出身で1862年生まれの有名人

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宝塚・女優・俳優・声優・ナレーター・歌舞伎・能楽・狂言
 1  市川門之介    松江市Wikipedia
六代目 市川門之助(ろくだいめ いちかわ もんのすけ、文久2年〈1862年〉- 大正3年〈1914年〉8月)とは、明治に活躍した歌舞伎役者。屋号は瀧乃屋、定紋は四ツ紅葉。俳名は新車。本名は荒川清太郎(あらかわせいたろう)。


演奏家・作詞家・作曲家・ミュージシャン
 2  亀山昇    八代市Wikipedia
亀山 昇(かめやま のぼる、1862年12月8日(文久2年10月17日) - 1943年(昭和18年)1月7日)は熊本バンドの一人である。


ジャーナリスト
 3  朝比奈知泉    水戸市Wikipedia
朝比奈 知泉(あさひな ちせん、文久2年4月25日(1862年5月23日) - 昭和14年(1939年)5月22日)は日本の新聞記者、政論家。号は碌堂、他に珂南・河水懶魚・不染盧主人などがある。


格闘技
 4  北海大太郎    平川市Wikipedia
北海大太郎(ほっかいだいたろう、1862年7月6日(文久2年6月10日) - 1934年(昭和9年)5月19日)は、高砂部屋に所属した元力士。本名は岩渕大次郎。陸奥国津軽郡(現在の青森県平川市)出身。164cm、88kg。最高位は東前頭筆頭。
 5  高野佐三郎    秩父市Wikipedia
高野 佐三郎(たかの ささぶろう、文久2年6月13日(1862年7月9日) - 昭和25年(1950年)12月30日)は、日本の剣道家。流派は中西派一刀流剣術[注釈 1]。称号は大日本武徳会剣道範士。諱は豊正。号は靖斎。
 6  相生芳藏    北栄町Wikipedia
相生 芳藏(あいおい よしぞう、1862年 - 1888年3月16日)は、伯耆国八橋郡(現:鳥取県東伯郡)出身の元大相撲力士。本名は永田 芳造(ながた よしぞう)。


経営者・実業家
 7  上山英一郎    有田市Wikipedia
上山 英一郎(うえやま えいいちろう、文久2年(1862年) - 昭和18年(1943年)9月7日)は、日本の実業家。蚊取線香の発明者。また、「金鳥」の商標で知られる大日本除虫菊の創業者。向島亀森八幡神社「除虫菊神社」の祭神。前名秀之助[2]。
慶應義塾大学出身      出身の慶應義塾大学の出身者      全国の慶應義塾大学の出身者
 8  鈴木梅四郎    Wikipedia
鈴木 梅四郎(すずき うめしろう、1862年5月24日(文久2年4月26日) - 1940年(昭和15年)4月15日)は、明治 - 昭和期の実業家、政治家、社会運動家。財団法人実費診療所創立者。
慶應義塾大学出身      出身の慶應義塾大学の出身者      全国の慶應義塾大学の出身者
 9  立川勇次郎    大垣市Wikipedia
立川勇次郎(たちかわ ゆうじろう、文久2年(1862年) - 大正14年(1925年)12月14日)は、明治・大正期の実業家。主に電気業界に関わる。岐阜県大垣市出身。京浜急行電鉄の創業者。
 10  速水太郎    舞鶴市Wikipedia
速水 太郎(はやみ たろう、1862年4月30日(文久2年4月2日) - 1936年(昭和11年)12月31日)は、日本の実業家。関西地方と中国地方における鉄道事業と電力事業に関わった。主に、阪鶴鉄道の取締役支配人、箕面有馬電気軌道(現阪急阪神ホールディングス)の取締役、大阪電気軌道(現近畿日本鉄道)の取締役、山陽中央水電の社長を務めた。
 11  川上俊彦    村上市Wikipedia
川上 俊彦(かわかみ としつね、1862年1月28日(文久元年12月29日) - 1935年(昭和10年)9月12日)は、明治から昭和初期にかけて活躍した外交官、実業家である。外交官時代はロシア関連の役職を歴任し、日露戦争では旅順要塞陥落時の水師営の会見で通訳を務め、ハルビン総領事時代には伊藤博文暗殺に遭遇した。退官後は日魯漁業社長などを務めた。
 12  小山久左衛門    小諸市Wikipedia
小山 久左衛門(こやま きゅうざえもん、文久2年(1862年) - 大正7年(1918年))は日本の実業家。久左衛門は世襲名であり、諱は正友、幼名は邦太郎。小山邦太郎・小山敬三兄弟の父親。
 13  白井新太郎    Wikipedia
白井 新太郎(しらい しんたろう、1862年12月13日(文久2年10月22日) - 1932年(昭和7年)12月10日)は、日本の実業家、政治家。号は如海。
二松學舍大学出身      出身の二松學舍大学の出身者      全国の二松學舍大学の出身者
 14  小松原慶太郎    倉敷市Wikipedia
小松原 慶太郎(こまつばらけいたろう、1862年(文久2年)- 1902年(明治35年)11月12日)は、日本の実業家。岡山県倉敷市出身。諱は、義直。
 15  濱本八二郎    姫路市Wikipedia
濱本 八治郎(はまもと はちじろう、1862年5月24日(文久2年4月26日) - 没年不明)は、日本の実業家。姫路商業銀行頭取[3][4]。姫路瓦斯社長[4][5]。山陽窯業代表取締役[5]。姫路煉瓦会社・福島紡績各取締役[5]。族籍は兵庫県平民[3]。前名・久八郎[3]。
 16  諸井恒平    本庄市Wikipedia
諸井 恒平(もろい つねへい、1862年6月23日(文久2年5月26日) - 1941年(昭和16年)2月14日)は、武蔵国児玉郡本庄宿(現在の埼玉県本庄市)出身の実業家。多くの事業を進め、セメント製造事業の開拓を手掛けた事から「セメント王」とも呼ばれた。諱を直道、号を素泉と称した。正六位勲六等。
 17  神戸挙一    Wikipedia
神戸 挙一(かんべ きょういち、1862年3月21日(文久2年2月21日)-1926年(大正15年)11月25日)は日本の実業家。 東京電燈社長。甲州財閥の重鎮。
法政大学出身      出身の法政大学の出身者      全国の法政大学の出身者
 18  鳥海恭寛    鶴岡市Wikipedia
鳥海 恭寛(とりのうみ きょうかん、1862年 - 1938年)は、日本の医師、開業医、東田川郡医師会初代会長、東田川郡医業組合幹事。


医師・看護師
 19  佐伯理一郎    Wikipedia
佐伯 理一郎(さえき りいちろう、1862年 - 1953年)は、日本の産婦人科医師で、京都で京都看病婦学校・京都産婆学校の校長に歴任した。学会活動のほか、公衆衛生、医史学、医師会などで優れた働きをした。


軍人
 20  釜屋忠道    Wikipedia
釜屋 忠道(かまや ちゅうどう、1862年11月4日(文久2年9月13日) - 1939年(昭和14年1月19日)は日本の海軍軍人。手旗信号の改良で功績があり、日清戦争では第一遊撃隊参謀、日露戦争では「龍田」、「佐渡丸」の艦長として歴戦した海軍中将である。旧名は源五郎。
 21  豊辺新作    Wikipedia
豊辺 新作(とよべ しんさく、(1862年6月23日(文久2年5月26日[* 1]) - 1927年(昭和2年)2月19日)は、日本の陸軍軍人。日清戦争で鳳凰城攻略一番乗りを果たし、日露戦争では沈旦堡を死守した騎兵将校である。最終階級は陸軍中将。


官僚
 22  森鷗外    台東区Wikipedia
森 鷗外(もり おうがい、1862年2月17日(文久2年1月19日) - 1922年(大正11年)7月9日)は、日本の明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、陸軍軍医(軍医総監=中将相当)、官僚(高等官一等)。位階勲等は従二位・勲一等・功三級、医学博士、文学博士。本名は森 林太郎(もり りんたろう)。
 23  森鴎外    墨田区Wikipedia
森 鷗外(もり おうがい、1862年2月17日(文久2年1月19日) - 1922年(大正11年)7月9日)は、日本の明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、陸軍軍医(軍医総監=中将相当)、官僚(高等官一等)。位階勲等は従二位・勲一等・功三級、医学博士、文学博士。本名は森 林太郎(もり りんたろう)。
 24  廣澤辨二    Wikipedia
廣澤 辨二(ひろさわ べんじ、1862年7月15日(文久2年6月19日) - 1928年(昭和3年)8月8日)は、日本の牧場主、農商務官僚、政治家である。 衆議院議員一期、東京獣医学校校長。


公務員
 25  本野一郎    Wikipedia
本野 一郎(もとの いちろう、1862年3月23日(文久2年2月23日) - 1918年(大正7年)9月17日)は明治、大正の外交官、政治家である。子爵。


学者・教授・准教授
 26  牧野富太郎    練馬区Wikipedia
牧野 富太郎(まきの とみたろう、1862年5月22日(文久2年4月24日) - 1957年(昭和32年)1月18日)は、日本の植物学者。高知県高岡郡佐川町出身。
 27  広井勇    佐川町Wikipedia
廣井 勇(ひろい いさみ、1862年10月24日(文久2年9月2日) - 1928年(昭和3年)10月1日)は、日本の土木工学者。元東京帝国大学教授。高知県出身。札幌農学校(現在の北海道大学)卒業。「港湾工学の父」と呼ばれた。
 28  牧野富太郎    Wikipedia
牧野 富太郎(まきの とみたろう、1862年5月22日(文久2年4月24日) - 1957年(昭和32年)1月18日)は、日本の植物学者。高知県高岡郡佐川町出身。
 29  箕作元八    津山市Wikipedia
箕作 元八(みつくり げんぱち、文久2年5月29日(1862年6月26日)- 大正8年(1919年)8月9日)は、美作国(岡山県)津山生まれの日本の男性歴史学者。
 30  田中正平     淡路島Wikipedia
田中 正平(たなか しょうへい、1862年6月12日(文久2年5月15日) - 1945年(昭和20年)10月16日)は純正調オルガンを発明した日本の音響学・物理学者、鉄道技師。
東京大学出身      出身の東京大学の出身者      全国の東京大学の出身者
 31  三好学    Wikipedia
三好 学(みよし まなぶ、1862年1月4日(文久元年12月5日) - 1939年(昭和14年)5月11日)は、明治・大正・昭和時代の植物学者、理学博士である。日本の植物学の基礎を築いた人物の一人である。特に桜と菖蒲の研究に関しての第一人者として知られ、殊に桜博士とも呼ばれた。また、天然記念物の概念を日本に広めた先駆者であり、希少植物の保存活動に尽力した。


画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家
 32  松岡寿    岡山市Wikipedia
松岡 壽 (まつおか ひさし、1862年3月5日(文久2年2月5日) - 1944年4月28日)は、日本の洋画家・美術教育家。1944年、レジオンドヌール勲章 日本人受章者。


政治家・議員・首長
 33  坪谷善四郎    加茂市Wikipedia
坪谷 善四郎(つぼや ぜんしろう、文久2年2月26日(1862年3月26日) - 昭和24年(1949年)3月24日)は日本の出版人、編集者、政治家。号は水哉(すいさい)。
 34  小林勝民    藤枝市Wikipedia
小林 勝民(こばやし かつたみ、文久2年4月5日(1862年5月3日) – 昭和18年(1943年)7月7日)は、日本の衆議院議員(立憲国民党→立憲同志会→憲政会)。ジャーナリスト。弁護士。
 35  稲畑勝太郎    京都市Wikipedia
稲畑 勝太郎(いなばた かつたろう、1862年12月21日(文久2年10月30日) - 1949年(昭和24年)3月30日)は、大正・昭和前期の日本の実業家、貴族院勅選議員。稲畑産業株式会社(創業時の名称は稲畑染料店)の創業者であり、染料、染色業界の発展に尽力した。また日仏文化交流に貢献しており、日本で初めてシネマトグラフを輸入して映画興行を行った人物としても知られる。正五位勲三等。
リヨン大学出身      出身のリヨン大学の出身者      全国のリヨン大学の出身者
 36  中村敬一    富加町Wikipedia
中村 敬一(なかむら けいいち、1862年 - 1933年(昭和8年)11月7日)は、岐阜県の政治家。加治田村長。
 37  佐藤榮右衛門    寿都町Wikipedia
2代佐藤 栄右衛門(さとう えいえもん、1862年8月14日(文久2年7月19日) - 1917年(大正6年)1月23日)は、日本の政治家、漁業家、実業家。衆議院議員。幼名・幾太郎[3]。
 38  濱口吉右衛門    銚子市Wikipedia
9代 浜口 吉右衛門(はまぐち きちえもん、文久2年5月16日(1862年6月13日) - 大正2年(1913年)12月11日)は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員、貴族院多額納税者議員。号は容所。ラストエンペラー愛新覚羅溥儀の弟愛新覚羅溥傑と結婚した愛新覚羅浩の母方の祖父にあたる。「浜口吉右衛門」は、ヤマサ醤油創業者の浜口儀兵衛の兄の一族の当主が代々継承する名である。
 39  森山儀文治    塩尻市Wikipedia
森山 儀文治(もりやま ぎぶんじ、1862年4月15日(文久2年3月17日) - 1945年(昭和20年2月9日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員。
 40  佐中廉    境港市Wikipedia
佐中 廉(さなか れん、文久2年(1862年)12月27日 - 昭和13年(1938年)10月5日)は日本の教育者、政治家。元余子小学校長、境小学校長。元余子村学務委員。元余子村長。幼名松太郎。


評論家
 41  森鴎外    津和野町Wikipedia
森 鷗外(もり おうがい、1862年2月17日(文久2年1月19日) - 1922年(大正11年)7月9日)は、日本の明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、陸軍軍医(軍医総監=中将相当)、官僚(高等官一等)。位階勲等は従二位・勲一等・功三級・医学博士・文学博士。本名は森 林太郎(もり りんたろう)。
東京大学出身      出身の東京大学の出身者      全国の東京大学の出身者


宗教家・思想家・運動家
 42  海老名みや    熊本市Wikipedia
海老名 みや(えびな みや、1862年12月26日(文久2年11月6日) - 1952年(昭和27年)3月4日)は、海老名弾正の妻で、キリスト教会の婦人活動家である。
 43  黒岩涙香    安芸市Wikipedia
黒岩 涙香(くろいわ るいこう、1862年11月20日(文久2年9月29日) - 1920年(大正9年)10月6日)は、日本の小説家、思想家、作家、翻訳家、ジャーナリスト。兄は黒岩四方之進。本名は黒岩周六。黒岩涙香のほか、香骨居士、涙香小史、冷眼士等などの筆名を用いた。号は古概、民鉄、正調庵、黒岩大。あだ名はマムシの周六。戒名は黒岩院周六涙香忠天居士。


その他の職業
 44  元田作之進    久留米市Wikipedia
元田 作之進(もとだ さくのしん、1862年3月22日(文久2年2月22日) - 1928年(昭和3年)4月16日)は、日本聖公会の日本人最初の監督主教。立教大学の初代学長である。


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