出身で1878年生まれの有名人

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演奏家・作詞家・作曲家・ミュージシャン
 1  京山若丸    白市村Wikipedia
京山 若丸(きょうやま わかまる、1878年(明治11年) - 1953年(昭和28年)5月13日)は、明治~昭和期の浪曲師。本名、坂上仁三郎。広島県白市村(現・東広島市)出身。
 2  岡野貞一    鳥取市Wikipedia
岡野 貞一(おかの ていいち、1878年2月16日 - 1941年12月29日)は 、日本の作曲家。


舞台・演劇・映画・ドラマ・脚本・プロデューサー・ディレクター
 3  東猛夫    神戸市Wikipedia
東 猛夫(あずま たけお、1878年9月15日 - 没年不詳)は、日本の俳優である[3][4]。本名は同じとする資料も在るが、金網 正之助(かなあみ しょうのすけ)[3][4]。吾妻 猛夫と表記に揺れがある。新派の女形として、サイレント映画の現代劇に出演した。身長は5尺1寸(約154.5センチメートル)、体重は13貫600匁(約48.8キログラム)[3][4]。
 4  嵐冠三郎    京都市Wikipedia
嵐 冠三郎(あらし かんざぶろう、1878年 - 没年不詳)は、日本の俳優、元子役、元女形である[3][4][5][6][7][8][9][10][11]。本名は北岡 力松(きたおか りきまつ)。関西歌舞伎から初期のサイレント映画に転向して牧野省三の映画製作を支えた、マキノ最古参俳優である[4]。
 5  小林弥六    金沢市Wikipedia
小林 弥六(こばやし やろく、1878年11月1日 - 1943年3月22日)は、日本の映画監督。
 6  牧野省三    Wikipedia
牧野 省三(まきの しょうぞう、1878年9月22日 - 1929年7月25日)は、日本の映画監督、映画製作者、脚本家、実業家である。


ジャーナリスト
 7  高石真五郎    市原市Wikipedia
高石 真五郎(たかいし しんごろう、1878年(明治11年)9月22日 - 1967年(昭和42年)2月25日)は、日本のジャーナリスト、実業家。国際オリンピック委員会(IOC)委員。毎日新聞社最高顧問。特殊法人日本自転車振興会第2代会長。


格闘技
 8  野州山孝市    真岡市Wikipedia
野州山孝市(やしゅうざんこういち、1878年8月2日-1936年1月23日)は、尾上部屋、出羽海部屋に所属した元力士。本名は直井幸一。現在の栃木県真岡市(旧芳賀郡)出身。170cm、84kg。最高位は西前頭10枚目。
 9  屋比久孟伝    Wikipedia
屋比久 孟伝(やびく もうでん、1878年 - 1941年)は明治期から昭和初期にかけての空手家。沖縄県首里出身。
 10  梅ヶ谷藤太郎    富山市Wikipedia
梅ヶ谷 藤太郎(うめがたに とうたろう、1878年3月11日 - 1927年9月2日)は、富山県上新川郡水橋町(現・富山県富山市)出身の元大相撲力士。第20代横綱。本名は押田 音次郎(おしだ おとじろう)で、後に小江 音松(おえ おとまつ)となる。
 11  緑嶌友之助    滑川市Wikipedia
緑嶌 友之助(みどりしま とものすけ、1878年1月12日 - 1952年12月16日)は、石川県上新川郡(現:富山県滑川市)出身の元大相撲力士。本名は高木 友之助(たかぎ とものすけ)。
 12  梅ヶ谷藤太郎(2代)    富山市Wikipedia
梅ヶ谷 藤太郎(うめがたに とうたろう、1878年3月11日 - 1927年9月2日)は、富山県上新川郡水橋町(現・富山県富山市)出身の元大相撲力士。第20代横綱。本名は押田 音次郎(おしだ おとじろう)で、後に小江 音松(おえ おとまつ)となる。
 13  前田光世    弘前市Wikipedia
前田 光世(まえだ みつよ、男性、1878年12月18日 - 1941年11月28日)は、講道館黎明期の柔道家(7段)である。ブラジル帰化後の本名はコンデ・コマ(Conde Koma)。グレイシー一族に柔術を伝えた人物として知られる。
早稲田大学出身      出身の早稲田大学の出身者      全国の早稲田大学の出身者
 14  男嶌舟藏    由利本荘市Wikipedia
男嶌 舟藏(おとこじま せんぞう、1878年2月18日 -1943年12月1日)は、秋田県由利郡鳥海町(現在の由利本荘市)出身で出羽海部屋(入門時は秀ノ山部屋)所属の元大相撲力士。本名は三船専造(みふね せんぞう)。得意手は左四つ、吊り、寄り。現役時代の体格は176cm、98kg。最高位は前頭12枚目(1908年1月場所・5月場所)。
 15  小柳芦太郎    砺波市Wikipedia
小柳芦太郎(こやなぎあしたろう、1878年7月1日-1946年4月20日)は、高砂部屋に所属した元力士。本名は安ヶ川芳太郎。現在の富山県砺波市出身。164cm、110kg。最高位は西前頭2枚目。
 16  坂井賢一    Wikipedia
坂井賢一(さかい けんいち 1878年(明治11年)-1964年(昭和39年))は岐阜県富加町出身の剣道家(範士)。
 17  藤見嶽虎之助    二本松市Wikipedia
藤見嶽虎之助(ふじみだけとらのすけ、1878年6月18日-1923年7月15日)は、藤島部屋、尾車部屋に所属した元力士。7代藤島。本名は神田久助。現在の福島県二本松市出身。165cm、71kg。最高位は西前頭3枚目。


サッカー
 18  中村覚之助    那智勝浦町Wikipedia
中村 覚之助(なかむら かくのすけ、1878年5月 - 1906年7月3日)は、日本のサッカー選手・指導者。サッカーを初めて日本に紹介、その普及に貢献した。


漫画家・イラスト・ゲーム
 19  谷脇素文    Wikipedia
谷脇 素文(たにわき そぶん、1878年12月15日 - 1946年4月28日)は、日本の漫画家、挿絵画家。本名は、谷脇清澄。


作家・小説家・エッセイ・文筆・翻訳家・編集者・評論家
 20  千葉亀雄    美里町Wikipedia
千葉 亀雄(ちば かめお、1878年(明治11年)9月24日 - 1935年(昭和10年)10月4日)は、日本の評論家、ジャーナリスト。山形県酒田市に生まれ、5歳から母の実家がある宮城県美里町、13歳から仙台市で育つ。早稲田大学高等師範部中退。はじめ江東の号で小説を書いたが、以後国民新聞、読売新聞、時事新報、東京日日新聞など新聞の社会部長や学芸部長を務め、その傍ら文芸評論も書いた。『サンデー毎日』編集長として「サンデー毎日新人賞」を開始するなど大衆文学にもかかわる。
 21  石田政次郎    高岡市Wikipedia
石田政次郎(いしだ まさじろう、1878年3月 - 没年不明)は、明治時代の東京の鋳金家である。号は政一。
 22  松崎天民    真庭市Wikipedia
松崎 天民(まつざき てんみん、1878年5月18日 - 1934年7月22日)は、日本の作家、新聞記者。都市風俗、特にアンダーグランドの探訪を得意とし、『淪落の女』『銀座』などを著した。神戸事件の滝善三郎は祖母の弟。
 23  坪内鋭雄    名古屋市Wikipedia
坪内 鋭雄(つぼうち としお、1878年6月12日 - 1904年7月24日)は、日本の作家、教育者。坪内逍遥の甥。号は孤景(こけい)。
 24  黒田湖山    甲賀市Wikipedia
黒田 湖山(くろだ こざん、1878年(明治11年)5月25日 - 1926年(大正15年)2月18日)は、日本の小説家、記者。本名は直道。滋賀県甲賀郡水口町(現:甲賀市)生まれ。
 25  有島武郎    小石川Wikipedia
有島 武郎(ありしま たけお、1878年(明治11年)3月4日 - 1923年(大正12年)6月9日)は、日本の小説家。
北海道大学出身      出身の北海道大学の出身者      全国の北海道大学の出身者
 26  真山青果    Wikipedia
真山 青果(まやま せいか、旧字体:眞山 靑果、1878年(明治11年)9月1日 - 1948年(昭和23年)3月25日)は、日本の劇作家・小説家。本名は、真山 彬(まやま あきら)。


建築家・建築学者・技術者
 27  青山士    磐田市Wikipedia
青山 士(あおやま あきら、1878年9月23日 - 1963年3月21日)は、静岡県磐田市生まれの土木技術者。パナマ運河建設に携わった唯一の日本人であり、荒川放水路の建設、信濃川大河津分水路の改修工事を指揮した。
 28  佐藤功一    Wikipedia
佐藤 功一(さとう こういち、1878年7月2日 - 1941年6月22日)は、日本の建築家。
東京大学出身      出身の東京大学の出身者      全国の東京大学の出身者


経営者・実業家
 29  下中弥三郎    篠山市Wikipedia
下中 弥三郎(しもなか やさぶろう、1878年6月12日 - 1961年2月21日)は、平凡社の創業者、教員組合の創始者、また労働運動や農民運動の指導者。下中芳岳ともいう。
 30  十一代目伊藤伝七    四日市市Wikipedia
11代目伊藤伝七(じゅういちだいめ いとうでんしち、1878年(明治11年)10月 - 1960年(昭和35年)6月26日)は、三重県四日市市出身の実業家。三岐鉄道社長。10代目伊藤伝七の甥で養子。
 31  三島海雲    箕面市Wikipedia
三島 海雲(みしま かいうん、1878年7月2日 - 1974年12月28日)は、日本の実業家。カルピス株式会社創業者。
龍谷大学出身      出身の龍谷大学の出身者      全国の龍谷大学の出身者
 32  吉田権太郎    札幌市Wikipedia
吉田 権太郎(よしだ ごんたろう、1878年3月5日 - 1940年3月1日)は、日本の軍馬および競走馬生産者。北海道勇払郡安平町に所在する吉田牧場の創業者。
 33  野間清治    Wikipedia
野間 清治(のま せいじ、1878年12月17日 - 1938年10月16日)は、講談社創業者であり、元報知新聞社社長。「雑誌王」とよばれ、昭和時代前期の出版界を牽引した。
群馬大学出身      出身の群馬大学の出身者      全国の群馬大学の出身者
 34  眞鍋嘉一郎    西条市Wikipedia
真鍋 嘉一郎(まなべ かいちろう、正字体:眞鍋 嘉一郞、1878年(明治11年)8月8日 - 1941年(昭和16年)12月29日)は、明治後期から昭和初期の医学者、日本における物理療法(理学療法)、レントゲン学、温泉療法の先駆者。東京帝国大学教授。日本内科学会会頭、日本医学放射線学会初代会長を歴任。X線に「レントゲン」の名を初めて使用し日本に定着させたことでも知られ、医聖(いせい)と呼ばれた。族籍は東京府士族。
 35  立川熊次郎    姫路市Wikipedia
立川 熊次郎(たつかわ くまじろう、1878年5月15日 - 1932年1月9日)は、日本の実業家、出版人である。立川文明堂社主。大正時代に爆発的な人気を誇り、その後の日本の剣豪小説・剣戟映画に影響を与えた「立川文庫」の創設者として知られる。
 36  新田仲太郎    松山市Wikipedia
新田 仲太郎(にった なかたろう、1878年(明治11年)12月8日 - 1969年(昭和44年)12月2日)は、日本の実業家(海運業、内外汽船社長、新田汽船代表[3][4])、資産家[5]、愛媛県多額納税者[6]、新田中学校(現新田高等学校)創立者。族籍は愛媛県平民[6]。
 37  徳田昂平    Wikipedia
徳田 昂平 (とくだ こうへい、1878年5月 - 1951年10月5日)は日本の実業家、相場師。徳田商会(のちの内外証券、東海東京証券)社長、日本証券取引所総裁、貴族院議員、大蔵省証券取引委員会委員長等を務めた。
一橋大学出身      出身の一橋大学の出身者      全国の一橋大学の出身者
 38  古川鉄治郎    豊郷町Wikipedia
古川 鉄治郎(ふるかわ てつじろう、1878年2月12日 - 1940年1月19日)は、日本の実業家、丸紅商店(後の丸紅の前身)専務取締役などを歴任した。また、出身地である豊郷村(後の豊郷町)に、ヴォーリズ建築事務所の設計による、当時としては画期的な近代的校舎を擁する豊郷村小学校(豊郷町立豊郷小学校の前身)を寄付したことでも知られている。
 39  佐藤義亮    仙北市Wikipedia
佐藤 義亮(さとう よしすけ(ぎりょう)、明治11年(1878年)2月18日 - 昭和26年(1951年)8月18日)は、新潮社の創立者。雑誌「新潮」を発行した。哲学館(現在の東洋大学)夜間部卒。
東洋大学出身      出身の東洋大学の出身者      全国の東洋大学の出身者
 40  下河辺建二    Wikipedia
下河辺 建二(しもこうべ けんじ、1878年(明治11年)10月 - 1964年(昭和39年)2月28日)は、日本の実業家。大阪府平民。
大阪市立大学出身      出身の大阪市立大学の出身者      全国の大阪市立大学の出身者


軍人
 41  坂田祐    鹿角市Wikipedia
坂田 祐(さかた たすく、旧姓・中村、1878年2月12日 - 1969年12月6日)は、日本の陸軍軍人、教育者、関東学院院長。学校法人関東学院の基礎作りに貢献した。
 42  中村良三    弘前市Wikipedia
中村良三(なかむら りょうぞう、1878年(明治11年)7月26日-1945年(昭和20年)3月1日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将、位階勲等は正三位 勲一等 功五級。米内内閣の内閣参議。
 43  平賀譲    Wikipedia
平賀 譲(ひらが ゆずる、1878年(明治11年)3月8日 - 1943年(昭和18年)2月17日)は、日本の海軍軍人、工学者、華族。海軍技術中将従三位男爵、東京帝大総長、工学博士。東京府(現・東京都)生まれ、本籍地は広島県広島市。父は芸州藩士から維新政府に仕えた主計官。兄・徳太郎は海軍軍人。
 44  高柳直夫    Wikipedia
高柳 直夫(たかやなぎ ただお、1878年5月4日 - 1904年(明治37年)5月3日)は、日本の海軍軍人。第三回旅順港閉塞作戦で「江戸丸」指揮官を務め戦死した海軍少佐である。従六位勲五等功五級。
 45  川島義之    Wikipedia
川島義之(かわしま よしゆき、明治11年(1878年)5月25日 - 昭和20年(1945年)9月8日)は日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。愛媛県生まれ。
 46  松井石根    名古屋市Wikipedia
松井 石根(まつい いわね、明治11年(1878年)7月27日 - 昭和23年(1948年)12月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。荒尾精の信奉者として、「日中提携」「アジア保全」の運動に生涯をかけたが、ポツダム宣言受諾後、「南京事件」の責任を問われて極東国際軍事裁判(東京裁判)にて死刑判決(B級戦犯[2])を受け、処刑された。
 47  小松慶也    Wikipedia
小松 慶也(こまつ けいや、1878年2月3日 - 1939年6月16日)は、明治の陸軍騎兵大尉。1910年にアルゼンチンへ移民し、牧場主となった。
 48  平賀譲    Wikipedia
平賀 譲(ひらが ゆずる、1878年(明治11年)3月8日 - 1943年(昭和18年)2月17日)は、日本の海軍軍人、工学者、華族。海軍技術中将従三位男爵、東京帝大総長、工学博士。東京府(現・東京都)生まれ、本籍地は広島県広島市。父は芸州藩士から維新政府に仕えた主計官。兄・徳太郎は海軍軍人。
 49  西義一    Wikipedia
西 義一(にし よしかず、明治11年(1878年)1月1日 - 昭和16年(1941年)4月15日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大将正三位勲一等功二級。
 50  岡本連一郎    Wikipedia
岡本 連一郎(おかもと れんいちろう、1878年1月21日 - 1934年2月23日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。


官僚
 51  長島隆二    現鴻巣市Wikipedia
長島 隆二(ながしま りゅうじ、1878年(明治11年)11月29日 - 1940年(昭和15年)10月8日)は、日本の大蔵官僚、衆議院議員(立憲同志会→革新倶楽部→立憲政友会)。桂太郎の娘婿。


学者・教授・准教授
 52  春日政治    Wikipedia
春日 政治(かすが まさじ、1878年4月1日 – 1962年6月30日)は、日本の国語学者。平安時代初期の古経典から仮名や古訓点の研究に業績を残し、訓点語学の基礎を築いた。
 53  昇曙夢    Wikipedia
昇 曙夢(のぼり しょむ、1878年7月17日 - 1958年11月22日)は、ロシア文学者。正教会の信徒であり、ニコライ・カサートキンの門下生の一人としても知られる。晩年には奄美群島の本土復帰運動に尽力した。
 54  真鍋嘉一郎    Wikipedia
真鍋 嘉一郎(まなべ かいちろう、正字体:眞鍋 嘉一郞、1878年(明治11年)8月8日 - 1941年(昭和16年)12月29日)は、明治後期から昭和初期の医学者、日本における物理療法(理学療法)、レントゲン学、温泉療法の先駆者。日本内科学会会頭、日本医学放射線学会初代会長を歴任。X線に「レントゲン」の名を初めて使用し日本に定着させたことでも知られ、医聖(いせい)と呼ばれた。
 55  深田康算    会津若松市Wikipedia
深田 康算(ふかだ やすかず、1878年(明治11年)10月19日 - 1928年(昭和3年)11月12日)は、日本の美学者。京都帝国大学教授。山形県生まれ。父は旧会津藩士深田康守で、その長男。大塚保治とともに日本における美学研究の先駆者となる。中井正一は門下生で、深田の死後その全集の編纂を行った[3]。
 56  中沢臨川    中川村Wikipedia
中沢 臨川(なかざわ りんせん、1878年(明治11年)10月28日 - 1920年(大正9年)8月9日)は、日本の文芸評論家、電気工学者。本名は重雄。
 57  安藤正次    Wikipedia
安藤 正次(あんどう まさつぐ、1878年9月13日 - 1952年11月18日)は、日本の国語学者。元台北帝国大学総長、東洋大学教授、文部省国語審議会会長。
皇學館大学出身      出身の皇學館大学の出身者      全国の皇學館大学の出身者
 58  佐々木惣一    鳥取市Wikipedia
佐々木 惣一(ささき そういち、1878年(明治11年)3月28日 - 1965年(昭和40年)8月4日)は、日本の憲法学者、行政法学者。法学博士。貴族院議員(勅選)。京都大学名誉教授。立命館大学学長。京都市名誉市民。文化功労者、文化勲章受章者。贈正三位、贈勲一等瑞宝章(没時追贈)。
 59  荒川文六    横浜市Wikipedia
荒川 文六(あらかわ ぶんろく、1878年11月18日 - 1970年2月9日)は、日本の電気工学者。九州帝国大学総長。工学博士(1911年)。
東京帝国大学出身      出身の東京帝国大学の出身者      全国の東京帝国大学の出身者
 60  斎藤常三郎    Wikipedia
斎藤 常三郎(さいとう つねさぶろう、1878年(明治11年)11月20日 – 1951年(昭和26年)7月22日) は、日本の法学者。和議法、破産法の権威者[5]で、神戸商大、京都帝大の各教授、会津短大学長を歴任した。「和議制度の研究」で京都帝大法学博士[6]、日本学士院会員。
 61  林頼三郎    行田市Wikipedia
林 頼三郎(はやし らいざぶろう、1878年(明治11年)9月6日 - 1958年(昭和33年)5月7日)は、現在の埼玉県行田市出身の刑法法学者。検事総長・大審院院長・司法大臣を歴任した。
中央大学出身      出身の中央大学の出身者      全国の中央大学の出身者
 62  山崎寿春    鳥取市Wikipedia
山崎 寿春(やまざき としはる、1878年 - 1964年)は、日本の教育者。
東京外国語大学出身      出身の東京外国語大学の出身者      全国の東京外国語大学の出身者
 63  阿刀田令造    Wikipedia
阿刀田 令造(あとうだ れいぞう、1878年8月7日 - 1947年5月21日)は、日本の西洋史学者である。宮城県仙台市の(旧制)第二高等学校第9代校長を務めた。
 64  垣内松三    高山市Wikipedia
垣内 松三(かいとう まつぞう、1878年1月11日 - 1952年8月25日)は、日本の国語教育学者、国文学者。
東京帝国大学出身      出身の東京帝国大学の出身者      全国の東京帝国大学の出身者
 65  上杉慎吉    加賀市 Wikipedia
上杉 慎吉(うえすぎ しんきち、1878年(明治11年)8月18日 - 1929年(昭和4年)4月7日)は、明治後期から昭和初期にかけての日本の憲法学者。天皇主権説を主張する君権学派(神権学派)であり、天皇機関説と激しい論争を展開した。
東京大学出身      出身の東京大学の出身者      全国の東京大学の出身者
 66  松下大三郎     磐田市Wikipedia
松下 大三郎(まつした だいざぶろう、1878年10月24日 - 1935年5月2日)は、日本の文法学者。曲水と号した。
 67  有島武郎    ニセコ町Wikipedia
有島 武郎(ありしま たけお、1878年(明治11年)3月4日 - 1923年(大正12年)6月9日)は、日本の小説家。
 68  松岡静雄    福崎町Wikipedia
松岡 静雄(まつおか しずお、1878年5月1日 - 1936年5月23日)は、日本の海軍軍人、言語学者、民族学者。最終階級は海軍大佐。兄に柳田國男がいる。
 69  鈴木虎雄    Wikipedia
鈴木 虎雄(すずき とらお、1878年〈明治11年〉1月18日 - 1963年〈昭和38年〉1月20日)は、古典中国文学者。新潟県西蒲原郡粟生津村(のち吉田町、現在は燕市に合併)出身。
東京大学出身      出身の東京大学の出身者      全国の東京大学の出身者
 70  吉田良三    高知市Wikipedia
吉田 良三(よしだ りょうぞう、1878年1月10日 - 1944年7月12日)は、日本の会計学者。東京商科大学(現一橋大学)名誉教授。近代簿記会計の開拓者として知られる。早稲田大学教授、東京商科大学教授、中央大学教授を歴任し、会計教育でも大きな影響力を持った。
 71  今裕    Wikipedia
今 裕(こん ゆたか、1878年(明治11年)2月7日 - 1954年(昭和29年)2月5日)は、日本の医学者。医学博士。専門は病理学・細菌学。
 72  牧野英一    高山市Wikipedia
牧野 英一(まきの えいいち、1878年3月20日 - 1970年4月18日)は、岐阜県高山市出身の法学者。専門は刑事法。元東京帝国大学名誉教授、元東京商科大学(一橋大学の前身)名誉講師。従二位勲一等瑞宝章。
一橋大学出身      出身の一橋大学の出身者      全国の一橋大学の出身者


研究者・研究家・発明家
 73  日野熊蔵    人吉市Wikipedia
日野 熊蔵(ひの くまぞう、1878年6月9日 - 1946年1月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍歩兵中佐。発明家としての一面も持ち、日本の航空界黎明期のパイロットの1人であった。
 74  矢頭良一    豊前市Wikipedia
矢頭 良一(やず りょういち、1878年(明治11年)6月30日 - 1908年(明治41年)10月16日)は、日本の発明家。「漢字早繰辞書」や自働算盤と呼んだ機械式計算機を発明し、これらの製造・販売で得た資本をもとにして中学校時代から興味を持った鳥類の飛翔を研究し、動力航空機の発明を試みたが31歳で没した。
 75  一戸直蔵    旧越水村Wikipedia
一戸 直蔵(いちのへ なおぞう、1878年8月14日 - 1920年11月26日[2])は日本の天文学者、科学ジャーナリスト[3]。日本で最初の変光星の観測者、研究者であり[4]、ジャーナリストとしては反アカデミズムの立場をとったことでも知られている[4]。
東京大学出身      出身の東京大学の出身者      全国の東京大学の出身者


画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家・漆芸家・工芸家
 76  湯浅桑月    Wikipedia
湯浅 桑月(ゆあさ そうげつ、1878年8月28日 - 1929年7月16日)は、日本の画家。名は茂、初号は茂胤。徳島県徳島市幟町出身。
 77  鏑木清方    Wikipedia
鏑木 清方(かぶらき きよかた、1878年(明治11年)8月31日 - 1972年(昭和47年)3月2日)は、明治~昭和期の浮世絵師、日本画家。なお、姓は「かぶらぎ」でなく「かぶらき」と読むのが正しい。
 78  赤松麟作    津山市Wikipedia
赤松 麟作(あかまつ りんさく、1878年1月20日または10月11日[3] - 1953年11月24日)は、日本の洋画家、教育者。
 79  田嶼碩朗    坂井市Wikipedia
田嶼 碩朗(たじま せきろう、1878年7月4日 - 1946年3月30日)は日本の彫刻家。明治期から昭和時代初期にかけて活躍した。福井県出身。


政治家・議員・首長
 80  広田弘毅    福岡市Wikipedia
広田 弘毅(ひろた こうき、旧字体:廣田、1878年(明治11年)2月14日 - 1948年(昭和23年)12月23日)は、日本の外交官、政治家。勲等は勲一等。旧名は丈太郎(じょうたろう)。
東京大学出身      出身の東京大学の出身者      全国の東京大学の出身者
 81  松平保男    会津若松市Wikipedia
松平 保男(まつだいら もりお、1878年(明治11年)12月6日 - 1944年(昭和19年)1月19日)は、会津松平家の12代目当主で雍仁親王妃勢津子の養父。日本海軍の軍人として日本海海戦に参戦し、最終階級は海軍少将。また貴族院議員を務めた政治家でもある。会津会総裁、稚松会総裁。位階・勲等・功級・爵位は、正三位勲二等功五級子爵。霊号は海誠霊神。
 82  田部長右衛門 (22代)    安来市Wikipedia
22代目田部 長右衛門(22だいめ たなべ ちょうえもん 明治11年(1878年)1月31日 - 昭和31年(1956年)6月)は日本の実業家、政治家。奥出雲の山林大地主田部家の第22代当主。元貴族院議員。農業。島根県多額納税者。勲四等[2]。旧姓は宇山、名は茂秋。
早稲田大学出身      出身の早稲田大学の出身者      全国の早稲田大学の出身者
 83  内貴清兵衛    京都市Wikipedia
内貴 清兵衛(ないき せいべえ、1878年(明治11年) - 1955年(昭和30年))は日本の実業家、文化人。日本新薬の創設者、島津製作所・日本電池・京都織物などの役員を歴任、北大路魯山人等のパトロン。元京都市長・内貴甚三郎の長男。洛北や城南に広大な土地を保有した。 田中源太郎、中井三郎兵衛らとともに「京都四天王」とよばれた。
 84  国分謙吉    Wikipedia
国分 謙吉(こくぶん けんきち、1878年(明治11年)2月3日 - 1958年(昭和33年)11月24日)は、農政指導者、政治家。岩手県知事2期(1947年 - 1955年)。
 85  吉田茂    Wikipedia
吉田 茂(よしだ しげる、1878年(明治11年)9月22日 - 1967年(昭和42年)10月20日)は、日本の外交官、政治家。位階は従一位。勲等は大勲位。
 86  岡田忠彦    Wikipedia
岡田 忠彦(おかだ ただひこ、1878年3月21日 - 1958年10月30日)は、日本の官僚・政治家、衆議院議員(8期)。第35代衆議院議長。
東京大学出身      出身の東京大学の出身者      全国の東京大学の出身者
 87  出淵勝次    盛岡市Wikipedia
出淵 勝次(でぶち かつじ、1878年7月25日 - 1947年8月19日)は、日本の外交官・政治家。外務次官、在アメリカ合衆国日本大使、勅撰貴族院議員、参議院議員等を務めた。
 88  双木利一    Wikipedia
双木 利一(なみき りいち、1878年3月2日 - 1939年8月8日)は、埼玉県の政治家。飯能町(現飯能市)長、双木八郎の長男。
 89  川喜田半泥子    津市Wikipedia
川喜田 半泥子(かわきた はんでいし、1878年(明治11年)11月6日 - 1963年(昭和38年)10月26日)は、日本の陶芸家・実業家・政治家。「東の魯山人、西の半泥子」、「昭和の光悦」などと称される。本名は久太夫政令(きゅうだゆうまさのり)、幼名は「善太郎」。号は「半泥子」の他に、「無茶法師」「其飯(そのまま)」等。
 90  宮城長五郎    Wikipedia
宮城 長五郎(みやぎ ちょうごろう、1878年9月5日 - 1942年6月25日)は、明治から昭和にかけての裁判官、検察官、政治家。司法大臣、貴族院議員。
 91  西野嘉右衛門    小松島市Wikipedia
15代 西野 嘉右衛門(にしの かえもん、1878年(明治11年)1月10日 - 1967年(昭和42年)5月16日[3])は、日本の実業家、政治家。藍商・酒造業、西野嘉右衛門家15代当主[4][注 1]、貴族院多額納税者議員。旧名・保太郎[4][5]。
 92  古屋野橘衛    倉敷市Wikipedia
古屋野 橘衛(こやの きつえ、1878年1月1日 - 1957年4月10日)は、岡山県都窪郡豊洲村(現・倉敷市)出身の地方政治家。
京都帝国大学出身      出身の 京都帝国大学の出身者      全国の 京都帝国大学の出身者


評論家
 93  千葉亀雄    Wikipedia
千葉 亀雄(ちば かめお、1878年(明治11年)9月24日 - 1935年(昭和10年)10月4日)は、日本の評論家、ジャーナリスト。山形県酒田市に生まれ、5歳から母の実家がある宮城県美里町、13歳から仙台市で育つ。早稲田大学高等師範部中退。はじめ江東の号で小説を書いたが、以後国民新聞、読売新聞、時事新報、東京日日新聞など新聞の社会部長や学芸部長を務め、その傍ら文芸評論も書いた。大正末から昭和初年にかけての大きな文学潮流となった「新感覚派」の命名者として知られる。
 94  中島孤島    Wikipedia
中島 孤島(なかじま ことう、1878年10月27日 - 1946年4月9日)は、日本の小説家、評論家、翻訳家。本名は茂一。
 95  斎藤野の人    Wikipedia
斎藤 野の人(さいとう ののひと、本名:斎藤信策(ーしんさく)、1878年〈明治11年〉 - 1909年〈明治42年〉)は、日本の評論家。


宗教家・思想家・運動家
 96  吉野作造    Wikipedia
吉野 作造(よしの さくぞう 1878年(明治11年)1月29日 - 1933年(昭和8年)3月18日)は、大正時代を中心に活躍した日本の政治学者、思想家である。東京帝国大学で教壇に立ち、大正デモクラシーの立役者となった。初名は「作蔵」、1917年5月「作造」に改名。号は「古川学人」。弟は商工官僚・政治家の吉野信次。
東京大学出身      出身の東京大学の出身者      全国の東京大学の出身者


俳人・歌人・詩人・歌人
 97  与謝野晶子    堺市Wikipedia
与謝野 晶子(正字: 與謝野 晶子、よさの あきこ、1878年(明治11年)12月7日 - 1942年(昭和17年)5月29日)は、日本の歌人、作家、思想家。
 98  逢坂藍水    つるぎ町Wikipedia
逢坂 藍水(おうさか らんすい、1878年(明治11年)11月13日 - 1949年(昭和24年)2月11日)は、徳島県美馬郡つるぎ町(旧半田町)出身の歌人。
 99  寺田寅彦    Wikipedia
寺田 寅彦(てらだ とらひこ、1878年(明治11年)11月28日 - 1935年(昭和10年)12月31日)は、戦前の日本の物理学者、随筆家、俳人であり吉村冬彦(大正11年から使用)、寅日子、牛頓(“ニュートン”)、藪柑子(“やぶこうじ”)の筆名でも知られる。高知県出身(出生地は東京市)。
東京大学出身      出身の東京大学の出身者      全国の東京大学の出身者
 100  横瀬夜雨    下妻市Wikipedia
横瀬 夜雨(よこせ やう、1878年(明治11年)1月1日 - 1934年(昭和9年)2月14日)は、日本の詩人、歌人。
 101  松根東洋城    Wikipedia
松根 東洋城(まつね とうようじょう、1878年2月25日 - 1964年10月28日)は俳人。本名は豊次郎で俳号はこれをもじったもの。夏目漱石の門下生。
 102  与謝野晶子    渋谷区Wikipedia
与謝野 晶子(正字: 與謝野 晶子、よさの あきこ、1878年(明治11年)12月7日 - 1942年(昭和17年)5月29日)は、日本の歌人、作家、思想家。 戸籍名与謝野 志やう(よさの しょう)。旧姓鳳(ほう)。ペンネームの「晶子」の「晶」は、本名の「しょう」から取った。夫は与謝野鉄幹(与謝野寛)。
 103  平出修    Wikipedia
平出 修(ひらいで しゅう、1878年(明治11年)4月3日 - 1914年(大正3年)3月17日)は、日本の小説家・作家・歌人・弁護士。幸徳事件(大逆事件)で弁護人をつとめた。
明治大学出身      出身の明治大学の出身者      全国の明治大学の出身者
 104  寺田寅彦    Wikipedia
寺田 寅彦(てらだ とらひこ、1878年(明治11年)11月28日 - 1935年(昭和10年)12月31日)は、戦前の日本の物理学者、随筆家、俳人であり吉村冬彦(大正11年から使用)、寅日子、牛頓(“ニュートン”)、藪柑子(“やぶこうじ”)の筆名でも知られる。高知県出身(出生地は東京市)。
東京大学出身      出身の東京大学の出身者      全国の東京大学の出身者


その他の職業
 105  北脇永治    鳥取市Wikipedia
北脇 永治(きたわき えいじ、1878年10月1日 - 1950年1月23日)は、鳥取県松保村(現在の鳥取市桂見)出身の梨農家。鳥取での二十世紀梨の栽培・普及に尽力した篤農家である。
 106  結城弘毅    札幌市Wikipedia
結城弘毅(ゆうき こうき、1878年12月 - 1956年)は、鉄道省(国鉄を当時運営)の局員であった人物。
 107  栗岩英治    飯山市Wikipedia
栗岩 英治(くりいわ えいじ、1878年10月1日 - 1946年9月11日)は日本の郷土史家、新聞記者。号は酔古など。


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