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このサイトに登録されている「出身で1858年生まれ」の有名人の数:44人
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演奏家・作詞家・作曲家・ミュージシャン
1 | 岡田松生 八代市 | Wikipedia |
岡田 松生(おかだ まつお、1858年7月5日(安政5年5月25日) - 1939年(昭和14年)2月13日)は熊本バンドの一人である。 |
冬季スポーツ
2 | 長岡外史 下松市 | Wikipedia |
長岡 外史(ながおか がいし、安政5年5月13日(1858年6月23日) - 昭和8年(1933年)4月21日)は明治、大正期の陸軍軍人、政治家。 | ||
3 | 長岡外史 上越市 | Wikipedia |
長岡 外史(ながおか がいし、安政5年5月13日(1858年6月23日) - 昭和8年(1933年)4月21日)は明治、大正期の陸軍軍人、政治家。 |
経営者・実業家
4 | 加藤六蔵 | Wikipedia |
加藤 六蔵(かとう ろくぞう、1858年(安政5年) - 1909年(明治42年))は、明治期の政治家、醤油醸造実業家。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
5 | 福澤桃介 稚内市 | Wikipedia |
福澤 桃介(ふくざわ ももすけ、慶應4年6月25日(新暦:1868年8月13日) - 1938年(昭和13年)2月15日)は、明治から昭和初期にかけて活動した日本の実業家。 | ||
6 | 西川貞二郎 近江八幡市 | Wikipedia |
西川 貞二郎(にしかわ ていじろう、1858年5月31日(安政5年4月19日)-1924年(大正15年)3月9日))は、明治期の起業家・近江商人。西川傳右衛門家の10代目、諱は昌一。カニ缶を初めて商品化、八幡銀行(後の滋賀銀行の一部)・帝国水産等を創業した。 | ||
7 | 田口謙吉 | Wikipedia |
田口 謙吉(たぐち けんきち、1858年(安政5年)8月23日 - 1928年(昭和3年)10月18日)は、日本の実業家。参天製薬創業者。 | ||
8 | 松井源内 寿都町 | Wikipedia |
松井 源内(まつい げんない、1858年8月30日(安政5年7月22日) - 1913年(大正2年)3月9日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、寿都町長。旧姓・若林、初名・忠太郎[3]。 | ||
9 | 本多貞次郎 市川市 | Wikipedia |
本多 貞次郎(ほんだ ていじろう、1858年2月20日(安政5年1月7日) - 1937年(昭和12年)2月26日)は、日本の実業家、政治家。工部省職員[3]、京成電気軌道株式会社初代社長、千葉県会議員、衆議院議員。武家に生まれ、鉄道の整備を行い東海道本線の完成に貢献した。京成電鉄の創業者であり、市川真間駅に記念碑が建てられている。 | ||
10 | 渡邊嘉一 | Wikipedia |
渡邊 嘉一(わたなべ かいち、1858年3月22日(安政5年2月8日) - 1932年12月4日)は日本の土木技術者、実業家。日本土木史の父と呼ばれる。旧姓、宇治橋。 | ||
11 | 大矢四郎兵衛 砺波市 | Wikipedia |
大矢 四郎兵衛(おおや しろべえ、1858年2月2日(安政4年12月19日) - 1930年(昭和5年)9月25日)は、日本の富山県出身の実業家、政治家(衆議院議員)。 |
軍人
12 | 森雅守 | Wikipedia |
森 雅守(もり まさもり、1858年4月4日(安政5年2月21日) - 1894年(明治27年)5月20日)は、日本の陸軍軍人。上原勇作、楠瀬幸彦と三羽烏と謳われた秀才であったが、イタリアで自殺した。最終階級は陸軍砲兵少佐。 | ||
13 | 今沢義雄 豊田市 | Wikipedia |
今澤 義雄(いまさわ よしお、1858年11月29日(安政5年10月24日) - 1941年(昭和16年)12月5日)は、日本の武士(岡崎藩士)、日本陸軍の軍人。陸軍少将、従四位・勲三等・功三級。 | ||
14 | 北川武 | Wikipedia |
北川 武(きたがわ たけし、1858年(安政5年) - 1913年(大正2年)1月2日は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。位階勲等功級は、従四位・勲三等・功四級。陸軍電信部隊の創設者。 | ||
15 | 伊東義五郎 | Wikipedia |
伊東 義五郎(いとう よしごろう、1858年6月26日(安政5年5月16日) - 1919年2月22日)は、日本海軍の軍人、最終階級は海軍中将。男爵。 | ||
16 | 坂本俊篤 | Wikipedia |
坂本 俊篤(さかもと としあつ、1858年11月30日(安政5年10月25日) - 1941年3月17日)は、日本海軍の軍人、政治家。海軍中将従二位勲一等功三級男爵。貴族院議員。 | ||
17 | 斎藤実 | Wikipedia |
斎藤 実(さいとう まこと、旧字体:齋藤 實、1858年12月2日(安政5年10月27日) - 1936年(昭和11年)2月26日)は、日本の海軍軍人、政治家。階級は海軍大将。位階は従一位。勲等は大勲位。功級は功二級。爵位は子爵。出生時の名前は富五郎(とみごろう)といったが、海軍兵学校卒業後に改名した。号は皋水(こうすい)。 | ||
18 | 大島健一 恵那市 | Wikipedia |
大島 健一(おおしま けんいち、1858年6月19日(安政5年5月9日) - 1947年(昭和22年)3月24日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。陸軍大臣、大東文化学院総長(第3代)などを歴任した。 |
官僚
19 | 小山健三 行田市 | Wikipedia |
小山 健三(こやま けんぞう、1858年7月23日(安政5年6月13日) - 1923年(大正12年)12月19日)は、明治から大正時代に活躍した日本の官僚、教育者、学校経営者、実業家、貴族院議員。前半生は教育者、近代日本教育の建設者として、とりわけ専門教育の礎を築くことに大きな功績を残し、東京高等商業学校(現一橋大学)校長などを歴任。後半生は、三十四銀行(後の三和銀行、現東京三菱UFJ銀行)第2代頭取に就任して、事業を大きく発展させるとともに、日本の金融界の発展に尽くす。福沢諭吉の養子であり「日本の電力王」と呼ばれた福沢桃介に、「東に渋沢栄一、西に小山健三あり」と言わしめた。勲二等瑞宝章受章。 |
公務員
20 | 秋月左都夫 | Wikipedia |
秋月 左都夫(あきづき さつお、安政5年(1858年)2月24日 - 昭和20年(1945年)6月25日)は、日向国生れの外交官。宮内省御用掛、正三位・勲一等。 |
学者・教授・准教授
21 | 黒岩恒 佐川町 | Wikipedia |
黒岩 恒(くろいわ ひさし、1858年8月8日 - 1930年5月25日)は、日本の教育者、博物学者。沖縄の生物研究で功績を残しており、尖閣諸島の命名者としても知られている。 | ||
22 | 渡辺嘉重 | Wikipedia |
渡辺 嘉重(わたなべ よししげ、1858年 - 1937年2月4日)は、日本の教育者。下総国岡田郡花島村(現:茨城県常総市花島町)生まれ。 | ||
23 | 波多野鶴吉 綾部市 | Wikipedia |
波多野 鶴吉(はたの つるきち、安政5年2月13日(1858年3月27日) - 大正7年(1918年)2月23日)は、明治・大正期の実業家。郡是製糸(現:グンゼ)の創業者。孫は哲学者の波多野一郎。 | ||
24 | 三井道郎 盛岡市 | Wikipedia |
三井 道郎(みい みちろう、1858年8月10日(安政5年7月2日) - 1940年(昭和15年)1月4日)は、正教会の長司祭で神学者である。ロシア語学者としても活躍した。 | ||
25 | 井上円了 長岡市 | Wikipedia |
井上 円了(いのうえ えんりょう 井上圓了、1858年3月18日(安政5年2月4日) - 1919年(大正8年)6月6日)は、仏教哲学者、教育家。 | ||
東洋大学出身 出身の東洋大学の出身者 全国の東洋大学の出身者 | ||
26 | 櫻井錠二 金沢市 | Wikipedia |
櫻井 錠二(さくらい じょうじ、1858年9月24日(安政5年8月18日) - 1939年(昭和14年)1月28日)は、日本の化学者。 |
画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家・漆芸家・工芸家
27 | 稲野年恒 | Wikipedia |
稲野 年恒(いなの としつね、安政5年〈1858年〉 - 明治40年〈1907年〉5月27日)とは、明治時代の浮世絵師、日本画家。 |
政治家・議員・首長
28 | 伊藤大八 飯田市 | Wikipedia |
伊藤 大八(いとう だいはち、1858年12月19日(安政5年11月15日) - 1927年(昭和2年)9月10日)は、日本の政治家・実業家。帝国議会衆議院議員(5期)。 | ||
29 | 百萬梅治 輪島市 | Wikipedia |
百萬 梅治(ひゃくまん うめじ、1858年(安政5年)2月 - 1896年(明治29年)3月9日)は日本の政治家。衆議院議員(2期) | ||
30 | 鐸木三郎兵衛 福島市 | Wikipedia |
鐸木 三郎兵衛(すずき さぶろうべえ、1858年4月16日(安政5年3月3日) - 1931年3月8日)は、明治時代の政治家。福島町(現福島市)町長、名誉市長、福島県会議員、衆議院議員(立憲政友会)などを歴任。私財を投じて水道敷設事業や明治14年の福島大火(約1800戸焼失)の復興、福島市の駅前開発などに尽力した。また、福島県庁を郡山市に移転させるという動きがあった際には、福島市の代表として上京し陳情、移転を阻止した。再三の衆議院議員立候補要請を断り続け、晩年は廃寺を買い取って隠居。馬巌(ばがん)という俳号を持ち、風流に興じる一面も持っていた。 | ||
31 | 尾崎行雄 伊勢市 | Wikipedia |
尾崎 行雄(おざき ゆきお、1858年12月24日(安政5年[注釈 1]11月20日) - 1954年(昭和29年)10月6日)は、日本の政治家。日本の議会政治の黎明期から戦後に至るまで衆議院議員を務め、当選回数・議員勤続年数・最高齢議員記録と複数の日本記録を有することから「憲政の神様」「議会政治の父」と呼ばれる。 | ||
32 | 太田實 淡路市 | Wikipedia |
太田 實(おおた みのる、1858年10月26日(安政5年9月20日) - 1918年(大正7年)11月20日)は、明治の内務官僚、第2代本所区長、第一回、二回衆議院議員、実業家、浅草公園水族館の設立者。 | ||
33 | 谷沢竜蔵 小浜市 | Wikipedia |
谷沢 竜蔵(たにざわ りゅうぞう、嘉永5年6月10日(1852年7月26日) - 大正7年(1918年)4月1日)は、衆議院議員(立憲革新党→山下倶楽部→帝国党→大同倶楽部)、弁護士。 | ||
34 | 元田肇 | Wikipedia |
元田 肇(もとだ はじめ、1858年2月28日(安政5年1月15日) - 1938年(昭和13年)10月1日)は、明治、大正、昭和期の日本の政治家。号は国東。第25代衆議院議長、逓信大臣、鉄道大臣(初代)を歴任した。中央大学創立者18人の内の一人。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
35 | 鐸木三郎兵衛 白石市 | Wikipedia |
鐸木 三郎兵衛(すずき さぶろうべえ、1858年4月16日(安政5年3月3日) - 1931年3月8日)は、明治時代の政治家。福島町(現福島市)町長、名誉市長、福島県会議員、衆議院議員(立憲政友会)などを歴任。私財を投じて水道敷設事業や明治14年の福島大火(約1800戸焼失)の復興、福島市の駅前開発などに尽力した。また、福島県庁を郡山市に移転させるという動きがあった際には、福島市の代表として上京し陳情、移転を阻止した。再三の衆議院議員立候補要請を断り続け、晩年は廃寺を買い取って隠居。馬巌(ばがん)という俳号を持ち、風流に興じる一面も持っていた。 | ||
36 | 安場末喜 | Wikipedia |
安場 末喜(やすば すえのぶ / まき、1858年(安政5年5月) - 1930年(昭和5年)3月20日)は、日本の実業家、政治家。貴族院議員、男爵。従三位勲三等、公正会所属。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
37 | 山根正次 萩市 | Wikipedia |
山根 正次(やまね まさつぐ、安政4年12月23日 (1858年2月6日) - 大正14年(1925年)8月29日)は、日本の衆議院議員(中正倶楽部→大同倶楽部→立憲同志会)、医学者。 | ||
38 | 尾崎行雄 相模原市 | Wikipedia |
尾崎 行雄(おざき ゆきお、安政5年[注釈 1]11月20日(1858年12月24日) - 昭和29年(1954年)10月6日)は、日本の政治家。日本の議会政治の黎明期から戦後に至るまで衆議院議員を務め、当選回数・議員勤続年数・最高齢議員記録と複数の日本記録を有することから「憲政の神様」「議会政治の父」と呼ばれる。正三位勲一等(1946年(昭和21年)5月4日付返上)。伊勢神宮内宮前・合格神社の祭神[2]。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 |
宗教家・思想家・運動家
39 | 菊竹博之 うきは市 | Wikipedia |
菊竹 博之(きくたけ ひろゆき、1858年 - 1920年5月9日)は、明治時代の自由民権運動家であり、福岡県会議員や福富村(現うきは市の一部)村長を務めた政治家である。弟にジャーナリストの菊竹六鼓(本名:菊竹淳)がいる。 | ||
40 | 成瀬仁蔵 | Wikipedia |
成瀬 仁蔵(なるせ じんぞう、1858年8月2日(安政5年6月23日) - 1919年(大正8年)3月4日)は、明治から大正のキリスト教牧師(プロテスタント)であり、日本における女子高等教育の開拓者の1人であり、日本女子大学(日本女子大学校)の創設者として知られる。 |
俳人・歌人・詩人・歌人
41 | 湯浅半月 | Wikipedia |
湯浅 吉郎(ゆあさ きちろう・湯浅 半月(ゆあさ はんげつ)、安政5年2月16日(1858年3月30日)-昭和18年(1943年)2月4日)は、明治-昭和にかけての聖書学者・図書館学者・詩人。雅号の半月でも知られている。兄は衆議院議員湯浅治郎。また、治郎の子で甥に当たる湯浅八郎は同志社大学、国際基督教大学の総長を歴任。 |
その他の職業
42 | 井上泰助 日野市 | Wikipedia |
井上 泰助(いのうえ たいすけ、安政4年12月5日(1858年1月19日) - 昭和2年(1927年)2月10日)は、新選組隊士。 | ||
43 | 山本兵吉 小平町 | Wikipedia |
山本 兵吉(やまもと へいきち、1858年(安政5年) - 1950年(昭和25年)7月)は日本の猟師。三毛別羆事件のヒグマを退治するなど、生涯で捕ったヒグマは300頭といわれる。北海道留萌郡鬼鹿村温根の沢(現・小平町鬼鹿田代)の住人で、鬼鹿山など当時の天塩国の山を主な猟場とした。 | ||
44 | 久川藤太郎 前橋市 | Wikipedia |
久川 藤太郎(ひさかわ とうたろう、安政5年4月4日(1858年5月16日) - 昭和13年(1938年)7月21日)は、稲荷藤節をあみだした人物。 |