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このサイトに登録されている「静岡県出身で18年生まれ」の有名人の数:101人
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宝塚・女優・俳優・声優・ナレーター・歌舞伎・能楽・狂言
1 | 松本長 静岡市 | Wikipedia |
松本長(まつもと ながし、1877年(明治10年)11月11日 - 1935年(昭和10年)11月29日)はシテ方宝生流能楽師。静岡市出身。 |
演奏家・作詞家・作曲家・ミュージシャン
2 | 高木壬太郎 川根本町 | Wikipedia |
高木 壬太郎(たかぎ みずたろう、1864年6月23日(元治元年5月20日) - 1921年(大正10年)1月27日)は、明治時代から大正時代にかけて活動したメソジスト派の牧師、教育者である。静岡バンドのメンバー。 |
舞台・演劇・映画・ドラマ・脚本・プロデューサー・ディレクター
3 | 渡辺邦男 三島市 | Wikipedia |
渡辺 邦男(わたなべ くにお、1899年(明治32年)6月3日 - 1981年(昭和56年)11月5日)は、大正・昭和期の俳優、映画監督。 | ||
早稲田大学出身 静岡県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 |
格闘技
4 | 富田常次郎 沼津市 | Wikipedia |
富田 常次郎(とみた つねじろう、1865年2月 - 1937年1月13日)は、日本の柔道家(講道館7段・大日本武徳会柔道範士)。旧姓山田。 |
水泳全般・マリンスポーツ
5 | 鵜藤俊平 掛川市 | Wikipedia |
鵜藤 俊平(うとう しゅんぺい、1918年12月1日 - )は、日本の水泳選手。1936年ベルリンオリンピック400メートル自由形で銀メダル、1500メートル自由形で銅メダルを獲得。立教大学出身。 | ||
立教大学出身 静岡県出身の立教大学の出身者 全国の立教大学の出身者 |
囲碁・将棋・麻雀
6 | 本因坊秀和 伊豆市 | Wikipedia |
本因坊 秀和(ほんいんぼう しゅうわ、文政3年(1820年) - 明治6年(1873年)7月2日)は、江戸時代の囲碁棋士、本因坊家十四世本因坊秀和。伊豆国出身。幼名は土屋俊平、後に恒太郎、秀和。本因坊丈和門下、八段準名人。法名は日悦。囲碁四哲の一人とされ、当時周囲にも名人の力量を認められていながら、幕末の混乱のために名人就位はならなかった。実子に十五世本因坊秀悦(長男)、十七・十九世本因坊秀栄(次男)、十六・二十世本因坊秀元(三男)。 |
登山家・冒険家・探検家
7 | 依田勉三 松崎町 | Wikipedia |
依田 勉三(よだ べんぞう、嘉永6年5月15日(1853年6月21日) - 大正14年(1925年)12月12日)は日本の北海道開拓者。北海道開墾を目的として結成された「晩成社」を率い帯広市を開拓した。開墾に関わる業績から緑綬褒章を受章している。北海道神宮開拓神社の祭神。 |
作家・小説家・エッセイ・文筆・翻訳家・編集者
8 | 芹沢光治良 沼津市 | Wikipedia |
芹沢 光治良(せりざわ こうじろう、1896年(明治29年)5月4日 - 1993年(平成5年)3月23日)は日本の小説家。静岡県沼津市名誉市民。 晩年には、「文学はもの言わぬ神の意思に言葉を与えることだ」との信念に拠り、"神シリーズ"と呼ばれる、神を題材にした一連の作品で独特な神秘的世界を描いた。 | ||
東京大学出身 静岡県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
9 | 小川良 浜松市 | Wikipedia |
小川 良(おがわ りょう)は、日本の小説家。本名非公開。静岡県浜松市出身。 | ||
10 | 鷹野つぎ | Wikipedia |
鷹野つぎ(たかの つぎ、女性、1890年8月15日 - 1943年3月19日)は、静岡県生まれの小説家。浜松市生まれ。旧姓・岸次。1907年浜松高等女学校卒。遠江新聞記者鷹野弥太郎と結婚。夫が名古屋新聞、報知新聞に移り、名古屋、豊橋、沼津、福島と転々。1917年の時事新報入社で東京に定住。平塚らいてうなど『青鞜』とのつきあいがあり、島崎藤村に師事した。 | ||
11 | 村松梢風 森町 | Wikipedia |
村松 梢風(むらまつ しょうふう、本名:村松 義一(むらまつ ぎいち)、1889年(明治22年)9月21日 - 1961年(昭和36年)2月13日)は、日本の小説家。静岡県周智郡飯田村(現:森町)生まれ。作家村松友視の祖父。 | ||
慶應義塾大学出身 静岡県出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
12 | 片岡敏郎 | Wikipedia |
片岡 敏郎(かたおか としろう、1882年 - 1945年)は、戦前に活躍したコピーライター(当時の呼び名で「アドライター」)である。静岡県出身。 | ||
13 | 三井明子 | Wikipedia |
三井明子(みついあきこ)は、日本のコピーライター。 |
建築家・建築学者・技術者
14 | 置塩章 | Wikipedia |
置塩 章(おしお あきら、 1881年(明治14年)2月6日 - 1968年(昭和43年)10月20日) は、大正から昭和初期に関西で活躍した建築家。公共建築物を多く手がけ、ネオ・ゴシック様式を好んだ。 | ||
東京大学出身 静岡県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
15 | 青山士 磐田市 | Wikipedia |
青山 士(あおやま あきら、1878年9月23日 - 1963年3月21日)は、静岡県磐田市生まれの土木技術者。パナマ運河建設に携わった唯一の日本人であり、荒川放水路の建設、信濃川大河津分水路の改修工事を指揮した。 |
経営者・実業家
16 | 齊藤滋与史 | Wikipedia |
斉藤 滋与史(さいとう しげよし、1918年(大正7年)8月9日 - )は、日本の実業家、政治家。富士市名誉市民。 | ||
17 | 水野成夫 | Wikipedia |
水野 成夫(みずの しげお、1899年11月13日 - 1972年5月4日)は、日本の実業家。フジテレビジョン(現フジ・メディア・ホールディングス)初代社長。元日経連常任理事・経済団体連合会理事・経済同友会幹事。 | ||
18 | 前川喜作 御所市 | Wikipedia |
前川 喜作(まえかわ きさく、1895年 - 1986年)は、日本の実業家。前川製作所創業者。和敬塾創立者。 | ||
早稲田大学出身 静岡県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
19 | 澤田政廣 熱海市 | Wikipedia |
澤田 政廣(さわだ せいこう、1894年8月22日- 1988年5月1日)は、彫刻家。静岡県熱海市生まれ。本名は寅吉。日本彫塑会名誉会長。 | ||
20 | 太田哲三 静岡市 | Wikipedia |
太田 哲三(おおた てつぞう、1889年(明治22年)5月8日 - 1970年(昭和45年)7月4日)は日本の会計学者、公認会計士。一橋大学名誉教授[注釈 1]、元・中央大学教授。商学博士(一橋大学)。監査法人太田哲三事務所(新日本有限責任監査法人の前身)の創設者で、日本公認会計士協会の初代会長。実業界では長浜ゴム工業(のちの三菱樹脂)社長を2年間務め、その後は三菱化成(三菱ケミカルホールディングスの前身)監査役を最晩年まで務めた。従三位・勲二等瑞宝章。 | ||
21 | 齊藤知一郎 | Wikipedia |
斉藤 知一郎(さいとう ちいちろう、明治22年(1889年)3月18日 - 昭和36年(1961年)2月16日)は、日本の実業家。大昭和製紙の創業者。 | ||
22 | 鈴木忠治郎 裾野市 | Wikipedia |
鈴木 忠治郎(すずき ちゅうじろう、1887年(明治20年)5月21日 - 1964年(昭和39年)7月14日)は、大正・昭和期の実業家、発明家。裾野市名誉市民第一号。生涯で470件余の特許を得ており、代表例として1913年(大正2年)の加熱麦圧搾機が挙げられる。全国油糧機器製造協議会会長を務めた。 | ||
23 | 石田禮助 松崎町 | Wikipedia |
石田 礼助(いしだ れいすけ、1886年(明治19年)2月20日 - 1978年(昭和53年)7月27日)は、日本の実業家。 | ||
24 | 石田礼助 松崎町 | Wikipedia |
石田 礼助(いしだ れいすけ、1886年(明治19年)2月20日 - 1978年(昭和53年)7月27日)は、日本の実業家。三井物産代表取締役社長・日本国有鉄道元総裁。本名・石田 禮助(読みは同じ)。 | ||
一橋大学出身 静岡県出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
25 | 河合小市 浜松市 | Wikipedia |
河合 小市(かわい こいち、1886年1月5日 - 1955年10月5日)は昭和の実業家、河合楽器製作所創設者・初代社長。ピアノ製造技師。 | ||
26 | 川上嘉市 浜松市 | Wikipedia |
川上 嘉市(かわかみ かいち、1885年(明治18年)3月1日 - 1964年(昭和39年)4月6日)は、大正・昭和期の日本の実業家。 | ||
27 | 望月軍四郎 富士宮市 | Wikipedia |
望月 軍四郎(もちづき ぐんしろう、1879年(明治12年)8月15日 - 1940年(昭和15年)2月1日)は、日本の実業家、慶應義塾特選塾員、民間支那学研究者。九曜社、横浜倉庫各社長[4][5]。京浜電気鉄道、 錦華紡績、湘南電気鉄道各取締役会長[5]。族籍は東京府平民[6]。 | ||
28 | 吉岡弥生 掛川市 | Wikipedia |
吉岡 彌生(よしおか やよい、1871年4月29日(明治4年3月10日) - 1959年(昭和34年)5月22日)は、日本の教育者、医師。位階は正五位。勲等は勲二等。東京女医学校・東京女子医学専門学校・東京女子医科大学創立者。東京女医学校校長、東京女子医科大学学頭、至誠会会長などを歴任した。旧姓は鷲山(わしやま)。俗に吉岡 弥生(よしおか やよい)とも表記される。 | ||
29 | 鷲山養斎 掛川市 | Wikipedia |
吉岡 彌生(よしおか やよい、1871年4月29日(明治4年3月10日) - 1959年(昭和34年)5月22日)は、日本の教育者、医師。位階は正五位。勲等は勲二等。東京女医学校・東京女子医学専門学校・東京女子医科大学創立者。東京女医学校校長、東京女子医科大学学頭、至誠会会長などを歴任した。旧姓は鷲山(わしやま)。俗に吉岡 弥生(よしおか やよい)とも表記される。 | ||
30 | 海野三次郎 静岡市 | Wikipedia |
海野 三次郎(うみの さんじろう、1866年5月1日(慶応2年3月17日) - 1939年(昭和14年)7月(p61))は駿河国庵原郡出身の実業家。 | ||
31 | 笹野甚四郎 静岡市 | Wikipedia |
笹野 甚四郎(ささの じんしろう、1853年11月3日(嘉永6年10月3日) - 1928年(昭和3年)12月6日)は、日本の資産家[3]、実業家。藤相鉄道社長[4]。共盛銀行頭取[5]。陸海軍御用、旭缶詰製造所・精米所を経営[6]。族籍は静岡県平民[7]。 | ||
32 | 尾崎伊兵衛 静岡市 | Wikipedia |
尾崎伊兵衛(おざき いへえ、弘化4年(1847年)8月15日 - 昭和4年(1926年)7月21日)は、静岡県の実業家。製茶貿易業。 |
その他芸術家
33 | 芹沢けい介 静岡市 | Wikipedia |
芹沢 銈介(芹澤銈介、せりざわ けいすけ、「けい」は金偏に圭、1895年(明治28年)5月13日 - 1984年(昭和59年)4月5日)は、日本の染色工芸家。 |
軍人
34 | 一木清直 森町 | Wikipedia |
一木 清直(いちき きよなお、1892年10月16日 - 1942年8月21日)は、日本の陸軍軍人。陸軍士官学校卒(28期)。 | ||
35 | 木村昌福 | Wikipedia |
木村 昌福(きむら まさとみ、1891年(明治24年)12月6日 - 1960年(昭和35年)2月14日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。静岡県生まれ。 | ||
36 | 松浦永次郎 掛川市 | Wikipedia |
松浦 永次郎(まつうら えいじろう、1889年(明治22年)3月5日 - 1976年(昭和51年)11月8日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。静岡県小笠郡掛川町(現掛川市)出身。 | ||
海軍兵学校出身 静岡県出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
37 | 井出謙治 | Wikipedia |
井出 謙治(いで けんじ、1870年6月7日(明治3年5月9日) - 1946年(昭和21年)10月30日)は、日本の海軍軍人、海軍大将。 | ||
38 | 大築尚志 沼津市 | Wikipedia |
大築 尚志(おおつき たかゆき、1835年12月24日(天保6年11月5日) - 1900年(明治33年)6月12日)は、日本の陸軍軍人、陸軍中将。幼名、保太郎(やすたろう)。 |
公務員
39 | 栗山茂 | Wikipedia |
栗山 茂(くりやま しげる 1886年10月6日 - 1971年2月3日)は、日本の元最高裁判所判事(任期は1947年8月4日 - 1956年10月5日)、外交官(駐ベルギー大使等)。 | ||
東京大学出身 静岡県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
学者・教授・准教授
40 | 高柳健次郎 | Wikipedia |
高柳 健次郎(たかやなぎ けんじろう、1899年1月20日 - 1990年7月23日)は、日本の工学者、日本ビクター元副社長・技術最高顧問。静岡大学名誉教授。日本のテレビの父と呼ばれる。 | ||
東京工業大学出身 静岡県出身の東京工業大学の出身者 全国の東京工業大学の出身者 | ||
41 | 渋沢敬三 沼津市 | Wikipedia |
渋沢 敬三(しぶさわ けいぞう、正字体:澁澤 敬三、1896年(明治29年)8月25日 - 1963年(昭和38年)10月25日)は、日本の財界人、民俗学者、第16代日本銀行総裁、大蔵大臣(幣原内閣)。祖父渋沢栄一の子爵位を継いだ。 | ||
42 | 河野多麻 浜松市 | Wikipedia |
河野 多麻(こうの たま、1895年10月 - 1985年1月24日)は、日本の国文学者。河野与一の妻。 | ||
43 | 高田敏子 三島市 | Wikipedia |
高田 敏子(たかだ としこ、1892年4月10日 - 1974年4月1日)は日本の女子教育及び英語教育を先駆的に推進した教育者。静岡県田方郡三島町(現在の三島市)出身。名前の表記は「敏」の例もあるが、戸籍上の表記は「敏子」。高田常三郎と常子の娘として生れる。大正から昭和初期に「高田女塾」、「高田女学校」を、戦後は「日本キリスト会川崎教会・高田英語学園」を設立して、女性や子供の英語教育に終生献身した。姉の坂本真琴は大正・昭和期に日本の婦人参政権運動に尽力した事で知られる。 | ||
カリフォルニア大学出身 静岡県出身のカリフォルニア大学の出身者 全国のカリフォルニア大学の出身者 | ||
44 | 龍粛 浜松市 | Wikipedia |
龍 粛(りょう すすむ、1890年4月29日 - 1964年2月25日)は、大正・昭和期の歴史学者。専攻は中世史。元東京大学史料編纂所長。萩野由之は舅に当たる。 | ||
東京大学出身 静岡県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
45 | 井口鹿象 | Wikipedia |
井口 鹿象(いぐち しかぞう、1887年 - 1956年3月13日)は日本の工学者、官僚。工学博士(東京帝国大学)。室蘭工業大学初代学長。北海道大学・室蘭工業大学名誉教授。専門は、水工学・河川工学。 | ||
46 | 佐々木邦 沼津市 | Wikipedia |
佐々木 邦(ささき くに、1883年(明治16年)5月4日 - 1964年(昭和39年)9月22日) は日本の作家、英文学者。弟・順三は立教大学総長。 | ||
47 | 石原忍 河津町 | Wikipedia |
石原 忍(いしはら しのぶ、1879年9月25日 - 1963年1月3日)は、日本の医学者、眼科医、陸軍軍人(最終階級は軍医少将)。東京帝国大学教授。東京府生まれ。石原式色覚異常検査表視力検査表の考案者。視力、色覚、屈折異常など、機能検査表の研究をはじめ、先天性全色盲の発見、この分野の先駆者となった。最初の色神検査表は1929年の第13回国際眼科学会で国際的に認定された。 | ||
48 | 松下大三郎 磐田市 | Wikipedia |
松下 大三郎(まつした だいざぶろう、1878年10月24日 - 1935年5月2日)は、日本の文法学者。曲水と号した。 | ||
49 | 近藤平三郎 松崎町 | Wikipedia |
近藤 平三郎(こんどう へいざぶろう、1877年12月11日 - 1963年11月17日)は、日本の薬学者、薬化学者。薬学博士。 | ||
50 | 新村出 静岡市 | Wikipedia |
新村 出(しんむら いずる、1876年(明治9年)10月4日 - 1967年(昭和42年)8月17日)は、日本の言語学者、文献学者。京都大学教授・名誉教授で、ソシュールの言語学の受容やキリシタン語の資料研究などを行った日本人の草分けである。 | ||
東京大学出身 静岡県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
51 | 鈴木梅太郎 牧之原市 | Wikipedia |
鈴木 梅太郎(すずき うめたろう、1874年4月7日 - 1943年9月20日)は、戦前の日本の農芸化学者。米糠を脚気の予防に使えることを発見した事で有名。勲等は勲一等瑞宝章。東京帝国大学名誉教授、理化学研究所設立者。帝国学士院会員。文化勲章受章者。 | ||
東京大学出身 静岡県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
52 | 佐野善作 富士市 | Wikipedia |
佐野 善作(さの ぜんさく、1873年8月29日 - 1952年5月1日)は、日本の会計学者、経済学者、教育家。商業教育に大きな功績があるとして、1952年に勲一等瑞宝章を受章した。長男は哲学者の佐野一彦。 | ||
53 | 松本亀次郎 掛川市 | Wikipedia |
松本 龜次郎(まつもと かめじろう、1866年4月3日(慶応2年2月18日)- 1945年9月12日)は、日本の教育者、日本語教師、国語学者。北京大学教授、東亜高等予備校教頭などを歴任した。 | ||
東京高等師範学校出身 静岡県出身の東京高等師範学校の出身者 全国の東京高等師範学校の出身者 | ||
54 | 石川倉次 | Wikipedia |
石川 倉次(いしかわ くらじ、1859年2月28日(安政6年1月26日) - 1944年(昭和19年)12月23日)は、日本の教諭。静岡県浜松市中区鹿谷町で生まれる。父は、浜松藩士。 | ||
55 | 宇野朗 三島市 | Wikipedia |
宇野 朗(うの ほがら、1850年11月28日(嘉永3年10月5日) - 1928年(昭和3年)11月20日)は、東京大学医学部付属病院初代外科学教授、元同病院長。東京大学名誉教授第1号。伊豆国三島伝馬町(現静岡県三島市)生まれ。 | ||
56 | 土屋三余 松崎町 | Wikipedia |
土屋 三余(つちや さんよ、1815年(文化12年) - 1866年(慶応2年)は、江戸時代後期の漢学者、教育者、旧中川村(現・松崎町)の3聖人の一人。 |
研究者・研究家・発明家
57 | 間宮精一 伊豆の国市 | Wikipedia |
間宮 精一(まみや せいいち、1899年(明治32年)1月17日 - 1989年(昭和64年)1月6日)は日本の発明家、カメラ設計者で、マミヤ光機製作所(後マミヤ光機株式会社を経て現マミヤ・オーピー)の創業者。 | ||
58 | 豊田佐吉 湖西市 | Wikipedia |
豊田 佐吉(とよだ さきち、1867年3月19日(慶応3年2月14日) - 1930年(昭和5年)10月30日)は、日本の発明家、実業家。豊田式木鉄混製力織機(豊田式汽力織機)、無停止杼換式自動織機(G型自動織機)をはじめとして、生涯で発明特許84件、外国特許13件、実用新案35件の発明をした。 | ||
59 | 杉山彦三郎 静岡市 | Wikipedia |
杉山 彦三郎(すぎやま ひこさぶろう、安政4年7月5日(1857年8月24日) - 昭和16年(1941年)2月7日))は、農業経営者であり、お茶(茶樹)の研究家。駿河国有渡郡中吉田村(現・静岡県静岡市駿河区国吉田)出身。 |
画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家
60 | 山口源 沼津市 | Wikipedia |
山口 源(やまぐち げん、1896年10月23日 - 1976年7月15日)は、静岡県出身の版画家、装丁家。本名は山口源吾(やまぐち げんご)。流木などを用いた抽象版画が多く、恩地孝四郎とともに抽象木版画の先駆者となった。 | ||
61 | 中村岳陵 下田市 | Wikipedia |
中村 岳陵(なかむら がくりょう、1890年3月10日 - 1969年11月20日)は、日本画家。静岡県下田市生まれ。本名は恒吉。 | ||
62 | 高塚竹堂 | Wikipedia |
高塚 竹堂(たかつか ちくどう、本名・高塚 錠二(たかつか じょうじ)、1889年5月23日 - 1968年3月30日)は、日本の書家。かな書道の大家。 | ||
63 | 川村驥山 袋井市 | Wikipedia |
川村 驥山(かわむら きざん、1882年5月20日 - 1969年4月6日)は、日本の書家。日本芸術院会員。本名は川村慎一郎、別号に酔仏居士、酔驥、長嘯庵主人などがある。 | ||
64 | 土屋光逸 浜松市 | Wikipedia |
土屋 光逸(つちや こういつ、明治3年8月28日〈1870年9月23日〉 - 昭和24年〈1949年〉11月13日)は、明治時代から昭和時代にかけての浮世絵師、版画家。 | ||
65 | 杉浦俊香 | Wikipedia |
杉浦 俊香(すぎうら しゅんこう、1844年6月22日(天保15年5月7日) - 1931年(昭和6年)6月8日)は、静岡県安倍郡静岡東草深町(現在の静岡県静岡市葵区)出身、戦前の日本の美術家、日本画家、哲学者。壮年期は日光及び高野山に籠り技を研磨し、支那に遊び台湾に渡り技を磨いた。60歳にして摂津国剣尾山(けんぴさん、現在の大阪府豊能郡能勢町)の人跡絶し山頂に籠居し3年間の修養を積み、独自の日本画を創出し雅号を俊香と称す。生涯を通じての作品は一般の画家に較べ遥かに少なく、溌墨画及び雪影は独自の画風である。近代日本画壇はもとより、前後五回、欧米に渡り日本画の紹介行脚を行い海外にも日本画を紹介した。1913年(大正2年)、仏蘭西政府よりオフィシエ・ド・アカデミー勲章、外国人に贈られる最高章を授章、同時にルーヴル美術館より遺作《遠浦帰帆》の展示を約束された。 | ||
66 | 鈴木真一 松崎町 | Wikipedia |
鈴木 真一(すずき しんいち)は、幕末・明治時代の写真家(1835年 – 1918年)。弟子の岡田圭三(1859-1912)に2代目鈴木真一の名前を継がせた後は鈴木真と名乗っている。 | ||
67 | 下岡蓮杖 下田市 | Wikipedia |
下岡 蓮杖(しもおか れんじょう、文政6年2月12日(1823年3月24日) - 1914年3月3日)は、日本の写真家(写真師)、画家。「蓮杖」は号で、通称は久之助。横浜を中心に活躍、上野彦馬や鵜飼玉川らと並び、日本最初期の写真家である。 |
政治家・議員・首長
68 | 佐藤胖 小山町 | Wikipedia |
佐藤 胖(さとう ゆたか、1896年(明治29年)1月31日 - 没年不明)は、日本の会社役員、一級建築士。三井建設の常務。科学技術庁長官、内閣官房長官等を歴任した衆議院議員中川秀直の実父。衆議院議員中川俊直の祖父。 | ||
69 | 高瀬荘太郎 富士宮市 | Wikipedia |
高瀬 荘太郎(たかせ そうたろう、旧字体:髙瀨莊太郎 1892年3月9日 - 1966年9月4日)は、日本の会計学者、政治家。正三位勲一等瑞宝章。 | ||
70 | 鈴木道雄 浜松市 | Wikipedia |
鈴木 道雄(すずき みちお、1887年2月18日 - 1982年10月27日)は、日本の技術者、実業家、政治家。勲等は勲二等。 | ||
71 | 太田正孝 | Wikipedia |
太田 正孝(おおた まさたか、1886年11月13日 - 1982年7月10日)は静岡県出身の大蔵官僚、政治家。衆議院議員選挙に7回、参議院議員選挙に1回当選した。 | ||
東京大学出身 静岡県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
72 | 6代目鈴木與平 静岡市 | Wikipedia |
鈴木 與平(すずき よへい、1883年2月5日 - 1940年5月2日)は、明治から昭和にかけての日本の実業家、政治家。鈴与創業者。清水市会議長、静岡県会議長、貴族院多額納税者議員等を歴任した。旧名山崎通太郎。静岡県静岡市の名誉市民。 | ||
73 | 河井彌八 | Wikipedia |
河井 彌八(かわい やはち、1877年10月24日-1960年7月21日)は、日本の官僚・政治家。侍従次長や第4代参議院議長を歴任する。静岡県出身。 | ||
東京大学出身 静岡県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
74 | 清崟太郎 富士宮市 | Wikipedia |
清 崟太郎(せい きんたろう、1874年(明治7年)3月3日 - 1921年(大正10年)5月29日)は、衆議院議員(立憲政友会)。 | ||
75 | 鷲山恭平 掛川市 | Wikipedia |
鷲山 恭平(わしやま きょうへい、1872年11月24日 - 1957年2月15日)は、日本の篤農家、実業家、政治家。 | ||
76 | 仁田大八郎 函南町 | Wikipedia |
仁田 大八郎(にった だいはちろう 、1871年11月19日(明治4年10月7日) - 1945年(昭和20年)3月1日)は、明治から昭和時代前期の静岡県田方郡で活躍した実業家、政治家。 | ||
77 | 尾崎元次郎 静岡市 | Wikipedia |
尾崎 元次郎(おざき もとじろう、1870年10月5日(明治3年9月11日) - 1945年(昭和20年)1月9日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員、貴族院議員。 | ||
78 | 米山梅吉 長泉町 | Wikipedia |
米山 梅吉(よねやま うめきち、慶応4年2月4日(1868年2月26日) - 昭和21年(1946年)4月28日)は、明治〜昭和時代前期の銀行家、貴族院勅選議員。旧三井銀行の経営中枢に携わり、また、日本にロータリークラブを初めて設立した人物でもある。 | ||
79 | 岡田良平 掛川市 | Wikipedia |
岡田 良平(おかだ りょうへい、1864年6月7日(元治元年5月4日) - 1934年(昭和9年)3月23日)は明治時代から昭和初期にかけての日本の文部官僚、政治家。号は恭堂。 | ||
80 | 小林勝民 藤枝市 | Wikipedia |
小林 勝民(こばやし かつたみ、文久2年4月5日(1862年5月3日) – 昭和18年(1943年)7月7日)は、日本の衆議院議員(立憲国民党→立憲同志会→憲政会)。ジャーナリスト。弁護士。 | ||
81 | 鈴木藤三郎 森町 | Wikipedia |
鈴木 藤三郎(すずき とうざぶろう、1855年12月26日(安政2年11月18日) - 1913年(大正2年)9月4日)は、日本の発明家・実業家・政治家(衆議院議員)。「日本製糖業の父」といわれる。 | ||
82 | 岡山兼吉 掛川市 | Wikipedia |
岡山 兼吉(おかやま けんきち、1854年7月31日(嘉永7年7月7日) - 1894年(明治27年)5月28日)は、明治時代の弁護士、衆議院議員(当選1回)。東京専門学校(早稲田大学の前身)および英吉利法律学校(中央大学の前身)の創設に参画したことでも知られる。号は梧堂。 | ||
83 | 西園寺公望 静岡市 | Wikipedia |
西園寺 公望(さいおんじ きんもち、嘉永2年10月23日(1849年12月7日) - 昭和15年(1940年)11月24日)は、日本の公家、政治家、教育者。位階・勲等・爵位は従一位大勲位公爵。雅号は陶庵、不読、竹軒[注釈 2]。 | ||
84 | 依田佐二平 松崎町 | Wikipedia |
依田 佐二平(よだ さじべい、1846年3月7日(弘化3年2月10日) - 1924年(大正13年)10月15日)は、明治・大正期の実業家、政治家、教育家で、旧中川村(現・松崎町)の3聖人の一人。 | ||
85 | 金原明善 浜松市 | Wikipedia |
金原 明善(きんぱら めいぜん、天保3年6月7日(1832年7月4日) - 大正12年(1923年)1月14日)は、明治時代の実業家。静岡県浜名郡和田村村長。天竜川の治水事業・北海道の開拓・植林事業など近代日本の発展に活躍した。 |
評論家
86 | 渡辺茂雄 | Wikipedia |
渡辺 茂雄(わたなべ しげお、1893年 - 1973年)は、日本の編集者、評論家。 |
俳人・歌人・詩人
87 | 中村真一郎 森町 | Wikipedia |
中村 真一郎(なかむら しんいちろう、1918年(大正7年)3月5日 - 1997年(平成9年)12月25日)は、日本の小説家・文芸評論家・詩人。なお旧字体の「眞一郎」名義での出版もある。 | ||
88 | 勝田香月 沼津市 | Wikipedia |
勝田 香月(かつた こうげつ、1899年3月12日 - 1966年11月5日)は、静岡県沼津市出身の詩人・政治家である。有名な作品としては杉山長谷夫により曲がつけられた「出船」があげられる。1899年沼津市に生まれ、わずか23歳で詩集「心のほころび」を出版する。29歳で東京市中野町(現東京都中野区)の町議員に当選する。沼津市港口公園には「出船」の歌碑がある。 | ||
89 | 加藤まさを 藤枝市 | Wikipedia |
加藤 まさを(かとう まさを、1897年4月10日 - 1977年11月1日)は、日本の画家。詩人。本名は正男。静岡県藤枝市出身。立教大学英文科中退。 | ||
90 | 海野厚 静岡市 | Wikipedia |
海野 厚(うんの あつし、1896年8月12日 - 1925年5月20日)は、童謡作家、俳人。本名は厚一(こういち)。俳号は長頸子(ちょうけいし)。 | ||
早稲田大学出身 静岡県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
91 | 若山牧水 沼津市 | Wikipedia |
若山 牧水(わかやま ぼくすい、1885年(明治18年)8月24日 - 1928年(昭和3年)9月17日)は、戦前日本の歌人。本名・繁(しげる)。 | ||
92 | 木下杢太郎 伊東市 | Wikipedia |
木下 杢太郎(きのした もくたろう、1885年(明治18年)8月1日 - 1945年(昭和20年)10月15日。本名:太田正雄)は、詩人、劇作家、翻訳家、美術史・切支丹史研究家、皮膚科の医学者。大学医学部の教授を歴任し、また、南蛮情緒的、切支丹趣味、耽美享楽的など言われるきらびやかな詩や戯曲を残した。堀花村(ほりかそん)、地下一尺生、葱南(そうなん)、などの筆名も用いた。 | ||
93 | 加藤雪腸 牧之原市 | Wikipedia |
加藤 雪腸(かとう せっちょう、1875年(明治8年)1月2日 - 1932年(昭和7年)11月24日)は、静岡県出身の日本の俳人。別号に清白之舎、千里坊など。本名は孫平。 | ||
94 | 角田浩々歌客 富士宮市 | Wikipedia |
角田 浩々歌客(かくだ こうこうかきゃく、明治2年9月16日(1869年10月20日) - 大正5年(1916年)3月16日)は、明治時代の詩人、北欧文学者、文芸評論家、新聞記者。本名:角田勤一郎。大阪の論壇・文壇で重きを成して世論形成に大きな力を持ち、東の坪内逍遥と並び称された。 |
その他の職業
95 | 芹沢銈介 静岡市 | Wikipedia |
芹沢 銈介(芹澤銈介、せりざわ けいすけ、「けい」は金偏に圭、1895年(明治28年)5月13日 - 1984年(昭和59年)4月5日)は、日本の染色工芸家。 | ||
96 | 児玉九十 三島市 | Wikipedia |
児玉 九十(こだま くじゅう、1888年(明治21年)11月15日 - 1989年(平成元年)12月15日)は、日本の教育者。学校法人明星学苑創立者。 | ||
97 | 生田信 川根本町 | Wikipedia |
生田信(いくた のぶ、1885年 - 1950年)は、明治末期の測量助手。 | ||
98 | 小川三知 静岡市 | Wikipedia |
小川 三知(おがわ さんち、1867年7月1日(慶応3年5月29日)- 1928年(昭和3年)10月24日)は大正から昭和初めに活躍したステンドグラスの工芸家。 | ||
99 | 小川清助 下田市 | Wikipedia |
小川 清助(おがわ せいすけ、1832年 - 1880年)は、幕末から明治初期にかけて伊豆南部で活躍した石工である。その作品は現在、伊豆半島南端に近い静岡県下田市域で二十数点が確認されている。 | ||
100 | 清水次郎長 静岡市 | Wikipedia |
清水 次郎長(しみずの じろちょう、文政3年1月1日(1820年2月14日) - 明治26年(1893年)6月12日)は、幕末・明治の侠客、博徒。本名、山本 長五郎(やまもと ちょうごろう)。米問屋山本次郎八の養子。養家没落に伴い、博徒となり,やくざ仲間で名をあげて清水に縄張りをもち, | ||
101 | 山田長政 静岡市 | Wikipedia |
山田 長政(やまだ ながまさ、天正18年(1590年)頃 - 寛永7年(1630年))は、江戸時代前期にシャム(現在のタイ)の日本人町を中心に東南アジアで活躍した人物。通称は仁左衛門(にざえもん)。 |