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このサイトに登録されている「出身で1856年生まれ」の有名人の数:48人
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格闘技
1 | 綾浪徳太郎 藤崎町 | Wikipedia |
綾浪徳太郎(あやなみとくたろう、1856年6月3日(安政3年5月1日) - 1901年(明治34年)7月12日)は、高砂部屋に所属した元力士。6代追手風。本名は高木徳太郎。陸奥国津軽郡(現在の青森県南津軽郡藤崎町)出身。174cm、90kg。最高位は東関脇。 | ||
2 | 緋縅力弥(3代) 中央区 | Wikipedia |
緋縅 力弥(ひおどし りきや、安政3年(1856年)3月 - 明治21年(1888年)9月9日)は、玉垣部屋に所属した元力士。10代玉垣。本名は玉垣 辰藏(旧名小柴辰五郎)。武蔵国豊島郡(現在の東京都中央区)出身。身長は不明。体重は105kg。最高位は東前頭筆頭。 | ||
3 | 一ノ矢藤太郎 田舎館村 | Wikipedia |
一ノ矢 藤太郎(いちのや とうたろう、1856年3月25日 - 1923年2月15日)は、青森県南津軽郡田舎館村出身の大相撲力士。高砂部屋所属。最高位は大関。本名は福士藤太郎。現役時代の体格は178cm、95kg。 | ||
4 | 大鳴門太三郎 岡山市 | Wikipedia |
大鳴門太三郎(おおなると たさぶろう、安政3年(1856年) - 1900年5月4日)は、備前国御野郡(現在の岡山県岡山市)出身で、明治年間の元大相撲力士。本名は武田太三郎。京都・大阪では関脇を努め、脱退して組織した広角組では大関と頭取(年寄)を兼務した。大阪協会との和解後は四股名のまま頭取初代大鳴門(現在の表記は大鳴戸)となり大鳴門部屋を立ち上げた。 |
弁護士
5 | 鳩山和夫 | Wikipedia |
鳩山 和夫(はとやま かずお、1856年5月6日〈安政3年4月3日〉 - 1911年〈明治44年〉10月3日)は、江戸時代末期の美作勝山藩士。明治維新後は政治家、代言人(弁護士)。位階勲等学位は正四位勲三等法学博士。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
6 | 鳩山和夫 | Wikipedia |
鳩山 和夫(はとやま かずお、1856年5月6日〈安政3年4月3日〉 - 1911年〈明治44年〉10月3日)は、江戸時代末期の美作勝山藩士。明治維新後は政治家、代言人(弁護士)。位階勲等学位は正四位勲三等法学博士。 | ||
東京大学出身 出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
建築家・建築学者・技術者
7 | 平井晴二郎 金沢市 | Wikipedia |
平井 晴二郎(ひらい せいじろう、1856年11月13日(安政3年10月16日) - 1926年(大正15年)6月28日)は、明治・大正期にかけての日本の鉄道技術者である。正三位勲一等、工学博士。貴族院勅選議員。 |
経営者・実業家
8 | 岡崎藤吉 | Wikipedia |
岡崎 藤吉(おかざき とうきち、1856年(安政3年)3月 - 1927年(昭和2年)11月26日)は、明治、大正期の実業家、企業経営者。海運業を基盤として、銀行業や保険業を生業に、明治、大正期に神戸において財閥を形成した。中堅の阪神財閥の一つである岡崎財閥の創業者。神戸財界の雄と呼ばれた。 | ||
9 | 川田龍吉 北斗市 | Wikipedia |
川田 龍吉(かわだ りょうきち、安政3年3月14日(1856年4月18日) - 1951年(昭和26年)2月9日)は、日本の実業家。男爵。 | ||
10 | 神谷傳兵衛 牛久市 | Wikipedia |
神谷 伝兵衛(かみや でんべえ、神谷傳兵衛、安政3年2月11日(1856年3月17日) - 大正11年(1922年)4月24日)は三河国松木島村(現在の愛知県西尾市一色町)出身の実業家である。東京都台東区浅草の洋酒バーの神谷バー、茨城県牛久市のワイン醸造所のシャトーカミヤの創設者。旭製薬社長のほか、神谷醸造、日本製粉、九州炭鉱汽船、三河鉄道、東洋遊園地などの役員を務めた。 | ||
11 | 南清 | Wikipedia |
南 清(みなみ きよし、1856年6月3日(安政3年5月1日)-1904年(明治37年)1月3日)は日本の鉄道技術者および鉄道会社経営者。山陽鉄道、筑豊興業鉄道、播但鉄道などにおいて技師長・技術顧問・顧問技師を務める。また、阪鶴鉄道、唐津興業鉄道社長、鉄道協会(大阪)副会長を務める。 | ||
12 | 門野幾之進 鳥羽市 | Wikipedia |
門野 幾之進(かどの いくのしん、1856年4月18日(安政3年3月14日) - 1938年(昭和13年)11月18日)は、日本の実業家、貴族院勅選議員。千代田生命保険初代社長。勲四等。 | ||
13 | 古賀辰四郎 八女市 | Wikipedia |
古賀 辰四郎(こが たつしろう、1856年2月23日(旧暦安政3年1月18日) - 1918年(大正7年)8月15日)は、尖閣諸島を開拓した日本の実業家である。 | ||
14 | 秋保親兼 鶴岡市 | Wikipedia |
秋保 親兼(あきほ ちかかね、1856年(安政3年)5月13日 - 1915年(大正4年)5月29日)は出羽国田川郡鶴岡(現・山形県鶴岡市)出身の政治家、衆議院議員(2期)、(株)済急社監査役、庄内煙草(株)社長。 |
医師・看護師
15 | 西村俊三 美祢市 | Wikipedia |
西村 俊三(にしむら しゅんぞう)安政3年6月5日(1856年7月6日) - 昭和10年7月7日(1935年7月7日)は、明治時代に活躍した医師である。 | ||
16 | 新山荘輔 成田市 | Wikipedia |
新山 荘輔(にいやま そうすけ、安政3年10月10日(1856年11月7日) - 昭和5年(1930年)11月7日)は獣医学博士、元下総御料牧場長、新冠御料牧場長、馬政官、農商務技師、宮中顧問官。日本獣医学の父。日本の官民両面における畜産業、特に馬産事業の貢献者。正三位旭日重光章受章。 | ||
17 | 高橋良斎 鶴岡市 | Wikipedia |
高橋 良斎(たかはし りょうさい、1856年 - 1923年)は、日本の医師、開業医、酒井伯爵家主治医、鶴岡地区大学卒医師第一号。 |
軍人
18 | 中野信陽 | Wikipedia |
中野 信陽(なかの しんよう、1856年(安政2年)2月4日(12月28日) - 1895年(明治28年)2月11日)は、日本の海軍軍人。日清戦争で戦死した海軍大尉である。 | ||
19 | 南部辰丙 | Wikipedia |
南部 辰丙(なんぶ しんぺい、1856年5月13日(安政3年4月10日) - 1931年2月21日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
20 | 大谷喜久蔵 敦賀市 | Wikipedia |
大谷 喜久蔵(おおたに きくぞう、1856年2月4日(安政2年12月28日) - 1923年(大正12年)11月26日)は、日本の陸軍軍人、華族。 | ||
21 | 森田仲造 壬生町 | Wikipedia |
森田 仲造(もりた なかぞう、1856年(安政3年11月3日) - 1927年(昭和2年6月13日)は、下野国壬生藩(現在の栃木県)出身の人物。元壬生藩士。陸軍伍長。 | ||
22 | 福田馬之助 | Wikipedia |
福田 馬之助(ふくだ うまのすけ、1856年(安政3年)10月24日 - 1936年(昭和11年)4月12日)は、日本の船舶工学者、海軍軍人。位階勲等功級は、海軍技術中将・従三位・功四級・勲一等旭日大綬章・勲二等瑞宝章。工学博士。 |
学者・教授・准教授
23 | 松村任三 高萩市 | Wikipedia |
松村 任三(まつむら じんぞう、1856年2月14日〔安政3年1月9日〕- 1928年5月4日)は日本の植物学者。 | ||
24 | 小藤文次郎 津和野町 | Wikipedia |
小藤 文次郎(ことう ぶんじろう、安政3年3月4日〔1856年4月8日〕 - 昭和10年〔1935年〕3月8日)は、日本の地球科学者。地質学、岩石学、鉱物学、火山学、地震学など、幅広く活躍した。日本の地質学や地形学の揺籃期に活躍・貢献をした。また、多くの学生を育てた。 | ||
25 | 久原躬弦 津山市 | Wikipedia |
久原 躬弦(くはら みつる、1856年1月5日(安政2年11月28日) - 1919年(大正8年)11月21日)は明治時代から大正時代にかけての日本の化学者。理学博士。 | ||
26 | 田中館愛橘 | Wikipedia |
田中舘 愛橘(たなかだて あいきつ、安政3年旧暦9月18日(1856年10月16日換算) - 1952年(昭和27年)5月21日)は、日本の地球物理学者。東京帝国大学教授。帝国学士院会員、文化勲章受章者。 | ||
27 | 井上哲次郎 太宰府市 | Wikipedia |
井上 哲次郎(いのうえ てつじろう、1856年2月1日(安政2年12月25日) - 1944年(昭和19年)12月7日)は明治時代の日本の哲学者であり、欧米哲学を多く日本に紹介し、帝国大学で日本人で初めて、哲学の教授となった。また、新体詩運動の先駆者でもある。号は巽軒。通称「井の哲(イノテツ)」。筑前国生まれ。大東文化学院総長(第2代)などを歴任した。 |
研究者・研究家・発明家
28 | 堀井新治郎 竜王町 | Wikipedia |
堀井 新治郎(元紀)(ほりい しんじろう、1856年10月14日(安政3年9月16日) - 1932年(昭和7年)7月19日)は明治・大正期の発明家、謄写版(ガリ版)印刷機の開発者。滋賀県出身。 |
画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家
29 | 大熊氏廣 川口市 | Wikipedia |
大熊 氏廣(おおくま うじひろ、1856年7月14日(安政3年6月13日) - 1934年(昭和9年)3月20日)は日本の彫刻家。日本初の西洋式銅像とされる靖国神社の大村益次郎像で知られる。 | ||
30 | 浅井忠 | Wikipedia |
浅井 忠(あさい ちゅう、1856年7月22日(安政3年6月21日) - 1907年(明治40年)12月16日)は、明治期の洋画家。教育者としても貢献した。 | ||
31 | 浅井忠 佐倉市 | Wikipedia |
浅井 忠(あさい ちゅう、1856年7月22日(安政3年6月21日) - 1907年(明治40年)12月16日)は、明治期の洋画家。教育者としても貢献した。 |
政治家・議員・首長
32 | 鳩山和夫 栗山町 | Wikipedia |
鳩山 和夫(はとやま かずお、1856年5月6日〈安政3年4月3日〉 - 1911年〈明治44年〉10月3日)は、日本の政治家、法律家。位階勲等学位は正四位勲三等法学博士。 | ||
33 | 丸山重俊 熊本市 | Wikipedia |
丸山 重俊(まるやま しげとし、1856年1月2日(安政2年11月25日) - 1911年(明治44年)5月22日[2])は、幕末の熊本藩士、明治期の検察官・警察官僚。官選島根県知事。旧名・一平[3]。 | ||
34 | 小田貫一 廿日市市 | Wikipedia |
小田 貫一(おだ かんいち、安政3年12月3日(1856年12月29日) - 明治42年(1909年)7月22日)は、日本の政治家、広島市長(第六代)。 | ||
35 | 川路利恭 | Wikipedia |
川路 利恭(かわじ としあつ / としやす、1856年5月31日(安政3年4月28日)- 1925年(大正14年)1月12日)は、日本の内務官僚。県知事。旧姓、五代。 | ||
36 | 和田維四郎 小浜市 | Wikipedia |
和田 維四郎(わだ つなしろう、安政3年3月17日(1856年4月21日) - 大正9年(1920年)12月20日)は日本の鉱物学者、書誌学者、貴族院議員。 | ||
37 | 原敬 盛岡市 | Wikipedia |
原 敬(はら たかし、安政3年2月9日(1856年3月15日) - 大正10年(1921年)11月4日)は、日本の外交官、政治家。位階勲等は正二位大勲位。幼名は健次郎(けんじろう)。号は一山、逸山(いつざん)。 | ||
38 | 新井章吾 栃木市 | Wikipedia |
新井 章吾(あらい しょうご、安政3年2月22日(1856年3月28日)- 明治39年(1906年)10月16日)は、明治前期の政治家。衆議院議員として通算7期[6]。 | ||
39 | 松下哲成 境港市 | Wikipedia |
松下 哲成(まつした てつなり、安政3年2月22日(1856年3月28日) - 昭和3年(1928年)1月18日)は日本の実業家、政治家。元鳥取県西伯郡境町長。元境町会議員、郡会副議長。元境町学務委員。伯州境港の豪商。 | ||
40 | 波多野伝三郎 長岡市 | Wikipedia |
波多野 伝三郎(はたの でんざぶろう、1856年9月20日(安政3年8月22日)- 1907年(明治40年)2月13日)は、明治期の政治家、教育者。衆議院議員、官選福井県知事。旧姓・前田。 | ||
41 | 高橋直治 小樽市 | Wikipedia |
高橋 直治(たかはし なおじ、1856年3月4日(安政3年1月28日) - 1926年(大正15年)2月18日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、貴族院多額納税者議員。 | ||
42 | 高橋直治 柏崎市 | Wikipedia |
高橋 直治(たかはし なおじ、1856年3月4日(安政3年1月28日) - 1926年(大正15年)2月18日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、貴族院多額納税者議員。 |
宗教家・思想家・運動家
43 | 小崎弘道 熊本市 | Wikipedia |
小崎 弘道(こざき ひろみち、安政3年4月14日(1856年5月17日) - 昭和13年(1938年)2月26日)は、日本の牧師。霊南坂教会を創設し、同志社第2代社長(現総長)、日本組合基督教会会長、日本基督教連盟会長などを務めた。神学者で牧師の小崎道雄は長男。日本の思想家、神学者、牧師の岩村信二は孫である。 | ||
44 | 一坂俊太郎 徳島市 | Wikipedia |
一坂 俊太郎(いちさか しゅんたろう、1856年8月6日(安政3年7月6日) - 1922年(大正11年)2月4日)は、日本の政治家(衆議院議員)。徳島市長。 | ||
45 | 佐藤範雄 福山市 | Wikipedia |
佐藤 範雄(さとう のりお、安政3年(1856年)8月6日 - 昭和17年(1942年)6月20日)は、現在の広島県福山市出身の宗教家、教育者。 |
その他の職業
46 | 高橋善一 豊橋市 | Wikipedia |
高橋 善一(たかはし よしかず、1856年8月3日 - 1923年5月20日)は、日本の鉄道員。現在の福井県にあった河合家に生まれた後、三河国吉田城下(現在の愛知県豊橋市)の高橋家の養子となった[2]永年の皇族や外国の要人の送迎などを務めた功績で大正天皇、貞明皇后の写真を受けている。 | ||
47 | 鈴木銃太郎 帯広市 | Wikipedia |
鈴木 銃太郎(すずき じゅうたろう、1856年4月21日(安政3年3月17日) - 1926年(大正15年)6月30日)は、クリスチャンの北海道開拓者である。 | ||
48 | 二代澁澤金蔵 太田市 | Wikipedia |
二代目 澁澤 金蔵(にだいめ しぶさわ きんぞう、1856年8月4日(安政3年7月4日) - 没年不明)は、日本の銀行家。群馬県多額納税者[3][4]。上野銀行、新田銀行各取締役[5]。群馬商業銀行監査役[3]。前名は直次郎[5]。族籍は群馬県平民[5]。 |