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宝塚・女優・俳優・声優・ナレーター・歌舞伎・能楽・狂言
1 | 都賀清司 深谷市 | Wikipedia |
都賀 淸司(つが せいじ、1885年3月25日 - 1946年)は、日本の俳優、元子役である[2][3][4][5][6][7][8][9]。新漢字表記都賀 清司[6][7][8][9]。津賀 清司、都賀 静司と表記に揺れがある[6][7][9]。本名須永 淸三郎(すなが せいざぶろう)[3]。 |
モデル・アイドル・タレント・アナウンサー
2 | 岡田美知代 府中市 | Wikipedia |
岡田(永代) 美知代(おかだ(ながよ) みちよ、1885年(明治18年)4月15日 - 1968年(昭和43年)1月19日)は、日本の文学者、雑誌記者。田山花袋の小説『蒲団』のヒロイン、横山芳子のモデルとして知られる。 | ||
神戸女学院大学出身 出身の神戸女学院大学の出身者 全国の神戸女学院大学の出身者 | ||
3 | 清宮佑美 佐倉市 | Wikipedia |
清宮 佑美(せいみや ゆうみ、1985年1月24日 - )は、日本の女性ファッションモデル、タレント。 |
演奏家・作詞家・作曲家・ミュージシャン
4 | 小田島樹人 鹿角市 | Wikipedia |
小田島 樹人(おだしま じゅじん、1885年 - 1959年10月11日)は作曲家。童謡『おもちゃのマーチ』の作曲者。本名は小田島次郎(おだしま じろう)であり、「樹人」は俳号。鹿角市先人顕彰館、秋田県立博物館に展示がある。 | ||
5 | 梁田貞 札幌市 | Wikipedia |
梁田 貞(やなだ ただし(てい))、1885年7月3日 - 1959年5月9日)は教育者、作曲家。北海道札幌市出身。 |
舞台・演劇・映画・ドラマ・脚本・プロデューサー・ディレクター
6 | 高野虎市 八木村 | Wikipedia |
高野 虎市(こうの とらいち1885年 - 1971年)は、喜劇王チャールズ・チャップリンの秘書・マネージャーとして有名な人物。広島県安佐郡八木村(現・広島市安佐南区八木 )出身。 | ||
7 | 鈴木謙作 横浜市 | Wikipedia |
鈴木 謙作(すずき けんさく、1885年 - 没年不詳)は、日本の映画監督、脚本家である。新劇の影響を受け、サイレント映画時代の日活現代劇部で活躍、のちに牧野省三傘下に入り、直木三十五の映画製作の最末期に協力した。 | ||
8 | トーマス・栗原 秦野市 | Wikipedia |
トーマス・栗原(-くりはら、本名喜三郎、-きさぶろう、1885年1月24日 - 1926年9月8日)は、ハリウッドで活躍した日本人俳優であり、帰国してわずか1年数か月で30本の作品を残した無声映画時代の日本の映画監督である。栗原 トーマスとも。 |
格闘技
9 | 黒瀬川浪之助 氷見市 | Wikipedia |
黒瀬川 浪之助(くろせがわ なみのすけ、1885年3月20日 - 1957年12月30日)は、富山県射水郡(現在の氷見市)出身で大正期に活躍した元大相撲力士。本名は本川 竹松。身長179cm、体重105kg。所属は友綱部屋。最高位は関脇。 | ||
10 | 中野宗助 久留米市 | Wikipedia |
中野 宗助(なかの そうすけ、1885年(明治18年)7月20日 - 1963年(昭和38年)3月2日)は、日本の剣道家。段位は範士十段。流派は鉄仲流。 | ||
11 | 十三ノ浦金四郎 中泊町 | Wikipedia |
十三ノ浦金四郎(とさのうらきんしろう、1885年12月27日 - 1914年10月9日)は、二十山部屋に所属した元力士。本名は岩田金四郎。青森県北津軽郡中里町出身。170cm、120kg。最高位は西前頭9枚目。 | ||
12 | 持田盛二 | Wikipedia |
持田 盛二(もちだ もりじ / せいじ[注釈 1]、1885年(明治18年)1月26日 - 1974年(昭和49年)2月9日)は、日本の剣道家。段位は範士十段。「昭和の剣聖」と称される剣道家の一人。 | ||
13 | 玉ノ川脇太郎 あきる野市 | Wikipedia |
玉ノ川 脇太郎(たまのかわ わきたろう、1885年4月2日 - 1924年11月20日)は、佐渡ヶ嶽部屋、伊勢ノ海部屋に所属した元力士。9代佐渡ヶ嶽。本名は加藤 脇太郎。現在の東京都あきる野市(当時は神奈川県)出身。164cm、79kg。最高位は西前頭17枚目。 | ||
14 | 松の音吉松 吹田市 | Wikipedia |
松の音 吉松(まつのおと きちまつ、1885年(明治18年)? - 没年不詳)は大阪府東成郡上辻村(現・大阪市旭区清水)出身の大相撲力士。本名は松山吉松(一時井川姓)。大阪相撲で活躍し最高位は大関。 | ||
15 | 日本海忠藏 横手市 | Wikipedia |
日本海忠藏(にほんかいちゅうぞう、1885年3月25日 - 1953年9月19日)は、立田川部屋、出羽海部屋に所属した元力士。清ノ森政夫の大叔父。本名は最上忠五郎。現在の秋田県横手市出身。身長178cm、体重83kg。最高位は西前頭16枚目。 | ||
16 | 知花朝信 鳥堀村 | Wikipedia |
知花 朝信(ちばな ちょうしん、1885年6月5日 - 1969年2月26日)は戦前から戦後にかけての沖縄の著名な空手家。小林流の開祖である。 | ||
17 | 昆野睦武 久慈市 | Wikipedia |
昆野 睦武(こんの つかのり、1885年6月 - 1917年)は柔道家。 |
野球・サッカー以外の球技
18 | 針重敬喜 米沢市 | Wikipedia |
針重 敬喜(はりしげ けいき、1885年(明治18年)2月1日 - 1952年(昭和27年)6月5日)は日本の編集者、アマチュアテニス選手。『武侠世界』などの雑誌で主筆を務め、また日本のテニスの普及・振興に尽力した。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 |
作家・小説家・エッセイ・文筆・翻訳家・編集者
19 | 野尻抱影 横浜市 | Wikipedia |
野尻 抱影(のじり ほうえい、本名・正英(まさふさ)、1885年11月15日 - 1977年10月30日)は日本の英文学者、随筆家、天文民俗学者。早稲田大学文学部英文学科卒業。準惑星である冥王星の和訳命名者。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
20 | 渡瀬主一郎 八代市 | Wikipedia |
渡瀬 主一郎(わたぜ しゅいちろう、1885年2月18日 - 1958年8月12日)は、日本組合基督教会の牧師で、日本最初の口語訳聖書を翻訳した人物である。同じく牧師の千葉昌雄、渡瀬常吉の実弟であり、牧師3兄弟であった。 | ||
21 | 中里介山 羽村市 | Wikipedia |
中里 介山(なかざと かいざん、男性、1885年(明治18年)4月4日 - 1944年(昭和19年)4月28日)は、日本の小説家。本名は、中里 弥之助。 | ||
22 | 野上弥生子 | Wikipedia |
野上 弥生子(のがみ やえこ、本名:野上 ヤヱ(のがみ やゑ)、旧姓小手川、1885年(明治18年)5月6日 - 1985年(昭和60年)3月30日) は、日本の小説家。大分県臼杵市生まれ。 |
弁護士
23 | 福井盛太 | Wikipedia |
福井 盛太(ふくい もりた、1885年(明治18年)7月14日 - 1965年(昭和40年)12月27日)は、日本の弁護士、検察官、国会議員。検事総長・日本弁護士連合会会長・衆議院議員(3期)・共立薬科大学理事長等を歴任。また、日本野球機構初代コミッショナーを務めた。栄典は従三位勲二等旭日重光章、館林市名誉市民。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
建築家・建築学者・技術者
24 | 近藤元久 | Wikipedia |
近藤元久(こんどう もとひさ、1885年12月15日 - 1912年10月6日)は日本の初期のパイロットで、ロサンゼルスの近郊で、事故死した。航空機の事故で死亡した最初の日本人である。 |
経営者・実業家
25 | 鈴木文治 栗原市 | Wikipedia |
鈴木 文治(すずき ぶんじ、男性、1885年9月4日 - 1946年3月12日)は大正・昭和期の政治家、労働運動家。友愛会創始者。日本の労働運動の草分け的存在といわれる。 | ||
26 | 江副孫右衛門 有田町 | Wikipedia |
江副 孫右衛門(えぞえ まごえもん、1885年(明治18年)2月6日 - 1964年(昭和39年)8月24日)は、明治期の実業家。日本特殊陶業初代社長、日本碍子社長、東洋陶器(現 TOTO)社長・会長を務めた。 | ||
27 | 渡辺銕蔵 | Wikipedia |
渡辺 銕蔵(わたなべ てつぞう、明治18年(1885年)10月14日 - 昭和55年(1980年)4月5日)は、大正・昭和期の経済学者、教育者、政治家、実業家。東宝争議時の東宝社長。 | ||
28 | 正力松太郎 射水市 | Wikipedia |
正力 松太郎(しょうりき まつたろう、1885年(明治18年)4月11日 – 1969年(昭和44年)10月9日)は、日本の内務官僚、実業家、政治家。元読売新聞社社主。位階勲等は従二位勲一等。富山県高岡市名誉市民。京成電鉄OB。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
29 | 清水与七郎 高岡市 | Wikipedia |
清水 与七郎(しみず よしちろう、1885年(明治18年)7月12日 - 1983年(昭和58年)9月11日)は日本の実業家、技術者。日本テレビ放送網第2代代表取締役社長。現在の富山県高岡市福岡町出身。岳父に高嶺秀夫、義弟に土田誠一。 | ||
30 | 石川一郎 北区 | Wikipedia |
石川 一郎(いしかわ いちろう、1885年(明治18年)11月5日 - 1970年(昭和45年)1月20日)は、日本の財界人、経営者。東京帝国大学助教授、日産化学工業社長を経て、旧経済団体連合会(現日本経済団体連合会)初代会長(在任1948年(昭和23年)~1956年(昭和31年))。日産化学工業元社長、元会長。昭和電工元社長、元会長。 | ||
31 | 菊池寛実 那珂川町 | Wikipedia |
菊池寛実(きくちひろみ、通称:かんじつ、1885年(明治18年)4月28日~1967年(昭和42年)3月12日)は日本の実業家であり投資家。戦前は辰ノ口炭鉱、三友炭鉱、高萩炭鉱などを創業し、戦後は鮎川義介より日本炭鉱を買収。一時期には南俊二、大谷米太郎と並んで「日本の三大億万長者」の一人に数えられた。 | ||
32 | 南新助 草津市 | Wikipedia |
南 新助(みなみ しんすけ、1885年(明治18年) - 1972年(昭和47年))は、日本最初の旅行会社の創業者。日本の団体旅行、企画旅行の草分け。 | ||
33 | 出光佐三 宗像市 | Wikipedia |
出光 佐三(いでみつ さぞう、1885年8月22日 - 1981年3月7日)は、明治から戦後にかけての日本の実業家・石油エンジニア・海事実業家。石油元売会社出光興産の創業者。貴族院多額納税者議員。 | ||
神戸大学出身 出身の神戸大学の出身者 全国の神戸大学の出身者 | ||
34 | 長谷部鋭吉 札幌市 | Wikipedia |
長谷部 鋭吉(はせべ えいきち、1885年10月7日 - 1960年10月24日)は日本の建築家、実業家。泉屋博古館、住友銀行本店などを手掛ける。 | ||
35 | 林醇平 | Wikipedia |
林醇平(はやし じゅんぺい)は、政治家。実業家。(諄平とも) | ||
36 | 春日弘 | Wikipedia |
春日 弘(かすが ひろむ 1885年(明治18年)8月8日 - 1970年(昭和45年)9月12日)は、長野県下高井郡穂波村佐野(現・山ノ内町)出身の日本の実業家。 | ||
37 | 渡辺銕蔵 広島市 | Wikipedia |
渡辺 銕蔵(わたなべ てつぞう、明治18年(1885年)10月14日 - 昭和55年(1980年)4月5日)は、大正・昭和期の経済学者、教育者、政治家、実業家。東宝争議時の東宝社長。 | ||
38 | 田島道治 名古屋市 | Wikipedia |
田島 道治(たじま みちじ、1885年(明治18年)7月2日 - 1968年(昭和43年)12月2日)は、日本の実業家、銀行家、教育家。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
39 | 龍野右忠 | Wikipedia |
龍野 右忠(たつの うちゅう、1885年(明治11年) - 1965年)は、実業家。株式会社タツノの前身、龍野製作所を1911年に創業した。 | ||
40 | 山本実彦 薩摩川内市 | Wikipedia |
山本 実彦(やまもと さねひこ、1885年(明治18年)1月5日 - 1952年(昭和27年)7月1日)は、日本のジャーナリスト。改造社社長。鹿児島県薩摩川内市出身。日本大学卒。雅号は亀城。 | ||
日本大学出身 出身の日本大学の出身者 全国の日本大学の出身者 | ||
41 | 川上嘉市 浜松市 | Wikipedia |
川上 嘉市(かわかみ かいち、1885年(明治18年)3月1日 - 1964年(昭和39年)4月6日)は、大正・昭和期の日本の実業家。 | ||
42 | 内山完造 井原市 | Wikipedia |
内山 完造(うちやま かんぞう、1885年1月11日 - 1959年9月20日)は、日本の書店主・文化人。1930年代以降、中華民国と日本の両方で書店経営者として成功し、日中文化人交流に大きな影響を与えた。内山書店は現在も、東京の神田神保町で中国・アジア関連書籍を多く扱っている。 | ||
43 | 黒沢酉蔵 常陸太田市 | Wikipedia |
黒澤 酉蔵(くろさわ とりぞう、1885年3月28日 - 1982年2月6日)は、茨城県出身の実業家、政治家、教育者、環境運動家。衆議院議員。北海道製酪販売組合連合会(現在の雪印メグミルク)、北海道酪農義塾(後の酪農学園大学)の設立者。日本酪農の父と呼ばれる。 | ||
44 | 亀山甚 大洗町 | Wikipedia |
亀山 甚(かめやま じん、1885年(明治18年)6月10日 - 1974年(昭和49年)1月13日)は、明治・大正・昭和期にかけての銀行家。 | ||
45 | 村上義一 長浜市 | Wikipedia |
村上 義一(むらかみ ぎいち、1885年(明治18年)11月10日 - 1974年(昭和49年)1月20日)は、官僚、政治家、実業家。日本通運や近畿日本鉄道の社長、日本民営鉄道協会顧問、日本交通公社会長などを務めた。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
医師・看護師
46 | 周防正季 草津市 | Wikipedia |
周防 正季(すおう まさすえ、1885年10月8日 - 1942年6月20日)は、日本人医師、朝鮮総督府らい療養所小鹿島更生園園長。当時世界最大規模の療養所を作り上げたが、強制隔離政策、患者待遇悪化、植民地支配に対する反感などがあり、患者に刺殺された。 | ||
47 | 大野精七 河内町 | Wikipedia |
大野 精七(おおの せいしち、1885年(明治18年)8月17日 - 1982年(昭和57年)12月30日)は日本の医師、医学博士。 |
軍人
48 | 儀峨徹二 | Wikipedia |
儀峨 徹二(ぎが てつじ、1885年(明治18年)4月29日 - 1965年(昭和40年)1月27日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
49 | 佐藤三郎 | Wikipedia |
佐藤 三郎(さとう さぶろう、1885年6月24日 - 1938年8月19日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
50 | 国府尽平 | Wikipedia |
國府 尽平(こうの じんぺい、1885年(明治18年) - 1956年(昭和31年)4月30日)は、日本の海軍軍人、医師。海軍中佐で予備役となった[注 1]のち、医学博士号を取得した[出典 1]。 | ||
51 | 古賀峯一 | Wikipedia |
古賀 峯一(こが みねいち、1885年(明治18年)9月25日 - 1944年(昭和19年)3月31日)は、日本の海軍軍人。第28代連合艦隊司令長官。太平洋戦争中の海軍乙事件にて殉職した。最終階級は元帥海軍大将(殉職後、特旨による授与)。 | ||
52 | 前田利為 | Wikipedia |
前田 利為(まえだ としなり、1885年(明治18年)6月5日 - 1942年(昭和17年)9月5日)は、日本の華族、陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。旧加賀藩主前田本家第16代目当主(侯爵)である。 | ||
53 | 吉田善吾 | Wikipedia |
吉田 善吾(よしだ ぜんご、明治18年(1885年)2月14日 - 昭和41年(1966年)11月14日)は、日本の海軍軍人。海軍大将。海軍大臣、連合艦隊司令長官を歴任した。 | ||
54 | 鹿野澄 米子市 | Wikipedia |
鹿野 澄(かの きよし、明治18年(1885年)8月23日 - 昭和34年(1959年)1月11日)は、日本の陸軍軍人、実業家。最終階級は陸軍主計中将。 | ||
55 | 藤江恵輔 たつの市 | Wikipedia |
藤江 恵輔(ふじえ けいすけ、1885年(明治18年)11月8日 - 1969年(昭和44年)2月27日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
56 | 山下奉文 | Wikipedia |
山下 奉文(やました ともゆき、1885年(明治18年)11月8日 - 1946年(昭和21年)2月23日)は、日本の陸軍軍人。第二次世界大戦当時の陸軍大将である。官位は陸軍大将従三位勲一等功三級。 | ||
57 | 日比野正治 | Wikipedia |
日比野 正治(ひびの まさはる、1885年(明治18年)2月2日 - 1947年(昭和22年)3月7日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
58 | 酒井鎬次 | Wikipedia |
酒井 鎬次(さかい こうじ、明治18年(1885年)11月4日 - 昭和48年(1973年)3月2日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。鎬次を「たかつぐ」と読む文献もあり、注意を要する。 | ||
59 | 鷲津鈆平 | Wikipedia |
鷲津 鈆平(わしづ しょうへい、1885年1月20日 - 1970年2月20日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
60 | 板垣征四郎 | Wikipedia |
板垣 征四郎(いたがき せいしろう、1885年(明治18年)1月21日 - 1948年(昭和23年)12月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。栄典は従四位・勲一等瑞宝章・功三級(昭和13年6月3日時点)。満州国軍政部最高顧問、関東軍参謀長、陸軍大臣などを務めた。 | ||
61 | 片桐英吉 | Wikipedia |
片桐 英吉(かたぎり えいきち、1885年9月24日 - 1972年8月16日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
62 | 平田昇 | Wikipedia |
平田 昇(ひらた のぼる、1885年12月1日 - 1958年5月19日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
63 | 下村正助 | Wikipedia |
下村 正助(しもむら しょうすけ、1885年(明治18年)1月9日 - 1953年(昭和28年)7月30日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。山形県米沢市出身。 | ||
64 | 斎藤弥平太 三豊市 | Wikipedia |
斎藤 弥平太(さいとう やへいた、1885年(明治18年)9月28日 - 没年不詳(1953年(昭和28年)9月28日、戦時死亡宣告))は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
陸軍士官学校出身 出身の陸軍士官学校の出身者 全国の陸軍士官学校の出身者 | ||
65 | 豊田副武 杵築市 | Wikipedia |
豊田 副武(とよだ そえむ、1885年(明治18年)5月22日 - 1957年(昭和32年)9月22日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。第29代・第30代連合艦隊司令長官。最後となる第19代軍令部総長を務めた。 | ||
66 | 野村直邦 日置市 | Wikipedia |
野村 直邦(のむら なおくに、1885年(明治18)5月15日 - 1973年(昭和48)12月12日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。東條英機内閣の海軍大臣。 | ||
67 | 豊田貞次郎 | Wikipedia |
豊田 貞次郎(とよだ ていじろう、1885年(明治18年)8月7日 - 1961年(昭和36年)11月21日)は、日本の海軍軍人、政治家、実業家。最終階級は海軍大将。海兵33期首席。和歌山県出身。紀伊田辺藩士・豊田信太郎の次男。従二位勲一等。 | ||
東京外国語大学出身 出身の東京外国語大学の出身者 全国の東京外国語大学の出身者 |
官僚
68 | 岡田信 守山市 | Wikipedia |
岡田 信(おかだ まこと(通称:おかだ しん)、1885年(明治18年)3月10日 - 1946年(昭和21年)8月15日)は、日本の大正・昭和期における大蔵省官僚・銀行家。大蔵省官僚としては主に特殊銀行・植民地金融を担当した。滋賀県出身。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
69 | 藤岡兵一 金沢市 | Wikipedia |
藤岡 兵一(ふじおか ひょういち、1885年(明治18年)4月 - 1957年(昭和32年)1月5日[2])は、日本の内務・警察官僚。政友会系官選県知事、浜松市長。 | ||
70 | 丹羽七郎 | Wikipedia |
丹羽 七郎(にわ しちろう、1885年(明治18年)3月31日 - 1935年(昭和10年)7月7日)は、日本の内務官僚。岡田内閣の内務次官、県知事。 |
学者・教授・准教授
71 | 田所哲太郎 能代市 | Wikipedia |
田所 哲太郎(たどころ てつたろう、1885年9月27日 - 1980年3月20日)は、日本の農学者・化学者。農学博士・理学博士。北海道の大学の学長を歴任した。 | ||
北海道大学出身 出身の北海道大学の出身者 全国の北海道大学の出身者 | ||
72 | 村井貞固 鶴岡市 | Wikipedia |
村井 貞固(むらい さだかた、明治18年(1885年)6月15日 - 昭和37年(1962年)12月1日)は、日本の植物学者。現在の山形県鶴岡市出身。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
73 | 清野謙次 | Wikipedia |
清野 謙次(きよの けんじ、1885年8月14日 - 1955年12月27日)は、日本の医学者、人類学者、考古学者、考古学・民俗学資料の収集家。 | ||
74 | 櫛田民蔵 | Wikipedia |
櫛田 民蔵(くしだ たみぞう、1885年(明治18年)11月16日 - 1934年(昭和9年)11月5日)は、日本の経済学者。福島県磐城郡上小川村(現在のいわき市小川町)生まれ。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
75 | 伊藤吉之助 酒田市 | Wikipedia |
伊藤 吉之助(いとう きちのすけ、1885年(明治18年)1月4日 - 1961年(昭和36年)7月7日)は、日本の哲学者。 | ||
76 | 小倉金之助 酒田市 | Wikipedia |
小倉 金之助(おぐら きんのすけ、1885年(明治18年)3月14日 - 1962年(昭和37年)10月21日)は、日本の数学者、数学史家、随筆家である。山形県酒田市生まれ。 | ||
77 | 中村孝也 | Wikipedia |
中村 孝也(なかむら こうや、1885年(明治18年)1月2日 - 1970年(昭和45年)2月5日)は、大正・昭和期の日本の歴史学者。東京帝国大学名誉教授。専門は日本近世史。文学博士(東京帝国大学、1926年)(学位論文「元禄及び享保時代における経済思想の研究」)。群馬県出身。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
78 | 内田祥三 江東区 | Wikipedia |
内田 祥三(うちだ よしかず、1885年2月23日 - 1972年12月14日)は、日本の建築学者、建築家。元東京帝国大学総長。1957年日本学士院会員。1972年文化勲章受章。 | ||
79 | 飯盛里安 金沢市 | Wikipedia |
飯盛 里安(いいもり さとやす、1885年10月19日 - 1982年10月13日)は日本の分析化学者、理学博士。1917年9月創立間もない財団法人理化学研究所 (通称:理研) に入所し、主に放射性鉱物と希元素の研究を行う。1919年イギリスに留学し、オックスフォード大学のフレデリック・ソディ教授のもとで放射化学を学んだ。帰国後、日本では未開拓の分野だった放射化学を導入し基礎を築き確立させた功績、放射性鉱物の研究に生涯を捧げた科学者として「日本の放射化学の父」と呼ばれている[2]。太平洋戦争中は、理研の仁科芳雄を中心に進められた原子爆弾開発研究 (二号研究) に加わり、ウラン鉱の探索・採掘・精製を行なった。戦後は人造宝石の研究を行い、ビクトリア・ストン、メタヒスイをはじめとする一連の人造宝石 (IL-stoneと総称) の発明者としても知られている[3]。 | ||
80 | 白木正博 | Wikipedia |
白木 正博(しらき まさひろ、1885年11月3日 - 1960年11月2日)は、日本の医学者(産科学・婦人科学)。日本の産婦人科学界の父と呼ばれ、子宮がん治療に初めて放射線を採用したことで知られる。白木博次は次男。 |
研究者・研究家・発明家
81 | 島袋源一郎 今帰仁村 | Wikipedia |
島袋 源一郎(しまぶくろ げんいちろう、1885年10月5日 - 1942年3月27日)は日本の大正・昭和期の教育者・沖縄研究家。戦前の沖縄観光の第一人者であった。 | ||
82 | 野尻抱影 成田市 | Wikipedia |
野尻 抱影(のじり ほうえい、本名・正英(まさふさ)、1885年11月15日 - 1977年10月30日)は日本の英文学者、随筆家、天文民俗学者。早稲田大学文学部英文学科卒業。準惑星である冥王星の和訳命名者。 | ||
83 | 小野秀雄 草津市 | Wikipedia |
小野 秀雄(おの ひでお、1885年8月14日 - 1977年7月18日)は、日本のジャーナリズム研究、マス・コミュニケーション研究の先駆者であり[2]、「新聞学」の名による斯学の確立に貢献した。新聞記者を経験した後、大学院に進んだ。研究者としては戦前から戦後にかけて東京帝国大学〜東京大学、および上智大学に所属した。 |
画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家・漆芸家・工芸家
84 | 増田正宗 | Wikipedia |
増田 正宗(ますだ せいそう、1885年 - 1966年)は、明治から昭和にかけての日本画家、本名は久太郎。実業家の増田通二の父。 | ||
85 | 木山義喬 日野町 | Wikipedia |
木山義喬(きやま よしたか、1885年1月9日 - 1951年4月24日)は日本の洋画家、およびHenry Y. Kiyamaのペンネームで主にアメリカ合衆国で活動した漫画家。鳥取県日野郡出身。 | ||
86 | 前田青邨 中津川市 | Wikipedia |
前田 青邨(まえだ せいそん、1885年1月27日 - 1977年10月27日)は、岐阜県中津川市出身の日本画家。妻は荻江節の5代目荻江露友。 | ||
87 | 萬鉄五郎 | Wikipedia |
萬 鉄五郎(よろず てつごろう、萬 鐵五郎、1885年11月17日 - 1927年5月1日)は大正~昭和初期の画家。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
88 | 佐々木精治郎 | Wikipedia |
佐々木精治郎(ささき せいじろう、1885年(明治18年) - 1971年(昭和46年))は、日本の画家。岩手県水沢市黒石町出身(現在の奥州市)。 | ||
89 | 大野鈍阿 | Wikipedia |
大野 鈍阿(おおの どんな、1885年(明治18年)- 1951年(昭和26年))は岐阜県出身の陶芸家である。本名は大野 準一(おおの じゅんいち)。 |
政治家・議員・首長
90 | 米倉龍也 安曇野市 | Wikipedia |
米倉 龍也(よねくら りゅうや、1885年(明治18年)8月6日 - 1980年(昭和55年)10月24日)は、日本の政治家。衆議院議員、参議院議員。 | ||
91 | 小笠原三九郎 西尾市 | Wikipedia |
小笠原 三九郎(おがさわら さんくろう、1885年(明治18年)4月5日 - 1967年(昭和42年)12月13日)は、昭和期の日本の男性政治家、実業家。商工大臣・農林大臣・通商産業大臣・大蔵大臣。西尾市名誉市民。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
92 | 伊藤述史 新居浜市 | Wikipedia |
伊藤 述史(いとう のぶふみ、1885年8月19日 - 1960年4月3日)は、日本の外交官。情報局総裁、貴族院議員等を務めた後、戦後GHQにより公職追放された。 | ||
93 | 鶴見祐輔 | Wikipedia |
鶴見 祐輔(つるみ ゆうすけ、1885年1月3日 - 1973年11月1日)は、日本の官僚・政治家・著述家。衆議院議員総選挙第16、19、20、21回当選。参議院議員選挙第3回当選。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
94 | 三好英之 米子市 | Wikipedia |
三好 英之(みよし ひでゆき、旧名栄次郎、明治18年(1885年)8月29日 - 昭和31年(1956年)2月14日)は、日本の実業家、政治家。元衆議院議員、参議院議員。元国務大臣北海道開発庁長官。鳥取県米子市名誉市民。三好家第10代当主。鳥取県平民[2]。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
95 | 奥村嘉蔵 藍住町 | Wikipedia |
11代奥村 嘉蔵(おくむら かぞう、1885年(明治18年)12月26日[3]- 1967年(昭和42年)1月20日[注 1])は、日本の実業家、政治家。藍商・奥村嘉蔵家11代当主[注 2]、貴族院多額納税者議員。旧名・馨[4]。 | ||
96 | 東条貞 | Wikipedia |
東条 貞(とうじょう てい、1885年2月9日 - 1950年11月29日)は、日本のジャーナリスト・政治家、衆議院議員(5期)。本名は「とうじょう ただし」と読む。なお名前は旧字体で「東條 貞」と表記されることもある。 | ||
97 | 吉田茂 臼杵市 | Wikipedia |
吉田 茂(よしだ しげる、1885年9月2日 - 1954年12月9日)は、昭和時代の内務官僚、貴族院議員。岡田内閣の内閣書記官長、米内内閣と小磯内閣で閣僚を務めた。戦後、公職追放にあう。 | ||
98 | 篠原英太郎 | Wikipedia |
篠原 英太郎(しのはら えいたろう、1885年(明治18年)10月10日 - 1955年(昭和30年)3月7日)は、日本の内務官僚。林内閣の内務次官、官選県知事、京都市長。 | ||
99 | 藤井真信 吉野川市 | Wikipedia |
藤井 真信(ふじい さだのぶ、1885年(明治18年)1月1日 – 1935年(昭和10年)1月31日)は、日本の財政家、大蔵官僚。大蔵大臣。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
100 | 神田純一 柳井市 | Wikipedia |
神田 純一(かんだ じゅんいち、1885年(明治18年)5月 - 没年不詳)は、日本の朝鮮総督府・内務官僚、実業家。官選鳥取県知事。 | ||
101 | 荒井幸作 八雲町 | Wikipedia |
荒井 幸作(あらい こうさく、1885年(安政2年)- 1937年)は、明治期の北海道檜山支庁爾志郡熊石町の議員、実業家。地方水産界の巨頭。廻船問屋を経営しながら北海道会議員3、4期を務めた。熊石町根崎と樺太西海岸幌泊に拠点を置き、巨万の富を築いた。 | ||
102 | 池田清 | Wikipedia |
池田 清(いけだ きよし、1885年2月15日 - 1966年1月13日)は、日本の内務官僚、政治家。貴族院議員、衆議院議員、海軍司政長官。 | ||
103 | 金子定一 盛岡市 | Wikipedia |
金子 定一(かねこ ていいち、1885年(明治18年)6月3日 - 1960年(昭和35年)4月30日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍少将。衆議院議員(1期)。 | ||
104 | 梅原真隆 滑川市 | Wikipedia |
梅原 真(眞)隆(うめはら しんりゅう、1885年〈明治18年〉11月11日 - 1966年〈昭和41年〉7月7日)は、日本の仏教学者。富山県滑川市寺家町の浄土真宗本願寺派梅原山専長寺27代・29代住職。龍谷大学教授、京都市議会議員、本願寺派執行、本願寺派勧学寮頭(5期)、顕真学苑主幹、参議院議員(1期)、富山大学第3代学長。 | ||
105 | 中島鵬六 加美町 | Wikipedia |
中島 鵬六(なかじま ほうろく、1885年(明治18年)2月17日 - 1931年(昭和6年)2月17日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。 | ||
106 | 鶴見祐輔 高梁市 | Wikipedia |
鶴見 祐輔(つるみ ゆうすけ、1885年1月3日 - 1973年11月1日)は、日本の官僚・政治家・著述家。衆議院議員総選挙第16、19、20、21回当選。参議院議員選挙第3回当選。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
107 | 服部岩吉 栗東市 | Wikipedia |
2代服部 岩吉(はっとり いわきち、1885年11月20日 - 1965年11月24日)は、大正・昭和期の日本の政治家。初名は清太郎。なお、「岩吉」は服部家の世襲の名乗りで、本項の岩吉は2代目にあたる。 | ||
108 | 牧野良三 高山市 | Wikipedia |
牧野 良三(まきの りょうぞう、1885年(明治18年)5月26日 - 1961年(昭和36年)6月1日)は、日本の政治家。 | ||
山口大学出身 出身の山口大学の出身者 全国の山口大学の出身者 | ||
109 | 高橋勝四郎 奥州市 | Wikipedia |
高橋勝四郎(たかはし かつしろう、1885年(明治18年)12月9日 - 1972年(昭和47年))は、日本の獣医師。馬産家として名高い。岩手県胆沢郡南下幅村(現在の奥州市)出身。父の高橋音四郎は南都田村の村議会議員。 | ||
110 | 小谷節夫 新見市 | Wikipedia |
小谷 節夫(こたに せつお、1885年1月28日 - 1959年8月30日)は日本の政治家。岡山県阿哲郡新見町(現・新見市)生まれ。近藤鶴代は妹。 | ||
111 | 小見山七十五郎 | Wikipedia |
小見山 七十五郎(おみやま しちじゅうごろう/こみやま なそごろう、1885年6月 - 1948年3月16日)は日本の政治家。 | ||
長崎大学出身 出身の長崎大学の出身者 全国の長崎大学の出身者 | ||
112 | 阿部嘉七 北九州市 | Wikipedia |
阿部 嘉七(あべ かしち、1885年(明治18年)3月16日 - 1952年(昭和27年)6月7日)は、日本の内務・警察官僚。民政党系官選県知事、門司市長。 | ||
113 | 西村茂生 岩国市 | Wikipedia |
西村 茂生(にしむら しげお、1885年2月24日 - 1966年7月18日)は、日本の政治家、衆議院議員(7期)。岩国市名誉市民。 | ||
東京海洋大学出身 出身の東京海洋大学の出身者 全国の東京海洋大学の出身者 | ||
114 | 東条貞 室蘭市 | Wikipedia |
東条 貞(とうじょう てい、1885年2月9日 - 1950年11月29日)は、日本のジャーナリスト・政治家、衆議院議員(5期)。本名は「とうじょう ただし」と読む。なお名前は旧字体で「東條 貞」と表記されることもある。 | ||
115 | 浜野徹太郎 串本町 | Wikipedia |
浜野 徹太郎(はまの てつたろう、1885年7月26日 - 1974年1月21日)は、日本の政治家である。和歌山県西牟婁郡串本町(2005年4月1日に東牟婁郡古座町と合併し西牟婁郡から東牟婁郡に編入)出身だが、選挙区が旧兵庫1区だったため、一部の人名事典では出身地を兵庫県としてあるものもある。 | ||
中央大学出身 出身の中央大学の出身者 全国の中央大学の出身者 | ||
116 | 下条康麿 | Wikipedia |
下条 康麿(しもじょう やすまろ、1885年(明治18年)1月20日 - 1966年(昭和41年)4月25日)は、日本の政治家、内務官僚、統計学および社会学者。経済学博士。貴族院議員、参議院議員、吉田茂内閣の文部大臣を歴任した。 | ||
117 | 高碕達之助 高槻市 | Wikipedia |
高碕 達之助(たかさき たつのすけ、1885年2月7日 - 1964年2月24日)は、日本の政治家・実業家。満州重工業開発株式会社副総裁・第2代総裁、電源開発初代総裁、通商産業大臣、初代経済企画庁長官などを歴任した。 |
評論家
118 | 加能作次郎 志賀町 | Wikipedia |
加能 作次郎(かのう さくじろう、1885年〈明治18年〉1月10日 - 1941年〈昭和16年〉8月5日)は、日本の小説家、評論家、翻訳家。石川県羽咋郡西海村風戸(現・志賀町西海風戸〈さいかい ふと〉)出身。 | ||
119 | 中沢静雄 | Wikipedia |
中沢 静雄(なかざわ しずお、1885年11月11日 - 1927年3月29日)は、日本の小説家、文芸評論家、エッセイスト、児童文学者。自然主義文学者として鳴らした。群馬県倉賀野町(現・高崎市)生まれ。 | ||
120 | 安成貞雄 北秋田市 | Wikipedia |
安成 貞雄(やすなり さだお、1885年4月2日 - 1924年7月23日)は、日本の評論家。 | ||
121 | 斎藤与里 加須市 | Wikipedia |
斎藤 与里(さいとう より、1885年(明治18年)9月7日-1959年(昭和34年)5月3日)は、大正・昭和期の洋画家、美術評論家。 |
宗教家・思想家・運動家
122 | 野辺地天馬 | Wikipedia |
野辺地 天馬(のべち てんま、本名三右衛門、1885年〈明治18年〉1月17日 - 1965年〈昭和40年〉4月24日)は、岩手県福岡町(現二戸市)出身の児童文学者、キリスト教牧師、伝道師である。渡辺善太は義兄である。 | ||
123 | 大杉栄 | Wikipedia |
大杉 栄(おおすぎ さかえ、大杉榮、1885年(明治18年)1月17日 - 1923年(大正12年)9月16日)は、思想家、作家、ジャーナリスト、社会運動家。 | ||
東京外国語大学出身 出身の東京外国語大学の出身者 全国の東京外国語大学の出身者 | ||
124 | 藤井日達 阿蘇市 | Wikipedia |
藤井 日達(ふじい にったつ/にちだつ、1885年(明治18年)8月6日 - 1985年(昭和60年)1月9日)は、熊本県阿蘇(現・阿蘇市一の宮町)出身の僧侶。 | ||
125 | 北昤吉 佐渡市 | Wikipedia |
北 昤吉(きた れいきち、1885年7月21日 - 1961年8月5日)は、日本の思想家・評論家・政治家・教育者。鴨湖、光永、禮華と号す。北一輝の実弟。 | ||
126 | 田澤義鋪 鹿島市 | Wikipedia |
田澤 義鋪(たざわ よしはる、1885年(明治18年)7月20日 - 1944年(昭和19年)11月24日)は、大正期及び昭和初期の社会教育家、政治家、思想家。佐賀県鹿島市出身。 |
俳人・歌人・詩人・歌人
127 | 飯田蛇笏 | Wikipedia |
飯田 蛇笏(いいだ だこつ、1885年(明治18年)4月26日 - 1962年(昭和37年)10月3日)は、山梨県出身の俳人。本名、飯田武治(いいだ たけはる)。別号に山廬(さんろ)。高浜虚子に師事、山梨の山村で暮らしつつ格調の高い句を作り、村上鬼城などとともに大正時代における「ホトトギス」隆盛期の代表作家として活躍した。俳誌「雲母」を主宰。四男の飯田龍太も高名な俳人である。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
128 | 柳原白蓮 豊島区 | Wikipedia |
柳原 白蓮(やなぎわら びゃくれん、1885年(明治18年)10月15日 - 1967年(昭和42年)2月22日)は、大正から昭和時代にかけての歌人。本名は宮崎燁子(みやざきあきこ)、旧姓:柳原(やなぎわら)、北小路(きたこうじ)、伊藤(いとう)。大正三美人の1人。白蓮事件で知られる。 | ||
東洋英和女学校出身 出身の 東洋英和女学校の出身者 全国の 東洋英和女学校の出身者 | ||
129 | 北原白秋 鹿角市 | Wikipedia |
北原 白秋(きたはら はくしゅう、1885年(明治18年)1月25日 - 1942年(昭和17年)11月2日)は、日本の詩人、童謡作家、歌人。本名は北原 隆吉(きたはら りゅうきち)。 | ||
130 | 武者小路実篤 我孫子市 | Wikipedia |
武者小路 実篤(むしゃのこうじ さねあつ、1885年(明治18年)5月12日 - 1976年(昭和51年)4月9日)は、日本の小説家・詩人・劇作家・画家。貴族院勅選議員。 | ||
131 | 大橋八郎 高岡市 | Wikipedia |
大橋 八郎(おおはし はちろう、1885年12月19日 - 1968年6月4日)は、日本の政治家、逓信官僚、俳人。岡田内閣の法制局長官、林内閣の内閣書記官長、社団法人日本放送協会第4代会長、日本電信電話公社第2代総裁。現在の富山県高岡市出身。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
132 | 中勘助 我孫子市 | Wikipedia |
中 勘助(なか かんすけ、1885年(明治18年)5月22日 - 1965年(昭和40年)5月3日)は、東京出身の作家・詩人である。夏目漱石の教え子であった。日記体随筆で知られる。代表作に『銀の匙』。1964年度朝日賞受賞。 | ||
133 | 富安風生 豊川市 | Wikipedia |
富安 風生(とみやす ふうせい、1885年(明治18年)4月16日 - 1979年(昭和54年)2月22日)は、愛知県出身の俳人。本名は謙次。高浜虚子に師事。逓信省に勤めながら俳誌「若葉」を主宰。温和な作風で知られた。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
134 | 宮崎郁雨 函館市 | Wikipedia |
宮崎 郁雨(みやざき いくう、1885年(明治18年)4月5日 - 1962年(昭和37年)3月29日)は、日本の歌人。本名は大四郎(だいしろう)。 | ||
135 | 平野万里 さいたま市 | Wikipedia |
平野 万里(ひらの ばんり、1885年5月25日 - 1947年2月10日)は、歌人、詩人である。本名は平野久保(ひさやす)。 | ||
136 | 杉浦翠子 川越市 | Wikipedia |
杉浦 翠子(すぎうら すいこ、1885年(明治18年)5月17日 - 1960年(昭和35年)2月16日)は、明治から昭和にかけての歌人。旧姓は岩崎翠。日本のグラフィックデザインの礎を築き多摩帝国美術学校(現在の多摩美術大学)の初代学長となった杉浦非水の妻でもある。洋画家の岩崎勝平は甥。 | ||
137 | 若山牧水 幕別町 | Wikipedia |
若山 牧水(わかやま ぼくすい、1885年(明治18年)8月24日 - 1928年(昭和3年)9月17日)は、戦前日本の歌人。本名・繁(しげる)。 | ||
138 | 川端龍子 和歌山市 | Wikipedia |
川端 龍子(かわばた りゅうし、1885年(明治18年)6月6日 - 1966年(昭和41年)4月10日)は、戦前の日本画家、俳人。弟(異母弟)は「ホトトギス」の俳人川端茅舍(ぼうしゃ)であり、龍子も「ホトトギス」同人であった。本名は昇太郎。 | ||
139 | 北原白秋 南関町 | Wikipedia |
北原 白秋(きたはら はくしゅう、1885年(明治18年)1月25日 - 1942年(昭和17年)11月2日)は、日本の詩人、童謡作家、歌人。本名は北原 隆吉(きたはら りゅうきち)。詩、童謡、短歌以外にも、新民謡(「松島音頭」・「ちゃっきり節」等)の分野にも傑作を残している。生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表するなど、活躍した時代は「白露時代」と呼ばれる近代の日本を代表する詩人である。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
140 | 若山牧水 沼津市 | Wikipedia |
若山 牧水(わかやま ぼくすい、1885年(明治18年)8月24日 - 1928年(昭和3年)9月17日)は、戦前日本の歌人。本名・繁(しげる)。 | ||
141 | 若山牧水 日向市 | Wikipedia |
若山 牧水(わかやま ぼくすい、1885年(明治18年)8月24日 - 1928年(昭和3年)9月17日)は、戦前日本の歌人。本名・繁(しげる)。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
142 | 尾崎放哉 鳥取市 | Wikipedia |
尾崎 放哉(おざき ほうさい、本名: 尾崎 秀雄(おざき ひでお)(鳥取県鳥取市出身)、1885年(明治18年)1月20日 - 1926年(大正15年)4月7日)は、日本の俳人。種田山頭火らと並び、自由律俳句の最も著名な俳人の一人である。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
143 | 若山牧水 南房総市 | Wikipedia |
若山 牧水(わかやま ぼくすい、1885年(明治18年)8月24日 - 1928年(昭和3年)9月17日)は、戦前日本の歌人。本名・繁(しげる)。 | ||
144 | 北原白秋 柳川市 | Wikipedia |
北原 白秋(きたはら はくしゅう、1885年(明治18年)1月25日 - 1942年(昭和17年)11月2日)は、日本の詩人、童謡作家、歌人。本名は北原 隆吉(きたはら りゅうきち)。詩、童謡、短歌以外にも、新民謡(「松島音頭」・「ちゃっきり節」等)の分野にも傑作を残している。生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表するなど、活躍した時代は「白露時代」と呼ばれる近代の日本を代表する詩人である。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
145 | 武者小路実篤 千代田区 | Wikipedia |
武者小路 実篤(むしゃのこうじ さねあつ、1885年(明治18年)5月12日 - 1976年(昭和51年)4月9日)は、日本の小説家・詩人・劇作家・画家。貴族院勅選議員。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
146 | 中勘助 神田 | Wikipedia |
中 勘助(なか かんすけ、1885年(明治18年)5月22日 - 1965年(昭和40年)5月3日)は東京出身の作家・詩人である。 | ||
147 | 北原白秋 渋谷区 | Wikipedia |
北原 白秋(きたはら はくしゅう、1885年(明治18年)1月25日 - 1942年(昭和17年)11月2日)は、日本の詩人、童謡作家、歌人。本名は北原 隆吉(きたはら りゅうきち)。 | ||
148 | 木下杢太郎 伊東市 | Wikipedia |
木下 杢太郎(きのした もくたろう、1885年(明治18年)8月1日 - 1945年(昭和20年)10月15日。本名:太田正雄)は、詩人、劇作家、翻訳家、美術史・切支丹史研究家、皮膚科の医学者。大学医学部の教授を歴任し、また、南蛮情緒的、切支丹趣味、耽美享楽的など言われるきらびやかな詩や戯曲を残した。堀花村(ほりかそん)、地下一尺生、葱南(そうなん)、などの筆名も用いた。 | ||
149 | 四賀光子 | Wikipedia |
四賀光子(しが みつこ、1885年4月21日 - 1976年3月23日)は、歌人。本名は有賀みつ。夫は太田水穂。「四賀」は父の出身地諏訪郡四賀村から。 | ||
150 | 岡山不衣 花巻市 | Wikipedia |
岡山 不衣(おかやま ふい、1885年(明治18年)12月9日 - 1943年(昭和18年)11月29日)は岩手県花巻市出身の俳人。岩手毎日新聞社(1933年廃刊。現在の毎日新聞とは無関係)の主筆(編集長)でもあった。生誕時の本名は伊藤儀七であったが、幼少時に養子に出たことで岡山儀七となった。 |
その他の職業
151 | 生田信 川根本町 | Wikipedia |
生田信(いくた のぶ、1885年 - 1950年)は、明治末期の測量助手。 | ||
152 | 三田光一 気仙沼市 | Wikipedia |
三田 光一(みた こういち、1885年 - 1943年)は、日本の自称透視能力者。宮城県気仙沼市生まれ。御船千鶴子、長尾郁子らとともに福来友吉によって発掘された「超能力者」の一人。 | ||
153 | 荻田常三郎 愛荘町 | Wikipedia |
荻田 常三郎(おぎた つねさぶろう、明治18年(1885年) - 大正4年(1915年)1月3日)は、滋賀県初の飛行操縦士、日本の民間飛行家の先駆者。 |