出身で1863年生まれの有名人

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格闘技
 1  大蛇潟大五郎    市川市Wikipedia
大蛇潟大五郎(おろちがただいごろう、1863年1月(文久2年12月)-1916年1月9日)は、宮城野部屋、錦戸部屋、錦島部屋に所属した元力士。7代錦島。本名は錦嶋七太郎(旧姓岡田)。現在の千葉県市川市出身。身長178cm、体重101kg。最高位は西前頭筆頭。
 2  春日森富三郎    岡山市Wikipedia
春日森 富三郎(かすがもり とみさぶろう、1863年 - 1914年11月4日)は、備前国上道郡(現在の岡山県岡山市)出身で大阪相撲及び広角組の大鳴門部屋(入門時は千田川部屋)所属の元大相撲力士。本名は、上岡富三郎(かみおか とみさぶろう)。最高位は、大阪相撲の前頭2枚目(広角組では関脇)。身長179cm、体重86kg。


冬季スポーツ
 3  堀内文次郎    上越市Wikipedia
堀内 文次郎(ほりうち ぶんじろう、文久3年9月17日(1863年10月29日) - 1942年(昭和17年)3月14日)は、日本の陸軍軍人。陸士旧7期。栄典は従四位勲二等功二級。最終階級は陸軍中将。


経営者・実業家
 4  藤山雷太    Wikipedia
藤山 雷太(ふじやま らいた、1863年9月13日(旧暦文久3年8月1日)- 1938年(昭和13年)12月19日)は、佐賀藩出身の明治・大正・昭和の実業家、貴族院勅選議員。東京商業会議所会頭、芝浦製作所所長、大日本製糖社長、藤山同族社長、大日本製氷会長、日印協会理事、また三井財閥・安田財閥・共同の各信託会社の相談役・取締役等を歴任し、藤山コンツェルンを創立した。正五位勲三等。
長崎大学出身      出身の長崎大学の出身者      全国の長崎大学の出身者
 5  岩原謙三    加賀市Wikipedia
岩原 謙三(いわはら けんぞう、1863年(文久3年)10月21日 - 1936年(昭和11年)7月12日)は、日本の実業家。
 6  飯田壽作    西宮市Wikipedia
飯田 壽作(いいだ じゅさく、1863年2月17日(文久2年12月29日) - 没年不明)は日本の実業家。西宮銀行常務取締役。西宮酒造取締役、同監査役[3]。西宮開運取締役[4]。族籍は兵庫県平民。
 7  岩井勝次郎    亀岡市Wikipedia
岩井勝次郎(いわい かつじろう、1863年5月28日(文久3年4月11日) - 1935年12月21日)は日本の実業家。岩井商店の創業者であり、多角化戦略により岩井財閥を形成した。京都府南桑田郡旭村の農家に生まれる。旧姓・蔭山。
 8  有本松太郎    新温泉町Wikipedia
有本 松太郎(ありもと まつたろう、文久3年1月7日(1863年2月24日) - 昭和16年(1941年)5月13日)は、日本の実業家、政治家。皆生温泉土地社長。米子電気軌道代表取締役。元鳥取県議会議員。元米子市議会議員。地主[3]。皆生温泉の基盤を築いた[4]。
 9  油屋熊八    Wikipedia
油屋 熊八(あぶらや くまはち、1863年8月29日(文久3年7月16日) - 1935年(昭和10年)3月24日)は、日本の実業家。温泉都市大分県別府市の観光開発に尽力し、田園的な温泉保養地由布院の礎を築いた。
 10  片倉兼太郎(2代目)    岡谷市Wikipedia
二代目 片倉 兼太郞(にだいめ かたくら かねたろう、文久2年12月24日 / グレゴリオ暦1863年2月12日 - 1934年1月8日)は、日本の実業家、資本家である。出生名は宗広(むねひろ)、片倉組創立者・初代片倉兼太郞の弟であったが、兄の養嗣子になり佐一(さいち)と名乗る。1917年、二代目片倉兼太郎を襲名。片倉組二代目組長、称号改め片倉製糸紡績(現在の片倉工業)社長、日東紡績社長等を歴任した[4]。


軍人
 11  筑紫熊七    Wikipedia
筑紫 熊七(つくし くましち、1863年3月14日(文久3年1月25日) - 1944年(昭和19年)1月21日)は、日本陸軍の軍人。陸軍中将従三位勲一等功三級。


学者・教授・准教授
 12  関根萬司    柏崎市Wikipedia
関根 萬司(せきね まんじ 、1863年2月17日(文久2年12月29日) - 1924年(大正13年)4月27日)は、日本の教育者。越後国刈羽郡北条村小島(現:新潟県柏崎市大字小島)出身。
東京物理学校出身      出身の東京物理学校の出身者      全国の東京物理学校の出身者
 13  山極勝三郎    上田市Wikipedia
山極 勝三郎(やまぎわ かつさぶろう、1863年4月10日(文久3年2月23日) - 1930年(昭和5年)3月2日)は、日本の病理学者。人工癌研究のパイオニアとして知られる。
 14  松井簡治    銚子市Wikipedia
松井 簡治(まつい かんじ、文久3年5月18日(1863年7月3日) - 昭和20年(1945年)9月26日)は、明治から昭和にかけて活躍した国語学者。旧姓は宮内。号は刀水、碧湾。下総国銚子(現・千葉県銚子市)出身。


研究者・研究家・発明家
 15  河野常吉    松本市Wikipedia
河野 常吉(こうの つねきち、1863年1月11日(文久2年11月22日) - 1930年(昭和5年)9月3日)は、明治大正期の北海道史研究者。河野齢蔵は実弟、アイヌ研究者として名高い河野広道は子、また二女の道子は動物学者犬飼哲夫に嫁ぎ、河野本道は孫に当たる。
 16  河野常吉    小樽市Wikipedia
河野 常吉(こうの つねきち、1863年1月11日(文久2年11月22日) - 1930年(昭和5年)9月3日)は、明治大正期の北海道史研究者。河野齢蔵は実弟、アイヌ研究者として名高い河野広道は子、また二女の道子は動物学者犬飼哲夫に嫁ぎ、河野本道は孫に当たる。


画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家
 17  五百城文哉    水戸市Wikipedia
五百城 文哉(いおき ぶんさい、1863年8月11日(文久3年6月27日 ) - 1906年(明治39年)6月6日は、明治時代の日本の洋画家。本名は熊吉。


政治家・議員・首長
 18  野上嘉平    南あわじ市Wikipedia
野上 嘉平(のがみ かへい、1863年9月4日(文久3年7月22日) - 1913年(大正2年)10月3日)は日本の政治家、実業家。衆議院議員(憲政本党)。
 19  志賀重昂    岡崎市Wikipedia
志賀 重昂(しが しげたか、文久3年11月15日(1863年12月25日) - 昭和2年(1927年)4月6日)は、日本の地理学者、評論家、教育者、衆議院議員。誕生日は9月15日(1863年10月27日)ともいう。矧川(しんせん)・矧川漁長を号した。
 20  入江武一郎    赤磐市Wikipedia
入江 武一郎(いりえ ぶいちろう、文久3年2月27日(1863年4月14日) - 昭和8年(1933年)7月20日[3])は、日本の衆議院議員(憲政本党→立憲国民党)。弁護士。
 21  西沢正太郎    坂城町Wikipedia
西沢 正太郎(にしざわ しょうたろう、1863年10月21日(文久3年9月9日) - 1910年(明治43年)2月2日[2])は、日本の内務官僚。官選県知事。号・靖軒、獅牢[3]。
 22  鎌田三之助    Wikipedia
鎌田 三之助(かまだ さんのすけ、1863年3月2日(文久3年1月13日) - 1950年(昭和25年)5月3日)は、日本の政治家。衆議院議員、宮城県鹿島台村(現在の大崎市)村長。品井沼干拓事業に打ち込み「わらじ村長」の名で知られた。
明治大学出身      出身の明治大学の出身者      全国の明治大学の出身者
 23  押川則吉    Wikipedia
押川 則吉(おしかわ のりきち、1863年2月7日(文久2年12月19日) - 1918年(大正7年)2月18日)は、日本の農商務・内務官僚、政治家。官選県知事、製鉄所長官、貴族院議員。幼名・千代太郎。
 24  近衛篤麿    Wikipedia
近衞 篤麿(このえ あつまろ、1863年8月10日(文久3年6月26日) - 1904年(明治37年)1月1日)は、明治時代後期の華族・政治家。号は霞山。近衛家は五摂家筆頭の家柄で、公爵。第3代貴族院議長、第7代学習院院長、帝国教育会初代会長。本姓は藤原。
学習院大学出身      出身の学習院大学の出身者      全国の学習院大学の出身者
 25  菅原傳    涌谷町Wikipedia
菅原 傳(すがわら でん、文久3年8月25日(1863年10月7日) - 昭和12年(1937年)5月9日)は、明治から昭和時代前期の政治家。名は「つたう」とも読む。
 26  石川甚作    栃木市Wikipedia
石川 甚作(いしかわ じんさく、文久3年5月20日(1863年7月5日) - 大正8年(1919年)1月28日)は、日本の衆議院議員。弁護士。
 27  増谷喬    境港市Wikipedia
増谷 喬(ますたに たかし、文久3年(1863年)6月5日) - 昭和19年(1944年)4月13日)は日本の政治家。上道村長(5代)、上道村会議員。
 28  早川千吉郎    金沢市Wikipedia
早川 千吉郎(はやかわ せんきちろう、文久3年6月21日(1863年8月5日) - 大正11年(1922年)10月14日)は、明治、大正期の官僚、実業家、政治家。


宗教家・思想家・運動家
 29  堀久太郎    大田市Wikipedia
堀 久太郎(ほり きゅうたろう)、1863年4月25日(文久3年3月8日) - 1943年(昭和18年)7月11日は戦前の日本の思想家、政治家、実業家。
 30  岡倉天心    横浜市Wikipedia
岡倉 天心(おかくら てんしん、1863年2月14日(文久2年12月26日) - 1913年(大正2年)9月2日)は、日本の思想家、文人。本名は岡倉覚三(かくぞう)。幼名は岡倉角蔵。
東京外国語大学出身      出身の東京外国語大学の出身者      全国の東京外国語大学の出身者
 31  片桐清治    奥州市Wikipedia
片桐 清治(かたぎり せいじ、安政3年1月17日〈1856年2月22日〉 - 1928年〈昭和3年〉1月21日)は日本の牧師で、日本組合基督教会の東北地方の重鎮として活躍する。
 32  徳富蘇峰    益城町Wikipedia
徳富 蘇峰(とくとみ そほう、1863年3月14日(文久3年1月25日) - 1957年(昭和32年)11月2日)は、明治から昭和にかけての日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家。『國民新聞』を主宰し、大著『近世日本国民史』を著したことで知られる。
 33  岡倉天心    台東区Wikipedia
岡倉 天心(おかくら てんしん、1863年2月14日(文久2年12月26日) - 1913年(大正2年)9月2日)は、日本の思想家、文人。本名は岡倉覚三(かくぞう)。幼名は岡倉角蔵。


その他の職業
 34  本多忠敬    岡崎市Wikipedia
本多 忠敬(ほんだ ただあつ、文久3年10月14日(1863年11月24日) - 1920年6月8日)は、日本の子爵、貴族院議員。岡崎藩最後の藩主・本多忠直が没したのち、本多家家督を継いだ(第17代)。
 35  花井お梅    佐倉市Wikipedia
花井 お梅(はない おうめ、1863年(元治元年) - 1916年(大正5年)12月13日)は、幕末から大正時代にかけての女性。芸妓などで生計を立てていたが、1887年(明治20年)に犯した殺人事件が、色々な演芸に脚色され、演じられた。


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