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このサイトに登録されている「出身で1854年生まれ」の有名人の数:38人
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格闘技
1 | 海山太郎 香南市 | Wikipedia |
海山 太郎(かいざん たろう、1854年(嘉永7年)7月8日(旧暦6月14日) - 1926年(昭和元年)12月30日)は、高知県香南市香我美町岸本出身の元大相撲力士。本名は河野 貞太郎(こうの(かわの) さだたろう)。 | ||
2 | 大達羽左エ門 | Wikipedia |
大達 羽左エ門(おおだて うざえもん、1854年1月13日(旧暦安政3年12月15日) - 1904年8月17日)は、出羽国田川郡(現:山形県鶴岡市)出身の元大相撲力士。5代千賀ノ浦。本名は諏訪 辯治(すわ べんじ)。 |
建築家・建築学者・技術者
3 | 辰野金吾 | Wikipedia |
辰野 金吾 (たつの きんご、1854年10月13日〈嘉永7年8月22日〉- 1919年3月25日) は、日本の建築家である。 |
経営者・実業家
4 | 田代重右衛門 | Wikipedia |
田代重右衛門(たしろ じゅうえもん、1854年(嘉永7年)1月2日 - 1932年(昭和7年)12月14日)は、日本の実業家。 | ||
5 | 大澤善助 京都市 | Wikipedia |
大澤 善助(大沢-、おおさわ ぜんすけ、1854年3月7日(嘉永7年2月9日) - 1934年(昭和9年)10月10日)は、日本の実業家である。大沢商会、京都電気鉄道の創立者として知られる。幼名は松之助(まつのすけ)、養父を継ぎ清八(せいはち)とも名乗った。 | ||
6 | 岡崎邦輔 | Wikipedia |
岡崎 邦輔(おかざき くにすけ、1854年4月12日(嘉永7年3月15日) - 1936年(昭和11年)7月22日)は、日本の政治家・実業家。号は晩香。 | ||
7 | 沖野忠雄 豊岡市 | Wikipedia |
沖野 忠雄(おきの ただお、嘉永7年1月1日(1854年1月29日) - 大正10年(1921年)3月26日)は、日本の土木技師。工学博士、勲一等。 |
軍人
8 | 雪下熊之助 | Wikipedia |
雪下 熊之助(ゆきした くまのすけ、1854年4月9日(嘉永7年3月12日) - 1877年(明治10年)3月11日)は、幕末の会津藩士。明治期の海軍軍人。海軍兵学校出身者として最初の戦死者となった海軍少尉補である。 | ||
9 | 飯沼貞吉 会津若松市 | Wikipedia |
飯沼 貞吉(いいぬま さだきち、嘉永7年3月25日(1854年4月22日) - 昭和6年(1931年)2月12日)は白虎隊士(士中二番隊所属)、通信技師、軍人。維新後は名を貞雄と改め、逓信省通信技師となる。後に孤舟、孤虎と号した。軍人としての最終階級は陸軍大尉。栄典は正五位勲四等。 | ||
10 | 木越安綱 | Wikipedia |
木越 安綱(きごし やすつな、1854年4月22日(嘉永7年3月25日) - 1932年3月26日)は、日本の陸軍軍人、政治家。陸士旧1期。最終階級は陸軍中将。栄典は正三位勲一等功二級。陸軍大臣、男爵。幼名、三次郎。 | ||
11 | 石本新六 姫路市 | Wikipedia |
石本 新六(いしもと しんろく、1854年2月17日(嘉永7年1月20日) - 1912年(明治45年)4月2日)は、日本陸軍の軍人。陸士旧1期。栄典は勲一等功二級。最終階級は陸軍中将。男爵。 | ||
12 | 富岡定恭 | Wikipedia |
富岡 定恭(とみおか さだやす、1854年12月24日(嘉永7年11月5日) - 1917年(大正6年)7月1日)は、日本の海軍軍人、華族。最終階級は海軍中将。男爵。 | ||
13 | 小池正直 | Wikipedia |
小池 正直(こいけ まさなお、1854年12月23日(嘉永7年11月4日) - 1914年1月1日)は、日本の陸軍軍人。貴族院議員。陸軍軍医総監・正四位・勲一等・功二級・医学博士・男爵。山形県鶴岡市出身。 | ||
14 | ヴェンセスラウ・デ・モラエス 徳島市 | Wikipedia |
ヴェンセスラウ・デ・モラエス (ヴェンセスラウ・ジュゼ・デ・ソウザ・デ・モライシュ)(Wenceslau José de Sousa de Morais, 1854年5月30日 - 1929年7月1日)は、ポルトガルの軍人、外交官、文筆家。 |
公務員
15 | 高木盛之輔 | Wikipedia |
高木 盛之輔(たかぎ もりのすけ/たかき もりのすけ、1854年(安政1年) - 1919年(大正8年)2月19日)は、日本の武士、検察官。会津藩藩士として戊辰戦争を、別働第二旅団の一員として西南戦争を戦った。姉の高木時尾は照姫附き祐筆で、元新撰組副長助勤斎藤一(藤田五郎)に嫁ぐ[* 1]。福島県立会津高等学校の創立功労者の一人である[2]。 | ||
16 | 西川鉄次郎 | Wikipedia |
西川 鉄次郎(にしかわ てつじろう、1854年1月22日(嘉永6年12月24日) - 1932年(昭和7年)6月1日[* 1])は、幕末の会津藩士。明治期の裁判官。白虎隊士として戊辰戦争を戦い、裁判官として大審院判事にいたる。中央大学の前身である英吉利法律学校の創立者の一人。 |
学者・教授・准教授
17 | 瀧澤菊太郎 千曲市 | Wikipedia |
瀧澤 菊太郎(たきざわ きくたろう、1854年12月4日(嘉永7年10月15日) - 1933年(昭和8年)1月12日)は、明治期の教育者、師範学校校長。 | ||
慶應義塾大学出身 出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
18 | 高嶺秀夫 | Wikipedia |
高嶺 秀夫(たかみね ひでお、1854年10月5日(嘉永7年8月14日) - 1910年(明治43年)2月22日)は明治時代の日本の教育者。旧会津藩士。 | ||
19 | 菊池武夫 | Wikipedia |
菊池 武夫(きくち たけお、1854年8月21日(嘉永7年7月28日) - 1912年(明治45年)7月6日)は、日本の法学者。陸奥国岩手郡外加賀野村(現・岩手県盛岡市加賀野)出身。司法省民事局長、東京弁護士会会長、中央大学初代学長、貴族院勅選議員等を務めた。 |
研究者・研究家・発明家
20 | ジョン・バチェラー 函館市 | Wikipedia |
ジョン・バチェラー(John Batchelor、1854年3月20日 - 1944年4月2日)は、イギリス人の聖公会の宣教師。アイヌの研究家、アイヌの父と呼ばれた。 |
画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家
21 | 岡崎雪聲 京都市 | Wikipedia |
岡崎 雪聲(おかざき せっせい、嘉永7年1月29日(1854年2月26日) - 大正10年(1921年)4月16日)は、明治から大正の鋳造師、彫金家。彫刻家の渡辺長男は娘婿。 |
政治家・議員・首長
22 | 植竹三右衛門 大田原市 | Wikipedia |
先代 植竹 三右衛門(うえたけ さんえもん、1854年3月13日(安政元年2月15日) - 1933年(昭和8年)7月6日)は、日本の政治家・貴族院議員[3][4][5]、実業家、資産家[6]、篤農家[7]、醤油醸造家。栃木県多額納税者[4][8][9]。栃木県農工銀行頭取[5][8][10]。東海銀行副頭取[8]。氏家銀行、宇都宮瓦斯、日本製麻、下野新聞各取締役[8]。東洋薬品監査役[8]。宇都宮商業会議所特別議員[3][4]。栃木県地主会顧問[10]。族籍は栃木県平民[4][8]。 | ||
23 | 石黒涵一郎 舞鶴市 | Wikipedia |
石黒 涵一郎(いしぐろ かんいちろう、嘉永7年1月3日(1854年1月31日) - 大正6年(1917年)10月2日)は、日本の衆議院議員(憲政党→立憲政友会)、弁護士、教育者。 | ||
24 | 岡山兼吉 掛川市 | Wikipedia |
岡山 兼吉(おかやま けんきち、1854年7月31日(嘉永7年7月7日) - 1894年(明治27年)5月28日)は、明治時代の弁護士、衆議院議員(当選1回)。東京専門学校(早稲田大学の前身)および英吉利法律学校(中央大学の前身)の創設に参画したことでも知られる。号は梧堂。 | ||
25 | 高平小五郎 一関市 | Wikipedia |
高平 小五郎(たかひら こごろう、嘉永7年1月1日(1854年1月29日) - 大正15年(1926年)11月28日)は、明治時代の日本の外交官。男爵。貴族院議員等を務めた。 | ||
26 | 高野孟矩 新地町 | Wikipedia |
高野 孟矩(たかの たけのり、1854年2月20日(嘉永7年1月23日)- 1919年(大正8年)1月4日)は、日本の検事、裁判官、弁護士、政治家、実業家。 | ||
27 | 坂口平兵衛(初代) 米子市 | Wikipedia |
初代坂口 平兵衛(さかぐち へいべえ、嘉永7年6月9日(1854年7月3日) - 昭和8年(1933年)7月31日)は、日本の実業家、政治家。貴族院議員、町会議員、郡会議長を務めた。鳥取県平民。鳥取県多額納税者。 | ||
28 | 浜野昇 佐倉市 | Wikipedia |
浜野 昇(はまの のぼる、1854年12月17日(安政元年10月28日) - 1920年(大正9年)2月11日)は、日本の政治家。 | ||
29 | 高橋是清 | Wikipedia |
高橋 是清(たかはし これきよ、1854年9月19日〈嘉永7年閏7月27日〉 - 1936年〈昭和11年〉2月26日)は、日本の幕末の武士(仙台藩士)、明治、大正、昭和時代初期の官僚、政治家。立憲政友会第4代総裁。第20代内閣総理大臣(在任 : 1921年〈大正10年〉11月13日 - 1922年〈大正11年〉6月12日)。栄典は大勲位子爵。幼名は和喜次(わきじ)。財政家として知られているため総理大臣としてよりも大蔵大臣としての評価の方が高い。 | ||
明治学院大学出身 出身の明治学院大学の出身者 全国の明治学院大学の出身者 | ||
30 | 野村政明 | Wikipedia |
野村 政明(のむら まさあき、1854年4月20日(嘉永7年3月23日)- 1902年(明治35年)10月2日)は、日本の内務官僚、政治家。県知事。旧名、市来七之助。正式名は市来政明。 | ||
31 | 本角寅造 境港市 | Wikipedia |
本角 寅造(もとずみ とらぞう、嘉永6年12月12日(1854年1月10日) - 大正2年(1913年)6月6日)は、日本の政治家。中浜村長(初代)、県会議員。 | ||
32 | 吉原三郎 いすみ市 | Wikipedia |
吉原 三郎(よしはら さぶろう、1854年4月5日(嘉永7年3月8日) - 1916年11月16日)は、日本の内務官僚。内務次官、錦鶏間祗候。幼名・虎之助、号・陽山。 | ||
33 | 渡辺廉吉 長岡市 | Wikipedia |
渡辺 廉吉(わたなべ れんきち、嘉永7年1月8日(1854年2月5日) - 大正14年(1925年)2月14日)は日本の法学者、裁判官、政治家。学位は法学博士。行政裁判所評定官(裁判官)、内閣総理大臣秘書官、法制局参事官、行政裁判所部長、行政裁判法取調委員、貴族院議員等を歴任。幼名は正吉。渡邊廉吉とも表記される。 |
宗教家・思想家・運動家
34 | 金尾稜厳 広島市 | Wikipedia |
金尾 稜厳(かなお りょうごん、1854年7月8日(嘉永7年6月14日) - 1921年(大正10年)3月23日[3])は、幕末から大正期の僧侶、政治家。衆議院議員(通算8期)、官選県知事。旧名・楞厳。 |
その他の職業
35 | 坂本常蔵 広島市 | Wikipedia |
坂本 常蔵(さかもと つねぞう、1854年12月4日(安政元年10月15日) - 没年不明)は、日本の土木建築請負業者[3]、広島県多額納税者[4]。広島県第一流の請負業者として令名を馳せた[3]。族籍は広島県平民。 | ||
36 | 小西信八 長岡市 | Wikipedia |
小西 信八(こにし のぶはち、1854年2月21日(安政元年1月24日) - 1938年(昭和13年)7月5日)は明治時代から大正時代にかけての日本の教育者。 | ||
37 | 西川寅吉 明和町 | Wikipedia |
西川 寅吉(にしかわ とらきち、1854年 - 1941年)は、日本において過去に脱獄を最も多く行った事で知られた、いわゆる脱獄魔。 | ||
38 | 五十嵐八五郎 久喜市 | Wikipedia |
五十嵐 八五郎(いがらし はちごろう、1854年(安政元年) - 1927年(昭和2年))は主に埼玉県南埼玉郡北部に梨の栽培法を広めた人物であり、埼玉梨の祖と云われる。 |