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宝塚・女優・俳優・声優・ナレーター・歌舞伎・能楽・狂言
1 | 實川延若(2代目) 大阪市 | Wikipedia |
二代目 實川 延若(新字体:実川、じつかわ えんじゃく、1877年(明治10年)12月11日 - 1951年(昭和26年)2月22日)は、大阪出身の歌舞伎役者。本名は天星 庄右衛門(あまぼし しょうえもん)。屋号は河内屋。定紋は重ね井筒、替紋は五つ雁金。 | ||
2 | 二代目實川延若 | Wikipedia |
二代目 實川 延若(新字体:実川、じつかわ えんじゃく、1877年(明治10年)12月11日 - 1951年(昭和26年)2月22日)は、大阪出身の歌舞伎役者。本名は天星 庄右衛門(あまぼし しょうえもん)。屋号は河内屋。定紋は重ね井筒、替紋は五つ雁金。 | ||
3 | 山本嘉一 | Wikipedia |
山本 嘉一(やまもと かいち、1877年9月6日 - 1939年12月17日)は、日本の俳優である。本名は同じ、ニックネームは山嘉(やまか)。現代劇にも時代劇にも出演した尾上松之助以降の日活の重鎮である[2]。 | ||
4 | 松本長 静岡市 | Wikipedia |
松本長(まつもと ながし、1877年(明治10年)11月11日 - 1935年(昭和10年)11月29日)はシテ方宝生流能楽師。静岡市出身。 |
演奏家・作詞家・作曲家・ミュージシャン
5 | 東くめ 新宮市 | Wikipedia |
東 くめ(ひがし くめ、旧姓:由比(ゆい)、1877年6月30日 - 1969年3月5日)は、和歌山県東牟婁郡新宮町(現:新宮市)出身の童謡作詞家。日本で初めて、口語による童謡を作詞した人物として知られる。1899年に東京女子高等師範学校教授・東基吉と結婚し、東くめとなる。 | ||
6 | 石川義一 | Wikipedia |
石川 義一(いしかわ よしかず、1877年4月13日 - 1962年1月17日)は、日本の作曲家。日本にレオ・オーンスタインのピアノ曲を紹介した。 | ||
7 | 京山小円 尾道市 | Wikipedia |
京山 小円 (きょうやま こえん、1877年(明治)10年3月15日 - 1928年(昭和)3年10月30日)は、浪曲師。広島県尾道生まれ。本名・吉田松吉。京山小圓とも表記する。 | ||
8 | 福井直秋 上市町 | Wikipedia |
福井 直秋(ふくい なおあき、1877年10月17日 - 1963年12月12日)は作曲家、作詞家。富山県出身。 |
舞台・演劇・映画・ドラマ・脚本・プロデューサー・ディレクター
9 | 片岡市太郎 京都市 | Wikipedia |
片岡 市太郎(かたおか いちたろう、1877年2月13日 - 没年不詳)は、日本の元俳優である。本名は塚本 末吉(つかもと すえきち)。横田商会で映画製作を開始して以来の牧野省三を支えた、「マキノ」ブランド初期の主演俳優として知られる。のちに元子役のマキノ登六が「片岡市太郎」を名乗るが、33歳も年齢が違う別人である。 | ||
10 | 畑中蓼坡 | Wikipedia |
演出家 『叔父ワーニャ』 日本初演 『青い鳥』 |
格闘技
11 | 太刀山峯右エ門 富山市 | Wikipedia |
太刀山 峯右エ門(たちやま みねえもん、1877年8月15日 - 1941年4月3日)は、富山県婦負郡(現・富山県富山市)出身の元大相撲力士。第22代横綱。本名は老本 弥次郎(おいもと やじろう)。 | ||
12 | 高野茂義 水戸市 | Wikipedia |
高野 茂義(たかの しげよし、1877年(明治10年) - 1957年(昭和32年))は、日本の剣道家。流派は中西派一刀流。称号は大日本武徳会剣道範士。旧姓は千種。 | ||
13 | 植田平太郎 高松市 | Wikipedia |
植田 平太郎(うえた へいたろう、1877年(明治10年) - 1949年(昭和24年))は、日本の剣道家。流派は天真正伝神道流剣術、無双神伝英信流抜刀術。称号は大日本武徳会剣道範士、居合術教士。 |
囲碁・将棋・麻雀
14 | 井上孝平 | Wikipedia |
井上孝平(いのうえ こうへい、1877年(明治10年)11月 - 1941年(昭和16年)2月11日)は、明治から昭和時代の囲碁棋士。埼玉県入間郡高麗村生まれ、方円社、本因坊秀哉門下に所属。六段。 |
作家・小説家・エッセイ・文筆・翻訳家・編集者
15 | 薄田斬雲 弘前市 | Wikipedia |
薄田 斬雲(うすだ ざんうん、「すすきた ざんうん」とも、1877年(明治10年)1月27日 - 1956年(昭和31年)3月27日)は日本の小説家、ジャーナリスト。伝記作品を多く残した。本名は貞敬。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
16 | 曾我廼家五郎 堺市 | Wikipedia |
曾我廼家 五郎(そがのや ごろう、本名:和田 久一、1877年9月6日 - 1948年11月1日)は、日本の喜劇役者・喜劇作家。大阪府堺市出身。 | ||
17 | 行友李風 尾道市 | Wikipedia |
行友 李風(ゆきとも りふう、明治10年(1877年)3月2日 - 昭和34年(1959年)12月13日)は、大正、昭和期の劇作家、小説家。広島県尾道市土堂町出身。本名は直次郎。 |
弁護士
18 | 山崎今朝弥 | Wikipedia |
山崎 今朝弥(やまざき けさや、山崎今朝彌、1877年9月15日 - 1954年7月29日)は、明治・大正・昭和期の弁護士である。社会主義者の事件を多く扱った。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 |
経営者・実業家
19 | 熊澤一衛 四日市市 | Wikipedia |
熊澤 一衛(くまざわ いちえ) 1877年(明治10年)11月1日-1940年(昭和15年)2月14日は、三重県四日市市出身の大正時代~昭和時代の戦前期の実業家。歌人。伊勢電鉄社長。『校本萬葉集』刊行を支援した伊勢人である。 | ||
20 | 辰馬半右衛門 西宮市 | Wikipedia |
辰馬 半右衛門(たつうま はんえもん、1877年(明治10年)8月11日 - 没年不明)は、日本の政治家・兵庫県武庫郡鳴尾村長[3]、酒造家(銘酒・東自慢醸造本舗)[4][5]、実業家、兵庫県多額納税者[4][6]、海運業者。辰馬商会社長[7]。京都貿易銀行頭取[4]。東辰馬酒造取締役[4]。阪神電気鉄道、日本摂酒各監査役[4]。前名・發蔵[3]。族籍は兵庫県平民[4]。 | ||
21 | 渋谷米太郎 鶴岡市 | Wikipedia |
渋谷 米太郎(しぶや よねたろう、1877年(明治10年) - 1971年(昭和46年))は、日本の実業家。三菱ふそう自動車(株)初代会長、元太平興業(株)相談役、元第一貨物(株)顧問、栄典・称号は、レジオンドヌール勲章・藤島町名誉町民(現・鶴岡市名誉市民) | ||
22 | 大谷竹次郎 京都市 | Wikipedia |
大谷 竹次郎(おおたに たけじろう、1877年12月13日 - 1969年12月27日)は、兄の白井松次郎とともに松竹を創業した日本の実業家。 | ||
23 | 伍堂卓雄 金沢市 | Wikipedia |
伍堂 卓雄(ごどう たくお、1877年(明治10年)9月23日 - 1956年(昭和31年)4月7日)は、日本の政治家、実業家、海軍造兵中将。東京府士族。正三位。工学博士。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
24 | 白井松次郎 京都市 | Wikipedia |
白井 松次郎(しらい まつじろう、1877年12月13日 - 1951年1月23日)は、松竹の創業者の一人(松竹株式会社社長)。興行師、劇場経営者として活躍し、旧態依然たる明治の興行界に近代的なシステムを導入したことで知られる。また上方歌舞伎をはじめ人形浄瑠璃などの古典芸能の保護振興につとめ、その経済的な基盤を支えた面でも功績は大きい。千日土地建物社長、新興キネマ相談役なども務めた。 | ||
25 | 三浦新七 | Wikipedia |
三浦 新七(みうら しんしち、1877年(明治10年)8月12日 - 1947年(昭和22年)8月14日)は、日本の経済学者、実業家。専門は経済史。1942年(昭和17年)帝国学士院会員。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
26 | 石井謹吾 | Wikipedia |
石井 謹吾(いしい きんご、1877年(明治10)10月22日 - 1925年(大正14)9月2日)は、埼玉県出身の政治家、実業家、弁護士、内務官僚。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
27 | 野村吉三郎 | Wikipedia |
野村 吉三郎(のむら きちさぶろう、1877年(明治10年)12月16日 - 1964年(昭和39年)5月8日)は、昭和初期に活躍した日本の海軍軍人、外交官、政治家。和歌山県和歌山市出身。位階勲功等は海軍大将従二位勲一等功二級。 | ||
学習院大学出身 出身の学習院大学の出身者 全国の学習院大学の出身者 | ||
28 | 堀祐平 桐生市 | Wikipedia |
堀 祐平(ほり ゆうへい、1877年(明治10年)3月11日 - 1955年(昭和30年)1月5日)は、日本の実業家・政治家。 |
医師・看護師
29 | 島薗順次郎 和歌山市 | Wikipedia |
島薗 順次郎(しまぞの じゅんじろう、1877年3月12日 - 1937年4月27日)は、医師、内科学者、医学博士。和歌山県和歌山市出身。 |
軍人
30 | 藁谷勇三郎 | Wikipedia |
藁谷 勇三郎(わらがや[* 1] ゆうさぶろう、1877年(明治10年)4月24日 - 没年不明)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。 | ||
31 | 漢那憲和 | Wikipedia |
漢那 憲和(かんな けんわ、1877年9月6日 - 1950年7月29日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍少将。衆議院議員。海軍兵学校27期卒。 | ||
32 | 鳥巣玉樹 | Wikipedia |
鳥巣 玉樹(とす たまき、1877年(明治10年)12月1日 - 1949年(昭和24年)5月21日)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍中将。佐賀県佐賀市出身。 | ||
33 | 林仙之 | Wikipedia |
林 仙之(はやし なりゆき、1877年1月5日 - 1944年5月31日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
34 | 荒木貞夫 狛江市 | Wikipedia |
荒木 貞夫(あらき さだお、1877年(明治10年)5月26日 - 1966年(昭和41年)11月2日)は、日本の陸軍軍人、第1次近衛内閣・平沼内閣の文部大臣、男爵。最終階級は陸軍大将。 | ||
35 | 井上達三 | Wikipedia |
井上 達三(いのうえ たつぞう、1877年(明治10年) - 1950年(昭和25年))は、大日本帝国陸軍の軍人。陸軍中将。 | ||
東北学院大学出身 出身の東北学院大学の出身者 全国の東北学院大学の出身者 | ||
36 | 山梨勝之進 | Wikipedia |
山梨 勝之進(やまなし かつのしん、1877年(明治10年)7月26日 - 1967年(昭和42年)12月17日)は、日本の海軍の軍人。最終階級は海軍大将。従二位勲一等。 | ||
学習院大学出身 出身の学習院大学の出身者 全国の学習院大学の出身者 | ||
37 | 山梨勝之進 船橋市 | Wikipedia |
山梨 勝之進(やまなし かつのしん、1877年(明治10年)7月26日 - 1967年(昭和42年)12月17日)は、日本の海軍軍人。海兵25期次席。最終階級は海軍大将。従二位勲一等。 | ||
38 | 野村吉三郎 | Wikipedia |
野村 吉三郎(のむら きちさぶろう、1877年(明治10年)12月16日 - 1964年(昭和39年)5月8日)は、昭和初期に活躍した日本の海軍軍人、外交官、政治家。和歌山県和歌山市出身。位階勲功等は海軍大将従二位勲一等功二級。 | ||
学習院大学出身 出身の学習院大学の出身者 全国の学習院大学の出身者 | ||
39 | 山本信次郎 藤沢市 | Wikipedia |
山本 信次郎(やまもと しんじろう、1877年(明治10年)12月22日 - 1942年(昭和17年)2月28日)は日本の海軍軍人、カトリック教会信徒。最終階級は海軍少将、正三位勲二等功五級。 | ||
海軍兵学校出身 出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
40 | 武川寿輔 | Wikipedia |
武川 壽輔(むがわ じゅすけ、1877年(明治10年)11月15日 - 1939年(昭和14年)2月12日)は、日本の陸軍軍人、教育者。最終階級は陸軍少将、赤穂中学の初代校長。 |
官僚
41 | 五味均平 | Wikipedia |
五味 均平(ごみ きんぺい、1877年10月 - 1924年4月14日)は、日本の官僚。 | ||
42 | 結城豊太郎 | Wikipedia |
結城 豊太郎(ゆうき とよたろう、1877年(明治10年)5月24日 - 1951年(昭和26年)8月1日)は、日本の銀行家、大蔵大臣・日本銀行総裁、第5代日本商工会議所会頭を歴任。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
43 | 森俊六郎 | Wikipedia |
森 俊六郎(もり しゅんろくろう、1877年(明治10年)3月6日 - 1957年(昭和32年)3月19日)は、日本の大蔵官僚、銀行家。理財局長を最後に退官し、台湾銀行副頭取、南満州鉄道理事を歴任した。妻は烏山藩主・大久保忠順の娘・朝子。子爵・貴族院議員の大久保忠春は義弟[2]。 |
学者・教授・准教授
44 | 中田薫 | Wikipedia |
中田 薫(なかだ かおる、1877年3月1日 - 1967年11月21日)は、鹿児島県出身の法学者。専門は日本法制史。 | ||
45 | 伊藤長七 諏訪市 | Wikipedia |
伊藤長七(いとう ちょうしち、1877年4月13日 - 1930年4月19日)は、日本の教育者。 | ||
46 | 波多野精一 | Wikipedia |
波多野 精一(はたの せいいち、1877年7月21日 - 1950年1月17日)は、日本の哲学史家・宗教哲学者。玉川大学第2代学長。 | ||
47 | 石塚三郎 阿賀野市 | Wikipedia |
石塚 三郎(いしづか さぶろう、明治10年(1877年)8月15日 - 昭和33年(1958年)11月23日)は、日本の政治家・歯学者。衆議院議員(2期)。新潟県平民[2]。 | ||
東京歯科大学出身 出身の東京歯科大学の出身者 全国の東京歯科大学の出身者 | ||
48 | 近藤平三郎 松崎町 | Wikipedia |
近藤 平三郎(こんどう へいざぶろう、1877年12月11日 - 1963年11月17日)は、日本の薬学者、薬化学者。薬学博士。 | ||
49 | 辻善之助 姫路市 | Wikipedia |
辻 善之助(つじ ぜんのすけ、 1877年(明治10年)4月15日 - 1955年(昭和30年)10月13日)は、戦前の日本の歴史学者。東京帝国大学名誉教授。文学博士。専門は日本仏教史。仏教史研究から日本人の精神と日本文化の形成を探求し実証主義的研究を貫き、日本史学の発展に寄与。兵庫県出身。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
50 | 太刀川平治 長岡市 | Wikipedia |
太刀川 平治(たちかわ へいじ、1877年(明治10年)4月7日 - 1966年(昭和41年)2月15日)は、日本の逓信官僚、電気技術者、電気工学者、工学博士。元東京電燈研究所所長、元東京電力顧問、元電気庁参与、電気学会名誉員。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
51 | 煙山専太郎 上野原市 | Wikipedia |
煙山 専太郎(けむやま せんたろう、1877年(明治10年)6月3日 - 1954年(昭和29年)3月21日)は、明治から昭和にかけての西洋史学者、政治学者。ロシア史研究の「草分け」早稲田大学名誉教授。岩手県出身。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
52 | 石坂音四郎 嘉島町 | Wikipedia |
石坂 音四郎(いしざか おとしろう、1877年(明治10年)12月9日- 1917年(大正6年)4月21日)は、日本の法学者(専攻は民法)。京都帝国大学法科大学教授、東京帝国大学法科大学教授を歴任。 | ||
53 | 椙山今子 | Wikipedia |
椙山 今子(すぎやま いまこ、1877年 - 1965年4月13日)は、岐阜県生まれの名古屋市の教育者。椙山女学園を夫である椙山正弌と共に設立した。旧姓・中村、本名・いま。 | ||
54 | 田尻常雄 | Wikipedia |
田尻 常雄(たじり つねお、1877年 - 1957年4月18日[2])は、日本の商学者。大正から第二次世界大戦中まで、長崎高等商業学校校長、横浜高等商業学校校長を務め、戦後は東京経済大学理事長、学長などを歴任した[2]、 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 |
研究者・研究家・発明家
55 | 森本厚吉 舞鶴市 | Wikipedia |
森本 厚吉(もりもと こうきち、1877年3月2日(明治10年3月2日) - 1950年(昭和25年)1月31日)は、日本の経済学者・教育者・文化生活研究家。 | ||
56 | 高野成雄 飯綱町 | Wikipedia |
高野 成雄(たかの しげお、1877年(明治10年)11月7日 - 没年不明)は、明治・大正時代の養蚕術研究家。北信成蚕社を創始し、長野県における近代養蚕業の功労者とされる。 | ||
57 | 中村吉蔵 津和野町 | Wikipedia |
中村 吉蔵(なかむら きちぞう、1877年5月15日 - 1941年12月24日)は、日本の劇作家、演劇研究家。 |
画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家
58 | 伊藤小坡 伊勢市 | Wikipedia |
伊藤 小坡(いとう しょうは、本名:佐登(さと)、旧姓:宇治土公(うじとこ)、1877年(明治10年)4月24日 - 1968年(昭和43年)1月7日)は、三重県度会郡宇治浦田町(現伊勢市宇治浦田町)に生まれ、京都を中心に風俗画、美人画を描いた日本画家。 | ||
59 | 一條成美 松本市 | Wikipedia |
一條 成美(いちじょう せいび/なるみ、男性、1877年9月25日 - 1911年3月16日)は、明治時代の日本の画家。 | ||
60 | 西村五雲 京都市 | Wikipedia |
西村 五雲(にしむら ごうん、1877年(明治10年)11月6日 - 1938年(昭和13年)9月16日)は日本画家。京都出身、本名・源次郎。日本画家の西村卓三は息子(次男)。動物画を得意とし、動物の生態を生き生きと捉えるその描写は、師の竹内栖鳳を凌ぐとも評された。 | ||
61 | 平福百穂 仙北市 | Wikipedia |
平福百穂(ひらふく ひゃくすい、1877年(明治10年)12月28日 - 1933年(昭和8年)10月30日)は、日本画家。 | ||
62 | 小原古邨 | Wikipedia |
小原 古邨(おはら こそん、明治10年(1877年)2月9日-昭和20年(1945年))は、明治時代から昭和時代にかけての浮世絵師、版画家。 |
政治家・議員・首長
63 | 小野庄造 岡崎市 | Wikipedia |
小野 庄造(おの しょうぞう、1877年(明治10年)2月12日 - 1938年(昭和13年)9月6日)は、日本の陸軍軍人。階級は陸軍少将。第5代岡崎市長。 | ||
64 | 菅野経三郎 岡崎市 | Wikipedia |
菅野 経三郎(かんの つねさぶろう、1877年11月17日 - 1956年12月18日)は、日本の政治家。第7-9代岡崎市長(3期)、愛知県会議員、岡崎市会議員を歴任した。 | ||
65 | 小林躋造 広島市 | Wikipedia |
小林 躋造(こばやし せいぞう、1877年(明治10年)10月1日 - 1962年(昭和37年)7月4日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍大将。小磯國昭内閣の国務大臣。広島県広島市出身。 | ||
66 | 島田俊雄 江津市 | Wikipedia |
島田 俊雄(しまだ としお[2]、1877年(明治10年)6月18日 - 1947年(昭和22年)12月21日)は、日本の政治家。 | ||
山口大学出身 出身の山口大学の出身者 全国の山口大学の出身者 | ||
67 | 永井松三 名古屋市 | Wikipedia |
永井 松三(ながい まつぞう、1877年(明治10年)3月5日 - 1957年(昭和32年)4月19日)は、日本の外交官。外務次官、駐独大使。IOC委員、貴族院議員。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
68 | 布施丑造 穴水町 | Wikipedia |
布施 丑造(ふせ うしぞう、1877年(明治10年)10月13日 - 1950年(昭和25年)12月22日)は、日本の政治家・石川県鳳至郡穴水町長[3][4][5]、石川県会議員(立憲政友会)[6]、石川県多額納税者[5][7][8]、実業家。鳳至銀行頭取[5][9]。能登産業銀行、鳳至電気、内外酒造各取締役[5][7][9]。高岡電燈監査役[5]。族籍は石川県平民[9]。 | ||
69 | 高松正道 堺市 | Wikipedia |
高松 正道(たかまつ まさみち、1877年(明治10年)7月9日 - 昭和14年(1939年)9月3日)は、日本の衆議院議員(立憲国民党→純正国民党)、ジャーナリスト。 | ||
70 | 河井彌八 | Wikipedia |
河井 彌八(かわい やはち、1877年10月24日-1960年7月21日)は、日本の官僚・政治家。侍従次長や第4代参議院議長を歴任する。静岡県出身。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
71 | 松平恒雄 | Wikipedia |
松平 恆雄(まつだいら つねお、1877年(明治10年)4月17日 - 1949年(昭和24年)11月14日)は、日本の外交官、政治家。外務次官、駐英大使、駐米大使、宮内大臣、初代参議院議長を歴任した。位階・勲等は従一位勲一等。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
72 | 内ヶ﨑作三郎 富谷市 | Wikipedia |
内ヶ崎 作三郎(うちがさき さくさぶろう、1877年(明治10年)4月8日 - 1947年(昭和22年)2月4日)は、日本の政治家。衆議院議員を通算7期務めた。 | ||
73 | 大石倫治 | Wikipedia |
大石 倫治(おおいし りんじ、1877年(明治10年)6月14日 - 1948年(昭和23年)3月30日)は、日本の政治家である。 | ||
74 | 岡田伊太郎 江別市 | Wikipedia |
岡田 伊太郎(おかだ いたろう、1877年(明治10年)12月1日 - 1961年(昭和36年)1月26日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 | ||
75 | 鈴木久五郎 春日部市 | Wikipedia |
鈴木 久五郎(すずき きゅうごろう、1877年(明治10年)8月22日 - 1943年(昭和18年)8月16日)は、明治後期から大正期にかけての株式相場師。現在何々成金と人々が言い始めたのは、鈴木久五郎の破天荒な大儲けが嚆矢だった。通称「鈴久」。 | ||
76 | 小原直 長岡市 | Wikipedia |
小原 直(おはら なおし、1877年(明治10年)1月24日 - 1967年(昭和42年)9月8日)は、日本の検察官、政治家、弁護士。岡田内閣、阿部内閣、第5次吉田内閣で司法大臣・法務大臣などの閣僚を務める。新潟県長岡市出身。 | ||
東京帝国大学出身 出身の 東京帝国大学の出身者 全国の 東京帝国大学の出身者 | ||
77 | 石原円吉 志摩市 | Wikipedia |
石原 円吉(石原 圓吉、いしはら えんきち、1877年(明治10年)12月 - 1973年(昭和48年)2月2日)は、日本の漁業関係者、政治家、実業家。衆議院議員、三重県志摩郡和具町長。初名・彦四郎。 | ||
78 | 植原悦二郎 | Wikipedia |
植原 悦二郎(うえはら えつじろう、1877年(明治10年)5月15日 - 1962年(昭和37年)12月2日)は、日本の政治家・政治学者。国務大臣・内務大臣。 | ||
79 | 神戸正雄 一宮市 | Wikipedia |
神戸 正雄(かんべ まさお、1877年(明治10年)4月19日 - 1959年(昭和34年)10月16日)は、愛知県一宮市出身の法学者、経済学者、政治家(京都市長で、公選第一号の市長。)。文化功労者。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
宗教家・思想家・運動家
80 | 暁烏敏 | Wikipedia |
暁烏 敏(あけがらす はや、1877年〈明治10年〉7月12日 - 1954年〈昭和29年〉8月27日)は、真宗大谷派の僧侶、宗教家である。院号は「香草院」。法名は「釈彰敏」。愛称は「念仏総長」。 |
俳人・歌人・詩人
81 | 窪田空穂 成田市 | Wikipedia |
窪田 空穂(くぼた うつぼ、1877年(明治10年)6月8日 - 1967年(昭和42年)4月12日)は、日本の歌人、国文学者。日本芸術院会員。本名は窪田 通治。息子に、同じく歌人の窪田章一郎がいる。 | ||
82 | 薄田泣菫 倉敷市 | Wikipedia |
薄田 泣菫(すすきだ きゅうきん、1877年(明治10年)5月19日 - 1945年(昭和20年)10月9日)は、日本の詩人・随筆家。本名、淳介(じゅんすけ)。 | ||
二松學舍大学出身 出身の二松學舍大学の出身者 全国の二松學舍大学の出身者 | ||
83 | 伊良子清白 鳥取市 | Wikipedia |
伊良子 清白(いらこ せいはく、1877年(明治10年)10月4日 - 1946年(昭和21年)1月10日)は、日本の詩人。本名、暉造。 | ||
京都府立医科大学出身 出身の京都府立医科大学の出身者 全国の京都府立医科大学の出身者 | ||
84 | 塩谷鵜平 岐阜市 | Wikipedia |
塩谷 鵜平(えんや うへい、1877年(明治10年)5月30日 - 1940年(昭和15年)12月8日)は、岐阜県稲葉郡鏡島村(現在の岐阜市)出身の日本の俳人。本名は熊蔵、のちに宇平。別号に芋坪舎、華園など。農業。 | ||
85 | 沼波瓊音 名古屋市 | Wikipedia |
沼波 瓊音(ぬなみ けいおん、1877年10月1日 - 1927年7月19日)は、明治・大正期の国文学者・俳人・右翼。本名は武夫(たけお)。名古屋市出身。 | ||
86 | 窪田空穂 | Wikipedia |
窪田 空穂(くぼた うつぼ、1877年(明治10年)6月8日 - 1967年(昭和42年)4月12日)は、日本の歌人、国文学者。日本芸術院会員。本名は窪田 通治。息子に、同じく歌人の窪田章一郎がいる。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
87 | 田中寒楼 鳥取市 | Wikipedia |
田中 寒楼(たなか かんろう、1877年2月16日 - 1970年3月12日)は、日本の俳人・歌人。 |
その他の職業
88 | 河井道 函館市 | Wikipedia |
河井 道(かわいみち、1877年7月29日 - 1953年2月11日)は三重県宇治山田市(現伊勢市)出身の女性教育者。元日本YWCA同盟総幹事、恵泉女学園の創立者。世界恐慌から第二次世界大戦に到る中で平和主義を掲げ、戦後に昭和天皇への戦争犯罪訴追が回避された動きにも大きく関わった。 | ||
89 | 三木啓次郎 水戸市 | Wikipedia |
三木 啓次郎(みき けいじろう、1877年(明治10年) - 1972年(昭和47年))は、近現代日本の剣術家。北辰一刀流免許皆伝。 | ||
90 | 小松武平 茅野市 | Wikipedia |
小松 武平(こまつ ぶへい、1877年(明治10年)5月11日 - 1930年(昭和5年)9月5日)は、長野県の教育者。 長野県上田中学(現長野県上田高等学校)、長野県諏訪中学(現長野県諏訪清陵高等学校)、長野県松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)校長を務めた 。 |