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このサイトに登録されている「愛知県出身で16年生まれ」の有名人の数:16人
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宝塚・女優・俳優・声優・ナレーター・歌舞伎・能楽・狂言
1 | 有島一郎 名古屋市 | Wikipedia |
有島 一郎(ありしま いちろう、1916年3月1日 - 1987年7月20日)は、日本の俳優。本名、大島 忠雄(おおしま ただお)。 |
舞台・演劇・映画・ドラマ・脚本・プロデューサー・ディレクター
2 | 鈴木英夫 蒲郡市 | Wikipedia |
鈴木 英夫(すずき ひでお、1916年5月10日 - 2002年5月2日)は、日本の映画監督。愛知県蒲郡市出身。スリラーとサスペンスの名手とされ、最晩年に再評価された。 |
野球
3 | 浅原直人 | Wikipedia |
浅原 直人(あさはら なおと、1916年4月8日 - 1987年2月1日)は、愛知県出身のプロ野球選手。ポジションは外野手、一塁手。 | ||
4 | 片岡博国 | Wikipedia |
片岡 博国(かたおか ひろくに、1916年11月24日 - )は、元プロ野球選手。 | ||
5 | 佐藤武夫 岡崎市 | Wikipedia |
佐藤 武夫(さとう たけお、1916年10月21日 - 1962年4月18日)は愛知県岡崎市出身のプロ野球選手、プロ野球審判員。 |
サッカー
6 | 高橋英辰 | Wikipedia |
高橋 英辰(たかはし ひでとき、1916年4月11日 - 2000年2月5日)は、福島県福島市出身のサッカー選手、サッカー指導者。サッカー日本代表監督を務め、2009年に日本サッカー殿堂入りした。 |
冬季スポーツ
7 | 小塚光彦 名古屋市 | Wikipedia |
小塚 光彦(こづか みつひこ、1916年 - 2011年7月26日)は、日本のフィギュアスケート選手。「フィギュア王国」愛知県の基礎を築いた。長男はグルノーブルオリンピック男子フィギュアスケート代表の小塚嗣彦、孫はバンクーバーオリンピック男子フィギュアスケート代表、2011年世界選手権銀メダリストの小塚崇彦。 |
陸上競技全般
8 | 渡辺すみ子 名古屋市 | Wikipedia |
渡辺 すみ子(わたなべ・すみこ 1916年11月28日 - 2010年11月2日)は、日本の元陸上競技選手、指導者。 |
軍人
9 | 武藤金義 大治町 | Wikipedia |
武藤 金義(むとう かねよし、1916年(大正5年)8月18日 - 1945年(昭和20年)7月24日)は、日本の海軍軍人。戦死による特進で最終階級は中尉。支那事変、太平洋戦争における撃墜王。 | ||
10 | 石田捨雄 | Wikipedia |
石田 捨雄(いしだ すてお、1916年(大正5年)4月 - 2002年(平成14年)7月20日)は、日本の海軍軍人及び海上自衛官である。海軍兵学校卒業(64期)。第9代海上幕僚長。妻は有馬正文中将の長女百合子である。 |
学者・教授・准教授
11 | 中尾佐助 豊川市 | Wikipedia |
中尾 佐助(なかお さすけ、1916年8月16日 - 1993年11月20日)は、日本の植物学者。大阪府立大学名誉教授。専門は遺伝育種学、栽培植物学。ヒマラヤ山麓から中国西南部を経て西日本に至る「照葉樹林帯」における文化的共通性に着目した「照葉樹林文化論」を提唱した。 |
俳人・歌人・詩人
12 | 太田絢子 江南市 | Wikipedia |
太田 絢子(おおた あやこ、1916年3月17日 - 2009年10月31日)は、歌人。太田青丘の妻。旧姓近藤。 |
その他の職業
13 | 片岡高房 名古屋市 | Wikipedia |
片岡 高房(かたおか たかふさ 寛文7年(1667年) - 元禄16年2月4日(1703年3月20日))は、江戸時代前期の武士。赤穂浪士四十七士の一人。赤穂藩では側用人・児小姓頭をつとめ、浅野長矩から最大の寵愛を受けた。通称は、はじめ新六(しんろく)、のちに源五右衛門(げんごえもん)と称した。本姓は近江源氏。家紋は瓜の内釘貫。変名は、吉岡勝兵衛。 | ||
14 | 山田宗徧 豊橋市 | Wikipedia |
山田 宗徧(やまだ そうへん、寛永4年(1627年) - 宝永5年4月2日(1708年5月21日))は、江戸時代前期の茶人。宗徧流茶道を興した。茶号は四方庵・不審庵・今日庵。 | ||
15 | 柳生厳包 名古屋市 | Wikipedia |
柳生 厳包(やぎゅう としかね、寛永2年(1625年) - 元禄7年10月11日(1694年11月27日))は、江戸時代前期の武士、剣術家、尾張藩士。柳生利厳(兵庫助)の子。父の跡を継いで尾張藩剣術指南役を務め、藩主・徳川光友に新陰流を伝授した。幼名は新六。初名は厳知。通称は七郎兵衛、兵助、兵庫。隠居後は入道して連也斎または浦連也と号した。著書に『御秘書』、『連翁七箇條』。 | ||
16 | まつ あま市 | Wikipedia |
芳春院(ほうしゅんいん、天文16年7月9日(1547年7月25日) - 元和3年7月16日(1617年8月17日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての女性。加賀国(石川県)の戦国大名・前田利家の正室。名はまつ。篠原一計の子。戒名は芳春院殿花巖宗富大禅宗定尼。母(竹野氏)が利家の母の姉であるため、利家とは従兄妹関係にあたる。学問や武芸に通じた女性であった。 |