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宝塚・女優・俳優・声優・ナレーター・歌舞伎・能楽・狂言
1 | 神田隆 港区 | Wikipedia |
神田 隆(かんだ たかし、1918年4月14日 - 1986年7月13日)は、日本の俳優。東京市赤坂区(現・東京都港区)出身。本名は神田 澄孝。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
モデル・アイドル・タレント・アナウンサー
2 | 小谷田勝五郎 八王子市 | Wikipedia |
小谷田 勝五郎(こやた かつごろう、1814年(文化11年) - 1869年(明治2年)12月4日)は、幕末、明治時代の農家。平田篤胤の著書『勝五郎再生記聞』の題材となった人物として知られる。 |
演奏家・作詞家・作曲家・ミュージシャン
3 | 箕作秋吉 | Wikipedia |
箕作 秋吉(みつくり しゅうきち、1895年10月21日 - 1971年5月10日)は、日本のクラシック音楽の作曲家である。箕作元八の長男として東京都に生まれた。箕作阮甫の曾孫にあたる。東洋音楽大学教授。 | ||
4 | 澤田柳吉 | Wikipedia |
澤田 柳吉(さわだ りゅうきち、1886年3月13日 - 1936年9月16日)は、日本のピアニスト。一般聴衆を前に演奏会を開いた最初の日本人ピアニストと言われている。 | ||
東京芸術大学出身 東京都出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
5 | 山田耕筰 文京区 | Wikipedia |
山田 耕筰(やまだ こうさく、Kósçak Yamada、1886年(明治19年)6月9日 - 1965年(昭和40年)12月29日)は、日本の作曲家、指揮者。山田 耕作としても知られる。 | ||
東京音楽学校出身 東京都出身の東京音楽学校の出身者 全国の東京音楽学校の出身者 | ||
6 | 瀧廉太郎 港区 | Wikipedia |
瀧 廉太郎(たき れんたろう、1879年(明治12年)8月24日 - 1903年(明治36年)6月29日)は、日本の音楽家、作曲家。明治の西洋音楽黎明期における代表的な音楽家の一人である。 | ||
7 | 滝廉太郎 港区西新橋 | Wikipedia |
瀧 廉太郎(たき れんたろう、1879年(明治12年)8月24日 - 1903年(明治36年)6月29日)は、日本の音楽家、作曲家。明治の西洋音楽黎明期における代表的な音楽家の一人である。 |
舞台・演劇・映画・ドラマ・脚本・プロデューサー・ディレクター
8 | 溝口健二 | Wikipedia |
溝口 健二(みぞぐち けんじ、1898年5月16日 - 1956年8月24日)は、日本の映画監督。 |
落語家
9 | 林家彦六 品川区 | Wikipedia |
林家 彦六(はやしや ひころく、1895年5月16日 - 1982年1月29日)は、落語家。東京府下荏原郡品川町(現在の品川区)出身。生前は落語協会所属。本名は岡本 義(おかもと よし)。前名の林家正蔵としては8代目。俗に「彦六の正蔵」。 | ||
10 | 三遊亭金馬 墨田区 | Wikipedia |
3代目三遊亭 金馬(さんゆうてい きんば、1894年(明治27年)10月25日 - 1964年(昭和39年)11月8日)は東京本所生まれの日本の落語家。大正・昭和時代に活躍した名人の一人。本名は加藤 専太郎(せんたろう)。出囃子は「本調子カッコ」。 | ||
11 | 8代目桂文楽 台東区 | Wikipedia |
8代目 桂 文楽(かつら ぶんらく、1892年(明治25年)11月3日 - 1971年(昭和46年)12月12日)は、東京の落語家。本名、並河 益義(なみかわ ますよし)。自宅住所の住居表示実施以前の旧町名から、「黒門町(くろもんちょう)」「黒門町の師匠」と呼ばれた。 | ||
12 | 9代目桂文治 台東区 | Wikipedia |
9代目 桂 文治(かつら ぶんじ、1892年9月7日 - 1978年3月8日)は、落語家。本名は高安留吉。生前は落語協会所属。定紋は結三柏。出囃子は『野崎』。通称「留さん文治」(※襲名までは単に「留さん」)。 | ||
13 | 古今亭志ん生 千代田区 | Wikipedia |
5代目古今亭 志ん生(ここんてい しんしょう、1890年〈明治23年〉6月5日 - 1973年〈昭和48年〉9月21日)は、明治後期から昭和期にかけて活躍した東京の落語家。本名、美濃部 孝蔵(みのべ こうぞう)。生前は落語協会所属。出囃子は「一丁入り」。20世紀の落語界を代表する名人と称される。 |
ジャーナリスト
14 | 石橋湛山 | Wikipedia |
石橋 湛山(いしばし たんざん、1884年〈明治17年〉9月25日 - 1973年〈昭和48年〉4月25日)は、日本のジャーナリスト、政治家、教育者(立正大学学長)。階級は陸軍少尉(陸軍在籍時)。位階は従二位。勲等は勲一等。 | ||
早稲田大学出身 東京都出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
15 | 仮名垣魯文 | Wikipedia |
仮名垣 魯文(かながき ろぶん、1829年2月9日(文政12年1月6日) - 1894年(明治27年)11月8日)は、江戸末期から明治初頭にかけての戯作者、新聞記者。江戸の京橋生まれ。本名は野崎文蔵、字は能連、幼名兼吉、また庫七、後に文蔵と改めた。別号に鈍亭、猫々道人(みょうみょうどうじん)、和堂開珍、英魯文、戯作書太郎、野狐庵。俳号は香雨亭応一、狂名は斜月窗諸兄。父は魚屋を営んでいた佐吉。 |
格闘技
16 | 新川完二 中央区 | Wikipedia |
新川 完二(しんかわ かんじ、1918年3月31日 -没年不詳 )は、立浪部屋に所属した元力士。本名は河邊 完二。現在の東京都中央区出身。179cm、75kg。最高位は西十両8枚目。得意技は突っ張り。 | ||
17 | 石山昇之助 千代田区 | Wikipedia |
石山 曻之助(いしやま しょうのすけ、1891年5月1日 - 1943年7月12日)は、雷部屋に所属した元力士。俳優の石濱朗は甥にあたる。 本名は石濱 曻之助(いしはま しょうのすけ)。現在の東京都千代田区出身。168cm、81kg。最高位は西前頭筆頭。得意手は左四つ、寄り、上手投げ。 | ||
18 | 小常陸由太郎 新宿区 | Wikipedia |
小常陸 由太郎(こひたち よしたろう、1886年2月9日 - 1927年9月15日)は、出羽海部屋に所属した元力士。7代秀ノ山。常陸山谷右エ門の養子。本名は市毛 与四郎(旧姓吉田)。現在の東京都新宿区出身。159cm、124kg。最高位は西関脇。 | ||
19 | 鶴渡清治郎 江東区 | Wikipedia |
鶴渡 清治郎(つるわたり せいじろう、1886年6月7日 - 1936年11月1日)は、中立部屋に所属した元力士。6代中立、8代荒磯。本名は田口 清治郎。現在の東京都江東区出身。176cm、113kg。最高位は東前頭筆頭。 | ||
20 | 玉ノ川脇太郎 あきる野市 | Wikipedia |
玉ノ川 脇太郎(たまのかわ わきたろう、1885年4月2日 - 1924年11月20日)は、佐渡ヶ嶽部屋、伊勢ノ海部屋に所属した元力士。9代佐渡ヶ嶽。本名は加藤 脇太郎。現在の東京都あきる野市(当時は神奈川県)出身。164cm、79kg。最高位は西前頭17枚目。 | ||
21 | 伊勢ノ濱慶太郎 墨田区 | Wikipedia |
伊勢ノ濱 慶太郎(いせのはま けいたろう、1883年11月9日 - 1928年5月17日)は、東京府本所区(現在の東京都墨田区)出身で友綱部屋(入門時は根岸部屋)所属の明治末期から大正時代に活躍した元大相撲力士。最高位は大関。本名は中立 慶太郎(なかだち けいたろう)。現役時代の体格は、身長168cm、体重105kg。得意手は左四つ、寄り、上手投げ。 | ||
22 | 緋縅力弥(3代) 中央区 | Wikipedia |
緋縅 力弥(ひおどし りきや、安政3年(1856年)3月 - 明治21年(1888年)9月9日)は、玉垣部屋に所属した元力士。10代玉垣。本名は玉垣 辰藏(旧名小柴辰五郎)。武蔵国豊島郡(現在の東京都中央区)出身。身長は不明。体重は105kg。最高位は東前頭筆頭。 |
野球
23 | 池田豊 武蔵野市 | Wikipedia |
池田 豊(いけだ ゆたか、1893年9月24日 - 1952年10月21日)は、東京府北多摩郡武蔵野村(現:武蔵野市)出身のプロ野球監督・審判。 | ||
24 | 橋戸信 港区 | Wikipedia |
橋戸 信(はしど しん/まこと(文献により一定していない)、1879年(明治12年)3月10日 - 1936年(昭和11年)3月23日)は、日本のアマチュア野球選手(遊撃手、投手)、新聞記者。ペンネームは「橋戸 頑鉄」(はしど がんてつ)。 | ||
早稲田大学出身 東京都出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 |
囲碁・将棋・麻雀
25 | 升田幸三 中野区 | Wikipedia |
升田 幸三(ますだ こうぞう、1918年3月21日 - 1991年4月5日)は、将棋棋士。実力制第四代名人。 |
登山家・冒険家・探検家
26 | 麻生武治 | Wikipedia |
麻生 武治(あそう たけはる、1899年11月21日 - 1993年5月30日)は日本のスキー選手、陸上競技選手、登山家。父親は日本銀行の理事であった。 | ||
早稲田大学出身 東京都出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
27 | 冠松次郎 | Wikipedia |
冠松次郎(かんむり まつじろう, 1883年2月4日 - 1970年7月28日)は、日本の登山家であり、黒部峡谷の地域研究、山岳紀行文でも知られる。東京生まれ。 |
漫画家・イラスト・ゲーム
28 | 田河水泡 | Wikipedia |
田河 水泡(たがわ すいほう、1899年(明治32年)2月10日 - 1989年(平成元年)12月12日)は、日本の漫画家、落語作家。本名、高見澤 仲太郎(たかみざわ なかたろう)。 昭和初期の子供漫画を代表する漫画家であり、代表作『のらくろ』ではキャラクター人気が大人社会にも波及し、さまざまなキャラクターグッズが作られるなど社会現象となるほどの人気を獲得した。 | ||
29 | 阪本牙城 あきる野市 | Wikipedia |
阪本 牙城(さかもと がじょう、1895年12月1日 - 1973年8月8日)は、日本の漫画家、水墨画家。本名・坂本雅城(さかもと まさき)。水墨画家としては阪本雅城を用いる。 | ||
30 | 謝花凡太郎 | Wikipedia |
謝花 凡太郎(しゃか ぼんたろう、1891年(明治24年) - 1963年(昭和38年))は日本の漫画家。児童文化史に大きな影響を与えた中村書店の人気作家として活躍した。 |
作家・小説家・エッセイ・文筆・翻訳家・編集者
31 | 有馬頼義 港区 | Wikipedia |
有馬 頼義(ありま よりちか、1918年(大正7年)2月14日 - 1980年(昭和55年)4月15日)は日本の小説家で、大衆小説、社会派推理小説で活躍した。旧筑後国久留米藩主有馬家の第16代当主。 | ||
早稲田大学出身 東京都出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
32 | 川口松太郎 台東区 | Wikipedia |
川口 松太郎(かわぐち まつたろう、1899年(明治32年)10月1日 - 1985年(昭和60年)6月9日)は日本の小説家、劇作家、日本芸術院会員、戦後の大映映画の専務。松田昌一の名で映画脚本も手がける。 | ||
33 | 井伏鱒二 杉並区 | Wikipedia |
井伏 鱒二(いぶせ ますじ、1898年(明治31年)2月15日 - 1993年(平成5年)7月10日)は、日本の小説家。本名は井伏 滿壽二(いぶし ますじ)。広島県安那郡加茂村(現・福山市)生まれ。筆名は釣り好きだったことによる。文化勲章受章。 | ||
34 | 木村荘十 江東区 | Wikipedia |
木村 荘十(きむら そうじゅう、1897年1月12日 - 1967年5月6日)は東京府出身の作家。 | ||
35 | 櫻田常久 町田市 | Wikipedia |
桜田 常久(さくらだ つねひさ、1897年1月20日 - 1980年3月25日)は、日本の小説家。並木宋之介の筆名も持つ。 | ||
36 | 獅子文六 渋谷区 | Wikipedia |
獅子 文六(しし ぶんろく、1893年(明治26年)7月1日 - 1969年(昭和44年)12月13日)は、日本の小説家、演出家。本名は、岩田 豊雄(いわた とよお)。演劇の分野では本名で活動した。日本芸術院会員、文化勲章受章者。号は牡丹亭。愛媛県宇和島市津島町に句碑がある。 | ||
37 | 芥川龍之介 中央区 | Wikipedia |
芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ、1892年(明治25年)3月1日 - 1927年(昭和2年)7月24日)は、日本の小説家。本名同じ、号は澄江堂主人、俳号は我鬼。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
38 | 吉川英治 葛飾区 | Wikipedia |
吉川 英治(よしかわ えいじ、1892年〔明治25年〕8月11日 - 1962年〔昭和37年〕9月7日)は、日本の小説家。本名、吉川英次(よしかわ ひでつぐ)。現在の神奈川県横浜市中区出身。 | ||
39 | 坪田譲治 豊島区 | Wikipedia |
坪田 譲治(つぼた じょうじ、1890年(明治23年)3月3日 - 1982年(昭和57年)7月7日)は、岡山県出身の児童文学作家、日本藝術院会員。 | ||
40 | 谷崎精二 | Wikipedia |
谷崎 精二 (たにざき せいじ、1890年12月19日 - 1971年12月14日)は作家、英文学者。谷崎潤一郎の弟。 | ||
早稲田大学出身 東京都出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
41 | 内田百間 新宿区 | Wikipedia |
內田 百(うちだ ひゃっけん、1889年(明治22年)5月29日 - 1971年(昭和46年)4月20日)は、夏目漱石門下の日本の小説家、随筆家。本名:內田 榮造。戦後、筆名を內田 百閒と改める。別号は百鬼園(ひゃっきえん)。 | ||
42 | 水上瀧太郎 港区 | Wikipedia |
水上 瀧太郎(みなかみ たきたろう、みずかみ たきたろう、本名・阿部章蔵、1887年12月6日 - 1940年3月23日)は日本の小説家、評論家、劇作家。 | ||
43 | 谷崎潤一郎 中央区 | Wikipedia |
谷崎 潤一郎(たにざき じゅんいちろう、1886年(明治19年)7月24日 - 1965年(昭和40年)7月30日)は、日本の小説家。明治末期から第二次世界大戦後の昭和中期まで、戦中・戦後の一時期を除き終生旺盛な執筆活動を続け、国内外でその作品の芸術性が高い評価を得た。現在においても近代日本文学を代表する小説家の一人として、評価は非常に高い。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
44 | 中里介山 羽村市 | Wikipedia |
中里 介山(なかざと かいざん、男性、1885年(明治18年)4月4日 - 1944年(昭和19年)4月28日)は、日本の小説家。本名は、中里 弥之助。 | ||
45 | 田村俊子 台東区 | Wikipedia |
田村 俊子 (たむら としこ、1884年(明治17年)4月25日 - 1945年(昭和20年)4月16日) は、日本の小説家。別名、佐藤露英、佐藤俊子、本名、佐藤とし。東京府東京市浅草区蔵前町(現在の東京都台東区蔵前)生れ。東京府立第一高等女学校卒業、日本女子大学校国文科中退。代表作は『木乃伊(みいら)の口紅』、『炮烙(ほうらく)の刑』など。官能的な退廃美の世界を描き、人気を得た。没後、田村俊子賞が創設された。 | ||
46 | 志賀直哉 渋谷区 | Wikipedia |
志賀 直哉(しが なおや、1883年(明治16年)2月20日 - 1971年(昭和46年)10月21日)は、明治から昭和にかけて活躍した日本の小説家。白樺派を代表する小説家のひとり。「小説の神様」と称せられ、多くの日本人作家に影響を与えた。代表作に「暗夜行路」「和解」「小僧の神様」「城の崎にて」など。宮城県石巻生まれ、東京府育ち。 | ||
47 | 永井荷風 文京区 | Wikipedia |
永井 荷風(ながい かふう、1879年(明治12年)12月3日 - 1959年(昭和34年)4月30日)は、日本の小説家。本名は永井 壮吉(ながい そうきち、旧字体:壯吉)。号に金阜山人(きんぷさんじん)・断腸亭主人(だんちょうていしゅじん)ほか。 | ||
一橋大学出身 東京都出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
48 | 有島武郎 小石川 | Wikipedia |
有島 武郎(ありしま たけお、1878年(明治11年)3月4日 - 1923年(大正12年)6月9日)は、日本の小説家。 | ||
北海道大学出身 東京都出身の北海道大学の出身者 全国の北海道大学の出身者 | ||
49 | 樋口一葉 台東区 | Wikipedia |
樋口 一葉(ひぐち いちよう、1872年5月2日(明治5年3月25日)- 1896年(明治29年)11月23日)は、日本の小説家。東京生まれ。本名は夏子、戸籍名は奈津。 | ||
50 | 岡本綺堂 別号に狂綺堂 | Wikipedia |
岡本綺堂(おかもと きどう、1872年11月15日(明治5年10月15日) - 1939年(昭和14年)3月1日) は、小説家、劇作家。本名は岡本 敬二(おかもと けいじ)。別号に狂綺堂、鬼菫、甲字楼など。著名な作品は、新歌舞伎の作者及び「半七捕物帳」などがある。 | ||
51 | 田山花袋 渋谷区 | Wikipedia |
田山 花袋(たやま かたい、1872年1月22日(明治4年12月13日) - 1930年(昭和5年)5月13日)は、日本の小説家。本名、録弥(ろくや)。群馬県(当時は栃木県)生れ。 | ||
52 | 尾崎紅葉 港区 | Wikipedia |
尾崎 紅葉(おざき こうよう、1868年1月10日(慶応3年12月16日) - 1903年(明治36年)10月30日)は、日本の小説家。本名、徳太郎。「縁山」「半可通人」「十千万堂」「花紅治史」などの号も持つ。江戸生まれ。帝国大学国文科中退。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
53 | 幸田露伴 台東区 | Wikipedia |
幸田 露伴(こうだ ろはん、1867年8月22日(慶応3年7月23日) - 1947年(昭和22年)7月30日)は、日本の小説家。本名は成行(しげゆき)。別号に蝸牛庵(かぎゅうあん)、笹のつゆ、雷音洞主、脱天子など多数。江戸(現東京都)下谷生れ。帝国学士院会員。帝国芸術院会員。第1回文化勲章受章。娘の幸田文も随筆家・小説家。高木卓の伯父。 | ||
青山学院大学出身 東京都出身の青山学院大学の出身者 全国の青山学院大学の出身者 | ||
54 | 二葉亭四迷 | Wikipedia |
二葉亭 四迷(ふたばてい しめい、1864年4月4日(元治元年2月28日) - 1909年(明治42年)5月10日)は、日本の小説家、翻訳家。本名、長谷川 辰之助(はせがわ たつのすけ)。筆名の由来は、処女作『浮雲』に対する卑下、特に坪内逍遥の名を借りて出版したことに対して、自身を「くたばって仕舞(め)え」と罵ったことによる。文学に理解のなかった父に言われたというのは俗説である(『予が半生の懺悔』)。長谷川 二葉亭(はせがわ ふたばてい)とも呼ばれる。別の号に冷々亭主人、杏雨。江戸市ヶ谷生れ。彼の自筆履歴書によると、1883年2月1日から1885年12月25日まで、当時の専修学校(現在の専修大学)で学び、卒業した。また、東京外国語学校(現東京外国語大学)露語科入学後、同科が改組されてできた東京商業学校(現一橋大学)第三部露語科を1886年1月に中退。 | ||
一橋大学出身 東京都出身の一橋大学の出身者 全国の一橋大学の出身者 | ||
55 | 淡島寒月 中央区 | Wikipedia |
淡島 寒月(あわしま かんげつ、本名: 淡島 寶受郎(とみお)、安政6年10月23日(1859年11月17日) - 1926年(大正15年)2月23日)は、明治時代の日本の作家、画家、古物収集家。父親は画家の淡島椿岳。長女は教育者・政治家の木内キヤウ(日本初の女性の公立学校校長となり第1回参議院議員選挙で参議院議員ともなった)。伯父は幕末の大富豪の伊藤八兵衛。 | ||
慶應義塾大学出身 東京都出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
56 | 成島柳北 台東区 | Wikipedia |
成島 柳北 (なるしま りゅうほく、1837年3月22日(天保8年2月16日) - 1884年(明治17年)11月30日)は、江戸時代末期(幕末)の江戸幕府・将軍侍講、奥儒者、文学者、ジャーナリスト。明治時代以降はジャーナリストとしても活躍。また、姪孫に俳優の森繁久彌がいる事でも著名。 |
弁護士
57 | 山本粂吉 | Wikipedia |
山本 粂吉(やまもと くめきち、1893年(明治26年)7月25日 - 1974年(昭和49年)2月17日)は日本の政治家、弁護士。旧姓は瀬尾。 | ||
明治大学出身 東京都出身の明治大学の出身者 全国の明治大学の出身者 | ||
58 | 鳩山和夫 | Wikipedia |
鳩山 和夫(はとやま かずお、1856年5月6日〈安政3年4月3日〉 - 1911年〈明治44年〉10月3日)は、江戸時代末期の美作勝山藩士。明治維新後は政治家、代言人(弁護士)。位階勲等学位は正四位勲三等法学博士。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
建築家・建築学者・技術者
59 | 芦原義信 | Wikipedia |
芦原 義信(あしはら よしのぶ、1918年7月7日 - 2003年9月24日)は日本の建築家。ソニービル、東京芸術劇場などの作品で知られる。また『街並みの美学』で(戦後日本では)いち早く都市景観の重要性を述べた。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
60 | 今井兼次 | Wikipedia |
今井 兼次(いまい けんじ、1895年1月11日 - 1987年5月20日)は、日本の建築家。早稲田大学理工学部建築学科卒業。母校の教授を長く勤め、建築作品とともに教育者として研究室から優れた建築家、研究者を多数輩出した。 | ||
早稲田大学出身 東京都出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
61 | 吉田五十八 | Wikipedia |
吉田 五十八(よしだ いそや、1894年(明治27年)12月19日 - 1974年(昭和49年)3月24日)は昭和期に活躍し、和風の意匠である数寄屋建築を独自に近代化した建築家である。東京生まれ。東京美術学校(東京芸術大学)卒業。母校で教壇に立ち、多くの後進を育てる。死後、その功績を記念して、吉田五十八賞が設けられた。 | ||
東京芸術大学出身 東京都出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
62 | 渡辺節 千代田区 | Wikipedia |
渡辺 節(わたなべ せつ、1884年11月3日 - 1967年1月21日)は、近代日本の建築家。古典主義をベースとした様式建築を自在に設計し、近畿を中心に商業ビルの秀作を多く残した。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
63 | 岡田信一郎 | Wikipedia |
岡田 信一郎(おかだ しんいちろう、1883年(明治16年)11月20日 - 1932年(昭和7年)4月4日)は、大正・昭和初期に活躍した建築家である。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
経営者・実業家
64 | 長岡正男 | Wikipedia |
長岡 正男(ながおか まさお、1897年7月7日 - 1974年11月20日)は、日本の技術者で実業家。第6代日本光学工業(現ニコン)社長。 | ||
65 | 藤山愛一郎 | Wikipedia |
藤山 愛一郎(ふじやま あいいちろう、1897年5月22日 - 1985年2月22日)は、日本の政治家、実業家。 | ||
慶應義塾大学出身 東京都出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
66 | 岩崎隆弥 | Wikipedia |
岩崎 隆弥(いわさき たかや、1896年11月2日 - 1983年6月2日)は、日本の実業家。三菱財閥のオーナー・岩崎家の一員で、三菱合資会社元社長・岩崎久弥の次男。 | ||
67 | 山下太郎 | Wikipedia |
山下 太郎(やました たろう、1896年4月19日 - 1970年2月26日)は日本の実業家。元山下汽船社長、会長。父は山下汽船創業者山下亀三郎。 | ||
68 | 河野傳 国立市 | Wikipedia |
河野 傳(河野 伝)(こうの つとう、1896年(明治29年) - 1963年(昭和38年)10月24日)は、日本の建築家、技術者、経営者。宮崎県出身。 | ||
69 | 林武 中野区 | Wikipedia |
林 武(はやし たけし、1896年(明治29年)12月10日 - 1975年(昭和50年)6月23日)は、東京都出身の日本の洋画家。本名は武臣(たけおみ)といった。大正末期から洋画家として活動を始め戦後には原色を多用し絵具を盛り上げた手法で女性や花、風景などを描き人気を得た。晩年には国語問題審議会の会長も務めている。なお、孫に元衆議院議員の林潤がいる。 | ||
70 | 岩崎彦弥太 | Wikipedia |
岩崎 彦弥太(いわさき ひこやた、1895年9月15日 - 1967年9月8日)は、三菱財閥のオーナー・岩崎家の一員で、三菱合資会社元社長・岩崎久弥の長男。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
71 | 加藤厚太郎 | Wikipedia |
加藤 厚太郎(かとう こうたろう、1895年(明治28年)1月11日[2] - 1959年(昭和34年)2月3日[2])は、日本の実業家、伯爵である。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
72 | 末高信 台東区 | Wikipedia |
末高 信(すえたか まこと、1894年9月4日 - 1989年4月4日)は、日本の商学博士、生命保険修士会名誉会長ならびに 生命保険アンダーライティング学院創立者。東京都台東区出身。 | ||
73 | 荘田泰蔵 | Wikipedia |
荘田 泰蔵(しょうだ たいぞう、1892年10月29日[2] - ?)は日本の実業家。 | ||
74 | 間宮不二雄 文京区 | Wikipedia |
間宮 不二雄(まみや ふじお、1890年(明治23年)6月26日 - 1970年(昭和45年)10月24日)は、日本の実業家。日本で最初の図書館用具商社を開く。 | ||
75 | 岩崎輝弥 | Wikipedia |
岩崎 輝弥(岩崎 輝彌、いわさき てるや、1887年6月18日 - 1956年9月17日)は、日本の実業家で、日本における鉄道趣味の先駆者である。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
76 | 石坂泰三 | Wikipedia |
石坂 泰三(いしざか たいぞう、1886年(明治19年)6月3日 - 1975年(昭和50年)3月6日)は、日本の財界人、経営者。第一生命保険、東京芝浦電気(現・東芝)社長を経て、第2代経済団体連合会(経団連)会長(在任、1956年(昭和31年)2月21日~1968年(昭和43年)5月24日)。経団連会長を4期、12年務めた。経団連会長の異名 「財界総理」は、石坂泰三を嚆矢とする。正三位勲一等。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
77 | 石川一郎 北区 | Wikipedia |
石川 一郎(いしかわ いちろう、1885年(明治18年)11月5日 - 1970年(昭和45年)1月20日)は、日本の財界人、経営者。東京帝国大学助教授、日産化学工業社長を経て、旧経済団体連合会(現日本経済団体連合会)初代会長(在任1948年(昭和23年)~1956年(昭和31年))。日産化学工業元社長、元会長。昭和電工元社長、元会長。 | ||
78 | 赤星鉄馬 武蔵野市 | Wikipedia |
赤星 鐡馬(あかぼし てつま、1883年(明治16年)1月11日 - 1951年(昭和26年)11月9日)は、日本の実業家である。泰昌銀行頭取。 | ||
79 | 足立正 目黒区 | Wikipedia |
足立 正(あだち ただし、1883年(明治16年)2月28日 - 1973年(昭和48年)3月29日)は日本の実業家、財界人である。号立堂。位階勲等は正三位勲一等旭日大綬章。日本商工会議所名誉会頭。 | ||
80 | 岩崎俊弥 | Wikipedia |
岩崎 俊弥(いわさき としや、明治14年(1881年)1月28日 - 昭和5年(1930年)10月16日)は日本の実業家で、旭硝子の創業者。 | ||
81 | 岩崎小弥太 | Wikipedia |
岩崎 小弥太(いわさき こやた、1879年(明治12年)8月3日 - 1945年(昭和20年)12月2日)は、日本の実業家で、三菱財閥の4代目総帥。男爵。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
82 | 橋本卯太郎 渋谷区 | Wikipedia |
橋本 卯太郎(はしもと うたろう、明治2年(1869年)3月 - 昭和13年(1938年)7月7日)は、日本の実業家。大日本麦酒(現・サッポロビール)の常務取締役を務めた。酵母を扱う技師から常務に出世した、明治、大正期における郷土出身の立志伝中の一人である。東京府平民[3]。 | ||
83 | 小川義綏 府中市 | Wikipedia |
小川 義綏(おがわ よしやす、1831年 - 1912年12月19日)は日本最初のプロテスタント教会である日本基督公会の長老であり、同公会最初の日本人牧師である。 | ||
84 | 橋本實 渋谷区 | Wikipedia |
橋本 實(はしもと みのる、昭和6年(1931年)8月17日 - )は、日本の実業家。JFE物流特別顧問。東京市渋谷区出身。 |
医師・看護師
85 | 呉建 | Wikipedia |
呉 建(くれ けん、1883年10月27日 - 1940年6月27日)は、日本の内科学者・画家、医学博士。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
86 | 杉田玄白 新宿区 | Wikipedia |
杉田 玄白(すぎた げんぱく、享保18年9月13日(1733年10月20日) – 文化14年4月17日(1817年6月1日)は、江戸時代の蘭学医。若狭国小浜藩医。私塾天真楼を主催した。父は杉田甫仙、母は八尾氏の娘。 |
軍人
87 | 笹井醇一 港区 | Wikipedia |
笹井 醇一(ささい じゅんいち、1918年(大正7年)2月13日 - 1942年(昭和17年)8月26日)は、日本の海軍軍人。海兵67期。戦死による二階級特進で最終階級は海軍少佐。太平洋戦争におけるエース・パイロット。 | ||
88 | 徳川宗敬 文京区 | Wikipedia |
徳川 宗敬(とくがわ むねよし、旧字体:德川 宗敬、1897年(明治30年)5月31日 - 1989年(平成元年)5月1日)は、日本の林学者、陸軍軍人、政治家、教育者、神職。階級は陸軍少尉。位階は従三位。勲等は勲一等。爵位は伯爵。最終学歴は東京帝国大学農学部林学科卒業。学位は農学博士(東京帝国大学)。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
89 | 伊集院松治 千代田区 | Wikipedia |
伊集院 松治(いじゅういん まつじ、1893年(明治26年)4月21日 - 1944年(昭和19年)5月24日)は、日本の海軍軍人、華族。最終階級は海軍中将。男爵。 | ||
海軍兵学校出身 東京都出身の海軍兵学校の出身者 全国の海軍兵学校の出身者 | ||
90 | 大西瀧治郎 渋谷区 | Wikipedia |
大西 瀧治郎(おおにし たきじろう、明治24年(1891年)6月2日 - 昭和20年(1945年)8月16日)は、日本の海軍軍人。海軍兵学校第40期生。神風特別攻撃隊の創始者の一人。終戦時に自決。最終階級は海軍中将。 | ||
91 | 阿南惟幾 三鷹市 | Wikipedia |
阿南 惟幾(あなみ これちか、1887年(明治20年)2月21日 - 1945年(昭和20年)8月15日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大将勲一等功三級。 | ||
92 | 山本五十六 渋谷区 | Wikipedia |
山本 五十六(やまもと いそろく、1884年〈明治17年〉4月4日 - 1943年〈昭和18年〉4月18日)は、日本の海軍軍人。最終階級は元帥海軍大将。第26、27代連合艦隊司令長官。海軍兵学校32期生。前線視察の際、ブーゲンビル島上空で戦死(海軍甲事件)。旧姓は高野。栄典は正三位大勲位功一級。 | ||
93 | 平賀譲 | Wikipedia |
平賀 譲(ひらが ゆずる、1878年(明治11年)3月8日 - 1943年(昭和18年)2月17日)は、日本の海軍軍人、工学者、華族。海軍技術中将従三位男爵、東京帝大総長、工学博士。東京府(現・東京都)生まれ、本籍地は広島県広島市。父は芸州藩士から維新政府に仕えた主計官。兄・徳太郎は海軍軍人。 | ||
94 | 荒木貞夫 狛江市 | Wikipedia |
荒木 貞夫(あらき さだお、1877年(明治10年)5月26日 - 1966年(昭和41年)11月2日)は、日本の陸軍軍人、第1次近衛内閣・平沼内閣の文部大臣、男爵。最終階級は陸軍大将。 | ||
95 | 飯田延太郎 武蔵野市 | Wikipedia |
飯田 延太郎(いいだ のぶたろう)、明治8年(1875年)2月13日 - 昭和13年(1938年)11月3日)は、明治-大正期の海軍軍人。海軍中将。徳島県出身。 | ||
96 | 渡辺錠太郎 杉並区 | Wikipedia |
渡辺 錠太郎(わたなべ じょうたろう、1874年4月16日 - 1936年2月26日)は、日本の陸軍軍人。陸士8期・陸大17期首席。最終階級は陸軍大将。位階勲等は 従二位勲一等功五級。 | ||
97 | 石光眞臣 世田谷区 | Wikipedia |
石光 真臣(眞臣)(いしみつ まおみ、明治3年5月9日(1870年6月7日) - 1937年(昭和12年)12月8日)は、日本陸軍の軍人。陸軍中将従三位勲一等功四級。 |
官僚
98 | 金森太郎 渋谷区 | Wikipedia |
金森 太郎(かなもり たろう、1888年(明治21年)6月16日 - 1958年(昭和33年)6月12日)は日本の農商務、内務官僚。東京都出身。 | ||
99 | 森鷗外 台東区 | Wikipedia |
森 鷗外(もり おうがい、1862年2月17日(文久2年1月19日) - 1922年(大正11年)7月9日)は、日本の明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、陸軍軍医(軍医総監=中将相当)、官僚(高等官一等)。位階勲等は従二位・勲一等・功三級、医学博士、文学博士。本名は森 林太郎(もり りんたろう)。 | ||
100 | 森鴎外 墨田区 | Wikipedia |
森 鷗外(もり おうがい、1862年2月17日(文久2年1月19日) - 1922年(大正11年)7月9日)は、日本の明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、陸軍軍医(軍医総監=中将相当)、官僚(高等官一等)。位階勲等は従二位・勲一等・功三級、医学博士、文学博士。本名は森 林太郎(もり りんたろう)。 |
公務員
101 | 北田正元 渋谷区 | Wikipedia |
北田 正元(きただ まさもと、明治21年(1888年)2月11日 - 1978年7月13日)は、日本の外交官。初代駐アフガニスタン公使。父は代言人の北田正董。 |
学者・教授・准教授
102 | 神島二郎 新宿区 | Wikipedia |
神島 二郎(かみしま じろう、1918年4月18日 - 1998年4月5日)は日本の政治学者、日本政治思想史家。立教大学名誉教授。 | ||
103 | 鶴見和子 | Wikipedia |
鶴見 和子(つるみ かずこ、1918年(大正7年)6月10日 - 2006年(平成18年)7月31日)は、日本の社会学者。上智大学名誉教授。国際関係論などを講じたが、専攻は比較社会学。南方熊楠や柳田國男の研究、地域住民の手による発展を論じた「内発的発展論」などでも知られる。 | ||
津田塾大学出身 東京都出身の津田塾大学の出身者 全国の津田塾大学の出身者 | ||
104 | 小沼丹 武蔵野市 | Wikipedia |
小沼 丹(おぬま たん、1918年(大正7年)9月9日 - 1996年(平成8年)11月8日)は、日本の小説家、英文学者。本名は小沼 救(おぬま はじめ)。日本芸術院会員。 | ||
105 | 林知己夫 | Wikipedia |
林 知己夫(はやし ちきお、1918年6月7日 - 2002年8月6日)は、日本の統計学者。正四位勲二等理学博士。 | ||
成城大学出身 東京都出身の成城大学の出身者 全国の成城大学の出身者 | ||
106 | 藤原てい 武蔵野市 | Wikipedia |
藤原 てい(ふじわら てい、1918年11月6日 - 2016年11月15日)は、日本の作家。夫は作家の新田次郎(本名・藤原寛人)、数学者でエッセイストの藤原正彦は次男。旧姓両角。 | ||
107 | 東畑精一 中野区 | Wikipedia |
東畑 精一(とうばた せいいち、1899年(明治32年)2月2日 - 1983年(昭和58年)5月6日)は、日本の農業経済学者。農学博士。 | ||
108 | 中川善之助 | Wikipedia |
中川 善之助(なかがわ ぜんのすけ、1897年11月18日 - 1975年3月20日 )は、日本の法学者。東北大学名誉教授。金沢大学名誉教授。正三位勲一等瑞宝章。銀杯一組。東京府(現・東京都)生まれ。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
109 | 呉茂一 | Wikipedia |
呉 茂一(くれ しげいち、1897年12月20日 - 1977年12月28日)は、日本の西洋古典学者で古代ギリシア・ラテン文学者。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
110 | 三木清 杉並区 | Wikipedia |
三木 清(みき きよし、1897年1月5日 - 1945年9月26日)は、(西田左派を含めた上での)京都学派の哲学者、法政大学文学部教授。戦時中に治安維持法違反で逮捕され獄死したが、死後刊行された『人生論ノート』は終戦直後のベストセラーになった。弟に中国文学者の三木克己がいる。 | ||
111 | 橋本宇一 渋谷区 | Wikipedia |
橋本 宇一(はしもと ういち、明治30年(1897年)7月4日 - 昭和61年(1986年)11月29日)は、日本の金属工学者。理学博士。科学技術庁金属材料技術研究所長。東京市渋谷区出身。 | ||
112 | 河野与一 武蔵野市 | Wikipedia |
河野 与一(こうの よいち、1896年(明治29年)9月12日 - 1984年(昭和59年)7月6日)は、日本の哲学者、翻訳家。與一とも表記する。 | ||
113 | 坪井誠太郎 | Wikipedia |
坪井 誠太郎(つぼい せいたろう、1893年9月8日 - 1986年9月22日)は、日本の地球科学者。専門は、地質学・鉱物学・岩石学。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
114 | 木原均 | Wikipedia |
木原 均(きはら ひとし、1893年10月21日 - 1986年7月27日)は、日本の遺伝学者。京都大学名誉教授。元国立遺伝学研究所所長。理学博士(京都帝国大学、1924年)。 | ||
北海道大学出身 東京都出身の北海道大学の出身者 全国の北海道大学の出身者 | ||
115 | 山田珠樹 港区 | Wikipedia |
山田 珠樹(やまだ たまき、1893年2月26日 - 1943年11月24日)は、日本のフランス文学者。東京帝国大学の助教授および司書官を務めた。フランス文学者として、辰野隆、鈴木信太郎らと東大仏文科を興し、司書官として、関東大震災後の東大図書館の復興に力を尽くした。また、森茉莉の最初の夫としても知られる。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
116 | 呉文炳 | Wikipedia |
呉 文炳(くれ ふみあき、1890年(明治23年)5月3日 - 1981年(昭和56年)11月18日)は、日本の経済学者、経済学博士(慶應義塾大学)。日本大学第4代総長、貴族院議員。広島県呉市名誉市民。 | ||
117 | 三谷隆正 武蔵野市 | Wikipedia |
三谷 隆正(みたに たかまさ 1889年2月6日 - 1944年2月17日)は、日本の法学者。 | ||
118 | 辰野隆 練馬区 | Wikipedia |
辰野 隆(たつの ゆたか、1888年3月1日 - 1964年2月28日)は、フランス文学者、随筆家。東京帝国大学教授として多くの後進を育てた。初めて本格的にフランス文学を日本に紹介した。 | ||
119 | 末弘厳太郎 世田谷区 | Wikipedia |
末弘 厳太郎(すえひろ いずたろう、1888年(明治21年)11月30日 - 1951年(昭和26年)9月11日)は、大正・昭和期の日本の法学者。東京大学名誉教授。正三位勲一等瑞宝章。研究対象は、民法、労働法、法社会学。川名兼四郎門下。 | ||
120 | 武田祐吉 中央区 | Wikipedia |
武田 祐吉(たけだ ゆうきち、1886年5月5日 - 1958年3月29日)は、大正・昭和期の日本の国文学者。 | ||
國學院大學出身 東京都出身の國學院大學の出身者 全国の國學院大學の出身者 | ||
121 | 内田祥三 江東区 | Wikipedia |
内田 祥三(うちだ よしかず、1885年2月23日 - 1972年12月14日)は、日本の建築学者、建築家。元東京帝国大学総長。1957年日本学士院会員。1972年文化勲章受章。 | ||
122 | 西川正治 八王子市 | Wikipedia |
西川 正治(にしかわ しょうじ、1884年12月5日 - 1952年1月5日)は、東京都八王子市出身の結晶学者である。 | ||
123 | 大賀一郎植物学者) 府中市 | Wikipedia |
大賀 一郎(おおが いちろう、1883年(明治16年)4月28日 - 1965年(昭和40年)6月15日)は日本の植物学者。 | ||
124 | 小川清彦 | Wikipedia |
小川 清彦(おがわ きよひこ、1882年10月2日 - 1950年1月10日)は、明治から昭和期にかけての天文学者・暦学者。日本における古天文学の創始者と言われている。 | ||
東京理科大学出身 東京都出身の東京理科大学の出身者 全国の東京理科大学の出身者 | ||
125 | 柴田雄次 | Wikipedia |
柴田 雄次(しばた ゆうじ、1882年1月28日 - 1980年1月28日)は、東京府出身の化学者。東京大学名誉教授。正三位勲一等瑞宝章。 | ||
126 | 高野辰之 渋谷区 | Wikipedia |
高野 辰之(たかの たつゆき、1876年(明治9年)4月13日 - 1947年(昭和22年)1月25日)は、日本の国文学者、作詞家。号は斑山(はんざん)。 | ||
127 | 津田左右吉 武蔵野市 | Wikipedia |
津田 左右吉(つだ そうきち、1873年(明治6年)10月3日 - 1961年(昭和36年)12月4日)は、20世紀前半の歴史学者である。『日本書紀』『古事記』を史料批判の観点から研究[注 1]したことで知られる。栄典は従三位勲一等瑞宝章、文化勲章。 | ||
128 | 牧野富太郎 練馬区 | Wikipedia |
牧野 富太郎(まきの とみたろう、1862年5月22日(文久2年4月24日) - 1957年(昭和32年)1月18日)は、日本の植物学者。高知県高岡郡佐川町出身。 | ||
129 | 田辺朔郎 | Wikipedia |
田辺 朔郎(たなべ さくろう、1861年12月2日(文久元年11月1日) - 1944年(昭和19年)9月5日)は、日本の土木技術者・工学者。琵琶湖疏水や日本初の水力発電所の建設、関門海底トンネルの提言を行った。北海道の狩勝峠の名づけを行った。 | ||
130 | 菊池大麓 | Wikipedia |
菊池 大麓(きくち だいろく、1855年3月17日(安政2年1月29日) - 1917年(大正6年)8月19日)は、明治から大正にかけて活躍した日本の数学者、教育者、政治家。男爵。 | ||
学習院大学出身 東京都出身の学習院大学の出身者 全国の学習院大学の出身者 | ||
131 | 外山正一 小石川 | Wikipedia |
外山 正一(とやま まさかず、1848年10月23日(嘉永元年9月27日) - 1900年(明治33年)3月8日)は、明治時代の日本の教育家・文学者・社会学者・政治家。号は丶山(ちゅざん)。 | ||
132 | 箕作麟祥 | Wikipedia |
箕作 麟祥(みつくり りんしょう / あきよし、1846年9月19日(弘化3年7月29日) - 1897年(明治30年)11月29日)は明治時代の日本の洋学者、法学者、官僚。男爵、法学博士。 | ||
133 | 藤原正彦 武蔵野市 | Wikipedia |
藤原 正彦(ふじわら まさひこ、昭和18年(1943年)7月9日 - )は、日本の数学者。お茶の水女子大学名誉教授。専門は数論で、特に不定方程式論。エッセイストしても知られる。 |
研究者・研究家・発明家
134 | 加太こうじ 葛飾区 | Wikipedia |
加太 こうじ(かた こうじ、1918年1月11日 - 1998年3月13日)は、日本の評論家、庶民文化研究家、紙芝居作家。 | ||
135 | 早川徳次 中央区 | Wikipedia |
早川 徳次(はやかわ とくじ、1893年(明治26年)11月3日 - 1980年(昭和55年)6月24日)は日本の実業家・発明家。総合家電メーカーシャープ創業者。シャープペンシルやバックル「徳尾錠」の発明で知られる。東京府(現・東京都)出身。大正三美人として知られる江木欣々は異父姉。 | ||
136 | 水野敏雄 | Wikipedia |
水野 敏雄(みずの としお、1893年 - 1981年)は、日本の教育学研究者、島根大学第4代学長。 | ||
137 | 上原敬二 三鷹市 | Wikipedia |
上原 敬二(うえはら けいじ、1889年2月5日 - 1981年10月24日)は、日本の造園研究家、林学博士、東京農業大学名誉教授。東京高等造園学校、現在の東京農業大学地域環境科学部造園科学科を創設し、日本の造園教育の創始者として知られる。また造園の技術者としても、東京帝国大学大学院在学時に本多静六等と明治神宮の造園などの設計もしている。上原の著書の多くは造園系学校・学科の学生の参考書として現在も多く活用されている。その他、横浜山手の西洋庭園をはじめ、築造した庭園は三百余になるといわれている。 | ||
138 | 三田村鳶魚 八王子市 | Wikipedia |
三田村 鳶魚(みたむら えんぎょ、明治3年3月17日(1870年4月17日) - 昭和27年(1952年)5月14日)は江戸文化・風俗の研究家である。本名は万次郎、後に玄龍。その多岐に渡る研究の業績から「江戸学」の祖とも呼ばれる。 |
画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家
139 | いわさきちひろ 練馬区 | Wikipedia |
いわさき ちひろ(本名:松本 知弘(まつもと ちひろ、旧姓岩崎)、1918年12月15日 - 1974年8月8日、女性)は、子供の水彩画に代表される日本の画家、絵本作家。福井県武生(現在の越前市)生まれ。左利き。生涯「子どもの幸せと平和」をテーマとした。 | ||
140 | 佐伯祐三 新宿区 | Wikipedia |
佐伯 祐三(さえき ゆうぞう、1898年4月28日 - 1928年8月16日)は、大正~昭和初期の洋画家である。大阪府大阪市出身。 | ||
141 | 伊東深水 | Wikipedia |
伊東 深水(いとう しんすい、1898年(明治31年)2月4日 - 1972年(昭和47年)5月8日)は、大正・昭和期の浮世絵師、日本画家、版画家。本名、一(はじめ)。実娘は女優・タレント・歌手の朝丘雪路。 | ||
142 | 前田寛治 杉並区 | Wikipedia |
前田 寛治(まえた かんじ、1896年10月1日 - 1930年4月16日)は、日本の洋画家。 | ||
143 | 鈴木信太郎 八王子市 | Wikipedia |
鈴木 信太郎(すずき しんたろう、1895年8月16日 - 1989年5月13日)は、洋画家。 | ||
144 | 木村荘八 | Wikipedia |
木村 荘八(きむら しょうはち、1893年(明治26年)8月21日 - 1958年(昭和33年)11月18日)は、日本の洋画家、随筆家、版画家。 | ||
145 | 速水御舟 | Wikipedia |
速水 御舟(はやみ ぎょしゅう、1894年(明治27年)8月2日 - 1935年(昭和10年)3月20日)は、大正期~昭和初期の日本画家である。本名は蒔田 栄一(まきた えいいち、後に速水に改姓)。 | ||
146 | 岩田藤七 葛飾区 | Wikipedia |
岩田 藤七(いわた とうしち、1893年3月12日 - 1980年8月23日)は、ガラス工芸家。幼名、東次郎。妻は彫刻家の竹内久一の長女・くに(邦子)。岩田久利は長男。岩田糸子は久利の妻、イワタルリは孫。 | ||
147 | 中川紀元 武蔵野市 | Wikipedia |
中川 紀元(なかがわ きげん、1892年(明治25年)2月11日 - 1972年(昭和47年)2月9日)は、長野県上伊那郡辰野町出身の洋画家である。旧姓は有賀、本名は紀元次。 | ||
148 | 子母澤寛 大田区 | Wikipedia |
子母澤 寛 (しもざわ かん、1892年2月1日 - 1968年7月19日)は日本の小説家。北海道厚田郡厚田村(現・石狩市)出身。本名・梅谷 松太郎。洋画家の三岸好太郎は異父弟にあたる。第10回菊池寛賞受賞。 | ||
149 | 清水良雄 文京区 | Wikipedia |
清水良雄(しみずよしお、1891年8月4日 - 1954年1月29日)は洋画家、童画家。 | ||
東京美術学校出身 東京都出身の東京美術学校の出身者 全国の東京美術学校の出身者 | ||
150 | 岸田劉生 | Wikipedia |
岸田 劉生(きしだ りゅうせい、男性、1891年6月23日 - 1929年12月20日)は、大正~昭和初期の洋画家。父親はジャーナリストの岸田吟香。 | ||
151 | 斎藤素巌 小平市 | Wikipedia |
齋藤 素巌(さいとう そがん、1889年10月16日 - 1974年2月2日)は、彫刻家、日本芸術院会員。本名は知雄(ともお)。 | ||
152 | 藤田嗣治 | Wikipedia |
藤田 嗣治(ふじた つぐはる、1886年11月27日 - 1968年1月29日)は日本生まれの画家・彫刻家。戦前よりフランスのパリで活動、猫と女を得意な画題とし、日本画の技法を油彩画に取り入れつつ、独自の「乳白色の肌」とよばれた裸婦像などは西洋画壇の絶賛を浴びたエコール・ド・パリの代表的な画家である。フランスに帰化後の洗礼名はレオナール・フジタ(Léonard Foujita)。 | ||
東京芸術大学出身 東京都出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
153 | 北村西望 武蔵野市 | Wikipedia |
北村 西望(きたむら せいぼう、1884年(明治17年)12月16日 - 1987年(昭和62年)3月4日)は、長崎県出身の日本の彫刻家。本名は北村 西望(きたむら にしも)。 | ||
154 | 朝倉文夫 台東区 | Wikipedia |
朝倉 文夫(あさくら ふみお、1883年(明治16年)3月1日 - 1964年(昭和39年)4月18日)は、明治から昭和の彫刻家(彫塑家)である。号は紅塐(こうそ)。「東洋のロダン」と呼ばれた。舞台美術家・画家の朝倉摂(摂子)は長女、彫刻家の朝倉響子は次女。 | ||
155 | 野田九甫 武蔵野市 | Wikipedia |
野田 九浦(のだ きゅうほ 1879年12月22日 - 1971年11月2日)は日本画家。本名は道三。「九甫」とも表記。祖父は漢文学者の野田笛浦。弟に脚本家の野田高梧がいる。 | ||
156 | 河上肇 中野区 | Wikipedia |
河上 肇(かわかみ はじめ、1879年10月20日 - 1946年1月30日)は、日本の経済学者である。京都帝国大学でマルクス経済学の研究を行っていたが、教授の職を辞し、共産主義の実践活動に入る。日本共産党の党員となったため検挙され、獄中生活を送る。カール・マルクス『資本論』の翻訳(第一巻の一部のみ翻訳)やコミンテルン32年テーゼの翻訳のほか、ベストセラー『貧乏物語』の他に、『第二貧乏物語』『資本論入門』の著作がある。死後に刊行された『自叙伝』は広く読まれた。名文家であり、漢詩もよく知られている。福田徳三とは終生のライバルであった。 | ||
157 | 鏑木清方 | Wikipedia |
鏑木 清方(かぶらき きよかた、1878年(明治11年)8月31日 - 1972年(昭和47年)3月2日)は、明治~昭和期の浮世絵師、日本画家。なお、姓は「かぶらぎ」でなく「かぶらき」と読むのが正しい。 | ||
158 | 平櫛田中 小平市 | Wikipedia |
平櫛 田中(ひらくし(又は ひらぐし) でんちゅう、1872年2月23日(明治5年1月15日) - 1979年(昭和54年)12月30日)は、日本の彫刻家。本名は平櫛倬太郎(ひらくし たくたろう)。旧姓は田中。井原市名誉市民(1958年)、福山市名誉市民(1965年)、小平市名誉市民(1972年)。 | ||
159 | 横山大観 台東区 | Wikipedia |
横山 大観(よこやま たいかん、正字体:大觀、1868年(慶応4年 / 明治元年) - 1958年(昭和33年)2月26日)は、日本の美術家、日本画家。本名、横山 秀麿(よこやま ひでまろ)。(生年月日については記録により小異がある。くわしくは後述。) | ||
160 | 中村不折 | Wikipedia |
中村 不折(なかむら ふせつ、1866年8月19日(慶応2年7月10日) - 1943年(昭和18年)6月6日)は明治、大正、昭和期に活躍した日本の洋画家、書家である。正五位。太平洋美術学校校長。夏目漱石『吾輩は猫である』の挿絵画家として知られている。 | ||
161 | 浅井忠 | Wikipedia |
浅井 忠(あさい ちゅう、1856年7月22日(安政3年6月21日) - 1907年(明治40年)12月16日)は、明治期の洋画家。教育者としても貢献した。 | ||
162 | 高村光雲 | Wikipedia |
高村 光雲(たかむら こううん、1852年3月8日(嘉永5年2月18日) - 1934年(昭和9年)10月10日)は、日本の仏師、彫刻家。幼名は光蔵。高村光太郎、高村豊周は息子。写真家の高村規は孫。 |
政治家・議員・首長
163 | 赤尾敏 三宅村 | Wikipedia |
赤尾 敏(あかお びん、1899年(明治32年)1月15日 - 1990年(平成2年)2月6日)は、日本の保守政治家、右翼活動家、衆議院議員、大日本愛国党初代総裁。 | ||
164 | 浅沼稲次郎 三宅村 | Wikipedia |
浅沼 稲次郎(あさぬま いねじろう、旧字体:淺沼 稻次郞、1898年(明治31年)12月27日 - 1960年(昭和35年)10月12日)は、東京府三宅村(現在の東京都三宅村)出身の日本の政治家。日本社会党書記長、委員長を歴任。 | ||
早稲田大学出身 東京都出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
165 | 周恩来 中野区 | Wikipedia |
周 恩来(しゅう おんらい、1898年3月5日 - 1976年1月8日)は中国の政治家。字は翔宇。中華人民共和国が建国された1949年10月1日以来、死去するまで一貫して政務院総理・国務院総理(首相)を務めた。毛沢東共産党主席の信任を繋ぎとめ、文化大革命中も失脚しなかったことなどから「不倒翁」(起き上がり小法師)の異名がある。1972年に、日本国首相の田中角栄(当時)と日中共同声明に調印したことでも知られている。 | ||
166 | 蜷川虎三 江東区 | Wikipedia |
蜷川 虎三(にながわ とらぞう、1897年2月24日 - 1981年2月27日)は、日本の政治家、経済学者、統計学者。初代中小企業庁長官。元京都府知事(1950年 - 1978年)。 | ||
167 | 坂本一角 檜原村 | Wikipedia |
坂本 一角(さかもと いっかく、1897年(明治30年)10月10日 - 1947年(昭和22年)4月8日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、大学教授。 | ||
168 | 中村高一 武蔵野市 | Wikipedia |
中村 高一(なかむら たかいち、1897年(明治30年)7月31日 - 1981年(昭和56年)7月27日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(社会党、当選8回)。衆議院副議長(第41代)を務めた。弁護士として社会運動や人権活動に取り組んだ。 | ||
169 | 犬養健 | Wikipedia |
犬養 健(いぬかい たける、1896年(明治29年)7月28日 - 1960年(昭和35年)8月28日)は、日本の政治家、小説家。正三位勲一等。元首相犬養毅の三男にあたる。法務大臣(第2代・第3代)。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
170 | 岸信介 武蔵野市 | Wikipedia |
岸 信介(きし のぶすけ、1896年〈明治29年〉11月13日 - 1987年〈昭和62年〉8月7日)は、日本の政治家、官僚。旧姓佐藤(さとう)。満州国総務庁次長、商工大臣(第24代)、衆議院議員(9期)、自由民主党幹事長(初代)、自由民主党総裁 (第3代) 、外務大臣(第86・87代)、内閣総理大臣臨時代理、内閣総理大臣(第56・57代)、皇學館大学総長 (第2代) などを歴任し、「昭和の妖怪」と呼ばれた。 | ||
171 | 蝋山政道 武蔵野市 | Wikipedia |
蝋山 政道(ろうやま まさみち、1895年11月21日 - 1980年5月15日)は、日本の政治学者・行政学者、政治家、お茶の水女子大学名誉教授。民主社会主義の提唱者であり、行政学研究の先駆的存在である。 | ||
172 | 山根キク 新宿区 | Wikipedia |
山根 キク(やまね きく、1893年6月1日 - 1965年4月23日)は、日本の考古学、歴史学の女性ジャーナリスト、社会活動家、政治家。「竹内文書」から強く影響を受けており、キリストやモーセの墓が日本にあると主張した。本名は山根 菊子(やまね きくこ)。 | ||
173 | 津雲国利 青梅市 | Wikipedia |
津雲 国利(つくも くにとし、1893年(明治26年)10月18日 - 1972年(昭和47年)1月4日)は、日本の政治家。衆議院議員(8期)。拓務政務次官、政友会幹事、翼賛政治会常任総務などを歴任。 | ||
174 | 世耕弘一 豊島区 | Wikipedia |
世耕 弘一(せこう こういち、1893年3月30日 - 1965年4月27日)は日本の教育者・政治家。衆議院議員(8期)、経済企画庁長官(第2次岸内閣)、近畿大学理事長などを歴任した。 | ||
175 | 星野直樹 新宿区 | Wikipedia |
星野 直樹(ほしの なおき、1892年4月10日 - 1978年5月29日)は、日本の大蔵官僚、政治家、実業家。 | ||
176 | 近衛文麿 | Wikipedia |
近衞 文麿(このえ ふみまろ、1891年(明治24年)10月12日 - 1945年(昭和20年)12月16日)は、日本の政治家。栄典は勲一等公爵。 | ||
京都大学出身 東京都出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
177 | 井野碩哉 中央区 | Wikipedia |
井野 碩哉(いの ひろや、1891年(明治24年)12月12日 - 1980年(昭和55年)5月19日)は、日本の政治家、官僚。農林大臣(第20代)、拓務大臣、弾劾裁判所裁判長(第30代)、衆議院議員(1期)。戦後の公職追放解除後、参議院議員(3期)、法務大臣などを務めた。兄は満州国最高法院長の井野英一。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
178 | 菊池善郎 八丈町 | Wikipedia |
菊池 義郎(きくち よしろう、1890年4月10日 – 1990年2月4日)は、日本の政治家、植民政策学者。自由民主党衆議院議員。日本商科大学(廃校)の学長も務めた。 | ||
179 | 河上丈太郎 港区 | Wikipedia |
河上 丈太郎(かわかみ じょうたろう、1889年1月3日 - 1965年12月3日)は、日本の政治家。右派社会党委員長、日本社会党委員長を歴任した。息子は衆議院議員・社会党国際局長をつとめた河上民雄。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
180 | 木戸幸一 | Wikipedia |
木戸 幸一(きど こういち、1889年7月18日 - 1977年4月6日)は、日本の官僚、政治家。侯爵。 | ||
京都大学出身 東京都出身の京都大学の出身者 全国の京都大学の出身者 | ||
181 | 山本有三 三鷹市 | Wikipedia |
山本 有三(やまもと ゆうぞう、1887年(明治20年)7月27日 - 1974年(昭和49年)1月11日)は、大正から昭和にかけて活躍した日本の小説家、劇作家、政治家。本名は山本 勇造(やまもと ゆうぞう)。日本芸術院会員、文化勲章受章者。 | ||
182 | 大野緑一郎 武蔵野市 | Wikipedia |
大野 緑一郎(おおの ろくいちろう、明治20年(1887年)10月1日 - 昭和60年(1985年)9月2日)は、日本の内務官僚、弁護士。第37代警視総監、朝鮮総督府政務総監など歴任。 | ||
183 | 星島二郎 中野区 | Wikipedia |
星島 二郎(ほししま にろう、明治20年(1887年)11月6日 - 昭和55年(1980年)1月3日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員。元衆議院議長。従二位勲一等旭日桐花大綬章。 | ||
184 | 東條英機 | Wikipedia |
東條 英機(とうじょう ひでき、1884年(明治17年)7月30日(戸籍上は12月30日) - 1948年(昭和23年)12月23日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級位階勲等功級は陸軍大将従二位勲一等功二級。現在の百科事典や教科書等では新字体で東条 英機と表記されることが多い[注 3]。軍人および政治家として関東軍参謀長(第10代)、陸軍航空総監(初代)、陸軍大臣(第50-52代)、内閣総理大臣(第40代)、内務大臣(第64代)、外務大臣(第66代)、文部大臣(第53代)、商工大臣(第25代)、軍需大臣(初代)などを歴任した。 | ||
185 | 鳩山一郎 | Wikipedia |
鳩山 一郎(はとやま いちろう、1883年(明治16年)1月1日 - 1959年(昭和34年)3月7日)は、日本の政治家、弁護士。第52・53・54代内閣総理大臣。位階勲等は正二位大勲位。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
186 | 篠原陸朗 | Wikipedia |
篠原 陸朗(しのはら ろくろう、1883年(明治16年)3月26日 - 1966年(昭和41年)9月6日)は、日本の政治家。衆議院議員選挙に通算4回当選した。 | ||
187 | 米内光政 渋谷区 | Wikipedia |
米内 光政(よない みつまさ、1880年(明治13年)3月2日 - 1948年(昭和23年)4月20日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功一級。連合艦隊司令長官(第23代)、海軍大臣(第19・24代)、内閣総理大臣(第37代)を歴任した。 | ||
188 | 吉田茂 | Wikipedia |
吉田 茂(よしだ しげる、1878年(明治11年)9月22日 - 1967年(昭和42年)10月20日)は、日本の外交官、政治家。位階は従一位。勲等は大勲位。 | ||
189 | 美濃部達吉 武蔵野市 | Wikipedia |
美濃部 達吉(みのべ たつきち、1873年(明治6年)5月7日 - 1948年(昭和23年)5月23日)は、日本の法学者、憲法学者、政治家、東京帝国大学名誉教授。戦前、和仏法律学校(現法政大学)に憲法講義を担当し、清国留学生法政速成科の憲法学の講義も担当した。法政大学通信教育学部の設立者。 | ||
190 | 宇垣一成 国立市 | Wikipedia |
宇垣 一成(うがき かずしげ、慶応4年6月21日(1868年8月9日) - 昭和31年(1956年)4月30日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍大将。位階勲等は正二位勲一等功四級。 | ||
191 | 石井菊次郎 渋谷区 | Wikipedia |
石井 菊次郎(いしい きくじろう、慶応2年3月10日(1866年4月24日)- 昭和20年(1945年)5月25日?)は、日本の外交官、政治家。第2次大隈内閣で外務大臣を務め、国際連盟設立期には日本代表を務めた。特使としてアメリカで締結した石井・ランシング協定にその名を残すことでも知られる。 | ||
192 | 牧野伸顕 渋谷区 | Wikipedia |
牧野 伸顕(まきの のぶあき、1861年11月24日(文久元年10月22日) - 1949年(昭和24年)1月25日)は、日本の政治家。位階は従一位。勲等は勲一等。爵位は伯爵。名はシンケンと通称されることもある[要出典]。以前の諱は是利(これとし)[注釈 1]。 | ||
193 | 高橋是清 | Wikipedia |
高橋 是清(たかはし これきよ、1854年9月19日〈嘉永7年閏7月27日〉 - 1936年〈昭和11年〉2月26日)は、日本の幕末の武士(仙台藩士)、明治、大正、昭和時代初期の官僚、政治家。立憲政友会第4代総裁。第20代内閣総理大臣(在任 : 1921年〈大正10年〉11月13日 - 1922年〈大正11年〉6月12日)。栄典は大勲位子爵。幼名は和喜次(わきじ)。財政家として知られているため総理大臣としてよりも大蔵大臣としての評価の方が高い。 | ||
明治学院大学出身 東京都出身の明治学院大学の出身者 全国の明治学院大学の出身者 | ||
194 | 榎本武揚 墨田区 | Wikipedia |
榎本 武揚(えのもと たけあき、1836年10月5日〈天保7年8月25日〉 - 1908年〈明治41年〉10月26日)は、日本の武士(幕臣)、化学者、外交官、政治家。最終階級は海軍中将。栄典は正二位勲一等子爵。通称は釜次郎[注 1]、号は梁川(りょうせん)[注 2]。榎、釜を分解した「夏木金八(郎)」という変名も用いていた。世間では俗に「ぶよう」とも呼ばれた [5]。 | ||
195 | 勝海舟 墨田区 | Wikipedia |
勝 海舟(かつ かいしゅう、文政6年1月30日〈1823年3月12日〉 - 明治32年〈1899年〉1月19日)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代初期の武士(幕臣)、政治家。位階は正二位、勲等は勲一等、爵位は伯爵。初代海軍卿。 |
評論家
196 | 木内信胤 | Wikipedia |
木内 信胤(きうち のぶたね、1899年7月30日 - 1993年12月5日)は、日本の経済評論家。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
197 | 宮本百合子 | Wikipedia |
宮本 百合子(みやもと ゆりこ、1899年(明治32年)2月13日 - 1951年(昭和26年)1月21日)は昭和期の小説家、評論家。旧姓は中條(ちゅうじょう)、本名はユリ。日本女子大学英文科中退。17歳の時に『貧しき人々の群』で文壇に登場、天才少女として注目を集め、その後もプロレタリア文学の作家、民主主義文学のリーダー、左翼運動家として活動した。日本共産党元委員長宮本顕治の妻で、宮本と共に投獄、執筆禁止などを繰り返した。 | ||
日本女子大学出身 東京都出身の日本女子大学の出身者 全国の日本女子大学の出身者 | ||
198 | 石川淳 新宿区 | Wikipedia |
石川 淳(いしかわ じゅん、1899年(明治32年)3月7日 - 1987年(昭和62年)12月29日)は、日本の小説家、文芸評論家、翻訳家。東京府浅草区生まれ。無頼派、独自孤高の作家とも呼ばれ、エッセイでは夷斎先生の名で親しまれた。本名淳(きよし)。 | ||
東京外国語大学出身 東京都出身の東京外国語大学の出身者 全国の東京外国語大学の出身者 | ||
199 | 広津和郎 | Wikipedia |
広津 和郎(廣津 和郎、ひろつ かずお、1891年(明治24年)12月5日 - 1968年(昭和43年)9月21日)は、日本の小説家、文芸評論家、翻訳家である。明治期に活動した硯友社の小説家・広津柳浪の子。 | ||
早稲田大学出身 東京都出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
200 | 岸田國士 四谷区 | Wikipedia |
岸田 國士(きしだ くにお、1890年(明治23年)11月2日 - 1954年(昭和29年)3月5日)は、日本の劇作家・小説家・評論家・翻訳家・演出家。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
201 | 長與善郎 | Wikipedia |
長與 善郎(ながよ よしろう、新字体:長与 善郎、1888年(明治21年)8月6日 - 1961年(昭和36年)10月29日)は日本の作家、劇作家、評論家。人道主義的な作風で知られた。 | ||
202 | 上田敏 | Wikipedia |
上田 敏(うえだ びん、1874年(明治7年)10月30日 - 1916年(大正5年)7月9日)は、文学者、評論家、啓蒙家、翻訳家。多くの外国語に通じて名訳を残した。号で、「上田柳村」とも呼ばれる。「山のあなたの空遠く 『幸』(さひはひ)住むと人の言ふ」(カール・ブッセの「山のあなた」)や、「秋の日の ヴィオロンの ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し」(ポール・ヴェルレーヌの「落葉」、一般には「秋の歌」)などの訳詞は、今なお、広く知られている。 | ||
203 | 内田魯庵 | Wikipedia |
内田 魯庵(うちだ ろあん、1868年4月27日(慶応4年4月5日) - 1929年(昭和4年)6月29日)は、明治期の評論家、翻訳家、小説家。本名貢(みつぎ)。別号不知庵(ふちあん)、三文字屋金平(さんもんじやきんぴら)など。江戸下谷車坂六軒町(現東京都台東区)生まれ。洋画家内田巌は長男。孫(巌の娘)に翻訳家の内田莉莎子。 | ||
早稲田大学出身 東京都出身の早稲田大学の出身者 全国の早稲田大学の出身者 | ||
204 | 夏目漱石 文豪 | Wikipedia |
夏目 漱石(なつめ そうせき、1867年2月9日(慶応3年1月5日) - 1916年(大正5年)12月9日)は、日本の小説家、評論家、英文学者。本名、夏目 金之助(なつめ きんのすけ)。江戸の牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)出身。俳号は愚陀仏。 | ||
二松學舍大学出身 東京都出身の二松學舍大学の出身者 全国の二松學舍大学の出身者 |
宗教家・思想家・運動家
205 | 奥山治 青ヶ島村 | Wikipedia |
奥山 治(おくやま おさむ、1918年(大正7年)1月31日 - 2000年(平成12年)3月18日)は東京都・青ヶ島村の村長を五期17年3か月間務めた人物。生涯において玄米自然食(マクロビオティック)の普及に務めた。東洋哲学の思想家。 | ||
206 | 今東光 調布市 | Wikipedia |
今 東光(こん とうこう、1898年(明治31年)3月26日 - 1977年(昭和52年)9月19日)は、横浜生まれの天台宗僧侶(法名 春聽[注釈 1])、小説家、参議院議員。大正時代後期、新感覚派作家として出発し、出家後、長く文壇を離れるが、作家として復帰後は、住職として住んだ河内や平泉、父祖の地、津軽など 奥州を題材にした作品で知られる。 | ||
207 | 平塚らいてう 麹町 | Wikipedia |
平塚 らいてう(ひらつか らいちょう、本名:平塚 明(ひらつか はる)、1886年(明治19年)2月10日 - 1971年(昭和46年)5月24日)は、日本の思想家、評論家、作家、フェミニスト、戦前と戦後に亘(わた)る女性解放運動家。戦後は主に反戦・平和運動に参加した。日本女子大学校(現:日本女子大学)家政学部卒。 | ||
日本女子大学出身 東京都出身の日本女子大学の出身者 全国の日本女子大学の出身者 | ||
208 | 北一輝 中野区 | Wikipedia |
北 一輝(きた いっき、本名:北 輝次郎(きた てるじろう)、1883年(明治16年)4月3日 - 1937年(昭和12年)8月19日)は、戦前の日本の思想家、社会運動家、国家社会主義者。 | ||
209 | 徳富蘆花 渋谷区 | Wikipedia |
徳冨 蘆花(とくとみ ろか、1868年12月8日(明治元年10月25日) - 1927年(昭和2年)9月18日)は、日本の小説家。ベストセラーとなった小説『不如帰』や、キリスト教の影響を受けた自然描写作品『自然と人生』などで知られる。本名は徳富健次郎(とくとみ けんじろう)。思想家・ジャーナリストの徳富蘇峰は兄。「徳冨」の表記にこだわり、各種の文学事典、文学館、記念公園などは「冨」の字を採用している。 | ||
210 | 岡倉天心 台東区 | Wikipedia |
岡倉 天心(おかくら てんしん、1863年2月14日(文久2年12月26日) - 1913年(大正2年)9月2日)は、日本の思想家、文人。本名は岡倉覚三(かくぞう)。幼名は岡倉角蔵。 | ||
211 | 田中智學 | Wikipedia |
田中 智學(たなか ちがく、田中 智学、1861年12月14日(文久元年11月13日) - 1939年11月17日)は、第二次世界大戦前の日本の宗教家。本名は巴之助。 | ||
212 | 石阪昌孝 町田市 | Wikipedia |
石坂 昌孝(いしざか まさたか、1841年6月11日〈天保12年4月22日〉 - 1907年〈明治40年〉1月13日)は、幕末の名主、明治期の政治家。神奈川県会議員、神奈川県会議長(初代)、群馬県知事(官選第5代)、衆議院議員(4期)。幼名・高之助。 | ||
213 | 中村正直 港区 | Wikipedia |
中村 正直(なかむら まさなお、1832年6月24日(天保3年5月26日) - 1891年(明治24年)6月7日)は明治時代の日本の啓蒙思想家、教育者。文学博士。英学塾・同人社の創立者で、東京女子師範学校摂理、東京大学文学部教授、女子高等師範学校長を歴任した。通称・敬太郎、敬輔。号は敬宇。 |
俳人・歌人・詩人・歌人
214 | 中村真一郎 | Wikipedia |
中村 真一郎(なかむら しんいちろう、1918年(大正7年)3月5日 - 1997年(平成9年)12月25日)は、日本の小説家・文芸評論家・詩人。なお旧字体の「眞一郎」名義での出版もある。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
215 | 清水基吉 渋谷区 | Wikipedia |
清水 基吉(しみず もとよし、1918年(大正7年)8月31日 - 2008年3月30日)は、俳人、小説家。本名、清水基嘉(読み同じ)。 | ||
216 | 八木重吉 町田市 | Wikipedia |
八木 重吉(やぎ じゅうきち、1898年2月9日 - 1927年10月26日)は、日本の詩人、英語科教師。生前に刊行した詩集は1冊のみで昭和初期に若くして病没したが、死去から約20年が経過した太平洋戦争後にクリスチャン詩人としての評価が高まった。 | ||
217 | 中村雨紅 八王子市 | Wikipedia |
中村雨紅(なかむら うこう、1897年〈明治30年〉1月7日<戸籍上は2月6日 - 1972年〈昭和47年〉5月8日)は、詩人・童謡作家である。本名は、髙井宮吉(たかい みやきち)だが、出版物など一般的には高井宮吉と記される。東京府南多摩郡恩方(おんがた)村(現在の東京都八王子市上恩方町)出身。 | ||
218 | 金子光晴 武蔵野市 | Wikipedia |
金子 光晴(かねこ みつはる、1895年(明治28年)12月25日 - 1975年(昭和50年)6月30日)は、日本の詩人。本名は金子安和(かねこ やすかず)。弟に詩人で小説家の大鹿卓がいる。妻も詩人の森三千代、息子に翻訳家の森乾。 | ||
219 | 瀧井孝作 八王子市 | Wikipedia |
瀧井 孝作(たきい こうさく、1894年(明治27年)4月4日 - 1984年(昭和59年)11月21日)は、日本の小説家、俳人、編集者。俳句を河東碧梧桐に師事し、小説を芥川龍之介、志賀直哉に兄事した。文化功労者。俳号は折柴。 | ||
220 | 中川一政 | Wikipedia |
中川 一政(なかがわ かずまさ、1893年(明治26年)2月14日 - 1991年(平成3年)2月5日)は、東京府生まれの洋画家、美術家、歌人、随筆家である。 | ||
221 | 堀口大學 | Wikipedia |
堀口 大學(ほりぐち だいがく、新字体:堀口 大学、1892年(明治25年)1月8日 - 1981年(昭和56年)3月15日)は、明治から昭和にかけての詩人、歌人、フランス文学者。訳詩書は三百点を超え、日本の近代詩に多大な影響を与えた。雅号は十三日月。葉山町名誉町民。 | ||
慶應義塾大学出身 東京都出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
222 | 水原秋桜子 千代田区 | Wikipedia |
水原 秋桜子(みずはら しゅうおうし、1892年(明治25年)10月9日 - 1981年(昭和56年)7月17日)は、日本の俳人、医師・医学博士。秋櫻子とも表記する。本名は水原豊(みずはら ゆたか)。松根東洋城、ついで高浜虚子に師事。短歌に学んだ明朗で叙情的な句風で「ホトトギス」に新風を吹き込んだが、「客観写生」の理念に飽き足らなくなり同誌を離反、俳壇に反ホトトギスを旗印とする新興俳句運動が起こるきっかけを作った。「馬酔木」主宰。別号に喜雨亭。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
223 | 久保田万太郎 浅草 | Wikipedia |
久保田 万太郎(くぼた まんたろう、1889年(明治22年)11月7日 - 1963年(昭和38年)5月6日)は、浅草生まれの大正から昭和にかけて活躍した俳人、小説家、劇作家。生粋の江戸っ子として伝統的な江戸言葉を駆使して滅びゆく下町の人情を描いた。俳人としては岡本松浜、松根東洋城に師事、戦後に俳誌「春燈」を主宰し文人俳句の代表作家として知られる。俳句の別号に暮雨、傘雨[2]。別の筆名に千野菊次郎。文化勲章受章者。贈従三位勲一等瑞宝章(没時叙位叙勲)。 | ||
慶應義塾大学出身 東京都出身の慶應義塾大学の出身者 全国の慶應義塾大学の出身者 | ||
224 | 服部嘉香 新宿区 | Wikipedia |
服部 嘉香(はっとり よしか、1886年(明治19年)4月4日 - 1975年(昭和50年)5月10日)は、日本の詩人、歌人、国語学者。 | ||
225 | 若林牧春 町田市 | Wikipedia |
若林 牧春(わかばやし ぼくしゅん、男性、1886年9月11日 - 1974年6月29日)は、明治・大正・昭和期の日本の歌人、詩人、教育者。本名は岡部 軍治[注 1](おかべ ぐんじ)。他の雅号に暁花、星骨がある。 | ||
226 | 柳原白蓮 豊島区 | Wikipedia |
柳原 白蓮(やなぎわら びゃくれん、1885年(明治18年)10月15日 - 1967年(昭和42年)2月22日)は、大正から昭和時代にかけての歌人。本名は宮崎燁子(みやざきあきこ)、旧姓:柳原(やなぎわら)、北小路(きたこうじ)、伊藤(いとう)。大正三美人の1人。白蓮事件で知られる。 | ||
東洋英和女学校出身 東京都出身の 東洋英和女学校の出身者 全国の 東洋英和女学校の出身者 | ||
227 | 武者小路実篤 千代田区 | Wikipedia |
武者小路 実篤(むしゃのこうじ さねあつ、1885年(明治18年)5月12日 - 1976年(昭和51年)4月9日)は、日本の小説家・詩人・劇作家・画家。貴族院勅選議員。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
228 | 中勘助 神田 | Wikipedia |
中 勘助(なか かんすけ、1885年(明治18年)5月22日 - 1965年(昭和40年)5月3日)は東京出身の作家・詩人である。 | ||
229 | 北原白秋 渋谷区 | Wikipedia |
北原 白秋(きたはら はくしゅう、1885年(明治18年)1月25日 - 1942年(昭和17年)11月2日)は、日本の詩人、童謡作家、歌人。本名は北原 隆吉(きたはら りゅうきち)。 | ||
230 | 竹久夢二 渋谷区 | Wikipedia |
竹久 夢二(たけひさ ゆめじ、1884年(明治17年)9月16日 - 1934年(昭和9年)9月1日)は、日本の画家・詩人。本名は竹久 茂次郎(たけひさ もじろう)。 | ||
231 | 高村光太郎 台東区 | Wikipedia |
高村 光太郎(たかむら こうたろう、1883年(明治16年)3月13日 - 1956年(昭和31年)4月2日)は、日本の詩人・彫刻家。東京府東京市下谷区下谷西町三番地(現在の東京都台東区東上野一丁目)出身。本名は光太郎と書いて「みつたろう」と読む。 | ||
東京芸術大学出身 東京都出身の東京芸術大学の出身者 全国の東京芸術大学の出身者 | ||
232 | 岡田茂吉 | Wikipedia |
岡田 茂吉(おかだ もきち、1882年〈明治15年〉12月23日 - 1955年〈昭和30年〉2月10日)は、日本の文化人。宗教家、文明評論家、書家、画家、歌人、華道流祖、造園家、建築家、美術品収集家。 | ||
233 | 野口雨情 武蔵野市 | Wikipedia |
野口雨情(のぐち うじょう、1882年(明治15年)5月29日 - 1945年(昭和20年)1月27日)は、詩人、童謡・民謡作詞家。多くの名作を残し、北原白秋、西條八十とともに、童謡界の三大詩人と謳われた。 | ||
234 | 石原純 | Wikipedia |
石原 純(いしわら あつし(じゅん)、1881年1月15日 - 1947年1月19日)は、日本の理論物理学者・科学啓蒙家・歌人。 | ||
235 | 与謝野晶子 渋谷区 | Wikipedia |
与謝野 晶子(正字: 與謝野 晶子、よさの あきこ、1878年(明治11年)12月7日 - 1942年(昭和17年)5月29日)は、日本の歌人、作家、思想家。 戸籍名与謝野 志やう(よさの しょう)。旧姓鳳(ほう)。ペンネームの「晶子」の「晶」は、本名の「しょう」から取った。夫は与謝野鉄幹(与謝野寛)。 | ||
236 | 寺田寅彦 | Wikipedia |
寺田 寅彦(てらだ とらひこ、1878年(明治11年)11月28日 - 1935年(昭和10年)12月31日)は、戦前の日本の物理学者、随筆家、俳人であり吉村冬彦(大正11年から使用)、寅日子、牛頓(“ニュートン”)、藪柑子(“やぶこうじ”)の筆名でも知られる。高知県出身(出生地は東京市)。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
237 | 島木赤彦 渋谷区 | Wikipedia |
アハハ、1876年(明治9年)12月16日 - 1926年(大正15年)3月27日)は、明治・大正時代のアララギ派歌人。本名は久保田俊彦。別号、柿乃村人。 | ||
238 | 与謝野鉄幹 杉並区 | Wikipedia |
与謝野 鉄幹(正字: 與謝野 鐵幹、よさの てっかん, 1873年(明治6年)2月26日 - 1935年(昭和10年)3月26日)は、日本の歌人。本名は与謝野 寛(よさの ひろし)。鉄幹は号。与謝野晶子の夫。後に慶應義塾大学教授。文化学院学監。 | ||
239 | 与謝野鉄幹 渋谷区 | Wikipedia |
与謝野 鉄幹(正字: 與謝野 鐵幹、よさの てっかん, 1873年(明治6年)2月26日 - 1935年(昭和10年)3月26日)は、日本の歌人。本名は与謝野 寛(よさの ひろし)。鉄幹は号。与謝野晶子の夫。後に慶應義塾大学教授。文化学院学監。 | ||
240 | 国木田独歩 渋谷区 | Wikipedia |
国木田 独歩(くにきだ どっぽ、1871年8月30日(明治4年7月15日) - 1908年(明治41年)6月23日)は、日本の小説家、詩人、ジャーナリスト、編集者。千葉県銚子生まれ、広島県広島市、山口県育ち。 | ||
241 | 巌谷小波 児童文学 | Wikipedia |
巖谷 小波(いわや さざなみ、1870年7月4日(明治3年6月6日) - 1933年(昭和8年)9月5日)は、明治から大正にかけての作家、児童文学者、俳人。本名は季雄(すえお)。別号に漣山人(さざなみ さんじん)、楽天居、隔恋坊、大江小波がある[2]。 | ||
242 | 馬場孤蝶 渋谷区 | Wikipedia |
馬場孤蝶(ばば こちょう、1869年12月10日(明治2年11月8日) - 1940年(昭和15年)6月22日)は、英文学者、評論家、翻訳家、詩人、慶應義塾大学教授。 | ||
243 | 山田美妙 千代田区 | Wikipedia |
山田 美妙(やまだ びみょう、1868年8月25日(慶応4年7月8日) - 1910年(明治43年)10月24日)は、日本の小説家・詩人・評論家。言文一致体および新体詩運動の先駆者として知られる。二世曲亭主人、美妙斎、美妙子、樵耕蛙船、飛影などの号も用いた。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
244 | 正岡子規 台東区 | Wikipedia |
正岡 子規(まさおか しき、1867年10月14日〈慶応3年9月17日〉 - 1902年〈明治35年〉9月19日)は、日本の俳人、歌人、国語学研究家。名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。 |
その他の職業
245 | 石井茂吉 北区 | Wikipedia |
石井 茂吉(いしい もきち、1887年(明治20年)7月21日 - 1963年(昭和38年)4月5日)は、写真植字機の共同発明者。写研の設立者で、石井翁とも呼ばれた。東京都北区堀船町出身。 | ||
246 | 坂本龍之輔 あきる野市 | Wikipedia |
坂本 龍之輔(さかもと りゅうのすけ、明治3年7月23日(1870年8月19日) - 昭和17年(1942年)3月26日)は、日本の教育者。明治期に上野下谷に日本で初めて設けられた貧民学校の校長を務め、その教育実践が、かつての教え子であった添田知道の『小説 教育者』として作品化されて、大正、昭和期に教育者の範として知られた。 | ||
247 | 屋井先蔵 台東区 | Wikipedia |
屋井 先蔵(やい さきぞう、1864年1月13日〈文久3年12月5日〉 - 1927年〈昭和2年〉6月1日)は乾電池の発明者である。 | ||
248 | 大山捨松 渋谷区 | Wikipedia |
大山 捨松(おおやま すてまつ、安政7年2月24日(1860年3月16日)- 大正8年(1919年)2月18日)は、日本の華族、教育者。大山巌の妻。旧姓は山川(やまかわ)、幼名はさき、のち咲子(さきこ)。愛国婦人会理事。赤十字篤志看護会理事。 | ||
249 | 井上泰助 日野市 | Wikipedia |
井上 泰助(いのうえ たいすけ、安政4年12月5日(1858年1月19日) - 昭和2年(1927年)2月10日)は、新選組隊士。 | ||
250 | 松本捨助 府中市 | Wikipedia |
松本 捨助(まつもと すてすけ、弘化2年4月24日(1845年5月29日) - 大正7年(1918年)4月6日)は、新選組の八番組隊士。土方歳三の縁戚。武蔵国多摩郡本宿村(現・東京都府中市本宿)の名主の松本友八の長男。 | ||
251 | 井上松五郎 日野市 | Wikipedia |
井上 松五郎(いのうえ まつごろう、文政6年(1823年)-明治4年3月28日(1871年5月17日))は、幕末期の八王子千人同心石阪組世話役。幼名、松次郎。名は一俊。天然理心流。弟は新選組六番隊長の井上源三郎。また、次男の井上泰助も新選組隊士。 | ||
252 | 関東綱五郎 八王子市 | Wikipedia |
関東綱五郎(かんとうつなごろう、1822年 - 1886年11月)は、日本の侠客である[3][4][5]。村上元三の小説『次郎長三国志』に同名で登場、清水次郎長配下の「清水二十八人衆」に数えられる大瀬の半五郎(おおせのはんごろう)[6]と同一人物であるとされる[4][7][8][9]。本名は鈴木 綱五郎(すずき つなごろう)、出生名は鈴木 綱之助(すずき つなのすけ)[3][4]。関東の綱五郎(かんとうのつなごろう)とも。 |