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このサイトに登録されている「出身で1871年生まれ」の有名人の数:80人
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ジャーナリスト
1 | 横山源之助 魚津市 | Wikipedia |
横山源之助(よこやま げんのすけ、1871年4月10日(明治4年2月2日) - 1915年(大正4年)6月3日)は、富山県中新川郡魚津町(現・魚津市)出身のジャーナリスト。号は天涯茫々生。他に有磯逸郎・無膓・夢蝶・漂天痴童・樹下石上人といった筆名を用いた。 | ||
中央大学出身 出身の中央大学の出身者 全国の中央大学の出身者 |
格闘技
2 | 尼ヶ嵜清吉 大阪市 | Wikipedia |
尼ヶ嵜 清吉(あまがさき せいきち、1871年12月14日(明治4年11月13日) - 1947年(昭和22年)3月4日)は、高砂部屋に所属した元力士。10代振分、12代間垣。本名は半田 清吉。現在の大阪府大阪市西淀川区出身。170cm、79kg。最高位は西小結。 | ||
3 | 湯浅竹次郎 会津若松市 | Wikipedia |
湯浅 竹次郎(ゆあさ たけじろう、1871年(明治4年)10月9日 - 1904年(明治37年)5月3日)は、日本の海軍軍人。日露戦争に「厳島」砲術長として出征し、第三回旅順港閉塞作戦で「相模丸」指揮官を務め戦死した海軍少佐である。栄典は従六位勲四等功五級。講道館柔道六段。講道館柔道殿堂に選ばれている一人。 | ||
4 | 荒岩亀之助 大山町 | Wikipedia |
荒岩 亀之助(あらいわ かめのすけ、1871年3月1日 - 1920年9月3日)は、鳥取県西伯郡大山町出身の元大相撲力士。本名は山崎 徳三郎(やまざき とくさぶろう)。 | ||
5 | 有村直吉 桜川市 | Wikipedia |
有村 直吉(ありむら なおきち、1871年3月15日(明治4年1月25日) - 1911年(明治44年)5月7日)は、入間川部屋に所属した元力士。11代入間川。本名は小池 直吉(こいけ なおきち)。現在の茨城県桜川市出身。165cm、109kg。得意手は押し。最高位は東前頭3枚目。 | ||
6 | 逆鉾与治郎 南さつま市 | Wikipedia |
逆鉾 与治郎(さかほこ よじろう、本名:年永→今井 与次郎、1871年5月10日 - 1939年10月22日)は、明治時代に活躍した鹿児島県日置郡金峰町(現南さつま市)出身の大相撲力士。高砂部屋、のち井筒部屋所属。最高位は東関脇。現役時代の体格は168cm、82kg。得意手はハズ押し、左四つ。 |
登山家・冒険家・探検家
7 | 中村春吉 呉市 | Wikipedia |
中村 春吉(なかむら はるきち、1871年(明治4年)3月 - 1945年(昭和20年)2月)は日本の冒険家(軍事探偵だったという説もある)。自転車による世界一周無銭旅行を実行した。 |
作家・小説家・エッセイ・文筆・翻訳家・編集者
8 | 桑原水菜 | Wikipedia |
桑原 水菜(くわばら みずな、9月23日 - )は、日本の小説家。千葉県出身。 | ||
中央大学出身 出身の中央大学の出身者 全国の中央大学の出身者 |
経営者・実業家
9 | 福澤泰江 上士幌町 | Wikipedia |
福澤 泰江(ふくざわ やすえ、1871年11月12日(明治4年9月30日) - 1937年(昭和12年)7月10日)は、日本の地方政治家、篤農家。大正から昭和初期にかけて長野県赤穂村の村長を長く務め、全国町村長会の創立に関わり、後にはその会長も務め、さらには内閣調査局参与なども歴任した。 | ||
10 | 村瀬春雄 神戸市 | Wikipedia |
村瀬 春雄(むらせ はるお、1871年5月18日(明治4年3月29日) - 1924年(大正13年)4月9日)は日本の保険学者、実業家。日本の海上保険学の祖とされる。東京高等商業学校(現一橋大学)教授や帝国海上保険副社長を歴任し、独自の保険学を確立するとともに、多くの後進を育てた。また、申酉事件で母校防衛に尽力し、没後キャンパス内に胸像が設置された。 | ||
11 | 吉岡弥生 掛川市 | Wikipedia |
吉岡 彌生(よしおか やよい、1871年4月29日(明治4年3月10日) - 1959年(昭和34年)5月22日)は、日本の教育者、医師。位階は正五位。勲等は勲二等。東京女医学校・東京女子医学専門学校・東京女子医科大学創立者。東京女医学校校長、東京女子医科大学学頭、至誠会会長などを歴任した。旧姓は鷲山(わしやま)。俗に吉岡 弥生(よしおか やよい)とも表記される。 | ||
12 | 日下部久太郎 | Wikipedia |
日下部 久太郎(くさかべ きゅうたろう、1871年(明治4年) - 1953年(昭和28年))は日本の実業家。海運業で財を成す。 | ||
13 | 鷲山養斎 掛川市 | Wikipedia |
吉岡 彌生(よしおか やよい、1871年4月29日(明治4年3月10日) - 1959年(昭和34年)5月22日)は、日本の教育者、医師。位階は正五位。勲等は勲二等。東京女医学校・東京女子医学専門学校・東京女子医科大学創立者。東京女医学校校長、東京女子医科大学学頭、至誠会会長などを歴任した。旧姓は鷲山(わしやま)。俗に吉岡 弥生(よしおか やよい)とも表記される。 | ||
14 | 児玉謙次 高松市 | Wikipedia |
児玉 謙次(こだま けんじ、1871年11月7日 - 1954年2月13日)は、日本の実業家。 | ||
15 | 弘世助太郎 彦根市 | Wikipedia |
弘世 助太郎(ひろせ すけたろう、明治4年12月9日 (旧暦)(1871年1月18日) - 1936年(昭和11年)3月9日)は実業家。日本生命三代目社長で「中興の祖」とされる。弘世現は娘婿。 | ||
16 | 松井房吉 桑名市 | Wikipedia |
松井 房吉(まつい ふさきち、1871年 - 1950年6月24日)は、日本の大正期から昭和初期の実業家、相場師。松井商店(松井証券)の創業者。 | ||
17 | 津村重舎 宇陀市 | Wikipedia |
津村 重舎(つむら じゅうしゃ、1871年8月20日(明治4年7月5日) - 1941年(昭和16年)4月28日)は日本の実業家。大和国(奈良県)出身。1893年(明治26年)に中将湯本舗津村順天堂(現・ツムラ及びバスクリンの前身)を創業した。1925年(大正14年)から1936年(昭和11年)まで貴族院議員を務めた。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
18 | 岩田太郎 守谷市 | Wikipedia |
岩田 太郎(いわた たろう、1871年11月26日(明治4年10月14日) - 1936年(昭和11年)5月16日)は、葛飾県相馬郡高野村(現:茨城県守谷市高野)出身の実業家・大日本蚕業研究会講習所設置者。 | ||
19 | 岸吉松 長岡市 | Wikipedia |
岸吉松(きし きちまつ、1871年(明治4年) - 1956年(昭和31年))は、新潟県出身の実業家。岸宇吉の子。アメリカ合衆国テキサス州南東部に移住して当地に稲作を広め、また当地での石油採掘で財を成した。現地では「バロン・キシ」と呼ばれた。 | ||
20 | 牧口常三郎 柏崎市 | Wikipedia |
牧ロ 常三郎(まきぐち つねさぶろう、1871年7月23日〈明治4年6月6日〉 - 1944年〈昭和19年〉11月18日)は、日本の教育者、宗教家。 |
軍人
21 | 小野寺重太郎 | Wikipedia |
小野寺 重太郎(おのでら じゅうたろう、1871年1月18日(明治3年11月28日) - 1939年(昭和14年)2月5日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
22 | 正木義太 大竹市 | Wikipedia |
正木 義太(まさき よしもと、1871年12月7日(明治4年10月25日) - 1934年(昭和9年)10月29日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
23 | 風間繁松 酒田市 | Wikipedia |
風間 繁松(かざま しげまつ、明治4年1月13日(1871年3月3日) - 1955年9月14日)は、日本の陸軍軍人、最終階級は陸軍軍曹、酒田風間氏分家・東美家第七代当主。号は触水。 | ||
24 | 菱刈隆 | Wikipedia |
菱刈 隆(ひしかり たかし、1871年12月27日(明治4年11月16日) - 1952年(昭和27年)7月31日)は、日本陸軍の軍人、外交官。最終階級は陸軍大将。栄典は勲一等功五級。幼名、幸吉。 | ||
25 | 吉橋徳三郎 | Wikipedia |
吉橋 徳三郎(よしはし とくさぶろう、1871年1月3日(明治3年11月13日) - 1920年(大正9年)8月5日)は、日本の陸軍軍人。陸軍士官学校士官候補生2期、陸軍大学校卒業。騎兵科に属し、第一次世界大戦後に日本陸軍で騎兵の乗馬戦闘廃止論争が生じた際、騎兵科を代表して乗馬戦闘存続を主張したが、論争の末に自殺した。最終階級は少将。 | ||
26 | 菅野尚一 | Wikipedia |
菅野 尚一(すがの ひさいち、1871年5月10日(明治4年3月21日) - 1953年(昭和28年)6月20日)は、長府藩出身の陸軍軍人。陸軍大将正三位勲一等功三級。 | ||
27 | 佐藤皐蔵 花巻市 | Wikipedia |
佐藤 皐蔵(さとう こうぞう、1871年7月2日(明治4年5月15日) - 1948年(昭和23年)3月23日)は、大正期の日本海軍軍人。最終階級は海軍中将。岩手県花巻市出身。 |
官僚
28 | 三好愛吉 村上市 | Wikipedia |
三好 愛吉(みよし あいきち、1871年2月12日(明治3年12月23日) - 1919年(大正8年)2月11日)は、日本の教育者、元第二高等学校校長、元皇子傅育官長。 | ||
29 | 深井英五 | Wikipedia |
深井 英五(ふかい えいご、明治4年11月20日(1871年12月31日) - 昭和20年(1945年)10月21日)は、日本の銀行家・経済学者・著作家。第13代日本銀行総裁・貴族院議員。群馬県高崎市出身。歴代日銀総裁でもっとも経済理論に精通し、金融恐慌時は副総裁として井上準之助をサポートした。ぎりぎりのところで日本経済を救った立役者として知られている。 | ||
同志社大学出身 出身の同志社大学の出身者 全国の同志社大学の出身者 |
学者・教授・准教授
30 | 中山平次郎 京都市 | Wikipedia |
中山 平次郎(なかやま へいじろう、1871年7月20日(明治4年6月3日) - 1956年(昭和31年)4月29日)は、明治後期から昭和前期にかけての日本の病理学者、考古学者。死没時の称号、位階勲等および学位は九州大学名誉教授正三位勲二等医学博士。 | ||
31 | 樋口長市 松本市 | Wikipedia |
樋口 長市(ひぐち ちょういち、1871年 − 1945年9月1日)は、日本の教育学者である。八大教育主張講演の論者の一人であり、「自学主義」を唱える。だがその「自学」とは、あくまで教科書を中心としたものであった。 | ||
32 | 喜田貞吉 | Wikipedia |
喜田 貞吉(きた さだきち、1871年7月11日(明治4年5月24日) - 1939年(昭和14年)7月3日)は、第二次世界大戦前の日本の歴史学者、文学博士。考古学、民俗学も取り入れ、学問研究を進めた。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
33 | 桑原隲蔵 敦賀市 | Wikipedia |
桑原 隲蔵(くわばら じつぞう、明治3年12月7日(1871年1月27日) - 1931年(昭和6年)5月24日)は、日本の東洋史学者・京都帝国大学教授。1898年に出版された著書『中等東洋史』は、東洋史教科書の定番となった。 | ||
34 | 南日恒太郎 | Wikipedia |
南日 恒太郎(なんにち つねたろう、明治4年9月30日(1871年11月12日) - 昭和3年(1928年)7月20日)は、明治から大正にかけての英語教育者。旧制富山高等学校初代校長。 | ||
35 | 加藤正治 筑北村 | Wikipedia |
加藤 正治(かとう まさはる、1871年4月29日(明治4年3月10日) - 1952年(昭和27年)3月16日)は、日本の法学者。東京大学名誉教授。第11代中央大学学長、初代総長。日本郵船副社長加藤正義の養子になった。旧姓平林。 | ||
関西学院大学出身 出身の関西学院大学の出身者 全国の関西学院大学の出身者 | ||
36 | 原勝郎 盛岡市 | Wikipedia |
原 勝郎(はら かつろう、1871年4月15日(明治4年2月26日) - 1924年(大正13年)1月12日)は、日本の歴史学者。文学博士。 | ||
37 | 志賀潔 | Wikipedia |
志賀 潔(しが きよし、1871年2月7日(明治3年12月18日) - 1957年(昭和32年)1月25日)は、日本の医学者・細菌学者である。 | ||
北里大学出身 出身の北里大学の出身者 全国の北里大学の出身者 | ||
38 | 森岡常蔵 小浜市 | Wikipedia |
森岡 常蔵(もりおか つねぞう、1871年3月21日(明治4年2月1日) - 1944年(昭和19年)6月8日)は明治時代から昭和初期にかけての日本の教育学者、文部官僚。 | ||
39 | 安藤広太郎 丹波市 | Wikipedia |
安藤 広太郎(あんどう ひろたろう、1871年9月15日(明治4年8月1日) - 1958年(昭和33年)10月14日)は、明治から昭和期における農政家、農学者。農学博士。 | ||
40 | 杉浦貞二郎 小浜市 | Wikipedia |
杉浦 貞二郎(すぎうら さだじろう、明治3年12月18日(1871年2月7日) - 昭和22年(1947年)4月24日)は日本の哲学者、教育者である。 | ||
41 | 高岡熊雄 札幌市 | Wikipedia |
高岡 熊雄(たかおか くまお、1871年9月29日(明治4年8月15日) - 1961年(昭和36年)12月29日)は日本の農学者・農政学者・農業経済学者。第3代北海道帝国大学総長。島根県生まれ。 | ||
42 | 高岡熊雄 津和野町 | Wikipedia |
高岡 熊雄(たかおか くまお、1871年9月29日(明治4年8月15日) - 1961年(昭和36年)12月29日)は日本の農学者・農政学者・農業経済学者。第3代北海道帝国大学総長。島根県生まれ。 | ||
北海道大学出身 出身の北海道大学の出身者 全国の北海道大学の出身者 | ||
43 | 小野塚喜平次 長岡市 | Wikipedia |
小野塚 喜平次(おのづか きへいじ、1871年2月10日(明治3年12月21日) - 1944年(昭和19年)11月27日)日本初の政治学者の一人とされる。東京帝国大学総長。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
44 | 水崎基一 | Wikipedia |
水崎 基一(みずさき もといち、1871年(明治4年)9月28日 - 1937年(昭和12年)11月29日)は、日本の経済学者、教育者。同志社大学経済学部教授を経て、浅野綜合中学校(現・浅野中学校・高等学校)初代校長。クリスチャンで書、漢詩、短歌の雅号は濃川[2]。 | ||
45 | 建部遯吾 新潟市 | Wikipedia |
建部 遯吾(たけべ とんご、明治4年3月21日(1871年5月10日) - 昭和20年(1945年)2月18日)は、社会学者、東京帝国大学教授、政治家。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
46 | 岡松参太郎 | Wikipedia |
岡松 参太郎(おかまつ さんたろう、1871年9月23日(明治4年8月9日) - 1921年(大正10年)12月15日)は、日本の法学者(専攻は民法学)。京都帝国大学法科大学(現在の京都大学法学部)教授。儒学者の岡松甕谷の三男。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
47 | 楠本長三郎 西海市 | Wikipedia |
楠本 長三郎(くすもと ちょうざぶろう、1871年3月10日(明治4年1月20日) - 1946年(昭和21年)12月6日)は、日本の内科学者。府立大阪医科大学を昇格させ大阪帝国大学を創設した。その後、大阪帝国大学第二代総長となり、微生物病研究所、産業科学研究所等を設置し、大阪帝国大学拡大に貢献した。位階は正三位。勲等は勲一等。 | ||
48 | 高山正雄 塩尻市 | Wikipedia |
高山 正雄(たかやま まさお、1871年6月24日(明治4年5月7日) - 1944年(昭和19年)10月10日)は、日本の法医学者。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 |
研究者・研究家・発明家
49 | 高橋健自 仙台市 | Wikipedia |
高橋 健自(たかはし けんじ、明治4年8月17日(1871年10月1日) - 昭和4年(1929年)10月19日)は日本の考古学者。主として弥生時代と古墳時代を研究領域とした。日本考古学の発展に大きな足跡をのこした研究者である。主著に『銅鉾銅剣の研究』『日本原始絵画』『鏡と剣と玉』がある。 | ||
50 | 三浦周行 松江市 | Wikipedia |
三浦 周行(みうら ひろゆき、1871年7月21日(明治4年6月4日) - 1931年(昭和6年)9月6日)は、日本の歴史学者・法制史の研究者、文学博士。京都帝国大学教授。第10回帝国学士院恩賜賞の受賞者。文格院殿嵩山周行居士。東京農業大学農学部農学科蔬菜学研究室教授の三浦周行は同姓同名の別人。 | ||
51 | 山下芳太郎 | Wikipedia |
山下 芳太郎(やました よしたろう、1871年12月24日(明治4年11月13日) - 1923年4月7日)は、日本の実業家、言語政策研究家、外交官である。漢字は非能率的であると考え、仮名文字協会(後の財団法人カナモジカイ)を設立し、カタカナによる左横書き文書やカタカナのタイプライターの普及をめざした。遺書も墓もカタカナで書かれている。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 |
画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家
52 | 都路華香 京都市 | Wikipedia |
都路 華香(つじ かこう、明治3年12月23日(1871年2月12日) - 昭和6年(1931年)8月4日)は、日本の明治時代から昭和時代かけて活躍した日本画家。幸野楳嶺の弟子で、菊池芳文、竹内栖鳳、谷口香嶠とともに楳嶺門下の四天王と呼ばれた。 | ||
53 | 岩井昇山 寄居町 | Wikipedia |
岩井 昇山(いわい しょうざん、明治3年12月26日(1871年2月15日) - 昭和28年(1953年)1月11日)は、明治から昭和期の日本画家。 | ||
54 | 林竹治郎 | Wikipedia |
林 竹治郎(はやし たけじろう、1871年 - 1941年)は日本の画家である。「朝の祈り」という名画を描いたことで知られる。ハンセン病患者のために生涯を尽くした医師林文雄の父。 | ||
55 | 大塚榛山 東吾妻町 | Wikipedia |
大塚 榛山(おおつか しんざん、明治4年4月15日(1871年6月2日) - 昭和19年(1944年)2月5日)は、日本の日本画家、南画家、壁画家、日本美術研究家。群馬県吾妻郡荻生村(現在の東吾妻町)出身。 | ||
56 | 本山白雲 宿毛市 | Wikipedia |
本山 白雲(もとやま はくうん、明治4年9月1日(1871年10月14日) - 昭和27年(1952年)2月18日)は、日本の彫刻家。高知市桂浜で悠然と太平洋の彼方を望んで立つ坂本龍馬の巨大な銅像(総高約15m)は、白雲の代表作である。本名は本山辰吉で「白雲」は雅号。彫塑が巧みで土佐のミケランジェロと呼ばれた[要出典]。 |
政治家・議員・首長
57 | 深川忠次 有田町 | Wikipedia |
深川 忠次(ふかがわ ちゅうじ、1871年2月21日(明治4年1月3日) - 1934年(昭和9年)2月23日)は、日本の実業家、政治家。深川製磁創業者、元有田町長。有田焼の輸出を進め、パリ万国博覧会金賞金牌やセントルイス万国博覧会一等賞金牌を受賞。 | ||
58 | 三土忠造 | Wikipedia |
三土 忠造(みつち ちゅうぞう、1871年8月11日(明治4年6月25日) - 1948年(昭和23年)4月1日)は、明治から昭和にかけての日本の政治家。 | ||
東京教育大学出身 出身の東京教育大学の出身者 全国の東京教育大学の出身者 | ||
59 | 原脩次郎 綾部市 | Wikipedia |
原 脩次郎(はら しゅうじろう、1871年7月1日(明治4年5月14日) - 1934年(昭和9年)3月6日)は、明治から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、拓務大臣、鉄道大臣。 | ||
60 | 添田敬一郎 小浜市 | Wikipedia |
添田 敬一郎(そえだ けいいちろう、1871年10月12日(明治4年8月28日) - 1953年(昭和28年)10月20日)は、日本の内務官僚、政治家。衆議院議員、埼玉県知事、山梨県知事、山形県知事などの要職を歴任した。 | ||
61 | 原脩次郎 土浦市 | Wikipedia |
原 脩次郎(はら しゅうじろう、1871年7月1日(明治4年5月14日) - 1934年(昭和9年)3月6日)は、明治から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、拓務大臣、鉄道大臣。 | ||
62 | 仁田大八郎 函南町 | Wikipedia |
仁田 大八郎(にった だいはちろう 、1871年11月19日(明治4年10月7日) - 1945年(昭和20年)3月1日)は、明治から昭和時代前期の静岡県田方郡で活躍した実業家、政治家。 | ||
63 | 太田政弘 鶴岡市 | Wikipedia |
太田 政弘(おおた まさひろ、1871年11月16日(明治4年10月4日) - 1951年(昭和26年)1月24日)は、日本の内務官僚、政治家。警視総監(第30代)、関東長官(第6代)、台湾総督(第14代)、貴族院議員。 | ||
64 | 山田禎三郎 岡谷市 | Wikipedia |
山田 禎三郎(やまだ ていざぶろう、1871年4月22日(明治4年3月3日) - 1930年(昭和5年)10月6日)は、日本の教育者、実業家、衆議院議員。 | ||
65 | 丸山浪弥 安曇野市 | Wikipedia |
丸山 浪弥(まるやま なみや、1871年5月7日(明治4年3月18日) - 1944年(昭和19年)11月21日)は、日本の政治家、ジャーナリスト。衆議院議員。 |
評論家
66 | 戸川秋骨 玉名市 | Wikipedia |
戸川 秋骨 (とがわ しゅうこつ、1871年2月7日(明治3年12月18日) - 1939年(昭和14年)7月9日)は、日本の評論家、英文学者、教育者、翻訳家、随筆家。 |
宗教家・思想家・運動家
67 | 境野哲 仙台市 | Wikipedia |
境野 哲(さかいの さとる/さとし、明治4年8月12日(1871年9月26日) - 昭和8年(1933年)11月11日)は、日本の仏教史学者・仏教運動家。宗教家(真宗大谷派僧侶)。文学博士。専門は中国仏教史。号は黄洋(こうよう)。境野黄洋の通称で知られる。 | ||
68 | 幸徳秋水 | Wikipedia |
幸徳 秋水(こうとく しゅうすい、1871年11月5日(明治4年9月23日) - 1911年(明治44年)1月24日)は、明治時代のジャーナリスト、思想家、社会主義者、無政府主義者である。 | ||
69 | 宮崎槌 玉名市 | Wikipedia |
宮崎 槌(みやざき つち、1871年(明治4年) 12月19日- 1942年(昭和17年12月23日))は、明治から昭和時代にかけての女性。槌子とも。自由民権運動家の前田案山子の三女。姉の卓は『草枕』の那美のモデルとされる。孫文を支援した宮崎滔天の妻であり、白蓮事件を起こした宮崎龍介の母。 | ||
70 | 原田祖岳 小浜市 | Wikipedia |
原田 祖岳 (はらだ そがく、1871年10月13日 - 1961年12月12日)は日本の曹洞宗の僧侶で、臨済宗の禅も兼修したことで知られる。号は大雲。駒澤大学教授。 | ||
71 | 出口王仁三郎 亀岡市 | Wikipedia |
出口 王仁三郎(でぐち おにさぶろう、1871年8月27日(明治4年旧7月12日) - 1948年(昭和23年)1月19日)は、新宗教「大本」の二大教祖の一人。肩書きは「教主輔」、尊称は「聖師」。もう一人の教祖(肩書きは「開祖」)は、出口なお(直)。 | ||
72 | 高山樗牛 | Wikipedia |
高山 樗牛(たかやま ちょぎゅう、 1871年2月28日(明治4年1月10日) - 1902年(明治35年)12月24日)は明治時代の日本の文芸評論家、思想家。東京大学講師。文学博士。明治30年代の言論を先導した。本名は林次郎。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
俳人・歌人・詩人・歌人
73 | 国木田独歩 銚子市 | Wikipedia |
国木田 独歩(くにきだ どっぽ、1871年8月30日(明治4年7月15日) - 1908年(明治41年)6月23日)は、日本の小説家、詩人、ジャーナリスト、編集者。千葉県銚子生まれ、広島県広島市、山口県育ち。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
74 | 島村抱月 浜田市 | Wikipedia |
島村 抱月(しまむら ほうげつ、1871年2月28日(明治4年1月10日)- 1918年(大正7年)11月5日)は、日本の文芸評論家、演出家、劇作家、小説家、詩人。新劇運動の先駆けの一人として知られる。旧姓は佐々山、幼名は瀧太郎。 | ||
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75 | 国木田独歩 | Wikipedia |
国木田 独歩(くにきだ どっぽ、1871年8月30日(明治4年7月15日) - 1908年(明治41年)6月23日)は、日本の小説家、詩人、ジャーナリスト、編集者。千葉県銚子生まれ、広島県広島市、山口県育ち。 | ||
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76 | 加島恵太郎 境港市 | Wikipedia |
加島 恵太郎(かしま けいたろう、明治4年4月13日(1871年5月31日) - 昭和25年(1950年)7月6日)は日本の実業家、政治家、漢詩人。鳥取県西伯郡境町長(第5代、7代)、境町会議員。鳥取県議会議員。号は洗心。 | ||
77 | 筏井竹の門 金沢市 | Wikipedia |
筏井 竹の門(いかだい たけのかど、1871年(明治4年)10月16日 - 1925年(大正14年)3月29日)は、石川県出身の日本の俳人、俳画家。別号に北雪、四石、此君、雪の村人、松杉窟など。旧姓は向田、本名は虎次郎。長男は歌人の筏井嘉一。 | ||
78 | 国木田独歩 渋谷区 | Wikipedia |
国木田 独歩(くにきだ どっぽ、1871年8月30日(明治4年7月15日) - 1908年(明治41年)6月23日)は、日本の小説家、詩人、ジャーナリスト、編集者。千葉県銚子生まれ、広島県広島市、山口県育ち。 | ||
79 | 国木田独歩 歌志内市 | Wikipedia |
国木田 独歩(くにきだ どっぽ、1871年8月30日(明治4年7月15日) - 1908年(明治41年)6月23日)は、日本の小説家、詩人、ジャーナリスト、編集者。千葉県銚子生まれ、広島県広島市、山口県育ち。 | ||
80 | 土井晩翠 | Wikipedia |
土井 晩翠(どい ばんすい、1871年12月5日(明治4年10月23日) - 1952年(昭和27年)10月19日)は、日本の詩人、英文学者。本名、林吉(りんきち)。姓は元は「つちい」だったが昭和初期に改称した[2]。男性的な漢詩調の詩風で、女性的な詩風の島崎藤村と並んで「藤晩時代」と称された。また、瀧廉太郎の作曲で知られる『荒城の月』の作詞者としても知られ、校歌・寮歌なども多く作詞した。戦陣訓の文校正でも知られる。英文学者としては、ホメロス、カーライル、バイロンなどを翻訳している。 | ||
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