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宝塚・女優・俳優・声優・ナレーター・歌舞伎・能楽・狂言
1 | 上山草人 | Wikipedia |
上山 草人(かみやま そうじん、1884年1月30日 - 1954年7月28日)は、日本の俳優。本名は三田 貞(みた ただし)。号は半月。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 |
ジャーナリスト
2 | 石橋湛山 | Wikipedia |
石橋 湛山(いしばし たんざん、1884年〈明治17年〉9月25日 - 1973年〈昭和48年〉4月25日)は、日本のジャーナリスト、政治家、教育者(立正大学学長)。階級は陸軍少尉(陸軍在籍時)。位階は従二位。勲等は勲一等。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
3 | 石橋湛山 | Wikipedia |
石橋 湛山(いしばし たんざん、1884年〈明治17年〉9月25日 - 1973年〈昭和48年〉4月25日)は、日本のジャーナリスト、政治家、教育者(立正大学学長)。階級は陸軍少尉(陸軍在籍時)。位階は従二位。勲等は勲一等。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 |
格闘技
4 | 加古川辰藏 加古川市 | Wikipedia |
加古川 辰藏(かこがわ たつぞう、1884年(明治17年)2月3日 - 1945年(昭和20年)8月23日)は兵庫県印南郡見土呂村(現・加古川市上荘町見土呂)出身の大相撲力士。本名は大西福松。大阪相撲で活躍し最高位は大関。所属は小野川部屋。 | ||
5 | 朝日松清治郎 岸和田市 | Wikipedia |
朝日枩 清治郎(あさひまつ せいじろう、1884年 - 1939年11月25日)は、井筒部屋、猪名川部屋(大坂相撲)に所属した元力士。身長167cm、体重158kg。本名は広瀬伊之助(旧姓熊取谷)。現在の大阪府岸和田市出身。 | ||
6 | 白梅文治郎 桐生市 | Wikipedia |
白梅文治郎(しらうめ ぶんじろう、1884年10月25日-1936年1月31日)は、群馬県山田郡(現在の桐生市)出身で峰崎部屋(入門時は白玉部屋)所属の元大相撲力士。最高位は西張出前頭18枚目。現役時代の体格は身長164cm、体重86kg。得意手は右四つ、投げ。 | ||
7 | 小川金之助 岩倉市 | Wikipedia |
小川 金之助(おがわ きんのすけ、1884年(明治17年) - 1962年(昭和37年)3月30日)は日本の剣道家。段位称号は範士十段。 | ||
8 | 五十嵐敬之助 印西市 | Wikipedia |
五十嵐 敬之助(いそあらし けいのすけ、1884年11月1日-1964年2月12日)は、勝ノ浦部屋に所属した元力士。7代勝ノ浦。本名は宮澤啓助(旧姓椎名)。現在の千葉県印西市出身。164cm、83kg。最高位は西前頭4枚目。 | ||
9 | 佐賀ノ海初太郎 柳川市 | Wikipedia |
佐賀ノ海初太郎(さがのうみはつたろう、1884年2月4日-1937年3月24日)は、湊部屋、出羽海部屋に所属した元力士。7代二子山。本名は松永初太郎。現在の福岡県柳川市出身。170cm、90kg。最高位は西前頭6枚目。 | ||
10 | 八甲山純司 青森市 | Wikipedia |
八甲山 純司(はっこうざん じゅんじ、1884年8月3日-1951年1月10日)は、青森県東津軽郡横内村(※現役当時、現・同県青森市)出身で、1910年代から1920年代にかけて活躍した大相撲力士である。本名は、清藤 純司(せいどう じゅんじ)。引退後は8代高島を襲名して高島部屋を創設、大関をはじめとする多くの幕内力士を育てた。 | ||
11 | 竜ヶ嵜松太郎 大網白里市 | Wikipedia |
竜ヶ嵜 枩太郎(りゅうがさき まつたろう、1884年1月20日-1947年2月19日)は、阿武松部屋、出羽海部屋に所属した元力士。本名は齋藤松太郎。現在の千葉県大網白里市出身。167cm、90kg。最高位は西小結。 | ||
12 | 小ノヶ嵜金蔵 黒石市 | Wikipedia |
小ノヶ嵜 金藏(おのがさき きんぞう、1884年1月1日-1967年4月2日)は、熊ヶ谷部屋に所属した元力士。本名は佐藤金作(旧姓工藤)。現在の青森県黒石市出身。170cm、86kg。最高位は西前頭5枚目。 |
野球
13 | 獅子内謹一郎 | Wikipedia |
獅子内 謹一郎(ししうち きんいちろう、1884年(明治17年)3月25日 - 1941年(昭和16年)10月29日)は日本のアマチュア野球選手。早稲田大学野球部の中心選手だった。また、岩手県や満州で後進の育成に努め、「岩手野球の父」とも呼ばれる。守備位置は外野手、三塁手、投手。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
14 | 河野安通志 加賀市 | Wikipedia |
河野 安通志(こうの あつし、1884年(明治17年)3月31日 - 1946年(昭和21年)1月12日)は、石川県大聖寺町(現:加賀市)出身のアマチュア野球選手(投手)。日本初のプロ野球チーム創設者。 |
囲碁・将棋・麻雀
15 | 恵下田栄芳 | Wikipedia |
恵下田 栄芳(えげた えいほう、1884年(明治17年) - 1961年(昭和36年)8月21日は、囲碁棋士で、家元井上家十六世井上因碩。井上恵下田因碩とも通称される。広島県出身、七段。本名は恵下田仙次郎。家元四家では最後の世襲制当主。 |
登山家・冒険家・探検家
16 | 田部重治 | Wikipedia |
田部 重治(たなべ じゅうじ、1884年(明治17年)8月4日 - 1972年(昭和47年)9月22日)は、日本の英文学者・登山家である。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
漫画家・イラスト・ゲーム
17 | 近藤浩一路 | Wikipedia |
近藤 浩一路(こんどう こういちろ、本名:浩(こう)、明治17年(1884年)3月20日 - 昭和37年(1962年)4月27日)は、日本の水墨画家・漫画家。明治初期の実業家・教育者である近藤喜則は祖父にあたる。 |
作家・小説家・エッセイ・文筆・翻訳家・編集者・評論家
18 | 小松耕輔 由利本荘市 | Wikipedia |
小松 耕輔(こまつ こうすけ、1884年12月14日 - 1966年2月3日)は明治 - 昭和期の日本の作曲家・教育家・評論家。秋田県由利郡玉米村(後の東由利町、現在の由利本荘市)生まれ。東京音楽学校卒業。号は玉巌(ぎょくがん)。 | ||
19 | 阿部眞之助 富岡市 | Wikipedia |
阿部 真之助(あべ しんのすけ、旧字体:眞之助、1884年(明治17年)3月29日 - 1964年(昭和39年)7月9日)は、明治から昭和にかけて活躍したジャーナリスト、政治評論家、随筆家。筆名は野山草吉。 | ||
20 | 田村俊子 台東区 | Wikipedia |
田村 俊子 (たむら としこ、1884年(明治17年)4月25日 - 1945年(昭和20年)4月16日) は、日本の小説家。別名、佐藤露英、佐藤俊子、本名、佐藤とし。東京府東京市浅草区蔵前町(現在の東京都台東区蔵前)生れ。東京府立第一高等女学校卒業、日本女子大学校国文科中退。代表作は『木乃伊(みいら)の口紅』、『炮烙(ほうらく)の刑』など。官能的な退廃美の世界を描き、人気を得た。没後、田村俊子賞が創設された。 | ||
21 | 下村湖人 | Wikipedia |
下村 湖人(しもむら こじん、1884年(明治17年)10月3日 - 1955年(昭和30年)4月20日)は、日本の小説家・社会教育家。本名は下村 虎六郎(しもむら ころくろう)、旧姓は内田(うちだ)。 | ||
22 | 長谷川伸 横浜市 | Wikipedia |
長谷川 伸(はせがわ しん、1884年(明治17年)3月15日 - 1963年(昭和38年)6月11日)は日本の小説家、劇作家。本名は長谷川 伸二郎(はせがわ しんじろう)。使用した筆名には他にも山野 芋作(やまの いもさく)と長谷川 芋生(はせがわ いもお)があり、またそのほか春風楼、浜の里人、漫々亭、冷々亭、冷々亭主人などを号している(筆名が多いのは新聞記者時代の副業ゆえ名を秘したためである)。 | ||
23 | 宮地嘉六 佐賀市 | Wikipedia |
宮地 嘉六(みやち(みやじ) かろく、1884年6月11日 - 1958年4月10日)は佐賀県出身の小説家。戦前は無産派文学の旗手として知られた。 |
建築家・建築学者・技術者
24 | 薬師寺主計 総社市 | Wikipedia |
薬師寺 主計(やくしじ かずえ、1884年10月20日 - 1965年3月11日)は日本の建築家。 | ||
25 | 渡辺節 千代田区 | Wikipedia |
渡辺 節(わたなべ せつ、1884年11月3日 - 1967年1月21日)は、近代日本の建築家。古典主義をベースとした様式建築を自在に設計し、近畿を中心に商業ビルの秀作を多く残した。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
26 | 山田醇 秩父市 | Wikipedia |
山田醇(やまだ じゅん、1884年 - 1969年)は、日本の建築家。独立後は住宅作家としての道を歩み、和洋折衷住宅を発展させる。子息の病をきっかけに、健康住宅を研究し提唱した。設計した住宅は現在でも各地に現存している。埼玉県秩父市金崎生まれ。 | ||
27 | 安井武雄 佐倉市 | Wikipedia |
安井 武雄(やすい たけお、1884年2月25日 - 1955年5月23日)は、大阪を中心に活躍した日本の建築家。昭和初期のモダニズム建築を代表する建築として名高い大阪ガスビルディングなどを設計したことで知られる。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
経営者・実業家
28 | 杉道助 | Wikipedia |
杉 道助(すぎ みちすけ、1884年(明治17年)2月20日 - 1964年(昭和39年)12月14日)は、第二次世界大戦後における大阪・関西財界の代表者。曽祖父は吉田松陰の父である杉常道、祖父は松陰の兄の杉民治。八木商店社長となり、大阪商工会議所会頭を23年間務め、日本商工会議所副会頭、新日本放送(現・毎日放送)社長、海外市場調査会(現・日本貿易振興機構(略称:JETRO(ジェトロ)を設立後、理事長となる。鳩山一郎内閣において日ソ交渉全権顧問、日韓会談首席代表として政界にも関与した。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
29 | 大村一蔵 鳥取市 | Wikipedia |
大村 一蔵(おおむら いちぞう、1884年(明治17年)2月15日 - 1944年(昭和19年)1月29日)は日本の鉱山技師。石油調査・研究を専門とし、帝国石油副総裁や日本地質学会会長を歴任したほか、アマチュアスポーツの指導者としても活動した。 | ||
30 | 水野利八 大垣市 | Wikipedia |
水野 利八(みずの りはち 1884年(明治17年)5月15日 - 1970年(昭和45年)3月9日)は日本の実業家。ミズノ創業者。 | ||
31 | 山田晁 | Wikipedia |
山田 晁(やまだ あきら、1884年(明治17年)11月12日 - 1973年(昭和48年)2月12日)は、日本の実業家。1924年(大正13年)、後にダイキン工業となる合資会社大阪金属工業所を設立、初代社長を務めた。フロン冷凍機技術とフッ素樹脂などを独自開発した事で知られ、ダイキンの主力となるエアコン開発の礎を築いた。 | ||
32 | 原安三郎 徳島市 | Wikipedia |
原 安三郎(はら やすさぶろう、1884年3月10日 - 1982年10月21日)は日本の実業家。日本化薬会長、東洋火災海上保険株式会社(現・セコム損害保険)初代会長、日本化学工業協会会長、政府税制調査会会長などを歴任し、日本財界の重鎮として活躍した。徳島県徳島市生まれ。生家は江戸時代、蜂須賀家の家臣。徳島市名誉市民。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
33 | 関桂三 | Wikipedia |
関 桂三(せき けいぞう 1884年1月3日 - 1963年5月2日)は、昭和期の実業家。東洋紡績元会長。 | ||
34 | 上條信 | Wikipedia |
上條 信(かみじょう しん、1884年(明治17年)10月3日 - 1950年(昭和25年)10月8日)は、日本の実業家、政治家。筑摩鉄道(現・アルピコ交通上高地線)やバス事業を始め、多くの事業経営に携わった他、戦前・戦後に新村村長・長野県議会議員・衆議院議員をも務めた。 | ||
35 | 俵田明 宇部市 | Wikipedia |
俵田 明(たわらだ あきら、1884年(明治17年)11月13日 - 1958年(昭和33年)3月21日)は、日本の経営者、宇部興産創立者、同社社長。 | ||
36 | 石橋湛山 横手市 | Wikipedia |
石橋 湛山(いしばし たんざん、1884年〈明治17年〉9月25日 - 1973年〈昭和48年〉4月25日)は、日本のジャーナリスト、政治家、教育者(立正大学学長)。階級は陸軍少尉(陸軍在籍時)。位階は従二位。勲等は勲一等。大蔵大臣(第50代)、通商産業大臣(第12・13・14代)、内閣総理大臣(第55代)、郵政大臣(第9代)などを歴任した。内閣総理大臣在任期間は65日であり、日本国憲法下では羽田孜に次いで2番目に短く、日本の憲政史上でも4番目の短かさである。 | ||
37 | 木原七郎 広島市 | Wikipedia |
木原 七郎(きはら しちろう、1884年(明治17年)1月25日 – 1951年(昭和26年)12月24日)は、衆議院議員(立憲民政党)、最後の官選広島市長。ジャーナリスト。 | ||
38 | 宮城新昌 大宜味村 | Wikipedia |
宮城新昌(みやぎ しんしょう、1884年5月14日 - 1967年8月15日)は沖縄県出身の水産事業家。日米でカキの養殖法の開発と普及に貢献し「日本の牡蛎王」の異名をとった人物。 |
医師・看護師
39 | 高橋信美 | Wikipedia |
高橋 信美(たかはし のぶよし、1884年 - 1958年)は日本の医師。医学者。 |
軍人
40 | 真崎勝次 | Wikipedia |
眞崎 勝次(まさき かつじ、1884年12月22日 - 1966年10月15日)は、日本海軍の軍人、政治家。最終階級は海軍少将。衆議院議員。 | ||
41 | 藤田進 | Wikipedia |
藤田 進(ふじた すすむ、1884年12月21日 - 1959年2月7日)は、日本の陸軍軍人。第13軍司令官、第3師団長等を歴任した。階級は陸軍中将勲一等功二級。石川県出身。 | ||
42 | 荻洲立兵 | Wikipedia |
荻洲 立兵(おぎす りっぺい、1884年1月24日 - 1949年12月22日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
43 | 永田鉄山 | Wikipedia |
永田 鉄山(ながた てつざん、1884年(明治17年)1月14日 - 1935年(昭和10年)8月12日)は、日本の陸軍軍人。統制派の中心人物。陸軍中央幼年学校を2位、陸軍士官学校を首席、陸軍大学校も2位で卒業、参謀本部第2部長、歩兵第1旅団長などを歴任する。軍務官僚として常に本流を歩み「将来の陸軍大臣」「陸軍に永田あり」「永田の前に永田なく、永田の後に永田なし」と評される秀才だったが、陸軍内部の統制派と皇道派の抗争に関連して相沢三郎陸軍中佐に殺害される。死亡時は、陸軍省軍務局長で階級は陸軍少将。陸軍三羽烏の一人。 | ||
44 | 飯田貞固 | Wikipedia |
飯田 貞固(いいだ さだかた、1884年2月18日 - 1977年9月15日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
45 | 高須四郎 | Wikipedia |
高須 四郎(たかす しろう、1884年10月27日 - 1944年9月2日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。茨城県(後の桜川村、現稲敷市)出身。 | ||
46 | 安藤利吉 | Wikipedia |
安藤 利吉(あんどう りきち、1884年(明治17年)4月3日 - 1946年(昭和21年)4月19日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大将正三位勲一等功二級。宮城県仙台市出身。旧制宮城県第二中学校、陸軍士官学校16期。陸軍大学校26期。第19代台湾総督。 | ||
47 | 小池正晁 | Wikipedia |
小池 正晁(こいけ まさあき、明治17年(1884年)2月23日 - 昭和16年(1941年)6月18日)は、日本陸軍の軍人。貴族院議員・陸軍軍医総監・正三位・勲二等・医学博士・男爵。男爵・小池正直の長男。東京市小石川(現・東京都文京区小石川)出身。 | ||
48 | 山本五十六 長岡市 | Wikipedia |
山本 五十六(やまもと いそろく、1884年(明治17年)4月4日 - 1943年(昭和18年)4月18日)は、日本の海軍軍人。第26、27代連合艦隊司令長官。海軍兵学校32期生。最終階級は元帥海軍大将。栄典は正三位大勲位功一級。1943年に前線視察の際、ブーゲンビル島上空で戦死(海軍甲事件)。旧姓は高野。 | ||
49 | 林大八 | Wikipedia |
林 大八(はやし だいはち、1884年(明治17年)9月15日 - 1932年(昭和7年)3月1日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。従四位・勲三等・功三級。鶴岡鷹匠町(現・鶴岡市)出身。陸軍少尉の林八郎は次男。 | ||
50 | 江口卯吉 | Wikipedia |
江口 卯吉(えぐち うきち、1884年(明治17年) -)は、日本陸軍の軍人。階級は陸軍歩兵中佐。武道の称号は大日本武徳会銃剣術教士、剣道教士。 | ||
51 | 坂野常善 | Wikipedia |
坂野 常善(さかの つねよし、1884年(明治17年)12月1日 - 1971年(昭和46年)9月21日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
52 | 山本五十六 渋谷区 | Wikipedia |
山本 五十六(やまもと いそろく、1884年〈明治17年〉4月4日 - 1943年〈昭和18年〉4月18日)は、日本の海軍軍人。最終階級は元帥海軍大将。第26、27代連合艦隊司令長官。海軍兵学校32期生。前線視察の際、ブーゲンビル島上空で戦死(海軍甲事件)。旧姓は高野。栄典は正三位大勲位功一級。 | ||
53 | 柴平四郎 | Wikipedia |
柴 平四郎(しば へいしろう、1884年(明治17年)5月3日 - 1935年(昭和10年)3月29日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 |
官僚
54 | 中島鉄平 | Wikipedia |
中島鉄平(なかじま てっぺい、1884年1月1日 - 1936年11月1日)は、熊本県上益城郡大山町出身の大正・昭和期の大蔵官僚。 | ||
55 | 久埜茂 米子市 | Wikipedia |
久埜 茂(くの しげる、1884年(明治17年)10月 - 1970年(昭和45年))は、日本の逓信官僚、弁護士。元逓信省郵務局長。 | ||
56 | 亀井茲常 津和野町 | Wikipedia |
亀井 茲常(かめい これつね、明治17年(1884年)4月 - 昭和17年(1942年)5月2日)は、日本の宮内官僚。津和野藩亀井家第14代当主。爵位は伯爵。政治家亀井久興は孫。 | ||
57 | 十河信二 | Wikipedia |
十河 信二(そごう しんじ、1884年4月14日 - 1981年10月3日)は、日本の鉄道官僚、政治家。愛媛県西条市市長、第4代日本国有鉄道(国鉄)総裁(在任1955年 - 1963年)。「新幹線の父」と呼ばれた。西条市名誉市民第一号。 |
公務員
58 | 坪上貞二 | Wikipedia |
坪上 貞二(つぼがみ ていじ、1884年6月1日 ‐ 1979年5月28日)は日本の外交官。拓務次官、満州拓殖公社総裁、初代駐タイ特命全権大使等を歴任した。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
59 | 武富敏彦 佐賀市 | Wikipedia |
武富 敏彦(たけとみ としひこ、1884年(明治17年)12月13日 - 1964年(昭和39年)8月21日)は、日本の外交官。駐オランダ公使、駐トルコ大使。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
60 | 杉村陽太郎 盛岡市 | Wikipedia |
杉村 陽太郎(すぎむらようたろう 1884年(明治17年)9月28日 - 1939年(昭和14年)3月24日)は、大正、昭和の外交官、IOC委員。 | ||
61 | 沢田節蔵 岩美町 | Wikipedia |
沢田 節蔵(澤田 節蔵、さわだ せつぞう、1884年9月9日 - 1976年7月4日)は、日本の外交官。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 |
学者・教授・准教授
62 | 藤原咲平 諏訪市 | Wikipedia |
藤原 咲平(ふじわら さくへい、1884年10月29日 - 1950年9月22日)は、日本の気象学者。英語名は、故郷の発音に忠実にするため、Fujiwharaと綴るのが正しい。Fujiwaraは誤り。 | ||
63 | 江馬務 京都市 | Wikipedia |
江馬 務(えま つとむ、1884年12月2日-1979年5月10日)は日本の歴史学者。日本における風俗史の研究の基礎を築いた1人である。京都市出身。江馬天江の孫、江馬章太郎(京都府立医学専門学校教授)の子。 | ||
64 | 桂芳男 | Wikipedia |
桂 芳男(かつら よしお)は、日本の経営学者(専門は経営史)。経済学博士、神戸大学名誉教授。 | ||
松山大学出身 出身の松山大学の出身者 全国の松山大学の出身者 | ||
65 | 一柳満喜子 近江八幡市 | Wikipedia |
一柳 満喜子(ひとつやなぎ まきこ、1884年(明治17年)3月18日 - 1969年(昭和44年)9月7日)はキリスト教教育者。近江兄弟社で知られるウィリアム・メレル・ヴォーリズの妻で、近江兄弟社学園の学園長を務めた。 | ||
66 | 小平権一 茅野市 | Wikipedia |
小平 権一(こだいら ごんいち、古い文書では「權一」。1884年1月6日 - 1976年8月1日)は、日本の農政官僚、政治家である。数学者の小平邦彦は長男。 | ||
67 | 平瀬信太郎 南あわじ市 | Wikipedia |
平瀬 信太郎(ひらせ しんたろう : 1884年(明治17年)2月28日-1939年(昭和14年)9月9日)は、日本の貝類学者。父の平瀬與一郎や同年代の黒田徳米らとともに、日本における貝類学の発展に寄与した学者の一人である。 | ||
68 | 高野六郎 八千代町 | Wikipedia |
高野 六郎(たかの ろくろう、1884年9月3日 - 1960年12月15日)は日本の医学者。東京帝国大学医学部卒業。予防衛生の先駆者。 | ||
69 | 西川正治 八王子市 | Wikipedia |
西川 正治(にしかわ しょうじ、1884年12月5日 - 1952年1月5日)は、東京都八王子市出身の結晶学者である。 | ||
70 | 黒田チカ | Wikipedia |
黒田 チカ(くろだ チカ、1884年3月24日 - 1968年11月8日)は日本最初の女性化学者。お茶の水女子大学名誉教授。植物色素の構造決定を行ったことで知られる。 | ||
お茶の水女子大学出身 出身のお茶の水女子大学の出身者 全国のお茶の水女子大学の出身者 | ||
71 | 大島正満 札幌市 | Wikipedia |
大島 正満 (おおしま まさみつ、1884年6月21日 - 1965年6月26日) は 日本の生物学者 (動物学)。理学博士、農学博士。 シロアリの防除法などの研究を行ったが、台湾勤務時代にスタンフォード大学に留学し、D.S.ジョーダンのもとで魚類研究を行った。特にサケ科の淡水魚類を中心に動物学の研究を行い、「サラマオマス」(サクラマスの亜種、現在はタイワンマスと呼ぶ) を命名した。2001年より台湾の2000元札にタイワンマスが印刷されている。台湾では、20数種類の淡水魚の新種を命名し、台湾淡水魚の父と呼ばれている。 | ||
72 | 山口剛 土浦市 | Wikipedia |
山口 剛(やまぐち たけし、1884年(明治17年)3月1日 - 1932年(昭和7年)10月8日)は、国文学者・中国文学者・早稲田大学教授。号は、聾阿弥・不言斉主人など。 | ||
73 | 松本信一 | Wikipedia |
松本 信一(まつもと しんいち、1884年11月7日 - 1984年8月1日)は、日本の医学者、皮膚科医。京都帝国大学名誉教授、元大阪医科大学学長。福島県会津若松市生まれ。 | ||
74 | 宮島綱男 犬山市 | Wikipedia |
宮島 綱男(みやじま つなお、1884年(明治17年)10月13日 - 1965年(昭和40年)3月26日)は、日本の経済学者、大学経営者。日仏交流にも長年尽力した。 | ||
75 | 一柳満喜子 | Wikipedia |
一柳 満喜子(ひとつやなぎ まきこ、1884年(明治17年)3月18日 - 1969年(昭和44年)9月7日)はキリスト教教育者。近江兄弟社で知られるウィリアム・メレル・ヴォーリズの妻で、近江兄弟社学園の学園長を務めた。 | ||
76 | 中村星湖 | Wikipedia |
中村 星湖(なかむら せいこ、1884年(明治17年)10月14日 - 1974年(昭和49年)4月13日)は、日本の文学者。星湖は筆名で、本名は将為(まさため) | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
77 | 野村隈畔 桑折町 | Wikipedia |
野村 隈畔(のむら わいはん、1884年(明治17年)8月5日 - 1921年(大正10年)11月5日、本名・善兵衛)は、明治・大正期の哲学者、文明批評家。絶対自由主義を唱えて多くの評論を著し、遺作となった恋愛哲学論「永劫の彼岸へ」に共鳴した女性と38歳で心中した。福島県出身、小学校卒。 | ||
78 | 田中義麿 塩尻市 | Wikipedia |
田中 義麿(たなか よしまろ、1884年10月6日 - 1972年7月1日)は日本の遺伝学者、育種学者。 |
研究者・研究家・発明家
79 | 村田正太 香南市 | Wikipedia |
村田 正太(むらた まさたか、1884年10月5日 - 1974年12月20日)は、日本の医師、医学研究者。梅毒血清反応「村田法」の創始者。ハンセン病研究者。エスペランティスト。1926年から1933年まで大阪府外島保養院院長を務めたが、外島事件で辞任した。患者を一人の人間として対等に「キミ」と呼び、遇したのは当時としてはたいへん珍しい。その後職に就かず、神奈川県二宮町で個人的研究生活に入る。 | ||
80 | 小山鞆絵 | Wikipedia |
小山 鞆絵(おやま ともえ、1884年(明治17年)10月14日 - 1976年(昭和51年)12月3日)は、大正・昭和時代の哲学者。ヘーゲル哲学の研究者。東北大学名誉教授。 | ||
81 | 浅川伯教 | Wikipedia |
浅川伯教(あさかわ のりたか、1884年(明治17)8月4日 - 1964年(昭和39)1月14日)は朝鮮古陶磁研究者。山梨県北巨摩郡甲村五丁田(現・北杜市)出身。浅川巧は弟。 | ||
82 | 堀川安市 西海市 | Wikipedia |
堀川 安市(ほりかわ やすいち、1884年(明治17年)3月28日 - 1981年(昭和56年)1月8日)は、日本・台湾の教員・自然史研究家。教員として各地を転々とした中で自然史・理科教育の研究で功績を残した。特に1917年(大正6年)-1947年(昭和22年)の30年間を台湾・台北市で過ごし、その間に台湾の自然史研究で多数の報告・執筆を行った[3][4][5][6][7]。 |
画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家・漆芸家・工芸家
83 | 川村吾蔵 | Wikipedia |
川村 吾蔵(かわむら ごぞう、明治17年(1884年)8月17日 - 昭和25年(1950年)3月11日)は、日本の美術家。海外で活躍した国際的彫塑家であり、ニューヨークに多くのモニュメント彫刻を完成させたほか、乳牛像、著名人の胸像製作で高い評価を得た。 | ||
84 | 辻永 水戸市 | Wikipedia |
辻 永(つじ ひさし、1884年(明治17年)2月20日 - 1974年(昭和49年)7月23日)は、日本の洋画家。広島県広島市生まれ、茨城県水戸市育ち。 | ||
85 | 辻永 広島市 | Wikipedia |
辻 永(つじ ひさし、1884年2月20日 - 1974年7月23日)は、洋画家。広島県広島市生まれ、茨城県水戸市育ち。 | ||
東京美術学校出身 出身の東京美術学校の出身者 全国の東京美術学校の出身者 | ||
86 | 松山省三 広島市 | Wikipedia |
松山 省三(まつやま しょうぞう(せいそう)、1884年9月8日 - 1970年2月4日)は洋画家、カフェー・プランタンの経営者。 | ||
87 | 北村西望 | Wikipedia |
北村 西望(きたむら せいぼう、1884年(明治17年)12月16日 - 1987年(昭和62年)3月4日)は、日本の彫刻家。本名は北村 西望(きたむら にしも)。 | ||
京都市立芸術大学出身 出身の京都市立芸術大学の出身者 全国の京都市立芸術大学の出身者 | ||
88 | 北村西望 武蔵野市 | Wikipedia |
北村 西望(きたむら せいぼう、1884年(明治17年)12月16日 - 1987年(昭和62年)3月4日)は、長崎県出身の日本の彫刻家。本名は北村 西望(きたむら にしも)。 | ||
89 | 松平穆堂 鶴岡市 | Wikipedia |
松平 穆堂(まつだいら ぼくどう、1884年(明治17年)10月22日 - 1962年(昭和37年)10月15日)は、日本の書家。以文会(現・致道博物館)理事、松平武右衛門家10代当主。 |
政治家・議員・首長
90 | 小泉親彦 | Wikipedia |
小泉 親彦(こいずみ ちかひこ、1884年(明治17年)9月9日 - 1945年(昭和20年)9月13日)は、日本の政治家、陸軍軍医中将。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
91 | 大塚惟精 | Wikipedia |
大塚 惟精(おおつか いせい、1884年(明治17年)12月11日 - 1945年(昭和20年)8月6日)は、日本の内務官僚、政治家。貴族院議員。熊本県士族。 | ||
92 | 中島知久平 太田市 | Wikipedia |
中島 知久平(なかじま ちくへい、明治17年(1884年)1月1日 - 昭和24年(1949年)10月29日)は日本の海軍軍人、実業家、政治家。中島飛行機(のちの富士重工業)の創始者として知られ、政治家に転じてからは大臣や政友会総裁を務めた。 | ||
93 | 金井清 諏訪市 | Wikipedia |
金井 清(かない きよし、1884年12月7日 - 1966年4月26日)は長野県出身の官僚、政治家。太平洋戦争前は鉄道官僚を歴任し、戦後に長野県諏訪市長を通算2期務めた。 | ||
94 | 平井三男 熊本市 | Wikipedia |
平井 三男(ひらい みつお、1884年(明治17年)1月26日 - 1945年(昭和20年)3月24日)は、日本の朝鮮総督府・内務官僚。民政党系官選県知事。 | ||
95 | 天野貞祐 相模原市 | Wikipedia |
天野 貞祐(あまの ていゆう、1884年9月30日 - 1980年3月6日)は、大正・昭和期の日本の哲学者・教育者・文学博士。京都帝国大学名誉教授。第二次世界大戦後は第一高等学校校長・文部大臣(第3次吉田内閣)を務めた後に獨逸学協会学校を母体として創立された獨協大学の初代学長を務めた。文化功労者。武蔵野市名誉市民。 | ||
京都帝国大学出身 出身の 京都帝国大学の出身者 全国の 京都帝国大学の出身者 | ||
96 | 福田虎亀 玉名市 | Wikipedia |
福田 虎亀(ふくだ とらかめ / とらき、1884年(明治17年)7月27日 - 1970年(昭和45年)2月15日)は、日本の内務官僚、政治家。熊本市長、官選山梨県知事、衆議院議員。俳句を嗜み「石馬」と号した。 | ||
97 | 宮澤裕 福山市 | Wikipedia |
宮澤 裕(みやざわ ゆたか、1884年(明治17年)1月12日 - 1963年(昭和38年)5月23日)は、日本の政治家。衆議院議員(広島3区・6期)。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
98 | 瀧正雄 | Wikipedia |
瀧 正雄(たき まさお 1884年(明治17年)4月14日 - 1969年(昭和44年)8月12日)は、日本の政治家、法学者。衆議院議員、貴族院議員をつとめ、近衛文麿の家老格の側近として知られた。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
99 | 砂田重政 | Wikipedia |
砂田 重政(すなだ しげまさ、1884年9月15日 - 1957年12月27日)は、日本の政治家。1955年、自由民主党結党時の防衛庁長官。 | ||
中央大学出身 出身の中央大学の出身者 全国の中央大学の出身者 | ||
100 | 東條英機 盛岡市 | Wikipedia |
東條 英機(とうじょう ひでき、1884年(明治17年)7月30日(戸籍上は12月30日) - 1948年(昭和23年)12月23日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級位階勲等功級は陸軍大将従二位勲一等功二級。現在の百科事典や教科書等では新字体で東条 英機と表記されることが多い[注 3]。軍人および政治家として関東軍参謀長(第10代)、陸軍航空総監(初代)、陸軍大臣(第50-52代)、内閣総理大臣(第40代)、内務大臣(第64代)、外務大臣(第66代)、文部大臣(第53代)、商工大臣(第25代)、軍需大臣(初代)などを歴任した。 | ||
101 | 有田八郎 佐渡市 | Wikipedia |
有田 八郎(ありた はちろう、明治17年(1884年)9月21日 - 昭和40年(1965年)3月4日)は、日本の外交官、政治家。貴族院議員(勅選)、衆議院議員。号は澤農。旧姓山本。新潟県平民。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
102 | 木下信 箕輪町 | Wikipedia |
木下 信(きのした まこと、1884年(明治17年)2月8日 - 1959年(昭和34年)6月27日)は、日本の内務官僚、政治家。憲政会系県知事、台湾総督府総務長官、衆議院議員。 | ||
103 | 三木武吉 | Wikipedia |
三木 武吉(みき ぶきち、1884年(明治17年)8月15日 - 1956年(昭和31年)7月4日)は、日本の政治家。鳩山一郎の盟友で、自由民主党結党による保守合同を成し遂げた最大の功労者。「ヤジ将軍」「策士」「政界の大狸」などの異名を取った。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
104 | 今井田清徳 赤磐市 | Wikipedia |
今井田 清徳(いまいだ きよのり、1884年2月1日 - 1940年5月8日)は、日本の逓信官僚、政治家。貴族院議員、朝鮮総督府政務総監、逓信次官。 | ||
105 | 石黒英彦 | Wikipedia |
石黒 英彦(いしぐろ ひでひこ、1884年12月20日 - 1945年6月21日)は、日本の文部・朝鮮総督府・台湾総督府官僚。 | ||
106 | 小柳牧衛 新発田市 | Wikipedia |
小柳 牧衛(こやなぎ まきえ、1884年7月13日 - 1981年12月21日)は、日本の内務官僚、政治家。官選県知事、新潟市長、衆議院議員、参議院議員。幼名・畋之助。 | ||
107 | 森矗昶 勝浦市 | Wikipedia |
森 矗昶(もり のぶてる、明治17年(1884年)10月21日 - 昭和16年(1941年)3月1日)は、日本の実業家、森コンツェルンの創設者、衆議院議員。千葉県出身。従五位勲四等。元衆議院議員・岩瀬亮は弟。息子に、政治家の森曉・森清・森美秀、女婿に安西正夫(長女・満江の夫)・三木武夫(次女・睦子の夫)・田中覚(三女・三重子の夫)がいる。森英介(美秀の息子)・安西孝之(満江の息子)・高橋紀世子(睦子の娘)・松崎哲久(三重子の息子)は孫にあたる。 | ||
108 | 東條英機 | Wikipedia |
東條 英機(とうじょう ひでき、1884年(明治17年)7月30日(戸籍上は12月30日) - 1948年(昭和23年)12月23日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級位階勲等功級は陸軍大将従二位勲一等功二級。現在の百科事典や教科書等では新字体で東条 英機と表記されることが多い[注 3]。軍人および政治家として関東軍参謀長(第10代)、陸軍航空総監(初代)、陸軍大臣(第50-52代)、内閣総理大臣(第40代)、内務大臣(第64代)、外務大臣(第66代)、文部大臣(第53代)、商工大臣(第25代)、軍需大臣(初代)などを歴任した。 | ||
109 | 前田房之助 西宮市 | Wikipedia |
前田 房之助(まえだ ふさのすけ、1884年(明治17年)9月15日 - 1965年(昭和40年)2月18日)は、日本の政治家。衆議院議員選挙に通算8回当選した。 | ||
神戸大学出身 出身の神戸大学の出身者 全国の神戸大学の出身者 | ||
110 | 清瀬一郎 姫路市 | Wikipedia |
清瀬 一郎(きよせ いちろう、1884年(明治17年)7月5日 - 1967年(昭和42年)6月27日)は大正、昭和時代の日本の弁護士、政治家。弁護士としては極東国際軍事裁判で東條英機の弁護人などを務め、また政治家としては文部大臣、衆議院議長を歴任。学位は法学博士。東京弁護士会会長。従二位勲一等旭日桐花大綬章。 | ||
山口大学出身 出身の山口大学の出身者 全国の山口大学の出身者 | ||
111 | 比佐昌平 | Wikipedia |
比佐 昌平(ひさ しょうへい、1884年(明治17年)3月3日 - 1941年(昭和16年)11月23日[2])は、日本の衆議院議員(憲政会→立憲民政党)。 | ||
112 | 松阪広政 宇治市 | Wikipedia |
松阪 広政(まつざか ひろまさ、1884年(明治17年)3月25日 - 1960年(昭和35年)1月5日)は、太平洋戦争時の司法大臣。A級戦犯として戦後、逮捕された。 | ||
113 | 粟山博 | Wikipedia |
粟山 博(もみやま ひろし、1884年10月2日 - 1959年9月20日)は、日本の政治家。衆議院議員(10期)。位階は正四位。勲等は勲二等。 | ||
114 | 堀切善次郎 | Wikipedia |
堀切 善次郎(ほりきり ぜんじろう、1884年(明治17年)9月2日 - 1979年(昭和54年)11月1日)は日本の政治家。堀切善兵衛は兄。 | ||
115 | 小杉イ子 都城市 | Wikipedia |
小杉 イ子(こすぎ イね、1884年(明治17年)11月 - 1964年(昭和39年)1月6日)は、日本の看護師、助産師、政治家。参議院議員。 | ||
116 | 土居通次 室蘭市 | Wikipedia |
土居 通次(どい みちつぐ、1884年(明治17年)12月22日 - 1952年(昭和27年)1月23日)は、日本の内務・警察官僚、政治家。官選徳島県知事、室蘭市長。 | ||
117 | 森田政義 天草 | Wikipedia |
森田 政義(もりた まさよし、明治17年(1884年)9月29日 - 昭和14年(1939年)3月21日)は、日本の弁護士、政治家。元衆議院議員(立憲政友会[2])。大阪府平民[3]。実業家・タレント大屋政子の父。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
118 | 松山常次郎 九度山町 | Wikipedia |
松山 常次郎(まつやま つねじろう、1884年(明治17年)3月22日 - 1961年(昭和36年)6月15日)は、日本の実業家、政治家、衆議院議員。 | ||
119 | 片倉兼太郎(3代目) 岡谷市 | Wikipedia |
三代目 片倉 兼太郞(さんだいめ かたくら かねたろう、1884年9月20日 - 1947年1月15日)は、日本の実業家、政治家。勲等は勲四等。出生名は片倉 脩一(かたくら しゅういち)。 | ||
120 | 志喜屋孝信 具志川市 | Wikipedia |
志喜屋 孝信(しきや こうしん、1884年4月19日 - 1955年1月26日)は、日本の教育者で、沖縄諮詢会及び沖縄民政府の政治家。 沖縄諮詢会委員長や沖縄民政府知事を務め、琉球大学の初代学長でもある。 | ||
121 | 手代木隆吉 伊達市 | Wikipedia |
手代木 隆吉(てしろぎ りゅうきち、1884年(明治17年)1月30日 - 1967年(昭和42年)3月31日)は、日本の教育者・政治家・弁護士・実業家。衆議院議員(当選6回、日本進歩党)。北海道有珠郡紋鼈(現・北海道伊達市)出身。号は「胡山」。 | ||
122 | 横山助成 大館市 | Wikipedia |
横山 助成(よこやま すけなり、1884年(明治17年)1月1日 - 1963年(昭和38年)3月27日)は、警視総監、貴族院議員。「献策居士」の異名をもち、趣味は将棋とゴルフ。東北興業総裁も務めた。石田八弥の女婿。義弟は文化人類学者の石田英一郎。 | ||
123 | 立川太郎 広島市 | Wikipedia |
立川 太郎(たちかわ たろう、1884年(明治17年)4月14日 – 1960年(昭和35年)7月31日)は、衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。 |
評論家
124 | 片上伸 | Wikipedia |
片上 伸(かたがみ のぶる、1884年2月20日 - 1928年3月5日)は、日本の文芸評論家、ロシア文学者である。初期は天弦の号で執筆活動をしていたので、片上天絃(片上天弦)の名でも知られる。 | ||
125 | 阿部眞之助 | Wikipedia |
阿部 真之助(あべ しんのすけ、旧字体:眞之助、1884年(明治17年)3月29日 - 1964年(昭和39年)7月9日)は、明治から昭和にかけて活躍したジャーナリスト、政治評論家、随筆家。東京日々新聞主筆、日本エッセイスト・クラブ初代理事長、第9代NHK会長。恐妻家としても知られ、自ら日本恐妻連盟を組織し総裁に就任。「恐妻とは愛妻のいわれなり」との名言を残した。日本における「小さな親切」運動の草分けの一人でもある。 | ||
126 | 小宮豊隆 みやこ町 | Wikipedia |
小宮 豊隆(こみや とよたか、1884年(明治17年)3月7日 - 1966年(昭和41年)5月3日)は日本の独文学者、文芸評論家、演劇評論家、日本学士院会員。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
宗教家・思想家・運動家
127 | 矢部喜好 | Wikipedia |
矢部 喜好(やべ きよし、1884年7月4日 - 1935年8月17日)は、福島県出身のキリスト教会の牧師。日露戦争の際、日本において良心的兵役拒否を初めて行った人物である(ただし、後に衛生兵として従軍している)。アメリカ留学から帰国後は、膳所同胞教会、大津同胞教会の牧師として働き、その生涯を全うした。 | ||
128 | 高井観海 岩出市 | Wikipedia |
高井 観海(たかい かんかい、1884年 - 1953年1月9日)は日本の仏教学者、僧侶である。哲学館(現東洋大)で井上円了から仏教学を学んだ後に、智山専門学校校長。大正大学教授。真言宗智山派管長。智積院55世能化。真言宗上品蓮台寺住職となる。仏教学の専門は密教学。 |
俳人・歌人・詩人
129 | 植竹喜四郎 大田原市 | Wikipedia |
植竹 喜四郎(うえたけ きしろう、1884年(明治17年)1月 - 1963年(昭和38年)[要出典])は、日本の歌人(筆名・岸良雄)、実業家。下野鉄工、東野電力、植竹商業各取締役。 | ||
130 | 小田島孤舟 | Wikipedia |
小田島孤舟(おだしま こしゅう、1884年3月1日 - 1955年12月4日)は、岩手県和賀郡小山田村(現花巻市)出身の歌人・教育家・書道家。「岩手歌壇の父」と言われる。本名は小田島理平治。旧姓は佐々木。 | ||
131 | 西村伊作 新宮市 | Wikipedia |
西村 伊作(にしむら いさく、1884年9月6日 - 1963年2月11日)は、日本の教育者。文化学院の創立者としても知られる。大正、昭和を代表する、建築家、画家、陶芸家、詩人、生活文化研究家。 | ||
132 | 蘇曼殊 横浜市 | Wikipedia |
蘇 曼殊(そ まんじゅ、拼音:Sū Màn-shū、1884年9月28日 - 1918年5月2日)は、清末から民国初期にかけての中国の詩人・作家・画家・翻訳家。曼殊は法号で、本名は子谷。また、元瑛とも号している。中国人商人の子として日本の横浜で生まれた。原籍は広東省香山県(現在の広東省珠海市)。 | ||
133 | 吉植庄亮 成田市 | Wikipedia |
吉植 庄亮(よしうえ しょうりょう、1884年4月3日 - 1958年12月7日)は、日本の歌人、政治家。 | ||
134 | 沢村胡夷 彦根市 | Wikipedia |
沢村 専太郎(さわむら せんたろう、明治17年(1884年)1月1日 - 昭和5年(1930年)5月23日)は、京都帝国大学文学部教授で東洋美術・美術史研究家であると共に詩人。第三高等学校寮歌を作詞し、詩人としては沢村 胡夷(さわむら こい)と号した。 | ||
135 | 宗不旱 熊本市 | Wikipedia |
宗 不旱(そう ふかん、1884年5月14日 - 1942年5月末)は、歌人。万葉調の歌をよみ、漂泊の歌人と称された。 | ||
136 | 安田尚義 高鍋町 | Wikipedia |
安田 尚義(やすだ なおよし、 1884年4月19日 - 1974年12月24日 )は、日本の歌人・歴史学者。 | ||
137 | 竹久夢二 瀬戸内市 | Wikipedia |
竹久 夢二(たけひさ ゆめじ、1884年(明治17年)9月16日 - 1934年(昭和9年)9月1日)は、日本の画家・詩人。本名は竹久 茂次郎(たけひさ もじろう)。 | ||
138 | 平井晩村 | Wikipedia |
平井晩村(ひらい ばんそん 1884年5月13日 - 1919年9月2日)は、明治時代の日本の詩人・小説家。民謡詩人として多くの作品を残した。群馬県前橋市出身。本名は駒次郎。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
139 | 山村暮鳥 | Wikipedia |
山村 暮鳥(やまむら ぼちょう、1884年(明治17年)1月10日 - 1924年(大正13年)12月8日)は、明治・大正期の詩人、児童文学者である。本名、土田八九十(つちだ はくじゅう)、旧姓は志村。 | ||
140 | 荻原井泉水 岩内町 | Wikipedia |
荻原 井泉水(おぎわら せいせんすい、1884年(明治17年)6月16日 - 1976年(昭和51年)5月20日)は、日本の自由律俳句の俳人、俳論家。「層雲」を主宰、尾崎放哉や種田山頭火らを育てた。本名・幾太郎のち藤吉。 | ||
141 | 松永周二 徳島市 | Wikipedia |
松永 周二(まつなが しゅうじ、1884年(明治17年)6月6日 - 1972年(昭和47年)2月11日)は、徳島県徳島市出身の歌人。 | ||
142 | 竹久夢二 渋谷区 | Wikipedia |
竹久 夢二(たけひさ ゆめじ、1884年(明治17年)9月16日 - 1934年(昭和9年)9月1日)は、日本の画家・詩人。本名は竹久 茂次郎(たけひさ もじろう)。 | ||
143 | バチェラー八重子 伊達市 | Wikipedia |
バチェラー八重子(バチェラーやえこ、1884年6月13日 - 1962年4月29日)は、アイヌの歌人・キリスト教伝道者。「バチラー八重子」とも、表記される。 | ||
144 | 沢村専太郎 彦根市 | Wikipedia |
沢村 専太郎(さわむら せんたろう、明治17年(1884年)1月1日 - 昭和5年(1930年)5月23日)は、京都帝国大学文学部教授で東洋美術・美術史研究家であると共に詩人。第三高等学校寮歌を作詞し、詩人としては沢村 胡夷(さわむら こい)と号した。 |
その他の職業
145 | 渡名喜元完 | Wikipedia |
渡名喜元完(となき げんがん、1884年(明治17年)10月30日 - 1997年(平成9年)1月24日)は、男性長寿日本一だった沖縄県の男性。石崎伝蔵に追い抜かれるまで、男性日本歴代最高齢の人物であった。 | ||
146 | 大妻コタカ 世羅町 | Wikipedia |
大妻 コタカ(おおつま コタカ、1884年6月21日 - 1970年1月3日)は、女子教育界草分け、大妻学院(現・大妻中学校・高等学校、大妻女子大学)創立者。広島県世羅郡世羅町出身。旧姓・熊田。世羅町名誉町民。 | ||
横浜国立大学出身 出身の横浜国立大学の出身者 全国の横浜国立大学の出身者 | ||
147 | 滝井アサ 広島市 | Wikipedia |
滝井 アサ(たきいアサ、1884年(明治17年)4月28日 - 1998年(平成10年)7月31日)は、長寿日本一だった広島県の女性。 | ||
148 | 古河力作 小浜市 | Wikipedia |
古河 力作(ふるかわ りきさく、1884年6月14日 - 1911年1月24日)は、明治時代の無政府主義者。幸徳事件(大逆事件)で処刑された12名の1人。冤罪として名誉回復の運動がある。 | ||
149 | 武石浩玻 ひたちなか市 | Wikipedia |
武石 浩玻(たけいし こうは、1884年(明治17年)10月20日 - 1913年(大正2年)5月4日)は日本の飛行家。日本の民間飛行家として最初の航空事故による犠牲者でもある。本名は道之介。 | ||
ユタ大学出身 出身のユタ大学の出身者 全国のユタ大学の出身者 | ||
150 | 片岡弓八 綾川町 | Wikipedia |
片岡 弓八(かたおか ゆみはち、1884年(明治17年)5月15日 - 1958年(昭和33年)10月2日)は、日本の船員。船員から潜水業に転じ、海洋サルベージで名を成した。香川県綾歌郡陶村九十原(現・綾川町陶)出身。 |