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舞台・演劇・映画・ドラマ・脚本・プロデューサー・ディレクター
1 | オリエ津阪 北区 | Wikipedia |
オリエ 津阪(オリエ つさか、1912年12月24日 - )は、日本の俳優。松竹少女歌劇の男役スターとして、1930年代のレビュー・ブーム期に同じ松竹の水の江瀧子や宝塚少女歌劇の小夜福子、葦原邦子らと共に「男装の麗人」として人気を博した。松竹歌劇の黄金時代を築いた[3]人物として水の江と並び称される。松竹退団後は劇団主宰などを経て1950年代初頭まで映画にも出演。その後は日本舞踊の師匠となり表舞台からは退いた。 |
格闘技
2 | 有明五郎 新宿区 | Wikipedia |
有明 五郎(ありあけ ごろう、1912年9月1日 - 1959年7月20日)は、東京府東京市(現在の東京都新宿区)出身で錦嶌部屋所属の戦前に活躍した元大相撲力士。本名は、金子 元五郎(かねこ もとごろう)。身長171cm、体重111kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は東前頭11枚目(1944年5月場所)。有明吾郎とは別人物。 |
漫画家・イラスト・ゲーム
3 | 横井福次郎 | Wikipedia |
横井 福次郎(よこい ふくじろう、1912年9月25日 - 1948年12月5日)は、日本の漫画家である。 |
作家・小説家・エッセイ・文筆・翻訳家・編集者・評論家
4 | 檀一雄 練馬区 | Wikipedia |
檀 一雄(だん かずお、1912年(明治45年)2月3日 - 1976年(昭和51年)1月2日)は、日本の小説家、作詞家。私小説や歴史小説、料理の本などで知られる。「最後の無頼派」作家・文士ともいわれた。また、西遊記の日本語抄訳もある(東京創元社ほか)。 | ||
5 | 武田泰淳 | Wikipedia |
武田 泰淳(たけだ たいじゅん、1912年(明治45年)2月12日 - 1976年(昭和51年)10月5日)は、日本の小説家。第一次戦後派作家として活躍。主な作品に『司馬遷』、『蝮のすゑ』、『風媒花』、『ひかりごけ』、『富士』、『快楽』など。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 |
経営者・実業家
6 | 勝田正之 | Wikipedia |
勝田 正之(しょうだ まさゆき、1912年11月2日 - 1991年10月20日)は、日本の実業家で、元日本電子計算社長。父・久貫は元大蔵大臣・勝田主計の弟なので正之は主計の甥にあたる。東京府(現・東京都)生まれ。 | ||
7 | 菅寿雄 三鷹市 | Wikipedia |
菅 寿雄(かん ひさお、1912年12月10日 - 1991年)は、日本の実業家。雅号は木桃。元セントラル硝子常務取締役・監査役。 | ||
8 | 勝田龍夫 渋谷区 | Wikipedia |
勝田 龍夫(しょうだ たつお、1912年2月22日 - 1991年5月28日)は、元日本債券信用銀行会長。朝鮮銀行入行後、日本不動産銀行(のちの日本債券信用銀行)に入り、常務、副頭取、頭取を歴任。父は朝鮮銀行総裁、大蔵大臣等を務めた勝田主計。妻は西園寺公望の秘書・原田熊雄の娘。『重臣たちの昭和史』『中国借款と勝田主計』を著す。 |
デザイナー
9 | 相澤昌弘 | Wikipedia |
相澤 昌弘(あいざわ まさひろ)は、東京都出身のアニメーター、キャラクターデザイナー。文化学院卒。アニメトロトロ出身。別名義に相澤伽月(あいざわ かげつ)がある。 |
学者・教授・准教授
10 | 糸川英夫 | Wikipedia |
糸川 英夫(いとかわ ひでお、1912年7月20日 - 1999年2月21日)は、日本の工学者。専門は航空工学、宇宙工学。ペンシルロケットの開発者であり、「日本の宇宙開発・ロケット開発の父」と呼ばれる。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
11 | 中村元 杉並区 | Wikipedia |
中村 元(なかむら はじめ、1912年(大正元年)11月28日 - 1999年(平成11年)10月10日)は、日本のインド哲学者、仏教学者。東京大学名誉教授、日本学士院会員。勲一等瑞宝章、文化勲章、紫綬褒章受章。 | ||
12 | 新田次郎 武蔵野市 | Wikipedia |
新田 次郎(にった じろう、本名:藤原 寛人(ふじわら ひろと)、1912年6月6日 - 1980年2月15日)は、日本の小説家、気象学者。無線電信講習所(現在の電気通信大学)卒業。 |
画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家・漆芸家・工芸家
13 | 松本竣介 渋谷区 | Wikipedia |
松本 竣介(まつもと しゅんすけ、1912年4月19日 - 1948年6月8日)は、日本の洋画家。 太平洋戦争が始まる8ヶ月前の1941年(昭和16年)4月、軍部による美術への干渉に抗議して、美術雑誌「みづゑ」437号に「生きてゐる画家」という文章を発表したことはよく知られている。都会の風景やそこに生きる人びとを、理知的な画風で描いた日本の画家である。 | ||
太平洋美術学校出身 東京都出身の太平洋美術学校の出身者 全国の太平洋美術学校の出身者 |
政治家・議員・首長
14 | 桜内義雄 | Wikipedia |
櫻内 義雄(さくらうち よしお、1912年(明治45年)5月8日 - 2003年(平成15年)7月5日)は、日本の政治家。衆議院議員(18期)、衆議院議長(第67代)、通産大臣、農林大臣、建設大臣、国土庁長官、自民党政調会長、外務大臣、自由民主党幹事長などを歴任。元日蓮宗全国檀信徒協議会会長。従二位勲一等。 | ||
15 | 細田吉蔵 世田谷区 | Wikipedia |
細田 吉蔵(細田 吉藏、ほそだ きちぞう、明治45年(1912年)5月2日 - 平成19年(2007年)2月11日)は、日本の運輸官僚、政治家、弁護士。衆議院議員(10回当選)。正三位勲一等。松江市名誉市民。 |
評論家
16 | 福田恆存 文京区 | Wikipedia |
福田 恆存(ふくだ つねあり、1912年(大正元年)8月25日 - 1994年(平成6年)11月20日)は、日本の評論家、翻訳家、劇作家、演出家。1969年(昭和44年)から1983年(昭和58年)まで京都産業大学教授を務めた。1981年(昭和56年)より日本芸術院会員。名前は有職読みで「ふくだ こうそん」とも呼ばれる[2]。 | ||
東京大学出身 東京都出身の東京大学の出身者 全国の東京大学の出身者 | ||
17 | 吉田健一 | Wikipedia |
吉田 健一(よしだ けんいち、1912年(明治45年)4月1日 - 1977年(昭和52年)8月3日)は、日本の英文学翻訳家、評論家、小説家である。父は吉田茂、母・雪子は牧野伸顕(内大臣)の娘で、大久保利通の曾孫にあたる。ケンブリッジ大学中退。誕生日については、戸籍上は4月1日だが、吉田家では3月27日に祝っていた。英文学、フランス文学を中心としたヨーロッパ文学の素養をもとに、評論や小説を著した。また、イギリス文学の翻訳も多数行っている。父と親交の深かった長谷川如是閑の肝いりで、中央大学文学部教授(英文学)を一時期務めた。 |