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このサイトに登録されている「滋賀県出身で18年生まれ」の有名人の数:113人
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宝塚・女優・俳優・声優・ナレーター・歌舞伎・能楽・狂言
1 | 志賀廼家淡海 大津市 | Wikipedia |
志賀廼家 淡海(しがのや たんかい、1883年(明治16年)12月13日 - 1956年(昭和31年)10月15日)は、劇団一座を結成、後に喜劇に転じた。「淡海節」は一世を風靡した。 | ||
2 | 横山運平 彦根市 | Wikipedia |
横山 運平(よこやま うんぺい、1881年1月1日 - 1967年4月3日)は、日本の俳優。滋賀県犬上郡彦根町(現在の同県彦根市)出身。日本初の劇映画に出演し、日本の俳優第1号として知られる。本名は横山 弥太郎(よこやま やたろう)。 |
モデル・アイドル・タレント・アナウンサー
3 | 都家文雄 野洲市 | Wikipedia |
都家 文雄(みやこや ふみお、1893年3月1日 - 1971年5月4日)は大正・昭和期の漫才師。本名・苗村 正次。 |
演奏家・作詞家・作曲家・ミュージシャン
4 | 久野久 大津市 | Wikipedia |
久野 久(くの ひさ、1886年 - 1925年4月20日)は、滋賀県膳所町(現・大津市)馬場(ばんば)出身の日本初のピアニストである。「久子」と表記されることもある。 | ||
東京芸術大学出身 滋賀県出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 |
舞台・演劇・映画・ドラマ・脚本・プロデューサー・ディレクター
5 | 澤田正二郎 大津市 | Wikipedia |
澤田 正二郞(さわだ しょうじろう、新字体:沢田 正二郎、1892年(明治25年)5月27日 - 1929年(昭和4年)3月4日)は、大正から昭和初期に活躍した大衆演劇の人気役者。劇団新国劇を創設して座長をつとめ、澤正(さわしょう)と呼ばれて広く親しまれた。 | ||
早稲田大学出身 滋賀県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
6 | 沢田正二郎 大津市 | Wikipedia |
澤田 正二郞(さわだ しょうじろう、新字体:沢田 正二郎、1892年(明治25年)5月27日 - 1929年(昭和4年)3月4日)は、大正から昭和初期に活躍した大衆演劇の人気役者。劇団新国劇を創設して座長をつとめ、澤正(さわしょう)と呼ばれて広く親しまれた。 |
ジャーナリスト
7 | 山岡景命 大津市 | Wikipedia |
山岡 景命(やまおか かげのぶ、弘化2年(1845年) - 大正12年(1923年)9月15日)は、滋賀県最初の新聞『滋賀新聞』創刊者の一人。 |
格闘技
8 | 伊吹山末吉 近江八幡市 | Wikipedia |
伊吹山末吉(いぶきやますえきち、1895年1月3日-1930年1月16日)は、入間川部屋、出羽海部屋に所属した元力士。8代藤島。本名は坂本末吉。現在の滋賀県近江八幡市出身。189cm、116kg。最高位は西前頭11枚目。 | ||
9 | 大鳴門灘右エ門(3代) 草津市 | Wikipedia |
大鳴門灘右エ門(おおなるとなだえもん、1887年10月5日-1942年7月12日)は、現在の滋賀県草津市出身の大相撲力士。八角部屋、雷部屋に所属。最高位は西関脇。3代八角。本名は川合文治郎。178cm、103kg。 | ||
10 | 近江冨士初太郎 彦根市 | Wikipedia |
近江冨士 初太郎(おうみふじ はつたろう、1881年2月2日-1940年10月30日)は、枝川部屋、出羽海部屋に所属した元力士。本名は徳田 初次郎(とくだ はつじろう)。現在の滋賀県彦根市出身。身長173cm、体重90kg。最高位は西小結。得意技は右四つ、下手投げ。 | ||
11 | 山田藤吉 大津市 | Wikipedia |
山田 藤吉(やまだ とうきち、嘉永元年(1848年) - 慶応3年11月16日(1867年12月11日))は、日本の元力士。四股名は雲井龍。 |
作家・小説家・エッセイ・文筆・翻訳家・編集者
12 | 甲賀三郎 日野町 | Wikipedia |
甲賀 三郎(こうが さぶろう、1893年(明治26年)10月5日 - 1945年(昭和20年)2月14日)は、小説家・作家・推理作家、戯曲作家。本名は春田 能為(はるた よしため)。 | ||
13 | 黒田湖山 甲賀市 | Wikipedia |
黒田 湖山(くろだ こざん、1878年(明治11年)5月25日 - 1926年(大正15年)2月18日)は、日本の小説家、記者。本名は直道。滋賀県甲賀郡水口町(現:甲賀市)生まれ。 |
弁護士
14 | 増島六一郎 彦根市 | Wikipedia |
増島 六一郎(ますじま ろくいちろう、1857年(安政4年) - 1948年(昭和23年)は、現在の滋賀県彦根市生まれの弁護士。父が61歳のときの子供であったため六一郎と命名された。 | ||
東京大学出身 滋賀県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
建築家・建築学者・技術者
15 | 長谷川輝雄 | Wikipedia |
長谷川 輝雄(はせがわ てるお、1896年 - 1926年5月15日)は日本の建築史家。「四天王寺建築論」等を著したが早世した。 | ||
16 | 高橋貞太郎 彦根市 | Wikipedia |
高橋 貞太郎(たかはし ていたろう、1892年6月26日 - 1970年10月1日)は大正・昭和期に活躍した日本の建築家。前田侯爵邸や服部邸など豪華な邸宅建築のほか、上高地ホテル、川奈ホテルなどホテル建築に秀作が多い。 | ||
東京大学出身 滋賀県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
17 | ウィリアム・メレル・ヴォーリズ 近江八幡市 | Wikipedia |
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(William Merrell Vories、1880年10月28日 - 1964年5月7日)は、アメリカ合衆国に生まれ、日本で数多くの西洋建築を手懸けた建築家、社会事業家、信徒伝道者。 |
経営者・実業家
18 | 安居喜造 彦根市 | Wikipedia |
安居 喜造(やすい きぞう、1899年12月2日 - 1983年9月30日)は、日本の実業家。東レ会長、経団連副会長、日本化学繊維協会会長等を務めた。また日本国有鉄道監査委員会委員長を務め、国鉄再建のため尽力した。1979年勲一等瑞宝章受章。 | ||
19 | 山岡孫吉 長浜市 | Wikipedia |
山岡 孫吉(やまおか まごきち、1888年(明治21年)3月22日 - 1962年(昭和37年)3月8日)は、世界初の小型ディーゼルエンジンを開発したヤンマー(現・ヤンマーホールディングス)創業者。 | ||
20 | 伊藤忠兵衛 (二代) 豊郷町 | Wikipedia |
二代目 伊藤 忠兵衛(にだいめ いとう ちゅうべえ、1886年(明治19年)6月12日 - 1973年(昭和48年)5月29日)は、日本の実業家。伊藤忠財閥の2代目当主である。従三位勲一等瑞宝章。幼名は精一(せいいち)。 | ||
21 | 2代目伊藤忠兵衛 豊郷町 | Wikipedia |
二代目 伊藤 忠兵衛(にだいめ いとう ちゅうべえ、1886年(明治19年)6月12日 - 1973年(昭和48年)5月29日)は、日本の実業家。伊藤忠財閥の2代目当主である。従三位勲一等瑞宝章。幼名は精一(せいいち)。 | ||
22 | 南新助 草津市 | Wikipedia |
南 新助(みなみ しんすけ、1885年(明治18年) - 1972年(昭和47年))は、日本最初の旅行会社の創業者。日本の団体旅行、企画旅行の草分け。 | ||
23 | 村上義一 長浜市 | Wikipedia |
村上 義一(むらかみ ぎいち、1885年(明治18年)11月10日 - 1974年(昭和49年)1月20日)は、官僚、政治家、実業家。日本通運や近畿日本鉄道の社長、日本民営鉄道協会顧問、日本交通公社会長などを務めた。 | ||
東京大学出身 滋賀県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
24 | 古川鉄治郎 豊郷町 | Wikipedia |
古川 鉄治郎(ふるかわ てつじろう、1878年2月12日 - 1940年1月19日)は、日本の実業家、丸紅商店(後の丸紅の前身)専務取締役などを歴任した。また、出身地である豊郷村(後の豊郷町)に、ヴォーリズ建築事務所の設計による、当時としては画期的な近代的校舎を擁する豊郷村小学校(豊郷町立豊郷小学校の前身)を寄付したことでも知られている。 | ||
25 | 弘世助太郎 彦根市 | Wikipedia |
弘世 助太郎(ひろせ すけたろう、明治4年12月9日 (旧暦)(1871年1月18日) - 1936年(昭和11年)3月9日)は実業家。日本生命三代目社長で「中興の祖」とされる。弘世現は娘婿。 | ||
26 | 西川貞二郎 近江八幡市 | Wikipedia |
西川 貞二郎(にしかわ ていじろう、1858年5月31日(安政5年4月19日)-1924年(大正15年)3月9日))は、明治期の起業家・近江商人。西川傳右衛門家の10代目、諱は昌一。カニ缶を初めて商品化、八幡銀行(後の滋賀銀行の一部)・帝国水産等を創業した。 | ||
27 | 阿部周吉 甲賀市 | Wikipedia |
阿部 周吉(あべ しゅうきち、1853年 - 1927年)は幕末から明治・大正期の滋賀県の実業家。 | ||
28 | 鹿島秀麿 甲賀市 | Wikipedia |
鹿島 秀麿(かしま ひでまろ、1852年10月10日(嘉永5年8月27日) - 1932年(昭和7年)3月27日)は、日本の武士(徳島藩士)、明治期の政治家、ジャーナリスト、実業家。勲四等旭日小綬章。 | ||
慶應義塾大学出身 滋賀県出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
29 | 伊庭貞剛 近江八幡市 | Wikipedia |
伊庭 貞剛(いば ていごう、1847年2月19日(弘化4年1月5日) - 1926年(大正15年)10月22日)は、近江国出身の明治時代の実業家、第二代住友総理事である。 | ||
30 | 西澤真蔵 愛荘町 | Wikipedia |
西澤真蔵(にしざわしんぞう、1844年 -1897年)は、日本の実業家。麻布の行商から財をなし、愛知県の枝下用水(しだれようすい)の開削事業に私財を投じ、この事業を完成させた。 | ||
31 | 6代目伊藤長兵衛 豊郷町 | Wikipedia |
六代目伊藤 長兵衛(いとう ちょうべえ、1833年 - 1894年)は、日本の実業家。初代伊藤忠兵衛は弟にあたる。 | ||
32 | 薩摩治兵衛 豊郷町 | Wikipedia |
薩摩 治兵衛(さつま じへえ、天保2年(1831年) - 明治42年(1909年2月22日)は、日本の実業家。極貧から身を立てて木綿織物などを扱う近江商人となり外国商船とも幅広く取り引きをして、一代で巨富を築き木綿王といわれた。 |
医師・看護師
33 | 周防正季 草津市 | Wikipedia |
周防 正季(すおう まさすえ、1885年10月8日 - 1942年6月20日)は、日本人医師、朝鮮総督府らい療養所小鹿島更生園園長。当時世界最大規模の療養所を作り上げたが、強制隔離政策、患者待遇悪化、植民地支配に対する反感などがあり、患者に刺殺された。 |
軍人
34 | 磯村武亮 | Wikipedia |
磯村 武亮(いそむら たけすけ、1898年(明治31年)1月15日 - 1945年(昭和20年)8月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
35 | 大谷敬二郎 | Wikipedia |
大谷 敬二郎(おおたに けいじろう、1897年9月7日 - 1976年12月9日)は、日本の陸軍軍人、憲兵。最終階級は憲兵大佐。 | ||
36 | 上阪香苗 大津市 | Wikipedia |
上阪 香苗(こうさか かなえ、1892年(明治25年)10月8日 - 1974年(昭和49年)12月10日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。滋賀県大津市出身。 | ||
37 | 武田馨 | Wikipedia |
武田 馨(たけだ かおる、1892年(明治25年)2月22日 - 1959年(昭和34年)9月16日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
38 | 菅晴次 | Wikipedia |
菅 晴次(かん はるじ、明治24年(1891年)2月28日 - 昭和60年(1985年)4月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
39 | 山内正文 | Wikipedia |
山内 正文(やまうち まさふみ、1891年10月8日 - 1944年8月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。旧姓・秋山。 | ||
40 | 北野憲造 | Wikipedia |
北野 憲造(きたの けんぞう、1889年(明治22年)8月24日 - 1960年(昭和35年)7月25日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
41 | 草場辰巳 | Wikipedia |
草場 辰巳(くさば たつみ、1888年1月2日 - 1946年9月20日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
42 | 喜多誠一 | Wikipedia |
喜多 誠一(きた せいいち、1886年(明治19年)12月20日 - 1947年(昭和22年)8月7日)は、昭和期の日本の陸軍軍人。階級は陸軍大将正三位勲一等功四級に至る。 | ||
43 | 久村種樹 | Wikipedia |
久村 種樹(ひさむら たねき、1882年4月16日 - 1967年4月26日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 | ||
44 | 磯村年 | Wikipedia |
磯村 年(いそむら とし、1872年11月1日(明治5年9月30日) - 1961年(昭和36年)9月12日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。 |
官僚
45 | 中田邦造 甲賀市 | Wikipedia |
中田 邦造(なかた くにぞう、1897年6月1日-1956年11月15日)は、昭和期の司書。石川県立図書館や東京都立日比谷図書館の館長を歴任して日本の図書館運動に大きな影響を与えた。号は自邦居士あるいは空人生。 | ||
46 | 岡田信 守山市 | Wikipedia |
岡田 信(おかだ まこと(通称:おかだ しん)、1885年(明治18年)3月10日 - 1946年(昭和21年)8月15日)は、日本の大正・昭和期における大蔵省官僚・銀行家。大蔵省官僚としては主に特殊銀行・植民地金融を担当した。滋賀県出身。 | ||
東京大学出身 滋賀県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
47 | 大海原重義 彦根市 | Wikipedia |
大海原 重義(おおみはら しげよし、1882年(明治15年)11月8日 - 1940年(昭和15年)11月21日)は、日本の内務官僚。府県知事。 |
公務員
48 | 田部芳 彦根市 | Wikipedia |
田部 芳(たなべ かおる、1860年11月1日(万延元年9月19日) - 1936年(昭和11年)11月18日)は明治〜昭和期の法曹家、大審院検事・大審院部長判事等を歴任し商法起草委員として新商法成立に尽くした。滋賀県出身者として司法省法学校同期の河村譲三郎と共に最初の法学博士(博士登録番号22番)。 |
学者・教授・准教授
49 | 皇至道 東近江市 | Wikipedia |
皇 至道(すめらぎ しどう、1899年(明治32年)6月19日 - 1988年(昭和63年)9月27日)は滋賀県出身の教育学者。長年にわたり、多くの教育者、教育学者を育成した。1973年(昭和48年)に勲二等瑞宝章を受章。 | ||
50 | 小牧実繁 大津市 | Wikipedia |
小牧 実繁(こまき さねしげ、1898年(明治31年)10月28日 - 1990年(平成2年)2月18日)は、地理学者、京都帝国大学教授、滋賀大学学長等を歴任。滋賀県出身者として最初の文学博士(博士登録番号333番)。 | ||
51 | 小牧實繁 大津市 | Wikipedia |
小牧 実繁(こまき さねしげ、1898年(明治31年)10月28日 - 1990年(平成2年)2月18日)は、地理学者、京都帝国大学教授、滋賀大学学長等を歴任。滋賀県出身者として最初の文学博士(博士登録番号333番)。 | ||
52 | 北村春吉 野洲市 | Wikipedia |
北村 春吉(きたむら はるきち、旧姓:藤井、1897年3月1日[3] - 1996年12月19日[3])は、滋賀県野洲市出身の数学者、旧制専門学校校長、予備校講師、サッカー選手。 | ||
東京教育大学出身 滋賀県出身の東京教育大学の出身者 全国の東京教育大学の出身者 | ||
53 | 川崎俊一 栗東市 | Wikipedia |
川崎 俊一(かわさき しゅんいち、1896年(明治29年)1月24日 - 1943年(昭和18年)1月19日)は、日本の大正から昭和期における地球物理学者。 | ||
54 | 森耕二郎 甲賀市 | Wikipedia |
森 耕次郎(もり こうじろう、1895年(明治28年)2月23日 - 1962年(昭和37年)1月28日は、日本の大正から昭和期における経済学者、九州帝国大学教授。滋賀県出身者として最初の経済学博士(博士登録番号64番)。 | ||
55 | 野津龍三郎 彦根市 | Wikipedia |
野津 龍三郎(のづ りゅうざぶろう、1892年(明治25年)2月5日 - 1957年(昭和32年)10月27日は、日本の大正から昭和期の化学者、京都帝国大学教授・甲南大学理学部長から。滋賀県出身者として二人目の理学博士(博士登録番号234番)。 | ||
56 | 児玉桂三 | Wikipedia |
児玉 桂三(こだま けいぞう、1891年(明治24年)6月17日 - 1972年(昭和47年)10月1日)は、日本の生化学者。滋賀県出身。東京帝国大学(現東京大学)卒業。 | ||
57 | 中村直勝 大津市 | Wikipedia |
中村 直勝(なかむら なおかつ、1890年6月7日 - 1976年2月23日)は、大正・昭和期の歴史学者。 | ||
58 | 山本一清 大津市 | Wikipedia |
山本 一清(やまもと いっせい、1889年(明治22年)5月27日 - 1959年(昭和34年)1月16日)は、滋賀県出身の日本の天文学者。滋賀県出身者として最初の天文学者・理学博士(博士登録番号227番、天文学専攻としては国内8人目の理学博士)。 | ||
59 | 藪田貞治郎 大津市 | Wikipedia |
藪田 貞治郎(やぶた ていじろう、1888年(明治21年)12月16日 - 1977年(昭和52年)7月20日)は、日本の農芸化学者。東京帝国大学農学部教授、理化学研究所会長等を歴任する。1926年に黒沢英一が発見した植物ホルモン「ジベレリン」の構造化、単離結晶化の成功者。命名者。滋賀県出身者として最初の農学博士(博士登録番号42番)。 | ||
60 | 秋田喜三郎 大津市 | Wikipedia |
秋田 喜三郎(あきた きさぶろう、1887年(明治20年)3月17日 - 1946年(昭和21年)4月12日)は、国語教育学者で戦時中文部省で初等教育国語教科書の編纂に携わった。 | ||
滋賀大学出身 滋賀県出身の滋賀大学の出身者 全国の滋賀大学の出身者 | ||
61 | 岡田満 守山市 | Wikipedia |
岡田 満(おかだ みつる、1886年4月19日 - 1962年4月28日)は、日本の大正・昭和期における歯科医大学教授。滋賀県出身者の歯科医として、初の医学博士。 | ||
東京歯科大学出身 滋賀県出身の東京歯科大学の出身者 全国の東京歯科大学の出身者 | ||
62 | 前田鼎 高島市 | Wikipedia |
前田 鼎(まえだ かなえ、1886年(明治19年)4月16日 - 1961年(昭和36年)7月2日)は、医学者、京都帝国大学医学部長・名誉教授。第三高等学校長も務めた。 | ||
63 | 橋本忠太郎 日野町 | Wikipedia |
橋本 忠太郎(はしもと ちゅうたろう、明治19年(1886年)7月3日 - 昭和35年(1960年)2月5日)は、明治から昭和にかけての植物学者、教師。滋賀県女子師範学校等で教鞭をとりつつ滋賀県下の植物調査を行った。 | ||
滋賀大学出身 滋賀県出身の滋賀大学の出身者 全国の滋賀大学の出身者 | ||
64 | 一柳満喜子 近江八幡市 | Wikipedia |
一柳 満喜子(ひとつやなぎ まきこ、1884年(明治17年)3月18日 - 1969年(昭和44年)9月7日)はキリスト教教育者。近江兄弟社で知られるウィリアム・メレル・ヴォーリズの妻で、近江兄弟社学園の学園長を務めた。 | ||
65 | 西川吉之助 近江八幡市 | Wikipedia |
西川 吉之助(にしかわ よしのすけ、1874年 - 1940年7月18日)は、日本の教育者。滋賀県出身。昭和初期に日本のろう学校/ろう教育から手話が排除される原因となった『口話教育』の普及を推進した教育者のひとり。殊に大阪市立聾学校(学校名は当時。現在は大阪府立中央聴覚支援学校)校長の高橋潔とは、『手話の高橋、口話の西川』と対比された。 | ||
66 | 岡田国太郎 守山市 | Wikipedia |
岡田 国太郎(おかだ くにたろう、1861年1月29日(万延元年12月19日) - 1945年(昭和20年)3月2日)は、医学博士・細菌学者。滋賀県出身者として最初の医学博士(博士登録番号42番)。 | ||
東京大学出身 滋賀県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
67 | 巖谷立太郎 甲賀市 | Wikipedia |
巌谷 立太郎(いわや りゅうたろう、1857年10月2日(安政4年8月15日)-1891年(明治24年)1月24日)は、明治期の鉱山学者、日本新聞社創立発起人。東京大学理学部教授・農商務省鉱山局技師として採鉱冶金術の改良に貢献した。滋賀県出身者として最初の工学博士(博士登録番号10番)。 | ||
慶應義塾大学出身 滋賀県出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
68 | 相馬永胤 彦根市 | Wikipedia |
相馬 永胤(そうま ながたね、1850年12月25日(嘉永3年11月22日) - 1924年(大正13年)1月26日)は日本の政治家、法学者、経済学者、代言人、横浜正金銀行頭取、専修学校創立者の一人・校長、専修大学創立者・初代学長。 |
研究者・研究家・発明家
69 | 青木文教 高島市 | Wikipedia |
青木 文教(あおき ぶんきょう、 1886年(明治19年)9月28日 - 1956年(昭和31年)11月7日)は日本のチベット研究者で僧侶。チベット=西本願寺間の交換留学生としてチベットのラサ市に派遣され、ダライ・ラマ13世の教学顧問を務めた。 | ||
龍谷大学出身 滋賀県出身の龍谷大学の出身者 全国の龍谷大学の出身者 | ||
70 | 小野秀雄 草津市 | Wikipedia |
小野 秀雄(おの ひでお、1885年8月14日 - 1977年7月18日)は、日本のジャーナリズム研究、マス・コミュニケーション研究の先駆者であり[2]、「新聞学」の名による斯学の確立に貢献した。新聞記者を経験した後、大学院に進んだ。研究者としては戦前から戦後にかけて東京帝国大学〜東京大学、および上智大学に所属した。 | ||
71 | 堀井新治郎 竜王町 | Wikipedia |
堀井 新治郎(元紀)(ほりい しんじろう、1856年10月14日(安政3年9月16日) - 1932年(昭和7年)7月19日)は明治・大正期の発明家、謄写版(ガリ版)印刷機の開発者。滋賀県出身。 |
画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家・漆芸家・工芸家
72 | 茨木杉風 近江八幡市 | Wikipedia |
茨木 杉風(いばらぎ さんぷう、明治31年(1898年)2月8日 - 昭和51年(1976年)8月12日)は、近藤浩一路に師事した水墨画家。日本美術院院友を辞し『新興美術院』を創設した。 | ||
73 | 小倉遊亀 大津市 | Wikipedia |
小倉 遊亀(おぐら ゆき、1895年3月1日 - 2000年7月23日)は、滋賀県大津市出身の日本画家。本名、ゆき。旧姓、溝上。奈良女子高等師範学校卒。 | ||
奈良女子大学出身 滋賀県出身の奈良女子大学の出身者 全国の奈良女子大学の出身者 | ||
74 | 太田謙吉 | Wikipedia |
太田 謙吉(おおた けんきち、1891年 - 1963年)は、日本の造園家、都市計画家。官庁の造園技師として、都市計画における公園緑地行政と、都市近郊の農林業用地の用途向上理論を究明した。 | ||
東京大学出身 滋賀県出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
75 | 黒田重太郎 | Wikipedia |
黒田 重太郎(くろだ じゅうたろう、1887年9月20日 - 1970年6月24日)は、日本の洋画家。 | ||
76 | 西澤仙湖 大津市 | Wikipedia |
西澤 仙湖(にしざわ せんこ、1864年4月 - 1914年4月9日)は、明治時代のコレクター、民俗研究家。通称は米二郎、別号に琵琶廼家・雛舎ともいう。娘婿に日本画家の西澤笛畝がいる。 | ||
77 | 日下部鳴鶴 彦根市 | Wikipedia |
日下部 鳴鶴(くさかべ めいかく、天保9年8月18日(1838年10月6日) - 大正11年(1922年)1月27日)は日本の書家である。本名は東作。字は子暘。別号に東嶼、翠雨、野鶴、老鶴、鶴叟などがある。 |
政治家・議員・首長
78 | 上原茂次 高島市 | Wikipedia |
上原 茂次(うえはら しげじ、1893年(明治26年)11月28日 - 1971年(昭和46年)5月28日)は滋賀県の政治家。大津市長を12年間務めるなど、地方自治に活躍した。 | ||
79 | 伊谷半次郎 愛荘町 | Wikipedia |
伊谷 半次郎(いたに はんじろう、1889年(明治22年)2月5日~1970年(昭和45年)7月4日)は、日本の政治家・実業家。滋賀県愛知郡愛知川町出身。北海道北見市長(1947年-1963年、4期)。 | ||
80 | 堤康次郎 愛荘町 | Wikipedia |
堤 康次郎(つつみ やすじろう、1889年(明治22年)3月7日 - 1964年(昭和39年)4月26日)は、日本の実業家もしくは財界人で、滋賀県選出の衆議院議員として政治家でもあった。西武グループ(旧コクド及び旧セゾングループ)の創業者。第44代衆議院議長。滋賀県大津市名誉市民。滋賀県平民。正三位勲一等。「ピストル堤」の異名を持つ。 | ||
早稲田大学出身 滋賀県出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
81 | 森幸太郎 長浜市 | Wikipedia |
森 幸太郎(もり こうたろう、1889年7月20日 - 1964年2月4日)は、昭和期の日本の政治家。衆議院議員、農林大臣、滋賀県知事などを歴任。 | ||
82 | 谷口久次郎 長浜市 | Wikipedia |
谷口 久次郎(たにぐち きゅうじろう、1886年6月15日 - 1973年8月9日)は日本の政治家。滋賀県知事を2期8年務めた。『百姓知事』と親しまれた。 | ||
83 | 服部岩吉 栗東市 | Wikipedia |
2代服部 岩吉(はっとり いわきち、1885年11月20日 - 1965年11月24日)は、大正・昭和期の日本の政治家。初名は清太郎。なお、「岩吉」は服部家の世襲の名乗りで、本項の岩吉は2代目にあたる。 | ||
84 | 小林橘川 守山市 | Wikipedia |
小林 橘川(こばやし きっせん、1882年(明治15年)10月1日 - 1961年(昭和36年)3月16日)は、ジャーナリストとして活動し戦後名古屋市長(1952年(昭和27年)9月 - 1961年(昭和36年)3月)に就任した。 | ||
85 | 中野善次郎 守山市 | Wikipedia |
中野 善次郎(なかの ぜんじろう、1866年8月18日(慶応2年7月9日) - 1944年6月24日(昭和19年)は、日本の明治・大正期における実業家。滋賀県出身。 | ||
86 | 河村譲三郎 大津市 | Wikipedia |
河村 譲三郎(かわむら じょうざぶろう、1859年3月23日(安政6年2月19日) - 1930年(昭和5年)4月14日)は明治〜昭和期の法曹家、大審院検事・司法省次官・貴族院議員等を歴任し、法典調査会委員として民法・行政関連法の成立に尽くした。滋賀県出身者として司法省法学校同期の田部芳と共に最初の法学博士(博士登録番号21番)。 | ||
87 | 鵜飼退蔵 栗東市 | Wikipedia |
鵜飼 退蔵(うかい たいぞう、1853年12月27日(嘉永6年11月27日) - 1915年(大正4年)12月19日)は、明治時代の滋賀県の政治家。 | ||
88 | 脇坂行三 長浜市 | Wikipedia |
脇坂 行三(わきさか こうぞう /わきざか ぎょうぞう、1849年(嘉永2年2月) - 1914年(大正3年)9月7日)は、明治時代の滋賀県の政治家。 | ||
89 | 11代目西川甚五郎 近江八幡市 | Wikipedia |
11代西川 甚五郎(にしかわ じんごろう、諱は重威(しげたけ)、1849年1月10日(嘉永元年12月16日) - 1905年(明治38年)4月6日)は、江戸時代末期から明治期の近江商人。西川甚五郎家山形屋11代、明治維新動乱期を越えて西川への発展の基礎を固めた。 | ||
90 | 中小路与平治 近江八幡市 | Wikipedia |
中小路 与平治(なかこうじ よへいじ、1845年(弘化2年6月) - 1922年(大正12年)12月18日)は、明治時代滋賀県の政治家。貞章(さだあき)と改名。 | ||
91 | 広瀬進一 彦根市 | Wikipedia |
広瀬 進一(ひろせ しんいち、1845年3月19日(弘化2年2月12日)- 1904年(明治37年)7月29日)は、日本の法制官僚。官選秋田県知事。旧名・篤譲。 | ||
92 | 山崎友親 大津市 | Wikipedia |
山崎 友親(やまざき ともちか、1844年(弘化元年) - 1897年(明治30年)11月2日)は、明治時代の滋賀県の政治家。 | ||
93 | 林田騰九郎 甲賀市 | Wikipedia |
林田 騰九郎(はやしだ とうくろう、1843年10月14日(天保14年9月21日) - 1899年(明治32年)9月5日)は、明治時代滋賀県の政治家。 | ||
94 | 川島宇一郎 高島市 | Wikipedia |
川島 宇一郎(かわしま ういちろう、1841年11月17日(天保12年10月5日) - 1904年(明治37年)12月15日)は、明治時代の滋賀県の政治家。 | ||
95 | 岡田逸治郎 守山市 | Wikipedia |
岡田 逸治郎(おかだ いつじろう、1840年1月24日(天保10年12月20日) - 1909年(明治42年)10月4日)は、明治時代の滋賀県の政治家、諱は久通(ひさみち)。[2][3] |
宗教家・思想家・運動家
96 | 清水安三 高島市 | Wikipedia |
清水 安三(しみず やすぞう、1891年6月1日 - 1988年1月17日)は、教育者・牧師。桜美林学園創立者。 | ||
同志社大学出身 滋賀県出身の同志社大学の出身者 全国の同志社大学の出身者 | ||
97 | W.M.ヴォーリズ 近江八幡市 | Wikipedia |
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(William Merrell Vories、1880年10月28日 - 1964年5月7日)は、アメリカ合衆国に生まれ、日本で数多くの西洋建築を手懸けた建築家。 | ||
98 | 西田天香 長浜市 | Wikipedia |
西田 天香(にしだ てんこう、1872年3月18日(明治5年2月10日) - 1968年(昭和43年)2月29日)は、滋賀県長浜市生まれの宗教家・社会事業家、政治家。一燈園の創始者。参議院議員。本名は市太郎。 | ||
99 | 杉浦重剛 大津市 | Wikipedia |
杉浦 重剛(すぎうら じゅうごう、安政2年3月3日(1855年4月19日)- 大正13年(1924年2月13日)は、明治・大正時代の国粋主義的教育者・思想家。幼名は謙次郎。父は膳所藩の儒者杉浦重文。近江国膳所藩(現・滋賀県大津市)出身。 |
俳人・歌人・詩人・歌人
100 | 外村吉之介 東近江市 | Wikipedia |
外村吉之介(とのむら きちのすけ、1898年(明治31年)9月27日 - 1993年(平成5年)4月15日)は、民芸運動家、染織家。滋賀県出身。甥に歌人の塚本邦雄(1920年 - 2005年)がいる。 | ||
101 | 室積徂春 大津市 | Wikipedia |
室積 徂春(むろづみ そしゅん、1886年(明治19年)12月17日 - 1956年(昭和31年)12月4日)は、滋賀県出身の日本の俳人。別号に碌々子、平明居主人、碌二道人など。旧姓は増永、本名は尚(たかし)。 | ||
102 | 沢村胡夷 彦根市 | Wikipedia |
沢村 専太郎(さわむら せんたろう、明治17年(1884年)1月1日 - 昭和5年(1930年)5月23日)は、京都帝国大学文学部教授で東洋美術・美術史研究家であると共に詩人。第三高等学校寮歌を作詞し、詩人としては沢村 胡夷(さわむら こい)と号した。 | ||
103 | 沢村専太郎 彦根市 | Wikipedia |
沢村 専太郎(さわむら せんたろう、明治17年(1884年)1月1日 - 昭和5年(1930年)5月23日)は、京都帝国大学文学部教授で東洋美術・美術史研究家であると共に詩人。第三高等学校寮歌を作詞し、詩人としては沢村 胡夷(さわむら こい)と号した。 | ||
104 | 巌谷小波 甲賀市 | Wikipedia |
巖谷 小波(いわや さざなみ、1870年7月4日(明治3年6月6日) - 1933年(昭和8年)9月5日)は、明治から大正にかけての作家、児童文学者、俳人。本名は季雄(すえお)。別号に漣山人(さざなみ さんじん)、楽天居、隔恋坊、大江小波がある[2]。 | ||
105 | 小野湖山 長浜市 | Wikipedia |
小野 湖山(おの こざん、1814年3月3日(文化11年1月12日) - 1910年(明治43年)4月10日は、幕末から明治時代の漢詩人。名は長愿・字は舒公、通称は仙助・侗之助、別号に玉池仙史と称した。大沼枕山、鱸松塘とともに、明治の三詩人と称された。近江国の生まれ。 | ||
106 | 渡忠秋 高島市 | Wikipedia |
渡 忠秋(わたり ただあき、1811年3月4日(文化8年2月10日) - 1881年(明治14年)6月5日)は、幕末から明治初期の歌人。御歌所ご用掛。 |
その他の職業
107 | 南喜市郎 守山市 | Wikipedia |
南 喜市郎(みなみ きいちろう、明治29年(1896年)10月23日 - 昭和46年(1971年)2月20日)は、家業の醸造業を営む傍ら守山ゲンジボタル生態調査を行い、人工飼育に取り組み羽化に成功した。ほたる保護思想の普及啓発と増殖に務めた。 | ||
108 | 荻田常三郎 愛荘町 | Wikipedia |
荻田 常三郎(おぎた つねさぶろう、明治18年(1885年) - 大正4年(1915年)1月3日)は、滋賀県初の飛行操縦士、日本の民間飛行家の先駆者。 | ||
109 | 鈴木表朔 高島市 | Wikipedia |
鈴木 表朔(すずき ひょうさく、明治7年(1874年) - 昭和18年(1943年))は、明治から昭和にかけての漆芸家。京塗表派の承継者。 | ||
110 | 高野瀬宗則 彦根市 | Wikipedia |
高野瀬 宗則(たかのせ むねのり、1852年11月3日(嘉永5年9月22日) - 1915年(大正4年))は、理学士。東京物理学講習所(後の東京物理学校、現在の東京理科大学)の創立者の一人である。 | ||
111 | 西川作平 愛荘町 | Wikipedia |
西川 作平(にしかわ さくへい、1842年 - 1918年)は、滋賀県愛荘町出身の篤農家、林業家。 | ||
112 | 桜川大龍 | Wikipedia |
桜川 大龍(さくらがわ だいりゅう、本名:西沢寅吉、文化6年(1809年) - 明治23年(1890年3月29日)は江州音頭の宗家。 | ||
113 | 藤堂高則 甲良町 | Wikipedia |
藤堂 高則(とうどう たかのり、天文18年 (1549年) - 元亀元年(1570年9月?日)は、戦国時代の武将。 |