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宝塚・女優・俳優・声優・ナレーター・歌舞伎・能楽・狂言
1 | 野口兼資 名古屋市 | Wikipedia |
野口 兼資(のぐち かねすけ、1879年(明治12年)11月7日 - 1953年(昭和28年)10月4日)は、シテ方宝生流能楽師。本名、野口政吉(のぐち まさきち)。 |
演奏家・作詞家・作曲家・ミュージシャン
2 | 瀧廉太郎 港区 | Wikipedia |
瀧 廉太郎(たき れんたろう、1879年(明治12年)8月24日 - 1903年(明治36年)6月29日)は、日本の音楽家、作曲家。明治の西洋音楽黎明期における代表的な音楽家の一人である。 | ||
3 | 瀧廉太郎 竹田市 | Wikipedia |
瀧 廉太郎(たき れんたろう、1879年(明治12年)8月24日 - 1903年(明治36年)6月29日)は、日本の音楽家、作曲家。明治の西洋音楽黎明期における代表的な音楽家の一人である。 | ||
4 | 滝廉太郎 港区西新橋 | Wikipedia |
瀧 廉太郎(たき れんたろう、1879年(明治12年)8月24日 - 1903年(明治36年)6月29日)は、日本の音楽家、作曲家。明治の西洋音楽黎明期における代表的な音楽家の一人である。 |
ジャーナリスト
5 | 板倉卓造 庄原村 | Wikipedia |
板倉 卓造(いたくら たくぞう、明治12年(1879年)12月9日 - 昭和38年(1963年)12月23日)は、日本の法学者、ジャーナリスト。新聞経営者、元時事新報社長。政治家。広島県比婆郡庄原村(のち庄原市)生まれ。息子は三井銀行(現・三井住友銀行)社長を務めた板倉譲治。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 |
格闘技
6 | 鏡川正光 仁淀川町 | Wikipedia |
鏡川正光(かがみがわまさみつ、1879年11月1日-1941年4月20日)は、高知県吾川郡吾川村出身の大相撲力士。友綱部屋所属。7代鳴戸。最高位は西前頭2枚目。本名は大野正光(旧名定吉)。172cm、90kg。 | ||
7 | 鬼角長治郎 加賀市 | Wikipedia |
鬼角長治郎(おにかどちょうじろう、1879年-没年不明)は、雷部屋に所属した元力士。本名は北市長次郎。現在の石川県加賀市出身。最高位は東前頭12枚目。169cm、105kg。 | ||
8 | 朝潮太郎 (2代) | Wikipedia |
朝潮 太郎(あさしお たろう、1879年4月19日 - 1961年4月30日)は、日本の大相撲の力士である。所属部屋:高砂→佐ノ山→高砂。最高位は大関。本名薦田長吉(後に坪井)。身長176cm、体重113kg。 | ||
9 | 朝潮太郎2代) 西条市 | Wikipedia |
朝潮 太郎(あさしお たろう、1879年4月19日 - 1961年4月30日)は、日本の大相撲の力士である。所属部屋:高砂→佐ノ山→高砂。最高位は大関。本名薦田長吉(後に坪井)。身長176cm、体重113kg。 | ||
10 | 若左倉与吉 金沢市 | Wikipedia |
若左倉 与吉(わかざくら よきち、1879年10月9日-1944年10月19日)は、八角部屋に所属した元力士。本名は長永與吉郎。現在の石川県金沢市出身。最高位は東前頭2枚目。 |
野球
11 | 橋戸信 港区 | Wikipedia |
橋戸 信(はしど しん/まこと(文献により一定していない)、1879年(明治12年)3月10日 - 1936年(昭和11年)3月23日)は、日本のアマチュア野球選手(遊撃手、投手)、新聞記者。ペンネームは「橋戸 頑鉄」(はしど がんてつ)。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 |
作家・小説家・エッセイ・文筆・翻訳家・編集者
12 | 草村北星 玉名市 | Wikipedia |
草村 北星(くさむら ほくせい、1879年3月10日 - 1950年5月25日)は、日本の小説家。明治期家庭小説の作家。 | ||
13 | 永井荷風 文京区 | Wikipedia |
永井 荷風(ながい かふう、1879年(明治12年)12月3日 - 1959年(昭和34年)4月30日)は、日本の小説家。本名は永井 壮吉(ながい そうきち、旧字体:壯吉)。号に金阜山人(きんぷさんじん)・断腸亭主人(だんちょうていしゅじん)ほか。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
14 | 前田晁 山梨市 | Wikipedia |
前田 晁(まえだ あきら、1879年(明治12年)1月15日 - 1961年(昭和36年)9月9日)は、日本の小説家・翻訳者。号は木城。妻は童話作家の徳永寿美子。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
15 | 青木存義 | Wikipedia |
青木 存義(あおき ながよし、1879年8月15日 - 1935年4月19日)は、日本の国文学者、唱歌作詞家、小説家。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
建築家・建築学者・技術者
16 | 井手薫 | Wikipedia |
井手 薫(いで かおる、1879年(明治12年)5月6日 - 1944年(昭和19年))は、日本統治時代の台湾で活躍した建築家。岐阜県出身。台湾総督府営繕課在任中、台湾の官庁や民間建築を多く手がけ、その設計理念と風格は台湾建築界に影響を与えた。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
17 | 國枝博 | Wikipedia |
國枝 博(くにえだ ひろし、1879年6月20日 - 1943年8月6日)は、大阪を拠点に活躍した日本の建築家。朝鮮総督府に在任中、主任技師として朝鮮総督府庁舎の設計に携わった。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
18 | 田辺淳吉 福山藩 | Wikipedia |
田辺 淳吉(たなべ じゅんきち、1879年6月26日 - 1926年7月13日)は主に大正期に活躍した日本の建築家。清水組(現清水建設)の技師として銀行、学校、邸宅等を設計し、後に独立。 |
経営者・実業家
19 | 鳥井信治郎 | Wikipedia |
鳥井 信治郎(とりい しんじろう、1879年1月30日 - 1962年2月20日)は、日本の実業家、サントリー(現サントリーホールディングス株式会社)の創業者である。 | ||
大阪市立大学出身 出身の大阪市立大学の出身者 全国の大阪市立大学の出身者 | ||
20 | 村上巧児 中津市 | Wikipedia |
村上 巧児(巧兒、むらかみ こうじ、1879年(明治12年)8月14日 - 1963年(昭和38年)10月21日)は、日本の実業家、政治家。西日本鉄道社長、貴族院勅選議員。 | ||
21 | 小寺源吾 | Wikipedia |
小寺 源吾(こでら げんご、1879年(明治12年)9月7日 - 1959年(昭和34年)6月15日)は日本の実業家。大日本紡績元社長。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
22 | 唐牛敏世 黒石市 | Wikipedia |
唐牛 敏世(かろうじ びんせい、1879年(明治12年)8月15日 - 1979年(昭和54年)1月19日)は、日本の銀行家。みちのく銀行初代頭取。勲四等旭日小綬章1978年(昭和53年)。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
23 | 岩崎小弥太 | Wikipedia |
岩崎 小弥太(いわさき こやた、1879年(明治12年)8月3日 - 1945年(昭和20年)12月2日)は、日本の実業家で、三菱財閥の4代目総帥。男爵。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
24 | 梁瀬長太郎 | Wikipedia |
梁瀬 長太郎(やなせ ちょうたろう 1879年〈明治12年〉12月15日 - 1956年〈昭和31年〉6月11日)は、日本の実業家である。株式会社ヤナセの創業者として知られる。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
25 | 澤田利吉 寿都町 | Wikipedia |
沢田 利吉(澤田 利吉、さわだ りきち、1879年(明治12年)8月7日 - 1944年(昭和19年)2月14日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 | ||
26 | 宮島清次郎 佐野市 | Wikipedia |
宮島 清次郎(みやじま せいじろう、明治12年(1879年)1月20日 – 昭和38年(1963年)9月6日)は、大正・昭和期の経営者・財界人・代議士。元日清紡績社長・会長、元日本工業倶楽部理事長。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
27 | 望月軍四郎 富士宮市 | Wikipedia |
望月 軍四郎(もちづき ぐんしろう、1879年(明治12年)8月15日 - 1940年(昭和15年)2月1日)は、日本の実業家、慶應義塾特選塾員、民間支那学研究者。九曜社、横浜倉庫各社長[4][5]。京浜電気鉄道、 錦華紡績、湘南電気鉄道各取締役会長[5]。族籍は東京府平民[6]。 | ||
28 | 黒田善太郎 富山市 | Wikipedia |
黒田 善太郎(くろだ ぜんたろう、1879年2月7日 - 1966年3月27日)は、富山県富山市出身の実業家。 | ||
29 | 小寺源吾 神戸市 | Wikipedia |
小寺 源吾(こでら げんご、1879年(明治12年)9月7日 - 1959年(昭和34年)6月15日)は日本の実業家。大日本紡績元社長。旧姓は西松。養家・小寺家共々岐阜県出身。(『小寺源吾別荘 (「有名な別荘及び別荘地#アジア#日本#兵庫県」の節)』、「日本一の富豪村・住吉村の本邸」も参照) |
軍人
30 | 佐久間勉 | Wikipedia |
佐久間 勉(さくま つとむ、1879年9月13日 - 1910年4月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大尉。 | ||
31 | 櫻井忠温 | Wikipedia |
櫻井 忠温(さくらい ただよし、1879年(明治12年)6月11日 - 1965年(昭和40年)9月17日)は、日本陸軍軍人、作家。最終階級は陸軍少将。翻訳家、教育者の櫻井鴎村は実兄。木村駿吉の娘婿で海軍中将の櫻井忠武は実弟。 | ||
32 | 岸井孝一 | Wikipedia |
岸井 孝一(きしい こういち、1879年(明治12年)11月21日 - 1960年(昭和35年)3月23日)は、日本の海軍軍人。第一次世界大戦において第二水雷戦隊、第二特務艦隊の各参謀を務める。最終階級は海軍少将。 | ||
33 | 安藤紀三郎 篠山市 | Wikipedia |
安藤 紀三郎(あんどう きさぶろう、1879年2月11日 - 1954年5月10日)は、日本の政治家、陸軍軍人。 | ||
34 | 瀬川章友 | Wikipedia |
瀬川 章友(せがわ のりとも、1879年(明治12年)3月6日 - 1938年(昭和13年)2月22日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
35 | 米村末喜 | Wikipedia |
米村 末喜(よねむら すえき、1879年(明治11年)3月13日 - 1941年(昭和16年)12月27日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。航海術の権威であり、海軍部内で航海の神様と呼ばれた人物である。 | ||
36 | 岩佐禄郎 | Wikipedia |
岩佐 禄郎(いわさ ろくろう、1879年4月3日 - 1938年8月3日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。第23代憲兵司令官。士官候補生15期。 | ||
37 | 左近司政三 | Wikipedia |
左近司 政三(さこんじ せいぞう、1879年(明治12年)6月27日 - 1969年(昭和44年)8月30日)は、日本の海軍軍人。政治家。最終階級は海軍中将。第3次近衛文麿内閣の商工大臣。鈴木貫太郎内閣の国務大臣。 | ||
38 | 大湊直太郎 | Wikipedia |
大湊 直太郎(おおみなと なおたろう、1879年(明治12年)7月1日 - 1958年(昭和33年)4月27日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
39 | 岸本綾夫 | Wikipedia |
岸本 綾夫(きしもと あやお、1879年6月27日 - 1946年11月28日)は、日本の陸軍軍人、東京市長。軍人としての最終階級は陸軍大将。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
40 | 二宮治重 | Wikipedia |
二宮 治重(にのみや はるしげ、1879年2月17日 - 1945年2月17日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。文部大臣。 | ||
41 | 福井重記 札幌市 | Wikipedia |
福井 重記(ふくい しげき、1879年(明治12年) - 1932年(昭和7年)11月23日)は、日本の陸軍軍人。見習士官時代に雪中行軍福島隊に参加。のち参謀本部初代航空班長を務める。予備役後は朝鮮で干拓事業に従事した。正五位勳三等功三級。最終階級は陸軍歩兵大佐。 | ||
42 | 四王天延孝 | Wikipedia |
四王天 延孝(しおうてん のぶたか、1879年〈明治12年〉9月2日 - 1962年〈昭和37年〉8月8日)は、日本の陸軍軍人、政治家。ユダヤ陰謀論を唱え『シオン賢者の議定書』の邦訳などを行なった。最終階級は陸軍中将。衆議院議員。旧姓・西村。 | ||
43 | 坂本政右衛門 土佐市 | Wikipedia |
坂本 政右衛門(さかもと まさえもん、1879年1月20日 - 1942年2月27日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
44 | 畑俊六 | Wikipedia |
畑 俊六(はた しゅんろく、明治12年(1879年)7月26日 - 昭和37年(1962年)5月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は元帥陸軍大将。偕行社会長。位階勲等は従二位勲一等功一級。 | ||
45 | 三宅篤夫 | Wikipedia |
三宅 篤夫(みやけ あつお、1879年10月19日 - 1961年9月25日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。陸士12期憲兵科。和歌山県、士族出身。 | ||
46 | 高山輝義 | Wikipedia |
高山 輝義(たかやま てるよし、1879年(明治12年)10月4日 - 没年不詳)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍少将。第16代若松市長。 | ||
47 | 三ツ木秀治 | Wikipedia |
三ツ木 秀治(みつぎ ひではる、1879年(明治12年)9月30日 - 1952年(昭和27年)1月15日)は、日本の陸軍軍人、実業家。最終階級は陸軍少将。 予備役後は京豊自動車工業社長などを勤めた。 |
官僚
48 | 内田隆 | Wikipedia |
内田 隆(うちだ たかし、1879年(明治12年)3月30日 - 1963年(昭和38年)7月11日[2])は、日本の台湾総督府・内務官僚、実業家。官選秋田県知事。旧姓・長田。 |
学者・教授・准教授
49 | 八木貞助 | Wikipedia |
八木 貞助(やぎ ていすけ、1879年8月22日 - 1951年6月20日)は、日本の地質学者、植物学者。 | ||
50 | 河上肇 岩国市 | Wikipedia |
河上 肇(かわかみ はじめ、1879年10月20日 - 1946年1月30日)は、日本の経済学者である。京都帝国大学でマルクス経済学の研究を行っていたが、教授の職を辞し、共産主義の実践活動に入る。日本共産党の党員となったため検挙され、獄中生活を送る。カール・マルクス『資本論』の翻訳(第一巻の一部のみ翻訳)やコミンテルン三十二年テーゼの翻訳のほか、ベストセラー『貧乏物語』の他に、『第二貧乏物語』『資本論入門』の著作がある。死後に刊行された『自叙伝』は広く読まれた。名文家であり、漢詩もよく知られている。福田徳三とは終生のライバルであった。 | ||
山口大学出身 出身の山口大学の出身者 全国の山口大学の出身者 | ||
51 | 川村麟也 甲斐市 | Wikipedia |
川村 麟也(かわむら りんや、1879年9月11日(明治12年) - 1947年(昭和22年)10月31日)は、日本の医師、病理学者である。ツツガムシ病の研究で知られる。 | ||
52 | 古武弥四郎 | Wikipedia |
古武 弥四郎(こたけ やしろう、1879年7月12日 - 1968年5月30日)は岡山県出身の生化学、医化学者。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
53 | 物集高量 鶴岡市 | Wikipedia |
物集 高量(もずめ たかかず、1879年4月3日 - 1985年10月25日)は、東京府出身の国文学者、作家。物集 梧水名義による著作もある。 | ||
54 | 石原忍 河津町 | Wikipedia |
石原 忍(いしはら しのぶ、1879年9月25日 - 1963年1月3日)は、日本の医学者、眼科医、陸軍軍人(最終階級は軍医少将)。東京帝国大学教授。東京府生まれ。石原式色覚異常検査表視力検査表の考案者。視力、色覚、屈折異常など、機能検査表の研究をはじめ、先天性全色盲の発見、この分野の先駆者となった。最初の色神検査表は1929年の第13回国際眼科学会で国際的に認定された。 | ||
55 | 辻寛治 | Wikipedia |
辻 寛治(つじ かんじ、1879年9月19日 - 1960年6月2日)は日本の医学者(内分泌学)・京都帝国大学名誉教授。島根県出身。 | ||
56 | 半澤洵 札幌市 | Wikipedia |
半澤 洵(はんざわ じゅん、1879年1月9日 - 1972年9月25日)は、日本の農学者・教育者。農学博士(北海道帝國大學)。日本学士院会員。北海道帝國大學名誉教授。市立名寄短期大学初代学長。北海道札幌郡白石村(現・札幌市白石区)出身。「半沢洵」とも表記される | ||
57 | 雨宮敬作 山梨市 | Wikipedia |
雨宮 敬作(あまみや けいさく、明治12年(1879年)11月5日 - 昭和39年(1964年)7月21日)は、日本の教育者。山梨英和女学校における初の日本人校長。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
58 | 椙山正弌 関市 | Wikipedia |
椙山 正弌(すぎやま まさかず、明治12年(1879年)6月26日 - 昭和39年(1964年)2月18日)は、岐阜県生まれの尾張藩士族であり、愛知県名古屋市の教育者。椙山女学園初代学園長・理事長。藍綬褒章の受章2回。 | ||
東京家政大学出身 出身の東京家政大学の出身者 全国の東京家政大学の出身者 |
研究者・研究家・発明家
59 | 石田収蔵 鹿角市 | Wikipedia |
石田 収蔵(いしだ しゅうぞう、1879年3月6日 - 1940年1月31日)は、日本の人類学者。樺太(サハリン)のアイヌ、ウィルタ、ニヴフなど北方諸民族の先駆的研究者。東京農業大学教授。 |
画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家・漆芸家・工芸家
60 | 冨田溪仙 福岡市 | Wikipedia |
冨田 溪仙(とみた けいせん、1879年12月9日 - 1936年7月6日)は、明治から昭和初期に活躍した日本画家。初め狩野派、四条派に学んだが、それに飽きたらず、仏画、禅画、南画、更には西洋の表現主義を取り入れ、デフォルメの効いた自在で奔放な作風を開いた。 | ||
61 | 荻原碌山 | Wikipedia |
荻原碌山(おぎわら ろくざん、1879年(明治12年)12月1日 - 1910年(明治43年)4月22日)は、明治期の彫刻家。本名は守衛(もりえ)、「碌山」は号である。 | ||
62 | 西山翠嶂 京都市 | Wikipedia |
西山 翠嶂(にしやま すいしょう、1879年(明治12年)4月2日 - 1958年(昭和33年)3月30日)は、大正から昭和にかけて活躍した日本画家。本名は卯三郎(うさぶろう)。 | ||
63 | 河合米田 富加町 | Wikipedia |
河合 米田(かわい べいでん、1879年(明治12年) - 1950年(昭和25年))は、日本の画家、講師。岐阜県出身。 | ||
64 | 西脇呉石 勝山市 | Wikipedia |
西脇 呉石(にしわき ごせき、 1879年(明治12年)3月8日 - 1970年(昭和45年)11月7日)は、日本の書家。名は静、字は如練。昭和45年従五位を追贈。 | ||
65 | 河村芳舟 鳥取市 | Wikipedia |
河村 芳舟(かわむら ほうしゅう、明治12年(1879年) - 昭和38年(1963年)は、日本画家。鳥取県邑美郡今町(現・鳥取県鳥取市)出身。 | ||
66 | 菊池契月 | Wikipedia |
菊池 契月(きくち けいげつ、1879年11月14日 - 1955年9月9日)は、明治後期から昭和中期にかけての日本画家。本名菊池(旧姓細野)完爾。 | ||
67 | 野田九甫 武蔵野市 | Wikipedia |
野田 九浦(のだ きゅうほ 1879年12月22日 - 1971年11月2日)は日本画家。本名は道三。「九甫」とも表記。祖父は漢文学者の野田笛浦。弟に脚本家の野田高梧がいる。 | ||
68 | 河上肇 中野区 | Wikipedia |
河上 肇(かわかみ はじめ、1879年10月20日 - 1946年1月30日)は、日本の経済学者である。京都帝国大学でマルクス経済学の研究を行っていたが、教授の職を辞し、共産主義の実践活動に入る。日本共産党の党員となったため検挙され、獄中生活を送る。カール・マルクス『資本論』の翻訳(第一巻の一部のみ翻訳)やコミンテルン32年テーゼの翻訳のほか、ベストセラー『貧乏物語』の他に、『第二貧乏物語』『資本論入門』の著作がある。死後に刊行された『自叙伝』は広く読まれた。名文家であり、漢詩もよく知られている。福田徳三とは終生のライバルであった。 |
政治家・議員・首長
69 | 平沼亮三 横浜市 | Wikipedia |
平沼 亮三(ひらぬま りょうぞう、1879年(明治12年)2月25日 - 1959年(昭和34年)2月13日)は、日本の実業家、政治家、アマチュアスポーツ選手。衆議院議員(憲政会・民政党)、貴族院議員(同成会)、横浜市長。日本における市民スポーツの父と呼ばれる。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
70 | 岩田衛 | Wikipedia |
岩田 衛(いわた まもる、1879年(明治12年)7月2日 - 1942年(昭和17年)6月9日[2])は、日本の内務官僚。官選県知事、長岡市長。 | ||
71 | 木村尚達 | Wikipedia |
木村 尚達(きむら しょうたつ、明治12年(1879年)5月27日 - 昭和22年(1947年)11月1日)は、日本の裁判官、検察官、政治家。検事総長、司法大臣、貴族院議員。 | ||
72 | 赤池濃 坂城町 | Wikipedia |
赤池 濃(あかいけ あつし、1879年1月27日 - 1945年9月10日)は、日本の内務官僚、政治家。静岡県知事、警視総監、貴族院議員。 | ||
73 | 渡辺釟吉 豊田市 | Wikipedia |
渡辺 釟吉(わたなべ はつきち、1879年10月5日 - 1967年12月4日)は、日本の政治家、医師。愛知県挙母市の初代市長(1期、挙母市は豊田市の旧市名)。その他、挙母町長(2期)、愛知県会議員(2期)、挙母町会議員などを歴任した。 | ||
74 | 牛塚虎太郎 射水市 | Wikipedia |
牛塚 虎太郎(うしづか とらたろう、1879年(明治12年)4月28日 - 1966年(昭和41年)11月1日)は、東京市長および衆議院議員を歴任した官僚、政治家。 | ||
75 | 武富済 | Wikipedia |
武富 済(たけとみ わたる、1879年(明治12年)4月23日 - 1937年(昭和12年)4月20日)は、日本の検事、弁護士、衆議院議員(憲政会→立憲民政党)。正しくは武富 濟。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
76 | 久保三郎 宇佐市 | Wikipedia |
久保 三郎(くぼ さぶろう、1879年(明治12年)11月23日 - 没年不詳)は、日本の官吏、政治家。千葉市長。 | ||
77 | 小林暢 長野市 | Wikipedia |
小林 暢(こばやし とおる、1879年〈明治12年〉10月19日 - 1935年〈昭和10年〉1月2日[3])は、明治後期から昭和時代の日本の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。従六位[4]。 | ||
78 | 宜保成晴 豊見城市 | Wikipedia |
宜保 成晴(ぎぼ せいせい、1879年(明治12年)6月20日 - 1953年(昭和28年)9月30日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会→政友本党→立憲民政党)、医師。 | ||
79 | 田邊七六 | Wikipedia |
田邊 七六(たなべ しちろく、1879年3月1日 - 1952年8月1日)は山梨県出身の日本の政治家、実業家。「カミソリ将軍」とあだ名されたほどの切れ者であった。衆議院議員選挙に7回当選。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
80 | 古屋慶隆 恵那市] | Wikipedia |
古屋 慶隆(ふるや よしたか、1879年12月18日 - 1945年3月10日)は、戦前日本の政治家。岐阜県恵那市出身。古屋家は典型的な地方の名望家であり、慶隆の父・善造も衆議院議員を1期務めた[2] 。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
81 | 高橋寿太郎 宮古市 | Wikipedia |
高橋 寿太郎(たかはし じゅたろう、1879年(明治12年)1月15日 - 1945年(昭和20年)4月8日)は、日本の海軍軍人。階級は海軍少将。衆議院議員(立憲民政党→国民同盟→立憲民政党)。 |
評論家
82 | 正宗白鳥 備前市 | Wikipedia |
正宗 白鳥(まさむね はくちょう、1879年(明治12年)3月3日 - 1962年(昭和37年)10月28日)は、明治 から昭和にかけて活躍した小説家、劇作家、文学評論家。本名は正宗 忠夫(まさむね ただお)。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
83 | 櫻井天壇 五泉市 | Wikipedia |
櫻井 天壇(さくらい てんだん、1879年(明治12年)10月18日 - 1933年(昭和8年)9月10日)は、日本のドイツ文学者、文芸評論家、翻訳家。元第八高等学校独語主任教授。会津八一の先輩で義弟。本名は櫻井 政隆(さくらい まさたか)。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 |
宗教家・思想家・運動家
84 | 新美卯一郎 | Wikipedia |
新美 卯一郎(にいみ ういちろう、1879年1月12日 - 1911年1月24日)は、明治期の社会主義者である。幸徳事件(大逆事件)で処刑された12名の1人。 | ||
85 | 松尾卯一太 | Wikipedia |
松尾 卯一太(まつお ういった、1879年1月27日 - 1911年1月24日)は、社会主義者である。幸徳事件(大逆事件)で処刑された12名の1人。 | ||
86 | 小山東助 気仙沼市 | Wikipedia |
小山 東助(おやま とうすけ、1879年(明治12年)11月24日 - 1919年(大正8年)8月25日)は、衆議院議員(公友倶楽部→憲政会)、ジャーナリスト、教育者。号は鼎浦。 |
俳人・歌人・詩人・歌人
87 | 山川登美子 | Wikipedia |
山川登美子(やまかわ とみこ、1879年(明治12年)7月19日 - 1909年(明治42年)4月15日)は、歌人である。本名・とみ。 | ||
88 | 犬童球渓 人吉市 | Wikipedia |
犬童 球渓(いんどう きゅうけい、1879年4月20日 - 1943年10月19日)は、日本の詩人、作詞家、教育者。熊本県人吉市出身。東京音楽学校卒業。本名は「犬童信蔵」というが、球磨川の渓谷に生まれたことから「球渓」というペンネームをつけた。1943年、人吉で自殺。 | ||
89 | 青木月斗 大阪市 | Wikipedia |
青木 月斗(あおき げっと、1879年(明治12年)11月20日 - 1949年(昭和24年)3月17日)は、正岡子規門の俳人。本名は青木新護。 | ||
90 | 新免一五坊 | Wikipedia |
新免一五坊(しんめん いちごぼう、1879年(明治12年) - 1941年(昭和16年))は、日本の俳人・教員。本名は睦之助。後に藤木姓を名乗る。 | ||
91 | 松岡荒村 八代市 | Wikipedia |
松岡 荒村(まつおか こうそん、1879年(明治12年)5月8日 - 1904年(明治37年)7月23日)は、詩人、評論家。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
92 | 小野葉桜 美郷町 | Wikipedia |
小野 葉桜(おの はざくら、 明治12年(1879年)6月15日 - 昭和17年(1942年))は、日本の歌人。 本名・岩治(いわじ)。 | ||
93 | 北嶋南五 五城目町 | Wikipedia |
北嶋 南五(きたじま なんご、1879年3月12日 - 1951年4月2日)は、俳人である。五城目町長などの公職も歴任した。 | ||
94 | 長塚節 常総市 | Wikipedia |
長塚 節(ながつか たかし、1879年(明治12年)4月3日 - 1915年(大正4年)2月8日)は、歌人、小説家。 | ||
95 | 臼田亞浪 | Wikipedia |
臼田 亞浪(うすだ あろう、1879年(明治12年)2月1日 - 1951年(昭和26年)11月11日)は日本の俳人。本名は臼田卯一郎(ういちろう)。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
96 | 斎藤瀏 | Wikipedia |
斎藤 瀏(さいとう りゅう、1879年4月16日 - 1953年7月5日)は、日本の陸軍軍人、歌人。同じく歌人の斎藤史は長女。 |
その他の職業
97 | 南弥右衛門 すさみ町 | Wikipedia |
南 弥右衛門(みなみ やえもん、明治12年(1879年)12月2日 - 昭和48年(1973年)5月7日)は、明治時代から昭和時代にかけての日本の農民、カリフォルニア移民。和歌山県西牟婁郡江住村出身。明治38年(1905年)渡米。農業労働者から身を興して農場主となり、「サンタマリアのレタス王」と呼ばれるほどの成功を収めた。 | ||
98 | 阿部正己 酒田市 | Wikipedia |
阿部 正己(あべ まさき、1879年3月23日 - 1946年3月15日)は、日本の歴史家。 | ||
99 | 手塚縫蔵 塩尻市 | Wikipedia |
手塚 縫蔵(てづか ぬいぞう、1879年1月12日 - 1954年8月16日)は日本の教育者。基督者。 |