤木九三 福知山市 | Wikipedia |
藤木九三(ふじき くぞう、1887年(明治20年)9月30日 - 1970年(昭和45年)12月11日)は、日本の登山家であり、ロック・クライミング・クラブの創設者である。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 |
漫画家・イラスト・ゲーム
24 | 望月桂 安曇野市 | Wikipedia |
望月 桂(もちづき かつら、1887年(明治20)1月11日 - 1975年(昭和50)12月13日)は、アナキストの画家、デザイナー、漫画家である。漫画家としては筆名を犀川 凡太郎(さいかわ ぼんたろう)とする。 | ||
東京藝術大学出身 出身の東京藝術大学の出身者 全国の東京藝術大学の出身者 |
作家・小説家・エッセイ・文筆・翻訳家・編集者・評論家
25 | 江口渙 那須烏山市 | Wikipedia |
江口 渙(えぐち かん、1887年7月20日 - 1975年1月18日)は、日本の小説家である。東京麹町生まれであるが、出身地は父の故郷である栃木県烏山町である。本名は同表記で「きよし」であるが、戦後は「かん」と改めた。父の江口襄は陸軍の軍医で、東大医学部で森鴎外と同期であった。 | ||
26 | 葛西善蔵 弘前市 | Wikipedia |
葛西 善蔵(かさい ぜんぞう、1887年(明治20年)1月16日 - 1928年(昭和3年)7月23日)は、日本の小説家である。青森県中津軽郡弘前松森町(現・弘前市)で当時米の仲買業をしていた父・卯一郎、母・ひさの長男として生まれた。姉二人(長女・いそ、次女・ちよ)と祖母・かよがいた。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
27 | 水上瀧太郎 港区 | Wikipedia |
水上 瀧太郎(みなかみ たきたろう、みずかみ たきたろう、本名・阿部章蔵、1887年12月6日 - 1940年3月23日)は日本の小説家、評論家、劇作家。 | ||
28 | 国枝史郎 | Wikipedia |
国枝 史郎(くにえだ しろう、1887年10月4日 - 1943年4月8日)は日本の小説家。怪奇・幻想・耽美的な伝奇小説の書き手。他に探偵小説、戯曲なども執筆。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
29 | 河岡潮風 横浜市 | Wikipedia |
河岡 潮風(かわおか ちょうふう、1887年(明治20年)3月8日 - 1912年(明治45年)7月13日)は日本の作家。押川春浪の弟子筋として雑誌『冒険世界』などで小説、エッセイなどを発表したが、若くして病死した。本名は英男。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
30 | 葛西善蔵 歌志内市 | Wikipedia |
葛西 善蔵(かさい ぜんぞう、1887年(明治20年)1月16日 - 1928年(昭和3年)7月23日)は、日本の小説家である。青森県中津軽郡弘前松森町(現・弘前市)で当時米の仲買業をしていた父・卯一郎、母・ひさの長男として生まれた。姉二人(長女・いそ、次女・ちよ)と祖母・かよがいた。 |
弁護士
31 | 片山哲 田辺市 | Wikipedia |
片山 哲(かたやま てつ、1887年(明治20年)7月28日 - 1978年(昭和53年)5月30日)は、日本の弁護士、政治家。位階は従二位。勲等は勲一等。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
経営者・実業家
32 | 松本治一郎 福岡市 | Wikipedia |
松本 治一郎(まつもと じいちろう、1887年6月18日 - 1966年11月22日)は日本の政治家、実業家。部落解放運動を草創期から指導し、部落解放同盟からは「部落解放の父」と呼ばれる。堂々たる顎髭の風貌から「オヤジ」と呼ばれ親しまれた。 | ||
33 | 膳桂之助 | Wikipedia |
膳 桂之助(ぜん けいのすけ、1887年7月21日 - 1951年11月25日)は、日本の農商務官僚、実業家、政治家。位階は従三位。勲等は勲三等。日本工業倶楽部理事、日本団体生命保険社長、経済安定本部総務長官(初代)、物価庁長官(初代)を歴任した。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
34 | 岩崎輝弥 | Wikipedia |
岩崎 輝弥(岩崎 輝彌、いわさき てるや、1887年6月18日 - 1956年9月17日)は、日本の実業家で、日本における鉄道趣味の先駆者である。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
35 | 中野栄三郎 野田市 | Wikipedia |
中野 栄三郎(なかの えいざぶろう、1887年(明治20年)4月 - 没年不明)は、日本の実業家。野田醤油(現・キッコーマン)社長。小網商店無限責任社員[3]。旧姓は茂木。 | ||
36 | 中野友禮 | Wikipedia |
中野 友禮(なかの とものり、1887年2月1日 - 1965年12月10日)は、日本の実業家。中野式食塩電解法の開発を契機に日曹コンツェルンを築く。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
37 | 杉野繁一 愛西市 | Wikipedia |
杉野 繁一(すぎの しげいち、1887年 - 1973年)は、愛知県海部郡(後の佐屋町、現在の愛西市)出身の建築家・教育者・実業家である。 | ||
38 | 佐々田三郎 出雲市 | Wikipedia |
佐々田 三郎(ささだ さぶろう、明治20年(1887年)12月29日 -没年不明)は日本の実業家。旧姓錦織。 | ||
39 | 佐藤忠次郎 松江市 | Wikipedia |
佐藤忠次郎(さとう ちゅうじろう、1887年1月11日 - 1944年)は、佐藤造機(三菱マヒンドラ農機)の創設者。島根県松江市東出雲町出身。 | ||
40 | 鈴木忠治郎 裾野市 | Wikipedia |
鈴木 忠治郎(すずき ちゅうじろう、1887年(明治20年)5月21日 - 1964年(昭和39年)7月14日)は、大正・昭和期の実業家、発明家。裾野市名誉市民第一号。生涯で470件余の特許を得ており、代表例として1913年(大正2年)の加熱麦圧搾機が挙げられる。全国油糧機器製造協議会会長を務めた。 | ||
41 | 犬丸徹三 | Wikipedia |
犬丸 徹三(いぬまる てつぞう、1887年〈明治20年〉6月8日 - 1981年〈昭和56年〉4月9日)は日本の実業家。元帝国ホテル社長。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
42 | 古河和一郎 姫路市 | Wikipedia |
古河 和一郎(ふるかわ わいちろう、1887年(明治20年)6月 - 1945年(昭和20年)7月9日)は、日本の計理士[3]、政治家。衆議院議員(2期)。 | ||
43 | 石川武美 | Wikipedia |
石川 武美(いしかわ たけよし、1887年10月13日 - 1961年1月5日)は、日本の実業家、編集者である[2][3][4]。主婦の友社の創業者として知られる[2][3][4][5]。主婦之友社(現在の主婦の友社)社長、日本出版配給社長、東京出版販売(現在のトーハン)社長・会長、日本出版会会長を歴任した[2][3][4]。 | ||
44 | 宮坂英弌 茅野市 | Wikipedia |
宮坂 英弌(みやさか ふさかず、1887年3月4日 - 1975年6月11日)は、日本の考古学者、茅野市尖石縄文考古館、初代館長。 長野県考古学会初代会長。茅野市名誉市民。 | ||
45 | 岡空林太郎 境港市 | Wikipedia |
岡空 林太郎(おかそら りんたろう、明治20年(1887年)2月 - 没年不明)は日本の実業家。岡空家三代目。岡空商店代表者。酒造業並金物商。鳥取県多額納税者。 | ||
46 | 高畑誠一 | Wikipedia |
高畑 誠一(たかはた せいいち、明治20年(1887年)3月21日 - 昭和53年(1978年)9月19日)は、日本の実業家。日商株式会社(後の日商岩井、現・双日)の元会長。 | ||
神戸大学出身 出身の神戸大学の出身者 全国の神戸大学の出身者 | ||
47 | 宮沢胤勇 岡谷市 | Wikipedia |
宮沢 胤勇(みやざわ たねお、1887年12月15日 - 1966年6月2日)は、日本の政治家、実業家。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
48 | 大谷武一 加西市 | Wikipedia |
大谷 武一(おおたに ぶいち、1887年(明治20年)5月14日 - 1966年(昭和41年)1月29日)は、大正から昭和期の日本の学校体育指導者。ラジオ体操の考案者の1人。ソフトボール競技、ハンドボール競技を日本へと紹介。また、それまで「デッドボール」と呼ばれていた競技を「ドッジボール」に改名、主に学校体育において普及に努めた。ウェイトリフティング競技の普及にも寄与した。日本体育指導者連盟元会長。東京教育大学体育学部初代学部長。兵庫県加西市出身。 |
華道・茶道
49 | 安達潮花 内海村 | Wikipedia |
安達 潮花(あだち ちょうか、明治20年(1887年)12月10日 - 昭和44年(1969年)6月5日)は、華道家。いけばな安達式挿花創流者、いけばな近代化の先駆者。広島県豊田郡内海村跡(現・安浦町)生まれ。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 |
デザイナー
50 | 山脇敏子 呉市 | Wikipedia |
山脇 敏子(やまわき としこ、本名:山脇トシコ、1887年(明治20年)6月14日 - 1960年(昭和35年)11月4日)は、洋画家、服飾手芸家、研究家。教育者、「山脇美術専門学院」創設者。日本の服飾デザイナー先駆者[2]。 |
医師・看護師
51 | 正木不如丘 | Wikipedia |
正木 不如丘(まさき ふじょきゅう、1887年2月26日 - 1962年7月30日)は、日本の作家、医師。本名・俊二(不如丘は俳号または筆名)。 |
軍人
52 | 沢田茂 高知市 | Wikipedia |
沢田 茂(さわだ しげる、1887年(明治20年)3月29日 - 1980年(昭和55年)12月1日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
53 | 塚原二四三 | Wikipedia |
塚原 二四三 (つかはら にしぞう、一説には「つかはら ふしみ」、明治20年(1887年)4月3日 - 昭和41年(1966年)3月6日)は大正~昭和期の日本の海軍軍人。海軍大将。福井県生まれ。本籍は山梨県中巨摩郡三恵村(現南アルプス市) 。 | ||
54 | 雪下勝美 | Wikipedia |
雪下 勝美(ゆきした かつみ、1887年(明治20年)3月12日 - 1967年(昭和42年)5月27日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争時にアルゼンチン大使館附武官兼チリ公使館附武官を務めた海軍少将である。 | ||
55 | 渋谷隆太郎 | Wikipedia |
渋谷 隆太郎(しぶや りゅうたろう、1887年4月5日 - 1973年4月8日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍中将。最後の海軍艦政本部長を勤める。杉政人、上田宗重らと同様に機関科出身者として最初の海軍大将候補であった。 | ||
56 | 後藤英次 大仙市 | Wikipedia |
後藤 英次(ごとう えいじ、1887年11月5日 - 1967年11月24日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
57 | 坂口静夫 | Wikipedia |
坂口 静夫(さかぐち しずお、1887年1月17日 - 1947年3月23日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
58 | 阿南惟幾 竹田市 | Wikipedia |
阿南 惟幾(あなみ これちか、1887年(明治20年)2月21日 - 1945年(昭和20年)8月15日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大将勲一等功三級。 | ||
59 | 田中静壱 たつの市 | Wikipedia |
田中 静壱(たなか しずいち、1887年(明治20年)10月1日 - 1945年(昭和20年)8月24日)は、日本の陸軍軍人。官位は陸軍大将、従三位、勲一等瑞宝章、功三級金鵄勲章。 | ||
60 | 阿南惟幾 三鷹市 | Wikipedia |
阿南 惟幾(あなみ これちか、1887年(明治20年)2月21日 - 1945年(昭和20年)8月15日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大将勲一等功三級。 | ||
61 | 岡部直三郎 広島市 | Wikipedia |
岡部 直三郎(おかべ なおざぶろう、1887年9月30日 - 1946年11月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。北支那方面軍総司令官、第3方面軍司令官、第6方面軍司令官。 | ||
62 | 吉本貞一 | Wikipedia |
吉本 貞一(よしもと ていいち、1887年3月23日 - 1945年9月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
63 | 酒井隆 東広島市 | Wikipedia |
酒井 隆(さかい たかし、1887年10月18日 - 1946年9月30日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。太平洋戦争勃発時に第23軍司令官として香港を攻略した。 | ||
64 | 平林盛人 | Wikipedia |
平林 盛人(ひらばやし もりと、1887年11月10日 - 1969年5月21日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。 | ||
65 | 南雲忠一 | Wikipedia |
南雲 忠一(なぐも ちゅういち、1887年(明治20年)3月25日 - 1944年(昭和19年)7月6日)は、日本の海軍軍人。海兵36期。最終階級は海軍大将。サイパン島において自決。 | ||
66 | 東久邇宮稔彦王 | Wikipedia |
東久邇宮 稔彦王(ひがしくにのみや なるひこおう、1887年(明治20年)12月3日 - 1990年(平成2年)1月20日)は、日本の旧皇族、陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は従二位。勲等は大勲位。功級は功一級。皇籍離脱後は東久邇 稔彦(ひがしくに なるひこ)を名乗った。世界連邦建設同盟(現世界連邦運動協会)名誉会長、第2代会長。 | ||
67 | 矢野機 | Wikipedia |
矢野 機(やの はかる、1887年3月27日 - 1992年2月10日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
68 | 武井大助 | Wikipedia |
武井 大助(たけい だいすけ、1887年(明治20年)4月25日 - 1972年(昭和47年)3月30日)は、日本の海軍軍人、実業家。最終階級は海軍主計中将。安田銀行・文化放送の元社長。1940年勲一等旭日大綬章受章。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
69 | 本間雅晴 佐渡市 | Wikipedia |
本間 雅晴(ほんま まさはる、1887年(明治20年)11月27日 - 1946年(昭和21年)4月3日)は、日本の陸軍軍人。陸士19期、陸大27期(優等)。最終階級は陸軍中将。栄典は従三位勲一等。 | ||
70 | 春日篤 | Wikipedia |
春日 篤(かすが あつし、1887年10月4日 - 1976年2月11日)は、長野県下高井郡穂波村佐野(現在、山ノ内町)出身の日本の帝国海軍軍人。最終階級は海軍少将。 | ||
71 | 斎藤元宏 | Wikipedia |
斎藤 元宏(さいとう もとひろ、1887年10月10日 - 1916年5月25日)は日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中尉。 | ||
72 | 塚原二四三 南アルプス市 | Wikipedia |
塚原 二四三 (つかはら にしぞう、一説には「つかはら ふしみ」、明治20年(1887年)4月3日 - 昭和41年(1966年)3月6日)は大正~昭和期の日本の海軍軍人。海軍大将。福井県生まれ。本籍は山梨県中巨摩郡三恵村(現南アルプス市) 。 | ||
73 | 牛島満 | Wikipedia |
牛島 満(うしじま みつる、1887年(明治20年)7月31日 - 1945年(昭和20年)6月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将(中将から、戦死により即日大将に親任される)。鹿児島県鹿児島市出身。 | ||
74 | 石井常次郎 | Wikipedia |
石井 常次郎(いしい つねじろう、1887年11月18日 - 1951年1月16日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 |
官僚
75 | 堀内林平 青木村 | Wikipedia |
堀内 林平(ほりうち りんぺい、1887年(明治20年)1月11日 - 没年不詳)は、台湾総督府官僚。東京市区長。 | ||
76 | 品川主計 | Wikipedia |
品川 主計(しながわ かずえ、1887年1月15日 - 1986年2月14日)は、日本の内務官僚、実業家、読売ジャイアンツ球団社長。「球界の頑固親父」との異名も持つ。 |
公務員
77 | 大森洪太 伊賀市 | Wikipedia |
大森 洪太(おおもり こうた、1887年(明治20年)6月10日 - 1946年(昭和21年)5月24日)は、日本の司法官僚、判事、検事。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
78 | 石射猪太郎 | Wikipedia |
石射 猪太郎(いしい いたろう、1887年2月6日 - 1954年2月8日)は日本の外交官。 |
学者・教授・准教授
79 | 工藤祐舜 横手市 | Wikipedia |
工藤 祐舜(くどう ゆうしゅん、1887年(明治20年)3月26日 - 1932年(昭和7年)1月8日)は、日本の植物学者。現在の秋田県平鹿郡増田町(現横手市)縫殿生まれ。植物分類学の泰斗として知られる。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
80 | 本田政次 熊本市 | Wikipedia |
本田 政次(ほんだ まさじ、1887年1月20日 - 1984年7月1日)は日本の植物学者。東京大学名誉教授。 | ||
81 | 大多和音吉 | Wikipedia |
大多和 音吉(おおたわ おときち、1887年(明治20年) - 1957年(昭和32年)5月)は、日本の教育者。松江ミシン裁縫女学院(現・開星中学校・高等学校)創設者[2][3]。広島県出身[4]。 | ||
82 | 青木正児 | Wikipedia |
青木 正児(あおき まさる、旧字体: 靑木正兒、1887年(明治20年)2月14日 - 1964年(昭和39年)12月2日)は、昭和初期の日本の中国文学者である。山口県下関市出身。 | ||
83 | 土田誠一 由利本荘市 | Wikipedia |
土田 誠一(つちだ せいいち、1887年〈明治20年〉2月21日 - 1945年〈昭和20年〉10月2日)は、日本の論理学者、古神道学者、郷土史家。元東京帝国大学助教授。元神宮皇学館教授。元旧制成蹊高等学校校長。 | ||
84 | 黒上泰治 松茂町 | Wikipedia |
黒上 泰治(くろかみ たいじ、旧姓:三木、1887年(明治20年)10月20日 - 1974年(昭和49年)12月2日)は、日本の農学者。徳島県松茂町出身。東京帝国大学(現東京大学)卒業。 | ||
85 | 笹部新太郎 | Wikipedia |
笹部 新太郎(ささべ しんたろう、1887年1月15日 - 1978年12月19日)は、日本の植物学者。東京帝国大学在学中から桜の研究を始め、特にサトザクラ、ヤマザクラなどの日本古来種の保護育成に尽力し、「桜博士」といわれた。 | ||
86 | 鳥養利三郎 | Wikipedia |
鳥養 利三郎(とりがい りさぶろう、1887年2月8日 - 1976年9月24日 )は、日本の電気工学者。元京都大学総長、京都大学名誉教授。従二位勲一等工学博士。元日本学士院会員。文化功労者。徳島県生まれ。 | ||
87 | 今村荒男 安堵町 | Wikipedia |
今村 荒男(いまむら あらお、1887年10月13日 - 1967年6月13日)は、内科学者。元大阪大学総長。奈良県安堵町生まれ。 | ||
88 | 武政太郎 浅口市 | Wikipedia |
武政 太郎(たけまさ たろう、1887年1月13日 - 1965年1月7日)は、日本の心理学者。 | ||
89 | 高柳賢三 | Wikipedia |
高柳 賢三(たかやなぎ けんぞう、1887年5月11日 - 1967年6月11日)は、日本の英米法学者。東京大学名誉教授。成蹊大学名誉教授。貴族院勅選議員。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
90 | 斎藤勇 | Wikipedia |
斎藤 勇(さいとう たけし、1887年2月3日 - 1982年7月4日)は、日本の英文学者。文学博士。文化功労者、日本学士院会員。日本英文学会第3代会長(1938-41年)。東京女子大学学長(1948-54年)。東京帝国大学名誉教授。国際基督教大学名誉教授。 | ||
91 | 井口鹿象 | Wikipedia |
井口 鹿象(いぐち しかぞう、1887年 - 1956年3月13日)は日本の工学者、官僚。工学博士(東京帝国大学)。室蘭工業大学初代学長。北海道大学・室蘭工業大学名誉教授。専門は、水工学・河川工学。 | ||
92 | 大塚節治 飯室村 | Wikipedia |
大塚 節治(おおつか せつじ、1887年3月3日 - 1977年11月18日)は、大正・昭和期のキリスト教神学者、文学博士。旧姓は沖田。同志社第13代総長。京都市名誉市民(1973年)。 | ||
同志社大学出身 出身の同志社大学の出身者 全国の同志社大学の出身者 | ||
93 | 丸谷喜市 函館市 | Wikipedia |
丸谷 喜市(まるや きいち、1887年(明治20年)10月3日 - 1974年(昭和49年)7月10日)は、日本の経済学者。神戸経済大学(現・神戸大学)初代学長、神戸大学名誉教授。 | ||
94 | 秋田喜三郎 大津市 | Wikipedia |
秋田 喜三郎(あきた きさぶろう、1887年(明治20年)3月17日 - 1946年(昭和21年)4月12日)は、国語教育学者で戦時中文部省で初等教育国語教科書の編纂に携わった。 | ||
滋賀大学出身 出身の滋賀大学の出身者 全国の滋賀大学の出身者 | ||
95 | 小原國芳 南さつま市 | Wikipedia |
小原國芳(おばら くによし、1887年4月8日 - 1977年12月13日)は、日本の教育学者。最後の私塾創立者で、学校法人玉川学園の創立者。永野修身海軍大臣直属海軍教育顧問なども務めた。日本基督教団のクリスチャン。 | ||
96 | 長田新 | Wikipedia |
長田 新(おさだ あらた、1887年2月1日 - 1961年4月18日)は、日本の教育学者。広島大学名誉教授。専門は教育思想史。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 |
研究者・研究家・発明家
97 | 松田喜一 宇城市 | Wikipedia |
松田 喜一(まつだ きいち、1887年(明治20年)12月1日 - 1968年(昭和43年)7月30日)は熊本県出身の日本の農業研究者・教育者・著述家である。農業試験場技師時代に松田式麦作法を考案するなど、革新的な食料増産技術の発展に貢献。 自ら日本初の民間農業実習所を開き48年間に亘り生徒を受け入れ後進育成に献身するなど、明治から昭和にかけて日本の農業発展に貢献した。また、全国各地に赴き講演を開き農業技術・精神の普及に尽くした。実習所で直接教育を受けた生徒は約三千六百名、講演で講習を受けた者は延べ約四万名に及ぶ[2]。その傍ら雑誌『農友』を自ら執筆、50年間に亘り刊行し、その他50冊におよぶ著書も執筆した。『農友』は毎号皇室にも届けられ、昭和天皇の巡幸、各皇族の視察を受けた。藍綬褒章・勲四等瑞宝章受章、従五位。「昭和の農聖」と謳われた[3]。 | ||
98 | 新見政一 広島市 | Wikipedia |
新見 政一(にいみ まさいち、1887年(明治20年)2月4日 - 1993年(平成5年)4月2日)は、日本の海軍軍人、戦史研究家。最終階級は海軍中将。 | ||
海軍砲術学校出身 出身の海軍砲術学校の出身者 全国の海軍砲術学校の出身者 | ||
99 | 君島一郎 大田原市 | Wikipedia |
君島 一郎(きみじま いちろう、1887年(明治20年)4月16日 - 1975年(昭和50年)4月25日)は、日本の銀行家、野球研究者。元朝鮮銀行副総裁。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 |
画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家・漆芸家・工芸家
100 | 土田麦僊 佐渡市 | Wikipedia |
土田 麦僊(つちだ ばくせん、 1887年(明治20年)2月9日 - 1936年(昭和11年)6月10日)は大正~昭和期の日本画家である。 | ||
京都市立芸術大学出身 出身の京都市立芸術大学の出身者 全国の京都市立芸術大学の出身者 | ||
101 | 入江波光 京都市 | Wikipedia |
入江 波光(いりえ はこう、1887年9月26日 - 1948年6月9日)は、日本画家。 | ||
102 | ハリー・K・シゲタ 上田市 | Wikipedia |
ハリー・キンジ・シゲタ(Harry Kinzi Shigeta、日本名:重田 欣二(しげた きんじ)、1887年7月5日 - 1963年4月21日)は、日系アメリカ人の写真家。1954年に日本からアメリカ合衆国へ帰化した。 | ||
103 | 榊原紫峰 京都市 | Wikipedia |
榊原 紫峰(さかきばら しほう、1887年8月8日 - 1971年1月7日)は、京都市出身の日本画家。本名は安造。 | ||
104 | 郷原古統 塩尻市 | Wikipedia |
郷原 古統(ごうばら ことう、1887年8月8日 - 1965年4月6日)は日本統治時代の台湾で活躍した日本の画家、美術教育者。本名は郷原藤一郎。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
105 | バーナード・リーチ 我孫子市 | Wikipedia |
バーナード・リーチ(Bernard Howell Leach、1887年1月5日 - 1979年5月6日)は、イギリス人の陶芸家であり、画家、デザイナーとしても知られる。日本をたびたび訪問し、白樺派や民芸運動にも関わりが深い。日本民藝館の設立にあたり、柳宗悦に協力した。 | ||
106 | 堅山南風 | Wikipedia |
堅山 南風(かたやま なんぷう、本名:熊次、1887年(明治20年)9月12日 - 1980年(昭和55年)12月30日)は昭和を代表する日本画家の一人。 | ||
107 | 黒田重太郎 | Wikipedia |
黒田 重太郎(くろだ じゅうたろう、1887年9月20日 - 1970年6月24日)は、日本の洋画家。 | ||
108 | 小出楢重 大阪市 | Wikipedia |
小出 楢重(こいで ならしげ、1887年(明治20年)10月13日 - 1931年(昭和6年)2月13日)は、大正から昭和初期の洋画家。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
109 | 中村彝 水戸市 | Wikipedia |
中村 彝(なかむら つね、1887年7月3日 - 1924年12月24日)は、大正期にかけての洋画家である。 | ||
110 | 石井鶴三 船橋市 | Wikipedia |
石井 鶴三(いしい つるぞう、1887年(明治20年)6月5日 - 1973年(昭和48年)3月17日)は、日本の彫刻家、洋画家。 | ||
111 | 林鼓浪郷土史家、 徳島市 | Wikipedia |
林 鼓浪(はやし ころう、1887年(明治20年) - 1965年(昭和40年))は、日本の郷土史家。日本画家。風俗画家。徳島県徳島市出身。観善小学校(現徳島市新町小学校)卒業。徳島市人間文化財指定。阿波踊りの名付け親としても知られている。 | ||
112 | 清水登之 栃木市 | Wikipedia |
清水 登之(しみず とし、1887年(明治20年)1月1日 - 1945年(昭和20年)12月7日)は、栃木県出身の画家。 | ||
113 | 小村雪岱 川越市 | Wikipedia |
小村 雪岱(こむら せったい、明治20年(1887年)3月22日 - 昭和15年(1940年)10月17日)は、大正~昭和初期の日本画家、版画家、挿絵画家、装幀家。 | ||
114 | 八百谷冷泉 鳥取市 | Wikipedia |
八百谷 冷泉(やおたに れいせん、1887年11月8日 - 1959年6月1日)は、日本画家。 |
政治家・議員・首長
115 | 鈴木道雄 浜松市 | Wikipedia |
鈴木 道雄(すずき みちお、1887年2月18日 - 1982年10月27日)は、日本の技術者、実業家、政治家。勲等は勲二等。 | ||
116 | 松本忠雄 | Wikipedia |
松本 忠雄(まつもと ただお、1887年(明治20年)7月2日 - 1947年7月4日[2])は、日本の衆議院議員(憲政会→立憲民政党)、ジャーナリスト。 | ||
117 | 稗方弘毅 宇城市 | Wikipedia |
稗方 弘毅(ひえかた こうき、1887年(明治20年)9月20日 - 1973年(昭和48年)3月8日)は、日本の内務官僚、教育者。官選秋田県知事。 | ||
118 | 永井貞録 境港市 | Wikipedia |
永井 貞録(明治20年(1887年)9月25日 - 昭和17年(1942年)7月24日)は、日本の政治家、実業家。元鳥取県議会議員。元中浜村会議員。 | ||
119 | 六代上野松次郎 宇都宮市 | Wikipedia |
6代上野 松次郎(うえの まつじろう、1887年(明治20年)8月 - 1954年(昭和29年)10月5日[3])は、日本の商人(油屋、肥料商)[4]、政治家・貴族院議員、栃木県多額納税者[5]、実業家。宇都宮商工会議所会頭[4]。栃木県農工銀行、下野貯蓄銀行、下野中央銀行各頭取。下野製紙、下野印刷、旭土地、上野松次郎商店各代表取締役。前名・順一[6]。 | ||
120 | 白鳥敏夫 | Wikipedia |
白鳥 敏夫(しらとり としお、1887年(明治20年)6月8日 - 1949年(昭和24年)6月3日)は、大正、昭和期の日本の外交官・政治家。戦前期における外務省革新派のリーダー的存在で、日独伊三国同盟の成立に大きな影響を与えた。東洋史学者の白鳥庫吉は叔父。外務大臣を務めた外交畑の長老石井菊次郎も叔父にあたる。また外務官僚の出淵勝次は義兄(妻の姉の夫)にあたる。息子に白鳥正人元北陸財務局長。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
121 | 山本有三 三鷹市 | Wikipedia |
山本 有三(やまもと ゆうぞう、1887年(明治20年)7月27日 - 1974年(昭和49年)1月11日)は、大正から昭和にかけて活躍した日本の小説家、劇作家、政治家。本名は山本 勇造(やまもと ゆうぞう)。日本芸術院会員、文化勲章受章者。 | ||
122 | 山口政二 川島町 | Wikipedia |
山口 政二(やまぐち まさじ、1887年(明治20年)8月6日 - 1927年(昭和2年)2月23日)は、衆議院議員、弁護士。 | ||
123 | 助川啓四郎 | Wikipedia |
助川 啓四郎(すけかわ けいしろう、1887年(明治20年)8月23日 - 1943年(昭和18年)10月5日[2])は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、船引町長。 | ||
124 | 芦田均 福知山市 | Wikipedia |
芦田 均(あしだ ひとし、1887年(明治20年)11月15日 - 1959年(昭和34年)6月20日)は、日本の外交官、政治家。位階は従二位。勲等は勲一等。学位は法学博士(東京帝国大学)。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
125 | 豊島長吉 東かがわ市 | Wikipedia |
豊島 長吉(とよしま ちょうきち、1887年(明治20年)1月 - 1949年(昭和24年))は、日本の内務官僚。官選栃木県知事。 | ||
126 | 岡田春夫 | Wikipedia |
岡田 春夫(おかだ はるお、1887年(明治20年)3月24日 - 1937年(昭和12年)12月11日)は日本の政治家。通算3回衆議院議員選挙に当選した。 | ||
127 | 星島二郎 倉敷市 | Wikipedia |
星島 二郎(ほしじま にろう、明治20年(1887年)11月6日 - 昭和55年(1980年)1月3日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員。元衆議院議長。従二位勲一等旭日桐花大綬章。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
128 | 重光葵 | Wikipedia |
重光 葵(しげみつ まもる、1887年(明治20年)7月29日 - 1957年(昭和32年)1月26日)は、第二次世界大戦期の、日本の外交官・政治家である。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
129 | 石井保 旧浦和市 | Wikipedia |
石井 保(いしい たもつ、1887年(明治20年)3月15日 - 1976年(昭和51年)2月1日)は、日本の警察官僚。憲政会系官選鳥取県知事、台湾総督府警務局長。 | ||
130 | 庄司廉 境港市 | Wikipedia |
庄司 廉(しょうじ れん、1887年(明治27年)4月17日 - 1960年(昭和35年)8月10日)は、日本の実業家、政治家。山陰日日新聞社、米子銀行、米子博愛病院等の取締役。渡村村長(第5代)、渡村会議員、渡村学務委員。鳥取県多額納税者。大地主。世人をして“庄司の殿様”といわしめた[3]。 | ||
131 | 飯島雷輔 古河市 | Wikipedia |
飯島 雷輔(いいじま らいすけ、1887年(明治20年)10月 - 1964年(昭和39年)2月21日)は、日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員、貴族院勅選議員、茨城県旧古河市長。 | ||
132 | 大野緑一郎 武蔵野市 | Wikipedia |
大野 緑一郎(おおの ろくいちろう、明治20年(1887年)10月1日 - 昭和60年(1985年)9月2日)は、日本の内務官僚、弁護士。第37代警視総監、朝鮮総督府政務総監など歴任。 | ||
133 | 斎藤巌 合志市 | Wikipedia |
斎藤 巌(さいとう いわお、1887年(明治20年)12月22日 - 1934年(昭和9年)2月5日)は、衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
134 | 坂田道男 八代市 | Wikipedia |
坂田 道男(さかた みちお、1887年5月18日 - 1973年1月4日)は、現在の熊本県八代市出身の日本の政治家(元衆議院議員)、教育者で八代市長、名誉市民。長男は防衛庁長官、衆議院議長を務めた坂田道太。 | ||
135 | 山口安憲 徳島市 | Wikipedia |
山口 安憲(やまぐち やすのり、1887年(明治20年)10月 - 1962年(昭和37年)1月22日)は、日本の内務官僚。官選県知事。 | ||
136 | 赤木正雄 豊岡市 | Wikipedia |
赤木 正雄(あかぎ まさお、1887年(明治20年)3月24日 - 1972年(昭和47年)9月24日)は、日本の農学博士・政治家。日本において砂防の重要さをいち早く説いた人物で「砂防の父」とも呼ばれる。 | ||
137 | 松永東 雲仙市 | Wikipedia |
松永 東(まつなが とう、1887年(明治20年)10月15日 - 1968年(昭和43年)1月22日)は、日本の実業家、弁護士[3][6]、弁理士、政治家[4]。第45代衆議院議長[7]。第79代文部大臣[8]。さいたま市名誉市民[9]。 | ||
138 | 星島二郎 中野区 | Wikipedia |
星島 二郎(ほししま にろう、明治20年(1887年)11月6日 - 昭和55年(1980年)1月3日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員。元衆議院議長。従二位勲一等旭日桐花大綬章。 |
評論家
139 | 荒畑寒村 横浜市 | Wikipedia |
荒畑 寒村(あらはた かんそん、1887年(明治20年)8月14日 - 1981年(昭和56年)3月6日)は、日本の社会主義者・労働運動家・作家・評論家。日本共産党と日本社会党の結党に参加するが、のち離党。戦後1946年から1949年まで衆議院議員を務めた。本名は勝三といった。 |
宗教家・思想家・運動家
140 | 喜田川広 | Wikipedia |
喜田川廣(きたがわ ひろし、1887年 - 1974年)は日本の牧師であり、日本ナザレン教団創立者で、指導者である。 | ||
141 | 沢村五郎 熊本市 | Wikipedia |
沢村 五郎(さわむら ごろう、1887年6月9日 - 1977年6月5日)は日本の牧師、神学教育者、関西聖書神学校創設者。 | ||
142 | 金井為一郎 | Wikipedia |
金井 為一郎(かない ためいちろう、1887年3月10日 - 1963年5月22日)は日本の牧師。 |
俳人・歌人・詩人
143 | 九条武子 京都市 | Wikipedia |
九条 武子(くじょう たけこ、1887年(明治20年)10月20日 - 1928年(昭和3年)2月7日)は、教育者・歌人、後年には社会運動活動家としても活動した。 | ||
144 | 折口信夫 大阪市 | Wikipedia |
折口 信夫(おりくち しのぶ、1887年(明治20年)2月11日 - 1953年(昭和28年)9月3日)は、日本の民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった。 | ||
國學院大學出身 出身の國學院大學の出身者 全国の國學院大學の出身者 | ||
145 | 折口信夫 北秋田市 | Wikipedia |
折口 信夫(おりくち しのぶ、1887年(明治20年)2月11日 - 1953年(昭和28年)9月3日)は、日本の民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった。 | ||
146 | 折口信夫 箱根町 | Wikipedia |
折口 信夫(おりくち しのぶ、1887年(明治20年)2月11日 - 1953年(昭和28年)9月3日)は、日本の民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった。 | ||
147 | 折口信夫 成田市 | Wikipedia |
折口 信夫(おりくち しのぶ、1887年(明治20年)2月11日 - 1953年(昭和28年)9月3日)は、日本の民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった。 | ||
148 | 中塚一碧楼 倉敷市 | Wikipedia |
中塚一碧楼(なかつか いっぺきろう、1887年(明治20年)9月24日 - 1946年(昭和21年)12月31日)は、日本の俳人。本名・直三(なおぞう)。俳号は他に一碧(いっぺき)。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
149 | 宮部寸七翁 熊本市 | Wikipedia |
宮部 寸七翁(みやべ すなお、1887年1月12日 - 1926年1月30日)は、日本のジャーナリスト、俳人。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
150 | 大手拓次 安中市 | Wikipedia |
大手 拓次(おおて たくじ、1887年11月3日〔ただし戸籍では12月3日〕 - 1934年4月18日)は、日本の詩人。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
151 | 土屋竹雨 鶴岡市 | Wikipedia |
土屋 竹雨(つちや ちくう、1887年(明治20年)4月10日 - 1958年(昭和33年)11月5日)は、日本の漢詩人。本名・久泰。字は子健。大東文化大学学長(初代)などを歴任。山形県鶴岡市出身。 |
その他の職業
152 | 石井茂吉 北区 | Wikipedia |
石井 茂吉(いしい もきち、1887年(明治20年)7月21日 - 1963年(昭和38年)4月5日)は、写真植字機の共同発明者。写研の設立者で、石井翁とも呼ばれた。東京都北区堀船町出身。 |