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宝塚・女優・俳優・声優・ナレーター・歌舞伎・能楽・狂言
1 | 志賀廼家淡海 大津市 | Wikipedia |
志賀廼家 淡海(しがのや たんかい、1883年(明治16年)12月13日 - 1956年(昭和31年)10月15日)は、劇団一座を結成、後に喜劇に転じた。「淡海節」は一世を風靡した。 |
演奏家・作詞家・作曲家・ミュージシャン
2 | 宮良長包 石垣町 | Wikipedia |
宮良 長包(みやら ちょうほう、1883年3月18日 - 1939年6月29日)は、20世紀前半の日本の作曲家、教育者。沖縄県八重山郡石垣町(現・石垣市)出身、石垣市名誉市民。 | ||
3 | 来兎 沖縄市 | Wikipedia |
来兎(らいと、本名:久場 超(くば まさる)、1月30日 - )は日本のゲーム音楽作曲家。沖縄県沖縄市出身。株式会社リサレコ代表。 |
落語家
4 | 橘ノ圓都 神戸市 | Wikipedia |
橘ノ 圓都(たちばなの えんと、1883年3月3日 - 1972年8月20日)は、神戸出身の落語家。本名:池田豊次郎。享年89。出囃子は『薮入り』。 |
格闘技
5 | 玉椿憲太郎 富山市 | Wikipedia |
玉椿 憲太郎(たまつばき けんたろう、1883年(明治16年)11月10日 - 1928年(昭和3年)9月19日)は富山県中新川郡下条郷上砂子坂村(現・富山市)出身の大相撲の力士。雷部屋所属。小兵でありながら多彩な技としぶとい相撲で関脇まで上り詰め、「名人」「怪力士」などと呼ばれた。本名は森野健次郎。現役時代の体格は159cm、90kg。 | ||
6 | 植芝盛平 田辺市 | Wikipedia |
植芝 盛平(うえしば もりへい、1883年(明治16年)12月14日 - 1969年(昭和44年)4月26日)は、日本の武道家。合気道の創始者。合気道界では「開祖」(かいそ)と敬称される。 | ||
7 | 植芝盛平 笠間市 | Wikipedia |
植芝 盛平(うえしば もりへい、1883年(明治16年)12月14日 - 1969年(昭和44年)4月26日)は、日本の武道家(合気道家)。合気道の創始者。合気道界では「開祖」(かいそ)と敬称される。 | ||
8 | 綾川五郎次 黒石市 | Wikipedia |
綾川 五郎次(あやがわ ごろうじ、1883年11月2日 - 1933年2月16日)は、青森県南津軽郡(現:青森県黒石市)出身の元大相撲力士。本名は村上 要作(むらかみ ようさく)。 | ||
9 | 伊勢ノ濱慶太郎 墨田区 | Wikipedia |
伊勢ノ濱 慶太郎(いせのはま けいたろう、1883年11月9日 - 1928年5月17日)は、東京府本所区(現在の東京都墨田区)出身で友綱部屋(入門時は根岸部屋)所属の明治末期から大正時代に活躍した元大相撲力士。最高位は大関。本名は中立 慶太郎(なかだち けいたろう)。現役時代の体格は、身長168cm、体重105kg。得意手は左四つ、寄り、上手投げ。 | ||
10 | 四海波太郎 洲本市 | Wikipedia |
四海波太郎(しかいなみたろう、1883年1月1日-1933年12月4日)は、小野川部屋(大阪)出羽海部屋(東京)に所属した元力士。4代君ヶ濱。本名は佐渡太郎市。現在の兵庫県洲本市出身。171cm、90kg。最高位は大阪では東関脇、東京では東小結。 | ||
11 | 大錦大五郎 弥富市 | Wikipedia |
大錦 大五郎(おおにしき だいごろう、1883年3月22日 - 1943年5月18日)は、愛知県海部郡鍋田村稲元(現・愛知県弥富市)出身の元大相撲力士(京都相撲・大坂相撲)。第28代横綱。本名は鳥井 大五郎(とりい だいごろう)。 | ||
12 | 三船久蔵 久慈市 | Wikipedia |
三船 久蔵(みふね きゅうぞう、1883年(明治16年)4月21日 - 1965年(昭和40年)1月27日)は、日本の柔道家。段位は講道館柔道十段。大日本武徳会柔道範士。 |
野球
13 | 桜井弥一郎 佐久市 | Wikipedia |
桜井 弥一郎(さくらい やいちろう、旧字体:櫻井 彌一郎、1883年12月2日 - 1958年5月17日)は、長野県出身の野球選手。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 |
囲碁・将棋・麻雀
14 | 鈴木為次郎 刈谷市 | Wikipedia |
鈴木為次郎(すずき ためじろう、1883年(明治16年)5月24日 - 1960年(昭和35年)11月20日)は、囲碁の棋士。愛知県生まれ、巌崎健造門下、方円社、裨聖会、棋正社、日本棋院に所属、名誉九段。読みが深く粘り強い棋風で、長考派としても知られる。「旭将軍」の異名をとった。妻は鈴木秀子四段。 |
登山家・冒険家・探検家
15 | 冠松次郎 | Wikipedia |
冠松次郎(かんむり まつじろう, 1883年2月4日 - 1970年7月28日)は、日本の登山家であり、黒部峡谷の地域研究、山岳紀行文でも知られる。東京生まれ。 |
作家・小説家・エッセイ・文筆・翻訳家・編集者
16 | 弓館小鰐 | Wikipedia |
弓館 小鰐(ゆだて しょうがく、1883年(明治16年)9月28日 - 1958年(昭和33年)8月2日)は日本の新聞記者、随筆家。毎日新聞で記者として活動した他、『西遊記』などの翻訳でも活動した。本名は芳夫(よしお)。本名での活動も多い。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
17 | 岡田八千代 | Wikipedia |
岡田 八千代(おかだ やちよ、1883年(明治16年)12月3日 - 1962年(昭和37年)2月10日)は、明治 - 昭和期の小説家、劇作家、劇評家。芹影(きんえい)、芹影女、伊達虫子などの筆名を用いた。 | ||
18 | 志賀直哉 我孫子市 | Wikipedia |
志賀 直哉(しが なおや、1883年(明治16年)2月20日 - 1971年(昭和46年)10月21日)は、明治から昭和にかけて活躍した日本の小説家。白樺派を代表する小説家のひとり。「小説の神様」と称せられ、多くの日本人作家に影響を与えた。代表作に「暗夜行路」「和解」「小僧の神様」「城の崎にて」など。宮城県石巻生まれ、東京府育ち。 | ||
19 | 鈴木善太郎 郡山市 | Wikipedia |
鈴木 善太郎(すずき ぜんたろう、1883年1月19日 - 1950年5月19日)は、日本の小説家、劇作家、翻訳家。 | ||
20 | 阿部次郎 | Wikipedia |
阿部 次郎(あべ じろう、1883年(明治16年)8月27日 - 1959年(昭和34年)10月20日)は、哲学者、美学者、作家。仙台市名誉市民。 | ||
東北大学出身 出身の東北大学の出身者 全国の東北大学の出身者 | ||
21 | 林平馬 | Wikipedia |
林 平馬(はやし へいま、1883年11月6日 - 1972年3月19日)は、日本の政治家、著作家。 | ||
22 | 魚住折蘆 稲美町 | Wikipedia |
魚住 折蘆(うおずみ せつろ、1883年1月27日 - 1910年12月9日)は、明治時代の評論家。本名は影雄(かげお)。 | ||
23 | 志賀直哉 | Wikipedia |
志賀 直哉(しが なおや、1883年(明治16年)2月20日 - 1971年(昭和46年)10月21日)は、明治から昭和にかけて活躍した日本の小説家。白樺派を代表する小説家のひとりで、その後の多くの日本人作家に影響を与えた。代表作に『暗夜行路』『和解』『小僧の神様』『城の崎にて』など。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
24 | 志賀直哉 渋谷区 | Wikipedia |
志賀 直哉(しが なおや、1883年(明治16年)2月20日 - 1971年(昭和46年)10月21日)は、明治から昭和にかけて活躍した日本の小説家。白樺派を代表する小説家のひとり。「小説の神様」と称せられ、多くの日本人作家に影響を与えた。代表作に「暗夜行路」「和解」「小僧の神様」「城の崎にて」など。宮城県石巻生まれ、東京府育ち。 |
弁護士
25 | 西村卯 米子市 | Wikipedia |
西村 卯(にしむら う(しげる)、明治16年(1883年)6月27日 - 昭和46年(1971年)5月17日)は、日本の検察官、弁護士。勲二等。鳥取県士族[2]。鳥取県米子市内町出身。 | ||
26 | 中野並助 | Wikipedia |
中野 並助(なかの なみすけ、1883年(明治16年) - 1955年(昭和30年)5月23日)は、日本の検察官。日本の検事総長。弁護士。群馬県南甘楽郡神川村(現神流町)出身。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
建築家・建築学者・技術者
27 | 阿部美樹志 | Wikipedia |
阿部 美樹志(あべ みきし、1883年5月4日 - 1965年2月20日)は、日本の建築家および土木技術者。大正から昭和時代にかけて活躍した。日本最初の鉄筋コンクリート高架鉄道の設計者。通称コンクリート博士。日本の鉄筋コンクリート工学の開祖。Pf.D。また、阪急阪神東宝グループの建物、RC造の多くの構造物、建築物をつくり続けた。勲二等瑞宝章受章。 | ||
北海道大学出身 出身の北海道大学の出身者 全国の北海道大学の出身者 | ||
28 | 岡田信一郎 | Wikipedia |
岡田 信一郎(おかだ しんいちろう、1883年(明治16年)11月20日 - 1932年(昭和7年)4月4日)は、大正・昭和初期に活躍した建築家である。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
経営者・実業家
29 | 赤星鉄馬 武蔵野市 | Wikipedia |
赤星 鐡馬(あかぼし てつま、1883年(明治16年)1月11日 - 1951年(昭和26年)11月9日)は、日本の実業家である。泰昌銀行頭取。 | ||
30 | 足立正 苫小牧市 | Wikipedia |
足立 正(あだち ただし、1883年(明治16年)2月28日 - 1973年(昭和48年)3月29日)は日本の実業家、財界人である。号立堂。位階勲等は正三位勲一等旭日大綬章。日本商工会議所名誉会頭。 | ||
31 | 國分勘兵衛 松阪市 | Wikipedia |
國分 勘兵衛(こくぶ かんべえ、1883年1月19日 - 1975年2月23日)は、日本の実業家。養子として入った國分家の家業を株式會社國分商店(のちの国分グループ本社株式会社)とし、カルピス食品工業株式會社代表取締役社長なども務めた。旧名山本 秀次郎。 | ||
32 | 足立正 境港市 | Wikipedia |
足立 正(あだち ただし、明治16年(1883年)2月28日 - 昭和48年(1973年)3月29日)は日本の実業家、財界人である。号立堂。位階勲等は正三位勲一等旭日大綬章。日本商工会議所名誉会頭。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
33 | 金田一国士 三戸町 | Wikipedia |
金田一 国士(きんだいち くにお、1883年(明治16年)7月7日 - 1940年(昭和15年)2月11日)は日本の実業家。 | ||
34 | 岡田信吉朗 境港市 | Wikipedia |
岡田 信吉朗(おかだ しんきちろう、明治16年(1883年) - 昭和19年(1944年))は日本の実業家。岡田回漕店・岡田海運各(株)代表取締役。海運業。 | ||
35 | 堀新 佐用町 | Wikipedia |
堀 新(ほり しん、1883年7月8日 - 1969年6月26日)は、昭和期の日本の実業家。関西電力元会長。 | ||
36 | 橋本福松 | Wikipedia |
橋本 福松(はしもと ふくまつ、1883年3月24日 - 1944年2月5日)は日本の地理学者、実業家。旧姓は平沢。 | ||
37 | 足立正 目黒区 | Wikipedia |
足立 正(あだち ただし、1883年(明治16年)2月28日 - 1973年(昭和48年)3月29日)は日本の実業家、財界人である。号立堂。位階勲等は正三位勲一等旭日大綬章。日本商工会議所名誉会頭。 | ||
38 | 君野順三 若桜町 | Wikipedia |
君野 順三(きみの じゅんぞう、明治16年(1883年) - 昭和29年(1954年))は日本の弁護士、政治家。元鳥取市会議員(議長)、鳥取県会議員。元鳥取弁護士会会長。 | ||
39 | 中島董一郎 西尾市 | Wikipedia |
中島 董一郎(なかしま とういちろう、1883年8月22日 - 1973年12月19日)は、愛知県西尾市出身の実業家。キユーピー創業者。 | ||
東京海洋大学出身 出身の東京海洋大学の出身者 全国の東京海洋大学の出身者 |
医師・看護師
40 | 呉建 | Wikipedia |
呉 建(くれ けん、1883年10月27日 - 1940年6月27日)は、日本の内科学者・画家、医学博士。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
41 | 榛葉太生 松川村 | Wikipedia |
榛葉 太生(しんは ふとお、1883年 - 1962年)は、日本の医師。「安曇節」の初代家元。号は出原処士。 | ||
42 | 小畑惟清 | Wikipedia |
小畑 惟清(おばた いせい、1883年6月2日 - 1962年7月23日)は、日本の医学者、産婦人科医。元日本医師会会長、日本産科婦人科学会会長。熊本県出身。 |
その他芸術家
43 | 磯井如真 高松市 | Wikipedia |
磯井如真(いそい じょしん、1883年(明治16年)3月19日 - 1964年(昭和39年)8月23日)は、日本の漆芸家。本名は雪衛(ゆきえ)、あらため雪枝。 |
軍人
44 | 長谷川清 | Wikipedia |
長谷川 清(はせがわ きよし、1883年(明治16年)5月7日 - 1970年(昭和45年)9月2日)は、日本の海軍軍人。最終階級は正三位 勲一等 功一級 海軍大将。福井県足羽郡社村(現・福井市)出身。 | ||
45 | 植松練磨 | Wikipedia |
植松 練磨(うえまつ とうま、1883年4月30日 - 1948年8月22日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍少将。衆議院議員。 | ||
46 | 松井命 | Wikipedia |
松井 命(まつい まこと、1883年12月12日 - 1970年9月29日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。日野重工業社長。 | ||
47 | 津田静枝 | Wikipedia |
津田 静枝(つだ しずえ、1883年(明治16年)4月11日 - 1964年(昭和39年)9月13日)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍中将。福井県福井市出身。 | ||
48 | 井上継松 | Wikipedia |
井上 継松(いのうえ つぐまつ、1883年5月 - 1966年12月24日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
49 | 蓮沼蕃 | Wikipedia |
蓮沼 蕃(はすぬま しげる、1883年3月26日 - 1954年2月20日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将、勲等は勲一等功二級。石川県出身。 | ||
50 | 園部和一郎 | Wikipedia |
園部 和一郎(そのべ わいちろう、1883年3月29日 - 1963年3月18日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
51 | 河本大作 佐用町 | Wikipedia |
河本 大作(こうもと だいさく、1883年(明治16年)1月24日 - 1955年(昭和30年)8月25日)は、昭和初期に活動した日本の陸軍軍人。張作霖爆殺事件の首謀者として知られる。 | ||
52 | 大野寛 | Wikipedia |
大野 寛(おおの ひろし、1883年3月31日 - 1956年10月6日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。旧姓、磯村。 | ||
53 | 安達十六 | Wikipedia |
安達 十六(あだち じゅうろく、1883年(明治16年)1月18日 - 1964年4月6日)は、日本の陸軍軍人。舞鶴要塞司令官を務め、階級は陸軍少将に至る。陸軍教授安達松太郎の子で、弟に安達十九陸軍中将・第18軍司令官安達二十三陸軍中将が、義理の叔父に陸軍大臣石本新六陸軍中将男爵がいる。石本寅三陸軍中将・石本五雄陸軍少将は従兄弟。 | ||
54 | 橋本虎之助 | Wikipedia |
橋本 虎之助(はしもと とらのすけ、1883年(明治16年)6月6日 - 1952年(昭和27年)1月26日)は、大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。愛知県出身。 | ||
55 | 太田質平 | Wikipedia |
太田 質平(おおた しちへい、1883年(明治16年)6月16日 - 1941年(昭和16年)6月16日)は、日本の海軍軍人。日本海軍軍人の標語であった『スマートで目先が利いて几帳面 負けじ魂 これぞ船乗り』を創ったといわれる人物である。最終階級は海軍少将。 | ||
56 | 小林省三郎 | Wikipedia |
小林 省三郎(こばやし せいざぶろう、1883年(明治16年)9月5日 - 1956年(昭和31年)4月22日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。五・一五事件の黒幕とも言われる人物である。 | ||
57 | 及川古志郎 | Wikipedia |
及川 古志郎(おいかわ こしろう、1883年(明治16年)2月8日 - 1958年(昭和33年)5月9日)は、日本の海軍軍人。新潟県古志郡出身の。海兵31期。海軍大学校13期。最終階級は海軍大将。第2次近衛内閣・第3次近衛内閣で海軍大臣。第18代軍令部総長。 | ||
58 | 遊佐幸平 | Wikipedia |
遊佐 幸平(ゆさ こうへい、1883年7月25日 - 1966年11月25日)は、日本の陸軍軍人。「馬の神様」の異名があった馬術家で、日露戦争では騎兵として戦功をあげ、個人感状を授与される。個人技としての馬術、調教にも優れたが、馬政方面でも功績があった。最終階級は陸軍少将。 | ||
59 | 水城圭次 | Wikipedia |
水城 圭次(みずしろ けいじ、1883年(明治17年)11月10日 - 1927年(昭和2年)12月26日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。 | ||
60 | 蓮沼蕃 船橋市 | Wikipedia |
蓮沼 蕃(はすぬま しげる、1883年3月26日 - 1954年2月20日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将、勲等は勲一等功二級。石川県出身。 | ||
61 | 土肥原賢二 | Wikipedia |
土肥原 賢二(どいはら けんじ、明治16年(1883年)8月8日 - 昭和23年(1948年)12月23日)は、日本の陸軍軍人。謀略部門のトップとして満州国建国及び華北分離工作に中心的役割を果たす。昭和20年4月には、陸軍三長官(陸軍大臣、参謀総長、教育総監)の一つ、教育総監も務めた。敗戦後、三長官会議で東久邇宮内閣の陸軍大臣に推挙されたが、下村定が就任。 | ||
62 | 堀悌吉 杵築市 | Wikipedia |
堀 悌吉(ほり ていきち、1883年(明治16年)8月16日 - 1959年(昭和34年)5月12日)は日本の海軍軍人。大分県杵築市出身。 |
官僚
63 | 高橋守雄 | Wikipedia |
高橋 守雄(たかはし もりお、1883年(明治16年)1月1日 - 1957年(昭和32年)5月6日[2])は、日本の内務官僚である。 | ||
64 | 村上恭一 鳥取市 | Wikipedia |
村上 恭一(むらかみ きょういち、1883年(明治16年)8月31日 - 1953年(昭和28年))は、日本の官僚。枢密院書記官長、貴族院議員等を歴任した。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
65 | 宮脇梅吉 | Wikipedia |
宮脇 梅吉(みやわき うめきち、明治16年(1883年)9月12日 - 昭和16年(1941年))は、日本の内務官僚。官選県知事。 | ||
66 | 河内源一郎 福山市 | Wikipedia |
河内 源一郎(かわち げんいちろう、1883年4月30日 - 1948年3月31日)は、日本の官僚、科学者、実業家。 「河内菌」の発見により焼酎の品質を飛躍的に向上させた近代焼酎の父。広島県深津郡吉津村(現・福山市吉津町)生まれ。 | ||
67 | 丸山鶴吉 福山市 | Wikipedia |
丸山 鶴吉(まるやま つるきち、1883年9月27日 - 1956年6月3日)は、内務・警察官僚、政治家、教育者。警視総監、宮城県知事、武蔵野美術学校校長。広島県沼隈郡松永村(現・福山市松永町)生まれ。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
68 | 堀田鼎 | Wikipedia |
堀田 鼎(ほった かなえ、1883年9月 - 1942年2月24日)は、日本の内務官僚。県知事、台湾総督府交通局総長。 |
公務員
69 | 松島肇 | Wikipedia |
松島 肇(まつしま はじめ、1883年2月20日 - 1961年4月15日)は、日本の外交官。 | ||
70 | 平山慎英 飯能市 | Wikipedia |
平山 慎英(ひらやま しんえい、1883年 - 1950年12月10日)は、日本の裁判官、公証人。 |
学者・教授・准教授
71 | 西村真琴 松本市 | Wikipedia |
西村 真琴(にしむら まこと、1883年(明治16年)3月26日 - 1956年(昭和31年)1月4日)は、日本の生物学者。元・北海道帝国大学教授。マリモの研究や、人間型ロボット「學天則」の制作などで知られる。次男は俳優西村晃。 | ||
72 | 安倍能成 | Wikipedia |
安倍 能成(あべ よししげ、1883年(明治16年)12月23日 - 1966年(昭和41年)6月7日))は、日本の哲学者、教育者、政治家。法政大学教授、京城帝国大学教授、第一高等学校校長、貴族院勅選議員、文部大臣を歴任。貴族院帝国憲法改正案特別委員会委員長。学習院院長。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
73 | 横山英太郎 | Wikipedia |
横山 英太郎(よこやま えいたろう、1883年(明治16年)7月 - 1966年(昭和41年)6月13日)は、日本の工学者(専攻は電気工学、電気通信)。 | ||
74 | 宮脇富 大田市 | Wikipedia |
宮脇 富(みやわき あつし、1883年8月-1968年5月29日)は、大正期から昭和期の畜産学者。専門は、畜産物理用学。農学博士(北海道帝国大学)。 | ||
75 | 大賀一郎 岡山市 | Wikipedia |
大賀 一郎(おおが いちろう、1883年(明治16年)4月28日 - 1965年(昭和40年)6月15日)は日本の植物学者。 | ||
76 | 河田嗣郎 柳井市 | Wikipedia |
河田 嗣郎(かわた しろう、1883年(明治16年)4月22日 - 1942年(昭和17年)5月21日)は、日本の経済学者。京都帝国大学経済学部教授を経て大阪商科大学(現・大阪市立大学)初代学長。 | ||
77 | 鳥潟右一 大館市 | Wikipedia |
鳥潟 右一(とりがた ういち[2][3]、1883年4月25日 - 1923年6月6日[4])は、日本の工学者。明治から大正期の通信工学の権威である。無線電話機の発明に成功し、逓信省電気試験所長をつとめた。工学博士。 | ||
78 | 佐々木邦 沼津市 | Wikipedia |
佐々木 邦(ささき くに、1883年(明治16年)5月4日 - 1964年(昭和39年)9月22日) は日本の作家、英文学者。弟・順三は立教大学総長。 | ||
79 | 宮城音五郎 | Wikipedia |
宮城 音五郎(みやぎ おとごろう、1883年8月3日 - 1967年9月14日)は、日本の工学者、政治家。 | ||
80 | 伊藤誠哉 | Wikipedia |
伊藤 誠哉(いとう せいや、1883年8月7日 - 1962年3月28日)は、植物病理学者、元北海道大学総長。新潟県生まれ。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
81 | 大賀一郎植物学者) 府中市 | Wikipedia |
大賀 一郎(おおが いちろう、1883年(明治16年)4月28日 - 1965年(昭和40年)6月15日)は日本の植物学者。 | ||
82 | 渡辺徹 | Wikipedia |
渡辺 徹(わたなべ とおる、1883年9月7日 - 1957年1月12日)は日本の心理学者で、日本におけるパーソナリティ心理学(人格心理学)の開拓者。1912年にドイツの心理学者ヴィルヘルム・シュテルンの人格学を日本に紹介した。また、没年に至るまで、「個性心理学」という名で独創的な講義をした。心理検査にも早くから関心を示し、この方面での先駆的な業績といわれる「国民知能検査」を開発した。 | ||
83 | 小野寺直助 | Wikipedia |
小野寺 直助(おのでら なおすけ、1883年5月31日 - 1968年11月3日)は、日本の医学者、内科医。岩手県胆沢郡前沢町(現・奥州市)生まれ。 | ||
九州大学出身 出身の九州大学の出身者 全国の九州大学の出身者 | ||
84 | 上原轍三郎 南方村 | Wikipedia |
上原 轍三郎(うえはら てつさぶろう、1883年8月25日 - 1972年2月27日)は、日本の農業経済学者、教育者。専門は拓殖学(植民学)、開発政策、北海道開拓史を研究。また、学校法人北海学園理事長・北海学園大学初代学長・北海学園大学短期大学部初代学長を務めた。 | ||
北海道大学出身 出身の北海道大学の出身者 全国の北海道大学の出身者 | ||
85 | 小柳篤二 新潟市 | Wikipedia |
小柳 篤二(おやなぎ とくじ、1883年(明治16年)8月1日 - 1985年(昭和60年)12月23日)は、日本のドイツ語学者、ドイツ語教師。元東京高等学校独語主任教授、日出学園名誉学園長。 | ||
東京外国語学校出身 出身の東京外国語学校の出身者 全国の東京外国語学校の出身者 | ||
86 | 菊池秋雄 | Wikipedia |
菊池 秋雄(きくち あきお、1883年1月28日 - 1951年)は、青森県出身の園芸学者。京都大学名誉教授。専門は果樹園芸学。 | ||
87 | 松村武雄 | Wikipedia |
松村 武雄(まつむら たけお、1883年(明治16年)8月23日 - 1969年(昭和44年)9月25日)は、日本の神話学者。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
研究者・研究家・発明家
88 | 川村多実二 津山市 | Wikipedia |
川村 多実二(かわむら たみじ、1883年5月4日 - 1964年12月16日[† 1])は日本の動物学者。岡山県津山市出身。河川・湖沼をふくむ淡水域の生物学を創始。動物生態学や動物心理学などが研究の中心で、多くの研究者を育成したが、一般には鳥類の研究でより知られている。日本野鳥の会京都支部初代支部長でもあり、京都大学総合博物館や大阪市立自然史博物館には、川村が収集した日本周辺産と北米産の鳥類コレクションなどが所蔵されている。実兄は植物学者(キノコが中心)の川村清一。実弟は生理学者の福田邦三。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
89 | 野上豊一郎 臼杵市 | Wikipedia |
野上豊一郎(のがみ とよいちろう、1883年9月14日 - 1950年2月23日)は、日本の英文学者、能楽研究者。臼川(きゅうせん)と号する。法政大学総長を務め、能研究の発展にも多大な寄与をした。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
90 | 比嘉春潮 西原町 | Wikipedia |
比嘉 春潮(ひが しゅんちょう、1883年(明治16年)1月9日 - 1977年(昭和52年)11月1日)は沖縄県西原町出身の沖縄史の研究者、社会運動家、エスペランティスト。 | ||
91 | 諸橋轍次 三条市 | Wikipedia |
諸橋 轍次(もろはし てつじ、1883年6月4日 - 1982年12月8日)は、漢字の研究者で大著『大漢和辞典』や『広漢和辞典』(ともに大修館書店刊)の編者。文学博士。東京文理科大学名誉教授。都留短期大学および都留文科大学の(四年制大学としての)初代学長。本人によると直江兼続の子孫である。号は止軒。 | ||
東京教育大学出身 出身の東京教育大学の出身者 全国の東京教育大学の出身者 |
画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家・漆芸家・工芸家
92 | 北大路魯山人 | Wikipedia |
北大路 魯山人(きたおおじ ろさんじん、ろざんじん・ろさんにん とも、1883年(明治16年)3月23日 - 1959年(昭和34年)12月21日)は、日本の芸術家。本名は北大路 房次郎(きたおおじ ふさじろう)。 | ||
93 | 安宅安五郎 新潟市 | Wikipedia |
安宅 安五郎(あたか やすごろう、1883年4月23日 - 1960年9月1日)は、日本の洋画家。 東京美術学校で藤島武二に師事。在学中に文部省美術展に入選し作品「靴屋」文部省買上。また大正8年に改組した第一回帝展で特選、続いて第二回帝展で特選となる。その後帝展、文展の審査員を度々勤める。洋画だけでなく日本画も描く。 | ||
94 | 小林古径 上越市 | Wikipedia |
小林 古径(旧字:古徑、こばやし こけい、1883年(明治16年)2月11日 - 1957年(昭和32年)4月3日)は、大正~昭和期の日本画家。 本名は茂(しげる)。 | ||
95 | 朝倉文夫 台東区 | Wikipedia |
朝倉 文夫(あさくら ふみお、1883年(明治16年)3月1日 - 1964年(昭和39年)4月18日)は、明治から昭和の彫刻家(彫塑家)である。号は紅塐(こうそ)。「東洋のロダン」と呼ばれた。舞台美術家・画家の朝倉摂(摂子)は長女、彫刻家の朝倉響子は次女。 | ||
96 | 正宗得三郎 備前市 | Wikipedia |
正宗 得三郎(まさむね とくさぶろう、明治16年(1883年)8月21日 - 昭和37年(1962年)3月14日)は、日本の洋画家。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
97 | 田代秋鶴 塩尻市 | Wikipedia |
田代 秋鶴(たしろ しゅうかく、1883年6月9日-1946年12月13日)は、長野県出身の書家。名は其次、字は信仁。秋鶴は号で、別号に五千石道人がある。 | ||
98 | 吉田苞 岡山市 | Wikipedia |
吉田 苞(よしだ しげる、1883年4月25日 - 1953年4月27日)は、日本の洋画家。岡山県上道郡八幡(現、岡山市東区上道)生まれ。 | ||
99 | 南薫造 呉市 | Wikipedia |
南 薫造(みなみ くんぞう、1883年(明治16年)7月21日 - 1950年(昭和25年)1月6日)は、広島県賀茂郡内海町(現呉市安浦町)出身の画家。 | ||
100 | 栗原玉葉 | Wikipedia |
栗原 玉葉(くりはら ぎょくよう、1883年4月10日 - 1922年9月9日)は明治から大正にかけての女性日本画家。長崎県出身。本名・栗原綾子。 | ||
101 | 金山平三 神戸市 | Wikipedia |
金山 平三(かなやま へいぞう,1883年 (明治16年) 12月18日 - 1964年 (昭和39年) 7月15日)は、大正・昭和期の洋画家である。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
102 | 橋本関雪 神戸市 | Wikipedia |
橋本 関雪(はしもと かんせつ、1883年(明治16年)11月10日 - 1945年(昭和20年)2月26日)は日本画家。本名は貫一。 | ||
103 | 朝倉文夫 | Wikipedia |
朝倉 文夫(あさくら ふみお、1883年(明治16年)3月1日 - 1964年(昭和39年)4月18日)は明治から昭和の彫刻家(彫塑家)である。号は紅塐(こうそ)。「東洋のロダン」と呼ばれた。舞台美術家・画家の朝倉摂(摂子)は長女、彫刻家の朝倉響子は次女。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
104 | 和田三造 朝来市 | Wikipedia |
和田 三造(わだ さんぞう、1883年(明治16年)3月3日 - 1967年(昭和42年)8月22日)は、明治・大正・昭和期の日本の洋画家、版画家。帝国美術院会員。1953年(昭和28年)、大映映画『地獄門』で、色彩デザイン及び衣裳デザインを担当し、この作品で、1954年(昭和29年)の第27回アカデミー賞で衣裳デザイン賞を受賞。 |
政治家・議員・首長
105 | 黒瀬弘志 | Wikipedia |
黒瀬 弘志(くろせ ひろし、明治16年(1883年)1月7日[2] - 昭和18年(1943年)11月10日[3])は、日本の警察官僚、政治家。第26代山梨県知事、第7代神戸市長(在任:1925年8月17日[4][5] - 1933年)。熊本県出身。 | ||
106 | 米原章三 鳥取市 | Wikipedia |
米原 章三(よねはら しょうぞう、明治16年(1883年)11月16日 - 昭和42年(1967年)10月19日)は日本の実業家、政治家。鳥取県多額納税者。元鳥取県議会議員、貴族院議員。鳥取市名誉市民。旧姓藤縄。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
107 | 植芝盛平 遠軽町 | Wikipedia |
植芝 盛平(うえしば もりへい、1883年(明治16年)12月14日 - 1969年(昭和44年)4月26日)は、日本の武道家(合気道家)。合気道の創始者。合気道界では「開祖」(かいそ)と敬称される。 | ||
108 | 高畠亀太郎 宇和島市 | Wikipedia |
高畠 亀太郎(たかばたけ かめたろう、1883年2月6日 - 1972年7月)は、日本の実業家・政治家、衆議院議員(2期)。画家の高畠華宵は弟。 | ||
109 | 松村謙三 南砺市 | Wikipedia |
松村 謙三(まつむら けんぞう、1883年(明治16年)1月24日 - 1971年(昭和46年)8月21日)は、戦前昭和から戦後昭和にかけて活躍した日本の政党政治家。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
110 | 三ッ林幸三 幸手市 | Wikipedia |
三ッ林 幸三(みつばやし こうぞう、1883年9月24日 - 1977年5月13日)は、日本の政治家。衆議院議員も務めたが、主には埼玉、幸手等地方政界で活動した。長男は三ッ林弥太郎。孫は三ッ林隆志、三ッ林裕巳。 | ||
111 | 鳩山一郎 | Wikipedia |
鳩山 一郎(はとやま いちろう、1883年(明治16年)1月1日 - 1959年(昭和34年)3月7日)は、日本の政治家、弁護士。第52・53・54代内閣総理大臣。位階勲等は正二位大勲位。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
112 | 篠原陸朗 | Wikipedia |
篠原 陸朗(しのはら ろくろう、1883年(明治16年)3月26日 - 1966年(昭和41年)9月6日)は、日本の政治家。衆議院議員選挙に通算4回当選した。 | ||
113 | 横尾龍 小城市 | Wikipedia |
横尾 龍(よこお しげみ、男性、1883年(明治16年)7月21日 – 1957年(昭和32年)1月7日)は、日本の実業家、政治家。通商産業大臣。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
114 | 6代目鈴木與平 静岡市 | Wikipedia |
鈴木 與平(すずき よへい、1883年2月5日 - 1940年5月2日)は、明治から昭和にかけての日本の実業家、政治家。鈴与創業者。清水市会議長、静岡県会議長、貴族院多額納税者議員等を歴任した。旧名山崎通太郎。静岡県静岡市の名誉市民。 | ||
115 | 松野鶴平 山鹿市 | Wikipedia |
松野 鶴平(まつの つるへい、明治16年(1883年)12月22日 - 昭和37年(1962年)10月18日)は日本の政治家。衆議院議員、鉄道大臣、参議院議長などを歴任。権謀術数に長けたことから「松のズル平」とあだ名された。また、実業家として菊池電気軌道(現・熊本電気鉄道)の社長も務めた。熊本県平民。 | ||
116 | 加藤鐐五郎 瀬戸市 | Wikipedia |
加藤 鐐五郎(かとう りょうごろう、1883年3月11日 - 1970年12月20日)は、日本の政党政治家。衆議院議長(第48代)、法務大臣(第4代)。 | ||
名古屋大学出身 出身の名古屋大学の出身者 全国の名古屋大学の出身者 | ||
117 | 有馬英二 坂井市 | Wikipedia |
有馬 英二(ありま えいじ、1883年(明治16年)5月25日 - 1970年(昭和45年)4月6日)は、日本の明治時代・大正時代・昭和時代の医学者・政治家。北海道帝国大学名誉教授。衆議院議員(当選1回)、参議院議員(当選2回)。福井県坂井郡三国町生まれ。 | ||
118 | 田嶋栄次郎 豊橋市 | Wikipedia |
田嶋 栄次郎(たじま えいじろう、1883年(明治16年)5月20日 - 1952年(昭和27年)5月11日)は、日本の陸軍軍人。階級は陸軍中将。衆議院議員。 |
評論家
119 | 塩沢幸一 | Wikipedia |
塩沢 幸一(しおざわ こういち、1883年(明治16年)3月5日 - 1943年(昭和18年)11月17日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。長野県伊那郡大草村(現上伊那郡中川村)出身。実家は養命酒で有名な養命酒製造で塩沢はその四男。妻すがは代議士・北原阿智之助次女。文芸評論家の中沢臨川は次兄。 | ||
120 | 内藤濯 熊本市 | Wikipedia |
内藤 濯(ないとう あろう、1883年7月7日 - 1977年9月19日)は、フランス文学者、評論家、翻訳家、エッセイスト。サン=テグジュペリのLe Petit Prince(直訳すると「小さな大公」)を『星の王子さま』と訳したことで知られる。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 |
宗教家・思想家・運動家
121 | 衛藤衛 竹田市 | Wikipedia |
衛藤 衛(えとう まもる、1883年2月3日 - 1992年2月16日)は、日本の宣教師。アメリカの日系人教会でも牧師を務めた。日本人マフィアのモンタナ・ジョーこと衛藤健の実父でもある。 | ||
122 | 羽溪了諦 小浜市 | Wikipedia |
羽溪 了諦(はたに りょうたい、1883年8月17日 - 1974年8月13日)は日本の仏教学者、浄土真宗の僧侶。 | ||
123 | 北一輝 | Wikipedia |
北 一輝(きた いっき、本名:北 輝次郎(きた てるじろう)、1883年(明治16年)4月3日 - 1937年(昭和12年)8月19日)は、戦前の日本の思想家、社会運動家、国家社会主義者。二・二六事件の「理論的指導者」として逮捕され、軍法会議の秘密裁判で死刑判決を受けて刑死した。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
124 | 北一輝 中野区 | Wikipedia |
北 一輝(きた いっき、本名:北 輝次郎(きた てるじろう)、1883年(明治16年)4月3日 - 1937年(昭和12年)8月19日)は、戦前の日本の思想家、社会運動家、国家社会主義者。 |
俳人・歌人・詩人・歌人
125 | 三井甲之 | Wikipedia |
三井甲之(みつい こうし、1883年(明治16年)10月16日 - 1953年(昭和28年)4月3日)は、日本の文学者、歌人、右翼思想家。本名は甲之助。 | ||
126 | 菅礼之助 湯沢市 | Wikipedia |
菅 礼之助(すが れいのすけ、1883年11月25日 - 1971年2月18日)は、日本の実業家、俳人[2]。秋田県生まれ。旧制秋田中学、日本中学(現:日本学園)、東京高等商業学校(現:一橋大学)出身。古河鉱業(現古河機械金属)を経て、石炭庁長官、同和鉱業(現DOWAホールディングス)会長、昭和鉱業(現昭和KDE)会長、東京電力会長、経済団体連合会(現日本経済団体連合会)評議会議長等を務めた。1970年勲一等瑞宝章、1971年従三位勲一等。第九代、十代、十三代如水会理事長。初代日本相撲協会運営審議会会長。俳人としては裸馬と号し、俳誌「同人」を主宰した[2]。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
127 | 宍戸梅軒 伊達市 | Wikipedia |
宍戸 梅軒(ししど ばいけん、1883年12月22日 - 1963年5月)は、明治から昭和にかけて福島県伊達郡を中心に活動した俳人である。幼名を文作、通称を寅吉といい、俳号として梅軒、また麦村とも称した。 | ||
128 | 茅野蕭々 諏訪市 | Wikipedia |
茅野 蕭々(ちの しょうしょう、本名儀太郎、1883年3月18日 - 1946年8月29日)は、日本のドイツ文学者、詩人。 | ||
129 | 秋田雨雀 黒石市 | Wikipedia |
秋田 雨雀(あきた うじゃく、1883年(明治16年)1月30日 - 1962年(昭和37年)5月12日)は、日本の劇作家・詩人・童話作家・小説家である。本名は徳三(とくぞう)。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
130 | 高田保馬 | Wikipedia |
高田 保馬(たかた やすま、1883年(明治16年)12月27日 - 1972年(昭和47年)2月2日)は日本の経済学者、社会学者。文学博士。歌人。文化功労者。京都大学名誉教授。大阪大学名誉教授。 | ||
131 | 岩谷山梔子 青森市 | Wikipedia |
岩谷 山梔子(いわや くちなし、1883年(明治16年)1月30日 - 1944年(昭和19年)1月4日)は、青森県出身の日本の俳人、俳画家、編集者。別号に木丹亭、黙堂など。本名は健治。 | ||
132 | 水野葉舟 成田市 | Wikipedia |
水野 葉舟(みずの ようしゅう、1883年4月9日 - 1947年2月2日)は、日本の詩人、歌人、小説家、心霊現象研究者。本名は盈太郎(みちたろう)。 | ||
133 | 青木健作 周南市 | Wikipedia |
青木 健作(あおき けんさく、1883年11月27日 - 1964年12月16日)は、日本の小説家、俳人。法政大学名誉教授。本名は井本健作(青木家より井本家に養子)。国文学者・井本農一の父。 | ||
134 | 高村光太郎 台東区 | Wikipedia |
高村 光太郎(たかむら こうたろう、1883年(明治16年)3月13日 - 1956年(昭和31年)4月2日)は、日本の詩人・彫刻家。東京府東京市下谷区下谷西町三番地(現在の東京都台東区東上野一丁目)出身。本名は光太郎と書いて「みつたろう」と読む。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
135 | 前田夕暮 成田市 | Wikipedia |
前田 夕暮(まえだ ゆうぐれ、1883年(明治16年)7月27日 - 1951年(昭和26年)4月20日)は、日本の歌人。明治から昭和期にかけて活動した。本名:前田 洋造(洋三とも)。 | ||
136 | 相馬御風 糸魚川市 | Wikipedia |
相馬 御風(そうま ぎょふう、1883年(明治16年)7月10日 - 1950年(昭和25年)5月8日)は日本の詩人・歌人・評論家。本名は昌治(しょうじ)。新潟県糸魚川市出身。早稲田大学文学部哲学科卒業。詩歌や評論のほか、早稲田大学校歌「都の西北」をはじめとした多くの校歌や童謡の作詞者としても知られる。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
137 | 清水比庵 高梁市 | Wikipedia |
清水 比庵(しみず ひあん、1883年(明治16年)2月8日 - 1975年(昭和50年)10月24日)は、日本の歌人、書家、画家、政治家。本名は清水秀(しみず ひで)。号は他に匕舟、比舟、比安。晩年は「今良寛」と呼ばれた。 | ||
岡山大学出身 出身の岡山大学の出身者 全国の岡山大学の出身者 | ||
138 | 熊谷武雄 気仙沼市 | Wikipedia |
熊谷 武雄 (くまがい たけお、1883年11月2日- 1936年8月21日)は、日本の歌人(明治~昭和時代前期)。歌人の熊谷龍子は孫。 | ||
139 | 田中弥助 | Wikipedia |
田中 弥助(たなか やすけ、1883年3月6日 - 1943年10月9日)は日本の出版実業家、俳人、衆議院議員(民政党)。雅号は美穂(びすい)。 | ||
140 | 松宮寒骨 金沢市 | Wikipedia |
松宮 寒骨(まつみや かんこつ、1883年(明治16年)- 1968年(昭和43年)は、石川県出身の日本の俳人。広告研究家。本名および広告学では松宮三郎名義。 | ||
141 | 前田夕暮 秦野市 | Wikipedia |
前田 夕暮(まえだ ゆうぐれ、本名:前田 洋造(洋三とも)、1883年(明治16年)7月27日 - 1951年(昭和26年)4月20日)は、日本の歌人。明治から昭和期にかけて活動した。 | ||
二松學舍大学出身 出身の二松學舍大学の出身者 全国の二松學舍大学の出身者 | ||
142 | 下位春吉 | Wikipedia |
下位 春吉(しもい はるきち、1883年10月20日 - 1954年12月1日)は、教育者、詩人、童話口演家。詩人ガブリエーレ・ダンヌンツィオやベニート・ムッソリーニと親交があり、イタリアのファシズム運動を日本に紹介した。 |
その他の職業
143 | 大西源一 多気町 | Wikipedia |
大西 源一(おおにし げんいち、1883年3月7日 - 1962年7月21日)は、日本の郷土史家。 | ||
144 | 神代種亮 津和野町 | Wikipedia |
神代 種亮(こうじろ たねすけ、1883年6月14日 - 1935年3月10日)は日本の校正家。「校正の神様」といわれた。名は「たねあき」とも。号の帚葉は、誤字を除ける校正業を落葉掃きで譬喩したもの。七松庵とも号す。 | ||
145 | 友松文雄 倉吉市 | Wikipedia |
友松 文雄(ともまつ ふみお、明治16年(1883年) - 昭和31年(1956年))は日本の教育者。元鳥取県米子市教育長友松康雄の父。 | ||
146 | 菅源三郎 今治市 | Wikipedia |
菅源三郎(かん げんざぶろう、1883年(明治16年)2月24日 - 1942年(昭和17年)5月20日)は、日本の航海士、船長。 | ||
東京商船学校出身 出身の東京商船学校の出身者 全国の東京商船学校の出身者 | ||
147 | 岡田健蔵 函館市 | Wikipedia |
岡田 健蔵(おかだ けんぞう、1883年〈明治16年〉8月15日 - 1944年〈昭和19年〉12月21日)は、日本の社会事業家、郷土史家。北海道函館市の函館市中央図書館の初代館長(当時の名称は函館市立図書館)であり、同図書館の前身である函館毎日新聞緑叢会付属図書室、および私立函館図書館の設立者の1人。北日本屈指の図書館人ともいわれる人物であり[3]、私財を投じて函館の郷土資料の収集に努めた。また、函館の火災の多さを考慮して耐火構造の図書館を提唱し、貴重な資料の多くを火災から守り抜いた[4]。函館区鰪澗町(たなごまちょう、後の函館市入舟町)出身[5]。 |