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このサイトに登録されている「広島県出身で1912年生まれ」の有名人の数:18人
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宝塚・女優・俳優・声優・ナレーター・歌舞伎・能楽・狂言
1 | 大友柳太朗 | Wikipedia |
大犮 柳太朗(おおとも りゅうたろう、明治45年(1912年)6月5日 - 昭和60年(1985年)9月27日)は、山口県出身の俳優。本名は中富 正三。 (正式な名義は「友」の右上に「丶」を付与した文字だが、一般表示が出来ない。) | ||
2 | 不二洋子 | Wikipedia |
不二 洋子(ふじ ようこ、1912年3月18日 - 1980年5月11日)は、日本の女優である。女剣劇の草分けで[2][3][4][5]、1930年代以降、初代・二代目の大江美智子とともに女剣劇の全盛期を築きあげた舞台女優である[6][7]。本名は迫 静子(さこ しずこ)。旧姓・大西。 |
演奏家・作詞家・作曲家・ミュージシャン
3 | 渡辺弘 広島市 | Wikipedia |
渡辺弘(わたなべひろし、1912年 - 1988年12月22日)は、日本のジャズミュージシャン。テナーサックス奏者。日本最高のダンス・バンド「スターダスターズ」を率いて、約四半世紀の間ジャズ界に君臨した日本ジャズ界の草分け的存在。広島県広島市出身。 |
舞台・演劇・映画・ドラマ・脚本・プロデューサー・ディレクター
4 | 新藤兼人 | Wikipedia |
新藤 兼人(しんどう かねと、1912年(明治45年)4月22日 - 2012年(平成24年)5月29日)は、日本の映画監督、脚本家。本名は新藤 兼登(読み方同じ)。日本のインディペンデント映画の先駆者であった。近代映画協会会長。従三位、広島県名誉県民、広島市名誉市民、広島県三原市名誉市民。 |
野球
5 | 岩本義行 三次市 | Wikipedia |
岩本 義行(いわもと よしゆき、1912年3月11日 - 2008年9月26日)は、広島県三次市出身のプロ野球選手(外野手)・監督。「元祖神主打法」[2][3]「初代トリプルスリー」[2][3][4]。弟はプロ野球南海の投手・審判を務めた岩本信一。5人いる孫の1人に女優の遠野舞子がいる[5]。 | ||
6 | 灰山元治 廿日市市 | Wikipedia |
灰山 元治(はいやま もとはる、大正元年(1912年)7月17日 - 昭和62年(1987年)11月27日)は、昭和初期に中等野球他で活躍したアマチュア野球選手、プロ野球選手。投手・内野手。プロ入り後は灰山元章と改名した。広島県佐伯郡廿日市町桜尾(現:廿日市市)出身。 |
作家・小説家・エッセイ・文筆・翻訳家・編集者
7 | 山代巴 三次市 | Wikipedia |
山代 巴(やましろ ともえ、旧姓:徳毛、1912年6月8日 - 2004年11月7日)は、日本の作家である。広島県芦品郡栗生村(今の府中市栗柄町)に生まれる。1929年(昭和4年)、東京女子美術専門学校(今の女子美術大学)に入学する。1932年、日本共産党に入党する。1937年に山代吉宗(1901年 - 1945年)と結婚した。1945年から尾道市立図書館長中井正一が広島県下で主宰した文化運動での市民講座を受講し、中井の知遇を得、影響を受ける。なお、山代の『千代の青春』は中井正一の母親をモデルにしている。 | ||
8 | 大佐古一郎 北広島町 | Wikipedia |
大佐古 一郎(おおさこ いちろう、1912年(大正元年)11月15日―1995年(平成7年))は昭和時代のジャーナリスト・著作家。広島市での原爆被災をはさむ長い時期にわたって、在広島の地方紙である中国新聞の記者を務めた。 |
経営者・実業家
9 | 高木養根 | Wikipedia |
高木 養根(たかぎ やすもと、1912年7月7日 - 1999年1月9日)は、日本の実業家。元日本航空社長。広島県福山市生まれ、岐阜県高山市育ち[2]。 | ||
10 | 松尾孝 広島市 | Wikipedia |
松尾 孝(まつお たかし、1912年(明治45年)7月15日 - 2003年(平成15年)10月28日)は、日本の実業家。カルビー創業者。広島県広島市出身。 | ||
11 | 大原栄一 沼隈町 | Wikipedia |
大原 栄一(おおはら えいいち、1912年12月2日 - 1998年3月9日)は日本の実業家。富士重工業元社長・元会長。広島県沼隈郡沼隈町田島(現福山市)出身。満州安東育ち。 |
公務員
12 | 布施健 | Wikipedia |
布施 健(ふせ たけし、1912年3月21日 - 1988年2月25日)は、日本の検察官。ロッキード事件時の検事総長(在任期間 1975年1月25日 - 1977年3月20日)。旧姓・小橋健。現在の岡山県備前市香登出身。 |
学者・教授・准教授
13 | 宮本正太郎 尾道市 | Wikipedia |
宮本 正太郎(みやもと しょうたろう、1912年12月1日 - 1992年5月11日)は、日本の天文学者。荒木俊馬の弟子の1人で、惑星気象学の開拓者として有名。広島県出身。 |
画家・写真家・書道家・彫刻家・陶芸家・漆芸家・工芸家
14 | 奥田元宋 三次市 | Wikipedia |
奥田 元宋(おくだ げんそう、1912年(明治45年)6月7日 - 2003年(平成15年)2月15日)は、日本画家、日本芸術院会員。「元宋の赤」といわれる独特な赤色が特徴。本名は奧田 嚴三(おくだ げんぞう)。妻の奥田小由女は人形作家、日本芸術院会員。 | ||
15 | 船田玉樹 | Wikipedia |
船田 玉樹(ふなだ ぎょくじゅ、1912年〈大正元年〉10月29日 - 1991年〈平成3年〉2月4日)は、日本画を中心に制作した美術家。本名・信夫。 | ||
16 | 宮本竹逕 福山市 | Wikipedia |
宮本 竹逕(みやもと ちくけい、1912年9月25日 - 2002年10月7日)は、日本の書家、かな書家。広島県福山市赤坂町出身。本名は宮本顕一(みやもとけんいち)。 | ||
17 | 水船六洲 呉市 | Wikipedia |
水船 六洲(みずふね ろくしゅう、1912年(明治45年)3月26日[3] - 1980年(昭和55年)6月30日[3])とは、日本の彫刻家[3]、版画家[4]。広島県呉市草里町(現東中央2丁目)出身[4]。本名は田中六洲。なお、本名の名前読みは漢字「六洲」を「むつくに」と読む[4]。実兄に洋画家水船三洋があり[4]、実父も書家だった[4]。 |
宗教家・思想家・運動家
18 | 原田東岷 広島市 | Wikipedia |
原田 東岷(はらだ とうみん、1912年 - 1999年(平成11年)6月25日)は、日本の外科医、平和運動家。広島市出身。 |