出身で1873年生まれの有名人

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ジャーナリスト
 1  青柳有美    秋田市Wikipedia
青柳 有美(あおやぎ ゆうび、1873年(明治6年)9月27日 - 1945年(昭和20年)7月10日)は、ジャーナリスト、随筆家、牧師。
同志社大学出身      出身の同志社大学の出身者      全国の同志社大学の出身者
 2  河上清    Wikipedia
河上 清(かわかみ きよし、1873年8月2日 - 1949年10月12日)は、米国で活躍した日本人ジャーナリスト。日本におけるキリスト教社会主義の活動家の1人である。山形県出身。
慶應義塾大学出身      出身の慶應義塾大学の出身者      全国の慶應義塾大学の出身者
 3  羽仁もと子    八戸市Wikipedia
羽仁 もと子(はに もとこ、1873年9月8日 - 1957年4月7日)は、日本で女性初のジャーナリスト。また、自由学園の創立者。


格闘技
 4  髙見山酉之助    銚子市Wikipedia
髙見山 酉之助(たかみやま とりのすけ、1873年10月25日 - 1924年1月11日)は、大相撲の力士。新治県海上郡(現在の千葉県銚子市)出身。最高位は関脇(1910年1月場所)。本名吉岡酉之助。現役時代の体格は身長173cm、体重139kg。
 5  高見山酉之助    銚子市Wikipedia
髙見山 酉之助(たかみやま とりのすけ、1873年10月25日 - 1924年1月11日)は、大相撲の力士。新治県海上郡(現在の千葉県銚子市)出身。最高位は関脇(1910年1月場所)。本名吉岡酉之助。現役時代の体格は173cm、139kg。


登山家・冒険家・探検家
 6  小暮理太郎    太田市Wikipedia
木暮 理太郎(こぐれ りたろう、1873年12月7日 - 1944年5月7日)は、日本の登山家。
 7  木暮理太郎    沼田市Wikipedia
木暮 理太郎(こぐれ りたろう、1873年12月7日 - 1944年5月7日)は、日本の登山家。


作家・小説家・エッセイ・文筆・翻訳家・編集者
 8  泉鏡花    金沢市Wikipedia
泉 鏡花(いずみ きょうか、1873年(明治6年)11月4日 - 1939年(昭和14年)9月7日)は、日本の小説家。明治後期から昭和初期にかけて活躍した。小説の他に戯曲や俳句も手がけた。本名、鏡太郎(きょうたろう)。金沢市下新町生れ。


弁護士
 9  岡田庄作    Wikipedia
岡田 庄作(おかだ しょうさく、1873年(明治6年)3月 - 1937年(昭和12年)5月4日)は、日本の裁判官、弁護士。
明治大学出身      出身の明治大学の出身者      全国の明治大学の出身者


建築家・建築学者・技術者
 10  秋山武三郎    米沢市Wikipedia
秋山 武三郎(あきやま たけさぶろう、明治6年(1873年)5月8日 - 昭和13年(1938年)3月6日)は、電気通信技術の専門家。勲五等(明治39年(1906年))。学資を稼ぎながら苦学して大成した後もつね子夫人とともに勤倹に努め、昭和11年(1936年)「郷里の教育基金に」と、米沢市に20万円を寄付した(当時の米沢市年間予算が39万円)。苦学力行の士として知られる。
東京帝国大学出身      出身の東京帝国大学の出身者      全国の東京帝国大学の出身者


経営者・実業家
 11  藤田謙一    弘前市Wikipedia
藤田 謙一(ふじた けんいち、1873年(明治6年)1月5日 - 1946年(昭和21年)3月12日)は、日本の実業家。日本商工会議所初代会頭、貴族院議員を務めた。
明治大学出身      出身の明治大学の出身者      全国の明治大学の出身者
 12  平山秀雄    Wikipedia
平山 秀雄(ひらやま ひでお、Hideo Hirayama 1873年1月19日 - 1852年6月4日)は、香川県出身の実業家、レッテルの開祖 平山秀山堂代表取締役。全国正札・レッテル組合連合会会長
 13  星一    Wikipedia
星 一(ほし はじめ、1873年(明治6年)12月25日 - 1951年(昭和26年)1月19日)は、福島県いわき市出身の実業家・政治家。略称、ホシピン。SF作家星新一の父。写真植字機を開発した石井茂吉と森澤信夫が出会うきっかけとなった星製薬を築いた。また、星薬科大学の創立者。
 14  保田大吉    広島市Wikipedia
保田 大吉(やすだ だいきち、1873年(明治6年)4月 - 没年不明)は、日本の酒・醤油醸造家、醤油「龜甲保」、清酒「園の白菊」の醸造元、実業家。谷口印刷、宮島ホテル各監査役[3][4]。族籍は広島県平民。旧姓は尼子。
 15  安宅弥吉    Wikipedia
安宅 弥吉(あたか やきち、1873年4月25日 - 1949年2月5日)は石川県金沢市金石生まれの実業家。安宅産業や学校法人甲南女子学園の創設者。元大阪商工会議所会頭。鈴木大拙のパトロン的存在としても知られる。
一橋大学出身      出身の一橋大学の出身者      全国の一橋大学の出身者
 16  野口遵    金沢市Wikipedia
野口 遵(のぐち したがう、1873年7月26日 - 1944年1月15日)は、日本の実業家。日本窒素肥料(現・チッソ)を中核とする日窒コンツェルンを一代で築いた。「電気化学工業の父」や「朝鮮半島の事業王」などと称された。チッソの他にも、旭化成、積水化学工業、積水ハウス、信越化学工業の実質的な創業者でもある。
 17  橋本正治    札幌市Wikipedia
橋本 正治(はしもと まさはる、1873年(明治6年)5月17日 - 1956年(昭和31年)10月8日)は、日本の内務官僚、政治家。北海道札幌市長、山口県知事、鹿児島県知事、呉市長、札幌観光協会長[3]。札幌市栄誉市民。旧姓・吉田。
 18  大沼保吉    Wikipedia
大沼 保吉(おおぬま やすきち、1873年〈明治6年〉2月3日 - 1962年〈昭和37年〉10月22日)は、日本の造り酒屋経営者。政治家。寿虎屋酒造経営者(第8代)。千代寿虎屋酒造経営者(初代)。山形市長(第10代・3期)。山形県会議員(1期)。山形市会議員(4期)。山形市名誉市民(第1号)。山形商工会議所会頭(第6代)。山形県酒造組合連合会会長。山形市東南村山郡酒造組合組合長(初代)。
一橋大学出身      出身の一橋大学の出身者      全国の一橋大学の出身者
 19  加藤敬三郎    Wikipedia
加藤 敬三郎(かとう けいさぶろう、1873年(明治6年)4月19日 - 1939年(昭和14年)12月3日)は、日本の逓信官僚、銀行家、政治家。北海道拓殖銀行頭取、朝鮮銀行総裁、貴族院議員。旧姓・川村。
 20  山本唯三郎    岡山市Wikipedia
山本唯三郎(やまもと たださぶろう、1873年(明治6年)11月8日 - 1927年(昭和2年)4月17日)は、明治から大正にかけて活躍した実業家。
 21  加瀬禧逸    旭市Wikipedia
加瀬 禧逸(かせ きいつ、1873年(明治6年)9月25日 - 1928年(昭和3年)5月4日)は、日本の衆議院議員(政交倶楽部→猶興会→又新会→亦楽会→中正会[3])、弁護士。
 22  小林一三    韮崎市Wikipedia
小林 一三(こばやし いちぞう、1873年(明治6年)1月3日 - 1957年(昭和32年)1月25日)は日本の実業家、政治家。阪急電鉄・宝塚歌劇団・阪急百貨店・東宝をはじめとする阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者。日露戦争後に大阪に出て、鉄道を起点とした都市開発、流通事業を一体的に進め、六甲山麓の高級住宅地、温泉、遊園地、野球場、学校法人関西学院等の高等教育機関の沿線誘致などを電鉄に連動させ日本最初の田園都市構想を実現し、相乗効果を上げる私鉄経営モデルの原型を独自に作り上げた。政界では、第2次近衛内閣の商工大臣を務めて革新官僚の商工次官・岸信介と対立、1941年(昭和16年)から貴族院勅選議員、幣原内閣で国務大臣、初代戦災復興院総裁を歴任したが、戦後公職追放となった。
慶應義塾大学出身      出身の慶應義塾大学の出身者      全国の慶應義塾大学の出身者
 23  勝田銀次郎    Wikipedia
勝田 銀次郎(かつた ぎんじろう、1873年10月1日 - 1952年4月24日[2])は、日本の政治家、実業家。勝田商会創業者。山下亀三郎、内田信也と並ぶ「三大船成金」の一人[3]。神戸市会議員、衆議院議員、貴族院議員、第8代神戸市長(在任:1933年12月21日[4] - 1941年12月20日[5])。準戦時体制下の神戸市政を担い「鉄腕市長」と呼ばれた[5]。愛媛県出身[6]。
青山学院大学出身      出身の青山学院大学の出身者      全国の青山学院大学の出身者
 24  小林一三    Wikipedia
小林 一三(こばやし いちぞう、1873年(明治6年)1月3日 - 1957年(昭和32年)1月25日)は日本の実業家、政治家。阪急電鉄・宝塚歌劇団・阪急百貨店・東宝をはじめとする阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者。日露戦争後に大阪に出て、鉄道を起点とした都市開発、流通事業を一体的に進め、六甲山麓の高級住宅地、温泉、遊園地、野球場、学校法人関西学院等の高等教育機関の沿線誘致などを電鉄に連動させ日本最初の田園都市構想を実現し、相乗効果を上げる私鉄経営モデルの原型を独自に作り上げた。政界では、第2次近衛内閣の商工大臣を務めて革新官僚の商工次官・岸信介と対立、1941年(昭和16年)から貴族院勅選議員、幣原内閣で国務大臣、初代戦災復興院総裁を歴任したが、戦後公職追放となった。
慶應義塾大学出身      出身の慶應義塾大学の出身者      全国の慶應義塾大学の出身者
 25  尚順    那覇市Wikipedia
尚 順(しょう じゅん、1873年5月2日- 1945年6月17日)は、最後の琉球国王・尚泰王の四男。男爵で貴族院議員。琉球新報、沖縄銀行(日本の華族界における十五銀行(別名、華族銀行)に相当する銀行で、現在の沖縄銀行とは無関係)の創立者。
 26  寺澤誠二    Wikipedia
寺澤 誠二(てらさわ せいじ)は、日本のミキシングエンジニア、音楽プロデューサー、作詞家、作曲家、実業家。
 27  窪田四郎    行方市Wikipedia
窪田 四郎(くぼた しろう、1873年5月25日 - 1944年9月14日)は日本の実業家。
一橋大学出身      出身の一橋大学の出身者      全国の一橋大学の出身者


医師・看護師
 28  福田令寿    宇城市Wikipedia
福田 令寿(ふくだ れいじゅ、1873年1月10日 - 1973年8月7日)は、日本の医師。教育者。社会事業家。熊本市名誉市民。


軍人
 29  平石弁蔵    Wikipedia
平石 弁蔵(ひらいし べんぞう、1873年(明治6年) - 1942年(昭和17年))は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍歩兵少佐。『会津戊辰戦争』の著者として知られる。
 30  井上一次    Wikipedia
井上 一次(いのうえ かずつぐ、1873年7月28日 - 没年不詳)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
 31  津野田是重    Wikipedia
津野田 是重(つのだ これしげ、1873年(明治6年)11月25日 - 1930年(昭和5年)9月2日)は、大日本帝国陸軍の軍人、政治家。熊本県出身。最終階級は陸軍少将。衆議院議員。
 32  山縣初男    Wikipedia
山縣 初男(やまがた はつお、1873年(明治6年)8月31日 - 1971年(昭和46年)1月11日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大佐。陸軍の中国通(支那通)の一人として知られ、繆斌工作に関与していた。別号は三志園、海城。娘婿は自由民主党の政治家である三原朝雄。新潟県村上本町表新町(現・村上市)に生まれる。
 33  金谷範三    豊後高田市Wikipedia
金谷 範三(かなや はんぞう、1873年4月24日 - 1933年6月6日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。
 34  吉田豊彦    Wikipedia
吉田 豊彦(よしだ とよひこ、明治6年(1873年)11月1日 - 昭和26年(1951年)1月10日)は、日本の陸軍軍人。陸軍省兵器局長、陸軍造兵廠長官、陸軍技術本部長等を歴任し、階級は陸軍大将勲一等功四級に至る。軍を退いてからは日本製鐵取締役や満州電業社長を務める。


官僚
 35  有賀光豊    Wikipedia
有賀 光豊(あるが みつとよ、1873年5月23日 - 1949年5月31日)は、日本の官僚。


公務員
 36  小幡酉吉    Wikipedia
小幡 酉吉(おばた ゆうきち、1873年(明治6年)4月12日 - 1947年(昭和22年)8月9日)は、日本の外交官。


学者・教授・准教授
 37  丹下梅子    Wikipedia
丹下 梅子(たんげ うめこ、1873年3月17日 - 1955年1月29日)は、日本の栄養学者で、日本初の女性農学博士である。女性で初めて帝国大学に入学、卒業した。
日本女子大学出身      出身の日本女子大学の出身者      全国の日本女子大学の出身者
 38  吉丸一昌    臼杵市Wikipedia
吉丸 一昌(よしまる かずまさ、1873年9月15日 - 1916年3月7日)は、日本の作詞家、文学者、教育者。代表作は『早春賦』など。東京府立第三中学校教諭、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)教授。大分県北海部郡海添村(現臼杵市海添)出身。
東京帝国大学出身      出身の東京帝国大学の出身者      全国の東京帝国大学の出身者
 39  戸沢正保    水戸市Wikipedia
戸沢 正保(とざわ まさやす、1873年(明治6年)6月9日 - 1955年(昭和30年)3月12日)は、イギリス文学者。東京外国語学校校長。姑射の号でウィリアム・シェイクスピア作品の翻訳を行った[3]。
 40  林鶴一    Wikipedia
林 鶴一(はやし つるいち、1873年(明治6年)6月13日 - 1935年(昭和10年)10月4日)は日本の数学者、数学史家。京都帝国大学理工科大学の助教授、東北帝国大学理科大学の教授を勤めた。
 41  朝河貫一    Wikipedia
朝河 貫一(あさかわ かんいち、1873年(明治6年)12月20日 - 1948年(昭和23年)8月10日)は、日本の歴史学者。イェール大学では“Historian”、“Curator”(キュレーター)、“Peace Advocate”(平和の提唱者)として評価されている人である。
早稲田大学出身      出身の早稲田大学の出身者      全国の早稲田大学の出身者
 42  新城新蔵    Wikipedia
新城 新蔵(しんじょう しんぞう、1873年(明治6年)8月20日 - 1938年(昭和13年)8月1日)は日本の天文学者・東洋学者、理学博士。専門は宇宙物理学および中国古代暦術。戦前における東洋天文学研究の権威であった。第8代京都帝国大学総長。
 43  山田孝雄    富山市Wikipedia
山田 孝雄(やまだ よしお、1873年(明治6年)5月10日(実際には1875年(明治8年)8月20日) - 1958年(昭和33年)11月20日)は、日本の国語学者。
皇學館大学出身      出身の皇學館大学の出身者      全国の皇學館大学の出身者
 44  田原淳    国東市Wikipedia
田原 淳(たわらすなお、たはら すなお、1873年7月5日 - 1952年1月19日)は日本の病理学者。
 45  二木謙三    秋田市Wikipedia
二木 謙三(ふたき けんぞう、1873年(明治6年)1月10日 - 1966年(昭和41年)4月27日)は、日本の細菌学者、医師。 秋田県秋田市千秋明徳町、樋口順泰の二男として出生、二木家の養子となる。山口高等学校を経て、東京帝国大学医学部を卒業、東京市立駒込病院に勤務。1903年(明治36年)赤痢菌「駒込A、B菌」を分離する。1905年(明治38年)ドイツに留学、ミュンヘン大学教授のグルーバーに師事。1909年(明治42年)駒込病院副院長、東大講師、医学博士、1914年(大正3年)年東大助教授、1915年(大正4年)高木逸磨等と共に「鼠咬症(そこうしょう)スピロヘータ」発見。1919年(大正8年)駒込病院長、1921年(大正10年)東大教授。1929年(昭和4年)学士院賞受賞、日本医科大学、東京歯科医専、日本女子大学教授となる。1951年(昭和26年)日本学士院会員、日本伝染病学会(現・日本感染症学会)長。1955年(昭和30年)文化勲章授与。1966年(昭和41年)93歳で没す。天然免疫学理の証明の実績を遺し、玄米食の提唱、実践運動や教育者として功績を残した。歴史学者で國學院大學名誉教授、日本中世史(戦国史)、有職故実の二木謙一の祖父。
 46  秦佐八郎    益田市Wikipedia
秦 佐八郎(はた さはちろう、1873年3月23日 - 1938年11月22日)は島根県美濃郡都茂村(現益田市)出身の細菌学者。学位は医学博士。当時難病であった梅毒の特効薬サルヴァルサン(砒素化合物製剤606号)をドイツのパウル・エールリヒ(1908年ノーベル生理学・医学賞受賞)と共に開発し、多くの患者を救ったことで知られる。
岡山大学出身      出身の岡山大学の出身者      全国の岡山大学の出身者
 47  青柳栄司    Wikipedia
青柳 栄司(あおやぎ えいじ、1873年3月12日 - 1944年8月12日)は、日本の電気工学者。送配電に関する研究に従事し、半真空電球やタングステンアーク灯などを発明。窒素バリウムの製法と適用法を確立した。また電気工学講習所などの設立につくした。信濃国安曇郡上堀金村(現長野県安曇野市)生まれ。
 48  美濃部達吉    高砂市Wikipedia
美濃部 達吉(みのべ たつきち、1873年(明治6年)5月7日 - 1948年(昭和23年)5月23日)は、日本の法学者、憲法学者、政治家、東京帝国大学名誉教授。
東京大学出身      出身の東京大学の出身者      全国の東京大学の出身者
 49  田村虎蔵    岩美町Wikipedia
田村 虎蔵(たむら とらぞう、1873年5月24日 - 1943年11月7日)は、日本の音楽教育家、作曲家。鳥取県岩美郡馬場村(現・岩美町馬場)生まれ、蒲生小学校卒業、 鳥取高等小学校、鳥取県尋常師範学校。東京音楽学校卒。 東京音楽学校、東京高等師範学校助教授。言文一致唱歌を提唱し、納所弁次郎らと「幼年唱歌」(1900年)「尋常小学唱歌」などを編集。1922年西洋に渡り音楽教育事情を研究、帰国後は、東京市音楽担当視学となる。弟子に堀内敬三がいる。
 50  三根円次郎    大村市Wikipedia
三根 円次郎(みね えんじろう、1873年 - 1935年3月18日)は長崎県大村市出身の日本の教育者である。
東京帝国大学出身      出身の東京帝国大学の出身者      全国の東京帝国大学の出身者
 51  西晋一郎    鳥取市Wikipedia
西 晋一郎(にし しんいちろう、1873年(明治6年)3月29日 - 1943年(昭和18年)11月13日)は、日本の倫理哲学者。文学博士。
 52  津田左右吉    武蔵野市Wikipedia
津田 左右吉(つだ そうきち、1873年(明治6年)10月3日 - 1961年(昭和36年)12月4日)は、20世紀前半の歴史学者である。『日本書紀』『古事記』を史料批判の観点から研究[注 1]したことで知られる。栄典は従三位勲一等瑞宝章、文化勲章。
 53  佐野善作    富士市Wikipedia
佐野 善作(さの ぜんさく、1873年8月29日 - 1952年5月1日)は、日本の会計学者、経済学者、教育家。商業教育に大きな功績があるとして、1952年に勲一等瑞宝章を受章した。長男は哲学者の佐野一彦。
 54  津田左右吉    美濃加茂市Wikipedia
津田 左右吉(つだ そうきち、1873年(明治6年)10月3日 - 1961年(昭和36年)12月4日)は、20世紀前半の歴史学者である。『日本書紀』『古事記』を史料批判の観点から研究[注 1]したことで知られる。栄典は従三位勲一等瑞宝章、文化勲章。


研究者・研究家・発明家
 55  小島烏水    Wikipedia
小島 烏水(こじま うすい、1873年12月29日-1948年12月13日)は、日本の登山家、随筆家、文芸批評家、浮世絵や西洋版画の収集家・研究家。本名は小島 久太。


画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家
 56  宮川春汀    田原市Wikipedia
宮川 春汀(みやがわ しゅんてい、明治6年〈1873年〉11月11日 - 大正3年〈1914年〉7月26日)とは、明治時代の浮世絵師。
 57  下村観山    和歌山市Wikipedia
下村 観山(しもむら かんざん、1873年(明治6年)4月10日 - 1930年(昭和5年)5月10日)は、明治 - 昭和初期の日本画家。本名は晴三郎。
東京芸術大学出身      出身の東京芸術大学の出身者      全国の東京芸術大学の出身者
 58  白瀧幾之助    朝来市Wikipedia
白滝 幾之助(しらたき いくのすけ、1873年(明治6年)3月17日 - 1960年(昭和35年)11月25日)は、兵庫県出身の日本の洋画家。作風は写実的作品を発表し続けた。
 59  川合玉堂    一宮市Wikipedia
川合 玉堂(かわい ぎょくどう、1873年〈明治6年〉11月24日 - 1957年〈昭和32年〉6月30日)は、明治・大正・昭和時代の日本で活動した日本画家。本名は 川合 芳三郎(かわい よしさぶろう)。画号は当初「玉舟(ぎょくしゅう)」、間もなく「玉堂」に改め、晩年は終の棲家と同名の「偶庵(ぐあん)」を別号として用いた。
 60  石井雙石明治    大網白里市Wikipedia
石井 雙石(いしい そうせき、 明治6年(1873年)4月1日 - 昭和46年(1971年)10月29日)は、昭和期の日本の篆刻家・書家である。
 61  根本愚洲    二本松市Wikipedia
根本 愚洲(ねもと ぐしゅう、文化3年(1806年)- 明治6年(1873年))は、江戸時代後期から明治初めの南画家。二本松藩御用絵師。
 62  西郷孤月    松本市Wikipedia
西郷 孤月(さいごう こげつ、明治6年(1873年)9月23日 - 大正元年(1912年)8月31日)は、明治期の日本画家、美術教育者である。本名は規(めぐる)。日本美術院の創設者のひとり。


政治家・議員・首長
 63  春日俊文    Wikipedia
春日 俊文(かすが としふみ、1873年(明治6年)4月20日 - 1937年(昭和12年)6月9日)は、日本の政治家。衆議院議員(立憲政友会)(2期)。
法政大学出身      出身の法政大学の出身者      全国の法政大学の出身者
 64  山崎延吉    金沢市Wikipedia
山崎 延吉(やまざき のぶよし、1873年6月26日 - 1954年7月19日)は、石川県出身の日本の農政家・教育者、衆議院議員(1期)、貴族院勅選議員。愛知県立農林学校初代校長。帝国農会幹事。愛知県の農業改善に力を尽くし安城市一帯が「日本デンマーク」と呼ばれるほどの農業先進地になったのは山崎の力が大きい。我農生との雅号をもつ。
東京大学出身      出身の東京大学の出身者      全国の東京大学の出身者
 65  江木翼    岩国市Wikipedia
江木 翼(えぎ たすく、1873年(明治6年)12月5日[注 1] - 1932年(昭和7年)9月18日)は、明治、大正、昭和時代の官僚、政治家。幼名・恵助(えすけ)。
 66  高橋本吉    北秋田市Wikipedia
高橋 本吉(たかはし もときち、1873年(明治6年)2月17日 - 1920年(大正9年)11月26日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。
 67  池松時和    Wikipedia
池松 時和(いけまつ ときかず、1873年8月 - 1953年4月17日)は、日本の内務官僚。政友会系官選府県知事。
 68  鈴木寅彦    Wikipedia
鈴木 寅彦(すずき とらひこ、1873年(明治6年)3月23日 - 1941年(昭和16年)9月18日は、日本の実業家、政治家。福島県士族。日本曹達社長、北海道瓦斯会長、東京瓦斯専務などを務め、衆議院議員当選5回。東京市政疑獄で有罪となったのち、第15代若松市長に就任。長女の隆子と岡田幸三郎の間に生まれた孫娘は順子と名づけられ、遠藤周作に嫁ぐ[3]。
早稲田大学出身      出身の早稲田大学の出身者      全国の早稲田大学の出身者
 69  有吉忠一    宮津市Wikipedia
有吉 忠一(ありよし ちゅういち、1873年6月2日 - 1947年2月10日)は、日本の内務官僚。元千葉県知事・宮崎県知事・神奈川県知事・兵庫県知事。朝鮮総督府政務総監。横浜市長。貴族院議員。横浜商工会議所会頭、日本商工会議所副会頭、日赤理事も務めた。豊岡県宮津(現・京都府宮津市)生まれ。クリスチャン。父は宮津藩藩士・京都留守居役・郡長の有吉三七。
 70  松永和一郎    栃木市Wikipedia
松永 和一郎(まつなが わいちろう、1873年(明治6年)6月10日 - 1953年(昭和28年))は、日本の政治家。栃木県宇都宮市長を務めた。
 71  塩田広重    宮津市Wikipedia
塩田 広重(しおた ひろしげ、1873年10月14日 - 1965年5月11日)は、日本の外科医。貴族院勅選議員、日本医科大学学長。
 72  美濃部達吉    武蔵野市Wikipedia
美濃部 達吉(みのべ たつきち、1873年(明治6年)5月7日 - 1948年(昭和23年)5月23日)は、日本の法学者、憲法学者、政治家、東京帝国大学名誉教授。戦前、和仏法律学校(現法政大学)に憲法講義を担当し、清国留学生法政速成科の憲法学の講義も担当した。法政大学通信教育学部の設立者。
 73  大木熊太郎    豊前市Wikipedia
大木 熊太郎(おおき くまたろう、1873年(明治6年)6月3日 - 1951年(昭和26年)2月)は、日本の実業家、政治家。
 74  菊池長右衛門    宮古市Wikipedia
菊池 長右衛門(きくち ちょううえもん、1873年(明治6年)11月3日 - 1922年(大正11年)5月16日)は、日本の政治家。元立憲政友会衆議院議員(1期)。
 75  志波安一郎    雲仙市Wikipedia
志波 安一郎(しば やすいちろう、1873年(明治6年)9月20日 - 1932年(昭和7年)6月10日)は、日本の衆議院議員(政友本党→立憲民政党→立憲政友会)。


評論家
 76  桐生悠々    金沢市Wikipedia
桐生 悠々(きりゅう ゆうゆう、1873年5月20日 - 1941年9月10日)は、石川県出身のジャーナリスト、評論家。本名は政次(まさじ)。明治末から昭和初期にかけて反権力・反軍的な言論(広い意味でのファシズム批判)をくりひろげ、特に信濃毎日新聞主筆時代に書いた社説「関東防空大演習を嗤(わら)ふ」は、当時にあって日本の都市防空の脆弱性を正確に指摘したことで知られる。
 77  登張竹風    江田島市Wikipedia
登張 竹風(とばり ちくふう、1873年10月2日 - 1955年1月6日)は、ドイツ文学者、評論家。本名信一郎(のぶいちろう)。


宗教家・思想家・運動家
 78  山本滝之助    沼隈町Wikipedia
山本 滝之助(やまもと たきのすけ、1873年11月15日 - 1931年10月26日)は、明治~昭和期の社会教育家、思想家。「青年団運動の先覚者」。広島県福山市出身。
 79  綱島梁川    高梁市Wikipedia
綱島 梁川(つなしま りょうせん、1873年(明治6年)5月27日 - 1907年(明治40年)9月14日)は、日本の宗教思想家、評論家。


俳人・歌人・詩人・歌人
 80  桃澤如水    Wikipedia
桃澤 如水(ももざわ にょすい、1873年(明治6年)1月14日 - 1906年(明治39年)8月29日)は、歌人で日本画家。本名は桃澤 重治(ももざわ しげはる)、画名は如水(にょすい)または桃画史(とうがし)、歌名を茂春(もしゅん)といい、筆名を三六、三六軒、子脩(ししゅう)などと称した。その祖に江戸時代中期の歌人である桃澤夢宅がいる。
 81  岩野泡鳴    洲本市Wikipedia
岩野 泡鳴(いわの ほうめい、1873年(明治6年)1月20日 - 1920年(大正9年)5月9日)は、明治・大正期の日本の小説家・詩人。本名は岩野美衛(よしえ)。名東県津名郡洲本馬場町(現・兵庫県洲本市海岸通2丁目)出身。明治学院、仙台神学校(現在の東北学院)、専修学校(現在の専修大学)に学ぶ。当時、神田神保町の専修学校では法律学と経済学を修め、1891年(明治24年)に卒業した。彼が満足に学校を終えたのは専修学校だけであり、卒業後、彼は志を転じ文学に向かう。
明治学院大学出身      出身の明治学院大学の出身者      全国の明治学院大学の出身者
 82  与謝野鉄幹    京都市Wikipedia
与謝野 鉄幹(正字: 與謝野 鐵幹、よさの てっかん, 1873年(明治6年)2月26日 - 1935年(昭和10年)3月26日)は、日本の歌人。本名は与謝野 寛(よさの ひろし)。鉄幹は号。与謝野晶子の夫。後に慶應義塾大学教授。文化学院学監。
 83  石井露月    秋田市Wikipedia
石井 露月(いしい ろげつ、1873年(明治6年)5月17日) - 1928年(昭和3年)9月18日)は、日本の俳人。本名は祐治。
 84  岡田撫琴    岡崎市Wikipedia
岡田撫琴(おかだ ぶきん、1873年 - 1940年5月10日)は、日本の新聞社経営者、出版人、俳人。1915年(大正4年)開催の「家康忠勝両公三百年祭」を実行面で取りしきった。近代岡崎市の文化発展に寄与した人物の一人。
 85  与謝野鉄幹    杉並区Wikipedia
与謝野 鉄幹(正字: 與謝野 鐵幹、よさの てっかん, 1873年(明治6年)2月26日 - 1935年(昭和10年)3月26日)は、日本の歌人。本名は与謝野 寛(よさの ひろし)。鉄幹は号。与謝野晶子の夫。後に慶應義塾大学教授。文化学院学監。
 86  河東碧梧桐    Wikipedia
河東碧梧桐(かわひがし へきごとう、1873年(明治6年)2月26日 - 1937年(昭和12年)2月1日)は、日本の俳人・随筆家。本名は秉五郎(へいごろう)。
東北大学出身      出身の東北大学の出身者      全国の東北大学の出身者
 87  与謝野鉄幹    渋谷区Wikipedia
与謝野 鉄幹(正字: 與謝野 鐵幹、よさの てっかん, 1873年(明治6年)2月26日 - 1935年(昭和10年)3月26日)は、日本の歌人。本名は与謝野 寛(よさの ひろし)。鉄幹は号。与謝野晶子の夫。後に慶應義塾大学教授。文化学院学監。
 88  岡田機外    鳥取市Wikipedia
岡田 機外(おかだ きがい、明治6年(1873年) - 昭和24年(1949年))は、日本の俳人。本名は鉄蔵。


その他の職業
 89  阪口吉蔵    西宮市Wikipedia
阪口 吉蔵(さかぐち きちぞう、1873年(明治6年)11月15日 - 没年不明)は、日本の酒造家、銀行家、兵庫県多額納税者。西宮銀行取締役[3][4][5]。前名・吉太郎[4]。族籍は兵庫県平民[5]。
 90  阪口市蔵    西宮市Wikipedia
阪口 吉蔵(さかぐち きちぞう、1873年(明治6年)11月15日 - 没年不明)は、日本の酒造家、銀行家、兵庫県多額納税者。西宮銀行取締役[3][4][5]。前名・吉太郎[4]。族籍は兵庫県平民[5]。
 91  柴田顕正    岡崎市Wikipedia
柴田 顕正(しばた けんせい、1873年7月15日 - 1940年4月20日)は、日本の郷土史家、教育者。『岡崎市史』全8巻(1926年~1930年)とその別巻である『徳川家康と其周囲』全3巻(1934年~1935年)を半生を傾けて完成させた。正式には「柴田顯正」と表記。
 92  橘糸重    亀山市Wikipedia
橘 糸重(たちばな いとえ、1873年10月18日 - 1939年9月1日)は、音楽家。
 93  小松倍一    塩尻市Wikipedia
小松 倍一(こまつ ばいいち、1873年(明治6年)9月15日 - 没年不詳)は、日本の教育者。
 94  北野うし    徳島市Wikipedia
北野 うし(きたの うし、1873年(明治6年)9月 - 1963年(昭和38年))は、女義太夫の太夫(語り手)である。


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