出身で1866年生まれの有名人

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格闘技
 1  西郷四郎    阿賀町Wikipedia
西郷 四郎(さいごう しろう、1866年3月20日(慶応2年2月4日) - 1922年(大正11年)12月22日)は、明治時代の柔道家。講道館四天王の一人。富田常雄の小説『姿三四郎』のモデル。
 2  屋部憲通    山川村Wikipedia
屋部 憲通(やぶ けんつう、1866年 - 1937年)は、戦前活躍した沖縄県の唐手(現・空手)家。松村宗棍、糸洲安恒らに師事した首里手の大家で、松茂良興作にも師事して泊手も修めた。
 3  藤田川藤介    Wikipedia
藤田川藤介(ふじたがわ とうすけ、1866年 - 没年不明)は、明治時代の大相撲力士である。富山県出身で最高位は東三段目十八枚目。引退後は世話人。
 4  本田増次郎    津山市Wikipedia
本田 増次郎(ほんだ ますじろう、1866年1月15日(慶応2年11月29日)- 1925年11月25日)は、岡山県久米郡美咲町出身のイギリス文学者、教育家、ジャーナリスト、民間外交家。柔道3段。
 5  西郷四郎    Wikipedia
西郷 四郎(さいごう しろう、1866年3月20日(慶応2年2月4日) - 1922年(大正11年)12月22日)は、明治時代の柔道家。講道館四天王の一人。富田常雄の小説『姿三四郎』のモデル。
 6  小錦八十吉    横芝光町Wikipedia
小錦 八十吉(こにしき やそきち、1866年11月21日(慶応2年10月15日) - 1914年10月22日)は、上総国武射郡(現:千葉県山武郡横芝光町)出身の元大相撲力士。第17代横綱。本名は岩井 八十吉(いわい やそきち)。
 7  鳳凰馬五郎    習志野市Wikipedia
鳳凰馬五郎(ほうおう うまごろう、1866年9月3日 - 1907年5月4日)は、下総国千葉郡久々田村(現在の千葉県習志野市津田沼)出身で宮城野部屋(一時錦戸部屋に移籍)所属の元大相撲力士。最高位は大関。5代目年寄・宮城野を襲名。身長179cm、体重117kg。本名は三代川(後に宮城野姓)寅之助。
 8  初代小錦八十吉    横芝光町Wikipedia
小錦 八十吉(こにしき やそきち、1866年11月21日(慶応2年10月15日) - 1914年(大正3年)10月22日)は、上総国武射郡(現:千葉県山武郡横芝光町)出身の元大相撲力士。第17代横綱。本名は岩井 八十吉(いわい やそきち)。


作家・小説家・エッセイ・文筆・翻訳家・編集者・評論家
 9  榎本虎彦    和歌山市Wikipedia
榎本 虎彦(えのもと とらひこ、慶応2年1月10日(1866年2月24日) - 大正5年(1916年)11月16日)は明治・大正の歌舞伎作家。俳号は破笠。和歌山市出身である。歌舞伎座の立作者として『南都炎上』、『名工柿右衛門』などの代表作を残す。
 10  松原岩五郎    原岩五Wikipedia
松原 岩五郎(まつばら いわごろう、1866年9月14日(慶応2年8月6日) - 1935年(昭和10年)2月26日)は、日本の小説家、ジャーナリストである。二十三階堂と号した。


弁護士
 11  今村力三郎    Wikipedia
今村 力三郎(いまむら りきさぶろう、1866年6月14日(慶応2年5月2日 ) - 1954年(昭和29年)6月12日)は、日本の弁護士であり、元裁判官。専修大学総長(第5代)。
専修大学出身      出身の専修大学の出身者      全国の専修大学の出身者


建築家・建築学者・技術者
 12  遠藤於莵    木曽町Wikipedia
遠藤 於莵(えんどう おと、1866年12月28日 - 1943年2月17日)は、日本の建築家。日本における鉄筋コンクリート技術の先駆者の一人で、「日本のペレ」とも評される。
東京大学出身      出身の東京大学の出身者      全国の東京大学の出身者
 13  下田菊太郎    仙北市Wikipedia
下田 菊太郎(しもだ きくたろう、慶応2年5月2日(1866年6月14日) - 昭和6年(1931年)12月26日)は、日本の建築家。秋田県出身。


経営者・実業家
 14  九鬼紋七    四日市市Wikipedia
九鬼 紋七(くき もんしち、1866年3月10日(慶応2年1月24日) - 1928年(昭和3年)3月15日)は、三重県四日市市出身の政治家、また九鬼産業グループを経営する実業家。四日市電灯・三重人造肥料・四日市倉庫社長・東洋紡績取締役・四日市商工会議所副会頭等。四日市の政財界の指導者。四日市九鬼家当主で8代目九鬼紋七を襲名した。国政に進出して衆議院議員(1期)を務める。甥は四日市政財界の大御所であった九鬼紋十郎。家業を継いだ長男・徳三(9代目紋七)も衆議院議員を務めた(妻は外交官市河彦太郎の妹)[3][4]。
 15  金子直吉    仁淀川町Wikipedia
金子 直吉(かねこ なおきち、慶応2年6月13日(1866年7月24日) - 昭和19年(1944年)2月27日)は日本の実業家。丁稚奉公から身を起こし、鈴木商店の「大番頭」として大正時代には三井財閥、住友財閥、三菱財閥をしのぐ規模の企業グループに拡大させ財界のナポレオンともいわれた。
 16  石谷伝四郎    智頭町Wikipedia
石谷 伝四郎(いしたに でんしろう、1866年6月12日(慶応2年4月29日)- 1923年(大正12年)12月19日[2])は、日本の実業家、政治家。鳥取県平民[3]。鳥取県多額納税者[3]。
慶應義塾大学出身      出身の慶應義塾大学の出身者      全国の慶應義塾大学の出身者
 17  永田峯松    広島市Wikipedia
永田 峯松(ながた みねまつ、1866年8月15日(慶応2年7月6日) - 没年不明)は、日本の商人(貿易商[3])、実業家、広島県多額納税者[4]。永田商会代表社員[5]。族籍は広島県士族[6][7]。
 18  中部幾次郎    明石市Wikipedia
中部 幾次郎(なかべ いくじろう 1866年2月18日(旧暦慶応2年1月4日) - 1946年(昭和21年)5月19日)は、明治から昭和初期(1900年代後半~1940年代前半)の実業家。林兼商店(後の大洋漁業、現在のマルハニチロの前身の一つ)創業者。貴族院議員。
 19  大和田金之助    敦賀市Wikipedia
大和田 金之助(おおわだ きんのすけ、1866年9月(慶応2年8月) - 没年不明)は、日本の商人(雑貨商)、実業家。大和田銀行監査役[3]。大和田貯蓄銀行取締役[4]。旧姓は大橋。
 20  中川小十郎    亀岡市Wikipedia
政治家 官僚 教育者 実業家
 21  松方幸次郎    鹿児島市Wikipedia
松方 幸次郎(まつかた こうじろう、1866年1月17日(慶応元年12月1日) - 1950年(昭和25年)6月24日)は日本の実業家、政治家。川崎造船所社長、衆議院議員(日本進歩党)、美術収集家。エール大学、ソルボンヌ大学卒業。
 22  海野三次郎    静岡市Wikipedia
海野 三次郎(うみの さんじろう、1866年5月1日(慶応2年3月17日) - 1939年(昭和14年)7月(p61))は駿河国庵原郡出身の実業家。
 23  武藤金吉    太田市Wikipedia
武藤 金吉(むとう きんきち、慶応2年5月15日(1866年6月27日) - 昭和3年(1928年)4月23日)は、日本の政治家・衆議院議員(立憲政友会)、実業家。族籍は群馬県平民。
 24  氏家丈吉    角田市Wikipedia
氏家 丈吉(うじいえ じょうきち、1866年10月5日(慶応2年8月27日) - 没年不明)は、日本の実業家、資産家[3]、宮城県多額納税者[4][5][6]、地主[7]。族籍は宮城県平民。旧姓・富樫。前名・吉郎[3][6]。
 25  坂本嘉治馬    宿毛市Wikipedia
坂本 嘉治馬(さかもと かじま、慶応2年3月11日(1866年4月25日) - 昭和13年(1938年)8月23日)は、日本の実業家。明治、大正期を代表する出版社、冨山房を神田神保町に設立した。土佐国(高知県)宿毛村出身。
 26  2代目川崎八右衛門    茨城町Wikipedia
2代目川崎 八右衛門(かわさき はちえもん、慶応2年(1866年)4月5日 - 昭和22年(1947年))は、日本の実業家。初代川崎八右衛門、世舞子夫妻の三男。金三郎と命名される。川崎守之助の父。妻、幸子(こうこ)は、男爵郷誠之助の妹。東京川崎財閥第2代目当主。
 27  諸井春畦    本庄市Wikipedia
諸井 春畦(もろい しゅんけい、1866年(慶応2年) - 1919年(大正8年)5月9日)は、明治期から大正期にかけての実業家、書家。諱は直行、字は習郷、通称は時三郎。春畦は号である。


華道・茶道
 28  山田寅次郎    沼田市Wikipedia
山田 宗有(やまだ そうゆう、本名:山田寅次郎、慶応2年8月23日(1866年10月1日) - 昭和32年(1957年)2月13日)は、実業家、茶人。茶道宗徧流の第8世家元であるが、家元継承以前の山田 寅次郎(やまだとらじろう)の名で実業界でも活躍した。明治25年(1892年)にエルトゥールル号遭難事件の義捐金を届けにオスマン帝国(後のトルコ)に渡って以来、日本とトルコの交流に深く関わった人物としても知られる。


軍人
 29  横山彦六    Wikipedia
横山 彦六(よこやま ひころく、1866年(慶応2年10月) - 1957年2月15日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
 30  橋本又吉郎    広島市Wikipedia
橋本 又吉郎(はしもと またきちろう、1866年1月31日(慶応元年12月15日) - 1928年(昭和3年)6月3日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。現在の広島県出身。
 31  菊池慎之助    水戸市Wikipedia
菊池 慎之助(きくち しんのすけ、1866年3月31日(慶応2年2月15日) - 1927年8月22日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。
 32  栃内曽次郎    Wikipedia
栃内 曽次郎(とちない そうじろう、慶応2年6月8日(1866年7月19日) - 昭和7年(1932年)7月12日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。晩年には貴族院議員を務めた。
 33  山屋他人    Wikipedia
山屋 他人(やまや たにん、慶応2年3月4日(1866年)4月18日 - 昭和15年(1940年)9月10日)は、日本の海軍軍人。海軍大将。皇太子徳仁親王妃雅子は曾孫にあたる。
 34  永沼秀文    Wikipedia
永沼 秀文(ながぬま ひでふみ、1866年11月10日(慶応2年10月4日) - 1939年(昭和14年)2月1日)は、日本の陸軍軍人。陸士旧8期。
 35  伊藤乙次郎    Wikipedia
伊藤 乙次郎(いとう おとじろう、1866年12月2日(慶応2年10月26日) - 1941年3月27日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。
 36  福田雅太郎    大村市Wikipedia
福田 雅太郎(ふくだ まさたろう、1866年7月7日(慶応2年5月25日) - 1932年6月1日)は、日本陸軍の軍人。陸士旧9期、陸大9期。栄典は従三位勲一等功三級、聖マイケル・聖ジョージ勲章ナイト・コマンダー(KCMG)。最終階級は陸軍大将。


官僚
 37  松井茂     広島市Wikipedia
松井 茂(まつい しげる、1866年11月4日(慶応2年9月27日) - 1945年(昭和20年)9月9日)は、日本の内務官僚、政治家。
 38  石塚英蔵    Wikipedia
石塚 英蔵(いしづか えいぞう、1866年10月31日(慶応2年7月23日) - 1942年(昭和17年)7月28日)は、日本の官僚、政治家。台湾総督、貴族院議員、枢密顧問官。


学者・教授・准教授
 39  松本亀次郎    掛川市Wikipedia
松本 龜次郎(まつもと かめじろう、1866年4月3日(慶応2年2月18日)- 1945年9月12日)は、日本の教育者、日本語教師、国語学者。北京大学教授、東亜高等予備校教頭などを歴任した。
東京高等師範学校出身      出身の東京高等師範学校の出身者      全国の東京高等師範学校の出身者
 40  佐々木多門    平内町Wikipedia
佐々木 多門(ささき たもん、慶応2年(1866年)5月17日 - 昭和12年(1937年)12月3日は、日本の銀行家・経済学者。高橋是清と床次竹二郎の私設顧問を務める一方で、イギリスの有力紙「タイムズ」東京通信員(1921年 - 1937年)として数多くの論説を執筆した。
 41  玉井喜作    光市Wikipedia
玉井 喜作(たまい きさく、慶応2年5月18日(1866年6月30日) - 1906年(明治39年)9月25日)は日本のジャーナリスト、教育家、冒険家。札幌農学校でドイツ語教授を務めた後にシベリアを単身横断してドイツに渡り、月刊誌『東亜(Ost-Asien)』を刊行するなどジャーナリストとして活動した。また、在留日本人の面倒をよくみたことから「私設公使」の異名をとった。
 42  本多静六    七飯町Wikipedia
本多 静六(ほんだ せいろく、慶応2年7月2日(1866年8月11日) - 昭和27(1952年)1月29日)は、日本の林学博士、造園家、株式投資家。日本の「公園の父」といわれる。苦学して東大教授になり、「月給4分の1天引き貯金」を元手に投資で巨万の富を築き、停年と同時に全財産を寄付した。旧名、折原静六。
 43  田尻寅雄    玉名市Wikipedia
田尻 寅雄(たじり とらお、1866年4月6日 - 1947年)は、日本の医学者である。熊本初のハンセン病病院、回春病院初代院長として、ハンナ・リデルを助け病院の充実に努めた。
 44  荒木寅三郎    Wikipedia
荒木 寅三郎(あらき とらさぶろう 1866年11月23日(慶応2年10月17日)-1942年1月28日)は日本の医学者。京都帝国大学総長、学習院長や枢密顧問官を歴任する。
学習院大学出身      出身の学習院大学の出身者      全国の学習院大学の出身者
 45  内藤湖南    鹿角市Wikipedia
内藤 湖南(ないとう こなん、1866年8月27日(慶応2年7月18日) - 1934年(昭和9年)6月26日)は日本の東洋史学者。名は虎次郎。字は炳卿(へいけい)。湖南は号。別号に黒頭尊者。白鳥庫吉と共に戦前を代表する東洋学者であり、戦前の邪馬台国論争、中国に於ける時代区分論争などで学会を二分した。
秋田大学出身      出身の秋田大学の出身者      全国の秋田大学の出身者
 46  佐藤義長    Wikipedia
佐藤 義長(さとう よしなが、1866年7月20日(慶応2年5月20日) - 1937年(昭和12年)1月8日)は、日本の農学者。農芸化学を専門とする農学博士で、宇都宮高等農林、盛岡高等農林の各校長を務めた。
 47  斎藤秀三郎    Wikipedia
斎藤 秀三郎(さいとう ひでさぶろう、1866年2月16日(慶応2年1月2日) - 1929年(昭和4年)11月9日は、明治・大正期を代表する英語学者・教育者。宮城県仙台市出身。
 48  本多静六    久喜市Wikipedia
本多 静六(ほんだ せいろく、慶応2年7月2日(1866年8月11日) - 昭和27(1952年)1月29日)は、日本の林学博士、造園家、株式投資家。日本の「公園の父」といわれる。旧名、折原静六。
 49  三島通良    川越市Wikipedia
三島 通良(みしま みちよし、1866年7月17日(慶応2年6月6日) - 1925年(大正14年)3月9日)は、明治から大正期にかけての日本の衛生学者、医師。文部省からの委嘱により日本の児童の調査を行い、日本独自の学校衛生を提唱、推進した。また、母子衛生法の改良、三島式種痘法の発明などを行った。しばしば「日本の学校衛生の生みの親」と称される。号は静堂。
 50  高楠順次郎    Wikipedia
高楠 順次郎(たかくす じゅんじろう、1866年6月29日(慶応2年5月17日) - 1945年(昭和20年)6月28日)は、戦前の仏教学者、インド学者。1912年、帝国学士院会員。学位は文学博士、ドクトル・フィロソフィエ(ライプツィヒ大学)など。称号は東京帝国大学名誉教授。1944年に文化勲章を受章。
龍谷大学出身      出身の龍谷大学の出身者      全国の龍谷大学の出身者
 51  近藤次繁    松本市Wikipedia
近藤 次繁(こんどう つぐしげ、1866年1月17日(慶応元年12月1日) - 1944年(昭和19年)3月4日)は、日本の明治から昭和期における医学博士・外科医。東京帝国大学医学部教授・病院長。日本で最初に胃がんの手術を成功させた外科医である。。
 52  藤井健次郎    金沢市Wikipedia
藤井 健次郎(ふじい けんじろう、1866年11月11日(慶応2年10月5日) - 1952年(昭和27年)1月11日)は、日本の植物学者、遺伝学者。
東京大学出身      出身の東京大学の出身者      全国の東京大学の出身者
 53  山内晋卿    大田市Wikipedia
山内 晋卿(やまのうち しんきょう、旧名: 晋(すすむ)、1866年1月26日(慶応元年12月10日) - 1945年(昭和20年)9月9日)は、仏教学者、漢文学者、中国史学者。石見国(現島根県)生まれ。
東北大学出身      出身の東北大学の出身者      全国の東北大学の出身者
 54  大瀬甚太郎    金沢市Wikipedia
大瀬 甚太郎(おおせ じんたろう、1866年2月9日(慶応元年12月24日) - 1944年(昭和19年)5月29日は、近代日本の教育学者。号は金城。近代日本における体系的な教育学の樹立者、西洋教育史学の開拓者として評価されている。
 55  尾高次郎    深谷市Wikipedia
尾高 次郎(おだか じろう、1866年4月2日(慶応2年2月17日) - 1920年(大正9年)2月4日)は、日本の実業家、漢学者。南洋殖産や、武州銀行(現埼玉りそな銀行)を設立するなどし、岳父渋沢栄一の下で銀行家として活躍した。
 56  吉田増蔵    みやこ町Wikipedia
吉田 増蔵(よしだ ますぞう、1866年12月29日(慶応2年11月23日) - 1941年(昭和16年)12月19日)は明治~昭和時代の漢学者。


研究者・研究家・発明家
 57  上田竹翁    大阪市Wikipedia
上田 竹翁(うえだ ちくおう、本名:上田寅之助、箸尾寅之助、号:竹軒樂人、1866年(慶応2年) - 1941年(昭和16年))は、明治・大正・昭和期に活躍した文人。写真研究家。『藝術冩眞』主幹、「コダック 研究会」幹事。


画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家
 58  神坂雪佳    京都市Wikipedia
神坂 雪佳(かみさか せっか、慶応2年1月12日(1866年2月26日) - 昭和17年(1942年)1月4日)は、近現代の日本の画家であり、図案家。京都に暮らし、明治から昭和にかけての時期に、絵画と工芸の分野で多岐にわたる活動をした。本名は吉隆(よしたか)。
 59  黒田清輝    鹿児島市Wikipedia
黒田 清輝(くろだ せいき、1866年8月9日(慶応2年6月29日) - 1924年(大正13年)7月15日)は、日本の洋画家、政治家。位階は従三位。勲等は勲二等。爵位は子爵。通称は新太郎(しんたろう)。名の清輝は、本名は「きよてる」だが、画名は「せいき」と読む。教え子からは「メートル(先生)」(maître)とフランス語で呼ばれた。
二松學舍大学出身      出身の二松學舍大学の出身者      全国の二松學舍大学の出身者
 60  久米桂一郎    佐賀市Wikipedia
久米 桂一郎(くめ けいいちろう、1866年9月16日(慶応2年8月8日) - 1934年7月27日)は、日本の洋画家である。歴史学者の久米邦武を父に持つ。
 61  中村不折    Wikipedia
中村 不折(なかむら ふせつ、1866年8月19日(慶応2年7月10日) - 1943年(昭和18年)6月6日)は明治、大正、昭和期に活躍した日本の洋画家、書家である。正五位。太平洋美術学校校長。夏目漱石『吾輩は猫である』の挿絵画家として知られている。
 62  高屋肖哲    大垣市Wikipedia
高屋 肖哲(たかや しょうてつ、慶応2年11月2日(1866年12月8日) ‐ 昭和20年(1945年)没日不明)は、日本の明治から昭和時代の日本画家。狩野芳崖の弟子で、岡倉秋水、岡不崩、本多天城らと共に芳崖四天王と呼ばれたが、ほとんど画壇との関わりを持たず、自ら「仏画師」と称して市井の画家として生きた。
 63  原撫松    岡山市Wikipedia
原 撫松(はら ぶしょう、慶応2年1月27日(1866年3月13日) - 大正元年(1912年)10月27日)は、明治期の洋画家。今日、知名度は高いとはいえないが、明治期において本格的な油彩技法を修得した最も優れた画家の一人とされ、肖像画を得意とした。
 64  戎谷南山    横手市Wikipedia
戎谷 南山(えびすや なんざん、1866年(慶應2年)- 1949年(昭和24年)は、明治~昭和初期の画家。本業は菓子屋。秋田県秋田市生まれ。本名は戎谷亀吉。「後三年合戦絵詞」の模写をライフワークとした。
 65  鹿島清兵衛    Wikipedia
鹿嶋 清兵衛(かじま せいべい、1866年(慶応2年) - 1924年(大正13年)8月6日)は、明治期の写真家。豪商の跡取り養子だったが、新橋の人気芸者・ぽん太を身請けしたことから家を出て、趣味の写真を本業とした。撮影中の事故で負傷し、その後は能の笛方になった。妻・ぽん太も唄や踊りで暮らしを支え、その献身的な姿が貞女としてもてはやされた。清兵衛の型破りな生き方は、森鴎外の小説『百物語』のモデルにもなった。昭和30年代に、清兵衛が隠したと思われる埋蔵金が見つかり、再び世間を賑わせた。


政治家・議員・首長
 66  今井今助    川場村Wikipedia
今井 今助(いまい いますけ、1866年10月23日(慶応2年9月15日) - 1948年(昭和23年)2月18日[2])は、日本の政治家。群馬県出身。
 67  上埜安太郎    高岡市Wikipedia
上埜 安太郎(うえの やすたろう、1866年1月27日(慶応元年12月11日) - 1939年(昭和14年)4月4日)は、日本の政治家・衆議院議員(立憲政友会→政友本党→立憲政友会)。富山県高岡市長。富山市長。族籍は富山県平民。
 68  日比野寛    Wikipedia
日比野 寛(ひびの ゆたか / ひろし、1866年12月9日(慶応2年11月3日) - 1950年4月2日)は、日本の教育者、政治家。衆議院議員。愛知県中島郡大里村(現:稲沢市)出身。旧姓は織田(おだ - )。日本におけるマラソン指導の始祖とされている。
 69  木内重四郎    Wikipedia
木内 重四郎(きうち じゅうしろう、慶応元年12月10日(1866年1月26日) - 大正14年(1925年)1月9日)は、戦前日本の官僚・政治家。
東京大学出身      出身の東京大学の出身者      全国の東京大学の出身者
 70  粕谷義三    入間市Wikipedia
粕谷 義三(かすや ぎぞう、慶応2年8月15日(1866年9月23日)-昭和5年(1930年)5月4日)は、明治から昭和期の政治家。号は竹堂。
 71  大沢寅次郎    長瀞町Wikipedia
大沢 寅次郎(大澤、おおさわ とらじろう、1866年1月3日(慶応元年11月17日)- 1953年(昭和28年)10月12日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、埼玉県秩父郡白鳥村長。
 72  望月小太郎    身延町Wikipedia
望月 小太郎(もちづき こたろう、1866年1月1日(慶応元年11月15日) - 1927年(昭和2年)5月19日)は、日本の政治家、弁護士、衆議院議員(7期)、ジャーナリスト。号は鶯渓。従五位旭日中綬章。
 73  鈴木巌    盛岡市Wikipedia
鈴木 巌(すずき いわお、慶応2年3月13日(1866年4月27日) - 昭和21年(1946年)7月9日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、ジャーナリスト。小説家鈴木彦次郎の父。
 74  山之内一次    Wikipedia
山之内 一次(やまのうち かずじ、1866年12月12日(慶応2年11月6日) - 1932年(昭和7年)12月21日)は、日本の内務・鉄道官僚、政治家。第1次山本内閣の内閣書記官長、第2次山本内閣の鉄道大臣、貴族院勅撰議員。
 75  中野善次郎    守山市Wikipedia
中野 善次郎(なかの ぜんじろう、1866年8月18日(慶応2年7月9日) - 1944年6月24日(昭和19年)は、日本の明治・大正期における実業家。滋賀県出身。
 76  若槻礼次郎    松江市Wikipedia
若槻 禮次郞(わかつき れいじろう、慶応2年2月5日(1866年3月21日) - 昭和24年(1949年)11月20日)は、日本の大蔵官僚、政治家。栄典は正二位勲一等男爵。旧姓は奥村。幼名は源之丞。号は克堂。新字体にて若槻 礼次郎(わかつき れいじろう)と表記されることもある[注釈 1]。
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 77  石井菊次郎    渋谷区Wikipedia
石井 菊次郎(いしい きくじろう、慶応2年3月10日(1866年4月24日)- 昭和20年(1945年)5月25日?)は、日本の外交官、政治家。第2次大隈内閣で外務大臣を務め、国際連盟設立期には日本代表を務めた。特使としてアメリカで締結した石井・ランシング協定にその名を残すことでも知られる。
 78  石井菊次郎    Wikipedia
石井 菊次郎(いしい きくじろう、1866年4月24日(慶応2年3月10日) - 1945年(昭和20年)5月25日?)は、日本の外交官、政治家。第2次大隈内閣で外務大臣を務め、国際連盟設立期には日本代表を務めた。また特使としてアメリカで締結した、石井・ランシング協定にその名を残す。
東京大学出身      出身の東京大学の出身者      全国の東京大学の出身者


宗教家・思想家・運動家
 79  河口慧海    堺市Wikipedia
河口 慧海(かわぐち えかい、1866年2月26日(慶応2年1月12日) - 1945年(昭和20年)2月24日)は、黄檗宗の僧侶。仏教学者にして探検家。幼名を定治郎という。僧名は慧海仁広(えかいじんこう)。
東洋大学出身      出身の東洋大学の出身者      全国の東洋大学の出身者
 80  高松悟峰    広島市Wikipedia
高松悟峰(たかまつ ごほう、1866年2月15日(慶応2年1月1日) - 1939年(昭和14年)7月2日)は、浄土真宗本願寺派の勧学。1906年(明治39年)に創立された宗学専門私塾真宗学寮の初代学頭になり[3]、真宗学寮に広島仏教学院が併設されてからは、その初代院長[4]を兼任した。髙松悟峰、高松悟峯[3]とも表記する。
 81  富井於菟    たつの市Wikipedia
富井 於菟(とみい おと、慶応2年6月7日(1866年7月18日) - 明治18年(1885年)12月2日)は、日本の社会運動家、教師。婦人解放運動のさきがけとしてその名を知られる。別名に富井とら(虎子)。
 82  廣池千九郎    Wikipedia
廣池 千九郎(ひろいけ ちくろう、1866年(慶応2年)3月29日 - 1938年(昭和13年)6月4日)は、日本の法学者 、歴史学者、教育者、元宗教家。
慶應義塾大学出身      出身の慶應義塾大学の出身者      全国の慶應義塾大学の出身者


俳人・歌人・詩人
 83  安藤和風    秋田市Wikipedia
安藤 和風(あんどう はるかぜ、慶応2年1月12日(1866年2月26日) - 昭和11年(1936年)12月26日)は、日本のジャーナリスト、マスメディア経営者、俳人、郷土史研究家。通名および俳号は「和風」をそのまま音読みして「わふう」。


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