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宝塚・女優・俳優・声優・ナレーター・歌舞伎・能楽・狂言
1 | 曽我廼家五九郎 吉野川市 | Wikipedia |
曾我廼家 五九郎(そがのや ごくろう、1876年4月12日 - 1940年7月7日)は、日本の喜劇俳優。本名は武智 故平(たけち こへい)。大正時代にの浅草の「喜劇王」としてしられた。 |
演奏家・作詞家・作曲家・ミュージシャン
2 | 高野辰之 | Wikipedia |
高野 辰之(たかの たつゆき、1876年(明治9年)4月13日 - 1947年(昭和22年)1月25日)は、日本の国文学者、作詞家。号は斑山(はんざん)。 |
ジャーナリスト
3 | 小林儀衛 宇和島市 | Wikipedia |
小林儀衛(こばやしよしえ、1876年 - 1919年)は新聞人。南予時事新聞創刊者。 |
格闘技
4 | 大木戸森右エ門 神戸市 | Wikipedia |
大木戸 森右エ門(おおきど もりえもん、1876年5月13日 - 1930年11月7日)は、元大相撲力士で、第23代横綱。大坂相撲史上では2人目の横綱である。本名は内田 光蔵(うちだ みつぞう)。 | ||
5 | 木村庄之助 (20代) 鹿沼市 | Wikipedia |
20代木村庄之助(20だい きむらしょうのすけ、1876年12月3日 - 1940年3月9日)は、大相撲の立行司。 | ||
6 | 若嶌權四郎 市川市 | Wikipedia |
若嶌 權四郎(わかしま ごんしろう、1876年1月19日 - 1943年10月23日)は、千葉県出身の元大相撲力士(大坂相撲)。第21代横綱。本名は加藤 権四郎(かとう ごんしろう)(旧姓:高橋)。 | ||
7 | 綾瀬川山左エ門 河北町 | Wikipedia |
綾瀬川山左エ門(あやせがわさんざえもん、1876年10月4日-1943年5月23日)は、山形県西村山郡河北町出身も力士。主に大阪相撲で取った。最高位関脇。藤島部屋、朝日山部屋、尾車部屋に所属。本名は田宮與惣吉(与惣二とも)。176cm、101kg。 | ||
8 | 木村庄之助 鹿沼市 | Wikipedia |
20代 木村 庄之助(にじゅうだい きむらしょうのすけ、1876年12月3日 - 1940年3月9日)は、大相撲の立行司。 |
漫画家・イラスト・ゲーム
9 | 北澤楽天 さいたま市 | Wikipedia |
北澤 楽天(きたざわ らくてん、1876年7月20日 - 1955年8月25日)は明治から昭和にかけて活躍した日本の漫画家、日本画家である。本名は保次(やすじ)。楽天は『時事漫画』や『東京パック』等の新聞や雑誌を中心として、多数の政治風刺漫画や風俗漫画の執筆で活躍した。更に漫画好楽会の結成などを通じて後進の漫画家の育成に努めたことから、楽天は「日本の近代漫画の祖」と見なされている。また、楽天は日本で最初の職業漫画家と言われている。 | ||
10 | 草野誼 | Wikipedia |
草野 誼(くさの よしみ)は、日本の漫画家。埼玉県出身。同じく漫画家のくりきあきこは妻。 | ||
11 | 来瀬ナオ | Wikipedia |
来瀬 ナオ(くるせ なお、7月30日 - )は、日本の漫画家。埼玉県出身。 | ||
12 | 小林拓己 | Wikipedia |
小林 拓己(こばやし たくみ)は、日本の漫画家。女性。埼玉県出身。 | ||
13 | 紺野けい子 | Wikipedia |
紺野 けい子(こんの けいこ、4月1日 - )は、日本の漫画家。埼玉県出身。血液型はA型。 | ||
14 | 坂井久仁江 | Wikipedia |
坂井 久仁江(さかい くにえ、6月2日 - )は、日本の漫画家。埼玉県出身。 |
作家・小説家・エッセイ・文筆・翻訳家・編集者
15 | 沖野岩三郎 日高川町 | Wikipedia |
沖野 岩三郎(おきの いわさぶろう、1876年1月5日 - 1956年1月31日)は、日本の小説家、牧師。 | ||
明治学院大学出身 出身の明治学院大学の出身者 全国の明治学院大学の出身者 | ||
16 | 押川春浪 | Wikipedia |
押川 春浪(おしかわ しゅんろう、1876年(明治9年)3月21日 - 1914年(大正3年)11月16日)は日本の冒険小説作家、SF作家。愛媛県出身、本名は方存(まさあり)。冒険小説のジャンルを定着させ、雑誌『冒険世界』『武侠世界』で主筆を務めて多くの後進の作家、画家育成に尽力した。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
17 | 石川三四郎 本庄市 | Wikipedia |
石川 三四郎(いしかわ さんしろう、1876年5月23日 - 1956年11月28日)は、日本の社会運動家・アナキスト・作家。筆名の「旭山」も使用する。 | ||
中央大学出身 出身の中央大学の出身者 全国の中央大学の出身者 |
建築家・建築学者・技術者
18 | 片岡安 | Wikipedia |
片岡 安 (かたおか やすし、 1876年6月4日- 1946年5月26日) は明治・大正・昭和期に大阪で活躍した建築家。金沢市長(1期)。東京帝国大学工科大学造家学科卒業。1940年11月から1943年9月まで大阪商工会議所会頭。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
経営者・実業家
19 | 麻生イト 尾道市 | Wikipedia |
麻生 イト(あそう いと、1876年(明治9年)7月3日 - 1956年(昭和31年)7月20日)は、広島県尾道市出身の実業家。麻生 以登とも。因島の麻生旅館主。侠客「因島の女親分」として、勝新太郎主演のヒット映画『悪名シリーズ』で唯一実名で出てくることで知られる。 | ||
20 | 小山松寿 小諸市 | Wikipedia |
小山 松寿(こやま しょうじゅ、1876年1月28日 - 1959年11月25日)は、日本の政治家、新聞経営者。第33代衆議院議長(1937年7月 - 1941年12月)。1941年勲一等瑞宝章受章。歿時正三位勲一等旭日大綬章受章。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
21 | 井上秀二 仙台市 | Wikipedia |
井上 秀二(いのうえ しゅうじ、1876年(明治9年)4月16日 - 1943年(昭和18年)4月4日)は、日本の土木技術者。 | ||
22 | 松江春次 | Wikipedia |
松江 春次(まつえ はるじ、1876年(明治9年)1月15日 - 1954年(昭和29年)11月29日)は、日本の男性実業家で、南洋興発の初代社長。 | ||
東京工業大学出身 出身の東京工業大学の出身者 全国の東京工業大学の出身者 | ||
23 | 津村秀松 御坊市 | Wikipedia |
津村 秀松(つむら ひでまつ、1876年6月 - 1939年12月23日)は日本の経済学者、実業家。神戸高等商業学校(現・神戸大学)教授、大阪鐵工所(現・日立造船)取締役会長等を歴任した。 | ||
24 | 相馬黒光 | Wikipedia |
相馬 黒光(そうま こっこう、1876年9月12日 - 1955年3月2日)は、夫の相馬愛蔵とともに新宿中村屋を起こした実業家、社会事業家である。旧姓は星、本名は良(りょう)。 |
デザイナー
25 | 杉浦非水 | Wikipedia |
杉浦 非水(すぎうら ひすい、1876年5月15日 - 1965年8月18日)は近代日本のグラフィックデザイナー。本名、杉浦朝武(すぎうら つとむ)。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 |
軍人
26 | 林弥三吉 | Wikipedia |
林 弥三吉(はやし やさきち、1876年(明治9年)4月8日 - 1948年(昭和23年)8月31日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
27 | 真崎甚三郎 | Wikipedia |
眞崎 甚三郎(まさき じんざぶろう、1876年(明治9年)11月27日 - 1956年(昭和31年)8月31日)は、日本の陸軍軍人。陸軍士官学校9期、陸軍大学校19期。最終階級は陸軍大将。栄典は正三位勲三等功四級。 | ||
28 | 牛島貞雄 | Wikipedia |
牛島 貞雄(うしじま さだお、1876年1月30日 - 1960年9月1日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
29 | 大角岑生 稲沢市 | Wikipedia |
大角 岑生(おおすみ みねお、明治9年(1876年)5月1日 - 昭和16年(1941年)2月5日)は、大正〜昭和期の日本の海軍軍人、政治家、華族。海軍大将。男爵。愛知県出身で本籍は高知県。 | ||
30 | 本庄繁 篠山市 | Wikipedia |
本庄 繁(ほんじょう しげる、1876年(明治9年)5月10日 - 1945年(昭和20年)11月20日)は、日本の陸軍軍人。第10師団長・関東軍司令官・侍従武官長を歴任し階級は陸軍大将正三位勲一等功一級男爵に至る。軍を退いてからは軍事保護院総裁や枢密顧問官を務める。長男一雄は陸軍主計中佐。娘は山口一太郎陸軍大尉に嫁ぐ。本庄は書を心得、剣華と号す。渾名は「たくわん石」。 | ||
31 | 赤井春海 佐倉市 | Wikipedia |
赤井 春海(あかい はるみ、1876年6月12日 - 1954年12月14日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
32 | 四竈孝輔 | Wikipedia |
四竈 孝輔(しかま こうすけ、1876年10月26日 - 1937年12月12日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。宮城県仙台市出身。 | ||
33 | 林銑十郎 金沢市 | Wikipedia |
林 銑十郎(はやし せんじゅうろう、1876年(明治9年)2月23日 - 1943年(昭和18年)2月4日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は正二位。勲等は勲一等。功級は功四級。 |
官僚
34 | 川越壮介 | Wikipedia |
川越 壮介(かわごえ そうすけ、1876年(明治9年)2月6日 - 1954年(昭和29年)3月10日)は、日本の内務官僚。鹿児島県出身。 | ||
35 | 永田秀次郎 南あわじ市 | Wikipedia |
永田 秀次郎(ながた ひでじろう、1876年7月23日 - 1943年9月17日)は、明治から昭和にかけて活躍した日本の官僚・政治家。第18代三重県知事、第8代・第14代東京市長、第4代拓殖大学総長、貴族院議員。第9代拓務大臣、第18代鉄道大臣を歴任。長男は元自由民主党衆議院議員の永田亮一。 | ||
京都大学出身 出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
36 | 堀田貢 | Wikipedia |
堀田 貢(ほった みつぐ、1876年1月28日 - 1926年2月3日)は、日本の内務官僚。警視総監、内務次官。 |
公務員
37 | 小平総治 | Wikipedia |
小平 総治(こだいら そうじ、1876年 - 1935年10月18日)は、日本の外交官。通訳官。号は綏芳。 | ||
二松學舍大学出身 出身の二松學舍大学の出身者 全国の二松學舍大学の出身者 | ||
38 | 有吉明 宮津市 | Wikipedia |
有吉 明(ありよし あきら、1876年4月15日 - 1937年6月25日)は、明治、大正、昭和前期の外交官。上海総領事、スイス公使、ブラジル大使、中華民国公使を経て、大使館昇格に伴い初代中華民国大使となる。対中国外交に尽力、軍部の中国進出に抵抗。 | ||
39 | 泉二新熊 龍郷町 | Wikipedia |
泉二 新熊(もとじ しんくま、1876年(明治9年)1月27日 - 1947年(昭和22年)10月25日)は、日本の裁判官、官僚、刑法学者。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
学者・教授・准教授
40 | 山川丙三郎 新発田市 | Wikipedia |
山川 丙三郎(やまかわ へいざぶろう、1876年3月3日 - 1947年8月17日)は、イタリア文学者、翻訳家。 | ||
41 | 光田健輔 防府市 | Wikipedia |
光田 健輔(みつだ けんすけ、1876年1月12日 - 1964年5月14日)は、日本の病理学者、皮膚科医。生涯をハンセン病の撲滅に捧げ、国立長島愛生園初代園長等を歴任した。生前は「救癩の父」と崇められ、文化勲章やダミアン・ダットン賞を受けた。その一方で、患者の絶対隔離政策を推進する「癩予防法」改正、無癩県運動、「らい予防法」制定等の中心人物であり、日本の対ハンセン病政策の明暗を象徴する人物ともされる。贈正三位勲一等瑞宝章。 | ||
42 | 新村出 | Wikipedia |
新村 出(しんむら いずる、1876年(明治9年)10月4日 - 1967年(昭和42年)8月17日)は、日本の言語学者、文献学者。京都大学教授・名誉教授で、ソシュールの言語学の受容やキリシタン語の資料研究などを行った日本人の草分けである。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
43 | 伊波普猷 那覇市 | Wikipedia |
伊波 普猷(いは ふゆう、1876年(明治9年)3月15日 - 1947年(昭和22年)8月13日)は、沖縄県那覇市出身の民俗学者、言語学者、沖縄学の父として知られる。 | ||
44 | 君島八郎 | Wikipedia |
君島 八郎(きみしま はちろう、1876年(明治9年)12月28日 - 1955年(昭和30年)10月14日)は、日本の土木工学者。工学博士、九州帝国大学教授。日本における道路研究の先駆者であり、その著書『君島大測量学』と『河海工学』は戦前土木名著100書に選ばれている[2]。 | ||
九州大学出身 出身の九州大学の出身者 全国の九州大学の出身者 | ||
45 | 渋沢元治 | Wikipedia |
渋沢 元治(澁澤元治、しぶさわ もとじ、1876年10月25日 - 1975年2月22日)は、日本の電気工学者。東京帝国大学名誉教授。名古屋帝国大学初代総長(1939年 - 1946年)。渋沢栄一の甥にあたる。妻は穂積陳重と栄一の長女歌子の長女である。 | ||
46 | 野口英世 | Wikipedia |
野口 英世(のぐち ひでよ、1876年(明治9年)11月9日 - 1928年(昭和3年)5月21日)は、日本の細菌学者。福島県出身。 | ||
日本医科大学出身 出身の日本医科大学の出身者 全国の日本医科大学の出身者 | ||
47 | 新村出 静岡市 | Wikipedia |
新村 出(しんむら いずる、1876年(明治9年)10月4日 - 1967年(昭和42年)8月17日)は、日本の言語学者、文献学者。京都大学教授・名誉教授で、ソシュールの言語学の受容やキリシタン語の資料研究などを行った日本人の草分けである。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
48 | 田中穂積 長野市 | Wikipedia |
田中 穂積(たなか ほづみ、1876年(明治9年)2月17日 - 1944年(昭和19年)8月22日)は、長野県出身の財政学者、法学博士、早稲田大学第4代総長。 | ||
49 | 亀田次郎 高砂市 | Wikipedia |
亀田 次郎(かめだ じろう、1876年(明治9年)9月11日 - 1944年(昭和19年)2月8日)は、日本の国語学者。 | ||
50 | 山岡萬之助 岡谷市 | Wikipedia |
山岡 萬之助(やまおか まんのすけ、明治9年(1876年)4月12日 - 昭和43年(1968年)6月22日)は日本の法学者、哲学者。法学博士。日本大学第3代総長・総裁。貴族院議員。 | ||
日本大学出身 出身の日本大学の出身者 全国の日本大学の出身者 | ||
51 | 永井潜 竹原市 | Wikipedia |
永井 潜(ながい ひそむ、1876年11月14日 - 1957年5月17日)は日本の医学者、生理学者。 | ||
52 | 畑井新喜司 | Wikipedia |
畑井 新喜司(はたい しんきし、1876年3月2日 - 1963年4月19日)は日本の動物学者。東北帝国大学教授。ミミズやシロネズミの研究で知られる。畑井小虎の父。 | ||
東北学院大学出身 出身の東北学院大学の出身者 全国の東北学院大学の出身者 | ||
53 | 志田順 | Wikipedia |
志田 順(しだ とし、1876年5月28日 - 1936年7月19日)は日本の地球物理学者。 | ||
54 | 高野辰之 渋谷区 | Wikipedia |
高野 辰之(たかの たつゆき、1876年(明治9年)4月13日 - 1947年(昭和22年)1月25日)は、日本の国文学者、作詞家。号は斑山(はんざん)。 |
画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家・漆芸家・工芸家
55 | 小西正太郎 美郷町 | Wikipedia |
小西 正太郎(こにし しょうたろう、1876年 - 1956年4月26日)は、日本の洋画家。秋田県出身。 | ||
東京美術学校出身 出身の東京美術学校の出身者 全国の東京美術学校の出身者 | ||
56 | 松林桂月 | Wikipedia |
松林 桂月(まつばやし けいげつ、1876年8月18日 - 1963年5月22日)は、日本画家。山口県萩市生まれ。元の姓は伊藤、本名は篤。字は子敬。別号に香外、玉江漁人。妻の松林雪貞(せってい)も日本画家。 | ||
57 | 木村武山 笠間市 | Wikipedia |
木村 武山(きむら ぶざん、明治9年(1876年)7月3日 - 昭和17年(1942年)11月29日)は、明治から昭和初期の日本画家。横山大観、下村観山、菱田春草らと共に、岡倉覚三(天心)のもとで日本画の近代化に努めた。 | ||
58 | 石橋和訓 出雲市 | Wikipedia |
石橋和訓(いしばし わくん、明治9年(1876年)6月6日 - 昭和3年(1928年)5月3日)は日本の日本画家、洋画家。本名は倉三郎。師である滝和亭の一字をもらい27歳で改名。画号は耕雲、雅原、中雅。 | ||
59 | 北蓮蔵 | Wikipedia |
北 蓮蔵 (きた れんぞう、明治9年(1876年)7月 - 昭和24年(1949年)12月21日)は、明治から昭和にかけて活動した洋画家。 |
政治家・議員・首長
60 | 岡田武兵衛 四日市市 | Wikipedia |
岡田 武兵衛(おかだ ぶへえ、1876年(明治9年)11月25日 - 1952年(昭和27年))は、日本の政治家。 | ||
61 | 平出喜三郎(2代) 加賀市 | Wikipedia |
2代平出 喜三郎(ひらで きさぶろう、1876年(明治9年)3月15日 - 1931年(昭和6年)10月13日)は、日本の実業家、漁業家、政治家。衆議院議員。旧姓・久保、幼名・彦十郎[3]。 | ||
62 | 小川郷太郎 里庄町 | Wikipedia |
小川 郷太郎(おがわ ごうたろう、1876年(明治9年)6月9日 - 1945年(昭和20年)4月1日)は、大正・昭和期の日本の財政学者、政治家。京都帝国大学教授、拓殖大学学監、衆議院議員、商工大臣、鉄道大臣などを歴任。従三位勲一等法学博士。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
63 | 道岡秀彦 | Wikipedia |
道岡 秀彦(みちおか ひでひこ、1876年(明治9年)11月15日 - 1924年(大正13年)11月15日[2])は、日本の内務・警察官僚。官選県知事。 | ||
64 | 井上匡四郎 | Wikipedia |
井上 匡四郎(いのうえ ただしろう、1876年4月30日 - 1959年3月18日)は、日本の工学者、政治家。工学博士、貴族院議員、子爵。 | ||
65 | 渡邊千冬 松本市 | Wikipedia |
渡邊 千冬[注 1](わたなべ ちふゆ、1876年(明治9年)5月1日 - 1940年(昭和15年)4月18日)は、明治期の政治家、実業家。書家としての号は「無劔(むけん)」。 | ||
66 | 当間重慎 那覇市 | Wikipedia |
当間 重慎(とうま じゅうしん、1876年8月11日 - 1923年9月22日)は、戦前の沖縄県の政治家で初代那覇市長。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
67 | 児玉秀雄 佐倉市 | Wikipedia |
兒玉 秀雄[注 1](児玉秀雄、こだま ひでお、明治9年(1876年)7月19日 - 昭和22年(1947年)4月7日)は、日本の政治家、貴族院議員、官僚、伯爵。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
68 | 野手耐 下妻市 | Wikipedia |
野手 耐(ので たえる、1876年(明治9年)8月17日 - 1945年(昭和20年)8月6日)は、日本の朝鮮総督府・内務官僚、弁護士。官選県知事、同志社高等商業学校長。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 |
評論家
69 | 近松秋江 | Wikipedia |
近松秋江(ちかまつ しゅうこう、1876年(明治9年)5月4日 - 1944年(昭和19年)4月23日)は、日本の小説家、評論家。岡山県生まれ。本名は徳田丑太郎。17歳のとき、浩司と改名。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
70 | 三島霜川 高岡市 | Wikipedia |
三島 霜川(みしま そうせん、1876年7月30日 - 1934年3月7日)は、日本の作家、演劇評論家。 |
宗教家・思想家・運動家
71 | 山田純三郎 弘前市 | Wikipedia |
山田 純三郎(やまだ じゅんざぶろう、1876年(明治9年)5月18日 - 1960年(昭和35年)2月18日)は日本の革命運動家、大陸浪人。孫文の革命活動に参加した山田良政の実弟である。 | ||
東亜同文書院出身 出身の東亜同文書院の出身者 全国の東亜同文書院の出身者 | ||
72 | 本多恵隆 高山村 | Wikipedia |
本多 恵隆(ほんだ えりゅう、1876年(明治9年)10月30日 - 1944年(昭和19年)5月18日)は、長野県出身の西本願寺(浄土真宗本願寺派本山)の僧。大谷光瑞が中央アジアに派遣した第一次大谷探検隊(1902年 - 1904年)に加わった。 |
俳人・歌人・詩人・歌人
73 | 蕨真 山武市 | Wikipedia |
蕨真一郎(わらび しんいちろう、1876年(明治9年)8月20日 - 1922年(大正11年)10月14日)は、日本の歌人、造林家。号は蕨真(けっしん)、礎山(そざん)。上総国武射郡埴谷村(現在の千葉県山武市)出身。 | ||
74 | 尾上柴舟 津山市 | Wikipedia |
尾上 柴舟(おのえ さいしゅう/しばふね 1876年(明治9年)8月20日 - 1957年(昭和32年)1月13日)は、日本の詩人、歌人、書家、国文学者。 | ||
二松學舍大学出身 出身の二松學舍大学の出身者 全国の二松學舍大学の出身者 | ||
75 | 蕨真一郎 山武市 | Wikipedia |
蕨真一郎(わらび しんいちろう、1876年(明治9年)8月20日 - 1922年(大正11年)10月14日)は、日本の歌人、造林家。号は蕨真(けっしん)、礎山(そざん)。 | ||
76 | 中原謙助 宇部市 | Wikipedia |
中原 謙助(なかはら けんすけ、1876年(明治9年)6月19日 - 1928年(昭和3年)5月16日)は、日本の陸軍軍医、政治家。旧姓は小林、野村、柏村。元山口町議会議員。元湯田医院(中原医院)長。従五位勲四等。 | ||
77 | 島木赤彦 渋谷区 | Wikipedia |
アハハ、1876年(明治9年)12月16日 - 1926年(大正15年)3月27日)は、明治・大正時代のアララギ派歌人。本名は久保田俊彦。別号、柿乃村人。 | ||
78 | 太田水穂 | Wikipedia |
太田 水穂(おおた みずほ、1876年(明治9年)12月9日 - 1955年(昭和30年)1月1日)は、日本の歌人、国文学者。本名は太田貞一、別号・みづほのや。 | ||
信州大学出身 出身の信州大学の出身者 全国の信州大学の出身者 | ||
79 | 島木赤彦 | Wikipedia |
島木 赤彦(しまき あかひこ、1876年(明治9年)12月16日 - 1926年(大正15年)3月27日)は、明治・大正時代のアララギ派歌人。本名は久保田俊彦。別号、柿乃村人。 | ||
信州大学出身 出身の信州大学の出身者 全国の信州大学の出身者 |
その他の職業
80 | 齋藤専吉 田原市 | Wikipedia |
齋藤 専吉(さいとう せんきち、明治9年4月16日(1876年5月9日) - 昭和37年(1962年)3月13日)は、日本の教育者、文化人。渥美半島における文化交流に寄与した。 | ||
81 | 上塚周平 熊本市 | Wikipedia |
上塚 周平(うえつか しゅうへい、1876年(明治9年)7月12日 - 1935年(昭和10年)7月6日)は、日本のブラジル移民功労者。「ブラジル移民の父」と称される。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
82 | 山中三郎 広島市 | Wikipedia |
山中 三郎(やまなか さぶろう、1876年(明治9年)9月26日 - 1969年(昭和44年)4月10日)は、日本の戦国武将山中鹿介の研究者。広島市出身。美容師のアーデン山中豊子の父。 | ||
83 | 鈴木千代松 鳥取市 | Wikipedia |
鈴木 千代松(すずき ちよまつ、明治9年(1876年) - 昭和10年(1935年))は日本の教育者。県下初等教育界の第一人者。 | ||
84 | 柴崎芳太郎 大石田町 | Wikipedia |
柴崎 芳太郎(しばざき よしたろう、1876年(明治9年)8月13日 - 1938年(昭和13年)1月29日)は、陸地測量部の測量官を務めた陸軍技師。新田次郎の小説『劒岳 点の記』の主人公として知られている。 |