出身で1861年生まれの有名人

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宝塚・女優・俳優・声優・ナレーター・歌舞伎・能楽・狂言
 1  市川荒五郎(4代目)    大阪市Wikipedia
四代目 市川 荒五郎(よだいめ いちかわ あらごろう、グレゴリオ暦 1861年4月15日 - 1930年5月17日)は、日本の俳優(歌舞伎役者、元子役)である[3][4][5]。本名・初期芸名市川 楠三郎(いちかわ なんざぶろう)、前芸名初代 市川 荒太郎(しょだい いちかわ あらたろう)[3][4][5]。俳名は市眼(しがん)、屋号は三河屋(みかわや)[4]。関西歌舞伎の敵役を得意とした役者として知られる[4][5]。


格闘技
 2  若湊祐三郎    小松市Wikipedia
若湊 祐三郎(わかみなと すけさぶろう、本名:村田 竹松(むらた たけまつ)、1861年11月5日 - 1920年9月21日)は、石川県能美郡(現小松市)出身の元大相撲力士。最高位は関脇。所属は初め富士ヶ根部屋で、伊勢ノ海部屋を経て高砂部屋。現役時代の体格は169cm、90kg。得意手は突っ張り。
 3  芳ノ山夛治郎    Wikipedia
芳ノ山夛治郎(よしのやまたじろう、1861年4月17日(文久元年3月8日) - 1911年(明治44年)8月30日)は、京都相撲・出水川部屋、境川部屋、武隈部屋、高砂部屋、湊部屋に所属した元力士。7代境川。本名は濱崎太次郎(旧姓市川)。肥後国玉名郡出身。身長体重不明。最高位は東前頭4枚目。


作家・小説家・エッセイ・文筆・翻訳家・編集者・評論家
 4  広津柳浪    長崎市Wikipedia
広津 柳浪(ひろつ りゅうろう、1861年7月15日(文久元年6月8日) - 1928年(昭和3年)10月15日)は、日本の小説家。肥前国生まれ、本名直人、別号に蒼々園。硯友社同人となり、「残菊」で認められる。「変目伝(へめでん)」「今戸心中」「黒蜥蜴」などの低階級社会の暗部を描いた作品で、「悲惨小説」、「深刻小説」と称された。小説家の広津和郎は子。
 5  中島竦    久喜市Wikipedia
中島 竦(なかじま・しょう、1861年-1940年6月11日)は、明治から昭和にかけての漢学者。竦は「たかし」とも読む。幼名は辣之助、字は翹之。号は玉振(道人)または蠔山(介夫)。兄に中島綽軒(靖)・中島斗南(端)、弟に関翊・山本開蔵・中島田人(作家・中島敦の父)・中島比多吉がいる。
 6  森田思軒    笠岡市Wikipedia
森田 思軒(もりた しけん、1861年8月26日(文久元年7月21日)[注 1] - 1897年(明治30年)11月14日)は、日本のジャーナリスト・翻訳家・漢文学者。本名は文蔵。別号に埜客(やきゃく)、羊角山人(ようかくさんじん)、白蓮庵主人(びゃくれんあんしゅじん)、紅芍園主人(こうしゃくえんしゅじん)など。
慶應義塾大学出身      出身の慶應義塾大学の出身者      全国の慶應義塾大学の出身者
 7  半井桃水    対馬市Wikipedia
半井 桃水(なからい とうすい、1861年1月12日(万延元年12月2日) - 1926年(大正15年)11月21日)は、日本の小説家。


経営者・実業家
 8  白石義郎    塙町Wikipedia
白石 義郎(しらいし よしろう / しろいし よしお、1861年9月26日(文久元年8月22日)[3] - 1915年(大正4年)12月17日[4])は、日本の政治家、新聞経営者。福島県東白川郡常豊村長、福島県会議員、衆議院議員、北海道釧路支庁長、北海道釧路郡釧路町長(現釧路市)、釧路新聞社長、小樽日報社長、釧路興業社長、釧路電気社長などを歴任。
 9  白石義郎    釧路市Wikipedia
白石 義郎(しらいし よしろう / しろいし よしお、1861年9月26日(文久元年8月22日)[3] - 1915年(大正4年)12月17日[4])は、日本の政治家、新聞経営者。福島県東白川郡常豊村長、福島県会議員、衆議院議員、北海道釧路支庁長、北海道釧路郡釧路町長(現釧路市)、釧路新聞社長、小樽日報社長、釧路興業社長、釧路電気社長などを歴任。
 10  笹原辰太郎    Wikipedia
笹原 辰太郎(ささはら たつたろう、1861年12月11日(文久1年11月10日) - 1929年(昭和4年)7月21日)は、日本の警察官、実業家。愛知郡長退官後に名古屋市東郊耕地整理組合長ほか複数の土地整理組合で幹部を務め、名古屋における土地整理事業の先駆者に位置づけられる人物である。石川電気鉄道社長。
 11  高橋義雄    水戸市Wikipedia
高橋 義雄(たかはし よしお 、1861年10月2日(文久元年8月28日) - 1937年(昭和12年)12月12日)は、日本の実業家。茶人・高橋 箒庵(そうあん)としても知られる。
 12  石浜豊蔵    淡路市Wikipedia
石濱 豊蔵(いしはま とよぞう、1861年 - 1910年)は、日本の実業家。
 13  伊藤伝右衛門    飯塚市Wikipedia
伊藤 伝右衛門(いとう でんえもん、1861年1月6日(万延元年11月26日) - 1947年(昭和22年)12月15日)は、明治・大正・昭和時代の福岡県筑豊の実業家・炭鉱主。傳右衛門、伝右エ門とも。
 14  和田豊治    Wikipedia
和田 豊治(わだ とよじ、1861年12月19日(文久元年11月18日) - 1924年(大正13年)3月4日)は、日本の明治・大正期の財界人、貴族院勅選挙議員。富士紡績会社や理化学研究所など、創立に携わった会社は数十社を超え、渋沢栄一に続く大正時代の「財界世話人」として君臨した。
慶應義塾大学出身      出身の慶應義塾大学の出身者      全国の慶應義塾大学の出身者
 15  赤羽萬次郎    松本市Wikipedia
赤羽 萬次郎(あかばね まんじろう、1861年 - 1898年)は、日本の新聞記者・自由民権派ジャーナリスト。北國新聞社初代社長・主筆。雅号は「痩鶴(そうかく)」。
 16  西原清東    土佐市Wikipedia
西原 清東(さいばら せいとう、さいばら きよき、1861年10月11日(文久元年9月8日) - 1939年(昭和14年)4月11日)は、高知県出身の衆議院議員、同志社第4代社長(現在の総長)。のちに日本を離れてアメリカや南米で農場を経営した。


軍人
 17  加藤友三郎     広島市Wikipedia
加藤 友三郎(かとう ともさぶろう、1861年4月1日(文久元年2月22日) - 1923年(大正12年)8月24日)は、日本の海軍軍人、政治家。階級は海軍大将。位階は正二位。勲等は大勲位。功級は功二級。爵位は子爵。
 18  斎藤力三郎    Wikipedia
斎藤 力三郎(さいとう りきさぶろう、1861年10月8日(文久元年9月5日) - 1915年(大正4年)5月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。


公務員
 19  稲垣満次郎    平戸市Wikipedia
稲垣 満次郎(いながき まんじろう、1861年10月29日(文久元年9月26日) - 1908年(明治41年)11月25日)は、明治時代の日本の外交官。著書で南進論を唱えたことで知られる。


学者・教授・准教授
 20  田辺朔郎    Wikipedia
田辺 朔郎(たなべ さくろう、1861年12月2日(文久元年11月1日) - 1944年(昭和19年)9月5日)は、日本の土木技術者・工学者。琵琶湖疏水や日本初の水力発電所の建設、関門海底トンネルの提言を行った。北海道の狩勝峠の名づけを行った。
 21  須藤義衛門    仙台市Wikipedia
須藤 義衛門(すどう ぎえもん、万延2年2月11日(1861年3月21日) - 昭和8年(1933年)2月20日)は、大日本帝国の獣医学者、農学者。日本初の獣医学博士の一名であり、明治から昭和初期にかけて家畜、ことに馬の臨床研究に業績を挙げた。主な著作に『家畜外科学総論』、『家畜医範』などがある。1916年勲二等瑞宝章。1924年叙正三位、賜東京帝国大学名誉教授号。
 22  井上豊太郎    大田市Wikipedia
井上 豊太郎(いのうえ とよたろう、1861年6月6日(文久元年4月28日) - 1951年(昭和26年)1月13日)は、日本の医学者、眼科医。島根県生まれ。
 23  磯辺弥一郎    大分市Wikipedia
磯辺 弥一郎(いそべ やいちろう、1861年3月17日(万延2年2月7日) - 1931年(昭和6年)4月23日)は、国民英学会の創立者。
 24  岡田国太郎    守山市Wikipedia
岡田 国太郎(おかだ くにたろう、1861年1月29日(万延元年12月19日) - 1945年(昭和20年)3月2日)は、医学博士・細菌学者。滋賀県出身者として最初の医学博士(博士登録番号42番)。
東京大学出身      出身の東京大学の出身者      全国の東京大学の出身者


政治家・議員・首長
 25  水上浩躬    Wikipedia
水上 浩躬(みなかみ ひろみ、またはみなかみ ひろちか[2][3][4]、1861年8月12日(文久元年7月7日)[3] - 1932年3月26日[3])は、日本の政治家。第3代神戸市長(在任:1905年9月27日[5][6] - 1909年[7])。神戸港の築港に取り組み、第一期工事を実現させた功績から「築港市長」[7]と呼ばれる。肥後国[3](熊本県[2])出身。
 26  牧野伸顕    鹿児島市Wikipedia
牧野 伸顕(まきの のぶあき、1861年11月24日(文久元年10月22日) - 1949年(昭和24年)1月25日)は、日本の政治家。位階は従一位。勲等は勲一等。爵位は伯爵。名はシンケンと通称されることもある(有職読み)。以前の諱は是利(これとし)[注釈 1]。吉田茂は女婿、寬仁親王妃信子と麻生太郎は曾孫にあたる。
二松學舍大学出身      出身の二松學舍大学の出身者      全国の二松學舍大学の出身者
 27  西郷菊次郎    龍郷町Wikipedia
西郷 菊次郎(さいごう きくじろう、1861年2月11日(万延2年1月2日) - 1928年(昭和3年)11月27日)は、日本の政治家、外交官。
 28  尼子忠蔵    広島市Wikipedia
尼子 忠蔵(あまこ ちゅうぞう、1861年4月16日(文久元年3月7日) - 没年不明)は、日本の政治家・広島市会議員、商人(醤油商)[3][4]、醤油醸造家、実業家。第六十六銀行、尾道貯蓄銀行各取締役[5][6][7][8]。(旧)広島銀行[7]、中国紡績各監査役[9]。広島桟橋監査役[7]、同取締役[6][10]。族籍は広島県平民[5][10][11]。
 29  牧野伸顕    渋谷区Wikipedia
牧野 伸顕(まきの のぶあき、1861年11月24日(文久元年10月22日) - 1949年(昭和24年)1月25日)は、日本の政治家。位階は従一位。勲等は勲一等。爵位は伯爵。名はシンケンと通称されることもある[要出典]。以前の諱は是利(これとし)[注釈 1]。


宗教家・思想家・運動家
 30  田中智學    Wikipedia
田中 智學(たなか ちがく、田中 智学、1861年12月14日(文久元年11月13日) - 1939年11月17日)は、第二次世界大戦前の日本の宗教家。本名は巴之助。
 31  内村鑑三    Wikipedia
内村 鑑三(うちむら かんぞう、万延2年2月13日(1861年3月23日)- 昭和5年(1930年)3月28日)は、日本のキリスト教思想家・文学者・伝道者・聖書学者。福音主義信仰と時事社会批判に基づく日本独自のいわゆる無教会主義を唱えた。「代表的日本人」の著者でもある。
北海道大学出身      出身の北海道大学の出身者      全国の北海道大学の出身者


俳人・歌人・詩人・歌人
 32  落合直文    Wikipedia
落合 直文(おちあい なおぶみ、1861年12月16日(文久元年11月15日) - 1903年(明治36年)12月16日)は、日本の歌人、国文学者。元の名は鮎貝盛光といい、朝鮮語学者の鮎貝房之進は実弟。
二松學舍大学出身      出身の二松學舍大学の出身者      全国の二松學舍大学の出身者


その他の職業
 33  香川卯八    広島市Wikipedia
香川 卯八(かがわ うはち、1861年6月24日(文久元年5月17日) - 没年不明)は、日本の商人(材木商[3][4]、材木販売業[5])、広島県多額納税者[6][7]。族籍は広島県平民。白島町内随一の材木商として隆盛を極めた[8]。


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