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このサイトに登録されている「出身で1857年生まれ」の有名人の数:37人
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演奏家・作詞家・作曲家・ミュージシャン
1 | 加藤勇次郎 菊池市 | Wikipedia |
加藤 勇次郎(かとう ゆうじろう、1857年11月26日(安政4年10月10日) - 1934年(昭和9年)1月16日)は、熊本バンドの一人である。 | ||
2 | 宮川経輝 阿蘇市 | Wikipedia |
宮川 経輝(みやがわ つねてる、安政4年1月17日(1857年2月11日) - 昭和11年(1936年)3月2日)は、日本の牧師、女子教育者。熊本バンドの中心人物で、日本組合基督教会の指導者。海老名弾正、小崎弘道と共に組合教会の三元老の一人と言われた。 |
格闘技
3 | 本部朝勇 赤平村 | Wikipedia |
本部 朝勇(もとぶ ちょうゆう、1857年(安政4年) - 1928年(昭和3年))は、琉球王国末期に生まれた琉球王族であり、本部御殿手古武術の第11代宗家である。弟に唐手(現・空手)家として名高い本部朝基が、直弟子には上原清吉(本部御殿手)、兼島信助(渡山流)、千歳剛直(千唐流)、次男の本部朝茂などがいる。 | ||
4 | 稲野花倉吉 一宮市 | Wikipedia |
稲野花 倉吉(いねのはな くらきち、1857年5月8日〈安政4年4月15日〉 - 1889年〈明治22年〉9月15日)は、田子ノ浦部屋及び粂川部屋(8代田子ノ浦[田子ノ浦嘉藏(2代)]の養子となるも後に離縁した)に所属していた元力士。稲ノ花小右エ門としての四股名も有名である。 |
弁護士
5 | 増島六一郎 彦根市 | Wikipedia |
増島 六一郎(ますじま ろくいちろう、1857年(安政4年) - 1948年(昭和23年)は、現在の滋賀県彦根市生まれの弁護士。父が61歳のときの子供であったため六一郎と命名された。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
経営者・実業家
6 | 丸山名政 | Wikipedia |
丸山 名政(まるやま なまさ、1857年11月11日(安政4年9月25日) - 1922年(大正11年)11月21日)は、日本の政治家、実業家、官僚。 | ||
明治大学出身 出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
7 | 高田繁太郎 米子市 | Wikipedia |
高田 繁太郎(たかた しげたろう、安政4年(1857年) - 大正8年(1919年))は日本の実業家。高田家11代目。旧姓伊藤。農政の先駆者といわれ、多彩な独創的事業に成功。日野川河口の埋め立てによる高田新田、旗ケ崎海岸の開墾、倉庫の建設など、繁太郎の事業は米子の産業発展に寄与した。 | ||
8 | 新田長次郎 幕別町 | Wikipedia |
新田 長次郎(にった ちょうじろう、1857年6月20日(安政4年5月29日) - 1936年(昭和11年)7月17日)は、明治時代から昭和前期の日本の商人(皮革商)、実業家、資産家。新田帯革製造所(現ニッタ)の創業者。新田帯革製造所、新田ベニヤ製造所各代表社員[3]。号は温山。愛媛県出身で、族籍は大阪府平民[3]。 | ||
9 | 児嶋幸吉 鳥取市 | Wikipedia |
児嶋 幸吉(こじま こうきち、安政4年(1857年)11月1日 - 昭和4年(1929年)12月1日)は日本の実業家。鳥取ガス株式会社の創業者。鳥取市名誉市民に昭和44年9月24日に選ばれる。 | ||
10 | 村上定 竹原市 | Wikipedia |
村上 定(むらかみ てい / さだむ、1857年(安政4年) - 1932年)は、明治期の実業家・ジャーナリスト。共同火災保険株式会社設立者。三井銀行代表、三井倉庫社長兼支配人、東洋出版協会社長、熊本新聞主幹、神戸又新日報主筆などを歴任した。 | ||
11 | 町野范曹 鶴岡市 | Wikipedia |
町野 范曹(まちの はんそう、1857年 - 1923年)は、日本の医師、開業医、西田川郡医師会初代会長、鶴岡町会議員、山形県会議員。 | ||
12 | 植木元太郎 雲仙市 | Wikipedia |
植木元太郎(うえき もとたろう、1857年9月19日(安政4年8月2日) - 1943年(昭和18年)1月25日)は日本の実業家、政治家。島原鉄道および口之津鉄道(のちに島原鉄道に合併)、温泉軽便鉄道(のちの雲仙鉄道)、小浜鉄道(同)を設立し、島原半島内の鉄道網の整備を進め、のち初代島原市長を務めた。号「鉄狂斎」。 |
医師・看護師
13 | 後藤新平 奥州市 | Wikipedia |
後藤 新平(ごとう しんぺい、安政4年6月4日(1857年7月24日) - 昭和4年(1929年)4月13日)は日本の医師・官僚・政治家。位階勲等爵位は正二位勲一等伯爵。 | ||
名古屋大学出身 出身の名古屋大学の出身者 全国の名古屋大学の出身者 | ||
14 | 臼井幾蔵 鳥取市 | Wikipedia |
臼井 幾蔵(うすい いくぞう、安政4年(1857年) - 昭和10年(1935年)1月)は、日本の医師。旧姓田淵。 |
軍人
15 | 寺垣猪三 | Wikipedia |
寺垣 猪三(てらがき いぞう、(1857年2月22日 (安政4年1月28日) - 1938年(昭和13年)6月1日)は、日本の海軍軍人。戦艦「敷島」艦長として日本海海戦を戦った。最終階級は海軍中将。旧名猪之助。 | ||
16 | 井上敏夫 金沢市 | Wikipedia |
井上 敏夫(いのうえ としお、1857年9月29日(安政4年8月12日) - 1924年(大正13年)3月9日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。衆議院議員2期。 |
公務員
17 | 珍田捨巳 弘前市 | Wikipedia |
珍田 捨巳(ちんだ すてみ、1857年1月19日(安政3年12月24日) - 1929年(昭和4年)1月16日)は、日本の外交官。侍従長・枢密顧問官・外務次官。キリスト教牧師(メソジスト派)。 |
学者・教授・准教授
18 | 佐々木忠次郎 | Wikipedia |
佐々木 忠次郎(ささき ちゅうじろう、1857年9月27日(安政4年8月10日)- 1938年(昭和13年)5月26日)は明治・大正・昭和期の昆虫学者。近代養蚕学・製糸学の開拓者。 | ||
19 | 巖谷立太郎 甲賀市 | Wikipedia |
巌谷 立太郎(いわや りゅうたろう、1857年10月2日(安政4年8月15日)-1891年(明治24年)1月24日)は、明治期の鉱山学者、日本新聞社創立発起人。東京大学理学部教授・農商務省鉱山局技師として採鉱冶金術の改良に貢献した。滋賀県出身者として最初の工学博士(博士登録番号10番)。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 |
研究者・研究家・発明家
20 | 杉山彦三郎 静岡市 | Wikipedia |
杉山 彦三郎(すぎやま ひこさぶろう、安政4年7月5日(1857年8月24日) - 昭和16年(1941年)2月7日))は、農業経営者であり、お茶(茶樹)の研究家。駿河国有渡郡中吉田村(現・静岡県静岡市駿河区国吉田)出身。 |
画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家
21 | 小山正太郎 長岡市 | Wikipedia |
小山 正太郎(こやま しょうたろう、安政4年1月21日(1857年2月15日) - 大正5年(1916年)1月7日)は、明治時代の日本の武士、洋画家。洋画家としてよりも教育者として名高い。小山善元の長男であり、小山観翁の大伯父にあたる。 |
政治家・議員・首長
22 | 井上敏夫 四日市市 | Wikipedia |
井上 敏夫(いのうえ としお、1857年9月29日(安政4年8月12日) - 1924年(大正13年)3月9日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。衆議院議員2期。 | ||
23 | 立川雲平 南あわじ市 | Wikipedia |
立川 雲平(たつかわ うんぺい、1857年10月14日(安政4年8月27日) - 1936年(昭和11年)1月24日)は、日本の政治家、弁護士。『破戒』(島崎藤村)に登場する市村代議士のモデルといわれる。 | ||
24 | 麻生太吉 飯塚市 | Wikipedia |
麻生 太吉(あそう たきち、1857年8月26日(安政4年7月7日) - 1933年(昭和8年)12月8日)は日本の炭鉱業者、実業家、政治家。第92代内閣総理大臣麻生太郎の曽祖父。 | ||
25 | 奥野小四郎 帯広市 | Wikipedia |
10代奥野 小四郎(おくの こしろう、1857年9月10日(安政4年7月22日) - 1915年(大正4年)12月31日)は、日本の篤農家、実業家、政治家。衆議院議員、兵庫県津名郡洲本町長、北海道河西郡帯広町長。旧姓・富永、初名・守次郎[3]。 | ||
26 | 奥野小四郎 洲本市 | Wikipedia |
10代奥野 小四郎(おくの こしろう、1857年9月10日(安政4年7月22日) - 1915年(大正4年)12月31日)は、日本の篤農家、実業家、政治家。衆議院議員、兵庫県津名郡洲本町長、北海道河西郡帯広町長。旧姓・富永、初名・守次郎[3]。 | ||
27 | 板谷宮吉 柏崎市 | Wikipedia |
初代 板谷 宮吉(いたや みやきち、1857年2月4日(安政4年1月10日[注 1]) - 1924年(大正13年)5月13日[3])は、日本の実業家、政治家。北海道の海運王と呼ばれた。 | ||
28 | 阪本釤之助 名古屋市 | Wikipedia |
阪本 釤之助(さかもと さんのすけ、安政4年6月24日(1857年8月13日) - 昭和11年(1936年)12月16日)は、日本の官僚、政治家。 | ||
29 | 加藤喜右衛門 津島市 | Wikipedia |
加藤 喜右衛門(かとう きえもん、1857年(安政4年11月) – 1923年(大正12年)1月20日)は、尾張国海部郡津島村(現・愛知県津島市)出身の政治家。衆議院議員(1892年-1894年)。 |
評論家
30 | 陸羯南 弘前市 | Wikipedia |
陸 羯南(くが かつなん、安政4年丁巳10月14日(1857年11月30日) - 明治40年(1907年)9月2日)は、日本の国民主義の政治評論家。日本新聞社長。正岡子規を育てた。幼名は巳之太郎、のち実、号が羯南。 |
宗教家・思想家・運動家
31 | 村松愛蔵 田原市 | Wikipedia |
村松 愛蔵(むらまつ あいぞう、安政4年3月2日(1857年3月27日) - 昭和14年(1939年)4月11日)は、日本の政治家、キリスト教伝道者、社会事業家。 | ||
32 | 山崎為徳 奥州市 | Wikipedia |
山崎 為徳(やまざき ためのり 爲徳とも表記 幼名は周作 安政4年3月3日(1857年3月28日) - 明治14年(1881年)11月19日)は日本の明治時代初期の宗教家、神学者。 | ||
33 | 金森通倫 玉名市 | Wikipedia |
金森 通倫(かなもり みちとも、「つうりん」とも 安政4年8月15日(1857年10月2日) - 昭和20年(1945年)3月4日)は、日本の宗教家・牧師。別名はポール・カナモリ。晩年は湘南の嶺山に隠居、原始的な洞窟生活をして「今仙人」といわれた。 | ||
34 | 菅了法 川本町 | Wikipedia |
菅 了法(すが りょうほう、安政4年2月8日(1857年3月3日) - 昭和11年(1936年)7月26日)は、明治期のジャーナリスト、「グリム童話」の訳者、衆議院議員、僧(本願寺顧問)。号は桐南。筆名は桐南居士。 |
俳人・歌人・詩人・歌人
35 | 阪田恒四郎 竹原市 | Wikipedia |
阪田 恒四郎(さかた つねしろう、安政4年(1857年)7月 - 昭和19年(1944年)3月5日)は、日本の実業家、サカタインクス創業者。俳人。大中寅二は女婿、阪田寛夫は孫、大浦みずきは曾孫にあたる[2]。 | ||
36 | 須藤南翠 宇和島市 | Wikipedia |
須藤 南翠(すどう なんすい、安政4年11月3日(1857年12月18日) - 大正9年(1920年)2月4日)は、伊予国宇和島出身の小説家・新聞記者。本名は須藤 光暉(すどう みつてる)。妻は矢野龍渓の姪である小林シズ。息子は建築家の眞金、孫に詩人の須藤伸一がいる。 |
その他の職業
37 | 和田英 長野市 | Wikipedia |
和田 英(わだ えい、安政4年8月21日(1857年10月8日) - 昭和4年(1929年)9月26日)は、官営富岡製糸場の伝習工女。『富岡日記』を著した。旧姓は横田。 |