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宝塚・女優・俳優・声優・ナレーター・歌舞伎・能楽・狂言
1 | 横山運平 彦根市 | Wikipedia |
横山 運平(よこやま うんぺい、1881年1月1日 - 1967年4月3日)は、日本の俳優。滋賀県犬上郡彦根町(現在の同県彦根市)出身。日本初の劇映画に出演し、日本の俳優第1号として知られる。本名は横山 弥太郎(よこやま やたろう)。 | ||
2 | 井上正夫 | Wikipedia |
井上 正夫(いのうえ まさお、1881年6月15日 - 1950年2月7日)は、日本の新派俳優、映画監督、書家。本名は小坂 勇一。 |
演奏家・作詞家・作曲家・ミュージシャン
3 | 南能衛 | Wikipedia |
南 能衛(みなみ よしえ・のうえい、明治14年(1881年) - 昭和27年(1952年)5月17日)は日本の音楽教育家・作曲家である。『横浜市歌』の作曲者として知られる。専門・担当はオルガン、楽理、和声論、音楽教授法、音楽通論。当時でいう唱歌編纂掛、楽語調査掛も務めた。 |
ジャーナリスト
4 | 山口喜一 会津美里町 | Wikipedia |
山口 喜一(やまぐち きいち、1881年(明治14年)11月22日 - 1969年(昭和44年)5月22日)は、日本のジャーナリスト。 |
格闘技
5 | 明石竜兵太郎 明石市 | Wikipedia |
明石竜 兵太郎(あかしりゅう へいたろう、1881年2月14日 - 1931年6月20日)は、八角部屋に所属した元力士。本名は立花 兵太郎(たちばな へいたろう)。現在の兵庫県明石市出身。身長167cm、体重83kg。最高位は西前頭10枚目。得意技は左四つ、投げ、左筈押し、押し。 | ||
6 | 鷲尾獄 小矢部市 | Wikipedia |
大谷 米太郎(おおたに よねたろう、1881年7月24日 - 1968年5月19日)は、日本の力士、実業家、稲川部屋所属の元大相撲力士。四股名は鷲尾獄。太平洋戦争前は「鉄鋼王」と称された。戦後の一時期は菊池寛実、南俊二とともに「日本の三大億万長者」と並び称された。 | ||
7 | 近江冨士初太郎 彦根市 | Wikipedia |
近江冨士 初太郎(おうみふじ はつたろう、1881年2月2日-1940年10月30日)は、枝川部屋、出羽海部屋に所属した元力士。本名は徳田 初次郎(とくだ はつじろう)。現在の滋賀県彦根市出身。身長173cm、体重90kg。最高位は西小結。得意技は右四つ、下手投げ。 | ||
8 | 綾浪源鋭 青森市 | Wikipedia |
綾浪源鋭(あやなみげんえい、1881年7月6日-1927年10月27日)は、追手風部屋に所属した元力士。8代湊川。本名は一戸源逸。現在の青森県青森市出身。179cm、101kg。最高位は東関脇。 | ||
9 | 柏戸宗五郎(5代) 上越市 | Wikipedia |
柏戸宗五郎(かしわどそうごろう、1881年10月10日-1946年8月13日)は、伊勢ノ海部屋に所属した元力士。9代伊勢ノ海。本名は伊勢ノ海富太郎(旧姓江口)。現在の新潟県上越市出身。189cm、116kg。最高位は東小結。 |
野球
10 | 押川清 仙台市 | Wikipedia |
押川 清(おしかわ きよし、1881年(明治14年)1月1日 - 1944年(昭和19年)3月18日)は日本のアマチュア野球選手。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 |
囲碁・将棋・麻雀
11 | 野沢竹朝 松江市 | Wikipedia |
野沢竹朝(のざわ ちくちょう、1881年(明治14年) - 1931年(昭和6年)1月)は、囲碁の棋士。島根県生まれ、本因坊秀栄門下、七段。「常勝将軍」の異名をとる。毒舌で知られ、本因坊家から破門、日本棋院と棋正社の院社対抗戦では棋正社として出場した。 |
作家・小説家・エッセイ・文筆・翻訳家・編集者
12 | 木村小舟 | Wikipedia |
木村 小舟(きむら しょうしゅう、1881年9月12日 - 1954年4月20日)は、20世紀前半の少年雑誌編集者・童話作家である。 | ||
13 | 森田草平 | Wikipedia |
森田 草平(もりた そうへい、1881年(明治14年)3月19日 - 1949年(昭和24年)12月14日)は、作家・翻訳家。本名森田 米松。夏目漱石の門下生の一人であるが、特に私生活での不祥事が多かったことから、門下生の中では異色の存在として扱われることが多い。 | ||
14 | 三津木春影 | Wikipedia |
三津木 春影(みつぎ しゅんえい、1881年10月15日 - 1915年7月8日)は、小説家・翻訳家。本名は一実(かずみ)。男性。 | ||
15 | 小山内薫 広島市 | Wikipedia |
小山内 薫(おさない かおる、1881年(明治14年)7月26日 - 1928年(昭和3年)12月25日)は、明治末から大正・昭和初期に活躍した劇作家、演出家、批評家。日本の演劇界の革新にその半生を捧げた。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
弁護士
16 | 長谷川太一郎 | Wikipedia |
長谷川 太一郎(はせがわ たいちろう、明治14年(1881年)12月1日 - 昭和43年(1968年)11月25日)は最高裁判所判事。弁護士。第一東京弁護士会会長。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 |
建築家・建築学者・技術者
17 | 赤阪音七 洲本市 | Wikipedia |
赤阪 音七(あかさか おとしち、1881年~1953年8月17日)は船舶用エンジンの開発者。 兵庫県淡路島洲本町出身。享年72。 | ||
18 | 置塩章 | Wikipedia |
置塩 章(おしお あきら、 1881年(明治14年)2月6日 - 1968年(昭和43年)10月20日) は、大正から昭和初期に関西で活躍した建築家。公共建築物を多く手がけ、ネオ・ゴシック様式を好んだ。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
経営者・実業家
19 | 津田信吾 岡崎市 | Wikipedia |
津田 信吾(つだ しんご、1881年3月29日 - 1948年4月18日)は、大正・昭和期の実業家。鐘紡の第2代社長を務めた。鐘紡争議を収束させ社長となる。昭和初期のインド綿花不買運動で知られる。旧姓西山。 | ||
20 | 福島喜三次 有田町 | Wikipedia |
福島 喜三次(ふくしま きそうじ、1881年10月10日 - 1946年9月17日)は実業家。日本人初のロータリアン。元ダラスロータリークラブ会員。1920年東京ロータリークラブを設立し同初代幹事に就任。大阪ロータリークラブ設立にもかかわり、1922年同初代幹事。 | ||
21 | 岩崎俊弥 | Wikipedia |
岩崎 俊弥(いわさき としや、明治14年(1881年)1月28日 - 昭和5年(1930年)10月16日)は日本の実業家で、旭硝子の創業者。 | ||
22 | 吉田秀弥 | Wikipedia |
吉田 秀弥(よしだ ひでや、吉田秀彌、1881年11月15日 - 1955年11月19日)は、日本の実業家。福島県出身。京成電鉄第3代取締役社長。 | ||
23 | 畠山一清 | Wikipedia |
畠山 一清(はたけやま いっせい、1881年12月28日 - 1971年11月17日)は、日本の実業家、機械工学者。株式会社荏原製作所の創立者。石川県金沢市出身。 | ||
24 | 西川秋次 豊橋市 | Wikipedia |
西川 秋次(にしかわ あきじ、1881年12月2日 - 1963年9月13日)は豊田佐吉の片腕として活躍したトヨタ(豊田)初期の大番頭である。秋次は失意の豊田佐吉の渡米にひとり同行し、アメリカ滞在を支えた。 | ||
25 | 平塚常次郎 | Wikipedia |
平塚 常次郎(ひらつか つねじろう、1881年(明治14年)11月9日 - 1974年(昭和49年)4月4日)は日本の実業家、政治家。北洋漁業の先駆者として知られる。 | ||
26 | 長崎英造 広島市 | Wikipedia |
長崎 英造(ながさき えいぞう、明治14年(1881年)8月13日 - 昭和28年(1953年)4月29日)は大正、昭和の日本の実業家。妻は桂太郎の次女・茂子。 | ||
27 | 岩波茂雄 諏訪市 | Wikipedia |
岩波 茂雄(いわなみ しげお、1881年8月27日 - 1946年4月25日)は、日本の出版人、岩波書店創業者。貴族院多額納税者議員。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
28 | 田邊宗英 | Wikipedia |
田邊 宗英(たなべ むねひで、1881年12月17日 - 1957年3月18日)は、日本の実業家。山梨県出身。旧名・五四三。株式会社後楽園スタヂアム(現・東京ドーム)第4代社長、日本ボクシングコミッション(JBC)初代コミッショナー。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
29 | 早川徳次 | Wikipedia |
早川 徳次(はやかわ のりつぐ、明治14年(1881年)10月15日 - 昭和17年(1942年)11月29日)は東京地下鉄道(後、帝都高速度交通営団→東京地下鉄)の創業者である。日本に地下鉄を紹介・導入し、「(日本の)地下鉄の父」と呼ばれる。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
30 | 大谷米太郎 小矢部市 | Wikipedia |
大谷 米太郎(おおたに よねたろう、1881年7月24日 - 1968年5月19日)は、日本の力士、実業家、稲川部屋所属の元大相撲力士。四股名は鷲尾獄。太平洋戦争前は「鉄鋼王」と称された。戦後の一時期は菊池寛実、南俊二とともに「日本の三大億万長者」と並び称された。 |
医師・看護師
31 | 竹内茂代 | Wikipedia |
竹内 茂代(たけうち しげよ、1881年8月31日 - 1975年12月15日)は日本の医師(医学博士)、政治家。 | ||
32 | 橋本策 伊賀市 | Wikipedia |
橋本 策(はしもと はかる、1881年5月5日 - 1934年1月9日)は、日本の医師、病理学者。橋本病、Hashimoto's thyroiditisを初めて記載した。 | ||
九州大学出身 出身の九州大学の出身者 全国の九州大学の出身者 |
軍人
33 | 常盤盛衛 | Wikipedia |
常盤 盛衛(ときわ もりえ、1881年(明治14年)12月8日 - 1971年(昭和46年)年8月8日)は、日本の海軍軍人。軍令部、艦隊、鎮守府、要港部などの参謀職を歴任した海軍少将である。 | ||
34 | 鹿江三郎 | Wikipedia |
鹿江 三郎(かのえ さぶろう 1881年(明治14年)10月6日 - 没年不詳)は、日本の海軍軍人、教育者。海軍砲術学校校長を務めた海軍少将であり、予備役後は逗子開成中学校長を務めた。 | ||
35 | 中村孝太郎 | Wikipedia |
中村 孝太郎(なかむら こうたろう、1881年8月28日‐1947年8月29日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。林内閣の陸軍大臣。石川県出身。 | ||
36 | 西尾寿造 鳥取市 | Wikipedia |
西尾 寿造(にしお としぞう、明治14年(1881年)10月31日 − 昭和35年(1960年)10月26日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大将正三位勲一等功一級。初代支那派遣軍総司令官。 | ||
37 | 山田乙三 | Wikipedia |
山田 乙三(やまだ おとぞう、1881年(明治14年)11月6日 - 1965年(昭和40年)7月18日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
38 | 香椎浩平 | Wikipedia |
香椎 浩平(かしい こうへい、1881年(明治14年)1月25日 - 1954年(昭和29年)12月3日)は、日本陸軍の軍人。 | ||
39 | 竹垣純信 | Wikipedia |
竹垣 純信(たけがき すみのぶ/じゅんしん、1881年(明治14年)2月 - 1917年(大正6年)6月11日)は、日本の海軍軍人。 第一次世界大戦で第11駆逐隊機関長を務め、地中海で戦死した機関中佐である。 | ||
40 | 下村忠助 | Wikipedia |
下村 忠助(しもむら ちゅうすけ、1881年〈明治14年〉10月8日 - 1916年〈大正5年〉5月31日)は、日本の海軍軍人。 第一次世界大戦で観戦武官として戦死した海軍中佐である。海大甲種10期首席。正六位勲四等功四級。 | ||
41 | 溝部洋六 大分市 | Wikipedia |
溝部 洋六(みぞべ ようろく、1881年(明治14年)6月27日-1919年(大正8年)11月6日)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍大佐。大分市出身。 |
官僚
42 | 潮恵之輔 | Wikipedia |
潮 恵之輔(うしお しげのすけ、1881年(明治14年)8月11日 - 1955年(昭和30年)1月9日)は、日本の内務官僚。後に内務大臣兼文部大臣、最後の枢密院副議長を務める。 | ||
43 | 中川正左 十津川村 | Wikipedia |
中川 正左(なかがわ しょうざ、1881年(明治14年)10月3日 – 1964年(昭和39年)1月19日)は、日本の鉄道官僚。実業家。教育者。 |
公務員
44 | 田子一民 盛岡市 | Wikipedia |
田子 一民(たこ いちみん、1881年(明治14年)11月14日 - 1963年(昭和38年)8月15日)は、日本の官僚、政治家、衆議院議長(第34代)、衆議院副議長(第27代)、官選三重県知事、農林大臣(第4次吉田内閣)、衆議院議員(通算9期)などを務めた。岩手県盛岡市出身。東京帝国大学法学部卒業。妻は秋田県横手市雄物川町出身。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
45 | 川越茂 | Wikipedia |
川越 茂(かわごえ しげる、1881年(明治14年) - 1969年(昭和44年))は日本の外交官。 |
学者・教授・准教授
46 | 東郷実 | Wikipedia |
東郷 実(とうごう みのる、1881年(明治14年)11月12日 - 1959年(昭和34年)7月31日)は、明治から昭和にかけての日本の農学者・植民政策学者・政治家。鹿児島県出身。千葉工業大学初代理事長。 | ||
47 | 左右田喜一郎 横浜市 | Wikipedia |
左右田 喜一郎(そうだ きいちろう、明治14年(1881年)2月28日 - 昭和2年(1927年)8月11日)は日本の経済学者、経済哲学者。新カント主義者。法学博士。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
48 | 長井真琴 | Wikipedia |
長井 真琴(ながい まこと、1881年(明治14年)7月28日 - 1970年(昭和45年)8月8日)は、日本の仏教学者。文学博士(東京帝国大学)。福井県丹生郡殿下村(現福井市)出身。浄土真宗高田派勝鬘寺の長井真応住職の長男。真向法創始者長井津、海軍少将長井満は実弟。長男に仏教学者長井真先、四女に鎌倉女子大学学園主松本紀子、次男に東京大学名誉教授長井善見。 | ||
49 | 濱田耕作 岸和田市 | Wikipedia |
濱田 耕作(はまだ こうさく、もしくは浜田 青陵(はまだ せいりょう)、1881年2月22日 - 1938年7月25日)は、日本の考古学者。京都大学名誉教授(京都帝国大学総長)。岸和田藩の上級藩士である濱田家の長男として大阪府岸和田市に生まれた。「青陵」は号。「日本近代考古学の父」と呼ばれる。 | ||
50 | 井戸泰 奈義町 | Wikipedia |
井戸 泰(いど ゆたか、1881年9月8日 - 1919年5月8日)は、日本の大正時代の医学者。東京帝国大学助教授を経て、九州帝国大学教授。 | ||
51 | 栂尾祥雲 三豊市 | Wikipedia |
栂尾 祥雲(とがのお しょううん、1881年9月30日 - 1953年5月27日)は、真言宗の僧、仏教学者。 | ||
52 | 田中芳雄 | Wikipedia |
田中 芳雄(たなか よしお、1881年3月9日 - 1966年5月8日)は、日本の応用化学者。東京大学名誉教授。 | ||
53 | 花見朔巳 | Wikipedia |
花見 朔巳(はなみ さくみ、1881年(明治14年)9月23日 - 1946年(昭和21年)4月27日)は、日本の歴史学者。東京帝国大学史料編纂官、大学講師などを務める。主な研究対象は会津、名古屋、安土桃山時代の三分野で、安土桃山史の権威であった[2]。歴史地理学会幹事。 | ||
54 | 松本駝堂 松阪市 | Wikipedia |
本草学者 | ||
55 | 木村泰賢 | Wikipedia |
木村 泰賢(きむら たいけん、1881年8月11日-1930年5月16日)は、日本の曹洞宗の僧侶(岩手県東慈寺住職)、インド哲学者、仏教学者、東京帝国大学教授。文学博士。日本における近代仏教学の確立に貢献した。 | ||
駒澤大学出身 出身の駒澤大学の出身者 全国の駒澤大学の出身者 | ||
56 | 藤懸静也 古河市 | Wikipedia |
藤懸 静也(ふじかけ しずや、1881年2月25日 - 1958年8月5日)は、日本美術史学者、東京帝国大学教授。 | ||
57 | 武藤長蔵 津島市 | Wikipedia |
武藤 長蔵(むとう ちょうぞう、1881年6月9日 - 1942年6月27日)は、日本の経済学者・歴史家(経済史・経済学史専攻)。長崎高等商業学校(長崎大学経済学部の旧制前身校)の教授を長く務め、同校名誉教授。栄典は従三位・勲三等 |
研究者・研究家・発明家
58 | 山本忠興 香美市 | Wikipedia |
山本 忠興(やまもと ただおき、1881年6月25日 - 1951年4月21日)は、日本の電気工学者、発明家、教育者。 | ||
59 | 橋口五葉 鹿児島市 | Wikipedia |
橋口 五葉(はしぐち ごよう、1881年(明治14年)12月21日 - 1921年(大正10年)2月24日)は明治末から大正期にかけて文学書の装幀作家、浮世絵研究者として活躍したが、最晩年、新版画作家として新境地を開こうとした矢先に急死した。アール・ヌーヴォー調の装幀本、「現代の歌麿」と形容された美人画を残している。 |
画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家・漆芸家・工芸家
60 | 益田玉城 | Wikipedia |
益田 玉城 (ますだ ぎょくじょう、1881年(明治14年) - 1955年(昭和30年)は、明治 - 昭和前期の日本画家。「玉城」は雅号。本名は「珠城」と表記される。宮崎県都城生まれ。 | ||
61 | 折下吉延 新庄市 | Wikipedia |
折下 吉延(おりしも よしのぶ、1881年10月5日 - 1966年12月23日)は、日本の造園家、都市計画家。官庁技師として活躍。また造園分野の教育者として後進の指導に当たった。 | ||
62 | 児島虎次郎 高梁市 | Wikipedia |
児島虎次郎(こじま とらじろう、1881年(明治14年)4月3日 – 1929年(昭和4年)3月8日)は、日本の洋画家。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
63 | 永倉江村人 佐倉市 | Wikipedia |
永倉 江村人(ながくら こうそんじん、1881年(明治14年) - 1951年(昭和26年))は、日本の画家。京都帝国大学福岡医科大学(後の九州帝国大学医学部、現在の九州大学医学部)解剖教室標本描画嘱託。本名は永倉茂。初号は江村。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
64 | 小杉放庵 日光市 | Wikipedia |
小杉 放庵(こすぎ ほうあん、1881年(明治14年)12月30日 - 1964年(昭和39年)4月16日)明治・大正・昭和時代の洋画家。本名は国太郎、別号に未醒、放菴。俳優の小杉義男は甥。 | ||
65 | 斎藤五百枝 一宮町 | Wikipedia |
斎藤 五百枝(さいとう いおえ、1881年12月21日 - 1966年11月6日)は、日本の映画美術の美術デザイナー、背景画家、出版における挿絵画家である。日本映画の黎明期に、吉沢商店、日活向島撮影所、国際活映角筈撮影所で、クレジットされることもなくセットの背景を描いた人物であり、後に『少年倶楽部』の表紙画で人気を博した。岡田三郎助門下。 | ||
66 | 倉田白羊 旧浦和市 | Wikipedia |
倉田白羊(くらた はくよう、1881年(明治14年)12月25日 - 1938年(昭和13年)11月29日)は、日本の洋画家。浦和画家を代表する人物でもある。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
67 | 小杉放菴 日光市 | Wikipedia |
小杉 放庵(こすぎ ほうあん、1881年(明治14年)12月30日 - 1964年(昭和39年)4月16日)は、明治・大正・昭和時代の洋画家。本名は国太郎、別号に未醒、放菴。 | ||
68 | 松岡映丘 福崎町 | Wikipedia |
松岡 映丘(まつおか えいきゅう、1881年7月9日 - 1938年3月2日)は、大正・昭和初期にかけ活動した日本画家。本名は輝夫。 | ||
69 | 森田恒友 熊谷市 | Wikipedia |
森田 恒友(もりた つねとも、1881年(明治14年)4月9日 - 1933年(昭和8年)4月8日)は、大正~昭和期の洋画家。博物学者で国立民族学博物館名誉教授の森田恒之は孫。 | ||
70 | 大山結子 春日部市 | Wikipedia |
大山 結子(おおやま ゆうこ、5月16日 - )は、日本の現代美術家。俳優やパフォーマーとしても活動する、インターメディア・アーティスト。元水着キャンペーンガール。 |
政治家・議員・首長
71 | 永井柳太郎 金沢市 | Wikipedia |
永井 柳太郎(ながい りゅうたろう、1881年(明治14年)4月16日 - 1944年(昭和19年)12月4日)は、大正から昭和にかけて活躍した日本の政党 政治家。憲政会・立憲民政党所属。大日本育英会(現:日本学生支援機構)創立者。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
72 | 篠原和市 | Wikipedia |
篠原 和市(しのはら わいち、1881年(明治14年)3月29日 - 1930年(昭和5年)8月14日[2])は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、ジャーナリスト。 | ||
73 | 馬場一衛 熊本市 | Wikipedia |
馬場 一衛(ばば かずえ、1881年(明治14年)12月2日 - 1944年(昭和19年)3月30日[2])は、日本の内務・警察官僚。官選青森県知事、門司市長。 | ||
74 | 熊平源蔵 広島市 | Wikipedia |
熊平 源蔵(くまひら げんぞう、1881年(明治14年)6月24日 - 1978年(昭和53年)6月27日)は、日本の商人(金庫、消防具[3]、喞筒、文具、タイプライター商[4])、政治家・広島市会議員[5]、実業家・クマヒラ創業者、広島県多額納税者[4][6]。広島商工会議所顧問[4]。 | ||
75 | 明石照男 備前市 | Wikipedia |
明石 照男(あかし てるお、1881年3月30日 - 1956年9月29日)は、岡山県和気郡英保村(現・備前市吉永町)出身の実業家、銀行家。 | ||
76 | 河上哲太 西条市 | Wikipedia |
河上 哲太(かわかみ てつた、1881年(明治14年)10月13日 – 1952年(昭和27年)11月17日)は、衆議院議員(立憲政友会)、ジャーナリスト。 | ||
77 | 井田金七 玉村町 | Wikipedia |
井田 金七(いだ きんしち、1881年(明治14年)9月26日 - 没年不明)は、日本の酒造家、和泉屋、政治家・群馬県会議員[3]、群馬県多額納税者[3][4]。前名・保一[3]。 | ||
78 | 一瀬一二 玉名市 | Wikipedia |
一瀬 一二(いちのせ いちじ、1881年(明治14年)11月25日 – 1935年(昭和10年)8月5日)は、衆議院議員(立憲政友会)、ジャーナリスト。 | ||
79 | 秋田清 | Wikipedia |
秋田 清(あきた きよし、1881年8月29日 - 1944年12月3日)は、日本の政治家。衆議院議長(第30代)、厚生大臣、拓務大臣を務めた。 | ||
日本大学出身 出身の日本大学の出身者 全国の日本大学の出身者 | ||
80 | 塚原嘉藤 | Wikipedia |
塚原 嘉藤(つかはら よしふじ、1881年(明治14年)10月22日 – 1930年(昭和5年)11月13日[2])は、衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。 | ||
81 | 小坂順造 長野市 | Wikipedia |
小坂 順造(こさか じゅんぞう、1881年3月30日 - 1960年10月16日)は、日本の実業家、政治家。信越化学工業及び東信電気及び長野電灯創業者。長野県生まれ。 | ||
82 | 坂東幸太郎 東かがわ市 | Wikipedia |
坂東 幸太郎(ばんどう こうたろう、1881年(明治14年)4月30日 - 1974年(昭和49年)10月20日)は、日本の政治家。衆議院議員(9期)、旭川市長。 | ||
83 | 小山令之 熊本市 | Wikipedia |
小山 令之(おやま よしゆき、1881年(明治14年)4月14日 - 1938年(昭和13年)10月25日[2])は、衆議院議員(立憲民政党)、弁護士。 | ||
84 | 小林吉之助 相模原市 | Wikipedia |
小林 吉之助(こばやし きちのすけ、1881年(明治14年)3月 - 1968年(昭和43年)4月2日)は、政治家。第11 - 14代八王子市長を務めた。勲四等瑞宝章、藍綬褒章受章。 | ||
85 | 斎藤真三郎 鶴岡市 | Wikipedia |
斎藤 真三郎(さいとう しんざぶろう、1881年(明治14年)8月12日 - 1925年(大正14年)7月18日)は、衆議院議員(革新倶楽部)。新聞編集者。 | ||
86 | 米窪満亮 | Wikipedia |
米窪 満亮(よねくぼ みつすけ、1881年(明治14年)9月16日 - 1951年(昭和26年)1月16日)は、日本の労働運動家、小説家、政治家。日本海員組合副会長を経て、戦後、日本社会党に所属し、片山内閣の国務大臣、初代労働大臣を歴任した。小説家としての筆名は「米窪太刀雄」がある。 | ||
東京海洋大学出身 出身の東京海洋大学の出身者 全国の東京海洋大学の出身者 | ||
87 | 坂東幸太郎 旭川市 | Wikipedia |
坂東 幸太郎(ばんどう こうたろう、1881年(明治14年)4月30日 - 1974年(昭和49年)10月20日)は、日本の政治家。衆議院議員(9期)、旭川市長。 | ||
88 | 川口為之助 千葉市 | Wikipedia |
川口 為之助(かわぐち ためのすけ、川口爲之助、1881年 - 1962年2月23日)は、大正・昭和期の日本の政治家。千葉県印旛郡志津村(現在の佐倉市上志津)出身。日本国憲法制定後の初代民選千葉県知事(通算では36代目)。後に参議院議員。 |
宗教家・思想家・運動家
89 | 大西愛治郎 宇陀市 | Wikipedia |
大西愛治郎(おおにし あいじろう、1881年8月26日 - 1958年11月29日)は、日本の宗教家。ほんみち教祖。奈良県宇陀郡宇太村出身。親族に大西玉がいる。 | ||
90 | 魯迅 仙台市 | Wikipedia |
魯迅(ろじん、ルーシュン、繁体字; 魯迅; 簡体字; 鲁迅; ピン音; Lǔ Xùn; ウェード式; Lu Hsün 1881年9月25日 - 1936年10月19日)は、中国の小説家、翻訳家、思想家である。本名は周樹人(繁体字; 周樹人; 簡体字; 周树人; ピン音; Zhōu Shùrén; ウェード式; Chou Shu-jen)で、字は豫才。浙江省紹興市の士大夫の家系に生まれた。父は周鳳儀、母は魯瑞、弟に文学者・日本文化研究者の周作人 (1885-1967)、生物学者の周建人(中国語版)(1888-1984) がいる。中国で最も早く西洋の技法を用いて小説を書いた作家である[3]。その作品は、中国だけでなく、東アジアでも広く愛読されている[4]。日本でも中学校用のすべての国語教科書に彼の作品が収録されている[4]。 | ||
91 | 今岡信一良 出雲市 | Wikipedia |
今岡 信一良(いまおか しんいちろう、1881年(明治14年)9月16日 - 1988年(昭和63年)4月11日)は、日本の教育者、宗教家、翻訳家、正則学院名誉理事、日本自由宗教連盟・東京帰一教会各会長、神学博士。 | ||
92 | 森近運平 井原市 | Wikipedia |
森近 運平(もりちか うんぺい、1881年〈明治14年〉1月20日 - 1911年〈明治44年〉1月24日)は、日本の社会主義活動家。幸徳事件(大逆事件)で処刑された12名の1人。 |
俳人・歌人・詩人・歌人
93 | 正宗敦夫 | Wikipedia |
正宗 敦夫(まさむね あつお、明治14年(1881年)11月15日(戸籍上は11月30日) - 昭和33年(1958年)11月12日)は日本の国文学者、歌人。 | ||
94 | 會津八一 新潟市 | Wikipedia |
会津 八一(あいづ やいち、會津八一、1881年(明治14年)8月1日 - 1956年(昭和31年)11月21日)は、日本の歌人・美術史家・書家。雅号は、秋艸道人、渾斎。1951年に新潟市名誉市民。 | ||
95 | 会津八一 新潟市 | Wikipedia |
会津 八一(あいづ やいち、會津八一、1881年(明治14年)8月1日 - 1956年(昭和31年)11月21日)は、日本の歌人・美術史家・書家。雅号は、秋艸道人、渾斎。1951年に新潟市名誉市民。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
96 | 鈴木花蓑 半田市 | Wikipedia |
鈴木花蓑(すずき はなみの、1881年(明治14年)12月1日 - 1942年(昭和18年)11月6日)は愛知県出身の俳人、大審院書記。本名は鈴木喜一郎(きいちろう)。 | ||
97 | 大須賀乙字 相馬市 | Wikipedia |
大須賀 乙字(おおすが おつじ、1881年7月29日 - 1920年1月20日)は、日本の俳人で俳論家。福島県相馬郡中村町(現在の相馬市)生まれ。本名・績(いさお)。 | ||
98 | 石原純 | Wikipedia |
石原 純(いしわら あつし(じゅん)、1881年1月15日 - 1947年1月19日)は、日本の理論物理学者・科学啓蒙家・歌人。 |
その他の職業
99 | 藤井達吉 碧南市 | Wikipedia |
藤井 達吉(ふじい たつきち、1881年6月6日 - 1964年8月27日)は、近代工芸の革新を志した工芸家、図案家。愛知県出身。戦後は愛知県小原村で和紙工芸を振興した。 | ||
100 | 山口春吉 淡路市 | Wikipedia |
山口 春吉(やまぐち はるきち、1881年 - 1938年1月17日)は、日本のヤクザ。山口組初代組長。 | ||
101 | モルガンお雪 | Wikipedia |
モルガンお雪(モルガンおゆき、明治14年(1881年)11月 - 昭和38年(1963年)5月18日)は日本の芸妓。アメリカの大富豪J.P.モルガンの甥と結婚したことで知られる。本名は加藤ユキ、芸妓名は「雪香」、洗礼名はテレジア。 | ||
102 | 柴田やす 旧青森町 | Wikipedia |
柴田 やす(しばた やす、1881年1月1日 - 1950年5月14日)は、学校法人柴田学園の創立者、東北女子短期大学初代学長。日本において女子教育に全力で取り組んだ人物の一人である。 |