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このサイトに登録されている「出身で1869年生まれ」の有名人の数:64人
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舞台・演劇・映画・ドラマ・脚本・プロデューサー・ディレクター
1 | 賀古残夢 金沢市 | Wikipedia |
賀古 残夢(かこ ざんむ、1869年1月13日 - 1938年3月21日)は、日本の映画監督、演出家、小説家。本名は賀古 保五郎(かこ やすごろう)。 |
格闘技
2 | 大碇紋太郎 半田市 | Wikipedia |
大碇 紋太郎(おおいかり もんたろう、1869年4月3日(明治2年2月22日)-没年不明)は、大相撲の大関。身長170cm、体重105kg。 | ||
3 | 大砲万右エ門 | Wikipedia |
大砲 万右エ門(おおづつ まんえもん、1869年12月30日(明治2年11月28日) - 1918年(大正7年)5月27日)は、角田県刈田郡大鷹沢村三沢(現:宮城県白石市大鷹沢三沢)出身の元大相撲力士。第18代横綱。本名は角張 萬次(かくばり まんじ)。 |
冬季スポーツ
4 | テオドール・エードラー・フォン・レルヒ 上越市 | Wikipedia |
テオドール・エードラー・フォン・レルヒ(Theodor Edler von Lerch, 1869年8月31日 - 1945年12月24日)は、オーストリア=ハンガリー帝国の軍人。最終階級は陸軍少将。日本で初めて、本格的なスキー指導をおこなった人物である。 | ||
5 | テオドール・エードラー・フォン・レルヒ 旭川市 | Wikipedia |
テオドール・エードラー・フォン・レルヒ(Theodor Edler von Lerch, 1869年8月31日 - 1945年12月24日)は、オーストリア=ハンガリー帝国の軍人。最終階級は陸軍少将。日本で初めて、本格的なスキー指導をおこなった人物である。 |
作家・小説家・エッセイ・文筆・翻訳家・編集者・評論家
6 | 牛山鶴堂 下諏訪町 | Wikipedia |
牛山 鶴堂(うしやま かくどう、明治2年8月29日(1869年10月4日) - 1906年(明治39年)3月3日)は明治時代の翻訳家、小説家、新聞記者。1887年(明治20年)頃英文学の翻訳や政治小説を手がけた後、朝野新聞・中外商業新報で記者として活動した。 | ||
7 | 木下尚江 松本市 | Wikipedia |
木下 尚江(きのした なおえ、1869年10月12日(明治2年9月8日)- 1937年(昭和12年)11月5日)は、日本の社会運動家、作家。男性。尚江は本名。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
8 | 川上眉山 | Wikipedia |
川上 眉山(かわかみ びざん、1869年4月16日(明治2年3月5日)- 1908年(明治41年)6月15日)は、明治時代の小説家。大阪生まれ。本名亮、別号に煙波山人。 |
建築家・建築学者・技術者
9 | 矢橋賢吉 | Wikipedia |
矢橋 賢吉(やばし けんきち、1869年10月24日(明治2年9月20日) - 1927年(昭和2年)5月24日)は日本の建築家、官僚。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
経営者・実業家
10 | 白洲文平 三田市 | Wikipedia |
白洲 文平(しらす ふみひら、1869年(明治2年) - 1935年(昭和10年)10月23日)は日本の実業家である。 | ||
ハーバード大学出身 出身のハーバード大学の出身者 全国のハーバード大学の出身者 | ||
11 | 赤羽克己 | Wikipedia |
赤羽 克己(あかばね かつみ、1869年4月10日(明治2年2月29日) - 1941年(昭和16年)7月5日)は、日本の実業家。南満州鉄道理事としてオイルシェール事業に取り組んだ。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
12 | 和合英太郎 広島市 | Wikipedia |
和合 英太郎(わごう えいたろう、1869年8月15日 - 1939年6月11日)は、製氷業のパイオニアといわれる実業家。また今日言うM&Aの先駆け的経営者でもあった。 | ||
13 | 森下博 福山市 | Wikipedia |
森下 博(もりした ひろし、1869年12月5日(明治2年11月3日) - 1943年(昭和18年)3月20日)は、実業家。森下仁丹創業者、元社長。日本の広告王と称された商品広告の先駆者。広島県鞆町生まれ。幼名は茂三(もぞう)。 | ||
14 | 木村清三郎 長岡市 | Wikipedia |
木村 清三郎(きむら せいさぶろう、明治2年6月7日(1869年7月15日) – 昭和16年(1941年)2月16日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会→政友本党)。新潟県長岡市長。 | ||
15 | 地崎宇三郎 小矢部市 | Wikipedia |
初代地崎 宇三郎(ちざき うさぶろう、明治2年10月17日(1869年11月20日) - 昭和11年(1936年)4月2日)は、日本の実業家。富山県出身。北海道平民。土木建築請負業。地崎組の創業者。東洋コンクリート、小樽定山渓自動車道各(株)社長。鹿の湯温泉旅館(株)代表取締役。広尾電気、渡島海岸鉄道各(株)取締役。 | ||
16 | 諸井四郎 本庄市 | Wikipedia |
諸井 四郎(もろい しろう、1869年(明治2年) - 1954年(昭和29年))は、武蔵国児玉郡本庄宿(現在の埼玉県本庄市)出身の、明治期から昭和期にかけての日本の実業家。 | ||
17 | 相馬半治 犬山市 | Wikipedia |
相馬 半治(そうま はんじ、1869年8月15日(明治2年7月8日) - 1946年(昭和21年)1月7日)は明治製糖、明治製菓の創立者の一人。1903年に東京高等工業学校(現東京工業大学)の教授となり、1906年に教授を辞めて明治製糖の設立に加わり、1916年に明治製菓設立に加わり、1923年から1942年まで明治製菓会長。 | ||
18 | 橋本卯太郎 渋谷区 | Wikipedia |
橋本 卯太郎(はしもと うたろう、明治2年(1869年)3月 - 昭和13年(1938年)7月7日)は、日本の実業家。大日本麦酒(現・サッポロビール)の常務取締役を務めた。酵母を扱う技師から常務に出世した、明治、大正期における郷土出身の立志伝中の一人である。東京府平民[3]。 | ||
19 | 橋本卯太郎 総社市 | Wikipedia |
橋本 卯太郎(はしもと うたろう、明治2年(1869年)3月 - 昭和13年(1938年)7月7日)は、日本の実業家。大日本麦酒(現・サッポロビール)の常務取締役を務めた。酵母を扱う技師から常務に出世した、明治、大正期における郷土出身の立志伝中の一人である。東京府平民[3]。 | ||
20 | 紀藤閑之介 | Wikipedia |
紀藤 閑之介(きとう かんのすけ、1869年〈明治2年〉11月7日 - 1961年〈昭和36年〉9月28日 )は、日本の政治家、実業家。第3・6代山口県宇部市長[2]。 | ||
21 | 久原房之助 | Wikipedia |
久原 房之助 (くはら ふさのすけ、1869年7月12日(明治2年6月4日) - 1965年(昭和40年)1月29日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員当選5回(16、17、18、19、25回総選挙)。逓信大臣、内閣参議、大政翼賛会総務、立憲政友会(久原派)総裁を歴任。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 |
医師・看護師
22 | 三上剛太郎 佐井村 | Wikipedia |
三上 剛太郎(みかみ ごうたろう、明治2年11月15日(1869年12月17日) - 昭和39年(1964年)10月27日)は、日本の医師・軍医・新聞記者。日露戦争に従軍した時のエピソード(後述)で後世に名を残した。 |
軍人
23 | 下平英太郎 | Wikipedia |
下平 英太郎(しもだいら えいたろう、1869年3月1日(明治2年1月19日) - 1933年(昭和8年)5月13日)は、日本の海軍軍人。 装甲巡洋艦「八雲」艦長として第一次世界大戦における青島攻略戦に参戦し、のち戦艦「日向」初代艦長を務めた海軍少将である。従四位勲三等功四級。 | ||
24 | 和田幸次郎 | Wikipedia |
和田 幸次郎(わだ こうじろう、1869年3月又は4月(明治2年) - 1926年(大正15年)10月29日)は、日本の海軍軍人。 戦艦「朝日」砲術長として日本海海戦などを戦った。最終階級は海軍大佐。 | ||
25 | 山岡豊一 米子市 | Wikipedia |
山岡 豊一(やまおか とよかず、1869年1月17日 (明治元年12月5日)- 1926年7月21日)は、日本の海軍軍人(中将)。舞台俳優山岡如萍の兄。 | ||
26 | 斎藤半六 | Wikipedia |
斎藤 半六(さいとう はんろく、1869年7月24日 (明治2年6月16日) - 1952年(昭和27年)4月25日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 | ||
27 | 白川義則 | Wikipedia |
白川 義則(しらかわ よしのり、1869年1月24日(明治元年12月12日) - 1932年(昭和7年)5月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将、栄典は勲一等功二級男爵。 | ||
28 | 松井健吉 | Wikipedia |
松井 健吉(まつい けんきち、1869年(明治2年)5月10日 - 1905年(明治38年)5月27日)は、日本の海軍軍人。日本海海戦において戦死した第1艦隊第1戦隊参謀である。最終階級は海軍中佐。 | ||
29 | 鈴木孝雄 野田市 | Wikipedia |
鈴木 孝雄(すずき たかお、明治2年10月29日(1869年12月2日) - 1964年(昭和39年)1月29日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。栄典は勲一等功三級。砲兵監・第14師団長・陸軍技術本部長・軍事参議官を歴任。 | ||
30 | 吉岡範策 宇城市 | Wikipedia |
吉岡 範策(よしおか はんさく、1869年5月8日 - 1930年3月19日)は、日本海軍の軍人。海軍中将。 | ||
31 | 星野庄三郎 | Wikipedia |
星野 庄三郎(ほしの しょうざぶろう、1869年6月15日(明治2年5月6日) - 1931年(昭和6年)1月22日)は、日本の陸軍軍人。陸士2期、陸大14期。栄典は従三位勲一等功三級。最終階級は陸軍中将。 | ||
32 | 岸本鹿太郎 | Wikipedia |
岸本 鹿太郎(きしもと しかたろう、1869年2月19日(明治2年1月9日) - 1942年9月3日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。 | ||
33 | 佐藤房隆 | Wikipedia |
佐藤 房隆(さとう ふさたか、1869年2月15日(明治2年1月5日) – 1927年(昭和2年)2月16日)は、日本の陸軍軍人。日露戦争では近衛歩兵第三連隊第一大隊長として戦い、のち歩兵第六十六連隊長を務めた陸軍少将である。 |
公務員
34 | 安達峰一郎 | Wikipedia |
安達 峰一郎(あだち みねいちろう、1869年7月27日(明治2年6月19日) - 1934年(昭和9年)12月28日)は、日本の外交官・国際法学者。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
学者・教授・准教授
35 | 小山松吉 水戸市 | Wikipedia |
小山 松吉(こやま まつきち、1869年11月1日(明治2年9月28日) - 1948年(昭和23年)3月27日)は、日本の法学者、司法官僚、政治家。学位は法学博士。検事総長、司法大臣、貴族院勅選議員、法政大学総長を歴任。茨城県出身者では初の国務大臣である。 | ||
36 | 藤田豊八 美馬市 | Wikipedia |
藤田 豊八(ふじた とよはち、1869年10月19日(明治2年9月15日) - 1929年(昭和4年)7月15日)は明治・大正期の東洋史学者。文学博士。号を剣峰。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
37 | 寺島成信 | Wikipedia |
寺島 成信(てらしま しげのぶ、1869年8月10日(明治2年7月3日) - 1939年(昭和14年)4月2日)は、出羽国庄内(現・山形県鶴岡市)出身の経済学者、経済学博士。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
38 | 浜野弥四郎 成田市 | Wikipedia |
浜野 弥四郎(はまの やしろう、濱野 彌四郎、1869年(明治2年)9月9日 - 1932年(昭和7年)12月30日)は葛飾県(現在の千葉県成田市)出身の衛生工学、土木工学者。日本統治時代の台湾で台湾総督府土木部の技師として多くの上下水道インフラを手がけたことから、「台湾水道の父(繁体字; 台灣水道之父、台灣自來水之父)」と評されている。 | ||
39 | 山田三良 | Wikipedia |
山田 三良(やまだ さぶろう、1869年12月10日(明治2年11月8日) - 1965年(昭和40年)12月17日)は、日本の国際私法学者。法学博士。法華会創立者。 | ||
早稲田大学出身 出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 |
画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家
40 | 服部五老 鶴岡市 | Wikipedia |
服部 五老(はっとり ごろう、1869年(明治2年) - 1930年(昭和5年)5月)は、日本の南画家。現在の山形県鶴岡市出身。 | ||
41 | 小泉成一 福山市 | Wikipedia |
小泉 成一(こいずみ せいいち、明治2年8月16日(1869年9月21日) - 1920年(大正9年)10月27日)は戦前日本の洋画家。備後福山藩出身。本多錦吉郎・小山正太郎門下。神奈川県尋常師範学校、宮城県立仙台第二中学校、私立東北学院等で絵画を教えた。 | ||
42 | 岡田三郎助 | Wikipedia |
岡田 三郎助(おかだ さぶろうすけ、1869年1月22日(明治2年1月12日) - 1939年(昭和14年)9月23日)は佐賀県に生まれ、明治~昭和にかけて活躍した洋画家である。女性像を得意とし、日本的な感覚の洋画に秀作を残している。東京美術学校(現・東京藝術大学)教授。第1回文化勲章を受章。 妻・岡田八千代は小説家・劇作家で、小山内薫の妹である。 | ||
43 | 熊耳耕年 | Wikipedia |
熊耳 耕年(くまがみ こうねん=KUMAGAMI Kônen、明治2年2月12日〈1869年3月24日〉 - 昭和13年〈1938年〉8月24日)とは、明治から昭和時代はじめにかけての浮世絵師、日本画家。耕年、抱光、大然堂と号す。 | ||
44 | 福田笑迎 五城目町 | Wikipedia |
福田 笑迎(ふくだ しょうげい、1869年10月18日 - 1909年)は、日本の画家、著作家である。 | ||
45 | 庭山耕園 姫路市 | Wikipedia |
庭山 耕園(にわやま こうえん、明治2年1月14日(1869年2月24日) - 昭和17年(1942年)7月15日)は、明治から昭和にかけて活動した四条派の日本画家。本名は、慶蔵。瀟洒淡麗な花鳥画を得意とし、大阪で活躍。生涯「船場の絵描き」として、床の間に映え、大阪の中心地・船場に相応しい生活に彩りを与える絵を描き続けた。 |
政治家・議員・首長
46 | 上山満之進 防府市 | Wikipedia |
上山 満之進(かみやま まんのしん / みつのしん、1869年10月31日(明治2年9月27日) - 1938年(昭和13年)7月30日)は、日本の官僚、政治家。農商務次官、台湾総督、貴族院議員、枢密顧問官。 | ||
47 | 千賀又市 岡崎市 | Wikipedia |
千賀 又市(せんが またいち、1869年4月13日(明治2年3月2日) - 1918年7月12日)は、日本の政治家。初代岡崎市長(1期)。岡崎町時代最後の町長も務めた。 | ||
48 | 遠山房吉 芽室町 | Wikipedia |
遠山 房吉(とおやまふさきち、1869年3月20日(明治2年2月8日) - 1939年(昭和14年)3月17日)は、日本の篤農家、政治家。衆議院議員。 | ||
49 | 遠山房吉 諏訪市 | Wikipedia |
遠山 房吉(とおやま[注 1] ふさきち、1869年3月20日(明治2年2月8日) - 1939年(昭和14年)3月17日)は、日本の篤農家、政治家。衆議院議員。 | ||
50 | 俵孫一 浜田市 | Wikipedia |
俵 孫一(たわら まごいち、1869年6月16日(明治2年5月7日) - 1944年(昭和19年)6月17日)は、日本の官僚、政治家。衆議院議員。商工大臣、立憲民政党幹事長などを歴任した。従二位勲一等。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
51 | 南弘 氷見市 | Wikipedia |
南 弘(みなみ ひろし、1869年11月13日(明治2年10月10日) - 1946年(昭和21年)2月8日)は、日本の官僚・政治家。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
52 | 東武 十津川村 | Wikipedia |
東 武(あずま たけし、明治2年4月14日(1869年5月25日) - 昭和14年(1939年)9月3日)は日本の政治家、出版事業家。従四位勲二等。所属政党は立憲政友会。別名、東牧堂(あずま ぼくどう)。 | ||
53 | 鹿島房次郎 庄原村 | Wikipedia |
鹿島 房次郎(かじま ふさじろう、1869年10月25日 - 1932年7月29日[2])は、広島県比婆郡庄原村(現・庄原市)出身の実業家、政治家。神戸市会議員を経て第4代神戸市長(在任:1910年2月28日[3] - 1920年[4])。 自治体官僚主導による都市経営手法の源流を創った人物の一人とされ[5]、その人格[† 1]および手腕は、歴代神戸市長中の白眉と称される[6]。 旧姓・田部[7]。広島県出身。 | ||
一橋大学出身 出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
54 | 増田義一 上越市 | Wikipedia |
増田 義一(ますだ ぎいち、1869年11月24日〈明治2年10月21日〉 - 1949年〈昭和24年〉4月27日)は、日本の出版人、政治家。 | ||
55 | 浅川浩 旭川市 | Wikipedia |
浅川 浩(あさかわ こう / ひろし、1869年3月6日(明治2年1月24日[3]) - 1949年(昭和24年)2月10日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 | ||
56 | 金子元三郎 長岡市 | Wikipedia |
金子 元三郎(かねこ もとさぶろう、1869年5月19日(明治2年4月8日) - 1952年(昭和27年)4月11日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、貴族院多額納税者議員、初代小樽区長。 |
宗教家・思想家・運動家
57 | 千葉昌雄 八代市 | Wikipedia |
千葉 昌雄(ちば まさお、1869年7月31日(明治2年6月23日) - 1945年(昭和20年)7月19日)は、日本組合基督教会の牧師である。旧姓渡瀬。同じく牧師の渡瀬常吉の実弟で、渡瀬主一郎の実兄である。 |
俳人・歌人・詩人・歌人
58 | 馬場孤蝶 | Wikipedia |
馬場孤蝶(ばば こちょう、1869年12月10日(明治2年11月8日) - 1940年(昭和15年)6月22日)は、英文学者、評論家、翻訳家、詩人、慶應義塾大学教授。 | ||
59 | 大町桂月 | Wikipedia |
大町 桂月(おおまち けいげつ、1869年3月6日(明治2年1月24日)- 1925年(大正14年)6月10日)は高知県出身で、近代日本の詩人、歌人、随筆家、評論家。本名:大町芳衛(よしえ)。 | ||
60 | 角田浩々歌客 富士宮市 | Wikipedia |
角田 浩々歌客(かくだ こうこうかきゃく、明治2年9月16日(1869年10月20日) - 大正5年(1916年)3月16日)は、明治時代の詩人、北欧文学者、文芸評論家、新聞記者。本名:角田勤一郎。大阪の論壇・文壇で重きを成して世論形成に大きな力を持ち、東の坪内逍遥と並び称された。 | ||
61 | 馬場孤蝶 渋谷区 | Wikipedia |
馬場孤蝶(ばば こちょう、1869年12月10日(明治2年11月8日) - 1940年(昭和15年)6月22日)は、英文学者、評論家、翻訳家、詩人、慶應義塾大学教授。 |
その他の職業
62 | 白井こう 田原市 | Wikipedia |
白井 こう(しらい こう、女性、明治2年2月9日(1869年3月21日) - 昭和29年(1954年)7月25日)は、日本の教育者。岡崎学園高等学校の創立者。三河地方における女子教育の先駆者である。旧姓は山本。 | ||
63 | 林重浩 鳥取市 | Wikipedia |
林 重浩(はやし しげひろ、1869年(明治2年)9月22日 - 1944年(昭和19年)5月15日)は、日本の教育者である。 | ||
64 | 曽根松太郎 宇和島市 | Wikipedia |
曽根 松太郎(そね まつたろう、明治2年10月20日(1869年11月23日) - 昭和20年(1945年))は、日本の教育者。文化書房主。号は金僊。 |