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宝塚・女優・俳優・声優・ナレーター・歌舞伎・能楽・狂言
1 | 五味国太郎 那須烏山市 | Wikipedia |
五味 国太郎(ごみ くにたろう、1875年1月8日 - 1922年4月28日)は、日本の俳優である。 |
舞台・演劇・映画・ドラマ・脚本・プロデューサー・ディレクター
2 | 尾上松之助 岡山市 | Wikipedia |
二代目 尾上 松之助(にだいめ おのえ まつのすけ、1875年(明治8年)9月12日 - 1926年(大正15年)9月11日)は、日本の歌舞伎役者、映画俳優、映画監督。本名は中村 鶴三(なかむら かくぞう)。 | ||
3 | 嵐璃徳 大阪市 | Wikipedia |
嵐 璃徳(あらし りとく、1875年12月31日 - 1944年頃/没年不詳[3])は、日本の俳優である。関西歌舞伎に始まり、牧野省三が監督した日本初の時代劇映画、日本初の剣戟映画に出演、サイレント映画の時代に映画俳優として活躍した[3]。本名は井上 徳太郎(いのうえ とくたろう)[3]。 |
格闘技
4 | 國ヶ岩夘八 美馬市 | Wikipedia |
國ヶ岩夘八(くにがいわうはち、1875年1月4日-1932年2月17日)は、小野川部屋、草風部屋(京都相撲)、入間川部屋に所属した元力士。8代待乳山、7代稲川。本名は山本宇八。徳島県美馬市出身。165cm、88kg。最高位は東前頭18枚目(ただし、番付外幕尻格)。 | ||
5 | 有明吾郎 島原市 | Wikipedia |
有明吾郎(ありあけごろう、1875年3月23日-1943年2月19日)は、現在の長崎県島原市出身の大相撲力士。伊勢ノ海部屋所属。最高位は東小結。5代式秀。本名は大家八五郎(旧姓山中)。165cm、123kg。 |
作家・小説家・エッセイ・文筆・翻訳家・編集者・評論家
6 | 小栗風葉 半田市 | Wikipedia |
小栗 風葉(おぐり ふうよう、本名:加藤 磯夫(旧姓:小栗)、1875年(明治8年)2月3日 - 1926年(大正15年)1月15日)は日本の小説家。愛知県生まれ。 | ||
7 | 瀬沼夏葉 | Wikipedia |
瀬沼 夏葉(せぬま かよう、1875年12月11日 - 1915年2月28日)は日本の小説家、翻訳家、教師。本名は瀬沼 郁子(旧姓:山田)。アントン・チェーホフを初めて日本に紹介した[2]。 |
弁護士
8 | 一松定吉 | Wikipedia |
一松 定吉(ひとつまつ さだよし、1875年3月18日 - 1973年6月8日)は、明治、大正、昭和期の日本の政治家、弁護士。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 |
建築家・建築学者・技術者
9 | 二反長音蔵 茨木市 | Wikipedia |
二反長 音蔵(にたんちょう おとぞう、1875年(明治8年)7月1日 - 1951年(昭和26年)8月7日)は日本の農民・農業技術者。阿片の材料となるケシの日本国内栽培に尽力した。「日本の阿片王」と称された。 |
経営者・実業家
10 | 杉山金太郎 和歌山市 | Wikipedia |
杉山 金太郎(すぎやま きんたろう、明治8年(1875年)9月19日 - 昭和48年(1973年)3月10日)は、日本の実業家。豊年製油(現J-オイルミルズ)会長。 | ||
11 | 松山原造 長和町 | Wikipedia |
松山 原造(まつやま げんぞう、1875年11月21日 - 1963年12月3日)は日本の実業家、篤農家。松山犂の発明で知られる。 | ||
12 | 田宮嘉右衛門 新居浜市 | Wikipedia |
田宮 嘉右衛門(たみや かえもん、1875年8月29日 - 1959年4月13日)は、日本の実業家。初代神戸製鋼所支配人、第五代神戸製鋼所社長。 | ||
13 | 鈴木忠治 葉山町 | Wikipedia |
鈴木 忠治(すずき ちゅうじ、1875年2月2日 - 1950年12月29日)は、日本の実業家。鈴木商店(現味の素)創業者二代目鈴木三郎助の弟で、同社代表取締役社長や、昭和電工代表取締役社長、内閣顧問などを務めた。 | ||
14 | 斯波孝四郎 | Wikipedia |
斯波 孝四郎(しば こうしろう、1875年(明治8年)1月24日 ‐ 1971年(昭和46年)6月13日)は、日本の実業家、技術者。 | ||
15 | 松永安左エ門 | Wikipedia |
松永 安左エ門(松永 安左衞門、まつなが やすざえもん、1875年(明治8年)12月1日 - 1971年(昭和46年)6月16日)は、「電力王」「電力の鬼」と言われた日本の財界人。政治家(帝国議会衆議院議員1期)。美術コレクター、茶人としても知られ、耳庵(じあん)の号を持つ近代小田原三茶人の一人。氏名は「松永安左ヱ門」と表記されることもある。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
16 | 小倉正恒 | Wikipedia |
小倉 正恒(おぐら まさつね、1875年(明治8年)3月22日 - 1961年(昭和36年)11月20日)は、第六代住友総理事である。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
17 | 松田重次郎 仁保島村 | Wikipedia |
松田 重次郎(まつだ じゅうじろう、1875年8月6日 - 1952年3月9日)は、日本のエンジニア、実業家。マツダの事実上の創業者として、貨物自動車(トラック)の生産に従事した。現広島東洋カープオーナー・松田元および、現広島エフエム放送社長・松田弘の曽祖父にあたる。 | ||
18 | 橋本増治郎 岡崎市 | Wikipedia |
橋本 増治郎(はしもと ますじろう、1875年(明治8年)4月28日 - 1944年(昭和19年)1月18日)は、愛知県岡崎市出身の技術者・実業家。 | ||
東京工業大学出身 出身の東京工業大学の出身者 全国の東京工業大学の出身者 | ||
19 | 松戸覚之助 松戸市 | Wikipedia |
松戸 覚之助(まつど かくのすけ、1875年5月24日 - 1934年6月21日)は、明治から昭和にかけての梨農家。千葉県大橋村(後に八柱村、現在の松戸市)の人。「二十世紀」の発見者。 | ||
20 | 下田勘次 鳥取市 | Wikipedia |
下田 勘次(しもだ かんじ、明治8年(1875年)11月4日 - 昭和14年(1939年))は、日本の政治家、実業家。元衆議院議員。元大正鳥取銀行監査役。元鳥取新報社長[3]。鳥取県平民[4]。 | ||
21 | 高橋龍太郎 | Wikipedia |
高橋 龍太郎(たかはし りゅうたろう、1875年7月15日 - 1967年12月22日)は昭和期の実業家、政治家。ビール製造技術者から経営者となり、「日本のビール王」とも称される。プロ野球団のオーナーや、日本サッカー協会会長など、スポーツとも関係を持った。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
22 | 蟹江一太郎 東海市 | Wikipedia |
蟹江 一太郎(かにえ いちたろう、1875年2月7日 - 1971年12月20日)は、日本の実業家。カゴメ創業者。「トマト王」とも称される。 |
医師・看護師
23 | 小口忠太 上田市 | Wikipedia |
小口 忠太(おぐち ちゅうた、1875年1月6日 - 1945年7月23日)は日本の医師。医学者。 |
その他芸術家
24 | 津田信夫 佐倉市 | Wikipedia |
津田 信夫(つだ しのぶ、1875年10月23日 - 1946年2月17日)は日本を代表する鋳金工芸作家。東京美術学校(現在の東京芸術大学)教授、芸術院会員。 | ||
東京芸術大学出身 出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 |
軍人
25 | 町野武馬 | Wikipedia |
町野 武馬(まちの たけま、1875年(明治8年)11月16日 - 1968年(昭和43年)1月10日)は、日本の陸軍軍人、政治家。張作霖の顧問を務め、最終階級は陸軍大佐。衆議院議員。戦後再建された大日本武徳会会長。 | ||
26 | 犬塚太郎 | Wikipedia |
犬塚 太郎(いぬづか たろう、1875年(明治8年)10月23日 - 1936年(昭和11年)7月17日)は、日本の海軍軍人。第三回旅順港閉塞作戦に「愛国丸」指揮官として参戦。大正天皇の侍従武官、昭和天皇の皇太子時代における東宮武官、日本海海戦における東伏見宮依仁親王の皇族附武官、秩父宮別当を務める。最終階級は海軍中将。 | ||
27 | 飯田延太郎 武蔵野市 | Wikipedia |
飯田 延太郎(いいだ のぶたろう)、明治8年(1875年)2月13日 - 昭和13年(1938年)11月3日)は、明治-大正期の海軍軍人。海軍中将。徳島県出身。 | ||
28 | 三浦虎次郎 | Wikipedia |
三浦 虎次郎(みうら とらじろう、1875年(明治8年)12月23日 - 1894年(明治27年)9月17日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍三等水兵。『勇敢なる水兵』のモデル。 | ||
29 | 植田謙吉 | Wikipedia |
植田 謙吉(うえだ けんきち、1875年(明治8年)3月8日 - 1962年(昭和37年)9月11日)は、日本の陸軍軍人。陸士10期、陸大21期。陸軍大将正三位勲一等功三級。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
30 | 阿部信行 金沢市 | Wikipedia |
阿部 信行(あべ のぶゆき、1875年(明治8年)11月24日 - 1953年(昭和28年)9月7日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は正二位。勲等は勲一等。 |
学者・教授・准教授
31 | 今西龍 池田町 | Wikipedia |
今西 龍(いまにし りゅう、1875年8月15日 - 1932年5月20日)は、日本の朝鮮史家、京都帝国大学教授。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
32 | 小西重直 会津若松市 | Wikipedia |
小西 重直(こにし しげなお、1875年(明治8年)1月15日- 1948年(昭和23年)7月21日)は、日本の教育学者。第9代京都帝国大学総長。 | ||
33 | 五来欣造 常陸太田市 | Wikipedia |
五来 欣造(ごらい きんぞう、1875年(明治8年)6月 - 1944年(昭和19年)8月1日)は、日本の政治学者、文学者、読売新聞主筆、明治大学教授、早稲田大学教授、皇化連盟代表。茨城県出身。五来素川(ごらい そせん)や斬馬剣禅(ざんば けんぜん)の筆名での作品を残す。青年時代に植村正久の教えをうけた敬虔なクリスチャンであった。 | ||
34 | 河原操子 松本市 | Wikipedia |
河原 操子(かわはら みさこ、1875年6月6日 - 1945年3月7日)は女子教育者。 | ||
35 | 柳田國男 我孫子市 | Wikipedia |
柳田 國男(やなぎた くにお、1875年(明治8年)7月31日 - 1962年(昭和37年)8月8日)は、日本の民俗学者・官僚。明治憲法下で農務官僚、貴族院書記官長、終戦後から廃止になるまで最後の枢密顧問官などを務めた。1949年日本学士院会員、1951年文化勲章受章。1962年勲一等旭日大綬章(没時陞叙)。 | ||
36 | 星野勇三 | Wikipedia |
星野 勇三(ほしの ゆうぞう、1875年 - 1964年11月2日)は、日本の農学者、遺伝学者。農学博士。称号は北海道帝国大学名誉教授・羽黒町名誉町民(現・鶴岡市名誉市民)。山形県東田川郡羽黒町(現・鶴岡市)出身。 | ||
37 | 佐々木月樵 安城市 | Wikipedia |
佐々木 月樵(ささき げっしょう、旧姓山田、1875年(明治8年)4月13日 - 1926年(大正15年)3月6日)は、日本の仏教学者、教育者。愛知県出身。大谷大学教授。のち大谷大学学長。清沢満之門下。愛知県出身。著作に『親鸞聖人伝』、『支那浄土教史』などがある。 | ||
38 | 小西重直 米沢市 | Wikipedia |
小西 重直(こにし しげなお、1875年(明治8年)1月15日- 1948年(昭和23年)7月21日)は、日本の教育学者。第9代京都帝国大学総長。 | ||
39 | 市村光恵 | Wikipedia |
市村 光恵(いちむら みつえ、1875年8月5日 - 1928年9月27日)は、日本の地方政治家、憲法学者。 | ||
40 | 田部隆次 | Wikipedia |
田部 隆次(たなべ りゅうじ、1875年10月20日 - 1957年12月20日)は、英文学者。富山県の南日家に生まれ、兄に英語教育者の南日恒太郎、弟に、やはり田部家へ養子に入った英文学者の田部重治がいる。村松剛・村松英子の母方の祖父。 | ||
41 | 斎藤隆三 守谷市 | Wikipedia |
斉藤 隆三(さいとう りゅうぞう、1875年(明治8年)4月6日 - 1961年(昭和36年)4月7日)は、千葉県相馬郡守谷町(現:茨城県守谷市)出身の史学者・文学博士。 | ||
42 | 宇野哲人 熊本市 | Wikipedia |
宇野 哲人(うの てつと、明治8年(1875年)11月15日 - 昭和49年(1974年)2月19日)は儒学者で、東洋学の開拓者の一人。東京大学名誉教授。東方文化学院院長、実践女子大学学長、東方学会理事長・会長などを歴任。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
43 | 斉藤隆三 守谷市 | Wikipedia |
斉藤 隆三(斎藤 隆三、さいとう りゅうぞう、1875年(明治8年)4月6日 - 1961年(昭和36年)4月7日)は、千葉県相馬郡守谷町(現:茨城県守谷市)出身の史学者・文学博士。 | ||
44 | 箭内亙 | Wikipedia |
箭内 亙(やない わたり、1875年(明治8年)7月17日 - 1926年(大正15年)2月10日)は、東洋史学者、東京帝国大学教授。号は尚軒。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
45 | 石川岩吉 広島市 | Wikipedia |
石川 岩吉(いしかわ いわきち、1875年2月22日 - 1960年6月6日)は、日本の教育者。國學院大學名誉学長。 | ||
法政大学出身 出身の法政大学の出身者 全国の法政大学の出身者 | ||
46 | 村川堅固 | Wikipedia |
村川 堅固(むらかわ けんご、1875年1月28日 - 1946年1月21日)は、日本の西洋史学者。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
47 | 高木貞治 本巣市 | Wikipedia |
高木 貞治(たかぎ ていじ、1875年(明治8年)4月21日 - 1960年(昭和35年)2月28日)は、日本の数学者。東京帝国大学教授。第1回フィールズ賞選考委員。文化勲章受章。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
48 | 柳田國男 福崎町 | Wikipedia |
柳田 國男(やなぎた くにお、1875年(明治8年)7月31日 - 1962年(昭和37年)8月8日)は、日本の民俗学者・官僚。現在の兵庫県神崎郡福崎町生まれで、最晩年に名誉町民第1号となった。没後に正三位勲一等。当時の池田首相が「民間人とはいえ、これだけの人物に瑞宝章では軽い」と発言し旭日大綬章が供えられた。帝国憲法下の農務官僚で貴族院書記官長、終戦後から廃止になるまで最後の枢密顧問官に就いた。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
49 | 飯島忠夫 | Wikipedia |
飯島 忠夫(いいじま ただお、1875年2月3日 - 1954年9月27日)は、東洋史学者。 | ||
50 | 高橋偵造 | Wikipedia |
高橋 偵造(たかはし ていぞう、1875年9月2日 - 1952年9月26日)は、日本の農芸化学者。 | ||
51 | 藤村作 柳川市 | Wikipedia |
藤村 作(ふじむら つくる、1875年〈明治8年〉5月6日 - 1953年〈昭和28年〉12月1日)は、福岡県柳川出身の国文学者、東京帝国大学名誉教授。 | ||
東洋大学出身 出身の東洋大学の出身者 全国の東洋大学の出身者 | ||
52 | 五来欣造 さいたま市 | Wikipedia |
五来 欣造(ごらい きんぞう、1875年(明治8年)6月 - 1944年(昭和19年)8月1日)は、日本の政治学者、文学者、読売新聞主筆、明治大学教授、早稲田大学教授、皇化連盟代表。茨城県出身。五来素川(ごらい そせん)や斬馬剣禅(ざんば けんぜん)の筆名での作品を残す。青年時代に植村正久の教えをうけた敬虔なクリスチャンであった。 |
研究者・研究家・発明家
53 | 八波則吉 福津市 | Wikipedia |
八波 則吉(やつなみ のりきち、1875年3月1日 - 1953年12月7日)は、日本の日本文学研究者、国語教育学者、作詞家。旧制第四高等学校教授、旧制第五高等学校名誉教授。 | ||
54 | 三上義夫 | Wikipedia |
三上 義夫(みかみ よしお、1875年〈明治8年〉2月16日 - 1950年〈昭和25年〉12月31日)は日本の数学史家、和算研究家。日本の数学と中国の数学を英文で西洋に紹介した。 | ||
55 | 石井常造 | Wikipedia |
石井 常造(いしい つねぞう、1875年(明治8年)1月2日 - 没年不詳)は、日本の陸軍軍人、生気研究者。基隆要塞司令官を務めた陸軍少将で、また生気自強療法を唱え生気の医療への応用を図った。従四位勳三等功四級。 |
画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家
56 | 武井真澂 諏訪市 | Wikipedia |
武井 真澂(たけい しんちょう、1875年(明治8年)6月24日 - 1957年(昭和32年)6月3日)は、日本の山岳画家。本名は真澄。 | ||
57 | 高橋廣湖 山鹿市 | Wikipedia |
高橋 廣湖(たかはし こうこ、明治8年(1875年)4月1日 - 大正元年(1912年)6月2日)は、日本の明治時代に活動した日本画家。 | ||
58 | 細谷而楽 | Wikipedia |
細谷而楽(ほそやじらく、1875年(明治8) - 1940年(昭和15))は、彫刻家。本名三郎。群馬県城東町(現、前橋市一毛町)生まれ。 | ||
59 | 結城素明 白河市 | Wikipedia |
結城 素明(ゆうき そめい、1875年(明治8年)12月10日 - 1957年(昭和32年)3月24日)は、日本の明治から昭和にかけて活躍した日本画家。日本芸術院会員。 | ||
60 | 上島鳳山 笠岡市 | Wikipedia |
上島 鳳山(うえしま ほうざん、明治8年(1875年)10月23日 - 大正9年(1920年)7月25日)は、日本の明治から大正にかけて活動した日本画家。同時代の北野恒富や菅楯彦、岡本大更らと共に、近代の大阪を代表する画家の一人である。 | ||
61 | 福田眉仙 相生市 | Wikipedia |
福田 眉仙(ふくだ びせん、明治8年(1875年)9月5日 - 昭和38年(1963年)10月28日)は、新南画を拓いた画家。 | ||
62 | 上村松園 京都市 | Wikipedia |
上村 松園(うえむら しょうえん、1875年(明治8年)4月23日 - 1949年(昭和24年)8月27日)は、日本画家。本名は上村 津禰(うえむら つね、「禰」は「示」ヘンに「爾」)、常子(つねこ)と名乗っていたこともある。明治の京都下京に生まれ育ち、女性の目を通して「美人画」を描いた。1948年(昭和23年)女性として初めて文化勲章を受章。 | ||
京都市立芸術大学出身 出身の京都市立芸術大学の出身者 全国の京都市立芸術大学の出身者 |
政治家・議員・首長
63 | 工藤鉄男 青森市 | Wikipedia |
工藤 鉄男(工藤 鐵男、くどう てつお、1875年8月5日 - 1953年6月16日)は、大正・昭和期の日本の男性政治家。元国務大臣。 | ||
日本大学出身 出身の日本大学の出身者 全国の日本大学の出身者 | ||
64 | 小山完吾 | Wikipedia |
小山 完吾(こやま かんご、明治8年(1875年)5月18日 - 昭和30年(1955年)7月23日)は、日本のジャーナリスト・政治家。貴族院勅選議員、衆議院議員、時事新報社長。交友倶楽部所属。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
65 | 樋口秀雄 飯田市 | Wikipedia |
樋口 龍峡(ひぐち りゅうきょう、1875年5月14日 - 1929年6月6日)は、評論家、社会学者、政治家。本名は樋口秀雄、別号は暁雪。1909年に文芸革新会を興し、自然主義批判の文芸評論家として活躍した一方で、1915年には衆議院議員に当選し、政治家としても活動した。 | ||
66 | 叶内長兵衛 | Wikipedia |
叶内長兵衛(かのうち ちょうべい、1875年(明治8年)1月27日 - 1961年(昭和36年)2月2日)は、日本の銀行家。政治家。元殖産相互銀行社長。 | ||
67 | 森喜平 能美市 | Wikipedia |
森 喜平(もり きへい、1875年 - 1969年2月22日)は、日本の政治家。息子は根上町長を務めた森茂喜。内閣総理大臣を務めた森喜朗の祖父である。 | ||
68 | 平塚広義 新庄市 | Wikipedia |
平塚 広義(ひらつか ひろよし、旧字体 : 平塚 廣義、1875年9月2日 - 1948年1月26日)は、日本の内務官僚。1府3県の知事、台湾総督府総務長官、貴族院勅選議員などをつとめた。正三位勲二等、山形県士族。父は新庄藩士の平塚榮次郎、弟は蚕糸学者で文化功労者の平塚英吉、長男は俳優・著述家の九重京司(本名・平塚広雄)である。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
69 | 岩田宙造 光市 | Wikipedia |
岩田 宙造(いわた ちゅうぞう、1875年4月7日 - 1966年2月22日)は、日本の弁護士、政治家。正三位、勲一等瑞宝章。法学博士。貴族院議員。 | ||
70 | 広瀬直幹 東かがわ市 | Wikipedia |
広瀬 直幹(ひろせ ちょくかん、1875年(明治8年)1月 - 1936年(昭和11年)5月2日)は、日本の内務官僚。官選宮崎県知事。旧姓・豊田。 | ||
71 | 菊池武夫 | Wikipedia |
菊池 武夫(きくち たけお、1875年(明治8年)7月23日 - 1955年(昭和30年)12月1日)は、日本の陸軍軍人、政治家。貴族院議員(男爵議員)。陸軍中将功四級男爵。熊本県菊池郡出身。 | ||
72 | 松永安左エ門 志木市 | Wikipedia |
松永 安左エ門(松永 安左衞門、まつなが やすざえもん、1875年(明治8年)12月1日 - 1971年(昭和46年)6月16日)は、「電力王」「電力の鬼」と言われた日本の財界人。政治家(帝国議会衆議院議員1期)。壱岐出身。美術コレクター、茶人としても知られ、耳庵(じあん)の号を持つ近代小田原三茶人の一人。氏名は「松永安左ヱ門」と表記されることもある。 | ||
73 | 金城紀光 那覇市 | Wikipedia |
金城 紀光(かなぐすく / きんじょう きこう、1875年(明治8年)11月4日 - 1967年(昭和42年)8月10日)は、沖縄県出身の医師、政治家。衆議院議員、那覇市長。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
74 | 林七六 岡谷市 | Wikipedia |
林 七六(はやし しちろく、1875年(明治8年)9月 - 1950年(昭和25年)2月9日[3])は、大正から昭和時代前期の政治家、衆議院議員、貴族院多額納税者議員、実業家。長野県岡谷市長。 |
評論家
75 | 樋口龍峡 飯田市 | Wikipedia |
樋口 龍峡(ひぐち りゅうきょう、1875年5月14日 - 1929年6月6日)は、評論家、社会学者、政治家。 本名は樋口秀雄、別号は暁雪。1909年に文芸革新会を興し、自然主義批判の文芸評論家として活躍した一方で、1915年には衆議院議員に当選し、政治家としても活動した。 | ||
東京帝国大学出身 出身の東京帝国大学の出身者 全国の東京帝国大学の出身者 | ||
76 | 田口掬汀 仙北市 | Wikipedia |
田口 掬汀(たぐち きくてい、1875年1月18日 - 1943年8月9日)は、日本の小説家、劇作家、美術評論家である。本名は田口 鏡次郎(たぐち きょうじろう)。子息に画家の田口省吾、孫に小説家の高井有一。 | ||
77 | 水野廣徳 | Wikipedia |
水野 広徳(みずの ひろのり、旧字体: 水野 廣德、明治8年(1875年)5月24日 - 昭和20年(1945年)10月18日)は、日本海軍の軍人・軍事評論家。最終階級は海軍大佐。父は旧松山藩能方の水野光之で末子。 |
宗教家・思想家・運動家
78 | 竹崎八十雄 熊本市 | Wikipedia |
竹崎 八十雄(たけざき やそお、1875年(明治8年)10月5日 - 1950年(昭和25年)5月11日)は、日本の牧師で、教育者である。 | ||
79 | 岸一太 岡山市 | Wikipedia |
岸一太(きしかずた、1875年(明治7年)10月28日 - 1937年(昭和12年)5月8日)は、日本の医師、工学技師、宗教家。台湾総督府医院初代医長、台湾総督府医学校教授、関東都督府技師、帝都復興院技師などを務めたほか、飛行発動機の開発などで活躍するが、宗教団体を立ち上げ、精神病の判定をされるなど波乱万丈の一生を送った。 | ||
80 | 曽我量深 新潟市 | Wikipedia |
曽我 量深(そが りょうじん、1875年(明治8年)9月5日 - 1971年(昭和46年)6月20日)は、日本の明治~昭和期に活躍した真宗大谷派僧侶、仏教思想家。真宗大谷派講師、大谷大学学長、同大学名誉教授。旧姓、富岡。法名、「無極院釋量深」。 | ||
81 | 島地大等 盛岡市 | Wikipedia |
島地 大等(しまじ だいとう、1875年10月8日 - 1927年7月4日)は、浄土真宗の僧侶。旧姓は姫宮、幼名は等。新潟県頸城郡三郷村(現・上越市)出身。 |
俳人・歌人・詩人
82 | 野口米次郎 津島市 | Wikipedia |
野口 米次郎(のぐち よねじろう、1875年〈明治8年〉12月8日 - 1947年〈昭和22年〉7月13日)は、明治・大正・昭和前期の英詩人、小説家、評論家、俳句研究者。イサム・ノグチの父親。内田魯庵からノーベル文学賞の受賞を待望され、太平洋戦争には協力的であった。 | ||
83 | 三木与吉郎(12代) 松茂町 | Wikipedia |
12代 三木 与吉郎(みき よきちろう、1875年(明治8年)11月27日 - 1938年(昭和13年)6月23日)は、日本の政治家、実業家、漢詩人。衆議院議員、貴族院多額納税者議員。徳島県松茂町出身。旧名は康治。号は天遊舎愛松。 | ||
84 | 蒲原有明 白石町 | Wikipedia |
蒲原 有明(かんばら ありあけ、1875年(明治8年)3月15日 - 1952年(昭和27年)2月3日)は、日本の詩人。本名、隼雄(はやお)。東京生まれ。 | ||
85 | 加藤雪腸 牧之原市 | Wikipedia |
加藤 雪腸(かとう せっちょう、1875年(明治8年)1月2日 - 1932年(昭和7年)11月24日)は、静岡県出身の日本の俳人。別号に清白之舎、千里坊など。本名は孫平。 | ||
86 | 下村宏 | Wikipedia |
下村 宏(しもむら ひろし、明治8年(1875年)5月11日 - 昭和32年(1957年)12月9日)は、明治・大正・昭和の官僚、新聞経営者、政治家、歌人。号は海南(かいなん)。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
87 | 島田五空 能代市 | Wikipedia |
島田 五空(しまだ ごくう、1875年(明治8年)4月1日 - 1928年(昭和3年)12月26日)は秋田県山本郡(現・能代市)出身の俳人。 | ||
88 | 寒川鼠骨 | Wikipedia |
寒川 鼠骨(さむかわ そこつ、1875年(明治8年)11月3日 - 1954年(昭和29年)8月18日)は、正岡子規門下の俳人。病床の子規に侍り、遺族を見守り、遺墨・遺構の保存に尽くした。 |
その他の職業
89 | 和田重次郎 | Wikipedia |
和田 重次郎(わだ じゅうじろう、1875年(明治8年)1月6日 - 1937年(昭和12年)3月5日)は、北米、アラスカ、カナダで著名なマッシャー(犬橇使い)。金鉱発掘やトレイル開拓、遭難船救助など行う。アラスカで行われる屋内マラソンランナーとしても三度の優勝を飾る。 | ||
90 | 清水南山 三原市 | Wikipedia |
清水 南山(しみず なんざん、本名: 清水 亀蔵、1875年3月30日 - 1948年12月7日)は、広島県豊田郡能地村(現・三原市幸崎町能地)出身の彫金家。日本画の大家である平山郁夫の祖母の兄。 | ||
91 | 岡村千馬太 安曇野市 | Wikipedia |
岡村 千馬太(おかむら ちまた、1875年2月1日 - 1936年6月15日)は日本の教育者。号は天機。 | ||
92 | 金成マツ 登別市 | Wikipedia |
金成 マツ(かんなり まつ、1875年11月10日 - 1961年4月6日)は北海道幌別郡オカシペッ(現:登別市千歳町)出身のアイヌ女性。正しい和名は金成 广知(まち)。アイヌ名はイメカヌまたは、イメカノ。ユーカラの伝承者として高名である。 |